はてなキーワード: 散策とは
去年はキャンプで今年は御朱印集めが流行り、ほんと不景気なんだなぁと思う今日この頃。
景気悪化してるらしいし、世界経済不安に株価下落でしばらくは不景気だろうから、次にくる貧乏趣味を大予想!
・銭湯
スーパーの付かない町銭湯。価格も500円程度で散歩がてらに銭湯寄って、下町居酒屋で締めるのが流行る。
電車で移動して現地でレンタル。乗り捨て出来るし普段徒歩では行かないエリアの散策ができて流行る。
一日乗車券を使用したバス旅。移動にのんびり時間をかけて、時間もゆったり使う緩い旅が流行る。
・ダム巡り
手ぶらBBQのようなノリで道具の貸し出しから捌くことまで全部お任せ。釣果保証で釣れなくたってお魚食べて帰れるプランも!?
野球やサッカーだけじゃない!バスケだってバレーだって楽しめちゃう。未来のスター発掘がブームに。
公園にお金払うのか?と抵抗ある人も、一度行けばハマること間違い無しの楽園。行き届いた手入れを楽しみのんびり過ごすことが人気に。
入場しなくたって雰囲気十分。行ったつもりで夢の時間を体感出来ちゃうお得感で人気。
・空港
離発着する飛行機を見るもよし、食べるもよし、お土産買うもよし。旅行記分が味わえてみんな満足。
・花のない花見
5일
5日目
ゆっくり眠れる保証もないので、充分な睡眠時間を取れるのは昨夜しかなかったが、やはり眠りは浅かった。
釜山で迎える2度目の朝、疲れが取れているかどうかは疑わしいが、今日は名所観光やお土産購入、食べ残した釜山グルメなど、予定を詰め込んだので、直ぐに部屋を出た。
まず目指すのは、チャガルチの朝の名物になっているという、シンチャントーストだ。
まだほとんどの店が開店前で、人もいるにはいるがほとんどは開店準備の搬入や路地の工事。
本当にやってるのだろうか。
路地をクルクル迷いながら進むと、まだ閉店してい暗い店が軒を連ねるなか、30㎡程の縦に細長い店の前でコック帽に白衣のオジさんが黙々と店先でトーストを焼いている。
釜山の朝の味、シンチャントーストの前では、そこだけ行列ができていた。
卵とハム、チーズが挟まれたトーストは、洋食なのに滋味深かった。
シンチャントーストの御主人に支払いを済ました時に、残りのウォンが心許ない事に気付いた。
南浦洞は西面と並ぶ釜山の繁華街だが、土曜の朝9:30に開いてる店はほどんどなく、人もまばらだった。
手元の3000円を両替する。
ナヨンの時は実は数えてなかったが、ここでの両替は少額なので数えやすい。空港より明らかにレートが良かった。
南浦洞から引き返し、港町、釜山の顔が最も見える場所、チャガルチ市場に向かう。
広い市場では、いけすの中にカニやエビなどがひしめき、山盛りに積まれたサザエやホンビノスなどの貝類、太刀魚などの魚、イカ、タコ、ナマコに果てはエイまで、あらゆる海産物が並べられていた。
ここで海産物を買って、2階で調理してもらえるらしく、お母さんに声をかけられるが、既にトーストを食べていたので、固辞して、市場の棟の反対側に出る。
海が目の前だった。
海風にあたりながら、あたりを眺めていると、韓国語の演歌らしきメロディーが流れてくる。そういう音楽が韓国にあるかどうか分からないが、メロディーといい、コブシの利かせ方といい、どう聴いても演歌だ。
ここでもたくさんの海産物が売られていたが、端まで抜けると食事のできる店がある。
漁師や港湾労働者、仲買人などはここで食事をとるのかも知れなかった。
歩きながら日本と韓国で意見の相違のある日本海の呼称問題について考える。
このチャガルチ市場を埋め尽くす豊富な海の幸を見ていると、韓国の人がこの海を「東海」と呼びたいのもわかる。
目前にある日々の漁場が「日本海」では、借り物で漁をしているみたいだ。
日本人として韓国人の主張の是非や正当性は一旦脇に置くが、ナショナリズムじゃなく、釜山市民の生活者の実感として「ここは自分たちの海だ」とスッキリしたいという、その気持ちは理解できる。
市場を後にし、韓国旅行に当たって一番最初に決めた観光地、山間の民家をカラフルに彩った甘川文化村に向かう。
バスに乗るてもあったが、地図上では歩いて行けない距離とも思えなかったので、その足で向かった。
実際に歩いてみると、考えが甘い事に直ぐ気付いた。
市場に程近い有名観光地なのに、歩いて向かう人が殆どいないのもさもありなん、山道が結構急なのだ。
「実際に過ごしている人を見れるのも良い」と無理やりポジティブにかんがえたが、やっと観光客で賑わう村の高台に着く頃には、脚の疲れがえらい事になっていた。
甘いカフェラテが身に染みる。
デッキではカップルがロマンチックな風景をバックに写真を撮っていた。
辺りには、たくさんの国からやってきた観光客が写真を撮っていた。
実は釜山にきて見て気付いたのだが、この街で最もよく見かける外国人は「日本人」で、それ以外の外国人の存在が薄かった。
しかし、ここでは中国か台湾、ベトナム、ヨーロッパから来た人など、多彩な国々の面々が並ぶ。
韓国の民族衣装を身につけた3人組の少女、2人は明らかに韓国人ではない。
村の坂道や階段を行ったり来たりするうちに、「ギャラリー」の文字が。
興味をそそられて階段を上ると、登り終えてまだ続く坂道の上で、学生服の少女が同じく学生服の少年の写真を撮っていた。
ギャラリーは閉まっているらしく、腕章を付けた彼ら以外に周囲に誰もいない。
プライベートも極まる時間だろうが、輝く記憶を少しだけおすそ分けさせてもらった。
さすがに歩いて降りる気力がなかったので、バスを使ったが、山道を下るバスは運転が荒い。
座れてなかったら大変だった。
チャガルチから南浦洞への道すがら、行く手から派手な太鼓と鈴の音が聞こえてくる。
デモだろうか。
韓国社会はどうやらパレードが大好きで、到着2日目にも地下を歩きながら、実体こそ見なかったが、パレードの音を聞いた。
時節柄、ちょっと緊張する。
前からやってきたのは、釜山の対岸、九州からの踊り手達だった。
彼ら自身は踊ってないので、既に演目を終わったのだろう、しばらく歩くと、今度は韓国の民族衣装に身を包んだ踊り手達が舞っていた。
音は此処からだ。
そういえば、釜山であった日本人と少しだけ会話してみると、九州からの人が多かった。
岸の両岸では、それぞれの人々が交流している。
南浦洞では、韓国旅行で2番目に決めた目的、ナッツ入りバタードーナツのシアホットクを買い求める。
生地を大量のバターで豪快に揚げ、横に挟みを入れポケット状にして、蜜とナッツを詰め込む。
形状は平たい円形だが、なぜか平たく潰した紙コップに入れて供される。
しょっぱくて甘い味は疲れた体に沁みた。
でも、どうも日本に入ってくる韓国グルメは、1個流行るとそれ一色になっちゃうんだよなー。
さて、夕方前に一旦ホテルに戻るつもりだが、その前にここのロッテマートでお土産を買う。
出発直前までなかなかイメージが湧かなかった韓国土産だが、同僚の勧め通り、インスタントラーメンにした。
ホテルに戻って、明日朝の空港に向かうタクシーの手配をして、すぐ出発。
なんとか時間的に間に合いそうだ。
ここに訪れれば、今回の韓国旅行で行きたい観光地は大方回ることができる。
地下鉄を乗りついで向かうが、どうやらエネルギー切れで気力が切れてきた。
山道を歩き回ったのに、朝から食べたのがトーストとドーナツだけじゃ足りないのも当たり前だ。
とにかく何か食べないとまずい。海雲台駅で降りると、バーガーキングに吸い寄せられるように入った。
異国の地で、何が出てくるか想像できる上に早いジャンクフードはいざとなると頼りになる。
バーガーキングのカウンターの福々しいお姉さんは、言葉が怪しい日本人にも親切だった。
ちょっと迷ったが、海雲台駅から海東龍宮寺に向かうバスに乗車。
30分ほどの乗車で龍宮寺に到着した。
龍宮寺までの参道は曲りくねった階段なのだが、辺りは台湾の九份もかくやと思わされる人出で、細くて急な階段を歩くのが怖い。
しかも疲れている所に再びの山道なので、なんとか転ばないように慎重に歩く。
距離がなかったのだけが救いで、やがて海を望む龍宮寺が姿を現した。
既に夕方だったので、だいぶ光が赤く、海の青さはちょっとくすんでいたが、それでもなかなかの絶景を写真に収めることができた。
満足したので引き返してバスを待つ。
やってきたバスに乗り込んだが、ここで思わぬ苦労をする羽目になった。
椅子に座れず立ち乗りだったが、渋滞に巻き込まれてバスがなかなか進まない。
その上、運転が荒い。
外国のバスの運転は概ねこんなものだと思ってはいるものの、いい加減ヨレてきている足腰には辛かった。
このワイルドな運転にも韓国の若者は涼しい顔をして立っている。
どういう鍛え方をしているんだ、いや、これ自身が日々のワークアウトになっているのか。
ユラユラ揺れる自分も、友達や恋人と事も無げに談笑する韓国男子も、真反対の意味で慣れというのは恐ろしいものだ。
渋滞に巻き込まれた結果、1時間強の乗車となったバスを降り、海雲台の駅から地下鉄に。
釜山最後の食事は、牛の地を羊羹状に固めたソンジが浮かぶソンジクッパだ。
「ソンジクッパ ジュセヨ」席に座る前に頼むと、やがてグツグツ煮えたソンジと牛もつ入りの赤いスープがやってきた。
ごはんを入れながら食べる。
パッと見、キワモノっぽく見えるソンジだが、動物の地を固めてスープの浮き身にするようは食習慣はアジアでは珍しいものではない。
台湾にも猪血糕や鴨血などがあるし、タイにも類似の料理があるという。
四角く赤黒いソンジは、特に強い匂いもなく、レバーっぽい羊羹という感じで口に抵抗なくいただけた。
