二次元美少女はブスやムダ毛などの外見上の欠点が無いし、老化しない。
現実の女は、当然外見的な欠点があるし、どんな美人でも老化から逃れることはできない。
あとはやっぱりメンタル面ですね。
フィクションの女性キャラクターはいつも明るく素直で優しくて元気、人によって態度を変える差別をしたりしないけど、
現実の女は「いつも」明るく居るのは難しいし、好きな人か嫌いな人かで態度が変わったりする。
「男性から見た性格の良さ」って意味では、どう頑張っても勝てないし、勝とうという気力も起こらない。
というよりXVIDEOSみたいな「無料エロ動画プラットフォーム」かな。
新しい裸がワンクリックで次々と観られるなんて、現実と比べて、コンテンツとしての力が強すぎる。
AV女優の容姿のレベルも上がっているし、私だったら絶対に応じないような不快なプレイにも、
私よりずっと若い美人さんが果敢に、けなげにチャレンジしている。
それにこれから、4K8Kの動画が出てくるんでしょう?撮影技術や女優さんの質も、まだまだ上がってくんでしょう?
エロ動画は男性にとって完璧に都合がいい。太刀打ちできるわけない。試合放棄。お手上げです。
元彼とはセックスする仲だったけど、全く気持ちよくなかった。
元彼は私と付き合う前から非童貞だったし、コミュ障でもないし、クンニまでしてくれるような人だったので、
それに男性でも、本音を言うとセックスよりオナニーの方が気持ちいいという人が多いようだし、
「リスクがある上に気持ちよくも無いので不要」という感覚の人は男女共に増えるんじゃないかと思ってる。
「なんで男って察してくれないの!女の気持ち分かってくれないの!」と怒っている若い子も居るけど、
脳が違うんだから、怒ったって無駄じゃないかなと思うし、ストレスが貯まるだけだと思う。
だいたい私も「男の夢をかなえろ」とか言って顔面射精を求められても絶対にお断りだし、
逆の立場でも、現実の男に自分の願望を押し付けるなんてしたくない。
「コンテンツ」と「生きた人間」は根本的に違うと思ってるし、他人の人格は出来る限り尊重したいよ。
人は家族をつくり子供を持たないと幸せになれないという考えが根強いけど、ピンと来ない。
育った環境の違う他人と同居して負担に感じるよりは、一定の距離感を保って広く浅く付き合ったほうが快適な気がする。
女性の先輩が、息子に熱心に幼児教育しているのを見ていても「こんな歳からグローバル教育とかしていないと、
この子たちが大人になる頃、自力で生活していくなんて無理なんだろうな」と思う。
そして凡庸な母親のDNAと手抜き教育を受けた子供は、大人になって苦労すると思う。
だったらもう、要らないやという感じ。子供に可哀想な思いをさせるくらいなら、私が孤独な方がましだし。
図書館に行ったり、DVDを借りたり、YouTubeで音楽を聴いたり、同僚とランイベントやリアル脱出ゲームに参加したり、
美術展に行ったり、旅行をしたり、娯楽の選択肢が本当にたくさんある。しかもお金もそんなにかからない。
シンプルライフ的なものにも憧れがあって、母親と一緒にインテリア雑誌を読んだりして。父親とスキーに行ったりもする。
(父親はバブル世代なのでスキーに行きたがる。同年代にウィンタースポーツはあまり人気がない)
男性向けにもゲームとかスポーツとか、インドアなものを含めても、いろんな娯楽があると思う。女性向けより幅広く、深いくらいなんじゃないかな。
そういったものに没頭していたら、異性に割く時間が無くなってしまっても仕方がないと思う。
私は元彼に会うたびに仕事の愚痴を言われて、仕事が終わったあとの自由な時間が削られている…という感覚がすごくあった。
男友達からも、元カノには電話で八つ当たりされたり愚痴られたりして、面倒だったと聞いた。
恋愛体質の人って、とても愚痴っぽい傾向がある気がする。しかも恋人に負荷をかけてる自覚があんまりない。
「恋人なんだから、困っているとき支えるのは当然」みたいな意識というか。
