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はてなキーワード: アプリオリとは

2019-10-22

宇崎ちゃん献血ポスター:あれはステレオタイプ問題

身体的特徴を戯画化することは危険である、ということがこの記事論点です。

身体的特徴とは、人種、肌の色、性別、体型、はげ、あざ、病気怪我血液型などのことです。

まず前提としてポスターイラストステレオタイプ身体的特徴の戯画であるか否かについて説明します。

実写のポスターで同様のポーズがとられていたとしてもなかなか乳房を強調した写真だなあというのが個人的感想ですが、

イラスト特有技法として、顔は鼻がなかば省略されるレベルの簡略化が為されており強くデフォルメの利いた絵柄であるのに対し、

胸まわりの生地がぱつぱつであることを示すためのボタンホール周辺の皺が描き込まれています。かなり肉感であるよう意識された描写です。

これらを無視して単純に衣装アングルポーズだけで実写と比較することは、意味がありません。

実写に引き写すのであれば、胸の部分だけ立体的にするとか、胸の部分以外の彩度を下げるだとか、かなり強調の利いたデザインにせざるをえないと思います

「ただ描いてある女性巨乳なだけ」というのは、ちょっと、無理です。巨乳を描こうとして巨乳の描かれたイラストです。以降の文章はそれを前提としますのでその点はご了承ください。

ステレオタイプのなにが人権的に問題なのかという説明します。

黒い肌は白い肌に比べて醜く劣ったものである身体障碍者の物真似をして面白がって喜ぶ、A型は生真面目、などは判りやすい例かとおもいますが、

女性乳房性的煽情的ものである、というのもまたステレオタイプ一種です。

上記すべてただの身体的特徴です。ただ存在するだけのものです。醜い、滑稽、生真面目、煽情的、などはあとから意味付けされたものです。

乳房煽情的」なのではなく、「乳房煽情的である意味付けした観測者」が存在するだけです。

女性乳房に興奮するのは男性の性欲として自明のことでありそんなにもってまわって考える必要はない、という意見は恐らく出るとおもいます

しか普遍的人権侵害というのは存在するので、普遍的であること自体免罪符にはなりません。

女性月経を穢れとみなす文化は全世界普遍的にみられるものですが、現代日本でまったく問題なく受け入れられるべき価値観だと考えるひとはさすがに存在しないでしょう。

衛生面や科学無知などから当時は合理的な慣習であったとしても、現在においては現在合理性人権思想において捉えなおす必要があります

また繰り返しますが、ここで批判されているのは男性性欲ではありません。これはステレオタイプ問題です。

また、「もし男性器が戯画化されたもの公共の場にあったら」という例え話に対して、「極端だ」「大真面目にコメディのようなことを議論して馬鹿みたいだ」という反応を見掛けました。

これは重要示唆です。

ここまで述べてきたとおり、身体的特徴自体には意味はなく、ただ意味付けを為す観測者が存在するだけです。

男性器と女性乳房は完全には対応するものではないとしても、すくなくともここまでの違う反応を引き起こすほど別種のものであるとは思えません。どちらも性別特有の器官であることは共通です。

ならばなぜこの反応の差は生まれるのか、それを考えると、女性乳房にどれだけ過剰に意味けが為されているのか、それが自明のものとされ続けてきたのか、多少は推しはかることが出来るかもしれません。

ここまでを踏まえて、「ただ描いてある女性たまたま巨乳なだけだろう。なにがいけないんだ」というのは実は大変意義深い指摘です。

実在女性乳房は様々です。ですから表現としての女性も、自由に、様々であるのが本来です。これは正論です。

ですがそれはステレオタイプ危険性について合意形成が為された社会ではの話です。

現在日本では時期尚早であると私個人判断します。

また、混乱させてしまうかもしれませんが、「乳房アプリオリエロなのではなく、意味付けを為す観測者がいるだけなのだ」という合意形成へ向けて、必ずしも宇崎ちゃんポスターへの批判を経由する必要はありません。

他にもルート存在します。

たとえば、短くまとめることを優先して極端な例えになりますが「明日から全女性が乳房露出して生活する」ルートなどです。

恐らくこのルートのほうが合意形成までにかかる年数は短時間で済むでしょう。メリットはあります

しかしこれらの方法論は女性ステレオタイプから被る犠牲一時的にであれ増大させるものでもあり、私は提案できません。これを弱さであるとする指摘は受け容れます

活動家の方には心から敬意と感謝を表します。

最後に、「結局萌え絵が気に入らないんだろう」という指摘も見掛けましたが、それは間違いです。

ビール広告ポスターがかつては揃って水着女性グラビアばかりだったことはご存じでしょうか。

しかしこれらは十五年近く前に既に廃れています。実写ではとっくに消えたとおもわれていた手法が繰り返されていることにぎょっとされているだけです。

表現の新しさゆえではなく古さゆえに批判はなされています。それは確かです。

質問疑義には私からは回答しません。専門家ではなく危険だとおもうので。

もしこの記事を読んでなにかしら腑に落ちた気がするいう方がいたとして、なにぶん素人のいうことなので鵜呑みにはせずみずから調べるなり考えてみるなりしてもらえたら本望です。

2018-11-06

anond:20181106092704

シスヘテは知らんけどアプリオリは時々使われるからこの機会に覚えよう。アプリオリ=先天的でだいたい話は通じる

アプリオリとかシスヘテとか

単語意味からねえよ……。

理解を求めるなら相手理解やす単語に置き換えるか、最低限の解説はしてくれよ……。

何の説明もなしに専門用語並べて理解が無い!って、出来るわけねえよ……。

2018-11-04

女体がアプリオリに男の性欲を喚起するのは生身も作り物も同じなので

この「作られた」ものか否かという区分って意味あるのかな?

