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2020-10-19

ジャニーズバブル期はいつまで続くのか

こういうこと言うとなんかもう身も蓋もない感じがするけど、エンターテインメント世界で選ばれた一握りの人間だけにスポットライトが当たることの正しさがようやく少しだけ分かった気がする。

まず大前提として彼らも私たちも同じ人間であると同時に、彼らは人生時間を懸けて夢を叶えるために生きるその姿と過程商品として売っているし、私たちは彼らを勝手応援したり勝手に値踏みしたり勝手に一生を誓ったり勝手失望したりして、勝手に彼らの人生を消費しているわけで。

こうやって私たちと彼らの間に消費する人とされる人という大きな隔たりがある以上、やっぱり私たちはみんなそこに辿り着けずに消えていく人間が大半だと知りながら、一握りの人間だけに許されたデビューというものを掴むところが見たいし、いつかは掴んでほしいと思って燻ったままの彼らの人生をまだまだこんなもんじゃないよと斜め上から消費している部分もあると思うんですよ。

残酷なようだけど、大半の人間がそこに辿り着けずに夢破れて表舞台からひっそりと消えていくからこそ、そこに辿り着いた一握りの人間がより一層輝くのであって、みんながみんな大した篩にもかけられずそこまたはそこと然程変わらないような場所に出てきてしまったら、一気になにもかもが凡庸になってしまうじゃないですか。

みんなにスポットライト浴びせてどうすんだよ、みたいな。こんな事してたら、少し先の未来時代を創ってくれるようなぽっと出の「何者でもない少年はいつまで経っても出ないよ、みたいな。

昨今ジャニーズJr.活躍が目覚ましく、グループソロわず彼らを主とする仕事が増えてきている一方で(自担仕事も同様に増えてきているのにも関わらず)、私自身が何か陳腐になってきたなと感じ始めていたのはたぶんこういうことなんだろうなと思う。

今までスポットライトに選ばれてこなかった人間に光が当たることは喜ばしいことだし、いろんな人間にチャンスが与えられることはとても良いことだと思う。だけどそれを許したことと引き換えに、本来光が浴びせられるべき人間に注がれる光は確実に減っている。

「本当に、そのものさしは正しいのか?」

そう疑問に思わずはいられないような、一人歩きした数字ばかりが取り上げられてまやかしのような評価を得ているグループもある。

今のジャニーズは、ジャニーさんが描いていたエンターテインメントの形なのだろうか。上記で話していたようなグループジャニーズJr.たちのバブルがいつか崩壊したとき、そこには一体何が残るのだろうか。

今のジャニーズには夢がない、あるのはただの現実だけ。つまらん。

2020-10-14

[]コタツ記事

コタツ記事とは、実体験もなく取材調査もしないまま、インターネットテレビといったメディア上で流通している情報のみを収集再構成して書く記事のこと。

コタツに入ったままでもお手軽に書ける凡庸で薄い内容の記事」といったニュアンス揶揄された表現

安楽椅子探偵みたいなもんか

深夜の記憶日記1014

 深夜二時三十四分、薄暗い自室で卓上の電灯を薄く点けてパソコンを立ち上げ、これからこのこの文章を書こうと考えました。

 専門店でも専門サイトでもない、ごく一般的通販サイトで安いからという理由で買ったソレは、正面に置かれた液晶画面にデスクトップ上のアイコンを映し出します。

 詳しくはよく知らないですが、電源を立ち上げてすぐは色々なプログラムだかソフトだかも立ち上がるのか、マウスカーソル動作は少しもったりする。友人曰く安いパソコン買ったせいだとか。

 特別動作が重い訳でもなし、何か入れ込んだゲームをする訳でも、大それたプログラミング環境を構築している訳でもない。

 安物買いの銭失いという言葉があるけど、安すぎたせいで早期に壊れるとしても二年保てば御の字だと思って買ったのであんまり気にしていません。

 ボクは焦燥感に駆られて、毎日を浪費しています

 ただ虚無を抱えた人間と断ずるには語弊があり、鬱というには日々を生きる活力がある。

 けど前に進む気力は無い。焦燥感背中をぐいぐいと押すのに、ボクはただ立ち止まっている。

 大学四年生十月。周りは順調に就職活動を進めて、内々定獲得。内定式もあったりする。

 じゃあボクは何。皆ほど手早く進めていた訳じゃないがやる気自体はあったはずだ。でも結果として駄目でした。  

 ────えっと、大学では〇〇学部(出身大学普通に絞れらるの伏せる)の人間として色々な事を学びました。学んだのが… 

 「ああ、いや。別に言わなくていいよ」

 ────?

 「大学で学んだこと、別に意味ないし。それよりも君の事を教えてよ」   

 じゃあ、大学出の新卒取るなよ。

 一瞬フリーズして喉から声が出るのを必死に抑えた記憶があり、帰り道に転がってた捨て空き缶を蹴飛ばして当たり散らかしました。

 就職活動すれば言われる事も分かっていたし、実際に言われるだろうなって覚悟を決めていたつもりだった。

 確かに大学で学ぶ四年間は、社会時間スケールに換算するなら薄っぺらものだろうし。(仮にストレート新卒二十三歳くらいから働き始めて定年六十歳過ぎ、概算四十年働き詰めと考えればそうだろう)

 大学で学んだ事を生かせる会社なんてほとんどないだろうさ。特別優秀な大学に通っていた訳でもないし、この学歴に求められる人材を搔き集めるとしたら凡庸な事学んだ人間ばっかで、英語ペラペラだの特異的な技術取得者だの、高度な教養保持者なんてほとんどいない。社会人の人事部人間目線ならスペックどんぐりの背比べ。そもそも優秀な人材なんざ欲しいなら学歴フィルター足切りされるのだから、そんな凡庸学歴自分面接に呼ばれる時点で自分評価はそういう事である

 別に学歴フィルター文句を言うほど馬鹿なつもりはない。学歴スペック推し量るフィルターであるのを否定したら、その行く末は社会が駄目になるんだし。

 学歴フィルターがどうこう。そうじゃなくて、学歴フィルターを取っ払われて「一時間未満の問答で人柄を理解してくる」のが駄目だった。

 お前がボクの何を分かったつもりでいるんだ。趣味映画鑑賞って言ってLGBTについてだの、映画歴史だの語って高尚さとか演出してやたらウケてたみたいだけど、映画鑑賞なのは面白い映画観る為だけに決まってんでしょうに。何でフィクションを割り切って視聴するコンテンツ世知辛い現実問題を持ち込んで鑑賞して語らなきゃいけないんだって思ってのがボクの根底人格ですよ。

 頑張って四年間必修の単位落とさないよう勉強して、プライベート時間削って大事な必修実技講義レポート山ほど書いて、それで大学で得られた事を教えてくれ?

 大学で四年間勉強してきたのは皆当たり前だから他に教えろ? そんな事言われなくても分かってるけど、じゃあ四年間で覚えた美味しい酒場情報でも披露すればいいのですか。本当に真面目に大学通って友達作らずに勉強してた奴の「面接ウケのいい話」のストックあるのかな?

 何でもかんでも四年間の内に御大層な学びや気づきが得られたような人間ばかりだと思わないで欲しい。こちとら遊んで浮かれてレポート未提出をやらかしたら即単位落ちして留年危機に迫るのに、大学生活で得られたもの

 海外旅行するとき計画立てて海外旅行して知見でも得られたらいいんですか。そうですよね、グローバルな視野持った人間欲しいですもんね。最初から募集要項留学経験ありのみにしてくれませんか。

 何ですか、大学祭でリーダーシップ発揮して皆を先導すればいいんですか。リーダーシップ発揮しなくて名脇役こなして、何か一大事重要な場面で大立ち回りして何か得られたり気がつけばいいんですか。出店がクソ忙しかったけど黒字けが出て、還元率三倍以上になってサークル同期とガハガハとゲス笑いしてた以外あるわけないだろ。最初から部長サークル経験ありのみ語れとかにしてくれませんか。

 印象的なエピソードやらがポコポコまれるほど精力的に大学満喫していませんことよ。講義レポートやらに追われ、バイトしたりする日々のせいで虚無です虚無。

 大学で開かれた会社説明会とか企業研究会だとかの人事部の人に聞いたら、「自分の事をありのまま話せばいいよ」って言われて、いざ実際にその人の話した会社面接受けたらバチバチに落ちたよ。落ち込んで大学の同期友人に話したら「馬鹿だねお前」って言われてさ、じゃあ実際面接の時にどうしたらいいのかと思ってバイト先の社員さんとかに聞いたら「テキトーに誤魔化せばいい」って何ですか。

 最初自分もそう思ってたけど、大学のそういう就職活動セミナーみたいなので「人事部の目はプロなので誤魔化しは効かない」とか聞かされて、それを真に受けて興味持ったバリバリに志望したい会社から次々落ちてこれですか。

 何なんですか。どうすればいいんですか。

 そもそも初対面の人前で喋るのが苦手なのにどうすればいんですか。学生課の就職支援の人とか、練習重ねる相手は顔見知りレベルになるんですけど。

 お前の為に勉強した訳じゃないし、純度100%自分の為に学んできた事を前面に押し出したら落ちるのは分かる。けどさ、じゃあ大学で学んだ人間求めるの何で?

