言葉としての正誤はさておき
若くありたい、見られたい、という願望を反映したり押し付けたりしているのは、ある程度確かだろう
でも私の感覚としてはその他に、「女性」というと生殖を含むジェンダー的な意味合いが強すぎる、というのもある
その点、「女子」だともう少しジェンダーロールから自由というか
「女子会」や「○○女子」みたいな言葉の中には、男性と対になる存在としての女性、という枠から外れて
http://anond.hatelabo.jp/20170325072453
今までの数年間が嘘だったみたいに今はイエーーーーーーーーイ
ひたすらイエーーーーーーーーイ
生きてることがもう最高に幸せ
なんなんだろう
この急激な心境や環境の変化は
イエーーーーーーーーイ
イエーーーーーーーーイ
イエーーーーーーーーイ
私には入手できなかった。今回の放出分、32510台
は完売したそうだ。今後の発売予定分もすでに予約
で完売という。
けている。
して認識されている。
なものに目に映るようだ。
ッチには、筐体を形作る樹脂の手触りや質感、色、
端子の鈍い輝き、そして何と言っても機種による様
々なクリック感。
思っている。
くの種類を所有できるのもいい。
る私の多くのコレクションのうち、気分で選んだお
そしてその単調な変わらないリズムに合わせ、スイ
午後は、そうした至福の時間を得て過ぎた。
昭和初期に急に現れたらしい。
るいはコレクションの展示会、交換会などが行われ
ていたようだ。
きくは、なかったようである。
るのでスイッチとは言わないが、このころではすで
広く存在している。
ている。
日も快進のようだ。
2発発射された。
による記者会見を写している。
一度外れた箍を再び同じにはめることが難しいこと
号に目を移す。
して行っているという話もある。
るであろう。
としかその時は考えなかった。
る。
そして私以外の多くの蒐集家の手にも、押されるの
を待つスイッチが数多く、あるのだろう。
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
って声に出して言いたくなる
ネット民って精神科医・カウンセラー・警察・弁護士に対して信頼が厚すぎないか?
今日も同人誌のキチガイのまとめで、警察行きましょう!とレスされるけど警察は何かトラブルあってもそんなに簡単には動いてくれない。特にネットでの被害については難しい。
ここ何年か自業自得と不運を重ねていろいろなところに相談したり診察してもらったりしたけど、期待通りにはなかなか行かなかった。
自転車が道路を走る事により、まず車・オートバイが不幸になる。
こんな道路の汚物をエコだ何だかんだと屁理屈つけて走らせる方法は、当人達の幸せなんだろうか。
周りの大人が勝手に『健全』と勘違いしているだけなのに、こんな不幸な必要悪的なやり方、間違っている。
http://www.katsuolog.com/entry/ossan-sigoto-dekinai
だってさ。
多分、ここを見ている人の中でも40代独身は居るだろう?俺もそうだが、こんな糞ガキにdisられる筋合いは無い。
人の命にかかわる業務に従事しているが、俺が辞めたら業務は多分崩壊する。仕事に対する思い入れはあまり無いが、少なくとも、同年代の既婚者より劣っているとは感じないなあ。このガキは何を基準に独身中年をdisっているんだろうな。
自転車と言うのは、公共交通も利用できない貧乏人。社会の底辺の乗り物です。
それが何ですか?エコだと屁理屈つけて中流も富裕層も乗ってくれだと?
外国(特にアジア)を見てください。交通手段で自転車使う中流はどんだけいますか?富裕層は?
