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はてなキーワード: 大鳥居とは

2019-06-28

anond:20190628084055

「いつもお世話になってますありがとうございます」って大鳥居におまいりして来ないからだよ

2018-12-17

盛岡八幡宮境内にある IngressMission盛岡八幡宮クイズ

盛岡八幡宮境内にある IngressMission盛岡八幡宮クイズ」(初級、中級、上級)は境内にあったクイズの答えが書いてあった由来書きがなくなっていたりネット検索しても出てこなくて答えが分からなくなっているのでメモとしてここに残しておきます

盛岡八幡宮クイズ 初級

https://intel.ingress.com/mission/4886164f3a5d45f5b24029ed8d21b4f9.1c

盛岡八幡宮大鳥居

 Q、盛岡の総鎮守とされるこの盛岡八幡宮ですが、この盛岡八幡宮シンボルともなっている社号標にはなんと記されているでしょうか?

 A、盛岡鎮守

健康神社

 Q、五臓の神、癌神、中風神、健康神、生命神、薬神など、健康にまつわる神々が祀られている健康神社ですが、神社横にある案内に記されている人生において「悪であるもの

 A、病気

高倍神社・庖丁塚

 Q、この高部神社包丁塚ですが、高倍神社に祀られているのは何の守り神?(二文字

 A、料理

盛岡八幡宮

 Q、この八幡宮例大祭は毎年9月に何日間開催されるでしょうか?(数字文字

 A、4

盛岡八幡宮クイズ 中級

https://intel.ingress.com/mission/26bab5647322429aac96812e08b96b57.1c

盛岡八幡宮大鳥居

 Q、この大鳥居の横にある八幡宮社号標ですが、この社号標を書いたのは誰?

 A、山屋他人やまやたにん)

健康神社

 Q、この健康神社に足腰の健康を願って奉納されるものとは?

 A、わらじ

高倍神社・庖丁塚

 Q、この高部神社例大祭が行われるのは何月の何日?

 A、6月15日

盛岡八幡宮

 Q、この八幡宮前の広場ですが、流鏑馬奉納の為北側大鳥居から大鳥居までかなり長く広い敷地が用意されています。さてこの長辺の長さはおよそ何間

 A、220

盛岡八幡宮クイズ 上級

https://intel.ingress.com/mission/26bab5647322429aac96812e08b96b57.1c

盛岡八幡宮大鳥居

 Q、この大鳥居の横にある社号標ですが、書いたの方は、皇太子妃雅子さまのどの続柄にあたる方でしょうか?

 A、曽祖父(そうそふ)

健康神社

 Q、この健康神社には様々なけんこうにまつわる神々が祀られていますが、五臓の神、肺神、肝神、腎神、心神あと一柱は?

 A、脾神(ひしん ひぞう)

高倍神社・庖丁塚

 Q、毎年開催される例大祭奉納される包丁式では、調理人は、魚に手を直接触れず、何をかけない?

 A、息

盛岡八幡宮

 Q、盛岡八幡宮に祀られているのは?

 A、品陀和気命(ほんだわけのみこと)

2018-11-19

[]【5】2018 晩秋広島博多別府

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anond:20181119222040




海の生き物と山の仏


本殿を参拝した後、茶室テラス席で甘味を頂いたり、宮島散策したりしていたのだが、少し寒くなって来た。

少しだけ屋根のある休憩所で一休みしたあと、案内に沿って宮島水族館を訪れることにした。

水族館とはいえ、館内は快適な温度だろう。


エントランスを潜って館内に入ると「癒し足湯」の文字

ここでに足湯とはなんと気の利いた事だろう。

そう思って近づいたが、すぐに「水族館で水に足を突っ込む施設」がある事の意味理解した。

ドクターフィッシュだった。

テレビなどでその存在は知っていたものの、自ら進んで魚に角質を食わせたいと思った事はない。

しかしせっかくなので体験してみることにした。

ぬるま湯を気ままに泳ぎ回っている彼らは、足を突っ込むや否や一瞬の逡巡もなく群がって角質をついばみ始める。

痛くはないがくすぐったくてしかたない。

トルコドイツではこれが肌の健康の為に医療行為として認められているそうだが、ゴツい大男(偏見)が魚に足をくすぐられてどう言う顔をするのだろうか。


ドクターフィッシュの他にも種々の海獣ペンギンカワウソ、色とりどりの魚やクラゲなど、意外と言っては失礼なくらい見所の多かった宮島水族館を後にして、周囲を散策すると「宮島ロープウエー」の看板が。

