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はてなキーワード: レンタルビデオとは

2024-10-22

anond:20241022190452

ポケモンなら興味があれば大人になってから過去の分までやれるじゃない

別にリアルタイムですべてを知る必要はない

これは漫画だってアニメだって同じ

昔なら古い作品に触れるのは図書館古本屋一時的レンタルビデオぐらいだったが今はネット可能になった

たかだがゲームの1種類を当然経験ってのは大げさ(ゲーム全部禁止ならわからんでもない)

2024-09-26

映画ブエノスアイレス」のサウンドトラックについてまだ語れる

ブコメ自分思い入れのある分野で、よっしゃーと思いながらブヒブヒ書き始めて、字が足らなくなって、高揚感と消化不良感に包まれて朝の通勤電車に乗ることあるよね?(俺はあります)

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/amass.jp/178130/

なので、ピンポイント映画ブエノスアイレス」のサウンドトラックについて増田でもう少し書こうと思う。

ブエノスアイレス香港映画監督のウォンカーウァイの作品であるウォンカーウァイが最近なにをしてるか全く知らないが、90年代後半から2000年ごろにかけて無茶苦茶はやった。マジで流行った。東京の一番オシャレな映画館(と俺が思っていた)シネマライズで前作が動員記録を打ち立てて、その最新作がシネマライズで公開されるってからレンタルビデオ屋で過去作の「恋する惑星」とか予習してから渋谷スペイン坂まで、地方出身の俺は当時付き合い始めたばかりの彼女と出かけたわけである

個人的な思い出はさておき、記憶に残るサントラ重要な要因として「時代性」がある。シネマライズ香港返還ちょっと先取りしたゲイムービーちょっと前の流れだがピアソラブームなどの時代の空気をたっぷり吸った「ブエノスアイレス」はその要素に溢れてる。

収録曲に関してはアストールピアソラフランクザッパ、カエターノヴェローソ、という3人の組み合わせである。この3人を一つの場に持ってこようと思った人間はいないのではないか。そしてその3人は同時代にいながら、互いの音楽を聞いていないのではないか(いや、ザッパは聞いてるかも)。しかし、その三者三様音楽ブエノスアイレスという映画の中にめちゃくちゃ嵌っている。

楽曲以外の収録要素もいい。一曲目のカエターノの「ククルククパローマ」のイントロの前に、短くイグアスの滝の音が入る。イグアスの滝映画の中で象徴的な役割果たしており、サントラの導入としては最高である。また楽曲の合間に、映画本編の登場人物セリフが収録されているのがいい。広東語なので何言ってるかわかんないが、こういうのは雰囲気だ。

CDパッケージも美しくて良い。

こんな最高な作品だが、他の名作サウンドトラックと同様に廃盤となっているようだ。映画自体前評判の割には大ヒットというわけでもなく、ウォンカーウァイの時代も遠い過去になってるからしょうがない。

興味のある人はAmazonあたりで中古で出回ってるだろうから聞いてほしい。

2024-09-24

anond:20240924111156

ばっさり捨てちゃったのと、実家に帰ったら親に捨てられてたのと…

レンタルビデオから流れてきたようなVHSはみんな捨ててしまったし、

MSX関係フロッピーは取っておけば良かったかな、ディスクマガジンとか

でも、どうせ大量に積読があっても本もそうだけど消化できなくなるだけだよね

暇な時間があっても、こうやってStudio Oneにらめっこしてるだけだし、

もう技術書も、数学セミナーみたいな雑誌も読むことないんじゃないかと思うし、

まあ、自分はそんなにできる人間じゃなかったよな、いや、最初から分かってたけど、

なんとか背伸びして届かないかな、みたいにジタバタしてるうちに人生かなり消費しちゃった感じがする

もう、IT関係は十分だよなぁ、多分…😟

2024-08-03

未来がわかるビデオレンタルビデオ屋にあって

から順にみていくんだけど最後から2番目のやつが借りられてて

仕方ないか飛ばし最後ビデオみたらエレベーター事故死してる自分が映っていた

みたいなドラマ映画なかったっけ なんだっけ

この痛みは知ってる どんどん経験していく

ただ天秤がどっちかに傾くかだけ

どっちでもいいよ 好きにしたらいいじゃん

なにしてもいいよ ただし天秤が傾いた効果を受ける

なにも食べないほうがいいんじゃないかって思って断食するか食べるか

遺伝子を入れたい 遺伝を注ぎたい のあちゃん

ほかの静止ぜんぶカリでかきだして

kabi 30歳 なんだっけ

人生 

2024-07-13

ギターを始めた理由モテたかたか

とか言うやついるけど、自分全然そんなんじゃなかったんだよな

自分は遅咲き?で、それこそ幼稚園とか小学校とか、周囲は女子ジャニーズだったり、男子も何らかのアイドルにハマってたりするわけだけど、

自分にはそんな偶像崇拝はなかったというか、スクールカースト底辺らしく、アニメとか漫画とかゲームとかだったから、音楽自然アニソンとかゲームの曲になるわけで、

あと、家ではラジオだらだら聴いてて、英語勉強にもなるんじゃないかFENとか流しっぱなしにしてたんで、洋楽の方が聴いてたけど、曲名とか歌詞とか全然理解しないで聴いてたので、

