はてなキーワード: 諸般の事情とは
いつも思うんだけど
「ガラケーしかなかった社会にスマートフォン」みたいな完全イノベーティブは別として
川上がいなくてまっとうにニーズに沿って進歩するニコニコ動画。
自民党のよりちょっとだけリベラルにした経済政策の立憲民主党。
こういうのでいいんだよ。
twitterにしても、エッチなのも含めて未成年キャラも含めて好きな絵を描いて投下できて交流したい。それだけ。
現在流行ってるサービスっていうのは概ね最適解に近いところにはいるんだよ。
でもニーズからズレてる場合があって、でかくなって古くなるにしたがって諸般の事情で修正できずにいて、
そこを一歩か半歩最適解により近付いた所でサービスを打つ。
もちろん移住コストっていうのはあるから「1歩半歩のために移住してくれるか?」は難しいけど、
そこで何十歩も動いた所にサービス打つとそれは誰も求めてないから。
立民の経済政策も「最低賃金2000円以上」とかいう支持者の声は聞かなくていいから。それアホだから。
「まず1年かけて全国で1割増やして様子を見ます」とかで十分有権者はグッとくるし、副作用も少ないから。
既存のメジャーより半歩一歩最適解に近付いて類似サービスで競合して欲しい。
何事においても。
もう今年も終わりますね。今は心が平和過ぎて今年も何も変わらない一年だったと言ってしまいそうになるけれども、今年は新卒で入社した会社を退職した年だった。
今はもう穏やかな心持ちだから、元来のほほんとしているはずのワイがつい一年前は何種類かお薬を飲んでいたなんて嘘のよう。
仕事がきつくて、転勤して友だちもいなくて辛くて、酒に溺れて病んで転落してしまった人なんて無数にいると思うけども、そういう人は多いかも知らんが声にならない叫びを聞いておくれ。
途中で一人称も変わってるし、長文乱文だけど、ひとりでも多くの人に読んでもらえると嬉しい。
ワイは4大を5年かけて卒業した後、訪問販売の会社に入社した。諸般の事情でかねてより内定が決まっていた企業には入社できず、かといって地元に帰ることも絶対に嫌だったのであまり選ぶ余地もなく、「社員が一番生き生きとしている」という今思えば一番危険な理由で入社先を選んでしまった。ここでひとつ言っておきたいけど、どんなに採用担当が生き生きキラキラしていても新卒で訪問販売は選ぶな。絶対。
入社して1,2年はまぁ何とかやり過ごした。反抗期がなかったいい子ちゃんにありがちなのだが、やれと言われたことに対しては疑問を大して持たずにやってしまう。ゆとり世代、割と従順な子多いよ。でもこの辺りで気付いたほうが良かった。
だってさ、入社して2か月で教育担当の上司が5回変わったのは、、まぁいいとして。その夏に全く契約件数が上がらなかったワイは、支店長に全体ミーティングの場で詰められたばかりか、顔面30センチまで「なんでとれねえんだよ…」と接近されたあげくにゴミ箱を目の前で叩きつけられたんだよ?ゴミ箱真っ二つだよ?普通にパワハラだよね?なんで辞めなかったんだろな。
今思えば、染まりやすい性格なんだろうな。入社して3か月ぐらいで正常な思考力は奪われてたんだと思う。それを証拠に、秋の葛藤を過ぎて冬からは爆売れし始めた。2倍3倍じゃきかないぐらい。当然、ほぼ最下位だった売上げもごぼう抜き。毎年暮れに開催されていた営業コンテストでも突如ランクに躍り出た。たぶんこのときにお客さんの気持ちを顧みないサイコパスになっちゃったんだろうね。
訪問販売って何で売れるか教えてあげるよ。めちゃくちゃ法律違反するのよ。正直に法律守ってたらどんなトップセールスでもめちゃくちゃ割に合わない仕事になると思う。とりあえずね、のっけから法律違反なの。有名なのはあれね。N〇Kで~すってやつ。あれアウト。名乗らなくちゃダメなのよ。あと訪問目的を告げること。
まぁそんなことしたら話聞いてくれる人を探さないとダメだからクソ効率悪いよね。だから目的を告げずにテレビありますよね?とかって言う訳。yes取りね。この先の営業トークは割愛するけど、まぁこんな感じでガンガン法律違反していくのよ。で、不審に思うよね普通は。提携先の企業のコンプラ研修でダメだって言ってんだからね。
それに対する上司の言い分は「訴えられなかったらいいんだよ」でした。
は?いやいやいやいや。ジャ〇アンかよ。法律でダメだっつってんだよ。
でもこの頃は確かにそうだよねぇとか思ってたんだよねえ。年収も3年目で500万近くあったし。
と筆がノッてきたところで、突如暗黒が訪れる。
4年目に異動。初めての異動。気心の知れた同期との別れ。支店立て直しの任命の重圧。
ここで僕は壊れてしまう。後輩の育成に全精力を注いだ僕は、自分の販売をおろそかにしてしまう。当然、売れなくなった僕の給料は徹底的に下がり手取りは半分になった。それでも直前までの年収を考えれば、平均よりは貰っているというか、まぁなんとか生活はできたはずだった。
しかし習慣とは恐ろしいもので、学生のころから貯金が全くできなかった僕は相変わらず全く貯金をしてなった。減る収入、増える飲酒量。そして溜まる請求書。仕事に生きがいを見いだせなくなった僕は夜の街に逃げ込むこととなる。ジ・エンドだ。
