はてなキーワード: 凡庸とは
筆者は20代半ば、いつになったら名実共に大人になれるかと思案したりはするものの、まかり間違っても子供を名乗れるような歳ではない。
うっせぇわ/Ado https://youtu.be/Qp3b-RXtz4w
Adoの勢いは止まることなく、17歳最後の日である10月23日、メジャーデビュー曲「うっせぇわ」を発表。楽曲を手がけたのは、Adoがカバーしていた「邪魔」、「馬鹿」などでも知られる、2020年最も躍進したボーカロイドプロデューサー・syudou。Adoはハイテンションかつナイフのように尖りまくったボーカリゼーションによって、毒っ気ある低音から耳を突き刺すハイトーンまで歌声を自在に使い分け、鬼気迫る迫力で圧巻の歌唱を聴かせてくれた。意外にもチェッカーズやPsysalia Psysalis Psycheを彷彿とさせる隠れキャラのようなフレーズを忍ばせる言葉遊びの妙。ど頭から内に秘めた思いを叫ぶ〈正しさとは 愚かさとは それが何か見せつけてやる〉というパンチラインが頭から離れない。強烈なインパクトを持ったこの楽曲は、YouTubeにて2000万回再生を突破した(12月24日時点)。
__Ado、歌い手としてヒット連発 「うっせぇわ」「レディメイド」…ボカロ音楽とJ-POPの架け橋となるか より引用
(https://www.google.com/amp/s/realsound.jp/2020/12/post-680013.html/amp)
今月半ばくらいまでは、『うっせえわ』、Ado共に賞賛する声の方が目立っていた記憶がある。ファンや彼女の曲を好意的に思う層の目にしか留まっていなかった、というのも大きいと思う。
それが、ここ数日でガラリと様変わりした。
ツイッター検索のサジェストは「うっせえわ 共感性羞恥」「Ado 嫌い」など否定的なもので埋め尽くされ、YouTubeのMVのコメント欄でも批判、中には中傷に近い発言が散見されるようになった。
きっかけは、先日のミュージックステーションへの電話出演だったのではないか。私はそう睨んでいる。
上司も母親も、「子供は大人になったことがないけど、大人は子供だったことがあるんだから、分かるわけないなんて偉そうに」「子供は大人を敵視していればいいから楽だよな」と散々な言いようだった。どちらも60近い年齢だ。
常識を押しつけてくる敵__大人を詰って罵って、憂さ晴らしするための歌が、一般の人々に、大人の耳に届いてしまったのだ。ああもハッキリと色濃い悪意を向けられては、大人もいい気はしないのだろう。
そりゃあ、創作物に大して抱く思いは自由だ。頭に浮かぶ感想まではどうしたって妨げられない。
でも別に、18歳の作者の見える場所で、痛い曲とか出来損ないの歌とか言わなくてもよくない???
創作されたものに対して、聞き手がどんな感想を持つのも自由だ。第一メジャーデビューした彼女はプロのミュージシャンなのだから、否定的な意見も飛んでくるだろうし、必要なら受け止めなければならない。
それでも、作品を批判するときには最低限の敬意を持たなければならないと私は思う。作者への敬意を欠いた非難は、もう誹謗中傷となんら変わらないのではないか。
とはいえ、私も社会人になって数年経つから、『うっせぇわ』に共感できるとは言い難い。というよりもこの歳になって、『うっせぇわ』に感涙している人間がいたらちょっと驚く。
元々優等生でなかったのもあるが、自分より年上の大人に敵意はそこまでない。というか深い怒りや悲しみという感情自体、エネルギー溢れる子供だけのものなような気もする。25を越えると怒ったり悲しんだりする余裕も体力もない。もちろん元気な25歳も30歳もいるのだろうご、少なくとも私は、あなたが思うより健康ではない。
上司の空いたグラスに酒を注ぐのも、焼き鳥を串から外すのも別にどうでもいい。それで人間関係が円滑に回るようになるのなら、ヒステリックに拒否するほどのことでもない。
たぶん、大人になったからだ。子供のときは許せなかったのかもしれないが、記憶はだいぶ薄れてしまった。前述したように、私の親世代には「子供は大人になったことがないけど、大人は子供だったことがあるんだから、分かるわけないなんて偉そうに」語る者もいるのだが、忘れているから分からない、子供の気持ちもきっとあるのだろう。
ここからは余談かつ個人的な意見にはなるが、『うっせぇわ』の語り手(歌い手?主人公?)は中高生でもよかったような気もする。あの語り手は恐らく社会人だと思うのだが、社会人として見たときに少し子供っぽいきらいはある。自分も大人に分類されるだろうに、(歳の離れた人間を指しているであろうとはいえ)同じ大人にああまでヘイトを向けているというのは少し幼い、もしくは不自然であるかもしれない。
あの語り手の無敵感も、自分を天才と豪語する自信も、中高生特有のものに見える。私もかつては自分を特別な存在だと思っていたが、今では黒歴史だ。凡庸な大人の自分万歳。
秘密基地で子供たちが隠れてヒソヒソやっていた大人の悪口。突然、外に出て大人の目に触れたから、こんなに燃えてしまったのではないか。
生意気にも歯向かってくる子供がムカつくのは、容易に想像できる。子供は「大人は分かってない」と喚くが、むしろ子供こそ大人を分かっていない部分もあるだろう。経験していないから。
しかし、『うっせぇわ』は語り手こそ社会人で描かれているから違和感があるけれど、子供の子供による子供のための曲だ。大人がMVで中傷コメントをしていく必要はない。
純文学というのは全ての文芸の中でも現代詩に次いで程度が低く、ライトノベルと同等。
売れないことを考えたらライトノベルの方がむしろレベルが高いともいえるかもしれない(私は好きではないが)。
冷静に考えたらわかることだが、まず若書きで頭角をあらわせる分野というのは「知識を必要としない」ことの証明であるし、実際、芥川賞作家含めほとんどの純文作家は10代や20代前半で鳴り物入りでデビューしたとしても、20代半ばには凡庸な通俗作家になるのが一つのパターンになっている。
雰囲気と作者個人のキャラクターやアイドル性といった商品価値だけで決まるようなところがあるので実際は作品は高尚さからは程遠い。
バラエティ番組で例えたら東野圭吾や浅田次郎・宮部みゆきなどの娯楽作家が司会やひな壇を務めるプロの芸能人で、純文作家はVTRとかで出演する素人と考えればいい。
その中でたまに人気者が出るという話でしかない。
新型コロナウイルス感染症が猛威を奮っているさなかではあるけれど、これまでの人生で屈指の贅沢体験をしたので書いてみます。
まず、宝塚歌劇団雪組トップスター、望海風斗さんをご存知でしょうか。
妻がドはまりしている宝塚のなかでももっとも気に入っているスターのひとりでいま最もチケットがとれないと言われているスターです。その望海風斗さんの退団公演が今年の1月1日(正月!)からはじまっているのですが、退団公演ということもあって、ファンクラブに入会している方でもチケットをとるのに難儀しているそうです。妻もチケットをとろうとさまざまな経路で応募したり模索したなかで唯一、だめもとで応募していた旅行会社の宿泊プランとセットが2席分とれたというところから今回のはなしがはじまります。