学校で会話が成り立たないし、なんか流行の曲が分からないので、すげーバカにされたこと思い出ばかり残ってるんだけど、

山の中のド田舎みたいな場所に、ある日レンタルビデオレンタルCD屋みたいなのができて、よくわからんジャケット墓地がカッコイイという理由だけでメタリカ聴いて、

人生で最も感動したんじゃないかぐらいに感動してしまって、親にねだって田舎電気店ギターを買って、バンドスコア買って、タブ譜でリフはすぐ弾けるようになったけど、

速いソロは弾けないし、家のあちこちギターぶつけて表面加工がボロボロになったり、フロイドローズスプリングテンションいじってて壊したり、無理やり直したりした思い出があるけど、

ギターは未だに下手くそだけど、女性モテたいという気持ちは当然本能としてあるのは否定しないけど、女性モテたいと思ってギター弾き始めたわけでもないし、弾いてる訳でもなくて、

なんか難しいソロが弾けた、カッコイアニソンをとりあえず耳コピできた、延々とYouTubeカラオケ代わりに流して、知らない曲でもいきなり弾いてみたり、自己満足だけどなんかそういうのが楽しいわけで、

そもそも自分が観てるYouTubeチャンネルとか、例えばイングヴェイとかインペリテリとか完コピしてる人とか、まったく再生数ないよね

凄く上手い人、メタル関係なく、どんなジャンルでもいいけど、凄い上手いし、観れば参考になるのになぁ、と自分が思ってる人は意外と再生数が異常に少ない

再生数が多いのは、ギターは顔で弾け!の人とか、ファンクおぢとか、富士山とか、あとアニソン耳コピしてタブ配ってるような人とか、そういうのだよね

スコアが出回る前のぼっちざろっくとかは再生数が伸びるけど、スコアが出回ったり、挫折者が大量に出るようになったり?すると、再生数が落ち着くというか低くなる感ある

何が言いたいのかよくわからなくなってきたけど、未だにギター下手だし、ネットで上手い人見てスゴイネーとかコナミ感してるけど、今更モテたい気もしてきたけど、もう遅いんだよね…

昨日、ラウドネスネタで盛り上がってるYouTube観たけど、登場してる人がみんなおぢさん、おぢいさんばかりで、正直自分より一回り、二回り上の世代ではあるものの、

他人事じゃないぐらい、自分アラフォーアラフィフのおぢさん、おぢいさんだからね…

腰痛が酷くて、ギター立って弾いてたらギックリ腰するようなおぢさんだからね…

高齢独身童貞おぢさんが、暗い部屋の中で独りでLUNA SEA耳コピしたり、End of 早漏とかウケないおやぢギャグ脳内再生してるからね…

もう人生終わりだね…

早く退場して異世界行きたい…😟

2024-06-08

レンタルビデオってどういう意味

マジ顔で聞いてくるのは止めて下さい。昭和生まれからのお願いです。

2024-05-15

黒沢清蛇の道』(1998年)

自分がやってしまたこと(例えそれがわずかなものでも)が確実に原因で起きてしまった不幸と、まったく自分に原因のない不幸とではどちらがより耐えがたいものだろうか。

前者は「あのとき自分がこうしていなかったら…」というような激しい後悔に苛まれるだろうし、後者は そのことの理不尽さの前でおのれの無力さをおもいしることだろう。

さて、その選択はとりあえず個人の手に委ねることにして、最初の問いの「不幸」を「恐怖」と置き換えてみよう。

[A]その人自身に起こるべくして起きた恐怖

[B]全く原因不明の恐怖

どちらがより怖いか。まあケースバイケースというか結局はその状況に立たされなければ答えは出ないだろうが話を続ける。

[A]の原因というのを、過去にはたらいた明らかに人道に反する行為、とより狭義のものとし、 それ以外を後者にいれるとすれば、一般的に「ホラー映画」と呼ばれているものはほぼ全てが後者を扱ったものだといえよう。

原因が呪いのヴィデオテープを見たということにしろ遺伝子操作に失敗して前代未聞のウィルス感染してしまたことにしろそれらはとくに人道に反するというほどものではなく、せいぜい無根拠禁忌を犯したという程度だ。

そして観客はその恐怖を、襲われている者に 感情移入同化してともに味わい、それから逃れるとホッとして、それからまたそいつに襲われて……、 で最終的には原因が解き明かされるなり逃げ切るなりで幕は下りる。作る側も、いかに観客を引き込ませるかを意図して作っているし、そこで描かれる恐怖というのはあくまで襲われる側から見たものだ。

ところで、[A]の恐怖を描いた映画がいまやほとんどないのは、非のある者がこうむる恐怖を因果応報・当然のものとしてみなし逆に追いつめていく方が主人公として描かれているかである