 そうですね、大学入学が出来て、大学に通えて、大学卒業するような「一定ラインを超えている事が確定しているスペック人間」が欲しいんですもんね。知性とかも含めて多分諸々の。

 分かります。下限値設けずに変な入社されたり、限られた社会時間の枠を食い潰すような事したくないですよね。

 賛同します。人材コストですから中々運用とか大変ですし、コスパ求めますよね。

 理解します。そうなると求めるのって必然的に明瞭な線引きのラインが「大学出の新卒」となるんですよね。

 でもボクはそのロジック理解していても、もう就職活動が嫌になりました。三月から飛んで半年以上の十月。虚無みたいな中身のない日々を送ればここまで日が経つのが早いものかと感心する。

 家に閉じこもって日がな一日寝て過ごして、起きたらご飯食べてパソコン立ち上げて自分好みの動画見る為だけにネットサーフィン

 自己分析自己分析言われて自己分析しても自分の嫌な所しか自己分析出来ないし、深い所まで掘り下げろって言われても浅い所しか掘れない。自己分析力が足りないのか、人生経験の浅さなのか。どっちが真実自分に見極めきれないまま、どちらにせよ自分自身を薄いかその程度の雑魚だと感じるようになって、世界の中心に自分が居座るわけでもない事が分かり切ってるこの年頃でも中々精神にくる。テキトーに誤魔化す事が自己否定に繋がっているような気がしなくもなくって、自称能天気の「生きてりゃ何とかなる精神」もめっためたになってきた。

 周りの人曰くまだ時間はあるから、今からでも内定は取れる。でもだらだら就職活動を進めてる。今。

 進める三社程度も大学学生課の就職支援してくれるところから回ってきた求人情報メールから適当に選んだだけ。興味がない会社ばっかなのに興味持て状態なんて無理難題

 バイト先で本職とバイトを掛け持ちしている妻子持ちのXさんには「心が落ち着く為にも内定が欲しいよね」と言われ、励まされた。

 その時は「そうなんですよねー笑」ってお茶を濁したけどまさにその通りで、自分が働く為に就職活動を進めるのも出来ない状態になっている。自分が今この精神状態を脱するため、楽になりたいだけが今の世界過半数を占めている気がする。

 今のこの状態自業自得なのかよく分からない。多分自業自得なのだろう。

 そろそろこの文章を書くのも嫌になってきた。こんな事してる暇あったらもっと別の事出来たのに、なんでこんなものを書いているのだろうか。

 感情論理が混雑したな思考を巡らせて、ぐちゃくぐちゃのそれを文章に起こすようにまとめて、まとたものブラインドタッチも出来ない両手でカタカタキーボードを叩いて捻出してる。

 今ここまで文章を書いた上で思うのは、膿は際限なく溢れるんだなぁって所です。そしてこれはまだ続く。

 ずっと疲れた疲れたってなってる。こんなに頭がぐるぐるする事が付かれた。毎日頭の中でぐるぐるしてて明らかに駄目になってて、疲れる。考えたくない。でも考えなきゃいけない

 だって考えるのやめていたのが今の十月に至るまでの虚無みたいな中身のない日々だ。

 嫌だ。疲れた。ずっと眠りたい。

 鬱? それよか楽観的で健康的。

 友達と遊ぶのは楽しいし、自傷行為も痛いの嫌だから無理。自殺は嫌なものたことあるし、それで「生きてたもの勝ち理論」は証明されたと確信しているので死ぬ気はない。

 けど非生産的で、傲慢さや我が儘だけが日に日に膨れ上がっている

 A.ニート

 世界の美味しい所しか食べたくない状態。我が儘ですわね。

 まだしばらくこの生活は続くと思います生命的に死ぬこと、自殺やら自傷だけは絶対ないけど、ゴリゴリ精神が摩耗しつつ美味しいご飯自分の好きな事だけでモリモリ持ち直すあり方の限界値はどこまでかわかんないです。

 少なくとも明日はセーフかもしれないですが、一か月後とか年明けたら駄目かもしれないですね。何とかなるでしょって今も思っているのがもう本当に嫌になりますけど、すんごい楽。


 助けてというには余りにも横暴?

 ぼちぼちキーボード叩くの、普通に腕も指も疲れてきたし、画面に打ち込まれ文字の羅列とその内容をありありと見せつけられて全部が嫌になってきたのでここいらで書くのを辞めて寝ようと思います

 気持ちのいい寝起きがありますようにって思ってこのテキストエディタを閉じます

 おやすみなさい。おやすみなさい。おやすみなさい。

 バイバイ

2020-09-27

新しい事をやるのと

新しくない凡庸な事を他人の何倍も突き詰めてやる方法と2つあるんだろうな。

2020-09-26

BI7万でいいから死なせてくれ

俺は根本的にやる気がなくて、いかなる労働も受け付けない

ドジだから事務職ミス連発で無理、コミュ障から営業系はイヤ、頭悪いし興味もないか研究職もダメ凡庸な発想しかいか企画職も無理、体力全然ないし小柄だし不器用から肉体労働も向いてない、アートの才能もない

マジで何もしたくねえよ

ライン工とかそういうのを無理矢理やりつづけて糊口をしのぐことはできるかもしれんけど、そうまでして生き続ける意味がわかんねえ

かといって自殺するのも怖い

死じたいはたいして怖くないというか、むしろ自我消滅させられる(可能性が高い)のはかなり魅力的だし、ワクワクしながら死ねるくらいなんだが、現行の自殺法の不確実さが怖い

やるなら首吊り練炭あたりだとは思うんだけども、どっちも失敗すると重篤脳障害が残ってマジで何もできなくなる感じなのが嫌

尊厳とか文化的生活とかどうでもいい、いくら綺麗事言ってもどうせそんなもの与えられないんだから、せめて殺してくれよと思う

貧乏人をキリキリ働かせないと搾取社会を維持できないんだから、だれも殺してはくれないんだろうな

マジでゴミみたいな社会

2020-09-18

頼むからゆらゆら帝国を聞いてくれ

この日記を読んでいる人へ。

頼むからゆらゆら帝国を聞いてくれ。

から聞けばいいかからない?

そうだな、とりあえず最初に聞くなら『発光体』(https://www.youtube.com/watch?v=IOa-nZiIeiw)『ズックにロック』(https://www.youtube.com/watch?v=GXqZ5EXE9ho)『ゆらゆら帝国で考え中』(https://www.youtube.com/watch?v=M9CM44MohAs)らへんがおすすめ

どの曲もそんなに長くない。ストリーミングでも聞ける。

さ、早く。

聞いた?

ほんとに聞いた?

「なんだ、増田民提案になんて乗らねえぞ」って人にも一度は聞いてほしい。

場合によっては人生損するかもしれない。

というわけで、以降の記事は「ゆら帝を一度でも聞いてくれた人」に向けて書く。

あんまりハマらなかった人、回れ右

こういう曲が苦手な人、申し訳ないです。回れ右

というか、日本人の大部分が上ふたつに当てはまると思う。

私の周りの友達もみんなそうだった。

ただ、心をぐっと掴まれて、早送りボタンを押せなかった人もいるはずだ。

誰かの心にズドンと響く音楽っていうのは、諸刃の剣みたいなものだと思う。

ある人にとっての神曲が、他の人に全く響かないなんてこと、日常茶飯事だし。

もしこれを読んでいる人の中にゆら帝のファンがいたら、こんなに嬉しいことはない。割合的に厳しいと思うけど。

新参がイキってすみません。でもね、このバンドもっともっと広まってほしい。

正確にいうと、ゆら帝を聞く星のもとに生まれた人たちが、ゆら帝を知らずに死んでいくという事態を防ぎたい。

もうね、頭の中では今たいへんなことがおこっています

手と足と胴体がそれぞれバラバラに動き出しそうで、それを押さえつけてジッとしているだけでやっとの状態です!

再結成とか、メジャーシーンでの再評価とか、どうでもいいんだ。

届くべき人に彼らの曲が届いてほしいだけ。これは完全に自分エゴ。生温かい目で見守ってください。

私がゆら帝存在を知ったのは2020年夏。彼らが解散して10年が経っていた。

きっかけはとあるコント番組だった。

私だけでなく、同世代ゆら帝を知った人の大部分がそうだと思う。

外出できない夏休みオンデマンドサイトを見漁っているうちに、奇天烈OPが耳から離れなくなっていた。

コロナ自粛がなければ、ゆら帝には出会えなかったかもしれないということだ。人生というのは分からないものである

ゆら帝は他のどのバンドとも違う。

私は結構ロックが好きで、メジャーからインディーズまで広く浅く聞いてきただけに、ゆら帝の曲を聞いたときは、衝撃を隠せなかった。

分類的にはサイケデリック・ロックだのオルタナティヴ・ロックだの言われているけれど、このバンドは「ゆら帝」というくくりでいいと思うくらい特殊である

ゆら帝の魅力。

まずメロディがいい。前期の渇ききった感じも、後期のしっとりと美しい感じも、最高だ。

個々の技量も素晴らしい。特にベースが好きだ。亀川千代氏のベースラインには中毒性がある。

そして歌詞がいい。非の打ち所がない。

「もう一度頭絞ってにじみ出てきた緑の液体がぼくの全てさ バカだろ?」

「雨が降る日は何もしない 髪がベタベタするから 風が吹く日も何もしない どこか消えたくなるから

どういう人生を送っていたら、こんなにクール歌詞を書けるんだろうか。

昨今の音楽メロディ重視というかなんというか、文字数合わせが目的の物足りない歌詞が目立つ(もちろん例外存在する。サカナクション山口一郎氏は歌詞真摯に向き合っていると思う。私は高校生ときからサカナクションの大ファンだ。魚民諸氏はゆら帝にも興味を示すのではないかと思う)。