うちには0歳児がいるので最初は自分が家で面倒をみて友達と行くのだとばかり思っていたけれどチャイルドルームに預けられるからということで一緒に行くことにしました。自分よりも強く観たいと思っているファンにも取れない人がいると思うと申し訳なさを感じつつも当代随一のスターの舞台を観る最初で最後のチャンスという思いです。
自分は大劇場は観劇するのは初めてですが(観劇する妻に同行してロビーで本を読んで時間をつぶしたことはある)、よくよく聞いてみるとこれがなんとSS席でかつ、セットになっている宿泊というのも帝国ホテル大阪。
帝国ホテルといえば、日本でもっとも格式の高いホテルのひとつ。一度、東京で間に合わせで日比谷の帝国ホテルのロビーにいたときはその異常な空間ぷりその場にいる人間の立ち居振る舞いから階層の違いを実感したのを憶えています
ちなみに、大阪帝国ホテルはまったく別で道頓堀そばのビジネスホテルなのでご注意ください。大阪帝国とは・・・。
そんなこんなで観た雪組公演「fff フォルティッシッシモ」はなかなかよい作品でした。
ストーリーは、音楽家ベートーヴェンは失恋や孤独、失聴に苦しみつつも、なぜ交響曲9番歓喜をつくることができたのか、というもの。そんなに構えずに観に行ったんだけれど、とてもよい人間賛歌でした。ネタバレになるので詳しくは書かないけれど、これは演劇でしか表現できないだろうという仕掛けがいくつかあっておもしろい。あるシーンでの2人のセリフは、Linuxをつくり世界を変えたリーナス・トーバルズの「それがぼくには楽しかったから」を彷彿とさせました。
シルクロードをテーマとしたレビュー(宝塚では、ストーリーの演目と合わせてストーリーがほぼないレビューと呼ばれるショーが上演されるのが定番なのです)は音楽提供を菅野よう子がつとめなかなか見ごたえ聞きごたえがある。これは、チャイナドレスのシーンがインパクトがあってすごかったのとグレーのサテン地の変わったスーツがかっこよかった。
そしてSS席ということで席が前から一桁列目。めちゃめちゃ近い。出演者をほんと間近にみることができてDVDでは気付けなかった衣擦れ音や舞台後方でのざわめき、スポットライトにゆれるミスト、また月並みだけれど息遣いまでも感じることができました。銀橋(という観客席に一番近い細い舞台)を通る出演者のライトを受けてきらめく装飾の細かさや顔の小ささなど、観劇に際して得る情報量がDVDとは桁違いです。ただ、近すぎるからか音響の問題か、声が逆に聞き取りにくいシーンもありましたが。
あと、近くのSS席の観客が何度か同じタイミングでサッとオペラグラスをとりだしたり、拍手タイミングがわからなかったり、幕間に泣いている方がいらっしゃたりと普通じゃない感がありました。
緊急事態宣言下でどうなるかはわかりませんが本公演については2月8日(月)に楽天TVでLIVE配信があるので興味があればご覧ください。
https://tv.rakuten.co.jp/content/366230/
そんな観劇中、我が子は4時間4千円で預かってもらったチャイルドルームにて機嫌よく過ごしていたとのことで安心。駐車場からも劇場からも近くたいへん便利です。しゅっとピックアップして、桜ノ宮の帝国ホテル大阪へ。
観劇後の夕食については0歳児がいる上に、新型コロナウイルスもあって外には食べに行けないので悩んだのですが、せっかく帝国ホテルに行くということとSS席で気も大きくなっているところ張り込みました。
ホテルには前首相の桜の会で話題になったあの久兵衛があるので握りをテイクアウトして部屋で食べようかと思ったのですが、参照していたネット上のメニューが古く握りの持ち帰りはしていないとのこと、さらに、一つしかない個室があいているとのことでここを予約。個室は最低でも16,500円(サービス料別)の握りのコースからということでしたが子がこれから動き回るようになると行けるお店も相当に限られるだろうことから自分を納得させて決行。
これは最高でした・・・。四畳半ほどの掘り炬燵で子がいても気にせず食べることができました。
特に、見た目も美しいさより、吸いつくようなすみいか、未知の味がした寒ブリ、直球のうに、味がする甘鯛(?)、ほっとするような煮はまぐり、異様な旨さのある大トロの炙り、謎のねっとりとした半生のえび、端正なカツオ、箸休めのダイコン、塩味の穴子もたれの穴子も充実。かっぱ巻きと鉄火巻もよい。
大阪府の要請で21時閉店とのことでややせわしなかったのですが、濃い時間でした。。ビールも日本酒もよい。
うっかり持ち帰りの太巻も頼んでしまってお会計は45000円を越えてしまいました。2人で食べに行ってのぶっちぎりの新記録です(次点は入籍した日に訪れたイタリアンで9000円のコースを頼んだものの妻がワインを飲みまくって3.3万円となった日でしたがこれは3-4時間くらいいたので時間別では圧倒的)。
さらに最後までお店にいたことで板前さんに家族写真も撮っていただけました。
ここの撮影の合図はめちゃめちゃ笑えます。久兵衛経験者の一部しか知らないだろうので心の中にしまっておきます。
そして泊まった帝国ホテル。チェックインして部屋に荷物をおいてすぐ久兵衛にいったのでよくみれなかったけれど、部屋もよいしフロントの方の対応もさりげなく素敵で気持ち良い。
頼んでいたベビーベッドもテレビの前に鎮座されているし布団もしっかりしていてよい。
お風呂も熱くて広くてよかった。妻は買ってきたビールを4缶ほどあけてご機嫌。
自分は泊まるところどこでもよいと思っていたけれど、ハイブランドなホテルはちょっと違う。分不相応感の居心地の悪さはありますが。
ちなみに、ホテルの案内で知ったけれど、ルームサービスでコース料理5,600円、久兵衛のにぎりも7,300円からあるので(それぞれサービス料が+10%)、なにかハレの日にコロナの影響を避けて非日常を過ごすのによいかもしれません。
朝食は11時まで、事前にお願いすれば部屋に運んでもらうことも可能だったけれど、混んでそうな時間をさけて10時半ごろにいきました。ゆっくりできて便利。オムレツが火入れも完璧なうえにケチャップが別添えなのが高得点です。ただ、パンとコーヒーは凡庸な印象。あとあと、すらっとしたカトラリーがよかったので調べると燕市のトーダイさんとのこと。チェックアウトも12時だったのでゆっくり過ごせました。
宝塚と帝国ホテルのセット券は妻のポケットマネーから支出されており、金額は教えてもらえていませんが24時間で異常な額のお金を使ってしまいました。ただ、充実した時間でした。新型コロナウイルス感染症と戦っている医療現場、行政のみなさま、経営や生活に大きな影響を受けている観光や小売りや関係産業の方々には悪いと思いつつの消費です。これが今年の贅沢納めかもしれません。しかし寿司がうまかった・・・。