普段なら「一人で登っても」と思うところだが、島の位置関係体感できそうだったので乗ることにした。

ロープウエー乗り場への道すがら、坂道に建つ旅館の前に設けられた、今度こそ本当の足湯でひとときリラックスして、乗り場に向かう。

出発の紅葉谷から展望台のある獅子岩駅まで往復で1,800円。

小型のゴンドラを中腹の榧谷駅で大型に乗り換えて、展望台にたどり着くと、薄いミルク色がかった青空の下、瀬戸内海に浮かぶ島々が眼下に広がった。

こう言った光景は見た事がないので、興味に従って正解だった。


多少物足りない気もするが、眼福だったし戻ろうかな、と獅子岩駅に戻ると、傍に「弥山山頂」への掲示が。

小一時間で往復できるという。

下山ロープウエーの最終は17:30。

スマホ確認した時間は15:45、十分だ。

ついでに弥山山頂までのトレッキングを楽しむ事にした。


ボルダリング趣味にしてる割には登山はそれ程得意ではないので、アップダウンの多い山道は意外と応えるし、足を踏み外したらなどと思ってしまってちょっと怖い。

気をつけながら歩いていると、斜面のヘリ登山道を隔てるロープの外にある一枚の看板に目が留まった。

平成17年9月6日台風14号土石流により、歩道流出しました。立 入 禁 止」


弥山本堂までたどり着いて16:50分。

弥山山頂の展望台はもう間に合わない時間だし、折り返しの山道を焦って走りたくなかったので、すぐ傍にあった聖火堂で今度はやや自分に関する割合の高いお祈りをした後、獅子岩に引き返す事にする。

再びアップダウンの多い細道を歩くこと30分ほど、17:10、最終便には少し余裕を持って乗り場に到着した。


まだ数本あったものの、最終に近い大型ゴンドラは満員で、おそらくこういったすし詰めに慣れてない(いや、慣れているのもどうかという話だが)外国人が駅員に詰めて乗る事を促されていた。

こういう時に外国人と話す機会があったらどういうのがいいのか。

「Easy, japanese anybody love raid in crowded car.」

とでも言おうか。

なぜか英語で話すとき事態盛ることを想像してしまう。

外国人ジョークを求めている筈だという無意識思い込みがあるのかもしれない。

降りのちょっといくらいの絶景を見ながらロープウエーに揺られ、紅葉谷駅で降りる。

歩き通しでさすがに少し疲れていたので、すぐ近くのバス停から桟橋付近まで送迎してくれるバスに乗った。

もちろん満員だった。


大鳥居を見て帰るだけなので昼過ぎには帰って暇を持て余すかな、と考えていた宮島だが、行ってみると見所は多く、帰りのフェリーに向かう頃にはすっかり日も暮れている。

フェリー乗り場のある桟橋に向かう途中、夜の水面にライトアップされた大鳥居が朱に輝いていた。


【6】2018 晩秋、広島・博多・別府 4日目|4日目 慣れてしまえばどうって事ない へ >>

[]【4】2018 晩秋広島博多別府

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anond:20181119215752





3日目



3日目 ゴジラと朱の大鳥居


移動疲れで早めにベッドに入ったものの、宿の狭さか旅行の緊張か暫く寝付けず、結局睡眠導入剤の手助けを借りる事になった。

まり頼りきりになるのも怖いが、こう言う時には強い味方だ。

おかげで8時間余りの睡眠をとることができた。


7:00

窓の外は雨の気配もない。

今日は歩き回るつもりだったので好都合だ。

先ずはさっぱりと目を覚まそうと入った大浴場は、どうにも洗い場の水捌けが悪く、足元がバシャバシャだったが、いちいち細かいことを気にしていても仕方ない。

広い風呂桶で朝風呂を浴びれるだけで上出来だ。

身体も暖まって目も覚めたので、身支度をしてホテルを出た。

向かうは厳島神社だ。


JR山陰本線で向かう宮島口、車窓の外では緑と褐色、橙が調和を作る斜面にマンションや戸建てが張り付いている。

これから向かう厳島神社英語神社shrine 、祀られる神は deity と言うらしい。god ではない。

日本人自分からすると、神社神様は、いわゆる唯一神と違い、「人間無限の愛を注ぐ父なる存在」ではなく、「自然世界運行を司る人間より上位の存在」であって、「世界運行の都合によっては人命も薙ぎ倒していく、敬うべきだが恐るべき存在」だ。

