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はてなキーワード: 言語表現とは

2020-10-11

終戦」と「敗戦

太平洋戦争」は1941年12月8日の真珠湾攻撃で幕を開けたが、「第二次世界大戦」のほうはそれより早く、ドイツポーランドを侵攻した39年の9月にすでに始まったことになっているから、それぞれのことばがさす対象自体にずれがある、しかし、「太平洋戦争」と「大東亜戦争」とには、そういう意味でのずれはないはずだ。にもかかわらず、なんとなく感じが違う「大東亜戦争」と言うと、戦争中に日本の側から呼んだ名称で、あの戦争に対する当時のわが国の指導者たちの考え方や、その位置けがあらわれている。

そのころの日本人には「太平洋戦争」というような見方はなかっただろうから、当時はそれが唯一の呼び名であり、渦中のわれわれに特別の語感は働かなかったはずだ。だが、今日、ことさら大東亜戦争」といういうなことばを使うと、50年前の意識をいまだに引きずっている人のような印象を与える。帝国主義植民地主義とまで見られるかどうかはともかく、当時の公式用語無意識に使い続ける人物、あるいは、懐古趣味人間といった、なんらかの色をともなって伝わるだろう。

1945年の8月15日の日本降伏によって、第二次世界大戦太平洋戦争大東亜戦争終結したが、それを日本側は、おおらかに勝敗にはこだわらず、だったのかどうか、ともかく、「敗戦」ということばを避けて、「終戦」ということばを正式に使いだした。このことばは、あまり的確ではないが、そうかといって、うそでもない。たしかに、「戦勝記念日」ならぬ「敗戦記念日」というようなもの国民行事にはしにくかっただろう。「終戦」と言えば、戦争が終わったわけであり、これから平和が来そうな感じもしないではない。戦争時代から平和へと向かう、その節目としてなら、「記念日」としてもいいような気になってくるからふしぎだ。この命名は、歴史的現実から目をそらしているのはまちがいないが、事実認識をうやむやにし、ふれたくない事実の別の側面に焦点をあてて、うまくおさめてしまった絶妙なしのぎであったかもしれない。

それを「ごまかし」だとして非難し、あえて「敗戦」ということばで現実を率直に見すえようとする立場もある。そういう日本人の内側から自覚の映る「敗戦」という語を聞くと、それを使う人の立場や考え方を同時に感じ取ることになる。

このように、言語表現は内容や意図を伝えるとともに、そう表現している自分自身をも伝える。ある種のことばは、その単語を使うだけで、このように、話し手のなんらかの立場意識思想傾向などをも同時に聞き手に伝えるのである

いわゆる北方領土の四島について「返還」と言うか「引き渡し」と言うかによって、その人の考え方や態度の違いが明らかになる、という話も海外から聞こえてきたように気がする。

どちらにも偏らず無色であろうとして、かえってそういう心の動きをことばに映し出す場合もある。かつて国鉄などの組合がくりひろげる賃金闘争が盛んだったころ、完全に職場放棄するストライキとは別にラッシュアワーときにわざとホーム安全保持を完全に実施するなどのやわらかい戦術に出ることがよくあった。NHKなどの報道機関で、それを「順法闘争」という用語放送すると、その組合闘争戦術を「順法」と認めることになる。かといって「違法」と報道するだけの明確な認識を示すつもりはない。そんなとき、苦しまぎれに「いわゆる」をつけて「いわゆる順法闘争」と報ずるのは、どちらの側にも立たない公平な態度で報道しようとする立場をむしろ積極的に伝える結果になる。ことば屋などが、説明するとめんどうなことになるような場合に、「いわゆる現在形」「いわゆる形容動詞」というふうに「いわゆる」をつけることで自分立場留保するのも、似たような事例といえるだろう。文章にして書きあわらす場合は、あることばをわざわざカギ括弧で包むのがそれに相当する。

2020-09-11

逆に精神的に健康作品コンテンツについて考えてみた

前回はこちら 

https://anond.hatelabo.jp/20200911202150

精神的に不健康作品コンテンツの例として、青年向け漫画も取り上げる予定だった。もつあきさんと無望菜志さんと朝凪さんを取り上げようと考えていた。

迷った挙句に書かないことにした。男性しか読んで楽しめないものは書くべきではないと考えたからだ。かといって、私がボーイズラブ世界に足を踏み入れるわけにもいかず。

その代わり、ブクマコメント要望のあった、精神的に健康コンテンツを取り上げてみようと思った。

各編ひとつずつ選んで紹介する。ひとつにつき1000字程度。たまにネタバレをする。

漫画

火の鳥

 久しぶりに読み返して、精神的に不健康作品ってそもそもどんなものなのか?と自らに問いかけることになった。

 これは面白い。「何も聞かずに読んでみて!」と無条件で人に勧めることができる数少ない漫画だ。

 火の鳥。生き血を飲むと不老不死になる。彼女(?)は人間世界を見守っている。たまに人間に捕まえられて血を取られたり、稀に自分から血をあげることもある。その血を巡ってドラマが繰り広げられる章編もあれば、そもそも生き血を飲みたいという展開のない章編もある。

