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2021-09-11

anond:20210911104723

だって外に働きに出たって環境悪すぎだもん

給料安いし休めないしパワハラいじめ当たり前

在宅介護もつらいが生活のためにする介護パートもつらい

一部の上澄みだけ見て話ししないでほしいわ

2018年に僕が見ていた特撮TVアニメ作品一覧1

anond:20201008200533

の続きを1年振りに、50音順備忘録も兼ねて簡単感想も合わせて内容を思い出しながら書いてみようと思う。

2018年

あそびあそばせ

可愛らしい絵柄の美少女達が仲良く戯れる作品…かと思いきや実際は女の子達が顔芸や下ネタをこれでもかと披露するコメディ作品

OP詐欺に釣られて視聴し内容が面白いので視聴を継続した作品監督はあの岸誠二氏。デスメタルきじゃないのでEDは一度も見なかった。

アンゴルモア 元寇合戦記

鎌倉時代武士モンゴル帝国の戦いを描く歴史漫画アニメ化作品元寇が題材のアニメ作品は初めて見たので非常に新鮮だった。

連載中の作品で1クールしか尺が無い事もあり非常に展開が駆け足だった。最終回で次々味方側のキャラが殺され、女性キャラが敵兵士達にレイプされる描写があったのはショッキングだった。

異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術

よくあるWEBサイト小説原作異世界物…かと思いきや、講談社ラノベ文庫から発刊されている作品アニメ化作品

ゲーム廃人主人公魔王として異世界美少女召喚されるというお話。印象としてはオーバーロードアインズ様を人間寄りにしてマイルドにしたような感じだった。

ヘタレコミュ障青年が周囲に内心を悟られないよう必死に「魔王ディアヴロ」をロールプレイするのだけど、このディアヴロ様がカッコ良さと可愛らしさを兼ね備えた非常に魅力的なキャラクターだった。

出てくる女性キャラも皆可愛らしく露出の多い服装の、所謂お色気物的な雰囲気も強かった。個人的にはこれまで触れた異世界召喚異世界転移物の作品の中でも一番面白く感じていてお気に入り

色づく世界明日から

P.A.WORKS作品色盲女の子魔法使い祖母過去へ送られ、そこで昔の祖母祖父、その友人達写真愛好会として色んな写真を撮ったりする話だった気がする。

ベタな展開だとも将来自分祖父になる少年主人公女の子が異性として好きになってしまうのは何か良いな…と思った。

INGRESS THE ANIMATION

INGRESSというスマホゲーム販促作品として作られたアニメらしい。自分はそのゲームを遊んでいないけど、SF作品として楽しませてもらった。所謂+ultra枠アニメ第一作。

超能力者同士がパワースポットというか地球上の陣地を取り合って戦いを繰り広げている作品?だったような気がする。悪役っぽい雰囲気の怪しい味方キャラが実際終盤に再登場した時本当に悪役だったのは笑ってしまった。

OPヒロイン女の子が可愛かったのが視聴を継続した理由だった気がする。いつもスタッフロール緒方恵美さんの名前が出てきたけどどこに居たのか分からなかった。金髪おじさんのアクションがカッコ良かった。

ヴァイオレット・エヴァーガーデン

京都アニメーション作品第一世界戦後元少年兵の少女ヴァイオレットが戦後自動手記人形(代筆屋)として郵便社で働くお話劇場アニメも二作作られた、Freeに次ぐ近年の京アニのヒット作だと思う。

内容的には人情物に分類されるかな?どちらかというと女性向けな雰囲気作品だと思うけど、男性向け作品を期待していたオタク達に放送当初粘着され叩かれていた事は今でも覚えている。あれは筋違いの叩きだった。

最初感情の起伏の薄い人形のようだった少女が、徐々に人間らしさを獲得していく展開はベタだけど泣けてしまう。確か5話~7話あたりでこのアニメ面白い!と確信したような覚えがある。

OPEDも良い曲なんだよね…ただOP作曲家ED歌手不倫をしていて本編は良い話なのに何で水をさすような真似するかなあ…と思った。

うちのメイドがウザすぎる!

母親を亡くし傷心のロシア系美少女に、小さい女の子が大好きな元自衛官新人メイドさんが色々と絡んでウザがられる作品女性にもロリコンは居るし、同性同士でもセクハラ存在する事を教えてくれた作品

少し「ダンベル何キロ持てる?」にも通じる所がある作品だと思う。原作者の中村カンコさんは女性ながら筋金入りの少女好きで、過去作の経歴を調べると「ああ…」と納得してしまう妙な説得力があった。

宇宙戦艦ティラミス

10分枠アニメガンダムオマージュしたSFロボット作品…に見せかけたギャグ作品。設定だけシリアスで本編はバカバカしいノリというところはボボボーボ・ボーボボにも通じる所があった。

何となく女性向け作品かと思っていたけど、女性が好まなさそうな汚いネタもあったので単純に絵柄が女性向けっぽく感じただけかもしれない。

ウルトラマンR/B

平成初期にウルトラシリーズ卒業した自分が久々に復帰したウルトラマン兄弟で変身するウルトラマンはこれまでのウルトラシリーズの中でも珍しい存在らしい。

戦闘中ペラペラお喋りをする、素手でなく武器を使って戦う、歴代ウルトラマンの力を借りて形態チェンジするなど自分が見ていた頃のウルトラマン大分雰囲気が違ったので驚いた。

敵役ウルトラマンである愛染社長というキャラが非常に濃かった。主人公兄弟の妹の正体や母の消息を割と終盤まで引っ張っていたけど、意外とあっさり解決して「あれ、そんな物か」と思った。個人的には結構好きな作品

オーバーロード

大人異世界作品オーバーロードの二期と三期もこの年にやっていた。内容は確か主人公達ナザリック陣営リザードマン人間達を大量虐殺する感じだったと思う。

一期からファン原作小説からファンはこの二期三期の作画に怒っていたような覚えがある。最強の主人公達に蹂躙される現地の住人達可哀想で話はあまり好きにはなれなかった。

カードキャプターさくら クリアカード編

あの名作アニメカードキャプターさくら」の続編。前作から20年経っているにも拘らず、ほぼ全ての声優さん達が前作から続投という力の入れっぷりが堪らなかった。

中学生になったさくらちゃん達がまた事件に巻き込まれる、という感じの話だけれど丁度良い所で終わってしまったのでまだ作品としては評価出来ない。クリアカード編二期、いつかやるんだろうか。

カードファイト!! ヴァンガード

2011年に放送された同名アニメリメイク的な作品だったらしい。自分2011年を見ていないので、何となく聞いた事がある名前キャラクター達が出てくるTCGアニメとして楽しんだ。

旧作とはパラレル関係で設定の変更点も多いとの事で昔からファンの中には今作を嫌っている人も多かったらしい。完全新規自分は続編の新右衛門、外伝最後まで楽しませてもらった。

TCGアニメ宿命として一話に一回は必ずバトルを入れる訳だけど、流石に1年間ずーっとカードファイトを見ていると飽きてしまう所はあった。TCGアニメは多分現実でもTCGをやっている人向けの物なんだと思う。

学園ベビーシッターズ

LaLaで連載中の少女漫画アニメ化作品。両親を亡くした高校生男の子が学園でベビーシッターをしながら弟の面倒を見るという話だったと思う。少年漫画ではやれない少女漫画ならでは、という作品

男子キャラクターが多い作品だけど、BL感やBL臭は少なくともアニメの中だと殆ど無かったと思う。猪又さんという主人公好意を持つツンツン女の子が可愛く、その子を見るのが楽しみで見ていた気がする。原作もいつか読みたい。

ガンダムビルドダイバー

ガンダムビルドシリーズでは三作目、ビルドダイバーシリーズ一作目では一作目の当時のガンダム最新作。鉄血のオルフェンズ放送終了から約1年後に始まった。

現実で作ったプラモデルスキャンしてデータを取り込み、GBNというオンラインゲームの中でそのプラモデルに乗り戦う「ガンプラバトル」という競技が人気の世界でのお話TV放送の前に前日譚が配信されていて、期待させてくれた。

放送前は色々と不安視する声もあったけど、終わってみれば中々好評で良い作品だったんじゃないかと思う。中盤から終盤にかけてはバグが原因でGBNが滅びるかも…という話が主題で期待していたチーム戦が少なかったのは残念。

寄宿学校のジュリエット

敵対するグループリーダー同士が実はお互いに好意を持っていて…というロミオとジュリエット的な作品。初めて見た時は「週刊少年マガジンでこんな少女漫画みたいな作品やっていいのか…?」と思った。ちなみに作者は男性らしい。

ワイルドヤンチャ君のロミオくんとツンツンお嬢様ジュリエットイチャイチャいいよね…って作品だと断言していいと思う。

逆転裁判 ~その「真実」、異議あり!~

アニメ逆転裁判の二期。基本的には一期と同じようにゲーム版のアニメ化作品だけど、オリジナル学生時代編やアニメオリジナル事件など原作プレイ済みの人でも楽しめる要素が二期は更に増えている。

声優陣が原作ゲームから変更されている事に思う所がある人も居るかもしれないけれど、アニメ版のキャストキャラクターにハマっているのではないかと思う。自分原作ゲーム体験版しかプレイした事無いけど。

ゲーム版に一切触れた事が無いなら一昔前の金田一少年の事件簿名探偵コナンのように夕方放送している推理物のアニメとして楽しめるのではないかと思う。

キャプテン翼

かつて日本サッカーブームを巻き起こし何度もアニメ化された名作漫画リメイク作品深夜アニメにも拘らず今のご時世に小学生から中学生編の最後まで1年かけてアニメしたのは中々の力の入れようだったと思う。

TVアニメジョジョと同じDavid Production製作アニメという事で原作既読から見るとかなり圧縮されているらしい。自分はこれが初めてのキャプテン翼だったので、かなり楽しめた。

キリングバイツ

獣人に変身する能力格闘家達が動物能力を活かしてバトルロワイアルを繰り広げるという一昔前にあったブラッディロアという格闘ゲーム連想させる格闘漫画アニメ化作品

主人公の声が雨宮天で、しかもそれまでの雨宮天しからぬ乱暴キャラクターだった事が非常に印象深い。あの人大体聖母系のおっとりキャラアクア様みたいなコメディキャラのどちらかが多いし。

敵を発情させる能力を持つジャコネコ獣人が登場するんだけど、その回だけまるでアダルトアニメのようだった。原作連載中アニメ宿命か、話が切りの良い所まで行くと多くの謎を残したまま完結した。続きは原作でって事かな。

銀河英雄伝説 Die Neue These

あの名作スペースオペラ小説銀河英雄伝説」の再アニメ化作品OVA版へのオマージュが作中のそこかしこ垣間見られるが、同じ小説作品を題材にした別物のアニメと受け取った方が良いと思う。

キャラデザが黒子のバスケと同じ人が担当しているという事で腐向けだの何だの叩かれまくっていた。それを言うと銀河英雄伝説って昔の漫画アニメ女性気高い人がキャラクター描いてたじゃないかと言い返したくなる。