その恩寵も脅威も本質的には世界のためであって、人を主眼に置いたものではない。

そういった神性をエンタメとして表した代表作が「ゴジラである様に思う。

自然は容赦がないし、脅威は過ぎてもまた必ずやってくる。

広島は近年土砂災害に見舞われたが、斜面に建っている民家を見ていると「これは確かに自然が荒ぶればひとたまりも無い」と思う。

広島駅前には河が流れ、遠くを望めば山が見える。車窓の外では紅葉が彩る高台や斜面の中に家が建つ。

平時の住環境は最高だが、往時の危険もまた強烈だ。

この街に住む人は、自然恩寵と脅威に無関心ではいられないだろう。


厳島神社のある宮島には、宮島口駅で降り、フェリーで向かう。

さすが名だたる観光地なだけあり、観光客でいっぱいだ。

東京よりは少ない」と思っていた外国人も多い。

フェリーに乗り込み、3階展望デッキに座る。

桟橋を出てすぐなのに、デッキの淵には瀬戸内の水面に起立する大鳥居ファインダーに収めようとする観光客で鈴なりだ。

もちろん自分鳥居は撮りたいが、「見えてきてからでいいかなー」と言う感じ。焦ってヘリに長時間陣取れば他の観光客邪魔になってしまう。

腰掛けていたベンチ、隣を見ればスカーフを巻いた外国人女性がいた。

その先に少し覗いてきた大鳥居

教えようと指差す。

「・ー・ー・?」

しかけてきた彼女英語が聞き取れなくて聞き返す。

「How long?」

「あー、about 5minutes.

「5minutes.

「そう。」

休みに入ってから基礎英会話勉強を始めたものの、1日せいぜい2時間で2週間では大きな変化はない。

でも気にせず続ける。

「Where come from?」

Malaysia.」

あ、そのスカーフブルカか。

「Are you?」

彼女は下方向を指差す。

「No, Tokyo.」

「Oh, I go to Tokyo friday.」

「Enjoy Tokyo :) 」

お互い片言にも程があるが、単語をぶつ切りにした様なコミニュケーションでも意外と伝わるし、海外ではコミニュケーション出来ることだけで嬉しいものだ。

昨年から海外旅行で一番役立つ学びは、このコミニュケーションへの意志と気楽さかもしれない。


マレーシアから来たご婦人に5分と答えたが、実際には10分ほど後にフェリー宮島に到着した。

まあ規模感に大きな違いはないし、誤差の範囲だろう。

洋上フェリー展望デッキからも撮れた朱の大鳥居だが、岸からのほうが近かった。

島の其処彼処でノタノタ歩く鹿と共にスマホファインダーに収める。

きちんとしたカメラは携行しているし、それでも撮るのだが、こういったレイドバックな瞬間はスマホで撮るのが丁度いい様に思う。


水面に建つ大鳥居が有名な厳島神社だが、実際に訪れてみると鳥居だけでなく本殿がまた美しかった。

宿願成就を祈るため訪れた訳ではないが、せっかくなので参拝する。

祈りの詳細を明かすべきでないと思うので割愛するが、本殿では少し綺麗事とも思える様な事柄を祈った。

なんとなく、自分独りの事について祈るのが違う気がしたからだった。

まあでも改めて考えれば、金でも何でも、自らに起こる事柄に人と関わりなく起こる事はあまり無いし、誰かの幸福を祈ったとして、その実現は己の幸福でもある。

全ては人との関わりの問題でもあると言えるし、全ては己の為とも言えた。

幸福とは己の内にあるのか、人との間にあるのか。


【5】2018 晩秋、広島・博多・別府 3日目|海の生き物と山の仏 へ >>

[]【3】2018 晩秋広島博多別府

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anond:20181119190934




コンパクトな予行演習


安さ優先の一人旅といえ、ユースホステルで眠れる自信がなかったので、予約サイトで一番安いビジネスホテルを取ったは良いものの、2泊7,000円のホテル風呂トイレ洗面室は共用の上、冷蔵庫もなく、カーテンを開ければ階下に斎場というなかなかの感じで一瞬たじろいだ。