すなわち正当な復讐をする勧善懲悪物語となってしまう。当然それは「恐怖= 襲われる側への感情移入により抱くもの」の図式が成り立たないのは言うまでもない。

では[A]の恐怖が恐怖映画として成立する場合とはどのようなものであるか。

それは、執行される復讐方法が観客に感情移入など到底させないほどおぞましいものであるときである

観客を思考停止に陥れさせるほどの残酷もの。このとき、その恐怖はまさに恐怖そのものとしてスクリーンに映し出される。

黒沢清監督作品蛇の道』(1998年)はこのような映画である

いや、これだけではこの作品を ひどく矮小化していることになる。

この作品の恐怖は、あるひとつの極点に立ってしまった人間がとってしま行為の目をそむけずにはいられないような醜悪さが、これでもかこれでもかと露呈されていくことにある。

かといってそれは単に悪趣味とかたづけられるような類いのものでは断じてない。

それが、紛れもなく人間性質によるので、恐怖を通り越してとにかく正視しがたいのだ。

それでもひとはこの映画を見るというほとんど拷問のような行為をやめようとしないのは、その恐怖の果てにも救いがあるはずだと信じているからにほかならないのだが……。

特筆すべき役者は(やはり)哀川翔である

この映画での哀川はほぼ、人間醜悪さを次々と 引き出す媒体として存在している。またその媒体としての仕事ぶりの的確さは、この世界物理学法則を解明していく学習塾でのもうひとつの姿とも重なり、存在論的に否定しがたいものとなるのだ。 あえて例えるならばこの作品での哀川の存在は、ルー・リードの声の響きのようだ。優しさ/慈悲深さと、 その奥にある圧倒的強度をほこる底無しの得体の知れなさ、そしてかなり強引なのにもかかわらず 抗いきれない魅惑にも似た正しさ(のようなもの)を備えている。

ともあれ、是非多くの人に見てもらいたい作品である

いや、やはりできるだけ見ないほうがよい。レンタルビデオ屋のやくざものコーナーに、絶対的大凶」としてなにげなく陳列されているのが、 この作品存在としてしごくふさわしいものだとおもわれる。

ヴィデオ化にあたり、『修羅極道 蛇の道』と改題された。

(この文章1999年8月下旬ごろ書かれた。)

(2024年5月付記:リメイク版公開の報に触れ、四半世紀前にこのような文章をひっそり公開していたのを思い出したのでまたひっそりと匿名公開させていただきました。ニュアンスを変えない程度に改行等いじりましたが、死語である「ヴィデオ」」」云々の最終2行は削れませんでした。)

2024-02-03

20年経ってガンダムSEEDという作品を供養することができた

ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。

特に宣伝というわけではない。

ガンダムSeedとの出会い高校生の頃だった。

子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。

設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。

1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚様相だった。

ガンダムSeed Destiny出会った時、自分大学生になっていた。

今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。

設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌インタビュー声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。

ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファン絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。

その後ゲームコミカライズノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。

前作で生み出された多数のファンアンチDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。

ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。

近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品Seedには共通点がある。監督脚本家が同じなのだ

福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)

極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。

これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。

この両澤千晶という人物自分にとっては敵だったのだ。

今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。

近年の監督SNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。

それから20年の間、親しい友人とSeedネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。

この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。

Seed関連での大きな変化といえば脚本家両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまたことに大きな喪失感を覚えた。

当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実申し訳なさや後悔のような感情もあった。

どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。

この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。

ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。

そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚しこりのようなものがあった。

昨年のことだった。唐突劇場版の公開が発表された。

私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さら困惑していた。

なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?

多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。

Seedシリーズ主題歌担当し、自身声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。

そんな西川ニキは劇場版発表後、自身Twitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。

業。そう。業だ。さすが当事者だ。解像度が高い。

自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。

やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見家族もキレていた。

しかリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないかアスランハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。

それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、

直前になってもどういう気持ちで向かえばいいのかわからない。

20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。

この映画告別式なのか、送別会なのか、同窓会なのか

何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?

結論から述べると、全裸正座が正解だった。

ネクタイ西川ニキリスペクトオレンジベター

斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊成仏し、20熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。

あのシンが活躍し、ヒーローになった。

キラ人間に戻り、ラクス人間になり、アスランネタになり、ヒーローになった。

特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。

映画終盤、唐突クロスアンジュが始まり西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。

Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。

気づけば劇場で涙を流していた。

監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品ファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。

劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。

みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。

今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。

監督気持ちの整理に時間必要だったのかもしれない。この映画監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。

いや、許さんが。

20年経っても変わらずseedの話ができる友人たち、私の業に付き合ってくれた家族ありがとう

ありがとう監督。奥様によろしく伝えて欲しい。

20年経ってガンダムSEEDという作品を供養することができた

ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。

特に宣伝というわけではない。

ガンダムSeedとの出会い高校生の頃だった。

子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。

設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。

1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚様相だった。

ガンダムSeed Destiny出会った時、自分大学生になっていた。

今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。

設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌インタビュー声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。

ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファン絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。

その後ゲームコミカライズノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。

前作で生み出された多数のファンアンチDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。

ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。

近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品Seedには共通点がある。監督脚本家が同じなのだ

福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)

極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。

これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。

この両澤千晶という人物自分にとっては敵だったのだ。

今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。

近年の監督SNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。

それから20年の間、親しい友人とSeedネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。

この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。

Seed関連での大きな変化といえば脚本家両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまたことに大きな喪失感を覚えた。

当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実申し訳なさや後悔のような感情もあった。

どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。

この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。

ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。

そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚しこりのようなものがあった。

昨年のことだった。唐突劇場版の公開が発表された。

私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さら困惑していた。

なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?

