はてなキーワード: 所謂とは
どこに吐き出そうと考えて、ここでいいかと決めた。
自分がどうしてそんな決まりを作ってしまったのかを考えている内にもやもやして、どこかに吐き出したくなってしまったのだ。
少し前置きが長いかもしれない。飽きたら途中で読むのをやめてほしい。ただ、自分が吐き出したいことをつらつらと書いているだけなので、面白みはないと思う。
私は所謂、字書きだ。
一番最初の始まりは、夢というジャンルを知ったことからだった。幼い自分が、自分の名前をいれて、話に入り込めることがとても素晴らしいと思った。自分もその世界に入り込んで、キャラと共に行動したい…こんな主人公を作ったら、物語はどうなるだろう、原作で死んでしまったキャラを助けられないだろうか、なんて色んなことを考えられることが素敵だった。
そして小説を読むこと自体が好きだったこともあり、たくさん夢を読んだし、普通の小説も読んだ。その世界観を想像するのが楽しかった。
最初は読むだけで満足していた。というより、今でも出来るなら素敵な夢小説や小説を読むだけの読み専でいたいとは思っている…。
でも、ある一つの夢小説と出会って、私は自分でも書こうと思うようになってしまったのだ。もうずいぶん昔のことだが、今でもその人のお話を読みたいと思ってる。どうして、そのページしかブクマしなかったのか…昔は検索除けってあまりなかったから、キャラ+夢でよく引っかかったのだ。…もう一度読みたいけど、サイトもわからないから難しいだろう、でもいつか出会えるといいなと願ってる。
さて、話は逸れたが、それから私は字を書いた。
最初なんて、ひどかった。擬音や会話文しかない、地の文なんてない、そんな小説とも呼べないもので…実は今でも残しているのだが、読んだ瞬間、爆笑である。
それでも、楽しかった。書くということが趣味になった。読むのも変わらず大好きだった。
ただ書いた文章は世間に出すということはあまりしなかった。サイトを作ってひっそりと活動したことはある。夢というのはそういうジャンルだったからだ。ランキングとかで調べてやっと出てくるものなのだ。
そういうものだから、自分が書いた夢を表立って誰かに読んでもらうことは少なかった。それ以外にもNLなんかも書いていたから、NLは許されると思ったから色んな人が見る支部にもあげられた。ハマったCPは当時はマイナーで、増やしたいという意志で支部にあげた。そのおかげか小説や絵が増えて、同士も見つけられて、楽しく数年やっていた。
だが、それは突然だった。支部に夢をあげることが認められた…というより、夢というものが世間に見られていいものだという事件?だろうか、そんな出来事があった。たぶん、名前を言わなくてもわかるんじゃないだろうか、当時支部のランキングも夢ばかりになっていたから。
そして厄介なことに、私はそのキャラが大好きだった。
その映画が始まる前から…大好きで、色んなことを背負っている人なんじゃないかと考えていた。映画を見て、気づけば…私は思いのたけを書いていた。そのキャラに幸せになってほしい、その思いから…書いたのだ、夢を。
…支部にあげたのは、もう衝動的なものだった。支部にそのキャラの夢が上がっていたことは知っていたし、なんなら読んでいた。だから、映画がきっかけで、思考がそのキャラばかりになって…気づけば、支部の新しいアカウントをつくり、夢小説をあげた。
深夜テンションというのは恐ろしいものだ。というより衝動で、よく頭に浮かんだネタや場面を文字に打つのが好きで…そういう時は手が止まらず書ける。満足して、私は寝た…そして、
いいねやブクマがありえないほどついたのだ。そして恐ろしいことに、ランキングにも入るようになった。書いた作品は…どれも、ランキングに入るのだ。
旬ジャンルというのはすごいなと思った。こんなに読んでもらえるし、良いと言ってもらえるのかと驚いた。
評価してもらえたことも嬉しかったし、ツイッターで語り合える同士もできた。
楽しかった。
でも書いていく内に…私はそのキャラの夢を、読めなくなった。
それがタイトルにある通りだ。いつからそんな決まりを作ってしまったのかはわからない。
でも、作らなければ…万が一、それが起きてしまったらと考えたんだと思う。
”創作をしているとき、他の人が書いたそのキャラの夢を読まないことに決めた”
ネタも…できるだけ、見ないようにした。
なぜ、そんな決まりを作ったのかと言えば、ついったーなんかで見たことがあるからだ。
「これ、どこかで読んだことがある」「これ、〇〇さんのじゃないの」
そんなことを誰かに、私もいつか言われるんじゃないかと思った。創作をしている上でネタ被りはあるものだ、私は別に被ってもいいと思うし、むしろその人の考えはまた違うからぜひと思う。
だが、私が怖かったのはその人の文章をそのまま…自分で小説の中に使ってしまうのではないかと考えたのだ。
最初は自分が気をつけていれば、読んでも大丈夫だと思っていた。でも、そのキャラの夢を読んで頭に残ったそれを、無意識に自分の小説に書いてしまったら?…それは書いている相手に申し訳ないことだと思った。
すると、どうなるのか…好きな字書きの人達に感想を送れないのだ。支部にあげる前から読んではいたから、その人の夢は好きだった、読んだら素敵だ!と思うのは間違いない。でも、その決まりのせいで…大好きだった人の文章に、言葉をかけられなくなった。
それでも読むことはあった、そういうタグが流行ってもいたから…そういうときは、絶対にそういう話の流れは書かないように意識して書いた。
…でも、そうすると書くのが大変なのだ。
衝動的に書くことが多いから、そういうことを考えると辛くなって…それならやっぱり読まないほうがいいと結論付けるのだ。
それって楽しいことなのかと考えることも多くなった。書くことは楽しいが…それと一緒ぐらいに読むことも大好きなのだ。だから、読めないというのはきっとストレスにもなっていたのだと思う。あと、大きいジャンルだからこそ人付き合いも色々あって…精神的にも辛くなり、私はそのジャンルから離れた。
離れたし、そのキャラの夢も書かなくなったのに…なぜか今も読めないままでいる。
嫌いになったわけではないと思う、でも…色々あったからなのか、読みたいという気持ちがない。
それがなんだか悲しかった。
あんなに大好きで、書きたかったし読みたくて仕方なかったキャラの夢が読めないのだ。
どうして、私はこんな決まりを作ったのだろう。
今もそのせいで…私は、新しくハマったジャンルの夢小説は読めなくなった。
数が少ないというのもあって、増えてほしいという思いで書き始めたが…その代わりに自分はその夢を見れなくなるのだ。
めんどくさい決まりのせいで、私は…好きな夢をあきらめなければいけない。
ああ、もっとうまいことできれば、楽しく創作できるのだろうか…それとも読み専でずっといるべきだったのかと考えるが…書くのも好きなのだ。
そんなめんどくさい自分に嫌気が出てくる。
ただ、今回こそ、自分が書くことをやめた後は…楽しく読めるようになっていたい。
あんなことできるこんなことできる、確かに事実なのだろうが、そんなことが出来ているのは結局のところエリート採用された上澄か、所謂大都市の拠点支店に初任で配属された一部の人間ばかりだ。自分をはじめとした圧倒的大多数は地方の、さらに片田舎の支店に配属され、一生同じような仕事を繰り返すことになる。まさに歯車と言っていい。尊敬していたかなり年上の先輩は「手をあげ続けてきたけどチャレンジすらさせてもらえなかった。」とかなんとか言って他所に移って行った。研修に行けばいつ辞めようかあいつはもう辞めたと言った話ばかり。
とは言え楽しそうに仕事している人がいるのも事実。10年目ともなると担当先も案件のある先が増え、仕事もある程度自分で回せるようになり、それなりのやりがいを覚えるようだ。若手で楽しそうに仕事している人は稀だろう。大概は支店の、誰も持ちたがらないような先を持たされて疲弊している。若手で楽しそうに仕事している人間は、本当に案件と同僚に恵まれたか、よほどの営業の才能があるか、あるいはただの馬鹿だ。「これまで誰も掘れなかった先を持ってるんだぞ。やりがいしかないだろう。」本気でこう言ってきているのなら余程の呑気であるし、闘魂注入のためであればこれも余程の呑気だろう。
外回りしろ、じゃないんだ。準備してから訪問しろ、じゃないんだ。どこに何が書いてあるのかわからないような手続き書と睨めっこしながら通常の事務をまわしつつ、好き勝手頼まれる雑用をこなしつつ、誰もやりたがらない支店のお荷物先の対応をしてるんだ。いつ潰れるかもわからない会社でご奉公なんて時代じゃ今はもうないんだ。
銀行の採用は実に卑怯である。上の人間が仕事に集中できるように若者を使い捨てている。雑用を、前の世代の尻拭いを、無駄に抱え込んだ不採算先を全て若手に押し付けるために、キラキラした「バンカー」を喧伝し、これまで大量採用を続けてきたに違いない。徐々に減ってきているとはいえ今もそうだ。離職率を見ればわかる。そして生き残った人々が自覚か無自覚か知らないが同じことを続けていくのだ。僕は事務屋さんではない。20代をこんななんのスキルも身につかないような場所で終えたくない。3年で身についたのは「おっしゃる通りです。」「申し訳ございません。」のスピードだけだ。財務もエクセルも英語も、何もわからないまま。仕事は書類を擦り出して一枚一枚丁寧に付箋を貼って、上司の印鑑をもらうだけ。親が泣いているぞ。
給料。世間的に見れば〜という話もあるだろうが、自分の周りを見れば圧倒的に低いと言えるだろう。聞いた話では若手の給料は庶務さんと同じ程度だそうだ。ことによれば事務のお姉さまよりも断然低い。「私たちには責任は取れないので、そちらで判断してから持ってきてください。」だったら判断の分だけでも俺の給料を上げてくれ。もちろん堅確な事務は車の両輪の如く大切であるのは間違いない。ただ、どこまで行っても若手は事務処理要員の一つとしか見做されないのだなあと思うとやりきれない。
銀行は業界も内部の人間ももうめちゃくちゃだ。銀行に限った話じゃないのだろうけれど。
業界はお互いにお互いの首を真綿で締めあっていると言える。採算度外視の金利競争。地方は地方でズブズブの企業・人間関係。じゃあ今度は金利じゃ儲からないから手数料だ。収益を上げろ。そうして投信を売る。かつてはゴルフ会員権を売った銀行もあったそうだ。流動性が桁違いなので全く同じとは言わないが、似たものを感じる。顧客第一主義とは何か。本部から還元される資料には必ず「切り返し話法」が載っている。洗脳と変わらないじゃないか。
内部も内部だ。本部の言うことは一貫していないし、表彰のルールだってややこしい。あれしてこれしてこうして下さい、分厚いルールブックを配られて、それでもよくわからないことだらけ。皆が上席に忖度して媚び諂っている。風通しが良いふうを装っているあるいは本気で信じている上席はいるが、結局のところは自分の意見が正しいのだ。誰も自分の意見は言わず、本人のいないところで愚痴を言うだけ。
「やめられない」のは一番悪いところかもしれない。今やどこの支店もセコムやらアルソックやらを導入しているのに、いまだに金庫内のキャビネットの鍵すら丁寧に施錠している。セコムが破られて、分厚い金庫まで破る相手にキャビネットの鍵がなんだと言うのだ。そう言う決まりだから。これで終わりなのだ。鍵の開け閉めに一日30分はかかっているのに。朝礼も無限に長くなっていく。と言うかそもそも毎日朝礼する必要があるのか?あれもこれもとコンテンツを追加していって、結局始業の時間ギリギリになっている。知っていると思うんだけど、時間は有限だぞ。
仕事の仕組みも散々だ。手続き書に全てが書いてあるはずの銀行業務は、確かに全て書いてあるのだが、各所に分散していて、そこを参照すればいいのかは経験に強く依存している。ある業務を行うにはこの手続き書と、別の手続き書と、あの通達と、どこにも書いていないあの様式の書類を添付する必要がある、なんてのはザラだ。掲示板もいくつもいくつもいくつもあってまるでキメラのようだ。
この原因はおそらくデジタル化の勘違いからきていると僕は考えている。要はかつて銀行業務にパソコンを導入した人たちは「紙でやる業務にワープロを導入した」世代で、上にならえの我が業界人たちは長いことこれを踏襲してきているから不便なのだ。
定型的な業務であれば全て一つのシステムで、一気通貫に、指示通りの動作を行っていけば約定・実行まで終わるようにできて然るべきだろう。いくつもいくつもシステムがあって、それに対応するようにいくつもいくつもパスワードがあって、結局皆覚えきれずに手帳なりノートなりに一覧を作って管理している。何もかも無駄である。銀行にはこれを改革することはできない。お客さんには新しいシステム!を案内しておきながら内部でやる事務はなんら変わっていないどころか手間が増えていたりする。これじゃできの悪いハリボテである。採用もそうだが外面だけ立派で中は人を消耗するボロボロのシステムが銀行である。偉い人々はもう使うことがないから忘れているのだろうが、次世代金融どころの話ではない。そういった妄言はまず中身を整えてから、せめてそういった姿勢を見せてからだろう。若手はもう限界だ。文句を言うくらいなら手続きを覚えろと言うのは全くその通りであるが、人材の流動性が高まろうといった現在、手続きと言うある意味本質的でないところで時間を取らせる現在のシステムのままでは人材の受入はできないだろう。
銀行人材を斡旋すると言うニュースがある。世間がどの程度銀行人材を誤解しているのか知らないが、その太宗は大したスキルのないおじさんたちである。排出は考えるが受入は考えない、いつまで殿様のつもりなのだろう。銀行は働き方改革などと言う訳のわからない施策を講じる前に仕事の仕組みを改めて整えるべきだろう。