BGMに関してはクラシックをふんだんに使っていたOVA版には敵わないな…と思った。序盤の、特にヤン周りの描写に関しては原作小説を読み込んだ上で上手くオリジナル要素も入れているように感じて好きだった。

SSSS.GRIDMAN

昔の特撮作品の続編的アニメ…らしい。その特撮作品1993年比較的なマイナーな物という事で自分名前も聞いたも無かった。原作ファンも「何故今になってグリッドマンアニメを…?」と困惑していたのを見た。

このアニメグリッドマンが近年の円谷作品というかアニメ全体から見ても珍しい程ヒットし、つい先日続編が製作された。放送から3年経った今でも色んな作品コラボしているのを見ると根強い人気を誇っているのだろう。

自分は謎の多い作風ラスボスアカネちゃんというキャラ性格を好きになれなかったのでそれほど面白いとは思えなかった。それでもキャラクターは可愛い作画も綺麗だったと思う。スパロボ30参戦おめでとうございます

ゴブリンスレイヤー

やる夫スレ」というアスキーアート物語表現する2ちゃんねる出身小説アニメ化した作品らしい。地上波作品にも拘らず1話女性キャラへの凌辱カットされる事無く描写され各所に衝撃を与えた。

かつてゴブリンに姉を殺された過去を持つゴブリン殺しの専門家がひたすらゴブリンを殺していく、という話なんだけど1話のような展開は1話だけでその後は仲間と一緒にゴブリンを退治していく感じの話になる。

1クールアニメながらそのインパクト知名度現在放送中のアニメにも決して劣らないと思うけど、未だに二期は来ない。オバロよりマシとはいえグロと鬱の作品苦手だから来ないなら来ないでも自分は良いけど…。

ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風

言わずと知れた大人シリーズジョジョパート5。作画が前作より良くなったという事で従来のシリーズを見てきたファンからもとにかく評価が高かった記憶がある。主人公、ジョルノ・ジョヴァーナのテーマ曲は有名だと思う。

原作で描かれなかった部分をアニメオリジナルで補完しているパート結構あった。フーゴがアニオリでキレたり、暗殺チームの内面が掘り下げられたり、ラスボスの出生状況を詳しく描かれたり。

声優陣は以前の五部ゲーから一新されている物の、こちらも皆ハマっていたと思う。個人的にはアニメオリジナルパート解釈自分解釈と違うと思う所もあったけど、それ込みで良いアニメだったと思う。

新幹線変形ロボ シンカリオン THE ANIMATION

トミカハイパーレスキュー ドライブヘッド 機動救急警察の後番組として始まったロボットアニメロボットアニメファン鉄道ファン女性ファンなど幅広い層に受けた事は記憶に新しいと思う。エヴァンゲリオンとのコラボ話題になった。

ロボットに変形する新幹線シンカリオン運転士達が突如現れた巨大怪物体を日本各地で戦うというお話ロボットを動かすためには高い適合率が必要で、少年少女しか操縦する事が出来ない設定がエヴァに少し似ている。

番組が敵との戦いではなく救助活動ストーリーのメインで、自分はその方向性が好きだったので毎回登場する敵との争いがメインのこのシンカリオンが始まった時は正直ガッカリした。

しか結果的ドライブヘッドは一部の子供に受けただけで、このシンカリオンは近年でも珍しい大ヒットしたロボットアニメである事を考えるとこっちの方向性の方が正しかったのだろうとも思う。

2021-09-10

anond:20210910182029

ほんまこれ。

専業主婦パートなど、仕事活躍しない選択肢現実的女性は恵まれている。

俺は仕事なんてしたくないんだよ。専業主夫になりたい。

anond:20210910103422

実家資産別にいかなあ。地方公務員の父とパートする母、自分と弟という世帯だったんで中流の中~下くらいじゃないかな。

これから生活水準中流の中~下レベルになると嬉しいけど贅沢なのかな。どうなんだろ。休みの日に回転寿司食ってゲームYouTube見れれば満足できる。

専業主婦は大変って言うけどさぁ

例えば

専業主婦家事しない夫と子どもの世話

正社員兼業主婦家事する夫と子どもの世話+上司からの圧+使えない部下の尻拭い

どっちがいい?って聞いたら専業主婦のほうがマシって言うと思うんだよね。

専業主婦想像する「働くママ」と実際の正社員子持ち主婦ってだいぶ違うんじゃないかな、って。

独身の頃と違って日付変わる時間まで残業する〜みたいなのも無理だし、子どもの迎えがあるからって定時で帰ればやる気ないと思われるし。

でも正社員として勤続年数が長くなれば、チーフだの主任だの半端な役職を与えられるんだよ。責任はあるけど権力はないくらいのお情けみたいなやつ。そんで「女性の長期キャリア形成」のロールモデル扱いされて「理解ある職場のおかげで家庭と仕事を両立できています♪」って顔をしてなきゃいけなくなる。

専業主婦でいられるくらい旦那が稼いでるならいいじゃん。

遊び気分で週1〜2回、何時間パートやるくらいが一番楽しくてラクだと思うけどねぇ。

2021-09-09

anond:20210909220339

パートのおばちゃん集団を見れば女系がなぜかダメかわかる。

例えばパートのおばちゃんの一人を契約社員に引き上げて管理者にしたらあっという間にブラック化する。

なぜなら女は責任を取ろうとしないから。

今週のバキでまた範馬勇次郎の性について描かれた

先々月に範馬勇次郎男性登山家を襲った話が描かれた時には批判があった

批判があるのはいいけどその過程事実誤認に基づく批判が多かったのが辛かった

範馬勇次郎がまるで今まで一般人暴力や性暴力を振るった事を無かった事にして批判したり

登山家は襲われた原因について何も語ってはいないのに、勝手に襲われた原因を決めつけて登山家に色々言うセカンドレイプを行ったり

主人公のバキが勇次郎を散々批判してるのに範馬勇次郎の男女観を作品の男女観であるかのように解釈したり

それくらい読み方がおかしければ批判空虚な物になってしまうと言っていいと思う

特に範馬刃牙という主人公の考えを無視した上で勇次郎の行動が肯定的に描かれてると解釈する人達は一話から読み直して欲しかった

さてその上で今週の話だけど最初の宿儺パート(前回の繰り返し)と最後ジャック(1Pだけなのでどうなるか分からない)は置いといて

刃牙徳川光成の会話が繰り広げられている

前々回で徳川が「犯すぞ爺い!!!」と勇次郎に言われた事を今回嬉しそうに刃牙に語り、刃牙はそれを比喩表現では無いかと注意をして

徳川はいや違う勇次郎は本気なんだと医師の鎬紅葉意見を交えながら熱弁し、刃牙が犯すと脅迫された事を嬉しそうに語るな気持ち悪いと返すと

徳川が「犯すぞ小僧ォッッ」と気持ち悪い笑顔でフザケて勇次郎の真似をするのである

はっきり言って勇次郎の息子である刃牙にとってはひたすら困るだけのやり取りである

今までも徳川光成はどうしようもないキャラだったが改めて作品でもトップ性質の悪さを発揮してくれたと思う

これを読んで徳川言動肯定されていると解釈して批判する人が出ないと信じたい

批判するならせめて徳川勇次郎おかしい奴として描かれてるって事を踏まえて批判して欲しい

さら刃牙気持ち悪いと言ったのがマイノリティへの差別発言だと解釈する人がいたら最悪である

どう見ても徳川ジジイレイプされそうな事を嬉しそうに語ってる事への「気持ち悪い」だろう

グラップラー刃牙シリーズを読んで何かを語るならせめて主人公範馬刃牙の考えを聞いてあげて欲しいと切に願う

2021-09-08

先輩からダメ出し

今日同僚が先輩社員からすごくダメ出しされてて、先輩本人から、同僚が落ち込んでると思うからフォローしてって言われたけど全然落ち込んでなかった

その先輩いなくなった直後に、昨日食べた夜ご飯の話で大いに事務所内のパートさんと大いに盛り上がってた

結婚相談所婚活したいけどどこがいいの

我がスペック

33歳いない歴年齢の女

仕事:事務パート

顔面:お察し

趣味:ゲーム(RPGとか)

実家住みだけど一通りの家事は一応できる

ご飯もわりと日常的に作ってる

相手に求める条件

大卒正社員

年齢:できれば30代、子供希望しないなら40以降もなくはない

見た目のこだわりない、背が低いのやハゲOK

出来れば子供欲しくない派だけど婚活でこれは厳しいよね…

おすすめ相談所あったら教えて

バイト日記

 常連お客様酔っぱらいセクハラお爺さんなお客様がいる。素面かあまり酔ってない時からすでにセクハラなのだけど、かなり酔っているとき女性従業員の尻や胸を触る、迷惑な人だ。

 その酔っぱらいセクハラお爺さんなお客様に、この間Dさんがキレた。すれ違いざまに尻を触られたDさんはすかさず、

「今度やったら警察呼びますよ!」

 と怒鳴ったそうだ。という話をAさんから聞いた。

 Aさんによれば、酔っぱらいセクハラお爺さんなお客様が先日、フリーター女子バイト18歳さんの手をさわさわ~っと触ったらしく、それをフリーター女子バイトさんがDさんに相談した。そしたらDさんは「あのクソジジイ許せねぇ!」となったらしい。

 確かに未成年店員にまでセクハラされるのは由々しきもんだい。まあ、成年の店員にもセクハラはしないで欲しいけど。

 私はというと、もう老い先短いお爺さんにセクハラするなよと今更諭しても効果はないだろうと思っていて、警察沙汰どころかオーナー相談する気もなかった。セクハラお爺さんなお客様エロは(される側の女にとっても)ご褒美だと思ってるくちで、わりと冗談が通じる方なので、触られたら「めっ!」と言って手を叩き落として反撃していた。コンビニは夜のお店じゃないんだけど、夜のお店くらいのじゃれ合いというか猫パンチ応酬で済むんならまあいいか、と思ったのだ。

 だが、Dさんは妥協しなかった。未成年バイトを守るためにセクハラお爺さんなお客様に立ち向かったのだ。もしかすると、私みたいに日和った対応をしていた奴のせいでセクハラお爺さんなお客様を付け上がらせたかもしれないと思って、私は反省した。

 私が当店に勤め始める前は、一年前に辞めたベテランパートの人が、セクハラお爺さんなお客様の主なターゲットだったらしいが、ベテランパートの人はセクハラされるのに甘んじる代わりに、セクハラお爺さんなお客様にたまに「チョコ買ってよ」とかおねだりして買ってもらっていたらしい。さすがバブル時代ピチピチギャルとして生き抜いた女は強いぜ! と、そういうとこだけは尊敬され一目置かれていた、ベテランパートの人だった。