かえる(ふくろ)さんのツイート: "「女性下着エロいから下着屋も規制しろ」「太もも卑猥ならミニスカート歩いてる女性規制対象だ」などのように、区別がつけられずお困りの人がいたら、この画像2点を見せてあげてほしいです…こちらの画像はご自由にお使いください(いらすとやさん素材ですし)… https://t.co/Jw5IV54Ec7"

https://twitter.com/orz404/status/1058683023187632128

男は肌の露出の多い女体を目にしたら性的興奮を覚えるわけで、それこそアプリオリ先天的)に。一応シスヘテロで十人並みに性欲のある男と限定して。

海綿体に血流が集まって射精欲求高まる原因となるという点では、AV二次元の作られたエロと生身の露出多めの女体は変わらないです。その女体の持ち主がどういう意図でその格好を選んだのかとか関係無く。

から女性はいたずらに男の性欲を煽らないようにブルカで隠しなさい、それが女性自身の身を守ることになるのです、ってイスラム教の発想が出てくるわけじゃない(あ、僕自身女性トップレスで街を歩いたとしても強姦する男の方が悪いって立場です)

2018-03-16

あらゆる物事がないほうがよいって考えは拡大された自殺願望みたいなものなんだけど、

その背景にあるのは永劫回帰っぽい考えと自然選択アプリオリっぽいって考えなんだよな。

永劫回帰っぽい考えってのは、これから先も自分同類が苦しみ続けるんだろうなあみたいな。

自然選択アプリオリっぽいってのは、物理法則とかはむしろたまたまそうなってるって感じるけど、

自然選択みたいなのはどこでも当てはまりそうって感じるっての。

どんな願いでも叶うとしたら、あらゆる物事をなくすのほうが確実だろうが、

望むものを無条件で苦しまずに死なせる制度を最優先で機能させるでもいいかもしれない。

2018-02-27

差別ではあるよね」の合意ナンセンスで自滅的

https://anond.hatelabo.jp/20180225105423

それらは不当な差別だ。でも、不当な差別と現今の環境下では許容せざるを得ない差別は、外形上区別できない。だったら、変な理屈をこねて後者を「差別じゃない!」と言い繕うべきじゃない。それは前者をも免罪してしまう。

元増田の主張の基本線は上記記述に集約されるのだが、そもそもこれはかなり疑わしい主張である。外形上区別できないならその時点で全部同じカテゴリーにくくるべきだという主張は全く自明ではないし、もっともらしいものでもない。我々は外形上区別できないもの区別すべきでないんだろうか? そんなことはない。

たとえばある人物解雇されたとして、それが雇用差別の結果であるかどうかは外形上(解雇された)の議論では決着がつかない。差別の結果として職を失うということは当然あり得ることだが、だからといってあらゆる解雇は外形上雇用差別区別がつかないので差別であるなどというのは馬鹿げた主張である元増田の主張はそのレベル

我々は提起されている「差別」(女性差別でも、男性差別でも)の実質について、倫理的技術的・合理的歴史的観点から精査を加えることができるし、そうすればよいだけの話である

そしてそれは「変な理屈をこねて後者を「差別じゃない!」と言い繕う」こととは違う。その種の精査を「変な理屈をこね」ることだと頭から決めつけて、差別論が外形的・表層的な次元に留まり続けなければならない理由はない。もちろん、提起された「差別」が差別ではないことの指摘や反論の中に「変な理屈」が紛れ込んでしまうことは当然ある。しかし我々はその「変な理屈」をあらかじめ排除することなどできないし、あらゆる指摘や反論が「変な理屈であるわけでもない。外形上区別できないものの実質を精査することを「変な理屈」と規定するのであれば、我々は差別について意味のあることをまるで考えられなくなるだろう。

さらに、

加えて、差別差別である認識されていない状況はそれ自体不正であるから、というのもある。「○○は単なる区別から差別じゃないよね~」という言辞に、どれだけの被差別者が苦しめられてきたか。そんな言い分を許さないことは、正義への一里塚だよ。

元増田は述べるが、しかしその代わりに「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」と「不当な差別」の区別是認されるのであれば(そして、女性専用車両は前者に属するので一定正当性があるとする増田は当然是認するわけだが)、「○○は単なる区別から差別じゃないよね~」という言辞は、「○○は現今の環境下では許容せざるを得ない差別から、不当な差別じゃないよね~」に取って代わられるだけであり、彼の主張にとってこの区別是認は自滅的である

しろ、現下の社会においては「差別」という言葉に強い道徳的負荷が伴っているため、ある行為が「差別」ではないかという疑義を呈されれば、疑義を呈された側は「差別でないこと」の証明に取り組まざるを得ない。女性専用車両差別ではないかという元増田問題提起が強い反発や反響を呼んだのも、この「差別」という言葉が持つ道徳的負荷ゆえなのである

ところが「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」という言辞は「差別のものアプリオリには否定されない」という前提の導入を意味するため、「差別」という概念が持つ道徳的負荷を希釈することになる。それが被差別者発見や救済につながるという主張は甚だ疑問である

なぜなら、「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」という言い方によって新たな差別問題認識されたところで、それが「現今の環境下では許容せざるを得ない」と認められているうちは、その問題真剣吟味対象になることはないからだ。

むろん、これは「差別区別」のレトリックでも同様であるわけだが、要は「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」という概念を導入すべきという元増田の主張が、彼自身が提起している問題解決に何ら貢献しない(それどころか、悪化させる恐れすらある)ことを意味している。

以上を踏まえると、「差別ではあるよね」の合意ナンセンスであるばかりか有害ものである可能性もあり、ロジック自体も自滅的であると言わざるを得ない。

言うまでもないことだが、ある社会制度差別的ではないかという不断の提起と検討は、差別のない社会を実現するうえで極めて重要ものである女性専用車両男性差別ではないかという提起も例外ではない。

だが提起の妥当性は、「他の差別と外形的な一致をみるから」という一点のみによって証明されるわけではないし、議論をそこでやめるべきでもない。

女性専用車両いかに不当に男性尊厳を傷つけるものであるか、不利益をもたらすものであるかについて、丁寧に議論すればよいだけの話である。もちろんその議論は様々な批判や反発に晒されるであろうが、そういった議論応酬以外に我々の差別に対する認識を深化させる方法はない。

その議論過程においては、「痴漢被害経験のある男性」の存在が指摘されるだろうし、セクシャルマイノリティを包括した社会制度必要性といった論点も出てくるかもしれない。

しかしそれは、「現今の環境下では許容せざるを得ない差別」と「不当な差別」という区別の導入の所産ではないのである

なお筆者は、女性専用車両自体女性安全公共交通機関の利用を保障するうえで次善的に妥当措置であると考えるが、そもそも女性専用車両存在しなければならないような社会の在り方は女性差別であると考える。女性専用車両男性差別であるという主張もそれ自体排除するつもりはないが、元増田を含め外形上の一致以外の議論提示されないので検討しようがない。現時点での本邦の司法判断は、女性専用車両男性に対する不当な取り扱いであるとは見なしていないようである