結局こんにちの混乱は、「政治的な意見を自信をもって発言する模範的な市民になりましょう」という、極めてうさんくさい学級委員長的規範めいたものから発せられていると言えるでしょう。
例えば政治学のせの字も知らない人々がこの風潮をうけたときまず何をするでしょうか。
GoogleやTwitter、YouTubeで話題のキーワードを検索し、ある程度の注目を集めているようである刺激的な「新常識」を目にするのです。なるほどそれらの「新常識」をめぐって、多くの人々が賛成と反対の意見を交わしているのを彼らは目の当たりにします。
なかにはテレビに出ている有名人や、なんとなく肩書きの堅い大学の先生もいるようです。
自分も早くたくさんの知識を吸収して話に追いつきたい、周りの人間よりも一歩賢い人間として自信をつけたいという、学校のお勉強以外ではじめて学びを得ることの楽しさや知的好奇心を発見した彼ら。次第にどこかのコミュニティめいたものに所属するようになり、仲間意識や自尊心も形成されていくことでしょう。
いったい彼らのどこを責められるでしょうか。
彼らは真面目な努力家で仲間思いの、社会や国を良くしたいという立派な目標をもった模範的な市民そのものです。
少しばかり学問の体系についての知識が足りないだけで、日々ひたすら誠実に新たな知識を探し自身の成長を求めているのです。たまに批判者に対して汚い言葉を使ったりもしてしまいますが、日本の文豪たちがユーモラスに罵り合っていたエピソードがあなたたちに人気であることを彼らは何度も目にしています。
で、こんにちの混乱を収めるために何が必要となるでしょうか。上のプロセスを踏まえていくつか挙げてみましょう。
・学問の体系が少しだけ身につくような挑戦の機会を義務教育中に与える
・インターネットには嘘と悪意がはびこっていることを知らしめる
・労働や趣味に打ち込むことで日常生活から充実感を得られるような社会構造にする
なんだかありきたりで見たことのある意見ばかりですね。最初の一つは除くとしても、どれも教育的で正しい、凡庸でつまらない意見に言い換え可能です。
ただ、これらの実現には相当の期間と多大な努力が必要となることは間違いありません。
この手間を避けて強引に混乱をなかったことにしようとするから、インテリたちは真面目な彼らを小馬鹿にする書き込みをするのです。いや、小馬鹿にする書き込みしかできないと言ってよいでしょう。
彼らもまた、一分野での成功を願い努力する才能をたまたま得られただけの人々なのです。政治や社会についてまともに勉強する余力がないので、なんとなく賢そうな社会学者の小言に同調しつつ、業界内の空気読みにふけっている賃金労働者に過ぎません。
ではこんにちの混乱を収める方法はもはや存在しえないのでしょうか。
いいえ、そんなことはありません。われわれは2つの可能性を無視してきました。
ひとつは、よくわからない観念は一掃し平静を取り戻した心で、日常と少しの非日常を真面目に生きる伝統感を獲得することです。これは、各自が自分の人生を一回きりのものとしてなるべく味わい尽くすように努め、それに多少のまぼろしを混ぜ合わせて一体感を作り出す、保守的な社会を目指すものとなるでしょう。
もうひとつは、すべての意見を外部のシステムに依存し、ひたすら物質的な世界に満足できる身体を社会的に創りあげ、民主主義を脱皮することです。これは、政治機構や巨大IT企業にイデオロギーを一任し、それに従うだけで正しさが付与される、内と外の善悪の熱気を帯びた合理的な共同体を目指すものとなるでしょう。
仕事はWeb系だからリモートにも移行したし全然仕事減らなかった!むしろ増えたかも。今年の確定申告はさすがに利益ちょい出して、黒字になった分はコロナ支援の借り入れとかしてゆったり暮らす予定です。
「高齢者を切り捨ててでも好きなことをしたいか」って言われると、断然YESですよ(よう言わんけど)。当たり前じゃないですか?東京でも田舎でも、見ず知らずの老人に優しくしていいことなんて99%ないよ。あいつら年金ガッツリ貰ってるし優しくしてあげる必要ない。コロナが怖きゃ老人が自粛すべきだよね。
もともと電車も嫌いだったけど、人減ってるから電車も割とよく乗るようになった。
今日もこれから23区→多摩地方に車で行って、趣味の店とか見て遊び倒すよ!
明日もジム行って歯医者行って髪切りに行くし、明後日もジム行って届いた抗体検査受けて「大吉(抗体)出た!」とか言って遊ぶと思う。
映画だけ見て鬼滅をキャッキャ語れるような人間に生まれたかった。
当然原作も読まず、アニメでやっていた前段も見ず、ジャンプというドメジャー誌で連載していた作品に今さらになって参入しながら、うん万人にこすりつくされた誰でも気づくような凡庸な感想を嬉々として語って「私も大好き!大ファンです!」とか言える神経の持ち主に生まれたかった。
大衆文化に乗ってみたい。
「好きな漫画は鬼滅とワンピと進撃とキングダムです」とか言ってみたい。「最近は呪術廻戦って漫画が面白いんですよ。マイナーですけど!」とかドヤってみたい。アメトークで見たからって理由で漫画を買ってみたい。
わたしは生活上の必要に駆られ、唾棄すべき貧民がひしめくスーパー・マーケットに足を踏み入れざるを得なかった。
ポテト・サラダ……その名の通り馬鈴薯を中心に据えた、平民趣味の凡庸なサラダがある。この「超越市場」の唯一の美点は、それを比較的うまく食わせるというところにあった。
店内を延々と流れる下品な音楽に耳を塞ぎたくなりながらも、わたしは広大かつ空虚な現代の砂漠を辛抱強く歩き、惣菜が売られる一角にたどり着いた。
「母親ならポテト・サラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、豚のように肥え太った醜い高齢の男と、これまた醜い幼児を連れたひどく陰気な女。老人はわたしの眼光に恐れをなしたのか、まさしく脱兎の如くその場を立ち去った。一方で、辛気臭い顔の女はポテト・サラダを手にして俯いたままだ。
todomadrid 企業側からだけでなく、消費者からもアクション起こせるというすでにいろんな国でも見られる実例だし、単に商売上の付加価値の問題。
また始まった。
「ただの質問」。
圧によって相手の行動が変わることを想定してそう明言してニタニタしていたくせに、
この手の奴等はマジで毎度こうなんだよね。
トラウデンさんが推奨していたのは「ただの質問」ではありません。
https://getnews.jp/img/archives/2020/12/NHK1217.jpg
買い物をする際
店員に
と尋ねることで
店側の意識も変わっていく
はい。
店側の意識を変える啓蒙の手段として言っています。少なくともこの内容で報道されました。
目先の利とタスクに追われる小売業従業員どもに、啓蒙目的でこういう質問をして、社会を変えていくんだって言う話ですよね。
まずそこを誤魔化すのはやめよう?
