はてなキーワード: ピタリとは
小学校低学年の頃まで僕は毎年夏休みに、田舎にあるおばあちゃんの家に遊びにいっていた。
とても豪華なことに源泉かけ流しでそしてとても広い風呂だった。
子供2人と大人1人で入っても余りがあるくらいで、さらに小学2年生の僕には足がギリギリつかないほど、とても深かった。
そしてそのお風呂は潜ると、「村」が見えるのだった。
どんな村だったか、いまだによく覚えている。
とても覚えやすい、単純な地形だった。
一番左に、大きな学校にあり、その近くに個人の商店があり、そして右に行くにしたがって個人の民家が広がっていた。奥には病院があり、その先には森林が広がっている。
おばあちゃんちのお風呂に潜ると、そんな具合に、この村が上空から俯瞰できるのだった。
何度潜っても、いつでも同じ景色であり、それはとても当たり前のことだった。
小学生の僕はこの話を大人にしたが、誰も信じてはくれなかった。ただし、5歳の妹を除いて。
この話を僕らが大人にしつこくするものだから、近所の高校生のお姉さんが真実を確かめようと一緒にお風呂に入ってくれた。
「さあさあ潜って、潜って」と僕は大はしゃぎである。妹も同じように、はしゃいでいた。
お姉さんは「どれどれ〜?」と半信半疑でにやけた顔をしていた。
僕と妹とお姉さんで湯船に入り、いっせーので潜った。
隣には村を見ている妹が見えた。
そしてもう一方の、お姉さんの方を見た。お姉さんも村の方を見ていた。でもなぜかお姉さんに金のリングや宝石のネックレスのようなものが身体に巻き付いていたのだった。好奇心からそれを取ろうと手を伸ばしたところで水面に引きずり出された。
「やっぱり何もないじゃない」
お姉さんはそう言った。僕は「あるじゃん!そこにあるじゃん!」と抗議した。妹も抗議した。
お姉さんは困った顔をして、それ以上は何も言わなかった。
結局、それでその場は終わった。
夜、寝る前に僕は気になっていた。
あの宝石はなんだったんだろうか、と。
妹にもあれが見えたのだろうか、そういえば抗議することに必死で聞きそびれた。
もう一度見えたりはしないだろうか、そう思って、夜中に1人でお風呂へと向かった。
おばあちゃんちのお風呂は源泉かけ流しだったので、いつでもお湯が張ってあるのだった。だから夜でも朝でも入り放題であった。僕はみんなが寝静まった夜に、お風呂に入って、そして潜った。
村が見えた。
そして、宝石が落ちていくのも見えた。
潜って潜って、手を伸ばした。全然手に届かなかった。病院の近くの標識の方へと落ちてくのが見えた。
息が苦しくなったので、引き返して水面に戻った。
もう一度潜った。
また宝石が落ちていくのが見えて、それを拾おうと必死で追いかけた。
でも息が苦しくなって引き返した。
僕はこれを何度かチャレンジして、無理そうだと諦め、布団に戻って寝た。
誰もが泣いているなか、僕だけは泣いていなかったように覚えている。
あれから何十年も経った時のことだった。
彼女とデパートを歩いていたら、催しで小規模なリアル脱出ゲームが開かれていた。
平日ということもあってか、並んでいる人は誰もおらず、僕は興味を惹かれた。
僕と彼女は2人でその脱出ゲーム『沈んだ村からの脱出』をやることにしたのだった。
ストーリーはこうだった。
誰もがこの村を愛していたが、特にその中でも1人の5歳くらいの女の子が村から離れないと言って聞かなかった。
村からの立ち退きの日、その女の子が忽然と姿を消してしまった。僕たちはその女の子を見つけて、無事脱出することが目的である。
その女の子はいつも「宝物(どんぐりや綺麗な色をした石など)」を村の至る所に隠して遊んでいた。僕たちはそれを最初に探し出し、そこから得られるヒントで女の子を探すというものだった。
僕は驚愕した。
手元の資料に書かれている村の地図が、まさにあの、おばあちゃんちのお風呂で見たあの村と全く同じであったからだ。
そして同時に、僕には「宝物」がどこにあるのかが全て分かっていた。あの風呂場で見た宝石が、だいたいどの辺に落ちていったか、全て覚えていたからだった。
病院の近くにある標識の横、学校の校庭、個人商店の鉢の裏、僕はなんのヒントもなく全ての「宝物」の位置をピタリと当ててしまった。
自分でも怖かった、なぜ分かるのか、なぜあの光景がここにあるのか、何もかもが分からなかった。
彼女やスタッフは僕が当て勘で見つけているのだと思っているらしい。事実、確かに「宝物」がありそうな場所は10数箇所ほどしかなく、たまたま全てを見つけてしまう可能性も、なくはなかったからだろう。
その宝石に書かれたヒントをつなぎ合わせると、「おばあちゃんちのお風呂の中」と読み解くことができた。民家にあるおばあちゃんちにいって、お風呂を覗くと、そこには泣いてうずくまっている女の子がいて、いい感じに説得して、一緒に帰るという流れで脱出に成功した。
とてもいるような気がする。
だけど、僕は忙しさにかまけて、まだおばあちゃんちに帰れていない。
追記:最初の予測分についての5週間終わりましたので、日次の更新はここまでとします。
なんだかんだで5週間追ってみて、なかなか楽しかったです。
予測がピタリ的中したり、逆に大外れになったりを期待してたんですが、終わってみればトータル-17.97%。
さて、この先はどうなるんでしょうね。
7/25時点
日付 | 実数 | 予測1 | 誤差1 | 予測2 | 誤差2 | 予測3 | 誤差3 | 予測4 | 誤差4 | 予測5 | 誤差5 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
6/22 | 435 | 440 | -1.14% | - | - | - | - | - | - | - | - |
6/23 | 619 | 586 | +5.63% | - | - | - | - | - | - | - | - |
6/24 | 570 | 555 | +2.70% | - | - | - | - | - | - | - | - |
6/25 | 562 | 553 | +1.62% | - | - | - | - | - | - | - | - |
6/26 | 534 | 533 | +0.18% | - | - | - | - | - | - | - | - |
6/27 | 386 | 424 | -8.97% | - | - | - | - | - | - | - | - |
6/28 | 317 | 345 | -8.12% | - | - | - | - | - | - | - | - |
6/29 | 476 | 601 | -20.80% | 574 | -17.08% | - | - | - | - | - | - |
6/30 | 714 | 842 | -15.21% | 832 | -14.19% | - | - | - | - | - | - |
7/1 | 673 | 780 | -13.72% | 759 | -11.34% | - | - | - | - | - | - |
7/2 | 660 | 779 | -15.28% | 754 | -12.47% | - | - | - | - | - | - |
7/3 | 716 | 713 | +0.42% | 685 | +4.52% | - | - | - | - | - | - |
7/4 | 518 | 619 | -16.32% | 566 | -8.49% | - | - | - | - | - | - |
7/5 | 342 | 482 | -29.05% | 487 | -29.78% | - | - | - | - | - | - |
7/6 | 593 | 864 | -31.37% | 888 | -33.23% | 705 | -15.89% | - | - | - | - |
7/7 | 920 | 1185 | -22.37% | 1278 | -28.02% | 1031 | -10.77% | - | - | - | - |
7/8 | 896 | 1108 | -19.14% | 1171 | -23.49% | 962 | -6.87% | - | - | - | - |
7/9 | 822 | 1105 | -25.62% | 1159 | -29.08% | 945 | -13.02% | - | - | - | - |
7/10 | 950 | 1033 | -8.04% | 1074 | -11.55% | 967 | -1.76% | - | - | - | - |
7/11 | 614 | 865 | -29.02% | 839 | -26.82% | 699 | -12.17% | - | - | - | - |
7/12 | 502 | 704 | -28.7% | 717 | -29.99% | 545 | -7.89% | - | - | - | - |
7/13 | 830 | 1248 | -33.5% | 1304 | -36.35% | 976 | -14.96% | 750 | +10.66% | - | - |
7/14 | 1149 | 1726 | -33.43% | 1882 | -38.95% | 1442 | -20.32% | 1146 | +0.26% | - | - |
7/15 | 1308 | 1607 | -18.61% | 1721 | -24% | 1351 | -3.19% | 1101 | +18.8% | - | - |
7/16 | 1271 | 1605 | -20.81% | 1706 | -25.5% | 1327 | -4.23% | 1040 | +22.21% | - | - |
7/17 | 1410 | 1487 | -5.18% | 1568 | -10.08% | 1391 | +1.36% | 1169 | +20.61% | - | - |
7/18 | 1008 | 1264 | -20.26% | 1253 | -19.56% | 1006 | +0.19% | 794 | +26.95% | - | - |
7/19 | 727 | 909 | -20.03% | 933 | -22.08% | 734 | -0.96% | 590 | +23.22% | - | - |
7/20 | 1387 | 1619 | -14.33% | 1698 | -18.32% | 1391 | -0.29% | 939 | +47.71% | 1252 | +10.78% |
7/21 | 1832 | 2231 | -17.89% | 2448 | -25.17% | 2048 | -10.55% | 1445 | +26.78% | 1821 | +0.6% |
7/22 | 1979 | 2081 | -4.91% | 2241 | -11.7% | 1914 | +3.39% | 1397 | +41.66% | 1940 | +2.01% |
7/23 | 1359 | 2078 | -34.61% | 2220 | -38.79% | 1881 | -27.76% | 1302 | +4.37% | 1842 | -26.23% |
7/24 | 1128 | 1932 | -41.62% | 2047 | -44.9% | 1952 | -42.22% | 1482 | -23.89% | 2077 | -45.7% |
7/25 | 1763 | 1632 | +8.02% | 1620 | +8.82% | 1412 | +24.85% | 985 | +78.98% | 1428 | +23.45% |
予測 | 予測期間の実数合計 | 予測値合計 | トータル誤差 |
---|---|---|---|
予測1(6/21版) | 29970 | 36535 | -17.97% |
予測2(6/28版) | 26547 | 34424 | -22.89% |
予測3(7/5版) | 22448 | 24679 | -9.05% |
予測4(7/12版) | 17151 | 14140 | 21.29% |
予測5(7/19版) | 9448 | 10360 | -8.81% |
※実数は
今まではどちらかというとやんちゃ目な車に乗ってきたのだけど、子供が生まれたことをきっかけにいわゆるファミリーカーに乗り換えた。
それも、ワンボックスみたいなでかいやつではなくて、普通自動車とあまりサイズが変わらないいかにも女性が運転してそうなタイプだ。
運転のモットーはキビキビ走ってキビキビとまるなので、無駄に車間を開けることもないし追い越し車線をちんたら走ることもない。
違反は絶対にしたくないマンなので、高速でもよほど遅い車の後ろにいない限りは追い越し車線を走ることも少ない。
ただ、下道に関しては、左車線は路駐が多くて余計な車線変更を強いられて危険なので、基本的には中央寄りの車線を走っている。
そうすると、まだ何も起こってないのに突然煽られる。