2021-09-06

ファブルとかスケットダンスみたいな漫画を教えてほしい。

昨日、ファブルのパート1を読破した。

読む前はまあ、殺し屋つえー的な良くある漫画だろうと思っていたし、話題になってるからそこそこ面白いんだろうと思っていたが、むちゃくちゃ面白かった。

この漫画を読んで、気づいたことがある。

どうやら私は、日常生活漫画が好きなようだ。

9歳の頃からジャンプ一筋、30年間少年ジャンプを読んでいたが、ここに来て新たな発見である

無論、ファブルが日常生活か、というとそれは違う、が、自分と同じ日常世界の知らない部分でああい世界があるのか、と本当に物語にのめり込んだ。

ネタバレは避けるが、終盤で、ある人物アジトに戻るか戻らないか葛藤する描写がある。戻っちゃダメだ、と心底ドキドキした。

人物描写とか、漫画の間の取り方がうまいのだと思うけど、言語化は出来ないので悲しい。

スケットダンスについても日常の、ともすればそこの高校で繰り広げられている、青春を味わうことができる。

無論、あんなに強すぎる高校はいないし、多少ファンタジー色はある。ただ、隣に存在している感じはある。

ということで、あまりうまく言語化は出来ないのですが、ファブルとかスケットダンスみたいな、隣に存在している日常、みたいなおすすめ漫画があれば教えて下さい。

追記

マスターキートンありがとう。読む。

追記

くそ笑んで馬鹿にしたりしないから教えて欲しい。

原始人がネックレスをつけた理由 パート6

収集品の属性

人類は小規模で、ほぼ自給自足し、互いに敵対する部族進化してきたので、好意の追跡の必要性を減らし、これまで検討してきた他の人類の富の移転制度可能にするために、収集品を使用することは、人類の種の期間のほとんどにおいて、物々交換の規模の問題よりもはるか重要であった。実際、収集品は互恵利他主義の仕組みを根本的に改善し、他の種にはない方法人間が協力することを可能にした。他の種では、記憶信頼性が低いために互恵利他主義は大きく制限されている。他の種には、大きな脳を持ち、自分で家を建て、道具を作って使うものもいる。しかし、互恵利他主義の仕組みをこれほどまでに改善した種は他にない。その証拠に、この新しい開発は紀元前4万年には成熟していた。

メンガーはこの最初貨幣を「中間商品」と呼び、本稿では収集品と呼んでいる。刃物のように他の用途にも使える道具は、収集品としても使える。しかし、富の移転を伴う制度価値を持つようになると、収集品はその収集性のためだけに製造されるようになる。その性質とは何か。ある商品価値ある収集品として選ばれるためには、収集品としての価値が低い製品比較して、少なくとも次のような望ましい性質を持っていなければならない:

1. 偶発的な損失や盗難からより安全であること。歴史ほとんどの場合、これは持ち運びが可能で隠しやすいことを意味していた。

2. 価値を偽造することが難しい。これらの重要な部分は、以下に説明する理由から、偽造できないほど高価であり、それゆえに価値があると考えられる製品である

3. この価値は、単純な観察や測定によって、より正確に近似していた。これらの観測は、より信頼性の高い完全性を持ちながら、より低コストであっただろう。

世界中人間は、これらの特性をよりよく満たすアイテムを集めたいという強い動機を持っている。この動機の中には、おそらく遺伝的に進化した本能が含まれている。このような物は、(特に優れた明確かつ近接した理由ではなく)集めることを純粋に楽しむために集められ、そのような楽しみは人類文化においてほぼ普遍的である。直近の動機の1つは装飾であるアリゾナ大学考古学であるメアリー・C・スタイナー博士によると、"装飾は現代人の採集者の間では普遍的ものである "という。進化心理学者にとって、このように、自然淘汰という観点からの最終的な説明はつくが、快楽以外の近親的な根拠がない行動は、遺伝的に進化した快楽が行動の動機になっているという有力な候補になる。例えば、このエッセイの推論が正しければ、希少品や美術品、特に宝石を集めるという人間本能がそうである

(2)については、もう少し説明必要であるコストが高いという理由商品生産することは、一見すると非常に無駄なことのように思える。しかし、永遠にコストのかからない商品は、有益な富の移転可能にすることで、繰り返し価値を高めていく。取引可能になったり、コストが低くなったりするたびに、コストはより多く回収される。最初は全くの無駄であったコストは、多くの取引償却されていく。貴金属貨幣価値は、この原理に基づいている。また、収集品は、希少性が高いほど、また、その希少性が偽造できないほど、価値が高くなる。また、芸術品のように、証明可能技術独自人間労働力製品に加えられている場合にも適用される。

我々は、この3つの要素を兼ね備えた製品発見したり、作ったりしたことはない。アート収集品(この言葉現代文化で使われている意味ではなく、この論文で使われている技術的な意味で)は、(2)を最適化するが、(1)や(3)は最適化しない。一般的ビーズは(1)を満たしているが、(2)や(3)は満たしていない。宝石は、最初は最も美しく、あまり一般的ではない貝殻で作られるが、最終的には多くの文化において貴金属で作られるため、3つの特性をよりよく満たすことができる。偶然ではないが、貴金属の宝飾品は鎖や指輪のような細い形をしていることが多く、無作為に選んだ場所安価に鑑定することができた。貨幣さらに改良されたもので、小さな標準的な重さと商標を鑑定の代わりにすることで、貴金属を使った小さな取引コストを大幅に削減した。貨幣は、収集品の進化のほんの一歩に過ぎない。

旧石器人が作っていたモバイルアート(小さな置物など)も、この特徴によくマッチしている。実際、旧石器人が作ったものの中で、実用性がなく、(1)〜(3)の特徴を備えていないものほとんどない。

ホモ・サピエンスには、役に立たない、あるいは少なくとも使用されていない火打石の不可解な例がたくさんある。我々はクロヴィス族の使えない火打ち石について述べた。Culiffeは、ヨーロッパの中石器時代発見された数百個の火打ち石について述べているが、これらの火打ち石は丁寧に作られたものであるが、顕微鏡写真分析により、切断には使われなかったことが明らかになっている。

リントは、宝石のような特殊目的を持った収集品に先立つ、最初収集である可能性が高いのである。確かに最初火打石コレクターは、刃物としての実用性を求めて作られたはずだ。富の伝達手段としてのフリントの付加価値は、本稿で紹介する制度を開花させるための偶然の副次的効果であった。このような制度は、特殊目的収集品を製造する動機となったであろう。最初は切削工具として実際に使用する必要のないフリントであり、その後、ホモ・サピエンスサピエンスが開発した他の様々な種類の収集である

新石器時代中近東ヨーロッパの多くの地域では、一部のジュエリー標準化され、美しさより標準的サイズやアセイ性が重視されるようになった。商業地域では、このような宝石の量が伝統的な宝石の量を大きく上回ることもあった。これは宝飾品と貨幣中間的な段階であり、収集品の一部が貨幣的な形態をとるようになったのである紀元前700年頃、リディアンの王たちは前述のようにコインを発行し始めた。標準的な重さの貴金属は、市場で、賃金労働者が、あるいは徴税者が、ランダムに選ばれた場所コイル状のワイヤーを切断する代わりに、商標、すなわち造幣局ブランドを信頼して「評価」することができるようになったのである

収集品の属性が、貴金属コイン、そしてほとんどの非現金通貨を支えてきた準備商品共通しているのは偶然ではない。本来貨幣は、これらの特性を、人類先史時代ほとんど全ての時期に使用されていた収集品よりも純粋な形で実現したものである

20世紀新機軸は、政府による不換紙幣の発行である。(「フィアット」とは、それまでの金や銀をベースにした通貨のように、基軸商品裏付けられていないことを意味する。) 不換紙幣は、交換手段としては一般的に優れているが、価値の保存手段としては非常に劣ることが証明されている。インフレで多くの「たくわえ」が破壊された。前述の収集品に共通する希少品やユニークアート作品市場が、前世紀にルネッサンスを迎えたのは偶然ではない。我々の最も進んだハイテク市場の一つであるeBayは、これらの原始的経済性を持つ物を中心にしている。進化過程重要役割果たしていた頃に比べて、我々の富に占める収集品の割合が減ったとしても、収集品の市場はかつてないほど大きくなっている。収集品は、我々の本能的な欲求を満たすと同時に、安全価値の貯蔵庫としての古代役割果たしている。

結論

一方的もの相互的なものも、自発的もの強制的ものも、多くの種類の富の移転には取引コストがかかる。自発的取引では、双方が利益を得る。真に無償の贈り物は、通常、親族利他主義行為である。このような取引は、何かを作るという物理的な行為と同様に、一方または両方の当事者価値を生み出す。貢物は勝者の利益になり、損害賠償判決被害者利益になるだけでなく、さらなる暴力を防ぐことができる。遺産相続は、人間次世代親族財産を渡す最初動物となった。これらの家宝は、商品取引担保や代金、飢えをしのぐための食料、あるいは結婚の際の花嫁代金などに使われた。このような移転を行うためのコスト取引コスト)が十分に低いかどうかは別問題である。このような取引を初めて可能にしたのが、収集である

ほとんどの動物が非親族との遅延互恵的な協力関係を築けないという「囚人のジレンマ」を解決するために、収集品は我々の大きな脳と言語を増強したのである。それは、どの人が何をしたかというエラーと、その行為によって生じた価値や損害を評価する際のエラーである一族部族のサブセットを形成する、小さくてすぐに地元に帰れる親族グループ、または大家族)の中では、我々の大きな脳はこれらの誤差を最小限に抑えることができたので、世間の評判と強制的制裁が、相手が将来協力したり欠陥を犯したりする能力によって提供される限定的動機に取って代わり、遅延した互恵関係の主な執行者となったのであるホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシスホモ・サピエンスサピエンスも、同じように脳のサイズが大きかったので、地元一族の全員が、他の地元一族の全員の好意を把握していた可能性が高い。小さなローカル親族グループの中では、収集品を取引に使うことは最小限だったかもしれない。部族間では、好意の追跡と収集品の両方が使用された。部族間では、評判に代わって収集品が完全に互恵関係執行者となったが、暴力は依然として権利執行に大きな役割果たしていたし、高い取引コストのためにほとんどの種類の取引ができなかった。

一般的な富の貯蔵と富の移転手段として有用であるためには、収集品は、少なくとも1つの制度に組み込まれ発見製造コスト複数取引償却されるような閉ループのサイクルを持つ必要があった。さらに、収集品は、単なる美しい装飾品ではない。身につけられる安心感、隠したり埋めたりするためのコンパクトさ、変えられない高価さなど、一定機能性を持っていなければならない。そして、その高価さは、現代コレクター収集品を鑑定するのと同じように、譲渡を受けた人が確認できるものでなければならなかった。

本稿で示した理論は、これらの文化で交換される「貴重品」にこれらの特徴があるかどうか(あるいはないかどうか)を調べ、これらの貴重品が移動するサイクルから得られる経済利益を調べ、(現代を含む)さまざまな文化でこれらの特徴を持つ物に対する嗜好を観察することによって、検証することができる。

