はてなキーワード: 組織化とは
私だ
http://anond.hatelabo.jp/20170326232423
組織のメンバーが普通のユーザーを装いネガティブコメントをしたり、無言ブクマすると、ネガコメにつられてワラワラと普通のユーザーまでブクマするわけ。
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/suffrage-centennial.org/?p=87
「こんな貧困OLたちが貴方を待ってますよ!」っていう出会い系アフィサイト
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/konkatsusakurako.com/?p=79
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/kawaiisokuhou.com/?p=254
ttp://b.hatena.ne.jp/entry/ch.nicovideo.jp/anzenapp/blomaga/ar1214883
組織的かどうかは、この辺みて http://b.hatena.ne.jp/entry/suffrage-centennial.org/?p=91個人で判断して。
https://blogcircle.jp/user/usachannel
http://b.hatena.ne.jp/entry/usachannel.info/blog/?no=2877
この辺は、もう組織化されてるのかざっくり見ただけじゃよくわからん。この増田は良く見つけたと思う。
まだ見てないけど、楽天SNというのがあるらしい、あと、SEOとか情報商材のブログとかは、ツイッターとかでつるんでたり、そんな感じのもいたけど、確定はしてない。
けど、私の見てるブロガーさんのツイアカでも1000以上のフォロワーがあって、ツイッターで紹介しても、ブクマは一桁とかだよ。アクセスは結構あると思うけどね。ツイッターなんてそんなものだと思う。
以上です。
たぶん、この手の事を書くのは最後になると思う。
まぁ、増田の気持ちもわかるけど、ここはソーシャルネットだから、スパム対策なんて(スパムレポート出しても、この有様だし)自己承認の得られない事する人は案外少ないのだと思う。
私でした
追記
http://b.hatena.ne.jp/entry/fukabe.hatenablog.com/entry/2017/03/27/185904
こちらのブログで「はて活」という言葉が生まれてますので、こちらもドウゾ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/kawaiisokuhou.com/?p=283
(↑盛り上がってますが、上に上げた■痴漢疑われたら「逃げろ」は正解?と同じ「はて活」サイトです。気を付けましょう・・・・・
この文章は公式の設定と一切関係ありません。いち視聴者が勝手に考察(妄想)したものです。
[セルリアンとは?]
本能的にフレンズの遺伝子を欲するため、たびたびフレンズを捕食する。
[ジャパリパークとは?]
もともとは普通のサファリパークであったが、人類滅亡の危機に際してフレンズ化の実験場となった。
[かばんちゃんとは?]
ジャパリパークの地下施設で、フレンズ化の順番待ちのため凍結状態にあった。
ジャパリパークの火山の噴火で地形が大きく変わる恐れがあったため、緊急プロセスが働き地上に射出された。
このとき、ほかの固体のほとんどはフレンズ化に失敗し、セルリアンとなった。
かばんちゃんのみ何らかの原因でフレンズ化が実行されなかった。
[フレンズとは?]
地球は人間の住める環境ではなくなり、人類の生存が絶望的な状況であった。
そこで、現在の環境にも耐えうる人間が生まれることを期待して、遺伝的多様性のある人間(フレンズ)が作成された。
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今後の展開
中国に存在するチャパリパークは、原始的な国家と呼べる程度には組織化されていた。
チャパリパークは、ジャパリパークに純人間が出現したことを察知しこれの取得を目指す。
チャパリパークとジャパリパークは戦闘状態に突入するが、高度に組織化されたチャパリ軍によりジャパリパーク側は敗戦を繰り返す。
しかし、この時代において圧倒的な知能を有するかばんちゃんの知略により、チャパリ軍を撤退することに成功。この戦争の通してジャパリパークも国家化される。
チャパリパークがジャパリパークの配下になったため、中国にある遺跡の調査が可能となる。
かばんちゃんが調査を行ったところ、それは高度に発達した人間文明の遺産であった。
かばんちゃんと遺跡が接触することにより、膨大な機械やAIが起動される。
このエネルギーに触発され、世界中のセルリアンが遺跡に押し寄せて絶体絶命のように思われたが、かばんちゃんが起動した環境保護衛星からの高出力レーザーでセルリアンの殲滅に成功する。
ここで一期おわり
http://anond.hatelabo.jp/20161204224426
全ヨーロッパのユダヤ人をドイツ領ポーランドの絶滅収容所へ移送する−これは、途方もない作戦である。遂行にあたっては詳細な計画、広域にわたって組織化された設備施設、そして輸送・補給・宿営のための大がかりな兵站機構が必要だった。連行作戦にはドイツの広範にわたる政府機関と組織が巻き込まれている。ハイドリヒが作戦の指揮を執り、1942年5月の彼の暗殺後はハイドリヒの後継者、帝国中央保安局長エルンスト・カルテンブルンナーがこれにあたった。あらゆるSS機関、支配地域の様々な民間の権威、ドイツ国防軍、そしてナチの衛星各国政府が連行作戦に動員された。特にドイツ鉄道組織は連行されたユダヤ人の集団を絶滅収容所まで輸送する手段を提供し、強制連行に加担した。次のことは特筆に値するであろう。何よりも軍隊が鉄道を必要としていたにもかかわらず優先順位を記したナチのリストによれば、ユダヤ人鉄道輸送の割り当ては、軍隊のそれよりも優先されていたのだ。
全ヨーロッパからユダヤ人を連行するということは当然、5つの絶滅収容所に彼らが到着するということでもある。列車同士のブッキングを防ぐため正確なダイヤグラムが必要となった。ダイヤグラムの組み立てにあたっては、それぞれの収容所の絶滅施設の能力も考慮に入れなければならなかった。ガス室があるといっても全員を短時間でガス殺できない収容所へ列車を付けるわけにはいかなかったからである。
ユダヤ人連行は秘密裏に進められたので、大がかりな隠ぺいと偽装工作が行われることになった。連行される人びとに対しては、東方のどこかへ労働に行くのだという情報が流されていた。このためポーランド在住ユダヤ人はソ連領内のナチ占領地域に連れて行かれるのだろうと考え、他国のユダヤ人たちはナチ領ポーランドへ労働のために送られると信じていた。ナチは、嘘がほころび連行に不審感や不安感を持たれないよう、念の入ったことをした。 連行の途中あるいは収容所到着後何人かに対して、故国に残した家族あてに葉書を書くよう強要したのだ。家族が受け取ることになる葉書にはこうしたためてあった−「自分たちは元気に生きている。ここはただの労働収容所で、快適だ」− 差出人は数時間後にはもう生きてはいなかったのだが。