お前等はなんで毎度毎度、自分側が非難される流れになったとたんそうやって
言ってたこと・やってたことを割り引いて「普通のことをしただけなのに叩かれた…」っていう誤魔化しやウソをやりたがるの?
立ち話の口喧嘩ならそうやって自分の言ってたことを後から変えていくカス戦法が成功することもあるけどさ、
ログが残るとこでやっても「あ、こいつらカスだなー」って思われるのがオチじゃん。
じゃあそもそもトラウデンさんの御発案にはどのような問題があるのか。
大きく3つあるんだよ。
1つめ、そもそも末端店員がそんな啓蒙目的の御質問を頂いてなんで困るのかというと
啓蒙していただいたり、圧をかけていただいたりしても、どうしようもないわけ。
「意識を変える」じゃねえんだよ。
トラウデン様のそのご下問対応のあいだ店員が何考えてるか教えてやろうか。
(このつかみどころのない質問対応のあいだレジに入れなくて他のスタッフの負担が増えちゃうなあ)
って思ってるんだわ。
2つめ、もっと失礼で本質的な炎上要因はこっちだと思うけどさ、
小売り末端の奴等を対等扱いも人間扱いもしてないんじゃん。
「勤務中すみません、少しだけ話を聞いてください。」って言って自分の環境への考えや活動を説明したらいいだろ。
でも俺はこれなら少しも叩かないよ。
何故か?
これは正直に自分の目的を伝えて、目の前のいる人間とフェアなやり取りをしてるから。
相手と向き合うってそういうことだろ。
カスタマーとしての質問の振りしながら対応負荷をかけて「意識を変える」とかほざいてるのとは全然違うよ。
相手もそれなら断ることも出来るし、逆に環境についての自分の意見を述べることだってできる。
「質問することで啓蒙する」とかいう増上慢とどっちが人間同士のやり取りとしてまともよ。
3つめ、
そもそも「環境に配慮した商品ですか?」という質問のあいまいさ、定量性の無さ、非科学性ったらないよな。
「回答に当たっての判断基準を述べよ」って聞き返したくなるわ。
頭悪い奴等の独り善がりな想定では「環境に配慮した商品ですか?」で万事上手くいくんだろうな。
別にこういうトラウデン様のようなお貴族様が環境のこと考えてくださること自体には1ミリも文句ねえよ?
そういう活動こそノブレスオブリージュ、暇と余裕のある方々が取り組んでくださってこそのことであり、それへの取り組みは賞賛されるべきことだよ。
でもそれが忙しい小売業の店員捕まえて頓珍漢なアプローチすることなんですか?
トラウデンさんて21歳なんだよ。
あれかなり若いな。
こういう人をさあ、品のありそうな美人だからってだけで旗頭にすんなよ。
大学ミスコンなんてなんも問題ねえんだよ。あれは最初から美貌で戦うコロシアムじゃん。
レギュレーションも「女子アナ風味」と決まってて、尖った顔の美人や孤高の美人は落ちて丸顔で可愛い感じの顎小さいつまんない顔した社交力と出世欲のあるやつが勝つって決まってるわけ。
100メートル走の勝者と何も変わらない。
でも
トラウデンさんみたいな成人したての美人に社会的な啓蒙やらせる、価値観の象徴として立たせる、
これこそルッキズムだろ。
ダメなのってまさにこういうのだろうが。
「美」を物事の正誤性とか、倫理的優劣とか、そういうことと混同させて利用しようとしてるじゃん。
ブスやブ男にとって一番キツいルッキズムってそれだぜ?
「美」をいち競技いちステータスにしておかず、正しさとか賢さとか人格とかに絡められてしまう、それこそルッキズムのダメなとこじゃん。
(このトラウデンさん担ぎが上手くいっちゃってたら、「異を唱えてるのはいけてないブスと不細工と老人www」になってただろ間違いなく。)
環境問題にどう取り組むか、消費者一人一人がどんな行動するといいかって言う話なら、
ちゃんと環境の専門の学者のそれなりのキャリアと学識のおばちゃんが出てきて言わなきゃいけないことだろうが。
ここで美人大学生トラウデンさんが顔になってることに「おかしくない?」って言える瞬発力がルッキズム反対ってことだろうが。
学者のおばちゃんなら言ってることに反論されても再反論するだろ。
美人大学生のふわふわした共感ベースの発言は反発食らったときに何も言えない。
擁護も「トラウデンちゃん可哀想」「女だから叩いてるミソジニー」「ただの質問なのに」とかバカみたいな次元でしか言えない。
こんなのが環境問題についての議論だっていうの、お粗末すぎだろ。
トラウデンさんの今回の発言は、大学生がサークル内で何となくいいこと言おうとしたレベルなら叩かれるほどのこと言うてないし、
トラウデンさんがいま可哀想な立場に立ってるのも担ぎ上げた奴等のルッキズムのせいなんだよ。
それでいまトラウデンさんを担いでる奴等(ネットのそっち系なり今回のハフィントンポストなり)ってなーんか、
普段大学ミスコンに反対してるような、左派・リベラル陣営じゃない?
こいつらとにかく頭が悪いから、「差別反対」唱えてもやれてないし、「ルッキズム反対」唱えてもやれてないんだよな。
差別って何か、ルッキズムって何か、とことん考えたことがない。
口でフワフワッと言ってるだけ、その概念を旗にしてけしからん誰かにみんなで投石して気持ちよくなりたいだけだから。
もちろん環境問題についても「愚民を啓蒙しながら呆れるカシコイ自分」に興味あるだけで、環境問題自体に意見も知識もない。
グレタさんの時だってグレタさんを石投げに利用したけど、グレタさんの言ってることは全然興味ない。
グレタさんを持ち上げながら反原発とかいうハチャメチャでも平気。論理性皆無。
非難されるべきクズはトラウデンさんではなくこいつらなんだよ。あとガースー。
トラウデンさん呼んだのガースーだぜ。
脱炭素社会の実現に向けて真面目な科学的議論をすべき全国フォーラムで
美人慶大生(FIT入試)官邸に呼んでふわふわした啓蒙発案させて公開してるの政府なんだわ。
ガースーのポピュリズム・科学軽視そのものみたいな事案じゃねーか。
でも「女」であるトラウデンさんが、「環境保護」という方向性で発言し、「愚民を啓蒙」という趣味性が香ってるため、
ネットのリベラルや左翼はこれを擁護する側に立っちゃうわけだ。
こいつらの陣営決めがいかに非論理的非科学的で、表層的な党派シグナルで決定されてるかがよくわかるよな。
環境省の広報大使を務めるタレントの武井壮さんや、モデルのトラウデン直美さんらがメンバーに選ばれた。政府側は小泉進次郎環境相、梶山弘志経済産業相ら関係閣僚が参加した。
この時点でこの座組の方を叩くのがまともなリべサヨなんじゃあないですかね?