前例のない協力の技術により、人類地球上で最も恐ろしい捕食者となっていた。彼らは移り変わる気候適応したが、一方で、アメリカヨーロッパアジアでは、狩猟気候の変化によって、何十もの大きな群れの獲物が絶滅に追い込まれたのである現在地球上のほとんどの大型動物投射物を恐れているが、これはたった1種の捕食者に適応したものである。また、狩猟よりも採集を中心とした文化も大きな恩恵を受けた。ホモ・サピエンスサピエンスは、骨が弱くなり、脳の大きさが変わらないにもかかわらず、地球上のより多くの地域に、ネアンデルタール人10倍以上の人口密度で住むことができた。この増加の多くは、効果的な富の移転言語によって可能になった社会制度、すなわち貿易結婚相続、貢ぎ物、担保、そして復讐のサイクルを弱めるために損害を評価する能力に起因していると考えられる。

原始時代貨幣は、我々が知っているような現代貨幣ではなかった。現代お金機能の一部を担っていたが、その形は家宝宝石などの収集品であった。これらの使用は非常に古くから行われており、収集品を探求し、収集し、作り、展示し、鑑定し、大切に保管し、売買するという欲求人間普遍的ものであり、ある意味では本能的なものである。このような人間欲望集合体を「収集本能」と呼ぶことにする。多くの古代人は、貝や歯などの原材料を探したり、収集品を製造したりすることにかなりの時間を費やしていたし、多くの現代人は、趣味としてこれらの活動にかなりの資源を費やしている。その結果、具体的な実用性とは異なる、初めての確実な価値の具現化、そして今日貨幣の先駆けとなったのである

原始人がネックレスをつけた理由 パート5

戦争戦利品

チンパンジー部隊狩猟採集民の文化では、暴力による死亡率が現代文明よりもはるかに高い。これは、少なくともチンパンジーとの共通祖先にまで遡ると思われるが、チンパンジー軍隊も常に戦っていた。

戦争には、殺し、傷つけ、拷問し、誘拐し、レイプし、そのような運命を避けるために貢ぎ物を強要するなどの行為が含まれていた。隣接する部族同士が戦争をしていないときは、一方が他方に貢ぎ物をしているのが普通である。貢ぎ物は、同盟関係を結び、戦争規模の経済を実現する役割も果たした。ほとんどの場合、それは勝利者にとって、敗者にさらなる暴力を振るうよりも有利な搾取形態であった。

戦争勝利すると、敗者から勝者へ即座に支払いが行われることもあった。多くの場合、これは熱狂的な勝者による略奪という形で行われ、敗者は必死収集品を隠した。また、定期的に貢ぎ物を要求されることもあった。この場合には、敗北した部族の財やサービス供給能力と勝者の需要を一致させるような、精巧現物支給スケジュールによって、三重の偶然性を回避することができたし、時にはそれが実現した。しかし、このような解決策であっても、原始的貨幣はより良い方法提供することができた。つまり共通価値を持つ媒体として、支払い条件を大幅に簡素化することができたのである。これは、条約の条件を記録することができず、暗記しなければならなかった時代には非常に重要なことであった。イリコ連合使用されていたワンパムのように、収集品が原始的記憶装置役割果たしている場合もあり、そのままではないものの、条約の条件を思い出すための補助として使用することができた。勝者にとっては、収集品はラファー最適値に近い形で貢物を集める手段となった。敗者にとっては、収集品を隠しておくことで「過少申告」が可能となり、勝者は敗者がそれほど裕福ではないと信じて、要求額を少なくすることができた。また、収集品の隠し場所は、熱狂的な貢ぎ物収集者に対する保険にもなった。原始社会の富の多くは、その秘密性の高さゆえに宣教師人類学者の目に触れることはなかった。このような隠された富の存在を明らかにできるのは、考古学だけである

隠蔽などの戦略により、貢ぎ物を集める人たちは、現代徴税人と共通する問題を抱えていた。それは、いかにして自分たちが取り出せる富の量を見積もるかということである価値の測定は、多くの種類の取引において厄介な問題であるが、敵対関係にある税や貢ぎ物の徴収においては、これほど厄介なことはない。このような非常に困難で直観的でないトレードオフを行い、それを一連の問い合わせ、監査徴収行為の中で実行することで、貢ぎ物の徴収者は、たとえその結果が貢ぎ物の支払い者にとって非常に無駄ものに見えたとしても、効率的収入最適化することができたのである

ある部族が、以前に戦争で敗れた近隣の部族数人から貢ぎ物を集めているとする。その際、各部からどれだけの金額を引き出せるかを見積もらなければならない。推定値が悪いと、一部の部族の富が控えめになり、他の部族は実際には持っていない富の推定値に基づいて貢ぎ物を払わなければならなくなる。その結果、被害を受けた部族は縮小する傾向にある。利益を得た部族は、得られるはずの貢ぎ物よりも少ない量を支払うことになる。どちらの場合も、勝利者にとっては、より良いルールで得られるかもしれない収入よりも少ない収入しか得られない。これは、ラファー曲線を特定部族運勢適用したものである。この曲線は、優れた経済学者アーサー・ラッファーが所得税適用したもので、税率が上がると収入額は増えるが、回避、逃避、そして何よりも課税対象となる活動従事する意欲がなくなるため、税率に比べてますます遅い速度となる。このような理由により、ある一定割合で税収が最適化される。ラファーの最適値を超えて税率を上げると、政府収入は増えるどころか減る。皮肉なことに、ラッファー曲線は、政府収入に最適な徴税理論であって、社会福祉や個人の選好満足度に最適な徴税理論ではないにもかかわらず、減税を主張する人々に利用されてきた。

もっと大きなスケールで言えば、ラッファー曲線政治史の中で最も重要経済法則と言えるかもしれない。チャールズ・アダムスはこの法則を使って、帝国の盛衰を説明している。最も成功した政府は、自分たちインセンティブ短期的な収入への欲求と、他の政府に対する長期的な成功)によって、暗黙のうちにラッファー曲線に従って収入最適化するように導かれてきた。ソビエト連邦ローマ帝国のように納税者に過剰な負担を強いた政府歴史の塵となり、最適な収入を下回った政府は、資金力のある隣国征服されることが多かった。民主党政権は、資金力のない国家征服するよりも、もっと平和的な手段で、歴史的な時間をかけて高い税収を維持することができるかもしれない。民主党政権は、外部からの脅威に比べて税収が非常に高く、税収のほとんどを非軍事分野に使う余裕がある歴史上初めての国家である。彼らの税制は、これまでのほとんどの政府よりも、ラッファー最適に近い形で運営されている。(このような贅沢は、民主主義国家徴税最適化するインセンティブを高めたのではなく、核兵器攻撃を抑止する効率性を高めたことで可能になったとも考えられる。) ラッファー曲線を応用して、様々な部族に対する条約上の貢納条件の相対的な影響を調べてみると、収入最適化したいという願望から、勝者は敗者の所得や富を正確に測定したいと思うようになるという結論が得られた。価値を測ることは、富を隠したり、戦いや逃亡によって貢ぎ物を回避したりする支那人インセンティブ判断する上で極めて重要である。一方,支那人は,収集品を隠しておくなど,さまざまな方法でこれらの測定値を偽装することができるし,実際にそうしている。貢ぎ物を集めることは,インセンティブが一致しない測定ゲームである

収集品があれば,支流供給できるものや勝者が必要としているものではなく,戦略的に最適なタイミングで貢ぎ物を要求することができる。勝利者は、貢ぎ物を取られた時に富を消費するのではなく、将来的に富を消費するタイミングを選ぶことができる。その後、紀元前700年頃には貿易が盛んに行われていたが、貨幣貴金属製の収集品のような形をしていた。これを変えたのが、アナトリア現在トルコ)のギリシャ語を話す文化圏、リディアである。具体的には、リディアの王たちが、考古学的・歴史学的に最初の主要な貨幣発行者となったのである

その日から今日まで、コインの発行は民間鉱山ではなく、自ら独占権を与えられた政府鉱山が中心となっている。なぜ、当時の半市場経済圏に存在していた民間銀行家などの私利私欲による鋳造が行われなかったのか。政府コインの発行を独占してきた主な理由は、政府けが偽造防止策を実施できるからであるしかし、現在も当時も商標権行使するのと同様に、政府は競合する民間鋳造所を保護するために、そのような措置を講じることができたはずである

コイン価値見積もることは、収集品の価値見積もるよりもはるか簡単であった。物々交換ではなく貨幣を使った取引の方がはるかに多く、実際、取引から得られるわずかな利益が初めて取引コストを上回ったため、多くの種類の低額取引が初めて可能になったのである収集品は低速度貨幣であり、少数の高価値取引に関与していた。コインは速度の速い貨幣であり、多数の低価値取引を促進した。

これまで見てきたように、原始貨幣が貢納者や徴税者にとって有益であることや、そのような支払いを最適に強制するためには価値測定問題重要であることを考えると、徴税者、特にリディアの王が最初貨幣を発行したことは驚くべきことではない。徴税によって収入を得ている王には、臣下保有し交換する富の価値をより正確に測定する強い動機があった。また、交換のための媒体商人安価に測定することで、効率的市場に近いものが生まれ個人が初めて大規模に市場に参入できるようになったことは、王にとっては偶然の副次的効果であった。市場流れる富が増え、課税対象となったことで、国王収入は、通常のラッファー曲線効果である税源間の誤計測の減少以上に増加した。

徴税効率化と市場効率化が相まって、税収全体が大幅に増加したのである徴税人たちは文字通り金鉱を掘り当てたのであり、リディア王のミダス、クロイソス、ギゲスの富は今日まで有名である

数世紀後、ギリシャアレキサンダー大王は、エジプトペルシャインドの大部分を征服したが、その壮大な征服資金は、低速度の収集品の集合体であるエジプトペルシャ神殿を略奪し、それらを溶かして高速度のコインにすることで得られた。彼の後には、より効率的包括的市場経済と、より効率的徴税が生まれた。

貢物の支払いは、それだけでは収集品の閉ループ形成しない。貢物は、最終的に勝者が結婚交易担保など何かに利用できる場合にの価値があった。しかし、勝者は、たとえ敗者の自発的利益にならなくても、収集品を得るための製造を敗者に強要することができた。

争議と救済策

古代狩猟採集民には、現代のような不法行為法や刑法はなかったが、現代法でいうところの犯罪不法行為に該当するような紛争解決するための類似した手段があった。紛争当事者一族による罰や支払いによって紛争解決することは、復讐復讐戦争のサイクルに代わるものであった。アメリカイリコイ族からキリスト教以前のゲルマン人に至るまで、ほとんどの近代以前の文化は、罰よりも支払いの方が良いと考えた。些細な窃盗から強姦殺人に至るまで、すべての実行可能犯罪には価格ゲルマン人の「weregeld」やイリコイ人の血税など)が設定されていた。お金があれば、支払いはお金の形で行われた。牧畜文化では家畜が使われた。それ以外では、収集品の支払いが最も一般的な救済策であった。