ライブもいい。クッサイMCも余計な演出もなく、淡々音楽だけを届けてくれる。

生で見たことのある人は本当に羨ましい。

とまあ凡庸言葉で色々述べてきたが、はっきりいってゆら帝の魅力はこんなもんじゃない。

言葉では言い表せない。

この圧倒的な衝撃は、当事者しかからないと思う。

私の好きなバンドにも、ゆら帝の影響が見られる。

サカナクションライブ理想形はゆら帝らしい。なるほど、と腑に落ちた。

サカナクションライブは、それ自体芸術作品と言っても差し支えないほど完成度が高い。演奏レベルCD音源レベルだ。彼らは安っぽい感動でも変な共感でもなく、「音楽」という体験私たち提供してくれる。

ゲスの極み乙女。川谷絵音氏も、『タコ物語』(https://www.youtube.com/watch?v=qbkxCVNsFsY)に影響を受けたとか。この曲はMV含めてとても狂気的だ。ぜひ聞いてほしい。

ゆら帝という存在は、ロック界の『AKIRA』のようなものなのかもしれない。

ゆら帝音楽はいだってフレッシュだ。

凡庸感性しか持ち合わせていない私でも、心を揺さぶられるのだから、大したものだ。

きっと、人間の奥底にある普遍的な何かに響く音楽なのだと思う。

私が心配するのとしないのとにかかわらず、ゆら帝100年後もその色を保っているはずだ。

色を保てるバンドなんて、昨今それほど多くない。

まりにも多くの音楽が、産生されては飽きられ、時代とともに消えていく。

その意味において、ゆら帝は安定感が半端ないのだ。

彼らが再結成しようものなら、私は大きな失望を抱くだろう。最終回再放送は無い。ゆら帝はすでに完成してしまった。完成とはまた、終わりを意味するのだ。

もちろん、生で見てみたかったという気持ちはある。こればかりは生まれ時代を恨むしか無い。

ゆら帝完璧ロックを生み出したことと、私たちが生きている間に彼らの音楽へたどり着けるかということは、全くの別問題だ。

私自身、番組のことを思い出さなければ、絶対にゆら帝を聞こうとは思わなかっただろう。運良く名前を目にしたとしても、有象無象バンド判断し、スルーしてしまうと思う。

だらだら書きすぎたせいで主旨がぶれたような気がするので、もう一度。

頼むからゆらゆら帝国を聞いてくれ!!!

昆虫ロック』(https://www.youtube.com/watch?v=MX2W1kNiOcc)も『夜行性の生き物3匹』(https://www.youtube.com/watch?v=n_dk8ChdCA8)も『空洞です』(https://www.youtube.com/watch?v=mKUhq7SYouA)も『グレープフルーツちょうだい』(https://www.youtube.com/watch?v=SaP6Ui93iUM)も最高だぞ!!!

私は彼らに救われた。才能も取り柄もない私が、ちょっとでも頑張ってみようと思えたのは、ゆら帝のおかげだ。

無味乾燥だった人生が、彼らのおかげで色づいた。

から暴力を振るわれたり、好きな人が死んだり、正直散々な人生だ。

でも、音楽ひとつ人生は変わる。

これを知らずに死ぬなんてもったいねえよ。マジで

もしこの記事奇跡的にバズって、世の中にゆら帝ファンが増えてくれたら、頭ひねって書いた時間無駄じゃなかったんだなって思える。

拡散コメントよろしく頼む!

追記】指摘を受けて、YouTubeリンクを貼りました。貼り方が悪かったらスミマセン!

2020-09-17

婚活帰りにBL漫画を買う

日曜日婚活パーティーに行ったのだけれども、残念ながらマッチングしなかった。仕方がないことだけれども、こちらが気になった人に選んでもらえなかったのはちょっと寂しい。そういうわけで、繁華街ツタヤ漫画でも買って帰るつもりで足を運んだ。

本当だったら地元有隣堂で買うつもりだったのだけれど、持っていた歴史の本は読み終えてしまっていて、帰りの電車で手持ち無沙汰になるのが嫌だった。ついでに、部屋を掃除して見つけたクオカードを使いたかった。残念ながら、ツタヤではクオカードが使えなかったけれども。

買ったのは中村明日美子短編集で、2冊買ったから、日曜日の帰りの電車と、昨晩の仕事帰りに分けて読んだ。この人はまず絵がきれいから額縁に入れて飾っておきたいし、BLGLも、感情がこじれてもお互いが本当に好き合っているのが感じられて素敵で、シリアスコメディもうまくて、芸風が広い。何度読んでも飽きないし、いつの間にか全部のコマを覚えてしまうくらい読んでしまう。私の漫画の読むときはこんな風に短篇集を何度も読み返すことが多くて、本棚漫画の数はそれほど多くはない。そもそも私の主食活字で、漫画はおいしい食後のデザートみたいだ。なぜかあまりたくさんは読めなくて、お腹いっぱいになってしまう。

で、中村明日美子作品を読んでいると、好き、以外の感情がなくなってしまう。わかりやすい話のときも、平凡さを感じさせないのはなぜだろう。起承転結テンポの良さ、箸休めギャグのせい? 絵が美麗だからそこに入り込んでしまっているから? 言葉にすると、なんだか普通のことでしかないようだけれど、普通のことを当たり前にやるのは創作では難しい、と元文学サークル所属の私は思う。

童話翻案も素敵だ。あまり上手じゃない人が童話翻案すると、全部似たような話になってしまうのに、中村明日美子はそんなことが全然なくて、切り口が私にはとても思いつけない。昔、兼部していた合唱サークルで、結局そことは喧嘩別れをしてしまったのだけれどもそれはさておいて、合宿で学年ごとに寸劇を出し物としてやることになった。でも、どの学年も童話パロディで、凡庸だな、ってがっかりした(この感想にはきっと恨み言が混じっているから話半分に聞いて欲しい)。でも、この人の作品には全然そんなところはない。

読み通すと、美術館でだらだら、ぼんやりしたような幸せな気分になれるので、とにかくおすすめしたい。六本木でやっていたミュシャ展がすごくよかったときも、この間の浮世絵展も、こんな感じだった。だから、最高の帰りの電車だった。

ところで、結局使えなかったクオカード、何に使おう? また婚活頑張ったらご褒美にしようかな。

2020-09-13

anond:20200913121516

なんかさー10年やってなんも学習してないみたいだけど

きみらが目の敵にしてんの官製ネトウヨなのよね。

もれなくオツムの弱いネットで真実おじさんのファンネル攻撃と、6割強の凡庸愛国者から心外ネトウヨレッテルへのヘイトがセットでついてくるわけだけど

2020-09-08

僕ヤバの感想でバズろうとするフォロワーが痛々しい

本人にバレても構わないので書く。

お前じゃバズれないんだ。そろそろわかってくれ。

僕ヤバの更新日には、大袈裟に、誇張表現を使った感想ツイートが大量に流れる

そして感想の中心になる人物複数いる。そういう人は何を言ってもいいねが100件くらいつくしリツイートもされる。

俺はその文化が好き。漫画をより楽しめる気がしてる。

で、俺のフォロワーに一人、「感想の中心の人物」になりたがっている奴がいる。

普段凡庸ツイッタラーで、ガチャの結果を載せたり仕事愚痴を呟いたりしている。

なのに、僕ヤバの感想だけ、バズろうとしている。

普段の口調と全然違う。

山田市川性的に見過ぎなんだよな(これは例文)」みたいな言葉遣い普段全然しないじゃん。

どうしたんだよ。

なんで急に強火感想マンに仲間入りできると思ったんだよ。

お前はさ、いいねされたりリツイートされたりする環境が整備されてないんだよ。

感想マンたちを見ろよ。大体フォロワーが1000〜10000くらいいるだろ。

から「僕ヤバ読みました………………………」だけでも100いいねがつくんだよ。

同じことを200フォロワーのお前がしても"同じ"じゃないんだよ。

「○○なんだよな…」みたいなバズり構文を使うのももうやめてくれ。

僕ヤバの感想なら誰でもバズれるわけじゃないんだよ。

お前が同じこと呟いても誰もいいねしようと感じない。

僕ヤバの更新日にお前のツイートを楽しみにしている奴はいないとそろそろ気付いてくれ。

僕ヤバの感想承認欲求を満たそうとするのをもうやめてくれ。いつものお前はどこいっちゃったんだよ…。



9/9追記

フォロワーのこと書いた記事を読んでもらうことで承認欲求を満たす形になっているので追記しない方がいいと思ってたんだけど一つだけ。

togetterでまとめてる人がいたんだけど、あなたのことではないし、あくまで俺と俺のフォロワーの話だから気にしないで欲しい。こんなはてブ書いておいて言える話じゃないけど。