サービスが大事だと偉い人は言う。寄り添った提案が大事だと。僕はそうは思わない。これは特にリテール分野の話ではあるが、真に投信等に関心があれば手前でやるのだ。それも手数料の安いネット銀行で。ソニー銀行は口座開設から何から便利だし、楽天銀行はUIは流石楽天あまり良くないが結局便利だ。僕自身のメインバンクもネット銀行だ。寄り添った提案なぞ今働く世代にはできっこない。どうせ同じ時間帯で働いているのだ。寄り添った提案、結局のところ金持ちや年寄りに媚びて情に絆すだけのサービスに過ぎない。フローチャートを細かくすればそれこそネットで出来ることだ。
日本は多くの人が銀行口座を持つ珍しい国だと聞く。この傾向は続くだろうがそれはネット銀行に偏るだろう。店舗型の銀行は今のままでは本当にただコストだけ抱える過去の遺物に成り下がるだろう。いっそ法人と個人を全く別の銀行にしてしまえとさえ思う。そっちの方が余程効率がいいだろう。
偉い人曰くサービスが大事なのは銀行が同じような商品を取り扱っているからだと言う。確かにそうだ。特に法人分野はその傾向が強い。担当者の能力に依るものは大きい。一方で個人分野では少し違うんじゃないか、見落としがあるんじゃないかと思う。
我々商業銀行は商業銀行であるが故に、もっとブランドを意識するべきだろう。それは金持ちや年寄りに対する温い媚びのサービスであってはならず、どちらかと言うとアップルカードに連想されるような、スマートな商品開発だ。キャッシュカードやらスマホアプリやら、実は銀行には他行差別化の図れる商品がいくつかある。保有して人に自慢したくなるような商品の開発こそ、何も捨てられない銀行がいつまでも大衆の銀行であるために必要なことだろう。
なんだってやるべきだ。いつまでもジャケットを着てるのではなく、ポロシャツを着て街に出るべきだ。銀行がタイアップしたカフェやらコーワーキングスペースやらをもっと作るべきだ。せっかく無駄な資産をたくさん持っているのだから。無形の価値を、ブランドを、高めて向こうからやってきてくれる銀行になるべきだ。〇〇BANKがお洒落でスマートの代名詞になる日がくればいい。BANKの語源の確かなところは知らないが、いずれにせよ皆が腰掛けることのできる公器たるべきだ。因みにポロシャツはエスカレーションラダーを増やすといった意味でも是非とも推進するべきだ。普段がカジュアルであるからこそスーツがより際立つのだ。振り切りが大事だ。年寄りと金持ちには徹底的に媚びよう。大理石造りの基幹店を作ってもいい。マホガニーかなにか高級な素材を使った店内で、徹底的に厚遇すれば良い。そしてブランドで大衆を惹きつけよう。認知なくしては居ないものと同じなのだ。
思うがままに書き連ねて、推敲すらできていないが、日々感じるストレスの中、間も無く来るであろう異動を思い、こんなことを書いてしまった。
普段の業務ではこんなことできない。つまらないオトナ達が上の顔を見ながらクソみたいな施策を出してくるのを見守るだけだ。
仮にこう言う仕事ができるような年次になった時、おそらく僕もそういったクソみたいな大人になっていることだろう。
人事へ。探さないでください。なんだかんだ言って僕はまだクビにはなりたくありませんので。辞めるまで待ってくれよな。
何もできない若手の、根拠もない取り止めのない妄想である。これを根性のない若手と切り捨てるのは容易だ。僕でもそうする。ただ、そうして肥大してきた結果が「必要とされない銀行」であると言うことは偉い人は強く認識するべきだろう。だから、少しでもいいから真の改革の姿勢を、我々が充実して働けるような未来を見せて欲しい。何を言ってるのか自分でもわからなくなってきたな。いつかもっとまとめて書くこととする。
誰かに読んで欲しいというより匿名で吐き出したいだけなので読みやすさは考えていないし、探せば同じような文章はどこにでもあると思う。
そして書いてる現状では、やめるか、ログイン勢になるかでまだ揺れている。
とりあえず、数年間毎日ログインが途切れることなく、イベントも全て参加し、課金も数十万はしたソシャゲがある。一年前なら辞めるなんて考えもしなかったくらいにハマっていたゲームを何故やめたいと思ったのか。
数十万課金したと言ったが、一応計画的に課金していたので自身の生活が脅かされるような状況になったわけではない。そしてこのゲームに関してはガチャ運が良く、最高レア排出津や課金額に対してリターンは大きかったように思う。
普通ならガチャ結果が良ければそれだけでモチベーションになりそうなものだし、今まではそうだった。このゲームのストーリーも普通に好きだったし、「推し」はできたが嫌いなキャラはいない。ゲームシステムは正直イマイチだったけど、辞める程の理由ではなかった。
でもある時ふと思った。
メインストーリーはまだしも、イベントやサブストーリーも含め、最後に推しをまともに見たのはいつだったっけ…?
推しには所謂アナザーバージョン…「闇落ち」とか「並行世界の同一人物」とか「あり得たかもしれない可能性」とか、そういう「一見推しだけど推しとは別キャラ認定」のキャラがいる。
察しのいい方はもう分かると思うが、まあ、そう…推し本人より別バージョンのキャラの方が出番が多いのだ。(運営からしたら同一人物なのかもしれないが、多少なりとも性格や取り巻く環境に差異があり自分としては別々のキャラとして捉えている)
自分は何かにハマるときマイナーなキャラクターを好きになりがちで、出番がないだけでは「いつものことか」程度である。しかし、今回の状況は堪えた。
・運営的には同一人物なので、推しには十分出番が与えられているという認識になっていそう
・キャラクター数がそもそも多い(現在も増加中)。元々どのキャラも出番が回ってきづらい
・たまに出番が来たかと思いきやシナリオはおまけのようなイベントストーリーだったりする
別バージョンキャラも好きなので、はじめはそっちの出番の多さにも喜んでいたが(ここまでゲームを続けてこれた理由でもある)、そもそも一番好きなのはアナザーでない「推し本人」なのである。
メインとまではいかなくとも、推しが活躍する話が読みたい。でもキャラクター数が多いこのゲームのファンには「別バージョンの出番があるだけマシ」と言われそうだ。違うんだ、同じだけど同じじゃないんだその人は…。
推しはサービス開始はじめの方から実装されていて、サブストーリー的な要素も遥か昔に出そろってしまった。しかもゲームが長期化した現在、新キャラと比べると内容がかなり短く薄い。追加や加筆もない可能性の方が濃厚だ。
メインストーリーの内容から予測するに、恐らく今後も大した出番はないか、またアナザーバージョンのキャラに食われるだろう。ヘタしたら更に別バージョンのキャラが出来る恐れすらある。
このゲームは新キャラは増えるが実装済みキャラへの新要素の追加は絶望的だ。(ないとは言わない。やはりキャラの母数が多すぎるのだ。)
そしてやっぱり、推しの別バージョンへは新要素追加があったのだ。
おけパ中島というか、別ジャンルに移動した絵師に並々ならぬ思いを持つ方々の増田を読んで思った話。
まず第一に私は二次創作の畑にはいない。一時期はいたけれど、どうにもハマれずすぐに撤退してしまった。
じゃあ何のオタクかというと、所謂Twitter企画とか、うちよそとか、そういったもののオタクだ。
昔から何故か版権よりも誰かもしくは自分の創作物にしかハマれないタイプで、時たま流れてくる学級会なるものも対岸の火事とばかりに思っている。そういう人間。
だから流れてくる増田も、版権は大変だなあなんて思いながら流し見をしていたわけだけれど、よくよく読んでみると私も同じじゃん。となり今に至る。
《うちよそにハマると長いんだこれが》
Twitter企画、これが分からないひとには申し訳ないけどもTwitter企画の話。
大体無期限企画なんかは半年持てばいい方、もって3か月なんて認識をしているが、私は大変なことにハマると平気で年単位引きずる。
グッズも作るし最悪本も出す。
そしてそれは大抵の場合、うちよそ相手の方と釣り合わない熱量で、本当のことを言うと段々と相手が冷めていくのを感じながら創作をするのは寂しい。
かといって例の増田の方も言っていたように「別ジャンル(この場合はうちよそ)に熱量が移ること」は責められることでもなければ仕方のないことなのだ。なんだか、例の増田を読んでいるとあながち笑えない感情だな一緒だななんて思ってしまって辛かった。
相手の日常を追う程ではないし、毒マシュマロなんてしようと思ったこともないんだけど、それでもおそらく一番そのジャンルを楽しんでいた相手が離れていくのはどうしても悲しくて。自分の気持ちを振り返ると、一連の匿名日記を見過ごすことが出来なかった。
これはそういう日記。
《ただ迷惑をかけたくないだけ》
そんなの重々承知の上で楽しんでいるが、版権とはまた違った問題がうちよそにはある。
いくら自分が楽しんでいるだけで相手が書かなくなるのは構わないと思っても、「自分が楽しんでいるだけで相手に精神的負担をかけてしまう」ことだ。
版権ならキャラは相手のものではないのだし、沢山描いたところで……という話だと思う。違ったらゴメン。
うちよそは相手がいるのだ。キャラは誰かの創作物で、誰かの創作物を借りて描いているのだ。
「あんなに沢山描いてもらってるのにお返しが出来なくて申し訳ない」だなんて思わせてしまうのだ。ただ一人で楽しんでいるだけでも。ていうか作品書かなくてもツイートで語っているだけで負担だと思う。私だってそうだ。全然大丈夫です!!なんて嘘になる。
ほんとにつらい。これにしかハマれないのに好きなものを好きでいるだけで、自分の好きなものを生み出してくれた大好きなお相手様に迷惑をかける。あ~あもうやめたい。なんと軽く十年ほど止められずにいる。もうヤダ。
どなたか、上手い気持ちの処理方法をご存知の方が居たら教えてください。「うちよそにおけるおけパ中島案件」で毎日エゴサするから。ほんとお願いします。
タイトルでわかると思うが、男性キャラ同士のカップリングとそこにおけるボトム側にあたるキャラの女体化についての話をするので、苦手な人は気を付けてほしい。
私はリバ大好き腐女子だ。
受け攻めはジャンケンで毎日決めればいいと思うし、なんならジャンケンで決めたのもだんだん盛り上がって関係なくなって両方が両方に入れたり入れられたりしてると大変興奮する、そういうタイプの腐女子だ。
「そんなに左右に頓着しないなら、地雷も少なくてさぞ生きやすいだろう」と思われる人が居るだろう。実際私もそう思っていたし、地雷が多い人は大変だなあとのんべんだらりとTLや支部からありがたくご飯をいただいていた。
が、最近どうにも食べられなくなっているものがあることに気づいた。最初は性癖も寄る年波には勝てないのかと(全く関係ないが、最近油物がきつい。全く消化できないのだ)笑っていたのだが、どうもそうではない。これが所謂地雷らしいと気づいたのは、直近でハマったカップリングで「受けの女体化」を見た時である。
嫌いな人もいるだろうが、私は好きだ。女体化には色々タイプがあると思うが、元のキャラらしさを残しつつ美しく、可愛く、かっこいい女性になっているのを見ると、「わかる〜めっちゃそうなりそう〜」とあかべこのごとく首を振り、デザインセンスに脱帽する。そもそも美女や美少女が大好きなので、女体化自体は嫌いではない。逆も然りで、美少女や美女の男体化も好きだ。顔がいい人間は性別どっちでもいい。
先述したが、私はあるカップリングにハマった。仮にこれをA×Bとする。
この二人は親友同士だ。
Aは美形の男性である。中性的な顔立ちで、色が白く、髪の毛も長い。天才だが、天才キャラに多い少し生活能力がないタイプだ。あまり男らしいキャラではないが、Bよりは高身長だ。
Bはいわゆる兄貴系のキャラだ。A以外にも色々なキャラの世話を焼いている。みんな困ったら一度は彼を頼りにするようなキャラで、健康的な肌色で、顔の作りも整ってはいるが、Aと比べると男らしくあまり華やかさのある顔立ちではない。
私はまずABを検索するが、その直後に同じ回数BAも検索していた。私には二人の関係性が大事で、左右はどちらでも構わないからだ。ABを主に好んでいるのは、グッとくる作品がそちらに多かっただけの事である(思えば、この辺りで既に答えが出ていた)。
ある日、BAを摂取しようとツイッターで検索をしたところ、よくBAについての妄想ツイートをしているらしい人が現れた。検索画面の最新ツイートは、ほとんどその人のツイートで埋まっている。
私は作品を見るのも好きだが人の妄想を見るのも同じくらい好きなので、嬉々としてそのツイートを読んでみた。
……………最初は楽しく読んでいた。だが女体化の話が15個以上並んだ辺りから、違和感を感じた。読んでいくうちに、A♀のビジュアルが彼女の中でハッキリしていることはわかっていたが、そのビジュアルが私の思うものとかけ離れているからであった。
彼女の思うA♀は、巨乳で背が小さく華奢な女性で、身なりに頓着しないからよく際どいことになっている……そういう少年誌のラブコメでよく見るような感じであるらしい。
実はこのタイプのA♀のビジュアルデザインは、支部でも割と見る事が多いタイプだ。そもそも女体化の数が多くないので多いといっても微々たる差であるが、スレンダー美人系よりは数が多いように感じた。そうしてそういう巨乳のA♀は、多くの場合BAの人の手によるものであった。
私はラブコメでよく見るタイプの巨乳キャラは好きだ。メリハリボディ、大変素晴らしいと思う。だがそれがA♀かと問われると、首を傾げたくなった。
身長を巨乳に換算するのはCOC探索者のSIZでもあることだ、理解はできる。だがAは薬物中毒の経験がある(そしておそらく今も服薬している)不健康なキャラである。仮に巨乳であっても、そんなきゃるんとしたような行動をするか?健康的なラッキースケベ展開があるだろうか?
たまにならいいだろう、そういうところも見てみたい。わかる、そういう妄想は私もする。
だが四六時中そんな状態になるか?それはもう、A以外の何かではないか?
