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はてなキーワード: 三行半とは

2024-11-19

はてなブックマークの代わりを求めて

冷笑する皮肉屋が注目コメントに集まるサイトは、確かに知的に誠実とは言えない。

若者老害たちに三行半を突きつけるのも納得だ。

正直、私自身がエコーチェンバーにいるなんて思ってなかった。

マウンティング野郎どもを咎めつつも、ここはエコーチェンバーではないと頭の片隅で慢心していた。

移動しなくちゃならない。どこかへ。

真理を求める知的に誠実な思想家たちが議論を重ねる、信頼できる知恵の集積サイトへ。

しかし、そんなものがどこにあるんだろう。

そして私は、参加資格を備えてるだろうか。

2024-09-27

anond:20240924164210

もうさ、氷河期世代被害者意識鬱陶しいわ

なんでもかんでもひょうがきヒョウガキ言いやがって

てめぇらで起業する事だってできたんだぞ

んでな、バブルの時代にもしっかり少子化は進行してて

世間では1.57ショックと呼ばれたんだよ

1990年バブル崩壊前の話だ、絶頂期だよ

子供産まないのを金の話にする奴は、金が欲しいだけの餓鬼だよ

どうせ金があってもうまねぇよ

子育てってそういうもんじゃねぇんだよ


結局のところ、自分権利子供を天秤にかければ、自分権利になる奴が多いってだけの話

そうでない(社会圧力がそれを許さなかった)昭和初期は

飯に困っても、ぼろを着ても、結婚して子供産んだ

タガが外れればどうなるかって言えば

熟年離婚になる

これ、女が三行半って話ばっかりされたが

男が負妻を捨てる話も結構あったんだよ

それまで主婦として横柄に暮らし

何にもできない、どうして暮らして良いか分からんって女もそれなりに居た

いま、結婚について、いろいろ言われてるが

弱男に価値を見出さないとかじゃなく

みんな「結婚したくなくなってる」んだよ

2024-09-11

anond:20240911064224

専従職員にとっては定収入がなくなることとイコールから

専業主婦井戸端会議旦那愚痴をこぼしたら三行半叩きつけられたようなもの

2024-08-29

こどもが一歳になった。もとい妻に恨まれない産後の過ごし方について

産後の恨みは一生とかなんとかというポストが荒れているので、ここぞとばかりに自分体験を投下する。何かの参考になれば(特に妻の出産を控える夫よ)と思いつつ、実際は自己顕示欲を満たしたいだけなので好き放題書く。

さて、自分は約1年ほど前に妻が初産した夫の立場だ。

妊娠発覚

フリーター自分正社員計画妊娠ではない。とりあえず安定期に入るまでは静観。心拍確認できた(妊娠2ヶ月くらい?)段階で両両親に報告。

妊娠期間

互いに仕事に余裕があり融通が効いたので、1,2ヶ月ごとの検診に必ず2人で通っていた。この時期のデートは専ら病院から始まる。医療の民に色々聞きながらぼちぼち出産準備を進めることに。

互いに実家から遠く離れたエリア暮らしていたので、ゼロから2人で情報を調べ始めた。身内の経験者にソースをあたれないデメリットはありつつ、変にバイアスからずよかったとも思う。実際自分の両親世代情報は古いものだったりギャップのあるケースも少なく無いので、情報ソースはまず医療関係者、そして身近で出産経験のある友人を頼ろう。親は目の色変えて口出そうとしてくるに違いないが、心を鬼にして病院自治体に頼るんだ。

しかしまあ、人によって出産体験十人十色で、時に癖の強い看護師なんかは平気でやばいこと言ってくるケースもある。調べすぎは禁物。ちなみにその時妻はインスタで妊婦が絶叫する動画を漁り、こえーとかいって鬱になっていた。誇張抜きに、100人居たら100通りの出産体験がある。肝に銘じよう。

妊娠中は母体メンタル不安定になるケースも多いらしいので、とりあえず全力フォローだ。妻を救えるのはお前しか居ない。

自分はというと、特段変わらず普段どおり過ごしていたように思う。今となっては記憶は朧げだけど。妻は一時つわりがしんどそうだったものの、その期間を除けば概ね普段どおり。予定日の3ヶ月前くらいまでは働いていたような気がするし、もともとお互い飲み歩いたりする性分でも無い。

早めに仕事の終わった妻は、歩いて近所のスーパーへ買い物へ行き、カフェで甘いものを食べるのをささやかな楽しみにしていた覚えがある。帰って一緒に料理を使って、一緒に食べて、ベッドで寝ながら映画を見て眠る日々がとても幸福だったことを覚えている。

自治体サービス

すごい手厚い。母子手帳妊婦検査健診補助券、出産一時金、小児医療助成児童手当、その他報奨金・補助金。色々あるぞ。すごいぞ。絶対活用するんだ。申請は全部お前がやれよな。妊婦の手を煩わせるな。

出産

妻は無痛分娩を望んだが、近所に対応している病院が少なくやむを得ず普通分娩に。ちなみにいわゆる無痛(麻酔)が良いなら、妊娠発覚時点で即座に実施しているすべての病院ローラーして予約すべし。首都圏競争激しいし、地方地方そもそも対応している病院が少ない(産婦人科医だけでなく麻酔医が必要らしい)ので結局激戦だ。その際夫が電話しても妊婦から直接電話くださいとかクソみたいな仕様があったりもするが、めげずに電話をかけまくるんだ。無痛分娩にも、自然陣痛を待ってから麻酔をする場合と、あらかじめ出産日を決めて強制的に産ませる計画分娩がある。詳しくは調べてくれ。ちなみに自然陣痛を待つ場合陣痛の進捗が遅れると余計に課金されるクソみたいなシステムもあったりするので把握しておこう。妻じゃなくてお前がだ。

余談が過ぎた。で、結局普通分娩を渋々選択した妻は予定日を2週間過ぎたあたりで強制的入院となった。陣痛が来なくて予定日を超過すると、胎盤のパワーが劣化して胎児危険が及ぶらしい。なので薬剤を投与して強制的陣痛を促す。ただ、陣痛が起こるだけでは赤子は生まれない。なぜなら陣痛の進捗と並行して子宮口を開く必要があるからだ。子宮口が開いていないと陣痛を起こしたところで赤子は出ずにケツが裂ける。妻の場合子宮を柔らかくする錠剤を飲んで経過観察、効果が思わしくないのでバルーンという風船的なもの子宮口に挿入して強制的に拡げること一晩(ちなみにこれが痛みを伴うという人も居る)。ようやく子宮口が開き始めたので翌朝に漸く陣痛促進剤の点滴を開始。このタイミングで自宅に待機して無限ゼルダをやっていた自分召喚。立ち合いのもと出産に臨むことに。

で、結論から言うと、立ち会いの経験については特に書けることはない。というのも促進剤を打ってから3時間というスピード出産であっという間に超絶安産に終わってしまたからだ。勇んでテニスボールを持参し全力サポートする構えでいたが、ぶっちゃけ出産立ち会い時に夫にできることは無い。自分のやったことと言えば、陣痛の波に合わせてテニスボールを全力で妻のケツに押し当てて効果がないと文句を言われる。痛みで妻が暴れるのでベッドの手すりにクッションを置く。分娩室に移動する際に使い捨て割烹着みたいなエプロンを逆に着て看護師失笑さらう。妻の口元に水分補給用のペットボトルを持っていくがストローが無いので役に立たない。そうだ、ストローは持っていけ。

なので、ただただ自分の無力を悟る一瞬の3時間だったが、人によっては24時間以上かかることもザラなので、とにかくそばにいること、無力感に苛まれながらも全力で妻を支える気持ち、あと絶対に寝ないことが大切なのだと思う。知らんけど。

産後

妻は4泊くらい入院して母子共に問題がなければ自宅に帰される。その間に妻は体を療養しつつ、満身創痍の体で看護師から母乳とか沐浴など一通りの訓練を受ける。自分場合は運良く個室に空きがあり、夫も泊まって良いとのことだった(無論育児指導も一緒に受けた)ので、妻と同時にスタートをきれた。あと妻はミルク育児(いわゆる完ミ)を希望しており、看護師に渋い顔をされながらも鋼の意志出産したその日のうちに乳を止める薬を飲み、初乳をあげることもしなかった。自分としてはなんだかなあと思いつつ(本音を言えば乳をあげる妻の姿を見たかった)も、即ち育児を全て自分ができることになるので、妻は自分の療養に専念できることを思えば悪くない。実際に退院後は大部分の育児自分が行い、今もそれは変わらない。

育休

自分は超絶ホワイト企業に勤めていたので、妻の出産予定日以降は会社休み、妻の出産後に即1年間の育休を取得した。初産だったこと、会社の融通が効いたこと、両親のサポートが得られない事情から、互いのリソースを全て来たる赤子に全力を注ぐ体制で望み、結果として夫婦不和などもなく、1年をクリアすることができた。他所死ぬほど書かれているかと思うが、とにかく夫は仕事を休め。育休を取得しろ。育休は権利。育休制度もいくつか選択肢があり、ややこしかったりするので(会社の人事も制度を全て把握しているわけではない)事前に調べて取れる選択は全て検討すべし。

新生児

新生児ほとんど寝ている。3時間ごとにミルクを飲んで寝る。泣く。うんこをする。おむつを変える。ミルクを飲む。寝る。泣く。風呂に入れる。ミルクを飲む。寝る。というルーティーン自分場合特に時間の分担は決めていなかった。新生児もそうだが、それ以上に妻の回復が最優先ということで可能な限り自分が行っていた。といっても妻は元気そのもので、退院翌日にケツから血を流しながら自動車運転美容室に髪を切りに行ってた。本当はブリーチたかったけど産後は禿げるから美容師拒否されたらしい。ハゲてもいいのでやってくださいって言ったらしいけど無理だったって。当たり前だろ。

