はてなキーワード: 就職活動とは
産後の恨みは一生とかなんとかというポストが荒れているので、ここぞとばかりに自分の体験を投下する。何かの参考になれば(特に妻の出産を控える夫よ)と思いつつ、実際は自己顕示欲を満たしたいだけなので好き放題書く。
妻フリーター、自分正社員。計画妊娠ではない。とりあえず安定期に入るまでは静観。心拍が確認できた(妊娠2ヶ月くらい?)段階で両両親に報告。
互いに仕事に余裕があり融通が効いたので、1,2ヶ月ごとの検診に必ず2人で通っていた。この時期のデートは専ら病院から始まる。医療の民に色々聞きながらぼちぼち出産準備を進めることに。
互いに実家から遠く離れたエリアに暮らしていたので、ゼロから2人で情報を調べ始めた。身内の経験者にソースをあたれないデメリットはありつつ、変にバイアスかからずよかったとも思う。実際自分の両親世代の情報は古いものだったりギャップのあるケースも少なく無いので、情報ソースはまず医療関係者、そして身近で出産経験のある友人を頼ろう。親は目の色変えて口出そうとしてくるに違いないが、心を鬼にして病院と自治体に頼るんだ。
しかしまあ、人によって出産体験は十人十色で、時に癖の強い看護師なんかは平気でやばいこと言ってくるケースもある。調べすぎは禁物。ちなみにその時妻はインスタで妊婦が絶叫する動画を漁り、こえーとかいって鬱になっていた。誇張抜きに、100人居たら100通りの出産体験がある。肝に銘じよう。
妊娠中は母体のメンタルが不安定になるケースも多いらしいので、とりあえず全力フォローだ。妻を救えるのはお前しか居ない。
自分はというと、特段変わらず普段どおり過ごしていたように思う。今となっては記憶は朧げだけど。妻は一時つわりがしんどそうだったものの、その期間を除けば概ね普段どおり。予定日の3ヶ月前くらいまでは働いていたような気がするし、もともとお互い飲み歩いたりする性分でも無い。
早めに仕事の終わった妻は、歩いて近所のスーパーへ買い物へ行き、カフェで甘いものを食べるのをささやかな楽しみにしていた覚えがある。帰って一緒に料理を使って、一緒に食べて、ベッドで寝ながら映画を見て眠る日々がとても幸福だったことを覚えている。
すごい手厚い。母子手帳、妊婦検査健診補助券、出産一時金、小児医療助成、児童手当、その他報奨金・補助金。色々あるぞ。すごいぞ。絶対に活用するんだ。申請は全部お前がやれよな。妊婦の手を煩わせるな。
妻は無痛分娩を望んだが、近所に対応している病院が少なくやむを得ず普通分娩に。ちなみにいわゆる無痛(麻酔)が良いなら、妊娠発覚時点で即座に実施しているすべての病院をローラーして予約すべし。首都圏は競争激しいし、地方は地方でそもそも対応している病院が少ない(産婦人科医だけでなく麻酔医が必要らしい)ので結局激戦だ。その際夫が電話しても妊婦から直接電話くださいとかクソみたいな仕様があったりもするが、めげずに電話をかけまくるんだ。無痛分娩にも、自然陣痛を待ってから麻酔をする場合と、あらかじめ出産日を決めて強制的に産ませる計画分娩がある。詳しくは調べてくれ。ちなみに自然陣痛を待つ場合、陣痛の進捗が遅れると余計に課金されるクソみたいなシステムもあったりするので把握しておこう。妻じゃなくてお前がだ。
余談が過ぎた。で、結局普通分娩を渋々選択した妻は予定日を2週間過ぎたあたりで強制的に入院となった。陣痛が来なくて予定日を超過すると、胎盤のパワーが劣化して胎児に危険が及ぶらしい。なので薬剤を投与して強制的に陣痛を促す。ただ、陣痛が起こるだけでは赤子は生まれない。なぜなら陣痛の進捗と並行して子宮口を開く必要があるからだ。子宮口が開いていないと陣痛を起こしたところで赤子は出ずにケツが裂ける。妻の場合は子宮を柔らかくする錠剤を飲んで経過観察、効果が思わしくないのでバルーンという風船的なものを子宮口に挿入して強制的に拡げること一晩(ちなみにこれが痛みを伴うという人も居る)。ようやく子宮口が開き始めたので翌朝に漸く陣痛促進剤の点滴を開始。このタイミングで自宅に待機して無限ゼルダをやっていた自分を召喚。立ち合いのもと出産に臨むことに。
で、結論から言うと、立ち会いの経験については特に書けることはない。というのも促進剤を打ってから3時間というスピード出産であっという間に超絶安産に終わってしまったからだ。勇んでテニスボールを持参し全力サポートする構えでいたが、ぶっちゃけ出産立ち会い時に夫にできることは無い。自分のやったことと言えば、陣痛の波に合わせてテニスボールを全力で妻のケツに押し当てて効果がないと文句を言われる。痛みで妻が暴れるのでベッドの手すりにクッションを置く。分娩室に移動する際に使い捨ての割烹着みたいなエプロンを逆に着て看護師の失笑をさらう。妻の口元に水分補給用のペットボトルを持っていくがストローが無いので役に立たない。そうだ、ストローは持っていけ。
なので、ただただ自分の無力を悟る一瞬の3時間だったが、人によっては24時間以上かかることもザラなので、とにかくそばにいること、無力感に苛まれながらも全力で妻を支える気持ち、あと絶対に寝ないことが大切なのだと思う。知らんけど。
妻は4泊くらい入院して母子共に問題がなければ自宅に帰される。その間に妻は体を療養しつつ、満身創痍の体で看護師から母乳とか沐浴など一通りの訓練を受ける。自分の場合は運良く個室に空きがあり、夫も泊まって良いとのことだった(無論育児指導も一緒に受けた)ので、妻と同時にスタートをきれた。あと妻はミルク育児(いわゆる完ミ)を希望しており、看護師に渋い顔をされながらも鋼の意志で出産したその日のうちに乳を止める薬を飲み、初乳をあげることもしなかった。自分としてはなんだかなあと思いつつ(本音を言えば乳をあげる妻の姿を見たかった)も、即ち育児を全て自分ができることになるので、妻は自分の療養に専念できることを思えば悪くない。実際に退院後は大部分の育児を自分が行い、今もそれは変わらない。
自分は超絶ホワイト企業に勤めていたので、妻の出産予定日以降は会社を休み、妻の出産後に即1年間の育休を取得した。初産だったこと、会社の融通が効いたこと、両親のサポートが得られない事情から、互いのリソースを全て来たる赤子に全力を注ぐ体制で望み、結果として夫婦の不和などもなく、1年をクリアすることができた。他所で死ぬほど書かれているかと思うが、とにかく夫は仕事を休め。育休を取得しろ。育休は権利。育休制度もいくつか選択肢があり、ややこしかったりするので(会社の人事も制度を全て把握しているわけではない)事前に調べて取れる選択は全て検討すべし。
新生児はほとんど寝ている。3時間ごとにミルクを飲んで寝る。泣く。うんこをする。おむつを変える。ミルクを飲む。寝る。泣く。風呂に入れる。ミルクを飲む。寝る。というルーティーン。自分の場合は特に時間の分担は決めていなかった。新生児もそうだが、それ以上に妻の回復が最優先ということで可能な限り自分が行っていた。といっても妻は元気そのもので、退院翌日にケツから血を流しながら自動車を運転し美容室に髪を切りに行ってた。本当はブリーチしたかったけど産後は禿げるから美容師に拒否されたらしい。ハゲてもいいのでやってくださいって言ったらしいけど無理だったって。当たり前だろ。
いや、止めたよ。全力で。絶対に行くなって。行ったら死ぬって。安産だったけど無理矢理いきんで出したから出血がひどく股が裂けて何針も縫ったって。けど狂人には何を言っても無駄だった。結局傷が開いて痛えとか言っていたけど。出血は産後1ヶ月くらいは続き、妻の産後に最も辛かったことを聞いたら退院後1週間溜めた特大のうんこをひり出したことだってさ。妻が超人でよかった。
通常は母体が元に戻るまで半年とか1年かかる場合もザラにあるらしいのでとにかく母体を気遣えと。産後は骨盤がゆるゆるらしいので、歩行もなるべく避けた方が良いのだとか。
