「概括」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 概括とは

2018-10-27

anond:20181027021001

・この先生きていても恐らく不幸なことの方が幸せなことより多い(加齢による肉体容姿の衰え、身近な人の訃報や不幸せニュースに接する確率は、長く生きている方がより高くなると推測される)

不幸なことの方が多いというのは同意

訃報についてはうらやましいなと思う

人間はいつかは死ぬのであり、早いかいかの違いでしかない

これは完全に同意

・生きていても事故死ぬ可能性は常にある→どこかの時点で人生が終わるという点で概括的にくくれば、死にいたる方法には大した意味はない。むしろ選べる時点で自殺を選んでおけば突然のアクシデントなどで自分意思無関係死ぬことはなくなる。

でもどうせ事故死ねないだよなと思ってる

結局実行に移す勇気がなければ、世界は変わらないと思ってる

ちなみに独身だが、そもそも人が嫌いなので新しい女性と知り合うのも面倒なので、結婚恋愛自分にとっては苦痛体験しかない。

同じく人嫌い

デート価値が見いだせなかった

毎回なんで(相手)が、デートに来てくれるのかわからなかった

自分は全くつまらなかったから毎回早く帰った

それでも人並みになろうと結婚まで行きそうなくらい付き合ったけど、相手方の親戚(普通の人)づきあいを思うと苦痛しかなくて結局やめた

人が嫌いだからもう仕方ない

昔はエンタメ(本や映画ゲームスポーツ観戦)で心を動かされたりもしたが、それで人生が変わったかというと、何も変わらなかった。

変わったことないし変わらないと断言できる

好きな作品はあっても生きようとは思わない

デジタルモノの進化過去から興味があり、OculusGOやVR180については今後の発展も見たい気がする。また、AIが今後どのように社会に影響を与えるのかも見ていたいが、それと今後に起こりうる嫌なことを天秤に掛けた場合、そりゃ嫌なことを回避する方がいいよねと。

同じくデジタル物は好き

AIに早く仕事奪われてみたい

とかなり似ているんだが、自殺しようとは思ってない

やっぱり怖いし結局何しても死ぬんだから、今は仕事してるけど何もかもしなくなってもいいと思ってる

希望としては重い病気になることなんだけどね

絶対治療しないで死ぬことを選ぶ

自死を考えているのだが

相変わらず今日も眠れないので、この時間になるといつも考えるのだけど、

・この先生きていても恐らく不幸なことの方が幸せなことより多い(加齢による肉体容姿の衰え、身近な人の訃報や不幸せニュースに接する確率は、長く生きている方がより高くなると推測される)

人間はいつかは死ぬのであり、早いかいかの違いでしかない

・生きていても事故死ぬ可能性は常にある→どこかの時点で人生が終わるという点で概括的にくくれば、死にいたる方法には大した意味はない。むしろ選べる時点で自殺を選んでおけば突然のアクシデントなどで自分意思無関係死ぬことはなくなる。

こんな理由を考えて、自殺合理的だと判断している。

自分境遇的には40を過ぎて体力も衰え、人生の先が見えるというか、この先に何もいいことはないこともないだろうが、とりたてて人生が変わるような素晴らしい体験はないだろう。ちなみに独身だが、そもそも人が嫌いなので新しい女性と知り合うのも面倒なので、結婚恋愛自分にとっては苦痛体験しかない。

昔はエンタメ(本や映画ゲームスポーツ観戦)で心を動かされたりもしたが、それで人生が変わったかというと、何も変わらなかった。なので、自殺後に世の中をひっくり返すような傑作が出てきても、それは大したものではないとして諦められるファクターと考えている。

デジタルモノの進化過去から興味があり、OculusGOやVR180については今後の発展も見たい気がする。また、AIが今後どのように社会に影響を与えるのかも見ていたいが、それと今後に起こりうる嫌なことを天秤に掛けた場合、そりゃ嫌なことを回避する方がいいよねと。