これで韓国旅行で事前に設定したタスクは全て果たすことができた。
個人的な旅行あるあるなのだが、なぜか海外旅行では額にして3000円前後の小さな落し物をすることが多い。
今回もカメラのレンズのアクセサリーリングが所在不明になった。
別に機能に致命的な影響が出るわけではないが、無くしたいわけでもない。
こういう時、何かの引き換えになったとでも考えるようにしているが、少しだけ残念だ。
2일
2日目
疲れて深夜のチェックインになってもいつも通り眠りは浅かった。
チェックインしたばかりの釜山東横INN2だが、10:00にはチェックアウト予定。
初日の釜山には1泊だけして、西部バスターミナルから、光州に向かうことになっていた。
「近代化している韓国だからなんとかなるだろう」と、ちょっと緊張感が薄いまま成田を発ったが、初日の予定外でやはり外国である事を思い出した。
今日はまず昨日手に入れることができなかったT-moneyカードを入手しないといけないし、西部バスターミナルに向かう前に、西面の両替所で両替しなくてはいけない。
ついでに西面でうどん風混ぜ麺、カルグクスで昼食をとろうと思ったが、予定通りに食事が取れるとも限らないので、いつもはスルーしがちなホテルの朝食をしっかりいただくことにした。
どこでも一緒の東横INNの朝食でもキムチがあるあたり、やはりここは韓国だ。
チェックアウトして釜山駅へ。
「近代化している韓国」ではあるんのだが、朝9:30の釜山駅前には路上にゴザを引いて人参やナムルを売っているクルクルパーマのオバちゃんがいる。
昨日は気づかなかったが大気汚染もまあまあだし、そこかしこが工事中で、全体的な印象としては1980年代後半から90年代前半の日本という感じがした。
ネット環境やK-popなど、一部は日本より先をいっている部分もあるものの、90年までは軍事政権だった国でもある。
絶賛工事中の釜山駅のコンビニに入って、クルクルパーマのオバちゃんに声をかけると、昨日とは違いあっさりt-moneyカードを購入できた。
これで移動が便利になって一安心だ。
釜山駅で一休みした後、レートが良いと評判の西面、ナヨン両替所へ。
西面で降り、繁華街の路地裏にある両替所に向かうと、行列の奥ではクルクルパーマのオバちゃんと作業服っぽいなりのオジちゃんの老夫婦が古びた紙幣カウンターと缶々を前に次々と客を捌いている。
路地裏の20㎡ないんじゃないかという店の夫婦2人が近代的な大銀行の向こうを張って大行列を作っている様はなかなか格好いい。
両替も済んだので、モウモウと湯気を上げている混ぜ麺の店、「キジャンソン カルグクス」で昼食。
カルグクスは刀削麺的な汁そばで、青菜、ニンニク、ゴマがトッピングされた麺が赤いスープに浮いている。
見た目ほど辛くはなく、塩味も薄め。
味の強い印象のある韓国料理も多くは辛味や酸味で、塩味は強くない。
良く韓国人が日本料理を「しょっぱい」というが、あれは多分本音だ。
韓国人がという問題ではなく、日本料理はアジア圏ではやはりかなりしょっぱい。
昼時ともあって客は引きを切らず、赤い麺は次々とサーブされ、店内では老若男女が麺をかっ込んでいた。
腹も満たされたので店内を出て西面の路地を歩くと、路地にはおでんの屋台が軒を連ね、おでんを煮るクルクルパーマのオバちゃんの前で、お姉さんがおでんを食っていた。
「屋台で出されたものを屋台の前ですぐ立ち食いする」という光景は其処彼処で見られ、それが小綺麗なお姉さんだったり、中高生だったりするのは面白い光景。
「社会を平すと1980-90年代あたりの日本」という印象はここでも感じるところで、「日本から見る韓国って、なんかある意味、変に期待値が高すぎるんじゃないかなぁ」と思った。
西面駅から地下鉄に乗って沙上駅で降り、最寄りの釜山西部バスターミナルで光州行きのチケットを買い求める。
メモを見せて買い求めると、指示されたバスの出発は10分後だった。
異国の地だというのに時間の余裕がなくて焦るが、なんとか乗車。
バスは直ぐに発進した。
窓の外に連なる緑の山々を見ながら、度々遭遇するオバちゃんのクルクルパーマや韓国女子のファッションについて考える。
若い子たちは男も女も洗練はされているのだが、どうもテイストが一緒で、オバちゃんの高いクルクルパーマ率にしても、どうも社会の均質性が高いように感じられる。
よく聞くのは熾烈な受験戦争や、男がひたすらに目指し、自慢するという高スペック。
この社会で、勝てる奴やハマれる奴は過ごしやすいのだろうが、そうでない奴にとって、韓国社会はキツそうだなぁ。
光州へ
3時間の乗車の後、バスは光州 バスターミナル U・SQUAREに到着した。
熱気と緊張感あふれる釜山と違って、降りた瞬間になんとなくユッタリとしたムードを感じる。
韓国第4の都市とは言っても、街の様子も釜山とはまあまあ差があるようで、バスターミナル最寄りの農城駅からホテルのある尚武駅まで地下鉄で向かうと、地下鉄も空いていて、街行く人もまばらなノンビリした地方都市という感じだ。
すれ違う人のファッションも違いがあり、釜山よりはリラックスしていて、素朴だが小綺麗なナリをしている。
「自分のしたい格好を勝手にしているという意味ではこっちの方がオシャレなんじゃないかなぁ」と感じる。
そしておそらくは、だが、光州、全羅南道の人は、きっと釜山と血の意味で、人種がちょっと違う。
かつて日本にやってきた渡来人は、この地方の朝鮮人だという話を聞いたことがある。
日本ではあまり有名とは言えないこの地は、実際はより日本に近縁なのかもしれない。
ラブホと見まごうばかりにオシャレなデザイナーズホテル hotel stay 53にチェックイン。
部屋もベッドも広くて清潔で、「この値段でいいのか」と思うほどリーズナブルだったが、オシャレすぎてアメニティがみつからなかったので、最寄りのロッテマートで買い出しに行き、ついでに市内散策。
地下鉄で数駅移動して見て気づいたのだが、光州は夜が早く、大方の店は22:00には閉まってしまう。
夕食にあてにしていた店もラストオーダーに間に合いそうもなかった。
予定を変更し、バスターミナルのあった農城駅に引き返して徒歩15分ほどの場所にあるらしい24時間営業の食べ放題の店に向かう。
地図を頼りに歩くが、沿道の小規模な店舗は尽く閉店しており、ほとんど人とすれ違わない。
「本当にここであってるのかな」と思った矢先に、ガソリンスタンド脇にその店があった。
どうも殆どタクシー運ちゃんや地元の人しか来ないような店らしい。
席に座ると、自動的にオバちゃんがご飯とスープとデジカルビを持ってきてくれる。
ビュッフェといういうにも素朴すぎるスタイルだし、店内もオッさんとオバちゃんしかいない学食といった雰囲気だが、食の都、光州の惣菜はどれも美味しく、食べ放題の白飯が進んだ。
初めて訪れた街の夕食としては上出来だろう、会計を済ませて、レジのオジさんに覚えたての韓国語で感想を伝えた。
「マシッソッダ(美味しかった)」
それが文京学院大学。南北線東大前駅を東大と共有し、本郷通り挟んだ反対側。農学部よちょっと先。
東大卒詐称してた塚本廉が在籍していたことで一躍話題になった大学。
逆に俺はマジモンの東大卒オッサンなんだが、東大にいたとき文京学院大学に行ったことがある…東大は本郷に来るのが3年生になってからなので、本郷キャンパスの周りに何があるのか散策するついでに。大学時代は、他の大学がどんな感じなのか気になるもんだ。
当時彼女いなかったし理系で講義は男ばかりで、女の子多くてうらやましかったなー。東大本郷の男ばかりの工学部の方に近いので(農学部の方が近いけど)、これだけ近いなら合同サークルとかあればいいのに、と思ったものだ。
ハロー、ミシェーラ。元気ですか? 兄ちゃんは元気です。この前都内のとある場所でマルチ商法の勧誘をしている現場に遭遇しました。
【マルチ商法の現場ってなんであんな面白いんだ? という話。】
休日、都内某所、某カフェ。多分この時点で場所を特定できた人が居ると思う。きっとそういう場所なのだろう。だってほら、トイレに「マルチ商法はダメ絶対」みたいなこと書かれた張り紙が。
その日私は友人Aと二人で、友人Bの到着を待っていた。今日の予定は、三人で東京散策。なんだかんだ毎週のようにあっているけど、いつもと違う場所に行きたくなったから。
Bの到着が遅くなりそうなので入った喫茶店。パンとコーヒーのいい香りと、落ち着いた音楽。入った瞬間に「また来よう」って思えるくらい良い雰囲気。
注文を済ませて、二階へ。席を確保して、Aに番を頼んで、私はお手洗いへ。なんだここもお洒落かよ、なんて思っていると、雰囲気を無視してがっつりラミネートされた警告文が飾ってあった。「当店でのマルチ商法は禁止されております云々」……。イマイチ現実味がないし、第一マルチ商法の現場に遭遇したこともない。違和感が残ったまま席に戻ると、Aが「眠すぎるから寝る」と一言ふわりと落とし、そのまま机に突っ伏してしまった。
私はやることもないので、コーヒーと彼女の髪を写真に収め、BにLINEで送る。普段勝手に撮られることを嫌がるAは、シャッター音にすら反応しない熟睡具合だった。
そんなわけでBを二人で待ちつつスマフォを弄っていると、隣の席の話が聞こえてくる。盗聴は趣味じゃないのだけれど、たまたま聞こえてしまったワードに、それを趣味にすることをここに誓った。
「マルチ商法って、そんな簡単にいくの? って思うじゃん。でもね、これがすっげぇ簡単なんだ」
???????? マルチ商法? 今時そんなことをやってる人がいるの? マジで?