完全母乳の場合、この時期に病む母は多いと聞く。なにせ満身創痍で初めての3時間おきにミルクをあげるぐにゃぐにゃの今にも死にそうな謎の生命体の世話を強要されるのだから。乳も初めは出ない。乳を出すのにも訓練がいる。いまだに母乳信仰は根強いが、躊躇なくミルクを使え。ミルクなら父でもあげられる。そしてとにかく母体を守れ。子より母だ。頼れるなら両親でも親戚でも友人でもなんでも使え。産後は母体の負担を減らすことに全力だ。ここさえ乗り切れさえすれば、妻に以後何十年も三行半を突きつけられることは無かろう。え?そんなの無理だって?馬鹿野郎。このご時世に1ヶ月すら休めない会社なんて辞めちまえ。
赤子はすくすく成長するが、基本的なルーティーンはさほど変わらない。子育てをする上で気づいたことは、子育ての適性の有無が難易度を大きく左右するということ。例えば子ども泣く→おむつを変える→ダメ→ミルクを飲ませる→ダメ→寝かしてみる→ダメ→あやす→気晴らしに外に連れていく→ダメ→車に乗せる→ダメ→風呂に入れてみる→ダメ→放置する→以下ループみたいな事態が発生するが、この辺りの試行錯誤を労せず淡々とこなせる人間がいると極端に難易度が下がる。昆虫少年で何かと生き物の世話が得意だった諸君、君たちは有望だ。夫に育児を望む女性は、交際相手に幼少期にペットの世話をしていたかどうか聞いてみるといい。
ちなみに参考にはならないが我が子は生後1ヶ月で毎日6〜8時間まとまって夜に寝ていた。妻もエリートなら赤子もエリートだ。新生児期を除けば、産前よりもよっぽど我々は寝ていた。一応、申し訳程度に自然光のサイクルに任せて日没後は間接照明で過ごすとか、ベビーベッドで1人で寝かすなどの試みはしていたが、実際のところこれは赤子そのものの個性に寄るところが大きいと思う。寝ないやつはマジで寝ないらしい。3ヶ月目には暗い部屋でベビーベッドに放置すると1人で寝るようになり、寝かしつけが要らなくなった。6ヶ月目には1人でミルクを飲むようになった。夕方、眠そうなタイミングを見計らって風呂に入れ、服着せたらミルク渡してベビーベッドに転がしとくとほとんど朝まで寝てる。
これまで散々煽っておきながら、自分はいまだに育児に困難を覚えたことが無い。妻はというと、赤子の鳴き声が黒板をキーキーされる程度にイラつくらしいので、赤子が泣き止まない頃はよくキレていた。適性大事。あと赤子の性質。その意味でSSR引いた自分に言えることは何も無い。まあ、必要以上に不安を煽る記事も多いので、育児余裕だったという例もあるということで。
最初から変に気合い入れて手の込んだ料理を作ろうとするんじゃないぞ。いいか。大切なことを言うぞ。
離乳食は「食事」ではなく「食べる練習」だ。肝に銘じろ。6,7ヶ月くらいから始めるのが一般的だと思うが初めはろくに食べられない。食えたところでどのみちろくに消化できない。消化器官や腸内環境だったりが未熟だから大人のように消化吸収できるわけではないんだ。ならばなぜ食べさせるのか。そう、食べる練習だ。大切なのは、柔らかさと粒度、そして粘度だ。それが備わってさえいればゴムでも紙でもなんだっていい。味なんてどうせ初めはわからん。
お前が食っている時なんて何も意識していないだろうが、初めての人間にとってはどうやら複雑な作業らしい。まず食材を舌に乗せる、そして舌で喉に送る、そして飲み込む。この三段活用にそれなりに反復作業が必要なのが赤子という存在だ。だが安心しろ、誰もが初めからできたわけじゃない。お前だってそうやって練習してきたんだ。いずれできるようになる。まず赤子を観察しろ。どこのプロセスで詰まっているかを想定してトライアンドエラーを繰り返す。もう一度言う。柔らかさ、粒度、そして粘度だ。毎回少しずつ変えて、こどもの様子を観察しろ。それをひたすら続けるんだ。食材や味にこだわるのは、まず赤子が固形物を難なく飲み込めるようになってからで遅くない。
これまでエリート面してきた我が子もそれなりに苦戦したくらいだから、離乳食で苦労する親は多いと思う。結局いまひとつうまくいかずに自治体に相談したら、やたら癖の強いスパルタなオバはんが出てきて事細かに教えてくれた。困ったときは自治体を頼れ。
これ、実は妊娠発覚時点から活動(いわゆる保活)を進めるべき案件。マジだよ。保育園は神。えー、3歳まではやっぱり自宅でみたいなあとか悠長なことほざいてるお前。お前だよ。今すぐ自治体のwebサイトを漁って保育園を探せ。そして見学に行け。産後は戦争だから余裕のある今のうちにやっとくんだ。絶対だぞ。ちなみによほど田舎でなければ、基本的には共働き+両親が同居ないし近隣に住んでいないことが公立保育園利用の最低条件となる。競争率の高い自治体によってはそれでも収入が高かったりすると平気で落としてくる。出産時期によっては最も入園確率の高い0歳児の4月入園できないケースもある(つまり10月くらいには産まれてないといきなり苦戦を強いられることになる)が、毎月自治体が欠員を公開しているので、めげずにトライだ。もしどちらかが育休中や無職の場合、ダメ元でも就職活動中として無理矢理にでも入園できる可能性を追うべきだ(その場合入園後3ヶ月以内に就職することが条件)。入園希望は第10希望くらいまで書けるだけとりあえず書け。
ちなみに公立保育園の情報はまともな自治体なら事細かに情報を公開している。23区内なら、例えば片方働いて20点、両方なら40点、その他の加点や減点要素、この保育園に入るなら最低41点は必要ですよ、みたいな情報を親切に公開してくれていたりもする。が、とにかく資料が難解で理解するのには訓練が必要だ。法律の条文や自治体の公開している公募要領だったりを難なく読めるスキルがあればそんなに苦労はしないと思うが、常人には難しい。理解させる気さえないと感じる。逆に、多くの人がろくに読解していないとしたら希望はそこにある。高学歴の増田諸君であれば多少の苦行を受け入れさえすれば難なくこなせる範囲だろう。
保育園は復職するのにはもちろんのこと、こどもの遊び相手だったり退屈しのぎだったり新しいことを覚えてくることだったり良い点は書ききれないほどあるが、自分が一番助かったと感じるのは食事だ。0歳児入園の場合、食事も当然こども用に作る必要があるのだけど、これをおやつも含めて1.5食分、しかも豪華で自宅ではとても作れないクオリティで出してくれるのが保育園。これには本当に助かってる。真っ当な大人がこどもの面倒見ながら自分の他にこどもの食事を2食ないし3食作って仕事してとかどう考えても無理だから。復職したかったら全力で保育園に入れろ。いやむしろ保育園に入れるために復職ないし就職しろ。
我が家は無事10ヶ月で保育園入園をキメ、妻は就職し、超絶ホワイト企業に勤める自分はフルリモートで働き、食事を作り、保育園の送り迎えをする菩薩のような父業をしている。無論、妻の方が圧倒的に収入は高い。
大丈夫。保育園に通わせても十分こどもと遊ぶ時間は作れるから。どうせ入園して半年くらいは毎週のように病気もらっていくらでも病院連れてってあげられるし自宅療養できるから。安心して保活に全力ベットしてくれたまえ。
だいぶ人間になってきた。人によっては歩くし、意味のある言葉も発するし、芸もいくつか覚えるし、意思疎通もできたりする。喜怒哀楽がはっきりある。毎日楽しそうに暮らしてる。当たり前だけどみんな個性バリバリ。いいぞこどもは。おもろいぞ。
これまでこれといった危機も苦労もなくやってきたけど、この先も色々困難はあるだろう。これからが本当の地獄だ...って多分先輩諸兄は誰もが言うだろう。そしたらその先をぜひ増田に書いてくれよ。みんないろんな体験談を読みたいんだ。
長くなったが以上だ。参考にならないって?冒頭に書いた通りだ。妊娠も出産もこどもも妻も夫も十人十色。あー、本当に育児体験てなんてのは全く参考にならないね。みんな頑張れ。そして楽しんで。妻(夫)を大切にな!
