はてなキーワード: 天職とは
同じことだぞ、天職しなさい
IQなんたらはこっち→ https://anond.hatelabo.jp/20221228012108#
たぶんなんだけど、エンパワメントのない超規模組織で働くと治る症状だと思う
その証言を読んでいると、ジャニー喜多川という人は性依存症だったのではないかと思えてくる。
その勝手な印象について書いていく。
ジャニーの行為は、あまりに執拗で、強迫的に反復され続けている。
対象が未成年の少年という問題を抜きにしても、病的な印象を受けてしまう。
そんなことを考えていたら、調査委員会の報告書で、ジャニー喜多川氏自身が幼少期から性被害を受けていたという話が出た。
その話は報告書のメインではないが、これを読んだ時、さもあらんと思った。
ジャニーも性被害者だったのならば、彼もPTSDを抱えていたのかもしれない。
「だから免責だ」ということではない。
そうではなく、性依存症ではないかという疑いの裏付けを得た気がしたのである。
であるなら、なぜ被害者たちが加害者たるジャニー喜多川に純粋な憎悪を見せず、
「それでも尊敬している」
「感謝している」
と述べるのかも、わかる気がしたのだ。
あくまで印象だが、ジャニー氏は少年たちに依存していたのではないか。
というか、成長できずに、彼自身のメンタリティは少年のままだったのではないか。
愛想がよくても、精神的には大人の社会に対して孤立を感じ、真に仲間と言えるのは少年たちだけだと感じていた。
つまり、彼は少年たちに依存していたのではないか、と思うのだ。
そのあたりが、ジミー・サヴィルやハーヴェイ・ワインスタインと、ジャニーの違いではないか。
ジミー・サヴィルの被害者は、ジミーの番組に出た際に記念のバッヂを渡すと言われて楽屋に連れて行かれ、ドアを閉めるや否や、暴力とともに性行為を強いられたという。
しかしジャニー氏の暴力性は、精神的な依存の延長線上にあったのではないか。
だからわかりづらい。
ジャニー氏が少年たちのために、食事をつくってやったりなんだりと、ごくまめに面倒を見てやっていた話はよく知られている。
(もちろん性加害がそれで減じられるわけはない)
彼は、少年たちの前に、きらきらしい世界への導き手として登場する。
すごい人である。
雲の上の人だ。
そのすごいジャニーさんが、無名の自分にせっせと心を砕いてくれる。なんて良い人なんだろう、と少年たちは感動する。
それはいわゆる単純な「グルーミング」だけではなく、ジャニー氏にとっても楽しみだったのではないか。
いま、自分は少年たちに喜ばれている。好かれている。その仲間になっている。
彼らの魅力を引き出し、輝かせることも、天職と思っていたかもしれない。
言うなれば、彼は、少年たちの魂と一体化したかったのではないだろうか。
性行為がその手段だったかどうかまではわからない。単純な性欲もあっただろう。
しかし少なくとも、性行為は、ジャニーにとって精神的な苦痛を忘れる行為ではあったのではないか、と思うのである。
もちろん、性加害は許されない。
彼自身、性加害でこわされていたジャニー喜多川は、その苦しみを忘れられる行為として、性行為に依存した。
相手は「変な人がいるな」と横目で見ただけなのに、「目で誘ってきた」と思ったりする。
ジャニー喜多川もまた同様ではなかったろうか。
単に自分が「NO」を言える環境を与えていないだけなのだが、そのへんの事実は無視したのではないか。
考えたくなかったからだ。
少年たちを愛している。
彼はそう信じていただろう。
これは愛だと少年たちに信じさせようともしただろう。
実際のところ、ジャニーがやったのは、相手に依存し、傷つけ、侵略する行為だった。
しかし、それを愛と呼んだ。
その依存は、まるでほんとうに愛されているような一体感を少年たちに与えただろう。
被害者たちがジャニーを否定できないのは、意識的に計算されたグルーミングのためというよりも、そのためだと考えると、理解できるのだ。
それを癒すことを少年との関係に求めていた。少年たちに愛情を注いでくれていた。求めていた。
ジャニーの苦しみに巻き込まれただけだが、繊細で優しい者ほど、そんな相手を捨てることに罪悪感を持ってしまうものだ。
性愛でなくても、自分の問題にこどもを巻き込み、押しつける大人はけっこういる。
毒親と言われるのはそういう人たちだ。
ジャニーにとって、孤独の苦しみも、愛されたい・愛したい、という願いも、真剣なものだったかもしれない。
しかし実際のところジャニーが愛したのは、目前の少年たちではなかった。
彼が見ていたのは、少年たちに投影したジャニー喜多川……喜多川擴という、孤独な少年だったのではないか。
自分では愛しているつもりだったにせよ、ジャニーはただひたすら、「自分が」、救われたかっただけだった。
