はてなキーワード: 経済用語とは
■「泡沫」の意味を教えて
「泡沫」(ほうまつ、うたかた)は、一般的に以下のような意味を持つ言葉です。
泡(あわ)の意味から、「水面にできる泡」や「はかなく消えやすいもの」を指します。物事が一時的で、すぐに消えてしまうような儚さを表現するときに使われます。
経済用語としての「泡沫」:経済や株式市場での「泡沫(バブル)」は、資産の価格が実体経済の価値から大きく離れて膨張し、最終的には崩壊して急激に価格が下がる現象を指します。「バブル経済」とも言います。
比喩的な意味:一時的に話題になるが、すぐに忘れられる存在や出来事を指す場合にも使われます。「泡沫候補」(うたかたこうほ)という言葉は、選挙において当選の見込みがほとんどない候補者を指します。
■「泡沫」を割合で言うとどのくらいでしょうか?
「泡沫」を割合で表すことは、状況や文脈によって異なるため、一般的に固定された数字で表現することは難しいです。例えば:
選挙における「泡沫候補」の場合、特定の候補者が泡沫とされるかどうかは、支持率や投票数がごく少ないときに使われることがあります。
具体的な割合は、主要な候補者と比較して極端に低い場合に「泡沫」とされることが多いです。
たとえば、主要候補者が支持率10%以上の中で、泡沫候補が1%未満の場合に「泡沫候補」と言われることがあります。
有志の会 有志 4(0)
無所属 7(0)
欠員 0
計 465(51)
普通の人が、これは意味を調べておくかとなるか、あるいは調べずずになんとなく吸収しても実際の意味と食い違わず使いこなせる状態になってしまうのか。
言葉を覚える時にどうやってこの二つのふるいにわけているものなのか、この基準に対する学術的(言語学的あるいは医学的(認知心理学的))な説明がほしいところ。
たとえばぴえんなんか、調べて意味を覚えて使いこなすようになったなんて野暮な人は少数派だろう。
でも本当のぴえんの意味は、全力脱力タイムスでやってたような円相場に関する経済用語の隠語かもしれない。
そんなことはつゆ考えず調べずこの言葉は本来の意味通りに使いこなす人が多いわけで、ではこのような言葉に関して調べなくてもあってるだろうと楽観視する根拠はなんなのか?
この楽観視を全てにおいておこなうと、それこそ反知性主義のような額面通りにとっては誤用になりうつ言葉にひっかかるわけで、定型発達者はある基準をもっているはずなんだよね。
鑑定や価値測定の問題は非常に幅広いものである。人間にとっては、好意の返礼、物々交換、貨幣、信用、雇用、市場での購入など、あらゆる交換システムに関わってくる。また、強要、課税、貢ぎ物、司法上の刑罰の設定などにおいても重要である。動物の互恵的利他主義においても重要である。例えば、サルが背中を掻くために果物を交換することを考えてみよう。相互に毛づくろいをすることで、個人では見えないし届かないダニやノミを取り除くことができる。しかし、どれだけの毛づくろいとどれだけの果物を交換すれば、お互いに「公平」だと思える、つまり離反しないお返しになるのであろうか?20分間のバックスクラッチングの価値は、果物1個分であろうか、それとも2個分であろうか?また、どのくらいの大きさの果物であろうか?
血と血を交換するという単純なケースでさえ、見かけよりも複雑なのだ。コウモリは、受け取った血の価値をどのように見積もっているのだろうか。重さ、大きさ、味、空腹を満たす能力、その他の変数で価値を見積もるのだろうか?それと同じように、「あなたが私の背中を掻いてくれたら、私があなたの背中を掻く」という単純な猿の交換でも、測定は複雑になる。
大多数の潜在的な交換において、動物にとって測定問題は難題である。顔を覚えてそれを好意に結びつけるという簡単な問題以上に、そもそも好意の価値の推定値について双方が十分な精度で合意できるかどうかが、動物の相互的利他主義の主な障壁となっているのではないだろうか。
現存する旧石器時代初期の人類の石器は、我々のような大きさの脳には複雑すぎる面がある。誰が誰のためにどのような品質の道具を作ったのか、したがって誰が誰に何を借りているのかなど、彼らに関わる好意を記録しておくことは、一族の境界線の外ではあまりにも困難であっただろう。それに加えて、おそらく残っていない多種多様な有機物や、身だしなみなどの刹那的なサービスなどがあるであろう。これらの物品のほんの一部でも譲渡され、サービスが行われた後には、我々の脳は膨れ上がっていて、誰が誰に何を借りているのかを把握することはできなかった。今日、我々はこれらのことをよく書き留めているが、旧石器人には文字がなかった。考古学的な記録が示すように、氏族や部族間での協力が実際に行われていたとすれば、問題はさらに悪化する。狩猟採集民の部族は通常、非常に敵対的で相互に不信感を抱いていたからである。
貝がお金になる、毛皮がお金になる、金がお金になるなど、お金が法定通貨法に基づいて政府が発行した硬貨や紙幣だけでなく、さまざまなものであるとすれば、そもそもお金とは何なのであろうか。また、飢餓の危機に瀕していた人類は、狩猟や採集にもっと時間を割くことができたはずなのに、なぜネックレスを作って楽しんでいたのであろうか。19世紀の経済学者、カール・メンガーは、十分な量の商品交換から自然に、そして必然的に貨幣が進化することを初めて説明した。現代の経済用語で言えば、メンガーの話と似ている。
