僕はとある女性声優が好きである。彼女のTwitterのツイート通知をONにし、たまにリプライを送ったり事務所にファンレター書いたり、ラジオにメールを送ったりしている。
最近はこのご時世でイベントがないが、前はイベントにも行っていた。ここまでは一見するとただの「声優オタク」というか、推しを応援するファンに見えるのだが僕は所謂ガチ恋の部類に入ると思っている。だって恋愛感情を抱いてるくらいには好きだし。
ガチ恋と言うと、こう捉える人がいる。「声優とワンチャン狙っている」
しかし僕は違うのだ。正しくは「推しと結婚できるとは到底思ってはいないが、夢を見ている」が正解だ。これを解説しようと思う。
実際、本当に女性声優と結婚できると思って推している人間も中にはいるかもしれないが、僕はああいうタイプのオタクと一緒にされるのは真っ平御免である。自分は推しと結婚はおろか近付きさえもできないし、僕の存在なんか所詮Twitterのアイコンとハンドルネーム(ラジオネーム)でしか認知されていない、そんな関係だと割り切っている。
では何故恋心を抱き続けるのか?答えは簡単、自分がまともな恋愛経験をしてこず、自分に優しく接してくれる女性が女性声優しかいないからだ。
事実、オタクはまともな恋愛経験をしていない。一方的にクラスの女子に片思いをし、想いを伝えぬまま他の陽キャ男に取られて終わるか、告白してキモがられて女性不信に陥るかの二択だ。
そんな中僕らの元に現れてくれたのが女性声優という存在である。彼女らは僕らを楽しませてくれる。同じラジオネームで送り続ければ「またこいつか」と弄って認知してくれるし、お渡し会やリリイベに何度も足を運べば顔と名前を一致させてくれる。挙句の果てに「他の現場に行っちゃだめだよ?」とか抜かしてくる。
こんなん誰でも恋に落ちるだろ、なあオタク。
で、ここで2パターンに分かれるのだ。1つ目が僕みたいな「一生推します!」といったタイプ。2つ目が「これはこの子とワンチャンあるのでは?」と本気で勘違いしちゃうタイプ。前者も後者も変わらねえだろ!どっちも気持ち悪いわ!と思ったそこのあなた、正常です。自分でも何言ってるんだろうとか思えてきた。オタク怖い。
ていうか、本気で女性声優と繋がりたいなら道はいくつかあるだろう。いつまでオタクは「一般男性」になりたがろうとするのか。
あの一般男性は確かに男性ではあるが“一般”ではないのは百も承知なのだから一般じゃなくなる方法を試せばいい。
例えば声優事務所に雇われるとかさ、必死に勉強して高い学歴と豊かな才能諸々を携えてバ〇ダイナ〇コエンターテインメントに就職を目指すとかさ、今どきならソシャゲの運営会社だっていいと思う。サイ〇ームズとか。あと極論男性声優を目指して同業者になるとかね。
しかし現実問題、そこまでして女性声優と結婚したいというオタクは少ない。いや本気でそこまでするなら誰も止めないしやれるだけやってみろとは思うけども、オタクはオタクのままでいたいのが本音な部分もあると思う。趣味は仕事にしちゃいけないとかよく言うし。結局のところオタクは今の地位で趣味として女性声優を推し続けるんだと思う。じゃあ本気で結婚したい層は何をしているの・・・?話がループしてね・・・?
