はてなキーワード: 楷書とは
高齢父から白紙のはがきを渡されて6枚の年賀状作成を頼まれる。
郵便局のはがきデザインキットのdownload版が21年バージョンで終わって昨年まではWebバージョンで宛名印刷が可能だったと思ったんだけど、今年はついにそれも終了。
はがきデザインキットに保存していた住所録をそのまま使えるサービスがないものかと失敗を繰り返しながらいろいろ試して「はがき作家無料版」ソフトを入れる(プリンターはCanonなのでエプソンの便利ソフトは使えず)。
https://www.hagakisakka.jp/download/hag_free_dl.html
はがきデザインキットからダウンロードした住所録のCSVファイルの読み込み項目設定はYouTube動画が役に立った。
【3選:無料代替アプリ】住所録移行で困った...はがきデザインキット2023「あて名印刷機能」終了 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=rcOFiIVv6Eo
裏面ははがきデザインキットから適当なデザインを選んで印刷しようとしたのだが、プリンターのカラーインクが詰まって使えなくなってた。試し刷りは色がめちゃくちゃだった。年賀状作りにしか使用していないのだから当然である。だからといって6枚の年賀状のためだけに5000円近くするインクを買いたくない(どうせ来年もインク詰まっちゃう)。挨拶くらい手書きで書けばと提案するが父は拒否。黒一色でもいいと言うので印刷できそうな既存のデザインがないか探すがどこにもない。仕方ないから黒一色で印刷できるものを自作する。
はがきデザインキットのWeb版は自分で白紙からデザインすることができなかったので、ブラザーのサイトで公開されてる年賀状キットで作った。
Web年賀状キット2024 専用の年賀状ソフト不要で無料・フリーのWebサービス | BrotherOnline サービス | 年賀状ならブラザー https://online.brother.co.jp/service/web-nengakit
デザイン選択で白紙を選び、右上に中楷書体で「謹賀新年」、中央下に「本年もよろしく」と挨拶文、ど真ん中には「龍 筆字 フリー」で探してダウンロードした「龍」の文字。「龍」という字は一字でデザイン性抜群だからこれだけでキャンパスが映えるね。
一円玉・五円玉・十円玉・五十円玉・百円玉・五百円玉の6種類の硬貨が日本にあるが、その中でも特に五円玉のデザインが好きだ。
まず色がいい。
金色だ。
金そのものを全く含んでなくてもだ。
それに穴があるのもいい。
穴によって硬貨らしさがより高まっているし、見た目や手触りで判別性もある。
かつては穴にひもを通して硬貨を持ち運んだり保管したりしていたそうだ。
文銭を1000枚紐で通したものを一貫文と呼んでいたのだ。
さすがに現代において硬貨に紐を通す人はいないと思うが、それでも穴のある方が硬貨としての機能美を感じられる。
同じ穴のある硬貨に五十円玉があるが、デザイン面ではやや残念なところが多い。
表面のデザインは見事な菊が書かれているものの、真ん中の穴によって左右に分かれてしまっているのが残念だ。
裏面のデザインでも、百円玉と同じで額面を示すアラビア数字と発行年が書いてあるだけの味気ないデザインとなっている。
一方で五円玉はどうだろうか。
穴を意匠に利用する発想も素晴らしいが、歯車で日本国の工業を示しているのもいい。
穴によってデザインが阻害されている五十円玉とは大違いだ。
そして、下半分は横線で海を表現しており、上半分は頭を垂れた稲穂が描かれている。
日本のことをよく知らない人に対して、五円玉の表面を示すことで様々なことを伝えることができる。
稲穂の頭を垂れた形が、真ん中の穴(歯車)に沿ってきれいに収まっているのは意匠の妙だ。
五円玉の裏面のデザインはシンプルだが、両サイドに描かれている双葉が良いアクセントになっている。
五十円玉や百円玉の裏面が、のっぺりとして味気のないデザインになっているのとは一線を画している。