強制連行の手順と方法は大体決まっていた。連行が迫っているという噂が数週間前から広まることもあったが多くの場合、連行命令は予告なしに突然執行された。連行される人びとに与えられた猶予はきわめて短く、2、3時間かあるいは数分だった。まず、ユダヤ人たちは家を出て指定された場所に集合するよう命じられた。集合場所は大抵駅の近くだった。所持品は手荷物以外許されず、彼らは自分の財産のほとんどを置き去りにするしかなかった。手荷物の重さは一人当り10~15キログラムに制限されることもあった。荷物の中身は主に衣服、炊事用品、寝具などだったが、そこには仕事に使うための道具類も加えられていた。働きに行くだけだと信じていたからである。
重い荷物を背負い、包みを抱え、子どもも年よりも、ユダヤ人たちは駅までの何キロもの道のりを行進させられた。年寄りや病人が荷馬車やトラックで隣村から運ばれてくることもあったが、行進は基本的には徒歩だった。行進から脱落した者はその場で射殺され、歩けない病人や隠れていた者も同様に見つかり次第射殺された。複数の小規模ゲットーで同時に連行が行われた場合、それぞれのゲットーの人びとは一つの集団にまとめられることもあった。こうした集団の隊列は長さ数キロメートルにも及んだ。天候は考慮されなかった。凍てつく冬の雨の中、焼けるような夏の太陽の下、隊列の行進は絶えることがなかった。
経験則だけどね
犯罪係数高い人って、まだ捕まってない人の中にも結構居るので自覚ができたほうがハッピーだと思う
「これは犯罪になってるけど、理屈では納得できない。別にやってもいいんじゃないか?」
とか考えてる人
「あいつら最悪だよ。俺らなんて、ちょっと金をいただいてるだけだからね」とか
裁判では反省してる風を装うらしいが、実際には全く反省せず、次の手を考えている
その人にとっての価値観というのは驚くほど揺らがないのだ
これの反対は「犯罪なんだからやっちゃいけないと頑なに信じている人」
要はよく教育されたお利口ちゃんか、いろいろ考えた結果、現状の犯罪のすべてを「やるべきではない」と考えている人
例えば、ほとんどの人がやっててほとんどの人が捕まらない犯罪などは、揺らぐ人が多いし
数年前まで合法だったものや、会社法みたいに難しくなってくると、信念が持てなかったりする
他の人より「こうやったら上手くいく」「こうやっても捕まらない」ということに気づきやすい
ちなみに実際は、単なる罠であることも多い
1と組み合わせると
この犯罪はそこまで悪く無いと思う → 抜け道に気づく → 抜け道を探すのが楽しくなる
てな感じ
ぶっちゃけ1と2だけならネットユーザーの2、3割が当てはまってしまうのではないかと思う
ただ、普通はそこで思いとどまる
考えただけでやらない
でも、そこで「試しにやってみようかな」と行動に起こす輩がいる
想像してみてほしいが、多くの犯罪は、実行までに色々と準備が必要だ
普通は準備する前に面倒くさくなったりするのだが、一部の人はやり遂げてしまう
(もちろん衝動的な犯罪もあるし、組織化・マニュアル化されると状況は変わってくる)
難しい問題にチャレンジしたり、積極的に発言したり、起業したり
個人的にこれをチェックできる一つの例として「ネットでコメントを書き込むかどうか」があると思う
特に日本人はROMが多く、コメントを書き込む人はせいぜい1割とかそこらだ
さらに言えば、HPを作ったりブログを書いたり、何か作ったりしてる人もそこそこ犯罪係数は高いと思う
これだけ、内的要因と外的要因の中間にある原因で、性格とは言えないかもしれない
まじめに働いたほうがずっと儲かるし、自由に色んな事ができる(一部の規制を除く)
たとえば、ある店に窃盗に入ったら100万円得られるとする
すると額/リスクは、100万/0.5年=200万/年となる
そうすると、普通の会社員だと割に合わないとなるが、ニートなんかだと割りに合ってしまう
そんなわけで社会的弱者や底辺、守るべき家族がない者などは犯罪に走りやすくなる(いわゆる無敵の人)
※ちなみに、「割に合うか」まで計算し始める人はかなり犯罪係数高いので注意
アメリカなんかではまた別だが、日本においては社会的制裁でほとんどの益なんて吹っ飛ぶし
犯罪者の間でも過当競争が起こっていて、勝ち抜くのがきついという状態になっている
内的要因は以上の4つでいいと思うが、もう一つ重要なのが環境と理由だ
2.こんな風にやったらくっそ儲かる
3.よし、いっちょやってみっか?
4.「そんなに儲かっちゃうの?」
ここまできても
「でも警備が厳しくてムリだぁ」とか
「今別に金に困ってないしなぁ」とかがあると、行動に至らない
これらの逆をやればいい
2.抜け道を潰す
3.とにかく犯行を面倒くさくする。組織化やマニュアル化を防ぐ
5.警備強化
何度考えてもまじめに働くのが一番なのだ
実はこの性格は新しいことをやる人(イノベーター)にすごく向いていると思う
1.現状のルールに縛られず、柔軟な発想ができる
3.実行に移し、完成させることができる
4.損得勘定が得意
何しろ法整備が追いついていないので、グレーゾーンの中をギリギリまで攻めなきゃいけない
お利口ちゃんではマジで勝てないんだ
でもその時、やり過ぎると炎上して、株価がウォール街したりする
だから、何が皆にとって良くて、何が悪いのか、どこまでやったらリスクになるのか
きちんと考えられる人は貴重なんだ
※ ちなみに私は単に人間観察が好きなだけで、法学部卒とかじゃないです
___
ちょっと書き忘れ
もう一つ条件に「心が弱い人」がある
これはほとんど1なんだけど
「これは犯罪でよくないことだ」「でもやりたい」と、認知的不協和に陥った人が「これはそんなに悪いことじゃない」という結論に差し替える人
ちなみにちょっと別枠で、「悪いとは分かってるがやる」というタイプも居る
屁理屈が好きなタイプで、2chとかいくとたまに見かける。俺もこのタイプ
例えば殺人も、「自分が死ぬ覚悟で、家族に死ぬほど迷惑かけても良いと思えるくらい殺したい相手なら殺して良いんだろ?」とか、損得で考えてしまうので
行動には気をつけている
「こいつはここで殺してよかったのか?」みたいなね
「断りゃ仕事が来なくなる」とか「営業が悪い」「下請け末端だからどうしようもない」って、それ会社なのか?
起業して1年2年ならともかく。
さすがにどっかで「状況改善のための意思決定をする」「体質強化のために組織化する」ってことをやんないとダメだろう。
それぞれの事情が厳しいのかもしれないが、
「ダンピングをするブラック企業が悪い」ってのが、「ウチはウマくやってるけど他社みると忍びないね・・・」じゃなく、マジで「他所が悪い、ウチはどうしようもない」で、そのダンピングにつき合ってるなら、それこそその会社もダンピングに飲まれてゾンビ化して全体を地盤沈下させるより、本来は市場から退場すべき企業じゃねーかなと思う。
その会社でないといけない独自性が、価格(長時間労働も含めて)以外にないとするなら、価格競争に巻き込まれて規模の小さい所は、手数勝負、稼働率勝負のブラック起業化していくんだろうな。
レスポンスがあって、いい意味で驚いた。もっと、みんなの考えを共有したいものですね。
ひとことで言うと、ドル箱を大きくして、ずっと続くようにしようとしてるように見える。
・分業による組織化によって事業拡大を見込んでいる。上手く行けば、法人化(既にしている?)できるように進めていると思われる。 プロダクション化というやつでは?