 精神的に不健康描写が数多くある。不老不死テーマなだけに理不尽な死も多い。エロもあるし、グロもある。昔の漫画なのでよくない言語表現もある。

 でも、読んでいるうちに何が何だかからないまま時間が経って、読み終えると心が静かになっている。何も考えられない。心が作品に持っていかれる。

 前々回の記事で、『完全なる経営から読み取ることができる、精神的に健康人間要件として以下の5つを挙げた。

 ・今の状況をありのままに捉え、不確実な状況でも耐えることができる

 ・創造的やユーモアがある

 ・自分自分に関わる人間幸福を願う

 ・夢中になれる物がある

 ・自分能力を惜しげなく発揮している

 火の鳥に出てくる主要人物は、このいずれかを必ず持っている。持っていないこともあるが、成長とともに持つようになる。

 どのシーンも主人公に厳しい。安息の時はない。あったとしても理不尽に打ち砕かれる。各編の主人公には欲しいものや、なりたいものがある。それらを目指して戦い続ける。

 彼らが生の終わりを迎えた時、死の跡には必ず何かが残っている。

 精神的に健康/不健康作品を分かつものは、破壊創造バランスなのだと思う。精神的に不健康作品コンテンツは、最後は何かが崩壊して終わる。対して、精神的に健康作品というのは、最後に何かが創造される。

 物語過程で、登場人物が絶えず営為を繰り返している。だから読者の心に爪痕が残る。

アニメ

プリキュアシリーズ

 精神的に健康になりたいのなら、土日の朝にやっているアニメを見るのが近道かもしれない。

 人として正しい道へと導いてくれる作品が多い。

 プリキュアはその筆頭だろう。プリキュア作品を見た児童は、正しい人格の在り方や、仲間のために何をしてあげればよいか、敵に対してはどのような態度で接すべきかなど、社会生活を営むうえで大事なことを学べる。

 大人が視聴すると、忘れかけていた大事なことを思い出させてくれる。

 今やっている『ヒーリングっどプリキュア』だと、15話がよかった。のどかラビリンがあることをきっかけに喧嘩となり、冷戦状態になる。なんというか、リアルなのだラビリン問題行動を起こすきっかけも、のどかが怒った理由も。ケンカ中の態度も。

 イザという時にケンカ裏目に出てしまう。信頼関係がなくなったせいで〇〇に失敗する。

 ラテ仲介によって二人は仲直りするのだが、これもまたリアルだ。現実でも、こんなやり取りを見たことのある人がいるのではないか

 創作世界に生きている人間を、現実に生きているように描く。これができるのは一流の作品だ。当たり回はいくらでもある。騙されたと思って是非視聴してほしい。

(余談)

 大人児童向けアニメを見ても面白くないという意見もある。特に作画児童向けアニメというのは、1年間放送する関係で1話当りの予算が少ない。作画がよくないイメージが強いのではないか

 その点は安心だ。ハートキャッチプリキュア!の辺りから予算が上がっている(ような気がする)。それまでのプリキュアシリーズというのは、月に一度は作画が崩れてプリキュアの顔がおっさんになるという事態が生じていた。

 いい時代になった。ただし弊害もある。スタッフお気に入りプリキュアが贔屓されるようになった(※今は特定キャラが贔屓されることはない)。個人的意見になるが、キュアムーンライトの変身時の作画枚数が少ないのは、キュアサンシャイン変身バンクを盛大にするために暴走したスタッフのせいだと思っている。

 プリキュアシリーズがたくさんありすぎて選ぶのがしんどいと思われた貴方には、私が選んだ大人向けのプリキュアを紹介させてもらう。作品紹介は最小限に留めている。

 ★ハートキャッチプリキュア!2010年

  キャラデザは子ども向け。物語シリアスファッションショー回にスタッフの愛を感じる。

 ★スイートプリキュア♪2011年

  本物の友情を描いている。硬派で軟派。中学生なのに色気がある。

 ★ドキドキ!プリキュア2013年

  男の子向け? 保守寄りの価値観ベースにしている。お笑い描写に定評がある。

 ★Go!プリンセスプリキュア2015年

  誇りや気高さ、心の強さを描いている。みんな大好きキュアトゥインクル

 ★魔法つかいプリキュア!2016年

  少女友情がメイン。スイプリに比べれば甘々な感じ。最後の方は泣ける。

ゲーム

・かたわ少女

 フリーゲームだ。一時期話題になったので知っている人もいるだろう。

 主人公ヒロインは、病気障害を持っている。主人公である中井久夫は、ある時に心臓であることが判明し、30まで生きられるか怪しいという状態物語スタートする。

 ヒロイン障害は様々だ。目が見えない子、話すことができない子、足がない子、手がない子、火傷のある子……。

 この作品の、いったい何が精神的に健康なのかといえば、キャラクター同士の人間関係の深みを追体験できることだ。

 外国人の有志が作ったゲームなので、そのあたりの深みはとんでもない。愛情で繋がるシーンが感動的なのと同じく、信頼が消えるシーンもまた同じくらいの衝撃で心を抉ってくる。

 笑美のルートがよかった。外国人から見たとき模範的恋人同士ってこうなのかな、というのが伝わってきた。個人主義秘密主義を貫いていた笑美が、心の弱さを久夫に見せられるようになる過程に癒された。

 テキスト量が凄まじいゲームなので、ホームページを読んで感じるものがあった子をプレイするのがいい。

 ゲーム編の番外作品として、高橋邦子シリーズを挙げる。

 某動画サイトではお馴染みのシリーズであり、2011年頃までは定期的に動画投稿をしていた。

 このシリーズは、各作品制作時期によって印象がてんで異なる。

 初期の作品は見るに堪えない。まさに精神的に不健康だ。理不尽な死は基本であり、人権侵害を地でいっている。実際に見てみるのが一番早い。

 時代を経て作風は変化する。

 初期に投稿されたのは、邦子子どもの頃に作ったと思われるものだ。キャラクターはとりあえず雄叫びを上げ、とりあえず戦闘突入し、とりあえず死ぬ。そんな作品しか言いようがない。ただし、作者のセンスが飛び抜けているので結果的面白いストーリーになる。

