はてなキーワード: ケモノとは
まあ、タイトルの通りっすわ。
数年前の話なんだけど、家族に急に、もう帰って来なくていいし関わらなくてもいいさよなら好きに生きなさい(要約)って言われて。俺実家出て隣の県の大学に行ってそのままその土地で就職したんだよね、そんで4年ぐらい働いたかな、年末に帰省して、年越してんじゃ隣県戻るかなーって時にそう言われた。
言われて俺意味わかんなくて、は?なにが?どゆこと?意味わかんないんだけどwww絶縁ってこと?www((o(^q^)o))って早口でいろいろ口走ってたと思う、多分、わかんねえあまりにも唐突すぎてさ。でもマジだった、家族の顔がマジだった、そんでそれ以降親からも兄弟からも一切連絡来ないし、こっちから連絡したら他人行儀な返事は来る。家族から一気に他人になった、マジ怖くて震えた。
今となっては、まあなんだ、わかるというか、確かに俺が100%悪いなってなってるから、励ましとかいらないんだけど、はあ、もう既に後悔と羞恥心とで死にそう、でも俺と同じ奴が出ないように書くな。
まず俺末っ子でさ、上に兄姉が3人いるのね、だからなんていうか甘やかされて育てられたのよ。親は仕事忙しかったけど上が面倒見てくれて、そしたら3人の上に構ってもらえると俺偉いみたいな、俺が中心、みたいな考え方になってた。もちろん親は普通に親してたけど、なんていうか兄姉から可愛がられるって自尊心でかくなるわー。
そんで思春期から絶縁されるまで一切大人になれなかった。例えば帰省した時に親が何食べたい?って聞いて来てさ、上の兄姉も思春期の時期はダイエットとか友達と食べるとかあったみたいだけど、高校生?の頃にはあれ食べたいとかそれは嫌とか、バイトあるから大丈夫とかちゃんと言ってたのよ。俺言えなくてさ、恥ずかしい気持ちもあった、甘やかされて子供だったから、今更そんな大人ぶれなくてさ。は?別に?とかダンマリとか、別にそれでいいけど?、みたいな、そんなことしてた。周りが気を遣ってじゃあこれは?とか聞いてくれても、あーはいはい、いいんじゃないみたいなこと返してた。
俺は家族の中だと1番ヲタクで、特に美少女系大好きでフィギュアとかも集めてるんだよね。兄姉はスポーツ好きとかゲーム好きとかアニメ好きとかあるけど、俺は兄姉や親の趣味には全く理解を示さなかった。逆に俺のことは理解しようとされてたけど、あれ機嫌取らせてたんだよな。だからあっちが最近このゲームがおもしろくて、みたいな話してくるとさ、興味ないとか馬鹿にしてとかで俺白目剥いてたんだよね。話聞いてねーよ、興味ねーよのアピールで。これ調べたけど名前ないからまじでただの俺の嫌がらせ行為なんだな、思春期のやつはみんなやることだと思ってた。まあ俺は20歳超えてもやってたわけだけどwww
趣味だけじゃなくて、一回家族で温泉行こうってなってさ、どこの温泉がいいとか話してて、来る?って聞かれて、行かないわけなくない?と思って、でも素直に言えないしなんで俺が来ないかもしれない可能性があんだよって思って腹立って、あーはいはい行きますよ行けばいいんでしょって返した。そん時一瞬シーンとなって、あれ?って思った。でもそのあと普通に群馬にしようって話になってて、俺普通にYouTube見てたんだけど、話聞いてる?って言われて、聞いてるしと思って、あーはいまあ聞いてますって返した、半分ぐらいきいてなかったけど。姉がなんとかって温泉がなんとかってアニメの聖地で行ってみたいんだよね〜って話してたから俺また白目むいた。またシーンとなった。そしたら兄に、だから聞いてる?って割とガチトーンで聞かれて、白目やめて、え?ああ、うん、聞いてます、って返した。温泉は普通に行った。
あと、家にいても飯食ってても家族で親戚の家に挨拶に行ってもずっとイヤホンしてた、社会人になってからは骨伝導使ってたから耳塞いではないけど、ずっとYouTubeの配信とか聞いてた。多分その間も色々ご機嫌伺いしてもらってた、俺全部ああそうとか別にとか白目とか聞いてなかったわwみたいなの繰り返してた。
親と兄姉だけが話してるのも気に食わないし、俺だけノケモノみたいな空気も嫌だったし、構って欲しかったし、俺の好きを察してやって欲しかったし。
まあそういう他人の気持ちを慮れない自己中心的なことを、俺が記憶してるだけだと中学生の頃からやってて、ざっと14年か?やり続けて自分で変わろうとか、兄姉みたいにそろそろ素直になろうとか思えずに、いつまでも草wwとかやってたら、とうとう縁を切られたわけです。