物々交換には利害関係の一致が必要である。アリスはピーカンを栽培してリンゴを欲しがり、ボブはリンゴを栽培してピーカンを欲しがる。たまたま果樹園が近くにあり、たまたまアリスはボブを信頼していて、ピーカンの収穫時期とリンゴの収穫時期の間に待つことができたとする。これらの条件がすべて満たされていれば、物々交換はうまくいく。しかし、アリスがオレンジを栽培していた場合、ボブがピーカンだけでなくオレンジも欲しかったとしても、運が悪かったとしか言いようがない - オレンジとリンゴは同じ気候では両方ともうまく育たない。また、アリスとボブがお互いを信頼しておらず、仲介してくれる第三者を見つけられなかったり、契約を履行できなかったりした場合も、運が悪いと言わざるを得ない。
さらに複雑な事態も起こりえる。アリスとボブは、将来的にピーカンやリンゴを売るという約束を完全に明確にすることはできない。なぜなら、他の可能性として、アリスは最高のピーカンを独り占めし(ボブは最高のリンゴを独り占めし)、他の人には残りかすを与えることができるからである。2つの異なる種類の商品の質と量を比較することは、一方の商品の状態が記憶でしかない場合には、より困難になる。さらに、どちらも凶作などの出来事を予測することはできない。これらの複雑さは、アリスとボブが、分離した互恵的利他主義が本当に互恵的であったかどうかを判断する問題を大きくしている。このような複雑な問題は、最初の取引と互恵的な取引の間の時間的な間隔や不確実性が大きいほど大きくなる。
関連する問題として、エンジニアが言うように、物々交換は「スケールしない」ということがある。物々交換は、少量であればうまく機能するが、大量になるとコストがどんどん高くなり、労力に見合わないほどのコストになってしまう。取引される商品やサービスがn個ある場合、物々交換市場ではn^2個の価格が必要になる。5つの商品であれば25個の価格が必要となり、悪くはないが、500の商品であれば25万個の価格が必要となり、一人の人間が管理するには現実的ではない。貨幣を使えば、500の製品に500の価格というように、n個の価格しかない。この目的のためのお金は、交換媒体としても、単に価値の基準としても機能する。(後者の問題は、暗黙の保険「契約」とともに、競争市場が存在しなかったことから、価格が近しい交渉ではなく、長い間進化してきた慣習によって設定されることが多かった理由でもある)。)
物々交換に必要なのは、言い換えれば、供給やスキル、好み、時間、そして低い取引コストの偶然の一致である。そのコストは、取引される商品の数の増加よりもはるかに速く増加する。物々交換は、確かに全く取引をしないよりははるかに効果的であり、広く実践されてきた。しかし、お金を使った貿易に比べれば、その効果はかなり限定的である。
原始的な貨幣は、大規模な貿易ネットワークよりもずっと前から存在していた。貨幣には、もっと早くから重要な用途があった。貨幣は、信用の必要性を大幅に減少させることで、小規模な物々交換ネットワークの働きを大きく改善した。好みが同時に一致することは、長い時間の間に一致することよりもはるかに稀だった。お金があれば、アリスは今月のブルーベリーの熟度に合わせてボブのために採集し、ボブは半年後のマンモスの群れの移動に合わせてアリスのために狩りをすることができ、誰が誰に借金をしているかを把握したり、相手の記憶や誠実さを信用したりする必要はない。母親の子育てへのより大きな投資を、偽造できない貴重品の贈与で担保することができる。貨幣は、分業の問題を囚人のジレンマから単純な交換に変えてくれる。
多くの狩猟採集民が使用していた原始的な貨幣は、現代の貨幣とは全く異なる姿をしており、現代文化の中では異なる役割を果たしており、おそらく後述する小さな交易ネットワークやその他の地域的な制度に限定された機能を持っていた。私はこのような貨幣を、本来の貨幣ではなく、収集品と呼ぶことにする。人類学の文献では、このようなものを「お金」と呼んでいるが、これは政府が印刷した紙幣や硬貨よりも広い範囲で定義されているが、このエッセイで使う「collectible」よりも狭い範囲で定義されている。また、曖昧な「valuable」という言葉もあるが、これはこのエッセイの意味でのcollectiblesではないものを指すこともある。原始貨幣の名称として他の可能性がある中で、コレクティブルという言葉を選んだ理由は明らかであろう。コレクティブルは非常に特定の属性を持っていた。それらは単に象徴的なものではなかった。コレクティブルとして評価される具体的な物や属性は、文化によって異なる可能性があるが、恣意的なものではない。収集品の第一の、そして究極の進化的機能は、富を貯蔵し、移転するための媒体であった。ワンパムのようなある種の収集品は、経済的・社会的条件が貿易を促進するところでは、現代人が知っているような貨幣として非常に機能的である。私は、コイン時代以前の富の移動手段を議論する際に、「原始的な貨幣」や「原始的な貨幣」という言葉を、「収集品」と同じように使うことがある。
人々、一族、あるいは部族が自発的に貿易を行うのは、双方が何かを得ることができると信じているからである。価値についての彼らの信念は、例えばその商品やサービスについての経験を積むなどして、取引後に変わることがある。交易の時点での彼らの信念は、価値についてはある程度不正確であるものの、利益の存在については通常正しいものである。特に初期の部族間貿易では、高額商品に限られていたため、各当事者が自分の信念を正しく理解しようとする強い動機があった。そのため、貿易はほとんどの場合、双方に利益をもたらした。貿易は、何かを作るという物理的な行為と同様に、価値を生み出した。