上手く行っている「支えあい」の関係って、あまり見たことがなくて、たいていはどっちかが延々と聞き役になってる。
私は「支える」「救う」みたいな要素の無い、淡白な人間関係の方が合っていると感じるので、恋愛は向いていないんだと思う。
独身・子無しでオッケーって主張すると、両親や自分の介護が必要になった時どうするんだって言う人が居るけど、
私の場合は、両親は有料老人ホームに入れるくらいの貯蓄があるし、私も自分の分は賄えるようにと貯金してるよ。
それに、介護問題って結婚して解決するようなものなの?女の立場だと、結婚によって親が4人になって、負荷は増えるよ。
自分の介護を子供にしてもらうっていう考え方にも賛同できないな。そんな風に育てられる子供が可哀想。
声を大にして言いたいけど、いう場所が無かったからここに書く。
みんな、糸ようじ使ったほうがいいよ。
昔は糸ようじという物が苦手だった。
ケースから適量を取り出して、切って使うやつ。
いまいち使いづらいし、手が大きいから奥歯の方が磨きづらくて仕方なかったし。
これがすこぶる便利。
パチンコみたいな形をしていて柄が付いてるから、両手を使う必要が無い。
効果も抜群。
歯磨きにはそれなりに気を使ってきたのに。
少し前にジェットウォッシャーが持て囃されてたけど、
このY型糸ようじがあれば十分なんじゃないかと思える。
今後もずっと使い続けていくだろう。
http://seana.hatenablog.com/entry/2015/02/05/230648
アイドルの曲は、アイドルが歌うことに意味があるということに気づけただけでも、ジャニーズを好きになってよかったなと改めて思います。
アイドルファンのみんながみんなそうというわけじゃないよ、という話も。
そもそも「音楽とはその演者の主張である」という基準自体が、常に正しいとは限らない。
何の主張も、意思も、意見も、欲求も何もなく、音楽はただ音としてあるだけでも許されるはずだ。
それは、西洋哲学の古典の文脈で、「世界には何らかの真理があるはずだ」とされてきた価値観に似ているかもしれない。
これはおそらく、人間のコミュニケーションの手段、あるいは記録・伝達の手段の発達に関係していると言えそうだ。
音楽を伝える手段は、口伝から楽譜、レコードからCD、デジタルデータへと発展してきた。
一番最初は「自分たちの音楽をいかに奏でるか」から始まったし、実際にそういう手段や発想しかなかったわけだが、
文明の発達によって「楽器を弾かなくても音楽が作れる」、「発表した数分後には世界中の誰でも聴くことができる」ようになり、
音楽のありようは大きく変わってきた。
つまりシニフィエを持たず、純粋にシニフィアンとして存在しうるものに変わってきた。
音楽を奏でる上で、その主体が自分の顔や外見を聴衆の前に晒し、
その言葉が本人の主張であると常に解釈されなければいけない時代は終わったということだ。
人間、あるいは自己の「表現」としての「音楽」には限界がある。
そもそも「音楽」と「自己」とは関係なく存在しあってもいいものであるはずだ。
「自分たちの音楽とは、自分たちの表現だ」という自己規定は、そのうちに必ず自家中毒を引き起こす。
いわゆるアイドル戦国時代と言われたところから、近年のヒットチャートをアイドルが占拠するようになったこの音楽のあり方は、
何も正当性がないただの「衰退」や「退廃」とは異なる、文化としての次のステップの意味を示している。
「音楽」と「自己」、あるいは「音楽」と「意味」の離別は、音楽そのものの純粋さをより推し進めるものともとれる。
たとえばそれは、女性キャラしか登場しなくなったアニメや、10代の若者が世界を救うジュヴナイル作品とも近いもしれない。
その「音楽」をより純粋な形で届ける上で、最適な手段を探した結果、それが「アイドルだった」としても実は不思議なことではないのだ。
ポップスという大衆音楽には、その音楽性やジャンル自体の制限はない。
あらゆる音楽性はポップスに含まれうるが、しかし外見や表現を含めてもそうだといえるだろうか?