そんなわけで、1日経つごとに嫌なことが発生する確率南海トラフ地震のように上がっているわけで、早めに人生を閉じるのが合理的だと思っている。

それでも気をぬくと今日銀座三越セールスーツを買ってしまったり、食事は体にいい食材などを選んでしまっている。毎日この時間になって一番大事なこと=自殺することを思い出し、今日も行動に踏み切れない自分を責め、今日会った会社の同僚や店員さん全員が自分を嫌っている、嫌な顔をして見ていたと仮定(その仮定論理的に崩せない場合自分という存在主体的に行動することで、同僚や店員さんたちに迷惑をかけている(存在迷惑)という結論が確定する)し、早く自殺して二度と同じような迷惑を掛けないよう自分自殺に向けて動機付けている。なぜ自分が嫌われるかは謎なのだが、恐らく口や体の臭いだろうと踏んでいる。なるべく口を手で押さえたり喋るときは息を吸いながら喋っているのだが。

ところで、この辺の思考実験をすると大抵胃や心臓がズキズキ痛くなるので、そのうち大きい病気にならないかなと期待している(その場合はもちろん病院には入らず死を選ぶ)。

まあ自殺するにあたって、両親に見られたくないものなどを処分する必要もあるのだが、どうも面倒くさい。

自分存在だけを最初の生まれた時点に遡って消しゴムで消せるような、画期的なな自殺方法があれば楽チンなのだが。

だらだら書いてみた。練炭とか一応検索はして大体のイメージは掴んでますので。

2018-04-02

anond:20180331203850

よく考えてみたら、偽計業務妨害の線もある気がしてきました。

器物損壊場合塩入り袋設置時点で、①まだ作物が存在していないことと②作物が特定されていないこは、たしかに、問題になり得そう。

①については、特に実行行為性があるかと関わる。

故意との関係では、あまり問題ないように思う。)

ただ、結局は、諸々の事情考慮して、法益侵害危険があるかを判断する際の一要素であり、行為時に、法益(今回の場合、作物[の所有権〕)が発生する可能性がある程度あり、法益侵害発生時までに法益が発生・存在していれば、問題ないのではないかな。

例えば、肥料泥棒農家であり、毎年必ず作物を作っている、という事情があれば、実行行為性を認めるにあたって、作物が行為時に存在してないことはあまり問題にならないような気がする。

一方で、肥料泥棒は、農家ではなく、塩入り袋を盗むときには(嫌がらせなどの目的で)これを捨てようと思ったが、のちにふと思い立って作物を作り始めた、というとき判断が難しい。

②については、概括的であっても(肥料泥棒の所有する)作物一般、まで特定されていれば、実行行為性・故意について問題ない、というイメージ

もっと踏み込むと、肥料泥棒塩入り袋を転売して転売先に被害が出た場合でも犯罪が成立し得るのではないか

(錯誤なり概括故意で)

以上を考えるについて、役に立つかもしれない事例として、「無差別大量殺人をしようとして、5年後に起爆する爆弾を設置したところ、5年後にそれが爆発して2歳児が死亡した」というものを考えてみる。

この場合、2歳児に対する殺人は当然認められるのではないだろうか。(爆弾設置時に2歳児の両親が子作りを一切考えてなかったとしても。)