制限速度プラマイって感じで走ってても、後ろにピタリとつけられて煽られる。
最初は気のせいかと思っていたけど、どうも違う。一回のお出かけで1時間ばかり運転する間に、必ず数回は煽られる。
明らかな煽りとまでは行かなくても、そんなに車間詰める必要がある?っていうくらいまで詰めてくる。
この車に乗り換えるまではありえなかったことだ。
大体は海外製の高級車か、デカ目のワンボックスだ。運転してるのも50くらいのじじいと相場が決まっている。
ただし、こちらは体毛モジャモジャの小太りひげパンチなので、詰めてこられたところでバックミラー越しに睨みを利かせてやると大半はそれ以降煽らなくなる。
まさかプリティなファミリーカーを妖怪パンチパーマが運転しているだなんて思ってもいないのだろう。
見た目で判断せず相手の行動や本質で物事を考えないと痛い目に見るのは何においても同じだ。
煽ってきた車が勢いよく左側から追い越そうとしたときにヒョロヒョロのじじいがこちらを睨むように覗き込んできたが、ひげもじゃと目があった途端に前を向いて走り去っていったこともある。
こいつらは誰が運転してると思ってやがるのか。
以前嫁さんのアカウントでサポートセンターとやり取りしているときに、埒が明かずに直接電話したときから態度がころっと変わったことを思い出した。開口一発目の野郎のなめた口調がこちらの一声で劇的に変化した瞬間が忘れられない。
やっぱり女性は女性というだけで随分と世の中で不利益を被っているのだろう。
どうやら可愛らしい車というのは可愛らしいというだけで道路上ではなめられる傾向にあるらしい。
どうして自分の好みを曲げてまで世の中に合わせないといけないのかという本質的な問題は解決できないが、少なくとも運転に関しては、可愛らしい車に乗ること=自らを危険に晒すことと考えても良いかもしれない。
自分としてはこういうことを考えられるきっかけになったので今の車のままでも全く問題ない。
しかし、ミラーごしに見えたのが自分より弱そうな女性だったとしたら、もっと危険な目に合わないとも言えない。
最初の見た目でなめられなければ、危険な目に遭う可能性はぐっと下がるからだ。
大体、自動車メーカーのデザインからしておかしいと感じるところはある。
いかにも乗っている人間の気持ちが大きくなりそうな車のデザインは必ずいつもラインナップされているし、反社しか乗らないだろうという車も、売れるからという理由で未だに売り続ける姿勢には疑問を感じざるを得ない。
いつでも人を殺すことのできる危険な乗り物なのだから、そろそろ機能美だけを追求するデザインに変わるべきだろう。
ちなみに、あぶねーやつが乗っていることがひと目で分かることにメリットはない。
なぜならそれは、相手によって自分の運転を変えていると公言していることと同じ。つまりは、相手が弱ければ煽ることもあると言っているようなものだからだ。
俺は今までTwitterをやっている時、就活系の広告で就活生の不安を煽るような内容のモノを見かけた時は必ず『冒涜的』と通報するようにしていた。
いや、『冒涜的』はちょっとおかしいなと自分でも思っていたけど、人の不安を煽ってそこに付け入る広告の悪質性をピタリと言い表す言葉が通報時の選択肢にないから仕方ないんだ。
そこはどーでも良くて、俺が今悩んでいるのは、その行動がエセリベラル勢力のやっている行為と同じなのではないかとふと気づいてしまったことだ。
俺は自分の気に食わないという感情を独善で武装して他者に圧力をかけ、勢力内で認められたモノ以外のあらゆる文化に火をつけていく、リベラルを名乗る連中が大嫌いだ。
個の自由を大切にする原義的な意味でのリベラル思想には大いに共感するが、現代におけるリベラル勢力は反吐が出ると思っている。
ただ、自分の通報行為もそういう連中の火付け行為とやっていることの本質は同じなんじゃないのかと気が付いて自己嫌悪に陥っている。
俺は少なくともその手の広告は悩める就活生をさらなる泥沼に沈める邪悪だと考えているけど、ただTwitterはその広告表現を良しとして掲載しているわけで、それに対して自分が噛みつくのは筋が違うのではないかと思った。
まあ、広告は突然目に入ってくるので嫌でも見てしまうのだが、そうしたリスクも込みでネット上のプラットフォームを使っているわけなのだから、やはりそこに文句をつけるのは違ったのではないかと思う。
「こういう表現はいかがなモノだろう?」と疑義を呈するくらいならともかく、通報という極小でも圧力の伴う方法で糾弾を行うのは暴力的だったのではないかと反省する次第だ。
ただそのことを考えていた時、同時に自分の中で異論も生まれた。
リベラル勢力が表現に嚙みついているシチュエーションは、多くの場合、その表現を愛好している人々がたくさんいるモノに対して所謂繊細ヤクザが火炎瓶を投げつけている構図だろう。
そうした問題に対しては、「お前の嫌悪に誰かの好きを侵すほどの重要性はねーよ」と思う。
だがそれに対して、俺が嫌悪している『就活生の不安を煽る広告』を表現として愛している人たちが果たしているのだろうか?
金儲けの手段として用いている人々はいても、その表現を心から愛している表現者は、あるいはその表現を受けて「ああ、私に厳しい現実を気が付かせてくれてありがとう!」と感謝した受け手はいるのだろうか?
ただただ私欲を貪る屑が人を追い詰めるために使う表現にを叩くことは悪いことなのか?
昼飯を買ったが、未だ結論は出ない。
このまま帰れば、何となく判を押して終わりだろう。
最後の抵抗とばかりに、イートインコーナーで昼食を済ませることにした。
「いただきます」
心ここにあらずでも、割り箸を横向きにするのは忘れない。
これが身についたのは市長がまだ市長でなかった頃、政治家を志してからだった。
親の庇護下だった頃は実践の機会がなく、知識として教えられていた程度。
彼の親からすれば、自分の子供が割り箸を使うような食生活を送るなんて想定していなかったからだ。
しかし親の元を離れ、市長に立候補しようとした時、今度は政治コンサルタントによる教育が始まった。
やってきた政治コンサルタントが、開口一番そう言ってきたのを今でも思い出す。
むしろ親の教育よりも、この時の方が身に沁みているかもしれない。
“市民は、世間は、あなたの一挙手一投足を気にかけます。文字通りね”
その時、「さすがに、そこまで気にする人はほぼいないだろう」と思ったが、それを見透かしたかのようにコンサルタントは言葉を続けた。
“もし気にかけられないなら、市民に興味を持たれていないということ。興味のない人間は批難されませんが支持もされません”
批難も支持もされない人間は政治家になれない、とまで言われては従う他ない。
そうして、ありとあらゆる“政治家しぐさ”を学んだ。
その賜物……かどうかは正直なところ実感が湧かないが、いま市長をやっているのは事実だ。
「私自身は構いませんが、子供たちや一般市民の方々に、そこまでさせる意味って……あっ」
にも関らず、この日は久々に箸を割るのに失敗してしまった。
“箸の乱れは心の乱れ”
コンサルタントに何度も言われた、いま考えてみても謎の精神論。
だが割るのに失敗した箸は、「そら見たことか」と自分を指差しているように見えた。
「むぅ、割り箸もどうにかしないといけませんかね……環境問題とか色々ありますし」
市長が八つ当たり気味に環境問題を呟いた時、ふと近くで座っている紳士に目がいった。
男の持っていた箸はどうやら自前らしく、一般的な箸よりもかなり細長く、先端は鋭く尖っているようようだ。
その上で持ち手の割合は申し分なく、箸先もピタリと合わさっていた。
それだけで、彼が箸で食事をすることに並々ならぬ拘りがあるのが分かる。
どれほど声をからしても増加の一途だった大阪の感染者数が、いよいよ医療が崩壊か、と報じられた途端に再生算数が0.996。
そうだよねー。どんなに行政が声をからしても、結局は市民一人一人の心がけでしか感染は防げない。
「まだ病院は空いてるでしょ。へーきへーき」と思っている間は決して自粛はしない。
「もう病院が溢れてる」とか「救急車が患者を運ぶまで47時間かかった」とかの報道があると、ピタリと行動を変容する。
ならもう、その時期を早めるしかないじゃないか。じゃぁ、病床を最初から減らした方がマシだわな。
東京も再生算数が全然下がらないので、このままじゃ2週間後に大阪のようになる、と思って先手で緊急事態宣言したけど、Twitterで溢れる声は「まだ病床余裕があるのになんで?」の疑問の声。
挙げ句の果てに、「うちは営業を続けます」という寄席とか、全然危機感がわかってない。
(他国でも自己犠牲を賛美する風潮はあるが、露骨に特攻を命令するのは貴重な兵士というリソースの無駄使いであり、普通はありえない
今の日本の政治家も悪党としては小物感が漂いすぎてて、こすいというかケチというか
WWIIもそうだけど、上層部は小悪党なのに強い言葉(コロナに勝った証とか)を言うだけで、結局は全部現場に丸投げでしかない
現場に丸投げというなら米国のベトナム戦争もそうだったわけだけど、流石に特攻を命令したり賛美したりはしない
(ベトナム戦争は北軍のゲリラ戦術が勝因ではなく、実際は中ソが米国への核攻撃を匂わせたため、米国は核による脅迫という外交で負けたのである
特攻が嫌で徴兵から逃げた息子を親が捕まえたり、特攻するために出兵する息子を親もご近所も万歳三唱したり、
GHQに支配されても、やっぱり日本人の本質は変わってないんだと今回のコロナでも思ったよ
国難というか、困ったことが起こると先に精神論に持ち込んでしまう
日本人以外に頑張る系の自己啓発は基本的に「ダルい」という反応しか得られれないと思う
(そうすると従業員やチームメンバーがついてこなくなるため、上層部は妥協案や合理化を考える
良くも悪くも基本的に真面目、
だから、上の人間にその真面目さを体よく利用されやすいのだと思う
付け加えるなら、ズルをしてでも敵国に勝つ、ズルをしてでも勝って支配する、領土を奪うという「欲」がない
キリスト教だってプロテスタントは「合理的禁欲」という考え方が根本にあるため、
お金を無駄使い散財しない→いざというときのために貯蓄する→資本主義
という流れがあったが、しかしあくまで「合理的」禁欲であり、仏教のような無欲を良いものとは考えていない
そもそも、無欲になりたい、という欲で座禅や修行をしているというトートロジーがある(一休宗純
うろ覚えだが、アニメのコードギアスでもシュナイゼルには「欲」がなかった
欲や執着心がないことがかえってルルーシュに負ける敗因になってしまった
自己啓発などで欲や執着を捨てようというネタもよく散見されるが、これはバランスの問題であって、
欲や執着が自分を苦しめるなら量を減らすべきだが、欲や執着がなければなんの成功にもたどり着かない
老後になったらオレオレ詐欺で無一文になっても構わない、なんてことはない、
それでは明日から生きていけないわけで、死ぬまでお金や何かに人間は執着するべきなのである
そう考えてみると、この国はコードギアスのシュナイゼル側に似ているとも思える
欲や執着心が足りないのに、「美しく」勝利しようとする
これが自分には良くないように思う
「美しい国」だの「国家の品格」だの言い出した時点で、アベはシュナイゼルにどこか似ているように思う
持論だが、まず「美しく勝とう」などと考えてはならない
大切なのは「みっともない形でもまずは目標を達成する」ことである
ダクトテープによるプロトタイピングとか、まずはみっともなくても完成させる、目的を達成することである
この段階から「軍神」がどうのとか、戦場に美的感覚を持ち込みすぎてはならない
勝利よりも何よりも、まずは目的を細分化し、その1つ1つをみっともないながらも達成していくことである
そして、そこから今度はそのみっともないものをブラッシュアップしていくことである
私は格闘ゲームをやったことがほとんどないのだが、人間がコンボを入力するのはバカげている、
キー操作を記録して一発のキー入力で技が発動できないか、みたいなことを考えるのである
WWIIの日本は、根性でみっともない形で達成しても、それを合理化、単純化しようとしない傾向があるように思える
また、そういった合理化や単純化を悪としたり、そういうのは美しくない、みたいな余計な美観が介入しているように思える
ズルをしてでも勝たなければならない
軍神がどうの、天皇がどうの、そういう美観を戦場に持ち込んではならない
そういう意味で、仮想敵国である中国はやはり良くやっているように思わざるをえない
ホリエモンだったか、自著の自己啓発本で「真似される奴になれ」とか偉そうに書いているらしいが、
真似をするというのは一位の背中にピタリと追随してスリップストリームを利用して走る二位のようなものである
そんな二位がゴール手前で一位を押し倒して一位になってしまうものである
たしかに「真似される奴」はオリジナルであり、ブレイクスルーを作り出すものであり、偉大な存在である
しかし、ホリエモンは起業家としてビジネスの歴史をそれなりに知っているはずではないのか?