わずかな意匠によって全体を引き立たせているのは、女性用ショーツにおけるリボンに相当するといっても過言ではない。
双葉は、第二次世界大戦を終えた日本が民主国家として新たに萌えゆくさまを象徴しているという。
現在流通している五円玉の発行開始は昭和34年だが、デザインは昭和24年発行開始の旧五円玉をほぼ引き継いでいる。
旧五円玉は書体が楷書体で筆で書いたように見えるから、フデ五と通称されている。
他の違いは、裏面の日本国の「国」が旧字の「國」になっているだけである。
現在流通している硬貨の中でデザインが最も古いのは五円玉である。
ちなみに、旧五円玉の発行当初は、旧日本軍で用いられた薬莢や弾帯をスクラップして鋳造された五円玉も多かったという。
五円玉のデザインの素晴らしさはもはや語るまでもないことだが、発行開始当初の鋳造過程を鑑みても、当時から日本国の貨幣としてふさわしいデザインだったことは想像に難くない。
将棋は楽しいボードゲームで、基本的に殴り合いのオフェンスゲームです。仮にチェスがディフェンスのゲームで、お互いに防御の構えを組み換えながら敵側の綻びを見つけ出すゲームだとすれば、将棋は蟻の一穴をこじ開け落城させるオフェンスのゲームと言ってもいいでしょう。
チェスの競技人口が一説には5億人とも言われる中、将棋の競技人口は一千万人程度とガラパゴスの様相を呈していますが、明らかにゲームとしてのバランスではチェスに勝っています。チェスの公式戦においては先手勝率が40%程度、後手勝率が30%、引き分けが30%程度なのに対して、将棋の先手勝率は50%程度、後手勝率は48%、そして引き分け(千日手)の確率は2%前後であり、引き分けの可能性がチェスに対してずっと少なく、そして先手と後手の勝率が拮抗し合っているため将棋はボードゲームとして極めて高い完成度を誇るゲームと言えるのです。
更に付け加えると、ダメ筋(明らかにダメな手)を含めた、ありとあらゆる手の組み合わせ(ありとあらゆる進行の総数)を計算すると、チェスが10の120乗程度なのに対して、将棋は10の220乗程度ということですから、ゲームとしての奥深さも将棋はチェスを上回っています。因みに、宇宙に存在する原子の総数が10の70乗程度ということなので、如何に将棋というゲームが奥深いかは言うべくもありません。つまり、ある部分において将棋というゲームは宇宙それ自体より『深い』のです。
僕は腕前としてはアマチュア初段程度で、つまりアマチュアが目指すべき差し当たっての目標点にいます。やはりアマチュア二段以上を目指すとなるとかなり強烈な努力が必要になってくる印象です。アマチュア初段は将棋を普段嗜んでいる人間の中で、上位25%前後の層を指しているとお考え下さい。
将棋の道は極めて長いです。そして険しいです。詳しくはこの「将棋の名人とはどのくらい強いものなのか:https://ncode.syosetu.com/n5490eb/」という素晴らしい記事をご覧になって頂ければよいかと思います。(この記事の作者様と私は同一人物ではありません)
将棋のプロになるためには奨励会という育成機関を通過する必要があります。この奨励会は入会すると6級からスタートとなるのですが、これはアマチュアで言うところの四段以上の腕前に相当すると言われています。しかも、この奨励会に入会するのは小学生や中学生の少年少女です。つまり大の大人が血の滲むような努力をしてようやく到達できる地点に、ある程度の凝縮された努力によって遥かに短い時間で到達できる人々、つまりは天才たちだけがこのスタートラインに立つことができるということです。
さて、当然奨励会員になったところでプロになったわけではなく、プロになれるのは奨励会三段リーグを突破して四段の資格を得た者だけで、年間に四人しか輩出されない仕組みとなっています。更に、四段になった後もプロとしてのグラデーションが存在しており、そこには才能の差という影がいつまでも付き纏います。
才能のあるプロ、つまりそんな天才の中の天才は、将棋を指す際にどのように思考しているものなのでしょうか?