……そう思うほど、限界をとどめていないような扱いをされていた。そしてその扱いは、BAにおけるAの扱いとして多いものだった。
BA界隈で声の大きい人々のAは、様々な要素をモリモリに盛られていて、私には転生成り代わり夢小説に見えた。
BAのAがAとして見えるものは私には少なく、徐々に検索する回数が減っていった。
(誤解のないように言っておくが、私は腐女子と夢女子を兼任しており、転生成り代わり夢小説とかも大好きである。決して夢小説を否定する意図はない。)
花京院典明が空条承太郎とカップリングを組まされ、受けになるときによく見受けられる現象である。
絵柄の問題もあるが、過度に華奢に、あるいは可愛らしく、いわゆる「守りたい女の子」のようになっているものだ。
地雷はほぼ無いと言っていた時でも、これだけは受け入れることができなかった。それぐらい苦手である。
これまではキャラ崩壊故に苦手なのだと思っていたが、「受けの女体化」が苦手な原因は、このpixiv院を苦手な理由と合致していることに気付いた。
この「女性」というのは、可愛らしく、小顔で、色白で、華奢で、重いものが持てなくて、甘いものが好きで、髪の毛が長くてふわふわな、2000年代より前の少女漫画では必ず見たようなタイプである。
突然だが、ジェンダーの話をしよう。
私はXジェンダーだ。腐女子だと言ったが、肉体が女性として生まれたからそう呼称しているだけであり、神の作品を読んでいる時などは完全に男性の気持ちであったりするし、普段の生活においても己を男性/女性と固定して考えたことはない。常に男性と女性を行き来するような、或いは己に性別が無いような心持ちで暮らしている。好きになる相手は男性女性あるいはトランスジェンダー関係なく、好きになった相手を好きになる。
なので、実生活でも「女なんだから」と言われると、眉をしかめずにはいられない。痴漢などに遭うと、己を「女性」として固定化された上に性的に搾取されている不快感は耐え難く、殴りかかったら過剰防衛扱いされるような現状に怒りのあまり涙が出る。
「受けの女体化」は、そういうテンプレートな「女性」にされる事が多いのだ。
ABよりもBAで受けの女体化を多く見るのは、おそらくAが「長髪」で「端正な顔立ち」で「色白」だからだろう。
「長髪」で「端正な顔立ち」で「色白」だけが女性の条件ではないというのに!
そうして女体化すると、男性の時よりも力が極端に落ちたり極端に身長が縮んだりするのである。
最悪としか言いようがない。
受けの女体化といっても、バラライカやインテグラや哀川潤や禍燐のようになるのであれば巨乳でも構わなかった。あるいはパリコレのショーモデルのようなスレンダーで性別をあまり感じさせないような、はたまたボディビルダーのような作り込まれた肉体などでもよかっただろう。あるいは食べるのが大好きでふっくらしている子でもよかった。そういうバリエーションに富んだ女体化は大好きなのだ。
だがキャラ全員を女体化するのでなく受けだけを女体化すると、多くの場合判を押したように軒並み「守りたい女の子」になる事が多いのは何故なのか?
挙げ句の果てには「女体化したら結婚して一緒にいられる」?「子供が産める」?
結婚しないと一緒にいられないのか?
同性は結婚出来ないのか?
確かに日本では法としては整備されていないが、近頃はパートナーシップ制を導入している自治体も多いのに?
入籍せずとも、幸せな暮らしをしている事実婚のカップルも世の中にはいるのに?
あなたのその理論は、女体化して結婚しなければ一緒にはいられないという事だ。女性は結婚したら必ず子供を産むという偏見だ。AとBは男性同士では一緒に居られないということだ。長年親友として連れ立ってきたAとBを、まるっきり否定する理論だ。
彼らは男同士では、幸せになれないという事だ。
そこまで深く考えてのツイートではない、といえばそこまでである。だがそういうツイートほど、無意識の考えが透けるものだと思う。
「受けの女体化」やpixiv院化が嫌いなのは、テンプレートのような女性像と、結局のところ男女カプとしてしか男性キャラ同士のカップリングを見ていないように感じるからだ。
例としてBAでの女体化をあげたが、ABでも同様の女体化がこれから出てくる可能性は大いにある。そうなった場合、おそらく地雷の中から好みの女体化を探す手間と、女体化そのものを弾くことを天秤にかけるだろう。
その時、どちらかを選択することになるのだろう。だが、今はまだ私は「受けの女体化」が嫌いで済んでいる。
ここまで長々と読んでくれた上で、少しでも何か感じる事があったならば、是非女体化にはバリエーションを持たせてほしい。
「イイ女」は一人きりではないのだから。
てゆうかどうせやるなら両方にょたにするか攻めをにょたにしてペニバンでケツ掘られてる受けを見せてくれよ!私は膣に入れられる様じゃなく腸に入れられる様を見に成人指定作品を探したんだよ!!粘膜違いです!!
書き忘れていたが私は生産するタイプのオタクなので、今やっている原稿が終われば何かしらのカウンターをしかけようとは思っている。思っているがしかし逆カプの為に労力を割くのか?という気持ちがあるんだよな
それと誤解のないように言っておくが、私は何もテンプレートな女体化をやめろと言っている訳ではない。バリエーションを増やせと言っているのだ。そこは間違えないでほしい。
女体化の解釈違いの話をしてるのに違う話してきたりAもBも異性愛者って言ってないのに勝手に異性愛者だと思い込んでカップリングにしてる時点でキャラ崩壊では?みたいなのは今求めてないです、文章中にないことが含まれてる選択肢は不正解だって国語で習わなかったんですかね?
おそらくそんな人間世界にごまんといるだろう。そういった人々のニーズに合わせて声優はどんどん表に出てくるようになってきたように思う。
ほんの一昔前まで声優が地上派のTVに顔出し出演するだけで界隈は騒ぎ、声優のCDが一般のCDランキングに紛れ上位に食い込んでいたりすれば祭りだった。
それが今では当然のように目にするようになり、声優という職業が表面化し人気も知名度も上がり、もはやアイドルに近い存在に扱われるようになったのは誰の目から見ても明らかだ。
ラジオを聴き、CDをはじめとするグッズを買い、追っかける。典型的なアイドルファンと何ら変わりない活動。
それに応えるように、声優自身を目にする機会はどんどん増えていく……ほぼ毎週どこかしらで声優のライブやイベントがいくつもやっているのなんてザラ。どんどんハマる私。
『みなさんへ大事なお知らせ』
昨日まではみんなのもので、それにファンは付き従ってきたのに、今日からは1人のものになるという宣言。
「いいじゃないか良い年してるんだから結婚くらい」「結婚は祝福すべきもの」
という意見もあるだろう。確かにその意見は間違いではない。しかし私はショックを受けるのである。
「嫌ならもうその人と関わらなければいい」という人もいるだろう。
しかし私は、前述の通り子供の頃からのオタクである。今更ゲームもアニメも辞めろというのは土台無理な話だ。
その通りである。しかし、アイドルは結婚する前にアイドルを引退するのが常であり、結婚後はアイドル的な活動を行わないことが多いので目に触れないようにするのは容易なのだ。
結婚したって、売れっ子ならガンガン新作アニメや新作ゲームに登場するし、何年経っても魅力的な若くてかっこいいor可愛いキャラを演じようとするのだ。
なまじ中の人のファンになってしまったからには中の人を意識せずにはいられないのである。
その度に、妬みや嫉みに近い感情が沸いてしまう矮小な人間なのである。
特に声優同士の結婚は堪える。「あぁあぁの作品演じてる時に出会って付き合いだしたんだろうなぁ」と思うとやるせなくなって、好きだった作品なのにもう見返す気にもなれなくなってしまった。
アニメやゲームは二次元の仮想の存在で、声優は現実の存在だから区別すべき
しかし今後何年も先の、アニメやゲームにその声優が出ると条件反射で拒否反応を起してしまうことは想像に難くない。私は少数派の意見だろうか?
こんな思いをするなら、声優が結婚報告をする必要があるのか? こんな思いをするなら、声優はずっと結婚を隠し続けてくれた方が良いのではないだろうか?
実際、昔の声優はキャラのイメージを損ねるなどの理由でTVに顔出しNGを出したり、結婚しても非公表な人も多数いた。
だが、昨今は声優の結婚報告ラッシュ。恐らくスキャンダルされるくらいなら公表しとけという事なんだろうが、さすがにあまりにも多すぎる。
政権与党にはほとほと失望してるし期待もしてないから、野党にはもっと議席を拡大して政権交代は難しくてもせめて圧力をかけて政権の危機感を煽ってほしいと思ってるよ。
今のところそれがプライオリティとしては最上位だから、諸々イマイチな部分には目をつぶって野党に票を投じ続けてる。死票バンザイ。
でもはてブで与党批判コメントは殆どしない。所謂はてサの面々がブコメ全部遡ってこぞって星付けてくるのが嫌だからな。
くだらないと思うか?理由を教えてやるよ。以前俺のブコメをブックマークして曲解中傷コメント付けてきたはてサ野郎のIDが通知に表示されるのが嫌で嫌で仕方ないからだよ。
やった方は忘れていて能天気に星付けてくるんだろうが、やられた方はずっと覚えてるからよ。あいつら普段は自分たちはさも高潔で立派であるかのような態度だが所詮そんなもんだ。そうやって日頃の振る舞いで恨みを買ってるってことをしっかり覚えておけよ。
*
(つか非表示にしてるんだから通知でも非表示にしてくれよはてなさんよ そしたら俺だって文句言わねえよ 棲み分けさせてくれや)
*
まあそれはそれとして都知事選は難しかったわ。小野は割とまともそうだったが「維新」の文字列を見ると失神してしまう体質なので結局宇都宮に…
餃子は論外。アホ与党と同じレベルになってどうすんねんアホ共がよ
支持政党ではないが与党とは違う真っ当さを期待してた分余計にガックリきたわ
あと隠す気のない伏字で王将持ち出したのも姑息で嫌だったわ…貧乏学生時代はたまに豪遊したい時のご馳走だったからよ…
まあこれを責めるなら与党の不祥事を責めろという気持ちは分かる。
だが俺もお前も全てのニュースにコメントすることはできないし、する義務もないし、誰かにそれを強制する権利もない。
他者をコントロール下に置きたいという人間の根源的欲求を完全に断つことはできないが、一歩分距離を置くところから始めよう。それについては俺も頑張るわ。
*
例えば、あるコメントや記事に対する反論や批判は一定の範囲内において許容されるべきだが、「コメントしていない人」を引っぱり出して罵倒するのは明らかに行き過ぎだろう。
つか何かある度いちいち「はてサだんまり」だの「ネトウヨだんまり」だの不毛すぎんだろいい年こいていい加減にせえよお前らというお気持ちがありますわよ。
*
政党には当然広報担当がいるんだろうが、餃子とか首相の犬撫で動画とかが通ってしまうあたり与党も野党も本当に内輪ウケの支持しか見えなくなってきているのかもしれん。
これがエコーチェンバー?サイバーカスケード?知らんけど、そう言う俺たちもきっとどこかのカスケードを手斧片手に漂ってるんだろう。
ただまあ、あの一連のツイートを内輪ウケと自覚してやってるんだとしたらいよいよおしまいだとは思う。さすがにそんなことはないと思いたいのでちゃんと反省して?