いや、止めたよ。全力で。絶対に行くなって。行ったら死ぬって。安産だったけど無理矢理いきんで出したか出血がひどく股が裂けて何針も縫ったって。けど狂人には何を言っても無駄だった。結局傷が開いて痛えとか言っていたけど。出血産後1ヶ月くらいは続き、妻の産後に最も辛かったことを聞いたら退院後1週間溜めた特大のうんこをひり出したことだってさ。妻が超人でよかった。

通常は母体が元に戻るまで半年とか1年かかる場合もザラにあるらしいのでとにかく母体を気遣えと。産後骨盤がゆるゆるらしいので、歩行もなるべく避けた方が良いのだとか。

完全母乳場合、この時期に病む母は多いと聞く。なにせ満身創痍で初めての3時間おきにミルクをあげるぐにゃぐにゃの今にも死にそうな謎の生命体の世話を強要されるのだから。乳も初めは出ない。乳を出すのにも訓練がいる。いまだに母乳信仰は根強いが、躊躇なくミルクを使え。ミルクなら父でもあげられる。そしてとにかく母体を守れ。子より母だ。頼れるなら両親でも親戚でも友人でもなんでも使え。産後母体負担を減らすことに全力だ。ここさえ乗り切れさえすれば、妻に以後何十年も三行半を突きつけられることは無かろう。え?そんなの無理だって馬鹿野郎。このご時世に1ヶ月すら休めない会社なんて辞めちまえ。

その後

赤子はすくすく成長するが、基本的ルーティーンはさほど変わらない。子育てをする上で気づいたことは、子育ての適性の有無が難易度を大きく左右するということ。例えば子ども泣く→おむつを変える→ダメミルクを飲ませる→ダメ→寝かしてみる→ダメ→あやす→気晴らしに外に連れていく→ダメ→車に乗せる→ダメ風呂に入れてみる→ダメ放置する→以下ループみたいな事態が発生するが、この辺りの試行錯誤を労せず淡々とこなせる人間がいると極端に難易度が下がる。昆虫少年で何かと生き物の世話が得意だった諸君、君たちは有望だ。夫に育児を望む女性は、交際相手に幼少期にペットの世話をしていたかどうか聞いてみるといい。

ちなみに参考にはならないが我が子は生後1ヶ月で毎日6〜8時間まとまって夜に寝ていた。妻もエリートなら赤子もエリートだ。新生児期を除けば、産前よりもよっぽど我々は寝ていた。一応、申し訳程度に自然光のサイクルに任せて日没後は間接照明で過ごすとか、ベビーベッドで1人で寝かすなどの試みはしていたが、実際のところこれは赤子そのもの個性に寄るところが大きいと思う。寝ないやつはマジで寝ないらしい。3ヶ月目には暗い部屋でベビーベッドに放置すると1人で寝るようになり、寝かしつけが要らなくなった。6ヶ月目には1人でミルクを飲むようになった。夕方、眠そうなタイミングを見計らって風呂に入れ、服着せたらミルク渡してベビーベッドに転がしとくとほとんど朝まで寝てる。

これまで散々煽っておきながら、自分はいまだに育児に困難を覚えたことが無い。妻はというと、赤子の鳴き声が黒板をキーキーされる程度にイラつくらしいので、赤子が泣き止まない頃はよくキレていた。適性大事。あと赤子の性質。その意味SSR引いた自分に言えることは何も無い。まあ、必要以上に不安を煽る記事も多いので、育児余裕だったという例もあるということで。

離乳食

最初から変に気合い入れて手の込んだ料理を作ろうとするんじゃないぞ。いいか大切なことを言うぞ。

離乳食は「食事」ではなく「食べる練習」だ。肝に銘じろ。6,7ヶ月くらいから始めるのが一般的だと思うが初めはろくに食べられない。食えたところでどのみちろくに消化できない。消化器官や腸内環境だったりが未熟だから大人のように消化吸収できるわけではないんだ。ならばなぜ食べさせるのか。そう、食べる練習だ。大切なのは、柔らかさと粒度、そして粘度だ。それが備わってさえいればゴムでも紙でもなんだっていい。味なんてどうせ初めはわからん

お前が食っている時なんて何も意識していないだろうが、初めての人間にとってはどうやら複雑な作業らしい。まず食材を舌に乗せる、そして舌で喉に送る、そして飲み込む。この三段活用にそれなりに反復作業必要なのが赤子という存在だ。だが安心しろ、誰もが初めからできたわけじゃない。お前だってそうやって練習してきたんだ。いずれできるようになる。まず赤子を観察しろ。どこのプロセスで詰まっているかを想定してトライアンドエラーを繰り返す。もう一度言う。柔らかさ、粒度、そして粘度だ。毎回少しずつ変えて、こどもの様子を観察しろ。それをひたすら続けるんだ。食材や味にこだわるのは、まず赤子が固形物を難なく飲み込めるようになってからで遅くない。

これまでエリート面してきた我が子もそれなりに苦戦したくらいだから離乳食で苦労する親は多いと思う。結局いまひとつうまくいかずに自治体相談したら、やたら癖の強いスパルタなオバはんが出てきて事細かに教えてくれた。困ったとき自治体を頼れ。

保育園

これ、実は妊娠発覚時点から活動(いわゆる保活)を進めるべき案件。マジだよ。保育園は神。えー、3歳まではやっぱり自宅でみたいなあとか悠長なことほざいてるお前。お前だよ。今すぐ自治体webサイトを漁って保育園を探せ。そして見学に行け。産後戦争から余裕のある今のうちにやっとくんだ。絶対だぞ。ちなみによほど田舎でなければ、基本的には共働き+両親が同居ないし近隣に住んでいないことが公立保育園利用の最低条件となる。競争率の高い自治体によってはそれでも収入が高かったりすると平気で落としてくる。出産時期によっては最も入園確率の高い0歳児の4月入園できないケースもある(つまり10月くらいには産まれてないといきなり苦戦を強いられることになる)が、毎月自治体が欠員を公開しているので、めげずにトライだ。もしどちらかが育休中や無職場合ダメ元でも就職活動中として無理矢理にでも入園できる可能性を追うべきだ(その場合入園後3ヶ月以内に就職することが条件)。入園希望は第10希望くらいまで書けるだけとりあえず書け。

ちなみに公立保育園情報はまともな自治体なら事細かに情報を公開している。23区内なら、例えば片方働いて20点、両方なら40点、その他の加点や減点要素、この保育園に入るなら最低41点は必要ですよ、みたいな情報を親切に公開してくれていたりもする。が、とにかく資料が難解で理解するのには訓練が必要だ。法律の条文や自治体の公開している公募要領だったりを難なく読めるスキルがあればそんなに苦労はしないと思うが、常人には難しい。理解させる気さえないと感じる。逆に、多くの人がろくに読解していないとしたら希望はそこにある。高学歴増田諸君であれば多少の苦行を受け入れさえすれば難なくこなせる範囲だろう。

保育園復職するのにはもちろんのこと、こどもの遊び相手だったり退屈しのぎだったり新しいことを覚えてくることだったり良い点は書ききれないほどあるが、自分が一番助かったと感じるのは食事だ。0歳児入園場合食事も当然こども用に作る必要があるのだけど、これをおやつも含めて1.5食分、しかも豪華で自宅ではとても作れないクオリティで出してくれるのが保育園。これには本当に助かってる。真っ当な大人がこどもの面倒見ながら自分の他にこどもの食事を2食ないし3食作って仕事してとかどう考えても無理だから復職たかったら全力で保育園に入れろ。いやむしろ保育園に入れるために復職ないし就職しろ

我が家は無事10ヶ月で保育園入園をキメ、妻は就職し、超絶ホワイト企業に勤める自分はフルリモートで働き、食事を作り、保育園の送り迎えをする菩薩のような父業をしている。無論、妻の方が圧倒的に収入は高い。

大丈夫保育園に通わせても十分こどもと遊ぶ時間は作れるから。どうせ入園して半年くらいは毎週のように病気もらっていくらでも病院連れてってあげられるし自宅療養できるから安心して保活に全力ベットしてくれたまえ。

1歳

だいぶ人間になってきた。人によっては歩くし、意味のある言葉も発するし、芸もいくつか覚えるし、意思疎通もできたりする。喜怒哀楽がはっきりある毎日楽しそうに暮らしてる。当たり前だけどみんな個性バリバリ。いいぞこどもは。おもろいぞ。

これまでこれといった危機も苦労もなくやってきたけど、この先も色々困難はあるだろう。これからが本当の地獄だ...って多分先輩諸兄は誰もが言うだろう。そしたらその先をぜひ増田に書いてくれよ。みんないろんな体験談を読みたいんだ。

長くなったが以上だ。参考にならないって?冒頭に書いた通りだ。妊娠出産もこどもも妻も夫も十人十色。あー、本当に育児体験てなんてのは全く参考にならないね。みんな頑張れ。そして楽しんで。妻(夫)を大切にな!