個人、一族、部族はそれぞれ好みが異なり、これらの好みを満たす能力も異なり、これらの能力や好み、そしてそれらの結果として得られる物について持っている信念も異なるため、貿易から得られる利益は常にある。このような取引を行うためのコスト(取引コスト)が、取引を価値あるものにするのに十分低いかどうかは別問題である。我々の文明では、人類の歴史上の大半の時代よりもはるかに多くの取引が可能である。しかし、後述するように、いくつかの種類の取引は、おそらくホモ・サピエンス・サピエンスが誕生した頃まで、一部の文化にとっては取引コスト以上の価値があった。
取引コストが低いことで利益を得ることができるのは、任意のスポット取引だけではない。これが、貨幣の起源と進化を理解する鍵となる。また、家宝を担保にすることで、取引の遅延による信用リスクを回避することもできた。勝った部族が負けた部族から貢ぎ物を取ることは、勝った部族にとって大きな利益となった。勝利者の貢ぎ物を集める能力は、貿易と同じ種類の取引コスト技術の恩恵を受けていたのである。慣習や法律に反する行為に対する損害賠償を請求する原告や、結婚を斡旋する親族集団も同様である。また、親族は、タイムリーで平和的な相続による富の贈与の恩恵を受けていた。現代文化では貿易の世界から切り離されている人間の主要なライフイベントも、取引コストを下げる技術によって、貿易に劣らず、時にはそれ以上の恩恵を受けていた。これらの技術のうち、原始的な貨幣(収集品)よりも効果的で重要なものはなく、また初期のものでもなかった。
H.サピエンス・サピエンスがH.サピエンス・ネアンデルターレンシスを駆逐すると、人口爆発が起こった。紀元前4万年から3万5千年の間にヨーロッパを占領した証拠から、サピエンス・サピエンスはネアンデルターレンシスに比べて環境収容力を10倍にしたこと、つまり人口密度が10倍になったことがわかる。それだけではなく、彼らは世界初の芸術を創造する余裕があった。例えば、素晴らしい洞窟壁画、多種多様で精巧な置物、そしてもちろん貝殻、歯、卵殻を使った素晴らしいペンダントやネックレスなどである。
これらは単なる装飾品ではない。収集品や、その時代に進歩したと思われる言語によって可能になった、新しい効果的な富の移動は、新しい文化的制度を生み出し、環境収容力の増加に主導的な役割を果たしたと考えられる。
新参者であるH.サピエンス・サピエンスは、ネアンデルタール人と同じ大きさの脳、弱い骨、小さい筋肉を持っていた。狩りの道具はより洗練されていたが、紀元前35,000年の時点では基本的に同じ道具であり、2倍の効果も10倍の効果もなかったであろう。最大の違いは、収集品によってより効果的に、あるいは可能になった富の移動だったかもしれない。H.サピエンス・サピエンスは、貝殻を集めて宝石にしたり、見せびらかしたり、交換したりすることに喜びを感じていた。ネアンデルターレンシスはそうではなかった。これと同じことが、何万年も前にセレンゲティで起きていたのである。
ここでは、コレクションアイテムが、自発的な無償の相続、自発的な相互取引や結婚、法的判断や貢ぎ物などの非自発的な移転など、それぞれの種類の富の移転において、どのように取引コストを下げたかを説明する。
これらの種類の価値移転はすべて、人類の先史時代の多くの文化で行われており、おそらくホモ・サピエンス・サピエンスが誕生したときから行われていたと考えられる。このような人生の一大イベントである富の移転によって、一方または両方の当事者が得られる利益は非常に大きく、高い取引コストにもかかわらず発生した。現代の貨幣と比較して、原始的な貨幣の速度は非常に低く、平均的な個人の一生の間にほんの数回しか譲渡されないかもしれない。しかし、今日では家宝と呼ばれるような耐久性のある収集品は、何世代にもわたって持ち続けることができ、譲渡のたびに相当な価値を付加することができたし、しばしば譲渡が可能になることもあった。そのため、部族は、宝石や収集品の原料を製造したり、探索したりするという、一見すると軽薄な作業に多くの時間を費やしていた。
富の移転が重要な要素となっている制度では、次のような質問をする:
1. 事象、移転された財の供給、移転された財の需要の間には、時間的にどのような偶然の一致が必要だったか?偶然の一致があり得ないことは、富の移転にとってどれほどあり得ないことか、あるいはどれほど高い障壁になるか?
2. 富の移転は、その制度だけで収集品の閉ループを形成するのか、それとも循環サイクルを完成させるために他の富の移転制度が必要なのか。貨幣の流通の実際のフローグラフを真剣に考えることは、貨幣の出現を理解する上で非常に重要である。多種多様な取引の間で一般的に流通することは、人類の先史時代のほとんどの期間、存在しなかったし、これからも存在しないであろう。完結したループが繰り返されなければ、収集品は循環せず、価値がなくなってしまう。作る価値のある収集品は、そのコストを償却するのに十分な取引で価値を付加しなければならない。
頭悪い人って偉い人が経済用語を使って説明すると内容を理解してなくてもなんだかすごいと思ってその人をすぐに崇拝しちゃいがち
まず大前提なんだが、ブクマカ。「信用経済」って言葉を使うな。使うなら「はてな的信用経済」とかにしてくれ。
ブクマカ、お前は知らないのかも知れないが、「信用経済」っていうのは立派な経済用語なんだ。はてなが提唱する以前に、既に概念として存在しているんだよ。お前、大学は経営情報学部だろ?講義で習わなかったか?