2017-05-28

松本人志とか高須とかってさ

一生懸命金稼いだんだけど使い道がわからず、遊んで暮らす事にも引け目を感じるから

なんか政治とか語っとけば国の為に貢献してる気になるっていう、

一生懸命働く人は偉い→金を稼いだ人はさらに偉い→金を私的に使う人はダメ→それなりの地位にある人は国の為に滅私奉公しなければいけない→国の為にお金を使う人が正義

という、神の見えざる手によって仕組まれミームなんではないか、と思い始めた。

っということは、一生懸命働くってことをアプリオリに良しとするのは結局は全体の意思なんであって、それを自負するというのは完全に思考停止に陥ったビッグブラザー万歳とか言ってるあの人達と何が変わらないんだろうか。

2016-12-27

http://anond.hatelabo.jp/20161227141142

個々人に備わる何らかの特徴について、社会的問題にならないものを「個性」や「才能」と言い、問題になるものを「病気」「障害」と呼んでいる。

たとえば身長が高いことはだいたい役に立つので「個性」扱いされるが、それも度が過ぎてさまざまな支障が出ると異常とみなされて「病気」となる。

アプリオリな「異常」があるわけではないし、先天か後天かは関係がない。

2016-10-01

死なねーよ

――

長谷川豊による「自業自得透析患者は殺せ!」との一連の言説から炎上が、

イケハヤエントリ提示した「あるべき倫理観」によって収束解消されてってる気がする。

けど、あんな御為ごかしで溜飲下げてる阿呆運動瞑想睡眠野菜PCの電源落とした後にモニタ映る怪物との対峙が足りない。恐ろしい恐ろしい。げに恐ろしきは人の心。ああ今はスマホか知らん。靄靄するので書き出す。

長谷川の繰言もイケハヤの戯言も個人責任論に終始している。本来いま議論し深めるべきは、来るべき苛烈負債処理社会に向かう再分配制度の再設計、人命尊重至上主義からのその基盤となる思想、そのパラダイムシフトする方策なのだろう。一連の話は関連するがまずはさておき。

それにこの文章は腐れトマトの与太の与太っぷり、味わい深さについて口上を述べるなんていう霊媒師の譫言だ。

――

” いやいや、そりゃあ、卑怯はいるでしょう。当たり前です。この世から犯罪はなくなりません。”

まず、犯罪者卑怯者は違う。これ混同すんのは真の与太者の思想だ。

エントリを要約する。

~~

卑怯はいる。けれど、「その人が弱者であるかどうか、卑怯であるかどうか」は判断できない(他人から自分からでも、)

から、人々の倫理観を高めるべき。それは他者に対する疑念を捨て、他者を信頼すること。

「大半の人は正しく行動している」と信じることで、自分自身も正しい行動を取るようになる。

「みんなズルをしている」と考えている人は、当然ズルをしたくなる。

から、ぼくらはまず、信じなければならない。

不正をする人がいても、ほとんどの人はそれを正しく、望ましく利用している、のだと。

~~

自分でも他人からでもその人=自分卑怯者かどうか判断できないっていう考え方ね。

「その人」とは「自分」と交換可能じゃなければまずおかしい。ここでもう自分だけ特別なのか?

自分から他人からもその人または自分が×か○か判断できない、

もしくは、

自分から他人からも、その人または自分は×あるいは?、/じゃなければ○。

間違っているかどうかはわからないのに、正しいかどうかだけはわかる。現代詩かよ。

で、この「大半の人は正しく行動している」の「正しさらしさ;正しさみ」を判断している主体は誰?

これは、「大半の人は“ボクにとって正しいと思える”行動をしている」という程度の意味だ。

あるいは「みんなは、ボクから見て正しいと思える行動をしているなあ」って、阿が取れたら呆者だ。

ボクにとって正しいと思える行動をみんながしていると信じるならば、ボクにとって正しいと思える行動を取ることは容易い。

ボクにとってズルと思える行動をみんながしていると信じるならば、ボクにとってズルをするのは容易い。

お前はどこからどのようにその価値判断基準を得てきたんだよ。社会から自分なりに、だろ。

から大体において自分は正しいわけだ。なのに、差異があり、衝突もある。おかしいな、自分は正しいはずなのに。当たり前だ。みんな自分なりに様々な文化社会から得てるんだから

みんな違うのです。なので絶対的な正しさはないのです、だから自分から他人から価値判断されるものではないです」などと言うのは誤りだ。それは社会上、相対的に決まる。たとえば法律がある。人がどう思うかによる。

アプリオリかどうかとかは知らん。;

このひとつ人間心理思考回路は、拙筆にも矛盾なく親しく感じられる。私はこの心理を、日常生活においてはあなたや、誰にとっても矛盾なく親しく感じられるものと思っているが、厳密には誰かにとって矛盾なく親しく感じられない可能性があることは理解している。)

――

そして、自分から他人から価値判断ができないとするなら

たとえ、「ボクにとってさえ本当はズルいと思える行動」があっても、他人によってそれがズルかどうか判断される意味はなくなる。

また、ボクに良いこと・自然なことと思えることこそ、他人にとっても良いこと・自然なことだと思えるようにならざるを得ない。

――

ここで正しいとか間違ってるとかいうのは、人間社会での価値判断だ。それは単純な話、みんなが間違ってるって言ってれば社会通念上の間違いだし、みんなが正しいって言ってれば社会通念上正しいってだけの話だ。

自分にとってどんなに正しいと主張しても、その社会において認められなければ間違いとされるし、自分にとってどんなに間違ったことだと主張しても、その社会において認められなければそれは正しいとされる。Xはなんでも良い。論理の式が真理なだけだ。

自分価値判断自由だし誰にも侵されない。考えてるだけなら自由だ。でも、文章をはじめ、行為にしたとたんに何らかの、他者から評価価値判断は免れ得ない。

――

懸命な諸氏にあられては既にお気づきのように、紐解けばこれまでの、逃亡トマト師への批判齟齬ないだろ。で、お前らも揃いも揃ってサイコパスか。って言いたいためだけに書いてる。