・「宗教ビジネス」という人もいるように大衆の人気を取ることを考えると、伊藤ナナとしての経歴は不利に働く(アナグラムとまで調べていればご存知のことと思う)。今後、トイアンナは伊藤ナナでない者からの情報が発信されると、その存在に気が付きにくくなる。すると、大衆のトイアンナ像のイメージ形成をより収益化しやすい方向へと操作できる。
下に予想の根拠を示しておくけれど、週刊誌とかネット記事とかには一切頼らずに、過去の選挙結果をもとにして完全に独自の見解で予想したものなので、当たる保証はもちろんない。
◎山添拓 (共産党) 65万票
【解説】
前提として、有権者数1100万人くらいで投票率が50〜55%程度だとすると、有効投票総数550万〜600万票を奪い合うという形。
(18〜20歳までが初めての選挙ということもあり、投票率は前回(53%)より多少低くなると予想)
抜群の知名度に加え女性からの支持も熱く、誰も太刀打ちできないだろうと。
民進党逆風の影響はあまり受けなさそうではあるが、とは言え、前回選挙の2010年時は震災前の民主党政権下で、事業仕分けなどで活躍する全盛期だったことも考えると170万票から20万票ダウンの150万票と予想。
一方で、同じく現職民進党候補の小川さんは、党内の要職に就き経験も豊富だが、逆風の影響をもろに受けて大幅に得票ダウンで30万〜40万票の当選圏外と予想。これにより民進党は1議席減。
共産党の新人山添さんは、基礎票55〜60万票に加え、護憲派の無党派層からの上積みも期待でき65〜70万票と予想。
自民党は2候補とも、無党派層からの人気はあまり期待できないが、今の情勢を鑑みるに2人合わせて120〜130万票は固い。
党内の票割りのバランスが崩れたら朝日さんの落選もなくはないが、票割りが苦手なのを克服しようと自民党も色々調整するだろうから2人とも当選するでしょう。
で、注目は、
前回、前々回のみんなの党・日本維新系の票は間違いなくここに流れるでしょう。
残念ながら、若者(の一部で)大注目の三宅洋平さんは当選圏外です。
大選挙区(全県選挙区)の参議院選挙は知名度と組織票(基礎票)がものを言います。
たった2週間の頑張りで覆せるほど現実は甘くない。
それでも、イデオロギーへの共感というよりは、政治に新たな風を吹き込むという空気の大きな変化に期待して25万票と予想。
ひょっとしたら残り1週間の頑張り次第では、護憲派の無党派層の票を食う形で30万票の大台に乗る可能性もあるけど、30万票超えたらマジですごいと思う。
そうなったら、時勢によっては、無所属のままでも次は当選しちゃうかもしれない。
ちなみに前回の山本太郎が66万票獲得したのは、社民・新社会・緑の党からの推薦があってのことだし、俳優としての圧倒的な知名度が武器になったというのは言わずもがな。
元議員の横粂さんは、知名度や人気が高いとはいえ、伸びても15万票程度か。
(てか社民党の基礎票ってもはや15万票もないかもな。どれくらい瀕死の党なのか予想も付かないけど)
参考までに、前回・前々回のおおまかな選挙結果を示しておきます。
◎松田公太 (みんな) 50万票
●桐島ローランド(みんな) 32万票
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
やっぱり、政党の持つ力はすごいと思ってる。
YouTubeの演説動画の再生回数が30万回に達しようが、渋谷の駅前に1〜2万人集まろうが、そのうち都内に住んでる有権者はどんだけいるんだって話だし、全国比例でもない限り、選挙区ではネットの力だけでは勝てないよ。
あと、いくら、政策をきちんと見極めて選ぼう、感情論や陰謀論には騙されないぞって思っても、何年も前から必死こいてチラシ配ったりポスター貼ったり、毎日のように駅前に立って挨拶したりしてる人が勝つんだよ。
選挙ってそういうもんなんだよ。
少なくとも今はまだね。
んじゃ。
私は人嫌いである。
正直に言おう。
Facebookで起業家が、「会社のスタッフに感謝!」「ここまで来れたのはみんなのおかげ」などと従業員を気持ち悪いぐらいベタ褒めしたり(※これは組織化した経営者ならこういう行動を取るの理由もよくわかるが)、会社でパーティーをしている写真を見たり、有名なメディアに掲載されました!などと報告している投稿を見ると反吐が出る。
「誰もお前のことなんか知らねーよ、興味ねーよ」と率直に思う。
人が嫌いで、会社嫌いで、オフィスなんてこの世のからなくなればいいと思っている。オフィスや会議室で行う会議なんて人生の無駄以外の何者でもない。
人が嫌いなんて言おうものなら、そんな人間を雇う会社は何処にもないだろう。ただでさえ事業や組織の専門化、高度化、分業化が進み、やれチームワークが大事だ、コミュニケーションが大事だ、ダイバーシティが大事だと叫ばれている世の中である。
そんな世の中で、その暗黙の了解と常識の中で生きるのは、外向型の人間にとっては何てことはないのだろうが、内向型人間にとっては地獄である。
一人だとエネルギーも充電できるし、いろいろアイデアが湧いてくる。
大人数でやるブレストなんてだいっきらいだし、あんなものはバカが寄り集まってグタグタ責任のなすりつけ合いをしているようにしか見えない。いや、実際そうだ。
今の世の中というのは、何処へ行っても外向型の人間であることを求められ、内向型人間には非常に生きづらいのだ。
これは、何処へ行っても、会社を変えても、誰といたとしてもみんな一緒だ。
だから、私は一人になった。
一人で仕事をやることを決めた。
オフィスなんかクソ食らえ!
チームなんかクソ食らえ!!
である。私はずっとそう思っている。
この世の中は、誰しもお金を稼がないと生きてはいけないのである。
だから、
『どうやったら、たった一人で家から一歩も出ずに、面倒な人間や嫌いな人間に一切会わずに、月100万円を安定的に稼げるのか?』
これが当時の私の大きな疑問だった。
そこで私はネットや書籍で調べ、いろいろなものを実際に試した。
クラウドソーシング、アフィリエイト、コンサルティング、FX……
全部一人でもできるものだ。
一人でもできるもので、月100万程度は稼げそうなビジネスモデルのもの。
サラリーマンを辞めたのが2012年。それから早4年が経った。
いろいろ試す中で、それぞれはそこそこ稼げはしたが、到底100万には届かなかった。
一体、何が足りないのか?