10年くらい前の政治家たちがおっかなびっくりツイート始めてた頃を思うと隔世の感があるね。
・意味のない伏字、隠す気のない伏字はかえって印象が悪い(ex. 「餃子の〇将」「はて〇ブック〇ーク」)
・はて〇ブック〇ークにおいて、コメントを残すかどうかは本質的に自由
・餃子は焼/揚/水問わずいついかなる時も美味であなたの味方である
以上
光の戦士、いわゆるヒカセン。
仮面ライダーBLACKRXの処刑ソングのほうではない。クリスタルのほうの光の戦士だ。
その中でもファイナルファンタジー14の光の戦士になれなかった私のこぼれ話。吐き出さずにいるのがつらいので書いていくことにする。
SNSで仲良くなった人たちが楽しく遊んでいたFF14。これまで私は気になりつつも画面共有で見せてもらうにとどめていた。
理由はいくつかある。最も根深い理由は後で話すが、フランクな部分から言うと自分が廃人になる確信しかないことだった。
実際、いま私はフリートライアルでヒカセン若葉をしているのだがやるべきことをほおっておいてずっとエオルゼアの世界にのめりこんでいる。朝早起きしてエオルゼアに行き、夜寝る前に10分だけエオルゼアと言って3時間している。
光の戦士になってるじゃないか!と思う人がいるかもしれない。これは世界を救えない光の戦士の話なのである。
話を戻すと、私は隙あらばネットゲームをしようとしてしまう。ちょっとだけのつもりでも世界はめまぐるしく変化していくので楽しいことがあまりにも多過ぎる。現実でも何かしら変化はしていくがゲームほどではない。
狂ったようにゴールドソーサーのアスレチックを上りながら毎日を過ごしている。ここだけを話すといつ課金しだしてもおかしくないくらいにはまっているように思える。
だが、実際はきっとそうではない。私は世界を救えないのだ。
世界を救えない。つまりはメインクエストを進めることが出来ない。いくつかある躊躇っていた理由がこれ。
メインクエストにはダンジョンないし討滅戦がある。私はこれが本当に心の底から嫌いなのだ。
そりゃ誰だってそうだろと思う。でも私の話を聞いてくれ。私は自分でも病的に思うほど人の迷惑になることが嫌なのだ。
ログイン当日から自分のことを見守ってくれている人はダンジョンや討滅戦は最初のほうは行くの怖いよねと励ましてくれるが、私は「失敗すること」と「それにより第三者の時間を浪費すること」が怖いのだ。
それでもやさしい人たちに囲まれてなんとかダンジョン3個と討滅戦、あとメインに関係ないダンジョンにまで行った。
正直たのしかった。ヒントや解説をしてもらいながら、そして所謂「若葉の悲鳴」を笑われながら一生懸命進んでいくのはたのしかったしおもしろかった。こうやって先輩たちに背中を押してもらいながら進んでいけるなら製品版に進むのは十分に有りだとセールの日を狙い始めた。それでもセールの日を狙っているのは購入する理由を求めているからである。たまにSNSの知り合いたちが「誰かパック買うから漆黒やってくれ」と発言しているのを横目でみながら「いっそ本当に買ってくれてもいいんだぞ?」などと心の中で思ったりもした。言わないけど。
そんなかんじで少しずつ戦闘になれてきたころ、私にとっての事件がおきた。
とある夜、日付が変わった頃に所謂レベルレという1日1回行ったことのあるダンジョンに行けるというものに2~3組がいけるような人数で通話をしていたので行こうという話になり適当に分かれて参戦した。私はまだ20レベルまでのダンジョンにしかいけないので申し訳なく思いつつ仲間に入れてもらい、見守ってくれていたAさんと組がわかれてしまったことを不安に思いながらダンジョンに向かった。場所はどこだったかな、サスタシャでないことしか覚えていない。1回しか行ったことのないダンジョンで、ギミックはとうに忘れていた。
まぁ、出るわ出るわボロが。ボロッボロである。無言でスタスタ行ってしまう3人を眺めながらそれでも自分の役割をこなそうと一生懸命がんばった。実際、誰も死なせなかったから幻術師としては上々だったと思う。攻撃もしたし。だが完璧な立ち回りはできていなかったので「ああしたほうがいい」「こうしたほうがいい」「それは無駄な動きだ」「こういうときヒーラーはこうするべきだ」といろいろなことを"ご教授"いただいた。
…そう、ただ、教えてもらっただけなのだ。駄目な所を。複数人から矢継早にあれこれと。
ただそれだけで私の心は折れてしまった。
人によってはせっかく先輩としてアドバイスをしてもらったのにそれを悪い事のようにとらえるのはいけないと思う人もいるだろう。私もそうおもう。それでも私はその「善意」に心が折れてしまったのだ。
極めつけは「(今の動きは)低レベルは通用するかもしれないけどこっから先はむずかしいかな~」と言われ、「あぁ、そうか、一生懸命がんばってみたけど、"無理"なのか。」と折れたのだ。その夜は枕がぐっしょり濡れるほど泣いた。今も書きながらちょっと泣けてきた。
私だってうまく立ち回りたかった。私だってちゃんと戦って達成感を得たかった。私だって世界を救いたかった。
けれど私は世界を救えないのだ。
一緒に行く人に迷惑をかけながら、駄目な所を逐一指摘されいつまでも完璧になれないまま、世界を救う冒険には出ることが出来ないのだ。
それでもせっかくのフリートライアルだからと進めてみるが、そこには「トトラクの千獄」という壁があった。
ああ、どうしてもダンジョンや討滅戦をしないと先に進むことはできないのか。そんなことを思いながらどうしても立ち尽くしてしまう。
Aさんにこの気持ちを吐き出したら慰めてもらえるかなと思いながら、困らせるだけだと匿名ダイアリーに書いている。
先輩光の戦士達へ。
お久しぶりです。最近暑くなってきましたがどうお過ごしでしょうか。
彼女はできましたか?他の女の子達とはどうなりましたか?私は結局、社会人と付き合いました。
彼はとても優しくていつも送り迎えをしてくれるし、趣味も合うし、ノリもいいし、彼の前では自然体でいれて、一緒にいて面白くて幸せです。本当に好きだと思える人です。
私の好きなバンド、syrup16gの「生きているよりマシさ」と言う曲に
君と居られたのが 嬉しい
間違いだったけど 嬉しい
会えないのはちょっと 寂しい
誰かの君になってもいい 嬉しい
という歌詞があるのですが、とても君のことを思い出してしまいます。
しかし、君のことが忘れられないのです。
私が間違った選択をした時、本気で怒ってくれるのは君だけでした。君はいつも意地悪だけど、その奥には真面目さと優しさがありました。
でも、ただの友達とも恋人とも言えない君が怒るのはちょっと踏み込みすぎていたかもしれませんね。
私は今日も些細なことで落ち込んでしまいました。そんな時、君に電話がしたいなぁと思うのです。都合がいいでしょうか。
決して彼が話を聞いてくれないという訳では無いのです。所謂、"メンヘラ"というものに属するであろう私を面倒くさがらずに抱きしめて受け止めてくれます。器が大きいと言いますか、大人だなと感じます。抱きしめられた時、私は彼との差を感じてしまうのです。
君はと言えば、結局どうしたいのか?と私に怒っていましたね。そんな時私はああ、子供だなと思いました。私と一緒の子供なんだと。
もっと違う出会い方をしていれば、もっと違う遊び方をしていれば、君が真面目で無ければ、今でも君と遊べていたのでしょうか。
"好き"という言葉で片付けていいのかわからない、複雑な思いは確かに君に対してありました。それは君もそうでしたね。
だからこそ、今はもう会えないことは正解なのでしょう。
きっと数年後には"懐かしい"と思える日がくるはずです。私はその時を楽しみにしています。
女子高生より
最近、とにかく幸せな推しカプしか受けつけられなくなった。3L全部。
昔は所謂死ネタとかバームクーヘンなエンドとかちょっと切ない話とかそういうのも見ていたのに、最近は読み終わったあとつらいとしんどいしか言えなくなって落ち込むので読めなくなってしまった。
思えば二次創作に限らず大元の作品でもそういうのが見られなくなってしまっている。
恋愛映画とかドラマとか…最後にどうなるのかをあらかじめ聞いてから見るようになってる。
新鮮な気持ちでドラマとか映画とかを見たい気持ちは確かにあるが、その気持ち<傷つきたくない気持ちとなってしまっている…?
こじれないでほしい。しあわせになってほしい。
知り合いはこじれてこじれまくった後にその糸が解けて結果幸せになるところが見たいからこじれる部分がないと面白くないと言う。
確かに。こじれたからこそ関係がより強くなるわけだからこじれは必要なんだ。
もしかしたら、こじれたまま来週とかそう言う感じになるからつらいのかもしれない。
大丈夫だよね〜!?誤解解けるよね〜!?!?となりながら待つ時間がつらいのか、?!
そうか…だから連ドラも最後まで見たら面白かったなとなるのか…。
一気見が性に合っている。
漫画もそうだ。
ビースターズめちゃくちゃ面白いけどしあわせになってほしい気持ちが強くなればなるほどしあわせに近づくようで離れたりするのがつらいし今めちゃくちゃいいとこだから早く続き読みてえしでこんな気持ちになっているのかもしれない。
完結してから読もうかな…。
そういえば周りに読め読め言われてた鬼滅めんどくさかったから完結したら読むって言っちゃったけど完結したからそろそろ読まなきゃ…(読まない)
ふと気がつけば本編でうまくいかなかったカプばかりを好んでいたことに気がつき死ぬ。
いやだ〜!!しぬな〜!!こじれるな〜!!!くそ〜!!!!!!!
でもぼくはえらいのできずついてもすすめたにんげんをうらむことやさくしゃをひはんすることはしません。という精神で生きているので心配しないでほしい。
つらい。
以上、ハピエン厨でした。
PS 本編では結ばれなかった系の二次創作って二次創作でしあわせになってる推しカプを見ておれもしあわせ♡の気持ちとこんなに幸せそうなのに本編では…という気持ちで死ぬ気持ちが混ざり合ってしまう悩みもある。1/3の純情な感情が空白になる。
自分が嫌いな物の事を好きな人に対して感じる嫌な気持ちの正体ってそれなんだろうね
ただやっぱり自分が嫌いだからと言ってその相手に喧嘩を吹っ掛けるのも駄目なんだろうね…
例えば僕はBLというジャンルが好きではないけど、BLが好きな人も所謂NLや異性愛に対して物凄い嫌悪感を持っているとここの日記で以前読んだ事があるし
様々な立場から様々な意見が飛び交い、その意見に対する反応の量も多い。このエントリもその一種である。
自分は完全に七瀬や友川側の人間であるが、本題はおけけパワー中島ではない。むしろそのタイプの同人女のことは好意的に捉えている。
ここで言いたいのは、「七瀬や友川の努力は本当に目標設定からして間違っていたのか?」についてである。
七瀬や友川の自己肯定感について言及した増田がバズっていた。その増田自体は非常に深層の問題の言語化が上手いと感じた。あまり主語が大きい発言はよくないかもしれないが、近年の同人女界隈の問題は多くが大きすぎる拡張自我と自己肯定感の低さ、自他境界の曖昧さなどに帰着されると感じていたので、この結論になると感じる人も多いだろうと思った。
それと並行して、「神も人間なのだから、人間扱いしないと仲良くなれるはずがない」という意見も散見された。
その類の意見に関しても、盲目的に崇拝されるより対等に接してもらえる方がとっつきやすいのは確かだろう。
これらの意見には非常に納得させられたし、全くその通りだ。自己の願望を他人に投影して行動すべきではないし、他人はコントロールできないということをしんから分かっていれば七瀬や友川のような行動は起こさないだろう。
だが、出発点である、憧れの神にフォローバックされたい、同じカプを愛好する者として仲間になりたいという感情自体はそこまで不健全なものではないはずだ。その結果小説の上達を目指した七瀬や友川の選択がそもそもお門違いである、というような意見に対して反論すべくこの増田を書いている。
第一、ここはリアルの教室でも職場でもなく、インターネットの同人社会である。最初にフォローされた時点でフォローバックをするかどうか、これから仲良くなるかどうかを決めるのに、「作品が好みかどうか」は最重要項目ではないのか?(そもそも、フォローバック=仲良くなる、ではないのかもしれない。しかし、私はインターネットで通話をするほど仲良くしている人間がFF外の人間である例はリアルの友人以外である場合以外に見たことがないので、このような考えに至っている。また、七瀬や友川が最初に抱いた感情を「仲良くなりたい」だと定義しているが、ここの解釈と表現に関しては個人差があると思われる)
確かにこのような実利主義を実生活にも反映したらメンヘラ認定間違いなしだろう。だがそもそも、同人を介した人間関係は作品ありきではないのか?
これでおけけパワー中島が見ず知らずのROM専だったら七瀬や友川がやりすぎで気持ち悪いという意見にも納得がいくが、実際は綾城さんはおけけパワー中島に「新刊楽しみです」とコメントしている。
もちろんFF内、果ては作り手でなくてもコミュニケーションを取ろうとする人はいて、だからこそそのような層が七瀬や友川の思考回路に疑問を呈しているのだろう。だが少なくとも私が同人生活で見てきた5つほどのジャンルでは、所謂「神」と呼ばれている人たち、そして私の好きな作り手は自身の好みの作り手のみをフォローしていて、その創作者のコミュニティ内でコミュニケーションをとる例が圧倒的に多かった。このような事実を前に、「仲良くなるために自分の状況如何に関わらずコミュニケーションを取ろう」と思える人間はよほど素直だなと思ってしまうのだが、これはそんなに認知が歪んでいるのだろうか。
綾城さんにとっておけけパワー中島は、友達である以前に「好きな作品の作り手」なのである。
すなわち、同人文化の中で仲良くなるには、まず「作品」ありきで、かつ「コミュ力」も必要なのである。今回の件ではどちらか一方に軸を置いている感想や考察が多いが、私はこれは両方欠かせない要素だと考える。
よって、コミュ力以前にそもそも自分で「大したことがない」と思うような作品しか作っていないし、人の心を動かすようなものを作れてもいないのだろう。この時点で綾城さんに相手にされないと思うのはごく自然なことに感じる。これは数の話というよりむしろ創作に対する態度の問題である。七瀬は解釈を突き詰める方法で、友川はひたすら作品を完成させるという方法で、自分の作品を研いでいった。
(また、今回の件ではあまり触れられていないし、最終的に綾城さんが七瀬や友川の作品を認識するに至っているため杞憂ではあるのだが、そもそも同じカプを愛好するからといって仲良くなれるとは限らない。ほのぼのハピエン好きは死ネタを絶対に読まないし、相手固定派は雑食を先行ブロックしているだろう。これらの流動性はジャンルによるだろうが、確かに存在する)
このように、同人女がまず繋がるためには、作品で認知され、さらに積極的なコミュニケーションをとるという二つのステップが必要なのである。
個人的に綾城さんとおけけパワー中島は長い付き合いだからこそのあの距離感なのだと思っているが、それだって最初の出会いはリア友であったパターンを除けば、互いが互いの作品を良いと思ったからなのではないか?