――

ほとんどの人が「それ」を、自分にとって正しく、自分にとって望ましく利用しているはずだ。

自分にとって正しくなく、自分にとって望ましくない「それ」の利用が不正と思えるだけだ。

たとえば「それ」がなされなければ死ぬというとき、「それ」が自分にとって正しくないことだ、なんて言えるだろうか。

現に制度が整備され、第三者によって利用が認められ、「それ」なしでは自己保存本能が侵されるときに、「それ」を断てるだろうか。

そこに「卑怯者」はいない。社会通念上の価値判断を外してただ個人生存から見るならば。

そうなったらみんな同じだよねと。

どんなイメージを持つかは自由だけど、基本的にはただ待ってるだけで自分存在が脅かされるときに、何もしないで待っていられるのは、そりゃ馬鹿釈迦瞑想のし過ぎのどれかor全部だ。

誰もがみな生きることに必死だ。必死で生きてるんだから必死なのに生きずにはいられないんだから

死にたくないんだ、より生きたいんだ、卑怯もクソもあるかよ。使えるカードはみんな使うよ。

要するに生存競争なんだからと。それを敷衍してけば、バレなきゃなんでもアリだ。捕まらなきゃいいんだ。バレてもゴリ押せば勝ちだ。大義名分の下に持てる力全て使ってこの先生きのこるんだと。

から、誰かに対して、あなた方だけはどうぞご遠慮くださいなんて言い出す奴は、お前こそ御免下さいだとよと焚べられるのも当然の流れで。

じゃあどうするのか?爺婆が自分自分を火に焚べるのをまだかなまだかなって夕ご飯よろしく待つか。あるいはカタワらもまとめて誰かが知らぬまに処理してくれるのを見て見ぬふりするか。とりあえずどう考えても自業自得っぽい麻薬中毒者はガンガン殺してもいいかな。もちろん人殺しはどんどん死刑にしよう。「私達」が安心して生きられるようになるまで、どんどん減らそう。

ね、だいたいそんな感じで人類は衰退するんじゃないかな。トランプが勝って、核もまだいっぱいあるし。おそらくそのほうが最適なのかもね、地球全体にとっても。

自分自分制御できないんだからAI操作してもらい、バランス取ってもらうのが最後の頼みの綱ではあるよね。環境適応して増殖し始めちゃって自分達では止められないんだもん。ライフゲームよろしく、絶妙バランスを、自分たちの手だけで構築できるなら良いけど、どうやら無理っぽいし。ホーキング博士イーロン・マスクが恐れてるのってそういうことだと思うけど、もうそれ以外に方法がない。自分だけ助かる方法なんてないし、結局みんな死ぬんだから、まあ、それでいいんじゃないかな。

ただまあ、欲を言えば、シンギュラリティ、見届けてから死ぬつもりではあるけど。まあ、とりあえずお休みなさい。

2015-12-24

ユメニーでマジイキすると現実に戻れなくなるのでおすすめしま

http://anond.hatelabo.jp/20151223021454

http://anond.hatelabo.jp/20151223201827

すみません、御二方に便乗する形になりますが、少し思うところがあったので。

未知なる快楽に挑戦するといった観点からは、たしかアナニーもサイニーも有効アプローチですし、そういった活動真摯に取り組まれる方を心から尊敬しています

ですが、もしも本当に《快楽彼岸》へ辿り着こうとするならば、私たち現実を捨てなければならない。私は長年の自慰研究において、そう確信したのです。ややマイナーな部類ではありますが、ここではユメニーをご紹介いたします。

ユメニ―というのは、その名の通り「夢」のなかでオルガスムスに到達する方法です。

前提条件として

 1.夢の内容を記憶していること

 2.夢を自由自在に操れること

 3.興奮によって夢から目覚めてしまわないこと

の3点が必要です。そう、つまり明晰夢によって極地に達するわけですね。

ユメニーの場合男性は大変ですね。男性性的な夢を見ると、無意識的に射精をしてしま性質夢精)があります。これがユメニ―修行の大きな難関として立ち塞がります

男性はこれまでの経験から、「射精の瞬間」を悦楽のクライマックスだと誤認している。まずはこの認知エラー修正する必要があります。(手始めにアナルを開発すると良いです)

夢のなかで満たされる快楽と、精液を放つ快楽とでは、まさに「月とスッポン」です。たかだかスッポン快楽に溺れて愚かな行為に走ってしまう人が後を絶たないことを、私は悲しく感じますし、憐れみさえ覚えるものです。

私たち人間は、理性ある動物として、肉体的な快楽と決別すべきです。さらなる高み、上位の快楽次元を追求し《超人》を目指すのです。

快楽上位次元への到達が唯一可能なのは、ユメニーだけであると私は考えます

いいですか? 夢のなかでは、時間も、空間も、すべて私が支配する。《空間時間》というアプリオリ概念を夢によって塗り替えるのです。

私たちユメニストは、日頃から夢日記」「アクティブイマジネーション」「瞑想」「補色残像を用いたイメージ拡大訓練」「体外離脱」「自律訓練法」「意図的金縛りを引き起こす」などの血の滲むような修行を積んでいます明晰夢の完全会得には、私も4年の歳月を要しました。

初心者の方には「夢日記」をおすすめします。夢の内容を忘れてしまうのではユメニ―など夢のまた夢ですので、まずは夢を忘れない能力を身につけてください。

夢日記を1年間も続ければ、かなり鮮明に夢の内容を記憶しておくことができます

夢日記は、枕元にノートペンを置いておくか、もしも初期投資を惜しまないのであればポメラを買って活用するのが良いです。

私はすべての夢をポメラで記録していますが、あれはとても楽です。Wordに移して確認してみたら、夢日記の総文字数が300万文字に達していました。小説を書くわけではないので、文体はめちゃくちゃで、箇条書きや単語の羅列でも構いません。とにかく「継続すること」が大切です。