ほどなくして内科でお薬を貰うようになった僕はもう無理ですと辞意を申し出たが、助けてやるとか新規事業がとか意味の分からないことを言い含められ本社に帰還することとなる。重圧から逃れた僕は段々と正気を取り戻すんだけど、夢を醒まさせたのは昔の上司だった。もともと好かれてはいなかったが、売れなくなって愛がなくなったのだろう。顔を合わすたびに壊れたなお前はと呪いの言葉を浴びせられ続けた。あいつは頑張ってない。そんな報告を上長に上げ続けられた。そして僕も愛が尽き目が覚める。なんだ、この程度のやつかよ。
そしてこの夏に退職した。ちなみに退職金は出なかった。雇用契約上は支給されることとなっていたが、どうやら退職金制度は存在していない模様。最後まで嘘付きかよ。
風の噂で聞いたが果敢にも残業代の未払いを訴えた先輩がいたらしく、係争中のようだ。そのせいかどうかは知らないが再来月あたりに社名変更をするらしい。あほくさ。
ここまで読んでくれた人。ありがとう。これで僕と前職の関係は切れました。本当に感謝します。
新卒を採用して3年以内に7割ぐらい使い捨てにする前職の犠牲者はまだまだ出てしまうけど、そこはSNSやブログの力を借りながら発信していきたいなと思う。
ファインバブルという小さい泡を発生させる機能の付いた、美容業界で話題のシャワーヘッドらしい。
そんなもん何の役に立つのかと思っていたが諸般の事情により購入することになり、使ってみるとこれがかなり良かった。小さい泡で頭皮の汚れとかが落ちるらしい。
具体的には髪の毛がすごいつやつやして、寝癖もなくなった(これは髪を触ると明らかに違いを感じる)。
あと血流もよくなるらしくて、風呂上がりに身体がより温まっている感じがする(これは測ったわけではないので気のせいかもしれない)。
俺は生まれてこの方薄毛に悩んだことがないのでわからないけど、ひょっとすると薄毛対策にもなるんではないか。誰か薄毛の人に試してみてもらいたい。
ちなみに値段は1万6千円くらい。無かったら生活に困るというものでもないのでいきなり買うには勇気のいる価格だが、結果的には買ってよかったと思う。
同じような機能のシャワーヘッドは他にもあるみたいなので、他のもっと安いものでもいいのかもしれない。
ちなみにどっかの洗濯機も同じような泡を出す奴があるらしい。
あとウルトラファインバブル、という奴だと魚が腐らないとか更にすごい効果があるみたいだが、それとは違うようである。泡すごい。
・昨日は暇かと思ったら案外忙しかった。相棒が休憩に入った五分後くらいにどどっと沢山のお客様がご来店するという。
「バックヤードに一番くじがあるからお客さんが来たら70かけで売ってください」
と、意味不明な事を言われる。なんすかそれ???って相棒に聞いたら、
「あの一番くじだよ、バックヤードに置いてあるからお客さんが来たら段ボール箱のバーコードスキャンしてから70かけして売って」
だそうで、益々謎が深まった。
・フェイスアップしながら新商品の値札をゴンドラにつける作業をしながら、ちょっと考え込む。
・というのも、パッケージが横長でビッグなパーティー用ポテトチップスの置き場がないのである。
・パーティー用のポテチの置き場はないがポップコーンの周辺は飛び飛びにブランクがある。どうやって整頓すればいいんだ。
・前回のバイトで、プロアルバイター氏から、「従業員は全員、忙しくても暇を見つけてかならず1日一回は床のモップかけをすることになっている。ちゃんとそこの壁に清掃チェック表もある」と教わる。
・七ヶ月勤めてて初めて知った、と言ったら愕然としていたプロアルバイター氏。
「この店、新人に基礎中の基礎だけ教えたらマジであとは放置なんだな……」
・忙しかったがせっせとモップをかけた。
・例の一番くじのお客様ご来店。相棒の説明だとサッパリわからなかったが、つまり一番くじを丸ごと一箱お買い上げ、という事だった。
・一番くじのお客様から、「お店の入り口に貼ってあった横断幕もくれ」と言われたので探したが、無かった。あったとして、あげていいものなのかしらん。
・店長なら「いいよー」って言いそう。
・なんせ、店には置く気無いくじをお客様の為に発注するくらいだし。
・横断幕は諸般の事情によりものの数日しか飾ってなかったから、あったとして汚れておらず状態は良かったはずだ。
・横断幕まで要求されたとき、「もしかしてこの人、噂の転売ヤーなのでは?」という疑念が湧く。
・いずれにせよ、目的の為には手段を選ばない系の人って、どんなにマトモな格好してマトモに人語を話していても、目付きが尋常ではないのだな、と思う。
・当店にもよくアニオタなお客様方がご来店し、くじを沢山引いたりおまけのクリアファイルの為に沢山の商品をお買い上げになったりアニメファン御用達のショップにお金を振り込んで小躍りしながら帰って行かれたりするけど、そういう方々から溢れる幸せオーラ的なものが、例の一番くじ買い占めのお客様からは微塵も感じられず、ただただ不気味だった。欲にまみれている感じで……。
・帰宅後、Twitterで「一番くじ」「(作品名)」で検索し、やはりネットオークションやメルカリで高額取引されている事を知る。
女をズリネタにするのはその人を貶めてるとかの言説
じゃあ合意の有る下で行われる愛のあるセックスしか、性的発散の場として認めないと言うことなんだろうか?