 邦子大人になってから作ったと思われる作品は、初期のものとはまるで違う。理不尽な死が基本であるのは変わらないが、以下の特徴が挙げられる。

ユーモア意識している。特にセリフ回し。

視聴者テンションの変化を読んでプロットを組んでいる。ハリウッド映画研究している。

・真面目でひたむきなキャラが無残な死を遂げるのが減った

 現在新規作品がアップされることはまずない。

 高橋邦子大人になってしまったのだと思う。新しめの作品を視聴すると、このことがよくわかる。

 精神的に若くないと、ああい作品を作るのは難しい。例えば、会社員として適合してしまうと、そっち方面アイデアが湧いてこなくなる。

 邦子作品をまた見てみたい。

小説

百年の孤独

 1967年に発表されたガルシア・マルケス長編小説

 これまでに30ヵ国語以上に翻訳され,1000万部以上を売ったとされる。架空の町マコンドの創設から、その滅亡に至るまでのブエンディア一族歴史が描かれる。

 ブエンディア一族は、みな自らが決めた使命や、本能のままに生きている。長生きした者もいれば、短命だった者もいるが、誰一人例外なくキャラクターが濃い。

 キャラの立ち方について、「根が明るい」とか「聡明」とか「向こう見ず」とか、そういう言葉で表すのではなく、具体的なエピソード表現している。

 読了後は放心状態になる。静かな気持ちの中で、この本を選んでよかったという感慨を得ることができる。

 大衆向けの作品でありながら純文学でもある。思わず吹き出ししまうシーンもあれば、「お前ここで終わるんか…」みたいに物悲しいシーンもある。

 一番のおススメは文章だ。一文字文字読書中の脳に突き刺さる。以下の例はほんの一部だ。全体の文章量としてライトノベル5~6巻分はある。

 屋敷のなかが恋であふれた。アウレリャノはその恋心を、初めも終わりもない詩にうたい込めた。メルキアデスからゆずられたざらざらの羊皮紙や浴室の壁、自分の腕にまで詩を書きつけた。あらゆるものに、変身したレメディオスの姿を認めた。午後二時の睡魔をさそう風のなかのレメディオス薔薇の穏やかな息遣いにつつまれたレメディオス、蛾の浮いた静かな水時計のなかのレメディオス明け方パン匂いにただようレメディオス。いたるところにレメディオスがいた。永遠に変わらぬレメディオスがいた。 P.73

ホセアルカディオが寝室のドアを閉めたとたんに、家じゅうに響きわたるピストルの音がした。ひと筋の血の流れがドアの下から洩れ、広間を横切り、通りへ出た。でこぼこの歩道をまっすぐに進み、階段上り下りし、手すりを這いあがった。トルコ人街を通りぬけ、角で右に、さらに左に曲り、ブエンディア家の正面で直角に向きを変えた。閉っていた扉の下をくぐり、敷物を汚さないように壁ぎわに沿って客間を横切り、さらひとつの広間を渡った。大きな曲線を描いて食堂テーブルを避け、ベゴニアの鉢の並んだ廊下を進んだ。アウレリャノ・ホセ算術を教えていたアマランタの椅子の下をこっそり通りすぎて、穀物部屋へしのび込み、ウルスラパンを作るために三十六個の卵を割ろうとしていた台所にあらわれた。

「あらぁ大へん!」とウルスラは叫んだ。 P.142~143

 モンカダ将軍は起きあがって、シャツの裾でべっこうの分厚い眼鏡をふき、次のように言った。「恐らくね。しかし、わたしが気にしているのは、銃殺されるかどうかということじゃない。結局のところ、われわれのような人間にとっては、銃殺自然死と変わらないんだから」。 P.172

 真ん中の描写は、マジックリアリズムという。

 現実世界ではありえない現象を何度も何度も描くことで、読者に対してこういう世界なんだなと思わせる。慣れてしまうと、どんな不思議な情景が現れても自然に読める。この小説マジックリアリズム極致にある。

 時間のある人は図書館で手に取ってみよう。時間のない人はほしい物リストに放り込もう。

YouTube

フェルミ研究

 イラスト形式人生に役立つ知恵を提供している。あなた動画を見たことがあるかもしれない。

 このコンテンツも、高橋邦子と同じく、作者が人間的な成長を遂げたタイプだ。

 初期の頃は、インターネット上の疑問やネタを集めて電撃ランキングやその他まとめ的な成果物を作り、電ラン子というキャラクターに解説させるスタイルだった。

 だが時を経て、そういったランキングで使うテーマや疑問、ネタを自らの手で作り出すようになった。

 そこまで珍しい作風ではない。ほかにも、「ネタざんまい」や、「これ本当かも」、「アシタノワダイ」、「セカイノフシギ」など、イラスト形式日常・非日常の疑問を解説するページはけっこうある。