トラウデンさんガースーの真横の席で草生えるわ。
そこは首相と一番活発にやりとりするべき専門家が座る方がいい席じゃねえのかパンケーキ野郎www
これ見た瞬間「そこはわからんちんの美人じゃなく専門家を」って言えないおまえら馬鹿リべサヨも所詮ガースーの凡庸さの掌上のレベルであって
台湾のオードリー・タンをうらやましがる資格なんか1ミリもねえんだよ。
社会や天下国家を語る前に自分の頭をマシにすることに取り組んでくれよ。頼むから。
トラウデンさんはまだ成人したてなのに美人だからって凡愚宰相のフォーラムに招かれて
大衆は専門家より上品風美人さんの話の方を聞くよねっていう凡庸な計略(外れてはいない)に利用されてつまんないこと言っただけ。
でもお前等は?下手すりゃトラウデンさんの倍近くかそれ以上を生きながら、
ガースーを見下しながらガースーの繰り出す凡庸な悪に踊りまくるお前ら。
普段ガースー批判、科学軽視批判、ルッキズム批判を口癖にしてるリべサヨではなく
むしろそういうリべサヨを嫌ってるような側から多くの批判が出ていたと。
なんだこれ。
バカが思い上がってんじゃねーよ。
何度も繰り返されたありきたりな話なので記事の内容は正直どうでも良い。
「一人って最高だぞ」「趣味に没頭できる一人こそ至高」
といった一人が大好きなはずなのに、承認欲求剥き出しでここぞとばかりにコメントする有象無象のブクマカたちである。
彼らの行動を覗きに行くと、どうでもいいような記事に何の面白みもない凡庸なコメントを毎日のように残している。
当然、誰かからレスポンスが返ってくるはずもなく、もはや壁に向かって話しかけているような状態だ。
彼らが毎日せかせかコメントで残している至極どうでもよい世間話なんてのは本来なら家族や同僚、
・・・彼らには日常において話し相手が全く居ないのだろうな。だから、あんな壁打ちのような事をして気を紛らわしている。
やはり俺にはどうしても彼らが幸せそうに見えない。本当に一人が好きならわざわざコメントを残したりしないだろう。
コメントなんてもんは自分の意見を誰かに見てほしい、もっと言えば誰かからのリアクションが欲しくてするもんだ。
本当に他人から干渉されたくない奴はコメントなぞしない。結局の所、彼らもコミュニケーションを欲してるのだ。
英国の孤独問題担当大臣の例を出すまでもなく、孤独が心身に及ぼす有害性は様々な形で実証され続けている。
もうさ、素直に言ったら良いじゃないか。「寂しいから誰か構ってくれよ」ってさ。
彼らを見ていると自分が色々と辛かった時期を思い出し、胸が痛くなる。
何者かになれ、自立せよ。何かをなせ。だけど。それは若い時もてはやされる価値観だなと30になって最近思うで。
鬼滅が流行っているのも、唯生きてください。生きているだけで意味がある。
命をつなぐ。子供をのこすこと。幸せに生きていること、生きているだけで素晴らしいというメッセージが
凡庸だけど、あえて人間の命を賛歌しているところが家族を持っている層に受けたわけだし。
古典的なメッセージがむしろ新しく感じられるということは、それだけ何か役に立たない人間はいらないとか価値観が画一的になってるのかも
(鬼は資本主義的な自分の成長や自分の生命、自分の利益しか追求しない現代的な(いまマジョリティ)価値観)
子供がいても虚しいこともあるし、経済的に厳しいこともあるし、
やっぱりそれも仕事で忙殺されている状態と子育出て忙殺されている状態と変わらないかも。
私も上京したくちだけど。都会に出て仕事も落ち着いて、これから結婚するのか、転職するのか、趣味に生きるのか、
仕事でもっと自己実現するのかというタイミングで色々と探求できないのは辛いね。
ただ、生きてるとどんなにあがいてもどうにもならない、天運が悪い時がある。(天地人だね。)
そうゆうときは、本を読んだり、自分が何がほしいのかよく考えて力を貯めること。
そして、コロナが終わったら、動き回って若いのだから自分の欲しい物に向けて足掻く。
精神的に辛いときや死にたくなるときって、新しい人生の価値観やフェーズ突入の進化のサインなので
外出はできないかもだけど、これから自分が何がほしいのかエッセイとか、電気とか、ビジネス書とか死ぬほど読んでよく考えてみると良いかもよ。
まぁでも、こっちも上京して仕事でやりたいこと大体やれて、好きな人と結婚して、子供もできたけど
家族はいたでいたで、自分の想定しないトラブルに振り回されたりするから小回りは効かないなーって独身羨ましくなるときもあるよ。
なんかうまくいかないときって、大体隣の芝生は青く見えたり、虚しいなーって思うこともあるから。
まぁでも、コロナ。出歩けなくて本当にストレスだよね。ワイも限界だわ。
料理覚えるとか、家でヨガ・筋トレやるとか、体をメンテするぐらいしかないんかね。
みんなは、なにして暇つぶししてんの?
ぼくのこと天才肌だと思ってる人がたま〜におるけど、逆に【興味ないことしか勉強できない人間】なだけです。
「オリックスの監督は生え抜きの人少ないなぁ〜福良さんの前は誰かな?」
結果、「変なこと知ってる」人間になるわけですが、疑問を発見するスタートが凡庸だとポンコツな答えしか出ない反面、疑問やしたいことがマニアックだと…【他の人が知らないけどずっと使える知識】を見つけられたりします。
…詰め込み教育すると詰め込んでる途中に疑問を覚えて脱線するタイプの子
ぼくのこと「人の話聞いてないでしょ?」って言う人が一定数いるんだけども…聞いてはいるけど、自分の中でパーツが揃わないと活用できないんですよね。
ぼくのやってることって表面的には変わっとるかもしらんけど、人から得た知識やコツを自分の形で表現するとああなるだけです…はい
僕の変わった部分というのは、「疑問や好奇心がないと勉強しない」って部分にあるかと思うんだけども…僕の口から出てくるのはすごく凡庸なビジネス用語やコツなんですよ。
そりゃそうだ。
独特過ぎる部分を扱いやすいサイズにする「小さくする」ためのテクニックの方が無理して勉強したことだもん
疑問を覚えないと勉強しない、自分で課題を見つけないとやりこまない…って言うのは、世の中の役に立つとか人を感動させるとは限らんのですよ。
人が興味を持つ話や商品に落とし込もうとする方にぼくは苦労することが多いからそれを語るけど…他の人は逆なだけ。テクは学べるが、独特の切り口に悩む
「あなたの何がすごいのかよくわかんない」
みたいな声ももらうんだけども…一応、わかることやできあがるまでの過程は丁寧すぎるほど説明してんだぜ?