はてブ内でぐるぐる回っているだけの信用とスターの流れを、俺たちは「信用経済」とは言わない。何故かって?「世間」「社会」が認めてないからさ。お前たちの「信用経済」を。
信用経済の例として、よく「小切手」って紙キレが出てくる。書かれた銀行に持って行きゃカネが貰える、スゲぇ券だ。こいつはただの紙キレだが、「社会」が認めた紙キレだ。小切手の「信用」は、俺にも、ぶくまにも、はてなにも、平等に同じ価値がある。銀行の信用があるからな。
でもな、ブクマカ。お前が今稼いでいる「スター」は、悲しいかな、はてブ内でのみ通用する「信用」なんだ。それは信用経済じゃねえんだよ。信用経済なら、お前が稼いだスターは、社会にとって同じような価値がないと意味がないんだよ。
そしてな、信用経済って言葉を使うなら、お前の信用ははてブにのめり込めばのめり込む程に下がっていく。これはもう、俺とかお前とかはてなとかの意志どうこうの話じゃない。「世間」「社会」での話だ。
簡単な話さ。お前、大学生なんだろ?数年後に就活した時、企業がお前に下す評価は「採用価値無し」になる。・・・意味が分からないって?そうか、じゃあ説明するぞ。
企業の人事は、採用過程の必ずどこかでお前のIDをネット検索する。必ずだ。ES出した直後とかは数が多すぎて無理でも、ある程度面接段階が進んだところで、必ず一度はお前のIDを検索する。そこで、お前の書いたブコメとか、はてブでの活動内容とかが企業側に知れる。
企業からすると、お前は「めちゃくちゃ損をする取り引きを嬉々として行っている人」にしか見えねえんだよ、しほ。
お前はスターとブコメを提供して、「はてブ内でのみ通用する信用」しか得ていない。それは差し引きで大幅なマイナスなんだよ。それは経済じゃねえよ。搾取だ。
「なんで企業がその判断を下すと断言できるのか」って?そりゃあお前、企業も信用経済を使って成り立っているからさ。株式を発行して、雇用をして、取引をして、売上を上げて、信用を得て、株価を上げる。上がった株価で価値が高まって、還元なり拡大なりをしていく。これが社会が認めた信用経済の姿さ。お前がやっているのは信用経済じゃないのさ、ブクマカ。だからお前は企業からは評価されない。お前のやっている事を「信用経済」と認識してしまうと、企業は経済活動に矛盾を来してしまう。だからお前のような価値観を持っている人間は採用できない。残念だがな。
それでも採用してくれる企業は、法令や仁義なんかどうでもいいと思っているいわゆるブラック企業ぐらいのもんさ。お前はそういう企業で働きたいのか?そう思っているなら、今の活動を継続するといいと思うぜ。
(1/22追記)千B!深謝。当初は皆の期待するあのオチだったんだが、増田の文字数制限でダメだった。
毀誉褒貶あるけど、とにかく多数がこの増田を見てくれた事が俺は嬉しいよ。(追記終わり)
「”カモられる若者”」として炎上している件について【西野サロンU25】
https://note.com/shishishiho/n/nb568126aaa7d
おい、しほ。聞いてるか。増田だ。
しほ…しほ!お前、最近炎上してるらしいな。それで、その炎上に対する反論記事を書いたんだってな。
(紙巻きを一本取り出し、おもむろに火をつける)
フーッ…。で、何の話だったっけ?ああ、そうか。反論記事を書いたんだってな。
しほ…お前の反論としては
…って事で、いいんだよな?
分かった。OK、話を進めていこう。
しほ…。いいか、これから俺はお前の反論に対して、俺の言いたいことを言っていくぞ。ひとつずつ丁寧に言っていくつもりだ。正直、お前には耳の痛い話ししかしないと思う。そしてお前は一層サロンに傾倒していくだろう。これはしょうがない。この際だからハッキリ言っておくが、ネットのアドバイスを読んだぐらいで目が覚めるなら、そういう奴は元からサロンビジネスなんかやってないからだ。
つまり俺はお前に蜘蛛の糸を垂らしているわけじゃない。溺れた犬を棒で叩こうとしているんだ。そうしてお前は、葦よりも藁よりも脆弱なサロンの繋がりに一段と縋っていくようになるんだ。悲しい事だと思うか?俺は悲しいとは思わない。大抵の人間は何かに縋って生きてる。しほ…お前の場合、それが西野サロンだったって事だけなんだろうし、お前が西野サロンでいくらカネを使ったとか、いくら儲けたとか、それは俺にはまったく関係のない話だからな。
「じゃあなんで叩くのか」って?(紫煙をくゆらせながら)フーッ、それはな、被害者の拡大を防ぐ為だよ。西野サロン大いに結構、「信用経済」大いに結構。…でもな、それは仲間内でやってくんねえかな。世間でまっとうに働いてる人、真面目に学校行って勉強してる学生、「何者かになりたい」って悩んでいる人、そういう人達をそっちの世界に引きずり込むのをやめてほしいからだよ。
しほ…お前には何を言っても、もうあまり意味はないかも知れない。でもな、まだ何も知らない人達には、もしかしたら俺の書いた事が何らかの助けになるかも知れない。俺はそう思ってこの増田を書いてる。
でもな、しほ。…もしお前が、この文章を読んで、サロンの外に広がる「世界」の広さとか、こっちの「世界」はお前を拒絶なんかしてないんだって事、こっちの「世界」だって面白い事や楽しいことはいっぱいあるんだって事を、ほんの少しでも知ってくれたら、俺は嬉しい。
(やや深めに一服し)フーーーっ。んじゃあ、俺の思ったことを書いていくぞ。
ここまでも長かったかもしれないが、ここからもクソ長いぞ。読む前にお手洗いとか済ませといてくれ。
まず大前提なんだが、しほ。「信用経済」って言葉を使うな。使うなら「西野的信用経済」とかにしてくれ。
しほ、お前は知らないのかも知れないが、「信用経済」っていうのは立派な経済用語なんだ。西野が提唱する以前に、既に概念として存在しているんだよ。お前、大学は経営情報学部だろ?講義で習わなかったか?