先に紹介させてもらった記事では、天才達の中でもグラデーションが存在しており、将棋のトップに立てるのは本当に一握りの人間であることが述べられていました。
つまりトッププロとは、仮に将棋人口が1000万人だとすれば上位0.0001%の人間のことです。すなわち、トップの十人、それが実質的な日本のトッププロ達です。
羽生善治、藤井聡太、渡辺明、豊島将之、永瀬拓矢らがそうです。将棋を指す者達は彼らのことを畏怖の目で見つめ、時折プロが招かれるイベントなどで間近に見る際には、化け物や、宇宙人。あるいはこの世の理を超越したものを意味する視線が、彼らには注がれることとなります。
つまりは才能とは一体何なのかという話になるのですが、脳内将棋盤というのがポイントになってきます。
人は、数理的思考能力、つまりIQが140を超えると立体的なイメージをあらゆる角度から検証できるようになるという話があります。人間のある種の知的能力と、立体的な像を脳裏に生み出す能力には深い繋がりがあるということなのです。つまり、才能のある将棋指しは脳の中に将棋盤を作り出すことができ、これによってどんな時でも(つまり実際の将棋盤がなくても)脳裏において将棋の情報を扱うことができるようになるほか、将棋に関する凝縮した思考を連綿と行うことができるようになるということなのです。勿論、プロもこの「脳内将棋盤」を持っており、彼らの脳内将棋盤にはそれぞれのバリエーションがあることも有名です。
以下コピペ。
羽生四冠
「4分割(5×5中央重複)の部分図が高速で行ったり来たり。盤全体は1度には浮かばない、負荷が大きい。盤面は白、線は黒。駒は外形が無く黒の一字彫り。アマ二、三段くらいになった10歳ごろからこんな風。」
森内九段
盤駒のみの思い浮かべる事はほとんど無く背景も付随。対局中は当時の対戦相手や対局場の雰囲気まで再生。普段は自室の背景に板盤。」
「盤は黄色で1一が右上に固定されている全体図で、線は無い。楷書の文字1字だけが駒として自動的に動く。」
渡辺二冠
「ダークグレーの空間に、字の書かれていない黒に近い灰色の駒が浮かんでいるだけだが、どちらのどの駒かは分かる。」
「黒くぼやけた盤面のどこか一部だけが見えている。駒はゴニョゴニョ、あるか無いか分からないまま何かある感じ。」
「盤も背景も黒く、線の無い盤全体に文字の無い黒っぽい駒がモニョモニョ。」
(出典:AERA No.38増大号'12.9.17『天才たちの「脳内パネル」』)
さてトッププロどころかアマチュア4~5段の人々にはこの脳内将棋盤が基本的に備わっていると言われています。つまり、この脳内将棋盤は確かに、ある程度将棋の強さ(棋力)の指標となるのです。しかし、トップの人々に関してその指標がピタリと当てはまるかというと、疑問だと言わざるを得ません。脳内将棋盤というものは将棋の猛者にとって当たり前のアイテムかつ大前提のアイテムであるため、最上位層の人々の能力を測る尺度としては些か信頼性に欠けるということなのです。というか、一応奨励会三段(アマチュアではなくプロ基準の三段)ともなれば、既に常人を超越して人間卒業レベルに至っているので、やはりその中にいる更なる化け物達を推し量るには、脳内将棋盤の有無のみならず別の尺度を用いる必要があります。
つまり、その二者。単なる化け物と、化け物の中の化け物を辨別する際に必要なのは、脳内将棋盤が「ない」ということなのです。
頭の中で将棋盤が無く、視覚的なイメージに頼ることなく思考できる人々が、化け物の中の化け物にはいるということなのです。
「最初の一手……まず、角の斜め前の歩を前に一つ進めるだろ。すると、後手の相手も同じように角の斜め前の歩を一つ進める。だとしたら俺は飛車先の歩を一つ前に突いて、相手も突き返して……横歩取りの筋に合流しそうだ」などなど。
つまり、常人は基本的に画像、目の前にある将棋盤の視覚的なイメージを用いて思考しており、そのイメージを介さずには将棋を指すことができないのです。ある意味では脳内将棋盤の存在も、視覚的な情報に基づいているという点においてはその思考の延長線上にあると言っていいでしょう。そう、人は基本的に将棋を考える際には視覚的なイメージを媒介とするしかないのです。
しかし、プロの一部にはそのような思考法は――視覚的なイメージを介した思考は――あくまで「補助的なものに過ぎない」と証言する者もいます。藤井聡太や増田康宏、羽生善治などがそれらの棋士です。
では彼らはどのように思考しているのでしょうか。
将棋の符号とは、数字と文字によって駒の動きを表したものです。いわば駒の「番地」とも言われるもので、次の記事が参考になると思います。