いやいや、マルチ商法って、所謂「とにかく大人数を勧誘したら勝ち」みたいな頭悪い商売のことで、馬鹿みたいに画期的な商材を取り扱ってるのに全部嘘っぱちの三歳児みたいな大人がやることでしょ?
ここにきてさっきのお手洗いの張り紙の輪郭が浮かんでくる。「マルチ商法の話する人、現実に存在したんだ!」という、ツチノコを発見した子供のように浮かれてしまった。ただ私はツチノコを発見してはしゃぐ子供を知らないし見たことがないので、この例えはちょっとおかしい。
簡単に言えば、若干の寝不足とコーヒーのカフェインでやられた頭が、深夜テンションを平気で引きずってる状態。だって、こんな話を聞けるなんて思ってなかったから。
私は「ねとらぼ」のとある記事を思い出していた。(https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1812/02/news008.html)この記事では、主人公の作者が10歳年上の知人にマルチ商法の話を持ち掛けられるというものだ。私が重要視したのはその手口もなのだけど、そのツイートにもあったスレッド。「マルチ商法あるある」の方。持ち帰れないパンフレットや、通じない連絡先。そして、画期的なのにどこにも売っていない商材。うーん、これが本当か確かめたい好奇心が疼いてしまう。
もちろん、ちゃんとマルチ商法だって判明した時点で席を立つし、店員に伝えるつもりでいる。単純に男子トイレにも同じ張り紙があって、戻ってきた一人がそれを話題にしたのかもしれないし。
さーてここでお待ちかねのメンバー構成発表のお時間です。隣の席には三人の男性。顔立ちは幼めなので、多分大学生あたりなんじゃないかな。「田」の字の左上のマスにメインで喋っている人(1)がいて、左下が被害者っぽい人(2)。ひたすら聞いている。そして右下に寡黙な一人(3)。スマフォも触らずにじっとしている。ぼくなつの虫相撲してくれる三人組みたい。
1「今から老後のこととかって考えてる? 考えてないよなー。俺もあんまり考えてない。でもさ、金が多いに越したことはないよな」
字面だけ見たら、普通の雑談っぽい。ただ、1が2へ『教えを説く』的なトーンと話し方をしているので、雑談ってわけでもなさそう。……なんだろう。絶妙に説得力がない。年齢のせいか、顔立ちのせいか。だって話してる内容はマルチ商法でしょ? 就職の話でもないんでしょ? なら金云々の話は安定がなくね?
この時点で思わず吹き出しそうになってしまった。このまま奇想天外な方向に進んで、最終的にはNHKがYouTubeに公開してるコント(https://youtu.be/t3lZo1kdsQw)みたいになったら百倍面白いのに。
可能性はゼロじゃないので、このまま耳を傾けることに。私はスマフォを弄るフリをしつつ、彼らの次の言葉を待つ。
1「でさ、俺の知り合いの社長さんとかも資金運用ちゃんとしてるんだけど、それでもまぁカツカツなわけ」
んなわけあるか!(粗品フロウ)本当にカツカツだったら他人に資金運用の話しないだろうし、ちゃんと資金運用できてるならカツカツにはならないだろうし、本当にその人物がいるなら付き合う人を考えた方がいいし、嘘としては笑えるレベルすでに面白い。
1)「そんな人でもお金のやりくりには苦労してるわけ」
そりゃどんな人でもお金のやりくりは苦労するよ。お前と付き合ってる社長さんは特に苦労してそうだがな!
1)「そこで重要になってくるのが、若いころからの貯金。お金は大切だよ」
へー天才か? この流れでマルチ商法の話だして陥落させようとしてるの? 無理じゃない?
1)「どう? やってみない?」
へーイエッタイガー。合いの手入れてあげる。実際この瞬間に私は吹き出してしまったので、お時間のようです。ちゃんとスマフォを弄る演技を続けていたので、彼らが一瞬こっちを見たけど、それをなんとかカバーする。
私「ね、起きて。駅着いたって。移動しよっか」
Aに嘘をついて起こす。寝ぼけ眼の彼女に「コーヒー飲める?」といってカフェインをすすめる。その間に席を立ち、時計で時間を確認する。
パンを買ってないのが良かったな、なんて思いつつ、今度はスマフォを耳に当てた。電話してるフリ。数秒待って、マイク部分に「今駅前のカフェにいるんだけど、もう出るから。うん、大丈夫。そのまま駅の×口で待ってて。はい、了解。じゃね」と吹き込む。早口だったかな、と不安が頭をよぎったけど、気にしていられない。
移動したいのは事実。恐らく彼らは、周りに自分たちの会話が聞かれていることを承知の上でこの話題を口にしている。堂々としているし、あとから来た私たちを気にした素振りを見せなかったし、第一片方が寝ていて片方がスマフォを触っている状態で聞かれない方がおかしい。あと吹き出すタイミングもバッチリだったし。そんなわけで、聞かれていることがバレていることと、お手洗いに張り紙があることが周知の事実の上で、私たちは泳がされているのだ。逃げない手はない。
私「よし、いこうか」
私がやけに足早に離れると、まだ寝足りないAがよたよたと追ってくる。先に階段を下りて、スタッフの方を探した。ちょうどバイトじゃなさそうな方がいたので、近づいて話を切り出す。
「あの、美味しかったです。ありがとうございます。で、二階の子の席にいた三人組なんですけど……」
私は、この後Bになんて説明しようか考えていた。
18禁だけじゃないって言うけどむしろサークルとしては全体数からすればそっちが少数派だよ
まあ本出る数の割合では知らんけど
オリンピックの場所の問題は(一応)物理的な話でむしろ開催日数は増えるらしいけど
そういう意味じゃ住み分けって面では良いって思う人もいるかもね
用済んでその辺適当に散策みたいな宝探し的な楽しみは減るんだろうけど
本屋もレンタルビデオ屋もエロ扱ってんだし同じように男性向けはエロとしてジャンルとしてまあ固まってるし今は年齢確認だって必須なんだからそんな過敏になる事でもないと思うけど
女性向けはいわゆる全年齢とR指定が机の上で並んでる事も多いしある意味じゃそっちの方がアレなのかもね
18禁は別でやればっていうのもジャンルや男性女性向け性癖ごとみたいにそれはそれでもう既にある程度別にあっての上で今じゃ年に2度の総合的なって位置付けなんだしそもそものコンセプト的に別は意味分かんないかな
ダイエーが滅びの呪文を受けて全国的に崩壊しているころ、近所のダイエーもご多聞に洩れず閉店となることが決まった。だいたい、今話題のゴーンさんが日産に乗り込んできたころのことだ。そのとき、久しぶりに上から下まで店内を散策していたとき、見切り品に凄まじいものを見つけた。
本当は売り物ではなく、店内の販促用のPOPを作るための用紙だと思うのだが、ひと包み198円だった。
ダイエーのコーポレートカラーのオレンジの用紙を山積みにして本当に売ろうとしているのか、ほのかな疑問が頭の中をよぎったがそんな狂気が崩壊間近の企業グループにはただよっているのかもしれない。ライバルのジャスコやサティでオレンジ色の紙でPOPを作るわけにはいかないだろうし、オレンジだから読売巨人軍になら引き取ってもらえそうな気がした。
へー自分も試しに行ってみようかと1人で訪れた。
芸術の森には野外美術館があって、森のなかに彫刻作品がたくさん点在している。
秋に行ったんだけど紅葉が見事でとても綺麗だった。シマリスと小鳥も居る。
私はアホなのでヒールを履いてきてしまい滅茶苦茶歩きづらかった。みんなはスニーカーとか歩きやすい靴を履いてこようね。
芸術はなるほどわからないが、自然の中に鏡で出来た大きな物体があるのはちょっと面白い気もした。
大きい卵型のドームのような展示(中に入れる)が狭い空間好きなので落ち着けてよかった。
閉館40分前にピクサー展を観に来た。
ピクサー大好きマンなのでこれは観に来てよかった。帰りにアートワーク集を買った。
美術館の周りの町並み、割と古いママの建物やお店が残っていてそっちも見応えがあった。
平日の昼間に行ったのでまあまあ空いてた。展示内容はなんだろ…雑貨展だったかな。
デザイン「あ」展行ってみたかったけど、死ぬほど並んでいたのでやめた。