2020-09-03

白井聡氏の記事が全く理解できない

こんにちは大学政治学を学んでいる学生です。白井聡氏の論考が、鋭い指摘をしていると一部で話題になっているそうです。無料公開分を読んでみたものの、私にはどこが鋭いのか全くわからなかったので、疑問に感じた点をまとめました。

以下の引用は、論座掲載されている『【1】安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である』(白井聡)に基づきます

(1)

本稿で私は、第二次安倍政権2012年12月に発足し現在に至るまで続いたその間にずっと感じ続けてきた、自分の足許が崩れ落ちるような感覚、深い喪失感とその理由について書きたいと思う。

タイトルには「日本史上の汚点である」とあり、これまでの政権比較した上で安倍政権が汚点であるとの主張がなされている。しかし冒頭の段落で「深い喪失感とその理由について書きたい」とあり、タイトルと内容が乖離しているように読める。

(2)

「[多くの日本人安倍政権を支持してきたという]事実は、私にとって耐え難い苦痛であった」とあるように、記事の1ページ目全てを使って、白井氏は己の「知性と倫理基準」を満たさな政治家が支持されている現状に対する深い失望感を述べている。

しかし、白井氏が評価に用いた「基準」が明らかにされることはない。これは学術論文ではないことは重々承知だが、仮にも学者を名乗りメディア寄稿する者が、印象論を展開すべきだと私は考えない。

(3)

無論、あちこちで指摘されてきたように、どの領域においても安倍政権は長期安定政権にもかかわらずロクな成果を出せず、ほとんどの政策が失敗に終わった。

私の知る限りでは、安倍政権政策には賛否両論あった。例えば、政権代表的政策であるアベノミクスは、株価の上昇をもたらした一方で、日本経済の実力を示すとされる潜在成長率は低水準に留まっているし、デフレの脱却も達成されていない(「アベノミクスの8年とはいったい何だったのか」東洋経済オンライン)。外交についても、日米同盟を強化し安定的ものにしたという側面もある一方、拉致問題は進展を見せなかった("The Abe Era Ends, Cheering China, Concerning Washington", Foreign Policy)。これは評価問題であるから、「ほとんどの政策が失敗に終わった」と結論づけるならば、その理由を示すべきではなかろうか。少なくとも、「あちこちで指摘」されているのなら、それらを引用すべきである

(4)

こうして腐敗は底なしになった。森友学園事件加計学園事件桜を見る会問題などはその典型であるが、安倍政権は己の腐りきった本質さらけ出した。

白井氏は腐敗の例として、伊藤詩織氏に対する性的暴行事件森友学園事件加計学園事件桜を見る会問題を挙げている。これらに関しては、新しい政権の下で調査を行うことが必要だろう。流行語にもなった「忖度であるが、私には構造的な問題に思えた。というのも、忖度があるのならば、それは官邸の強い人事権、また中央省庁を頂点とするピラミッド型の組織を背景とするはずだからである官僚組織官邸から独立しているのであれば、何も官邸の顔色を伺う必要はない、また強い分権型の組織であれば、中央省庁忖度を汲む可能性も減る。つまり忖度組織構造がもたらすものであり、政権担当者関係なく起こりうるものではないか。腐敗が疑われる事例があったことは間違いないが、それを政権固有の問題として片付けるのは、政治学者としてあまり稚拙であると考える。

(5)

例えば、新元号の発表と改元の時の政権の振る舞いを思い出してみれば、それは明白だ。先の天皇(現上皇)の譲位意思に対しては執拗抵抗を試みたくせに、新元号の発表となれば、安倍は前面にしゃしゃり出て、「令和」に込めた自分の「思い」を滔々と語った。

私は年代的に平成改元とき事情を知らないが、これは比較することが必要ではないか。小渕元首相は「平成おじさん」と呼ばれていたと聞くが、それは白井氏のいう「抑制的」な振る舞いだったのだろうか。パフォーマンスとしての側面があったとするならば、今回は譲位という形をとり、準備に時間があったことも理由としてあるだろう。

(6)

十分に機能してきた制度センター試験)をわざわざ潰して民間業者を導入する主たる動機は、安倍の忠実な従僕たちの利権漁りである安倍自身の知性に対する憎悪がそれを後押しした。

「十分に機能してきた制度」、「安倍自身の知性に対する憎悪がそれを後押しした」という主張には根拠必要であると考える。両者ともに白井氏の印象ではないか特にセンター試験については、教育学等の知見があるのではないか

(7)

安倍政権下で失われたもの、すなわち公正と正義をめぐる議論が提起され、それが実行に移されなければならない。

3ページ目に入る。この引用では、安倍政権下で公正と正義をめぐる議論が失われたとあるが、果たしてそれはそもそも存在していたのだろうか?卑近な例を挙げるならば、雇用環境性差別をめぐる問題は、安倍政権以前からあったと記憶している。

(8)

体調不良とこれまでの政権運営における責任問題は、完全に無関係である

この箇所には同意できる。政権全体への評価必要だろう。

(9)

私たちの再出発は、公正と正義理念の復活なくしてあり得ず、その復活のためには、総理自身違法脱法行為の究明が絶対的必須である

この箇所には同意しかねる。(4)でも述べたように、不正為政者個人問題ではなく、構造的な側面を持つものだと私は考えるからだ。政府という巨大な組織を、その頂点にいる者が意のままに動かしていると考えるのは、あまりにも非現実的ではなかろうか。総理個人だけを追求するのは、非本質的な結論しか導かない。

(10)

どの事件にも、その背後で進行する社会構造の大変化などを感じさせるものは何もなく、ただひたすら凡庸ケチ臭い

引用文を含む前後段落意図が掴みかねる。政治家スケールの大きな不正をする方が大物だと言いたいのだろうか。

全体を通して

政治には腐敗がつきものであり、安倍政権もその例外ではないはずであるから政権の終わりを調査の終わりとしてはいけないという意見には納得できる。しかし、政治と腐敗を特定政権と過度に結びつける白井氏の論調は、腐敗・不正を許しうる構造への追求を妨げるものだ。

また、この文章を「学者」として公開することの意義は何なのだろうか。少なくとも私は「学者」という職業に就く方には、その他大勢の「評論家」とは一線を画する議論を求めたい。

評論家」ならば、印象論で語ることも、明確な根拠を示さず何らかの主張を行うことも大目に見られるであろう。しかし、専門家としての訓練を経たはずの「学者」は「評論家」とは異なる論理展開をすべきである。主張には適切な引用があるべきだし、用いる言葉定義を明確にすべきである

もしも、本来ならば専門家たるべき「学者」が、都合よく「評論家」の顔を使うのであれば、それこそ知性の劣化ではないか

記事には直接関係ないが、白井氏はFacebook上で人の生き死に関する発言を軽々しく行なったと聞く。白井氏には、そして日本大学の全ての大学人の皆様には、是非とも学者としての矜持を持った発信をしていただきたい。印象に基づく議論は、分断と対立を深めるだけである

2020-09-02

[] 「ウマ娘 プリティーダービー感想

お盆休みから1日1話づつウマ娘アニメを見たので、感想メモ

競走馬美少女だったら、競馬世界はいったいどうなるのか。それに正面から向き合った良作だった。第一印象としては、(ひたすらトレーニングという)努力、(チームスピカの)友情、(主人公とスズカの)勝利という三拍子そろった熱いアニメだった。一話から見て序盤は「競走馬美少女アイドルって意味わからん」と戸惑っていたが、ラスト三話くらいには「スズカ、止まるんじゃねーぞ!頑張れ!走れ走れ走れぇ!」てな具合に熱中して楽しんだ。

受話器がウマ耳に合わせて長くなっていたり、シューズハイヒールで(馬はつま先だけで走っていることににちなんでいる?)蹄鉄が打ち付けてあったりする。

一見すると凡庸アイドルアニメに見えて、意外と作りこまれているんだ。アニメリアル競馬勝負を下敷きにしているらしい。サイレンススズカリアルなウマとしてはケガから安楽死されたとアニメ視聴後に知った。競馬ファンにとっての夢が描かれていたと知ってこのアニメはやっぱり浅くないと思い知らされた。

さて、競走馬美少女にすると、競馬は芝生の上を走る陸上競技になるんだな。アニメでは馬券新聞を握りしめたオッサンや紙吹雪のように舞い散る負け馬券も描かれなかったけれど、どこに行ってしまったんだろう。

とにかく、暑くてかわいくて、いいアニメだった。

瀬田文学

 二十三時過ぎ、ホテルを出て近所にある和食さとへ向かった。道中、大通りをまたぐ信号を待つ間に何となく周りに目を向けると左方のフェンスに簡易な近隣の地図が括られている。近くに池がいくつもあるようだ。興味を惹かれたので食後に出向くことにした。地図を眺めつつ待つも一向に信号が変わらない。押しボタン式だった。ボタンを押ししばらく待つがやはり青にならない。車の通りが収まっていたので無視して渡った。

 和食さとでは刺身天ぷらいくらかの小鉢のついたようなセットを食ったが大して美味くもなく、胸焼けに似たような妙な不快感が残った。

 店を出て先の地図記憶を頼りに池を目指す。時折地図アプリを参照しつつ最寄りの池を目指すとすぐに着いた。四方を柵で囲まれセメントで岸を固められた、実用を旨とした何の風情もない水たまりだった。過度な期待をしていたわけでもないので、特段失望もなくしばらく柵に肘をついて暗いばかりの水面を眺めた。