https://book.mynavi.jp/shogi/detail/id=77758
例えば、少し前に書いた横歩取りの定跡だと以下のような記述になります。76歩、34歩、26歩、84歩、25歩、85歩、78金、32金……。このような記述の仕方は江戸時代以降から共通であり、いわゆる将棋の対戦の記録である「棋譜」は古くは数百年前のものが記されています。古い文献において、盤面は視覚的に、絵図を用いて記述されることはなく、符号を使って記述されているのです。
いちいち絵図で盤面を描き残すよりも、文字で表した方がずっと労力は少ないですからね。
以下の記述はあくまで本人らの証言を参考に記しているものであり、彼らの思考を追体験したものでは当然ないのですが、つまり彼らの思考は以下のものになります。
先程書いた将棋の符号が、将棋に関する思考を始めた瞬間にズラズラズラ~~~っと文字列で浮かぶのです。
「ズラズラズラ~~~っ」って……、と自分の文章表現力の稚拙さに絶望しそうになるのですが、そう言い表すほかない。そう、真のトッププロにおいては、文字によって思考が行われるのです。そこに画像の介在する余地は、僅かにしかない。羽生善治曰く、「思考は基本的に符号で行って、その後、ある程度局面を読み終わった後に、自分の思考を確認するために思考を画像に起こす、という作業はありますが、基本的に画像で思考することはありません」とのことでした。
先に書いた通り、画像で物事を表すというのは、文字列で表すよりも遥かに手間が掛かります。つまり、脳の処理を要します。
となれば、より情報量の少ない符号によって思考するということが、より高速な思考法として適しているということなのです。
ある意味、それは楽譜における音符の存在と似ているでしょう。というか、そのものかもしれません。音楽というものは体系化され楽譜という共有形式を持つ以前は、完全に口伝であり、人々が歌い継ぐことによってしか継承を行うことができませんでした。しかしそれが数学的・音楽的に体系化され、楽譜の形を取ることになると、そのような継承の際に起こり得る障害はほぼ完全に撤廃されることとなります。そしてこれらの音符を読むことで、人々はそのメロディーを脳裏に想起することができるようになりました。将棋の棋士もまた、それと同じ知的処理を行っていると言ってもいいかもしれません。
つまり、ドミソ、の音符が並んでいるのを見て、タララ~、という和音が脳裏に浮かぶのと同じように、将棋のトッププロたちは符号によって将棋の盤面を把握することができるのです。これは、将棋のある程度の才能がある人々には必須の能力ですし、実際に高位のプロ棋士やトップアマチュアは、棋譜を一目見ただけで盤面の進行をまざまざと思い浮かべることができると言われています。
とは言え、そのことと「思考に符号を用いる」ことはやはり一線を画していると言ってもいいでしょう。
勿論、理屈としては分かるのです。我々が音楽を継承する際に楽譜を用いたように、あるいは将棋の対局を語り継ぐために符号によって棋譜を残したように、それらの音符や符号といった記号には意味を圧縮することができ、効率的な情報伝達を行うことができるのだと。
勿論、理屈としては分かります。とは言え、それらの記号を使って後世へと情報を伝達することと、それらの記号を用いた思考を正確に効率的に実践することとは、また別問題です。
というわけで、画像を媒介にした思考と文字列を媒介にした思考とでは、効率において文字列による思考に軍配が上がるということでした。プロ棋士らによる思考の抽象化が極限にまで達すると、本来立体的な駒やそれらの視覚的イメージを用いずして思考することが不可能であったはずのボードゲームも、文字列を介した思考によって再現されてしまう、ということなのでした。実に、これは驚くべき異常性であり、そして、個人的には文化として、そして娯楽として、このような常軌を逸した営みを次代へと継承していかなければならないと感じます。
さて、ところで常軌を逸していると言えば、藤井聡太二冠の名前はもはや語るべくもなく有名ですよね。彼のインタビュー記事は相当数発表されていますから、彼の語る様々な内容について把握している方も多いかも知れません。
その中でも異質のインタビューと言えば、2020年の夏に発表された、小説家白鳥士郎氏によるインタビューでしょう。https://originalnews.nico/139502
――棋士はどなたも『脳内将棋盤』を持っておられます。でも藤井先生は、あまり盤面を思い浮かべておられる感じではないと、以前、記事で拝見したのですが。
「はい」
――では、対局中はどんな感じで考えらおられるのですか? 棋譜で思考している?