多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。

Seedシリーズ主題歌担当し、自身声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。

そんな西川ニキは劇場版発表後、自身Twitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。

業。そう。業だ。さすが当事者だ。解像度が高い。

自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。

やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見家族もキレていた。

しかリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないかアスランハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。

それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、

直前になってもどういう気持ちで向かえばいいのかわからない。

20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。

この映画告別式なのか、送別会なのか、同窓会なのか

何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?

結論から述べると、全裸正座が正解だった。

ネクタイ西川ニキリスペクトオレンジベター

斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊成仏し、20熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。

あのシンが活躍し、ヒーローになった。

キラ人間に戻り、ラクス人間になり、アスランネタになり、ヒーローになった。

特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。

映画終盤、唐突クロスアンジュが始まり西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。

Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。

気づけば劇場で涙を流していた。

監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品ファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。

劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。

みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。

今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。

監督気持ちの整理に時間必要だったのかもしれない。この映画監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。

いや、許さんが。

20年経っても変わらずseedの話ができる友人たち、私の業に付き合ってくれた家族ありがとう

ありがとう監督。奥様によろしく伝えて欲しい。

20年経ってガンダムSEEDという作品を供養することができた

ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。

特に宣伝というわけではない。

ガンダムSeedとの出会い高校生の頃だった。

子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。

設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。

1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚様相だった。

ガンダムSeed Destiny出会った時、自分大学生になっていた。

今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。

設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌インタビュー声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。

ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファン絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。

その後ゲームコミカライズノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。

前作で生み出された多数のファンアンチDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。

ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。

近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品Seedには共通点がある。監督脚本家が同じなのだ

福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)

極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。

これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。

この両澤千晶という人物自分にとっては敵だったのだ。

今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。

近年の監督SNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。

それから20年の間、親しい友人とSeedネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。

この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。

Seed関連での大きな変化といえば脚本家両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまたことに大きな喪失感を覚えた。

当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実申し訳なさや後悔のような感情もあった。

どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。

この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。

ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。

そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚しこりのようなものがあった。

昨年のことだった。唐突劇場版の公開が発表された。

私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さら困惑していた。

なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?

多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。

Seedシリーズ主題歌担当し、自身声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。

そんな西川ニキは劇場版発表後、自身Twitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。

業。そう。業だ。さすが当事者だ。解像度が高い。

自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。

やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見家族もキレていた。

しかリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないかアスランハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。

それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、

直前になってもどういう気持ちで向かえばいいのかわからない。

20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。

この映画告別式なのか、送別会なのか、同窓会なのか

何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?

結論から述べると、全裸正座が正解だった。

ネクタイ西川ニキリスペクトオレンジベター

斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊成仏し、20熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。

あのシンが活躍し、ヒーローになった。

キラ人間に戻り、ラクス人間になり、アスランネタになり、ヒーローになった。

特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。

映画終盤、唐突クロスアンジュが始まり西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。

Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。

気づけば劇場で涙を流していた。

監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品ファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。

劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。

みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。

今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。

監督気持ちの整理に時間必要だったのかもしれない。この映画監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。

いや、許さんが。

20年経っても変わらずseedの話ができる友人たち、私の業に付き合ってくれた家族ありがとう

ありがとう監督。奥様によろしく伝えて欲しい。

20年経ってガンダムSEEDという作品を供養することができた

ガンダムSeedシリーズおそよ20年ぶりの新作となる劇場版SEED Freedomを鑑賞し、自分の中でガンダムSeedという作品を供養できたので記念に置いておこうと思う。

特に宣伝というわけではない。

ガンダムSeedとの出会い高校生の頃だった。

子供の頃からガンダムが好きだった自分はワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると酷い出来に落胆した。

設定やMS、一部キャラの溢れる魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと世の中に対する解像度の低さが目立った。

1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

しかし従来のガンダムとは異なる客層を呼び込むことに成功し、爆発的な人気となったが、その内容に伴い多くのファンアンチを生み出した。当時のネットはまさに阿鼻叫喚様相だった。

ガンダムSeed Destiny出会った時、自分大学生になっていた。

今度こそは失敗を取り返してくれるはずだ。ワクワクしながら開始を待っていたが、蓋を開けてみると輪をかけて酷い出来に大きく落胆した。

設定やMS、一部キャラの魅力と、それでも補いきれない程酷いシナリオと 世の中に対する解像度の低さ が目立った。 1クール目は面白いが2クール目以降は見るのが辛かった。あの頃自分と共に視聴していた顔も知らない2ch実況スレのみんなにはこの場を借りてお礼を言いたい。彼らがいなければ完走は不可能だった。