おそらく心底では、愛されてなどいないとわかっていたはずだ。
依存を深めれば深めるほど、孤独も深まり、それを忘れようとなおいっそう依存していき、性加害はやめられなくなっていっただろう。
そして被害者は増え続けた。
それは愛ではない。
それを愛だと思ってしまうと、「愛された」人間の苦しみはふくれあがる。価値観が歪む。呪いになる。
「あわれだけれど、愛ではない」と言わなければならない。
かつては、ジャニー自身が、プレデターのためにおなじように苦しめられた少年だったのかもしれない。
誰も彼には「それは愛ではない」と教えてくれなかったのだろう。
そして歪んだ結果、彼自身も、少年たちを歪めるプレデターになってしまった。
だが時代的にも、年齢的にも、メリー氏にはできなかっただろう。
当事者の会は、声に出せてよかったと思う。
彼らは少なくとも、少年を歪める者にならないですむだろう。
だがいま、声を出せない被害者もいるはずだ。
それでも、カウンセリングなどをうけて、ジャニーの呪いを解いてほしいと思う。
あわれに思ってもいい。憎めなくてもいい。
それでも、あれは愛だと思う必要はない。
50代のオッサンから見る20代後半の女の子の話だから、そこに食指がわかない奴らはすまないが帰ってくれ。
その店は居酒屋とバーの半々くらいのところで、カラオケもあって、遅くまで営業しているので、主にカウンターに座るオジサンの常連客と、テーブル席に座る次に来るのがいつになるのやらという若い新規客が入り乱れている。もちろんオッサンは常連側である。
そして予約やら先に来ていた客やらであれよあれよという間にオッサンはその女の子の隣に座ることになったのである。
その子もオッサンも会釈をしたあと会話の糸口を見つけられずなんとなく携帯をいじっていると、店主の女の子(32)が、「増田さん!その子ノニちゃん(仮称)って言って、最近よく来てくれるようになったの!ノニちゃん、この人は増田さん。いい人だから乾杯くらいしてみな!」と言うので、オッサンの酒が来たタイミングで乾杯をした。
ノニちゃんはどうやらウイスキーが好きで、1ヶ月に1杯、知らないウイスキーを、ストレート→ロック→ハイボールの順番で飲んでみるらしい。
「ここのお店は色んなウイスキーがあるので、種類の数がこのままだったら2年は飲めちゃいそうです」
ノニちゃんはそう言って笑った。ほぼ角ハイボールしか嗜まないオッサンにとっては異文化である。
メガネをかけていると垢抜けないだとか、デブだとか、目がギョロっとしていて怖いだとか。
出会った時のままでも十分すぎるほど可愛くて、でも「デブ」という言葉に対抗して減量したり、メガネを外してカラコンをしてみたり、それに対して「目が強いよね」と言われて結局またメガネに戻したりする姿は、努力家なことを思わせた。
お店のカラオケでジェネレーションギャップを感じながらも、オッサンのわかる歌として歌ってくれたヘッドライト・テールライトはオッサンの心を鷲掴みにした。
歌声についても賛否両論あるらしく、「いつか絶対全員に上手いねって言わせてやる」と息巻いていた。オッサンとしてはノニちゃんが歌手デビューして、こんなところでは歌えなくなってしまうのが心配である。
そしてオッサンとノニちゃんはなんとなく会えば話す仲になり、なんならオッサンはノニちゃんにハマり、ノニちゃんにシャンパンやらワインやらをご馳走したり、オッサンとノニちゃんが隣に座った日はノニちゃんの会計はオッサン持ちになったりしたのである。
連絡はしてくれる。飲みにも行ってくれる。オッサンの大好きな笑顔で喋ってもくれる。
ただ、ノニちゃんは自制が効かなくなっているというか、自暴自棄になっているというか、そういう状態が目立つようになった。
ノニちゃんはどうやら仕事を辞めたらしい。ほんの数週間前まで「ほんとに楽しい!天職だと思う!」と嬉しそうに語っていた仕事を辞めたのだから、相当のことがあったのだろう。ただ、懲戒免職や会社都合退職ではないと本人から聞いた。
店主の女の子:ダイアさん(仮称)は、最近ノニちゃんが危なっかしくて仕方ないから、オッサンがいる時だけでもちょっと気にかけてくれると嬉しいと言っていた。もちろんオッサンはノニちゃんが好きなので普段から気にかけているが、より気にかけて見てみた。
すると飲み放題を頼んでいるとはいえ前より圧倒的にスピードが早く、飲んでいるお酒の量は増えていた。
以前ノニちゃんは「私はゆっくり飲まないと長持ちできないから」と言って、飲み放題で元が取れるちょうどの量を飲んでいた。
それがゆっくりなのか疑問に思う人もいるかもしれないが、ノニちゃんのスピードは元々それくらいだ。
長持ちできない飲み方をしているのに長居して、結局限界を感じて吐いてしまう前に帰るということがよくあった。
この日オッサンは飲みに出かけていないのだが、ノニちゃんは1人で飲みに来たという。