サロン内でぐるぐる回っているだけの信用とカネの流れを、俺たちは「信用経済」とは言わない。何故かって?「世間」「社会」が認めてないからさ。お前たちの「信用経済」を。
信用経済の例として、よく「小切手」って紙キレが出てくる。書かれた銀行に持って行きゃカネが貰える、スゲぇ券だ。こいつはただの紙キレだが、「社会」が認めた紙キレだ。小切手の「信用」は、俺にも、しほにも、西野にも、平等に同じ価値がある。銀行の信用があるからな。
でもな、しほ。お前が今稼いでいる「信用」は、悲しいかな、西野サロン内でのみ通用する「信用」なんだ。それは信用経済じゃねえんだよ。信用経済なら、お前が稼いだ信用は、社会にとって同じような価値がないと意味がないんだよ。
そしてな、信用経済って言葉を使うなら、お前の信用はサロンにのめり込めばのめり込む程に下がっていく。これはもう、俺とかお前とか西野とかの意志どうこうの話じゃない。「世間」「社会」での話だ。
簡単な話さ。お前、大学生なんだろ?数年後に就活した時、企業がお前に下す評価は「採用価値無し」になる。…意味が分からないって?そうか、じゃあ説明するぞ。
企業の人事は、採用過程の必ずどこかでお前の名前をネット検索する。必ずだ。ES出した直後とかは数が多すぎて無理でも、ある程度採用段階が進んだところで、必ず一度はお前の名前を検索する。そこで、お前の書いたnoteとか、西野サロンでの活動内容とかが企業側に知れる。
企業からすると、お前は「めちゃくちゃ損をする取り引きを嬉々として行っている人」にしか見えねえんだよ、しほ。
お前は現金と労働力を提供して、「西野サロン内でのみ通用する信用」しか得ていない。それは差し引きで大幅なマイナスなんだよ。それは経済じゃねえよ。搾取だ。
「なんで企業がその判断を下すと断言できるのか」って?そりゃあお前、企業も信用経済を使って成り立っているからさ。株式を発行して、雇用をして、取引をして、売上を上げて、信用を得て、株価を上げる。上がった株価で価値が高まって、還元なり拡大なりをしていく。これが社会が認めた信用経済の姿さ。お前がやっているのは信用経済じゃないのさ、しほ。だからお前は企業からは評価されない。お前のやっている事を「信用経済」と認識してしまうと、企業は経済活動に矛盾を来してしまう。だからお前のような価値観を持っている人間は採用できない。残念だがな。
それでも採用してくれる企業は、法令や仁義なんかどうでもいいと思っているいわゆるブラック企業ぐらいのもんさ。お前はそういう企業で働きたいのか?淡路島でロトの剣を磨く仕事に就きたいのか?もしそう思っているなら、今の活動を継続するといいと思うぜ。
ここでもそうなんだが…なんでお前らはすぐ二択を迫るんだ?「どっちに投資したいと思いますか?」って、俺はどっちにも投資したくねえよ。もしくは「両方に同じぐらい投資したい」って人がいたっていいだろうとも思うし、「過去の履歴はいいから事業計画書見せてくれ。中身で決める」って奴がいてもいいと思うんだが…。
そうやって、さも「2つしか選択肢が無い」みたいに見せるやり方が、俺には詐欺師っぽく見えてしまうんだよな。お前が意図的にやっているかどうかは知らねぇんだけど、
って聞き方は良くねえよ。最初っからBには目もくれてねえじゃねぇか。そういう聞き方してるとな、信用無くすぜ。信用経済回して行きたいんだろ?なら俺と凱旋を打とうもっと他の言い方で信用を稼ごうぜ、しほ。
もしかするとその人は参加した時点で、
「ただただ支援(1000円)」を4人分回収したのかもしれません。
クラファン設計が良くなることに伴って支援者が増えれば、その価値はもっとかも。
お前は100円とか500円で「会議券」を売って、1,000円分の支援を4人分回収?ソロバンがあわねえよ。
あとな、しほ。お前の言い方はなんかそれっぽいんだが、結局は
「私の販売する○○を買わないと、私はあなたに投資しませんよ」
って言ってるのと同じだからな。そこはしっかりと認識してくれよ。
んで、認識してもらった上で言葉を重ねるが、なんでお前らは不要なものを売るんだ?チケットとかもそうなんだが、お前たちの言う「信用経済」は全然等価交換じゃねぇんだよ、しほ。
お前のクラファンのリターン、色々見たよ。雪だるまとか、可愛いよな。でもな、「雪だるま作ってほしい」って思ってお前に大事なお金を渡す奴は一人もいねぇんだよ。断言するが、これはただの一人もいねえんだよ。ミキくんもキリちゃんも違えんだよ。
お前の言葉を借りるなら、「さいとうしほのクラファンにカネと労働力を提供しないと、さいとうしほからの支援は受けることができない」からだよ。札幌にプペルトラックが来るとか、子供の笑顔が見たいとか、そんなんじゃねえんだよ。お前からカネが欲しいから、お前のクラファンに投資してるんだよ。
…何?「違う、そんなんじゃない。」って?違わねえよ。お前自身がそう言ってるじゃねぇか。「私は、私に支援してくれた人に支援したいと思います」って、ハッキリ今回のnoteに書いてるあるじゃねえかよ。雪だるまとか手紙とかじゃねえんだろ?「挑戦に対して支援してくれたかどうか」なんだろ?そこをハッキリ明記してないから、俺たちはお前を叩くんだよ、しほ。