一体、何をすれば私の願いは実現できるのか?
毎日、毎日、たった一人で狭い部屋に閉じこもりながら、ずっと試行錯誤をしていた。月に1度しか外出をせずに、ずっと一人で篭って様々なことをやった。
そんな生活にも疲れ、時には一人で夜の街に出かけ、カウンターに腰掛けながら、酒を飲んで気分を紛らわすような日もあった。
私はずっとインターネットでいろいろなものを調べ、考えていた。
しかし、考えても、考えても、試しても、試しても、私が望む現実は一向に手に入る気配はなかった……。
そんなある日、転機が訪れる。
今思えれば、アレが明確な転機だったのだということがよくわかるのだが、残念ながら当時はまったく気づかなかった。あれだけ探して、試していたのに、である。
アレのおかげで、私は今、
『たった一人で家から一歩も出ずに、面倒な人間や嫌いな人間に一切会わずに、月100万円を安定的に稼げる』ようになった。
本当にアレには感謝している。
これから、アレについて話していこうと思う。
あなたにも、アレの素晴らしさが伝わることを願っている。
フィードバックのない生産活動など、ただの消費で徒労と同じだ。
宝くじは徒労を、射幸性によって麻酔させることで消費に向かせる。あれは麻薬の類だ。
わらえないのが、優れた詐欺組織のオフィスとうまく回っている普通のオフィスは良く似ていて、
その日の仕事で得た課題点と成果を分析し、翌日以降の業務を改善していくシステムができているという事だ。
大きな企業や安定した大人数で動く業務は、ノルマさえこなせば仕事が回るから
問題点は改善されず、放置され、惰性のまま進み何か大きな不祥事やトラブルが起こるまで続いていく。
彼女は幼いころから金持ちからお金を騙し取る事を社会正義だと教わり、
飢えは不当に不労所得を持つ金持ちが悪いと教わり続けた。学校にも満足に通えず、新聞配達で糊口を凌ぐ日々。
義務教育を終えると、ふとしたきっかけでオレオレ詐欺のオフィスに就職することになった。
中卒で未成年の労働者を雇ってくれる場所なんて、限られた場所しかなかった。
オレオレ詐欺のオフィスは、トイレの壁に社長自身で考えた標語や過去の偉人や社長の座右の銘が貼り付けられてて、
どこにでもあるテンプレートのようなぎらついたベンチャーのオフィスだったそうだ。
ねずみ小僧を教科書に、彼女は上司の言われたとおりにオレオレ詐欺をこなしていく。
あの頃はオレオレ詐欺が出始めのころでオレオレバブルというべき入れ食い状態だったのだ。
給料は出来高制で、詐欺の金額の何パーセントかが彼女のフトコロに入った。
ある程度組織化されたところだと、ノルマ制で固定給+インセンティブみたいな会社もあったらしい。
アイディアを練った詐欺の成功による報酬という甘露が、彼女の思想を容(かたち)作り。
詐欺の失敗による飢えという鞭が、富裕層への憎しみとなり彼女の考えを堅めていく。
失敗が先か、成功が後か。成功が先か失敗が後か、どちらが最初だったかなんてわからない程に
成功と失敗を繰り返し、彼女はオレオレ詐欺の構成員になっていった。
一般的なコールセンター同様に離職率も高く、今ほど専業化されておらず、
騙す老人や親に田舎においてきた家族を思い出し辞めるような善良な小市民も少なくなかった。
しかし、彼女は愛するべき家族はいなかったからして、騙す相手にかける情など生まれはしなかった。
基本詐欺師なんてのは、みすぼらしい自分をエリートに飾りたい人間がやるか、
頭が回るやつだが、学歴や前科の都合で正規の頭脳労働ができなくてやるものだと相場が決まっている。
二人で一つのツーストロークサイクルする行為にふけりつつ私はそんな相手の人生のことを考えた。
性行為というのが相手を思いやる快楽行為であるのであれば、私は相手から教えてもらった記憶を再構成して
考えてやることにしている。それは虚実混じてて、あるいは誇張があるかもしれない。
思い出とは苦しさでゆがむし、辛い経験や誇らしい経験だけが強調されていく。
そういうものから最小二乗法のようにその中に隠された法則性というか事実を想像するのが好きなのだ。
彼女は元詐欺師だというから、すべてがウソかもしれない。そもそも元詐欺師という話すらウソかもしれない。
そうなると元の話すら信用できない。もしかすると彼女は作家なのかもしれない。彼女のほんとうは何一つわからない。
つかみかかれば折れそうな細い鎖骨。手に収まる触りやすい胸、白い肌、整った目鼻、狐みたいに切れ長で意志の強そうな目。
人の顔は無表情でないと本当に醜い。整った顔立ちの彼女ですらこんな顔になるのかと、新しい発見が出来る。
美人のAV女優だって行為のときの顔はみんな似たような顔をしているようなものだ。
潔癖な親友は人が恋人にだけ見せるあのゆがんだ顔が許せないくらい嫌いなのだという。
人形のように美しい顔は人形のようにあるべきだという。彼はマグロが大好きだった。
相手になったつもりで考えれば考えるほど、自分がわからなくなってきた。それでも体は熱く、心臓は激しく脈打っている。
快楽が強く顔がゆがむくらい痛い。寒い日に肌が突っ張って古傷が痛むのに似ている。
彼女は何を考えているのだろうか。
オレは「民間簡易宿泊施設」には反対派で、「お家に泊まろう」は賛成派。
Airbnbは、ざっと言って「シェア」と「脱法ホテル」の2つがあって、
フランスは「シェア」が主流なので、宿泊関係者の歯切れが悪い。
カウチってのはまあ、寝られるようなソファーのことだと思ってくれ。
時代は下って、家賃高くなってきた。なんかイベントあるとホテルはすぐ一杯だ。
で、Airbedandbreakfast.com(エアマットと朝食)という名前で、サービスを作った。
まんま、簡易マットで寝て朝飯付くぜというサービスな。
余ってるものを貸し出して有効活用しようってのがシェアリングエコノミーで、
余った部屋にベッド入れたり、リビングに人泊めて、ちょっと稼ごうよ、と言うヤツ。
簡単に民宿出来るよってサービスだな。安いし当然借りたい人は居る。
主にフランスで主張されてたり、欧州で主張されてるのがこっちね。
まあ、日本には「田舎に泊まろう!」って偉大な番組があるから、アレ観てくれ。
お話したり、現地の朝飯堪能したり、場合によってはちょっと近所の案内もしてくれる。
新婚さんを暇なばあさんが泊めて、お互いハッピーみたいな。
長期休暇がアタリマエの欧米さんたちには「部屋を長期間空ける」という羨ましい悩みがあってだな。
映画やドラマでもたまに見るかもしれないが、裕福な連中ほど長期休暇でどっか行きたがる。
マコーレー・カルキンくんのホーム・アローンを観たことあるヤツもいるだろ?
