Vtuberは2年ほど前からほぼ毎日欠かさず、さまざまな配信を見続けている。
最近「Vtuberはキャバクラ」言説が賛否両論、物議を醸しているが、
個人的にはこの説はしっくりこない。
というのも自分はキャバクラに数軒行ったことあるが、特に楽しみを見いだせなかったからだ。
なぜか。
それは、キャバクラは双方向コミュニケーションを楽しむ場だからである。
会話する以上当たり前だが、あちらが話したらこちらが返す必要がある。
コミュニケーションを楽しむには、自分も返答を工夫して場を盛り上げていくことが大事なのだ。
「気遣いしなければならない」場所のように感じられ、居心地の悪さを感じたのだった。
ただ「キャバクラの人気嬢は聞き上手」ともよく聞く。
この場合は、ほぼ一方的なコミュニケーションである。客主体の。
嬢がテクニックを駆使して、客が楽しく話を続けられるような環境を提供し、対価を得るというわけだ。
まとめると一般にキャバクラの楽しさとは、双方向ないし客主体のコミュニケーションと思われる。
一方でVtuber。
高額スパチャは置いといて、基本的には視聴者(=客)は与えられたコンテンツを楽しむ受け手である。
演者が話す内容、歌、ゲームのプレイング、会話のプロレスを見て、ゲラゲラにへらにへらと笑って楽しむわけである。
つまりこの構図は、先の話でいえば演者主体の一方的なコミュニケーションになるのではないか。
コメントからミームは生まれ、スパチャ読みから思わぬ話題に広がることは珍しくない。
しかしそれでも、自分の思うVtuberの楽しみ方はあくまで受け手として楽しむことである。
リスナーは演者ではない。出過ぎるリスナーは敬遠される。配信者の作る空気を壊すものとして。
思うにこのコミュニケーションのあり方はまんま、テレビ文化である。
テレビだって視聴者がコンテンツの一部になる機会は決して珍しくない。つまり必ずしも一方的ではない。
そしてVtuberの主たる楽しみ方は演者どうしの関係性を楽しむことである。
これも芸能人の共演と相似関係にある。どちらもプロレスもあればてぇてぇもあるし、ガチ不仲共演NGもある。
これほど明らかにVtuber文化はテレビ視聴文化と構造を同じくしているにもかかわらず、
その文化の一部分、「高額スパチャ」だけのイメージに引っ張られ
あげくキャバクラと紐づけて論じられるのは、こじつけのようでかなり異常である。
中にはもちろん悪い意味でのキャバクラ的な楽しみ方をしている人もいるだろう。
金を積み、サービスをほしいままにし、自己顕示欲を満たすことに余念がない。
こういう自尊心の高い高慢なリスナーは冷遇されるし、何よりこんな空気感の界隈なら自分はとっくにサヨナラしている。
大半は普通で凡庸、可もなく不可もなく、銭投げたり投げなかったりの温度で生きているのである。別にVtuber界隈に限らない。
Vtuberを見ない人は、Vtuberに何を見出しているのだろう。
何の価値もないものに時間と無駄金を費やしている馬鹿どもが。とでも思っているのだろうか。
そのような無価値どころか有害な偏見に少しでも自覚があるなら、クリック数回で試しに見てみればいい。
「コンテンツがつまらない」のではなく、「あなたには楽しみ方がわからなかった」だけでしかないのだから。
面白さがわかるようになったなら、「絵畜生に何を興じている」と後ろ指を指されても全く問題ない。
なんたって、これがバーチャルYouTuberなんだよなぁ。
だから、コンテンツそのものじゃなくて高額スパチャを投げまくる構造がキャバクラやホスト要素が強いんだって言ってるじゃん
キャバクラかとかどうでも良くて アニメ絵にブヒブヒ言ってるようなキモオタが冷遇されてる、それだけだぞ
今のVtuber界はTVが普及し始めた頃の芸能界に似てるんだろうなって思う(自分は生まれてないけど)