はてなキーワード: ジョージ・ハリスンとは
https://www.youtube.com/watch?v=6hzrDeceEKc
今日こそが その時かもしれない
過去の報いが返ってくる
何をするべきだったのか
今ごろお前も気付いているはず
おれだけだと思うよ
こんなに心配してるのは
情熱が消えたと噂してるやつもいて
お前も聞いただろうけど
こんなに心配してるのは
おれだけなのに
進むべき道は
曲がりくねって困難で
導く光は
強すぎて何も見えなくて
言ってあげたいことが山ほどあるのに
でもそれは多分 お前の方が
お前こそが
今日が その日になるはずだった
だけどもう
仕返しにくるものはない
もうわかっているはず
こんなに喜んでる奴は
おれ以外にいないと思うよ
進んできた道は困難だったけど
行き先を照らす光が
今は眩しいくらいに輝いてる
伝えたいことは沢山あるんだけど
本当なんて言ったらいいのかわからないよ
だから多分
つまり結局
***
この歌には結構いろいろな受け取り方があって、そのなかに親友が自殺を思いとどまってくれた歌、というものがあるので、そんな感じで訳してみた。
そう考えると、歌詞が変化してる部分が具体的につながる気がする。
あとタイトルの「ワンダーウォール」という謎の言葉は何かというと、ビートルズのジョージ・ハリスン(当然のことながらギャラガー兄弟が崇拝してる)が曲で参加したマイナー映画のタイトルだそうで。
中年の主人公が隣の部屋の大学生かなにかに憧れて、それを壁越しに(?)眺める映画らしい。
「壁」こそが自分を救ってくれるという(普通は逆の意味でつかう)不思議な言葉だと思っていたら、
大変ガックリくる答えなのでした。
まあそんなもんだ。
https://togetter.com/li/1997468
土屋「ユーチューブな、Youtube。それでなんてバンド?」
塙「ビートルズっていうんですけど」
塙「ビートルっていうのは、羽の生えたかさかさ動く茶色い虫のことで」
塙「それで、4人組のバンドで」
塙「ジャン・レノ」
土屋「ジョン・レノンな。それじゃフランスの俳優になっちゃうから。」
塙「ポール牧」
土屋「ポール・マッカトニーな。牧だと指パッチンになっちゃうから。」
土屋「フォードはいらない。ハリソン・フォードと混ざっちゃってるよ」
塙「りんご娘」
土屋「なんで青森のロコドルなんだよ、王林ちゃんとは何回も仕事してんだろ」
土屋「だからなんで青森のモノマネ芸人なんだよ。青森から離れろ」
塙「ああ違った。りんごすった」
塙「あとオノ・ヨーコ」
塙「それで代表曲なんですけど、まずは『ヘルプ!』、なんでも鑑定団のテーマです」
塙「レット・イット・ゴー」
土屋「レット・イット・ビー」
塙「あ!そう言えばそうだ!なんか見たことある曲名だな―と思って」
土屋「知らないでやってたのかよ、すごいなお前」
塙「いやー、なんか変な歌歌うからどうしたのかと思って」
二人「どうもありがとうございました」
ジョージ・ハリスン が大好きだ。 僕のアイドル。
三大ギタリストと言えば
エリック・クラプトン
ジミー・ペイジ
ジェフ・ベック
でも、同世代というのか同じころに活躍した、肩を並べるギタリストが沢山いると思う。
思いつくまま...
リッチー・ブラックモア
ブライアン・メイ
ロビン・トロワー
...
カルロス・サンタナ
...
ゲイリー・ムーア
...
今は亡き...
ジミ・ヘンドリクス
スティーヴィー・レイ・ヴォーン
ジョニー・ウィンター
デュアン・オールマン
...
おっと、
ロリー・ギャラハー
...
ブルースでは
B.B.キング
バディ・ガイ
...