夢を記憶できるようになったら、次は明晰夢(夢のコントロール)を会得します。詳しい訓練法と書くとこのスペースではとても書ききれないので、ググってください。

最近幽体離脱にはまった』というタイトル2chウィキおすすめです。

幽体離脱と聞くとオカルトな印象がありますが、言ってみれば身も蓋もない「明晰夢」のことです。したがって「幽体離脱を会得する=明晰夢を会得する」と考えて頂いて大丈夫です。

幽体離脱ができるようになったら、いきなりエッチなことをするのではなく、まずは「夢の滞在時間を伸ばす」訓練に努めてください。私の場合は「夢世界カップラーメンを作る」という修行を積みました。これで最低でも3分間は夢世界滞在できるのです。

自称明晰夢者――クリアドリーマー」には、たった10秒間くらいしか明晰状態を維持できないのに「俺はできる」と思い込んでいる人がいます。私もかつてはそうでした。

しかしそこで満足していては成長がありません。明晰夢ができるようになっても、現状に甘んじてはいけません。人間はいだって成長できる。精神的に向上心のないものは、馬鹿です。

熟練のプロともなれば、夢世界で3年近くを過ごせる人もいます。(3年というのはあくま体感時間であって、現実時間ではありません)

レベルダイブするにはコツがあって、それは「夢のなかで眠り、もうひとつの夢を見ること」(夢中夢意図的に作り出すこと)です。夢中夢をある程度コントロールできるようになれば、目が覚めてもそこは現実世界ではなく夢の世界になりますので、理論的には半永久的に夢のなかにまり続けることができます。(理論通りにいかないのは、人間の肉体としての限界が必ずどこかで生じるからです)

ユメニ―の素晴らしさを知らない人が「たかだか夢のためにどうしてそこまで努力するんだ?」と疑問に思われるのは仕方のないことです。しかしよく考えてみてください。もしも夢のなかで、なんでも自分の思い通りにできて、しかもそのリアリティ現実を上回るのだとすれば、それに優る幸福がこの世界のどこにあるというのでしょうか。

私は夢のなかではすでに、恋人と5年以上付き合っています。夢のなかでは友人にも恵まれ永遠青春を満喫しています現実世界のことで悩んでいる人たちを見ると私は「まだ現実で消耗してるの?」と声をかけたくなるのです。

さぁ、現実なんて捨てて、私と一緒に夢の世界に逝きましょう。

まずは夢日記それから明晰夢です。高度に情報化された世界では、夢の操縦法なんてもの検索すればいとも簡単に情報が手に入ります最初の第一歩を踏み出すのは、これを読んでいる方々です。

えーっとどこまで話しましたっけ。というか今私は文章を書いていますが、ここって本当に現実世界なのでしょうか。

なんかキーボードがふわふわとしていて感触がないんですよね。

ああ、声が聞こえますね。アヤコの声です。可愛いですよね。

多分書いたと思いますが、今ここにいる彼女が、5年間付き合っている私の恋人なのです。

近いうちに結婚する予定で、ええ、幸せな家庭を築けるように頑張らなきゃですね。イブ増田なんてよしてよ、とアヤコが笑っています。あ、そんなとこ触ったらくすぐったいって。あ、アハハハ。

あ、本当に呼ばれているので、ちょっと離脱しますね。ではまた名倉で

2014-07-26

http://anond.hatelabo.jp/20140726162311

運指どころか五線譜読めない奴に

原典』みたいな「古典的な曲や練習方法」をいきなりやりこませてどうすんの?

それこそ、「アプリオリ」って何?って奴に「カント読め」って言ってるようなもんでしょ。

そんなのハナっから無意味に決まってる。

ある程度弾けるようになることが目的なんだから

技術習得の一番効率の良いメソッドを与えりゃいいだけのお話。それがこの場合の「基礎」。

それと、学問原典至上主義ってよく聞くけど、

おまえらあれだけの言語バリエーションを全部原語で読んでるの?って思うわ。

訳書でよんでるなら、和訳した用語がどのように使われてるか先に理解しないと

絶対読めないと思うんだけど。頭の良さとは無関係に。

よくいるよね、原典読むには読んだけど全く理解してないバカ

ちなみに、専門家研究者としての「基礎」って意味なら、原典読んでるだけじゃ全く不足でしょ。

その原典を取り巻く文脈や歴史的背景、そこから起きてきた議論や現状での統一理解と、解釈割れてる部分まで

理解してやっと「基礎」じゃない?

あなたの仰る基礎って、初学者にとっては最高に効率の悪いクソみたいな学問の修め方だし

専門家にとっては、とてもとても基礎とは呼べないものだと思うけど。

まぁ、社会学政治学の基礎を公務員試験過去問で学んじゃうような専門家様だからしょうがないんだろうけどね。

2014-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20140720121205

統計の基礎」なんてクソほどもどうでもいいのよ

体力面で男に大きく劣るのが確定してる時点で

他の能力も推して知るべきっつー話ではあるわけで。

ホワイトカラーだって体力大事からね。

この辺も併せて、「同様の仕事をさせて比較させた場合

男女の生産性に差がない」っていうなら

それは統計の基礎とか言う前に、まず知能の問題を疑うべきじゃないですかね?

ですかね?

筋力、持久力、集中力の持続、この辺りはなんぼでも男女差のソース出るでしょ。

んで、日本教育事情が原因だかアプリオリ能力差が原因かは知らんけど

その辺のテスト結果をあされば男女差は明白なわけで

こんなん、「統計の基礎」とかどーでもいい話を持ち出すまでもなく結果でてるでしょ

http://anond.hatelabo.jp/20140720120422

完璧フラットな条件の統計なんて取りようないんだから

日本経営者が「日本の女を雇うべきか否か」を考えるなら

その辺の統計で十分じゃないの

そりゃ、女性能力アプリオリに男に劣るかどうかなんてどうだっていい

クソほどもどうでもいい

現実日本で男とよーいドンさせたら女は劣る

そこで話は終わり、女を雇うのは不合理。

経営者は不合理な判断はしない。はい女性社会進出無理。

2014-07-07

http://anond.hatelabo.jp/20140707004311

では、文章の形式が

芸術性の高低を決定付ける」ことはあるのか否かを教えて欲しいなぁ。

この理屈だと、アポリネールゾラより芸術性が高いということになるけど

それでいいの?