展示を観るよりも人目が気になってしまって、「今、私は神妙な面持ちで展示を見れているだろうか?」とか考えてしまって駄目だった。
https://anond.hatelabo.jp/20190102063518
読んだらわたしも書きたくなったので書く。もう10年以上前の話ではある。
元増田と違い中学受験や私立とは無縁で、片田舎の公立中学、公立高校を卒業して京大に入学した。
勉強なんてほとんどしてなかったけど、テストでは常に学年トップで完全にお山の大将だった。
一方で家庭環境的にいろいろあった時期でもあり、また自分自身もいろいろ拗らしてた時期でもあったので、私立組やいわゆる英才教育を受けている人たちへの異常なコンプレックスがあった。塾なんかに頼るやつは元々馬鹿、私立高に通って高いお金出さないと勉強できないやつに勉強する意味はない、などと誰彼構わず吹聴していた。今思っても最悪の性格だった。
将来の展望なんてこれっぽっちも見えてなかった。大卒の大人は周りに全然いなかったし、もちろん官僚なんて言葉も知らない。そんな中、ある日法事だかお盆だか正月だかで叔父に当たる人と久しぶりに会った。聞くと某地方総合大学の工学部を卒業し、自動車系メーカで開発をしているとのこと。元々機械は好きだったので、その仕事をすごくかっこいいと思った。そしてそれ以上に、その人の身なりや車(といっても今で言うアルファードみたいな上位国産車)、余裕、羽振りの良さなど、あらゆるところに今まで自分の周りになかった、ハイクラスな何かを感じ、衝撃を受けた。今思えば(叔父には悪いが)お金持ちのモデルとしてはずいぶん控えめではあるが、それでもこの衝撃は大きかった。自分の目の前に一つの道が示されたような気がした。
そんな自分に両親はとても優しかった。自分の選択や意見をいつも全力で肯定し続けてくれた。今思えば自分の可能性を広げるための最大限の配慮をしてくれていたのだろう。
結局地元で2番目ぐらいの公立高校に行った。理由はいろいろあるが、自転車で通えるというのは大きかった。自宅からの公共交通機関のアクセスが最悪だったからである。
この高校は一応進学校とは銘打っているものの、毎年東大はゼロ、京大が1人いるかいないか、旧帝大に数人、といった感じだった。相変わらず高校でもお山の大将だったが、高校は全国模試があるので自動的に全国の高校生と比較される。片田舎の小さな小さなサル山で大将を気取っていた少年はここで初めて現実を知る。
1年生の夏、家族で京都に旅行に行った。古い街並みと近代的な景観が融合するこの街を、わたしはすぐに好きになった。さらに、この旅行の行程には京都大学観光が組み込まれていた。今思えば、両親がわたしのやる気を引き出すために連れて行ってくれたのかもしれない。ともあれ、権威のシンボルである時計台、自由を象徴する立て看板、鴨川と百万遍の街並み、どれもが自分の心を強く打った。
本気でそう思った。
そこから勉強を始めた。あんなに嫌いだった塾にも結局行った。恥を忍んで塾に行きたいと親に言ったときも、やはり親は快諾してくれた。塾は大手予備校講師のOBが地方でやっている個人塾だった。英語と数学を教えてもらっていたが、ここの先生方には現在に至るまでお世話になっている。勉強だけでなく、自分の見識を大いに広めてくれた恩人であり、今でも頭が上がらない。
高2の終わりぐらいまでは漫然と過ごした。学校の授業は地方国立やMARCH、関関同立といったところをターゲットにした内容であり、物足りなく思うことは頻繁にあった。しかし学校の授業でつまずいているようでは京大もクソもない、という信条があったため、まずは学校の授業で習った部分は確実に押さえることを一番に考えた。
高3になると全国模試のランキングに浪人生が入るので、順位や判定が一気に下がって焦った。先生方は「最初は下がるけと徐々に追いついてくる」と言っていたが、秋になっても成績は伸びずにただただ焦った。自分の立てたスケジュール通りにまったく勉強が進捗していないこともあり、更に焦った。焦りすぎてメンタルが不安定になり、何度も勉強中に発狂した。振り回したシャーペンは何本も折れた。親には意味不明な理由で八つ当たりを繰り返した。親はすべて受け止めてくれた。
高3の大晦日の夜、いつもどおり家の机で勉強していたのだが、うっかりそのまま寝てしまい、気づいたら新年を迎えていた。あまりの不甲斐なさに一人で泣いたのをよく覚えている。
受験勉強はチーム戦、という言葉がある。上でも書いたとおり、自分のいた高校は難関校の受験生が少ない。しかし逆にその分、似たような境遇の我々には妙に強い結束感があった。別に机を並べて一緒に勉強したりするわけではないが、模試の結果や参考書の話、志望校の話などをとりとめもなく話せる人が周りにいるというのはとても心強かった。模試の判定を見て落ち込んでいるときや不安でやる気を失いかけているときに鼓舞してくれたのは彼らであった。結果は人それぞれだったが、今でも年に一度は集まる良き友人たちだ。
【試験】
京大工学部はセンター試験の点数配分が恐ろしく低いので、気軽に受けた。特に数学は足切りラインを除くと全く評価されないのでろくに対策もせず、1A2Bともに85点程度だった。ただ周りの友人が満点を連発していたので妙な焦りだけが生まれた。
私立は早稲田と慶応を受けた。どちらも全く行きたいと思っていなかったが、練習だと思って受けた。初めての一人東京だったので異常に浮かれた。慶応の試験前日、下見ついでに少し街を散策したが、これがよくなかった。壮大に風邪を引いた。熱で全く頭が回らず、とうとう英語の試験の途中で医務室に運ばれた。医務室でひたすら泣いた。
京大2次試験の当日、出発前にわたしは親を呼び、これまで支えてくれたことへの感謝を伝えた。いろんな人に支えられてここまで来た。特に親の気苦労とサポートは計り知れない。そのことをどうしても当日伝えたかった。わたしも親も泣いてわけがわからんことになった。
当日は自分でも驚くほど冷静に試験に取り組めた。数学の試験は試験官に手紙を書いているような気持ちで答案を作成した。結果的に完答できた問題はなかったのだけれども。
ところで、新年を迎えたころから自分の中のルールとして「前期試験不合格を連想させるようなことは一切口に出さないし、心にも思わない」というものを設定した。「浪人したら…」「後期試験の対策は…」といったことを考えることも禁止した。発言の自由はおろか思想の自由まで侵害するという、今思えばドン引きするルールだ。バックアップを想定することは合理的であるが、その発想自体が心を弱くする、という根性論だった。今の自分は根性論が大嫌いだけど、ともかくその時はそれが最善だと思っていた。自分なりに必死だったんだろう。
合格発表の掲示開始時間には10分ほど遅れて到着した。すでに合否の熱狂から一段落しているところで到着した形だった。手足が震えていた。すがるような気持ちで掲示板を見た。番号があったので、また泣いてしまった。声を上げて泣いた。今までずっと無理をしてきて、辛かったんだということをその時理解した。その様子を見たアメフト部の人たちに囲まれて、胴上げされた。
【その後】
入ってから色々あったがここでは割愛する。卒業してからは某メーカで開発職をやっている。結局件の叔父と同じような道を選んだことになる。しんどいこともたくさんあるが、機械が好きなのでなんだかんだ向いていると思っている。
【さいごに】
一番お世話になった参考書の一つにチャート式があるが、この巻頭に記載されている「汗をかけ」という文章がわたしは世界で一番好きだ。短い詩なのでぜひ全文読んでほしい。
http://www.chart.co.jp/corp/00epitome/01what/asewokake/asewokake.html
「確実な道」を行く者は、「近道」を行く者よりも、汗をかかなくてはならないだろう。だが、その汗は、絶対に無駄にはらなない。君が、将来“かっこいい大人”“素敵な大人”になれるかどうか――それは、10代の時どれだけ「汗」をかいたかで決まるから。
恋でもいい。グラウンドの上でもいい。
そして、エンピツを握ってでもいい。