羞恥心で死にそう。
一回父にお前いい加減にしろって言われたけど、怒られたことが恥ずかしくて気に食わなくて、だってなんとかなんだもんゴニョゴニョみたいな言い訳した。今にして思えばあの時が最後だったのかもしれない。兄姉達が聞いてる?とか、どうする?とか別に行きたくなかったらいいんだよ、とか気を遣ってくれてたのに何も真面目に答えず、子供みたいに構って察して発揮してさ。父に怒られた時は、確かナイトズーに行こうって話をしてた時だと思う。兄は俺は動物園はいいやって言ってて、残りの兄姉は楽しそうって返してて、俺も普通に行く気だったけど、いつもみたいに俺に行く?って聞かれて、行くしと思って白目むいた。よく考えたら他の兄姉も行く行かないの答えは聞かれずともまずしてて、俺はいつまで経っても行く行かないの返事しないから聞かれてたんだよな毎回。当時の俺はなんで俺だけって思ってた。
まあそんなこんなで縁切られて数年経ちますが、帰る家もなくなりまして。別に戸籍がどうのじゃないけど、正直もう羞恥心で家族に合わせる顔がないんだわ。
結構家族でいる時にイヤホンしてる男の子見るけど、周りが変わるのを待つんじゃなくて、自分で家族に溶け込む努力をするんだぞ。親はいつまでも親じゃないし、兄姉もいつまでも兄姉じゃない。
本気で別に家族なんかどうでもいいって思ってるやつはいいけど、素直になれないとか、はっきり言えないとか、そういうのはな、気にしてるのはお前だけだ。家族は別に何も気にしてない、なんで言わないんだって思ってると思うよ。むしろ言わない奴に限ってこうしたかった、こうが良かったとか言うんだよ、俺のことな。
俺、こういうところが不愉快で注意しても治さないし、いい歳してもう何考えてるのかわからない、もう大人だから勝手に生きなさい(要約)って問題点だけ言われて、家族としてどうしたかったみたいなの教えてもらえなかったから想像なんだけど。
連休で世の中が帰省のニュースになるたびに思い出して羞恥心と後悔で転げ回っている。家族のこと好きだったし、いろんなところ行こうって言ってくれて嬉しかったのに、何一つ言わないできたからな。
俺もう2度とあの家で家族になれないんだって思うと虚しいwwwwむしろ笑い話にしないとと思って、やっと書けるようになったから書きに来たわけだ。
家族にネットスラングで話してる子供見ると、恥ずかしくて逃げ出してしまいますよ共感性羞恥ってやつですかwww俺も散々使って来た、困る親を見るのが楽しくてさ、そんなことも知らないんだ俺は知ってるけど、みたいなのもあったし。今じゃ思い出すと心臓がギュッてなるよ。
でもおまえもだれかの子供でありだれかの孫じゃん
そうやって考えながら生きて行ける子供と孫の寄り集まりを社会っていうの
だれも子供をうまなかったら社会は崩壊してしまってそんなことを考える余裕さえなくて
それこそ食う寝るだけのケモノにもどっていくのね
でもおまえもだれかの子供でありだれかの孫じゃん
そうやって抱き着いちゃいかんなあとか考えながら生きて行ける子供と孫の寄り集まりを社会っていうの
だれも子供をうまなかったら社会は崩壊してしまってそんなことを考える余裕さえなくて
少子化は東北大震災やウクライナ侵攻とおなじくらい、いやもっと早い速度で社会を壊してるんだよ
事故ったときに同乗してたペットどうするかみたいなツイがバズってたけど、
犬のこして人間がみんな搬送されたくないって駄々こねたってところでドン引きしたわ
じゃあどうしろっていうんだよっていう
って考えてふと思ったけど、
お、お前らなああ
いっつもいっつも、プリミティブな欲求、否定してんじゃねえかよお
プリミティブな欲求つったらさあ、俺はさあ、四六時中うめえもん食いまくりたいし、仕事しねえで寝てたいし、街中でケツのデカい女の人みたら抱きつきたくなってんの
そういうレベルだろ
でも、食い過ぎたら肥満になって終わる、ずっと寝てたら生活が立ち行かない、知らない人にイキナリ抱きつくのは超迷惑、そういうのがあるんで、抑えてんの
肩が当たった相手に殴りかかるとか、目に映った女に襲いかかるとか、その辺に生えてるうまそうな果物を食うとか、ショーウィンドウを叩き割って光り物を奪うとか、そういうレベルだろ プリミティブな欲求って
ダメだろそんなことしたら!