たださぁ…俺が知ってる理論使っても、俺と同じようになる人はすごく少ないからねぇ…
学校で社会科の授業中ずっと地図帳眺めてたタイプの子供だから中学校の時にずっと地図眺めてたせいで、世界史を覚え始めると結構早かったです。
逆に英語で前のめりになれた授業は大学の授業の条文やニュースを読む授業とかなんです。
ぼくとは逆に理論を素直に実践できる人や、「必要だから勉強します」って人のほうが絶対社会で成功すると思います。
まぁ、そういう人が面白いとか有能とかそういうことはわかんないですけど…評価はしやすいと思います。
やってほしいことをやるし、やってることを周りが理解できるから
「好奇心から入る人」に向けた入り口ってすっごい大事で、それがしたい事もあって、ぼくは野球の話書く時に
みたいな切り口から攻めてる。
その子はクセが強くて、強気で、いじめっこ的な気質もあって、私は苦手だなぁ…と思っていた。
実際、その子とはあまり仲良くならずに、稀に話すのみであった。
でもその子の絵は卓越して上手くて。
小学校の中では絵が上手い方だった私は、段違いに上手いその子の絵に、嫉妬さえ通り越した、憧れの念を抱いた。
その子の休み時間に描く絵は、街の電柱や看板にエアスプレーで落書きされているようなポップな画風が多かった。軽快で攻撃的で、少し怖い感じの絵。その子は目玉のモチーフが好きだったっけ。
その子の、美術の時間に描く絵は、普段とは違う雰囲気を持っていた。毒と繊細さとを纏っていて。その子の重い内面を予感させた。
これは今になって改めて気づいたけれど、その子は普段、強く振る舞うが、その実、脆くてセンシティブな性格だったろうね。
卒業式の後、教室に戻ってきて、クラス会も終わって、帰る時間となった。自由時間ができると、何人かの子たちが、卒業アルバムの最後の空白のページに、メッセージを書いたり書いてもらったりをし始めた。
私もいつの間にかそのやりとりに混ざっていて、そういうやりとりを何人かとしているうちに、いつの間にか教室がガランとし始めていた。あの賑わいは教室の中から、体育館の前やロビーなどの外に移っていたようだった。
教室は、まだセーターが必要なくらいには寒かったが、春の陽射しが、教室の床の木のタイルを暖めていた。
同じクラスにいた間、あまり会話もなかった私とその子であったけど、私は彼女に絵を描いて欲しかった。
と私は彼女にお願いをした。
すると、彼女はいつものごとく、めんどくさいなあとか、しょうがないね!みたいに小言を言いながら、でも、楽しそうに私のページにイラストを描いてくれた。
卒業式の日も、その子の筆箱にはずっしりとたくさんの色のサインペンが入っていて、色も選ばせてくれた。
まず、これから書くことはすべて「嘘松」であり、「フィクション」だ
だからぜひ怖がらず、「下らない三文小説」だと思って笑いながら読んで欲しい
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スポーツは下手だし、数学も英語も物理も化学も歴史も偏差値75しかない。
すこし努力しただけの、あまりにも「凡庸」な、あまりにも「無能」な人間だ。
私は「無能」なので、宮廷大学を卒業し、大学院を卒業した。「と妄想している」
そして「無能」であることを理解しているので、渡米することもなく、某有名「無名」企業に就職し、独立しないことを神に誓っている。
大学時代に独立したり、有能なyoutuberとして成功していった同期たちと違って、私は「無能」だからだ。
毎日社長と優秀な社員に「食べさせてもらっている」ことに感謝しながら生きている。
30すぎのおじさんなのに恋人は一人しかできたことがないし、結婚も一度しか経験がない。年収は8桁しかないし、ここから飛躍的に上がる可能性は限りなくゼロだ。
まだ子供はいない。私のような「無能」に子供をつくる資格があるとは思えないからだ。「もちろん、すべて妄想だ。統合失調症なのかもしれない。違うかもしれない。どうでもいい」
家族や数少ない友人や家内と喧嘩する度胸もないので「優しい人」と評価されている。
要するに、モテたことがないのだ。ホストとしても、経営者としても「無能」なのだ。
ただ、1つだけ。
私にはたった1つだけ99.99%の人間が持っていない特別な「才能」がある。
私は、犯罪者に「共感」することで、犯罪者の心理を読み解くことができるのだ。「と勘違いしている」
犯罪者がなぜ犯罪などと言う「非合理的でデメリットしかない行動」をとるのかを研究している。「ような気がしていた中二病だった」
その知見を私の「友人」であるKSATSUさんに伝え
①犯罪を未然に防ぐ
③立てこもった凶悪犯罪者の心に寄り添い、「唯一無二の親友」になることで人質を解放させる
といった「成果」をあげた「妄想」をすることで、私のような「無能」な人間はなんとか生きながらえさせていただくことができているのだ。
トレーディングカードゲーム業界を揺るがすツイートが行われた。
https://matomedane.jp/potato/page/63603
ある配信者兼TCG投資家「CA(※1)」が業界からの引退と自身への殺害予告を書き込んだ
一般に殺害予告はたとえ冗談であっても警察によって即逮捕されることが知られている
(※1)キャビンアテンダントに由来する女性配信者。似たような名前があっても人違いだ。
なぜ、「彼女」はこのようなツイートをしてしまったのだろうか。理由は簡単だ。
空き巣に入られ、現金や金品・骨董品・コレクションを「すべて」(※2)盗まれてしまったのだ。
(※2)実際には「すべて」は盗まれていないことが写真から証明されている。まだケースや多くのコレクションが残っている。
自身を〇〇することでニュースになり、犯人が一生後悔することを望んでいるらしい。
これは「有効」な戦略かもしれない。「意味のない」戦略かもしれない。私には興味がない。
ここから友人との「泣ける感動ストーリー」が展開される。まことに「心苦しい」が本題とは関係ないので省略させてもらう。
以下、本ツイートの「無断転載」を見た者たちの「名誉棄損」ツイートだ。
①MTG投資家の自宅付近複数個所に生命体を配置し、ツイートで自宅場所や帰宅時間に確証を得て、時価一億円以上の物品を窃盗し、メルコレ(※2)で900万でその盗品の蓋然性があるものが出品されているような
②コレクターの親友に問い合わせた。メルコレに出品されている画像のカードあわせると一億円ほどの価値があるそうだ。買った瞬間に9000万円の利益がでる美味しい話だが、同時に強盗団との取引が完了されることとなり、盗品等有償譲受罪に該当する。ビットコイン流出事件を思い出す
③犯人はTCGが億近い価値があると知っていて、彼女にとってはその数倍の価値があると知っていて、彼女に嫉妬していて、TCG界に強い恨みを持っていて、いまも彼女のツイートを監視して笑っている。あなたのツイートは誰に監視されている?こっわwww
④ガイブに大切なものをつくるからこういう目にあるんだよ。大切なものは自分の中にだけに作ってろガ〇ジ。
⑤こんなソーシャルハックがあったのか。感動した。これは素人ではないな。外国人も絶対にかかわってる。自分もやってみよう
⑥こんなの、良く、ある話。ありきたり、な、犯行。承認欲求が、高すぎて、自宅近くの、写真、載せまくってるほうが、悪い
⑦ストーカーたちという漫画で学んだ手口!写真出してるこいつの自業自得!!むやみやたらに目の前の情報を載せるからこうなるんだ!!!