 次の池を探して再び地図アプリを開く。目についたのは一つの長方形区画で、短辺に平行に三等分すると、端の三分の一が池で、残りは陸になっており、碁盤の目に道が走っている。また道の周囲が緑色で表されていることから樹木が茂っていることが窺われる。最も目を惹くのは池の中央に浮かぶ円形の陸で、そこへは陸から小路が一本延びている。いかなる場所だろうかと地図をよく見れば霊園だという。深夜に何の縁もない自分が訪ねるのも罰当たりな気がしたけれども、近隣の住民迷惑のないよう静かに立ち入る分には問題ないだろうと自分を納得させ墓地へと向かう。

 その区画境界まで着いたが周囲にはフェンスが張り巡らされており入れない。どこかに切れ目はないかと沿って歩くうち、フェンスに括られた地名表示板を見つけた。ここは月輪つきのわ)だという。

 この名前に触発されて月を見る。今夜は多少雲がかかっているけれども月は八分以上満ち、月明かりを確かに感じる。この優れた月の晩に月輪で池と共に月を眺めるのは非常にふさわしい気がして、池への期待が一層高まった。しかし一向にフェンスの切れ目は見つからず結局フェンスに沿って立つ人家に突き当たってしまった。どうにか入れないか迂回路を探すが地図を見る限り確実に入ることのできそうな場所はあれど、霊園を跨いだ対角側にあり遠い。そこまで行くのは面倒だが、諦めるのも早い気がして、回り道しつつ再びフェンス沿いへと歩き戻るうち気づけば他の池の近辺まで来ていた。その池の名を見ると月輪大池とあり、名前から言ってこちらの池の方がよっぽど立派そうなので、霊園の方はやめ、こちらの池に向かうことにした。

 その池は名に違わぬ立派な池で、近くまで寄ると鳥居が目に入った。その上部に掲げられた文字を見れば龍王神社だという。龍と池という組み合わせが不穏で、気味は悪いが入って見ることにした。鳥居をくぐると白い石の敷き詰められた参道が長く伸び、道の両脇には石灯籠が一列ずつ密に立ち並び、周囲の闇の中でそれらのみが微光を発するように浮き上がっている。それは幽玄さを感じさせるものではあれど古典的怪談舞台のようでもあり、すっと背筋が寒くなる思いがした。足を踏み出すと砂利は一歩一歩が僅かに沈みこむほどに厚く、粉を纏う玉砂利を踏んだときのあの軋む感覚が足の裏を伝わった。参道を歩む途中振り返ると、石灯籠の列が遥かに見え、正面を向き直るとやはり前方にも石灯籠に縁取られた道が長く続く。私は明らかに恐怖を感じた。それでも時折振り返りつつ歩みを進めた。

 やがて参道が果て、二つ目鳥居に辿り着いた。それをくぐり、二、三歩進み周囲を見渡す。正面には拝殿があり、周囲は薄く木々で覆われており暗いが、左方の木立の隙間からわずかに月明かりが漏れ、その先に池が垣間見える。目が慣れるまで待とうと立ち止まって周囲を見ていると、突然右方からかにふうふうと浅く早い吐息のような音が聞こえた。慌ててそちらに目を向けるが何もいない。そこには背の低い茂みがあり、その陰に何らかの獣でもいる可能性は否定できないものの、茂みの大きさからいってあまりありそうもない。微かな音だったか幻聴かもしれない。ともかくしばらくその方向を睨んだ後、気にしないことにした。

 正面の拝殿に参拝し、木立の隙間から池の方へ抜けようとそちらに向かうと、途中に小さな社があった。そこにも参拝した後、岸へと抜けた。月輪大池は非常に大きく、正面を向くと視界に収まらないほどの横幅がある。奥行きは向こう岸一帯が闇に融けているためはっきりとはしないが、その先にある人家のシルエットの大きさから推するに、それほど深い訳ではないだろう。それでも立派な池だ。月は私の背面にあり先ほどよりもやや濃く雲に覆われ、ぼやけていた。月と池を同時に眺められないのは残念ではあるがしばらくそこに佇み、交互に見た。そろそろ戻ろうと思いつつ、ふと脇に目を遣ると池を跨いで石灯籠の列が見えた。またあの道を行くと思うと気が進まない。「行きはよいよい・・・」などとふざけて呟き、気を紛らわせつつ帰路につく決心を先延ばしにしながら周りを見渡していると岸に沿って道が伸びているのに気が付いた。先を覗くとずっと続いており、先には低い丘とその上には東屋が見える。そちらから抜けることにした。

 東屋まで行くと、隣接して高いフェンスで囲まれた芝生のグラウンドがあった。無論人はいない。グラウンドへ入りずんずんと歩く。微風が吹き抜けている。中央辺りで芝生に触れると僅かに湿り気を含んでいるが濡れるほどではない。尻をついて座り、月を眺める。月は一層雲に覆われ今や輪郭も寸断され最早奇形の灯が天に浮かんでいるばかりだ。明瞭に見えたならばどれだけいいだろうと思いつつ、眺めているとしかしこの月も美しく見えて来、私は今更になって朧月なる観念を再発見したのだった(*1)。普段酒を飲まないけれども、この時ばかりはあたりめもつまみながら飲めたらどれだけ気分がいいだろうかと感じた。準備をしてまた来るのを心に決めた。

 ひとしきり眺めた後、地図で帰り道を探す。グラウンドの逆側から抜け、道路下りつつ戻る道を見つけた。グラウンドを抜けると、公衆便所があり煌々と光を放っていた。少し尿意はあったがまだ余裕があるためそのまま過ぎた。淡々ホテルへと向かう。

 しばらく歩いたのち尿意が強まってきた。近くに便所が無いため立ち小便も考えるが違法なので出来る限りは避けたい。しかし同時に私が立ち小便をしたところで、ばれる筈もなく誰が咎めることができるだろうかという不敵な気分もあった。歩き続けるうち住宅地の間に公園を見つけた。それは家屋の列と列の間に取り残された三日月状の領域に造られた小さな公園で簡易な遊具が並んでいる。ここの公衆便所を使おうと外縁に沿って歩きつつ中を伺うが見つけられない。どうやら無いらしい。私は憤慨した。便所のない公園などありふれていることは承知しているけれども、わざわざ今現れなくてもいいだろうと怒りが湧き、本来ならば便所のあってしかるべき空白に、あてつけに尿を撒いてやろうかと考えたが、この静寂の中放尿すればそれなりに音が響くに違いなく、周囲の住人に聞かれることを考えると不安になり止した。私の尿意限界近くまで高まっていた。地図アプリを見るとまだ二十分以上は歩かなくてはならない。どう考えてもホテルまでもつとは思えないが、ともかく足を進めると、見覚えのある道に出た。行きに通った道だ。記憶を辿ればこの先は道路建物が立ち並ぶばかりで立ち小便できるような茂みはない。一度足を止める。地図アプリを見るとすぐ右に行けば公園があることが分かったので、歩道脇の草むらを横切り、駐車場を過ぎ、公園へと向かう。この公園は先のとは異なり、庭園やら広い芝生やらがある大規模な公園だった。どこに便所がありそうか見当もつかないが、ひとまず建物が目についたのでそこへ向かった。しかしそこには施錠された建物があるのみで便所は見当たらない。建物に挟まれた道の奥へ行くと芝生が敷いてあり、奥に池、周囲には植え込みがある。この植え込みの陰で済まそうかと考えながら歩いているとある看板が目に入った。曰く、「山の神池では釣りをしないでください」。なんという名前だろうか。信仰心のない私でも山の神を冠する池で立ち小便をするのは流石に気が引けた。道を戻る。もう限界が近く、考える余裕もない。諦念が私を支配した。自らの限界、ただそればかりのためにどんな平行世界においても便所存在しないような場所を私は尿で汚すのだと、敗北感を感じつつ、間近の立ち小便に都合のいい場所を探して歩くうち、左手に蔦で上方が覆われたプレハブが現れ、「公衆」の文字が目に入った。慌ててその文字の続きを追うと、蔦で部分的に隠れているけれども確かにトイレ」の文字が続いていた。降って湧いたような都合のいい便所に驚いたが、ありがたく使うことにした。入り口のドアには窓がついており中は真暗だ。スライドドアを開き、中をスマートフォンライトで照らすが照明のスイッチは見つからない。もしや時間帯によっては電気がつかないのだろうかと不安を感じるも、これ以上我慢できないので闇の中でも済ませるつもりで足を進めるとカチとスイッチの入る音がし、灯りがついた。人感センサーがついていたようだ。無事に用を足した。非常な安堵を感じ、軽快な気分でホテルへと帰った。

 風呂に入るなどしつつ明日のことを考えた。出来れば龍王神社を改めて太陽の下で見たい。しかしすでに四時近くになっている。明日のチェックアウトは十一時までで、今から寝るとなるとぎりぎりまで眠ることになるだろう。午後のバイトを考えると十二時頃には瀬田を出なくてはならず、一時間で往復するのは不可能なので恐らくは無理だろうと諦め半分で床に就いた。

 翌朝九時過ぎに目が覚めた。まだ眠気はあり、もう一寝入りしようとするも寝付けない。それならばということで、龍王神社を見に行くことにした。

 日の光の下では龍王神社はありふれた田舎神社だった。あの幽玄さを湛えていた石灯籠は改めて見れば妙に小綺麗でそれ故安っぽさを感じさせるもので、大粒の玉砂利に思えた敷石は粒が大きめのバラスに過ぎなかった。しかし歩き心地さえ違って感じるのは不思議だ。昨日は沈み込むようにさえ感じたのが今や普通の砂利道と変わらない。あれだけ長く感じた参道も晴天の下では容易に見渡すことのできる程度のものだった。再び拝殿とその脇の社を拝み、木立を抜けて池の岸へ出る。昨日は闇に融けていた向こう岸も、今や明らかに見え、昨日よりもずっと小さな池に見える。しかし僅かに波打ちつつ光を反射する湖面は凡庸ではあれど清々しく、美しくはあった。

(*1 実際には朧月は春の月に対してのみ言うらしい。)

2020-08-31

字余り 生活雑感

思い出す自分は自信がなくて思う

そばにあの子がいればいいのに

運動向上心呼び戻し

生きるためにも続けなければ

やりがい自分特別視したいという

欲望の現れであるか?