みんなわかってんじゃん プリミティブな欲求に従って行動したら、万人の万人に対する闘争状態になるしかなくなるんで、やめようね!っていうのは、もはや、すべての前提だろ
でさあ、そういう前提が当然あるなかで、ときおり、疑問を呈する人がいるわけだ
「よく考えたら、みんなやってるけど、子供作るのってすげー大変だし、原理的に子供の意志を一切無視するわけで、非倫理的でもあるよな?なんでそんなことするの?」
これに対してさあ、ふだんは文明人ヅラしてるはてなのみなさんが、突如サルの顔つきになって、
「子孫をのこしたいというのは、生き物として当然の欲求だから🐵」
「本能だよ🐵」
いやいやいや……………
そうですよ、ヒトなんて所詮ケモノなんですけど、ケモノっぽい生き方にはみんなヘキエキしたので、万物の霊長として、万人の万人に対する闘争はやめまして、万人の・万人による・万人のための非闘争状態に移行しようぜ!っていう、崇高な理念を実践しているのがこの社会だという、おれの認識がおかしいんですか?
おかしいのかな
法なんてしょせんは他人に迷惑かけないためのモノなんだ!つっても、子供つくったら、どう考えても、子供自身に多大なる迷惑がかかるもんなあ
俺もすっげえ迷惑してるしな 勝手に人生に参加させられて本当に困ってるし、できることならマジでやめてほしかったけど、どうしようもなかった
生まれざるを得なかった
ダメじゃないんですかね
俺はダメだと思うんだよな
プリミティブな欲求にしたがって、他人を巻き込み迷惑をかける可能性がある行為をしてはいけないよ!
って話だと思うんだよな
とりあえず最初にまさか...そんな...猫耳カチューシャ...を最近知って素晴らしいものを読ませて頂けたことへ最大級の賛辞を贈りたい。
猫耳カチューシャは心を豊かにするのだと心新たにすることができた。
では本題だけれども、ボクのリベラルの根源はGNU宣言とフリーソフトウェア運動というエントリを読み、猫耳カチューシャ増田であると記名して書こうという思いに至って実際に行動している。
端的に言えば「猫耳カチューシャを装着するという自己決定を擁護する側のケモノミミストであり、その自己決定の制御権は他者に侵害されるべきではない」と考えている次第だ。
男であれ女であれ性別の型に依らず猫耳カチューシャを装着する自由があるべきだし、年齢がどうのとかどうでも良いじゃんと、猫耳カチューシャを装着したいなら、猫耳カチューシャでパートナーを誘惑したいなら好きにやったら良いじゃんと思うのだ。
これまで猫耳カチューシャ増田はソーシャルリベラリズムに「猫耳カチューシャの自由」の根拠を求めていたが、近年の、特にインターネット上で支持される類のソーシャルリベラリズムはその理念に反して自己の発露を抑制し、あまつさえ規制しようという動きがあるのは否定できないはずだ。
あろうことか野党は与党が自己の発露を擁護しようという立場へ立った際に、与党と差別化しようと政局しか考えず自己の発露の抑制へ歩みを進めるという愚を犯してしまった
共産主義政党は別として、与党よりもソーシャルリベラリズム政党として認識されていながらソーシャルだけに注力しリベラルを棄てるとは、そしてそんな政党を支持してしまうインターネット上のソーシャルリベラリズム界隈には猫耳カチューシャの自由を預けることが正直出来ない。
いつしか猫耳カチューシャが店頭やネットショップから消えて流通されなくなってしまうのではないかと恐怖を覚えてしまうのだ。
あなた達は言ったじゃないか、特定の商品が流通しないように社会合意をはかっていくと。
そんな恐怖に怯えている最中に読んだのが上記の「ボクのリベラルの根源はGNU宣言とフリーソフトウェア運動」だ。
読めば読むほどGNU派にはケモノミミストが求める猫耳カチューシャの自由があるではないか!