公共交通や車を持つと言うのは自身の地位の区別をつけるものです。
たまにフーセンガムになる
お前、すっげえいい奴だな
今までひたすら顔がタイプの女性と付き合ってきた。いわゆる面食いで、いつもモデルみたいな女を連れてた。でもやめた。今、生理的に無理な範囲じゃないくらいの、あまり顔の良くない彼女と付き合っていて非常に幸せである。
正直、生理的に無理じゃないくらいなので、特に欲情もしない。今までだと、何かいざこざがあっても「あーかわいいから許す。とりあえずえっちしよ」みたいな解決策に陥りがちだった。その手段に行かない。つまりは、本能ではなく、日々性格一本勝負で一緒にいたいのかを考える。本能に甘えないので、理性的になる。
穏やかな適度な不細工なので、男からの評判は悪い(写真を見せたときの反応でわかる)が、子ども、女性、おっさん、老人受けが最高に良い。払っても寄ってくる敵が減り、味方が増える。親、同僚、上司などなどに紹介するときも、敵対感や妙なポジション争いがない。周りに気を使わなくて良くて、楽だ。
ある程度太っているので、やわらかい。すごくやわらかい。膝上に転がり込むと、クソ部下のせいで荒んだ心が癒される。俺がご飯を作ると、とても喜ぶので、たくさんご飯を作ってあげたくなる。そして、今日も俺はつい俺が食えない量の副菜をたくさん作り、彼女はそれを平らげてしまう。餌付けが楽しい。
この人とは一緒にいたい。ずっと一緒にいたい。お互いあんまりドキドキはしないけど。ま、いっか。毎日ドキドキしてても大変だし。
5人くらいで集団ストーカーすればそう思わせられるだろ
春コミで買った同人誌のいくつかがハズレだった。
10冊買って10冊全部が最高だなんてことはありえないと思っている。
言っちゃ悪いがプロでもなんでもない素人の創作物だ。そういうこともある。というか、そういう事の方が多い。
それを500円、1000円、あるいはもっとの金額を出して買うことを選んだのは自分自身であることもわかっている。
それでも500円あったら安いランチが食べられるし、1000円あったらいろいろできる。
金を払っているんだから私を楽しませろ、とは言わない。同人誌は個人の嗜好の発表会である。
描き手が妄想をかたちにしたものを、買い専の私は金を払って見せてもらっている立場なのだ。
しかし一方で、せっかく金を払ってるのだからその分は楽しみたいと思っている。
今回ハズレだった本は
・表紙こそ好みの絵柄であったが本文はそうでもなかった
・どういう話なのかよくわからなかった
といった具合である。
これをどうやって金額分の元を取るかといえば「よかった探し」をする。
・本文はそうでもなかった=表紙は好みだった
・オチが気に入らない=その直前まではよかった
このように考えるけれど、ネチネチした性格の私は「とかなんとか言ってもハズレはハズレ」という思考は残っている。
その思考をねじ伏せるくらい「ここがよかった」というポイントを羅列していく。
しかし言うほどぽんぽんと出てくるわけがない。出てくるくらい良い本ならそもそもハズレとは言わない。
それでもひねり出すためにどうするかというと、感想を書くのである。
最近は本の奥付に感想用フォームのQRコードを載せているサークルがある。
当然だが「お前の新刊買ったけど表紙に比べて本文が下手!表紙詐欺!」などという内容ではない。
「会場で思わず手に取ってしまうほど素敵な表紙でした!」と書く(この感想がいい感想かどうかは別だ)。
とにかく気に食わない点以外は全部褒める。
絵が好み。線が綺麗。話が上手い。描写が丁寧。タイトル付けが巧み。カラーの色使いが素敵。
ネタがなければ装丁を褒める。PPがかわいい、特殊紙がキャラにぴったり、本文色インクが話の雰囲気にマッチしている、とか。
とにかくほめる。ほめちぎる。目についた要素を全部ほめる。
もちろん自分に嘘はつきたくないので、絵が気に食わないのに「好みの絵柄です!」とは書かない。
感想を書くために目を皿にして長所を探し、実際に文字に起こし、誤字や失礼な言い回しがないかチェックする。
そうすると自分の中で「あれ、この本ハズレじゃなくね?アタリじゃね?」と思えてくる。
時間をかけて感想を書き、送信ボタンを押す頃には、ハズレの本はハズレでなくなっている、ことがある。
最近はTwitterアカウントも奥付に載っているので、鍵付でなければ感想を送ったあとでアカウントを覗きに行く。
すると「感想をもらえた!嬉しい!」とツイートしていることがある。
それを見て「私のようなネチネチした人間が送ったとも知らないで…」とニヤニヤしている。