2024-08-11

お前らが艦これ民に「コイツはいくら叩いてもいい」を続けるせいで、艦これ民が「俺達はどうせ何やっても叩かれるから何でもやってやる」に染まってきた

もう駄目だ。

艦これ界隈の民度は完全に終わってしまっている。

本当ならとっくの昔に自衛隊から「いい加減イメージが悪くなりすぎるから勘弁してくれ」と三行半を突きつけられてもおかしくないような状態だ。

だが知っての通り自衛隊という組織もまた極限まで終わっているせいで「俺達はどうせ左翼批判されるから、もう好き放題やるんだ。税金川重に渡して宴会場でコッソリPS5を貰うんだ」と好き放題だ。

そんな両者は同じ方面斜陽を転がり落ちているものとしてスッカリ意気投合

お互いが腐れば腐る程に「この苦しみを分かってくれるのはキミだけだよ」と更に繋がりを濃くしていく。

そうして海上自衛隊お墨付きという旗印を手に艦これはいよいよ調子に乗り、そして繰り返す迷惑行為により社会からはいよいよ離れていく。

奴らはもはや誰も止めることの出来ない怪物になった。

もしも、もしもの話だが、もっと早くお前らが艦これ民に「駄目な所だけちゃんと直せば、皆君たちのことを嫌ってるわけじゃないからね」と優しい言葉をかけてやれば・・・

目先の投石の気持ちよさばかり優先して奴らを全世界の敵として扱ったりしなければ。

本当にもう駄目だ。

奴らはもう艦これがサ終しても止まらないよ。

本家がサ終したらエミュ鯖を立てて堂々とプレイするだろう。

というか、俺達が知らないだけでとっくにエミュプレイが当たり前になっているんだと思う。

そうでなかったら「こんなことしたら公式もいよいよビビってゲームを閉じちゃうかも」と踏みとどまらなきゃいけないラインを何度も超えられるはずがない。

止められないんだ。

からでもまだ海上自衛隊が「コイツらはヤバすぎるので、流石に消えてもらうべきだと思いますね」と声明を出せば、ワンチャンはあったかもな。

だがもう無理だ。

海上自衛隊の側からすれば、この状況ではどんなゴロツキだろうが一人でも多く飲み方が欲しいと思うだろう。

奴らもまた世界を敵に回したゴロツキの集まりなのだから

2024-07-19

anond:20240719164337

三行半はもともとがただ離婚状なので、その後再婚可能なんですよ。

2024-06-04

anond:20240604133211

2016年サイゾー記事(ライブドアニュース転載)

池井戸潤氏が勝手原作変更に怒り?フジテレビ三行半を突きつけか

2016年11月12日 19時6分

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by ライブドアニュース編集部

ざっくり言うと

池井戸潤氏がフジテレビ三行半を突きつけたようだと日刊サイゾーが報じた

ドラマ「ようこそ、わが家へ」で、勝手原作が変更されたため怒ったという

芸能事務所関係者は「フジテレビ原作勝手に変えてしまう」と話した

2024-02-27

最低賃金2000円にして、2000円/H払う価値さえないカスは全員ガス室送りになる社会を目指していきたいよな

だってさ、実際問題として世の中のバカの9割はそういう低賃金のアホじゃん?

テレビ報道される犯罪者だって低賃金労働を続けた結果人生に嫌気がさして共倒れを測った自己中ばっかじゃん。

じゃあなんでソイツらが低賃金かっていうと、頭の悪さ故に社会性が低く、それ故にまともな社会から三行半を食らい続けたろくでなしからっしょ?

ごくごくたまに高収入犯罪者はいるけど、そいつらの大部分は単に雑なギャンブル成功しただけで本当に頭がよくて犯罪者やってる奴はアホだから犯罪者になった奴よりずっと少ない。

賃金が低いってのは単に労働生産性が低いってことだけを意味せず、人間性も劣悪であることを意味していると思うんだよ。

からさ、最低賃金ガンガン引き上げていってさ、そういう奴らを社会から追い出そうぜ?

そうして追い出したらきっとそいつらは食えなすぎて強盗詐欺に加担するようになると思うわけ。

そこをとっ捕まえていったら、そのうち刑務所が一杯になるよな?

じゃあもう「死刑ラインを下げて数を減らすしかないぞ!」ってなるはずだろ?

まりさ、社会不適合者が自動的に選別され、そして次々に殺される健全社会誕生するんだよ。

お前らが言いたいのってつまりこういうことだろ?

無能キチガイ社会から追放し、最終的には現世から追放しようぜ!って

わかるわー。

めっちゃわかるよ。

俺も同じ気持ち

ではないな。

流石にこんな考えには賛同できない。

本当最低だよなお前ら。

最初縦読みでも仕込もうと思ったけど、こんなこと考えてるアホどもがちゃんと見抜いてくれると思えなかったので素直にオチネタバラシする方式しました

2023-11-14

Google個人Androidアプリ開発者三行半叩きつけたのは当然の流れ

ストア経由の決済の手数料削れとか、決済手段解放とか求められてんだから、こうやって泡沫アプリから切り捨てが始まるよな。

収入が減ったら運用コストが削られて、サポートが削られるという当然の帰結

既に成功したアプリ抱えてる企業がより多くの収益を得るために新規参入を阻害して市場固定化を加速させる。

これが「自由競争を促すためのプラットフォーム規制」がたどり着く結果だ。皮肉なもんだ。

2023-09-11

anond:20230911133349

これ暇空界隈が派手に動いてるからそう思われるのもしょうがないのよ。

暇空とジャニオタで「サヨク陰謀」「共産党仕業」ってことで答えが一致しちゃった。

なのでそいつらのシンパ栄養源になりそうな階層といえば弱者男性だよね、みたいな結託をしてる。

暇空本人はColabo叩きに替わる新たな集客ができたことで幸せだろうが、乗せられてる人たちは幸せになれるのかな。

弱者男性とは縁もゆかりもない大企業から三行半が次々に叩きつけられてる現実とどう折り合いをつけるのかな。

2023-09-08

日本贔屓だったジョブズが死んでクック体制になってからはあからさまに日本より中国が優先されるようになったけどその中国から三行半突きつけられててザマアミロですよ

さっさと退任しねーかなクック

2023-07-24

金ないのに外泊してガジェット買いまくって旅行して精神病んでる知人

本人にダイレクトにバレちゃったら可哀想から適当にボカすけど、フェイクは入れないよ。

知人つっても、最近は数年に一度の共通の知人を通してイベントで会うぐらいで、

あとはTwitterで呟いているのを見てるだけなんだけど。

元々地方Fラン大学(彼が通っていた当時はどうかしらん。今がFランなだけ)を氷河期卒業して

地元とはまた別の地方人材系の会社就職し、典型的ブラック激務だったらしいんだけど。

10ちょっと前にフリーランスになりたくなったらしく、会社を辞めて地元に戻ってきたと。

この時点で既に結婚して奥さんもいたんだけど、結局何して稼ぐか決まらないままズルズルと

(本当は良くないんだろうが、失業手当とかもらってたみたいだ)

稼ぎのアテが見つからないまま失業手当も終わることになって、

奥さんブチギレ、離婚するとか言われてしまったらしい。

その当時、増田は彼とスタートアップ系のイベントで知り合ったんだけど、

プログラミングができるわけでもデザインができるわけでもなんか企画できるわけでもないのに、

ふらふらっときてなんかいる、みたいなこの謎の人とSNS交換して相互フォローしてたんだけど、

たまたま共通趣味があったので、趣味的なことはいろいろやりとりしてワチャワチャしていた。

で、奥さんにブチキレられたと言って、実はこのイベントやその界隈で知り合った人たち数名に相談し出したら

離婚就職するか決めろって言われてぇぇぇ」とベソかきながら泣きじゃくってた。

この時点で、多分彼は35歳ぐらい。

確かその日もどこか面接に行ってたんじゃないかな。

暑い日だったような気がするけど、スーツ着てえらいね、と思った覚えがある。

その後、スマホ関連のサービスを展開する中小企業就職すると、彼のSNSは少しずつ華やかになった。

彼は旅行が好きだ。その仕事出張が多く、日本中の色々なところへ飛び回る仕事で、彼にぴったりだったのだろう。

よく出張先の景色飛行機写真なんかをアップしていた。空港おじさんってやつね。

出張とは別にプライベート親孝行北海道父親をつれていった、なんてのも見た。

良かったね、フリーランスよりもそっちの方が全然よかったじゃん。

奥さんとも関係修復して、お子さんにも恵まれた。

よかったよかった。変にフリーランスなんかにならず、そういう手堅い人生でいいのよ、アナタは。

そう思ったもんよ、その時は。

それから7年ぐらいか。その会社は彼の従業する事業から撤退することとなり、彼は退職を決めた。

その後は、色々な仕事トライしてたみたいだが、そこにコロナが直撃し、

非正規ということもあり、しんどい思いをしていたみたいだった。

仕事の内容は詳しくは知らない)

その頃からメンタルおかしくなり、心療内科のお世話になりだす。適応障害という診断だったようだ。

どんどん仕事ができなくなり、というより本人の行動を見ていると「自分のしたいことしかしたくない」という感じで、

最終的には「Webライターになる」と言って、フリーランスになってしまった。

当時すでにGoogleアルゴリズムも厳しく変更されていたりしたご時世だったので

Webライターってどうよ」と周囲はうっすら思っていたが、案の定それだけでは稼げなかったようだ。

UberEatsやったり、コロナの緊急融資受けたりしていた。

そこからしばらくして、奥さんから三行半を突きつけられたそうだ。

理由としては「夫としての義務果たしていない」(一家が暮らせるだけの収入を得れていない)として、

泣く泣く離婚届にハンコを押したらしい。押さざるを得なかったんだろうね。

で、実家に戻ったら両親と折り合いが悪く、実家に入れないらしい。

「前にお父さんと仲良く旅行してたじゃんよ」と思ったんだけど、

なんか元々毒親気質みたいなところがあって、彼は若い頃相当に苦労したようだ。

本人は自分病識を、その若い頃の苦労(ある種のヤングケアラーと言っていた)によるものだと言っている。

結局実家にいられなくなり、家を飛び出した。

別にワンルームを借りるという話ではない。

カプセルホテルサウナ、たまにシティホテル転々としている。

元々アドレスホッパーみたいな生活にも憧れがあると言っていたが、

おそらくは住民票だけは実家なり元嫁の家に置くなりしているんだろうが、

自分の帰る家というものを用意せず、今のところ140日近く生活している。

寝る場所上記の通り。昼間はコワーキングスペースカフェ転々としている。

ライター仕事も細々続いているようで、時々ネタ集めと称して旅行している

(打ち合わせや取材だったらそういえばいいのだが、そうでないということは、売上の発生しない出張なんだろう)

増田金銭的に辛い時期も精神的に参った時期もあったが、

この知人のムーブだけは理解できない。

増田はよく知らないんだけど、カプセルホテルとかサウナって、泊まったら1泊3000円とか5000円とかするっしょ?