凡庸に生きると決めれば気は楽に

資格を取ってもみるかとも思える

関係が失われる時妄想

忘却を埋めて思い出になる

2020-08-29

モルヒネとしての政権

安倍政権は確かに日本民主主義システムの根幹を食い荒らした。だがそれは、全て「安倍政権を存続させるためには必要犠牲」だった。この7年半、政官財こぞって「安倍政権を存続させるため」に一致して、他のあらゆる犠牲に目をつぶってきた。これは、安倍晋三個人と言う矮小存在の為しうることではない。これは、集団的無意識組織的犯罪なのである

では、なぜ彼らはかように凡庸な才の人間必死になって支え続けたのか?

他のどの時代でも、こんなことはあり得なかったと思う。実際、最初に彼が政権を握ったとき自民党への信頼は大きく傾き、人々には政権にNOを突き付けるだけの理性があった。二度目の政権安倍が周到に用意をしてきたと評する人も多いが、お友達優遇で、偉そうなことを言う割には国家観もビジョンもなく、肝心な時には判断できず、取り巻き失言おそまつ対応で足をすくわれ死んだりする。何一つ変わっていない。変わったのは、それらを覆い隠して守ろうとした「世間」の方だ。

この7年半、すでに壊れかけていた日本は、やはり更に大きく壊れた。たとえばコロナ下で、防疫の基本中の基本であるデータがまともに取られていないことが判明したが、専門家をまともに活用できず、役に立たないマスクの配布に大量の金と人をつぎ込むようなこの政権下では、予測できることだった。少子化は進行し、二極化は進み、文化社会を支えてきた「豊かな中間層」は死滅した。セーフティネットも、安定雇用もない社会に、「良識」の居場所は消えた。「復興は成し遂げた、事態アンダーコントロール」とのまやかしの下に、復興予算横流しされ、五輪というお祭り騒ぎに投入された。意見のできるまともな「官僚」は、自らの立場を去るか、命を落とした。

いま、私たちが生きている「令和の日本」の、それが実像である

そして、この間、政権はひたすら「事実を取り繕う」ことに力を尽くした。きわめて凡庸な才の首相を掲げる彼らは、「事実を取り繕う」スペシャリストだった。この7年半、何度奇妙な「閣議決定」を我々は見せられたことだろう! あたか小説「1984」における「真理省(政府の決定が真理である、と全ての過去の記録を改ざんして取り繕う省庁)」さながらだった。それも「安倍政権を守るため」だ。そのために、彼らは憲法解釈すら捻じ曲げた。なぜそんなことを? ……それは、事実直視できなかったからだ、と私は思う。

安倍晋三を評するもっとも的確なワードは、しばしば政権擁護するアンケートで聞かれた「ほかの人よりよさそう」という言葉だ。「よい」ではない。「よさそう」なのだ安倍晋三は、他の人よりなんとなくよさそうだと思わせることに長けた人だった。それは、経済政策人口政策の停滞・失敗で20年近い時間無駄にした日本を、更に大震災原発事故が襲って、もはや手の付けようがないと思われた時代に、人々を安心させるために必要な「モルヒネ」だった。「モルヒネ」は患者麻痺させるだけで、基本的には病を治しはしない。だが、それほど危機的状況でもあったのだ。

思えば、なんとよくできた「モルヒネ」であったろう。右側からの追及には、いかにも保守じみた言動(だが彼は一度も8/15靖国参拝は行わなかった)、憲法改正の掛け声(7年半かけてできなかったということは、端的に言ってやる気がなかったのだ)でかわし、左側からの追及には、経済政策と厚顔さで対応した。あの厚顔なスマイルで「問題ない」「大丈夫」と言えば、私のようなヒネクレ者ではないまともな神経の人なら、一応「信じてみてもいいんじゃね?」と思うだろう。そして、この社会状況の中なら「思いたい」だろう。


もちろん「モルヒネ」は、それが効いている間に大手術をするためには、絶対必要だ。だから安倍政権を支えた人が全て悪意100%でそれを行ったとは思わない。むしろ多くの人は、その根治的な大手術成功させるために、安倍晋三という「モルヒネ」を利用しようという、善意でそれを行ったのではないかと推測する。だが、地球規模の気候変動と相次ぐ天災消費税増税圧力、そして今回の世界的疫病の流行で、モルヒネ効果にも限界がきたようだ。

いま、我々の前に横たわっているのは、根治的治療も進まないうちに、手術中に次々とトラブルが発生し、かつモルヒネ限界量まで投与してしまった患者の体だ。安倍晋三は確かに何もしなかった。だが、7年半という時間を稼いだのは事実だ。その間に十分なことができず、時間切れを迎えてしまったのは我々だ。一人安倍晋三を責めても仕方ない。モルヒネ意志を論じたり、それが人体に多少の悪影響があったなどという議論をしても、正直意味がない、と私は思う。モルヒネモルヒネだ。肝心なのはモルヒネの効力にも限界がきたということ、そして、積み残した問題はどれ一つとして片ついていないということだ。

それでもこの日本という患者を生き延びさせようとするなら、もはや巨大な痛みに耐えながら手術を続行するか、無意味モルヒネだけを乱打して死を待つか、それとも全く新しいイノベーションという奇跡にかけるか、しかない。少なくとも、次期総理が「安倍路線継承」などと言い出したら、そんな政権半年保たない。それぐらい待ったなしな状況ではある。

こんな時代に、泥をかぶる次の政権に同情する。だが、重ねて言えば、日本そもそもこうなっているのは、別に安倍晋三一人の罪ではない。彼を支えてきた全ての人の罪だ。モルヒネが効いていた魔法時間は終わり、いま、現実に向き合う時がきた。それは困難な時代だが、いつまでもこの事態に「安倍のせいだ」を叫んでも、これまたモルヒネ頼りに変わりはあるまい。そんな時間はなるべく少なくした方がいい、と私は思う。それよりも、「安倍モルヒネであったこと」と「モルヒネ必要とされた状況」を認めた上で「モルヒネなしで今後どうするか」についての建設議論を始めよう。今後、生き延びていくためには、その認識が早急に必要なのではないかと思う。

anond:20200828183724

2020-08-28

結局のところ。

安倍晋三という人は非常に凡庸で、具体的な政治指針もなく、しかしその時その時の流れに上手く乗ってなんとなく生き残るタイプ政治家であった。

それは彼が一番最初に脚光を浴びた北朝鮮協議拉致被害者帰国の時もそうであったし(彼はそれまでに北朝鮮問題に深い興味を示したという記録も伝聞もないが、以降はずっとあの青リボンをつけている)、

その注目度から幹事長に大抜擢され、官房長官さらには首相にまで上り詰めた。

しかしその政策小泉政権継承したもので、彼の独自性ほとんどなかった。もっとも前任者があまりにも政治家として強い個性の持ち主だったということもある。

だが、政府自民党ともに彼にその統率が取れていたとは言いがたく、政治家、とりわけ首相の適正には疑問がつきまとった。どうにかまとめ上げられたのは、自民党になんとなく漂う保守思想とそれを具体化した「美しい国」という空虚スローガンがあったからだ。

だがあいまいとした政治思想だけで日々の政治が回るわけもなく、様々な政治問題が噴出。現役農水相自殺などというトップクラス政治暗部が明るみになったところで、参院選敗北。自身は病に伏して一度表舞台を去ることとなる。

1度目の華々しい舞台は、あまりにも役者不足、という結末に終わった。

だがそこで政治生命が終わらなかったのは、血統のなせる技と祖父譲りの悪運なのか。

民主党政権機能不全に陥ったところをとどめを刺す形で震災発生。この社会不安から生じた反民主2000年代回帰の流れ(いわば振り子運動である)に乗る形で、周囲の反対を押し切って総裁復帰・そして首相に返り咲く。

そして今日再び病に倒れる形での辞任を表明した。

この第二次政権ははたして、どんなものであっただろうか。まだその総括は出来ないかもしれない。

政権立直後、目に見える形で株価バカみたいな上がり方をした。株価先導の形で企業業績は回復し以降6年景気を押し上げた。大量の金を市場に注ぎ込む金融政策は一つ結果を出したとは言える。