というわけで、この空いてる家を誰かに貸すって供給がある。
で、需要もあった。
……つまり、ホストとの心あたたまる交流じゃなくて、安ホテル目的も多いのでは?
というわけで、物件買ってメイド雇って、宿泊所ビジネスになるわけだね。
「もやしもん」のフランス編みりゃ判ると思うが、サービスもまあヒデぇ。
(フランスって、ホテルの受付でも普通にパレブフランセ?とか聞いてくるし)
ただまあ、接客業としてのサービスはなんかちょっとアレなんだが、良い人は多い。
漫画好きも多いし、わたし町田住んでた!町田知ってる?みたいな話になると、とたんに愛想が良くなる。
矛盾はしてない。接客に難があるだけで、趣味人も良い人も多い。
airbnbみたいな「ホスト側が100%泊める人を選り好みできる」サービスと、相性が良い。
自分んちに人を泊める側も、泊まりに行く側も、シェアリングエコノミーは歓迎されている。
もちろん、ビジネス目的の簡易宿泊所も増えているので問題にはなってるけど、比率としては小さい。
なので、フランスでは定年過ぎた老夫婦の部屋貸しとか、都会のオシャレさんの部屋貸しとかで、ホテルが圧迫されてる。
匿名を潰せと言ってるのは、この「老夫婦が年に4ヶ月までって言う制限無視して際限なく受け入れてる」ことを指してる。
近所の暇な老夫婦連中が、ガンガン手厚くオモテナシしてホテルの客層奪ってる。困るわ-、という状況。
違法ホテル問題に直面してる日本では、ちょっとピンと来ないよね。
不幸なことに、日本のAirbnbは、ビジネス側から入ってきている。
築古マンション500万で買って、二段ベッド4つ入れて、マッチングはAirbnb。
1人1500円で貸し出せば6000円/日で、8割稼働で14万/月ですよ!3年で元取れますよ!
まあ、小金持ちがカモられてる段階だが、そこはそれ。
これ、さっきも言ったけど、違法ホテルで、安全性とかガン無視よね。
ホテルニュージャパン火災も遠くなったからなあ。
なし崩しで解禁される可能性もあるよね。
というわけで、最初から「違法ホテル」と「Airbnb」とがイコールで繋がってる日本では、
フランスの宿泊業界団体がシェアリングエコノミーに対して感じてる絶望感とか、ピンと来てないと思う。
お家に泊まろう式のシェアリングエコノミーは、ワリと牧歌的でのんびりした感じ。
ただ、フランスでは1年に4ヶ月までにせよ、と決まってる。けど無視する人も居て、
匿名を潰せっていうのは、この4ヶ月制限キッチリしないと超繁盛されるよって話。
脱法ホテルは、単に運が良いだけで、いずれ災難に見舞われるだろう。ツボを買え。
いろいろ突っ込まれることを前提でエントリをぶちまけるので、忌憚ない意見が聞けたら良いなとおもっている。
さることの昨年九月、とある財閥企業グループの子会社に転職をした。
親会社にくっついたエンジニアリング会社といえば聞こえは良いが、要するに工事会社だ。親会社が不採算で利益率の低い部門を分社化しただけのことだ。
この企業に転職して数ヶ月、起こったこととそれに対する意見をぶちまける。異論、反論、大募集だ。ただし討論に興味はない。
思ったことをぶちまける代わりに、それに対して思ったことが返ってくることを期待する。
サマリーはおおまかにいって以下にまとめることができる。
①工事会社としての技術力とは一体なんなのか、それは情報漏えいを恐れるようなレベルのものなのか
②内部の人間同士で『人間性』に言及し始めるようなら、その組織は終わってる
③ドメスティックタイプの企業における『コミュニケーション能力』という名の限界
会社に入ってきて思うのだが、いわゆる施工規準や施工方法に関するデータの流出を上層部が過度に恐れているように思える。
しかもそれは本質的な『情報漏えい』に関する健全な怖れというよりは、子会社にありがちな親会社や風評被害を怖れての脊髄反射に見える。
PCをシンクライアントにするのは良いが、いくつかのクラウドサービスをアクセス禁止にするのはいかがなものか。はてはフラッシュメモリからフリーソフトのダウンロードまで規制されている。
顧客情報流出を怖れるのは良いとして、施工規準や施工方法に関する教育データぐらいある程度コピーして弊害があるか?
原価見積りに関するデータが流出することで、利益源泉が素っ裸になってしまうリスクは分かるが、正直言って建設業関係で中小のエンジニアリング会社に、セキュリティをかけてまで守る技術などない。
とてつもない機械をどっかから買ってきて、数値を入力して、資金力にものを言わせて人を雇って、膨大な工期を費やして建築物を完成させるというだけのことだ。
だいたいエンジニアリング会社なんて、自社の技術なんてなにも持っちゃいない。
太陽光発電事業者なんかがよく自らをEPC(エンジと調達と構築をワンストップで行う事業モデル)とか言っちゃってるわけだが
要するに知識と人員と情報収集力&編集力はあるから、必要なもんは金かけて集めてきて設計して作ってやんよ、っていうだけの話だったりする。
だからエンジニアリング会社がプラントに持ってく装置や設備のほとんどは、実は盤屋に筐体だけ作らせて中身は中小メーカーやどこぞの電子メーカー製品の寄せ集めだったりする。
ぶっちゃけ施工会社としてのエンジニアリング会社はエンジニアリングっつーよりはむしろ商社に近い。投資事業モデルを使ってないだけ。
客先常駐型の派遣モデルで収益を上げているが、結局設備そのものの校正やサービスはメーカーの技術者を呼ぶわけで、ビジネスの形が顧客との利益相反になってる。
これが例えばプロパティマネジメントのように、顧客の一部となって設備投資利益の最大化を目指す形ならばいざ知らず、結局は政府の公共工事に縋る建設コンサルタント業界とほとんど変わらない。
相手がメーカーに切り替わっただけの話で、二年三年単位で作られる景気を見越した設備投資計画によって投入された予算に従うだけ&なるべくその予算を多く取るために張り切るだけのビジネスだ。
現代における技術力の意味合いはどちらかといえばもっとサイエンスであったりコンピューティングなものだと思う。
少なくとも、いくら工事会社が『我々の技術力を守る』だのと言っても、そこに書かれていることのほとんどは日本の電気事業法だの高圧ガス保安法だのに則ったものを超えられないし、そこから幾らでもリバースエンジニアリングが可能なものでしかないと思う。
つまりなにが言いたいのかというと、会社のPC持ち帰れないんだから教育資料ぐらいクラウドサーバーにアップして家でテスト受けることを許可しろ。
職場で仕事の成果物に対する評価を下すならまだしも、従業員の人間性に言及が終始するような職場は終わってる。それは単なる噂話や陰口の温床だ。上司が部下の人間性に口を出す組織も終わってる。