何だかそれって宗教的に過激な思想と似ていないか?ネット上でそのような事を言う人は、フェミニストやリベラル的な考えを持つ人が多い様に思うが、何故そんな宗教右翼的な考えに到るのだろう。
愛のあるセックスだって、相手に性的魅力を感じてしている性的消費行為に他ならないと思うんだが、何故それは良いのだろうか?
相手に性的な目を向けているからと言って、その人をズリネタとしてしか見てないと言うのは極論にも程があるし、諸般の事情でパートナーに恵まれない人だっているのに。
そもそもそういう考えが根付いていることで、多くの中学・高校生男子が罪悪感に苛まれている事に気付いているだろうか?
「女の子の身体のことばかり考えてしまう自分はおかしいんじゃないか!?」とか、自慰の後に猛烈な後悔と罪悪感に襲われる少年は多いのだ。場合によっては夢精ですら隠そうとする少年だっている。
勿論逆の事が男にも言え、そこは男として反省すべきで今後改善すべきだとは思う。でもこの世からポルノを無くそうとするのは、ディストピアまっしぐらな思想であると気付いて欲しい。
個人的ではあるが、女性の事を正しく理解しようと努めたいし、女性にも男性にそうして欲しい(理解出来るかは別として)。その上で男女双方にとってより良い社会を目指していければ幸いである。
大学1年生の時にとった社会学言論の講義で、先生が「母性本能という概念は神話なんです。そんなものが生まれつき備わっているなんていうことはありません。」と言っていた。へえそうなのか、と思って印象に残った。それからボーヴォワールの紹介をしていたような気がする。長くアメリカの大学で教えていたおじいさん先生で、でもお年を感じさせないハキハキした口調だったのを覚えている。
それから15年くらい経って、分娩台で「はい、元気な女の子ですよー」と生まれたばかりの娘を胸に乗せられた時、やばいことを引き受けてしまったと思った。たぶん母親業は私一人の手に負えない。でも出てきちゃったし、後戻りはできない感じ...という当惑が一番に来た。世の女性はここで「かわいい!」とか思うらしいが、私にはそれはなかった。夫も私も、これが赤ん坊というもの(しかも本物)かーという心持だったように思う。
で、それからしばらく大変に苦しい子育ての時期を過ごしたわけだけれども、その間いつも思い出していたのは「母性本能なんて神話だ」という言葉だった。私はこの子供に対してかわいいという感情を抱いていないような気がするけれど、母性本能は神話だから問題ない。母性本能がなくても子育てはできるはず。しんどかったので、使えるサービスは有償無償なんでもつかった。諸般の事情で産休明けで仕事に復帰したのもよかった。うまい具合に保育園にも入れられた。両家の祖母たちも、シッターさんも駆使。私のように不完全な人間に全面的に育てられるよりも、色々なプロの人の手にかかって育ったほうがこの子にとっても幸福だろう。
その娘も今や小学生。なんだかよく喋る面白い子に育った。今もいろんなサービスに頼り、娘と楽しく過ごしてる。
大学一年生の時、あの社会学言論の講義をとらなかったら、あるいはその日講義を休んでいたら、今頃心を病んでいたか、あるいはもっと恐ろしいことになっていたもしれないなとふと思ったので書いてみた。
50年前に定められた日韓基本条約に反するから、韓国大法院の判決はおかしい、という簡単な話ではありません。時系列で流れを整理します。
労働力の不足を補うため、昭和19年に朝鮮総督が、朝鮮在住の朝鮮人に労働を命じました。正当な理由がなくこれを拒絶すると懲役刑を科される、国家による強制的な労働です。その後の日本国内の裁判で「徴用に応じなければ家族が逮捕される」と脅迫されたことや、「寮は有刺鉄線で囲まれ12 畳の部屋に12 人が収容された」「食事は粗末で量も少なく休日も月1、2 回しか与えられなかった」「こん棒で腰部を20 回殴打された」などの事実も認められており、その当時の基準に照らしても安全配慮義務に反する不法な労働と日本の裁判所で認定されています。
日本は連合国とサンフランシスコ平和条約を結び国際社会に復帰しましたが、韓国は「日本と戦争をしていない」という理由でサンフランシスコ平和条約に入りませんでした。
その後、日韓請求権協定が結ばれ、「両締約国及びその国民の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決された」と定められ、特に、「被徴用韓国人の未収金、補償金及びその他請求権の弁済請求」は「日韓請求権協定によって完全かつ最終的に解決された」とされました。
ただし、これは、日本政府は「外交保護権を相互に放棄したものであって個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたものではない」という公式解釈をしています。つまり、韓国内の日本国民の資産を韓国人から取り戻したかったら、ご自由にどうぞ、でも、日本政府は手伝わないよ、という意味です。
このわかりづらい解釈には理由があります。もっと自然な、「朝鮮人の日本人への請求権を韓国政府が放棄し、朝鮮にあった日本人の資産の請求権を日本政府が放棄した」という解釈にしてしまうと、韓国内の日本人資産の放棄に対して、日本政府が賠償責任を負うことになってしまうからです。
(慰安婦に関してはまた別の話があるのですが、本題でないので触れません。)
平和条約のあとでも宙に浮いていた個人の請求権ですが、連合軍元捕虜への損害賠償を求める米国最高裁の判決で、「サンフランシスコ平和条約第14条によって、戦争の遂行中に日本国およびその国民が取った行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権は放棄されている」という判決が2003年に確定し、話が動き出しました。