間とって4000円だとしても、30日泊まったら12万でしょ。アホかな? バカかな?

知人は結構ポイ活的なことにも精を出していてなんかうまくやりくりしてるのかどうかわからんけど、

そりゃもうどう考えてもワンルーム借りるより今の暮らしは確実コスト高でしょ。

3食外食日中作業場所をカフェコワーキングスペースとか使えば、日中コストも5000円ぐらい、平気で行くよね。

その割にこの知人、金ないくせに金遣いがあらい。

まだそこまで体壊すところまで行ってない頃、確かMacBook AirIntel最終版買ってたのよ。

当時はまだApple Siliconは噂レベルだったから、まあ最終版買っちゃったのはババ引いたようなもんかもしれないけど。

で、その後体持ち崩してキャッシュフロー悪くなったのに、1年半後ぐらいに、M2 MacBook Airに買い替えてやがる。

しかも、その時期とほぼ同時にApple Pen付きiPad Proも買ってる。

スタバとかでこの2台を広げて「今日作業場」とか言って、写真を撮ってアップしてやがる。

増田感覚では眩暈がするね。

たかだかWebライター仕事MaciPad2台もいる? どっちかでええやろ、どっちかで。

あー、あとTwitter無駄に青バッヂついてるわ。

とにかく「自分のしたいことしかできない」と言って、「自分の欲しいもの三行半突きつけられても買う」っていう神経が信じられない。

作業場カフェ選びもスタバとかスタバとかスタバとかで、無駄無駄無駄

どうしても外で作業したいならマクドナルド入るかコンビニのイートインにしろ

あと旅行な、旅行出張なのかどうか微妙なやつ。

特急に乗る時も、最高クラスの席とか乗るのよ。もうね、アホかな(2回目

微妙運賃だけ株主優待的な割引ちょこっと使って「ほら、賢くのってるでしょ」みたいな切符の組み合わせを写真に撮ってアップ。

お前な、そのシートの形でわかんだよ、どのクラスの席乗ってるか。

あと、本当に夜寝るところがなくなった時のためなんだろうか、テントオフグリッドバッテリーソーラーパネルも買ってた。

それとHafH? っていうホテルのサブスク? みたいなやつにも以前から入ってるらしい。

今は毎日外泊だから、HafHも利用しがいがあるんだろうけど、本当に元取れてるんだろうか?

まりたいところの場所ホテルでちょうどその日に空きがないと当然予約できないだろうし、

結局使いたいのに使えずじまいで1ヶ月サブスク費用払ってその分損、ってことにならんのかなあ?

増田からするとね、この人はこれまでの経歴や精神状態抜きにしてね、

究極的にビジネス感覚がない人なのね。

Webライター最初旅行が好きだから旅行ライターになりたい」とか言ってて。

実はこの人、自分ブログも持ってて、色々節約できる切符の買い方とか紹介してるんだけど、

まあ、泣かず飛ばずですよね(SimilarWebとかUbersuggestとかで、流入数はだいたいわかるよ)

自分のやりたいことしかやりたくない」だけど、お金稼ぐって、誰かの役に立って初めてお金がもらえるってみんな知ってるっしょ。

それがこの人、なんか抜け落ちてるのよね。

もちろん、節約できる切符の買い方は誰かの役に立つとは思うよ、でもね、それは検索ボリュームがあって初めて成り立つ話だし、

その記事広告貼って、クリック率やクリック単価はどうなのよ、って話よね。

まあまたそういう割引が効く切符ってのは、地域使用方法にも制限あるから、余計検索ボリュームが小さくなる。

旅行ライターで食っていきたいなら、たとえば最近テレビで引っ張りだこの鳥海さんとかね、

あいレベルじゃないとね。無理でしょ。

ライターって文章書ければ仕事ができると思われがちで、頭弱い奴がよく参入してるけどさ、

逆にいえば文章書く能力以外のところで差がつくんよ。取材力もだし、知識経験値もね。

40超えてライターに参入してるのに、その分野の積み上げがプロとして全くないって、全然太刀打ちできないでしょ。

しろ20代からずっと旅行ライターやってきた人に対して失礼っしょ。

あとはChatGPTにどんどん仕事奪われるんだから、それこそこれまでの経歴がものをいうのに。

あ、そうだあいつChat GPTも有料版使ってやがった!!!

まあ、増田もなんか色々言ってしまったけど、

しかしたら特急デラックスシート座るのは、取材の一環かもしれない。

iPad Proも、もしかしたらAppleから貸し出されたメディア向け試用機かもしれない。

そして、知人はしっかりライターとしてお金を稼いで、宿を転々としつつちゃん納税してるかもしれない。

でもな、もしちゃんと売上立ってて、払うもん払ってんなら、奥さん子供迎えに行ってよ。

それが順序ってもんでしょ。

子供なんか、自分の血を分けた分身みたいなもんでしょ。

なんでMaciPad買って、取り戻すの先にしちゃうの…

なお、増田は数年に及ぶ不妊治療の結果、子供を諦めたので、他人の子育てには厳しい視線を送ります

2023-06-04

anond:20230603200809

女性たちは旦那が分担しなくても十分子育てできる。

ダメ夫に三行半を叩きつけてシングル子ども育ててる女性だって多い。

母親という存在は本当に強い。

一人で育てられるのに、女性結婚に縛りつけて不必要なおまけ(夫)をつけようとする社会の側がアップデートできてない。

2023-03-21

没落した京大生の話を聞いてほしい


かつては大学生だった。今から20年前のことだ。地元公立高校必死勉強して、勉強して、勉強して、青春のすべてを犠牲にして京都大学法学部合格した。一浪だった。いわゆるイカ京みたいな京大生がたくさんいる中で、自分もその1人から脱出しようと頑張ってみたが、結局だめだった。

40歳が間近になった今では、没落というか、いや元々高い位置はいなかったのだが……今は、普通に非正規労働者をやっている。契約社員みたいな仕事に就くこともあるが、あまり続かない。1年くらいで辞めることが多い。結局、学歴って大したことはないんだよなぁ、と実社会で働くようになった今では感じる。

これから大学時代の話をさせてほしい。暗い話になる。みんなジメジメした話は嫌いだろう。だから、すぐに終わらすよ。頑張って五千字以内に収める。リアル一人称が僕なので、以降は僕でいくことにする。



入学式を終えて大学生になった僕は、どこかのマンガで見たようなサークル勧誘活動を眺めることになった。どういう風に勧誘があったか、さすがにまったく覚えていないが笑

でも、僕にはあまり声がかからなかった。ルックスはいまいちで、特にスポーツからは全く声がかからなかった。浪人生活がたたって不健康に見えたのだろうな。

文科系からは何度か勧誘された。漫画研究会とか、小説を書く倶楽部とか、山登りの会とかも見学に行ったっけ。結局、どこにも入らなかった。高校時代バリボーをやっていたが、大学部活はいわゆるガチめのところが多い。通用しないとわかっていた。

それで、大学1年生(※正しくは1回生)の時は、ごく普通に講義に出て、帰りに図書館に寄って、たまに帰り道にラーメン店を巡っていた。実家美山町の貧しい農家だったが、親が優しかったので仕送りをたくさんくれていた。月に8万ほど自由に使えるお金があった。

アルバイトを始めたのは、かなり後になってからだ。大学2年生の春だった気がする。退屈に負けて繁華街にあるマクドに応募したんだっけ。

そんな時だった。1年生の秋頃、学内であるチラシを見かけた。『みやこ音楽祭』なるものの開催案内だった。京都学生有志で集まる大学サークルで、くるりとかの有名バンドを呼んで京都音楽を発信しよう、みたいな団体だった。

チラシには第1回の文字はなかったけど、結局第8回まで行われることになった。僕の時は、西部講堂という古めかしい場所があるのだが、そこでライブをやっていた。

いろんな大学学生が集まる、しかライブイベントスタッフなんて、こんな体験は二度とできないと思った。小学校中学高校も、文化祭リーダーをやるタイプではなかった。下働きだった。

数年前のアニメだと、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』で、高校生だけでアメリカ風プロムをやろうみたいな場面があって、ゆきのんが実行委員長で、八幡が陰の立役者で、いろはす現場リーダーだったと思うんだが、僕はその現場下働きだった。