続編であるDestinyの酷さはここでは語り尽くすことはできない。大勢の方が語っているはずなので割愛するが、アニメ雑誌インタビュー声優が出演作品をボロクソ言ったりしていたアニメはあまりないだろう。

ともかくこの魅力的な要素を持ちながらそれを活かしきれなかったSeedシリーズは、多くのファン絶望や怒り、憎しみ、無念、悔恨などを与え、感情が渦巻き、ネット上でまともに語ることは不可能であった。

その後ゲームコミカライズノベライズなど様々な媒体で、救済が図られ、ファンは喜んだり記憶を呼び起こされて怒ったりしていた。

前作で生み出された多数のファンアンチDestinyという作品を消化することができず、行き場を失った悪霊となって20年感彷徨うことになった。

ところで私は幼少期に放送していた新世紀GPXサイバーフォーミュラというレースアニメが大好きだった。

近所のレンタルビデオ屋に通い詰め、続編のOVAも完走していた。このサイバーフォーミュラという作品Seedには共通点がある。監督脚本家が同じなのだ

福田監督とその妻である両澤千晶である。(星山氏や電童については脱線するため割愛する)

極めて似通っていて欲しくない共通点もある。上手くいかないことを周囲に当たり散らしていた主人公悟りを開き、良いものとして描かれていく。展開もどうにもスッキリしない。はっきり言ってしまえば失速していく。

これは両澤千晶が本格的に脚本に関わりだしてから起こっていると当時から感じていた。

この両澤千晶という人物自分にとっては敵だったのだ。

今にして思えばそんな1人の介入で質が下がったのなら監督責任なのだが当時はとにかく嫁が悪いのではと考えていた。

近年の監督SNSでの振る舞いなどを見てやはりこいつのせいだったかと思い直したりしていた。

それから20年の間、親しい友人とSeedネタにし続けることで楽しんでいた。いや、都度思い出してマジギレしていたかもしれない。その間映画の話も出たり消えたりしており自分の中では無かったことになっていた。

この20年の間に私生活は大きく変わっていた。就職し、転職し、家庭も持っていた。今さらそんなことを言われても困るぞ。

Seed関連での大きな変化といえば脚本家両澤千晶が亡くなっていたことだった。私にとってアークエネミーだった人物が亡くなってしまたことに大きな喪失感を覚えた。

当時プライベートな場でとはいえ汚い言葉罵倒し怒りをぶつけていた人間が亡くなってしまった事実申し訳なさや後悔のような感情もあった。

どこ目線だと思われるだろうが、責任のようなものを感じていたかもしれない。

この間ガンダムシリーズは作り続けられており、全て視聴していた。

ユニコーンを楽しんだり00やAGEに怒ったりしていたが、Destinyときほど熱くなることはなかった。何を見せられてもあらゆる意味であれほど酷い作品には出会えなかった。悪い意味で忘れられない作品になっていた。

そんな中両澤氏の訃報を聞き、Seedという作品永遠に消化できないものとして残ってしまったという感覚しこりのようなものがあった。

昨年のことだった。唐突劇場版の公開が発表された。

私は困惑し、20年来の怒りを思い出し、また困惑し、さら困惑していた。

なぜ今?本当にやるのか?そんなことがありえるのか?どうして墓から掘り起こすのだ?えぇ……?

多分観ちゃうんだろうなという予感はありつつもとても向き合えないと感じていた。

Seedシリーズ主題歌担当し、自身声優として出演していたTMRevolutionの西川貴教氏は20年間劇場版を待っていることを公言し続けていた。

そんな西川ニキは劇場版発表後、自身Twitterでこれは我々の「業」です。と発言していた。

業。そう。業だ。さすが当事者だ。解像度が高い。

自分も業と向き合うべきだ。そう考えた私は20年ぶりに無印からDestinyまでを通して100話見てみることにした。

やはりクソだった。20年ぶりに怒りが湧いてきた。巻き込んだ初見家族もキレていた。

しかリマスターは業が足りない。絵が綺麗になっているじゃないかアスランハゲてないしクルクル回りながらビームもあまり撃たない。ストフリが汚れているじゃないか。そんな歴史改変は許してはいけない。

それはさておき20年来の友人と自然な流れで観に行くことになったが、

直前になってもどういう気持ちで向かえばいいのかわからない。

20年間溜まり続けていたおこりのようなもの、あるいは悪霊、地縛霊のようなものが覆い被さっているような気分だった。

この映画告別式なのか、送別会なのか、同窓会なのか

何を着ていけばいいのか?喪服なのか?タキシードなのか?私服でいいのか?ネクタイは何色?