そもそも「芸術性とは何か」を定義しなきゃいけない上に

文章の形式によってアプリオリにそれが決定付けられると定義するって

ものすごい理論アクロバット必要だと思わない?

確かに、芸術テクニック方法論はその作品と密接に関わっているけれど

それとこれとは全く別問題のように思うけどなぁ。

「詩は長編作品に比べると、高踏的な文化であることが多い」と言い換えるなら

それはそれでいいと思うけど。「芸術性」なんて言葉出したらそれじゃ無理だよね。

2014-02-03

http://anond.hatelabo.jp/20140203121003

ここまでのこいつの言動を振り返ってみよう

■男の浮気本能だってのは間違ってるけど?

アプリオリから

■いや、多くの学説がそれを否定してるんだけど?

→ていうか俺「本能」なんて言葉使ってないし

■「浮気本能」がアプリオリだ! って言ってなかった?

→よしんば言っててもデータがなければ論破されませーん

データがなくとも「根拠がない」ことは証明されてます

アプリオリから!!!

■お前自分が言ってること分かってる?

匿名から気にしないwww恥ずかしくないwww

→ていうか突っかかってきた方が負けだから!!!

2014-02-02

http://anond.hatelabo.jp/20140201221810

…確認させて欲しいんだけど、お前「制度の話はしてねえよ」っていってた奴と同一人物だよな?

ていうかアプリオリ君だよな?

日本にお前レベルのバカが二人以上いると思いたくないので頼むからそうであって欲しい。

これだけ引用されても

「ボクは『本能』って言葉を使ってない、だから浮気は男の本能だなんていってない!」

が通じると思ってるんだったら、ほんとうに、ほんっっとうにバカだな

2014-02-01

http://anond.hatelabo.jp/20140201132052

いやーほんとみっともねえな

次は「俺と別の人一緒にしてる?w」とか言い出すのかな、アプリオリ君は

そうだそうだ! ボクは「浮気が男の本能」だなんていってない!!

http://anond.hatelabo.jp/20140131221319

http://anond.hatelabo.jp/20140131221218

どんだけアプリオリだとか性欲と浮気イコールだとか言ってても

ボクは浮気を男の本能だなんていってない!!

から論破なんかされてない><

浮気は男の本能だ!」なんて前時代過ぎる言説を頭から信じこんでる奴よりは

バックボーン論理妥当性もある話をしてるよ。

http://anond.hatelabo.jp/20140131162212

信じているというよりは、もっとアプリオリな話だと思っていたが…

http://anond.hatelabo.jp/20140131162417



「性欲がある」と「浮気をする」がイコールで結べるわけないじゃん。マジでアホだな。

http://anond.hatelabo.jp/20140131164042

何度言えば分かるのか知らんが、ここではイコールで使っているんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20140131164249


んじゃお前の言う「男の本能」ってどこ情報よ? って話だよ

http://anond.hatelabo.jp/20140131170917

なんどアプリオリって言葉使ったっけ?

http://anond.hatelabo.jp/20140131171055

2014-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20140131171055

アプリオリだっつんなら「人間婚姻家族単位で暮らす」だろ

そして歴史の面から生物学的な面から人間習性はそれだって言われてんの

別に珍しい特性じゃねえよ、婚姻相手とのみ繁殖し、家族単位で暮らす動物なんてありふれてる

たんに「ボクはいろんな女とやりたいもん!アプリオリ!!!」って言っても何も変わらない

単にお前が人間として劣ってて、「本能としての」家族作りができないから

そのコンプレックスで欲求捻じ曲げてるだけなんじゃねえの

2010-10-11

目的論的生命

生命目的が子孫を残すことだ、っていうのは実はちょっとおかしな話なんだよね。

だって、じゃあ自己複製型の増殖をする生命は『子孫』を残すんだろうか。生物スタートラインはむしろこっちだったはずで、

自己コピーが際限なく継続することを「子孫を残す」とはちょっと言わないよね。

その過程の中で「無性生殖遺伝子のヴァリーエションに乏しいんだよな」っつーことで有性生殖が出て来た。

実はここで生命目的論的展開がすりかわってるんだよね。

自己の反復・継続が主目的だった生命がある程度自己を捨て去って多様性にシフトしてる。

この時点で「あれー、生命ってなにしたいねん?」って話に普通はなる。だって、幾ら遺伝子の一部が残るとしても

それは自己じゃない。単性生殖生命は明らかに自己の保存を重要視してる。

そこで、不意に母性の話なんだけれども。

最近研究で「母性本能」っていうのは神話に過ぎないことがわかっている。

ちょっと面倒な言葉を使うと「遺伝由来ではない」じぇねりっくえんどうめんとじゃないんだよね。

あれは、高等な生物サル以上くらい)に於いては社会生活によって形成されるもので、遺伝子上からはデリートされてる。

社会由来の生態なんだ。人間にしてももちろんそうで、実は人間アプリオリ母性本能なんてものはない。

教えてもらわなきゃわからないことなんだ。

そういうわけで、「子孫繁栄」ってのは人類にとって生物としての要請ではなく

社会的要請」なんだ。固体の要求ではなく、社会的存在としての人類が要求しているってこと。

だから、「子孫を残す」ことは生物としての勝ち負けではなくむしろ人類としての勝ち負けなんだ。

子孫を残したいという欲求は、本能ではなくむしろ制度に近い。ディシプリンという奴だ。

生物学という神話と結びついて強固化された制度に過ぎない。「直観的」とどっかの増田は言ってるけど、それは先験的なものでは全くなくモダン以前の人類史によって形作られた制度なんだ。どっかのハゲホモがそう言ってた通り。

しかし、最近になって人類は増え過ぎた。地球のキャパを越えて増え過ぎる我々は社会的要請より「多過ぎるわボケ」って

ことに問題を感じたりすることもある。まぁ、わが国は少子化なんだけれども。

要するに、人間の生存に「個体数」が大きな影響を及ぼさなくなってきてるんだ。少なくとも、先進国の中では。

では、元来が社会的要請であった「子孫を残す」もっといえば「殖える」っていうは、現在になってそれほど大きな要請じゃない。

子供作んなきゃ全滅しちゃうよ!誰が畑を耕して獲物を狩るんだよ!なんてコミュニティはあんまりない。

なにが言いたいって全ての生命を貫く大きな目的論なんてないんだよね。

もちろん、ガイア仮説からさらに引っ張った「人類地球精子だ、人類宇宙に出て行く生殖細胞だ、地球は大きな精子バンクだ」みたいなトンデモ仮説を出すことは出来るんだけど。生命目的論なんてのは結局確定できない。誰に聞いてもわからない。