フィールドは何であれ、思い切り「汗」をかく人であってほしい。
元増田にもあったが、受験はその構造上どうしても他者との競争の構図ができがちだ。しかし自分自身の弱いところや意地悪なところや卑怯なところと徹底的に見つめ合い、自分の力で一歩一歩進むことに最大の意義がある。
すべての人に受験勉強というプロセスが必要とは思わない。ただ、受験勉強を通して得られるものは決して少なくなく、ただの公式・知識暗記ゲームにとどまらない、自分にとって大切なことを教わる大変よい機会だった。大学ではすっかり落ちこぼれ学生だったが、多種多様の人たちに出会い、自分の見識を常に広げ続けさせてくれた京都大学には本当に感謝している。
海の生き物と山の仏
本殿を参拝した後、茶室のテラス席で甘味を頂いたり、宮島を散策したりしていたのだが、少し寒くなって来た。
少しだけ屋根のある休憩所で一休みしたあと、案内に沿って宮島水族館を訪れることにした。
ここでに足湯とはなんと気の利いた事だろう。
そう思って近づいたが、すぐに「水族館で水に足を突っ込む施設」がある事の意味を理解した。
ドクターフィッシュだった。
テレビなどでその存在は知っていたものの、自ら進んで魚に角質を食わせたいと思った事はない。
ぬるま湯を気ままに泳ぎ回っている彼らは、足を突っ込むや否や一瞬の逡巡もなく群がって角質をついばみ始める。
痛くはないがくすぐったくてしかたない。
トルコやドイツではこれが肌の健康の為に医療行為として認められているそうだが、ゴツい大男(偏見)が魚に足をくすぐられてどう言う顔をするのだろうか。
ドクターフィッシュの他にも種々の海獣、ペンギン、カワウソ、色とりどりの魚やクラゲなど、意外と言っては失礼なくらい見所の多かった宮島水族館を後にして、周囲を散策すると「宮島ロープウエー」の看板が。
普段なら「一人で登っても」と思うところだが、島の位置関係を体感できそうだったので乗ることにした。
ロープウエー乗り場への道すがら、坂道に建つ旅館の前に設けられた、今度こそ本当の足湯でひとときリラックスして、乗り場に向かう。
出発の紅葉谷駅から展望台のある獅子岩駅まで往復で1,800円。
小型のゴンドラを中腹の榧谷駅で大型に乗り換えて、展望台にたどり着くと、薄いミルク色がかった青空の下、瀬戸内海に浮かぶ島々が眼下に広がった。
こう言った光景は見た事がないので、興味に従って正解だった。
多少物足りない気もするが、眼福だったし戻ろうかな、と獅子岩駅に戻ると、傍に「弥山山頂」への掲示が。
小一時間で往復できるという。
ボルダリングを趣味にしてる割には登山はそれ程得意ではないので、アップダウンの多い山道は意外と応えるし、足を踏み外したらなどと思ってしまってちょっと怖い。
気をつけながら歩いていると、斜面のヘリと登山道を隔てるロープの外にある一枚の看板に目が留まった。
「平成17年9月6日の台風14号の土石流により、歩道が流出しました。立 入 禁 止」
弥山本堂までたどり着いて16:50分。
弥山山頂の展望台はもう間に合わない時間だし、折り返しの山道を焦って走りたくなかったので、すぐ傍にあった聖火堂で今度はやや自分に関する割合の高いお祈りをした後、獅子岩に引き返す事にする。
再びアップダウンの多い細道を歩くこと30分ほど、17:10、最終便には少し余裕を持って乗り場に到着した。
まだ数本あったものの、最終に近い大型ゴンドラは満員で、おそらくこういったすし詰めに慣れてない(いや、慣れているのもどうかという話だが)外国人が駅員に詰めて乗る事を促されていた。
こういう時に外国人と話す機会があったらどういうのがいいのか。
「Easy, japanese anybody love raid in crowded car.」
とでも言おうか。
外国人はジョークを求めている筈だという無意識の思い込みがあるのかもしれない。
降りのちょっと怖いくらいの絶景を見ながらロープウエーに揺られ、紅葉谷駅で降りる。
歩き通しでさすがに少し疲れていたので、すぐ近くのバス停から桟橋付近まで送迎してくれるバスに乗った。
もちろん満員だった。
大鳥居を見て帰るだけなので昼過ぎには帰って暇を持て余すかな、と考えていた宮島だが、行ってみると見所は多く、帰りのフェリーに向かう頃にはすっかり日も暮れている。
フェリー乗り場のある桟橋に向かう途中、夜の水面にライトアップされた大鳥居が朱に輝いていた。
グーグルマップをいじって、何か見たこと無い名前の市とか町を見つけたら、そこのビジネスホテルを予約して泊まる。
いきなりですが自分は今回が同人イベント初参加だったのです。正確に言えばお○かけライブなんかには顔を出していたりしていたのですがあのイベントはグッズ参加だったりファンの交流会としての側面が強かったりしたので本を売買するのがメインであろう同人誌即売会への参加はこれが初めてということになります。
「分からねえ……分からねえよ! 自分には何が正解なんだかひとっつも分かりゃしねえ! いったいどうすりゃいいってんだ!」
このようなハラハラドキドキを抱えつつ準備を進めます。まずは小銭です。イベントでは300円や700円など100円玉硬貨があった方が支払いやすそうな価格の本が大量に並んでいそうなことは予想できました。ならば両替だ! と銀行に行ってぼそぼそとした陰気な声で「アノー……リョウガエタノンマース……」とか言わなきゃならないのか、憂鬱だな……とこの時点でコミュニケーション能力に難のある自分はテンションが下がりましたがここは快適な薄い本漁りまくりタイムのため、と銀行にて両替を敢行。無事に大量の100円玉と500円玉を入手するに至ったのです。
次はカバンです。カバンが無ければ本を入れられません。丈夫で大きいカバンの予備が無かった自分はその足で雑貨屋へと向かいました。ファッションセンスというものと無縁なので店員さんに勧められるままシャレオツっぽいものを買ってしまって「どうすんぞこれに合う服とかねーし! 合わねえし!」と内心焦りながら会計を済ませます。とりあえずなんとなく合いそうなものを近くの服屋で見繕いましたが終わった今となってはこのチョイスが正解だったのかどうか大いに疑問が残ります。やっぱ一人で買い物なんかするもんじゃねえや!
あんまり規模が大きいと迷っちゃうかもしれないし、だからって寂しいのもなんだかなあと優柔不断な自分は迷います。泊りがけという選択肢はありません。日帰りです。日帰りは決定事項なのです。仕方ないのでピクシブにてサンプル巡りをします。
「……二日目だな。これは二日目だな。というか他の日にあまりにも人が……気のせいか?」
この時点では配置図は出ていませんでしたが、気のせいではありませんでした。しかしこれはこれで多そうだなあ大丈夫かなあと不安になりつつサークルチェックを進めます。と言ってもナンバーが出て居なかったのでカップリング別にサークル名をメモしておいたぐらいだったのですが。
ゴールデンウィークなんだよなあ、自由席って空いてるかなあ、いざとなったらこだまに乗るぞ! 不安が頭をよぎるたび、自分はイケるイケるとそれを頭の隅に押しやります。不安いっぱいでは恐怖に駆られてせっかくの買い物も思うように楽しめないだろうからという浅はかな考えですが、そうでもしないとこのときの自分は夜も眠れそうになかったのです。
朝早くに起き下手なメイクを施し慣れないスカートを履き荷物をせかせか準備します。財布はイベント用と普通に使う用を2個持ち、なんだかファンシーなデザインの大きいカバンを肩に引っさげ、支度は整いました。朝飯代わりのウイ○ーインゼリーを胃袋に流し込み士気を高めます。
怖え……人いっぱい居るとこ怖え……でも! 行かないと、そこにパラダイスがあるから! 自分は行かなければならないんだ! このような寒いことを考えでもしないと冷静ではいられませんでした。引きこもりをこじらせるとこのようになるので皆さんも気を付けてください。要らぬ心配だとは思いますが。