結論から述べると、全裸正座が正解だった。

ネクタイ西川ニキリスペクトオレンジベター

斯くして、Freedomを鑑賞した私はすっかり浄化された。憑いていた悪霊成仏し、20熟成させたヴィンテージワインを開け、みんなと笑いあうことができた。面白かった。いや、楽しかった。みんなで見た走馬灯のような映画だった。

あのシンが活躍し、ヒーローになった。

キラ人間に戻り、ラクス人間になり、アスランネタになり、ヒーローになった。

特にシン・アスカというキャラクターが躍動することで私は救われた気持ちになった。20年間の無念がようやく報われた、そんな気がしたのだ。

映画終盤、唐突クロスアンジュが始まり西川ニキのMeteorをバックにフリーダムが神になった瞬間、私はもうこれで良い、と強く思った。

Destiny終了後すぐにこれをやられていたらキレていたかもしれない。でもこれは20年という時間が与えてくれた最高の贈り物だった。

気づけば劇場で涙を流していた。

監督夫妻が生み出し、2人に壊されたと思っていたSeedという作品ファンに、俺たちに、みんなに返してくれた。

劇場を出るファンたちはみんな笑顔で楽しそうに映画を振り返っていた。いや、アスランの話をしていた。明日はシンの話をしているだろう。

みんなが笑ってSeedの話ができるまで20年も必要だったのだ。

今まではお前はSeedが好きなんだろうと言われたら即座に強く否定していた。でも今なら本当は好きだったのかもしれないと思えるようになった。

監督気持ちの整理に時間必要だったのかもしれない。この映画監督から奥方への追悼であり、想いを綴った恋文だったのかもしれない。

いや、許さんが。

20年経っても変わらずseedの話ができる友人たち、私の業に付き合ってくれた家族ありがとう

ありがとう監督。奥様によろしく伝えて欲しい。

2024-01-06

高校生の頃、クラスメイトアニメ好きな男子生徒からAIR』のアニメを薦められた

便宜上その男子生徒の名前横山とする。

横山からAIRをすすめられた俺は正直視聴する気はあまりなかったが「じゃあレンタルビデオ屋で今度探してみるかな」と言うと、その翌日にDVDを持ってきてくれた。

ここまでされると無碍にはできないので、家に持ち帰りすべて見た。

正直、登場人物の顔のパーツも福笑いのような歪さがあって気になるし、ヒロイン知的障害があるハイコンテクスト理解できたが、話はあまり理解できなかった。

観終わった俺は感想を求められたので「ヒロインの子、よく転ぶからさ、おそらく小脳あたりに重篤な病があることがわかって、知的障害があるのもそれが原因ってのが後々発覚すると予想してたんだけど、まさか先祖呪い死ぬと思わなくてビックリしたよ」とひねり出した。

彼は顔を真っ赤にして「ミスズ漢字わからん)は知的障害じゃねえ……!」と言い、俺からDVDを取り上げて席に戻っていった。俺は唖然としてしまった。

クラスメイト女の子達に「オタク君すげえ怒ってんじゃんきっしょ、増田何したの?」と聞かれた。「いや、別に……」と答えながら席に着いた横山君に目をやると、こっちをチラッと一瞥し、顔を真っ赤にしながらラノベ視線を落としていた。

俺は「悪いことをしてしまった」というよりも「ヒロイン知的障碍者扱いした事に怒りを感じているということは、あのヒロイン知的障碍者じゃなかった」という可能性に動揺してしまった。この作品が好きな彼が知的障害扱いに憤りを感じるのであれば、知的障害ではないんだろう。

その日の夜にメールで、「せっかくDVDまで貸してくれたのに、俺の理解力が低くて不快にさせて悪かった。悪気はなかった」と謝罪メールをいれた。横山から即効返事が返ってきた。

馬鹿にしたいだけなら謝らないでいいよ」

その後、横山と話すことは卒業までなかった。

この間、高校の頃の友人と久々に話したときに「お前横山の事教室でキレさせたって話聞いたけど、何したの?」と聞かれてこの話をした。

友人は「きめえアニメ突然おしつけてキレられてお前よく平気だったな。優しすぎるだろお前。俺だったらDVD持ってこられた時点で教室ボコってたぞ」と笑った。

13年の時を経て、横山アニメ理解できなかった俺を拒絶したのではなく。積み重なりに積み重なった土台によるものだったのだと、俺はようやく理解できた。

2023-12-27

年賀状vs新聞紙vsテレビvsパチンコvs本屋

ほとんど全部スマホのせいなんだけど

最初に消えるのはどれだと思う?