バス移動もコンパクトだったが、このコンパクトさも結構ものだ。

ともかく部屋に荷物を置いて、一旦2日後の新幹線切符の購入と夕食の為に広島駅へ向かう。

日はすっかり暮れていた。


広島駅切符を購入し、尾道ラーメンで腹を満たした後、ホテルに戻る為、煌びやかな夜の広島を歩く。

ホテルに戻りたいっていう安心感は旅に結構重要なんだよな、高くてももう少しホテルを選べば良かったかな」と思いながら、夜風に当たっていると、長距離バスの疲れか眠気が襲ってきた。

フロントで教えられた共同浴場で一風呂浴びて寝よう。


一階に備えられた共同浴場は小ぶりの銭湯の様な感じで、「他に呼び名は無いといえ『大浴場』は盛りすぎなんじゃないか」と思った。

しかし、小さいながらもサウナも併設の浴場は、ユニットバスより余程つかれを癒すのにもってこいで、「サウナに個室の寝室がついていると思えばこれはこれで悪く無いかもな」と思い直した。

旅の最終日は大分別府温泉だが、ここで一先ず先に湯治の予行演習だ。


【4】2018 晩秋、広島・博多・別府 3日目|3日目 ゴジラと朱の大鳥居 へ >>

2014-09-15

ポン引きのテクニック

http://www.kinsui-villa.jp/press/?p=2621

これを読んでもやっとしたので書く。

宮島旅館若旦那屋形船ツアーの売り方について語る内容だ。

例を挙げると、宮島には屋形船ツアーっていうのがある。

内容は、

神秘的な大鳥居厳島神社。夜の厳島神社を海上から参拝しませんか。

というもの屋形船説明書きをそのまま書いています

でも、伝え方を変えたらどうだろう?