2007年には、日本の最高裁が、「サンフランシスコ平和条約の当事者以外の国や地域との間で戦後処理をするにあたっても、(...)条約の枠組みに従う」という判断を示し、サンフランシスコ平和条約に含まれない韓国、中国、フィリピン等の国民からの訴訟も、原告敗訴が決定づけられることになりました。
ただし、最高裁判決には「個別具体的な請求権について債務者側において任意の自発的な対応をすることは妨げられない」と述べ、「被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、上告人(被告企業)は中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受けるなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待される」という「付言」が付きました。
それを受け、西松建設と中国人当事者らの間で、2億5000万円を支払い、補償や未判明者の調査、記念碑の建立、慰霊のための費用などに充てるという和解が成立しました。
旧三菱重工業に対する訴訟で、韓国大法院は、朝鮮人徴用は戦争にかかわるものではなくて、植民地支配にかかわるものだから、サンフランシスコ平和条約とか日韓請求権協定とかとは関係なく、韓国人の請求権は残る、と判示しました。サンフランシスコ平和条約から日本の最高裁判決に至る流れをひっくり返すものになります。
この判決が確定した以上、先日の損害賠償を命じる判決は必然でした。
法律の話で言えば、日本および日本企業に請求権が生じる、というのは疑わしいとは思いますが、一部の日本メディアがいうように韓国の司法はおかしい、とまでは思いません。韓国で徴用し日本で過酷な労働をさせたという事例に対して、日本の最高裁が独占的な管轄権を持つ、というのは自明ではないし、個人請求権がサンフランシスコ平和条約の枠組みに従う、というのもそもそも07年まで不確定だったわけで、議論の余地はあるところだと思います。ただ、韓国の主張は、植民地支配に関して請求権が残っていて、元植民地側の裁判で請求ができるという話なので、これを認めると植民地支配していた欧米諸国がすごく困ります。慰安婦みたいに国際的な広がりを持つことなく、国際法的には日本が勝つのだろうな、と予想しています。
道義の話で言うと、徴用工に関して日本の様々な裁判所が繰り返し不法行為を認めているのが印象的です(例:01年東京地裁、01年京都地裁、03年東京高裁、96年富山地裁、98年山口地裁、01年大阪地裁、02年大阪高裁、07年名古屋高裁、05年東京高裁、02年福岡地裁、04年福岡高裁、02年広島地裁、04年広島高裁、09年最高裁)。最高裁については先ほど述べましたが、それ以外にも多数の裁判官が自発的な救済を推奨しており、おそらく基金などを作って、アジア中の徴用工に対して日本が自発的に補償すべきものなのであろうな、と個人的には思います。基金を作るのがスムーズに進んでくれたら、と思います。
「歴史的事実を真摯に受け止め、犠牲になった中国人労働者についての問題を解決するよう努力していくべき」(宮崎地裁07 年3 月26 日)
「被害の救済に向け自発的な関係者による適切な救済が期待される」(前橋地裁07 年8 月29 日)
「任意の被害救済が図られることが望ましく、これに向けた関係者の真摯な努力が強く期待される」(仙台高裁09 年11 月20 日)
「ひとりの人間としては、救済しなければならない事件だと思う。心情的には勝たせたいと思っているが、最高裁の判決がある場合には従わざるを得ない。本件のような戦争被害は、裁判以外の方法で解決できたらと思う」(長野地裁06年3月10日)
「被害者らの被った精神的・肉体的苦痛が極めて大きかった一方、被告企業は中国人労働者らを強制労働に従事させて相応の利益を受けるなどの諸般の事情にかんがみると、上告人を含む関係者において、本件被害者らの被害の救済に向けた努力をすることが期待される」(最高裁07 年4 月27日)
ストレスで久々の休みに一日中寝てた。泥酔しているので勢いで書く。
新卒採用はクソ。
社内のジョブローテーションの関係でそうなっただけで、希望したわけではない。
とはいえ唯々諾々と何も考えないでそれを受け入れた。
今では後悔している。
しかし若手なのもあり、社内の評価のために唯々諾々と前の担当者の引継ぎ通りに業務をしている。
クソだ。
結局(全部とは言わない、自分で考える能のない多数の凡庸な)企業は、就活業界のビジネスに概ね踊らされているように見える。
といっても就活業界ビジネスを展開しているナントカナビとかそういうのが悪いかというとそうではないと思う。
何が悪いんだろうな。
たぶん自分の頭で考えて考えたことを実行しない(俺も含めた)全部が悪いんだろう。
まあそんなことはどうでもいい。
書きたかったのは、表題のとおり、就活生は祈られても何も思わないでほしいってことだ。
採用を担当するようになって、大量の学生を審査して、選ぶ作業をするようになった。
最終面接とかはもっと上の人間にやってもらうから、直接落としたり通したりするのは、
書類選考とか、一次面接とか、グループディスカッションとかそういう奴だ。
正直、クソ忙しい中で、書類を見るだけでは、または10分とか20分とか喋る(あるいは喋るのを眺める)だけでは、何も分からない。
書類だったら、もうまとめて学歴(など)で落としていくしか「統一的な基準」として自分と上司を納得させる方法がない。
なんか一生懸命に心を込めて考えたんだろうと感じられる自由記載みたいのを見かけることもあって、心を動かされることがあっても、
真摯に誠実に話せばわかってくる、とか嘯く奴もいるが、
こっちだって本当に誠実に話せているかと聞かれたら、首を縦には振れない。
言えないことだってあるし、落とさないといけない後ろめたさもある。そうだろ?