検討する犯罪自体違うので怒られそうだが、無差別器物損壊爆弾設置後に作成された他人物でも同じ話である

無差別殺人意図という設定が本件と違うのがややずるいかもしれない。

ーーー

大元器物損壊の実行行為性の話については、道端に毒入りジュースを置いたケース(宇都宮地判昭和40.12.9)とか参考になるかもしれない。

昭和40年頃の道端のジュースを拾う行為は、現在のそれとはまた意味合いが違うかもしれないが。

ーーー

相変わらず、雑で直感的な議論ですが、いまのところの考えはこんな感じです。

2018-03-12

anond:20180310220741

男がじゃなくて君が得してるだけ

俺は高卒だけど大卒より稼いでるよって言うようなもの

概括的に見たら女のが楽

大卒のが高卒より稼げる

あざっした

2018-02-15

anond:20180215122907

大辞林 第三版の解説

いっぱんろん【一般論

ある特定事柄考慮しないで、物事概括的に扱う議論

anond:20180215122223

大辞林 第三版の解説

いっぱんろん【一般論

ある特定事柄考慮しないで、物事概括的に扱う議論

anond:20180215120123

大辞林 第三版の解説

いっぱんろん【一般論

ある特定事柄考慮しないで、物事概括的に扱う議論

2017-11-15

次の行動指針を立てた

背景

目的

方法

実行

考察

  • 目的は達成された
  • どれぐらい時間かかった?
  • 2週間か。悪くない

2011-03-29

賢い人なら差別をしないという幻想<読む必要はないですよ>

http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20110329#p1

差別を許容するコスト

記事についての雑感

まあ、これは医療という立場から踏まえた合理的な考え方に基づくものだから差別をすべきではないというのは正しいかと思う。

しかし、これを汎化させようとすると途端に不整合が生じる。

トリアージ差別になるだろうか、と言えば、私は差別になると考える。合理的差別だ。

救うべきものと救えないものを分類し、スクリーニングにかけるということで、より多くの命を救えるのだから、これはやむを得ない。記事も、「不要な」と前置きしてスクリーニングを否定していることを読めば、必要なスクリーニングはあるという考えが見えてくるだろう。勘違いしてはいけないのが「スクリーニングすべてが不要」ではないということだ。そこを誤解しているブコメが幾つか見られる。

差別を許容することによって自分差別される側に立たされるリスク」とは、差別の語の前に不要な、を補うのが望ましいしかしながら、合理的差別のそれも、こうしたリスクを孕んでいることは疑いない。言ってしまえば戦争状態である

差別を許容してはならないのは、そのとき差別される人のためだけではなく、自分のためでもある。」というのは、「もし自分差別される立場に立つ可能性」を踏まえてのものである。そうしたことを慮って差別しないこと、即ち賢い人であるというのは、恣意的な操作はないだろうか。

また、これすらも医療の立場から提言であり、一般的な差別全般に対しての言ではないということも注意したい。

さて、記事自体から引用はさておき、これから差別全体について、合理非合理を交えた私なりの考え方を該当ブコメから引用を取りつつ述べることにしたい。

引用その1

Apeman 「しかし、差別正当化する代償は安くないと私は考える」 構造的な差別についてはマジョリティにとってその代償が極めて安くすむのがこの社会の問題。

構造的な差別、というのがいかなる差別に当たるのか私は誤解しているかもしれないが、ここでは社会的差別ということに換言したい。

つまり社会構成員としての人間が、構成する社会から言わば「空気」のようにのしかかるものだ。例えば、容姿差別性差別学歴差別年齢差別がこれに当たる。

今四項の差別を例示したが、前二つは先天的なもの、学歴差別後天的な物、年齢差別は漸進的なものである社会的に合理性をもって正当化されるのは後ろ二者で、前二者についての差別も深刻ではあるが、後者ほど合理的ではなく、日進月歩改善も見られる。とはいえ、まだまだなのが現状だ。後者に至っては、半ば当たり前というか、「しかたがない」というような意見を耳にする。特に、企業採用活動などを見るにつけ、それは顕著である。また、学歴差別年齢差別メタなものとして「知能差別」が挙げられよう。つまり、「バカは黙れ」「老害はとっとと死ね」の類であるはてなでもここらへんの差別には寛容で、ブコメでは毎日のようにバカに対する差別で賑わっている。