「ん……それは、自分でもよくわからないというか。んー…………」
――盤は思い浮かべない?
「まあ、盤は(対局中は)目の前にあるわけですので」
「詰将棋は読みだけなので、盤面を思い浮かべるという感じでは……」
――えっ? ……私のような素人だと、詰将棋を解くときこそ将棋盤を思い浮かべるというか……むしろ手元に盤駒を置いていないと解けないくらいなんですけど……。
将棋のプロの世界は腹の探り合いであり、自らの能力の本質である「思考の方法」について簡単に詳らかにすることは、本来無いことと言ってもいいかもしれません。とは言え、これまで語ったようにそれらをはっきりと述べる棋士の人々がいらっしゃるのもまた事実です。そして、このインタビューにおいて行われた藤井二冠の発言もまた、棋士の思考の一環を覗くことのできる重要な機会であるように思われます。
さて、ここで述べられているのは、そもそも思考する際に「なにもない」ということです。
全くの虚無、というわけではないにせよ、少なくとも目の前に分かりやすい形で示すことのできる思考は、存在しないということなのです。
以下のインタビューで彼は次のように語っています。https://shuchi.php.co.jp/voice/detail/3394?p=1
彼は基本的にはこれまで述べたように、「符号」を使って思考するのですが。しかしある種の詰将棋などにおいてはそのような符号さえ必要にしないということでした。
このような、実際の目視確認→脳内将棋盤(符号による棋譜理解)→符号による思考→符号さえない思考という構図を単純なステップアップの過程として語ることはできないとは思うのですが、しかし、将棋というゲームについて思考する際に、その思考が極限まで達した人は何かしらの深淵へと、虚無への道を辿っているような、そんな感触を覚えてしまうのは僕だけなのでしょうか。
さて、というわけで、トップ棋士たちの、良い意味での思考の異常性について語りました。現在、12/6午後五時三十分ですが、僕がこの世の隅っこでこの文章を書いている間、世間の大舞台では羽生善治九段と豊島将之竜王二冠のタイトル戦第五局が、行われている最中です。
私は平成元年生まれの人間で楷書しか書けない。だいたいの若者が手書きの文字は楷書を書いていると思う。
若くても、書道や硬筆、ペン習字をしている人は行書や草書を日常的に書くのかもしれない。
学校では習字の授業はあったけれども、行書や草書を日常使いできるレベルの教育は受けてない。
無意識のうちに楷書で書くことを強制されているような気がする。
国語の漢字テストで、回答を行書や草書で書いたら点数はもらえないと思う。楷書で書きなさい💢と教師から注意を受けそうだ。20代の教師だと私のように行書や草書が読めないかもしれないし。
でも、楷書は行書や草書に比べ書くのに時間がかかる。丁寧にゆっくり書く余裕があるなら、楷書でもいいけど、小論文のテスト等、長文を早く書かなくちゃいけない場面では楷書は厄介だ。早さを求められる場面では行書や草書で書いた方が効率的。でも、小論文やテストで行書や草書の回答を書く10代はいないと思う。
昔の人のように、行書や草書を日常使いせず、現代では時間がかかる楷書という書体を使って、皆が早く字を書くようにそれぞれ工夫をしているという状況だ。
字を上手く書けるからといって、字が上手い上に早く書けるとは限らない。書道を学んでいる学生でも、時間制限がある学校のテストでは「綺麗に丁寧に文字を書く」というわけじゃなく「早く書き終えられるように手癖で感覚的に書く」んだと思う。
こんな状況だから、楷書のくせ字が色々と発達してきた。丁寧に綺麗に書こうとすればするほど、「お手本」に近づいていくけれども、早く書こうとすればするほどくせ字になり、その人の独特の筆跡が出来上がる。
東京国立博物館 平成館で開催中の特別展「顔真卿―王羲之を超えた名筆」に先週行きました。
目玉となっている顔真卿の「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」は平日午後で、30分待ちでした。