ビジネスの世界で意外と最後に勝利するのは二番手だったりすることが多いのである
シュナイゼルについてうろ覚えなのでググってみたが、この文を書いていて、ついアベ氏と似ていると書いてしまったが、
goldhead氏だったか、安倍晋三氏がテレビで演説しているのを観て、
なんて空っぽで空虚な人なんだろう、みたいに思ったようなことをブログだかに書いていたと思うのだけど、
それは自分も同感であって、
安倍晋三氏=シュナイゼルと考えると意外と彼という人物を理解できる気がしてきた
まず、生まれながらにしてすべてが揃っているため「欲」がない、執着がない、
そして、「周囲が望むことを喋り、実行するだけ」の、
ある意味、気味が悪いぐらいよくできた長男みたいな人物だということだと思う
それが見える人には見えるのだけど、見えない人には見えない
なぜなら、安倍晋三氏が空虚に見えない人にとって、そういった一部の大衆が望むようなことを声高に喋るからである
自分のフラストレーションを代弁してもらっているような気分になるから、彼が空虚に見えない
しかし、その崇め奉っている彼は単なる「鏡」でしかないのである
端的に言うなら、二世だから出自が恵まれすぎている、生まれてこの方金銭関係などで大した苦労もない、
それが人間性に反映されて「欲」がない、
しかし、悪い意味で「いい子ちゃん」だから、周囲の望んだことを喋る、
そうやって有権者中の有力者の気持ちを代弁することで味方を増やす、勢力を付けるという戦法だったように思う
そう考えてみると、私はマシュマロ・テストというのがやはり解せないのである
今はルルーシュにくれてやるとしよう、みたいな台詞がうろ覚えだがあった気がする
もちろん、戦争であれ何であれ、意図的に負けてやる、忍耐みたいな姿勢も大事であることは理解できる
しかし、マシュマロ・テストというのはあれも極論めいた話であって、場合によるのである
では、目の前のマシュマロを誰よりも先に奪わなければ死ぬとしたらどうだろうか?
これに著作権者の言うことだから聞くべきだと言っているブコメがあって驚いた。
著作権というのは憲法上の権利ではなくて、国が著作権法という法律で認めた権利だ。歴史的にも、憲法で表現の自由が規定されるようになった18~19世紀前半には著作権保護はろくすっぽされていなかった。そして、著作権を国家が保護するということは、ある著作物を利用して二次創作をつくる人を国家が抑圧する、という側面をどうしても持たざるを得ない。それが表現の自由に照らして問題ないと思うのはちょっと信じられない。それに著作者が二次創作はダメだと言ったらそれでおとなしく諦める、という淡泊な姿勢も納得がいかない。私は、(性的な表現を含めて)二次創作者は、どうしても二次創作を書きたいから書くんだと思っていた。こんな淡泊な姿勢をとる人が多いということは、実は単なる商売のネタに過ぎないのかな。訴訟になると面倒だから、ということならまだ分かるが。
私は著作権や著作者人格権が必要ないとはまったく思わない。でも、パロディ事件しかり、ときめきメモリアル(メモリカード)事件しかり、日本の著作権法や判例法理は国際的に見ても原著作者保護が極めて強いわけで、それは表現の自由に照らして非常に問題があると思っている。著作権には表現の自由が及ばない、みたいなことを言っている人がいるのは驚きではある。原著作者が権利主張を始めたらいわゆる二次創作物を壊滅させることができる(コミケは単に目こぼしされているだけ)、それを国が著作権法によって認めている、それが問題だと思わないのか。そういう問題意識を持たない人には二度と表現の自由などと口にしてもらいたくない、とすら思う。
~おまけ~
『ウマ娘 プリティーダービー』の「お願い」は、
キャラクターならびにモチーフとなる競走馬のイメージを著しく損なう表現は行わないようご配慮いただけますと幸いです。
本作品には実在する競走馬をモチーフとしたキャラクターが登場しており、許諾をいただいて馬名をお借りしている馬主のみなさまを含め、たくさんの方の協力により実現している作品です。
モチーフとなる競走馬のファンの皆さまや、馬主さまおよび関係者の方々が不快に思われる表現、ならびに競走馬またはキャラクターのイメージを著しく損なう表現は行わないようご配慮くださいますようお願いいたします。
というものだった。
https://umamusume.jp/news/detail.php?id=news-0106
これは、そもそも著作権や著作者人格権から来る要求とは考えられない。競走馬は著作物ではないから、著作権や著作者人格権の客体ではあり得ない。馬主が不快に思われる表現をやめよと要求する権利があるとすれば、おそらくは馬主の名誉権などの人格的利益の保護となるだろうか。競走馬ないしキャラクターのイメージを著しく損なう表現をやめよ、と要求する権利があるとすれば、知的財産権というよりは、商品化権ないしパブリシティ権(キャラクターのイメージの毀損については著作者人格権の問題になり得るが)といったビジネス上の権利の問題になるだろう。これを概括して「著作権」による要求と解するのは粗雑に過ぎる。
キャラクターのイメージの毀損については、一般的に性的な表現がすべてそれにあたると簡単に言うことはできないのではないか。たとえばどぎまぎイマジネーション事件※(ときめきメモリアルのもう一つのアレ)の東京地裁は、詩織ちゃんが「優等生的で、清純な、さわやかな印象を与える性格付けが、本件ゲームソフト及び関連商品の売上げ及び人気の向上に大きく寄与している」という一方で、被告が「清純な女子高校生と性格付けられていた登場人物の藤崎詩織と分かる女子高校生が男子生徒との性行為を繰り返し行うという、露骨な性描写を内容とする、成人向けのアニメーションビデオに改変、制作した」ということを問題にしているのであって、一般に性的な表現は許されない、と言っているわけではない。ある改変行為(性的な表現に限った話ではない!)によってイメージの毀損がなされているかどうかは、そのキャラクターがどんなキャラクターなのかということを考察してみないと始まらない。
「モチーフとなる競走馬のファンの皆さまや、馬主さまおよび関係者の方々が不快に思われる表現、ならびに競走馬またはキャラクターのイメージを著しく損なう表現」として、性的な表現一般がそれにあたるのではないかと考えた人がそれなりにいたことは確かに興味深い。
(もっとも、これに関するツイートを見ると、性的な表現に限らず何が「不快に思われる表現」なのかはよく考えてみないといけないはずだというものもあって、結構冷静に考えている人がいるのが分かる。
例:https://togetter.com/li/1239211 ; https://togetter.com/li/1673486)
ただ、私自身は、これは「「何にエロを感じるのは人それぞれだし、どこからエロくてどこからエロくないか線引きなど出来ない」と噛み付いていた人々が「ウマ娘のエロ絵は禁止」の一声で「何がエロだと受け取られ、馬主を不愉快にするか」をきちんと自分達で考え始めたの笑う」(https://twitter.com/rtoiuyuiotyuijj/status/1371455240143212545)というのとは正反対の事態ではないかと思う。先ほども言った通り、何がキャラクターのイメージを毀損するかというのは、そのキャラクターがどんなキャラクターで、どんな描写をしたらイメージを毀損するのかを具体的に考えなければ分からないはずである(そして、そうするべきだ、という人も確かにいた)。むしろ、性的な表現一般を諦めるという態度をとった人が少なからずいたということは、「何がエロだと受け取られ、馬主を不愉快にするか」を考えられないから、一般的に性的な表現はやめました、ということになったのではないだろうか? まあ、自分の描くものはあまたある性的な表現の中でも確実に人を不愉快にさせる類のものだからやめました、ということなのかもしれないが。
※どぎまぎイマジネーション事件では、東京地裁は詩織ちゃんのイメージの毀損によってどのくらいの損害が発生したのかという問題をあまり扱っていない。イメージの毀損という無形損害の賠償はどうしても裁判官の裁量、つまりブラックボックスになりがちだとはいえ、ゲームソフトの売り上げの損失(をコナミが証明することは困難だろうが)や、詩織ちゃんを使った事業にどのくらいの問題が生じたのかというような部分で争う余地があったのではないだろうか。それこそ表現の自由の観点に照らせば、「被告の行為によって受けた原告の信用毀損は少なくないと解される」という短い言葉で検討を終わらせて良いとは思えない。判決文の短さから察するに、被告の法定代理人が無能だっただけかもしれないが。
~追記~
(ブックマークより)
法解釈論と立法(法政策)論は別物だからな。増田の言うことは「日本もフェアユースを認めるべき」と前から議論されている。一方現行法上サイゲの「お願い」は正当性がありそれは尊重されるべき。
そんなに厳然と区別できるものではないと思う。ある法解釈の結果、いかなる帰結が発生するかという帰結主義的な考慮を法解釈に持ち込むことは裁判所も普通にやっているだろう※。著作者人格権については、著作権法20条は、著作物の改変について、客観的な名誉侵害等からの保護というよりも、主観的な思い入れを強力に保護しているようにも読める規定になっているわけだけれども、著作権を現実に行使するのが、著作権を管理している出版社やレコード会社といった大資本であることに鑑みれば、その解釈は非常に大企業に有利な体制を作ることになる。立法によってテクストを変更する前に、解釈の可能性が開かれているとき、まず解釈で争うことを諦めるべきではないと思う。
※もちろん、あまり政策的な考慮を重視するべきではないという立場はあり得る。特に刑法の場合、罪刑法定主義との関係上、処罰をする方向へと政策的な考慮を強力に効かせることには問題がある(古典的な例では、電気は財物にあたるかという問題が良く採り上げられる)。ただ、政策的な考慮を一切しないというのは、それはそれで異様な考え方ではないか。
なお、一見してみて、Cygamesの「お願い」が一理もないとは思わない。仮におうまさんのことは度外視しても、ファンコミュニティの維持は大事なことだろうし。単に、著作権には表現の自由は譲るという単純素朴な理解をしている人がいることが意外だっただけである。
メタボ教授「競走馬(種牡馬)は法律上『金融商品』なので単純に損害賠償請求される恐れがある」https://youtu.be/o3glYqYwsHs
金融商品とは何のことだろうか。カッコつきで書いてあるということは、金商法上の金融商品(有価証券、預金債権等、通貨)ではないということかな? キャラクターないし商品イメージ、ブランドイメージの毀損について不法行為による損害賠償請求がされうるというのはその通り。パブリシティ権との関係では馬名の使用について許諾はいらないということになるとしても、後からゲーム中の描写がイメージの毀損になっているとケチをつけられると訴訟を抱えて面倒になるから、馬名の使用を拒否する場合はその馬名を使わない、というゲーム会社の経営判断は理解できる。ただ、この金融商品という言葉遣いは唐突に感じる。
憲法上の権利である財産権と幸福追求権を著作権と著作者人格権という形で具体化しているので著作者の権利は基本的人権の範疇では。おまけは113条11項的なアプローチと思うので著作者人格権の問題なんじゃないかと。
確かに、あらゆる法律上の権利は煎じ詰めれば何らかの憲法上の権利に行き着く可能性が高い。ただ、憲法上の権利である表現の自由と、憲法上明示されていない著作権とをフラットに扱って、何も重み付けをせずに天秤に乗せるべきものなのだろうか? あと、おまけでは「お願い」が著作者人格権の問題ではない、ということではなくて、法的な権利の性質・主体・客体がバラバラな諸要求が一枚のお皿に盛られているので、著作権とひとくくりにするのはまずいということを言っている。
著作権と表現の自由の問題は多分学問的にもまだそれほど論じられてないので表現の自由戦士の中でもガッツリ法学系の人じゃないと考えるのも難しかろうとは。現状の著作権システムを是認するのが不当とは言い切れんが
これは、知らなくてもしょうがないかなという気はする。ただ、こういう論点も考えられるようにしておかないで何が表現の自由かとも思う。実際には、超有名論点にすら関心は持たれていない(性的な表現を制限する刑法175条がまるで問題にされていないようだし)のでそんなのは無理、ということになるかもしれないが。
そもそも「表現の自由戦士」はただのレッテルであって、何でもかんでも表現の自由をゴリ押す人たちのことじゃありません。法律に守られた権利を「お気持ち」でゴリ押そうとする人たちに抵抗しているだけです。
私は「表現の自由戦士」というレッテルは使っていないと思うのだが・・・。「法律に守られた権利」というけれども、ある表現に対する「お気持ち」表明(これもまた表現だ)を差し止める権利が表現の自由に含まれているとは解されない(名誉毀損のような場合は別だが)。それとも、「お気持ち」に基づいて出版物の差止め訴訟を濫発した、みたいな事件があるのかな? せいぜいツイッターでボロクソに言われた程度の話しかないような気がするけれども、それが元増田の言葉を借りれば「自由の制限」とはまことに大仰な話だ。
※以下はこの方に対する直接のリプライではないが、関連する内容ではある。
性的な表現(正確には、わいせつobscenityにあたるもの)というのは、日本やアメリカの判例法理上、保護されない言論と位置づけられている。なぜかというと、表現の自由について司法審査の基準を厳しく設定する理由として、民主的過程の維持や人格の発展といった目的が持ち出されるわけだけれども、ということは、逆にいえばそういった価値との関わり合いが薄い表現は、別に手厚く保護しなくて良いということになる。となると、性的な表現は「法律に守られた権利」とすら言えないのではないか。私は、それで良いとはまったく考えないけれども、それならそれで現在の判例法理を覆す理由付けを考える必要がある。悲しいかな、私は専門家でもないトーシローだし、中々良い案が浮かばない。表現の自由について考えている人は、是非この問題について詳しく調べてみて、知恵を貸して欲しい。なお、定義的衡量(何が「わいせつ」にあたるかという論点で戦う)をいくら頑張っても、いわゆるハード・コア・ポルノにとっては役に立たないということは申し添えておく。
二次創作者やその支持者の大半は「表現の自由」を信奉してるわけでは無いと思ってる。その観点から「表現の自由」という言葉を軽々に使うなというのは分かる / エロ即ち不快表現との理解はびっくりするよね
そう、私も性的な表現がただちに不快な表現にあたると解した人が少なからずいたことが驚きだった。こういう短絡を起こしたということは、将来、あらゆる出版社やゲーム会社がこの手の「お願い」を出したら、性的な二次創作表現は全部ピタリと止むということになるんじゃないかな・・・。
ネタバレしかしていません!こんな増田読んでも楽しくないですよ!!