ダンスミュージック、ディスコ、あるいはプログレ、ハードロック、メタル、
これらはそのファッション、スタイルと相まって存在していた音楽、文化だ。
ヒップホップの音楽性には、ヒップホップのファッションが必要で、ヒップホップなアティチュードが求められる。
一人の人間、あるいはバンドでこの様々な音楽性の表現は一貫して行うことができるだろうか?答えは「No」だ。
なぜなら自己の表現として音楽が存在すると仮定した場合、多種多様な音楽を奏でることはそのまま分裂症的に解釈されてしまうのがオチだからで、
純粋な音楽の表現において、多種多様な音楽をできるだけピュアな形で届けるには、アニメやアイドルといった、
何の主張も持たない、時にはフィクショナルな存在の方が向いているということは起こりうるのだ。
彼ら、彼女たちと、そこで歌われる、奏でられる音楽は、本当の意味で結びついてはいない。
しかしながら、いや、だからこそ、その音楽は純粋に存在しているし、鳴っているのだ。
ともすれば、その歌詞が支離滅裂で意味を持たなかったとしても、
ナンセンスであるほどにその身体性、サウンドとしての純度は高まるかもしれない。
ひと昔前であれば、優れた40代50代の音楽家が表現しうる音楽の手法、伝える手段は、より限られたものだったろう。
今は、アニメ、アイドル、ボーカロイド…。様々な手段によって、自己の肉体や外見とは関係なく、純粋に音楽を表現できる時代になったのだ。
失敗した奴、不幸な目にあった奴を「自分たちとは関係ない」ケガレであるとして切り捨てることで、精神的な安定を図ろうという。
「自己責任論」なんて言葉があるからあたかもんどこかに責任が関係してくるように見えるけど、本質的には責任とは何の関係もない。
強いて言うなら、責任は「自己」だけに完結させておいて、こちら側である「社会」に責任を求めるな、という意思表示があるくらい。
だが彼らは、再び大規模に再組織化し、武装化を進め、
再建する機会を伺っているだけに過ぎないのであった。
勿論、それはただの妄想に過ぎないと思われていた――
◆◆◆
アラブ諸国における情勢を瞬く間に激変させていった。
だが彼らは軍や官僚による抵抗により、追い出される。
その間に統治能力を示せなかったのは内在的な失敗だ。
一方で、外在的制約が彼らを許さなかった側面もある。
「革命」とは、実際には、ただの「反乱」に過ぎない。
これこそ正に、過激派が長年求めていた状況であった。
かつてのアフガニスタンのような聖域が目前にあった。
◆◆◆
平凡な物事をどう書くか、それこそ物書きの力量が試されるだろ。
確かにキレれば思い通りになる家族、突き放せば縋り付く恋人、人質を取られたら身代金を払う先進国がそれを繰り返させるんだろうけど。
でも冷静に言ってもわかってもらえない時はキレてしまうな。
ポエム書いてる暇があるんだったら、さっさと次いけ次。
先日はてなブログにアクセスしようとしたら自分のブログが見られませんでした。
なんと事前通達もなく、はてなに事実上垢BANされたみたいなのです。
どうやらこれが原因だと思われます。
だけど、ヨドバシ.comで商品買ってこんな商品が届いたら誰だって文句の一つも言いたいと思います。
パッケージはホコリまみれ。
未開封確認シールは見ての通りの状態で、本体にも汚れがあり明らかに開封した節があった。
こんな商品をどうどうと新品と言って送ってきてムカつかない訳がないと思えるのですがね。
はてな利用規約の禁止事項に「名誉毀損行為、侮辱行為や他者の業務妨害となる行為」とあるが、これは業務妨害にあたるのでしょうか?
特定企業に不利益な発言かもしれないが、私は事実を述べただけで虚偽の記載はしていないし、過激な発言もしていない。
「インターネットで生活を豊かにしたい、技術によって人類の進歩に貢献したい」と掲げる「はてな」がどのような経緯でこのような判断を下したのかは分かりませんが、インターネットという存在がもっと中立的なものであって欲しいです。
思うにこういう女(男も含む)は下手に自分が優秀だと勘違いしているため
そして根底には子供を育てる普通の専業主婦に対する異様な見下しがあるため
自分が子供を育てるのに苦労していることが耐えられないんだろうな
それをなんとか正当化するためにダンナがかえってこないだとか所々の苦境を
大げさに盛り込んで、涙涙の苦労話にし、そのヒロインを演じないとダメなんだろう
哀れといえば哀れだ
若者のセックス離れが進んでおり、特に男性では性交経験率が50%を突破する年齢が29歳と高齢化しており、
また、セックス自体に興味がないまたは嫌悪感をしめしている層が18%と過去最高で、年齢が低くなるほどにこの傾向は顕著になるらしい。・・・(1)
上記のようなデータを持ってして、若者のセックス離れが進んでいるとして、その原因もいろいろと考察されている。
まず1つ目の要因として経済的な問題が挙げられている。平均的には若者は貧困化して、さらに労働時間が長くなり、
男女交際や性行為の時間がとれなくなっているという説であり、一定の妥当性があると考えられる。
さらに、もうひとつの主要な説として心理面の変化が挙げられている。異性との関わりを面倒と考えたり、
異性とのコミュニケーションを難しいとする層が増加したとする説である。
経済的な問題はとりあえず置いておくとして、なぜセックスや異性関係を面倒または興味ないとする心理面の変化が起きたのだろうか??