それは当然だし、化かす能力がある人間なら入社いただいて何の問題もない。
でも入社した後も社内を化かし続けられない人間が入社してしまったときには、
そんなもん判断つくか。つくわけない。
それに、特に嫌いなのがグループディスカッションで、あれは一緒に入るメンバーによって表出する人格に違いが出過ぎる。
しかも、積極的に発言する人を評価すると言いながら、明らかに無理して頑張ってる学生を「協調性がない」と評価したりする。
クソofクソだ。
社内で「わからんから顔の好みで選んでる」と公言してる面接官も知ってる。
公言してないだけでそういう面接官も一定数いるんじゃないかと思う。
当然、どの程度の割合の人間をこのタイミングで落とさないといけないかというのが決まっていたりもするので、
その日面接した中に落としたい学生がいなくても、落とす学生を選ばないといけない。
もちろん一応、こういう人間を落とす、通す、という基準はある。
「こういう基準で採用をしています」というのを社内の上の人間に納得してもらうためにあるだけだ。
ちなみに(就活ノウハウ本とかにもよく書いてあるが)その基準が知りたかったら、
その会社の採用webページに出てる「当社の求める人材」とかそういうのを見ればいい。
まあ大体どこも書いてること似たようなもんだけど。
正直、自分としては、とにかく(少なくとも普通以上に見える奴は)落としたくない。
そうじゃない余裕な奴もいるかもしれないけど、
多数の学生は自分が何したいかって言われても良く分からないまま一生懸命受けに来て、
そういう学生を、「よくわからんな」とか言いつつ、鉛筆を転がすみたいにして選別していく。
もうたくさんだ、と何回も思った。
社内にはそれを楽しそうに、「あの学生はこうだった、ああだった」と言いながら自信満々にやってる奴もいるから、
俺が向いてないだけなのかもしれない。
このストレスに耐えられそうにない。
だからせめて増田で、「祈られても何も思わないでほしい」と学生に懺悔する。
ここまで書いたことはあくまで自分の勤めてる会社の話で、どのくらい普遍性があるのかは分からない。
でも、企業がお祈りを出した場合でも、決してそれは学生個人の能力とか人格を否定してるわけではない、
ということを、上に書いたクソみたいな実情で少しでも実感してもらえたらと思う。
落とす時も「まあ落とすほどではないんだけどな」と思いながら落としている時もあるし(むしろそちらの方が多い)、
「この学生はうちには向いてなさそうだけど○○な会社なら向いてそうだな」と思いながら落とす時だってある
(またこのへんをフィードバックしないのがうちの会社のクソなところだ)。
それが伝わるようなやり方で採用活動ができていないのは、多分ひとえに企業の手落ちで、そんな会社には入らなくて正解なんだと思う。
そう思って、祈られてもなるべくがっかりしないでほしい。
「そうはいっても祈られ続けてサラリーマンになりたいのになれない」って人は、小手先のテクニックを磨いてください。
ツイッターのアカウントを消した。Pixivとか、オタク系、創作系のアカウントも以前に消してある。もう、アニメや漫画を今までのように楽しんでる場合じゃないと切実に感じたからだ。
田舎に生まれた俺は、思えば子どもの頃から本好きで、そのままマンガ好きになり、でも同人誌とかには強い拒否反応を持っていたし、オタクは気持ち悪いと思っていた。
その一方で、漫画・アニメ・ゲームを本当に楽しんでいた。生き甲斐だった。周りの人間がこの面白さを理解できないってことが理解できなかった。
でも、漫画やアニメやゲームがメインの趣味の人間は「オタク」だという、そういう時代だったので、今でいう「陰キャ」として高校時代を過ごした。
大学に入って某都市に住むようになると、周りには堂々とオタク的な趣味を謳歌している人たちがいた。そんな人たちとの交流は本当に楽しかった。
大学を卒業して地元に戻った。自分のオタク的な要素は、職場ではなるべく隠して暮らしていた。いろいろとままならない事があり、東京に出て働くことになった。
東京に出て、インターネットを本格的に使うようになった。ニコニコ動画が全盛期だった。インターネット上では、自分のオタク趣味を存分に発揮できるという事に気づき、
ツイッターで趣味のつぶやきをしたり、ペンタブを買ってイラストを書き始めてみたり。コミケにも何度か参加して、ネット上で交流がある人と会ったりして、とても充実していた。
諸般の事情で再び地元に戻った。もう、自分の同級生には大きな子供がいる。俺がそういう人生を遅れなかったのは、オタク趣味のせいではなく、ただただそういう人生に興味が持てなかったからだ。
しかし、今になって、そういう人生の方が価値があると思ってしまった。素晴らしい創作物は人生を豊かにすると思っていたけれど、創作物に耽溺したまま生きていくことは自分にはできなかった。
幸い、数は少ないけど、オタク趣味とまったく関係無いところで仲良くしてくれる友達がいる。そちらの方向にに進んでいきたい、と心から思う。そのために、努力し続けなければいけない。
面白い創作物にはまったく罪はないのだが、今の自分には、時間を無駄に過ごしているという焦りが強くて、心から楽しむことができない。
オタクの女の子と恋愛したいという願望はあったのだが、俺が付き合った数少ない女性は、皆オタク気のない女性だった。自分のオタク部分を隠して付き合っていたわけだが、特に問題はなかった。
自分の資質の問題で長く続かなかったのだが、もし上手く続いていたら、もっと早くオタク的な部分が自分から消えていったのかなあ、とも思う。
少し前に彼女と別れた。
生まれて初めて付き合った彼女ではないけれど、うまれて初めて好きになった人だった。