漫画が気になる人はここに行ってください!さようなら!ここから下は絶対に見ないで!!
リンク先見たけれどその漫画は興味ないな〜読む予定ないわー途中でやめたわ〜という人だけが下を読んでください。お願いします。
(未読の方が巻数を調べて作品名を突き止めるというのは完全に想定外でした。はてなーを舐めてました。すごすぎる・・・)
この漫画を語ろうとするとどうしてもネタバレになるからだ。それでも語りたいので誰にもそのタイトルがわからないようにこっそりと書く。
その漫画は今時珍しいくらいの王道少年漫画だ。読者は皆そう思っていたと思う。連載9年目にしてとある事実が明かされた。作中キャラクターがタイムリープしていた。その漫画は謂わばダルの目線からみたシュタインズゲートだった。
そのキャラクターはオカリン同様胡散臭いキャラだった。芝居がかった言動と自作自演で周囲を翻弄するトリックスター。ついでに重度のオタクときている。けれどもなぜか憎めない。何をやっても許せてしまう。そんな奴がタイムリープしていた。たった一人でぐるぐると。人類を救うために奔走していた。
今思えば 奴やオカリンのふざけた性格は必然だったのだなぁ。あいつはオカリンだからしょうがないな。そう思えるやつでないとならない。そうでないとターミネーターのサラコナーになってしまう。タイムリープを隠して周囲を操るには気の触れた道化師でなければならないのだ。シュタゲ発売から10年経ってようやく理解した気がする
奴はオカリンとは違って冷酷だ。例えばトロッコが制御不能になったとする。線路の片側には100人のひと。もう片方には一人のひとがいる。こんな場合 奴は迷わず一人を轢き殺す。例えばヒロインと全人類を天秤にかけてどちらを助けるか。こんな場合 奴は迷わずヒロインを殺す。そんなキャラだ。でも気がついてしまった。奴はたまに悲しい眼をする。その表情は読みにくい。悲しんでいるのか、それとも疲れているのか、何かを諦めた表情なのか。見殺しにした人間が親しい人であったとき、奴はそちらをじっと見ている。
それに気がついてしまうともうだめだった。完全に沼にずぼっーーーとはまってしまった。もうダメだ。
この漫画は王道少年漫画だ。でもなぜか編集部は「ダークファンタジー」と宣伝していた。どの辺りがダークなのだろう?とファンの間で度々話題になることがあった。自称ダークなファンタジー。その程度の認識だった。
19巻に入ったところで世界設定が明かされた。バロックだった。
うわーー 知る人ぞ知る不朽の名作 BAROQUE - 歪んだ妄想 - (1999年 スティング) じゃないかーーーー!!!!
禁忌の研究。発狂した創世神。うわ・・・大好物ですよこういうの。
それで主人公たちの属するのが教団側なんですよ。それであいつ、タイムリープしている奴ね。奴をオカリン(仮)とでも呼ぼうか。
とにかく オカリン(仮)がですよ、研究所の所長なんです。バロックでいう上級天使ポジション。
オカリン(仮)のやっていたことは倫理的に絶対許されないことなんですけれども、それが人類を救う唯一の手段だったこと、人類を救うどころかさらなる災厄を招いてしまったことがオカリン(仮)自身から自嘲的に語られるわけです。
こんな話だったのか・・・これは確かにダークファンタジーだわ。
もう少し正確にいうと BAROQUE + 妖魔夜行(グループSNE)という世界設定ですね。両方大好きだわ・・
ゼノギアスのジタン先生みたいなキャラクターがいる・・・みたいなことをいうとネタバレやめてください!なんていわれそうだけれども この作品に関してはそんなキャラクターばっかりなもので別にネタバレにならない。すごい。
ジタン先生並みにころころ変わるキャラは2人くらいいるし、それ以外も実は〇〇の正体とか、本人に自覚はないけれど実は〇〇だったとか。他の作品ならご都合主義なんていわれそうだけれどもこの作品に限ってはそうならない。なぜならオカリン(仮)がタイムリープしまくって集めたキャラクターだからだ。本人に自覚ないけどみんな訳ありだったと。
真相が明かされるたびに毎回過去の巻を読み直している。ほら、映画シックスセンスのラストで真実が明かされた時 みんな映画を最初から見直したでしょ?あのシーンどうなってたの?って。レストランのシーンを見返して主人公がメニューに触っていないところとか、椅子を全く引かないで座っていることとか気がついて ひゃあああーー ってなったでしょ。あれあれ。ああいうの。整合性チェックしてひゃーってなるのほんと楽しいです。
キャラクターの変化と関係性がぐっちゃぐちゃなのにどのシーンを見ても整合性が破綻していないし会話も自然なんですよ。作者天才じゃないかな。
令和だっていうのに。考察サイトなんて今時流行らないよ。毎日PV0。でも楽しい。
拙者は古のオタクゆえこれしか愛の語り方を知らぬ。我がオタク道を進む。
この漫画は22巻から主人公が過去に戻り、25巻で1巻1話に繋がります。1話の背景にいるどう見ても背景モブのおじさんたちが今見返すと重要キャラクター達なんですよ。これ〇〇さんじゃん・・▲▲さんもいる・・・。25巻までの構想が連載開始当初からあったそうで10年かけて描いたわけです。「こんな贅沢な作り方をさせてもらって・・」と作者と編集者が対談しているのですがほんとうですよ。今時こんな贅沢な連載の仕方ができるのか。
漫画の端々からゲーム愛を感じるんですよ。オカリン(仮)がこのシーンでやってるゲームはペルソナだな。多分P3以降だな。とか。このキャラのやっているゲームはモンハンだなとか。後ろのポスターはゼルダの伝説 BotW だとか。ファンならギリギリ判別できるくらいのデフォルメ具合で描かれているのよい。アニメのおまけ映像にある格ゲーで遊ぶシーンがこれまたよくて、いかにもありそうな動きなんですよ。愛を感じる。そういえば最新刊の戦闘がメタルギアのCQCみたいな動きしててさ!!いいよね!!燃えるわーーそんで最新刊の表紙をめくるとゲームのステータス画面風に描かれたキャラクター。ゲーム大好きだわー
どうもレビューをみていると、キャラクターの関係性がエモい!!みたいな方向性で受けていたのかな?それが巻数が進んで作者が趣味を出した結果 30代にぶっささる漫画になった一方で若い子が離れてしまったと。悲しい。
ごめんなさい漫画の人気ありました!!人気がなくなったのはオカリン(仮)でした!!
earthether ググったらなんの漫画かは分かった。元増田の意思を尊重してタイトルは伏せるけど月刊誌掲載のアニメ化もしている有名作品。/悲しいかな旬を過ぎて忘れられたのか。俺も今更読もうとは思わないし。
kei_mi アオいいよね…
shior718 わかった!てか全巻持ってた!これ本誌についてたスピンオフ漫画も好きだった…。主人公周りのキャラクターが全員愛おしい。あと漫画の過去編ってどんな漫画でも確実に面白いよね。/答え合わせだけはしたい…
すごい・・これです。正解です。こんな30代にしかわからない暗号文で書かれたような文章でよくわかりましたね・・感激です。スターつけている方々も本当に有難う。うわーー漫画のファンに会えたよ!みんなに会いたかったよぅ。みんな大好きだー。いっしょに語りたいなぁ。shior718さんもう少し話を聞かせて!!スピンオフもぶっ飛んでいて面白かったですよね。私は奴の頭のアレが切られてしまう話が大好きで何度も読み返しています。
sinamon_neko Amazonで25巻で検索したらサラリーマン金太郎って出てきたから読んでみるぜ…サラリーマンで金太郎…これはタイムリープの伏線ですね間違いない…
ぜんっっっぜんちがうけれど 個人的にピタリ賞をあげたい!! shior718さんの言及しているスピンオフ漫画って「サラリーマン●●●」なんですよ。shior718さんのコメントの真下にこのコメント!このセンス!奇跡起きた!コメント欄で奇跡起きてる!でもファン以外にはたぶん伝わらない。悔しい。
それから BAROQUE に引っかかっている方が多いようなのですが、すみません。バロックにあった狂気はこの漫画には全くありません。設定がちょっと似ているだけです。バロックを求めてこの漫画を読むとがっかりすると思います。大好きだから言及してしまいました。すみません。
kirakking スティングが送る名作ゲームバロックはユグドラと共に(なぜか)Nintendo Switch DL専用ソフトで発売中。しかもオリジナル版 > 知る人ぞ知る不朽の名作 BAROQUE - 歪んだ妄想 - (1999年 スティング) じゃないかーーーー!!!!
宣伝ありがとーーー!知らない人はちょっと見ていってください。昔のゲームはちょっとなぁーという人はネタバレサイトを見るのでもいいですから!独特の世界観とシナリオ。シナリオと噛み合ったゲームシステム。こんなゲームがあったのだということを存在だけでも語り継ぎたい。
kingate ……。25巻まで行って不人気とか大概にしろ。言及されないのは、オマエの観測範囲がくそ狭い(ググってない)か、嘘のどちらかだ。出版社舐めんな
そうですか・・すみません。人気があるなら良かった。漫画ってアニメが終わると民族大移動のように人がいなくなるのですね。これまでゲーム畑にいたものだからショックが大きいです
mouseion 誰やねんジタン先生って。時短が頭に引っ掛かって似た名前だから勘違いしたんだろうけど、ゼノギアスはシタン先生だぞ。シタン・ウヅキっていうんだ。主人公たちに人肉食品食わせといて自分は遠慮するつった鬼畜よ。
camellow 人に漫画を勧めるのに粗筋の説明は必須ではないと思うけどな… それどころか自分が好きだという事を宣言するだけでも充分なケースも多い。
作品が気になっている人もいらっしゃるようなのですがこっそりリンクを貼れば良いのか・・?30代以上にしか見えないリンクを。こんなにがっつりネタバレした後でそれは良いのか・・
期待されているものと違っていたらすみません。たまに10巻無料になるので待つのが良いかも。
ネタバレ食らった・・という方すみません。でもたぶんこの増田を読んでも漫画の面白さは失われないかと思いますよ。もっというとファンはここにある内容は大したネタバレではないと思っているかもしれませんね。これらの設定が明かされても反応が少なかったように思いましたね。他のキャラクターに比べて反応が薄い。オカリン(仮)は人気がないからね・・・みんな興味ないんだ。しょうがないんだ。人気投票低位置だから。
ほんとだ! ぎゃーー なんでわかったんです??!