⑧これは、、、一度この人とカードの取引をしたことがあって、、、それで住所と本名を特定したんだろうな。。。。
⑨ツイッターTCG界隈空き巣頻発。クワガタ玄関前おいて自宅帰宅時間特定(※3)
(※3動きが遅い生命体を置くことで、写真に写った位置と影の方向と日の光から時間を推定することができる)
①身内による犯行?
彼女はたくさん配信をしているので、外部に親友が何千人もいます。もちろん、彼女はそんなことを知りません。
何時にツイッターをみて、何時にどこにいき、なにをどうすれば彼女のコンプレックスを刺激できて、承認欲求を満たすためにツイートするかよく理解しているのです。
誰といつ喧嘩したかも大体わかっているのでしょう。もちろんすべて「妄想」でしょうが。
その可能性はありますが、「deepL翻訳」を使った外国人による犯行の可能性もあります。
その可能性もありますが、組織的犯行なら窃盗班、輸送班、売却班、カードロンダリング班、広報班、監視班、分析班、生命体配置班は分けるでしょう。
https://www.smbcnikko.co.jp/terms/japan/ma/J0114.html
そして、それらはすべて末端の者にやらせ、真犯人は何もしていないでしょう。「暗号」をツイートしただけでしょうね。
末端を逮捕しても何の解決にもなりません。なにせ1億円相当を盗んだのですから、
そして輸送班、売却班、広報班、監視班、分析班、生命体配置班はその行為自体に罪はありませんから、窃盗班かカードロンダリング班との関係性を特定できなければ、彼らを犯人と断定することは名誉棄損に当たります。
実際、彼らは顧客から指示されたことを指示されたとおりに実行したにすぎません。大金で殴られれば深くは追及しないでしょう。悪意すらないかもしれません。無知なだけかもしれません。
訴訟を起こせば大金が手に入るでしょう。もちろん、これは脅しにしか使えず、実際にお金を取られることはありません。嘘です。弁護士に相談してみましょう。
いいえ、この計画的犯行には少なくとも11人の人間がかかわっている必要があります。でなければすぐに足がつき、真犯人は逮捕されます。
こんな手のかかる割にリターンの少ない犯行をお金目的でやるわけがありません。完全に支援です。
一般に、「しんこー〇ーきょーリベラリスト」は自らの手で天国にいくことを「救済」と呼ぶそうです。彼女は救済されました。
私は、そういった手口で「他人を統合失調症に見せかけて世間から孤立させ、絶望の淵に救済させる」団体を4つ知っています。
嘘です。一つも知りませんし、そんな団体はありません。妄想です。
>先生のありがたい御指導により、濁悪の此の世に生かされております。
>より多くの人々に救済を。不信心者には天誅を。学会員の皆様が日々勝利されることを切に願っております。
TCG界では「にちゃーんねーる」というSNSが人気です。彼女も定期的にこのSNSに登場し、人気を集めていました。
彼女のファンは、彼女のことが大好きなので、彼女を救済したのでしょう。これは恐ろしい話でしょうか。感動ストーリーでしょうか。
夫が天気の子のDVDを買って持っていた。夫は映画館で一度観てるらしい。せっかくなので一緒に見た。今更ながらに初めて天気の子を見る。
家のテレビは夫が独身時代に買ったもの。音響設備も夫が買ったもの。ソファ置いたテレビ部屋は夫のこだわり部屋だ。ほとんど使っていないので自分はいらないと思うが夫は譲らず。まあ、今すぐ空き部屋が必要なわけでもない、と流してた。
で、天気の子。
見た。映像は綺麗だった。あちこちに出てくるリアルの景色やら商品なんかが身近で面白かった。が、映画のストーリー自体は凡庸に思えた。わかりやすい青春譚、初々しいラブストーリーを楽しむにも、ちょっと共感度が低かった。家出少年保護のために主人公達を捕まえに来ている警察・大人を相手に主人公達が大立ち回りするシーンなんかは、大人側の視点で見て白けてしまった。子供を守るために働いている人たちを相手に、独りよがりの正義感で暴力振るって逃げ出して大人は分かってくれないとばかりの感傷ぶちまけて。迷惑で恥ずかしいったらない。
と自分はそんなことを思いながら見ていたのだが、夫は嬉しそうに見ている。見ていた。ので見終わってからの感想に困った。
夫が好きで買った作品なのだしと思い、なるべく褒めようと思うのだが、どうもうまく褒められない。絵が綺麗だったね、実在の景色とか物とか出てきて面白かったしリアリティあったね、若者がデートで見て楽しめる良い映画だね、などなど。でもあれこれ言ってたら、評論家か、と夫からは言われてしまった。うまく褒められなかったようだ。
じゃあなんて言うのが正解だったんだよ、とネットでレビューを読んだ。映画館の大画面と音響で楽しむのが良いとのレビューや、ストーリーは前作と比べて浅いというレビューなどあり、自分の感想もそう外れてなかったんだなとは思った。夫もストーリーは鉄板だから、と言っていた。じゃあなんて感想すべきだったのか。
有機なんちゃらだから黒が綺麗に黒いよ、と夫はテレビについて言っていた。夫は見ている途中でスピーカーを調整したりもした。夫はテーブルの上のゴチャゴチャも視界に入ると片付けた。…
おそらく
すごくきれいな絵で素敵な映画だったね、おうちの大きなテレビと音響、ソファのお部屋で、映画館みたいに楽しめたね!とっても楽しかった!