Xでこっちのけんとに関するポストを見かけた。
先日放送されたらしいバラエティ番組にて、ブレイクするまでの苦悩について語ったそうだ。
兄の存在やそれによる影響、そして兄への感謝の言葉を、誰かが文字起こしして拡散されていた。該当ポストにもかかれていたが、努力の人なんだろうと思った。
こっちのけんとについてはTikTokで知り、菅田将暉の弟であることもTikTokで知った。兄のサインの近くにサインを書くという内容だった。喜んでいたような気がするが、その時はあまり興味が出ずにすぐにスワイプした。
菅田将暉は仮面ライダーWでフィリップをしていた時から好きだった。まず顔が好きだ。フィリップのキャラクターも好きだった。たしか当時最年少のライダー俳優だったと思う。すごいなと思っていた。
その後しばらくテレビではあまり見なかったと思う。ランナウェイというドラマで坊主にしていた頃は、まだ今ほど知名度もなかったはずだ。当時中学生の私は、私と母だけが知ってるかっこいい俳優、みたいなイメージを持っていた。その少し後くらいから、有名になっていったと思う。あくまで若い頃の私のイメージだが。
今ではもう、知らない人を探す方が難しい俳優だ。
そして、こっちのけんとの「トントントンツーツーツートントントン」のフレーズを聞いたことがない人も、探すのはなかなか骨が折れるのではないだろうか。
ここで、一瞬でも血かなと思ってしまうあたりが、自分の嫌なところで、わざわざこんな増田をこさえることになった理由だと思う。
菅田将暉が3人兄弟の長男であるように、私も3人兄弟の長子である。構成は私・妹・弟のため、一致しているわけではないが、とにかく下の面倒を見る役割だった。ここから先は、支離滅裂な自語りになる。
地方都市のそこそこの家庭で生まれ、不自由なく生活をしてきた。
3人兄弟のなかで私が最も出来が良く、優秀な姉だった。運動神経も悪くないし、勉強もやればだいたいできた。多数の他の人ができることで、自分にできないことはないと自負しており、ほとんどのことをそつなくこなした。級長なども務めていた。
妹も弟も、喧嘩こそしたが昔から今に至るまでずっと姉である私を慕ってくれていて、度々憧れていると伝えてくる。
妹も弟も、決して不出来ではない。とくに妹なんかは、怠け者の私と比べてずっと努力家だが、当時の私はそれを凌駕する程度には優秀な姉だった。「あまり頑張らずとも出来る」姿をしつこいくらい見せていたからこそ、妹は私に憧れたのかもしれない。帰省した際には、友達に紹介したいとまで言われた。それくらい慕われている。今もなおである。
18の時、大学に行くのであれば国公立にと親が言うから、国公立大学に入学して念願の一人暮らしになった。その数年後、妹は地元の私立大学に入学し、さらに数年後、弟は専門学校に入学した。私だけが言われた通りの大学に入ったねと、親戚に言われていた。あまり帰ってこないけど、優秀な我が家の長女として、自慢の娘であり姉だ。でもここまでだった。
大学4年の時、コロナ1年目と重なり就職活動に失敗した。なんとかギリギリに内定を経て、ブラック企業に滑り込んだが、就職が決まらない私に母は何度も心配の連絡をよこし、地元に帰って来てもいいと言ってくれていた。正直なところ本当に働きたくなかったから、とても嬉しい提案ではあったが、プライドが許せなかった。泣きながらなんとかするから大丈夫だと意地を張った。理想の長女でいたかった。
本当は、きちんと就職活動をしていればこんなことにはならなかったはずなのに、自分が怠けたのをコロナ禍だから仕方ないと片付けた。親戚はみんな優秀なのに可哀想だと言っていた。その頃には、大好きな実家が居心地の悪い場所になっていた。家族のことは本当に好きだけど、その場にいる私は偽物だ。神経を擦り減らしながら姉をやっている。
結局、ブラック企業は数年で退社した。とんでもない企業だった。その反動で、約半年ほど次の職を探すことができなかった。お金もないのに毎日寝て過ごし、バイトすらしなかった。親に頼れず、家賃を6ヶ月滞納した。それも黙っていた。
妹は、地元で小学生の時からなりたかった職についた。弟もずっと憧れていた職に就き、家を出た。考えてみれば、私にはなにもやりたいことがないから、なにかに対して努力なんてしたことがなかった。努力し続けた妹と弟はそれが身を結んだだけだ。そんな2人に憧れられるような側面が、私のどこにも見つからない。
のちに再就職をした私が、1番給料が低い。それなのに関東にこだわって1番家賃が高い。だって、「うちの姉は東京で働いていて、遊びに行ったら案内してくれる」と、弟はそう友達に自慢していると言っていたから。馬鹿みたいだ。
こっちのけんとのポストをみて、兄弟へのコンプレックスを克服した事実に素直に感動して、少し泣きそうになった。本当にすごい人だと思った。
わたしの妹もこんな気持ちだったのかな。それはもちろん、菅田将暉ほどのすごいことをしたわけではないが、妹にとってわたしが目の上のたんこぶであった瞬間はあると思う。わたしは姉だからわからない。なんでもできたし、比べられる相手はわたしよりいくつか若い妹だったから。何かにおいて負けるなんてことは今まで一度もなかった。
でも今はもうよっぽど、わたしの方がなにも持っていない。やりたい仕事を楽しくしている妹に対して、憧れよりも嫉妬が先に来るし、その嫉妬は、いいよね実家は、といった汚い感情で塗れている。
とはいえ本当に仲は良く、高い頻度で遊びに来る妹は変わらず慕ってくれている。物理的距離が大きくなった弟も、月に数回の頻度で一緒にゲームをする。繰り返しになるが、仲は本当に良い。
そんな弟が、数日前に最近絵を描き始めたと言って好きな漫画の模写の写真を送ってきた。私も昔から絵をよく描いていたからか、アドバイスしてほしいとのことだった。確かにまだ特別上手いわけではないけれど、社会人になってからさらに新しいことを初め、向上心に満ちている弟に素直に感心した。やりたいことが多すぎて、1番お手本が近くにいるやつからはじめたと言っていた。
もうやめてくれと思った。
こっちのけんともいっていた。ふざけるなよ。
己の器の小ささに狂いそうだ。
どんなに成長して、社会に出て新しい価値観を経ても、妹と弟にとって私は一生姉だ。覆せない。お前たちの姉は、私の器にはもう収まりきらないよ。
こっちのけんとが羨ましくなった。
兄を宝と言っていた。自分の力で兄の隣にサインを書いていたTikTokを再度見て、改めてすごいと思った。
すごい人だ。
私の妹も弟も、すごい子たちだ。
あとから突然現れたコンプレックスの消し方がわからない。努力の仕方もわからない。努力ができないから、努力の人を認められずに才能だとか血だとか言ってしまう。血であれば、私がこんなふうになっているわけないことを、妹と弟が証明してしまった。いつのまにかこんな人間になってしまった。みじめで恥ずかしくてたまらない。
該当のポストも、こっちのけんともなにも悪くなくて、ただあれだけのポスト1つでここまで感情を波立たせてしまったことも恥ずかしい。どうすればいいんだろう。
誰かを救いたいとかそんなおおそれたことを思ってるわけじゃなくて、ただ妹と弟の姉でいたいだけなのに。
辛い。
本当に辛い。
一度上がった階級は下げられない、そしてとにかく誰かしらをポストにつけないと仕事がそもそも成立しない。
そして年功序列で決まった席に役立たず共が次々着いては破滅の時計が進んでいく。
行(一)5級の嫌われ者が予算を握りしめたまま毎日寝息を立てている。
行(一)4級の燃え尽き野郎が致命的な椅子に座ったまま5時ポンを繰り返す。
行(一)3級に上がったやつが毎日「好きで上がったわけじゃないのに」と雑談ばかりして働かない。
行(一)2級で定年を迎えそうな奴が今年もどこかで盥回しにされている。
行(一)1級の使える奴は次々に見限って辞めていく。
ここは地獄だ。
この世の地獄だ。
俺はなんでこんな職場を選んだんだろう。
同級生は口にする。
そうか。
「いや、公務員は流石に無理でしょ。民間の大変さを知らないから」
そうだよな。
俺ももっと早く逃げ出せばよかった。
俺の人生はもう駄目なんだろうな。
疲れた。
本当に疲れた。
心休まる日が欲しい。
人の心を失ったカスから休日呼び出しを食らわない人生、せめてそれに見合った報酬が得られる人生を送りたかった。
もう誰も公務員にならないでくれ。
こんな国、滅んだほうがいいんだ
会社ではそこそこのベテランとして頼られてて、現場と営業をつなぐ代えがたい人材みたいな扱いを受けていたはずだった。
でもある日、治らない病気持ちになった。
普通に通勤してたらガチれるのは1日4時間ぐらいで、あとの時間は体のケアに費やされていると言っていい。