しかし結局くだんの3本の矢は揃わずじまいで、このコロナでこの政策はいよいよ手詰まりである

これも含め、本来であれば政府政権与党一丸となって一環した指針の下、さまざまな政策を大きく動かさなくてはならなかったが、結局政権初期以外そういう形はほとんど見られなかった。

結局のところ、安倍晋三首相は同じことを繰り返しただけではなかったのだろうか。首相として各所への人選は悪くなかったが、配置した人材ほとんどコントロールできず適切な機能を与えることが出来なかった。

本来であれば各省の歩調を合わせ利害関係者の調整を行うべき内閣官房(官邸)は、各職が見えない権力を握る中、政府内のただの権力装置に成り下がり、効率的かつ効果的な施策の支障を来すまでになった。

首相本人が制御を行うでもなく、その権限を適切に行使することなく、その権力装置自体権威化して好き勝手に行動してしまう。第1次と第2次問題点の違いはそこに突き詰められそうだが、それは結局、共通して安倍氏本人が役者不足であったのだろうという印象だ。

まりにもなにも背景が見えない凡庸な彼の素は結局、政権交代直前野田元首相との党首討論の時のあの、終始自分判断を先送りし他者判断をゆだねる彼だったのではないだろうか。

安倍が辞める。

安倍総理を辞めるそうだ

こんなに嬉しいことはない

こんなに嬉しいことはない

大事ことなので二回

万歳

日本にはまだ望みがあった

少なくとも最悪の政権からは逃れられた

安倍がこの7年で日本に残した爪痕は小さくない

復興には何年(何十年?)かかるかわからんが(すでに未曾有の災害級)とりあえず会議議事録残すところから初めて欲しい

そこからかよ!って思うかもだが本当にそんなとこまで日本は壊された

問題は次の政権安倍方式採用しないことだ

官僚の人事を掌握し中身のない答弁で国会追及をかわし国会の開催要求も聞かずに憲法無視文書改ざん破棄シュレッダー、法によらずなんでも閣議決定で済ます、そんな国会軽視国民無視政権を生まないためにまだまだきちんと注視する必要がある

院政などもさせないように気をつけないといかんが

それでも安倍はもう総理を辞める

ひとまず最悪の総理大臣は去る

いじましく狡猾で小物、凡庸で器の小さいおよそ総理としての品性を持たない類人猿安倍晋三

金輪際もう総理になろうなどという大それた望みは捨ててくれ

夢は昭恵の布団の中だけで見てくれ

安倍が辞める。

こんなに嬉しいことはない。

2020-08-27

Vtuber界隈は芸能界に近い

自分スパチャ投げやメンバー登録したことない無料視聴勢。

Vtuberは2年ほど前からほぼ毎日欠かさず、さまざまな配信を見続けている。

推しは多いが、ガチ恋勢ではない。でもてぇてぇはてぇてぇ。

最近Vtuberキャバクラ」言説が賛否両論、物議を醸しているが、

個人的にはこの説はしっくりこない。

というのも自分キャバクラに数軒行ったことあるが、特に楽しみを見いだせなかったからだ。

なぜか。

それは、キャバクラ双方向コミュニケーションを楽しむ場だからである

会話する以上当たり前だが、あちらが話したらこちらが返す必要がある。

コミュニケーションを楽しむには、自分も返答を工夫して場を盛り上げていくことが大事なのだ

会話するときいちいち気の利いた返答を返そうとする自分には、

気遣いしなければならない」場所のように感じられ、居心地の悪さを感じたのだった。

ただ「キャバクラの人気嬢は聞き上手」ともよく聞く。

この場合は、ほぼ一方的コミュニケーションである。客主体の。

嬢がテクニックを駆使して、客が楽しく話を続けられるような環境提供し、対価を得るというわけだ。

まとめると一般キャバクラの楽しさとは、双方向ないし客主体コミュニケーションと思われる。

一方でVtuber

高額スパチャは置いといて、基本的には視聴者(=客)は与えられたコンテンツを楽しむ受け手である

演者が話す内容、歌、ゲームプレイング、会話のプロレスを見て、ゲラゲラにへらにへらと笑って楽しむわけである

まりこの構図は、先の話でいえば演者主体一方的コミュニケーションになるのではないか

もちろん、コメントスパチャは大きな例外となる。

コメントからミームは生まれスパチャ読みから思わぬ話題に広がることは珍しくない。

これら抜きではV文化を語ることはできないのは間違いない。

しかしそれでも、自分の思うVtuberの楽しみ方はあくま受け手として楽しむことである

リスナー演者ではない。出過ぎるリスナー敬遠される。配信者の作る空気を壊すものとして。

思うにこのコミュニケーションのあり方はまんま、テレビ文化である

Vtuber芸能人視聴者視聴者。(あたりまえ)

テレビだって視聴者コンテンツの一部になる機会は決して珍しくない。つまり必ずしも一方的ではない。

そしてVtuberの主たる楽しみ方は演者うしの関係性を楽しむことである

これも芸能人の共演と相似関係にある。どちらもプロレスもあればてぇてぇもあるし、ガチ不仲共演NGもある。

これほど明らかにVtuber文化テレビ視聴文化構造を同じくしているにもかかわらず、

その文化の一部分、「高額スパチャ」だけのイメージに引っ張られ

あげくキャバクラと紐づけて論じられるのは、こじつけのようでかなり異常である

中にはもちろん悪い意味でのキャバクラ的な楽しみ方をしている人もいるだろう。

金を積み、サービスをほしいままにし、自己顕示欲を満たすことに余念がない。

ただこれは少数派であるという認識はもっておくべきである

こういう自尊心の高い高慢リスナー冷遇されるし、何よりこんな空気感の界隈なら自分はとっくにサヨナラしている。

大半は普通凡庸、可もなく不可もなく、銭投げたり投げなかったりの温度で生きているのである別にVtuber界隈に限らない。

Vtuberを見ない人は、Vtuberに何を見出しているのだろう。

何の価値もないもの時間無駄金を費やしている馬鹿どもが。とでも思っているのだろうか。

そのような無価値どころか有害偏見に少しでも自覚があるなら、クリック数回で試しに見てみればいい。

刺さる所がなかったのなら他人趣味に口は出さない方がいい。

コンテンツがつまらない」のではなく、「あなたには楽しみ方がわからなかった」だけでしかないのだから

面白さがわかるようになったなら、「絵畜生に何を興じている」と後ろ指を指されても全く問題ない。

なんたって、これがバーチャルYouTuberなんだよなぁ。

2020-08-25

anond:20200825151736

まあアイドルものに関してはなにも言えない。

バンドリも無理してみたけどよくわかんなかったし、SHOW BY ROCK!!も多角展開ありきで金かかってんなと思ったけどそれだけだと感じた。要するにアイドルものにもリアルアイドルものめり込めない。キャラ個人に入れ込める人の心理が昔からよくわからないので、多分ずっと無理だ。

関係性や地域性の話は納得していい。特にアニメではないが)アクタージュなんかは心理劇として非常に高いレベル構成されていて、シナリオ構成としても教科書レベルではあった。それが最高に面白いと感じるかどうかは別として。

ものによっては日常系も嫌いじゃない。ただ、好きだけど深いとかそういうのはないな。

アニメ自体凡庸でもファンが、というくだりは上のアイドルの話とも関わってる。そこに何かを感じられないのが薄いというのか、それを感じさせる導入や導引できる要素があるかどうかってのは大きい。例えばレビュスタがととても良い出来だったのでスマホ版やりますって気分にはなれなかった。続きは劇場でって言うのも違う。完結しててまだ続きが見たいと思わせる余力があるかどうかがでかい気がする(レビュスタに関してはきれいに完結してたので蛇足はいいという感じだった)。

そして好きだけど深くはない、とう話に関しては、増田の言う話と結構合致する話だと思う。

思えば昔の5時台のアニメはこんな感じだったような気がする。なんとなく続いてるけど終わると寂しいという。延々と続くシリーズ物を愛する傾向は日本人には特に強いので、深みはなくとも大衆に愛されるなにかは残ってほしいねクール制限されてそういう土壌もいなくなってる気がするけど。古くはルパン、少し前なら妖怪ウォッチのような。こっちの方面も金、金でないもんはしょうがない気もする。

anond:20200825151001

俺はけもフレは興味なくて見てないからしらん。

でも作品ごとに「ディープ」の形は違う。考察余地があるような、論理的・技巧的要素だけが深さじゃない。

関係性の微妙な変化のような描写に力を入れることで深さを出している作品もあるし、地域性パロディを詰め込んで拾っていける人だけが味わい深さに気づける作風のものもある。

最近クロスメディアで感動の線が絡み合っていく構成のものも多いし(アイドルものゲーム原作ものなど)、そういうものになるとアニメを追っているだけじゃディープ領域キャッチできない。

アニメーション自体は非常に凡庸な出来でも、ファンが見ると涙をこぼすようなものもあるだろう。アニメ単体主義ならそういうものは論外扱いするのかもしれないが、そういう要素を含む作品は非常に多い。