コミュ障やアスペ、発達障害やうつ病についての言及をするような職場、とりわけそれを「脱落者」「人として未熟」という組織も同様だ。まず間違いなく組織として終わっている。
仕事をするにしても各自に割り振られたタスクそのものがなく、社内営業や油売りによって仕事を獲得するような組織だ。
指示系統にせよ、組織でありながら組織化が徹底されてない証拠だ。
誤解を怖れずにはっきり言うが、そもそも『人間性』に着目しはじめたとき、その組織もあるいはその人間関係もある意味で終わってる。
多くのビジネス書では地図よりコンパスの方が重要だとよく言われるが、はっきり言ってそれは嘘だ。
コンパスはたしかに重要だが、それよりも地図を手に入れることの方が先決だ。
コンパスは主観だが、地図は自分がいる位置を相対化して知る事ができる唯一のツールだ。GPSがあっても上空からの映像がなければ何の役にもたたない。
人間性を期待するべき側とそうでない側がTPOで変化する。また人間性の定義もTPOで変化するし、人間性を評価する人間もまたTPOで変化する。
そして多くの場合、人間の語る評価はポジショントークで、現代人は一個人でありながら日常生活の中でさまざまなポジションに立つ(親であり上司であり母であり父であり弟であり..)から、人間性の評価軸そのものが普遍ではない。
人間関係は一元的なものではない。人は誰と対面しているかによってコロコロと相を切り替えるので、ある人間から見た印象が必ずしも別の人間から見た印象と一致するわけではない。
しかもそれは個々の人間が持つ評価軸に連動しており、その評価軸は各々の視野・視座によって変化する視点であり、複雑系で曖昧だ。
『評判』そのものに実は信頼性などなく、『何故その人はそのような評価を下したのか』に着眼し、評価を下した人間の立場や背景にまで目を広げなければ、客観的な『結論』を得ることは難しい。
facebookの『いいね』の個数は重要ではない。『どこの誰が〝いいね〟を押しているのか』が重要で、さらに言えば〝何故いいねを押したか〟の方がもっと重要だ。
その理由の如何によっては、『いいね』そのものをデータの指標として無視するという選択すら十分ありうる。
ビジネスの現場において、始末書や反省文に人間性に対する言及があってはならない。
それはなんら解決にはならない。根本的な問題が仮に人間性にあるとしても、それを逆手に取って上手に外的要因に沿って問題に取り組んでいく以外に道はない。
上司がパワハラであるからといって、我々は生計を立てることを諦めるわけにはいかないし、部下や従業員が怠惰や傲慢であるからといって、具体的な目標を立てずにビジネスが進展することはありえない。
結論を言えば、『人間性』に言及し始めることは、ビジネスにおいて必須たる〝コト〟に向かう姿勢を歪める。
それが蔓延する組織は、組織化が上手くいっていないか、もしくはそのビジネスが限界を迎えているかのどちらかだ。
(※ 筆者の場合、所属しているのは子会社タイプの工事会社なので、ビジネスそのものが危うく、社内が内向きになっているのだと考えている)
阿吽の呼吸のことを『コミュニケーション能力』と呼ぶ時代はとうに終わっている。
すべては文脈と宣言型言語によって語られ、記述と構造化が優位に立つ時代になるはずだ。
曖昧さは削られていく。
世界全体で大きなストーリーが崩壊した今、ドメスティック企業において求められていた『コミュニケーション能力』を担保にした『仕事が出来るヤツ』『仕事が出来ないヤツ』の評価軸は揺らぐだろう。
なにが言いたいのかというと、現場ごとに施工ごとに異なる大同小異の部分で小さく競い合うのは不毛だし醜くてむしろ哀しくなってくるから辞めろ。
たかだが一つの装置の細かい機能に過ぎない部分で知識自慢と知恵比べをするのは不毛だから辞めろ。
文脈レベルでの競い合いなんざ無意味だ、職人同士の張り合いは趣味でやれ。ささやかな自慢なら良いが、無駄にプライドを持つと逆に扱いづらくで邪魔だ。
痛い腹を探られた残念な杉並区議のニュースを読んで、へえそうか、おもしれえ、と思って出てきました。
ご存じの方も多いでしょうが、2000年代初頭に規制緩和されるまで、民間で保育園を新しく作れるのは社会福祉法人だけでした。
ちなみに特養は今でも国・行政・社会福祉法人しか作れませんね。その代わり別の枠を作って株式会社が大いに参入した結果、絶賛規制緩和&老人虐待問題などが起こっていますね。
社会福祉法人は、社会福祉法という法律によって定義されてるんですが、この法律、WWⅡ直後に出来たものです。法律の成立背景はぐぐるといくらでも出てきますが、
ごく簡単に言えば、本来であれば政府がやらなきゃいけない社会福祉が、WWⅡで国が極端に貧しくなってしまったために手が回らなかったので
民間の相互扶助でなんとか乗り切りましょう、というための法人です。補助金を入れやすくするし税金も減免してあげるよ、その代わり営利目的はダメよ、となっている。
ちょっと前に「昭和の高度成長期は、保育園の役割は子育て支援よりも生活支援だった」というtogetterなども上がっておりましたが、
保育園や特養は、言葉は悪いけど「貧者向けの救済施設」という位置づけだったんでしょう。美しい国日本()は、ずっと昔から、自助が前提の低福祉国家なんですね。
話は戻ります。
それで、誰がその社会福祉法人を作ったかといえば、地元の名士、と言われる人たちです。戦災孤児院、病院、福祉施設などには広い場所と金が要ります。
必然的に代々続く地主や名主の家系の人たちが手を挙げたんですね。江戸時代から続く名主・庄屋制度の名残は明治大正昭和にかけても当然残っていましたから、
彼らからすると「民百姓のための施しをして当然」という感覚もあったんだと思います。
ノブリス・オブリーシュですね、と言えばそれでほっこりした気持ちになれる、というわけではなく、同時進行で日本では農地解放や財閥解体などが行われています。
名主・地主や地域で成功した名士などは、これらの打撃を受けて、没落する者は没落し普通の人になり、「うまいことやった」人たちは、平成の今でも名士として生き残っているわけです。
その「うまいこと」が、ひとつには社会福祉法人を脱税に使うというテクニックです(真っ当に事業をなして生き残った方も当然いらっしゃいます)。
詳しいことは省きます。というか、昔のことなのでよく知らないんですが、社会福祉法人の他に、事業法人や持ち株会社などを設立して
あれやこれやで収益を還流させて一族が飯を食い、保育園や孤児院や病院を運営してきたわけです。
一つ大切なのは、少なくない社会福祉法人が、本当にノブリス・オブリーシュを旨としているということです。福祉施設は、基本的にはろくに儲かりません。
(話は変わりますが、福祉分野で規制緩和に乗って大きくなった株式会社が不祥事を起こしているのは、「本来、儲からないもの」だからです)