それで、みやこ音楽産業みたいな名前団体があって、そこに電話をかけて参加申し込みをした。もうほとんど覚えてないが、西部講堂付近カフェ面接があったのかな、その場で誓約書みたいなやつを書いてスタッフとして登録した。

若い人達がやってるんだろうなぁ、と思っていたら、みやこ音楽祭を立ち上げたのは20代半ばの人達だった。とっくに卒業年齢だったのだが、京大にはあえて留年をして大学看板を使っている人もいる。ハタチくらいの有志が集まって~みたいな団体ではなかった。

まあ、そうじゃないと、第1回目からくるり向井秀徳矢野顕子は呼べないはずだ。伝手があるのだろうなと察したのを覚えている。

もう想像できると思うけど、ここでも下働きだった。現場で机とか、椅子とかを運んだり、他大学へのチラシ配りとか、やはり音響機材を運んだりとか、ライブ中の警備とか、掃除とか、そういう下働きをしていた。

いろんな学生が集まるサークルなだけあって、多様性に富んでいた。僕は4年分すべて参加したけど、僕のような中核ではない臨時スタッフまで入れると軽く50名を超えていた。なんだかんだでマーケティング活動は抜群だった。もし、経営の才能がある大学生がここで活動したなら、きっといい経験になったと思う。

思えば僕は、アニメ漫画でいうところのモブキャラだった。その団体の中核メンバーほとんど京大生だったけど、中には同志社とか、立命館とか、京都産業とか、龍谷とか、いろんな人が揃っていた。

僕は京大生だったけど、4年間活動してもずっと臨時スタッフだった。そういうところには潜り込めなかった。かと思えば、才覚のある大学1年生(仏みたいな名前大学女子だった)が入ると、次の年からは中核メンバーとしてスカウトされていた。

そういう光景を目にして、つくづく自分が嫌になった。自分臨時スタッフなので、次の年も参加したいと思えば、またチラシを見つけて応募する必要があった。

それで、イベント初回の時は、その1ヶ月後には打ち上げ会があった。その会では、今の自分から見ても相当気持ちが悪い光景が繰り広げられていた。京大の近くにある居酒屋での開催で、和室座席を貸し切っていた。席の配置は自由だったけど、大体男女が別々に固まる。40人ほどだった。

ただし、主催者の方で誘導して、男女がある程度向かい合わせになるようにする。それで、京都大学学生のうち、女子と向かいになった人達が、飲み会が盛り上がっている半ばでこういうアピールを始める。※京都方言標準語に直している。

「俺、浪人して経済(学部)に行こうと思ってたけど、総合人間でもまあいっかと思って」

高校の頃の模試は全国で二番だった。医学科行きたかったけど、キツそうだからやめて看護(保健学科)にした」

「昔は全然勉強しなかった。奇跡が起こって合格した」

「お前らまだ若いからいいじゃん。俺こないだのTOEIC220点だったぞ。大学入ってから頭が悪くなっていく一方だよ」

(3/21追記コメントを受けて。以上は飲み屋での会話だから、卑屈な謙遜がかなり混ざっていると思う。会話自体は確かにこのとおりだ。

こんなノリで会話を始めて、自分の財布から京都大学学生証を取り出して、目の前の女子に見せびらかす。こんなことを彼らは四年間ずっと続けていた。見ていて情けなかったけど、かくいう自分も、隣の人に振られる格好で一度だけやったことがある。

目の前の女子からは、こんな反応が返ってきた。

「え、え、自分京大なん? リッツ(立命館大学)かと思ってた」

法学部なんですね!! すごーい」

「機材を運んでる時、気遣いがすごかったですね。警備中もずっとお客さんの方を見てた。ほかの人はサボってライブ見てたのに」

今思えば、女子は気を遣ってくれていた。こんなに恥ずかしいことを、当時は若かったとはいえ自尊心に負けてこんなアホみたいな、つまらない、人間として三級品にも等しい、救いようのない子どもじみたことをしていた。トイレの手洗器に張り付いたタンカスの方がまだ魅力的だった。

で、そんなことをしていると、向こうから中核メンバー乾杯にやってきた。すると僕の周りにいた京大生は、借りてきた猫みたいに大人しくなる。それで、女子は彼らの方を眩しい視線で見つめるのだ。目のキラキラ感が違う。

……でも、当時の僕は受け入れていた。これが正しい形なんだって思っていた。強い人間モテて、強い人間がいろいろ持っていくのは当然だと思っていた。僕だって京都大学合格した時は、中学校や高校先生や後輩から神扱いだったし、親族からもすごく褒められたし、母親は泣いていた。

でも、違うのだ。大学保証する個人能力というのは、実社会必要な力のせいぜい20〜30%だ。ほかの能力面がダメだと社会では通用しない。



結局、在学中に目立つことはできなかった。自信が持てるような体験はなかった。学業成績は中の中ほど、アルバイト先は今は亡きマクドナルド河原町三条店で、そこでは全スキルをほどほどに鍛えた。就職活動はコツコツとやって、結果は京都銀行内定した。しかし、自分という存在確信がもてないまま、あっという間に四年間が終わっていた。

銀行でのことは話したくない。嫌な思い出だし、気が付けばすごい文章量になっている。増田でこんなに書いたのは初めてだ。

掻い摘んで話すと、社会一年から地獄だった。地方支店からキャリアが始まったのだが、預金口座とか、金融商品営業がまったくできなかった。

営業としての適性がなかった。ぜんぜんだめだった。当時の成績はゼロに近かった。ほかの同期は、月にひとつ以上は契約を取ってくる。高卒で入った男の子女の子ですらそうだった。

同期に馬鹿にされて、上司には激詰めされて、居場所がなくなって、しかしクビにはならない。いっそクビにしてほしかった。京都山間部に住んでいる親には「うまくやってる」と嘘をついていた。

三年目のある冬に、メンタルが完全にダメになって仕事中に交通事故を起こした。運転中に手が震えて、ハンドル操作ができなくなった。それで免許停止になってしまって、人事との面談では……もう雇い続けることは難しい、次やったら本当にだめだ、みたいなことを言われた。クビにはならなかった。

まだ次があるのかと思った。上司からは、「お前は京大からな!! 地銀に入る京大なんか珍しいからな!! できる!! なんとかしてみろ」と何度も言われた。

結局、次の交通事故を起こす前に辞めた。退職手続きはあっさりだった。相応のレベル会社らしく、有給消化や退職その他の手続きは出社しなくても全部やってくれた。今でも感謝している。



それから坂道を転がるみたいだった。どの仕事でも2年以上続かなかった。期待していた仕事でも、やってみるとぜんぜんダメだった。先日は、市役所会計年度任用職員をクビになった。現業仕事をするポジション剪定、伐木、廃棄物処分)で募集があったので応募した。

書類選考が通って、市役所役職者が面接をしてくれた時に、「え……京大なんですか……?」と愕然としていた。自分以外に応募者が10人以上いたけど、現場仕事経験自分でも内定を取ることができた。

もうわかっていると思うが、結果は散々だった。口頭での指示を理解できず、とんちんかんな行動を繰り返して、何度も怒られて、1ヶ月も経つ頃には役職の人に呼ばれて三行半を付きつけられた。

すんません……こないな自分が言うのもなんですけど、事務職やったら……」

事務職はもうパートさんがおるさかいあんたには任せれへん」

すんません

「頑張っとるのはわかるけど、次の職場ではもっと~」

会計年度任用職員の試用期間は1ヶ月だった。こういうわけで、先日見事にクビを切られた。情けない限りだ。いや、もう僕はこういう状態に慣れてしまった。これでいいのかもしれない。

これからも、アルバイトで日銭を稼いで、スーパーで閉店近くに八割引きになっている惣菜を買って、コンビニストロング無糖ドライを買って、二級品の梅干しを入れて、ウィルキンソンで割って飲み続けるんだと思う。



最後に知っておいてほしい。学歴仕事の結果には関係がない。最近読んだ『科学的な適職』という本で、アメリカ研究学歴仕事の結果の相関係数が0.1とあった、との記述を見た。つまりほとんど関係ないのだ。マイナス相関でないところは皮肉に感じる。

そろそろ仕舞いにしよう。こんなおっさん愚痴を聞いてくれてありがとう。適度なところで死ぬようにする。いつも布団に入る時に思う、「目が覚めた時に死んでいればいいのに」って、本当にそう思う。

 ――ああ! 誰かがあの肉からあの魂を取除いてくれないかなあ!――「造物主」が何かのはずみで手違ひをしたとしか思へませんからね!