(2) 高品質で他種多様な性コンテンツを容易に見られるようになった説 (オナニーで充足している説)
が二大要因として上がっていたと思う。
ここから、ようやく主論なのだが、男性のセックス離れは性の"絶食"ではなく、性の"孤食"化なのではないだろうか。
統計が古くなって申し訳ないのだが、2005年のDurex Global Sex Surveyという統計によると、日本人の性交頻度は世界で最も少ないが、
20歳から~69歳 (幅広い・・・) の成人男性の射精を伴うオナニーの回数は性交回数の3倍ほどになり、
射精回数という視点で見ると、他国とそう変わらない水準になるようである。・・・(2)
次におそらく現時点でかなり信頼できるセックスやオナニーの統計として、サガミゴムによるニッポンのセックス (2013年)
を見ると、20代男性のセックス回数 (月) は4.4回なのに対してオナニー回数 (月)は11.1と、同様にオナニー回数の多さを示唆している。・・・(3)
20代男性のオナニー回数が月当たり11.1回ってかなり少なくね?と筆者が思ったのはまぁどうでもいいとして、20代になっても
性的欲求を異性とのセックスではなく、オナニーによって満たしている傾向がうかがえると思う。
日本人男性からはある程度精子が放たれており、それらの精子はティッシュペーパーやオナホールなどの中でその生を終えることになるのだが、
これは性の孤食化と呼ぶのがいいと思う。(性の孤食化はどなた様かが使用していた用語であり、まさにこの通りであろう)
性の孤食化が進んでいると仮定すると、それはオナニーの高品質化?が進んでいるからではないのだろうか
FC2動画やxvideos で非常に素晴らしいエロ動画を無料で簡単に見ることができ、
また、二次元方面でも、本邦が誇る? HENTAI anime,doujinshi,manga 等を多少の検索スキルがあれば無料で見ることができる。
三次元、二次元のオカズ共に高品質化が著しく、筆者も金を払わず見てしまって申し訳ありませんと思いつつ、日々それらの素晴らしい作品のお世話になっている。
オナホール (TENGAがはてなでは有名?) は低価格でありながら、質が良いものも多い。 (個人的には手がするよりもはるかに気持ち良く、またTENGAはいまいちだと思う)
オナニーの求道者たちによって、より気持ち良く (普通のオナニーよりも、はるかに多くのβエンドルフィンなどの脳内麻薬を作ろうという試み)、安全なオナニーの方法の開発も進んできた。
アナルオナニーや、催眠オナニーなどがその例であるが、昔なら存在自体知らないか、知ってもどう手を出せば分からなかったであろうが、
優れた教本や、親切な解説サイトの登場により、それらにも手を出しやすくなっている。もっとも、そこまで手を出すのは2014年現在でも少数であろうが。
オナニーの手段にはこの通り、様々なものがあり、一部のオナニーは得られる快感量 (脳内麻薬量)がセックスよりもはるかに大きく、
さらに、当然大量の脳内麻薬を放出するようなオナニーをしているようだと、日中は常時賢者モードに近くなり、異性との交際には向かない状態になる。
オナニーの項の解説に若干熱が入ってしまったが、男性の若者のセックス離れを語る上でオナニーの充実は欠くことができない視点であろう。
また、本文を書くにあたり、単なる印象論にならないように、日本人のオナニーに関する統計を探したのだが、あまり見つからず困った。
特に、性交渉経験のない20代男性のオナニー回数が多いという統計があれば、20代男性のセックス離れは性の孤食化によるものではあることを強く示唆するデータ
となるので、個人的な興味からも、日本人のオナニーに関する詳細な統計があればぜひ見たく知っている人がいらっしゃればぜひ教えて下さい。
また、統計等を実施することができる偉い人は、ぜひ信頼性が高く詳細なオナニーに関する統計を取って下さい!!