そして面倒なタイプのオジサンに絡まれ、断りきれず次のお店に連れていかれた。
そして次のお店でホテルに行かないかと提案され、ダイアさんに助けてLINEを送り、ダイアさんはその場から早く逃げるようにアドバイスを返している。
ノニちゃんは友達にも連絡して友達の危機を装って逃げようとしたが、せめて出された酒は全部飲んでいけと恫喝されて、飲めばこの場から逃げられると思って飲んで店を出たところまでは覚えているらしい。
ノニちゃんの次の記憶は、路上で座り込んでしまってホストのような人に水を渡されたこと。
そしてその次の記憶は警察に声をかけられ、救急車に乗り込んだことだった。
少なくとも今までの自分なら、そもそもダイアさんのお店から出ていかないし、変なオジサンに連れていかれた変な店で飲むならグラスがあいてないのにトイレに行かないし、トイレに行ったとしても「ちょっと休憩」とでも言って何か別のソフトドリンクを頼むし、と後悔が止まらない様子だった。
仕事を辞める前のノニちゃんが出来ていたことが、出来なくなっているという。
ダイアさんは心配がっているし、ノニちゃんもこのままでは嫌だと言っている。
50代のオッサンから見る20代後半の女の子の話だから、そこに食指がわかない奴らはすまないが帰ってくれ。
その店は居酒屋とバーの半々くらいのところで、カラオケもあって、遅くまで営業しているので、主にカウンターに座るオジサンの常連客と、テーブル席に座る次に来るのがいつになるのやらという若い新規客が入り乱れている。もちろんオッサンは常連側である。
そして予約やら先に来ていた客やらであれよあれよという間にオッサンはその女の子の隣に座ることになったのである。
その子もオッサンも会釈をしたあと会話の糸口を見つけられずなんとなく携帯をいじっていると、店主の女の子(32)が、「増田さん!その子ノニちゃん(仮称)って言って、最近よく来てくれるようになったの!ノニちゃん、この人は増田さん。いい人だから乾杯くらいしてみな!」と言うので、オッサンの酒が来たタイミングで乾杯をした。
ノニちゃんはどうやらウイスキーが好きで、1ヶ月に1杯、知らないウイスキーを、ストレート→ロック→ハイボールの順番で飲んでみるらしい。
「ここのお店は色んなウイスキーがあるので、種類の数がこのままだったら2年は飲めちゃいそうです」
ノニちゃんはそう言って笑った。ほぼ角ハイボールしか嗜まないオッサンにとっては異文化である。
メガネをかけていると垢抜けないだとか、デブだとか、目がギョロっとしていて怖いだとか。
出会った時のままでも十分すぎるほど可愛くて、でも「デブ」という言葉に対抗して減量したり、メガネを外してカラコンをしてみたり、それに対して「目が強いよね」と言われて結局またメガネに戻したりする姿は、努力家なことを思わせた。
お店のカラオケでジェネレーションギャップを感じながらも、オッサンのわかる歌として歌ってくれたヘッドライト・テールライトはオッサンの心を鷲掴みにした。
歌声についても賛否両論あるらしく、「いつか絶対全員に上手いねって言わせてやる」と息巻いていた。オッサンとしてはノニちゃんが歌手デビューして、こんなところでは歌えなくなってしまうのが心配である。
そしてオッサンとノニちゃんはなんとなく会えば話す仲になり、なんならオッサンはノニちゃんにハマり、ノニちゃんにシャンパンやらワインやらをご馳走したり、オッサンとノニちゃんが隣に座った日はノニちゃんの会計はオッサン持ちになったりしたのである。
連絡はしてくれる。飲みにも行ってくれる。オッサンの大好きな笑顔で喋ってもくれる。
ただ、ノニちゃんは自制が効かなくなっているというか、自暴自棄になっているというか、そういう状態が目立つようになった。
ノニちゃんはどうやら仕事を辞めたらしい。ほんの数週間前まで「ほんとに楽しい!天職だと思う!」と嬉しそうに語っていた仕事を辞めたのだから、相当のことがあったのだろう。ただ、懲戒免職や会社都合退職ではないと本人から聞いた。
店主の女の子:ダイアさん(仮称)は、最近ノニちゃんが危なっかしくて仕方ないから、オッサンがいる時だけでもちょっと気にかけてくれると嬉しいと言っていた。もちろんオッサンはノニちゃんが好きなので普段から気にかけているが、より気にかけて見てみた。
すると飲み放題を頼んでいるとはいえ前より圧倒的にスピードが早く、飲んでいるお酒の量は増えていた。
以前ノニちゃんは「私はゆっくり飲まないと長持ちできないから」と言って、飲み放題で元が取れるちょうどの量を飲んでいた。
それがゆっくりなのか疑問に思う人もいるかもしれないが、ノニちゃんのスピードは元々それくらいだ。
長持ちできない飲み方をしているのに長居して、結局限界を感じて吐いてしまう前に帰るということがよくあった。