未來のイヴ ヴィリエ・ド・リラダン (著), 齋藤 磯雄 (翻訳) P.99

3/21追記 この本の引用が上の言葉の元です。こんなところまで自分言葉じゃなくて申し訳ありません。



もし若い人がこの日記を読んでいるのだとすれば、学歴仕事能力関係ないって、それだけでも心に刻み付けてほしい。そうすれば、僕のような人間を少しは減らせるかもしれない。

2023-02-19

母を毒親だと認めることにした

毒親」という言葉は前から認知していたし、何度も調べては確かに母には当てはまる箇所があることがわかっていた。しかし、そんなに簡単流行りの言葉に、そういった枠組みの中にひとを入れてしまってよいものかと長いこと悩み、考え抜いてきた。

別に劇的な出来事があった訳ではないが、時々しているノート思考やら落書きやらちょっとしたメモやらをかく作業趣味?こういうのをなんて呼ぶんだかわからないのだが、とにかくノート思考を書き殴っていたら段々母への暗いわだかまりの方向へエスカレートしていき、彼女の嫌なところを考えたくもないのに考えていたところ、元々あった知識あいまったところもあるだろうが、彼女への嫌悪感実態が、「一方的要求を押しつけてそれに応えない場合被害者ぶって罪悪感を植え付けてくること」だと確信し、確信した途端その性質は正に完全に毒親のそれではないかと笑ってしまった。

ずっと知識として知っていて、確かにそれに当てはまっているとわかっていたのに、何故なのだろうか、自分思考筋道を立てることでようやく、認めざるを得なくなった。

私は5年前から実家から離れて一人暮らしをしており、年一回ほどしか実家には行かず、向こうから度々ラインで連絡を催促されるがほとんど無視している状態なのだが、母との関係についてこのまま逃げ続けてはいけないのではないか、はっきりと三行半をつきつけるか、あるいは決して彼女と仲良くやっていきたいとは思わないが何か関係を断つ以外の道があるのではないかと思って悩んできた。

別に関係を断つ決心がついたわけでもそれ以外の何かが思いついた訳でもないが、彼女毒親だと認めることでようやく一区切りがついた感じがしたのでうれしかった。

2022-10-31

満員電車での対群衆ノウハウを忘れた鉄道会社

韓国群衆事故を見て「日本満員電車事故が起きないのって凄いんだな」という意見が見られるが、実は「満員電車プロであるはずの電鉄会社も甘い見立てでとんでもない失敗をした事があるんだな。

小田急にドアがデカい変な電車がいるが、あれの話である

自分は鉄オタじゃないからそんなマニアックな話じゃないので安心してくれ。

因みに2014年相模大野駅脱線事故が起きて小田急全線不通になったが、その脱線した電車というのはこれだったんだな。

 

あの電車は混雑解消と遅延防止の為に作られたが、そのせいで小田急線は大混雑と遅延続出とケガ人の走る地獄エクスプレスと化したのだった…。

 

構造的欠陥と転倒事故の続出

以前Wikipedia確認したところ、これは停車駅が多い各駅停車用に作られたと書かれていたが(今は削除)、これは間違いで、混雑が酷い急行に使われていた。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E6%80%A51000%E5%BD%A2%E9%9B%BB%E8%BB%8A

ところが混雑と大遅延を惹き起こし乗客に大顰蹙を買って混雑なんて殆どない各駅停車専用に左遷されたのだな。

 

座席を縮小させてドアを広くすれば立客のスペースが増えるから余裕が生まれるじゃん、ドアが広いから乗降も早く終わるじゃん、というのがデカドアのコンセプトだ。

ところが、バカ工業デザイナーはそのドア前の広大な空間につり革も手すりも付けなかったのだ。しかもドアの上もドア自体もまっ平らなデザインにした。

から普通電車の2倍以上、面積と収容されている人数的には4倍以上の広大な空間に、手すりにもつり革にもつかまっていない乗客が詰め込まれることになった。

ラッシュ時に電車が揺れると手すりのない客の揺動というのは手すりにつかまっている客がブロックしている。

でも広大な空間に誰もどこにもつかまっていないのだから、客はずっとつま先で全力で踏ん張り、揺れでよたよたし続ける事になった。強烈な苦痛だ。

 

当然こういう状態から雪崩が頻繁に発生する。普通電車なら一瞬ドドッと動く程度が、この電車場合は人が大勢倒れるまで行ってしまう。

そういうわけで、この電車終点新宿に着いた後というのは悲惨で、千切れた腕時計腕時計金属バンドコマメガネ(踏まれてぐちゃぐちゃ)、千切れたボタンカフスパンプスハイヒールヒール、血痕などが散乱するという状態になっていた。暴動でもあったんですか?

座っていても安心できない。乗客雪崩ロングシートの方に逸れて人が降ってくる事があるからだ。メガネをしていたらイチコロである金属フレームであったら眼窩を大きく切って出血する事を免れない。

吹っ飛んだメガネも拾うのは無理で、向こう側のドア間で苦闘する乗客蹂躙されてグチャグチャになるのを座視するしかない。

雪崩に押し出された小学生座席下のヒーター付近に押し込まれ、降車駅まで男性客の股間に立っていた。

自分場合ペンチでしか開かない鍵束の鉄リングが伸びて6の字になっていた事がある。転倒した誰かの時計バンドが入って引っ張ってしまったのだろう。

また言語学習で支給された頑丈なバインダーが二つに折れ&押されてぐちゃぐちゃになり買い直した。更に誰のだか知らぬ血がカバンや服についていた事もあった。

 

90年代前半は混雑が今より酷く、他の路線でもボタン時計が落ちているという事はままあった。しかしこの電車は頻度が異常というか終点で人が捌けると必ずという頻度であった。

また、ドア前の空間につり革を付けないのというのは当時は当たり前で、他の電車も同じだった。だがこの電車構造特殊なんだから同じように付けないと雪崩が続出するのは当たり前だ。何故こんな事をデザイナーは考えなかったのか?

 

遅延防止のつもりが大遅延続出

混雑時に大きな駅に電車が到着すると、下りる客の邪魔になるのでドアの前の客は一旦ホームに降りなきゃいけない。この下りる人数というのは普通電車なら2~4人程度だ。

だがデカドア電車ではこれが6~10人程度になってしまう。するとこれが邪魔になって降車がなかなか進まない。

更に、小田急には下北沢登戸という、乗降客が多くてホームが狭い駅があった。(現在は建て替えで両方とも解消)

下北では狭いホーム井の頭線の橋脚がそびえるという無茶な構造登戸南武線乗り換え駅なのに駅が鉄橋の上にあるという造りでホームが狭い。客が多いので階段を大きくせざるをえず階段ケース横のホームがとても狭い。

ここで「一旦降り」客が多いと橋脚の向こうや階段ケースの裏側から階段にくる客の流れが詰まってしまっていつまでも降車が終わらないという事になった。

そして電車が出て行った後にも乗客の移動が続き、そこに次の電車が入ってくるので大変危険である

 

更に乗車忌避問題が発生した。

デカドア電車では頻繁に乗客雪崩が発生して、転倒に至る事も多い。それ以外の時間ではずっと何にもつまれずに乗客の大きな揺動に耐えて踏ん張る事になるので非常に苦痛だ。

特にヒールパンプス女性苦痛は余りある。更にヒールのある靴では転倒したりヒールがもげるリスクが大きくなる。ヒールがもげたら百貨店の靴修理店が開く時間まで待たねばならないから出勤できるかという問題にもなる。

その為にデカドア電車が来ても乗車を見送る客が続出したのだ。

この客らは降車客の移動の邪魔にもなるし、次の急行にまとめて乗るので次の急行が大混雑になる。混雑が酷いと乗降に時間が掛かるので遅れてしまう。遅れるとホームにその分乗客が溜まるので更に混雑→遅延というフィードバックが加速されてしまう。

 

こういう感じで、デカドア電車を先頭に遅延が常態化してしまった。「次の電車は5分遅れです」とアナウンスがあると果たしてデカドア電車で、その電車に乗って数十分デカドアサーフィンエクササイズ(転倒出血付き)するか、その後の急行で大混雑&遅刻するかを選択せねばならない。

たこの為に途中駅では入場制限もしばしばしかれるようになった。

 

You are fired

こうして多くの乗客、駅員に怨嗟絶望遅刻を、ミスターミニッツには靴底修理の商売繁盛を齎したカサンドラエクスプレスことデカドア電車だが、終わりは突然にやってきた。

ある日を境に急行デカドア電車が来なくなったのだ。戦力外通知、三行半である。彼は各駅停車専属に転属となっていた。小田急では各駅停車全然混まないので、使えねー奴でも何でもいいのだ。新規投入から半年も経っていない。

 

小田急では大混雑する急行対策が全てであって、そんな路線各停しか使えない縛りの資材を抱え込んでしまった同社の悩みは幾ばくかとも思うが、見立てが甘かったのだから仕方がない。怪我したりメガネや服や時計破壊された人の身にもなってみろと言いたい。

混雑対策にはノウハウの蓄積とその参照が必要なのに銀の弾丸求めてコンセプト優先で足元をおろそかにした工業デザイナーのせいである。3日占領目指して引っ込みつかなくなった頭プーチンかよ。

 

その後この思い付きだけで出来た愚劣な電車はずっと各停だけで使われていたのだが、今どうなってるのかというと、つり革を付けてドアがあまり開かない改造をされて走っているようなのだ阿呆である。完全に最初からコンセプトが破綻していたってこった。最初からやるな。

 

デザイナーリサーチ不足のせいで多くのケガ人と憤怒と遅刻ふくらはぎの筋力とミスターミニッツインカム各停しか使えない不良資産を産んだのがこのデカドア騒動だった。

だが我々の社会はまた過去ノウハウの蓄積を軽視するようになっているように思える。失敗データベースなどにこの失敗は収録されて参照されるようにもなっていない。

ゆえにまたいつ次のデカドア電車が現れるやも知れぬ。

そういう時我々は声を大にしてこう言うべきである

「おめぇヒールはいてこれに乗ってみろ」

2021-12-31

問題職員の正しい辞めさせ方 10/10

以上が、K市の特定任期付き職員としてのキャリア棚卸しになる。

退職の背景などを述べて結びとする。

K市を辞めることになった原因は、私をスカウトしてくれた人が市長ではなくなったからだ。政争に負けたのだ。新しく来た市長は、前市長の行っていた改革的内容のうち、いくつかを元に戻す選択をした。