市内電車に乗って新幹線が停まる駅まで向かい、駅に着くと切符を買ってそわそわしながら列車を待ちます。し、新幹線か、慣れてないからなあ。席空いてるかなあ。立ちっぱは辛い距離だよなあ。考えている間に列車は到着しました。中を覗くと若干の空席があるようでした。よっしゃ! などと言おうものなら不審者まっしぐらなのでここはぐっと抑え、乗り込みます。
乗っている間は携帯をいじったり腕を組んで妄想に励んだり携帯用固形食をかじったりするぐらいで特にどうということも無かったのですが、寝ると荷物をすられやしないかと神経過敏な自分は警戒し続けていたのであまり気が休まりませんでした。とはいえ一人なので寝ないのが当たり前と言えなくもない気がします。
名古屋駅に着くと、そこは未知の国でした。「……デカい!?」というのは規模に対しての感想です。名古屋ってどんなところだろう、味噌? 味付けが濃い? モーニングが豪華? 程度のにわか知識しか無かった自分は大いに驚き、迷いはしないかとビビりました。が、案内板通りに進むことで無事方向音痴の自分も乗り継ぎ切符を買い豊橋駅に向かうことが出来ました。今回は観光出来ませんでしたが、次に来るときは周囲を散策してみたいなと思っております。
豊橋駅に着くと外がなにやら騒がしく、ふらふらと声のする方へ向かって行くとイベントをやっておりパフォーマンスとしてよさこいらしきダンスを披露していました。そのままぼけーっと眺めていましたが、はっと腕時計を見るともうすぐ開場時刻! しかもここバス出るとこと反対出口! 気づいた自分は慌てて早歩き。「待ってろよST豊橋2、もうすぐ自分はそこに着くんだぞ! 逃げるなよ!」逃げねえよ、と思うだけの冷静さはもう既に頭から無くなっておりました。
早足で外に出るとYOUの案内板を持ったスタッフが見え、その方の指示する方向へ向かいます。この時点で同じ目的と思われる方々に取り囲まれていました。会話の内容から彼女たちが誰萌え、あるいはどこ校萌えであるのかが窺い知ることが出来なんだか暖かい気持ちになりましたが、同時に一人で歩く自分に対しどこか寂しい気持ちになりました。しょうがないですよね、ぼっちで来たんですから。
「バスが……立派だ!!」
第一印象がコレか、と思われるかもしれませんが立派でした。観光バスを借りるとは、……儲けてやがるな!? などと下衆な感想を抱きましたがそこは脳内で流して乗り込みます。既に車内には何人か待機しており、彼女らもまたこれから向かう会場に対しての予想などを並べ立てていました。なんせ地図で見た限りは倉庫でしたから、会場として機能するのか不安もあったのだと思われます。かくいう自分もその通りで、大丈夫かなあとぼんやり考えながらバスに揺られていました。さあ会場はもうすぐそこです。
「うわ外観めっちゃ倉庫やん!」まんまじゃねーか、な感想は置いておきます。手荷物検査を受けるとシールを渡され目立つところに貼っておくようにと念を押されました。流石にセキュリティは厳重です。なんだかピリピリした雰囲気だなあと思いながら入口から会場の様子を窺います。
そこに居たのは300スペース超のサークル参加の方々と、今日を楽しみに集まってきた一般参加の方々、その方々の熱気で構成された異空間、夢が形になった場所でした。ここにいる人たちは趣向の差はあれどおおむね同じ目的で参加しているんだなあ、そのことを実感し感動しました。生の空気というものはいいんだなあ。同人誌なんて通販で買えばいいじゃん、そのように冷めた気持ちが自分の中にあったことは否定できません、しかしこのときをもってそのような斜めに構えた気持ちは消え去ったのです。この熱を自分の肌で感じ、自然とそのようになったのでした。
ややまごつきながらパンフレットを買い、きょろきょろとあたりを見回しながら会場の隅に向かいます。パンフレットの配置図へ事前にチェックしておいたサークルをマーカーで引き、いざ出発! 果たして無事に買うことが出来るだろうか、そう思いながら横目で受付近くを見ているとなぜか地元の団体さんがはんぺんを配っていました。後で聞くとこのはんぺんは無料だったようで、というか放送でもそんなことを言っていたようで、しかも美味しかったという感想もあり、もらっておけばよかったかなあなどと今更現金なことを考えています。
目当てのCPの島に来ると当たり前ですが同じCPが固まっていて、そこで買い物をしている方を見て「あ、同じCPが好きなんだな」と思うとなんとなく嬉しく思いました。自分ではあまり買わないCPでもポスターやポップが来られているとついつい寄ってしまい「よし買いだ!」と買わせてしまう、そんな勢いや愛にも満ちていました。幸せな気分で今日一番の目当てだったサークルさんの所に足を運びます。無事に帰るだろうか、緊張しながらスペースに向かうと……。
誰も居ない。あれ、間違えたかな、と机に張り出されているナンバーとサークル名を見ました。間違っていません。すかさずツイッターで確認を取ります。今日になって急遽欠席が決まったようでした。しょぼくれましたが、気を取り直し他のサークルさんの元へ向かいます。ここで挫けてはいられません、目当ての本は他にもたくさんあるのですから。分かってはいても、やっぱり残念でした。またの機会があれば今度こそ、と思いつつ探索を続けます。
「おおう、やはり色がどこも派手だなあ。こういう彩のあるジャンルは見てるだけでも楽しくていいよね」
なんて他人事なコメントだと思われるかもしれませんが、現実の光景だというのに目の前で行われているイベントにリアルさを感じることが出来なかったのです。そこはさながら夢の国、すっごい遊園地。異世界でした。普通にレイヤーさんが歩いているのを見て○○が歩いてる……そんな風に茫然とするしかなかったのです。BGMとしてキャラソンがかかりまくり、人はごったがえし、そこらじゅうで普段は出来ないジャンルトークを楽しんでいる。夢のようでした。同人イベントっていいなあ、漠然と抱いていた憧れはここで実感に変わったのです。
コピー本コンテストに投票したり、同人誌なのにすごい厚いよ!? とアンソロジーを見て驚愕したり、「だって○○受けってここしかないじゃん……」とジャンル友達にぶっちゃけトークをしているのを聞いて複雑になったり、桃リコが可愛かったり、こんなCPあったんだーと驚いたと思っていたらいつのまにか買っていたり、委託本にも手を出したり、同じところをぐるぐる回って「へへへこのCPもいっぱいいるじゃんすげーじゃん」と悦に入ったり、……とにかく、普段では絶対に発散できない類の衝動を思いっきり発散できる場所であり、幸せが形になった場所でした。
「そういえば、このジャンルはしばらくイベントが開催できなかったんだよなあ……」
噛みしめます。無事に開催できて本当に良かった。これだけの人が喜びを分かち合える空間が壊されなくてよかった。どうかもう、中止などという悲しすぎることが起こらないように。改めて祈りました。
そろそろ会場を後にしなければ。腕時計を確認すると会場を出てバス乗り場に向かいます。クレープの屋台などが出ていましたが、どうも待ち時間的に食べられそうになかったので泣く泣く断念。ちくしょう、時間に余裕を持って行動しないとな。
バスに乗り込むとイベントの熱が冷めやらぬ人たちが熱心に語り合っています。これが公共の交通機関であれば眉をひそめられることなのでしょうが、ここはイベント専用の車内です。思う存分余韻を分かち合会えるこの空間もまた乙なものだなあと思いました。ただ、送迎用にバスを用意するなんて普通は無理だよなあとも思います。アフターがしたいならやはり2次会にしておいた方が良いようです。自分はぼっちなのでどうにもなりませんが。
バスから降りると、一気に現実に引き戻されました。もう夢は終わったんだ。でも、自分には思い出が出来ました。代えの利かない大切な思い出です。また行きたいな。今度もこのジャンル、いや別のジャンルか、ジャンル無しの大きいイベントにも勇気を出して行ってみようか。今までは恐怖が先立ちどうしても踏み出せなかった一歩をやっと踏み出したこの日、自分の世界は広がった気がします。今回のイベントに参加できてよかった。心からそう思っています。
最後に、主催のスタジオYOUさん、イベント開催お疲れ様でした! また次も頑張ってください、応援してます!