この日オッサンは飲みに出かけていないのだが、ノニちゃんは1人で飲みに来たという。
そして面倒なタイプのオジサンに絡まれ、断りきれず次のお店に連れていかれた。
そして次のお店でホテルに行かないかと提案され、ダイアさんに助けてLINEを送り、ダイアさんはその場から早く逃げるようにアドバイスを返している。
ノニちゃんは友達にも連絡して友達の危機を装って逃げようとしたが、せめて出された酒は全部飲んでいけと恫喝されて、飲めばこの場から逃げられると思って飲んで店を出たところまでは覚えているらしい。
ノニちゃんの次の記憶は、路上で座り込んでしまってホストのような人に水を渡されたこと。
そしてその次の記憶は警察に声をかけられ、救急車に乗り込んだことだった。
少なくとも今までの自分なら、そもそもダイアさんのお店から出ていかないし、変なオジサンに連れていかれた変な店で飲むならグラスがあいてないのにトイレに行かないし、トイレに行ったとしても「ちょっと休憩」とでも言って何か別のソフトドリンクを頼むし、と後悔が止まらない様子だった。
仕事を辞める前のノニちゃんが出来ていたことが、出来なくなっているという。
ダイアさんは心配がっているし、ノニちゃんもこのままでは嫌だと言っている。
今夏のボーナスで準富裕層(金融資産5000万円以上)になった。
正確には結婚前からの個人の貯金が3000万円と家庭の資産4000万円を仮に2等分した2000万円を足した額が5000万円になったということ。
2011年4月に修士卒でメーカーに入社(24歳)。奨学金含め借金はゼロ(学費+生活費を出してくれた親には大変感謝)だが貯金もほぼゼロ。
30歳までに1000万円貯めることを決意。
持ち株会が5%の奨励金がついてお得なので入社後すぐに開始。さらに1年目の冬のボーナスを突っ込んで数十万円から株取引を開始。
最初は個別株で勝ったり負けたりしていたが、そのうち取引が面倒になってきたので、株主優待が良さそうな銘柄を買って放置することになった。
リーマンショックの影響がまだ残っていて日経平均が10000円を切っていたところから始められたのは今思えばかなりラッキーだった。
例えばビックカメラや松屋などのこの時に買って放置している銘柄は今ではすべて2倍以上の価値になっている。
めぼしい銘柄が無くなったところで投資信託(emaxis-slimなど)にも投資を開始。
持ち株会も含めて年間100~150万円を投資に回しながら5年半が経過した2016年12月に30歳で1000万円に到達。
リーマンショックから脱して全世界で株価が上り調子だったことに加えて、日本ではアベノミクスで市場にお金が投入されていった時期と重なったこともあり、30歳までに1000万円という目標を何とか達成できた。
今後の目標を35までに3000万円、40歳までに5000万円と設定した。
2017年に結婚、2018年に娘が生まれる。結婚してからはお互いの給料は小遣い3万円とボーナスの半分を除いてすべて家計口座に投入し、家計口座から別途投資を開始。
二人とも給与は安定しているため20%貯金+80%投資で回す。コロナショックでは数百万円の含み損の時もあったが、淡々と買い増しを続ける。
お互い金遣いが荒い方ではないし、共通の趣味の旅行も子供が小さかったのとコロナで制限があったため特に厳しい節約をしたつもりは無いが敢えて多く使うということもなかった。
2021年1月(34歳)に個人2200万円+家庭1600万円(÷2)で3000万円を達成。内訳は個人が貯金100万円+投資入金1600万円+投資利益500万円、家庭が貯金500万円+投資入金1000万円+利益100万円。
最初に書いた通り、2023年6月(36歳)に個人3100万円+家庭4000万円(÷2)で5000万円を達成。内訳は個人が貯金100万円+投資入金1800万円+利益1200万円、家庭が貯金800万円+投資入金2000万円+利益1200万円。
コロナで全世界的に金が市場に投入された結果、インデックスを淡々と買っているだけなのにすごい勢いで含み益が増えていった。
40歳で5000万円の計画だったが3年近く前倒しで達成できた。仮にこれから年率3%+貯金で増えるなら、10年後の47歳で個人5000万円+家庭10000万円になる計算である。
自分は次男だし妻の方も男手はあるので親の遺産は期待しないがマイナスになる事も恐らくない。
今後のインフレがどうなるかは不明だし、未来は何が起きるかわからないものの、50歳で家庭に1億円と個人で数千万が手元にある可能性は十分高いと考えられる。
今の職場に不満は無いがめちゃくちゃ楽しい天職というわけではないし使いきれないほど金を貯めたいとも思わないので、50歳くらいでリタイアしてもう一度大学にでも行こうかと考え中。最初は理学部だったので、今度は文学部か法学部かな。