訴訟などの損害賠償の支払いには、相続結婚年貢などと同じように、事象供給需要三位一体問題が発生した。訴訟判決は、原告損害賠償能力と、被告損害賠償による利益を得る機会と願望が一致する必要があった。原告がすでにたくさん持っている消耗品を救済措置とした場合、救済措置は罰としての役割は果たすが、被告を満足させることはできないであろうし、したがって暴力連鎖抑制することはできない。このように、収集品には、紛争解決したり、復讐連鎖を断ち切るための救済策を可能にするという付加価値がある。

紛争解決は、支払いによって復讐心が完全になくなるのであれば、閉ループ形成しない。しかし、支払いによって復讐心が完全に消滅しない場合、支払いは復讐連鎖に続くサイクルを形成する可能性がある。このような理由から、より密に接続された取引ネットワークが出現するまでは、復讐のサイクルを減らすことはできても、なくすことはできないという平衡状態に達していた可能性がある。

原始人がネックレスをつけた理由 パート3

飢餓保険

ブルース・ウィンターハルダー(Bruce Winterhalder)は、動物間で食料が移動する方法理由モデル調査している。盗みの許容、生産/嗅ぎ回る/機会主義リスク考慮した生存副産物相互主義、遅延した互恵主義取引現物でない交換、その他の選択モデル血縁利他主義を含む)。ここでは、リスクセンシティブ生存、遅延型互恵主義貿易現物ではない交換)に注目する。我々は、食料を収集品と交換することを遅延型互恵主義に置き換えることで、食料の共有を増やすことができると主張する。これは、変動する食料供給リスクを軽減する一方で、バンド間の遅延型互恵関係が抱える克服できない問題回避することで可能となる。以下では、親族間の利他主義窃盗(許容されるか否か)をより広い文脈で扱う。

食べ物は、飢えている人にとっては、十分に食べられている人よりもはるか価値がある。飢えている人が自分の最も貴重な価値物を交換することで命を救えるなら、その価値物を交換するために必要な数ヶ月、あるいは数年分の労働力に値するかもしれない。彼は通常、家宝感傷的な価値よりも自分の命の価値を考えるであろう。脂肪と同じように、収集品も食糧不足に対する保険になる。地域的な食糧不足による飢餓は、少なくとも2種類の取引で食い止めることができた。

しかし、取引コストが高すぎて、バンドはお互いを信頼するどころか喧嘩をしてしまうことが多かった。自分食べ物を見つけられない空腹のバンドは、たいてい飢えていた。しかし、取引コストを下げることができれば、バンド間の信頼の必要性を下げることができ、あるバンドにとっては1日の労働に値する食べ物でも、飢えているバンドにとっては数ヶ月の労働に値するかもしれない。

局所的ではあるが非常に価値のある取引は、上位旧石器時代収集品が登場したことで、多くの文化可能になったと、このエッセイは主張する。収集品は、必要ではあるが存在しない長期的な信頼関係の代わりとなった。もし、部族間、あるいは異なる部族個人間で持続的な交流信頼関係があり、互いに無担保の信用を得ていたならば、時間差のある物々交換が刺激されただろう。しかし、そのような高度な信頼関係があったとはとても思えない。上述した互恵利他主義に関する理由に加え、ほとんどの狩猟採集民の部族関係がかなり敵対的であったことが観察されているという経験的な証拠から確認できる。狩猟採集民の集団は、通常、1年のほとんどの期間は小さな集団に分かれて生活し、1年のうち数週間だけ中世ヨーロッパの市のような「集合体」に集まって生活する。バンド間の信頼関係がなかったにもかかわらず、添付の図に示されているような主食重要取引が、ほぼ確実にヨーロッパで、そしておそらくアメリカアフリカの大物ハンターなど他の地域でも行われていた。

添付の図で示されているシナリオ仮定のものであるが、それが起こらなかったとしたら非常に驚くべきことである旧石器時代ヨーロッパ人の多くは、貝のネックレスを楽しんでいたが、もっと内陸部に住んでいた人は、獲物の歯でネックレスを作っていた。また、火打ち石や斧、毛皮などの収集品も交換手段として使われていた可能性が高い。

トナカイバイソンなどの人間の獲物は、一年のうちで移動する時期が異なる。ヨーロッパ旧石器時代の多くの遺跡から出土する遺物の90%以上、時には99%以上が単一の種によるものであるほど、部族ごとに異なる獲物に特化していた。これは、少なくとも季節的な専門性を示しており、おそらく1つの部族が1つの種に完全に特化していたことを示している。一つの部族メンバーは、専門化した分だけ、特定の獲物種にまつわる行動や移動習慣などのパターン精通し、それらを狩猟するための特殊な道具や技術を身につけていたことになる。最近観察された部族の中にも、特殊化した部族があることが知られている。北米インディアンの一部の部族は、バイソンカモシカ狩猟サケの漁にそれぞれ特化していた。ロシア北部フィンランドの一部では、現在でもラップ族をはじめとする多くの部族が、単一種のトナカイ牧畜に特化していた。

旧石器時代もっと大きな獲物(ウマ、オーロックス、ジャイアントエルク、バイソンジャイアントナマケモノマストドンマンモスシマウマ、ゾウ、カバキリンジャコウウシなど)が大きな群れをなして北米ヨーロッパアフリカを歩き回っていた頃は、このような特殊化がはるかに進んでいたと思われる。人間を恐れない大型の野生動物はもはや存在しない。旧石器時代絶滅させられたか、あるいは人間人間の発射物を恐れるようになったのであるしかし、サピエンスサピエンスが生きていた時代には、これらの動物の群れは豊富で、専門のハンターにとっては簡単に獲物を得ることができた。取引に基づく捕食の理論によれば、旧石器時代に大型の獲物が大規模な群れをなして北米ヨーロッパアフリカを歩き回っていた頃は、専門性はるかに高かった可能性が高い。部族間の狩猟における取引ベースの分業は、ヨーロッパ旧石器時代考古学証拠と一致する(確実に確認されたわけではないが)。

このように、群れを追って移動する部族は、頻繁に交流し、多くの交易の機会を得た。アメリカン・インディアンは、乾燥させたり、ペミカンを作ったりして食べ物を保存していたが、それは数ヶ月はもつものの、通常は1年はもたなかった。このような食料は、皮、武器収集品などと一緒によく取引された。多くの場合、これらの取引は年に一度の交易遠征の際に行われた。

大規模な群れをなす動物は、1年に2回だけ領土を移動するが、その期間は1〜2ヶ月であることがほとんどである自分たちの獲物となる動物以外のタンパク源がなければ、これらの専門部族は飢えてしまうであろう。考古学的な記録で示されている非常に高度な専門化は、交易があったからこそ実現したのである

このように、時間的にずれた肉の交換が唯一の交易であったとしても、それだけで収集品の利用価値は十分にあると考えられる。ネックレスや火打ち石など、お金として使われるものは、取引される肉の価値がほぼ同じである限り、閉じたループの中で、ほぼ同じ量を行き来する。ここで注意してほしいのは、本稿で述べた収集品の理論が正しいとするには、単一有益取引可能であるだけでは不十分だということだ。相互有益取引の閉ループ特定しなければならない。閉鎖的なループでは、収集品は循環し続け、そのコスト償却する。

前述したように、考古学的な遺跡から、多くの部族が1つの大きな獲物種に特化していたことがわかっている。この専門化は少なくとも季節的なものであり、広範な取引が行われていた場合フルタイムで行われていた可能性がある。習性や移動パターン、最適な捕獲方法専門家になることで、部族は莫大な生産利益を得ることができた。しかし、このような利益は、単一の種に特化することは、1年の大半を食料なしで過ごすことになるため、通常は得られないものであった。部族間の分業が功を奏し、それを可能にしたのが交易だった。補完関係にある2つの部族間の交易だけで、食料の供給量はほぼ2倍になる。しかし、セレンゲティヨーロッパ草原のような地域では、ほとんどの狩猟地域を移動する獲物は2種類ではなく、10種類にも及ぶことがあった。そのため、種に特化した部族が入手できる肉の量は、近隣の一握りの部族との間で交易を行うことで2倍以上になると考えられる。その上、余分な肉は最も必要とされる時に得られる。つまり、その部族の同種の獲物から得られる肉はすでに食べ尽くされており、食料がなければハンターは飢えてしまうのである

このように、2つの獲物種と、同時ではないが相殺される2つの取引という単純な取引サイクルから、少なくとも4つの利益、つまり余剰の源が得られたのである。これらの利益は異なるものであるが、必ずしも独立したものではない:

1. 餓死しそうな時期に肉が手に入ること。

2. 肉の総供給量の増加:すぐに食べられる量や保存できる量を超えた余剰分を取引し、取引しなかった分は無駄になっていた。

3. さまざまな種類の肉を食べることで、肉から得られる栄養の種類が増えたこと。

4. 単一の獲物種に特化することによる生産性の向上。

食料と交換するために収集品を作ったり、保存したりすることは、悪い時期に備えての唯一の手段ではなかった。特に大きな獲物が得られない場合には、縄張り意識採集権の取引が行われていたようである。これは、現在残っている狩猟採集文化の一部にも見られる。

アフリカ南部クン・サン族は、他の現代狩猟採集文化の残存者と同様に、限界のある土地に住んでいる。彼らには専門家になる機会はなく、わずかに残っているものを利用するしかない。ホモ・サピエンスは、最初ネアンデルタール人から最も豊かな土地と最高の狩猟ルートを奪い取り、ずっと後になってからネアンデルタール人限界土地から追い出した。しかし、生態学的に厳しいハンディキャップを負っているにもかかわらず、クン族は収集品を交易品として使用している。

他の狩猟採集民と同様に、クン族は1年の大半を分散した小さな集団で過ごし、1年のうち数週間は他の集団との集合体で過ごす。集会は、取引が行われ、同盟が結ばれ、パートナーシップが強化され、結婚が行われるという特徴を持ったフェアのようなものである。アグリゲーションの準備は、一部は実用的だが、ほとんどはコレクション的な性質を持つ取引可能アイテム製造することで満たされる。クン族が「hxaro」と呼ぶ交換システムでは、4万年前にアフリカ発見されたものとよく似たダチョウの殻のペンダントなど、ビーズアクセサリーが多く取引されている。

クン族が収集品と一緒に売買する主なものは、他のバンド領地に入り、そこで狩猟採集を行う抽象的な権利である。これらの権利の売買は、隣人の領域採集することで緩和できるような地域的な不足の際に、特に活発に行われる。先に述べたバンド間の食料取引と同様に、収集品を使って採集権を購入することは、スタンリーアンブローズの言葉を借りれば、「飢餓に対する保険」となる。

解剖学上の現生人類は、意識的思考言語、そして計画を立てる能力を持っていたはずであるが、取引を行うためには、意識的思考言語、そして計画を立てることはほとんど必要なかったであろう。部族メンバー単一取引以外の利益を推論する必要はなかった。このような制度を作るためには、人々が本能に従って以下のような特徴を持った収集品を作るだけで十分だっただろう。(このような制度を作るためには、人々が本能に従って、以下のような特徴を持つ収集品を手に入れることができれば十分であった。) これは、我々が研究する他の制度についても、様々な点で同様であり、意識的設計されたというよりは、むしろ進化したものである制度儀式に参加している誰もが、その機能を究極の進化機能観点から説明することはなかっただろう。むしろ、究極の目的起源を示す理論というよりも、行動の近親的動機付けとして機能する多種多様神話観点から説明していた。