ただまぁ、残念ですが、社会貢献よりもお金が大事な人もいて、そういう人が、やってはいけない・決してバレてはならねえ資金還流をやっている場合があるようです。
私が上司から聞いた話では、昔はよくやってたことで、実はそれほど珍しいスキームでもなかったんだそうで。
名士の家に生まれても、ごく真っ当な思考回路のお子さんだってたくさんいます。
潤沢に教育を受けさせてもらい親のコネで良い会社に入ったりして、金周りの良い一般人と化している人も多い。
地元の区議会議員になるとか、自分の親がやってる保育園の理事になる、なんて手合いは、残りカスか、山っ気と名声欲にまみれた輩かのどちらかでしょう。
言い切っていいのかという感じもしますね。素晴らしい方もいらっしゃるとは思いますが、私が出会った「そういう方」は全員、名誉欲にまみれた残りカスでした。
田中杉並区議のことは存じ上げませんが、まぁ、ご自身が既得権者側であり、権利を付与する側(社会福祉法人の設立認可は市区町村です)でもあるという
グレーゾーンにいることをすっかり忘れて「民百姓の便所の落書きなんて下らないことを、生意気な」と平気で言ってしまう程度の、
残念な能力とメンタリティであったとしても、まぁ、想定の範囲というか「あるある」だなぁという感想になりそうです。
彼らがこういうこすっからいことをする大義名分というか常套句が「GHQの農地解放で身ぐるみはがされて」というやつだったりします。祖父母世代から刷りこまれてきた呪詛でしょうね。
実際にはそれでも元手は残ったはずなので、何を甘えたことを言ってんだコノ、としか思えませんが。
元が地主だったりすれば、思考が保守的になるのも当然でしょうし、その天与を当然と思って差別的な言動をしてはばからないするのは、残りカスだからだったりもします。
一つ弁護してあげられることがあるとすれば、やはり福祉施設って苦労が多いわりに儲からないから、何をこのナマイキな!と思っちゃったのかもしれない。
だとしたら馬鹿ではあるけど、倫理の罪は少しは軽いかねぇ…程度の弁護ではあるけれども。
このような、社会福祉法人運営=地元議員=地主って、本当に日本中にあります。そして、同じようなことやってる人たくさん居るんですよね。
田中杉並区議がどういう素姓の方はは、当人のサイトを見ただけでは分かりませんが、杉並区には「田中家」という名家があるんですよ。
http://www.city.suginami.tokyo.jp/kyouiku/bunkazai/hyouji/1007945.html
なにか繋がりがあるのかなーと、真っ先に思い出したので。
だからええと、みんな、地方選挙なんてわからん面倒くさいって思っても、投票しに行った方がいいと思いますよ。
投票率が低いのと立候補者が少ないから、バカでも選挙に通っちゃうんですよ。
一度目に当選するのが結構大変だという人もいるんですが、地元の名士だと地元組織票が入るから。
社会福祉法人は、会計基準や運営基準に違反があると免許の取り消しや停止処分があります。
でも、いったん関係者が議員になっちゃうとさ、「悪い社会福祉法人」だったとしても、何だかんだで許可取り消しとかに持っていくのは大変難しくなりますよ。
季節外れのインフルエンザだよ!
カクヨムは出版社の都合優先し過ぎの漁場設計だから上手く行ってないな。
(下読み素人にさせてピックアップ後のだけ編集者が読みたいとか、そういうね)
カクヨムは、Consumer Generated Media(消費者作成メディア、略してCGM)そのものなのよね。
勝手にピックアップ(下読み)が完了する、美味しいプラットフォーム。
カドカワにとっては、美味しい漁場ね。
という企画書になってるハズ。
Youtubeとかニコニコが曲がりなりにも回るのは、暴力的なまでに圧倒的多数の「視聴者」が居るから。
Twitterとか2chとかでTV番組のコメント拾うとソコソコ的確なデータが揃うのも同じ。
ということはだ、カクヨムの場合は「読者」中心に設計しないといけないはずだった。
が、ニコニコとかがあると、どうあっても「作者」寄りに設計するよな。
そこがマトモにシミュレートしてねえよなって感じる所。
まあ、「読み専」って単語そのものが既にして判ってねえ感満載なんだが、
繰り返しになるけど、評価者が中心に来ないとまずい。
誰も評価しなかったらどうなるか?
誰が使うんだそのメディア。
今のカクヨムは、その状況。
まあ、面白い作品があって埋もれてる状況って、もったいないよな。
そうすると、例えば以下の手法がある
どこまで読んだかの栞、傾向の似てる作品のレコメンド、読んだ作品数の貯金。
あらゆる読者向けサービスで使われている書影(表紙画像)って記憶にダイレクトに効いてくるので、
pixivと連携して書影コンテストを開催するくらいのことはやって充実させる気概が欲しい。
コレがあるだけで、チョット読んでみようかって人が増える。
カドカワに人材居ないなら、それこそ日替わり編集長とか頼めばええがな。
目が多ければ問題になることは少ないんだよね。つまり、評価者が少ないのが問題。
だったら、「参考になったレビュー」と「参考にならなかったレビュー」をさらに評価するのが手っ取り早い。
(興味深いとか面白おかしいみたいな、スラド方式もあるけど、いきなり導入は難しかろうな)
まあね。
でも、そのレビュー評価で作品選んでんだから実は同じなんだよね。
星の合計数が出てるってのがそれ。他の人の評価で選ぶなら、他人の評価を読んでるのと一緒。
AmazonとかAppleが星の合計数じゃなくて「★★★が何人です」ってやってんの意味あるんだよ。
★5と★1にピークがあるなら人を選ぶ作品だってわかるし、★5が多いなら読んで損はしない。
知らず知らずのうちに人は評価者に影響を受けてる。
ちゃんと評価されればね。
なんでかって言うと、無名の1万人の作品を読む暇人は基本的には存在しない。
ニコニコ動画に「人類には早すぎた動画ランキング」がある理由を思い出そう。
ログイン後に強制的に玉石混交の作品を読まされるとかじゃない限り、人はランキングに頼る。
チートは弾くべきだけど、やるべきことは「互助会への加入補助」になるんだよ。
互助会ってワードが強すぎると思うなら、クラスタの生成とか、ニッチなクラブ作りでも良い。
ハードSF好きとか、スーパー攻め様だけ読む人とか、ネットは広大なのでニッチの組閣は必ずできる。
(設計的には評価者だけの組織化を促すべきなんだろうけど、難しかろう)
今は、「読者」間の繋がりを作る方法が全く無い。
まあ、そのうち週刊カクヨムができてピックアップされたり、
今週の短編のお題が出されたり、
そういう風になっていくだろ。
もう俺の作品は日の目が見ることはないだろうが、そんなのはどうでもいい。
俺だけでなく多くの人が期待をこめて飛びこんだカクヨムをこのまま潰さないでくれ。