もしお前がクラファンのnoteにキッチリと「私に支援してくれないと、私はあなたに支援しません」って書いときゃ、こんなに炎上はしなかっただろうさ。西野サロン内では当たり前の事なんだろ?そういう「西野的信用経済」の回り方は。なら初めにきちんと明記しておくべきだよ。後だしじゃんけんは信用下がるぜ、しほ。
これについては俺からは何も無えよ。「借金してなかったのか、そりゃ良かったな」ぐらいだ。
…でもな、しほ。お前が今回のnoteで出した反論で大項目を3つ立てて、その3つ目がこれになっているのが気になったよ、俺は。正直、お前の反論noteを最初に見たときは、「借金?そんな話してたか?」と思ったよ。もしかしてお前、はてブの反論をひとつひとつ見てたのか?そんなだから西野インターン3期に落ちるんだよ。賭けてもいいが、西野亮廣ならはてブの批判なんか一切見ねえよ。お前真面目なんだな、しほ。…今回はその真面目さが裏目に出てると思うが、お前は気付かないままサロンでやっていくんだろうな。俺にはそれが少し悲しいよ、しほ。
今回、お前が炎上した事の根幹は、「お前が借金していた事」でも、「お前がU25サロンに強要されてクラファン実施している事」でもねえんだよ。
でもお前のこの反論は、俺たちが言った数多くある批判の中で、「借金していない」「強要されていない」という、自分が事実をもって確実に反論できる事を選んで反論してるから、俺たちはそれを奇妙に感じるんだ。「俺たちが批判してるところはそこじゃない」ってな。この、自分に都合のいいデータだけ取り上げて反論するやり方、「チェリーピッキング」って言うんだ。経営情報学科なんだろ?覚えといて損は無いぞ。
(紙巻きをもみ消し、二本目に火を点けながら)
これで終わりと思ったか?終わらねぇんだよ。こっからは全体の話とか、アナターのオット ハーデス上述の3つの反論以外の話とかだ。
しほの書いてる3つの反論に対する俺の見解だけ聞きたかった奴は、お疲れ様だ。あんたが誰だが知らねえけど、明日からも頑張ってくれ。…まだ聞きたい奴、ありがとな。もうちょっとだから、そのまま聞いてってくれ。
しほ、お前は当該のnoteで複数回謝罪しているよな。「誤解させてしまった」「言葉足らずだった」「説明することを放棄していた」って。
はっきり言っておくが、お前のnoteを読んだ9割以上の人間は何も誤読してない。お前の最初の説明で足りているし、誤解もしていない。もう少し言うと、謝罪してほしいとも思ってねぇよ。何に謝罪してるんだ、お前?
結局、お前が謝罪したいのは、西野と、西野サロンの連中…特にU25の連中、もっと言えばミキくんとキリちゃんだけだろ。俺たちに対して謝罪する事なんか何もねえだろ。
お前が反論を出す前なら、俺たちもなんか誤解してる事があったかもな、って思ってた。でもお前から出てきたのは、「信用経済が…」「会議が有料なのには意味が…」「借金はしてない」等の、誤解しようのない反論だった。俺たちからすれば反論でもなんでもないんだが、お前ん中でそう思うんならそうなんだろう。お前ん中ではな。
前回までのnoteと今回のnoteを読んで、「あ!俺、誤解してたんだ!」なんて思うやつはいねぇよ。安心しろ。お前の言いたい事は伝わっているし、俺たちはその上でお前とお前の後ろにいるサロンメンバーを批判してるんだよ。…なんで分かるのかって?もしお前の真意を皆が誤解してて、今回のお前の説明で「誤解が解けた」んなら、はてブのコメント欄は今頃お前達への謝罪で埋め尽くされてるよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/shishishiho/n/nb568126aaa7d
↑
それとも何か?しほ、お前、俺たちの誤解を解くためにnoteを書いたのに、俺たちはまだ誤解したままで、誤解を解けていないのか?それって、お前の文章の書き方に問題があるって事だよな?違うのか?じゃあお前が書いたnoteの意味はなんだったんだ?誤解も解けず、お前の信用は下がり、お前にとっていい事なんか何も無かったって事になるけど、お前それでいいのか?
あとな、これはあくまで外部の人間から見た感想として言わせてもらいたいんだが…「西野サロン内で信用を稼いで資金を集めて挑戦する、まず最初にカネや労働力を提供するのはごく自然な事」って、お前noteで言ってるよな。これって、俺から見れば「西野亮廣にいかに近しいか」でしかないんだが、それは違うのか?
西野亮廣本人、西野のマネージャー、そういう人がやってるクラファンは大量のカネが集まってるけど、そうじゃないクラファン…例えば、お前のやってる「プペルトラックin札幌」も、今のところは苦戦してるよな。それでお前は「会議券」とやらで「私から信用を買えばお得だよ、今後あなたが開催するクラファンにも出資するかもよ」って言ってるよな?