ちょっと前にTwitterで話題になってるのをみて、コミックスで0~7巻まで読みました。
※なんで7巻までなのかは後述。あと7巻までのネタバレ含みます。
どのキャラクタも少女漫画らしい理想的魅力と程よい泥臭さがあって、掛け合いもエピソードもよく練られた面白い漫画です。
主人公をとりまく関係者も個性があって推しに事欠かないし。扉絵の主役二人のポージングも楽しい。
しかしタイトルの通り、主人公である渡辺さらさの主人公補正がえぐすぎる。血統、身長、身体能力、完コピというチート能力、周囲の人間関係、要職にある大人からの気に入られイベント(多数)。
他の才能や努力に裏打ちされた同級生たちがすべからく凡庸になるのも無理なからぬ無双ぶり。これで天然キャラというのも個人的には嫌味さが増すというか...
ここまでさらさが圧倒的だと皆気にならないもんなのか??
主人公なんだしと思いたくても、他のメンバーの並ならぬ努力が毎巻番外エピソードで語られるのでさらさの異常性が巻を追うごとに引き立つ。才能だけならまだしも、頻発する気に入られイベントもなあ...
「オスカル様になる」というさらさの夢はわかるけど、6歳で歌舞伎の稽古もやめてるし、紅華の入学のためにバレエの練習を始めたのって入試の半年前(たしか)とからしいし、
6歳以降特になにもやってないのに、演技完コピとか体幹の強さとかどうやって獲得したんだろう…生まれつきって言ったって体幹とかトレーニング積まないと鍛えられないんじゃないの...?
梨園の血筋の子供って何もしなくても体幹超つよいの..?ほんとに何もやってなくてあのポテンシャルなら生まれたときからバレエと紅華一筋だった杉本とか一生立ち直れなくない??
さらさの生い立ちまだ完全に明かされてないし安心して読み続ければいいのかな。
教えて詳しい人(直球ネタバレはなしで)。「助六にはなれません!」は子供には辛いエピソードかもしれんけどそういうのじゃなくて..
あと自分の大好きなキャラがいたんですけど、7巻(リサ先輩の番外エピソード)を読み終わってもう続きに手が伸びませんでした。
(以下自粛
ストーリーも主人公以外のキャラクタも絵柄もとても好きなので続きが読みたいんだけど、さらさの無双ぶりがしんどくて(それに伴って相対的に他キャラクタが冷遇みたいになるのとかがきつい)とりあえず保留中。
でもアニメで盛り上がったら読みたくなるんだろうなあ...
キチガイに刃物、ゴミプログラマに継承。危険なものは取り上げるべきだ。
オブジェクト指向プログラミングにおける継承は強力な手法であるが、これを正しく使えるプログラマは残念なことに極めて少ない。たいていの場合、継承を使うことで却ってプログラムの保守を困難にしてしまう。継承のアンチパターンの最たるものは、単なるメソッドやメンバ変数の共有のために継承を使うパターンだ。これを行うとデータが密結合になってバグの原因になり、プログラムを把握することも極めて困難になる。
そもそも、熟達したプログラマの感覚では、業務で書くアプリケーションの実装に継承を使うべき局面などほとんど無い。ライブラリ等のより低レベルな処理で仕様が確定しているものについては、継承が効果的となる場合もあるが、複雑なアプリケーションのロジックに継承を使うのはほとんどの場合、時期尚早な抽象化となる。
また、凡庸なプログラマが継承で実現したいと思うことは、ほとんどの言語でより適切な手段が存在する。
継承を誤って用いるプログラマが多いにも関わらず、実は継承の使い時ははっきりしている。以下は、一定水準のプログラマならば、誰でも答えられる質問である。これに答えられないプログラマは不勉強を恥じるべきである。
答えられない人、自分の答えが正解の内容と一致しているか即座に判断できない人は、継承を使うべきではない。医学知識ゼロの素人が外科手術をするようなものであり、非常識極まりない。
リスコフの置換原則は、オブジェクト指向の文脈で言えば、以下のようになる。
「Baseを基底クラス、DerivedをBaseの任意の派生クラスとするとき、Base型として生成されたオブジェクトをDerived型のオブジェクトに置き換えても問題なく振る舞うようにしなければならない」
ゴミプログラマが継承を使いたがる理由の99%は、以下である。
具体的にその根拠となるシーンがどこかにあるだろうか? いやない。カナメが策略をもって神崎を落とそうとしているのなら、「言い方考えよ?」というミノリ(音楽担当)との会話で「あれは作戦ですよ」ぐらいの話があってしかるべきである
ミノリが「ちゃんと作曲の勉強しようかな」というシーンをよく読んでみろよ
「ミノリさんにはいい刺激になったが、神崎さん本人はどうなるかな」って書いてあるだろ
「神崎が出してくる”絵”はどうかな」じゃなくて「”本人は”どうなるかな」と言ってるんだよ
カナメは神崎のことを「絵は抜群に上手いがプロの絵描きとしては未熟」と考えていて、一皮剥けることを期待しているんだよ
(その先の「プライドを擽りつつ報酬をチラつかせて仲間に引き入れる」という展開への期待でもある)
上記の「どうなるかな」というセリフは、その為の「刺激」をこれから与えるぞ、ということを暗示したセリフじゃないのか
このセリフに対し、ミノリは「え?」と反応していることから、ミノリはカナメの意図を読み切れていないということが窺える
作中の人間であるミノリはカナメの意図を掴めなくてもよいが、読者である我々はカナメの方が他のキャラより一段高い
視点でモノを見ていることに気付かなければいけない
ただ単に「裏表のないキャラ」という程度の解釈ではこの意味深なコマの説明がつかない
カナメはミノリは褒めて伸びるタイプ、神崎は叩かれて伸びるタイプだということを察した上で振る舞っているように見えないか?
「”ふつう”なんて言葉言われ慣れてなさそう」と言うセリフも、その言葉がプライドを刺激するのに効果的だと自覚していることを表している
ラストの「自信作が出来たから約束の時間より早く来た」という行動も、性格と行動パターンを熟知しているから瞬時に理解できている
カナメは神崎は連れてくる時点でミノリに対する触発効果も予期しているように思う
ミノリが神崎の作品を見てやる気を出している時も、「予定通り」と言った表情である
実際すべてが思惑通りに事が進んでいるからケロッとしていられる(ただミノリに諫められたとき「慎重ですよ」と言ったのも恐らく本心である)
カナメは作曲能力においてはミノリの方が、作画については神崎が上だと端から認めている
個人に出来ることは限界があるというリアリズムに立脚した上で各々の才能をより引き出すよう、ひいては優れたゲームが製作できるようことを進めている
「肉奢ってくれよ肉」というセリフ
自分の懐具合に関わらず羽振りの良さそうな奴に奢れ奢れ言ってくる安っぽい奴はいる
この男はそういう「安っぽさ」の象徴である(背景の通りすがりのキャラもこの男に眉を顰めているだろう)
神崎が提出したものを「さすが美大生ですねー」と一発OKを出したら、この男のように才能にかまけて小手先でナメた作品を作るような人間になってしまうかもしれない