ここに見られるのは慣習的な使い方の「自己責任」が背景にあると思う。性差別などは先天的なものであり、それを打破するのも頷けるが、学歴差別は言ってしまえば「努力結果」による側面が評価されがちで、できなかったのは本人のせいだ、と抑圧される。簡単な例としては、新年銀座福袋を確実に欲しいなら、朝来るのではなく前日前々日から並べば良い、手に入れられなかったのはそういう努力を怠ったからだ、というわけだ。他にも花見場所取りなども似たようなものだ。要は、ある集団に序列を与えて、その上にいる人ほど大きな恩恵を与えるべき、ということである。これは、集団の下の方への保障の仕方によっては「逆差別」と言われることもあり、非常に難しい問題である

引用その2

Sinraptor 差別, 原発, 災害 今後汚染地域に住む人々が、結婚差別などにさらされることも考えられ、些細な事項であっても差別は許容しないという姿勢が必要だと思う。

まったくもってその通りであるが、これは地域差別の問題にも直結している。つまり差別する側が地縁を事由に差別される可能性は体感的に低いのである

だいたい人間は相手に見られたとき、悪くても「何処の馬の骨」で、評価はゼロが最低なのだ。しかし、地域が被差別になるとこのゼロマイナスになる。非合理的な差別はだいたい不安感情に由来する。正負の乗算が負になるように、相対的に自分が上だと分かってしまうと、それより下のものを「穢れ」として退けたくなるものなのだ。だからこそ差別をしないというのは理性的なものだし、差別をするのは本能に因るし、だから一部のはてなーは例外なく知能差別(ry

引用その3

uchya_x しかし、ここは再三差別発言を繰り返している人物が首都知事に三度も選出されている国でもある。今度も当選するようならどうすればいいのやら。 2011/03/29

これは実はなかなか面白いもので、差別をする人の中にも「政策の支持を得るもの(優れているわけではない)」とそうでないものの二者がいて、石原慎太郎というのはこの前者に価するのではないかと考えている。つまり、差別はするけど仕事はする人として評価されているのだと思う。

リヒャルト・ワーグナーという作曲家がいるのはご存知だと思う。彼の音楽世界で評価されているが、彼の人間性はあまり「できた」ものではなく、そこはwikipediaでも見てもらえればいいが、今でもワーグナーを支持すること、演奏することがタブーな国もあるのだ。仕事の出来と人間性に相関があるわけでもないので、いい仕事はい仕事で評価されれば良いのだが、世の中にはそれすら禁忌なところもある。清廉潔白であるなら望ましいが、万人が聖人というわけでもないし聖人なら仕事ができるという話でもない。

ちなみに私自身は、前都知事選では政策において石原より秀でたものはいなかったと思っている。浅野史郎はちょっといただけない(これはあくまで私の価値観だし、東京にいないので関係もないのだが

引用その4

parallel-world 社会, 差別, 医療, 災害 差別する者は損得計算のできない者だと考えている。 2011/03/29

全称的にそう言い切れるとは思わないが、一部の差別主義者権力を得るに連れて差別思想を暴露する傾向にあるように思う。つまり、権力の高みに登るに連れて「ちょっと落ちただけでは死なない」ように思い、ネット普及前までは特に深く糾弾されるようなこともなかった。今では「バカの可視化」としてそういう発言も多くに共有されるようになり、発言リスクも高まったように思うが、それ自体は化粧のようなもので、内心に差別心を抱く人が減るという話でもないことは心したい。

まとめ

概括すれば、人間というのは不完全なのだから差別心を持つ事自体を止めることは不可能である。私たちのこの「差別をしない、あるいはするな」というのは翻ってみれば「不謹慎」と同種の圧力を産む。そしてそれは正義の刃として受け止められる。

差別については、突き進めば個々人の心がけにしかなりえないだろう。それを享受するメリットを限りなく最大化し、多くの人間がみずから進んで、快く、差別をしないよう心がける環境を醸成するのが、最善であると私は思う。