■天才字書きを殺した
色々と歪んだ界隈にいた時の話。
そこは絵描きも字書きも皆入り交じっていて、アットホームな界隈だった。私はその中で生粋の絵描きとして活動していて、字書きさんとも割と交流があり、楽しくやっていた。
ある日その界隈に隕石みたいにある字書きが舞い降りた。
名前を適当にAとおく。Aは優しい人だった。明るくて面白くて、適度に頭がおかしい、いつも快活な人。そんなイメージ。
そして何より、Aの書く小説は本当に面白かった。ストーリーもちろんのこと、幼さを感じさせないし、独特の比喩から台詞使いまで唯一無二だった。感情の取り上げ方、描き方がうますぎて、残す後味から何から何まで、天才だった。
二次創作の字書きなんてたかが知れてる、なんて思う人もいるのかもしれないけど、そういう人は一度でもAの小説を読んで欲しい。本当にすごいから。
Aの小説には主に三種類くらいあって、
②多大な苦しみと切なさを残すバッドエンド
に大体分類された。
Aの小説の9割くらいは②か③で、ハッピーエンドの作品は限りなくゼロに近かった。①も去ることながら素晴らしいんだけど、Aのファンのほとんどは②か③目当てにしてたんだと思う。
ただでさえ二次創作の小説でバッドエンドなんて少ないのに、Aの小説のクオリティはとてつもないから、皆独特なAの小説を好きだった。
普段はバッドエンドが苦手な人でも、Aの小説だけは読む、って人も多かった。Aのはバドエンが濃厚すぎるけど、あまりに良すぎてバドエンがバドエンで片付けられなくなるみたいな。Aの小説はバドエンとかハピエンとかそういう垣根を超えた先で輝いてた。語彙力がなくて申し訳ないけど、とにかくすげえんだAの小説は。
Aが小説をあげる度にTLは湧いた。TLが全てAへの感想リプで埋まるのをよく見ていたし、Aの小説にファンアートをつける絵描きもいた。そういう私もよくAの小説のセリフに絵をつけたり、なんてことをしていたんだけど、その度Aはおかしいくらい喜んでくれた。1枚絵を描いただけなのに、毎度長文の感想をくれた。
それで隕石みたいに現れたAが、この界隈で名を馳せ始めた時、チラホラAに対して不穏なツイートをする字書きが見られるようになった。
「あの人は感想を貰っているのに私は〜」だとかそういうの。Aの名前を直にだす人はいなかったけど、まあAに向けているんだろうなと思った。Aへの悪口とかじゃなくて、Aの小説への称賛からくる自虐ネタみたいなもの。
最初の頃は可愛いもんだった。Aの周りの字書きの言うことも理解出来たし。実際私も、Aの小説を読み終わってAの名前で溢れるTLをみていると、他の字書きはたまったもんじゃないだろうなと思っていた。
私は色んな字書きの愚痴垢でも繋がっていたりしていた。その愚痴垢の中で呟かれるいわゆるAへの妬み僻みをみていると、たまに病的だなあと思う時もあった。Aの小説が上がったタイミングで「うわまた書いてる」みたいなツイートを見ると、流石に気分が悪かった。
履き違えて欲しくないんだけど、Aの小説へのアンチは一人もいなかった。Aの小説を苦手な人はいても、Aの小説を嫌いな人は多分居なかった。素晴らしすぎるから。
表垢ではAの小説を絶賛し、愚痴垢ではAの小説への嫉妬をぶちまける。そういう字書きを4人ほどみた。
その中でも一人はエグいのがいた。ほとんど病気のようにAへの嫉妬を露わにしていた。その人はAの小説が大好きだっただけに、苦しそうだった。その人はAのバドエン小説のせいで、バドエン字書きに変わった人だったんだけど、何よりこの界隈でバドエン字書きとして大成するにはAが圧倒的すぎた。失礼ながら、Aの小説の前で嫉妬とAの小説が好きな気持ちの狭間で苦しむ彼女に勝手に同情していた。これも失礼だけど、絵描きで良かったと少し思った。
Aの栄光は凄くて、小説を書きあげる度に出来はどんどん凄くなっていた。Aへのいいねが飛び交い、Aへの感想も溢れる。
Aは感想を貰う度に丁寧にコメントを返していた。「感想ありがとう」「嬉しい」「幸せだ」。そういう幸せそうなAをみていると、こんなに柔らかな人があんな地獄みたいな小説を書きあげているのだと思って、不思議な気分になった。そしてこんなに優しい人が周りの字書きを多大に苦しめているんだなあと思った。
そんな中、Aのマシュマロに一通のマシュマロが届いた。いわゆる焼きマシュマロ。「お前の小説が嫌いだ」「素人のくせにイキっている」「つまらない」そういう感じの言葉がレシートマシュマロの中に並んでいた。
Aは分かりやすく傷ついていた。Aはそれらの言葉に歯向かうようなことをせず、ただ「不快にさせて申し訳ない」「自分でもこのような小説は不謹慎でないかと感じていた」のようにツラツラと謝罪文を並べていた。
でも私は直感した。この焼きマシュマロはアンチからではなく、Aの熱烈なファンからだということを。Aに対するその文句は、Aの小説を全て読んでいないと書けないものばかりだった。過去のAのセリフや表現を指摘したり、その後でそれを痛烈に批判したりとかしていたから。
私の頭には、Aの小説へ手酷く嫉妬していた字書きのアイコンが浮かんだ。良くも悪くも閉鎖空間じみた界隈だったから。絶対あの中の誰かだろうと思ったけれど、そのメンバーが一人残らず「あんなの気にしないで」「そんなマシュマロ届いたAが可哀想」と励ましていたので、何も言わなかった。
それ以降、筆の早いAの小説更新がピタと止まって、ネタツイとかも明らかに減った。はしゃいでいたAが静かになった。あのマシュマロ主に気を使って、ではなく、Aはただショックで何も書けないんだろうなあと思った。
けど1ヶ月後くらいにAが小説を出した。TLは「久しぶりのAの小説だ」みたいなウキウキの文言で埋まっていた。そのAの小説は当たり前素晴らしくて、私も感想を空リプした。Aが得意とする胸糞悪い小説だった。
するとまたAのマシュマロにアンチ(に扮したファン)が来た。「なんだあの小説は」「前のマシュマロを参考にしていないのか」とかうんぬんかんぬん。私はとんだ言いがかりだと思っていたけど、Aは今までと比にならないくらい消沈していて、また謝罪会見を開いていた。
傷ついたAが全ての小説を削除しようとしていたから、他の相互がみんな慌てて止めていた。私も「あんなマシュマロ気にしないで」と言ったけど、届いたかは分からない。
Aはそれらのマシュマロが嫉妬から来るものだとは、全く気づいていない様子だった。Aは相互に「元気づけてくれてありがとう」「でもあんなのを書く私が悪いんだ」みたいなツイートをしていた。Aはそれに対する擁護が欲しい訳じゃなく、本心から謝ってるんだとヒシヒシ思った。痛々しかった。
それからしばらくAは静かにしていたんだけど、2ヶ月後くらいにまた小説をあげた。そしたらまた焼きマシュマロがきて、Aは「私が面白い小説を書けないから悪い。力量不足でした」のような返信をしていた。
そしたら追い焼きマシュマロが来た。「あんなに評価されておいて、力量不足の小説とは一体何なのか。いいねを押している人に失礼じゃないのか」みたいなマシュマロ。今までにきていた三通のマシュマロとは毛食が違った。というか悪口でもなく、単なる言いがかりだったし、なんなら嫉妬でしかなかった。
けれどAはしばらくして、字書きを引退した。アッサリ「垢消しますねー」と言っていなくなった。あれらのマシュマロのせいだとは一言も書いていなかったけど、絶対あれが原因だと思う。元々はあんなに楽しそうにツイートをしていたAが、普通にいなくなるとは思っていなくて、TLはAの引退を悲しむと同時に困惑していた。
AのいなくなったTLは寂しかった。作品倉庫は残しておいてくれたけど、いつ無くなるか分からないから全部読み返した。胸糞悪い中にちゃんとキャラへの愛が覗いていて、私たちはとんでもないことをしでかしたんじゃないかと思った。まさに惜しい人を亡くした、って感じだった。
嫉妬マロを止めることは出来なくてももうちょい何か声をかけていればよかった。そもそもマシュマロを募集することを止めさせていればよかった。
まあ今後悔しても遅いんだけど。
愚痴垢でAへの嫉妬をこぼしていた4人くらいの字書きの嫉妬ツイートは、Aの失踪を機にピタリと止んだ。しかしその4人の字書きから、Aの小説が読めなくなった寂しさにプラスして、清々しさが漂っているように思えた。偏見でしかないけど、いつか垢で「せいせいした」のようなツイートがされるんじゃないかと思ってた。そういう歪な空気感が字書きの間には漂っていた。
いつかAがこの界隈に帰ってきたらいいなと思っているが、きっともうない気がする。隕石みたいにAは二度と降ってこないと思う。Aの新しい小説を読むことはもうないような気がする。Aがここでの苦い経験を、次の胸糞小説にでも繋げてくれたらいいなとだけ思っている。
Aの小説がまた読みたい。
歴史修正主義者の特徴は、
・対立データがあっても、一方的に自分の方のデータを信じるだけで、大した根拠もなく対立データを無視するか、間違ってると断定する。
アウシュビッツには210㎡のガス室がありました。否定者はこう言います、
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
丸の数は適当に書きましたが、この長方形に人をこのように並べると、1680人しか入らないはずだ、というのです。だからあり得ないんだそうです。
こんな馬鹿な理屈どう思いますか? イメージ図ですけど、詰め込むって普通こうしますよね?
▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼▲
テキストなので行間は埋められませんが、このように交互に埋めるようにして、重ねてぎちぎちに詰め込むでしょ?