テレワークさせて貰えるようにはなったけど、会社の業態がテレワークと噛み合ってないせいで昔みたいには出来ない。
一番痛いのはなんとなく皆の話が耳に入っていたのが全く聞こえなくなったこと。
噂好きのサボり魔が社内チャットで色々うわさ話をしてくるけど、あくまでそういうタイプの人間が面白おかしく話してるレベルでしかないので信用すると痛い目を見る。
でも今はもう無理だ。
当然のように待遇は大きく変わった。
俺用の特別な給与体系を作るわけにもいかず、俺は独立させられてフリーランスとして雇われている。
ただでさえ色々と振りになっているのに、給料も大幅に下げられた。
でも文句は言えない。
闘病にかかる費用を考えると貯金がギリギリ減らないラインを維持するので精一杯だ。
何が一番辛いって、俺抜きでも職場は回っているということだ。
俺が抜けたことで仕事のやり方は結構変わったらしく、「今まで通り仕事を続けていくにあたって代えがたい人材」だったのは間違いないらしい。
だけどそれは職場のやり方を変えるという一手間を惜しむことが出来るぐらいの意味しかなかったわけだ。
虚しい。
給料はそこらのリーマンなんかよりずっと貰っていて、公務員になった知り合いと飲みに行ったりした時は「アホだなー俺なんてこんな貰ってるぜwww」とマウントも取れていた。
でも今は逆にマウントを取られる側。
それも男女ひっくるめた日本人の中央年収っていうパートタイムや派遣がウジャウジャ入ってくるような物からマウントを取られている。
これから就職活動をするなら病気の人間としてなんだろうけど、障害者雇用をさせて貰えるってわけじゃない。
つうか、もし出来たとしても障害者レベルの給料しか貰えないなんてこっちから願い下げだ。
ちょっと同じ会社で長く務めてただけで大して能力があるわけでもない人間なんだってことが今ならよく分かる。
会社が上手く行ってただけで俺が凄かったわけじゃないんだ。
虚しいわ。
社会的に成功するのってこんなにも簡単に崩れるようなものなんだな。
貯金はある。
でも今後増えることはないだろうな。
投資で上手く増やそうなんて夢みたいな話を考える余裕なんてない。
何が一番辛いって、俺の職業人としての能力が、全然替えがきくってことが証明されたことだ。
とにかくこれが辛い。
俺は、何も掴んじゃいなかったんだなあ。
注目の科学論文数、日本は過去最低の13位 1位中国、2位米国
増田は某国立大学の工学部で教鞭をとる40代の准教授である。その視点からの話であることはご承知おきたい。
こういう記事のブクマには政策が悪いとか選択と集中が悪いとか色々つくが、社会が構造的に「向いていない」という話を書きたくてここに書く。
みんな気になるだろうから、これを先に書く。
最近になってにわかに科学研究が大事ということになって色々な研究予算が付くようになった。工学部だと企業との共同研究のお話なんかももらえるので、えり好みしなければ研究費を取りやすい環境にある。
どういうことかというと、この手のお金は期限がついていたり使途が決まっていたり、いろいろと紐がついている。そして、必要なところには回せないことが大半なのだ。
例えば人件費。民間企業ではありえないことだが、国立大が人ひとりを無期雇用で雇うためには、退職までの予算を確保することが必須なのだ。国からの運営費交付金や寄付金のような、必ず退職まで支払われることが確実な予算で裏付けないと無期雇用の人を雇えない。民間企業なら、人を雇うときに予め退職までの給料を積み立てておくというようなことはせず、営業を頑張って給料を払うだけの売り上げを確保するものだと思うが、国立大ではそういうわけにはいかない。色々な企業との共同研究を締結し、外部資金を獲得して、その人の給料を確保する、仮にできなかったら身銭を切ると教授が宣言しても、そういう期限付きの契約では無期雇用の人を雇えないのだ。
秘書や事務職員ならまだしも実験機材を維持管理する技術職員とか、研究員とかもこの縛りを受けるので、必要な人を必要なだけ確保することができない。運営費交付金は人件費だけでなく建物や設備の営繕にも使われるのだから、やれ70年代80年代に建てられた校舎の改築だとか、光熱水費だとか、とにかく運営費交付金の増額が望めず物価が上昇し続ける昨今、大学にはお金が無いのだ。
ちなみに、外部資金をたくさん取ってきたからと言って自由に使えるわけでもない。大概の研究費は他の外部資金と混ぜて使ってはいけない縛りがあるので、例えば研究費A で岡山の学会へ行き、次の日から研究費Bで広島の共同研究先で実験をする、みたいな場合でも、いったん大阪の自宅へ帰って一晩滞在することで研究費を分けないといけない。実験機材も合わせて購入するということはできない。100万円の研究費をふたつつかって150万円の機材を買うことはできないのだ。これが研究費は増えてもお金が無い、という事情の内幕である。
昔からアルバイトに熱心な学生やサークル活動に精を出しすぎな学生は確かにいた。最近は就職活動に時間をかけすぎな学生が多い。夏休みはおろか授業期間中もインターンにかかりきりだし、ウェブテストの後で何度も面接をさせられ、いきおい、学生は疲弊している。日中の貴重な時間を研究室ではなく就活に費やし、奨学金や親からの仕送りでは足りない学生はアルバイトまでしているのだから、卒論や修論の質は落ちる。企業はガクチカとか聞く前に、理系の学生を研究室で研究させてあげてほしい。学部生の卒論は半年から1年しか期間が無いのに最後の数か月を除いて就活とまるかぶりだし、2年間しかない修士課程の1年は就職活動で消えている現状で、大学から研究成果が出ないと言われても、どうしようもない。
研究というのは、専門書を読み、先行研究を調べ、仮説を立て、手を動かして仮説を検証し、その結果を文書にまとめるサイクルである。これがきちんとできる学生であれば、どんな仕事に就いても立派に働ける。たぶん。
というか、企業の採用も、もっと必要な資格や能力を具体的に書いてほしい。今どきの学生は真面目なので、特定の資格を持っていると就職に有利だとわかればそれを取るようになる。大学だって国の資格などであれば学科免除などを取りに行って「就職に有利」みたいな売り文句で学生を集めやすい。どんな企業だって欲しい資格や能力は採用時点で分かっているはずなのだから、それくらい明かしてくれてもよかろう。
博士課程の大学院生、というのは研究を進めるうえで大変貴重な戦力である。なにしろある程度は自力で研究を進めてくれるし、そのレベルも論文として世に問えるものである。
ところが、である。ちょっと考えてほしいのが博士課程の魅力だ。日本の博士課程は、基本的には学費を納入して「学ばせてもらう」スタイルである。その分研究テーマの自由度は高いし専門性を高めやすい。一方で、ある程度経済的に恵まれていないと、3年間の生活をどう工面するかという問題が常に付きまとってしまう。最近は、学振の特別研究員のような昔からある登竜門的に限らず、各大学の工夫や国の政策で博士課程進学者を経済的に援助する仕組みが整い始めている。とはいえ、それらに通らなければ学費や生活費を調達せねばならないし、採否の通知は年度末か入学後なので、まったく安心できない。どれほど優秀であろうと研究に向いていようと、金がない学生は就活するしかないのだ。
さらに、就活に際しても博士課程は買ってもらえない。就活サイトを見ればわかるが、技術職採用でも研究職採用でも、博士号持ちの人の初任給は明示されない。修士課程の初任給しか書かれていない。これを見た学生は、修士号持ちと博士号持ちの初任給は同額だと理解する。聞くところによると、博士号持ちの初任給は修士号の入社三年目くらいかそれ以上らしいのだが、書かれていない情報などあてにできないので、就活する側からみると前述の理解となる。これでは、博士号を取っても何も良いことはなさそうである。
欧米ではではの出羽守だが、海の向こうでは、博士課程というのはプロジェクトから人件費を支給される研究員である。仕事の扱いだから労基法にも守られる。しかも、博士号を取れば仕事の口も増えるし給料も上がる。
ドイツなんかに行くと、博士号持ちは英語さえ話せれば仕事に就けるが、修士号まではドイツ語を話せないと仕事がない。Dr. と表札に書けるオマケはさておくにしても、それくらい社会的な扱いに差があるのだ。もちろん、給与の出どころである研究プロジェクトが終わると別のプロジェクトで雇われるまで博士課程を続けられないとか、プロジェクトの元締めである指導教員と相性が悪いと人生大惨事になるとか、いろいろなデメリットもあるが「博士課程の研究員」という仕事に就いている扱いなので、無理だと思うとみんな中途採用で企業に転職したりする。それくらい、普通の仕事の扱いであれば進学者も増えるだろうし、博士号を取っておけば食うに困らないくらいの扱いになってくれれば、みんな喜んで進学してくれるんじゃないかと思うがいかがだろうか。