本当に20代男性の平均オナニー回数 (月) は11.1回なのか?とか、
実際のところ、二次元キャラでオナニーしている割合はどれくらいなのか?アナニー、催眠オナニー等にまで手を出している人の割合は?
など個人的にすごく気になる。
あああぁぁぁぁああぁぁぁっぁぁっぁぁぁっぁ、エネマグラのアナルオナニー気持ちいいよおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ、イク、イッちゃうのぉぉぉぉぉぉぉっぉぉぉ。
ああ、世界はこんなにも眩しく真っ白なんだ・・・・・とても心地いい・・・。
↑エネマグラのアナルオナニー+催眠オナニーの合わせ技で絶頂し、前後左右全てが分からなくなり、ただ眩しく真っ白な世界に包まれた筆者の様子 (おそらく異常な量の脳内麻薬が分泌されている)
参考文献等 統計の詳しい条件等はこちらを参照して下さい
(1)ヤフーニュース ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150205-00000012-mai-soci
(2)日本人のオナニー傾向について2005年のDurex Global Sex Surveyから語る医院のサイト ttp://www.life-cl.com/glossary/ni/Japanese-male-onanism.html
(3)相模ゴムのニッポンのセックスという統計 ttp://sagami-gomu.co.jp/project/nipponnosex/
自分の感情を相手に伝えたい、というのは普遍的な感情で、だから「俺は怒っているんだぞ!」というような強い感情は何としてでも伝えねばならないんですよ。
私はキレる人間ではないので、キレる人の精神構造が全く理解できないのですが、
理解できないものは、何がどうなっているのか?理解しようと頭が働いてしまうもの…。
どう考えても、キレる事にはメリットが無いので本当に意味が分から無い。
普段いる環境でキレるという場合ならば、尚更メリットはないし…。
で、今まではキレる人というのは、
単にストレスを我慢できなくて感情のままにぶちまけているのだろうと思っていた。
(つまり、後先を考えられず、感情のままにしか行動出来ない衝動的な人だと思っていた)
私も死ぬほどストレスが溜まったら爆発してしまう事はあったけど、それは余程の事であってコンスタントな性格ではない。
それで、どうやら感情を制御できない、というだけではない要素でキレている事が分かってきた。
つまり、キレることで相手を自分の都合の良いように動かそうとしている、というのが深層心理の根っこにあるんだな~と分かってきた。
状況を破壊する為にキレているわけではなく、(そこまで頭が回っていない場合もあるけど)
キレると相手が自分に合わせてくれて、状況が好転するだろうという願望を抱いて、わざとキレている。
で、これは、キレる事で相手をコントロールしてきた経験があるので、何度でも切れる癖がついてしまっているのだなと。
これまで、周囲が善良な人ばかりの環境であった場合、キレる事で相手が合わせてくれていたのだろう…。
しかし、善良ではない普通以下の人であれば、キレても自分には合わせてはくれないし、むしろ状況は自分にとって悪くなる一方になる。
切れてしまうと相手は自分の思うようには、ますます行動しなくなるし、それがキレない人の常識なんだよね。
キレる事がクセになっている人は、キレることで成功体験を積んできている周りに恵まれた人なのだろう…。
キレ無い人は、キレても成功した試しが無く、むしろ失敗してきた為、二度とキレてはいけないと心に誓った人なのだろうな。
もちろん、人からキレられて、それが連鎖して人に切れてしまう事もある。
だけど、人からキレられて連鎖して切れてしまう場合は一時的なもので、その人のコンスタントな性格ではない。
また、親に良くキレられた、と言う場合もあるかもしれないけど、
私の家族にキレ症の人間がいるので、同じ家族でもキレ症とキレ症ではない人間がいるということは、そのケースは考えられない。
キレ症の人は、理性のタガが少し弱い気がする。