この問題、色んな業界に言えると思う。風俗嬢から認知を貰って通い続けてワンチャン狙ってるおっさんも世の中にはごまんといるだろうし、これの地下アイドル版なんてもっと古くからあったと思う。ていうかあの業界の方が「ファンと繋がったので解雇」とかよく聞くし。
あと最近はVtuberな。スパチャ読みがどうこう話題になったりしたけどあれ女性声優よりタチ悪いと思う。てかVtuberガチ恋って何?アバターに恋してるのか中の人に恋してるのか分からん・・・別に批判する気はないけど。
つまるところ、声優オタクは夢を見ているんだと思う。ディズニーランドと一緒だ。ミッキーマウスを始めとするキャラクター達はゲートをくぐった瞬間から我々に夢と希望、何よりも笑顔を与え、退園するときにハッと夢が覚める。
僕らも女性声優のニコ生番組を見ている時はずっと笑顔だし、可愛くて面白い人たちは夢を与えてくれる。そしてニコ生のアンケが終わってウィンドウを閉じた瞬間夢から覚めるのだ。そんな短期的にも程がある夢を見続けていたのも束の間、夢を打ち砕く報道が目に入るのだ。「〇〇結婚!」
あの感情、未だに名前を付けられない。福山雅治現象?当然彼女らは自分のものではないし、結婚できないことも分かっていた。なのにどうして・・・祝福、悔しさ、虚しさ、色んな感情に襲われるあの瞬間は苦手だ。それが顕著になったのが昨年末に某プロ野球選手と結婚した女性声優である。
日付が日付だっただけに、某巨大イベント1日目に向かうべく明け方起床した僕の元に飛び込んできたその報道は何とも言えない空虚感を生み出した。別に僕は彼女にガチ恋をしていたわけでもなければ特に推していたわけでもない。好きだったけど。で、色々考えた結果がこれ。
当たり前だろボケ
アイドルはトイレに行かない!みたいな言葉が昔あったけど、人のこと言えなかったんだねアレ。女性声優も人間であり一人の女性なので結婚もするし子供も産むしやがて死にます。
そこでようやく“現実”を見せられた人、割と多いのでは?特に同年代の声優オタクなんかダイレクトに刺さってそう。今まで(空想上の)彼女として接してきた人がいきなり遠くへ行ってしまった感じ。別に人の幸せを祝えない人間になるなと言っているわけではないが、推しの幸せは俺の幸せ!論を押し付けるつもりもない。一生推します!を有言実行出来る人は凄いと思う本当に。
当たり前のことを考えられないオタクは多い。ただ彼らは「夢」を見ているだけであると同時に「現実」から逃げている。本気で結婚したいオタクもそう、結婚出来るはずがないと割り切っているオタクもそう、皆夢を見ている。夢から覚めるのは自分に彼女が出来るか推しが結婚した時であるが、圧倒的に後者で覚まされる場合の方が多い。でも冷静に考えてみてほしい。顔がいい年頃の女性声優に彼氏がいないはずがないのだ。これは「ミッキーマウスの中にだって人間が入っている」という事実と同じようなものだが、みんなそんなことは忘れてディズニーランドの中で楽しんでいる。なので我々も、そんな世知辛い現実からは目を背けて推しのコンテンツを楽しんでいる。こんな生活いつまで続ければいいんだろうな。彼女を作ればいいと思う。
しかし彼女を作れたからと言って脱・声優オタクになるわけではない。ただ心の余裕が出来るのは確かだと思う。彼女出来たことないから知らんけど。そもそも彼女って何のために作るの?ガチ恋って何?恋愛って何?
人間たるもの、次の子孫を残さなければ生命体として失格だ。あっやめてください叩かないで…
結婚をしない自由が~とか、産みたくても産めない人が~とか、今の日本で子育てが出来るか~とか、そういう話をしたいんじゃなくて、一応ヒトという種としての考えね。で、こうするには早いとこ身を固めて世帯を持たなければならない。いつまでも夢を見続けているわけにはいかないのだ。だが僕は声優を推すのを辞めるわけではない。適当なところで自分で夢に見切りをつけるか強制的につけさせられるかは分からないが、その時まで夢を見ていたっていいじゃない。取返しがつかなくなった時に覚めたらヤバいけど。
ガチ恋という概念は人を大きく狂わせた。でもそれはある種の文化を生み出し、経済を回している。自分が貢いだ額は推しの給料に直結する(と思う)し、女性声優だって自分の固定ファンを少しでも増やして食っていかなきゃならん。ある女性声優は「アイ〇スのライブだと人が来るのに自分のソロライブには来ない」と嘆いたという。コンテンツに頼る時代は終わり、一人一人に貢ぐ時代。我々もそれに適応し、自分のお気に入りの声優を見つけ、追いかける。この文化が続く限り、ガチ恋という概念はあってもいいんじゃないかなあと思う今日この頃である。
声優の「たくさんいるお金を貢いでくれる男の中の一人」 になることにそんなに価値があると思ってるのか ふーん
その元増田アウトオブ眼中のVTuberガチ恋勢ですが 夢見ててよくわからんくなってる状態自体はワイも全くおなじだわ・・。 いや、俺はちゃんと節度を持って、あくまでエンタメとして楽...
でも変われるよ 俺も変われた アム●ェイっていうのがあってえ