入口の券売機コーナーに待ち時間が表示されていますので、心構えを持って行列に臨むことができます。
これは祭姪文稿に限らない注意点なのですが、展示物は小さいものが多いです。
現代書道では畳の大きさである全紙、それを縦半分にした半切、のような大きな紙を使用しそれに大きな字を書くことが多いかと。
展示されている古い作品は、小学校の習字で使う半紙を横にしたようなサイズ。それが横につないであります。
日本でも昔の巻物はそんなサイズですよね。その縦のサイズに字が12~15文字記されております。大体のサイズ感はお分かりいただけますでしょうか。
祭姪文稿全体は、横2メートルほどあるでしょうか。しかし、メインは半紙(横長)×2ぐらいです。
残りはこれを手に入れた歴代の所有者のコメントやらハンコやらで埋まっています。
歴史的に有名な作品にたくさん付いてくるこのおまけは「千社札みたいなもの」と聞いたことがあります。
お宝を手に入れたら、何かしら自分の足跡を残さずにはいられないということでしょう。
長い長い待ち行列のあとにこれを拝むことができるわけですが、たくさんの人が並んでおりますので、立ち止まって鑑賞することは許されません。
立ち止まらないで見ると、本当に一瞥、ちょっとみた、という感じです。
祭姪文稿に特に思い入れのない人があれで感動するのは至難の業と思われます。
そのあとに祭姪文稿の拓本が展示されていますので、じっくり見たい方はそちらで。
拓本なので真筆と違い、墨、筆運びは感じ取れませんが。
PCモニタが大きい人は、公式サイトをPCで表示したほうが大きいサイズで見られるかもしれません。
ポスターが明朝体を使用していることを批判されているブコメを見ましたが、よく見ていただければ明朝体ではない、顔体に似たフォントであることがわかるかと思います。
展示パネルに、明朝体の大本は顔真卿の字体(顔体)という説明がありました。見間違う程度には似ているということでしょう。
顔真卿以前の欧陽詢、虞世南、褚遂良は、縦画・横画の線の太さが大きく異なりメリハリがあること、横画が右肩上がりで外形の角度が鋭角になり正方形、長方形ではなく菱形っぽくなる特徴があります。
癖のあるかっこよさ、というのでしょうか。
顔真卿の楷書は、縦画・横画の線の太さの違いが少ない、横画が水平に近く字の外形が正方形・長方形に近い、という特徴があります。大変にプレーンです。
欧陽詢、虞世南、褚遂良、顔真卿(だったと思う)の同じ字をモーフィングで写してどのように違うのかを見せてくれるモニタ展示があります。
字形の違いだけではなく、たった1字からその人の性格が透けて見えるような大変に面白い展示です。
王義之、欧陽詢をはじめ著名な人の作品にはキャライラストがついています。
本当にこんな顔だったの? 絵が残ってるの?と疑問が沸きますが、キャッチーではあります。
はっと気が付くと、顔真卿のキャラのポーズが違うのがいて二度驚きました。
「まだまだ北風です」「はじまりはいつも顔真卿」などキャッチフレーズがつけられている作品もあり、大変まじめでしっかりした展示であるにも関わらず、一生懸命キャッチーです。
拓本の展示が多く、これは当然本のサイズです。
しかし石碑全体の拓の展示もふんだんにあり、整然と統一された一面の書の美しさに圧倒されます。
メインは唐ですが、その後の時代も日本、中国できちんとフォローしている幅広い展示でした。
唐の玄宗皇帝、則天武后の書も展示されております。そんなに書を上達させる時間があったなら政治にもっと力を入れたほうがよかったんじゃないかな、と思わせる達筆です。
最澄の書が空海と並んで展示されているのはいわゆる公開処刑のように思われました。
唐に遣唐使として滞在していた折に、最澄が空海に代筆を頼んだ、というエピソードを読んだ覚えがあります。
本人も空海の書のほうが遥かに優れていると知っていたわけであえて並べて展示しなくても。
蘭亭序、孔子廟、九成宮をはじめ有名どころが勢ぞろいしていますので、書道に興味のある方は是非。