食物の交易に関する直接的な証拠は失われて久しい。将来的には、ある部族狩猟跡と別の部族の消費パターン比較することで、今回の記事よりも直接的な証拠が見つかるかもしれないが、この作業で最も難しいのは、異なる部族親族集団境界特定することである。我々の理論によれば、このような部族間の肉の移動は、大規模かつ特殊な大型狩猟が行われていた旧石器時代世界各地で一般的に行われていたと考えられる。

今のところ、収集自体の移動による間接的な取引証拠が多く残っている。幸いなことに、収集品に求められる耐久性と、今日考古学者が発見した遺物が生き残った条件との間には、良い相関関係がある。徒歩で移動していた旧石器時代の初期には、穴の開いた貝殻が500kmも離れた場所から発見された例がある。また、火打石も同様に長距離を移動していた。

残念なことに、ほとんどの時代場所で、取引コストが高いために貿易は大きく制限されていた。一番の障壁部族間の対立であった。部族間の主な関係は、良い日には不信感を抱き、悪い日には明らかな暴力を振るうというものであった。部族間の信頼関係を築くことができたのは、婚姻親族の絆だけであったが、それは時折であり、範囲も限られていた。財産保護する能力が低いため、たとえ身につけたり隠し場所に埋めたりした収集品であっても、収集品は数回の取引コスト償却しなければならなかった。

このように、取引コストが高いために、現在我々が当たり前のように使っている市場企業、その他の経済制度の発展が妨げられていた長い人類先史時代において、富の移転取引だけではなく、おそらく最も重要ものでもなかった。しかし、取引コストが高く、市場企業などの経済制度が発達しなかった先史時代には、おそらく最も重要ものではなかったであろう。我々の偉大な経済制度の下には、富の移転を伴うはるかに古い制度がある。これらの制度はすべて、ホモ・サピエンスサピエンスとそれ以前の動物とを区別するものである。ここでは、我々人間には当たり前で、他の動物にはない、最も基本的な富の移転の種類の一つである次世代への富の移転について説明する。

原始人がネックレスをつけた理由 パート2

鑑定や価値測定の問題は非常に幅広いものである人間にとっては、好意の返礼、物々交換貨幣、信用、雇用市場での購入など、あらゆる交換システムに関わってくる。また、強要課税、貢ぎ物、司法上の刑罰の設定などにおいても重要である動物互恵利他主義においても重要である。例えば、サル背中を掻くために果物を交換することを考えてみよう。相互に毛づくろいをすることで、個人では見えないし届かないダニノミを取り除くことができる。しかし、どれだけの毛づくろいとどれだけの果物を交換すれば、お互いに「公平」だと思える、つまり離反しないお返しになるのであろうか?20分間のバックスクラッチングの価値は、果物1個分であろうか、それとも2個分であろうか?また、どのくらいの大きさの果物であろうか?

血と血を交換するという単純なケースでさえ、見かけよりも複雑なのだコウモリは、受け取った血の価値をどのように見積もっているのだろうか。重さ、大きさ、味、空腹を満たす能力、その他の変数価値見積もるのだろうか?それと同じように、「あなたが私の背中を掻いてくれたら、私があなた背中を掻く」という単純な猿の交換でも、測定は複雑になる。

大多数の潜在的な交換において、動物にとって測定問題は難題である。顔を覚えてそれを好意に結びつけるという簡単問題以上に、そもそも好意価値推定値について双方が十分な精度で合意できるかどうかが、動物相互利他主義の主な障壁となっているのではないだろうか。

現存する旧石器時代初期の人類の石器は、我々のような大きさの脳には複雑すぎる面がある。誰が誰のためにどのような品質の道具を作ったのか、したがって誰が誰に何を借りているのかなど、彼らに関わる好意を記録しておくことは、一族境界線の外ではあまりにも困難であっただろう。それに加えて、おそらく残っていない多種多様有機物や、身だしなみなどの刹那的サービスなどがあるであろう。これらの物品のほんの一部でも譲渡され、サービスが行われた後には、我々の脳は膨れ上がっていて、誰が誰に何を借りているのかを把握することはできなかった。今日、我々はこれらのことをよく書き留めているが、旧石器人には文字がなかった。考古学的な記録が示すように、氏族部族間での協力が実際に行われていたとすれば、問題さら悪化する。狩猟採集民の部族は通常、非常に敵対的相互に不信感を抱いていたかである

貝がお金になる、毛皮がお金になる、金がお金になるなど、お金法定通貨法に基づいて政府が発行した硬貨紙幣だけでなく、さまざまなものであるとすれば、そもそもお金とは何なのであろうか。また、飢餓危機に瀕していた人類は、狩猟採集もっと時間を割くことができたはずなのに、なぜネックレスを作って楽しんでいたのであろうか。19世紀経済学者カールメンガーは、十分な量の商品交換から自然に、そして必然的貨幣進化することを初めて説明した。現代経済用語で言えば、メンガーの話と似ている。

物々交換には利害関係の一致が必要であるアリスピーカン栽培してリンゴを欲しがり、ボブはリンゴ栽培してピーカンを欲しがる。たまたま果樹園が近くにあり、たまたまアリスはボブを信頼していて、ピーカンの収穫時期とリンゴの収穫時期の間に待つことができたとする。これらの条件がすべて満たされていれば、物々交換はうまくいく。しかし、アリスオレンジ栽培していた場合、ボブがピーカンだけでなくオレンジも欲しかったとしても、運が悪かったとしか言いようがない - オレンジリンゴは同じ気候では両方ともうまく育たない。また、アリスとボブがお互いを信頼しておらず、仲介してくれる第三者を見つけられなかったり、契約を履行できなかったりした場合も、運が悪いと言わざるを得ない。

さらに複雑な事態も起こりえる。アリスとボブは、将来的にピーカンリンゴを売るという約束を完全に明確にすることはできない。なぜなら、他の可能性として、アリスは最高のピーカンを独り占めし(ボブは最高のリンゴを独り占めし)、他の人には残りかすを与えることができるからである。2つの異なる種類の商品の質と量を比較することは、一方の商品状態記憶しかない場合には、より困難になる。さらに、どちらも凶作などの出来事予測することはできない。これらの複雑さは、アリスとボブが、分離した互恵利他主義が本当に互恵的であったかどうかを判断する問題を大きくしている。このような複雑な問題は、最初取引互恵的な取引の間の時間的な間隔や不確実性が大きいほど大きくなる。

関連する問題として、エンジニアが言うように、物々交換は「スケールしない」ということがある。物々交換は、少量であればうまく機能するが、大量になるとコストがどんどん高くなり、労力に見合わないほどのコストになってしまう。取引される商品サービスがn個ある場合物々交換市場ではn^2個の価格必要になる。5つの商品であれば25個の価格必要となり、悪くはないが、500の商品であれば25万個の価格必要となり、一人の人間管理するには現実的ではない。貨幣を使えば、500の製品に500の価格というように、n個の価格しかない。この目的のためのお金は、交換媒体としても、単に価値基準としても機能する。(後者問題は、暗黙の保険契約」とともに、競争市場存在しなかったこから価格が近しい交渉ではなく、長い間進化してきた慣習によって設定されることが多かった理由でもある)。)

物々交換必要なのは、言い換えれば、供給スキル、好み、時間、そして低い取引コストの偶然の一致である。そのコストは、取引される商品の数の増加よりもはるかに速く増加する。物々交換は、確かに全く取引をしないよりははるか効果的であり、広く実践されてきた。しかし、お金を使った貿易に比べれば、その効果はかなり限定的である

原始的貨幣は、大規模な貿易ネットワークよりもずっと前から存在していた。貨幣には、もっと早くから重要用途があった。貨幣は、信用の必要性を大幅に減少させることで、小規模な物々交換ネットワークの働きを大きく改善した。好みが同時に一致することは、長い時間の間に一致することよりもはるかに稀だった。お金があれば、アリスは今月のブルーベリーの熟度に合わせてボブのために採集し、ボブは半年後のマンモスの群れの移動に合わせてアリスのために狩りをすることができ、誰が誰に借金をしているかを把握したり、相手記憶や誠実さを信用したりする必要はない。母親の子育てへのより大きな投資を、偽造できない貴重品の贈与で担保することができる。貨幣は、分業の問題囚人のジレンマから単純な交換に変えてくれる。

多くの狩猟採集民が使用していた原始的貨幣は、現代貨幣とは全く異なる姿をしており、現代文化の中では異なる役割果たしており、おそらく後述する小さな交易ネットワークやその他の地域的な制度限定された機能を持っていた。私はこのような貨幣を、本来貨幣ではなく、収集品と呼ぶことにする。人類学の文献では、このようなものを「お金」と呼んでいるが、これは政府印刷した紙幣硬貨よりも広い範囲定義されているが、このエッセイで使う「collectible」よりも狭い範囲定義されている。また、曖昧な「valuable」という言葉もあるが、これはこのエッセイ意味でのcollectiblesではないものを指すこともある。原始貨幣名称として他の可能性がある中で、コレクティブルという言葉を選んだ理由は明らかであろう。コレクティブルは非常に特定属性を持っていた。それらは単に象徴的なものではなかった。コレクティブルとして評価される具体的な物や属性は、文化によって異なる可能性があるが、恣意的ものではない。収集品の第一の、そして究極の進化機能は、富を貯蔵し、移転するための媒体であった。ワンパムのようなある種の収集品は、経済的社会的条件が貿易を促進するところでは、現代人が知っているような貨幣として非常に機能である。私は、コイン時代以前の富の移動手段議論する際に、「原始的貨幣」や「原始的貨幣」という言葉を、「収集品」と同じように使うことがある。

富の移転による利益

人々、一族、あるいは部族自発的貿易を行うのは、双方が何かを得ることができると信じているかである価値についての彼らの信念は、例えばその商品サービスについての経験を積むなどして、取引後に変わることがある。交易の時点での彼らの信念は、価値についてはある程度不正であるものの、利益存在については通常正しいものである特に初期の部族貿易では、高額商品に限られていたため、各当事者自分の信念を正しく理解しようとする強い動機があった。そのため、貿易ほとんどの場合、双方に利益をもたらした。貿易は、何かを作るという物理的な行為と同様に、価値を生み出した。

個人一族部族はそれぞれ好みが異なり、これらの好みを満たす能力も異なり、これらの能力や好み、そしてそれらの結果として得られる物について持っている信念も異なるため、貿易から得られる利益は常にある。このような取引を行うためのコスト取引コスト)が、取引価値あるものにするのに十分低いかどうかは別問題である。我々の文明では、人類歴史上の大半の時代よりもはるかに多くの取引可能であるしかし、後述するように、いくつかの種類の取引は、おそらくホモ・サピエンスサピエンス誕生した頃まで、一部の文化にとっては取引コスト以上の価値があった。