猫耳カチューシャを装着する自由、ウサ耳カチューシャを装着する自由、4つ耳であっても良い、髪でヒト耳を隠せば良いじゃないかという自由、そしてケモノミミを装着しなくても良い自由すらある!
我々とあなた達の自己決定をGNUは担保する!
ソーシャルリベラリストよ、このエントリのバカバカしさを受け止められるか?
「夫に猫耳カチューシャを着けたら最強じゃね?」という妻のバカバカしい声を受け止められるか?「猫耳カチューシャを着けた妻の可愛い姿を観たい」という夫のバカバカしい声を受け止められるか?
自分は、猫耳カチューシャ増田はGNU派へ転向したからこそソーシャルリベラリスト達の「GNU派ってバカなのか?」という声すら受け止めようじゃないか!
新着を見ていて https://anond.hatelabo.jp/20220626093727 があったので、こんなブコメを書き込んだ。
「ペドっぽい」ファンアートはまとめの中に実際にあるし、「そういう表現をするのは悪いことではないよね」「気持ち悪く思うのも悪いことではないけど個人の感想で規制に繋げてはいけないよね」という話をすべき
本当はもう少し長く書いたのだけど、100文字に収まるよう細部を削って書き込んだ。
その後、ブクマ数が少ないうちに書き込んだこともあっただろうが40を超えるスターが付けられてトップブコメになっていた。通知を見ながら気を良くしていたのは確かだ。
いや、ねーよ!
何言ってんだお前…
「そういう表現をするのは悪いことではないよね」「気持ち悪く思うのも悪いことではないけど個人の感想で規制に繋げてはいけないよね」という話をすべき
あー怖い怖い
これって誘導尋問じゃん
手前の勝手な前提で話を進めないでください!
これに対して、反論、というか私の持論を述べたいと思う。
一旦その前に、自分語りというやつをさせてほしい。
(正直なところを言うと、書きながら色々迷っている。本当にこの文章は書く価値のあるものだろうか。何のために書くのだろうか。
単にレスバに勝ちたいという気持ちで書いているなら無益だからやめておけ、と自分の一部は言う。
それに対して、いやこの文章は元増田に対してだけの物ではない。元増田に届かなかったとしても他の人に届けばいいのだ、と言う自分もいる。
でもやっぱりそれはただの言い訳なのでは?お前はただのレスバジャンキーなのでは?と言われると否と答える自信がない)
私はあまりネット上で自己開示をするたちではない。特にこうして名前を晒して(いや、実名ではないのだが)内心を晒すことはしてこなかった、と思う。
いや、うーん、政治の話ははてブではけっこうしたし、自分の内心を晒すこともした、かもしれない。
今からするのは性的な話である。つまり、自分の性的嗜好の開示である。
このkazatsuyuというIDはリアルの知り合いにも知っている人がいるし、そういう人の目に留まるのはだいぶ恥ずかしいので、もし見つけても見なかったことにしていただきたい。
いや、リアルの知り合いじゃなくてもTwitterのフォロワーとかはやっぱり恥ずかしいので、フォロワーも見なかったことにしてほしい。
この文章は確実に黒歴史になるので、もしかしたら羞恥に耐えられなくなったら消すかもしれない。まあ、魚拓だけなら残っていても検索には引っかからないと思うからいいかな……。
端的に言えば、私はロリコンである。好きな成年漫画家は岡田コウ、好きな同人エロゲサークルは夜のひつじ。
ケモロリは性的嗜好の範疇なのだが、ケモナーかと問われると自分では疑問。そこまでディープではないとは思うが、まあ他人と性的嗜好を比べあったこともないし。
基本的に、絵師や同好の士とのコミュニティに参加したりはしていない。普段TwitterではITエンジニアのクラスタに住んでいる。
コミュニティに参加している訳ではないので、界隈の代表面をできるような立場ではないし、できるだけの知識も多分ないだろう。だからこれは個人の意見だ。
こう書いたのは、つまり https://togetter.com/li/1906645 のまとめを見たロリコンでありケモを多少摂取している私個人が「ふーんエッチじゃん」と思った絵がいくつかあった、ということだ。
元増田は、
手前の勝手な前提で話を進めないでください!