そういうわけで、もっとずーっと階層を落として考えると、生命の「目的」というか明らかに共通する「目標」みたいなものはある。

それは欲求の充足ってこと。メシを食うとか性欲を満たすとか(≠生殖。同性もオナニーもアリ)そういうこと。こればっかりはどんな生物もあんまり関係なくある。もっと高い階層の欲求、社会的な欲求も含めて。

これをカッキリ満たした人が勝ち組なんじゃないかなぁ、生物学的に考えて、と俺は思う。だって、これくらいしか生命の共通する価値原則ってないんだから。だから、美味しいもの食べて楽しく生きて満足して死ね勝ち組だよ、生物学的に考えて。

・・・と哲学専攻出身の人間うろ覚えの知識で書いてみた。

ガチ生物学畑の人添削してくれ。

まとめ。

・「子孫を残す」っていうのは生物学的な要請ではなく人類史的な社会的要請だよ。

社会的要請っていうけど、それはちょっと古い時代のことで現在ではそんなに要請されてないよ。

・楽しく生きて満足して死ね生物学的には勝ち組だよ。

・子なしは負け組み、という観念生物学的というよりはむしろ宗教的だよ。

・子なしは近代以前の人類として負け組、なら割と合ってるかもしんないよ。

2010-09-25

ホメオパシーは確かに「正しい」

ホメオパシーだの代替医療だのといった、いわゆる疑似科学についてはあらかた意見が出されていて、もう議論の余地はないと思われるのだが、そうした問題について考えるとき、どうしてか疑似科学それ自体、もしくは推し進める当事者のことばかりクローズアップして、疑似科学を支持する利用者のことがあまり注目されないのはちょっと妙な話であり、この偏りはマズいのではないかと思う。

科学というのもつまるところ美術文学と同じであり、考案者と追実験者のコラボ、それを追いかけて信憑性や科学性を視認する研究者、そうして知識として蓄積された学問を後追いで学ぶ学生といった階層性が歴然として存在する。確からしさや権威は独創的な「表現者」が単独であれこれと試行錯誤するだけでは付随してこず、「鑑賞者」が群がってあれこれと議論することで科学体系は形成されるのだ。

とすると疑似科学もそれと同じことで、それが科学の衣をまとっていられるのは、「表現者」の誤謬だけではなく「鑑賞者」の支持も多大な要因としてあることが推測されるだろう。ところが件のホメオパシー議論では、「表現者」にばかり気を取られて「鑑賞者」側の心理を分析していくアプローチがあまり見られない。それどころか、医学と一対一対応させて医学に軍配を上げ、だからホメオパシーは誤りである、といったお決まりじみたストーリーで反駁する主張ばかりで、ホメオパシーという体系がなぜ批判されねばならないのか、という根源的な問題への解答を避けているものが少なからず多い。そうした偏向はつまるところ科学の絶対的真理性や反証可能性、さらにはアプリオリな真理の存在といった諸々の難解なテーマになんら疑問をもつことなく、権威の安楽さにフリーライドしていることの裏返しであり、彼らもまた科学という教条に絡め取られているのではないのかと危惧するに到る。

もはや焦点は「なぜそれが正しいのか」ではない。「なぜそれを信じるのか」である。「科学は正しいから美術文学とは違う」と言い張る人間がいる。そのくせ地球が丸いことを実地で確かめたこともないのだからおかしいものだ。正しさの担保が分からないなら、それは正しいのではなく信じているのである。ならば、「科学者ならそれ(=科学的知識)が正しいと言い張れるじゃないか」という反論は一見成立しそうだ。だが、それは同時に「疑似科学者ならそれ(疑似科学的知識)が正しいと言い張れるじゃないか」という主張となんら変わりないように思える。なぜなら、正しさの担保は今現在明確な形で示されていないからである。

ポパーにしろクワインにしろ、ある点で建設的な、もしくは過激な条件づけで科学の特徴を言語化しようとしたが、どれも一長一短で、条件づけした途端にそれまでれっきとした科学の一部であった知見が科学でなくなってしまう。幸い、ホメオパシーについては科学でないということはテストによって容易に示されるかもしれないが、知識の欠けた「鑑賞者」に関しては全く問題が別である。それがありがたい体系で身体の健康に役立つと感じられるなら、ホメオパシーもまた利用者にとって十分に医学でありうる。この認識論的な事情科学全般に延長できてしまうものなのだ。

今一度、問題点を問おう。科学というものは、証明能力を有する人間と利用する人間とで「正当」の意味内容が著しく異なり、しかも当の科学者であれ「正当」の普遍的な根拠が未決定の状態である。こう表現するとホメオパシー擁護論にも思われるかもしれないが、それは誤解だ。ここで言いたいことは、たとえホメオパシー支持者が科学的思考の持ち主でないとしても、ホメオパシーという体系それ自体が非科学的であることを決して意味しはしないこと、そして現代医学科学性がホメオパシー非科学性を意味しもしないことだ。後者の指摘については、免疫学が謎めいた「自然治癒能力」を反駁することが(今現在)できていないという一例でも分かるだろう。必ずしも、ある体系の正当性が別個の体系の正当性を否定するというわけではないのである。また、これが最も核心的なことだが、科学証明とは無縁のいずれの「鑑賞者」にとっても、信じることで一方を支持し、信じないことでもう一方を唾棄しているに過ぎないという深刻な背景を宿していること。

治療に関して、被治療者にはいかなる治療を受けるか選択できる権利がある。このことをしっかり認めた上で、ホメオパシーに傾倒する被治療者を理性的に説得することは、果たして可能なのだろうか。