取引コストが低いことで利益を得ることができるのは、任意スポット取引だけではない。これが、貨幣起源進化理解する鍵となる。また、家宝担保にすることで、取引の遅延による信用リスク回避することもできた。勝った部族が負けた部族から貢ぎ物を取ることは、勝った部族にとって大きな利益となった。勝利者の貢ぎ物を集める能力は、貿易と同じ種類の取引コスト技術恩恵を受けていたのである。慣習や法律に反する行為に対する損害賠償請求する原告や、結婚斡旋する親族集団も同様である。また、親族は、タイムリー平和的な相続による富の贈与の恩恵を受けていた。現代文化では貿易世界から切り離されている人間の主要なライフイベントも、取引コストを下げる技術によって、貿易に劣らず、時にはそれ以上の恩恵を受けていた。これらの技術のうち、原始的貨幣収集品)よりも効果的で重要ものはなく、また初期のものでもなかった。

H.サピエンスサピエンスがH.サピエンス・ネアンデルターレンシス駆逐すると、人口爆発が起こった。紀元前4万年から3万5千年の間にヨーロッパ占領した証拠からサピエンスサピエンスはネアンデルターレンシスに比べて環境収容力を10倍にしたこと、つまり人口密度10倍になったことがわかる。それだけではなく、彼らは世界初の芸術創造する余裕があった。例えば、素晴らしい洞窟壁画多種多様精巧な置物、そしてもちろん貝殻、歯、卵殻を使った素晴らしいペンダントネックレスなどである

これらは単なる装飾品ではない。収集品や、その時代進歩したと思われる言語によって可能になった、新しい効果的な富の移動は、新しい文化制度を生み出し、環境収容力の増加に主導的な役割を果たしたと考えられる。

新参者であるH.サピエンスサピエンスは、ネアンデルタール人と同じ大きさの脳、弱い骨、小さい筋肉を持っていた。狩りの道具はより洗練されていたが、紀元前35,000年の時点では基本的に同じ道具であり、2倍の効果10倍の効果もなかったであろう。最大の違いは、収集品によってより効果的に、あるいは可能になった富の移動だったかもしれない。H.サピエンスサピエンスは、貝殻を集めて宝石にしたり、見せびらかしたり、交換したりすることに喜びを感じていた。ネアンデルターレンシスはそうではなかった。これと同じことが、何万年も前にセレンゲティで起きていたのである

ここでは、コレクションアイテムが、自発的無償相続自発的相互取引結婚、法的判断や貢ぎ物などの非自発的移転など、それぞれの種類の富の移転において、どのように取引コストを下げたか説明する。

これらの種類の価値移転はすべて、人類先史時代の多くの文化で行われており、おそらくホモ・サピエンスサピエンス誕生したときから行われていたと考えられる。このような人生の一大イベントである富の移転によって、一方または両方の当事者が得られる利益は非常に大きく、高い取引コストにもかかわらず発生した。現代貨幣比較して、原始的貨幣の速度は非常に低く、平均的な個人の一生の間にほんの数回しか譲渡されないかもしれない。しかし、今日では家宝と呼ばれるような耐久性のある収集品は、何世代にもわたって持ち続けることができ、譲渡のたびに相当な価値を付加することができたし、しばしば譲渡可能になることもあった。そのため、部族は、宝石収集品の原料を製造したり、探索したりするという、一見すると軽薄な作業に多くの時間を費やしていた。

富の移転重要な要素となっている制度では、次のような質問をする:

1. 事象移転された財の供給移転された財の需要の間には、時間的にどのような偶然の一致が必要だったか?偶然の一致があり得ないことは、富の移転にとってどれほどあり得ないことか、あるいはどれほど高い障壁になるか?

2. 富の移転は、その制度だけで収集品の閉ループ形成するのか、それとも循環サイクルを完成させるために他の富の移転制度必要なのか。貨幣流通の実際のフローグラフ真剣に考えることは、貨幣の出現を理解する上で非常に重要である多種多様取引の間で一般的流通することは、人類先史時代ほとんどの期間、存在しなかったし、これから存在しないであろう。完結したループが繰り返されなければ、収集品は循環せず、価値がなくなってしまう。作る価値のある収集品は、そのコスト償却するのに十分な取引価値を付加しなければならない。

まず、今日の我々にとって最も身近で経済的重要取引を見てみよう。

原始人がネックレスをつけた理由 パート1

概要

貨幣前身は、言語とともに、初期の現代人が他の動物解決できない協力の問題解決することを可能にした。これらの原型は、非フィアット通貨と非常に特殊な特徴を共有しており、単なる象徴や装飾品ではなかった。

お金

17世紀イギリスアメリカ植民地では、当初から硬貨の不足という問題があった。イギリスの考えは、大量のタバコ栽培し、世界的な海軍商船の船のために木材を切り出し、その見返りとしてアメリカ人の労働力として必要物資を送るというものであった。つまり、初期の入植者は、会社のために働き、会社の店で買い物をすることになっていたのである投資家王室は、農民要求に応じてコインで支払い、農民自身物資を買わせ、さら天罰として利益の一部を確保するよりも、この方法を好んだ。

植民地の人々の解決策は目の前にあったが、彼らがそれを認識するまでには数年を要した。原住民お金を持っていたが、それはヨーロッパ人が慣れ親しんできたお金とは全く違っていた。アメリカン・インディアンは何千年も前からお金を使っていたし、新しくやってきたヨーロッパ人にとっても便利なお金であった。しかし、ニューイングランドの人々は、銀も金も使わず自分たち生活に最も適したお金を使っていた。その代わりに、彼らは獲物の耐久性のある骨組みという、その環境に最も適した貨幣を使っていた。具体的には、ワンパムと呼ばれる貝(ホンビノスガイ)とその近縁種の貝殻をペンダントにしていた。

貝は海でしか採れないが、ワンパムは内陸部でも取引されていた。アメリカ大陸の各部族には、さまざまな種類の貝殻貨幣存在していた。イリコイ族は、貝の生息地に近づかずに、最も大きなワンパムの財宝を集めることができた。ワンパムを専門に製造していたのは、ナラガンセッツ族などほんの一握りの部族で、他の何百もの部族(その多くは狩猟採集民)がワンパムを使用していた。ワンパムのペンダントは、長さとビーズの数が比例しており、様々な長さのものがあった。ワンパムペンダントの長さは様々で、ビーズの数は長さに比例しており、ペンダントを切ったり繋げたりして、支払った金額と同じ長さのペンダントを作ることができた。

入植者たちは、本当のお金とは何かという問題を克服すると、ワンパムの取引に熱中した。貝(clam)は、アメリカでは「お金」の別名として使われている。ニューアムステルダム現在ニューヨーク)のオランダ人知事は、イギリスアメリカ人の銀行からワンパムで多額の融資を受けた。しばらくすると、イギリス当局もこれに同調せざるを得なくなった。1637年から1661年にかけて、ニューイングランドではワンパムが法定通貨となった。植民地の人々は流動的な交換手段を手に入れ、植民地貿易は盛んになった。

ワンパムの終わりの始まりは、イギリスアメリカ大陸に多くのコインを出荷するようになり、ヨーロッパ人大量生産技術を応用するようになってからである。1661年になると、イギリス政府はワンパムの製造を中止し、本物の金や銀、そして王室監査を受けてブランド化されたコインで支払うことにした。この年、ニューイングランドではワンパムは法定通貨ではなくなった。1710年にはノースカロライナ州一時的法定通貨となった。ワンパムは、20世紀に入っても交換手段として使われ続けていたが、その価値西洋の収穫・製造技術によって100倍にも膨れ上がり、貨幣発明された後に西洋で金や銀の宝飾品が行き渡ったように、よくできたお金から装飾品へと徐々に変化していった。アメリカ貝貨言葉は古風な遺物となった。百貝は百ドルになった。「Shelling out」とは、コイン紙幣で支払うことを意味し、やがて小切手クレジットで支払うようになった。我々は、自分たち種の起源に触れてしまたことを知らなかった。

収集

ネイティブ・アメリカンお金は、貝殻以外にも様々な形があった。毛皮、歯、そして後述する特性を持つ他の様々な物体も、交換手段としてよく使われた。12,000年前、現在ワシントン州で、クロービス族は、驚くほど長い角岩の刃を開発した。しかし、すぐに折れてしまう。これでは切ることもできない。火打ち石は「楽しむため」に作られていたのか、それとも切ることとは関係のない別の目的のために作られていたのか。後述するように、この一見軽薄に見えることが、実は彼らの生存にとって非常に重要であった可能性が高い。

しかし、ネイティブ・アメリカンは、芸術的ではあるが役に立たない刃物最初に作ったわけではないし、シェルマネー発明したわけでもない。ヨーロッパ人も、昔は貝や歯をお金にしていたし、牛や金、銀、武器なども使っていた。アジア人は、それらすべてを使い、政府が発行した偽物の斧も使っていたが、この制度も輸入していた。考古学者が旧石器時代初期の貝のペンダント発見しており、それがネイティブ・アメリカンお金の代わりになっていた可能性があるからだ。

1990年代後半、考古学者のスタンリーアンブローズは、ケニアリフトバレーにあるロックシェルターで、ダチョウの卵の殻やブランク、貝殻の破片でできたビーズキャッシュ発見した。これらのビーズは、アルゴン-アルゴン(40Ar/39Ar)比を用いて、少なくとも4万年のものとされている。スペインでは、この時期に穴の開いた動物の歯が発見されている。また、レバノン旧石器時代初期の遺跡からは、穴の開いた貝殻が出土している。最近では、南アフリカのブロンボス洞窟で、さらにさかのぼって7万5千年前に作られたビーズ状の貝殻が発見されている。

現代の亜種はヨーロッパ移住しており、紀元前4万年から貝殻と歯のネックレスが登場している。また、オーストラリアでは紀元前3万年から貝と歯のペンダントが出土している。いずれも高度な技術を要するものであり、もっとから行われていたと思われる。採集や装飾の起源は、解剖学的に現存する亜種の原産地であるアフリカである可能性が高い。人類が常に飢餓と隣り合わせの生活をしていた時代に、貝殻の製造には膨大な技術時間必要だったのであるから収集してネックレスを作ることには重要選択利益があったはずである

実質的貿易を行っていない文化や、現代的な貨幣使用している文化であっても、事実上すべての人類文化は、ジュエリーを作り、楽しみ、実用性よりも芸術性や家宝としての価値を重視している。我々人間は、貝殻のネックレスやその他の種類のジュエリーを、純粋に楽しむために集めている。進化心理学者にとって、人間が「純粋に楽しむため」に何かをするという説明は、説明ではなく、問題提起なのである。なぜ多くの人が宝石を集めたり身につけたりすることを楽しんでいるのか?進化心理学者にとってこの問題は「何がこの楽しみを進化させたのか?」ということである