…それはねずみ講と何が違うんだ?お前のその理論を信じると、最終的にババを引くやつが絶対に出るよな。「労働力も資金も提供したけど、何も得られなかった人」が、いずれ確実に出てくるよな。それについてはどう考えてるんだ?
で、西野本人、西野のマネージャー…そういう「西野に近い人たち」は絶対ババを引かないよな。ババを引くのは、サロン参加が遅いやつ、「西野サロンに入っているけど、西野本人からは距離が遠い人」だよな。そういう人たちがカネや労働力を無駄遣いするのはしょうがないのか?それは経済活動なのか?
最後に、俺が思う一番の疑問点を書いて締めたいと思う。ここまで読んでくれた人、長々とありがとな。
しほ…いや、斎藤志帆さん。…お前、何がしたいんだ??
お前の目的が分からないのが、俺たちが困惑する一番の原因だと俺は思ってるよ。お前はプペルトラックを札幌に呼びたいのか?それともトラックのクラファンを成功させたっていう「信用」で、何かに挑戦したいのか?はたまた全然違う理由で、「えんとつ街のプペル」というコンテンツの良さを皆に理解してほしいのか?
おそらく、これは俺の想像でしかないんだが…。お前には何らかの挑戦したい事があるんだよな?だからクラファンやってるんだよな?それは何だ?…そして、「挑戦したい事」があるなら、何故それ自体をクラファンにしない?なんでトラックなんかを挟むんだ?俺は北海道民じゃないから知らないが、北海道の子供たちはプペルトラック来て欲しいって要望を出しているのか?プペルの映画を見たいって毎日駄々をこねているのか?需要がないところに供給しようとしてないか?
だいたい、なんでお前は今回炎上した時、西野サロン内の経済の話とかをしたんだ?そんな話はどうでもいいんだよ。チケット80枚買った奴もお前のやってるクラファンもぼったくりなんじゃねえのかってところが出発点だろ?そこでお前が言うべき事は、「西野サロン内では適正価格です」じゃねえんだよ。「プペルトラックin札幌」が、いかに素晴らしくて、いかに意味があり、いかに需要があるか、それを詳細に語る事なんだよ。お前が提供するコンテンツの質について問うてるんだよ、こっちは。なんでお前たちは誰もコンテンツその物の良さについて話してくれねぇんだよ。俺は昨日まで「プペル」は帽子の子供の名前だと思ってたよ。日本国民全員がプペルの知識持ってる訳じゃねえんだよ。まずお前らが説明するべきはそこなんだよ。
今回、俺はお前のクラファンページを何度も読んだ。お前のインターン応募への思いを綴ったnoteも、何度も読ませてもらった。それらを読んだ上での感想なんだが、俺にはお前がそこまでして札幌にプペルトラックを呼びたいと思う動機がまるでわからねぇんだよ。人はな、わからねえものに支援はできねえんだよ。「支援してくれたら、次にあなたを支援するよ」は、「支援する『かも』よ」でしかないんだよ。そんなこと言われたら、新規のサロンメンバーは内心は払いたくなくてもカネを払うしか選択肢がないって事じゃねえか。なんでそこで不自由な二択を迫るんだよ、お前らは。
あと、シルクハットの「さいとうしほが支援したプロジェクト」のページを見ても、お前が支援した人全員がお前のプペルトラックに支援してねえじゃねーか。お前の「西野的信用経済」が成立してねえじゃねぇか。お前の理論だと、お前が前払いした信用は返ってくるはずだよな?なんで返って来てねぇんだよ。
ある問題に対峙した時。
もし自分が”答え”を持っていても、”届ける”が出来なければ意味はない、
ということに気が付きました。
って書いてるじゃねぇか。まんま今の状況だよ。俺らにはお前の考えがまるで届いちゃいねえんだよ。借金してるとかしてないとかじゃねえんだよ。結局お前がやりたい事ってなんだよ。(株)NISHINOに入りたいのか?サロンメンバーからチヤホヤされたいのか?バカからカネを巻き上げたいのか?根本目的がわからねえから、俺たちは素直にお前たちみたいなサロンを応援できねえんだよ。どうしてもプペルトラックを札幌に呼びてえなら、その理由書けよ。
今のお前の書き方じゃ、「開催する権利を買ったので」「私がやりたいから」しか伝わらねえよ。『届ける』をしたいんだろ?俺たちに答えを届けてくれ。俺たちの蒙を啓いてくれ、しほ。そして俺とP機とあるを打とう
そういうところが、俺たちには全然分からない。だからお前たちのやっている事は奇妙だと言っているが、お前はよくわからない謝罪しかしないし、根本的な誤解を解こうとしない。…しほ、もしお前がこれをまだ読んでいて、かつ俺たちの誤解を解きたいと思っているなら、是非この疑問に対する回答をくれ。
(紙巻きを灰皿に押し付けて)じゃあな。
Wikipediaを読んでると圧倒的に他言語版に劣る分野というのが見えてくる。基本的なITや経済用語など、英語版にかなうことはないし、他言語版が勝ってる分野はいくつもある。Wikipediaは他言語版の翻訳が簡単にできるようにツールが用意されている。それはそれで便利なのだが、果たしてウィキペディアンがわざわざ翻訳する必要があるのかと疑問も湧いてしまう。今のWikipediaには他言語版が簡単に見られるようにリンクが用意されている。試しに開いたWikipediaの項目のページで左の「他言語版」の欄のどれかをクリックかタップしてみればいい。日本語版より詳しく記述されてるページが見つかるかもしれない。見つけたらブラウザの自動翻訳機能を使えば、だいたいの意味合いは分かる。そんな時代にあって、わざわざウィキペディアンが翻訳する必要があるのかという話だ。翻訳する暇があったら別の日本特有の項目を調べて加筆したほうがマシではないか。翻訳して日本語版を充実させるべきか、翻訳なんてほっといて日本独自のWikipediaを充実させるべきか、何とも悩ましい
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.nikkei.com/article/DGXMZO42616170Y9A310C1MM8000/
失われた20年のデフレを真逆のスタグフレーションとか言ってるこいつらね。
id:grdgs 見事なスタグフレーション。政府が見事なまでの愚者だからね。好調な世界経済のおかげでハリボテの上っ面を保てているだけ。しかし波に乗り切れずおこぼれ拾うだけのポンコツ政府。
id:I_LOVE_JAPAN id:tetora2 さん、スタグフレーションやコストプッシュインフレくらいの高校生レベルの金融知識くらいは知ってるかと思ったんだが。いや、知っててわざと煽っている…?