そして、これを見たWEB小説に少しばかり興味がある人、どうか頼む。
多くの耳目を集めて準備期間も取った今のカクヨムには、面白い作品がかなり埋もれている。
俺もいっぱい出会った。それをなんとか探し出して少しでも延命してやってくれ。
運営がなにかしらの一手を打つまで、そこまで生き残らせてくれ。
この増田に触発されて書いたのに、元増田ですら作品名書けてない現状が全て。
何言ってもステマ扱いされるようなコミュニティは健全じゃないよ。
クックパッドでも(アレだけ揉めながらも)つくれぽが人気なのは、
現時点でコミュニティ作りが全くないのは致命的。
何に焦ったか知らないけど、見切り発車しすぎじゃねーかな。
http://anond.hatelabo.jp/20151214092241
大政奉還し駿府に事実上の軟禁状態になった徳川慶喜が、天皇制打倒のために密かに興したのが駿府王国。
事実上のゲリラ組織で、多趣味だった慶喜が西洋から取り入れたフットボールを組織の情報共有の隠れ蓑に使った。
慶喜の遺志を継ぐ直系の子がいなかったので、組織内での公選王制がとられ、戦後に至る。
戦後のどさくさで警察や行政に食い込んだ組織は、教育委員会を乗っ取り県民にサッカーを強要、サッカーを通じた県民の組織化を図る。
「サッカー少年団」という組織がそれで、彼らが大人になるにつれ次第にサッカーの優劣が身分の優劣につながり、「サッカーやらずんば人にあらず」というサッカー王政が形作られていった。
日本政府はもちろんすべて否定していて事実を隠蔽しているけど、県内ではサッカー王国は実態を伴う組織で、サッカー手帳という事実上のパスポートもある。
Jリーグ元年は県民にとっては事実上の独立元年で、県内では平成でなくJリーグ歴を使っている。
ただ、反体制派(民主派と天皇制支持派の寄り合い)のテロが激化して、その結果はいまのエスパルスとジュビロの体たらくにつながっている。
日本では近代からほとんど無かったことなんだけど、政府が実質的になくなる、っていうことが起きている地域があるわけさ。名目上の政府があっても経済が破綻してたりすりゃ実効力が無いし。
政府がなくなるってのはどういうことかっつうと、みんなで守るルールを決めることやそれを守らせる力ってのが「公式には」無いわけ。例えば悪いことをしたら罰せられる、っていうのは、「悪いこと」を決めること、ある行為が悪いと認定すること、そして罰を与えること、そういう力を持った何かが「ある」とみんなが思ってない限り、動かない。
さすがにそういう力が全く無いと社会が成り立たないんで、放っとくと次第に組織化されてくる。小規模な村に閉じた社会なら住民の互助会みたいなもので回る可能性もあるけれど、利害が対立した時に調停する力が必要だから、規模が大きくなるにつれ、力を持つもの、それが軍事力であれ経済力であれ、あるいは宗教的権威であれ、そういったものが上に立つことになる。
シリアでISISが力を得たのは、銃で庶民を脅したからだけじゃない。時の政府が何もしてくれなくて社会が回ってないところに、ISISに加われば食い扶持が得られる、そういう背景があるわけ。
http://www.abovetopsecret.com/forum/thread1093437/pg1
庶民同士争う必要はない、そっぽを向け、っていうのは、そうしても生活は営めるって思ってる人のせりふだよ。そっぽを向いたら仕事がない、治安も保証されない、そういう状況でどうしろっていうのさ。
自己創発という言葉がある。一種の高度なシステムだ。wikipediaには「局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。 」とある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E7%99%BA
うむ高度である。高度で重要だってんで専門の研究機関が数多くあったりする。しかし高度といっても場当たり的創発には明白な限界がある。長期視点で創発を積み重ねること、つまり進化が求められるケースも多いのだ。そういったことを扱うのが「進化システム論」という学問領域である。
翻って私たち個人の日常生活ひいては人生において根本的に重要な要素を1つあげるとすればそれは集中力である。
人間として生まれたからにはまずその集中力がなんであるかを明確に会得せねばならない。分かりやすい例をあげよう。ハイスコアを叩き出したいテレビゲームがここにある。
画面に「注意する」ことは必要不可欠であるが、スコアを「気にする」ことは果たして必要なんだろうか?否!必要ない。
「気にする」とは余計な思考を含意し「何かを気にして別の大切な何かを気にできてない」ことをも含意する。かように様々なタイプの集中があるので集中力と一口に言っても多種多様なことが分かるだろう。
電王戦タッグマッチにおける脳波測定マシーンの滑稽さもここにある。集中力を単純に脳波で量として捉えても殆ど実態は見えてこない。「何にどう」集中しているかに達人的集中のギミックがあるのであるから。
ここまで言われると集中のための第一歩が「気にする」と「注意する」の峻別であることは容易に経験からイメージできるのではないだろうか?
テレビゲームの事例でも「画面には注意すべきだがスコアは注意しないほうが良い」と両方「注意」を使って捉えるからどうしようもない矛盾が生まれてしまう。
ちゃんと2つの概念を区別し「画面には注意するがスコアは気にしないほうが良い」と精密に捉えて初めて成長の道が切り開かれる。
これは人間特有のウェットな話ではなく純粋にロジカルな話なので当然色んなシステムに適用できて進化システムもその例外ではない。
例えば会社が本来の目的を忘れて腐った企業体質のまま古い事業を続けている。これが「気にする」にあたる。一般にシステムをとにかくどんな形でもいいから進化させちゃえと安直に考えるならばその実現はたやすい。
しかし高度な進化つまりシステムの根幹にある枠組み自体を進化させるには「気にしない」ことの高度な実践がたいてい決定的に重要になってくる。簡単に言うと全体の情報をきちっと注意し続けるということだ。
このように私たちは私たち個人と私たちを含む社会集団を類比することで新たな側面を発見し打開策を見いだしていくわけだ。他人のフリして我が儘治せということわざもある。
人は自分が思っているほど自分のことを理解していない。それは高度情報社会の闇でもある。気になる情報が多すぎて自己への注意がおろそかになっている。
これが原因で世の中には無用で無駄な争いが爆発的に増えているわけで、そこで提案されたのがジョージ・ハリスンの窓、略してジョハリの窓である。
自分探しという言葉は一部の人間の感情を逆なでするそうだが、注意の復権という意味では自分探しという言語表現こそまさに適切と言えよう。