実は、日本の明石花火大会歩道橋事故で観測された密集の最大値は13〜15人/㎡なのだそうです。
つまり、間をとると、14人/㎡になります。そして、上限値と証言されている3000人を面積で割ると、14人/㎡です。
つまり、アウシュビッツの証言者が言ってることが現実とピタリ合っているのです。ガス室はちなみに素っ裸で入りますし、3000人は上限であり、そうなったことは一度もないのだそうです。
しかし、これを示しても、ホロ否定信者たちは全く信じようとはしません。
将棋は楽しいボードゲームで、基本的に殴り合いのオフェンスゲームです。仮にチェスがディフェンスのゲームで、お互いに防御の構えを組み換えながら敵側の綻びを見つけ出すゲームだとすれば、将棋は蟻の一穴をこじ開け落城させるオフェンスのゲームと言ってもいいでしょう。
チェスの競技人口が一説には5億人とも言われる中、将棋の競技人口は一千万人程度とガラパゴスの様相を呈していますが、明らかにゲームとしてのバランスではチェスに勝っています。チェスの公式戦においては先手勝率が40%程度、後手勝率が30%、引き分けが30%程度なのに対して、将棋の先手勝率は50%程度、後手勝率は48%、そして引き分け(千日手)の確率は2%前後であり、引き分けの可能性がチェスに対してずっと少なく、そして先手と後手の勝率が拮抗し合っているため将棋はボードゲームとして極めて高い完成度を誇るゲームと言えるのです。
更に付け加えると、ダメ筋(明らかにダメな手)を含めた、ありとあらゆる手の組み合わせ(ありとあらゆる進行の総数)を計算すると、チェスが10の120乗程度なのに対して、将棋は10の220乗程度ということですから、ゲームとしての奥深さも将棋はチェスを上回っています。因みに、宇宙に存在する原子の総数が10の70乗程度ということなので、如何に将棋というゲームが奥深いかは言うべくもありません。つまり、ある部分において将棋というゲームは宇宙それ自体より『深い』のです。
僕は腕前としてはアマチュア初段程度で、つまりアマチュアが目指すべき差し当たっての目標点にいます。やはりアマチュア二段以上を目指すとなるとかなり強烈な努力が必要になってくる印象です。アマチュア初段は将棋を普段嗜んでいる人間の中で、上位25%前後の層を指しているとお考え下さい。
将棋の道は極めて長いです。そして険しいです。詳しくはこの「将棋の名人とはどのくらい強いものなのか:https://ncode.syosetu.com/n5490eb/」という素晴らしい記事をご覧になって頂ければよいかと思います。(この記事の作者様と私は同一人物ではありません)
将棋のプロになるためには奨励会という育成機関を通過する必要があります。この奨励会は入会すると6級からスタートとなるのですが、これはアマチュアで言うところの四段以上の腕前に相当すると言われています。しかも、この奨励会に入会するのは小学生や中学生の少年少女です。つまり大の大人が血の滲むような努力をしてようやく到達できる地点に、ある程度の凝縮された努力によって遥かに短い時間で到達できる人々、つまりは天才たちだけがこのスタートラインに立つことができるということです。
さて、当然奨励会員になったところでプロになったわけではなく、プロになれるのは奨励会三段リーグを突破して四段の資格を得た者だけで、年間に四人しか輩出されない仕組みとなっています。更に、四段になった後もプロとしてのグラデーションが存在しており、そこには才能の差という影がいつまでも付き纏います。
才能のあるプロ、つまりそんな天才の中の天才は、将棋を指す際にどのように思考しているものなのでしょうか?
先に紹介させてもらった記事では、天才達の中でもグラデーションが存在しており、将棋のトップに立てるのは本当に一握りの人間であることが述べられていました。
つまりトッププロとは、仮に将棋人口が1000万人だとすれば上位0.0001%の人間のことです。すなわち、トップの十人、それが実質的な日本のトッププロ達です。
羽生善治、藤井聡太、渡辺明、豊島将之、永瀬拓矢らがそうです。将棋を指す者達は彼らのことを畏怖の目で見つめ、時折プロが招かれるイベントなどで間近に見る際には、化け物や、宇宙人。あるいはこの世の理を超越したものを意味する視線が、彼らには注がれることとなります。
つまりは才能とは一体何なのかという話になるのですが、脳内将棋盤というのがポイントになってきます。
人は、数理的思考能力、つまりIQが140を超えると立体的なイメージをあらゆる角度から検証できるようになるという話があります。人間のある種の知的能力と、立体的な像を脳裏に生み出す能力には深い繋がりがあるということなのです。つまり、才能のある将棋指しは脳の中に将棋盤を作り出すことができ、これによってどんな時でも(つまり実際の将棋盤がなくても)脳裏において将棋の情報を扱うことができるようになるほか、将棋に関する凝縮した思考を連綿と行うことができるようになるということなのです。勿論、プロもこの「脳内将棋盤」を持っており、彼らの脳内将棋盤にはそれぞれのバリエーションがあることも有名です。
以下コピペ。
羽生四冠
「4分割(5×5中央重複)の部分図が高速で行ったり来たり。盤全体は1度には浮かばない、負荷が大きい。盤面は白、線は黒。駒は外形が無く黒の一字彫り。アマ二、三段くらいになった10歳ごろからこんな風。」
森内九段
盤駒のみの思い浮かべる事はほとんど無く背景も付随。対局中は当時の対戦相手や対局場の雰囲気まで再生。普段は自室の背景に板盤。」
「盤は黄色で1一が右上に固定されている全体図で、線は無い。楷書の文字1字だけが駒として自動的に動く。」
渡辺二冠
「ダークグレーの空間に、字の書かれていない黒に近い灰色の駒が浮かんでいるだけだが、どちらのどの駒かは分かる。」
「黒くぼやけた盤面のどこか一部だけが見えている。駒はゴニョゴニョ、あるか無いか分からないまま何かある感じ。」
「盤も背景も黒く、線の無い盤全体に文字の無い黒っぽい駒がモニョモニョ。」
(出典:AERA No.38増大号'12.9.17『天才たちの「脳内パネル」』)
さてトッププロどころかアマチュア4~5段の人々にはこの脳内将棋盤が基本的に備わっていると言われています。つまり、この脳内将棋盤は確かに、ある程度将棋の強さ(棋力)の指標となるのです。しかし、トップの人々に関してその指標がピタリと当てはまるかというと、疑問だと言わざるを得ません。脳内将棋盤というものは将棋の猛者にとって当たり前のアイテムかつ大前提のアイテムであるため、最上位層の人々の能力を測る尺度としては些か信頼性に欠けるということなのです。というか、一応奨励会三段(アマチュアではなくプロ基準の三段)ともなれば、既に常人を超越して人間卒業レベルに至っているので、やはりその中にいる更なる化け物達を推し量るには、脳内将棋盤の有無のみならず別の尺度を用いる必要があります。
つまり、その二者。単なる化け物と、化け物の中の化け物を辨別する際に必要なのは、脳内将棋盤が「ない」ということなのです。
頭の中で将棋盤が無く、視覚的なイメージに頼ることなく思考できる人々が、化け物の中の化け物にはいるということなのです。
「最初の一手……まず、角の斜め前の歩を前に一つ進めるだろ。すると、後手の相手も同じように角の斜め前の歩を一つ進める。だとしたら俺は飛車先の歩を一つ前に突いて、相手も突き返して……横歩取りの筋に合流しそうだ」などなど。
つまり、常人は基本的に画像、目の前にある将棋盤の視覚的なイメージを用いて思考しており、そのイメージを介さずには将棋を指すことができないのです。ある意味では脳内将棋盤の存在も、視覚的な情報に基づいているという点においてはその思考の延長線上にあると言っていいでしょう。そう、人は基本的に将棋を考える際には視覚的なイメージを媒介とするしかないのです。
しかし、プロの一部にはそのような思考法は――視覚的なイメージを介した思考は――あくまで「補助的なものに過ぎない」と証言する者もいます。藤井聡太や増田康宏、羽生善治などがそれらの棋士です。
では彼らはどのように思考しているのでしょうか。
将棋の符号とは、数字と文字によって駒の動きを表したものです。いわば駒の「番地」とも言われるもので、次の記事が参考になると思います。
https://book.mynavi.jp/shogi/detail/id=77758
例えば、少し前に書いた横歩取りの定跡だと以下のような記述になります。76歩、34歩、26歩、84歩、25歩、85歩、78金、32金……。このような記述の仕方は江戸時代以降から共通であり、いわゆる将棋の対戦の記録である「棋譜」は古くは数百年前のものが記されています。古い文献において、盤面は視覚的に、絵図を用いて記述されることはなく、符号を使って記述されているのです。
いちいち絵図で盤面を描き残すよりも、文字で表した方がずっと労力は少ないですからね。
以下の記述はあくまで本人らの証言を参考に記しているものであり、彼らの思考を追体験したものでは当然ないのですが、つまり彼らの思考は以下のものになります。
先程書いた将棋の符号が、将棋に関する思考を始めた瞬間にズラズラズラ~~~っと文字列で浮かぶのです。
「ズラズラズラ~~~っ」って……、と自分の文章表現力の稚拙さに絶望しそうになるのですが、そう言い表すほかない。そう、真のトッププロにおいては、文字によって思考が行われるのです。そこに画像の介在する余地は、僅かにしかない。羽生善治曰く、「思考は基本的に符号で行って、その後、ある程度局面を読み終わった後に、自分の思考を確認するために思考を画像に起こす、という作業はありますが、基本的に画像で思考することはありません」とのことでした。
先に書いた通り、画像で物事を表すというのは、文字列で表すよりも遥かに手間が掛かります。つまり、脳の処理を要します。
となれば、より情報量の少ない符号によって思考するということが、より高速な思考法として適しているということなのです。
ある意味、それは楽譜における音符の存在と似ているでしょう。というか、そのものかもしれません。音楽というものは体系化され楽譜という共有形式を持つ以前は、完全に口伝であり、人々が歌い継ぐことによってしか継承を行うことができませんでした。しかしそれが数学的・音楽的に体系化され、楽譜の形を取ることになると、そのような継承の際に起こり得る障害はほぼ完全に撤廃されることとなります。そしてこれらの音符を読むことで、人々はそのメロディーを脳裏に想起することができるようになりました。将棋の棋士もまた、それと同じ知的処理を行っていると言ってもいいかもしれません。
つまり、ドミソ、の音符が並んでいるのを見て、タララ~、という和音が脳裏に浮かぶのと同じように、将棋のトッププロたちは符号によって将棋の盤面を把握することができるのです。これは、将棋のある程度の才能がある人々には必須の能力ですし、実際に高位のプロ棋士やトップアマチュアは、棋譜を一目見ただけで盤面の進行をまざまざと思い浮かべることができると言われています。
とは言え、そのことと「思考に符号を用いる」ことはやはり一線を画していると言ってもいいでしょう。
勿論、理屈としては分かるのです。我々が音楽を継承する際に楽譜を用いたように、あるいは将棋の対局を語り継ぐために符号によって棋譜を残したように、それらの音符や符号といった記号には意味を圧縮することができ、効率的な情報伝達を行うことができるのだと。
勿論、理屈としては分かります。とは言え、それらの記号を使って後世へと情報を伝達することと、それらの記号を用いた思考を正確に効率的に実践することとは、また別問題です。
というわけで、画像を媒介にした思考と文字列を媒介にした思考とでは、効率において文字列による思考に軍配が上がるということでした。プロ棋士らによる思考の抽象化が極限にまで達すると、本来立体的な駒やそれらの視覚的イメージを用いずして思考することが不可能であったはずのボードゲームも、文字列を介した思考によって再現されてしまう、ということなのでした。実に、これは驚くべき異常性であり、そして、個人的には文化として、そして娯楽として、このような常軌を逸した営みを次代へと継承していかなければならないと感じます。
さて、ところで常軌を逸していると言えば、藤井聡太二冠の名前はもはや語るべくもなく有名ですよね。彼のインタビュー記事は相当数発表されていますから、彼の語る様々な内容について把握している方も多いかも知れません。
その中でも異質のインタビューと言えば、2020年の夏に発表された、小説家白鳥士郎氏によるインタビューでしょう。https://originalnews.nico/139502
――棋士はどなたも『脳内将棋盤』を持っておられます。でも藤井先生は、あまり盤面を思い浮かべておられる感じではないと、以前、記事で拝見したのですが。
「はい」
――では、対局中はどんな感じで考えらおられるのですか? 棋譜で思考している?
「ん……それは、自分でもよくわからないというか。んー…………」
――盤は思い浮かべない?