 フェルミ研究所が、類似コンテンツよりも抜きん出ているところ――精神的に健康な要素というのは、ひとえに笑いだ。

 他に比べて、フェルミ研究所が一番笑えるし、絵も可愛いし、ネタ豊富だ。他のコンテンツは、ストーリーの傾向がシンプル意味で「精神的に不健康である

 一応はディスる内容なので、どのコンテンツがこういう内容で精神的に不健康である~といった具体的な説明はしない。

 一般的な傾向として、ストーリーが語られる中で不幸になるキャラ存在している。そんな、不幸になった人物ラストに描くことで、視聴者に「ざまあみろ」という感情を吐き出させる。

 精神的に健康人間は、そういったコンテンツを好まない。再生ボタンを押したとしても、臭いを感じた時点でページを閉じる。

 フェルミ研究所にしても、初期~中期にかけてはやりたい放題やっていた感がある。

 恋愛を扱った回だと、童貞を煽るようなナレーションを連発したり、女性キャラ恋愛に挑んで失敗した男性辛辣セリフを吐いたりしていた。

 今では、そういった描写は少ない。むしろ恋愛に挑む若者応援するような作品を作るようになっている。

番外編(R-18

スミヤ

 青年向け漫画活躍している。性別非公表一般的エロ漫画に比べて絵が独特なので見たらすぐにわかる。

 ここで取り上げる理由は、その物語性にある。

 男女別の作品を好む傾向として、「男性シチュエーション萌え女性人間同士の関係性に萌える」というのがある。

 スミヤ作品には、そのいずれも在る。

 このふたりはこういう関係で、あの時こんなことがあって、だから今はお互いにこう思っている、といった情報さりげなく挿入されている。読者はこれから行為をする者同士の気持ちを知ることができる。

 では、肝心の行為をしているシーンはどうかといえば、これがまた…略

 はてな匿名ダイアリーなので、あまり詳細に書くことはできない。一般的男性であれば満足できる。「スミヤでは抜けない」といった意見もあるが、漫画をよく読んでいないからだ。

 肉々しいタイプの絵柄ではないので、作中の行為だけを見て興奮するのは難しい。ふたり関係性を理解したうえで楽しむのが筋といえる。

 男性向けのエロ漫画において描かれる女性というのは、実は女性ではない。女の姿をした男だ。最初は嫌がっているものの、性的な興奮によりスイッチが入り、快楽に抗えなくなる。最後は自ら求めるようになる――愛よりも肉を優先せざるをえない。それが男だ。

 純愛が多い。ふたり愛情を描いたうえで行為表現する。最初愛情がない時もあるが、ラストではお互いに何らかの感情が芽生えたことが示唆される。

 スミヤ作品に触れて、多くの感情を得ることができた。もちろん、他の作家からも得られるものは多かったけれども、ここでスミヤを紹介したのは、「これって男性から女性からウケるんじゃないのか?」と私が勝手に思ったからだ。面白くなかったらごめんなさい。

2020-09-02

anond:20200902165325

もちろん「相手尊厳を奪うこと」というのは私の言語表現なので一般性はないですが、「小児性愛犯罪刑法だけ適用しても犯罪抑止効果なんてあるわけないよね」というのは一般的な話だと思います

anond:20200902152857

かに言語表現曖昧さは含まれますが、意見ではありません。小児性愛犯罪被害者について記載された本を読んでみてください。事実に対して、「尊厳を奪う」はそこまでずれた言語表現だとは認識していません。

2020-09-01

白井氏の件がまじウケるので書いておく

ユーミンに対するコメントをみてシンプルにひどい思ったし、敵側にはなんでもアリかよと憤りもした。

だが白井氏の以前のツイッター発言と今回のフェイスブック発言を並べて貼ったツイートを見つけ、「ああ、もっと深刻な、むしろレベル事態なんだな」と思ったので書いておく。

以前のツイッター発言とは要するに、「芸能人や熟知しない人でも政治的表明をしていいじゃないか」「人権に含まれる」「それを避難する人は軽蔑されて然るべき」という内容だ。探すと出てくると思う(以前の検察ときハッシュタグの時期のツイートだろう)

この直近数ヶ月のツイートは、今回のユーミンに対する発言と、あまりに真っ向から矛盾する。

ユーミン歌手だ。発言自体政治的発言といえるかも議論ある程度な踏み込んでいないものだ。しかし、「その者、死すべし。」といって憚らない白井氏が、人権尊重しいないこと・軽蔑されて然るべきことはもはや言を俟たない。

ただ、どうにも気持ち悪いのが、同一人格の中にこれが成立するということだ。どうにも不可なの解だ。言語表現生業としているにも関わらず、この矛盾となぜ共存できるのか。

ここまでいくと、単にブーメランというよりも、もう少し根深く低レイヤーで、もう少し低次元なことだなと気付かされる。

彼にとって、理念とか思想とかは、表層なのだ

もっとプリミティブに、言辞を弄して場を制圧すること(=マウンティング)にこそ向き合っているのだ。

から彼は理念の人ではない。赤旗への寄稿していた過去もあるようでどちらかといえば左派の人なんだろうが、そんなのは些細なことだ。

第一義的には彼は詭弁なのだ。つまりソクラテスに嘲り笑われたソフィストしかないのだ。

コンテクストを自らに定めることすらままならず、場当たり的な優越快楽にひたあるのみであれば、その者の語りは特段敬聴に値しない。

彼はさほど特別ではない。ソクラテス先生ウンザリするくらいにはギリシアに居たし、歴史は繰り返すので世界中に沢山のソフィストがいる。

居続ける存在から言論界の自浄作用が問われる。

ソクラテス先生を想起することでしか自らを律せないし、厳しく眼を光らせることでしか言論界からは遠ざけられない。

白井氏は干されるだろう。差別的であること以上に、社会への道義心もなく社会言辞を弄した点において。

2020-07-06

anond:20200706232434

そうなの?