多くの意見では、七瀬や友川が「自分が上手くなれば綾城さんと必ず仲良くなれる」と思っている、という点について批判されているが、私はそこまでの感情を読み取れなかった。思うに、逆なのである。「綾城さんと仲良くなるためには、仲良くなれるかどうかは定かではないがとにもかくにもまず上手くなる以外道はない」だと私は捉えた。十分条件ではなく、必要条件である。
別に仲良くなれなかったからといって逆恨みはほぼないだろうと思われる。友川の自問自答や毒マロを送りかけた点については私も異常だと思うが、七瀬に関してはふられたショック以上の感情はないように思う。コミュニケーション能力は確かに低いので、作品を認知してもらったこの先も関係は思う通りにならない可能性の方が高いのだろう。だが創作はさまざまな感情の昇華法であり、その頃には本人たちも気持ちに折り合いがついているものと思われる。
巷の反応を見る限り多くの人は同人の人間関係は対価ではないという意見に納得しているようだが、成り立ちからして対価でないという方に違和感を感じてしまう。批判している人たちが日常的に関わっているのは、なんの関係もない無作為に抽出されたジャンル者なのか?相手の生み出すものに何も感じていないのか?私にはその前提がどうしても疑問である。
最後になるが、この件に関して七瀬や友川の批判をしている人は大抵フォロワー数がフォロー数より多い。そんなことに囚われているから弱小なのだと言われてしまうと耳が痛いが、どうしても「パンがなければケーキを食べればいい」と言われている気分になるし、結局は各々が自分の経験に照らした発言しかできないので価値観の相違がもろに炙り出されるのだろうと思う。件の漫画は、同人観をはかる試薬なのである。
ただ、具体的にどのような騒動だったのか、把握しづらい状況だったため、まとめたいと思う。
尚、このまとめ自体は、特定の方を糾弾したい等の意図は一切無い事をご理解頂きたい。
「あつまれ どうぶつの森」(以下「あつ森」)というゲームをプレイしている人達の中でも、主婦や子持ちの方と言った、所謂奥様方である女性のみを対象にしたサークル「あつまれ 奥方の森」の事である。略して「奥森」。
活動拠点は主にdiscordとTwitter。サークル内でルール等も決められている。騒動前時点で参加している方が340人を超える規模のサークルだった。
幹部の方々を『通称:天使』と表したり、メンバーへ『マイナンバー制度』を導入したりと、中々独特の感性をお持ちのサークルでもある。
以下、時系列に沿ってまとめる。
尚、大変長い上に「とどのつまり、運営が独裁した上での内輪揉め(+α)」と言う流れなので、時間の無い方は私以外の方がまとめたものを読んだ方が良い。
ここで言う特定のユーザーとは、改造氏(※1)の事である。以下、改造行為や改造マイル旅行券と紛らわしい為、カイゾウ氏とする。
カイゾウ氏をフォローしている奥森メンバーは複数おり、奥森運営から個別に「カイゾウ氏は改造行為を行っている。奥森はルールにも書かれている通り、改造を認めていないため、フォローは外すように」と通達された。なぜ突然このような通達があったのかは現在不明。
だが、通達を受けたメンバーの一人(以下A氏とする)が「カイゾウ氏は改造行為を行ってはいるが、それは改造行為を危険と知らしめる、注意喚起の為であり、ルールで定義されている他人へ迷惑をかける改造行為とは性質が違うのではないか」とカイゾウ氏を擁護、フォローを外すことを拒否した。更にA氏は奥森を退会した。
尚、A氏が自主的に奥森を退会した直後の晒しとなったが、退会したから晒した訳ではなく、本当に偶然にタイミングが被ってしまっただけとB氏は言っている。
ここで問題となったのは「なぜA氏から貰ったマイル旅行券を、改造マイル旅行券と断定できたのか」と言う事である。
B氏は判定基準として「A氏から貰ったマイル旅行券を部屋に置き、一度部屋を出てからもう一度部屋へ戻るとマイル旅行券が消えていた」と説明。B氏曰く、その手順は改造マイル旅行券か否かが分かる方法であるという。
しかしB氏は上記の手順を踏んだ際の、証拠となる画像や動画を一切出していない。よって「証拠も無い状態で、B氏はA氏を『改造マイル旅行券を使用する悪質プレイヤー』として、奥森内で晒し上げた」と言う事実が残ってしまった。
同時期にこの件で運営幹部に不信感や不安、疑問を抱いた奥森メンバーの複数人がカイゾウ氏に相談を行った。この際、discordのスクリーンショットがカイゾウ氏へ渡っている。
また、カイゾウ氏は奥森運営へ再三返事を求めたが、反応は返って来なかった。
後に流れたスクリーンショットを見るに、運営は「カイゾウ氏と話し合う、謝罪の義務、証拠の提出などの必要性は一切ない」と判断したとのことである。
B氏は後に鍵垢となり、現在その謝罪はカイゾウ氏の引用RTからしか閲覧できない状態である。
上記の流れに関して、証拠が無いA氏の名前は出したにも関わらず、証拠がある幹部のB氏の名前を出さない運営に対して不信感を持つメンバーが多数発生した。
それにより、不満を持っていたメンバーや不信感を抱いたメンバーが次々に退会することとなった。
現在、奥森の幹部であった方々のtwitterアカウントは、殆ど鍵垢になっている。
以上が『奥森騒動』の大体の流れである。このまとめを作成するにあたり、事実と違う点があってはならないと考えた為、奥森に所属しており、リアルタイムで流れを把握していたC氏並びにD氏に確認して頂いた。ご協力頂いたお二人にここで御礼申し上げる。
肯定も否定もできない。企画ツイートをRTしていたのは事実であり、そこで旅行券を受け取ったか、受け取っていないかも不明。それこそ証拠がない。
「奥森」と言う340人ものメンバーを抱えるサークルが、メンバーにロクな説明も周知もせず解散してしまった。その為、所属していたメンバーすら何も分からないままである。他のあつ森ユーザーは尚更分からない。知ろうと思っても知る事ができず、改造、RMTという言葉だけが飛び交い、不安が広がっていた。その状態を解決すべくまとめた。
※1 改造氏とは
twitterにて改造・RMTの注意喚起、及び改造・RMTを行う業者やプレイヤーへ警告、糾弾をしている方であり、自身も改造行為をし、実際のゲームの挙動などの検証を行った上で、改造行為に対して警鐘を鳴らしている
ゲームの改造行為(普通のプレイではなく、直接ゲームデータをいじる事)によって手に入れられるマイル旅行券(ゲーム内アイテム)の事。この旅行券を所持しているとデータ破損の原因になると言われている。その為、交換に使用したり、譲渡したりすると、他者へ多大な迷惑をかける事となる。
主にプレゼント企画と謳い、「レアなアイテムや家具を抽選で当たった人にプレゼントする」と言うもの。抽選への応募方法は大体「企画をしているアカウントのフォローと、当該企画ツイートのRT」である。
ただの好意で行っている方もいるが、大体は業者であり、このようにツイートすることでフォロワー稼ぎをしたり、プレゼントとして正規品ではない改造品を渡したり、最終的にRMTへ誘導したりと、悪質なものが存在する。
奥森の公式Twitterアカウントにて、privatterを使用した謝罪文が掲載された。
また、それと同時に「一時期、奥森の公式HPにアフィリエイトを貼り付けていた事」が公式のツイートから明らかとなった。
運営費に充てる為に幹部メンバーが独断で貼り付けていた、他から指摘を受け、すぐに撤去したとの事だが、解散時点で既にHP自体が削除されていた為、詳細は不明である。
性別関係無く自分の推しカプが要る全ヲタクにとって左右の話はとっっても大切な話だ。固定なヲタクもそうでない者も確実に存在する。
難儀なヲタクである私が言いたいというより抱えているモヤモヤは左右以前の問題だからだ。
特定を防ぐためにかなりのエフェクトなり何なりをかけて書いているので、読む方はそのつもりで。
読みにくいところが多々あるかと思いますが御容赦を。
私の推しカプは公式で10年以上の付き合い(所謂''ともだち''と同様の意味合いと思われる)であることが明かされている。
出会いは高校1年生、そこからずっと現在進行形で関係が続いてるといった感じだ。
学生時代からの付き合いであることが公式である以上、学生時代から恋仲だと考えて自分の作品を生み出す者も居るし、大人になってから恋仲になると考えて生み出す者も居る。もちろん両片思い等々、ふたりの付き合いが長い分おのおのが生み出す作品もバラエティに富んでいると言えるだろう。
左右に関してもAB、BA、に限らずABA、な方も居るけど殺し合いといったことは無く共存していて治安も良い、非常に居心地が良い界隈だ。
突如として飛び込んできた私にも多くの神々が優しく接してくれ、見知らぬ私(履修を始めたばかりのひよっこ)に布教という名の解説を飛ばしてくださったりとアットホームな雰囲気である。
さらに、今まで通ってきたどのジャンルでも見る専だった私に『凄く良い妄想してるのだから作品にしてみてはどうか』と優しいお声掛けがあり、生まれて初めて二次創作をしたしABのワンライなるものにも参加した。
その頃は毎週考えて書くのが楽しかったし、率直に『左右関係無く、ふたりは付き合ってる!!!ありがとう世界……』と涙していた。
しかし、だ。
過去編ではAとBは仲良く男子高校生らしい高校生活を送っていた訳だが、ふたりの人生を180度変えるような出来事があり、それによってふたりとも''おバカ男子高校生''から自分の心で見えない''何か''を見つめ続けるようになった。
もちろん顔つきも変わり、今まで以上に勉学に打ち込んだ事が見て取れたし、だからこそ今の彼らがいる。
そういった内容だったのだ。
ただのおバカなウェイウェイ高校生ふたり組が一変し、血の滲む様な努力と自分を見つめ直した事で高校卒業する頃にはお互いがお互いに背中を預けられるまでになった。
そこら辺に居る高校生のままでは成し得なかったことを成し遂げて今まで以上にお互いのピースがガッチリ嵌っているというか、言葉は無くともお互いに雰囲気で通じるものがあって、それが歳を重ねる毎にどんどん増えてゆき、今もふたりで仲違いすること無く一緒に居る。
出世もして忙しいのでお互いに時間を取れる事は圧倒的に少なくなっても、たまに呑みに行くしご飯に誘う。
どちらかが相手の何かを察して無理くりにでも連れ出すこともある。
言葉に出さなくても一緒に居ることで少しでも肩の重荷を減らすというか、消すことは出来ないので軽減できるよう共有する。
これを理解した時の私はふたりに対する感情が溢れて止まらなかったし『付き合ってる!!!!!!!』より、もっともっっっと大きな何かで繋がっているふたりだ、と感じた。
その時には上手く処理しきれず、何日も何日もウンウン唸りながら考え抜いた結果、恋仲なんて言葉じゃ収まりきらないしもっと違う言葉、本当の意味での『パートナー』というか『人生の伴侶』のような、お互いがお互いの足りないピースを埋めてひとつの、大抵の事じゃ崩れない強固な何かになっているという結論に至った。
私は自分なりに上記の解釈に行き着いてしまった時、ふたりを『恋人同士』という枠をブチ破って『お互いクソデカ感情どころの話じゃないパートナー同士、お互いがお互いにとっての伴侶のようなふたり』として捉えてしまったのだ。
考えれば考えるほど、お互いにピースが嵌りすぎて恋とか友情のラインを超えている…といった解釈に辿り着いてしまう。
燃え上がる恋というより熟年夫婦のような落ち着いた関係性、まさにパートナーや伴侶と言った言葉が当てはまる、そんな関係性。
それも一種の恋愛関係じゃなくて何があるんだよ!と、ツッコミを入れる方もいらっしゃるだろうが私にとってこの関係性は恋愛関係とは少し違う。
『ふたりは……付き合ってない……???いや……そういう訳では無いんだよ………………』
とグルグルしていたら、細々と書いていた話も恋愛関係にスポットを当てたものというより、ふたりの''パートナー性''、''伴侶''のような関係性にスポットを当てた話に変わっていった。
自分の情けない脳味噌で捻り出して書いているのだから当たり前の話だが、その現実に気づいた時に一気に怖くなった。
ABともBAともABAとも少し違う、AとBの話が出来上がってしまった。
たまたまその事実に気づいた時に書いていたものが、ABのワンライに参加して書いていた話だったので『これはABなのか????いや、ABともBAともAとBとでも取れてしまう…そんな話をABのワンライに出しても良いのだろうか?』という疑念が沸き起こり、すんでのところで投稿を見送りお蔵入りに。
それからというもの、書いても書いてもABやBAといったカプ要素盛り沢山な話は全くと言っていいほど書けなくなってしまった。書いても書いても''AとB''の話になる。
私は語彙力や言い回しが宇宙のように湧いてくる作家先生や詩人では無いので支部等に投稿する勇気はなく、だからこそ比較的多くの方が一斉に参加している中に紛れ込めるワンライに参加していた。
ABのワンライなのだからABの要素が盛り沢山な作品が投稿されるのは当たり前のこと。
そんな中にただのAとBの話があってはいけないことなのではないだろうか。
そう思ってしまった日以降、自分の思う通りに言葉が紡げなくなってしまった。
あれだけ楽しかった週1回のワンライが苦痛のように思えてきて相互さんと話をするのも憚られてしまい、一旦筆を置くことを決意。
界隈には素晴らしい作品を生み出す神も多く存在するわけで、私が筆を置いたところで何か悪影響が出るわけでもなんでもないし寧ろ良い事かもしれない。
ネガティブ思考のエンドレスループが始まりアカウントにログインすることからも遠ざかった。
別に嫌いになった訳では無いので普通に流れてきたものはひとつずつチェックするし、べったーやポイピクなどに投稿された相互の作品もしっかり見に行くし感想というか、荒ぶりも伝える。
しかし公式でのふたりの関係性が冒頭で書いた通りなのでAB及びBAの作品は溢れているが、AとBの作品はあまり存在しないというより、ほとんど存在しない。
もしかしたら私の探索不足なのかもしれないが、一通り探索した結果ほとんど無かったのである。
嫌いじゃないし好きなのに、見ていてモヤモヤする。
このモヤモヤが喉につかえた小骨のように引っかかってしまい 、純粋に楽しめない。
その中には燃え上がるような恋をする推しカプもすれ違う推しカプも、お別れすることになる推しカプだっているかもしれない。
それだけの話で、今までその10通りの推しカプがTHE個人差といった感じで好きだったのに。
その違いが楽しめなくなった自分に嫌悪感が差して、誰かに相談したくても相互は各々ABなりBAが好きなので相談できるわけもないし相談したところで勘違いされてしまうかも、と思って誰にも相談できず、どうしたらいいかもわからず独りで抱え込み続けている。