「まあ、盤は(対局中は)目の前にあるわけですので」
「詰将棋は読みだけなので、盤面を思い浮かべるという感じでは……」
――えっ? ……私のような素人だと、詰将棋を解くときこそ将棋盤を思い浮かべるというか……むしろ手元に盤駒を置いていないと解けないくらいなんですけど……。
将棋のプロの世界は腹の探り合いであり、自らの能力の本質である「思考の方法」について簡単に詳らかにすることは、本来無いことと言ってもいいかもしれません。とは言え、これまで語ったようにそれらをはっきりと述べる棋士の人々がいらっしゃるのもまた事実です。そして、このインタビューにおいて行われた藤井二冠の発言もまた、棋士の思考の一環を覗くことのできる重要な機会であるように思われます。
さて、ここで述べられているのは、そもそも思考する際に「なにもない」ということです。
全くの虚無、というわけではないにせよ、少なくとも目の前に分かりやすい形で示すことのできる思考は、存在しないということなのです。
以下のインタビューで彼は次のように語っています。https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/3394?p=1
彼は基本的にはこれまで述べたように、「符号」を使って思考するのですが。しかしある種の詰将棋などにおいてはそのような符号さえ必要にしないということでした。
このような、実際の目視確認→脳内将棋盤(符号による棋譜理解)→符号による思考→符号さえない思考という構図を単純なステップアップの過程として語ることはできないとは思うのですが、しかし、将棋というゲームについて思考する際に、その思考が極限まで達した人は何かしらの深淵へと、虚無への道を辿っているような、そんな感触を覚えてしまうのは僕だけなのでしょうか。
さて、というわけで、トップ棋士たちの、良い意味での思考の異常性について語りました。現在、12/6午後五時三十分ですが、僕がこの世の隅っこでこの文章を書いている間、世間の大舞台では羽生善治九段と豊島将之竜王二冠のタイトル戦第五局が、行われている最中です。
Once upon a dosukebe time…
あるマジクソスケベな淫臭以外の臭いがしない精液と愛液とクソ汁を煮凝りにしたようなセックス以外なんにもないクソセックスなところに三匹のドスケベこぶたとしか表現できない卑猥で淫靡でいやらしいクソスケベなえちえち肉塊どもがいました。
一番上のお兄さんドスケベこぶたは、キンタマとそれ以外のパーツの区別がつかないほどドデカいドキンタマをドぶらさげていて、その名も「キンタマ」と言います。キンタマ兄さんは四六時中精液と糞尿を垂れ流していて、ここら辺のクソスケベなスメルのエロ根源はだいたいキンタマ兄さんです。
二番目のお兄さんドスケベこぶたは、そこら辺にあるものを何でもオナホにしてしまうので、そのペニスは発情雌豚も二秒で正気に戻るキモキモ奇形毒ペニス70センチとなってしまっていて、その名も「毒ペニス」と言います。毒ペニス兄さんのペニスに触れた生き物はヘドロのように溶けてアクメ溶解するので、毒ペニス兄さんは童貞です。
末っ子のドスケベこぶたは、逞しさといやらしさを併せ持つセクシームキムキこぶたで、究極にして無敵、銀河で最も強いこぶた、その名も「究極無敵銀河最強こぶた」と言います。究極無敵銀河最強こぶたくんは時空発情オーラを操る交尾の為に産まれた交尾マシーンです。
ある淫靡極まり無いエロスとカオスとリビドー渦巻く日、三匹のドスケベこぶたは、それぞれ自分のラブ家(ハウス)をつくる事になりました。ここら辺に漂う、エッチな気分も瞬時に消し飛ぶ『精子を精液とクソ汁で半年発酵させて作った生ゴミ』みたいなキンタマ兄さんのゴミ体臭をなんとかしようという究極無敵銀河最強こぶたくんの卑猥で優しいエロアイディアでした。もちろんキンタマ兄さんはそんな事知る由もなく、エッチなんて知らない無垢なショタオナホみたいなアヘ顔をしながらラブ家をエロ作りエロ始めました。
キンタマ兄さんは出来るだけ早くシコりたかったので、感度3000倍媚薬藁の家を作る事にしました。感度3000倍媚薬藁とは、感度3000倍の媚薬の元になる藁です。このお話を読んでいる皆さんはもちろんご存知のはずですね。感度3000倍媚薬藁を感度3000倍媚薬縄でえっちに縛って精液でくっつけて・・・・・・エロいっ!ドースッケベー!エロ藁のラブ家のエロ完成です。でも接着剤に精液を使ったので、究極無敵銀河最強こぶたくんのエロ作戦はほとんどエロ無駄にエロなりました。
毒ペニス兄さんは素敵なエロ木のラブ家を作ります。毒ペニスを使って感度3000倍の媚薬花粉をばら撒く檜、その名も感度3000倍媚薬檜を溶かしながら切断してトスケベントスケベン、トスケベントスケベンとエロ釘を打ちつけ、さっきまで淫乱動物だったドロドロとした何かを塗って・・・・・・エロいっ!ドースッケベー!エロ木のラブ家の出来上がりです。一度毒で溶けたモノを塗ったので床オナをしても床が溶ける事はありません。お利口さんですね。
キンタマ兄さんと毒ペニス兄さんのラブ家を見ていた究極無敵銀河最強こぶたくんは、
「僕のラブ家は僕がエッチな事をしても壊れない丈夫な淫乱レンガのラブ家にしよう」
と、そこら辺にいた発情雌兎を屈強勃起ペニスでぐちゃぐちゃに破壊ラマチオしながらセクシーに言いました。
えっちな形のクソデカ岩石をぎゅっぎゅっとエロエロマッスルで圧縮したレンガ(レンガでは無いかもしれませんが、便宜上ここではレンガと表記します。仕方ありませんね)をたくさん作って、卑猥に積み上げて・・・・・・エロいっ!ドースッケベー!エロレンガのラブ家の完成です。時間はかかりましたが、究極無敵銀河最強こぶたくんのデストラクション種付けプレスでも壊れない丈夫なラブ家ができました。
「やったぁ♡ラブ家ができた♡」
自分達のラブ家が出来て三匹のドスケベこぶたは大喜びです。キンタマ兄さんは五分間で4545194回射精するほどシコり、毒ペニス兄さんは溶かした淫乱動物をローション代わりにして骨がぐちゃぐちゃになった発情雌兎の発情死体をオナホにしてシコり、究極無敵銀河最強こぶたくんはえちえちフェロモンに寄せられた淫乱動物達と淫乱ペイジ淫獣大乱交しました。
その時です。陰毛のケアがだらしない剛毛人妻のモジャモジャヴァギナみたいなムワッとした山奥から、ド汚いドスケベなドアヘ声がド耳姦(き)こえました。
「んぐっほお゛お゛ぉお゛っ♡」
それは大昔にあまりにもエロ過ぎるのでセックス山にスケベアクメ封印された伝説の性獣ドスケベオオカミのアヘ咆哮でした。
なんという事でしょう。キンタマ兄さんの体臭は、既に目覚めていたドスケベオオカミを萎えさせて、セックス山から出られなくしていたのでした。
ドスケベオオカミがまんこみたいな洞窟からセクシーに這い出た途端、セックス山がアクメしました。その姿を視姦(み)た生き物は性器からハチャメチャが押し寄せて来てアクメ爆裂してしまう程メチャクチャエロいドスケベオオカミがまんこ洞窟から出たのですから、当然の現象です。
淫欲、色欲、性欲、情欲、肉欲、愛欲・・・生物の六大欲求に飢えたドスケベオオカミは、周囲のあらゆる生物をデスアクメさせながら真っ直ぐドスケベこぶた達のラブ家に向かいました。
ドスケベオオカミは最初にキンタマ兄さんのエロ藁のラブ家にヤってキマした。
「くっさぁ♡すっごくくっさぁい♡このくっさぁいラブ家に住んでるのはだぁれ?♡」
「ぶぴぃっ♡キンタマでしゅ♡射精(で)ゆ♡ドスケベオオカミさんの雌臭とエッチな声で全部射精(で)ゆ♡」
ドスケベオオカミは、自分ですら萎えさせるクソ臭いゴミスメルが仄かに薫るのに気付きました。
「あのクソくっさい臭いはキンタマくんの臭いだったのね♡でも残念♡今日はえっちなせーしの臭いしかしないぞ♡ここを開けておねえちゃんとえっちな事しよ?♡」
なんと言う事でしょう。ドスケベオオカミを萎えさせるキンタマ兄さんのクソゴミ体臭だけがこのピンチを脱出する唯一の手段だというのに、今日はシコりすぎて精液の臭いしかしていません。ドスケベオオカミの伝説を聞いていたキンタマ兄さんは、爆裂四散デスアクメしたい欲とまだシコっていたい欲との葛藤にアクメ苦しんでいます。
「よーし♡そんな事言うなら、こんなラブ家、おねえちゃん吹き飛ばしちゃうもんね♡」
ドスケベオオカミが股を広げると、挿れたら二秒で一生分射精するのが入口を視姦(み)るだけでわかるえちえちまんこから破壊光線が飛び出してエロ藁のラブ家をエロ破壊しました。所謂子宮ビームです。女性読者の皆さんなら一度は使った事があるはずですね。ご存知の通り子宮を持つ者なら誰でも使える子宮ビームですが、ドスケベオオカミレベルの淫乱猥褻生命体ともなればその威力も淫乱猥褻級です。キンタマ兄さんのエロ藁のラブ家は粉々になり、ドスケベオオカミの姿を視姦(み)たキンタマ兄さんは、デスアクメ寸前のニアデスアクメに陥りました。しかしキンタマ兄さんの身体は、射精し過ぎてジジィが使った後のコンドームみたいになっていました。
「すごいすごい♡まだイきてるんだね♡きみみたいな子、おねえちゃん大好きだよ♡いただきます♡」
ドスケベオオカミはキンタマ兄さんを下の口で飲み込むと、辺り一面に散らばった精液を1nlも残さず飲み干しました。その姿があまりにもエロかったので大地は素直にアクメです。そしてキンタマ兄さんはそのまま精子になるまで退化してしまい、意思を持つ極エロ卵子に激犯されて逆受精アクメを繰り返しています。なんとエロ恐ろしいスケベ事でしょう。
次にドスケベオオカミは毒ペニス兄さんのエロ木のラブ家にヤってキマした。
「すっごいチンポ圧♡ここのチンポはヤバイって卵巣がアヘってる♡このチンポケースにいるチンポはだぁれ?♡ここを開けておねえちゃんとえっちしよ?♡♡」
「毒ペニスだっ♡お、俺はキンタマ兄さんみたいになんてならないぞ♡お゛っ♡」
毒ペニス兄さんもドスケベオオカミの殺人フェロモンにはかないません。毒ペニス兄さんの毒ペニスはもはやペニスなのか別の生物なのかわからないほどスケベに怒張しています。しかしこれこそ毒ペニス兄さんのえっちで卑猥なクソスケベ作戦でした。
「そんなこと言うなら、こんなラブ家、吹き飛ばしちゃうもんね♡」
ふたたびドスケベオオカミがおまんこをくぱぁってすると、破壊光線がえっちに放たれ、毒ペニス兄さんのラブ家は粉々に吹き飛びました。しかし、
「ジュポオオオオっ!!♡」
情けないアヘ声を無様に晒したのはなんとドスケベオオカミでした。子宮ビームの隙をついて、毒ペニス兄さんはドスケベオオカミの卑猥すぎる淫乱穴ぽこに毒ペニスを挿入していました。これでドスケベオオカミはドロドロのエロヘドロになる・・・はずでした。
「んぅおっ♡おっほおぉっ♡」
今度は毒ペニス兄さんがはしたないオホ声を上げました。ドスケベオオカミはえちえちに笑い、
「オドろいたねぇ、ボウや♡奇しくも同じ性器だね♡」
なんという事でしょう。しかし、少しエッチな妄想をすればエロ予測できたスケベ事でもありました。セックスする為に産まれてきたドスケベオオカミが、まんこに危険なモノを挿入(い)れないはずがありません。ドスケベオオカミのドスケベヴァギナは毒ヴァギナでもあったのです。
さらに、エロ恐ろしい事が起きました。毒ペニス兄さんは、自分の身に何が起きたのかペニスで理解しました。
「毒が・・・裏返るッッ♡」
時として、このスケベ世はスケベ生物にえちえちで残酷なエロ運命をもたらします。毒ペニスを毒ヴァギナに挿入というスケベ偶然がもたらした化学反応により、毒ペニス兄さんの毒ペニスは浄化されてしまいました。キモキモ奇形巨大毒マラは、あっという間に小指くらいのぷりぷりとした包茎ショタちんぽみたいになってしまいました。これではただのペニス兄さんです。
その状態でのドスケベオオカミによる逆種付けプレスがペニス兄さんの快楽中枢をエロ破壊するのは誰が視姦(み)ても明白です。
「ハチャメチャが♡押し寄っ♡せーて♡クるッッッ♡びゅーっ♡びょびょびょびょ♡」
ペニス兄さんはその言葉を遺して、素直にアクメ爆裂四散です。さっきまでペニス兄さんだったものをドスケベオオカミはエロ長いエロ舌で丁寧に掻き集めて下の口で美味しく頂きました。そのあまりのエロさに海がアクメしました。
「さて、次は・・・あのラブ家にイこっかな♡」
ついに究極無敵銀河最強こぶたくんのエロレンガのラブ家に現れたドスケベオオカミは、
と、ドアに近付きました。
「ぴひぃっ♡♡♡」
ドスケベオオカミはドアに近づいただけで4545194回アクメしました。
時空発情オーラ!!!ドスケベオオカミはかつて自分をアクメ封印したエロ因縁のエロ技を脳姦(おも)い射精(だ)しました。
「ドスケベオオカミさんですね。僕は究極無敵銀河最強こぶたと言います。貴女のアクメ業もここまでですッッッ♡♡♡な、なんかきちゃうぅうっ♡♡」
究極無敵銀河最強こぶたくんも4545194回アクメしました。次元発情オーラ・・・時空発情オーラと対をなすエロ恐ろしいエロ技です。あまりのエロさに空がアクメしました。
「お姉ちゃん、びっくりアクメしちゃったよ♡♡君とは楽しめそうだね♡まずはこのドアを吹き飛ばしちゃうぞ♡」
またもや子宮ビームの出番です。しかし破壊光線はエロレンガのラブ家には効きません。いつものまんこパワーならばエロ容易くエロ破壊出来るのにエロ出来ません。それもそのはず、キンタマ兄さんを逆受精レイプしたせいで威力が落ちていたのです。
「それなら毒まんこを擦り付けて溶かしちゃえ♡んっ♡」
レンガに毒まんこを擦り付けたドスケベオオカミですが、エロレンガのスケベドアは溶けません。毒ペニス兄さんの毒ペニスをエロ浄化した時、自分の毒ヴァギナもエロ浄化されていた事に、エロ気付かなかったのです。
エロレンガのラブ家の強度だけでは説明がつかないえちえち奇跡を精巣で実感した究極無敵銀河最強こぶたくんは、兄弟の絆に感動アクメしました。
「ドスケベオオカミさん、もう諦めて山奥でシコっててください♡」
「ふええ♡こうなったら、あのエッチなえんとつからはいっちゃお♡♡」
ドスケベオオカミは、エロレンガのラブ家をクソセクシーによじ登り、えちえちえんとつからラブ家に侵入しました。究極無敵銀河最強こぶたくんは、感度3000倍の媚薬が溶け込んだ汁、その名も感度3000倍媚薬汁をスケベ鍋に注いで淫靡に沸かしました。
ドスケベーン!!