全くわからなかったわ

外野から見たら争っている言語表現だよ!

もっと優しく罵り合ってよ!お嬢様みたいに

2020-04-11

anond:20200410235522

個人言語表現はどうでもいいけど

中高年

大辞林

中年と高年。普通、四五歳以上六五歳程度の人をいう。

日本国語大辞典

年齢の中年と高年。ふつう、四五歳前後以上であること。また、その年齢の者。

デジタル大辞泉

中年と高年。ふつう40歳代以上をいう。

2020-03-03

anond:20200303131357

一応突っ込んでおくと、「客観的に見てアドバイスの体を成してない」としても、した当人は「アドバイスである」と信じている場合があるので、「意味の無い悪いアドバイスです」という発言自体言語表現として成り立つ。たとえば、数学テストで「君の証明論理筋道が通ってないので無価値だ」と言われるようなモノ。

よって、改めてこう言わせてもらおう。【君のアドバイスには意味が無い】。

2020-02-16

anond:20200216141132

このシリーズ個人的に辛かったのは以下の事柄

テレビ

テレビが何かわからない。いや、わかるんだけど、例えば古いテレビと今のテレビ全然形違うじゃん。

昔のテレビの足はなぜ四つ足ですらっと長いのか? 昔の真空管や配電の機械ってとっても重い。それをすらっとした木製の四つ足で支える意味がわからないし、薄型で軽量になった今こそ細い足で支えるべきなのに、実際にはどっしりとしている。

そして大抵テレビというと番組付属する。「テレビ見る」はテレビを見るという意味ではない。テレビ番組を見るということだ。そしたらテレビテレビではない。ではテレビはなんなのか? そして、今はパソコンスマホテレビ番組見るんだが、私たち営為としては「テレビを見る」という営みと質的差異はない、あるいは少ない。わけがからなくなって俺はテレビ朝日を見る、とかネットフリックスを見る、永谷園CMを見るとか、かならず具体的なものをさすように言語表現するようになった。

手書き

これの意味がわからない。手で書く、という意味はわかる。一般的には印刷を用いないで書くことだろう。

ところが、たとえば砂浜に尖った流木で書くのは手書きか? 指で砂に字を書くのは手書きか? と考えるとわからなくなってくる。この二つ、似てるけど営みとしては異なる。

前者は流木書きで後者手書き(あるいは指書きといってもいいかも)とするべきで、そしたら鉛筆ペン文字を書くことはは手書きじゃないんじゃないのか。より手で書きうる手段があるのに手書きってのはおかしいんじゃないのか。

筆で書くことを手書きというか? 多分いう。文字だったら。抽象的な前衛書画は?

パソコンは手で打っているか手書きじゃないのか。この文字は俺の手で書いてる。

もう手書きという日本語は全く信用ならなくなってしまい、仕事では、手筆を以ってする、ゲルインクで書いた書類atok作成した文章みたいな日本語表現している。

印刷物の校正は頭がスッキリする。手書き校正メモ、と、印刷された本文、とは意味合いとしてスッキリ弁別されている。仕事がわかりやすい。ずっとやっていたい仕事だ。

2020-01-12

anond:20200112162909

あれは自分の実感を言語表現に落とし込んだだけで思い込みの強さとは関係ないと思うけどね。

2020-01-06

anond:20200106101344

ピンクの子 → そんな遺伝子あるのか?

と言われたら、そりゃ

目が大きい子 → そんな遺伝子あるのか?

とツッコめよw

と思うのは割と自然だろ。


ぶっちゃけ俺的には、「あのピンクの子」という言語表現表現技法範疇だと思うけどな。

2019-11-17

anond:20191117212157

それは多分に日本での近代演劇ヨーロッパ演劇理論ほとんど鵜呑みにしてきたからだろうね

印欧語族日本語では当然に言語表現コードが全く異なるのに、上辺のやりかただけ形だけ真似るから「芝居がかってる」と悪評される

これに反旗を翻して日本独自現代演劇理論提唱したのがかの平田オリザなわけだけど、なかなか彼の演劇理論映画界に逆輸入されてる気配はないようだ

これは私見だが、日本映画界隈は学術方面に疎いというのが根本的な原因なのではないかと思う

ヨーロッパでは(アメリカもだけど)大学演劇研究を扱う学科があるのは普通だし、演劇理論映画界にも影響を及ぼしてる(メソッド技法賛否両論など記憶に新しいね)