進化と協力、そして収集

進化心理学は、ジョン・メイナードスミス重要数学発見から始まる。スミスは、発達した集団遺伝学の分野から共進化する遺伝子の集団モデルを用いて、単純な戦略的問題ゲーム理論「ゲーム」)で使用される善悪戦略コード化できる遺伝子を提唱した。スミスは、これらの遺伝子が次世代への伝播を競っている場合競争相手提示する戦略問題に対してナッシュ均衡となる戦略進化させることを証明した。このゲームには、協力の典型的問題である囚人のジレンマ」や、攻撃とその緩和の典型的問題である「鷹と鳩」などがある。

スミス理論重要なのは、これらの戦略的ゲームは、近距離表現型間で行われているが、実際には、究極のレベルである遺伝子間のゲーム、つまり伝播されるべき競争レベルで行われているということである遺伝子(必ずしも個体ではない)は、あたかも拘束された合理性生物学原材料過去進化歴史考慮して、表現型が表現できる範囲内で、可能な限り最適な戦略コード化する)と「利己的」(リチャード・ドーキンス比喩使用であるかのように行動に影響を与える。遺伝子が行動に与える影響は、遺伝子が表現型を通じて競合することで生じる社会的問題への適応であるスミスはこれらの進化したナッシュ均衡進化的安定戦略と呼んだ。

性淘汰や血縁淘汰など、それまでの個人淘汰説の上に構築されていた「エピサークル」は、このより一般的モデルの中に消え去り、コペルニクス的な方法で、個人ではなく遺伝子を理論の中心に据えることになる。このようにドーキンスは、スミス理論説明するために、「利己的な遺伝子」という比喩的でよく誤解される言葉を使っている。

旧石器時代人間のように協力し合う種は他にほとんどない。雛の世話、アリ、シロアリハチコロニーなど、動物が協力するのは親族からであり、親族にある自分の「利己遺伝子」のコピーを助けることができるからである。非常に制約の多いケースでは、進化心理学者が「相互利他主義」と呼ぶ、親族以外の者同士の継続的な協力関係存在する。ドーキンス説明によると、好意の交換が同時に行われない限り(場合によってはその場合でも)、どちらかが不正を行うことができる。そして、普通はそうする。これは理論家が「囚人のジレンマ」と呼んでいるゲーム典型的な結果である詐欺師と吸血者の集団では、常に詐欺師が勝つ。しかし、「Tit-for-Tat」と呼ばれる戦略を用いて、相互作用を繰り返すことで協力するようになる動物もいる。この報復の脅威が継続的な協力の動機となる。

しかし、動物世界で実際にそのような協力が行われる状況は、非常に制約が多い。主な制約は、少なくとも一方の参加者が多かれ少なかれ相手の近くにいなければならない関係限定されていることである。最も一般的なケースは、寄生虫とその体を共有する宿主共生体に進化した場合である寄生虫宿主の利害が一致し、どちらか一方が単独活動するよりも、両者が一緒に活動する方が適している場合(つまり寄生虫宿主にも何らかの利益をもたらしている場合)、Tit-for-Tatゲーム成功させることができれば、両者の利害、特に世代間の遺伝子の出口メカニズムが一致した状態である共生体に進化する。そして、1つの生物となるのであるしかし、ここでは協力だけではなく、搾取も行われている。それらは同時に起こる。この状況は、以下で分析する人間が開発する制度、つまり貢ぎ物に類似している。

寄生虫宿主が同じ体を共有して共生体に進化するのではない、非常に特殊な例がある。寄生虫宿主が同じ体を共有し、共生生物進化するのではなく、同族ではない動物と高度に制限された縄張りを持つ、非常に特殊な例がある。ドーキンスは、クリーナフィッシュを例に挙げている。この魚は、宿主の口の中を泳いで出入りし、そこにいるバクテリアを食べて宿主の魚に利益をもたらす。宿主である魚は、クリーナーが仕事を終えるのを待ってから食べるというズルをすることもできる。しかし、そうはしない。両者とも移動可能なので、潜在的には自由関係を断つことができる。しかし、クリーナフィッシュは個々の縄張り意識を非常に強く進化させており、偽造しにくいブランドロゴのように、偽造しにくい縞模様や踊りを持っている。宿主魚はどこに行けば掃除してもらえるかを知っているし、もし不正をしたら、新しい不信感を持った掃除魚ともう一度やり直さなければならないことも知っているのだ。この関係入口コスト、つまり出口コストが高いので、不正をしなくてもうまくいくのである。それに、クリーナフィッシュは小さいので、それを食べることで得られる利益は、少数の、あるいは1匹のクリーニングで得られる利益に比べて大きくはない。

最も適切な例として、吸血コウモリがある。その名の通り、獲物である哺乳類の血を吸う。面白いのは、良い夜には余剰分を持ち帰るが、悪い夜には何も持ち帰らないことだ。彼らの暗躍は非常に予測不可能である。その結果、幸運な(あるいは熟練した)コウモリは、洞穴の中で幸運でない(あるいは熟練していない)コウモリと血を分かち合うことが多い。彼らは血を吐き出し、感謝している受取人がそれを食べる。

このようなレシピエントの大部分は親族である。屈強な生物学者G.S.ウィルキンソンが目撃した110件の血反吐のうち、77件は母親子供に食べさせるケースであり、その他のケースもほとんどが遺伝的な親族であるしかし、親族間の利他主義では説明できないケースも少なからずあった。これらが相互利他主義のケースであることを示すために、ウィルキンソンは2つの異なるグループコウモリ個体群を組み合わせた。コウモリはごく稀な例外を除いて、元のグループの旧友にしか餌を与えなかった。このような協力関係を築くには、パートナー同士が頻繁に交流し、お互いを認識し、お互いの行動を把握するような長期的な関係を築く必要がある。コウモリ穴は、そのような絆を形成できる長期的な関係コウモリを拘束するのに役立つ。

人間の中にも、非常にリスクの高い不連続な獲物を選び、その結果得られた余剰分を親族以外と共有していた者がいたことがわかるだろう。実際、人間は吸血コウモリよりもはるかに大きな範囲でこれを達成している。その方法が本論の主題であるドーキンスは、「お金は、遅延した相互利他主義正式トークンである」と示唆しているが、この魅力的なアイデアをそれ以上追求することはない。我々はそうする。

人間の小集団の中では、世間の評判が一人の個人による報復よりも勝って、遅延型互恵主義の協力を動機付けることができる。しかし、評判を信じることには2つの大きな誤りがある。どの人が何をしたかについての誤りと、その行為によって生じた価値や損害を評価する際の誤りである

顔や好意記憶する必要があるというのは、認知上の大きなハードルであるが、ほとんどの人間比較的容易に克服できると考えている。顔を認識するのは簡単であるが、好意を受けたことを思い出すのは難しい。また、好意を受けた人にとって、その好意がどのような価値を持つものであったかを思い出すことは、さらに困難である紛争や誤解を避けることは、不可能なほど、あるいは法外に難しいことである

パート2: https://anond.hatelabo.jp/20210906120933

パート3: https://anond.hatelabo.jp/20210906125926

パート4: https://anond.hatelabo.jp/20210906130017

パート5: https://anond.hatelabo.jp/20210906130125

パート6: https://anond.hatelabo.jp/20210906130158

2021-09-04

anond:20210904155357

消えたら自民党工作して同じような人間カウンターパートに仕立てるだけだろう

うちの会社労働時間7.5時間ほど会社にいたら8時間とみなして給料払うよっていう会社だったんだけど、(早退扱いしないってだけ)だけど、暇な部署パートが同じ暇な部署正社員2人は月の半分7.5時間で帰るのに8時間賃金貰ってずるいって騒いで、そのよく分からない特典なくなった。

暇な部署の人は賃金いから気にしてなかったし、他の部署知的労働かつ繁忙期とかもあり、残業いから7.5時間で帰れる時1年のうち60日もないのに、、

2021-09-02

孤独のグルメドラマパートって

俺は面白いから見るけど、

人によってはご飯シーンから見るそうな。

前半のドラマパート見てると1.2倍くらいはご飯シーン楽しめるんだけどなぁ。

なるほど、つまりアダルト映像作品と同じ原理なのか…。

2021-09-01

女性の方が優秀」な理由

無能な男には逃げ場がない

女には一家を養うプレッシャーがなく、向いていなければ主婦パートなどの選択肢存在するため、無能な女は無能な男に比べて淘汰されやすい。

もちろん男にそうした逃げ場はまずないため、無能であっても居座らざるを得ない。

女は自分無能晒すまで出世しない

同様に、管理職などになる女が少なく、その意欲も男に比べて低いため、結果的に「能力以上の役職に昇進して無能晒す女」が少ない。

日記

久しぶりの日記

普通に起床。肩が凝っている。

朝食前のお茶を控えめにすると胃もたれしなくなった。

午前から午後にかけて勉強したり増田したり。

夕方からバイト業務連絡の褒め言葉パートさんに。注意喚起は私に。

めんどくさくても同じこと何度も説明しなきゃ。一回サボるとそれを指摘される。

優先順位は目の前の客。「すみません」と横から言ってくるやつ後回し。値段を言ったほうがいい。

考え事が多くぼーっとした。

増田は私にとって少し精神衛生に悪い。客観的視点も得られる。見過ぎないのが一番。

帰宅、夕飯、風呂。急いで風呂に入るのにイライラする。

ちょっと動画見てから寝る。

2021-08-31

矛盾日本の常識に反するよ。卒業文春に警察官になると書いてパートになった奴は根っからの嘘つき人間

anond:20210831144109

言動不一致は日本で最も下げ図まれることだ

共働き夫婦世帯だけで子育てするって大変

来年子供が生まれます。嫁は絶賛つわりで苦しんでおり、大半を家ですごしているもの家事身の回りの世話もままなりません。禄に食べられず偏食になっているため栄養価が偏っているのでしょう。みるみる体重と体力が落ちてます。それでも少しずつ水分補給をさせたり柔らかくさっぱりとした麺類を食べさせたりして凌いでます。これ以上痩せる入院だそうで。

嫁のパート先は基本のほほんとした所なんですが、いまは殆どお客のいない店で店番をさせて貰ってます。それも9月は全部お休み貰う予定。

こんな感じなので家事全般から嫁の送迎とかは全部自分担当。やってわかりましたが結構ハード。嫁は偏食で日によって食べられるものが変わるため、食事にとても気を遣います病院にはタクシーで行ければ良いのですが、ベッドからアパートの外までなんとか歩けるかどうかなので、基本は自分が休んで送迎するしかないです。幸いにも夏休みがあるためなんとかいけそう。

それでも外せない日はタクシーにしてもらうか、車で1時間くらい離れた嫁の家族を頼ります

嫁を実家に帰すことも考えましたが、両親も共働きなので状況は変わらず。

正直、子供が生まれる前段階でこんなに大変とは思わなかったです。嫁は終始体調不良で苦しそうだし、自分自分でやることも増えました。共働き夫婦子供育てている人達って全員こうなんだとおもうと、ちょっと核家族も考え物だなって感じます。これで二人目とか厳しい。そもそも一人目でまだまだ始まったばかりなのですから、今後のことは想像を絶する大変さでしょう。

シンママならどんな辛い思いをしているのかと気が気でない。

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