昔、宮島は神の島と崇められており、神社に携わる神職以外は島に住む事も許されなかった、

そのため陸から厳島神社を参拝することはできなかった人々は、海上から厳島神社を参拝し祈りをささげたと言われている。

そんな歴史的で、貴重な体験ができるのは、宮島屋形船だけです。


最初言葉よりも少しは予約したくなるのではないかなって思います

屋形船日没からライトアップされた大鳥居を海上から望む事ができ、

沢山のお客様が利用されています。船頭の方が、大鳥居の目の前で屋形船をとめて、

参拝の説明もしてくれます

重要ポイントは、変更前も変更後も同じ商品提供しているということ。

観光客のために、観光客が求める商品を新しく企画・開発したり、商品ニーズに合わせて改良しているのではなく、今ある商品を売る売り方を変えているだけ。

一言で言ってしまえば、これはポン引きのテクニック旅館の企画というには語弊がある。

こういう売り方で真っ先に思いつくのはテレビショッピングだ。

売ってる商品ドンキホーテなんかにあるごくごくありふれた商品だが売り方が違う。

簡単、便利、あなたにぴったり、言葉巧みに財布の紐を緩めさせようとする。

で、いざ買ったらテレビイメージとは違ってガッカリしてタンスの肥やしになっている、

なんて話は至る所に転がっている。

結局、そういうガッカリ体験を何回かして、「もう買わない」になって客は離れていく。

騙される客がガッカリする客よりも多い間は客は増え続けるけれど、いつまでもそんな状態は続かない。

新規をどんどん掴んで焼き畑農業ができるテレビショッピングからなせる技で普通商売では確実に先細りになる。

さらによくないのはブログに書いてしまっているということ。

このエントリーの要旨を端的に言ってしまうと、「俺ってすごい」だ。

タイトルからして

旅館の企画の考え方、体験という視点を考える事が大切。」

とまるで同業者セミナー講師気取りで指導しているようだ。

一般の読者にとってこんな自己アピールは見たいと思うものではないし、

「書き方変えてるだけじゃねーか」と白けるだけだ。

「売るときはこうやって売るんだよ」っていうポン引きの自慢話をあからさまに

店が書いたら泊まろうとしていた客がどう思うか考えてみたらどうだろう。

中身を磨かずアピール勝負する-自分をよく見せようとする-気持ちが

そのままブログ、そして売り方に現れてしまっている。

商品のものをよくしていくという苦労から逃げて、

客を口車に乗せるポン引きのテクニックに走っていては客も逃げていく。

2014-03-09

首都圏の主要道路の変遷メモ

明治~現代の各時代の古地図が見れるサイトを見つけて、古地図&道路フェチとしましては、むさぼるように見入ってしまいましたとさ。

■今昔マップ on the web 首都圏編

で、主要道路がこれまでどんな変遷をたどってきたのか、知ることができた内容をメモ代わりに。



【おもな放射道路編】

東海道国道1号・15号)

池上通り

中原街道

綱島街道

  • 1900ごろ時点で綱島~六角橋の区間が原型存在。現在では旧綱島街道としてほぼ残っている。
    • 綱島以北は現ルートに相当する道はなく、代わりに、矢上を経由してガス橋通りに相当する道と、高田・子母口へ通じる県道106号に相当する道に分岐していた。
  • 丸子橋~綱島間は1940ごろ開通。ちなみに東横線開通のほうが先で1930ごろ。
  • 大豆戸~菊名間の新道は1940ごろ開通。菊名~浦島丘間は1960ごろ開通。

目黒通り

駒沢通り

国道246号方面(青山通り六本木通り・大山厚木街道

世田谷通り津久井

甲州街道国道20号



【おもな環状道路編】

内堀通り

  • 1900時点から現在と同じ道が存在している。
  • ただし二重橋前地域は、1970ごろ以前の地図では道路なのか広場の一部なのかがはっきりしない。

外堀通り

  • 淡路町鎌倉橋間に道ができたのが1930ごろ。それ以外の区間はほぼ全線に渡って1900時点で市電が走る道路だった。

外苑東通り

外苑西通り

明治通り

  • 古川橋渋谷区間。1900ごろ時点でほぼ原型あり。広尾付近は1930ごろに市電開通とともに1本の道として整備。
  • 渋谷~新宿区間。1900ごろ時点では、明治神宮前代々木付近に若干道があるのみでそれ以外は道らしき原型はなし。
    • 渋谷駅付近は、1960ごろに宮下公園東側が開通するまでは山手線西側の道につながっていた。
  • 神宮前新宿区間は1940ごろまでに開通。
  • 新宿~池袋区間は、1950ごろに開通していてそれ以前は道らしきものはほとんど無し。
  • (以東は省略)

山手通り

  • 北品川~大崎区間は、1920ごろに開通。1950~1960ごろにかけて大きな道へ整備。
  • 大崎~五反田間は1900ごろにはすでにあり、大崎駅の陸橋は1920ごろに陸橋化されて、その後何度か形状改良されている。
  • 五反田~大橋間は1950ごろまでに開通。
  • 鑓ヶ崎~神泉の現「旧山手通り」区間は、1900ごろ時点で現道と若干異なっているが原型が存在し、1920ごろにほぼ現道のルートで開通している。
  • 神泉~熊野町の区間は、1940~1950にかけて、もともと道がなかったところに一気に開通。
  • 渋目陸橋・菅刈陸橋ができたのが1960ごろ。それまでは、初台方面から南下すると現「旧山手通り」にのみつながっていて、中目黒目黒方面とは直結していなかった。
  • 熊野町~仲宿区間は1960ごろに開通。