大学に安定的な予算が十分ないために人を雇えないという話を最初に書いたが、そのツケをどう払っているかというと、パーマネントの教職員が頑張って回している。いや、有期雇用の教職員にやらせることもあるけど。来年度には任期切れで退職するような教員に入試問題を作らせたりされてよいものか?高校への出前講座とかアウトリーチ活動が必要だと言われたときに来年退職する先生を送り込んで誰が進学してくれるのか?定年退職した技術職員の後任は予算不足で雇えませんでした、となったときに機材の修繕を誰がやるのか?それでなくても、学生の就職や研究指導の面倒は必須である。
というわけで、大学の先生は講義以外にもやることがだくさんあるのだ。とても研究をしている場合ではない。雑務と呼ぶ人もいるが、講義や研究以外にも誰かがやらねばいけない仕事なのだから「雑」はないだろう。とはいえ、昔は若手の教員がやっていたような事柄も、若手ほど任期付きになってしまったのでシニアの教員がやらねばならなかったり、幸運にも無期雇用を勝ち取った若手に集中してきたりするので、DXで仕事の効率が2倍になっても仕事は3倍に増えるのだ。偉い先生方は偉い先生方で、改革と称して新しい企画を立てないと予算をくれなくなったので、朝令暮改もいいところのマイナーチェンジでお茶を濁したような企画書をいかに気宇壮大に書き直して追加予算をゲットするかに時間を使っている。夏休みも暇かといえばさにあらず、老いも若きも科研費などの外部資金の申請書と格闘している。倍率が10倍近くても、何とかして手に入れないと満足に研究ができないのだから仕方がない。
ちなみに、大学によって、また学部学科によって異なるが、国立大の教員が競争的資金なしに受け取れる、平たく言うと自由裁量経費みたいなものは、年10万~30万円くらいである。国際学会の参加費が10万円を超え、海外の論文誌の投稿料も10万円くらい取られるこのご時世に、である。どれほど世紀の大発見をしようとも、世に問うためには論文化して論文誌に掲載されねばならず、掲載されるためには投稿料を払わねばならないのだ。そして、その投稿料ともらえる経費がほぼ同額ということは、外部資金が無ければ研究 XOR 投稿という選択肢になってしまう。日本の論文誌であればもう少し安く、数万円で済む。ただ、そういうところに掲載されても「注目の科学論文数」にカウントされることはない。これが現状である。
それにしても、研究をして論文を書いて世に問うためには先立つものが必要で、それが外部資金が無ければ全く足りていない、という状況であるにもかかわらず、外部資金を取るためには論文を世に出さねばならないというのは何とも困ったものである。このあたりの必要経費と割り当て予算のアンバランスはどうにかならないものだろうか。
というわけで、大学の先生というのは、外部資金が無ければ研究ができないために年中予算の確保に腐心しており講義や学生指導は当然やるのだから、研究をしている暇はない。その先生を雇うお金はもちろんそれを支えるスタッフを雇う予算すら、外部資金のようなひも付き予算からは支出できないために全学的に人手不足の状況で、この傾向は悪化こそすれ当面改善する気配はない。代わって研究の主力となりえるのは博士課程の大学院生くらいだが、日本人の学生ほどこっち方面のキャリアに魅力を感じずに就職してしまう。それどころか就職活動は過去にもまして無暗と時間を食うような仕組みになってきており、研究活動でスキルアップさせようもない。これが日本社会の現状である。
ChatGPTに要約してもらったよ。
人材不足の実情
技術職、特に大学院修士(博士前期)課程修了者を対象にした枠での求人は人材不足が目立ちます。大手企業(JTCなど)では、この条件に合う人材を探すのが難しくなってきています。
問題児の存在
成果がほとんどない下位院生が内定を得ることが増えてきています。企業がこうした人材に対して内定を出す理由が理解しがたく、面接時に対策が不十分であることや、適性を見抜くのが難しいことが指摘されています。
旧帝大院卒の回避傾向
旧帝大などのトップ大学の院卒がJTCを避ける傾向があります。主な理由として、若い頃にスキルが身につかないまま転職市場に出るリスクを避けたいためです。終身雇用制により給与が低く、スキルの向上も見込めないことが影響しています。
技術職の人気と選択
技術職はスキルアップが必須であり、興味がないと厳しい仕事です。興味がない人は事務職などの人気職種に流れ、技術職は選ばれにくくなっています。
企業研究機能の弱体化
日本の企業の研究機能が弱くなり、企業からの研究職募集が減少しています。以前は企業の研究所出身の大学教授が多かったですが、現在はそうした傾向が減っています。
リスキングの問題
企業でスキルが身につかない職種に従事すると、転職市場で困難な状況に陥る可能性があります。特に研究職では企業からの人事募集が減少しており、技術職の募集が増えている状況です。
下位院生についても教えてもらったよ
「下位院生」という表現は、一般的には「大学院生」の中でも学業成績や研究成果が比較的劣っていると見なされる学生を指します。具体的には、以下のような特徴がある場合があります:
学業成績が低い
大学院での成績が平均以下で、研究や学問に対する意欲や成果が十分でない。
研究成果が乏しい
研究活動において顕著な成果や業績がない、または学会発表や論文投稿が少ない。
就職市場での競争力が低い
就職活動において、競争力が低く、大手企業や高評価なポジションに就くのが難しいとされる学生。
「下位院生」という言葉は、特定の基準やランキングに基づいて他の院生と比較して位置づけられるもので、必ずしも学問や研究への意欲が欠けているわけではありませんが、一般的には成績や研究成果が目立たないとされています。
自分はJTCの研究開発畑にいるけど、学歴どうこうというのはあんまり気にしたことはなくて、コイツ(良い意味で)やべーなって人は比較的高学歴だった事が多かった事は事実だよ。
2023年11月13日、「ここ(日本テレビ)で得た経験や愛情を胸に、次のステップへ進みたい」との思いから同年末にて8年9ヶ月在職した日本テレビを退職することを表明した。その後の進路については未定としている[15]。
2024年1月16日、KAT-TUNの中丸雄一と結婚したことを中丸が自身のファンクラブサイトなどで発表した[3][16]。
笹崎は2013年9月に日本テレビ「アナウンスフォーラム」に複数回参加し、今後他社への就職活動をしないことを条件に、その場において2015年度入社の内定通知を受けた[17]。
内定確定後の2014年3月に人事担当者へ「過去に母親の知人が経営する小さなクラブにおいてホステスのアルバイトを短期間していたことがあるが大丈夫でしょうか」と確認し、
翌日に「大丈夫」と報告があった。5月に人事部長名義で「アナウンサーに求められる清廉性に相応しくない」ことを理由に内定取消が文書で送付された[18][19]。
笹崎は労働契約上の地位(内定)の有効性を求めて2014年11月に東京地方裁判所へ提訴した。
裁判は当初、日本テレビが原告へ請求棄却を求めて全面的に争うが[20]2015年に態度を軟化し、1月に東京地裁が和解を勧告[21]する。両者ともこれを受け入れて笹崎は同年4月に入社した。
大学時代に密かに好きだったゼミの子が就職活動が上手く行かなかったらしくて心配してたんやがある日ネットサーフィンしてたら覆面男たちのおしりの穴から足指まで丁寧に舐めてご奉仕してから鬼みたいに突かれてるその子が出演してるFC2動画見つけて呆然とした思い出
一担当・一係長が背負ってはいけないような案件を次々に背負わされていく。
ある事業における致命的な要素の決定権をごく一部だけ握らされ、その上で上司連中からは「早く何とかしろ」「絶対なんとかしろ」「俺はよく分からんからやり方は任せる」ばかり言われる。
現場の調整先からは「マジで困ってるんですけど?」という電話がしょっちゅう来るし、頼みの綱と思っていた業者からは「いやーこの納期じゃ無理っすねー」という断りがバシバシ入る。
そんな案件を自分の担当分で10個、部下達の分も入れれば20、30と抱えさせられる。
仕込まれた爆弾の数々は予算不足を旗印にトリアージを繰り返されてきた致命傷である。
「予算が足りないなら優先順位をつければいい」というちょっとだけ経営者感覚を齧っただけみたいな発言の元に何度もやってきたコストカットの影響が出ているわけだ。