かたや日本映画界隈はどうだ?金儲けに走って演技理論学位も持ってない半ばアイドル上り俳優たちが事務所ゴリ押し役者ポジションを得ている

全く堕落はなはだしいよ、連中は日本国内で甘い汁を吸うことしか考えてない。こんなんだから韓国ポップス音楽でも映画でも世界展開戦略で後塵を拝するんだよ

2019-09-25

anond:20190925013536

臭い言語表現って難しくて自分はカビの臭いだと思っていてもただの洗剤の臭いだったりすることもあるから増田で2行で訴えられてもそりゃ分からんよとしか言いようがない。

洗濯槽を洗ったり、洗剤変えたり、タオルを新しくしたり、漂白剤追加してみたり、自分でいろいろ試してみたら。

2019-09-22

重度のコミュ障PGだけど未来が見えない

 今年33になった。limitである35歳までもうあと2年しかない。

 これまで多数の現場アサインされてきたけど、もう全部がBANで終わった。自分が重度なコミュ障なのが大きい。

 精神科で発達か診断受けたけど綺麗な八角形であなた正常です言われたよ。ようするに俺はただの普通の人である

設計書が書けない

 コミュ障すぎて日本語不自由から文章が書けない。インデントおかし句点読点がおかしいとかは自分でもわかるから訂正してるけど、

 文章の組み立て方がおかしいのか相手意図が伝わらないことが多い。プロパーとか同僚とかすごい読みやすくて日本語文章書くんですよ。

 NTT案件プログラミングの前に基本設計詳細設計書いてください言われて、書けなかった。プログラミング始められなかった。2週間でBAN。

会話ができない

 上司質問とか突然されて頭の中が真っ白になって即座に回答できない。

 同僚とかからすごい勢いで拒絶されるんですよ。俺からしかけても相手迷惑がってるのが顔から読み取れる。

 いざ会話が始まっても、相手から聞きだしたいこと聞きだせず会話が終了するなんてこと日常茶飯事。結果要件聞き取れず頓珍漢なものが出来上がり無駄時間けが過ぎていく。

 上司に「普通じゃない人はお断りです」言われて2週間でBAN。

スクラム開発は拷問

 営業に「次はプロトタイピング案件だよ」言われてwktkしながら派遣先行ったらスクラム開発。

 念願のアジャイルじゃねえの設計書書かなくてええやんやったねたえちゃん!と思ったものスクラム開発はコミュ障には相当厳しかった。

 現場作業ついていけず、何をどうやって作業を進めていいのか分からないのに、週一に一回発表会みたいなのある。週一で業務感想戦を強いられる。言うことなんもねーよ

 上司に「あなた回りに溶け込めてないので今日で終わりです」言われて4週間でBAN。

プログラミングが出来ない

 33歳にもなってC#VB.NETしか知らない。LinqからいからFor文やForEachでカバーオブジェクト指向からいかNUnitデザインパターンも分からない。もといNUnit使ってる現場参画したこと1回しかいから正しい運用がわからない。

 そろそろ新しい技術学習しないといけないんだよなーと思うものの、何を勉強したら良いのか分からない。今までの経験から、どんなに技術身に着けてもコミュ能力無ければBANじゃないですか。技術身に着ける意味あるんですか。

コミュ障障害だと思う

 コミュ能力ある健常なプログラマは、勉強会出たりライトニングトークやったりで似た優秀な技術者と技術的な話を交換したりしてる。んで得た技術身に着けて更なる高みを。

 コミュ障はそういうイベントには参加できない。会話自体無理だからね。コミュ障と健常者はそういう所で差が出てくる。超えられない差というか。

 よくネットとかでコミュ障だけど克服しましたみたいな文章書いてる人いるけど、真のコミュ障日本語不自由から文章書けません。ブログ書けません。ネトゲも会話出来ないのでフレンド作れません。全然コミュ障じゃないのにコミュ障名乗ってるファッションコミュ障が世の中多すぎる。

 俺はこれから人生どこに進んだらよいかからいから、似たような人探してみたものの見つからずじまい。真のコミュ障SNSなんてやっていなかった。学生時代俺以外にもコミュ障っぽい人複数いたけど俺含め彼ら相互で全く交流なかったな。コミュ障はどの環境でもボッチだ。

 じゃあコミュ障を導いていくれるメンター的な存在を探してみたものの、見つかるのは奴隷商人ばかりで関わったらアウトみたいなオーラを醸し出している。

 

 自分コミュ障過ぎて打てる手が何もない。転職しようにも自分にできそうなことが何一つ思い浮かばない。どんな仕事だって人間との会話は必要。会話要らない仕事なんてこの世にない。

 新規案件アサインできなくなる35歳まであと2年。

レスポンス

 一晩明けました。レスポンスたくさんついたの初めてです。

 以下ブクマにご返答致します。

レベルの高い現場ばっかり行ってない?例えば学歴高いとか。ガチ仕様書描くところの仕様書ってクソ難解だよね。作るのも読み込むのも無理で頭おかしくなる。どうなってんだ?と思ったら書いてる人が東大卒だった。

私は底辺高→専門卒で低学歴です。派遣先の同僚みんな大卒頭脳明晰で羨ましいです。大学卒論とかあって文章書く能力無いと卒業自体出来ないか自然と淘汰されますね。文章書けない大卒の方見たことないです。

>この文は普通に読めますし、「迷惑がってるのが顔から読み取れる。」ならコミュ障とは少し違う気がします(適当意見ですが……)。

私は見た目がブラクラで見る者を不安に陥れる面なので、あんまり直視したくないのだと思います

>この文章問題無いので見たことのないパターンだ。逆に専門職として得意なことは何なんだろう。

今はRPAをやっています。やってて思ったのが「ちょっとした環境変更で動かなくなるマクロスクリプト作ってるだけじゃん」で、これ時限爆弾量産してるだけじゃないのと。ただ作っててこれ技術的にぬるい部分も、でもここ抜けたら次がねえよな、BANされた後の次の案件見つかるのか、という疑問も。なので死ぬ気でしがみ付かなければなりません。

>これは言語表現能力問題ではない。技術知識経験が不足していることが元凶で、相手の話について行けてないだけ。

かに技術不足の点もあります営業が見つけてくる案件がほぼ全部レベル高すぎ案件ばかりなのが原因なのかもしれません。少し簡単な所行きたいという気持ちもあり。営業相談してみます