僕は彼女のことがすごく好きだったし、彼女も僕のことを好いていてくれたと思う。結局半年くらいで価値観や人生観の相違や、恐らくだけど、加えて僕への物足りなさもあり、別れることに。
別れは死ぬほど辛かったけれど、納得はしてるいるし、今は上手く消化もできている。
もちろん、こんなことなら出会わなければよかった、付き合わなければよかった、なんてことも思っていない。
というのも、ある種恋愛童貞だった僕に、彼女は色々なことを教えてくれた。彼氏彼女という関係性において、彼氏とはこうあるべきという女性目線の男性像から、他人への思いやりの気持ちや想像力などの内面的な部分の指摘はグサグサと僕の心を踏みにじり、強くしてくれた。
当時はそれが辛くて、そんなことを言わなくても、想像力想像力言うなら僕の気持ちもわかるよね?と思っていた。けれども、今は全て分かった上で伝えていてくれたと思うし、その教えは恋愛だけではなくて仕事もに活きていると実感している。
その甲斐あってか、その彼女と別れた後にまた別の彼女ができた。でも、その彼女へ当時の彼女に向けていた同じ感情が向けられない。好きという感情はおろか、性欲すらも湧いてこない。
今まで付き合った彼女に対して、好きという気待ちはなくても、性欲が湧いてこなかったことは、ただの一度もない。だからこそすごく戸惑い、色々と考えを巡らせた。
しばらく考えても全く答えが出てこず、苦悩したが、ある日答えに気がついた。気がついた、というよりも「気付かないようにしていたこと」に「気がついてしまった」のだ。
もうお分かりかと思うが、僕はまだ別れた彼女のことが好きで好きで仕方がないのだ。
消化しているのは別れたという事実を受け入れられた、というだけのことであって、僕が別れた彼女を好きという事実はまったく変わっていなかったのだ。
(別れの原因は長くなってしまうし、さして重要な要素ではないで割愛するが、もう絶対に復縁することはない。)
長くなってしまったが、
TwitterやInstagram、フェイスブック、LINE、あらゆるSNSで僕からコンタクトを取ることは一切ない。それどころかミュート機能のないInstagram以外は全てポストがフィードに流れてこないように設定している。
別れた後にInstagramのフィードで別れた彼女のポストを見ると、ドロッとした感情が胸を締め付ける。
幸せになって欲しい
もう一度戻りたい
僕以外の誰かといないで欲しい
不幸になって欲しい
心から幸せを願っている一方で、僕と別れて幸せになることが受け入れられず、善の感情と悪の感情がぐちゃぐちゃに入り乱れている。
でも、それはまだいい。
時折僕のポストや、なんでもないことで、別れた彼女の方からコンタクトを取ってくることがある。
そらに対して僕はちっぽけなプライドと自尊心を守るために「なんとも思ってないですよ」言わんばかりの、嘘にまみれた言葉を突き返している。
きっと相手からすれば、僕にコンタクトをとるのは、なんでもない日常のワンシーンなのだろう。
でも僕にとっては違う。
付き合っていたという事実は消えていても、好きだという事実は消えていないのだ。
諸般の事情でサイトが閉鎖されてしまった。原稿が一本無駄になってしまったので、はてな匿名ダイアリーに放流する。
🌑
お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ!
某月某日、夜。駅前の商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。
インターホンを鳴らすと、異様に背の低い老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡される。メニュー表には複数のコースが書かれていたが、婆さんは90分一万円のコースをゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。
部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一気に表情がやわらぐ。かわいい! 大きな目に長いまつげ。ピンク色のぽってりした唇が印象的。髪は長くて、えり足がスッキリとまとめられている。あらわになったうなじがセクシー。しかし、何より目を引くのはオッパイ。かなりでかい! 上着がパンパンに膨れあがってる。そして、むき出しになった太もも。僕が太ももフェチになったのは、この日がきっかけかも。ミニスカートからのびる二本の素足。た、たまらん....。
ナナ「初めてですか?」
僕 「はい」
僕 「あ、はい」
ナナ「じゃあ、脱いで待ってて」
ナナちゃんが部屋を出ていく。言われるままに服を脱ぐ僕。上半身裸になったところで、ナナちゃんがバスタオルを持って戻ってくる。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕のズボンのベルトを引っ張る。脱ぐように促しているのだ。恥ずかしながら、僕はすでにビンビン。ナナちゃんがそれを見て、キャッと笑う。腰に白いバスタオルが巻かれると、腹部がふくれあがり、その形状はまるで雪山。
一緒にシャワールームへ。ナナちゃんが全身をやさしく洗ってくれる。「後ろ向いて」「はい、前」「もう一回後ろ」ころころと向きを変える僕。後ろ向きになると、ナナちゃんの手首が僕の足のつけねを通って、さわ~、と尻の穴を通過。最高だ...。タオルで体を拭いてもらい、部屋に戻る。紙パンツを渡されたが、明らかに小さい。無理して履いてみたが、思いっきりハミ出てしまう。ナナちゃんがそれを見てウフフと笑う。
僕 「あ、はい...」
うつぶせだと、いきり立ったモノが圧迫されて痛いと判断されたらしい(笑)それで急遽、あおむけの態勢から始めることに。ナナちゃんが僕のひざの上にまたがると、太ももの感触がじかに伝わる。う~ん、たまらん!