誰かこの複雑な感情というか問に対する答えや考え、意見がある方が居らっしゃるならば是非教えて頂きたいものです。
(追記)
推しカプは変わらず大好きなので恋仲として当然な行為を致している作品もギャグ作品もシリアス作品も読みますし見ますし買うこともあります。
でも悩み始めてからは流れてきたものを見る、という感じになって殆ど自ら支部に行って開拓する〜といった行為をしなくなりました。
たまたまリアルで多忙となって趣味の時間がほとんど無くなったという原因もあるとは思いますが、あれだけ夜な夜な、数時間にわたり自分の性癖に刺さる作品探しを一切しなくなったのはやっぱりモヤモヤが原因かな…と思ってるだけです。
性別関係無く自分の推しカプが要る全ヲタクにとって左右の話はとっっても大切な話だ。固定なヲタクもそうでない者も確実に存在する。
難儀なヲタクである私が言いたいというより抱えているモヤモヤは左右以前の問題だからだ。
特定を防ぐためにかなりのエフェクトなり何なりをかけて書いているので、読む方はそのつもりで。
読みにくいところが多々あるかと思いますが御容赦を。
私の推しカプは公式で10年以上の付き合い(所謂''ともだち''と同様の意味合いと思われる)であることが明かされている。
出会いは高校1年生、そこからずっと現在進行形で関係が続いてるといった感じだ。
学生時代からの付き合いであることが公式である以上、学生時代から恋仲だと考えて自分の作品を生み出す者も居るし、大人になってから恋仲になると考えて生み出す者も居る。もちろん両片思い等々、ふたりの付き合いが長い分おのおのが生み出す作品もバラエティに富んでいると言えるだろう。
左右に関してもAB、BA、に限らずABA、な方も居るけど殺し合いといったことは無く共存していて治安も良い、非常に居心地が良い界隈だ。
突如として飛び込んできた私にも多くの神々が優しく接してくれ、見知らぬ私(履修を始めたばかりのひよっこ)に布教という名の解説を飛ばしてくださったりとアットホームな雰囲気である。
さらに、今まで通ってきたどのジャンルでも見る専だった私に『凄く良い妄想してるのだから作品にしてみてはどうか』と優しいお声掛けがあり、生まれて初めて二次創作をしたしABのワンライなるものにも参加した。
その頃は毎週考えて書くのが楽しかったし、率直に『左右関係無く、ふたりは付き合ってる!!!ありがとう世界……』と涙していた。
しかし、だ。
過去編ではAとBは仲良く男子高校生らしい高校生活を送っていた訳だが、ふたりの人生を180度変えるような出来事があり、それによってふたりとも''おバカ男子高校生''から自分の心で見えない''何か''を見つめ続けるようになった。
もちろん顔つきも変わり、今まで以上に勉学に打ち込んだ事が見て取れたし、だからこそ今の彼らがいる。
そういった内容だったのだ。
ただのおバカなウェイウェイ高校生ふたり組が一変し、血の滲む様な努力と自分を見つめ直した事で高校卒業する頃にはお互いがお互いに背中を預けられるまでになった。
そこら辺に居る高校生のままでは成し得なかったことを成し遂げて今まで以上にお互いのピースがガッチリ嵌っているというか、言葉は無くともお互いに雰囲気で通じるものがあって、それが歳を重ねる毎にどんどん増えてゆき、今もふたりで仲違いすること無く一緒に居る。
出世もして忙しいのでお互いに時間を取れる事は圧倒的に少なくなっても、たまに呑みに行くしご飯に誘う。
どちらかが相手の何かを察して無理くりにでも連れ出すこともある。
言葉に出さなくても一緒に居ることで少しでも肩の重荷を減らすというか、消すことは出来ないので軽減できるよう共有する。
これを理解した時の私はふたりに対する感情が溢れて止まらなかったし『付き合ってる!!!!!!!』より、もっともっっっと大きな何かで繋がっているふたりだ、と感じた。
その時には上手く処理しきれず、何日も何日もウンウン唸りながら考え抜いた結果、恋仲なんて言葉じゃ収まりきらないしもっと違う言葉、本当の意味での『パートナー』というか『人生の伴侶』のような、お互いがお互いの足りないピースを埋めてひとつの、大抵の事じゃ崩れない強固な何かになっているという結論に至った。
私は自分なりに上記の解釈に行き着いてしまった時、ふたりを『恋人同士』という枠をブチ破って『お互いクソデカ感情どころの話じゃないパートナー同士、お互いがお互いにとっての伴侶のようなふたり』として捉えてしまったのだ。
考えれば考えるほど、お互いにピースが嵌りすぎて恋とか友情のラインを超えている…といった解釈に辿り着いてしまう。
燃え上がる恋というより熟年夫婦のような落ち着いた関係性、まさにパートナーや伴侶と言った言葉が当てはまる、そんな関係性。
それも一種の恋愛関係じゃなくて何があるんだよ!と、ツッコミを入れる方もいらっしゃるだろうが私にとってこの関係性は恋愛関係とは少し違う。
『ふたりは……付き合ってない……???いや……そういう訳では無いんだよ………………』
とグルグルしていたら、細々と書いていた話も恋愛関係にスポットを当てたものというより、ふたりの''パートナー性''、''伴侶''のような関係性にスポットを当てた話に変わっていった。
自分の情けない脳味噌で捻り出して書いているのだから当たり前の話だが、その現実に気づいた時に一気に怖くなった。
ABともBAともABAとも少し違う、AとBの話が出来上がってしまった。
たまたまその事実に気づいた時に書いていたものが、ABのワンライに参加して書いていた話だったので『これはABなのか????いや、ABともBAともAとBとでも取れてしまう…そんな話をABのワンライに出しても良いのだろうか?』という疑念が沸き起こり、すんでのところで投稿を見送りお蔵入りに。
それからというもの、書いても書いてもABやBAといったカプ要素盛り沢山な話は全くと言っていいほど書けなくなってしまった。書いても書いても''AとB''の話になる。
私は語彙力や言い回しが宇宙のように湧いてくる作家先生や詩人では無いので支部等に投稿する勇気はなく、だからこそ比較的多くの方が一斉に参加している中に紛れ込めるワンライに参加していた。
ABのワンライなのだからABの要素が盛り沢山な作品が投稿されるのは当たり前のこと。
そんな中にただのAとBの話があってはいけないことなのではないだろうか。
そう思ってしまった日以降、自分の思う通りに言葉が紡げなくなってしまった。
あれだけ楽しかった週1回のワンライが苦痛のように思えてきて相互さんと話をするのも憚られてしまい、一旦筆を置くことを決意。
界隈には素晴らしい作品を生み出す神も多く存在するわけで、私が筆を置いたところで何か悪影響が出るわけでもなんでもないし寧ろ良い事かもしれない。
ネガティブ思考のエンドレスループが始まりアカウントにログインすることからも遠ざかった。
別に嫌いになった訳では無いので普通に流れてきたものはひとつずつチェックするし、べったーやポイピクなどに投稿された相互の作品もしっかり見に行くし感想というか、荒ぶりも伝える。
しかし公式でのふたりの関係性が冒頭で書いた通りなのでAB及びBAの作品は溢れているが、AとBの作品はあまり存在しないというより、ほとんど存在しない。
もしかしたら私の探索不足なのかもしれないが、一通り探索した結果ほとんど無かったのである。
嫌いじゃないし好きなのに、見ていてモヤモヤする。
このモヤモヤが喉につかえた小骨のように引っかかってしまい 、純粋に楽しめない。
その中には燃え上がるような恋をする推しカプもすれ違う推しカプも、お別れすることになる推しカプだっているかもしれない。
それだけの話で、今までその10通りの推しカプがTHE個人差といった感じで好きだったのに。
その違いが楽しめなくなった自分に嫌悪感が差して、誰かに相談したくても相互は各々ABなりBAが好きなので相談できるわけもないし相談したところで勘違いされてしまうかも、と思って誰にも相談できず、どうしたらいいかもわからず独りで抱え込み続けている。
「感想屋さん始めました」という呟きとともにこんなノートが公開された。
https://note.com/kansouya_san/n/nc7a74be48aed
要は金さえ払ってもらえれば、どんな作品でも感想を書くよ、というサービスである。
それだけなら既に(有名ではないが)サービスとして存在している。驚きもあまりない。
問題は、感想の対象が「自分の作品とは限らない」ということだ。
他人の作品に対して、感想屋が「匿名」という体で感想を送る、というサービスもやるつもりらしい。
はっきり言って地獄だ。
私は、金払ってまで他人の作品に感想を送ってもらいたい人の気持ちは分からない。
だが今後、自分の元に届いた匿名の感想が、「誰かに雇われ、ビジネス的に書いた感想ではないか」という疑念が付き纏うだろう。
「お金払ってまで感想書いてもらいたいんだから、好意は存在するのでは?」と思う人もいるのかもしれない。
そんなことするくらいなら、その人自身から直接、どんな拙い言葉でも感想や好意を伝えればいいと思う。他者を雇う必要はどこにもない。
私の作品は、純粋に同じ好みを持ち、「いいな」と思ってくれる人の元へ届けたい。届かなくて感想が来ないなら、きっと落ち込みはするが構わない。感想屋に感想を書かれるくらいならば。
お金を払い、仕事として作品を読ませ、仕事として感想を提出する。
私は好意とは受け取れない。いらない。
プラスの感想にせよマイナスの感想にせよ、自主的に私の作品を「読みたい」と思った人だけから感想が欲しい。
また、インターネットは悪意に満ちている。
よからぬ考えを抱く人が、気に入らない作者に対して感想屋を雇い、感想が届いたと喜ぶのを見てほくそ笑む…という構図も浮かんでしまう。
あるいは純粋なファンからの感想が届いて喜ぶ人に「それは私が雇った感想屋ですよ。ぬか喜びでしたね」なんて悪意ある嘘のメッセージが送られる場合も考えられる。
あるいはサクラとして使われて、「盛り上がってるように見せかける」広告として利用されることもあり得る。所謂ステマだ。
善意から始まったことだとしても、いくらでも悪意に塗り替えられる。そんな事例はインターネットにごまんとある。
感想が欲しい人と、感想屋の二者間のやり取りなら好きにすればいいと思う。
私は感想屋をブロックし、プロフィールに「感想屋お断り」と書いた。
何が悲しくてプロフィールにこんな文言を入れなければならないのか。感想屋サービスを知らない人が、「感想自体がいらないのかな」と勘違いしそうだ。誤解されるのは本意ではないのに。
私は同人女オタクである。腐っている時もあれば純粋に作品を楽しんでいるだけのときもある。
少年漫画も少女漫画も青年向けも女性向けもラノベも小説もアニメもドラマもエンターテイメントを全力で満喫するタイプのオタクだ。
面白きことも無き世を面白くしてくれる創作活動とそれを有難くも受け取らせてもらっている立場である。
まーたお気持ち日記かと思われるかもしれない。そのとおりだ。お気持ち日記だ。すきに晒せ。
公式からはお布施だと思って好きなキャラを買うし、ランダムなら交換を探すし、同人グッズでは社会で付けられそうないわゆる隠密系のグッズが好きだ。
たまに自分でもそんなん買ってどうするんだただのPP加工された紙だろとかおもいつつも買ってしまう。
そんな中で、自分で絶対に手を出さないと決めているグッズがある。
同人グッズの、公式で使用されているマーク(部活ものの漫画等であれば学校の校章だったり、家の紋章だったり、アイドルユニットのロゴだったり等)を使用したグッズだ。
むしろそういった作品を作る人を恨んですらいる。勿論逆恨みだ。妬みだ。わかっている。
○○モチーフや××イメージ、おおいにありがたい。好きなキャラクターのモチーフを身に着けられる、なんて素晴らしいことだろう。
ただ、モチーフやイメージにするのに、どうして公式のマークを使ってしまうのか。
公式のマークを使ったらもはやイメージやモチーフではないのではないか。
3省堂辞書の林(意味のない検索避け)のイメージでは、心の中に思い浮かべる姿や情景、心象、形象とある。モチーフは創作の動機となった中心的な題材だ。
○○モチーフであれば、創作の動機となったキャラクターが題材だろう。そういう意味では公式マークを使ってしまうのは早いだろう。
公式マークだからまあ題材だよね。そりゃバナナって題材でたからバナナ書いたよって話だよね。
いや、それパクリじゃん。
商業利用じゃないからOKなんですよ!っていわれてもわかんない。
商業利用じゃなかったら公式のマーク使って自分の好きなデザインにアレンジして頒布していいの?
公式のデザインパクってこのキャラクターモチーフでーす!って公にパクリです!って公開してるのってどういう気持ちなの?
わかんない。3歳児だからわかんない。
私のデザインセンスが皆無だから嫉んでるんだろ乙って言われるだろうけどいやパクリとの違いが分かんないんだよな。
本当にいいデザインなのに公式のマークを使ってるってわかった瞬間ああ残念だなって思う。
でもって、それがアクキーだったりポーチだったり鞄だったりすると、ああ公式からもうこのグッズでなくなっちゃたな、って思う。
だって同人で出てて、それが公式で同じのを後から出したら絶対△△さんが作ったデザインのほうがいいとか後出しで公式が作ったとか言い出す奴いるもん。
公式がそのグッズ作るのにまあいろんなところで企画して打合せして生産数やらなにやら決めてってしたらそりゃ出るまでに時間かかるよな。
私はそういった業界には詳しくないけど製造業ってそんなこういうデザイン作りたいからつーくろ!な世界じゃないってことぐらいわかる。
作ろうとした会社が原作あるいはそういった窓口にこういうのどうですかって企画を持ち込んで、あるいはその逆で、キャラクターの使用料払ってって世界でしょ。
いやすごいな。公式マーク使って作ってる人、そういうの一切なしで商業利用じゃないから大丈夫です!って言っちゃえるんだもんな。
たとえば一時期はやってたホテルキーみたいなキーホルダー。あのジャンルででてるから同じ系列の版権だし出るだろって思ってた時期があった。
でもいつまでたっても公式で出ない。同人グッズはあったが私は公式マークを利用したもう言わせてもらうが海賊版が好きじゃないから手を出さずにいた。
そうしたある日、他の人が問い合わせた結果、似たようなグッズがあるから出さないよ、ってのを聞いた。
一瞬で殺意が沸いた。
ただ、一人の同人作家のせいで公式グッズの企画がつぶれた。私にはそう聞こえた。
同人グッズが合って、それが称賛されてるから公式で売っても買わないでしょ?