2019-08-06

anond:20190806034548

ちょっと感覚が合わないみたいなので最後にして寝ますが、

・娘の彼氏へ警戒しているか問題ではない

・なぜなら、娘に彼氏男性に警戒するように促すために、「お前はブスだから」というのはなんら合理性がない。極論、「お前は可愛いから男性が下心で近づいてくるぞ、気をつけろ」でもいい。

・現に、娘は親からブスと言われることを気にしている、傷ついている。不要言語表現に実害がある

上記常態化しており、親はそれに気づけない、心理的には病的な状態

親がブスという言葉を使うことについて、娘が心配だとか云々、だからなんなのか。

anond:20190806032247

仰る様な戒めでブスと言ってるんだとしても、私の結論はあまり変わらず、「その目的でブスという言葉を使う様な親の言うことは無視した方がいい」です。現に本人はその言葉に傷つけられていて、それに親は気づけないわけですから。戒めるにも、もっとまともで普通言葉があります。親の発話の目的(戒めるたいのか貶したいのか)は論点じゃなく、言語表現、傷つけたと言う結果、それを引き起こしている親の心理や親子関係重要です。

この人が自己否定的じゃないというのは賛成で、自分容姿はそこまで悪いとは思っていない、彼氏もそう言ってくれている、ただ親はいちいち否定してきて鬱陶しい、という問題

2019-02-21

anond:20190221020719

上手く言えんけど、気に食わない

って言いたい時の表現から仕方ない。

そしてそれはそいつが悪いのではなく、世界にそれに相当する言語表現存在しないのが問題なのだ

知らんけど。

2019-01-28

大坂なおみ言語表現

俺は田舎に住んでるから頻度は少ないのかもしれないけれど、

もう、日本語英語か、あるいは他の言語か、みたいな解りやす腑分けじゃなくてもいいのかもい知らないと思った。

ちゃんぽんで話すし、ちゃんぽんちゃんぽんと思わない人も出てくることだろう。

スキー場リフトとかでたまたま一緒になった外国人と「適当」なちゃんぽん言語で会話するような、そんな社会が来るんだろう。

もちろん日本語の変化や固有性の経過は記録されていくべきだけど、もっとマージナルな世の中になっていく。

もう都会とか日本人観光客の多いところではなっているのかもしれないけれども。

2019-01-12

anond:20190112093839

昨今、ケータイ小説から始まって、ネット文体ラノベ文体やなろう系がかなり日本語シンプルアップデートするべく頑張っている

ここは全然からないな。むしろその逆でネット文体ラノベなろう文体こそ文末表現等の多彩さや新語造語が見られるし、どんどん新しくなってどんどん陳腐になって入れ替わっている。その場そのときしか通用しない独特の詩的な表現というのも当然無限に作られる。

シンプルで簡潔で正確な伝達に適した客観的文体というのは、論文に使うような文体あるいはテクニカルライティング意識した文体のようなもののことだろう。

ネット文体ラノベなろう文体使用難易度が低い(音節が短い、極端に省略される、内容が幼稚)という意味一見シンプルに見えても、表現の多彩さという意味では今までの言語変化よりも(ネットでの共有が圧倒的に速いので)もっと急激で爆発的な変化、進化を含んでいて、むしろシンプルではなくかなり技巧的で一般日本語話者全体に定着させるのは難しいはず。

簡潔で曖昧性を克服し、正確な伝達を望むなら小説や詩などの文学的形式から距離を取るべきで、論文マニュアルなどといった形式にならうべき。ラノベ文体(やそれに影響を受けたネット文体)といっても文学である以上詩の領分にあるし、詩は物事を一対一にシンプル表現するものではない。

というか逆に「死ねばいい」を英訳するにしても何通りでもパターンは作れるし、そんなのは翻訳の不確定性の問題にすぎない。別に日本語問題ではない。

ネット文体ラノベなろう文体日本語シンプルにする機能を期待しているならそれはまったく間違っていると思う。むしろこれからも幼稚ながらも複雑性を助長していくし、そのアドホック表現や未知の言語変化や表現の多彩さ珍奇さこそが言語表現による娯楽なのだし。

2018-11-11

anond:20181111232616

言語表現を楽しめるのは小説だけだし小説に慣れると自分経験言語表現できるようになる。

2018-09-03

「これは水です」を読んで考えたこと → まるで水のように。

話題になっていた標題記事を読みました。いろいろと考えました。

内容そのもののこともそうだけど、訳がやっぱこなれていないのなかなぁと。

たとえば、私だったら、下の本文の原案の訳は、次のように考えます

”The capital-T Truth is about life before death. It is about making it to thirty, or maybe fifty, without wanting to shoot yourself in the head. It is about simple awareness-awareness of what is so real and essential, so hidden in plain sight all around us, that we have to keep reminding ourselves, over and over: "This is water, this is water."