 

年賀状

2003年 44億枚

2015年 30億枚(ここまで線形、ここから加速)

2022年 16.4億枚

ーーー

2029年 8.9億枚(予想)

2036年 4.9億枚(予想)

案外しぶとい

 

新聞(紙) 

2000年 5370万部

2005年 5250万部 ▲2.2%(5年)

2010年 4920万部 ▲6.0%(5年)

2018年 3990万部

2020年 3510万部 ▲28.8%(5年)

2023年 2860万部 ▲28.3%(5年)

ーーー

2028年 2060万部(予想)

2033年 1480万部(予想)

2038年 1060万部(予想)

どこかに損益分岐点があるはずなので突然死しそうではあるが

新聞各社は他の事業で生き残ってるので

赤字でもやる可能性もある

まあ2030年前後寿命だろうか

個別配送コストがきついよね

 

テレビ

テレビ視聴率を見ると、緩やかに下っていっててここ3年くらいで急落しているんだけど

これってTVerとかそれ系が影響してると思うんだよね

からちょっと予想しづらくなってる

死ぬとしたらテレビ視聴率が下がって電波法が変わるとかそういうのだろうけど

Starlinkみたいなのが何社か出て、僻地でもネットが快適に受信できるようになったらかなぁ

2030年でも余裕で生きてると思う

 

パチンコパチスロ

2018年 430万台

2019年 419万台 ▲4.5%

2020年 400万台 ▲4.5%

2021年 381万台 ▲4.7%

2022年 356万台 ▲6.5%

ーーー

2030年 236万台(予想)

2035年 182万台(予想)

2040年 141万台(予想)

 

コロナの影響で、と思いきや順調に衰退している

このまま行くと2030年代に半分以下になる

元々規模が大きかったので、しっかり撤退戦をすればそれでも当分残ると思うんだけど

新台の数は横ばいという歪な構造をしてる業界なのでどこかで破綻しそうでもある

法律次第でもある(逆転の目もある)

 

本屋

2010年 95.7万坪

2015年 90.2万坪 ▲5.7%(5年)

2018年 82.5万坪

2020年 75.9万坪 ▲15.8%(5年)

2022年 72.4万坪 ▲12.2%(5年)

ーーー

2027年 63万坪(予想)

2032年 56万坪(予想)

2037年 49万坪(予想)

 

明らかに斜陽なんだけど意外としぶとい本屋さん

2040年でも数や規模は減るけど残っていくと思われる

意外なのが坪数でみた時にピークが2010年頃なんだよね

 

その他

レンタルビデオ → 早めに消えそうというかもうほぼ消えてるよね、いい感じの統計が見つからなかった

 

他にあるっけ

 

___

ところでオワコンオワコン言われててもあと10年はどれも生きてそうなのはちょっと意外だよね

ただ衰退産業は人が余るので無限地獄なのは違いないし

若者が飛びつくには覚悟がいると思う

 

逆に今のうちに楽しんでおくべきな気もする

年賀状とか普通に手紙として直接渡すとか面白そう

 

___

 

参考:60代のスマホシェア

 

2015年 33

2020年 69%

2023年 93%

2023-11-27

ネット広告が成り立つ方が不思議

Web広告Youtube広告もなんで成り立つって思われてるんだろうな

ユーザー側に視聴の権利を持たせてるシステムなのに強制的に表示させるって原理的には無理でしょ

レンタルビデオの冒頭に映画館と同じような広告を入れたって見るわけないよね?

テレビライブ配信動画広告理解できるけどWebYoutube理解できんわ

あるとしたら分離不可能な形でのコンテンツ提供しかなくて

企業案件ステマとか言われるような形態しか広告行為って成り立たないよ

サービス無料提供するのに必要なので広告表示に協力を!」

とかアホかよ

無料提供してユーザー集めたいのはそっち側の理由でしょ?

本当に必要コンテンツは有料でちゃん課金してるけど?

強制表示が原理的に無理とはいえ、ある程度の効果は見込めるからそれを使ってマネタイズするのは分かるけど

回避策が出てきたときに「ご理解を!」みたいに言うのはおかしいでしょ

2023-11-24

anond:20231123184004

子供の頃住んでた社宅の隣の部屋のお兄さんが読み終わった前週のジャンプをくれたからそれを読んでた。

当時は小遣いもらってなかったから親が買ってくれる学年誌と合わせて貴重な漫画を読む機会だった。

ちなみに自分で買ったことは一回もない。

小遣いもらえるようになっても毎週ジャンプ買うのに足りなかったし、中学上がって金額増えてから映画が好きになってレンタルビデオにばっかり金使ってた。

2023-11-13

anond:20231113151255

業者買いを装うにしても、例えばレンタルビデオ屋さんでアダルトビデオを1泊2日4本1000円セールとかで借りて、一晩で何回抜くんだよって必死な人のように思われたりしない?

2023-09-15

◯◯年に無くなる仕事一覧

2020年に無くなる仕事2013年

レジ係、銀行融資担当者プログラマースポーツ審判不動産ブローカーレストランの案内係

保険審査担当者動物ブリーダー電話オペレーター給与福利厚生担当者娯楽施設の案内係、チケットもぎり係、カジノディーラーネイリスト

クレジットカード申込者の承認調査を行う作業員、集金人、パラリーガル弁護士助手ホテルの受付係、電話販売員、仕立屋(手縫い)、時計修理工

税務申告書代行者、図書館員の補助員、データ入力作業員彫刻師、苦情の処理・調査担当者、薄記、会計監査事務員

検査、分類、見本採集、測定を行う作業員、映写技師カメラ撮影機材の修理工、金融機関クレジットアナリストメガネコンタクトレンズ技術者殺虫剤の混合、散布の技術者

義歯制作技術者、測量技術者地図作成技術者造園・用地管理作業員建設機器オペレーター訪問販売員、路上新聞売り、露店商人塗装工壁紙張り職人

 