id:rgfx インフレとスタグフレーションも区別でけんアホtetoraのウルトラC擁護に晒し上げスターつけまくりとか、君らホント性格悪いな?/派遣使っていい業種について規制緩和してきたネオリベしぐさの結果だよね
id:yajicco 前々から指摘されてるけど、典型的なスタグフレーションだよなあ、と。
追記:
ある程度の数読まれて、いろいろと気が付かれた方も多くいらっしゃったようなのでさっさと種明かしをしようと思う。結論からいえばソーカルやユニバーサルメルカトル図法という語がもっとも的確にこの記事を表現している。
「ある本から引用した」というのがまず第一の欺瞞である。引用ではなくぼくの創作である。また「ちゃんと読める?俺は読めるけど。」は煽っただけの惹句である。
必然的に、引用と銘打ったその後の文章はすべてがでっち上げたものである。この「引用文」はシンタックスは問題ないながらも言葉の意味をデタラメに並べ書き連ねて意味ありげにしたものである。ただしいくつか罠を張ってある。最初の煽りも罠の一つであり大いに楽しんでもらえたように思う。
「引用文」のはじめに出てくる「敬虔のない状態」というのはデタラメで意味不明である。「敬虔」という言葉は神学・キリスト教史観などの語を後に出現させて煙に巻くための布石であって、ここではそれ以上の意味はない。「構造化」も「構造主義」「認識論」につながって哲学の要素を暗示するための適当な言葉である。だいたい「○○化・○○的」と言えば立派に聞こえるものだ。
「最新医療技術によっても問題提起されたこの貢献」は文の構造からみるに「神経医学における漸進的な貢献」と等価であるが、これに関して特にエビデンスはなくデタラメであるし「漸進的な貢献が最新医療技術によって問題提起される」とはナンセンスであろう。「如実に現している現状〜は自明だろう」は「そんなことも知らないの?」と煽るために付加したもので、もちろんこちらもエビデンスはなく適当である。
「エリファット=フォン=ハッシュヴァルツ」なる人物は架空の存在でありでっちあげたものだ。19世紀後半にスウェーデンから移民というのもよくある話を適当に追加しただけである。フォンやヴァルツなどの音はそれっぽいので採用した。音がそれっぽく聞こえること以上の意味はない。「あまり知られていない」「詐欺師と言われていた」と弁解しているのはググっても出てこない理由をそれらしくするための装飾である。察しの通り、Kalmia Theoryも架空の理論である。Kalmiaはツツジ科の花でスウェーデンの植物学者カルムが命名したものである。つまり構造主義とは何ら関係がない。また「構造主義の前置き」とあるが正しくは「構造主義の前提条件」などとするべきである。また、構造主義は20世紀に登場した実在の概念である。
「誤解を恐れずに言ってしまえば」というのは、Kalmia Theoryまでの大きな嘘を覆い隠すため、ろくに調べなくてもいいように逃げ道を作ってあげたものである。続く文は「神経医学においてもキリスト教史観での認識論を改めて多角的に世界を認識しなければいけないというものだ」というわかりやすそうで意味不明な文である。「キリスト教史観での認識論を改める」とはめちゃくちゃであり「欧米人が考える哲学的な何か」くらいのざっくりした暴論の衒学的表現である。「神経医学においても」とつけたのは更にデタラメさを助長したかったためである。
「経頭蓋磁気刺激法というものは磁気増幅器を使用するために神経パルス信号」は、似ている言葉を並べただけで何も関連性はない。こちらはひとつひとつの専門用語が実際に存在しているために「そういうものがあってそういうことがある」ぐらいの気持ちで読み流されるのを狙ったものである。直後の「しかしこれが危険であるか否かというのは一般的に明瞭ではない」によってなんとなく納得するように仕向けているが、結局デタラメである。そのデタラメさは、ひとつひとつの語の意味を知ろうとすれば見抜くことができる。
「ミクロ的事象」の意味はない。流れで「評価」というワードを思いついたのでなんとなく経済用語でもぶちこんでおくかくらいの気持ちで追加したものである。
最後に「問.」とあるのは最後の煽りであって、意味などないし「引用文」の中に答えがあるはずもない。心理学で言うダブルバインドに近いとぼくは勝手に考えている。
また、この文章はぼくが適当に独自に創作したものであるから英文から和訳したものではない。内容が欧米っぽいことは否めないが。