2010-03-17

東洋大学社会学部 2010年シラバス 創価学会

授業コード 5A00602

目名(2008年度以降入学) 社会学演習Ⅱ

目名(2004〜2007年度入学) 社会学演習Ⅱ

コース 2

サブタイトル 宗教運動社会学

学期名称 通年

曜日時限名称 水6

氏名 西山  茂

講義目的、内容 講義目的・内容:

宗教運動とは、人間社会が、希望なきところに希望を持ち、意味なきところに意味見出し、どうにかして世界故郷にしようとする集合的な企てである。この演習では、「宗教運動とは何か」について学んだ後に、事例として、戦後日本で急膨張した創価学会運動を取り上げる。具体的には、急膨張期の創価学会運動を取り扱った優れたルポルタージュ等を読んで議論・発表し合って、宗教運動への社会学的な理解を深めたい。なお、別途、卒論題目の決め方指導も行う。

到達目標

当該宗教運動が発展してきた社会的背景と運動を指導する側の理念目標、さらには、運動参加者運動に託した希望意味等の間にあるトリアーデについて、一定の宗教社会学的理解に到ることを目標とする。

講義スケジュール 第1〜3回:まず、「宗教運動とは何か」について、複数の宗教社会学者見解を紹介し、それを巡る議論によって、宗教運動への基礎的認識を深める。

第4〜6回:続けて、配布資料をもとに、日本新宗教運動についての概括的な知識を身につける。

第7〜9回:第三に、配布資料をもとに、創価学会についての基本的知識を身につける。

第10〜14回:高瀬広居『第三文明宗教』を読んで、討議・まとめ・発表を行う。

第15〜19回:鶴見俊輔折伏創価学会の思想と行動』を読んで、討議・まとめ・発表を行う。

第20〜24回:石田郁夫創価学会戦後民衆の思想とエネルギー』を読んで、討議・まとめ・発表を行う。

第25〜28回:演習活動のグループ総括発表と教員指導。なお、その間に、那須でのゼミ合宿を予定している。

指導方法 西山ゼミは、参加者が何でもやりたいことをやれるゼミではなく、教員の専門分野に即した特定のテーマについて学ぶゼミである。したがって、参加者趣旨に同意した学生が多く、まとまりがある反面、少人数になりやすい傾向がある。

今年度の参加者の人数にもよるが、少なければ1つ、多ければ複数のグループでの討議・まとめを行って、その後、全体での発表と教員指導を行いたい。

 もっとも、宗教運動日本新宗教運動創価学会等についての基礎知識の教育は、はじめから、教員による全体指導によって行うこととする。

成績評価の方法 成績評価は、100%、春・秋学期の最後に提出して貰う年2回のレポートの内容をみて行う。ただし、それが水準以下の場合のみ、出欠状態の良否を参照して評価する。

テキスト西山茂「変貌する創価学会の今昔」(雑誌世界』第72 7号、170−181頁,2004年6月)

高瀬広居『第三文明宗教』(弘文堂,1962年)

鶴見俊輔折伏創価学会の思想と行動』(産報,1963 年)

石田郁夫創価学会戦後民衆の思想とエネルギー』(三 一書房,1965年)

 ただし、殆ど絶版。入手不能の場合はコピーで提供。

参考書 適宜、演習時に指示する。

2010-01-20

朝鮮生活水準日本の統治下で向上していた件

http://anond.hatelabo.jp/20100119124726

上のエントリーについて、こちらのブログ(http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100118/1263799034)でコメントを頂戴したので、もう少し書いてみたい。

日本植民地経営朝鮮人の暮らしは悪化したのか?