とばっちりだ。もちろんこれはお気持ち日記なので実際は知らないし妬みで逆恨みだと思う。
わかっているからその同人作家をブロックして信者の相互はミュートした。
海賊版が嫌いだとか言いながら同人グッズという名の海賊版は嬉々として買う人たちには怖気がする。
公式のマークを公式に許可も撮らず版権使用料も払わず勝手に使って、パクリで海賊版とは違う理由が私にはわからない。
いっしょのことだ。公式のグッズと間違われかねないものを作って、利益が出てないからOKなんて言って公式の利益を侵害する。
公式だって出るとこ出ようと思えば出るだろうことをして、まあ公式が出ないと勝手に確信して泥棒している。吐き気がする。
いちいち対応していないだけだ。心の中ではいつか一斉摘発されねえかなと常に思っている。
↑を書いた後、予想以上の量のコメントを貰ってびっくりした。量も驚いたが、内容も、人によって結構違う内容や態度だったりで、何故か、その事に少し救われた(妙な話だが、敵対的な態度の人も居る事が、むしろ嬉しかった)
で、増田でたまに見るブコメ等への返事の追記をやるべきかどうか悩んでいる内に日が過ぎてしまった、ひとまずここに書いておこうと思う。
まず、「SNSをやめたほうがいい」「フェミニズムから一旦離れた方が良い」という意見が有ったが、離れるつもりは無い。
何故なのか?と言うのは自分でも良く分からない。単純に意地になって居るのかもしれない。
ただ、一つ思うのは、「終わったものボックス」に入れられるのは嫌だな、という事だ。
私が例えばSNSから離れたり、カウンセリングを受けたりしたら、私の懊悩は「じゃあ解決したね、よかったよかった」になってしまう、そうはなりたくない。(そもそも、カウンセリングはそんなに万能ではないとも思う。どちらかと言うと、他人の問題を「お終い」にしてしまう為の道具として、便利に使われている印象がある)
それに、基本的に私はリベラルもフェミニズムも正しいと思っている。
いくつか疑問に思う部分が有ったとしても、やはり離れる訳にはいかない。
また、離れても無駄だとも思う。既に私はフェミニズム的な視点や捉え方や規範を他者から学び、内面化している。
SNSから離れようが、既にそのコピーのフェミニストは自分の中にいて、その声からは逃れることは出来ないし、すべきでも無い。
「人をカテゴリで捉えるな」というコメントも多かった。それから、「リベラル派じゃなくてリベラリズムに従えよ」という文章を書いてくれた増田もあった。
正しいとは思う。ただ、実際に遣るとなると、難しい、というか、無理な気がしている。
社会問題を扱う限り、会った事も無い人の被害や加害を考えなければならない(そうでなければ、それは「社会」に対する思考ではない)、会った事の無い人について考える時に、「女性」や「男性」や「フェミニスト」や「リベラル」のようなカテゴリは非常に有用だし、それ無しで考えるのは不可能じゃないかと思う。
また、現実の話もある。例えばある女性やフェミニストの方の主張に疑問を感じたり、リベラリズムに反すると思った場合、それを男性の私が指摘したり疑問を言葉にするのは、正直言って、難しい。
この雰囲気をどう伝えれば良いのか分からない、兎に角、難しい。それによって私がセクシストであり、差別主義者だと言われてしまうのでは無いかという恐れが常に有る。
これは私に限った事ではなく、私の周囲の人も、女性に限らず、社会的弱者や当事者の方の言う事に疑問を呈す場合は、かなり慎重に行う。社会の非対称性を考えれば当然の事だとも思う。例え多少おかしな部分があったとしても、それを強者である男性が、当事者の口を塞ぐというのは、有ってはならない、と思う。
それから、リベラリズムについては、説明がし辛い。昔は自分も所謂「自由を貴ぶ」という意味でのリベラリストのつもりだったが、今は、(大雑把な表現だが)「弱者を守る」という意味でのリベラルである。今の日本でリベラルと名乗る人の大半は後者だと思う。
ただ、彼の言う事は本質を突いている気がする。恐らく、自分は今後者のつもりだが、後者に成り切れておらず、前者の部分が残ってしまっているのだ。
前者の意味でのリベラルは、現在の日本ではむしろ所謂「ネトウヨ」や「ミソジニー男性」(と、後者のリベラルが見做している人達)と相性が良い。
気付いた人は多分居ると思うが、前回の増田で私が書いたフェミニズムへの疑問(ゾーニングの公の範囲や、BL等の免罪等)は、上記の様な、リベラル、フェミニズムの敵対者が良く主張している事に非常に似ている。そのもののものもある。
恐らく、つまり、私はリベラルを自認しているが、私の中にはネトウヨ的な部分や、ミソジニーも有るのだと思う。
だから私は、恐らく正確には、前者と後者、両方のリベラルであり、だから、その矛盾に引き裂かれているんだと思う。
「ネトウヨ」や「ミソジニー男性」といった言葉の選択には怒る人も居るかもしれない、ただ、これは便宜的な呼称だと思って欲しい。
少なくとも現在の日本では、後者の意味でのリベラルやフェミニズムの問題点を指摘できるのは、彼らだけだろう、といより、問題点を指摘すれば「ネトウヨ」「ミソジニー」と呼ばれる事に成る。
だから、私のフェミニズムへの疑問は、「ネトウヨ」「ミソジニー」という事に成らざるを得ない。
ここでまた、「またカテゴリで考えている」と言われるだろう、でも、現実にそうなのだ。そりゃ、リベラル自身がリベラルの問題点に言及できるようになればいい、それが理想だ、でも現実は違う、そんな事は出来ない、そんな事をすれば利敵行為すなわち「ネトウヨ」と言う事に成るからだ。
リベラルやフェミニズムへの疑問や矛盾に悩む私に「SNSから離れた方が良い」と言葉を掛けてくれる人は一杯居た。けれども、「そのような矛盾をこれから解消しよう」と言ってくれる人は一人も居なかった。
(いや、こう言う言い方は不当かもしれない。そもそも、リベラル側の人は、そのような矛盾が有るとは思っていないのだろう。だからその解消を求める事自体がお門違いなのだ)
これまで書いた事について、正直な所、後ろめたさというか、これでいいのだろうか、という迷いが有る。
リベラルやフェミニズムに矛盾や問題点がある、なんて事を書いて、いいのか・・・分からない、それ自体間違っている気もするし、「間違っている」と言われる気もする。
ただ、まぁいい、もうこうなったらいっそ、(滅茶苦茶長くなるだろうが)思った事全部書いてしまおう。
「リベラルならラディカルフェミニズムじゃなくリベラルフェミニズムの方に向くべきでは?」というコメントに対する返答も先程とほぼ同様、
リベラルフェミニズムは前者のリベラル(つまり自由を優先する方)と相性が良く、後者のリベラル(弱者を優先する方)はラディカルフェミニズムと相性が良い(相性がと言うより、仲が良い、と言った方が正確かもしれない)
自分は後者が主軸なので、ラディカルフェミニズムと協調する事に成る、そうすると必然的に表現の自由等より、弱者を守る事を優先する事に成り、女性を消費するようなコンテンツを肯定できない→オタクである自分自身と不調をきたす、という事に成る。
まぁ、日本ではラディカルフェミニズムが支配的で、リベラルフェミニズムはあまり広まっていないという事情も有るとは思う。(アカデミズムでリベラルフェミニストの有名な人って例えば誰が居るんだろうか)
訂正と謝罪をするべき事が有る。
増田で↓のように書いた。
学生時代の苦しみは、一体何だったんだろうか?あの時の加害者の中には女性もいる。彼女は弱者で、自分は強者である。
キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人がフェミニストとして、男性を糾弾する。
俺は一体何なんだろうか?
これについて、「キラキラしてない、パッとしない女性もいると思い出してほしい」「美人の苦しみを矮小化している」という批判があった。宇野ゆうか氏の下記のページもそれに当たるだろう。
https://yuhka-uno.hatenablog.com/entry/2020/06/28/134939
これについては謝罪すべきだと思うのだが、うまく出来る自信が無い、何故かと言うと、↑の部分は指摘された様な意図で書いた訳ではないのだが、
「そういうつもりでは無かった」「誤解を与えてしまった」という謝罪は、正しい謝罪では無い、と言うのは常識になっている。では、他のどのような謝り方が正しいのか、考えてみたが、上手く答えが出なかった。
ただ、それも難しい。この部分は、正直に言うと、自分でも何が言いたいのか分からない、「俺は一体何なんだろうか?」という漠然とした疑問が主題だからだ。
ただ、いくつか明言できることは有る。まず一つは、「キラキラしてない、パッとしない女性もいる」という事は、自分も勿論分かっている。この文は「女性やフェミニストはみんな、キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人である」という意味では無いし、そう意図しても居ない(ただ、そう読み取れる余地を残してしまった事はやはり自分の落ち度だと思う)
女性の中に、「キラキラした人、美しい女性、充実した人生を送ってそうな人」が居る、と言う事を念頭に置いて書いていた。(「女性はみんな~である」と「女性の中に~な人も居る」の違い)
また、「キラキラした人、美しい女性はみんな、充実した人生を送っている」という意味でも書いていない。キラキラした、美しい人にもそれぞれ固有の苦しみは有るし、そもそも女性差別は制度的な差別を含むから、社会的な美醜に関わらず多くの場合被害は受ける。外見からその人の人生を推し量ることはできない(だから、宇野ゆうか氏の書いた事は正しいと思う(正しいとか、何目線で言ってるんだという話だけど・・・・))
従って、「キラキラした、美しい、充実した人生を送る人が男性を糾弾するのは間違っている」と言いたい訳でも無い。そういった人も女性差別には遭うのだから、糾弾するのは正当な権利だ。
ただ、分からない、この感じをどう表現すれば良いのか、この「何なんだろうか?」と言う、分からない感じ、分からないと言う事を、どういう言葉で表現すれば伝わるのか。
ミクロに、カテゴリに頼らず個人個人で幸福度を比べれば、私より幸福な人生を送っている女性は居る、それは確かだと思う、けれど、それで女性差別の糾弾をしなくていい事には当然ならないし、私は糾弾を続ける。ただ・・・ダメだ、分からない、どう言えば良いのか、つまり、名前が無い、と言えば良いのだろうか、女性が人生で被る苦しみの一部は女性差別に起因する、では、私の苦しみは?男性差別?それも違う、分からない、どう言えば良いのか、言葉にできない・・・・・
ただ、そんな私の言語化能力の拙さとは関係無く、訂正と謝罪はするべきだろう。
件の文章は「キラキラしていない、パッとしない女性は居ない」と言う意味や、「キラキラした人、美しい女性は苦しみを抱えていない」という意味では無く、書いた時の事を思い出す限り、「キラキラした、美しい女性」の中でも特に幸せな人を念頭に置いて書いた(だから、美人であり、かつ苦しんでいる人はここでは対象に含めて居ないので、安心して欲しい(安心して欲しい、というのも変か・・・・・))、しかし、にも拘らず、そのような解釈の余地を残してしまう拙い書き方でした。申し訳ございません。
これで上手く出来ているのか、分からない。もっと適切な謝り方が有るんだと思う。
色々書いたけど、(まだ、思っている事は全然書き切れて居ない気がするけど)改めて言っておく、疑問を感じることはあるけど、それでも、自分は「リベラル男性」を続ける。
リベラルやフェミニズムに疑問を感じた事を表に出すことは出来ないし、だから、なるべく考えない様にする。納得してなくても、納得してるふりをする、でも、リベラルである事は続ける。
自由を何より優先するという意味では無く、弱者を守る事を優先するという意味で、リベラルである事を続ける。
それに開き直るつもりは無い、「弱者を守る事を優先する」という事は、他の何かと衝突した時、そちらの優先度を下げるという事に成る。それは時には不当な加害になる事も、暴力性を持つ事も、自由の制限に繋がる事も、他者を抑圧する事も傷付ける事も、どれもあり得る。それに、そもそも自分の中の「弱者」の基準が正しい保証は無い。「弱者を守っている」つもりで、別の弱者を気付かずに足蹴にしている事も当然あり得る。
だから、私は、正しいとはとても言えない。むしろ、客観的に見れば悪である可能性も有る。
でも、兎も角、自分の見える範囲を見て、考えられる範囲を考えた結果、やっぱり自分はリベラルである事を選ぶ。ただ、それが正しいと盲信する事だけは絶対にしない様にしたい。
長く書いた。流石にこれは読まれないと思うけど、まぁ、構わない、謝罪部分だけは然るべき人に届けばと思うが、それも望む事しか出来ない。
最後に、この文章を前回の増田と分けた理由は、単純に馬鹿な程長くなってしまったと言うのも有るけど、それだけじゃなく、「本当に元の増田が書いたか分からない」ようにするのも良いのではないか、と思ったからだ。
この文章はもしかしたら、元の増田とは別人が、彼を装って書いただけかもしれない、そうだった場合、読んだ人の感想は変わるだろうか?