学業の関係で上京してきて約一年経った頃、上野の某横丁を初めて一人で歩いた。シーズンではなかったが、そこそこ人が歩いている。田舎から来ていたので、周りにあふれる色々なものに目移りしながら散策した。
少し歩いて、横丁内の路上の真ん中でおじいさんが一人で乾燥したオキアミや桜えびを袋単位で売っていた。
私は料理が好きだったのでせっかくだからと欲しくなり、近寄った。
私が近寄るより前に女子大学生か何かの可愛い女の子二人組が居た。言い方は古いが、少しギャルっぽいような、渋谷にいそうな子たちだった。
「これやばーい」
「何に使えばいいかわかんない」
「でもなんか安い」
私は心のなかで、チャーハンとかに入れると美味しいよと思っていた。
目の前でその二人を見ていたおじいさん、私の目の前で、可愛いから安くしちゃうよ!と言った。あれば便利だよ!料理に使えるよ!と、まぁよくありそうな言い方で、言われるがままに女の子たちは買った。
最後におじいさんは、いやー二人は可愛いからサービスしちゃう!!と、通常の2倍ほど袋に盛って、さらに他の桜えびの袋なども無料で渡し、総合的にみると相当に安い値段で女の子に売った。
その時はそう思った。
「こんにちは。これでこの値段は安いですね」
実は自分も大学生、可愛くは決して無いが普通に話してもらえると思った。
「ああ……」
おじいさんの反応はすごくすごく薄かった。
「一袋頂けますか」
「まいど」
これがおじいさんの通常営業なんだろうと思った。
しかし目の前であんなサービスを見せられてからのコレは流石に私もこたえた。
ありがとう御座いますと言ってすぐに立ち去ったが、容姿でこんなにも人当たりが変わるものかと思うと悔しく、腹立たしく、悲しくなった。
それから数年。
私はあのとき以来、某横丁を歩いていない。
「この世界の片隅に」のドラマ版が今週日曜最終回を迎えた。自分にとっては呉旅行に行く前日に見てドハマリし道すがら原作コミックも買い、舞台となった街を散策できた思い出深い作品だった。
映画版では尺の都合から削除せざるを得なかったリンさんとの物語もしっかり描かれ、さらに原作であまり描写されなかった近所の人々にもしっかり焦点が当てられ、よりボリュームのある物語に仕上がっていたと思う
各話も緩急を付けて見どころを設けすずさんと周作さん、二人の関係性も深く描くことに成功していた
アイスクリームのシーンは二人の仲睦まじさが伝わり絆が深まる姿を丁寧に描いていて「砂糖の配給が停止になって、闇市で配給の50倍の金額で取引されてる時期にアイス食うのはいくらなんでも不自然すぎる」という違和感もまぁ気にならないレベルに収まっていたと思う
いままで現代編については否定的な意見もあったが、最終的には今現在そこにいるすずさんを描く形に集約し映画とは違った余韻のある良い最終回を迎えたと思う
途中どうしても見ることができなかった回はあったが
概ねドラマとして大成功の部類だろう。ネットでの評判も上々でツイッタで感想を検索しても「泣いた!」「感動して目が腫れ上がった」「ラストにはほっこりした」と大絶賛だ
実に素晴らしい作品になったと思う
…これが「この世界の片隅に」でなければ
実のところ第一話が始まってから猛烈な違和感を感じてこれは本当に「この世界の片隅に」なのか疑うくらいだった
最初の違和感は兄洋一の出兵が決まったシーンでの家族のやり取りで母親であるキセノが涙を流したことだった、ここで泣くのは「この世界の片隅に」としては違和感があった
それ以降でも北條家へ嫁ぐことが決まった前日に不安を母親に漏らし泣き始めるすず
2話以降でも、広島産業奨励会館前で周作が子供の頃ばけもんに誘拐されたとき一緒にいた少年だったことに気がついてすずは涙を流し
それ以降も母親との別れを告げるすずの甥に当たる久夫が帰り道涙を流し、洋一の戦死の報を受けて石一つしか入ってない骨壷を抱きかかえて母親が号泣し
毎話毎話何かにつけて涙を流していた
自分にはこれが猛烈に違和感に移り最終話前の話まで見るのを止めてしまった
原作で涙を流したシーンはギャグとしてオチに使った空襲で義父円太郎がすずさんと晴美さんを庇ってそのまま寝てしまった回を除けば
晴美さんが亡くなった時限爆弾の回と終戦のときだけでそれは意図的にそうしているのだ
戦中においては、自分たちが正しいことをやってるからこそ理不尽な暴力には屈しないって共通した考えがあったからこそ人前で泣くことはせず(時代的に人前で泣くと反戦を疑われてしまうって事情もあった)
その日常を支えていた信念が飛び去ってしまい、自分たちの耐えてきた日々が誰かを犠牲にした上に成り立っていたことに気がついてしまったからそこで涙を流し
戦後は居なくなっていった人たち会えない人のために自分が笑顔の入れ物になりたい、なによりも泣いたら勿体無いという気持ちから泣くことを止めるのだ
それは作中物交で漁村に向かう帰りの道すがら刈谷さんと話す中で
「生きとろうが死んどろうが もう会えん人が居って ものがあって うちしか持っとらんそれの記憶がある
「晴美さんとは一緒に笑った記憶しかない じゃけえ笑うたびに思い出します」
という会話でも明らかで
辛い時代の中戦中耐えてきた理由、それが飛び去った後また泣くのを止めた理由
そこは物語を描く上でいちばん重要なポイントで原作を読んだ人や映画を見た人なら違えることはない
翻ってドラマ版だ
ドラマは泣く、事あるごとに泣く、誰もが皆辛い時には涙を流す
ドラマで泣いて泣いて泣く理由が一般視聴者向けにわかりやすい表現にしたから、とか実写にするにあたって原作や映画の通りだと不自然に見えるからという改変なら良かった
脚本担当が原作をあまり理解していなくて、分かりやすいドラマに組み直した結果だったのなら許せたかもしれない
脚本家は原作の内容を理解してそのテーマもわかった上でそれに対してダメ出しして改変したのだ
「泣いてええよ、我慢せんでええ、ここはあんたの家なんじゃけえ、我慢したらおかしくなるよ」
ここで理解った
脚本家はテーマを違えてたわけでも、分かりやすい安易な改変をしたわけでもない
テーマについて理解したうえでそのテーマに、「この世界の片隅に」が「この世界の片隅に」である根幹にノーを叩きつけてるのだ
はっきり言えば脚本家は「この世界の片隅に」が嫌いだったのでは無いかとさえ思う、少なくとも作品の重要なファクターの一つについて否定的だったのは間違いないだろう
結果的に見ればドラマは大成功の部類で多くの人の心に残る名作となった
でもこれは「この世界の片隅に」ではないし、「この世界の片隅に」を否定する物語だ
もちろんそれが必ずしも悪いわけではないし原作が好きな人にもドラマ版に満足してる人もいるだろう
ひょっとしたら原作が嫌いだったからドラマ版の改変でようやく自分の求めてるものが出てきたって人もいる
少なくとも真逆のことをやって多くの人の心をうった名作を作った脚本家の実力は極めて高い
コトノハ〇×(http://kotonoha.cc/)において、現在問題となっている大量の複垢を用いて大量連投を行うユーザー(以下:複垢連投オヤジ)と闘って感じた支離滅裂な理論に関して言及していく。複垢連投オヤジに関してはanond:20180217203415の記事を見てもらえれば詳しく分かるはずである。
私は、このコトノハ〇×において、複垢連投オヤジから最も個人攻撃を受けてきた被害者のひとりである。
迷惑なことに、複垢連投オヤジは自分の理論は押し通すのに他人の理論には常に批判しかしない。
ここで、私に対しての批判、暴言に対して言及していくことにする。
Part.1(anond:20180718031445)の記事が非常に長く、文字数制限ではみ出すようになったので、続きをPart.2として纏めていくことにする。
括弧内がコトのタイトル、その下の2項目がこのコトの〇側の回答のコメントである。ユーザー名以外は一字一句そのまま引用した。
言うまでも無く、〇側に回答しているのは複垢連投オヤジのアカウントだけである。
コメントの文言を言い換えると「〇〇(私)は寺社を参拝し、人の不幸や自然災害の発生を祈願している。」というように言いたいものだと解釈できる。
最近は一部のSNSのアカウントを複垢連投オヤジ対策で公開範囲を制限したり運営に相談したりしているが、複垢連投オヤジはそのお参りに関する私の投稿を見て知っている。
その中に、人の不幸や自然災害を願うような内容の文章はあっただろうか?
私はそのような不謹慎なことは最初から言わないし、願うはずがないしそのような投稿も無い。
万が一そう捉えられてしまったなら具体的なソース(出典)を提示してもらいたいものである。
複垢連投オヤジは私に限らず他のユーザーにも根拠が無い出鱈目なことを言っているが、このようなことを言い、他人に認めてもらうためには明確な出典が無ければならない。
特に今回の場合、複垢連投オヤジはことあるごとに不謹慎なコトを投稿しているため、それを他人に押し付けているようにも思える。
また、「人生の先輩」と書かれているが、Part.1の「年上だから敬語使うべき」でも述べた通り、ただ年上なだけで言動は全く伴わず、投稿内容から人生経験が浅いことも一目瞭然なので、複垢連投オヤジのことを「人生の先輩」だと思って尊敬しているコトノハユーザーは全く居ないと思う。
今までの複垢連投オヤジの自称アドバイス(カウンセリング)は紛れもなく全て誹謗中傷や価値観の一方的な押し付けである。
私が数年前に実験的に作成したコトノハの副垢を複垢連投オヤジが偶然見付け、複垢連投オヤジがそれに対して批判したことに対する言及である。
この副垢は「コトノハのユーザー登録ではメール認証システムを採用した方がいいと思う」というコトに対し、出鱈目なメールアドレスで作成できるのかと言うことを立証するために実験的に作成したものだと思われる。
まず、作成し、当該コトに回答した時期がかなり前(恐らく5年以上前)というのもあり、私はこのアカウントの存在を忘れており、ログインする情報も忘れていて有効に使える副垢としても成立していない。
このアカウントは、一度だけ当該コトに回答したきり、全く動いていないため、本当に実験のために作成されたのだと言える。
複垢連投オヤジは「お前も複垢やってるんだから俺の複垢を批判するなよ。」的なことを言っているけど、本当に比較対象になるのだろうか?他の人は私の副垢に対して迷惑し、苦情を訴えているのだろうか…。
そういうことはなく、複垢連投オヤジが自分の事を棚に上げて人のことを言っているだけであり、批判されているのは複垢連投オヤジの方である。
まず、多くのWebサイトにおいて、防衛目的や便宜上、副垢を作成したり匿名機能を利用したりしてメインとは別に密かに活動する人は多く居るが、露骨に荒らしや自作自演行為の為に利用している人は批判されている。
自作自演の多くはいずれはバレて叩かれ、晒されている。
「私も副垢を作成していたことがあったが、これは飽くまで実験の為であり、連投、荒らし行為の為ではない。」
結論はこれであり、複垢連投オヤジはこれを分かっていない。
あと、せっかく副垢を持っているなら有効活用するようにと煽られているが、そのような連投や自作自演の為の副垢利用は悪だと思っているため、行おうと全く思わない。
なぜ、幾千と作成して荒らし行為を働いている複垢と、実験のために一時的に作成して動いていない複垢を平気で同じものだと比較し、他のユーザーが納得できるように思うのか理解できない。
複垢連投オヤジはもうすぐ40歳なのにまともに考えることができないのだろうか…。
複垢連投オヤジが政令指定都市の幸福度ランキングで自分の居住地である浜松市が1位で、私の居住地の京都市より上位だということに対して様々な持論を述べていることに対する言及である。
まず言いたいが、そもそも1人や2人など極少数人の存在がそこまで幸福度に影響を与えるのだろうか?