ここ数日で見かけた小さな「子供産むべきか論争」を見てふと自分も呟きたくなったので記録したいと思う。
結論としては、子供を産んでよかったが、子供を持つことを他人にオススメは絶対できない。
私は昔から自分より年下の子供が好きで、近所のちびっ子達の親御さんに、いまだに感謝されるくらいに面倒見がよい子だった。
中高の職業体験では幼稚園を選択したし、電車で赤ちゃんを見かけたら可愛くて思わず笑いかけてしまったり、手を振ってしまったりするタイプ。
(職業体験を通じ、多くの幼児の命を預かる責任が自分には重すぎると感じて早々に見切りをつけた。保育士や幼稚園教諭には頭が上がりません。)
「いずれ子供が産みたい」と漠然とした思いを持って大人になったが、それが"女は子供を産むもの"という社会からの刷り込みによるものか、はたまた生物的本能なのか、そんなことはわからない。
中学校の保健の授業で女性の妊娠についてざっくり学ぶのだが、そこで妊娠の適齢期や高齢出産による染色体異常などのリスクについて知り得た。
身体の妊娠機能という一点にのみフォーカスするなら、早く産む方がいいのだという意識をこのころから持つようになる。授業を人一倍真面目に聞き、そして自分と関連づけて反芻するタイプの生徒だった。
中学高校と成績は優秀で旧帝大に進学。新卒で地元の企業に就職した。
職場は"産休育休が取りやすい"ことを売りにしていたのも大きなポイントとなった。この時点では産休取得は社会的にメジャーになっていた為、働きながら子育てすることにポジティブなイメージを持っていた。
私は産休育休3回取ったからね!と豪語していた女性の先輩をロールモデルに頑張ろうと働き始めた。
ママさん社員たちは時短勤務である。他の社員が早めに出勤して掃除をし、朝礼を済ませ、諸々の雑用を終わらせた頃にやってくる。そして一切の残業をせずに帰っていく。ロールモデル先輩はもう10年程この働き方を貫いていた。
子供がお熱ですと連絡があれば早退していくし、高確率で次の日も休む。運動会や卒園式などイベントも目白押しだった。
皺寄せは確実に他の社員にきていた。産休とりやすい!のカラクリは、他の社員の頑張りでしかなかったのだ。そこまでの実情は大学生の私には見抜けていなかった。
10年かけて先輩社員が子供を産み育てている間に、中堅の先輩達は結婚適齢期にさしかかりながら、デートする間もなく残業の日々だった。
私は結婚もしたいし子供も産みたいが、他人の犠牲の上に成り立つ"そっち側"にもなりたくないという思いがただひたすらに募った。
Twitter上では"他社員への負担は会社側の問題であり、ママ社員の問題ではない"という論調が目立つし、まあそうなんだけど、じゃあ実際問題どうすればいいのだろう。
常に余裕を持った人員配置をしたとて、穴を空けることにより少なくとも通常なら不要なはずの手間なり迷惑はかかるし、どうしても子供のいない人の方にばかり負担がいくことになる。
短時間勤務でもパフォーマンスさえ良ければ問題ない職種もあるだろうが、早退や欠勤がモロに損失となりうる職種もある。(ママ社員だけ取り立てて有能でなければ生き残れないというのも不公平な話だけれど)
自分が休んだとて全く問題ないなら、それはそれで最初から必要なくないか?ただの給料泥棒じゃ...という思考にも陥った。
私の場合入社後すぐに海外出張ありきの新しいプロジェクトを任されており、子供を産むとなれば確実に継続は難しかった。
26歳のときに結婚の話が出たときに、私は潔く退社を決めた。(これは夫のある程度の収入ありきの話で、一般化できる話ではないが。)
子供はいつか欲しいと双方の合意はあったし、彼の勤務地に引越すに際して私が退社することも相談して決めた。
ここまでの文章で私がまるでキャリアに興味のない女に捉えられたかもしれないが、仕事は充実していたし本当に天職だと思えていた。かといって働く為に生きているタイプでもない。
パートナーを愛していたし、結婚して家族を作りたいという私の人生は優先するとして、確実に周囲に迷惑をかける前提で仕事を続けることが、性格上できなかったのである。
時間は不可逆である。私はもう、あの教科書でみた25歳を超えていた。
結婚後は新しい土地で割とすぐに妊娠したのだが、つわりが人の倍重いタイプだった。ここで地獄を見ることになる。昼夜問わずに吐き続け、一切の水分も受け付けず、極度に痩せて入院となる。
病名は重症妊娠悪阻。食事が摂れないので点滴での栄養と水分補給となった。
そしてトラブル続きの出産となり、緊急帝王切開で出産。息子はNICUに入ることとなる。
人よりは子育てへの解像度は高いという自負があったが、それでも初めての育児は想像を絶した。
(というか、子育てで極限の状態に追いやられた時に自分がどれほどしんどいかなど完全に予想するのは不可能では?)
