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はてなキーワード: 南郡とは

2021-06-28

anond:20210627145126

まあこの論をつきつめると蒼鷹と呼ばれた前漢の酷吏の寧成を思い出すな

さらにさかのぼると商鞅がいて、彼の思想中国人の残虐さや独裁化しやすさにかなり貢献していると思っている

3000年も続いているのは恐ろしい話であり、中国民主化などまず不可能なことがわかる

1989年に惜しいところまではいったが)

日本中国と違うのは民間自発的にそういう警察を買って出ているところだな

そこが日本治安民度を高いレベルで維持してる理由ひとつだと思う

寧成 - Wikipedia

寧 成(ねい せい、生没年不詳)は、前漢武帝時代の酷吏と呼ばれた官吏の一人。南陽郡穣県(現在河南省南陽市鄧州市)の人。 略歴[編集]. 寧成は景帝の時代に謁者として仕えていた。悪知恵に長けていて、残酷性格の寧成は上役を押さえ込み、部下を巧みに操った。寧成は済南都尉に任命された。おりしもその済南郡にはのちに「蒼鷹」と恐れられることになる郅都が太守をしていた。 ... 当時は九卿は罪に落ちると自殺する者が多かったが、官僚としての出世を諦めた寧成は死刑囚用の首枷を外して ...

2021-06-03

南軍将軍銅像撤去って

記事見たら、南郡将軍でちなみに奴隷商人KKK幹部、て、どう考えてもそっちじゃん。

奴隷商人KKK幹部銅像撤去、って見出しにしなよ。

2015-02-23

孫権という三国時代英雄について

歴史関係三国志話題に昇った時、非常に地味だったという記憶がある。

何故なら、呉といえば大事な戦が孔明の引き立て役となった赤壁周瑜が頑張った荊州南郡呂蒙が頑張った樊城、陸遜が頑張った夷陵、孫権大敗した合肥

数えるほどしかなくて、その中でも孫権自身が直接赴いた戦争合肥くらいで、

その上、張遼に始まって満寵や曹休(石亭でのやり返しは陸遜周魴による)、王凌などにボコられて負けたくらいのエピソードしか持たない

戦争に行けば必ず負ける郭図のような人物だったらしい。

そのため、甘露寺での劉備との同盟といった正に英雄と呼べる場面もあるのに

張昭の家を放火したり陸遜根拠なく憤死させたり二宮の変での優柔不断さが原因で呉の滅亡を早めたりと

無能エピソードがちらほら伺えてしまって、

対する曹操徐州虐殺劉備長坂で妻子を捨てて逃げた事なんかよりもずっとクズだし、

何よりも孫権は上二人の英雄に比べて戦争に強いイメージがなければ、政治家として優れてたかすら疑問だ。

何せ、これまで暗愚扱いされてきた劉禅宦官政治朝廷が腐敗したとしても少なくとも40年は国を維持してきたとして

良君として再評価されつつあるのに対して、

孫権二宮の変晩年後継者選び等の老害ぶりを発揮したおかげで若い時の事績が霞む程の暗君ぶりや兄孫策の偉業を評価せず

皇帝即位後、父は皇号だったのに兄には王号しか与えなかった事から孫権自身人間性を物語るのに十分だ。

そのため、彼に関して三国時代の三人の名君の一人に挙げられるとこれまで評価されてきたが、筆者はそれには否としたい。

偶然三国時代に入ったため、たまたま呉国君主だった孫権英雄扱いされてしまっただけだろう。

若い時は呂蒙や蒋欽に勉学を勧めたり劉表から亡命してきた甘寧を受け入れたりと正に英雄と呼ぶに相応しかったが

それ以上に短所が悪目立ちしてしまったのが残念で仕方ない。

 
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