ちらっとみて「だめだこりゃ」と切っている人には気づけないだけで、いろいろなアニメーション表現の形がある。

メモ

kerokeropippi 2020/07/05

誰もが無意識差別をしてしまうからこそ「差別さない」という建前や理想お題目必要なんだよ。みんなが当たり前に差別言動をするという地獄社会への歯止めとして。

kerokeropippi 2020/07/26

童貞で欲しいのは支配エッチができるお母さんでしょ?そう簡単代用できるのかな🤔

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kerokeropippi 2020/07/10

特に驚いていない。この人には元々選民思想持ってそうだなあという匂いがあったし。

kerokeropippi 2020/07/26

自分の考え方、価値観感性がすごく好き。「自分以外みんな凡庸」っていうとなんか傲慢だけど、「私は少し特別なのだ。へっへー」くらいは許されるでしょう。

kerokeropippi 2020/07/27

私は学歴収入もさほど高くないけど、なんというか、「魂の位」が一般人より高いんだ。

2020-08-23

女嫌いが治らない

 「治らない」という病気の語彙を用いることが適当かをさておき、自分の中で「女嫌い」がもはや一つのテーゼとしてあらゆる判断の場面で幅をきかせてくる。どのような言動を取るか、といった直接の状況から、なんらかの創作物に対する評価まで、全てを男性的・女性的に分類し、女性的なものへの称揚があればそれだけで正直ウッとくる。(まあこれ自体別に珍しい話ではないはずだ。元々性二元論から出てきた価値判断だろう。全てに男性的・女性的という分類がなされるのであれば、男性の中のある性質女性であることもあり、逆もまた然りということになるので結構事態は複雑になる)

 とりあえず上野千鶴子なんか読んで素直に啓蒙される女が理解できない。「女嫌い」の仕組みを解明されたくらいで、その論理自分肯定するために援用できるようなその女性らしい逞しさ。自分の中で女嫌いはもっとパブロフの犬のごとく根底に根ざす反射といって差し支えないもので、例えば最も凡庸な例を挙げれば「あっ感情的になっているぞ、女性的だ、きついきつい」というように。それが馬鹿げていますよと言われたところで矯正不可能な域にある。

 そしてこの反射にある一定の信頼を自分でも置いている。結局市民未満のところから出発した性にとって最も困難となるのは、利他を身に付けることなのではないか。「泣いてはいけない」「女の子を泣かせてはいけない」「自立しろ」というように叩き込まれる機会なく甘やかされて幼少期を過ごす女。共同体が温存する性差特権だけはシレッと享受しながら平等の為に連帯したりする近代の女。

 

 匿名ダイアリーからこそ自分語り(なる女性行為)を多少せねばズルいだろう。自分の女嫌いの始まりは、ピンクのもの持ちたくない、男子サッカーしてたい、女同士のおしゃべりができないだとかしょうもない些末な好みの問題もあったが、決定的だったのは男教師から軽めの体罰をくらった時だった。顔を引っ張られてたまたま元々皮膚が弱かった部分から出血して、女クラスメイト複数人メチャクチャ自分を庇ってくれた。ありがたくはあったが、その無邪気な連帯に引いた。男子への体罰問題化されないにも拘らず、私の為だけに教師がタジタジになっているのだ。なんだこの二重三重屈辱は。勘弁してほしかった(体罰は今程でないにせよそこそこ問題化されていた時代だったが、そこに今回触れるつもりはない。私が男子から嫌がらせを受けたという発端が女子達の擁護点だったが、結局双方ふざけて追いかけっこ状態となり、配膳中だったこともあり両成敗された流れなので、当時の校風と状況から鑑みてある程度公正な処罰だったと思える)。男子とつるんでも平等に扱われることは絶対にない。仮にどんなに「リベラル」な箱庭を作って篭ろうと、文脈平等を許さない。

 アンチフェミ男性とつるんで、いかに女が劣った存在であるか聞かされ続けることにーーそして劣っていることを知っている、マシな劣った存在であるという自意識を育てることにーー抑鬱的な安寧を見出していた時期もあったが、そうやって自虐までも他者に委ねることこそ「メンヘラ」なる女性性質だと気付きやめた。そもそも女嫌いの男や、男嫌いの女というものは、自分身体憎悪から遠い安全圏に置ける時点で信用ならないところがある。やるんなら己に対する加害者としての憎悪から始めるくらいの気概が要るだろう。

 

 マジで、勘弁してくれ。本当はジェンダーの話なんかしたくない(その為に増田に来たのだが)。にも拘らず社会生活を送る上で、例えば酒席で脱げと冗談を言われたり、「女の子には難しかたかな?」と話を振られたりする度に、「女だから不当に損をした!」というなんのひねりもない想念が立ち上がって来てしまうことがある。たまたま「脱げ」という語彙が用いられただけで、下品冗談は女以外でも全ての固有の身体を持ちうる人間が晒されるものであるし、たまたま女の子には難しかたかな?」という語彙が用いられただけで、他者から舐められうることは女に限らない。それよりも「女だからフェミニストで当然ですよね?」とすり寄ってくるフェミニスト(男女問わない)をかわすことの方が、いまや困難にして価値があるはずなのだ。少なくとも自分にとっては。

 

 しかフェミニズムに逆張りした時に、そこに立ち現れてくるイメージ吐き気を催す前近代的である。なんてことだ。「女」という要素さえあれば私は近代前近代も全て憎むことができる。では私にとって「女」とは何なのか。おい、お前フェミニストみたいなこと言っとるぞ。やめろやめろ、やめだ。

anond:20200823133014

凡庸な著者にかぎってだれでも、自分特有自然文体偽装を施そうとする。そのためまず第一に、素朴さ、素直さをすべて放棄しなければならないことになる。その結果、文章作成上のこの美徳は、常に、卓越した精神の持ち主、平生自分値打ち自覚して、自身に満ちている人間だけに許される。つまり凡庸頭脳の持ち主たちには考えるとおりに書くという決心が、まったくつかないのである。それというのも、そういう調子で書けば、書きあがったものがまったくつまらないものになりかねない、という予感におびえるからである。___ショーペンハウアー増田

2020-08-19

好きよりも嫌いの熱量が高いのどうにかしたい

 好きの熱量もそこそこあって、激推し長文も書けるは書けるんだけど、嫌いのほうが熱量が高い。

 例えば今流行ってる香水って曲。曲自体全然嫌いじゃない。凡庸な曲だなって思う。歌詞の一節に「でも見てよ今の僕を クズになった僕を」って一節があるんだけど、コレを聞いて「僕私俺もクズなっちゃったんだよなぁ」みたいなコメントしてる奴らが本当に嫌い。賭けてもいいけど、お前は元々純度100%クズ自分クズであることを今更、こんな普通の曲聞いて実感したクズか、実感すらしてないのに流行りに浅いあっさい共感モドキのポーズをとりたい、表明したいだけのしょうもないクズ。あと「LINE送ってくる彼女なんて居なかった」みたいなしょーもない大喜利してる奴もクズ。いつもの過ぎて何も面白くない。別に好きでもない曲へのコメントだけでこれくらいの嫌い熱がある。

 じゃあ好きな曲に対する嫌いなコメントは?ってなっても、毛色は大して変わらない。ヨルシカのただ君に晴れは最近の曲の中でトップクラスに好きなんだけど、Youtubeコメントでクッソつまらない替え歌とか大喜利してる奴が熱量をもって嫌いになる。Youtubeコメント欄は増田とは違う治安の悪さ、主に幼稚性からくる悪さがあってある程度は仕方ないんだけど、書いてある内容が30代40代おっさん替え歌とかあって、本当に呆れるほど幼稚。しょうもないおっさんって未だに小学校卒業出来てない精神性なのかな。替え歌が幼稚な遊びなんだから、いい加減小学校卒業して欲しい。「小学20年生です!」みたいなブコメ残すのもすっげえ幼稚でイラッとくるから辞めてくれよ。

 音楽関連の嫌いがとまらんぞ、曲名すら覚えてないが、とあるボカロ曲コメントニココメントって時点でアレなのは置いとけ。歌詞意味不明かつ唐突に人が死んでたかボカロ曲=人が死にましたキャー悲しいですねソングばかりだったころの奴だと思う。曲中に「数字少女」ってフレーズが出てくる。リフが思いっきOMOIDE IN MY HEAD。その時点で数字少女NUMBER GIRL以外にありえないんだけど、流れてきたコメントが「数字少女=39=ミクかな?」ってああああああああああああ恥ずかしいいいいいいいいいいい共感性羞恥という奴に飲み込まれあああああああああ嫌い。ニココメントだししゃーないが嫌い。

 嫌いなもの連想ゲーム的にポンポン出てきて、それにいちいち理屈ベタベタくっつけてる。なんでそこまで嫌いなもの粘着してしまうのか、嫌いは嫌いで置いておけないのか、冷静にスルーできないのか。なぜ熱を上げて嫌い長文を書いてしまうのか。そんな自分が嫌いなので、自分語りは長文になりがち。好きに熱量を注ぎたい。

2020-08-18

anond:20200818122019

いやあん凡庸な歌ではだめだ

音楽経験の少ない人は違うかもしれないが

【まとめ】こう見えて元タカラジェンヌです|天真みちるcakes

https://cakes.mu/series/4395

隔週月曜更新 日曜まで無料 以降有料 第1話無料 な感じ

記事リンク張りたかったけど増田仕様?9個までしか張れない模様

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