植民地の立場を脱してからはじめて、旧植民地近代国家経営のお手本としての大日本帝国モデルを自国の発展に生かせたのです。植民地支配体験が韓国民にとって有益になり得たのは、植民地から脱して後のことです。

水田開発や農業技術の向上は、ほとんど朝鮮の民生向上に繋がりませんでした。そのことは統計数字が示しています。

最初にいただいた反論は、日本植民地政策は朝鮮人からの収奪のためであって、朝鮮人生活水準の向上にはまるで寄与しなかったと言う点。こちらのブログでは、その論証として以下の3点をあげている。

  • 朝鮮人所有の土地面積が減少している。
  • 工業化は大して進まず、民族資本もあまりたいしたことがない。
  • 日本統治化で、米の消費量はむしろ減っている。

まず、第2点目に付いては、むしろ韓国人による起業植民地時代に始まったものであると言うKohli教授の指摘と矛盾する(上のエントリーを参照のこと)。また、目に見える工場などの資本以外に、経験や知識が蓄積されていたという彼の指摘は無視されるべきではないだろう。

また、第1の点については、当時の朝鮮人の大半は小作農であろうから、朝鮮人地主土地保有が若干減少したとしても、それで朝鮮人一般が搾取された、収奪されたという結論に結びつけるのは難しい。

重要なのは3点目。朝鮮人の米消費が植民地時代に減少していたと言うこと。これは朝鮮人の生活ぶりに直結しうる大切な指摘だ。しかし、我々は米だけ食って生きているわけではない。代わりにパンかうどんでも食えるのならば、少なくとも私は文句はない。もっと言えば、Quality of Lifeというのは食い物だけで決まるわけではない。教育、娯楽、医療水準、すべて食欲と同程度に重要だ。

で、そんなさまざまな要素を私が知りうるはずもない。ここはやはり専門家の出番だ。で、例によってGoogle scholarにお伺いを立てると、”calories Japan Korea colonization”でど真ん中の論文が見つかった。「植民地時代の朝鮮生活水準大衆の生活は日本統治下で改善されたのか、それとも悪化したのか?」という論文がそれで、著者は帝塚山大学木村教授。ちなみにこの論文はJournal of Economic Historyという、経済史学のトップジャーナルに掲載されており、信頼性は高い。面倒なので最初の要約部分だけ和訳すると、

この論文では日本統治下での朝鮮大衆生活水準の変化について研究した。世帯辺りの農業収入農業部門の実質賃金、必需食料品からの一人当たりカロリー摂取量は減少した。一方で、初等教育の履修者数、識字率、生存率は上昇し、また平均身長は少なくとも減少はしていない。この論文では、識字率や生存率、それに平均身長は、他の条件よりも生活環境により直接的に関係している数字であるということを主張した上で、朝鮮大衆生活水準植民地化から1940年までの間に向上したと結論付けた。ただし、この問題についてのいかなる概括も、さまざまな要素のどれを重視するかと言う点に決定的に依存する。

言うまでもなく、識字率とはハングル識字率のことである。もちろん、生活水準などと言うあいまい言葉は如何様にでも定義できてしまうので、このような研究を胡散臭く思う人も多いだろう。しかし、木村教授はここでノーベル賞経済学者アマルティア・セン生活水準基準を適用することで、一定の客観性を確保している。これは、資産効用といった経済学でおなじみの基準を使わず、平均余命や生存率、識字率栄養摂取などに着目しようというものだ。

ちなみに、木村教授の推計では、米および穀物からのカロリー摂取は1918年までの5年間で急速に向上した後、以降1936年まで年率-0.4%で低下し、それ以降はまた急速に増加している(前者の増加は穀物消費によるもの、後者は米消費の急増によるもの)。これはもちろん好ましいことではないが、この時期の生存率はむしろ改善しており、日韓併合前と比べても朝鮮人身長はほとんど変化していない。少なくとも、朝鮮人健康を損ねるレベルカロリー摂取が減ったわけではなかったようだ。

一方で、男子の就学率は日韓併合直後の20%から1940年には60%へ、女子の就学率もゼロから20%へと、大幅に上昇している。識字率や生存率も統計上有意な上昇を示している。