よく「わかってて産んだんだろ」という母親への辛辣なコメントを見かけるが
文字通り"何があっても"自分は心身共に大丈夫だし、愚痴の一つもでないと誓える人間などいるのだろうか。
我が子はとにかく睡眠が下手で、そして食べない子であった
つわりが始まったころから、そして息子が朝まで寝るようになるまでの計4年半の間、私はたった一晩たりとも朝まで眠れたことがなかった。なんの誇張もしてない、事実である。シンプルな寝不足。この一点だけでも育児はキツすぎた。
マミーブレインとも呼ぶらしいが、自覚できるほどに頭が正しく働いていなかったし、この状態で復職など私には無理だった。
睡眠、食事、お風呂、トイレなど生物として基本的な欲求が満たされないので、高次のところに欲求がいかなくなる
もう何回も擦られたフレーズだが、「社会から取り残されて子供と自分だけの世界」で、なんの金銭も生み出さずゴミのような気持ちになったりもする。
身体的に辛い時間が長かったのもあり、第二子は4歳差になった。
そんなしんどいのに第二子作るんかい!?というお声が聞こえるけど
でも子供達はどうしようもなく愛おしくて可愛くて間違いなく私の宝物なのだ。
子育てが最高にしんどいのと、子供が最高に可愛いのは両立し得る。なんの後悔もない。
ただ、どういうところがいかに辛く大変なのかはいくらでも言語化してTwitterに垂れ流すことはできるが、どういうところがプラスなのかはこのくらいフワフワした言葉でしか説明がつかない。
それくらい育児は過酷であるし、女性が妊娠出産に適した時期に結婚して子供を産み、無理なく安心して生きていける社会構造では全くない。
そして何より、産むことそのものの身体的負荷はどっちにしろ回避できない。
耐えかねる人は絶対にいる
元増田(https://anond.hatelabo.jp/20230531142029)です。字数制限超過したのでみたいなのでこちらでコメント返しします。
引き続きコメント返しです。ほんと説明不足ですいません。ただの愚痴をこんなに読まれると思わなかったから、だいぶ端折ってました。
あんまり長いと「長すぎる」と叩かれるかと思ったけど、端折ると「解像度が低い」になるのか。詳細に書いたほうがいい場合もあるんだなあ。
勉強になります。ついでに元記事の誤字もちょくちょく直しています。
ほんとにね。片道1時間半~2時間弱かかっていたので大変だったけど、地元では遠方への通学って結構普通だったんだよね。
さすがに遠いので大学(大学院)近くに一人暮らししたかったけど、当時はガソリンも今より安かったし、一人暮らしするよりも
実家に数万入れて車で通うほうが経済的だった。ゼミに入るとずーっと研究していて、風呂と寝床のために帰っているだけだったし、
ちょっと一人暮らしは贅沢だなと思ったところもある。運転は好きだったから、長距離運転も息抜きととらえて何とか頑張れた。
今回の件に関しては、クソ店長が女を馬鹿にするクソだったことに加えて、単純に人としてクソだった。
ただその後ほかの店舗を回って車を見ることもあったけど、やっぱり男性が横にいるだけで対応が違う人はいる。
結婚後、私の車を買うために夫を連れて何店舗か回ったことがあるが、夫がお手洗いで席を外すと、
夫が戻ってくるまで話をしない販売員がいたりね(私のお金で購入することは先に言ってある)。
実際問題として、女だと相手にしない販売員がいる現実はあると思う。
ほんとそれ。でもね、当初(女性店長時代)は地元ではすごく評判で、私も本当に嫌な思いはしなかったんだ。
最初はボロい70万程度の軽を買ったときも、予算に合わせていろんな車を探してくれ、欠点も含め細かく説明してくれた。
今思えば、店長がクソに変わってから店舗のスタッフもコロコロ変わっていたし、もしかしたら色々問題のある店舗に変わってしまってたのかも。
ディーラーを信頼できるかはちゃんと考えていかないとだめだなと思った。予算に限りある学生時代だとなかなか難しかったけれど。
もし親にお金借りられるとかなら、メーカー直営から出世払いで新車買った方が断然安心だなって思う。
6か月点検以外にも、そのディーラーでできる定期点検は全部受けていたし、
走行距離がめちゃくちゃだったので、2~3か月に一度はオイル交換に行き、簡易的な点検も受けていた。
毎回のように予約を忘れていたけどな!あまりに毎回同じ対応だったので端折りました。
店長不在で他のスタッフに対応してもらった方が全然いいくらい。
一般の人よりかなり点検はしていた方だと思っていたが、結局そのディーラー(クソ店長?)がザルだったから無意味だった。