と言っていたが、まあ、確かにこれは個人の感想であって、私の勝手な前提と言えるのかもしれない。
ただ、それを言うなら、
はっきり言わせてもらえば、私はまとめの中にある作品の中に(全てではないよ、もちろん)性的な意図、それも(もちろん虚構の)小さな子供に対するものを表現したものが「ある」と確信している。
証拠はない。いや、探せばあるかもしれないが、基本的には私のロリコン的な感性が「そうだ」と確信したものなので、証拠を探しても後付けの理由でしかない。
(「ながもはショタじゃないか?」と言われそうな気もするので一応、はい、ショタも範囲内です。ケモショタはギリいける。ケモロリの方が好きだが)
ところで、ながもに当てはめて良いものかは分からないが、ケモナー界隈には「ケモセーフ」という概念がある。(医療器具ではない)
https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%B1%E3%83%A2%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%95
要するに、ケモノは動物なのだから裸でも問題ないとか、毛皮で隠れているのだから大丈夫、という言い訳できわどい恰好をさせることができるという話だ。
そういう概念を持った上で、ながもを見てみる。帽子とマントは着用しているのに、あとは全裸である。
キャラクターの作者の意図までは読み取れないが、鑑賞者としてはエッチな気持ちが揺さぶられても不思議ではないと思うのだ。
その気持ちをそのまま二次創作にぶつけた絵師は「いる」と私は見た。それが元増田につけたブコメの前提だ。
で、本当に話したいのはここからのことだ。
元増田は私とは前提を共有していないようなので、ここまで読んでも勝手なことを言ってと怒っているかもしれない。
なので、なるべく一般論として話す。
そもそもの話として、エロい表現には「確実に規制されるライン」と「そこまでではない表現」というものが存在する。
当然、確実に規制されるラインは性器が描画されているとか、セックスをしているとか、そういうものである。(この規制ラインの妥当性は今は話さない)
規制されない表現には広いグラデーションがある。下着のラインがきわどいとかスカートの中が前張りであるとかそういう割と直接的だけどギリギリ引っかからないものから、表情が見ようによってはエロいといったものまで、多種多様である。
私は、そういった表現があるのは良いことだと思うし、それを見てエロいと感じることも良いことだと思っている。
つまり、作者が表現に仕込んだ意図を、ちゃんと読み取れたのが良いことだと思う。
読み取れなかったら悪いという訳ではない。多分、私自身作品を鑑賞する時に誤読していることはよくあるし、自分では誤読に気づけることは稀なので。
それこそ、「ながも」にケモセーフの意図が織り込まれていると私は読み取ってしまったが、これは作者の意図と照らせば間違いである可能性も十分にある。
問題は、作品に織り込まれた意図を読み取ったにも関わらず、「そうではない」と言う行為だ。
エロい表現物というのは常に攻撃に晒されてきた。だから守りの体勢に入ってしまうことは理解しているつもりだ。
だが、「これはエロい!駄目だ!」と言われた時に、「エロくない!」「エロさを読み取るお前がおかしい!」と返すのは、多くの場合、それこそが間違っていると私には見える。
鑑賞は人それぞれなので、本当にエロくないと思ったならエロくないと言ってもいい。だから、私のこの意見は完全に見当外れで、私がただ勝手にエロい意図を読み取ってしまっただけなのかもしれない。
けど、私は表現を擁護する側で「エロくない」と言っている人の一部は(一部、と言ったが主観ではほとんど、だと思っている)エロいと思ったのにエロくないと言っているように見える。
月曜日のたわわはエロい。スカートの股間のしわはエロい。宇崎ちゃんは……私にはあまりエロスを感じ取れないのだが。