熱さに驚いてアクメ落下したドスケベオオカミの明らかにクソエロい存在自体が強制猥褻物陳列罪なぶりっぶりの淫猥エロお尻が卑猥な暖炉からHelloWorldしました。
「ぬ、抜けない♡イグッッッ♡」
穴にハマって出られないドスケベオオカミのクソスケベな淫乱まんこはいつでも誰でもwelcome状態になっています。ここに挿入(い)れないスケベ生命体が存在するでしょうか?もちろんそんなわけがありませんね。
究極無敵銀河最強こぶたくんはバッキバキフルフル勃起ドスケベバッキンガム宮殿状態の究極にして無敵、銀河最強のおちんちん、その名も究極無敵銀河最強おちんちんを遠慮なく素直に挿入です。
変態とは不可侵の領域であり、絶対の空間であり、約束の到達点であり、超越した概念です。しかし、変態もまた生命の進化における通過点でしかないのです。この壁が破られるような、度を越した度し難いド変態行為がド行われたド時、ド何がド起きるのでしょうか。
究極無敵銀河最強こぶたくんとドスケベオオカミのセックスは、交尾と言うにはあまりにも《まぐはひ》でした。
陰と陽。光と闇。雄と雌。時空と次元。愛と憎しみ。豚と狼。ペニスとヴァギナ。精子と卵子。宇宙はどうして・・・この数奇な化学反応を許すのでしょうか。
「究極無敵銀河最強こぶたくん♡」
「ドスケベオオカミさん♡」
相性の良いドスケベ生命体同士のえちえちあまあまえっちは、エロレンガのラブ家以外の全ての空間を粒子レベルで破壊、消失させました。真っ暗な闇の中でパズルのピースのようにピタリと重なり合った二匹の性獣の憎しみは裏返り強い愛となり、やがてエロレンガのラブ家をもエロ破壊する強いスケベ力を放ち、週に一度キラキラ輝く金玉のように輝きました。
輝きはスケベ強いスケベ力をスケベ強くさせ、二匹の性獣を中心に大きなエロ爆発が起きました。
セックスパンデモニウム京都大学天文スケベ史学客員教授オマンコーレ=オマンピエール=オマンゲルニカ=ホト氏著『スケベビックバンの真実』にて、スケベビックバンによってスケベ世は何度も周回しているという発表がされた事は記憶に新しいかもしれませんが、その根源がドスケベな子豚とドスケベな狼の交尾だったとは誰も想像出来なかった事でしょう。
そうして何度かスケベ世界はエロ巡り、キンタマ兄さんも毒ペニス兄さんもデスアクメしなかったスケベ世界線で、三匹のドスケベこぶたとドスケベオオカミは一日4545194時間という時空を越えた仲良し交尾をして、幸セックスにエロ暮しましたとさ。
一般的な市販の靴下と比べて5倍くらいの回数履いて洗濯を繰り返してもまだまだ履ける。
市販の靴下は伸縮性を出すためにポリウレタンや天然ゴムのゴム糸が編み込まれていて
洗濯を繰り返すうちにこれが劣化して機能しなくなり、ビローンと伸びっぱなしになるのだが
手編み靴下はゴムを編みこまなくてもフィットするように作ることが出来るのでこの問題が無いのだ。
ウールはあたたかい。ほどよい吸湿性もあるので蒸れない。
手編みの靴下は、ゴムが入っている市販の靴下に比べて伸縮性があまりない。
特に縦方向にはほとんど伸びないのでサイズ選びは大切だが、サイズが合っていれば
ゴムの締め付けが無いにもかかわらず足にピタリとフィットして気持ちが良い。
特にオススメしたいのは「三角マチ」があるタイプの手編み靴下だ。
これは無印良品の直角靴下の元ネタになった靴下の編み方で、くるぶしの下のあたりから足の側面にかけて
三角形のマチを作ってある。これがあることで、靴下をゴムの力で無理やり足に沿わせるのではなく
この靴下は中にわたを詰めたとしたら、つま先が薄く甲が分厚く、丸く飛び出たかかとがある、人間の足の形になるのだ。
人間の足の形とはだいぶ違うブーメランのような形にならないだろうか?
余談だが無印良品の直角靴下はかかとこそ一般的な靴下よりは立体的になっているものの、
この三角マチを再現していないのでなんとも中途半端なものになってしまっていると思う。
最近は衣類に空いた穴を敢えて目立つ色の糸で可愛らしく繕う「ダーニング」という手芸が流行っているらしい。
編み物をするよりははるかに簡単なこの方法で、靴下を補修することができる。
手編みの靴下の雰囲気によく合うので、ダーニングで補修した部分もまた可愛くて愛着がわく。
できれば自分で編めるようになってほしい。欧米を中心に、靴下編みを趣味とする人は多いので
多種多様な靴下用の毛糸が売られている。シーズンごとの新色が出るたびに糸を買ってしまい、
編むのが追いつかないくらいだ。気に入った糸で、好きな編み方で、自分にぴったりのサイズの靴下を
編むのはとても楽しい。ただし向き不向きがあるので、編もうとしてみて挫折したとしても手編みの靴下のことは
嫌いにならないでほしい。
ネットショップで手編み靴下を売っている人も沢山いるので(サイズオーダーも受けてくれたりする)買ってみてほしい。
以上。足をあたためて良い秋冬を過ごしましょう。
ストーカー客が来店する時にオーナーがいると、何故かオーナーはストーカー客に対してミラクルを起こす。オーナーはストーカー客がストーカーであることを全然知らないのだが。
例えば私がレジ番をしている時に、ストーカー客がいつものようにあれこれ画策して私のレジの方にやって来たところ、オーナーが、
と私に別に今やることはないことを命令してきたりとか。同じような状況で、私がストーカー客の会計しようとしたら何でかオーナーが私を突き飛ばして(ものの例えでなく本当に突き飛ばしている)割り込み、
「増田さん、品出し頼んだ商品がウォークインの中にあるから、置場所を見て確認してきて」
と、ほんとやらなくていいことを命令してレジはオーナーが打つ、みたいな。それでもオーナーは私をストーカー客から守っている訳ではないのである。ただの偶然が二度。二度あることは三度あるというけれど、オーナーは昨日もミラクルを起こした。
日曜日はいつもAさんと私で組んで仕事をするのだが、Aさんは昨日は他の日に出勤させられた代わりに休みだった。
ストーカー客は私の仕事仲間の動向を把握していて、日曜日はAさんが20時に休憩に入りがちなので20時に必ずやってくる。
ということをオーナーは知るよしもなく、20時、連休の中日の癖にやたら店内が混み合っているというのに、
と私に命令した。オーナーの「~していいよ」は実質命令なのであり、状況を冷静に判断して異議を唱えるとオーナーがめちゃめちゃ怒るので、素直に言うことを聞いた方がいいのである。それでオーナーがどうなろうか知ったこっちゃないという割りきりが大事だが、オーナーが自分の判断ミスで痛い思いをしたときに八つ当たりされないのはAさんだけだったりする。
それはいいとして、ついでに用を足してからトイレ掃除をした。この時間にトイレに居るという状況はかなり怖いことでもある。ストーカー客は私の姿がフロアに見当たらないと時間潰しにトイレに入ることがあるからだ。狭く退路が一ヶ所しかない場所でストーカー客に遭遇するのは嫌だ。ただ一言言葉をかわしただけで増長し、シフトの間に何度も来店し、私にレジを打ってもらうまで粘り、親まで連れて再来店し、私が出てくるまでレジの前で酔っ払いのふりをしてうるさく騒ぐような奴だ。
トイレの共用廊下とフロアを隔てるドアの窓を拭く為にフロアに出たら、丁度フロアの反対側の隅、カフェマシンのところでストーカー客がこっちを見ていた。ガン見である。遠目でもかなりイライラしているのがわかる。こういうとき、「あ、」とうっかり目が合ってしまうのが事態を悪くしてる原因なのだが、ジーッとこっちを凝視している奴が、少し離れていても真正面にいると、当然顔を上げれば目が合ってしまう。それを何かのサインだと思ってストーカー客は私に粘着してくるのだろう。その瞬間私が思うのは「怖っ!」なのだが、ストーカー客には通じる訳がない。
ドアを出て目が合ったとして、私はドアの窓を拭く為に出てきたのでさっさと身を翻して窓を拭くのは当たり前だ……けど、この何気ない動作がストーカーに恨まれる原因の一つになってるんじゃないかという恐怖と、変に自分に執着してくる人とは顔を合わせたくないという気持ちがせめぎ合うんだが、まあ窓を拭いた。だって、仕事だし。
ともかくストーカー客の会計のためにレジを打たなくて済んだのは良かったし、レジを打たなくて済んだ原因がオーナーだと、ストーカー客は深追いしてこないので良かった。
トイレ掃除が終わったあと、レジに戻ったら、ストーカー客はいつも通り外のレジのよく見える場所に駐車した車の中にいて、ヘッドライトをハイビームでギンギンに光らせていた。だが、オーナーが私のすぐ隣で喋っているため、ストーカー客はものの数分で帰って行った。
オーナーの気紛れのお陰で今回も助かったし、オーナーの無自覚嫌がらせ効果はしばらく続くだろう。
以前のオーナーの無自覚攻撃の後も、ストーカー客は過激化しつつあった迷惑行為をピタリと止めて、ただ通って来るだけになっていた。だが、私が10日ほど前に髪型を変えると、それに反応したかのように迷惑行為を再開し始めたので、昨日の件はいい抑止力になった。