都道420号

  • 現在進行形で今も絶賛整備中のこの道路。1900ごろ時点で存在するのは下記区間。
    • 戸越~五本木(現在と多少異なり武蔵小山を経由)、下馬~三宿~大山(北沢)、中野駅付近、哲学道~大山(板橋)
    • ルート上に「大山」という地名が2箇所あるため、ここでは「大山(北沢)」「大山(板橋)」と記述する。
  • 大井町付近は、1920ごろの大井町線敷設以降に徐々に整備。仙台坂トンネル開通は1990ごろ。
  • 戸越小・戸越公園の一角は、1950ごろまでの地図は「三井邸」と記されている。この下にトンネル開通させて大井町駅方面へ直結させる計画が2010時点着工中。
  • 国道1号中原街道目黒通り間の現道が開通したのは1960ごろ。
  • 目黒通り駒沢通り(=五本木)間は現在2014年時点で新道着工中。
  • 五本木~下馬区間は2000ごろ開通。
  • 下馬~三宿区間は、1960ごろに既存道路を拡幅・延伸して整備。
  • 三宿~大山(北沢)区間は、現在420号指定されている狭隘道路は1900時点ですでに存在する。拡幅&新道の計画があり、拡幅工事は現在着工中だが新道についてはまだ未整備。
  • 大山(北沢)~笹塚区間は2010ごろ開通
  • 笹塚~中野五叉路区間は1960ごろに開通。
  • 中野五紗路~新井付近1930ごろ現道開通。
  • 新井付近~哲学道区間の開通が1960ごろ。
  • 哲学道~大山(板橋)区間は1900ごろ時点から道があり、徐々に整備されている。

環七通り

環八通り

府中街道大師道・南部沿線道路・川崎街道

尻手黒川道路

  • 1900ごろ時点で原型が存在するのは、末吉橋およびその周辺、矢上~梶ヶ谷~清水台区間、柿生黒川区間。
  • 川崎駅末吉橋区間は、何度かルート変更されたのち、1960ごろに現道完成。
  • 末吉橋~子母口区間は1940~1960ごろに現道完成。
  • 子母口~梶ヶ谷~清水台区間は1960~1970ごろに現道完成。梶ヶ谷貨物駅完成が1970ごろ。東名川崎IC完成が1970ごろ。
  • 清水台~稗原区間開通が1980ごろ。稗原~王禅寺ヨネッティ付近は、神木本町方面からの道路として1960ごろ先に開通。
  • 王禅寺~山口台区間は1980~2000にかけて開通。
  • 山口台~津久井道区間は2010開通。
  • 津久井交差点から黒川方面へ直結させる短絡ルートが2010現在事業中。
  • その他、2006に元住吉付近で東横線と立体交差を逆にする工事実施

横浜麻生道路

  • 1900ごろ時点で、多少現道と異なるが全線で道路が存在。柿生から先は鎌倉街道府中方面・八王子方面へ直結していた。
  • 1930ごろ、東神奈川六角橋間の現道完成。当時は市電が走っていた。六角橋北側の一部区間の現道完成は1960ごろ。
  • 1960ごろ、津久井道交点が現在のようなT字路に路線変更
  • 1970ごろ、新川向橋付近の現道完成。
  • 1980~2000にかけて、池辺町~市ヶ尾間の新道完成。
  • 2000ごろ、市ヶ尾~鉄町間の新道完成。

国道16号八王子街道・町田街道方面



【その他、概況】

地形・丘陵

河川

2011-04-08

会津に行ってみた

会津観光旅行に行った。会津地方観光客が激減しているというニュース月曜日にみて、折よく暇だったため翌日朝一の電車に飛び乗り2泊3日の観光旅行、昨日7日夜東京の自宅に帰り着いた。せっかくなので、一観光客が見聞きした会津の現状や観光したうえで感じたことを書きたい。無計画性が災いし時間が足りず磐梯には行っていないので、会津若松喜多方のみの話となります

# # #

1.地震の被害

会津若松駅前の地下道が冠水、未だに復旧せず通行止めであったり、マンホールが隆起していたり、蔵の土壁が壊れていたりと、地盤のよい会津地方も少なからぬ被害を受けており、極一部の観光スポットが休業している。とは言えその数は少なくまた有名どころはたいてい営業しているし、会津内での交通インフラも問題ないので、観光への影響は少ない。

2.原発の直接的影響

大気中の放射線測定値についてはさすがに東京より高く毎時0.2マイクロシーベルトあたり(健康には問題のないレベルだが野菜や水からほとんど検出されていない。

http://www.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/index_php/info_hazard/view.php

ちなみに、現地の某ラーメン屋に入ったら使用している野菜の原産地をしるす貼り紙があったんだけど、そのなかに福島産の文字がない。つまり暗に福島産は使ってないですよと言うアピールをしていて、なんかすごい切ない気持になった。