特に、私達がそうだ。『私達』というのは、国や民間企業NPOなどからK市に採用された特定任期付き職員だ。当年度の終わりでの任期満了が言い渡された。

私達はまだいい。転職先を探せるだけの時間があるのだから副市長などは、新市長の就任から1週間でお役御免を宣告され、二か月後には議会で辞職が承認された。政治任用の悲しいところだ。

いまだに納得がいかない。私達は全員、結果を出していたからだ。地域産業活性化担当した人も、福祉事業効率化を担当した人も、庁内インフラ設備刷新(今でいうDX)を担当した人も、そして私も、全員が数字証明できるだけの結果を出していた。

にもかかわらず、「あなた任期は今年度限りです」と三行半を告げられた。それが許せなかった。

私は、以下の成果を確かに達成している。

・手がつけられないレベル問題職員への退職勧奨。主にB子さんの時に登場した人事課長二人三脚で行った。成果として、計13名の問題職員(全く仕事をしない職員犯罪を犯した職員、度を過ぎたハラスメントを行った職員)に始末をつけた。一人頭での人件費職員雇用にかかる全ての費用年収ではない)が最低でも年800万以上はかかっていたので、13名で約1.2億円のキャッシュフローを削減できたことになる。

面接試験構造化及び検証手法確立。これまでは、面接時に予め決まった質問受験者に行ったうえで、面接官と受験者がフリートークを行い、最終的に点数を決めていた。この慣習を原則廃止した(少しは残した)うえで、統計学の知見に基づき、面接評価採用査定を追尾検証できるシステムを構築した。コンサルは入れていない。庁内でプロジェクトチームを立ち上げ、皆で作った成果物だ。

新規採用職員の試用期間内分限免職基準化。当時のK市では、新人職員20名入ってきたとして、1~2名がどうしようもなく向いていない人間だったとしても本採用していた。その結果、問題職員無能職員跋扈放置される原因となっていた。私が2年目の折、試用期間内での分限免職基準明確化した。その職員所属する課に明白な責任が見られず、かつ当職員との面談において度し難いほどの悪い結果が得られた場合分限免職ができる旨を要綱で固めた。以後、数年分の結果として、新規採用職員の約1割が本採用に至らずK市を去っている。これについても、問題職員を40年間も世話するだけの人件費(K市の場合は約3億円/人)を節減できたことになる。

さて、便宜上は『問題職員』と表してきたが、一度として私は、能力が低いことだけを理由当人分限免職を決めたことはない。例えば、臓器に異常があって年に5分の1は休まなければならない新人職員がいたが、退職勧奨は行っていない。

能力の高低は関係ない。人格的に救いようがないほどの諸傾向が見られた場合に限って当人を辞めさせる行動に出る。そういう者は、他の職員特に市民企業のために頑張っている職員に悪い影響を与えるからだ。

恨みつらみを書きはしたが、新しい市長の行いは正しい。頭ではわかっている。特に、私などは前市長スカウト政治任用)により採用されたわけだからトップが交代すれば成果に関わりなく切られる。それが普通だ。

K市で〇年以上も暮らしたのだから、当然哀愁は募る。最初の頃は、都心から外れたところにあるK市を心の底で憐れむような、蔑むような、自分とは関係ない存在だと思い込むような――そんな感情があった。

庁舎の3階から中心市街地を眺めている時、家屋工場の間にポツポツと居並ぶ田園を眺めていて、これまで東京都内コンクリートジャングルにいた頃が懐かしくなった。

つの間にか、この町が好きになっていた。高い品質地元名産品はあるし、創造的な力のある子どもを何人も見ることができた。山の上にあるワンルームマンションから見える大きな河川に囲まれたK市の街並みは、今でも記憶に残っている。

さて、さんざんと人事関係効率化を進めてはきたものの、後悔も当然ある。最後の年には、「私がやってきたのは正しいことなのか?」と考えるようになっていた。

私が採用されたのは、「優れた職員を残し、不要人間は残さない」というミッションを果たすためだった。民間企業においては標準的な考えだ。しかし、官公庁はそれでいいのだろうか。人格に難のある人や、能力が低い人や、病気などで働く事ができなくなった人を追い出していった場合民間企業官公庁の真似をするのではないか? つまり、要らないと判断した人間組織から追い出すようになる。

その『要らない』が、本当に正しいのか分からいから厄介だ。仮に正しかったとしても、日本社会全体で考えた場合に最適である保証はない。とある組織不要人間を切りまくるという行為は、部分最適ではあっても全体最適ではないのでは?

と、ここで副市長言葉を思い出した。

『よくない人間を辞めさせることに利があるのはわかる。しかし、行政世界はそういうものではない。不合理に見えても、ここの大事ルールだ。みんなにダメだと思われている奴でも辞めさせるな。それが本当にダメな奴、組織にとっての癌だと、人間の目でいったいどうしてわかるというんだ?』

副市長がある時に言っていた。「同僚を馬鹿にする奴は市民馬鹿にする」と。成績不良の職員のクビが簡単に切られる世界では、きっと能力の低い人間バカにされているのだろう。すると、市役所最後の助けを求めに来ている、社会的に恵まれていない人間バカにするようになるのではないか? 私はそう考えた。

人材とか、人財とか、人罪などという経済的問題ではなくて、理念なのだ官公庁はすべての国民のためにあるのだから、様々な社会属性を持った人を、ネガティブ特性を持った人まで含めて、多様性意識した雇用を行っていくべきではないか。そう感じるようになっていた。

例えば、上で述べた受験者のポジティブチェック・ネガティブチェックのリストは最たるものだ。採用される職員多様性担保するという観点からは、あれは悪手だ。これから採用しようとする人間は有能か? という視点しか見ていない。一公僕の恣意的判断で、ある特定社会属性を有した人間排除している。

もっと早くに気が付いたとしても、私の力では変えられなかった。市長採用ミッションとは反対の方向に舵を切るのだから――今になって思う。A夫さんの事件の時に副市長が言ったことは正しかったのだ。

私は間違っていた。最後最後で気が付いてしまった。馬鹿だった。愚かだった。今さら気が付いても遅い。

結論公務員業界における身分保障という考えは正しい。法律上免職処分にできる場合であっても、多様性の保持の観点から可能な限り回避すべきである



Gさんを覚えているだろうか。

市民課で働いていた女性だ。K市にいた間、毎週休日出勤をする中でほぼ必ず見かけていた人だ。どうしても、このGさんが気になっていた。彼女残業時間は月にアベレージ70超えだった。ゴルフスコアではない。サービス残業まで含めた残業時間だ。

難しい仕事はGさんに集中していた。ストレスチェックは毎年悪い結果で、そんな状況にあっても市民への思いやりを忘れないでいる。人材会社転職支援をしていた人間からみると、民間でも通用するタイプ公務員だった。私は、Gさんが自らの意思地獄から抜け出すきっかけを与えようと思った。

私が退職する5か月前、隣の市町にある社会福祉団体に声をかけた。ずっと前に、私が当団体職員リクルートしたことがあった。

「K市にこういう経歴の人がいるのですが、本人に希望があれば面接はできますか」

との問いかけに、社会福祉団体事務長は乗り気だった。果たしてGさんは話に乗ってくれるだろうか、と不安になりつつも、ある土曜日の昼だった――うす暗い市民課の机の上でパソコンモニターと向き合っていたGさんに声をかけた。

Gさんとは、あれからいろいろあって仲良くなっていた。Gさんは朗らかな笑顔で、「〇〇くん。おつかれさま。なにかあったの?」と返してくれた。件の話に入る前に、今の状況を簡単に聞き取ってから、私が年度末で辞めることと、社会福祉団体のことを伝えて、採用案内のしおりと事務長の電話番号を手渡した。

「この辛い環境あなたは十分頑張ったよ。お疲れ様でした。転職しようがすまいが、応援しているからね」

それだけ伝えて私は、残りの仕事を片付けるために人事課のある3階に向かった。



「あ~、疲れた!」

今これを書いている私は、都内にあるマンションの一室にいて、革製の書斎椅子背中をもたれている。

当初は2万字くらいかと思ったが、ここまでになるとは思わなかった。だが、これでいい。この内容をベースにして職務経歴書を作ろう。

一応言っておくが、もし貴方が現役もしくは退職済の公務員だった場合職場問題点などをブログ暴露したいという欲求に駆られることがあるかもしれない。

やめておいた方がいい。その欲求は、なにか別の方法で発散するか、貴方の中で雲散霧消するのを待った方がいい。守秘義務違反からだ。行政機関がその気になれば、運がよくて処分、運が悪ければ起訴に至る。

私の場合は、『武器』があるからこういうことができる。もし、この日記をK市の幹部が見て問題視し、「覚悟しろよ」とばかり私を攻撃する手筈を整えても、断念する可能性が極めて高い。

私は、K市の重大な法令違反情報を握っている。それも3件。証拠付きだ。うち2件は管理職の何人かが処分を受ければ済むが、うち1件が明るみに出た場合、今の市長退職せねばならない。前市長や、前々市長をも巻き込むことになる。そんな危険な賭けをすべきではない。だから、こうして日記を書くことができる。

日記の中に答えの一部が出ている。序盤の方だ。個人情報

さて。今はフリーランス個人で請ける仕事面白いのだが収入が少ない。何百万かもらった退職金もそろそろ底をつく。また、会社員に戻ってみたい。この年齢で就職できるかはわからないが、挑戦してみよう。