2010-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20100511125735

なんかこういうスポーツとか芸能関係は政治能力を持たないことをアプリオリな前提として

パンダ」とか言う人たちって初出馬のときから政治能力に充ち満ちていて将来間違いなく

総理になれる!みたいな人材日本ごろごろいるとか思ってるのかなってちょっと気になる

総じて経験が足りないというのは新人議員全員の問題だけど

知名度で受かろうとする・受かる新人議員は適性や素養すら期待できないから

パンダっていうんだよね

ネットの反応とか見てると有名人だからって簡単に出馬当選)できるのがけしからんみたいな

ところがあるけど、そういうのってねたみというか嫌儲理屈じゃないんだろうか

能力ではなく知名度で選挙出馬されたら国民は困るからだよ

あほな有権者が一定数いれば選挙は知名度で勝っちゃえるだろうけど

いざ議員になったときに政治は知名度じゃ出来ないんだもん

ていうか「有名人だから」って有名になるまでの過程というか苦労は無視ですかみたいなさ

その人の分野で有名になるまでの苦労と

政治家として期待できる能力ってなんにも関係ないよね

全く別の分野だもん

谷亮子スポーツ選手としては尊敬を集めるべきだけど

ファッションモデルできるかったらできないよ

「苦労して来た有名人なんだから綺麗って思え!」って言われても思えないよね

まぁ参院の比例に関しては個人の得票を政党の得票数にするとか制度がアホすぎるんだけどね

人とか制度の話の前に自分のおつむのアホさをデバグしろよ

高校生以上でそのアホさなら知能的にかなり立ち遅れてる

2010-03-16

勝間和代っぽい提案、男と女結婚

最近、既婚者に「あなた、くらたまの『だめんず・うぉ〜か〜』読んだことある?」と同情的に尋ねられて自虐的に爆笑した。

私も私の妹も、だめんずを好きになる傾向が強い。

「デキる男は一概に偉そうだからイヤだ」というのが共通見解である。デキる男は女を見下す傾向が強いよね〜という偏見に満ちた見解があるのだ。

だめんずの反対に位置する男っていうのは(なんて呼ぶのかは知らないけど、)一流大学出てて、たとえばバリバリエリートで働いていて、たとえば女の言うこと聞いてくれて。みたいな。

いやいや、そんな男性存在しませんから。

少なくとも、私や妹の性格じゃあそんな男性はゲットできません。

私や妹は、自分がやりたい仕事を追求して行きたいタイプだから、

そのようにバリバリ働く男が、どう見ても男に尽くさなそうな私なんぞを好きになってくれるわけありません。

私は、「競争社会なんかいやだおむりだお…(´;ω;`)ウッ…、家のなかで皿洗ってるのが好き」みたいな人が好きなんだい。

仕事生き甲斐を持ってる人は苦手。仕事は生きて行くためのお金を稼ぐ程度のもので十分です。定時で上がり、土日は趣味に費やしてください、どうぞ。と思う。(なにをえらそうに)

とか、そういうことを言うと、男の人はむっとするらしい。

どんなにやんわり言っても彼らには伝わる。男のプライドは面倒くさい。

大学ゼミかなんかで「痴情のもつれによる殺人は圧倒的に男が犯す方が多く、殺人の理由の一位は「自尊心を傷つけられたから」らしい」ということを誰かに聞いた記憶がある。

男女比のバイアスがどうであれ、もしそれが本当だとしたら、プライドなんて持たない方が美しいということになる。私は、プライド高い人が好きじゃない。(自分も含め。)

男は女よりも優位に立っていたいものなのです。とか言う恋愛指南本がある、だから、女性はそれを実行する。男性を立てようと思って「すごーい」とか言う。だけど、それは戦略のためであることをお忘れなく。自分がとても好きになった相手に、そんな戦略ごとを持ち込むことの引き裂かれは、付き合って半年ぐらいで私の心をぐらぐら揺すり出す。

女はここ数十年で、強くなりすぎたと思う。

精神的にも、恵まれ度も。少し前は、結婚しない女は差別され、疎まれていたらしい。だけど今は「女性の権利」で結婚しなくてもいいし、少しでも女性バッシングするようならば、白い目で見られる。というか、感情的ルサンチマン非モテっぷりを披露することなく、冷静に女性を批判する男性に、私は出会ったことがない。

本来、家の中で偉いのは女でした。でも「男女平等」をうたった教育女性男性化して権利を得させる代わりに、男性から「家のなかでは女が強い」という感覚を失わせてしまった。

私の考えはこうです。

圧倒的に女の方が男よりも偉い。

これは譲れません。もう、アプリオリ(無条件に)偉いのです。

それをみんなが忘れていると思います。

結婚して子供を産むのです。

そのためには妊娠している間、働いて金を稼いできてもらわなければなりません。男は安定した資源を得てくる義務があるのです。

女に比べて、現象的に、定期的な身体の波(生理神経症など)が少ない男だからこそできることです。

いいから稼いでこいとそう言いたいのです。

女の人は、もう少し謙虚にそして賢くなったほうがいいと思う。

女性が並みを外れて力を得たのは、社会的恩恵であって、決してあなたの能力が高いからではありません。

鏡を見てみましょう。論理的な文章を書いてみましょう。感情的にならずに、相手に批判的な指摘をしてみましょう。意外とできないことにきづく。

結婚経済的な安定がなければできません。私はベーシック・インカムの導入を希望します。

そうして生活していける基盤が固まったら、男は働いて女は子供を産めばよい。国家のためとかそういう目的で言うのではなく、結婚出産を通じて人間は成長するし、他人と交わり合う関係は何にも代え難い経験である。ちまたにあふれている漫画エロゲを見てみましょう。みんなそれを欲望している。

社会的な基盤ができあがっていないから、結婚ができない。それは間違いのない事実です。では、みんなで立ち上がりましょう。そしてベーシック・インカムを導入し、結婚しましょう。だがな、仮にベーシック・インカムを導入したって結婚する勇気なんかないんじゃないのか。情報過多の社会において、「結婚とは個人的な利益を失わせるものだ」という考えが男女ともに根強いから。

結婚しなくたっていいじゃんという人は、結婚ということの象徴的な意味を、少し誇大妄想気味に想像してみましょう。そして胸に手を当ててみる。なぜあなたは、実社会において、誰かとの関係を求めるんですか。

最後に付け加えておくが、結婚したくない人はしなくていいし子供産みたくない人は産まなくていいと思いますよ。(淋しい人間だなとは思うが。)

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