増える仕事

フリーランス

 

2020年に無くなる仕事2015年

レジ係、電車運転士車掌通訳新聞配達員レンタルビデオガソリンスタンド卸売業者、小規模農家

生保レディ、教員交番警察官コピーFAXプリンター関連、証券不動産ブローカー、金型職人

 

2025年に無くなる仕事2015年

レジ係、電話営業員、タクシー運転手、手縫い裁縫師、法律事務所事務員不動産ブローカーデータ入力

医療事務員、保険契約の審査員、モデル不動産仲介業者コールセンター保険営業員、飛び込み営業

 

2030年に無くなる仕事2016年

電話販売員データ入力銀行融資担当者金融機関窓口、簿記会計監査レジ係、料理人球児、理髪業者

 

2030年に無くなる仕事2018年

レジ係、路線バス運転者一般事務員銀行窓口係、倉庫作業員スーパー店員ホテル接客

宅配便配達員警備員機械組立工、プログラマー、税務職員行政書士税理士機械修理工

公認会計士司法書士証券外務員、翻訳家住宅不動産営業員、メガネ技術販売員

 

2033年に無くなる仕事2023年

電話マーケティングスポーツ審判モデルカフェ店員事務員ネイリストタクシードライバー

 

あとで増やしておく

2023-08-11

anond:20230811211813

違うよ、全然違うよ

サブスク自分が知ってるやつか似た系統おすすめ以外選びづらいじゃん

レンタルビデオ屋では守備範囲外の映画も視界に飛び込んでくるから

予想外の出会いがあって楽しい

他の客が選んでるのを横目で意識したり情報量が多い

サブスク目的が絞られすぎていて味気ない

anond:20230811211509

週末の夜のレンタルビデオ屋で映画選んでとき空気とか

家まで帰る夜道とかそういう体験全部ひっくるめて楽しいのよ

週末の夜にレンタルビデオ借りる楽しみを体験できない世代かわいそう

渋谷TSUTAYAレンタル業終了するそうだ

こうしてどんどんレンタルビデオという文化はサブスクに取って変わっていくんだろうな

家にいながら好きな映画を観られるサブスクは便利だよ

めんどくさい返却もないし、他の客に借りられる心配もないしな

仕事が終わった金曜日の夜に近所のレンタルビデオ屋に行って観たい映画を借りて、

帰りに飯食って缶ビール飲みながら帰る

あの幸福感を今のガキンチョどもは知らないのかわいそう

2023-08-10

なぜ規制オタクは同じオタクを見下すのか-Something Orange(雑感)

https://somethingorange.jp/entry/otakusabetu



個人の感想です感が強い

オタク差別されていたという理路は少し違う

何故なら、スプラッタ映画を愛し、アニメを視聴しても、別にイジメられてない層は存在するから

忘れられがちだが、例の事件の当時、スプラッタの方が迫害にあっていた

レンタルビデオからホラー映画が消えていたのを覚えてる御仁も要るだろう

アニメ普通に並んでいたにもかかわらず、だ


そもそも因果が逆で

イジメ対象となるような人物共通項は、オタク趣味であったという方が良い

当時の排斥対象は、今でいう「キモオタ」「チー牛」「コミュ障」であり

別段、今の時代市民に受け入れられているわけでもない

嘲笑する論説は巷に溢れているだろう?

歴史修正主義は、果たしてどちらだろうかね


同属嫌悪も誤りだ

オフ会とかイベントで集合したとき

キモオタコミュ障は嫌われるんだよ

他人掲示板で暴れる奴とか普通に排斥される

でな、オタクというのは自認もあるからオタクオタクに物申すというシーンは増える

だが考えて欲しい

パチンコ屋で子供を車に閉じ込め蒸し殺す輩を批判する時

「私もパチンカスだけど」っていう奴どれだけいる?

この「同族嫌悪」というのは、自認する属性クズが居るケースでしか起こらない

愛煙家は自認するがヤニカスを嫌う

撮り鉄を自認するがクズ鉄を嫌う

少なくとも、自認の余地があり、そこに居るヤカラを嫌うから結果同属嫌悪と見えるが

本人の中では「同族」なんぞと思ってない

自己嫌悪」に近い「同族嫌悪」とか都合よく身内扱いするなよ

宮崎駿庵野秀明富野由悠季もいい迷惑だっつうの

キモオタとか、チー牛とか、コミュ障とかの言葉を避けて

おたく」とかい虹色言葉に逃げんな



オタク境界を広げて、古の嫌われ者に新しいルビを振っても

世の中の認識認知が変わった事にはならねぇよ

まだしも、聖地商業主義に絡めて、オタクは客と認知されたという方がマシだ

プリキュアを視聴するおじさんを、スラムダンクを視聴する若者と同列に語れるか

自分の中を分析してから諸々語って欲しい

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