K市で働いていた日々に想いを募らせていた私は、仕事の疲れを癒そうと思い、デリヘルを呼ぶことにした。

私のスマホは旧型のiphoneだ。通信が遅いので、いつもパソコンを使う。今時はインターネットで嬢を予約できる。便利な世の中だ。

コーヒーを伴にしながらモニター越しに嬢を選んでいる。せっかくの秋晴れの日だ。作品も完成したし、就職への挑戦の第一日目という意味を込めて、まったく知らない子を指名してみよう。

私の瞳は、画面中央にいるアスミちゃんに夢中だった。物憂げな瞳、身長は高すぎず低すぎず、顔の形は綺麗だ。ふっくらとした卵型で、唇の形が美しい。肩から下は見えないが、そこはまあ、チャレンジだ。突撃してみよう――空いている予約枠をクリックした。

アスミは、想像どおりの子だった。

背丈は160に少し届かないくらい。写真どおり物憂げな瞳で、胸は普通くらい。太ももはそれなりにある。

ぼうっと立っている姿は今にも消えてしまいそうだが、私の瞳を釘付けにするだけの強さでもってマンションの一室の前に佇んでいる。

さっそく部屋に招き入れて、プレイを始める。今日は奮発して1時間コースだ。お店のメニュー表にある一通りのことをやってもらうことにする。自分で言うのもなんだが、この年になっても30代並みの持続力を持っているとの自負がある。

さて、肝心のプレイだったが、これがまた最高だった! 私はこのデリ店舗メニューをソラで暗記している。計11種類のプレイを、休むことなく30分以上続けてもらった。私のモノは張り裂けそうになっている。

同時に、アスミに対して敬意を抱くようになっていた。普通であれば、「顎が痛い」と訴えるのだ。それで、大抵の嬢は後ろに下がって、私に敵意を向けながら、無料での延長を要求されない程度に休憩をする。

しかし、アスミは一心不乱に注文に応え続けている。「いや、これ絶対痛いやろ」という角度になっても、ひたむきな眼差しで私の肉体を愛撫してくれる。これでまだ半年未満のキャリアだという。驚きだ。

……心の中でひたすらに、どこかの鬼狩りのように、「うまいうまいうまい!」と唱え続けていた。やがて、私の柱は張り裂けてしまったが、立ち上がるまでに時間はかからなかった。私は、連続さんになっていた。連続さんは負けてない! また何度でも立ち上がるのだ。

私は今、聖なる空間にいる。

いつも夜がくると、この家に戻る。そして、書斎に入る。都会の喧騒やら何やらで汚れた毎日用の服を脱ぎ捨てて、仕事をするための部屋着を身に付ける。

物事に取り組むことに対する礼節をわきまえた格好に身を整えてから、いつもパソコンに向かっている。直近で書いていたのは、この日記だ。

私の心は当然、K市に存在している。私の心は、あの懐かしい人々のいる、あの懐かしい庁舎へと参上している。そこでは、同僚から親切に迎えられ、あの仕事、私だけのための、そのために私は生を受けた、仕事という食物を食すのだ。

そこでの私は、答えが出やすいことも、出にくいことも彼らと話して物事を決める。自分の考えを伝え、彼らの考えの理由を尋ねる。彼らも私を信頼していて、人間らしさをあらわにして応えてくれる。

いま私は、記憶世界に全身全霊で移り棲んでいる。時間というものの退屈さを感じない。すべての苦悩はなくて、失敗も恐れなくなり、筆を進めるだけになる。

記憶世界が終わると、どっと疲れが出る。それを癒すための神聖存在を呼ぶと、私の心は晴れやかになる。今、私の目の前には、一流の才覚をもった天使がいる。

残り時間も少なくなったところで、私は何度か指名したお気に入りの子にするような綻んだ笑顔で問いかける。

「アスミさんはすごいな」

「なにがですか?」

物事に対して本気になる力がすごい。尊敬する」

「そんなことないです」

「そんなことあるって!」

「ないです」

私の物は猛々しくいきり立ち、有頂天に達しつつあった。

初めて指名するのにどうかなという想いを押さえつつ、ここは堂々とお願いしてみる。

「アスミさんは、お店じゃなくて個人メニューはあるの? 意味、わかるかな」

「ないですけど、できます。やってみたいです」

いくら?」

「……」

アスミは俯いた。考えている様子だ。残り時間は、あと10ちょっと

颯爽と、キリのいい数字提案してみる。すると、アスミは「本当にいいんですか?」と、眼を真下にあるベッドシーツに向けて答えた。

そして、私がアスミを知り終えると、残り時間ゼロになった。思う存分にプレイをさせてもらった私は、最後にアスミを抱きしめた後、問いを投げる。

「アスミさんは、この仕事に向いているね」

ありがとうございます。また呼んでください」

「こんなことを聞いて申し訳ないけど、この仕事が嫌になることはない? ひどい触り方をしてくる奴とかいるだろう」

「いますけど、いいんです。その人もなにか辛そうにしてるから。痛いのは痛いですけど、その人が辛くなくなるんだったら、それでいいです」

「えらいね

「えらくないです。だってこんなの」

「立派な仕事だよ。アスミさんは、風俗がどんな仕事かわかってる?」

「わからないです。わたし、どんな仕事をしてると思います?」

福祉だ。風俗仕事はね、社会福祉なんだ」

「そうなんですか!?」

ベッドの上でアスミは、大きく瞳を見開いて身を乗り出した。

ちょっとからかってみようと思った。

「さて。社会福祉活動実践とかけまして、風俗店のサービスと解きます

「……その心は?」

「どちらも、人を立(勃)たせるための道です」

ベッドの縁に座っていたアスミがクスッと笑った。右手の親指を頬に置いている。

しばらく考えたと思われる。口を開いた。

「使命(指名)がたくさんあると大変ですね……でも、心身(ちんちん)ともにしあわせになってほしいです!」

いい子だった。また会ってみたい。


P.S

この日記第一稿ができた後に、元副市長と飲みに行った。以下、情報交換の内容。

・元副市長は、市内の機械部品メーカー取締役に納まったという。人望があると引く手あまただ。

・人事課長は私と同時期に定年退職した。すでに故人である。最終役職管理監(≒部長)だった。思いやりがあって誠実な人間だったのに。惜しい人を亡くした。

・C郎さんは職場復帰した。が、専門職としての任は解かれたらしい。定年までの長い時間は厳しいものになるだろう。組織に逆らうというのはそういうことだ。

・E太さんは県の本庁への出向を打診されたが断ったという。どこまでも彼らしい。こんな働き方ができるのも地方公務員ならではだ。

・私はこの日記推敲中に内定を取った。今度は福祉団体を人事方面からサポートする。

2023/1/2 A夫さんとB美さんを追記

・A夫さんはK市を退職後、ホームセンターで働いていた。当時、人事課の必要物の買い出しに行った際、彼を見かけることがあった。ごく普通接客商品運搬をしている様子だった。A夫さんの見た目や行動は普通だ。一般的な50代社会人のように思える。だが、彼は万引きに手を染めてしまった。何かストレスがあったのか、それとも本来気質なのか。人間は、よく見ないとわからない。

・B子さんは、あれから雌伏の時を経て、ほかの自治体採用されたようだ。ある時、人事課長が部内の回覧物を持って見せてきた。自治体関係新聞かチラシだったと思うが、その中にB子さんが政令指定都市で働いていることがわかる情報があった。人事課長は嬉しそうというか、安堵した表情だったのを覚えている。

2021-12-03

anond:20211203183417

新潟問題議員一覧

新潟県知事という立場パパ活相手女子大生にのめり込むも美人局で辞任。その後有名ワイドショータレント結婚するも主な仕事Twitter。(立憲)

・最年少当選議員というだけで注目されようとするもパワハラというか傷害新潟県連より三行半を突き付けられ自民党から離党。なお辞職はしなかった。(自民無所属

北朝鮮関係の強い市民の党献金をしていた事が発覚。涙目でわけのわからん言い訳世間を煙に巻き逃げ切り成功。(立憲)

・「50歳の自分14歳の子同意した性交逮捕されるのはおかしい」とどうやっても誤解しかされない発言をした旦那を庇う為に大騒ぎ。(立憲)

・熱心な小沢一郎ヲタ。色々やらかしが多すぎてその活躍を要約する事も不可能。なんで当選するのか、なんで大物議員ヅラ出来るのか謎過ぎ。新潟選出の謎っぷりを代表する議員。(立憲)

議員である旦那無差別チンコの持ち主で辞職。離婚はせず本人は議員を続けるもなぜか地元の後援者に嫌われて落選。その後タレントへ転身。新潟の闇深さに翻弄された人。(自民

・国交副大臣という立場で、安倍麻生AAコンビ忖度して利益誘導したという発言で辞任。バカ。(自民

他にもいるかもしれんが疲れた

2021-10-12

今、転売を極めてるのは「半導体商社

何なんだあいつら。

"特別手配料"とかわけのわからない名目でとんでもない追加料金のせてくる。

万とか千万とかじゃないよ、億単位を平気でふっかけてくる。

やってることは、一旦別のところに売ったものを買い戻して、それに"特別手配料"とやらを上乗せして売ってるだけ。

値段に少しでも文句言おうものなら最後、「おたくにはもう売ってあげない」と三行半を突き付けられる。

"アタマ下げてアホみたいな転売価格で買わせていただく"ことをしなければ、こちとらロクな生産活動もできない。

マジ、こんな状態、いつまで続くん?

2021-09-08

anond:20210908173331

「理路整然と政道で勝負したことある議員って枝野に限らず今立憲にいたっけ?

唯一まともだった長島昭久三行半突きつけられた以降は政治から逃げてばかりじゃん

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