3.観光産業の現状

機会があればなるべく現地の人と話すようにしていたんだけど、異口同音さっぱりお客さんが来ないとのこと。前年比で95パーセント減と具体的に数字を挙げてくれた方もいた。これから景気は悪くなるだろうし、外国人観光客も減るだろうから地震前に戻るというのは何年たっても無理かもしれないが、さすがにこの減り方は異常事態。しかゴールデンウィークの予約もキャンセルが相次いでいるということもあり、その異常事態のおわりが見えないことが怖い。しばらく続くとバタバタとお店が倒れてしまうかもしれない。

4.今観光すべきなのか?

しかし、このような惨状を見聞きしながらも、会津を助けるために今すぐ観光すべしと人に強く勧める気に僕はなれない。理由はふたつ。今一番困っているのは被災民なのだから観光する暇と金があるならボランティアしろよ寄付しろよという正論がそのひとつ。そして会津地方は避難民を多く受け入れているというのがもうひとつの理由。関係ない所で自粛だの不謹慎だのと言うのはバカらしいが、さすがに避難民の目の前で呑気に観光と言うのは気がひける。じゃあどうすればいいのか? 現地の人にいろいろ話を聞いてみて思ったのは、今観光客が激減していることよりも、その異常事態のおわりが見えないというところに不安を感じている様子だった。ならば、被災者難民に配慮しつつ、会津人の不安を解消するには、この異常事態には終わりがあるんだよというメッセージを送ればいいのではないかと思う。それにはちょっと先、例えばゴールデンウィークホテルの予約を入れるというのがいいんじゃなかろうか。先が見えれば会津の人も安心すると思う。もちろんそこまで被災者難民に配慮する必要はないよと言う人は、空いている今が好機だと思うので、どんどん行った方がいい。じっくり見学ができるし、スタッフさんと話し込むことができるし、サービスしてくれる店もあったし、写真も撮りやすいし。酒造りはほとんど終わっており、桜はまだと言うことでオフシーズンなのが残念ではあるが。

5.アクセス

東北新幹線東北本線が運転見合わせで、東部鉄道だと時間がかかり、高速バスはキャパが少ないということを考えると、現状では車で行くのがベターかなという印象。車がなければバスにするか、新幹線東北本線の復旧待ち。郡山会津間を結ぶ磐越西線現在間引き運転中。まあゴールデンウィークまでには意地でも復旧するでしょう。

# # #

以下蛇足ガイドブックではそれほど注目されてないが印象に残ったところをいくつか、ご旅行のご参考までに。

A.さざえ堂(会津若松

平面六角形の木造二重螺旋建築。前々から見に行きたいと思っていたもので、今回会津旅行即断したのもこれがあったから。世界に類をみない奇妙な建築物でありながら、中を廻れるというのが魅力。ずいぶん痛んでいるが、昔から多くの人が入ったという証左であり、歴史の重みを感じる。10年くらい思いを熟成させかなりハードルが上がっていたが、それをはるかに上回る感銘を受けた。

B.長床(喜多方

新宮熊野神社の拝殿。イメージとしては木造パルテノン神殿(ただし規模は劣る)といった感じの、壁のない建物70年代解体修理復元工事をしており、建材は再利用しているものの建物自体は古くはない。しかし、中にのぼれるという魅力には抗しがたいものがある。また木造大鳥居も時代がついていていい。

C.甲斐本家階段喜多方

蔵座敷で有名な甲斐本家だけど、注目は売店のなかにある螺旋状の吊階段。彎曲した側桁が一枚で、しかも曲げたのではなく削り出したのだという贅沢なつくり。店主が話好きのおじさんで、面白い話が聞けた。

D.割烹田季野(会津若松

名物輪箱飯(わっぱめし)の元祖。値段は高いが当然のようにうまいカウンターの隣には、とある形をした黒塗りの木造が鎮座ましましている。珍妙なことに、その木造には色々な国の紙幣が貼ってあった。訊くと、賽銭感覚外国人観光客が貼っていったものらしい。ちなみに、2泊3日の旅行外国人を一人も見かけなかった。