まずは首筋のマッサージ。ナナちゃんが前かがみになると、はだけた胸もとから谷間が見える。膝を動かすたびに、スカートの中もちらり。これってわざと!? そして、ここから先は怒濤の展開。まだ序盤なのに、ナナちゃんが僕の全身にオイルを塗り始めた! 本来はうつぶせでじっくりと肩や腰をもんでから、ようやくあおむけになり、オイルが登場するのは後半なのだ。しかし、ナナちゃんは通常のセオリーをすっ飛ばして、大暴走。おそらく僕の興奮が伝わり、一気にスパークしたのだ! 奇跡のフュージョン。国籍を越えた魂の交感。ナナちゃんの指先が、僕の体の上を縦横無尽に滑走。そのなめらかな滑りは、ロシアのフィギュアスケーター、ユリア・リプニツカヤ選手のようだ。僕はあっという間にフィニッシュ。開始からわずか30分。瞬殺だった...。
本来、こういったマッサージは焦らしてナンボ。ナナちゃんの施術はあまりにトリッキー過ぎた。でも僕は大満足! 最高のアジアンエステデビューであった。
🌑
自分で言うのも何だが、本当に下らない。僕は某風俗サイトで二年近くこんな文章ばかり書いていた。先の記事は、新しい店を取材する時間が無かったので、苦しまぎれに昔話を書いたのだった。結果的にこの原稿は陽の目をみなかったわけだが、書きながら当時のことを色々と思い出した。あの頃、実は僕はドン底の状態だった。親から継いだ会社を倒産させた後だったのだ。単なる地元の中小企業だったが、そこそこ歴史のある会社だった。古参幹部の裏切り、横領、大手の参入、理由を挙げればキリがないが、結局は僕が無能だったのだ。すべてを失った。恋人も仲間も、みんな去って行った。絵に描いたような転落人生だ。酒びたりの日々。毎日、目を覚ます頃にはすでに日が暮れかけていた。時計を見るのもつらかった。起きるとすぐに冷蔵庫を開けて、安い缶酎ハイをあおり、またベッドに戻る。酒が切れたらコンビニに行って、缶酎ハイとカップ麺を大量に買い込む。そんな生活が何ヵ月も続いていた。
いよいよ金が尽きてきたので、警備員のバイトを始めた。まわりは爺さんばかりだった。地元では警備員の仕事が高齢者の受け皿になっていた。爺さんたちと一緒に働いているうちに、まだ20代後半だった僕も、老後みたいな気分になっていた。
件のエステに行ったのは、そんな時期のことだった。前述の通り、僕は30分で果ててしまった。そのあとどうしたかというと、ずっと彼女とお喋りをしていた。彼女は色々な話をしてくれた。まだ来日して三年足らずで、日本語はジブリアニメで勉強していると言っていた。なぜか子供の頃の写真を持っていて、それを見せてくれた。山村の風景を背にして、薄汚れたシャツを着て立っている、仏頂面の少女が写っていた。それが彼女だった。話を聞いてみると、彼女は非常に貧しい家に生まれて、家族を支えるために、日本に出稼ぎに来ていたのだった。
僕も自分のことを話した。地元の中小企業の二代目社長。社員は26人。趣味はスキーとテニス、車はベンツを2台所有。どれも過去には本当のことだった。でもすべてを失っていた。僕は彼女に、会社経営の苦労や、幹部に対する不満を、現在進行形の悩みとして語った。彼女の前では社長でいたかった。悲しい見栄だ。話しているうちに、自然と涙が流れてきた。彼女がそっと抱き寄せてくれた。僕は彼女の胸に顔をうずめて泣いた。しばらくのあいだ泣き続けた。あのとき彼女はどんな気持ちだったのだろう。異国で、初対面の男が、いきなり泣きだしたのだ。理由もわからなかったはずだ。かなり戸惑ったにちがいない。
この話には後日談がある。翌日から僕は仕事で新しい現場に入った。美術館の警備スタッフだ。スタジオジブリのレイアウト展覧会だった。そこでマズイことが起きた。彼女が客として入場してきたのだ。どうやら彼女は一人だった。僕はあわてて顔を伏せた。見られてはいけない。彼女の中ではまだ僕は社長なのだ。警備服を着ているはずがないのだ。彼女は食い入るように展示物を見ていた。僕は帽子を限界まで目深に被り、ばれないようにした。午後になると、今度は外の駐車場ですれ違いそうになり、あわててトラックの背後に隠れた。警備員なのに、僕の挙動は完全に泥棒だった。
数日後に、地面が揺れた。これまでにないぐらい、大きく揺れた。巨大な津波が来て、あらゆるものを破壊した。そう遠くない場所で、原子力発電所が爆発した。日常が奪われ、何日も、何週間も、不安な状態が続いた。再び店に行ってみると、当然のように閉まっていた。インターホンを鳴らすと、ゆっくりドアが開いた。中から背の低い老婆が現れて「やってませんよ」と言った。
僕 「いつごろ再開しますか?」
老婆「もうやらないよ。おしまい」
僕 「・・・」
老婆「みんな中国に帰ったよ」
僕 「ナナちゃんは?」