 真実、といっても、普通真実じゃなくて、カッコづきにしたいくらい別格の『真実』ですね。

 その『真実』とは、死を迎える前の「生」、つまり皆さんが生きている日々のことです。

 自死、つまり自殺などしたいと思わず、30歳、人によっては50歳くらいまで、何とか生きていくこと。

 これは、ただひたすら「意識して、意識を高くもつこと」。

 何が本当にリアルで、大切なのか、私たち視野に入っていて、そのままの中に溶け込んでいるいることに対して。

 そして、私たちが何度も、何度も、自分自身に対して注意を向けなければならないことなのです。

 まるで、水のように。

 魚にとっての、水のように。と。

 =====

 訳したとき考えたこ

 ・”Tを大文字にした真実”は、つまり”平たい真実ではない”ってことと解釈

 ・make it to 30 or maybe 50を読んだとき「生き延びる」に近いニュアンスに感じたのと、この場合maybeは、「場合によっては」のニュアンスかなと。

 ・アメリカとかだと銃が蔓延しているので、shoot oneself in headはなじみ深いけど、字義通り訳すと日本スピーチではあんまなさそう。と思って、平たい自殺に。

 ・It is about~から始まる、重要だけど、やや長いところは、文法的にがちがちに解釈せず、あえて切り分けた。

  これは文字として読ませた文章ではない。なので、あるメッセージ連続してつなげてお話しているイメージでとらえたので、

  むしろ一つ一つが独立した区切りで実際はスピーチしてそうだな、と考えた結果。

 ・awareness-awarenessの訳に「意識高い」って言葉を使うのは結構悩んだけど、「意識もつ」という平たい表現で「意識して意識もつ」とすると

  なんだかまた違うニュアンスになってしまうので。

  日本で「意識高い系」なんて言葉が生まれたのが良くないねーなどと考えましたが、そこに翻訳に際して文化的側面が影響を与える興味深い事象などと思ったり。

 ・hiddenの訳を最初「潜む」って訳しましたが、「見えてるけど実は意識しないと見えないもの」だとしたら「溶け込む」っていう表現ありかな、などと。

 ・This is water。この訳は、いろいろとできそうですね。私が文面から感じたニュアンスは、訳のとおり。

 =====

 別に翻訳家でもないけど、言語表現についてはいろんな局面で考えることがあって。

 「これは水です」の中身はとってもしみじみと感じ入ることができたわけですが、

 ブコメ読むと、そもそも日本表現になじんでないことが障壁となって、理解が得られていないのかな、などと考えたので。

2018-08-09

エモいとは感情というベクトルの大きさだけを抜き出す表現

エモい」は、「趣深い」とか、「情緒ある」の謂いなのかな?

僕は「心揺さぶられるけど、うまく形容し難い体験やモノに接したとき気持ち」だと思っていたけど。

感情ベクトルのようなものだと考えたとき、その「向き」はどうあれ、「大きさ」が大きいことを示す表現っていうか。違うかな?

から、平易に言い換えるとしたら、「心揺さぶられる(=エモーショナル)」なんだと思うんだけど、

ベクトルの大きさだけを示すシンプル言語表現って新しくていいじゃない。

ベクトルの「向き」を言葉で正しく伝えられるように、ちゃん感情因数分解して正しく表現できるようになろうね、という批判ならわかる。

でもその時の言い換える言葉は、「趣深い」とか「情緒ある」ではないと思う。

2018-07-26

anond:20180726222811

スマホというデバイスによって、言語表現のものが変わってゆくのは当然ですよね。

明治時代日本語、難しいよね読めるけど。でも、神皇正統記、まず読めないし。

2017-12-28

無くすべきことわざ

ことわざは昔から言い伝えられているものであり、普通言葉より説得力を持たせられる。

いわば言語表現テクニックと言える。

しかしそれがマウンティングのために使われているものも多い。

これらはすべて無くすべき。

以下、その例。

そもそもことわざなんてものは無くすべきだ。

2017-10-26

読まず嫌いの僕が、小説もっと読みたいと思った理由

これまで小説を読むのはかったるいと思ってきた。

なぜなら、文字を読みとって、意味理解して、情景を思い浮かべて…労力と時間がかかる。その作品がすでに映画化れいるのなら、小説などわざわざ読まなくとも映画を鑑賞すれば済む話だと思っていた。文字映像に変換しなくても、すでに映像になっていて、2時間も座っていれば始めから終わりまで内容を理解することができるからだ。それに比べて小説は、読み始めて1時間もすると目や首や肩が疲れてくる。しかも数十ページしか進んでいなくて、結局読み切るのに何日もかかってしまう。だから小説ほとんど読んだことがなかった。

しかし、最近まとまった時間ができて、たまたま小説を読む機会があって気づいた。小説には小説の良さがあると。それは、思考感覚言語化する能力が養われるということだ。

ここで小池一夫氏のツイートを紹介したい。〝人間言葉思考する。だから、年を重ねたアイドルを見て「劣化」とか、精神が弱った人を「メンヘラ」だとか、一線から外れた人を「オワコン」などという言葉が頭に浮かんだら、自分思考は汚い言葉に毒されている、負けていると思った方がいい。劣化しているのは自分。(小池一夫)〟これは思考の質は、語彙の質や量によって左右されるということだろう。

また、自分の感じた感覚他者に正確に理解してほしい時、やはり語彙や言語表現重要になってくる。例えば「ヤバい」という言葉で様々な感覚表現する人がいるが、それだけでは「かわいい」のか「かっこいい」のか正確には伝わらない。さらに「かわいい」でも「愛くるしい」のか「可憐」か、微妙感覚が異なる。貧弱な語彙力では、自分感覚を正確に伝えることはできないのだ。

言語能力は、思考力や表現力につながり、ひいては、他者との理解、そしてより良い人間関係の構築に繋がる。言語能力は、映像作品では決して養うことができない。これからもっともっと小説を読もうと思った。

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