「5年後に影響が出ますよ」を「じゃあ俺が別の部署に移ったあとに問題になるってことだから俺とは無関係だな」と考えられる奴だけが公務員の世界では出世する。
多分だけど、民間でも同じだとは思う。
民間との違いは民間は自分の会社が潰れないために今その瞬間を死物狂いにならないといけない所があるけど、公務員は潰れることがそもそも出来ないという現実に対して「20年後、30年後も俺達はこの業界でこの仕事をしている」という視点で物を見ないといけないってことだ。
エッセンシャルワークとはそういうものだと思うが、その現実を頑なに受け入れない人間ばかりが上に行き、ソイツラが放りだした責任を結局は現場が取らされる。
どれか一つの案件にだけ注力できるならやり甲斐はあるだろうが、それを10も20も並行してやらされると、結局自分自身もトリアージを繰り返すことぐらいしか出来ない。
ヒト・モノ・カネは当然のように足りず、思いつきでつけ足され続けるセキュリティ制度のせいで業務効率は日々悪化する。
俺も全くそう思う。
就職先に悩んでいる時に町中の公務員スクールにフラフラと吸い寄せられ「公務員っていうのは基本的なことが身についている人ってイメージが強いでしょ?だから転職も有利なんだよ」とスクールの勧誘に騙されたのが良くなかった。
頑張って勉強した果てに通ったんだからと辞めるタイミングを逃し、流石にこのままではまずいと転職活動をするも「うーん。その年齢で経験したことがあるのは公務員だけ?うーん。ビジネス感覚がなさそうー」みたいな感じで次々と面接は落とされて今の仕事を続けている。
ある日職場でバッタリと倒れ込んで精神科の診断書でも貰えば用務員みたいな立場に入り込めるかも知れないが、その立場になったらなったで半端な「俺は公務員様だぜ?偉いぜ?」を令和にもなって引きずっている連中にアゴで使われるのは結局ストレスかも知れない。
俺も人のことは言えないが、公務員連中はマジで他人をアゴで使う。そういう態度での働き方を教育されているから、公務という神聖な業務を効率的に進めるにあたって民草に協力を仰ぎ公権力の力で労働力をほぼ無償で吸い上げることが業務の一環であるかのように考える空気が間違いなくあるし、それを前提として実際そうしないと回らないような業務量を押し付けられている。
公務員はクビにならないから異常者が多いという話があるが、実際私の職場にも私を含めて顔つきから自閉症を感じ取らせるような連中が沢山潜んでいる。
大体5人に1人ぐらいはうっすらと自閉症顔だ。
基礎学力と一般常識を教科書経由でひたすら積み上たテストの点数で半分以上の結果が決まるという世界は、自閉傾向の人間に対して(他の世界での就職活動と比較して)本当に有利だと思うし、実際俺もそのおかげで公務員様になれたのだと思っている。
自閉症スレスレのギリ健が公権力を振るうことを推奨されるような立場につくと、どうしても頭のおかしくなる奴が出てくる。
それは上司連中の中にも混じってきており、一部のキチガイが「こんなのは民間にやらせればいいだろう。契約前に作業をさせたら事前着工?シランガナ」と無茶苦茶な指示書をウォーターフォールの高みから放り投げてきて、「こんなの本当にこのままやったら全員捕まるだろ・・・」という状況に日々追い込まれたりもするわけだ。
俺はもう無理だ。
現場から上がる悲鳴を受け止めるには俺の心臓は小さすぎるし、上から降ってくる狂言をうまく躱すには俺の足腰は貧弱すぎる。
1◯年続けられた生活だから今後も続けられはするのだろうが、それはどこかで「働き方改革の波が来て公務員の職場環境も変わるし、クソみたいな連中は皆クビを切られ、そして日本も失われた時間を取り戻して予算が沢山つく」というありもしない希望にすがっていたからだろう。
もっと言えば「なんかめっちゃ転職しやすい市場になって、公務員しか経験のないアラフォーのおっちゃんでも普通にいい会社に潜り込めるようになる。つーかその状況で公務員の魅力化対策が行われて今の仕事もかなりマシになる」という願望を思い描けていたからだ。
もしかしたら「宝くじがあたって」とか「突然小説の才能に目覚めて」とか「株の配当が」などのよりありもしない空想を信じていたのかも。
いい加減もう無理だ。
現実に追いつかれた。
どのタイミングで人生をやり直せば良いのかと夢を広げるのもいい加減疲れた。
この時代のこの日本にこの自分として生まれ落ちた時点で半分ぐらい負けているわけで、IFストーリーの最適解は「もっと未来の豊かな時代に、優秀な遺伝子をコーデイネートしてもらって、人間なんぞじゃなくてご立派なAI様に育ててもらっていれば」なんだろうと思うわけだ。
疲れた。
上を見るから苦しいんだろう。
下を見なければ。
昨日、配達のオッチャンがこんな暑い中で汗だくになってプンプン酸味のある香りを立てながら荷物を持ってきていたが、アレは大変な仕事だと思う。
荷物はどれもお客様の大切な品であり、中には壊れたら取り返しのつかない特注品もあるだろう。
どこにでもある些細な荷物でも、明日の仕事に使うから今日中に届かないと困ってしまうものもあるだろう。
それを1日に100も200も丁寧に扱うのだ。
マンションごとにシステムの違うオートロックと格闘し、時には自動扉に荷物が挟まれそうになるのを自分の体でブロックし、そうして届けようとしたら留守だったり居留守だったり、そんな仕事をひたすらやって、賃金は最低賃金よりは少しマシなだけ。
きっと彼らの業界も公務員のように残業代がチョロまかされているのだと思う。
予算の関係というより、労働時間の上限と実際に受けている仕事量のアンバランスによって残業時間を誤魔化せとうい指示をきっと彼らも受けている。
公務員のおまけみたいなボーナスさえ羨ましくなるような、それこそ年間で10万×2とかのちょっとしたお小遣い程度で、普段の賃金は残業代や移動時間が誤魔化されて実質の時給は最低賃金未満になっていたら?
最悪だろうな。
ああ最悪すぎる。
そういう人達のことを考える度に、「俺はまだマシなんだ」と希望が湧いてくる。
いざとなったら「あっ・・・メンタルが・・・あっ・・・」と倒れ込んでしまえばいいんだ。
責任なんてのは最終的に上の連中が取ればいいんだ。
人脈を繋ぐためだと毎日飲み歩いてもパンクしない程度の給料をアイツラがもらっている理由は、いざとなったら責任を取って腹を切るためじゃないか。
なんで俺がこんなにも必死になって全部自分の責任であるかのように背負い込まなきゃならんのだ。
そもそもを言えば、国民の側が小さな政府を望んできた結果が現状だろ。
公的な仕事をつくのに一番必要なのは「俺は最底辺よりはマシ」という心意気と「ぶっちゃけ俺が背負う責任ってごく一部だけだろ」という開き直りだ。
それだけはシッカリ身についているし、それしか身についていない。
国民もそれを望んでいる。
実家から連絡がきた。同級生が死んだとのこと。LINEが来なくなったはずだ。それを不審にも思わなかった。
僕が、インターンだの、就職活動だのをへてITエンジニアになり、テック系だぞとイキリ散らかして勘違いして、毎日毎日勉強勉強して、ITエンジニアっていつなれるんだろう? と考えもせずに、勉強会、発表会、ライトニングトーク、ブログを書いて、社内向けにテックライティングしているうちに、そいつは、結婚して、子供を2人もうけ、家を買い、離婚して、実家に戻って、飲酒運転で人生を終えた。
比べるものじゃない。でも、東京で暮らしていると、僕は僕のためのクラスターでしか生きていないから、同じ職業分野で、僕に似た人たちか、僕より先を行く人たちしか目に入らない。
ここには死んだあいつのような人はいない。いつだって死ぬ可能性はあるんだな、と急に気づいた。そして、この果てない、人生オールインを強要するエンジニア業はいつかなにかかわるんだろうか。
日本型の方が凡人には有利だとか、新卒至上主義に反対する人は自らを有能だと思っているとかの決め付けが理解できない。
自分を有能だなんて思ってる訳ないじゃん。そんな烏滸がましい。
寧ろ日本型こそ凡人には厳しいと思うが。だって学生時代の一時期に就職活動をして、大手に就職しなければ人生終了なんだから。めちゃくちゃシビアだし、気を抜く暇もない過酷な人生じゃん。
一方ジョブ型ならば卒業後何年もかけて追い付く事が可能なんだから、ゆっくりのんびり出来て、ジョブ型の方が凡人にも優しいと思うよ。
retore
retore 日本型のほうが明らかには凡人には有利で,何故かブクマカ諸氏は自分を「有能側」に置いて色々語るのは何なんだろうな.俺もお前も大概凡人だぞ.まずそこから降りろ.