もしかしたら整備士も途中で変わっていたのかもなあ。今となっては分からないが。
整備記録でもずっとエアコンベルトについては問題ないことになっていたがもう信用ならない。
その通りで、田舎にJAFはすぐ来ない。田舎は通常は2~3時間(ひどいともっと)かかるのが普通。
私もJAFを利用するのはこの時が初めてではなかったが、それまではそれくらい待った。
このときもJAFに電話して「到着まで時間がかかる」と言われ深夜3時過ぎに絶望しかけたが、再度JAFのコールセンターから電話があり,
運よく近隣の市でレッカー対応後の隊員がいたらしく、急ぎで来てもらえることになった。不幸中の幸いだったと思う。
40分くらい待ったら来てくれた。一仕事終えた後に来てくれたJAFのお兄さんにも感謝。
廃車の判断は、JAFの人にレッカーしてもらって、隣市の修理工場のあるメーカーの大型販売店までレッカーで持っていき、後日正式に廃車となったよ。
でもレッカー前に私が通学通勤のことを心配していると、JAFの人が試しに車乗って、エンジンかかるかとか、アクセル踏んだときの感触とかいろいろ見てくれて、
「経験上、多分廃車だから期待しないほうがいいよ」みたいな感じで言ってくれた。
諦めて交通機関で行けって意味だと思う。朝7時からスーパーでバイトがあって間に合うか焦っていたので、ズバッと言ってくれて助かった。バイトは休んだ。
でも、そのJAFの人、本当に不思議な人だったんだよね。くそド深夜に呼ばれても、すごいニコニコ嬉々として車を見てくれるの。
それまでのJAFのお世話になったことや、親がJAFを呼んだのに一緒にいたこともあったが、あんなに楽しそうに仕事するJAFの人は初めて見た。
車にもすごく詳しい人で、あれやこれやと色々話してくれた。天職なんだろうと思う。
ほんとにね。あとにも先にもあんなに親切なJAFの人は初めてだった。これからもその人を指名で呼びたいくらいファンになった。
実際には、JAFの人がその場で特約を読み込んでくれて、「もしかしたら特約で対応できるかも!」といって、保険会社のロードサービスに電話して色々聞いたり交渉してくれた。
「〇〇大まで通ってるの?じゃあ車ないと困っちゃうよね~」と言って、よろしければ保険屋と電話しましょうか?といって色々話付けてくれた。
JAFのすべての人がここまで親身になってくれるわけでもないから、本当に親切にしていただいたのだと思う。ディーラーの引きは最悪だったがJAFの引きは良かったらしい。
私もパニックになっていたところ親身になっていただき感謝したし、感謝のあまりその人の名前を覚えておいて、後日JAF本社にお礼の手紙を送った。
10年くらい前のことでおぼろげだが、保険は損保で、代車等諸費用特約でみたいな名前だったはず。(期間無制限かは分からん。期限ありかも。)
JAFの人が先に保健屋に電話して交渉してくれたからか、翌日保険の担当者から電話があり、レンタカーを借りる店舗とか借りられる期間とかを教えてもらって、
ト〇タレンタカー行って、次の中古車を買うまでの2週間強のあいだ、一番グレードの低いであろう普通車を借りた。スムーズだった。
もしかしてレンタカー代がかからないなんてありえないんですかね?私が言っていることって間違っている?間違っていたらすまん。
じゃあなんであのときレンタカー無料で借りられたんだろうか…。幻…。毎日寝不足だったから幻かも。むしろなんで無料だったか教えてほしいくらい。
ほんと嘘松だったらハッピーなんだけどね。自分でも、学生時代の自分がこんなクソ接客に耐えていたなんて信じられない。
未だに正月に実家に帰るとこの話で盛り上がって、いつまでも消えない怒りのエネルギーでクソをののしり合う地獄の正月になってるんだよ。
これが現実のほうがしんどいから嘘であってほしいよマジで。ここに愚痴書いてすっきりしたので、嘘松乙と言われる分には全然いいのですが。
私を馬鹿にするのはまあいいがJAFの人の人格を否定するのは許さん!
でも実際問題として、JAFの人でも「女性に何言っても分からないか…」みたいな態度の人にあたったことはある。
単純に今回の件はJAFの人がとことん親切だったことに救われた話だった。
いやだから本当はそうしたいんだけど、こっちが女ってだけで見下す人がいるから保険で連れてけって話をしてんですよ。
そりゃいい大人だし自分の金で一人で買い物したかったよ。若い女が見下されるから男連れて行くって自分でも悔しいに決まってんじゃん。
でも一人で行ってヘタすると損害こうむるのは自分だし、何店舗も巡って、持ち帰って調べてまた店行って、みんなできるか?そんな暇すべての人にないぞ?