「エロい!駄目だ!」と言われた時に、攻撃の理由をなくそうとして「エロくない」と言ってしまう気持ちは分かる。
でも、「エロい!駄目だ!」に対する答えは「エロくても駄目じゃない!」であるべきだと思うのだ。
世の中には確実にエロい意図を仕込んだ健全(非規制の)作品がある。その作品に対する誠実な鑑賞態度は、「これはエロいなあ」と感じることだと思うのだ。
元増田は完全にエロくないと思って、その心のままに増田を書いたのかもしれない。もしそうなら、この文章は私の独り相撲だ。
けれど、もし仮に、私の意見に思い当たる節があるのなら、「エロい」と感じた心に蓋をして「エロくない」と言っているのだとしたら、そのままの態度では良くないと私は思う。
ここまで書いてきて思ったのだが、「エロい」と「ペドい」は一般的にはまた別の問題かもしれない。私にとってエロはロリペドと割と強く結びついているので、少し混同して書いてしまったきらいがある。
元増田がペドの意図を読み取らなかったとしても、それは多分健全なのだと思う。無理に読み取る必要はない。
同時に、元増田の言及先であり、元増田のブコメでも晒されていたコメント(idは書かないでおこう、多分向こうにとって私は絡みたい相手ではないだろうから)がペドの意図を読み取ったのも悪いことではない。
悪くないはずだ。誰か私にも悪くないと言ってほしい。
元ブコメの人は気持ち悪いと受け取ったが、私は良いと受け取った。だからきっと分かり合えないと思うが、気持ち悪いという感覚もきっと悪いことではない。
悪いことではないと思うから、悪いことではないよ、と言った。これは誘導尋問ではなく、元ブコメの人のように感じる人へ言ったつもりだ。
その上でどうするか。個々の感想として好悪があったとしても、それを表現規制に結び付けてはならないと思った。だからそう言った。
これはやっぱり大事なことだから、書いておかないといけないと思ったのでがんばって100文字の中に詰め込んだ。
元増田には表現を守りたい気持ちがあるはずだ。私もそこにはある程度共感できていると思う(完璧にとは言えない)
けれど、私は表現を守る運動を見ていて、表現に接する態度に関して違和感を持っていた部分があったので、それを書かせてもらった。
そこの部分で元増田と私はあまり折り合えない気がする。もしかしたら私のような意見は「利敵行為」になるのかもしれない。
※ネタバレ注意
前作の『オトドケモノ』は、細かく見ていったら多少の曖昧さや一貫性のなさはあったりしたものの、
大筋では破綻はなく、最終的なオチまでの伏線は作品内で描写されていた。
しかし、今作のオチはすごくご都合主義的な後付けな上にSF的な整合性もかなり怪しい。
その副作用として謎空間でない過去の時点に元の姿で戻すのは都合が良すぎると感じた。
しかも絶妙に未来にいた記憶は残っているので、翔太はこの後アキラに対して丁重な対応を取るから、
私は異なる考えを持っている。
尊厳の考え方は、クラス全員の男にヌード写真が出回るのと、クラス全員が彼女の裸を妄想して自慰するのは、実質的には変わらない、とすると思う。
https://anond.hatelabo.jp/20220525213803
電車の中で、隣に座った女性と肌を触れ合いを、後で振り返って楽しむのは… よくないと思う。
あなたの自制心や理性を疑ってるわけではないんだ。相手に下心を気取られないように細心の注意を払い、それは成功するだろう。
だから隣の女性は、「この男性は性的に消費する意図で触れ合いを記憶しているんだろうな」と想像する。肩が触れたたくさんの男たちの中には、確率的に理性の箍が緩いケモノもいるはずだ。女たちは常に威迫されながら、脅威に怯えて生きている。
性的まなざしを向け、一般女性を性的消費するのを是としている現代日本では、生きづらさは女性性にビルトインされている。男たち全員が「一般女性をオカズに妄想したりはしないよ」って言い続ける必要がある。不文律を破って威迫行為をした人を咎める必要がある。さもなくば理不尽な性の不平等は消えないよ。