2008-06-19

通っていた小学校のこと

80年代の終わりから90年代前半にかけての話。

私が通った公立小学校郊外の都営団地に隣接していて、同級生の半数以上は団地の子だった。都内郊外といってもいわゆるニュータウンとは違い、古くからの住民が多く住む町だ。団地意味は例えば練馬町田とはだいぶ違っていた。つまり、少し言いづらいことだけど、その近辺は地区有数のワイルドイドと見なされていた。

日光修学旅行に行ったとき、入口に大鳥居がある駐車場バスが入ろうとしたことがあった。前方で先生方が何か話し合いをはじめ、バスは入口の手前で止まった。10人ちょっとがそこで下りた。振り返って見てみると、後ろのバスでも同じことが起きていた。宗教上の理由で鳥居をくぐれない子がいるので、と先生が簡潔に説明した。その口調から毎年同じようなことが起きてるんだろうなと思った。先に下りた子と私達は駐車場の外で合流し、そのまま滞りなく観光地だかお昼だかに向かった。家に帰ってから「うちは鳥居をくぐってもだいじょうぶなの?」と母親に確認して、「今までさんざんくぐってるじゃない」と笑い飛ばされた。

先生方も個性的な人が多かった。

4年生の時、隣のクラス担任の先生の口癖は「勉強が好きじゃない子が無理する必要はない」だった。授業時間なのに校庭で騒いでる子がたくさんいるなと思って見てみると、隣のクラスの子達が半分外で遊んでいて半分教室で勉強していたということもあった。よく問題にならなかったものだと思う(なっていたのかもしれない)。50代にもうすぐ手が届くという年頃の男性で、決して声を荒らげない先生だった。当然のことながらPTAからの評判は悪く、生徒には人気があった。

6年生の時の担任の先生はやはり中年男性で、保護者から有志を募って読書会を開いていた。うろ覚えだが、灰谷健次郎村上春樹アレックスヘイリー、それに上野千鶴子などがリストアップされていたはずだ。

君が代国旗の問題がマスコミでちらほら取り上げられるようになってから数年経つ時期だった。式典では起立しない先生の方が多かった。高学年に上がると毎年8月は原爆のことばかり勉強した。ばりばりの日教組先生が集まっていたと聞いたのは卒業してしばらくしてからだったが、たぶん小学生の頃に聞いても意味が分からなかっただろうと思う。

私はその後私立の女子校を経て地味な国立大学に進み、事務職に就いた。取り立てて特筆すべきこともない平凡な進路だ。

自分が通った小学校がどちらかというと変わったところだとはっきり気づいたのは大人になってからだ。それとももしかして私が勝手にそう勘違いしているだけで、その頃はよくあることだったのかもしれない。とりあえず私としてはけっこう楽しかったです。

2007-10-05

FPSはどうも好きになれないおれが空気を読まずに天才的な思いつきを書くからお前ら瞠目しろ

FPS。やりますよそりゃ。ゲーマーの端くれとしてね。

たしかにそりゃおもしろいかもしらん。完成度は高い。認めざるをえない。

でもゲームの興奮って、別の所にもあると思うんだ。つまりシステムとの親和度のはなし。

日本ゲーム文化の根幹を支えてきたのって、ジャンプだと思うんだ。

マリオを筆頭に、メトロイドなんかもシューティングと思わせつつ実はジャンプゲーだし。スト1が流行らなくてスト2が爆発的に流行ったのって、ジャンプ攻撃のかっこよさ&気持ちよさの差だと思うんだ。チャロンロボFPSもぴょんぴょん跳ぶのが基本動作。

な?

なんつーか、

「射出し、衝突させ、相手を支配する」欧米ゲーム快感原則と違って

物理法則=重力の支配を逃れ、己を制御する」のが日本ゲーム快感原則じゃねーのか、という。

ホラ、禅的ゲーム観。なんつって。

だから今言いたいのは

ジャンピングジャックフラッシュの興奮を思い出せ!」

そして

マリオギャラクシーちょう楽しみ

あるいは

ジェットセットレイディオの続編を出すなら今ですよCAPCOM大鳥居さん罰箱でどーすか?」

だ!!!!!!!!

(要するに最後のが言いたい)

 
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