痛い目みた30代の私はできるけど、免許取ったばかりの若い人だとなかなかそこまでできないだろ?
それに関係切りづらい面倒な販売員もいる。そうならないためにも簡単にできる対策の一つが「男性連れていく」って話をしてるんだよ。
別の分野や趣味で挑戦するわけでもなく
この道しか知らない
上には上がいることも、下から数えたほうが早いことも知ってるのにここしか居場所がない
働くことに対するセンスがある人や化け物じみたスペシャリストを見て憧れて
心も知識も下地がない自分は力不足で、気持ちだけでは追いつけず、下からは追い抜かれ何度も挫け
仕事に対して希望を見いだせなくなるも、次から次へと変わるトレンドに向かい合って気持ちばかり消費して
それでも人並みの生活をするための術として、今も世界の片隅でひっそりと仕事を続けてる
世界はこんなに広いのに自分は今いる場所から数百km程度のことしか知らずに死ぬのだろう
インターネットがあるのに自分は波打ち際で眺めることしか出来ずに余生を過ごすのだろう
社会人になった頃は今よりもっと明るい未来が見えるのは自分だけとず信じていた
迷わず歩いていけば良いと思ってた
追いつこうとして全力疾走するもバテて休んで…って繰り返していたら、着実に歩いている人にも追い越されてしまった
周りに走者がいない道をスタミナ切れで歩いてるような虚しさが今
もし生まれ変わるなら
いまマツコ会議見てるんだけど、リモートゲストのやす子との話の中で
マツコもやす子も「18~20歳の時点で社会と折り合いがつかず、この先どんな仕事をしてどうやって生きていけばいいのかわからなかった」と言っていて
…否、そのくらいの年齢ならそれが普通だろ。問題なのは50になっても折り合いもつかず出来る仕事をやるしかないって人間が無数に居るってことなんだがな…と思った
(いやいや、「出来る仕事をやるしかない」どころか「仕事が出来ない」「出来る仕事が無い」「働けない」ってのが問題)
やす子の様に24歳で「今年の目標年収2500万円」などと掲げられる人間は確実に上位一桁%だから、50代で社会と折り合いつかない人間と比べるべきもないが
20代のウチに天職を見つけてそれなりの額を稼げる人間は、昔の言葉で「勝ち組」と言う
勝ち組のマネをしてなんとか30代のウチに「やってける仕事」に就いて「年齢と同じくらいの月収を得」て「家族を持ち」「家を建てる」ことが出来れば「準勝ち組」だろう
50代…はどうにもならない。そこまで敗残し続けたらあとはそのまま人生終わる。更に親の介護も入ってきたりしたらもう…すぐさま人生終わる
そっから一発逆転リカバリ組ってのは、24歳で年収2500万円を目標に掲げられる(その目標が視野に入っている)上位一桁%と同じポテンシャルを持っている人だ
何らかの理由で「成功」が50代になってしまったというだけのハナシ
そういったことを考えると、みんな「30代までには人生を確立しないとダメ」なのだ
分かってるんだけど、出来ないって人が多い。これはもう生まれ持った能力(努力出来るか否かという能力も含め)でしかない
何の才能も無い場合は「出来ること」を石に齧りついてでもやり続けるしかない(努力ではなく忍耐)
「出来ること」が「とても嫌いなこと」の場合がすげえ辛いんだけどな
「そんな辛い思いしないで別の道探しなよ」って世間は簡単に言うけど、他のことが出来ない場合が多いからなあ
で、もし他の道を探すとしても、探せるタイムリミットが直ぐそこって場合が殆どなんよね
20代でダメだとして10年以内に見つけられないときっついよ。ほんで、10年なんてあっという間だわ
10代前半とかなら「10年なんて永遠」くらいに感じるかもしれないけど、20代からの10年なんてほんと光の速さよ
そのくらいの人達って社会がシビアなせいか、考え方もシビアで堅実なイメージあるから
ずっと接客業やっててさ、結婚したしこれから子ども出来たら土日休みのがいいよなーって転職したわけよ
手に職あれば給料いいし何か作る仕事がいいなと思ってプログラマになったんよ
ただ毎日椅子に座りっぱなしでひたすら仕事するのが段々しんどくなってきた
そりゃ嫌な客も多いけど、いいお客さんも常連さんも多くてそういう人たちとのさりげないコミュニケーションとか好きだったんだ
高校の時からコンビニやスーパーでバイトしててそのままずっと接客業だったけど気付かなかっただけできっと天職だったんだろうな
思えば接客業やってて休みが土日だったらなと思うことはあっても今の仕事内容が嫌だな辞めたいなとは思ったことなかったな