2021-04-28

[] #93-13「栄光の懸け箸」

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「ほぅ、マイ箸ですか」

市長は思わず声をかけた。

別にから箸の矯正について意見を仰ぐつもりではない。

ただ箸を綺麗に持つ者として、その“趣”を知りたかったんだ。

「え? ああ、割り箸はどうも使いにくくて。この細長いタイプじゃないと、しっくりこないんですよ」

「同じ枕じゃないと眠れない、みたいな感じですか」

ハハハ、そんな繊細な歳じゃないですよ。箸を綺麗に持てるようになったのは、ここ最近です」

「えっ、本当ですか!?

「ですから、このマイ箸以外では慣れていないわけです」

市長は驚きを隠せなかった。

あれだけ綺麗な持ち方をしているのに、それができるようになったのは成人してかららしい。

大人になってからだと、とやかく言ってくる人も周りにいないでしょう。どういう心境の変化で直そうと?」

「ふぅむ……あなたは箸をなぜ“箸と書くか”、なぜ“はしと呼ぶ”かご存知ですか」

「うーん……生憎不勉強もので。疑問にも思いませんでした」

「箸という漢字は、素材の“竹”に神が宿るとされ、それが“人やモノ”の橋渡し役であることからきているようです」

「へー、竹に神が。八百万の神なんて概念がありますが、食器にも神が宿っているなんて考えがあったんですね」

「いえいえ、扱う物や振る舞いに対して霊験があるというのは、世界的に通ずる考え方ですよ」

市長紳士の話に聞き入った。

これは現代でも通ずる箸のマナーに関するものであり、ひいては市長が今悩んでいる問題にも繋がるものだったからだ。

「例えば、遠い国の中世。手づかみが当たり前だった時代には、その指に神が宿ると言われていました。食べるという行為は突き詰めるなら神聖ものなのです」

「だからこそ、箸も綺麗に持つことは大事だ、と考えるようになったわけですね」

とはいえ箸の持ち方は、あくまで“一環”です。自分がどのように見られているか、それを自分がどう考えるかという“在り方”の」

「要はマナーってことですね」

「どう呼ぶかは自由ですよ。従うか、無視するかも自由です」

自由、ということは、あなたは箸の持ち方が汚い人がいても気にならないと?」

「気になりますよ、そりゃあ。でも、その人たちに箸の由来だとか、食器には神が宿っているだとか話しても仕方ないでしょう」

ここまで箸に含蓄があるのに、紳士はあっけらかんと言ってのけた。

自分ちゃんとしようと思うし、ちゃんとしていない人間がいれば気になる、それ以上でも以下でもない。

その答えは、今の市長にとって最もしっくりくるものだったらしい。

「なるほど……中々よい話を聞かせていただきました」

「それは何より……ん、もしかしてあなた市長?」

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