ただ展示数が多いので足早に見ても二時間半(祭姪文稿の待ち含め)かかります。
観覧者の7割は中華圏の方ですので、春節終わった後がいいかもしれません。
日本人観覧者より、中華圏観覧者の平均年齢は20以上若いと思われます。
20代のカップル、グループ、小学生ぐらいの親子連れもいます。
多少閲覧マナーがどうであれ、お若い方に観ていただくのはとてもいいことだと思います。
祭姪文稿の待ち行列で順番ぬかしを一度静止しましたが、二度目は見送りました。
そんなに焦っていっても、ちょっと見て終わりなんですけどね。
今年もいろいろ買ったね。
定価20000円前後のところAmazonのタイムセールで14000円くらい。
主にスプラトゥーン2のプレイを録画して自分の立ち回りを省みる用途に使っている。
PCゲームはGeforce Experience(NVIDIA製GPUの付属ソフト)で録画できるし、PS4は本体に録画機能があるので苦労していないが、Nintendo Switchに関してはその辺が期待できないので購入。
付属ソフトのGame Capture for Windowsは録画する分には設定も簡単で動作も安定しており機械オンチにはありがたい。配信や実況動画を撮るとなるともう少し勉強が要りそうだが。(for Macもあるよ ※USB3.0必須)
パススルー機能も付いているのでスプラトゥーン2のようなシューターも問題なく録画できる。そもそもの遅延もさほど大きくないのでADVやSLGならそのままでも。
自分のプレイングをX上位勢の動画と見比べて改善したらS+の数字が安定して増えるようになった。目指せウデマエX
自分の粗がよく分かるけど味方の粗もそれなりに分かるのでもどかしさが更に募る。
ゲーム内スタッツも本体の録画機能も貧弱なのでそりゃ野良プレイヤーのレベルは上がらんわなと改めて思った。
ソフトウェアエンコード方式なのでそこそこつよつよPCが必要。よわよわPCの人はハードウェアエンコード方式のものを買おう。
元々音楽が好きでiPod classic 120GBをずっと愛用してきたが、生産終了を機に10年間にわたる酷使から解放してあげようと思った次第。
ストレージはどのみちmicroSDで拡張するので本体16GBで十分。
Bluetoothレシーバー機能が搭載されているので、手元にない音源をストリーミングサービス経由でiPhoneにダウンロードして、iPhone→ウォークマン→イヤホン・ヘッドホンというルートでiPhone内の音楽を聴けるのが便利。
あの忌々しい変換アダプタを持ち歩く手間を省きながらイヤホン・ヘッドホン選択の自由度を担保できる。有線/無線ありきでオーディオ選びたくないんですよね。
SONY純正の音楽管理・転送アプリケーションMusic Center for PCがクソ。
数百円で売ってるので何でもいい
買いもしない(買えない)建売住宅やら怪しいセミナーやらのチラシを毎日のように入れられてさすがにうんざりしたので購入。なんで今までやらなかったんだろうレベルで郵便受けがすっきりした。
PC用に使っていた古スピーカーが限界を迎えていたので5000円弱で購入。
この価格帯にしてはなかなか良い音で鳴る。1000~2000円台のスピーカーや内蔵スピーカーからの乗り換えなら明確に違いが分かると思われる。
良く言えばコストパフォーマンスが高く、非オーディオマニアには十分な性能
見た目に高級感はないが、さほど安っぽさもない
悪く言えば値段なりの音
低音がややこもる
最安値ではなかった
下手の横好きで将棋が趣味なのだが、安い駒しか持ってなかったのでせっかくならと某フリマアプリで中古の黄楊駒を購入。15000円ほど。
将棋の駒は主に材質と彫り方の組み合わせで値段が変わる。
安価← | →高価 | ||
---|---|---|---|
プラスチック | カエデ・ツバキetc | シャム黄楊 | 本黄楊 |
書き駒 | 彫り駒 | 彫り埋め駒 | 盛り上げ駒 |