私達コトノハユーザーは、一般人であり、有名人でもなんでもない。一般人でも、FacebookやTwitter、Instagramのような大手SNSで有名でフォロワー数が増えれば世間一般で有名になり、影響力が大きくなることも十分有り得るだろう。しかしながら、コトノハは小規模で世間一般的には無名なSNSであり、一時期はmixi発祥で少しは有名になったけど、今は複垢連投オヤジや他のなりすましユーザーの存在で多くの人が去ってしまった。こんなSNSのどこに影響力があるのだろうか?
複垢連投オヤジは常にコトノハだけを見ていて、自分の世界が非常に狭いことをいつも知らされてきているが改めて実感させられた。
コトノハユーザーは誰も、施策を行っている政治家や、影響力の大きい有名人ではないのにこのようなことを軽々しく言うのは止めて欲しい。
コトノハオールスターズも他のユーザーもコトノハだけの世界であって、世間一般には何も有名でないから。
コトノハオールスターズが凄いと思っている人なんて、コトノハ内にすら誰も居ないから。
そもそも、幾ら以前公開していたアカウントや個人情報をコトノハにおいて晒されても、幾千の複垢で上げられても全く無意味であり、今のところ実害はない。
そもそも、私のリアルの知人、他のSNSでのフォロワー等はコトノハになんて来ないからだ。
ほとんどのコトノハユーザーから見ると複垢連投オヤジのこの行為は無意味でくだらないことであるが、これだけ続けられるということは、複垢連投オヤジの今の人生に関してコトノハが占める割合が非常に高いのだろう。本当に気持ち悪いものである。
複垢連投オヤジが以下のコトにおいて回答し、「黙れカス」や「死ねカス」などと言った暴言コメントしたことに関する言及である。
「他のWebサイトの話題を持ち込むこと、並びに宣伝行為は一切禁止します。」
私は他のWebサイトで投稿した内容を、複垢連投オヤジにコトノハに無断転載されることに非常に迷惑している。また、記事の存在を紹介してくれるのは場合によってはSEO対策等の良い面もあり、一概に悪いと言えないと思っているが、複垢連投オヤジの場合は無断転載し、レビューも必ず一方的な批判でしかなく「嫌がらせ」という意図がはっきりと見え透いているので非常に迷惑な話である。上記はその被害を受けているSNSのプロフィールに記載した注意書きであり、これも複垢連投オヤジ、只一人の為に記載したものである。
まず、私に限らず著作権表記や無断転載禁止等の表記、利用規約を提示している人は非常に多いが、このような表記に関して他人が文句を言う筋合いはない。それはその作者、投稿者が自分の作品や投稿を守るために設定したルールであるため、利用者や閲覧者は守らなければならないものである。非営利ならばともかく、企業等が営利的に利用すると場合によっては裁判沙汰になる場合もある。管理がしっかりと行き届いたサイトならば、転載が確認される記事の削除を申し出ることも出来、削除対象となっている。また、無断転載が多いアフィリエイトが「アフィカス」として嫌悪される理由のひとつでもある。
複垢連投オヤジは以前から自分のルールが全て正しいと思っているのでこんなことを平気で言えるのだろう。
それだから散々文句言われても大量の複垢と大量の連投を続けることが出来るのだろうが…。
この部分を叩き直さなければ複垢連投オヤジはまともに社会生活を送ることは出来ないのだと思う。
友達限定公開にしているFacebook、最近はほとんど動いていないTwitter、時々匿名機能で質問しているYahoo!知恵袋などは全て、複垢連投オヤジ一人の嫌がらせ目的の無断転載が理由で、私以外にも迷惑が掛かっている部分があるということを理解してもらいたい。
複垢連投オヤジは時々他のWebサイトにコメントに来て、コトノハを広めようとしているが、これは荒らしとして通報を行っている。これは、質問の趣旨に合っていないことや無関係なURLの記載と宣伝が理由である。
非常に迷惑なのでやめてもらいたい。
そもそも今のコトノハが素晴らしいと思っている人間は複垢連投オヤジ、只一人であり、多くの人は詰まらないと思っており、複垢連投オヤジに非常に迷惑している。何度も言うが、ここまでコトノハを広めたがるのは複垢連投オヤジにとってコトノハが全てなのか?それくらい世界観が狭いとしか言えない。
とにかく、今のコトノハは悪意の塊で下劣だとしか思えない。広められるのは迷惑である。管理人には一度閉鎖して立て直すことをお願いしたい。
「〇〇の△△を見ているとストレスが溜まる」
複垢連投オヤジが私(○○)が参加している他のSNS(△△)に関して上記のコト(上段)とコメント(下段)で感想を投稿したことに関して。勿論、感想は人ぞれぞれなので批判する人、受け付けない人が居ることも承知の上であるが、複垢連投オヤジだけに関しては言っておきたいことがあるので触れておく。
△△(SNS)においてひとつの話題に関して更新が遅いことに対する文句だと取れる。企業ならば契約の上作成しているならば納期があり、講義の論文やレポートならば提出期限があるが、このSNSは多趣味の内の一趣味としてやっていることであり、期限など最初から決まっていない。そもそも、個人が運営するブログ等の場合、個人の体調や生活観による。
複垢連投オヤジは以前から他人のことを全く気にせず自分勝手なことを投稿していて、今回も同じである。そもそも、投稿や更新をしつこく急かす行為は失礼に当たり、厳しい管理人ならばコミュニティを一発強制退会にさせられても可笑しくない行為である。私も浪人生で今と比べ物にならないくらい時間があった頃、恥ずかしながらGREEのゲームのコミュニティで更新を急かして強制退会にさせられたことがある。その方は社会人でリアルが忙しく、その合間を縫って更新を行っていたとのことで、その旨を告げられて少しして強制退会させられたのだ。その頃ド暇だった私は共感できなかったが今ならわかる。複垢連投オヤジは工場勤務以外の時間や休憩時間はネット上に四六時中張り付いてコトノハをしているのだろうが、他人はそうではない。それをよくわかってほしい。
全知全能な人は居ない。このSNSは旅行やある趣味に関するものなので、実際に訪れてからわかること、後から調べてわかることも多い。実際に行く場所は事前に決めた場所のみならず、現地で知った場所、臨機応変に様々な場所に訪れることになるので、「事前から熟知していて訪れる」という例の方が少ない。また、しっかり下調べして訪れたつもりでも、実際は現地で知り得ることの方が多いことがある。
また、最近では全て知っているのではなく、旅先で得た情報や散策等により探求していくのも大きな楽しみとなっている。
複垢連投オヤジはこれを全く分かっていない。羅列連投で幾度となく自分の無知を晒しているのに人には厳しいのは困ったものである。
ちなみに、複垢連投オヤジは個人店よりもチェーン店の料理が好きという自分のコトで、「旅先でも味が安定していて比較的安いチェーン店に入ることが多い」とコメントしているので、やはり事前に知っている場所しか訪れないということも窺える。本店を訪れるならばまだしも、旅先で地元でいつも利用している全国チェーン店を利用するメリットは全く感じない。複垢連投オヤジは、やはり旅の醍醐味である冒険、探検をわかっていない。私は一人旅、街歩きではこの冒険や探検に重きを置くので、当然以前から知っていて訪れたくて訪れる場所もあるが、当日の成り行きや発見で訪れる場所も多くある。
夏キャンプ 二十代後半の男二人で行った
・楽しい
・癒し効果がすごい。椅子に座ってお酒を飲んでるだけで何かが回復する
・そこまで暑くはない。夜は長袖でちょうどいいくらい
・自然の中で食べる飯は最高
・ゆっくり食うの最高
・炭火で食う肉は最高
・キャンプの主役は飯
・夜暗過ぎ。お隣さんがいないと心細くなるレベル
・星、見えすぎ
・天候が全て。雨だと終了。大きめのタープがあってなんとか
・津田がやってたダンボール箱に各々の荷物を分けて置くやつ天才
・お皿は紙皿で充分。そのまま捨てれるのがいい
・袋を多めに持って行ったのよかった。割と使う
・トングは2個いる。飯用と炭火用
・ランプは一人一つ
・炭はノーマルタイプを大量に持って行くのがよさそう
・水そこまで必要じゃない。二人でも一本飲みきれない
・傘、キッチンペーパー、洗剤、懐中電灯型のライト(夜の散策用)、サランラップ、まな板、テント固定用のハンマー、マジックはあれば助かる場面多い
・身体動かして遊ぶ系の道具あってもよかった
・虫対策必須。虫除けスプレー、長袖、虫除け芳香剤、虫よけLEDライトでなんとかなった
・一睡も出来ず。テントで寝るのは居心地悪すぎ。虫の羽音がテント越しに聞こえて落ち着かない。せまい。蒸し暑い
・テントの下にマット敷いたら結構違うはず。シート二枚はごつごつして痛かった
・概ねなんとかなったけど要所要所でこれがあればって感じる場面多かった。次回は今回の装備+αで良さそう