将来は博士課程に進学し、博士修了後は海外の研究機関へ行こうと考えている。そのため週一回英会話教室にも通っている。
しかし、その英会話教室である先輩(男)に出会い、気持ちが揺らいでいる。
先輩は社会人一年目。博士課程を中退し、国家公務員キャリア技官となった。
先輩は色々と私の進路にアドバイスをしてくれる。
「博士課程は教授の奴隷」「博士取っても就職口なし」「博士は就職してから取ればよい」と博士に厳しい。
さらには公務員の世界は「天国」のような環境であり、自分のしたいことができる「夢のような世界」だと私に会うたびに誇らしげに語ってくる。
先輩の職場は最初の1年間は研修期間で、その間は付属の工場で働くとのこと。1年たてば希望の部署に行けるらしい。
そのため、私に修士で就職して「早く俺のような楽しい世界に来いよ」と国家公務員をすすめてくる。
先輩はなぜ博士課程を中退したのか、なぜ国家公務員になったのか、どんな仕事をやっているのかについては、聞いても具体的には教えてくれない。
この先輩の言っていることは正しいのでしょうか?信じてよいのでしょうか?
ワイもそう思ってたやで
絶対こんなクソ田舎に帰るもんかと意気込んで大学に進学したんやけど、就職活動に失敗して地元の役所になんとか拾ってもらうのが精一杯やったから、しゃあなし帰郷したやで
ラッキーやったんは、ヨッメが全国どこでも通用するつよつよ国家資格持ちで、ワイについてきてくれたことや
それでワイは張り切ってヨッメに地元のこと教えようとしたんやけど、実はあんまり知らんことに気付かされたんや
せやから2人で地元の史跡とか資料館とか行って、色々勉強したんやけど、そのおかげで自分の地元の歴史の古さとか、国宝や重文がそのへんにあることとか、全然知らんかったことがわかったやで
ワイが知らんかっただけやった
(追記)
こんなに反応があってびっくりしてます。
やっぱり自分は今でも人よりだいぶ抜けていたり苦手なことが多いので、しっかり勉強してきた人、きちんと仕事をしている人を本当に尊敬しています。文章も下手で恥ずかしい限りです。
大学入学前までは自分とその人たちの違いについて考えると消えたくなり、無気力になっていましたが、大学に入ってやりたいことを見つけて進むことができ、今は自分ができることをやるしかないと思うことができています。
ただ実務的な部分を評価され講師にはなったものの、自分のような人間が指導者の立場としてここにいてよいのか?ということについてはかなり自分でも思っているところで、匿名での授業アンケートを行ったり、他の先生に授業を見てもらう機会があった時には問題がないか伺ったり、かなり気にして見るようにしています。(評価されなければすぐ辞めるつもり)
紹介きっかけで採用試験を受けることになりましたが大学側は面接や書類選考できちんと採用を行っていたと思いますのでそこだけ追記させてください。
(追記おわり)
在学中にはFラン大学って言葉はあまり意識してなかった気がする。スマホもまだそんなに普及してなかったし。卒業後Twitterを見てたらFラン大学一覧みたいな画像には必ず自分の出身大学が載っていたので、自分はFラン大学(といわれる学校)の卒業生なんだ!とびっくりした。
•大学どこ?って聞かれて答えても相手はほぼ知らない。毎回気まずい。
•入試ほぼ全員受かった
•1年の最初に「大学のやり方」みたいな授業があり、レポートの書き方や提出期限をすぎるとだめなことなど教えてくれた(この内容で単位もらえる)
•外国語の授業をとらなくてもよかった(かわりに国語の授業?があった気がする)
などなど。
自分は高校の勉強に全くついていけてなかったので、簡単な入試や、大学のやり方の授業などめちゃくちゃ親切に感じて、初めて学校っておもろい!と思った。苦手な英語の授業で当てられて恥を書くこともなくて、かなり精神状態がよくなった。
高校在学中の自分はかなり落ちぶれているという認識で、周りからもそう思われてだと思う。赤点だったし成績は最後から数えて20番目とか。不良じゃないのに、学校にも毎日いるのに勉強できなくて鬱っぽくなってた。
でも大学は毎回出席して課題を出せば優等生、さらに教授とコミュニケーションを取ったり積極性があればすぐクラスの上位にいけるので、自己肯定感が育った。課題についてやり方がわからなくても、聞けば教授が親切に教えてくれるのでかなり助かった。(多分慣れっこなんだと思う)
ここで初めて「がんばるのっておもろい!」となった。
インターンも誰もやらないから応募したら希望したところに受かるし、図書館の希望図書(欲しい本をリクエストして、通ったら買ってもらえる)もほぼ自分しか出してないようでかなりの冊数買ってもらっていた。
就職活動ではFラン大学ということもありESが全然通らないという苦しさを味わうけど長くなるので省略。自己PRは大学でのインターンやコンペなどの活動のおかげであんまり苦労しなかった。それでも就活はかなり難航したし、することもわかっていたのでここはかなり早い段階から就活専用の塾にいったり対策していた。それでもだいぶ泣いた。
結局地元の中小企業に内定をもらって、10年ちょっと勤めた。最後の年収は600万くらいで、実家にいてお金が貯まりがちだったけど家にいれる以外使い道もそんなにないので投資信託に入れていた。
大学の教授がみんないい人で、SNSや年賀状のやりとりが今も続いており、会社を辞めた時に声をかけてもらって今は講師として働いている。講師になってわかったけど教授のみなさんめちゃくちゃ高学歴。大学の教授やからそりゃそうか…だから在学中質問してもみんなわかりやすくいろいろ教えてくれたんだな。
今はあまりお金にも困っていないし、ありがたいことに周りの人もすごく優しいし、あの時この大学に入学してほんとうに人生変わってよかったなぁと思っている。大学在学中に、やりたいことも好きなことも見つかった。
XでFランは無くすべきという意見を見るたびに、救われた自分のような人もいるんだけどな〜と思うので書いてみました。
個人的には受験というシステムや偏差値の高い大学が合う人間ばかりじゃないと思うので、自分にあったとこに行くのが大切かなと思います。
Fランの中でもここに決めた理由はオープンキャンパスで学生たちがたのしそうだった(出し物とかいろいろしてくれた)みんな仲良さそうだった、教授たちが優しく真面目そうだった(not無気力感)などなどでした。
文章書くの下手なので読みづらくてごめんね。
増田も精神科にかかってる。元増田に自分の考えをコメントさせて欲しい
N=1なので話半分で頼む
仕事は続けていて通院で生活指導と薬の処方、産業医面談で仕事上の相談をしている
就活では隠した方がいい
とりあえず電話で遅れることといつ頃着くことになりそうかを連絡しよう
事前のアンケートを元に軽く先生とやり取りをした後おそらくADHDですね。と診断。スムーズにストラテラのジェネリックを処方してもらった。
自分は希望して受けた。資格を持った人の予約が取れるまで1~2ヶ月くらい、検査して結果が出るまでも1ヶ月くらいかかった
鬱っぽいしASDっぽいなと思うこともあるんだけどそこに触れられることは無かったのでこれらの症状はADHD由来のものなんですかね?