キリが無い。
まだまだ沢山いる。あの頃の、めちゃくちゃ上手いギタリストで 好きなギタリスト。
三大ギタリスト なんて絞れない。
もうすぐ ジョージ・ハリスンの命日。
自己創発という言葉がある。一種の高度なシステムだ。wikipediaには「局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。 」とある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E7%99%BA
うむ高度である。高度で重要だってんで専門の研究機関が数多くあったりする。しかし高度といっても場当たり的創発には明白な限界がある。長期視点で創発を積み重ねること、つまり進化が求められるケースも多いのだ。そういったことを扱うのが「進化システム論」という学問領域である。
翻って私たち個人の日常生活ひいては人生において根本的に重要な要素を1つあげるとすればそれは集中力である。
人間として生まれたからにはまずその集中力がなんであるかを明確に会得せねばならない。分かりやすい例をあげよう。ハイスコアを叩き出したいテレビゲームがここにある。
画面に「注意する」ことは必要不可欠であるが、スコアを「気にする」ことは果たして必要なんだろうか?否!必要ない。
「気にする」とは余計な思考を含意し「何かを気にして別の大切な何かを気にできてない」ことをも含意する。かように様々なタイプの集中があるので集中力と一口に言っても多種多様なことが分かるだろう。
電王戦タッグマッチにおける脳波測定マシーンの滑稽さもここにある。集中力を単純に脳波で量として捉えても殆ど実態は見えてこない。「何にどう」集中しているかに達人的集中のギミックがあるのであるから。
ここまで言われると集中のための第一歩が「気にする」と「注意する」の峻別であることは容易に経験からイメージできるのではないだろうか?
テレビゲームの事例でも「画面には注意すべきだがスコアは注意しないほうが良い」と両方「注意」を使って捉えるからどうしようもない矛盾が生まれてしまう。
ちゃんと2つの概念を区別し「画面には注意するがスコアは気にしないほうが良い」と精密に捉えて初めて成長の道が切り開かれる。
これは人間特有のウェットな話ではなく純粋にロジカルな話なので当然色んなシステムに適用できて進化システムもその例外ではない。
例えば会社が本来の目的を忘れて腐った企業体質のまま古い事業を続けている。これが「気にする」にあたる。一般にシステムをとにかくどんな形でもいいから進化させちゃえと安直に考えるならばその実現はたやすい。
しかし高度な進化つまりシステムの根幹にある枠組み自体を進化させるには「気にしない」ことの高度な実践がたいてい決定的に重要になってくる。簡単に言うと全体の情報をきちっと注意し続けるということだ。
このように私たちは私たち個人と私たちを含む社会集団を類比することで新たな側面を発見し打開策を見いだしていくわけだ。他人のフリして我が儘治せということわざもある。
人は自分が思っているほど自分のことを理解していない。それは高度情報社会の闇でもある。気になる情報が多すぎて自己への注意がおろそかになっている。
これが原因で世の中には無用で無駄な争いが爆発的に増えているわけで、そこで提案されたのがジョージ・ハリスンの窓、略してジョハリの窓である。
自分探しという言葉は一部の人間の感情を逆なでするそうだが、注意の復権という意味では自分探しという言語表現こそまさに適切と言えよう。
http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/
僕が風刺記事を書く上で、土台にしているのは1960年代初頭、イギリスで起きた学生による風刺ブーム。政治家やエリザベス女王の写真に勝手にフキダシを付け足してあることないこと言わせたり、テレビ番組の中で権力者をおちょくったり、まあそういうのが流行った時期だったのですよ。ビートルズの「タックスマン」という、ジョージ・ハリスンらしい皮肉めいた曲なんかが流れたのもこの時期です(詳しくは右の本を読まれたし)。日本でも有名な「モンティ・パイソン」だってこの文脈上において考えれば、どうしてあんな無茶なことをやれたのか自ずと分かってくるものです。
自分の書いているものが健全なコンテンツだとは思わないけど、この種の「毒」があるからこそ、ネットに魅力を感じる人も多いのではないですかね。少なくとも、ひな壇芸人が内輪でひたすら駄弁ってたり、ひたすらご飯食べてたり、聞いたこともない韓流アイドルばかり出てきてたりするような番組よりはマシなものを提供しているつもりではあるのだけれど。