まぁ、そもそも、こんな長い文章読む人は居ないと思うけど、もし居たら、なるべくどちらとも決め付けずに読んで欲しい。本物か、偽物か、平等に考えてどちらか判断できる根拠をあなたは持っていないはずだ、だから本物でも、偽物でも、どちらでもあり得るように読み、考えて欲しい。
(最後に、前回の増田の様に沢山のコメントを貰えたのは初めてだったので、痛々しいと思いつつ、ブコメを見るだけじゃなく、ツイッターでも検索してしまった。
そしたら(もしかしたら検索の仕方とか過去ログの有効期限のせいかもしれないけど)最初にこの増田の事をツイートしたのが、おねロリキメセク天皇で笑った。ちょっと、嬉しかった)
この人は小説家になろう出身で連載していた作品が書籍化、漫画化、アニメ化されるというかなりの人気作家さんなんだけど
僕はどうにもこの人の事が好きじゃない、~の勇者シリーズは一切読んだ事は無いしアニメも一切見た事は無いけど
小説家になろうにはR-18作品を投稿するためのノクターンノベルズとムーンライトノベルズという兄弟サイトがあるのだけど、アネコさんはこのサイトにも投稿していた
恐らく女性だと思うから女性向けサイトのムーンライトノベルズに投稿すれば良かったんだろうけど、この人は何故か男性向けのサイトであるノクターンノベルズに積極的に作品を投稿していた
そりゃあまあどちらに投稿するかは書く人の自由だろうけど、この人は男性向けのサイトで女性向けジャンルのBL作品を投稿していたから困った
それも精神的BLという体は男と女の二人だけど中身はどちらも男という、BLといってらんま1/2の女らんまと良牙に近い関係性のジャンルだったかな
まあ色々要因はあるけど、この作品が自分にとってはそれこそ作者に対する怒りまで覚えるくらいまるで合わず…タグにBLタグがある事にも気付かなかったし
代表作である~の勇者シリーズは今後絶対に読むつもりもないし映像作品にも触れる気はないけど、作家が息抜きに趣味で書いた短編を読むだけでその人の事を本当に嫌いになる事ってあるんだなと思った
[追記]
ムーンライトにある女性向けのTS・精神的BL物には楽しめた作品があるので何故か一部の作品だけ受け付けないのが自分でも不思議だったけど
どちらかと言えば色々な要因とTS・精神的BLの合わせ技であそこまで自分には合わなかったのかなあと思った
・主人公が精神的同性愛者にも関わらず同性愛者を蔑視するような発言をした(「同性の事を好きになるなんて頭がおかしいよな」みたいな。BLGLではよくある自虐の台詞らしい?)
・主人公の内面と外面があまりにかけ離れていて所謂腹黒キャラに見えた。モノローグでの一人称は男性口調でかなり口も悪いのに会話の時は女性口調で穏やかな感じ。
・TSした主人公以外の女性キャラが皆極悪人で主人公であるTS聖女が次々とその悪女達を始末していくヘイト物?ざまあ系?みたいなノリ?だった。普段読まないジャンルなので間違っているかもしれない。
書いてる内に思ったけど僕にこの作品が合わなかったのは投稿されたサイトがノクターンであるかムーンライトであるかはあんまり関係ないような気もしてきた
ムーンライトの方に投稿されていたら読まなかったかもしれないなとは思ったけど、ノクターンで人気上位の作品だからきっと自分にも合うに違いない!と勝手に期待して読み始めて合わなかったから勝手に嫌いになった逆恨みなんだな
読んでから数年経つのにこんな強烈に心の中に残っているあたりやっぱりプロの作家さんの作品は違うなあ、と今更ながら思わされた
内容は
②ファン層の変化
③ゲームに期待したい事
の3本です
=====
子どもっぽい暴言の多いキャラがなぜ受けたのか。理由としてオタク特有の2次元の悪口を言う女≒3次元の女友達との会話という感覚と幼馴染という百合受け属性が大きな部分でありましょう。
近年の総草食化に伴い女性と会話をした事の無い男性が社会的に増えています。オタクも例外では無くむしろ最たる一群と言えましょう。そういった社会経験の不足から悪口を親愛な相手への特別なコミュニケーションと捉えるのも無理はありません。現実では言われたことが無いため悪口を愛情表現=自分への好意と捉えるオタクの自己肯定感を満たし人気に繋がったのでしょう。とある配信界隈でも似た現象が見受けられます。
百合要素に感してはかなり分かりやすいのではないでしょうか。幼馴染というのは一言で表しにくいキャラ性を描いてきたシャニマスとしては珍しい記号的要素に思えました。
個人的には割と好ましくない動きです。一言で言うなれば「コンテンツが好きな自分が好き」な人達が増えたような気がします。つまりコンテンツの人気=自分の人気と錯覚し自己顕示欲を満たす人達です。他マスで言えばデレ総選挙のナターリアや工藤忍の宣伝事件がわかり易いでしょうか。こういった人達の増加はコア層の減少や新規のハードルを上げ排他的にしてしまいコンテンツやキャラ人気衰退を招く危険があります。ナターリアは宣伝があった去年こそランキング9位だったものの今年は圏外となりました。歪んだ自己顕示欲が招いた結果と言えます。
シャニマス内で言えば本スレなどで唐突に長文(的外れか如何を問わず)キャラ解説(もどき)を始める所謂「怪文書」や鳥や5ch等の特定のコミュニティでしか通用しない題材を外部で常識のように語る人達のことです。個人的な見分け方としてはゲーム内イラストをアイコンに設定している鳥ユーザーはそういった傾向が強い印象にあります。
研修の充実等当初は無かった要素が実装され徐々にだが初心者のハードルは下がりつつある。しかし開始当初の手持ちの無さは如何ともし難く今なお高いハードルです。個人的にはサービス開始から10日間は毎日1回無料10連ガチャが引ける等の救済があればと思います。最初から「よし課金するぞガチャ回すぞ!」とゲームを始める層はごく稀ですし門戸拡げる一環としても良いのではないでしょうか。
現在限定ガチャの確率は0.5%となっています。石が手に入れ易く天井も設定されているとはいえ他ゲーが大体同条件でも1%となっているのを見るとやはり低い。アイドルのコミュのクオリティを売りにしてきたゲームですしそのストロングポイントの売出しの為にもセレチケの頻度を増やす等でも良いが特に限定アイドルの入手手段は充実しても良いと思う。
シャニマスはまだ伸び代があるゲームだと思う(ゲーム性を除く)のでこのゲームにしかないストロングポイントの増強やユーザビリティの充実を図って行って欲しいと願っています。
僕はとある女性声優が好きである。彼女のTwitterのツイート通知をONにし、たまにリプライを送ったり事務所にファンレター書いたり、ラジオにメールを送ったりしている。
最近はこのご時世でイベントがないが、前はイベントにも行っていた。ここまでは一見するとただの「声優オタク」というか、推しを応援するファンに見えるのだが僕は所謂ガチ恋の部類に入ると思っている。だって恋愛感情を抱いてるくらいには好きだし。
ガチ恋と言うと、こう捉える人がいる。「声優とワンチャン狙っている」
しかし僕は違うのだ。正しくは「推しと結婚できるとは到底思ってはいないが、夢を見ている」が正解だ。これを解説しようと思う。
実際、本当に女性声優と結婚できると思って推している人間も中にはいるかもしれないが、僕はああいうタイプのオタクと一緒にされるのは真っ平御免である。自分は推しと結婚はおろか近付きさえもできないし、僕の存在なんか所詮Twitterのアイコンとハンドルネーム(ラジオネーム)でしか認知されていない、そんな関係だと割り切っている。
では何故恋心を抱き続けるのか?答えは簡単、自分がまともな恋愛経験をしてこず、自分に優しく接してくれる女性が女性声優しかいないからだ。
事実、オタクはまともな恋愛経験をしていない。一方的にクラスの女子に片思いをし、想いを伝えぬまま他の陽キャ男に取られて終わるか、告白してキモがられて女性不信に陥るかの二択だ。
そんな中僕らの元に現れてくれたのが女性声優という存在である。彼女らは僕らを楽しませてくれる。同じラジオネームで送り続ければ「またこいつか」と弄って認知してくれるし、お渡し会やリリイベに何度も足を運べば顔と名前を一致させてくれる。挙句の果てに「他の現場に行っちゃだめだよ?」とか抜かしてくる。
こんなん誰でも恋に落ちるだろ、なあオタク。
で、ここで2パターンに分かれるのだ。1つ目が僕みたいな「一生推します!」といったタイプ。2つ目が「これはこの子とワンチャンあるのでは?」と本気で勘違いしちゃうタイプ。前者も後者も変わらねえだろ!どっちも気持ち悪いわ!と思ったそこのあなた、正常です。自分でも何言ってるんだろうとか思えてきた。オタク怖い。
ていうか、本気で女性声優と繋がりたいなら道はいくつかあるだろう。いつまでオタクは「一般男性」になりたがろうとするのか。
あの一般男性は確かに男性ではあるが“一般”ではないのは百も承知なのだから一般じゃなくなる方法を試せばいい。
例えば声優事務所に雇われるとかさ、必死に勉強して高い学歴と豊かな才能諸々を携えてバ〇ダイナ〇コエンターテインメントに就職を目指すとかさ、今どきならソシャゲの運営会社だっていいと思う。サイ〇ームズとか。あと極論男性声優を目指して同業者になるとかね。
しかし現実問題、そこまでして女性声優と結婚したいというオタクは少ない。いや本気でそこまでするなら誰も止めないしやれるだけやってみろとは思うけども、オタクはオタクのままでいたいのが本音な部分もあると思う。趣味は仕事にしちゃいけないとかよく言うし。結局のところオタクは今の地位で趣味として女性声優を推し続けるんだと思う。じゃあ本気で結婚したい層は何をしているの・・・?話がループしてね・・・?
この問題、色んな業界に言えると思う。風俗嬢から認知を貰って通い続けてワンチャン狙ってるおっさんも世の中にはごまんといるだろうし、これの地下アイドル版なんてもっと古くからあったと思う。ていうかあの業界の方が「ファンと繋がったので解雇」とかよく聞くし。
あと最近はVtuberな。スパチャ読みがどうこう話題になったりしたけどあれ女性声優よりタチ悪いと思う。てかVtuberガチ恋って何?アバターに恋してるのか中の人に恋してるのか分からん・・・別に批判する気はないけど。
つまるところ、声優オタクは夢を見ているんだと思う。ディズニーランドと一緒だ。ミッキーマウスを始めとするキャラクター達はゲートをくぐった瞬間から我々に夢と希望、何よりも笑顔を与え、退園するときにハッと夢が覚める。
僕らも女性声優のニコ生番組を見ている時はずっと笑顔だし、可愛くて面白い人たちは夢を与えてくれる。そしてニコ生のアンケが終わってウィンドウを閉じた瞬間夢から覚めるのだ。そんな短期的にも程がある夢を見続けていたのも束の間、夢を打ち砕く報道が目に入るのだ。「〇〇結婚!」
あの感情、未だに名前を付けられない。福山雅治現象?当然彼女らは自分のものではないし、結婚できないことも分かっていた。なのにどうして・・・祝福、悔しさ、虚しさ、色んな感情に襲われるあの瞬間は苦手だ。それが顕著になったのが昨年末に某プロ野球選手と結婚した女性声優である。
日付が日付だっただけに、某巨大イベント1日目に向かうべく明け方起床した僕の元に飛び込んできたその報道は何とも言えない空虚感を生み出した。別に僕は彼女にガチ恋をしていたわけでもなければ特に推していたわけでもない。好きだったけど。で、色々考えた結果がこれ。
当たり前だろボケ
アイドルはトイレに行かない!みたいな言葉が昔あったけど、人のこと言えなかったんだねアレ。女性声優も人間であり一人の女性なので結婚もするし子供も産むしやがて死にます。
そこでようやく“現実”を見せられた人、割と多いのでは?特に同年代の声優オタクなんかダイレクトに刺さってそう。今まで(空想上の)彼女として接してきた人がいきなり遠くへ行ってしまった感じ。別に人の幸せを祝えない人間になるなと言っているわけではないが、推しの幸せは俺の幸せ!論を押し付けるつもりもない。一生推します!を有言実行出来る人は凄いと思う本当に。
当たり前のことを考えられないオタクは多い。ただ彼らは「夢」を見ているだけであると同時に「現実」から逃げている。本気で結婚したいオタクもそう、結婚出来るはずがないと割り切っているオタクもそう、皆夢を見ている。夢から覚めるのは自分に彼女が出来るか推しが結婚した時であるが、圧倒的に後者で覚まされる場合の方が多い。でも冷静に考えてみてほしい。顔がいい年頃の女性声優に彼氏がいないはずがないのだ。これは「ミッキーマウスの中にだって人間が入っている」という事実と同じようなものだが、みんなそんなことは忘れてディズニーランドの中で楽しんでいる。なので我々も、そんな世知辛い現実からは目を背けて推しのコンテンツを楽しんでいる。こんな生活いつまで続ければいいんだろうな。彼女を作ればいいと思う。
しかし彼女を作れたからと言って脱・声優オタクになるわけではない。ただ心の余裕が出来るのは確かだと思う。彼女出来たことないから知らんけど。そもそも彼女って何のために作るの?ガチ恋って何?恋愛って何?
人間たるもの、次の子孫を残さなければ生命体として失格だ。あっやめてください叩かないで…
結婚をしない自由が~とか、産みたくても産めない人が~とか、今の日本で子育てが出来るか~とか、そういう話をしたいんじゃなくて、一応ヒトという種としての考えね。で、こうするには早いとこ身を固めて世帯を持たなければならない。いつまでも夢を見続けているわけにはいかないのだ。だが僕は声優を推すのを辞めるわけではない。適当なところで自分で夢に見切りをつけるか強制的につけさせられるかは分からないが、その時まで夢を見ていたっていいじゃない。取返しがつかなくなった時に覚めたらヤバいけど。
ガチ恋という概念は人を大きく狂わせた。でもそれはある種の文化を生み出し、経済を回している。自分が貢いだ額は推しの給料に直結する(と思う)し、女性声優だって自分の固定ファンを少しでも増やして食っていかなきゃならん。ある女性声優は「アイ〇スのライブだと人が来るのに自分のソロライブには来ない」と嘆いたという。コンテンツに頼る時代は終わり、一人一人に貢ぐ時代。我々もそれに適応し、自分のお気に入りの声優を見つけ、追いかける。この文化が続く限り、ガチ恋という概念はあってもいいんじゃないかなあと思う今日この頃である。