自分はASDで仕事も私生活も上手くいかず自己肯定感だだ下がりで二次障害として抑うつになっていた
ASD自体の症状ではなかった(ADHDがそうかは分からんすまん)
診断から数年(その間通院は継続)、仕事で大失敗して荒れて「集中力上げる薬ください!」と強く言ったことで処方してもらえることになった
定型発達者が見てる世界ってこんな楽なのか…チートだろ…と思った
集中できる、仕事の話が分かる、優先順位を付けられる、人へ連絡する必要性が分かる
そして普段使いの鞄に入れるのだ
鞄やポーチを分けようとするとトラブるぞ。その鞄があればとりあえずどこでも行けるようにするのだ
FIRE(Financial Independence, Retire Early)していたけど、暇になった時間で考えた結果止めることにした。
いろんな人がいまFIREしたりFIREを目指しているので、自分の場合になんで1億円でダメだったのかを言語化しておこうと思う。
最初に結論から書いておくと、俺の場合、経済的自立(FI部分)が出来ないと判断した。
ゲームが大好きでグッズも好きだった俺は、株主総会でレアなお土産がもらえるという噂を信じ、なけなしの貯金をはたいて株主になった。
まあ、十八きっぷを使って一回行ったきりで、結局その時のお土産も引っ越しで無くしてしまったけれど、運よくその会社の株価がかなり値上がりした。
その時は相当迷ったんだが、株で儲けるという経験をしてみたくて現金にした。すると不思議なことに、証券会社にあるお金は、なんだかお金じゃないような気がした。
なんていうのかな、ステータスみたいな。増えたお金を使って、同じくゲームで儲けてそうな会社の株を買ったり、売ったり、他の人が買いそうなゲーム会社を探して買ったりした。
結果、いわゆるテンバガーと呼ばれるような10倍に増える経験もしたし、まあ普通に思ったほどみんなが買わずに手放して損したりもした。
繰り返しになるけれども運が良かった。その自覚もあった。
そして最後の運は、世界中が新型コロナウイルスでパニックになったときに、全ての株を全部いったん清算して、S&P500のインデックスファンドに突っ込んだことだった。
自分の見立てでは、ワクチンが出来るまでに3年はかかり、株価が戻るのに5年はかかり、余波でどの企業がつぶれるか想像もできないが、アメリカはそのうち戻るだろう、だった。
自分の悲観的な見立てはありがたいことに外れ、思ったよりも早く株価は元に戻り、結果自分の資産は1億円を超えた。
そして、緊急事態宣言化にも関わらず(自分としては)意味もなく出社を強制されることに嫌気がさし、まあなんとかなるだろ、とFIRE生活を開始した。
1億円で、税引き後のリターン4%を達成するのは、そこまで楽観的と言うほどではないと思っている。
ただ、株式市場で暴落が二度と起こらないか?いやまあ普通に暴落するだろ、というのが俺の見立てだ。
じゃあなんでeMAXIS Slim 全世界株式(オルカン)が人気かっていうと、暴落は過去必ず戻したからだ。
そこで、10年に1度暴落して、3年で暴落前の株価まで戻る、という試算をしたところ1億円だと結構危ういことが分かった。
まあ、言うて1億円の資産が5000万になっても、3年200万円ちょいで生活して我慢すれば良いわけだし耐えられるか?
まてよ円高って今後絶対に起きない?いや起きるだろ、というのが俺の見立てだ。
円高も定期的に起こっていて、そしてまた定期的に円安にもなってる。
だから、定期的に積み立てを続けるんなら為替の影響は結果として均されて無視できるんだろうけど、入金ゼロだと直撃する。
色々調べた結果、こちらは7年に1度20%程度円高に振れ、戻すのに5年はかかるという試算をしたところ、もう全然アカンかった。
試算を進めた結果、現金化しておけば株価暴落も円高も影響を受けなくなることが分かった。
いやまあ最初から分かれよ、当たり前だろ現金なんだから、と言いたい気持ちはわかる。はいそうですね。
そこで、おおむね俺が死ぬまで40年だと仮定して、全部現金で取り崩すとどうなるか計算した。はい、250万円ですね。
うーん、250万円かあ、ちょっとなあ。やっぱ運用はしないとムリよね。
暴落と円高の影響は5年で戻るだろうという前提のもと、5年分の生活資金を現金で持っておいて、それ以外を運用に回すことで計算しなおしてみた。
400万円x5年分=2000万円。そうすると、8000万円の運用資金になる。リターン4%だと、年間320万円だ。
リターン減ってんじゃねーか。減った80万円で何台PS5買えると思ってんだ。
でもこれ当たり前で、リスク資産が4%リターン、無リスク資産(現金)が0%リターンで、8:2で運用すると、3.2%になるのよね。(4%x80%=3.2%)
リスク資産を8割にしたうえで、想定資産 x 3.2% = 400万円を達成するには、単純に想定資産が1億2500万円必要になる。
うーん、足りない。
まあこれ運用資金が足りないの一種なんだけど、暴落中に運悪くなんかイベントが発生すると手持ち資金が足りなくなるのよね。
今は独り身でもある日突然運命的な出会いをしてロマンティックな恋をした結果子供が生まれて大学に行きたいとか言われる可能性だって残しておきたいじゃない。
暴落はいつ起きるかわからない。(読めるなら直前に現金化して、底値で全力すれば良いけど、読めないからインデックス投資で放置したいわけ)
そうなると、いまたぶん底値なんだよなー、株価が戻るまで修学旅行はあと5年くらい待ってくんない?とは言えないわけよ。
明らかに見えている出費は暴落や為替の影響から保護する必要がある。
複雑な為替ヘッジを行うって意味じゃなくて、単純に現金でもっとく必要があるの。
ただまあ、子供については奨学金と言う手もあるしなあということで、わりと真面目にエア恋愛からのエア子育てをした結果、1000万円も持っておけば足りそうなことはわかった。
生活資金が400万円x5年分=2000万円。ロマンスの値段が1000万円。運用リターンは2.8%ね。(リスク資産の運用を7割にするのであれば)
1憶4300万円x2.8%≒400万円ね。
全然足らん。
なんだかんだいって、1年程度の空白って実はどうにでもなるのよ。(俺はブラック企業を止めた後の家事手伝い期間を親の介護と言い張って就職を決めた知り合いがいる)
ただ、これが5年以上になって、しかもその期間ゼルダとSEKIROとエルデンリングしかしてませんでしたっていうと、厳しい、と思う。
後俺絶望的に接客業に向いてないので、最強の仕事であるマックジョブが使えない。
(マックジョブは、低賃金、低スキル、低給付、低尊厳などと定義されているが、日本は皆保険制度とブラック企業のせいで、全国どこでも働けるホワイト接客業として君臨している)
で、よくある資格を取得して開業とかも検討したんだけど、当たり前だけどちょっと頑張ったら取れる資格ならみんな取れちゃうから別にそんなメリットないんだよね。
そんで、超がんばったら取れる資格は当然職があるんだけど、それもう普通に職業訓練じゃん。
まあまあ頑張って取った情報処理安全確保支援士を書いてはいるけど、反応見る限りあんま関係なさそうなんだよね。
(これはドラマでセキュリティっぽい仕事してる俳優さんが格好良かったからという超絶に不純な動機で勉強して取った)
なんなら「ドラゴンクエストXを支える技術」を読んでよくわかんなかったから勉強したら取れたAWS 認定ソリューションアーキテクトの方がちょっと反応あるという。
当たり前なんだけど、いまの500万と未来の400万なら、当然いま500万円使いたいじゃない。
アーマードコアの新作が出るにあたっての試遊台を遊びに行くのにさ、新幹線での遠征が必要だとして、今年使える金額を理由に諦めるの、違うじゃん。
証券会社には1億ものお金があるのに、俺は今まさに使いたい金を制限しなきゃならんのか?
そう考えた時、ああ働いたお金を全部自分のために使って良いんだ、貯金とかいろいろ考える必要もなくなったんだって考えるのは心の平穏にすごく役立つと思うわけよ。
そうするとね、生活資金とロマンス資金を除いた7000万円だけ、リスク資産の運用資金として回しておけば良いわけよ。
7000万 x 4% = 280万円
しかも、このリスク資産は、俺の中では完全に取って良いリスクなのよ。無リスクでとっておきたい3000万円は現金で持ってるから。
そして俺が仕事して生活してゲームを買って残った金は全部リスク資産を増やすのに使える。労働するとお金がもらえるのは強い。
俺がFIRE出来ると思う条件は、以下の3つ
具体的に言えば、想定リターンが400万円なら、運用資金が2億あれば、半値の1億でも逃げ切れる。
ただ、そもそもそんな半値になって戻さないと思うなら、リスク資産を1憶で現金で5000万でも持ってれば良くて、これでも逃げ切れる。
賃貸を借りるのが難しいときに、持ち家を買えるだけの現金が残っているのなら、たぶん逃げ切れる。(いざという時に中古物件を買える金額。ローン組めないからね)
FIREって要するに、社会人が積立投資している場合の、出口戦略なのよね。
仕事を止めます、収入がなくなります、じゃあどうやって資金を取り崩していきますか?というのと同じことを考えるわけ。
暴落を5年耐えた時には使うタイミングを逃してました、じゃ困るから、そこは現金でもっとこう、とか。
おれは暴落からの戻しを5年と踏んだけど、まあ外して10年くらい戻さない可能性だって全然あるわけよ。
そういうのをツラツラとスプレッドシートで計算していくと、ある日突然働かないと食っていけない可能性って全然あるな、となったので、FIREは止めることにした。
というわけで、残念ながら1億ではちょっと足りなかったな、というのが正直なところ。