これらの要素から、木村教授アマルティア・センの基準に基づいて、

日韓併合後、日本の統治下で、韓国生活水準は損なわれた側面も当然あったにせよ、全体としては改善されたと結論付けている。

M Kimura (2005), "Standards of Living in Colonial Korea: Did the Masses Become Worse Off or Better Off Under Japanese Rule?", Journal of Economic History.

http://www.jstor.org/stable/2122408

日本植民地経営だけが素晴らしかったのか

日本英国なんかよりもずっとましな植民地経営をしたというのが、歴史修正主義排外主義の立場の人の言い分ですね。

しかし香港シンガポール英国植民地でしたが、素晴らしく発展していますよね。

経済発展の結果を以て日本植民地経営の良さを言えるのであれば、英国植民地経営もまた良かったことになります。

でも英国植民地が悪い見本であると言うなら、日本だってどっこいどっこいなんじゃないかと。

この点については、Reynolds (1983)の論文が参考になるだろう(著者はイェール大学教授、収録されたジャーナルJournal of Economic Literatureは一流誌)。彼はまず世界中植民地政策は国によって大きく異なることを指摘した上で、まず日本に言及し、『日本は、自国にあっても植民地においても、いつも経済成長重視の政策を貫いていた。そして日本の統治が朝鮮台湾の急速な経済成長のきっかけとなったことは明らかである。フィリピンも、アメリカの統治開始以降高度成長を達成している。またイギリスも概して経済成長志向であったが、イギリスは当地の殖民政府へと権限を大きく委譲する傾向があったため、各地の為政者次第でまるで政策が異なる。』イギリス植民地経営が悪い見本だったと言う主張は、少なくとも私は見たことがない(ミャンマーについては、かなり悪い例に入ると思うが)。一方で、Reynolds教授が「失敗国家メーカー」の烙印を押したのは、ドイツフランスベルギーオランダ、そしてポルトガルアフリカとかでにっちもさっちも行かなくなっている国は大体この辺の国々が荒らし回っている。ちなみに今大変なことになっているハイチ宗主国フランスである。

http://www.jstor.org/stable/2724912

日本の統治はどう有益だったのか

北朝鮮」も日本植民地でしたが、先進国になっていますか。

あの国は自業自得だというなら、逆に韓国の発展は韓国人努力の賜物だとも言えますよね。

まあ経済発展の要因はいろいろありますから、単純には言えませんね。

教育の普及やインフラ整備はたいていの植民地に施されていますから、日本が特に特別な恩恵を残したとまでは言えないと思いますよ。

後段については上で説明したので繰り返さない。1点のみ付け加えると、前のエントリー引用したCumings教授は、日本の統治下で朝鮮鉄道網はアジア最高(日本を除く)のレベルにまで整備されたことを指摘している。

前段については、「北朝鮮経済成長に失敗したのだから、日本の統治はたいした影響がなかった」という議論はやはり無理がある。韓国経済成長韓国人自身の努力の賜物であることは自明だが、努力だけでは補えない経験技術、各種インフラ教育制度官僚機構などを日本植民地経営がもたらした、というのが前回のエントリーで紹介した「学界のコンセンサス」なのだ。もしそれを「経済成長必要条件であった(十分条件ではないのは北朝鮮の例から明らか)」と言い換えることが出来るなら、やはり日本植民地政策は韓国にとって有益であったと言うことは出来ると思う。

2009-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20091230000010

はてなキーワードによると、一般論には二つの意味がある。

  • 個別特定の事例に特化しない、全体に共通する構造などを概括する議論
  • 一般的に認められている考え方

後者意味にとったのだろうが、おそらく自衛論vs反自衛論が一般論レベルであるというのは前者の意味だ。つまり抽象論であって、万人が共有できるとかそういうものではないと思う。

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん