2016-12-04

死の収容所へ 2

http://anond.hatelabo.jp/20161204224426

強制連行

 全ヨーロッパユダヤ人ドイツ領ポーランド絶滅収容所移送する−これは、途方もない作戦である遂行にあたっては詳細な計画、広域にわたって組織化された設備施設、そして輸送補給宿営のための大がかりな兵站機構必要だった。連行作戦にはドイツの広範にわたる政府機関組織が巻き込まれている。ハイドリヒが作戦の指揮を執り、1942年5月の彼の暗殺後はハイドリヒの後継者帝国中央保安局エルンストカルテンブルンナーがこれにあたった。あらゆるSS機関支配地域の様々な民間権威ドイツ国防軍、そしてナチ衛星各国政府連行作戦に動員された。特にドイツ鉄道組織連行されたユダヤ人集団絶滅収容所まで輸送する手段提供し、強制連行に加担した。次のことは特筆に値するであろう。何よりも軍隊鉄道必要としていたにもかかわらず優先順位を記したナチリストによれば、ユダヤ人鉄道輸送の割り当ては、軍隊のそれよりも優先されていたのだ。

 全ヨーロッパからユダヤ人連行するということは当然、5つの絶滅収容所に彼らが到着するということでもある。列車同士のブッキングを防ぐため正確なダイヤグラム必要となった。ダイヤグラムの組み立てにあたっては、それぞれの収容所絶滅施設能力考慮に入れなければならなかった。ガス室があるといっても全員を短時間でガス殺できない収容所列車を付けるわけにはいかなかったかである

 ユダヤ人連行秘密裏に進められたので、大がかりな隠ぺいと偽装工作が行われることになった。連行される人びとに対しては、東方のどこかへ労働に行くのだという情報が流されていた。このためポーランド在住ユダヤ人ソ連領内のナチ占領地域に連れて行かれるのだろうと考え、他国ユダヤ人たちはナチポーランド労働のために送られると信じていた。ナチは、嘘がほころび連行不審感や不安感を持たれないよう、念の入ったことをした。 連行の途中あるいは収容所到着後何人かに対して、故国に残した家族あてに葉書を書くよう強要したのだ。家族が受け取ることになる葉書にはこうしたためてあった−「自分たちは元気に生きている。ここはただの労働収容所で、快適だ」− 差出人は数時間後にはもう生きてはいなかったのだが。

 強制連行の手順と方法は大体決まっていた。連行が迫っているという噂が数週間前から広まることもあったが多くの場合連行命令は予告なしに突然執行された。連行される人びとに与えられた猶予はきわめて短く、2、3時間かあるいは数分だった。まず、ユダヤ人たちは家を出て指定された場所に集合するよう命じられた。集合場所は大抵駅の近くだった。所持品は手荷物以外許されず、彼らは自分財産ほとんどを置き去りにするしかなかった。手荷物の重さは一人当り10~15キログラム制限されることもあった。荷物の中身は主に衣服、炊事用品、寝具などだったが、そこには仕事に使うための道具類も加えられていた。働きに行くだけだと信じていたかである

 重い荷物を背負い、包みを抱え、子どもも年よりも、ユダヤ人たちは駅までの何キロもののりを行進させられた。年寄り病人が荷馬車やトラックで隣村から運ばれてくることもあったが、行進は基本的には徒歩だった。行進から脱落した者はその場で射殺され、歩けない病人や隠れていた者も同様に見つかり次第射殺された。複数の小規模ゲットーで同時に連行が行われた場合、それぞれのゲットーの人びとは一つの集団にまとめられることもあった。こうした集団の隊列は長さ数キロメートルにも及んだ。天候は考慮されなかった。凍てつく冬の雨の中、焼けるような夏の太陽の下、隊列の行進は絶えることがなかった。

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    • 途中で途切れているので、タグを付けて分割するか、トラバ追記したほうがいいかもしれない。

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