これに加えて書体の違いがあって、これは好み。楷書体の他に錦旗、水無瀬、巻菱湖、源兵衛清安などなど。
更に美しい木目が入っていたり著名な駒師の号が入っていたりすると値段が跳ね上がる。プロのタイトル戦で使われるような駒は付加価値もあってかマジで高い。
今回は無銘・本黄楊の彫り駒という高級駒へのエントリーモデル的なポジションのものを購入。これは豆知識なんですけど指す時にプロ棋士の手つきを真似ると超ハッタリかませますよ。私はこれで大会全敗しました。
いい音がする
見た目が美しい
気分がアガる
将棋はうまくならない
Razer社のゲーミングヘッドセット。
締め付けがさほど強くなく、イヤークッションも大きく柔らかいので眼鏡常用者におすすめ。眼鏡をかけたまま長時間プレイしてもこめかみが殆ど痛くならない。
サウンドも十分ゲームプレイの向上に寄与してくれるが、エイジングしないとやや高音が痛いかも。マイクの性能については分かりません。なぜなら通話する友達がいないので…
自他共に認めるインドア派なのでアウトドアブランドには興味がなかったのだが、アウトドア使用に堪えるものが街中で無能なわけがない!と思いいろいろ手を出してみたところ完全にハマッた。
モンベルのアンダーウェア。L.W.(ライトウエイト)・M.W.(ミドルウエイト)・EXP.(エクスペディション)の順に厚く暖かくなる。
都市部ならL.W.で十分暖かい。屋内に入って多少汗ばんでもすぐ乾くので汗冷えしにくくて良い。
いわゆるインナーダウンというやつ。こんな薄っぺらいダウンで何ができる!あと見た目だせえ!と思ったがアウター下に着込んだらまあ暖かいこと。
あまり嵩張らないので暖かい日はくるっと丸めて鞄に入れておけばいい。(こういうことができるのもアウトドア用だからこそやなという気がする)
本当はユニクロのインナーダウンを買おうとしたのだが、「悪いこと言わんからもう4000円出してモンベルの買え」というディープウェブの声に従って購入。
古着屋で購入。オムニヒートというアルミニウムがプリントされた裏地に遮熱効果がある…らしい。そう言われてみると暖かい…ような気がしないでもない。
防風性能はそこそこあるのでこの下にインナーダウンやニットを着込めば都会の冬は結構いける。見た目も良いしね。
今話題のワークマンにも似たような加工のジャケットあるからファッションに拘りがなければそっちでもいいかも。
いろいろ見て回った結果、mont-bellやColumbiaあたりは比較的安価で手が出しやすいな~という印象。でもそのうち雪山全然関係ない東京の電車でMAMMUTやArc'teryxを着てイキり倒してみたいね。冗談です。
あったけえ…
高垣楓を、いやアイドルマスターを愛する人は皆これを購入するべきだ。
我々はこのようなクオリティのフィギュアを2000円以下で購入できる世界に生きているのだから。
良い
無い
漫画家・弐瓶勉氏の作品にスターシステム的に登場する巨大企業・東亜重工が開発した合成人間…という設定のフィギュア。
自分は元々弐瓶ファンだが、Twitterで検索すると弐瓶作品を知らない人もデッサン人形的に購入しているらしい。それほどまでに可動域が広く、自立能力も高いので動かしているだけで楽しい良いフィギュア。正座もできるよ!
品薄気味
御託は不要。
良い
あまりにも良すぎて体調崩した
・
チェックインのときにレジストレーションカード書いてもらうんですよ。名前住所電話番号会社名書くアレ。
まじで字が汚いやつが多すぎ。
別にきれいな字じゃなくていいからさ、読める字で書いてほしいと心から思う。
じゃないと顧客情報の登録もできないし、領収書の宛名だってシステムに打ち込めないんだよ。
「会社名で領収書ちょうだい」って言われたって、読めない字で会社名書くやつ相手にどうやって領収書切るんだよ。
「汚くて読めません」なんて客商売の立場は言えないから、「楷書でご記入頂きたいのですが……」と恐る恐る切り出すと「楷書っててめえ、汚ないって言いたいのか」って怒り出す人も居るしさ。その通りですとは言い返せないのがつらい。