老婆「ナナも帰った。モモも帰った。サクラもユキもみんな帰った。日本は危ないから」
当たり前だが、ナナちゃんとはそれっきりだ。僕はほどなく上京して、小さな広告プロダクションに就職した。その後、仕事で知り合った風俗関係者に請われ、メンズエステの体験レポを書くようになった。最初のうちは、アジアンエステを取材する度に彼女のことを思い出したものだが、最近はすっかり忘れてしまっていた。女性の胸に顔をうずめて泣くなんて、あの夜が最初で最後だと思う。ナナちゃん、元気だろうか。
予断を持たずに事件に取り組み、判決などで具体的な理由を示すにあたっては、最終審としての説明責任を果たす内容になるよう、力を尽くしたい。最高裁には多様な紛争についての不服が申し立てられ、どの事件も最終的な決着が求められている。社会的に影響の大きな事件も少なくなく、責任の重さを日々痛感している。
広い視野の下で、公正な判断を行うことが期待されていると感じる。その期待に応えるためには、判断の内容を説得力ある分かりやすいものにすることが大切である。また、裁判所の存在が国民に身近なものとなるよう、情報発信や手続きの工夫などといった面にも一層留意する必要がある。
地裁や高裁で勤務した時代、3人の裁判官の間でさまざまな議論を重ね、充実した判断につながったと感じられた事件は、著名かどうかを問わず長く記憶に残っている。最高裁においても同じだろうと思う。
任命権限に関わる事柄であり意見は差し控えたいが、現在、バックグラウンドの異なる同僚裁判官とさまざまな角度から率直な意見交換ができる環境にあり、日々の仕事にとって大きな意義があると感じている。
裁判の中で憲法判断を示す立場にあり、お答えは差し控えたいが、憲法は、我が国における「法の支配」の基盤となるものであり、普段からそのありように国民の目が注がれていることは、大切なことであると考える。
前項と同じ。
これまでに関与した定数訴訟についての私の意見は、大法廷判決の中で示してきたところであり、これからも個々の事件の判断の中で示していきたい。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
法的判断が司法に求められている大きな問題の一つであるが、今後訴訟が最高裁に係属する可能性があるので、意見は差し控えたい。
国民の皆さんの理解と協力に支えられて、制度が定着しつつあることを、刑事裁判に携わってきた者としてうれしく思っている。大改革であり長期的なものさしで改善を図っていくべき課題もなお残っているが、刑事裁判が、「開かれた司法」の方向に大きく変わったことは確かである。
誤判を防ぐためには、一つ一つの事件において、当事者が適切な訴訟活動を行い、裁判官が曇りなき目で判断を下すことが、何より重要である。制度や運用の改善点については、法曹三者の間で、実情をもとにして、率直で冷静な検討を深めることが欠かせない。
国民の間で議論を深めていくべき重要なテーマであると思っているが、具体的事件に関与する立場にあるので、立法論に関わるご質問についてはお答えは差し控えたい。
重大な刑事事件は裁判員裁判によって審理されており、今回の新制度の運用については、裁判員裁判の証拠調べにおいてどのような評価が示されるかが、重要なポイントになると思う。裁判員裁判と同様に、長期的なものさしで検討すべき問題であると考える。
さまざまな課題を抱えていることは認識している。法曹養成制度も教育制度の一つであり、時間をかけて行うべき人づくりの土台だといえる。長期的なゴールを見定めて、じっくり検討していく姿勢も大事だと思う。
国際的な経済活動が原因となった訴訟はこれからますます増加すると思う。裁判官は、紛争の背景にある実情も視野に入れた上で、判断を下すことが求められる。そのためには、研修、人的交流などの機会も一層充実させる必要がある。
「開かれた司法」を推進していく上で、テクノロジーの活用は重要な柱の一つだと考える。それだけに、単に「便利かどうか」というのにとどまらず、司法へのアクセスや裁判手続きの将来のあり方も念頭に置いた上で、総合的に電子化などの改革を進めていく姿勢が大切だと考える。
個人的には、今年は名演と観客席の熱気が一体となったライブに出会う機会が多く、終演後はその場の一員であった幸福感を味わえた(例えば、ロシアの劇作家チェーホフの「ワーニャ伯父さん」)。
「尊敬」という意味とは少し違うように思うが、強さ、弱さを含めて、人間的魅力に富んだ人物として、最近興味があるのは、森鷗外。趣味はコンサート、観劇。好きな言葉はゲーテの「人間は努力する限り迷うものだ」。
千葉聡の「歌うカタツムリ」。身近な生物を手のひらの上に乗せながら、生物進化に関するダーウィン以降の研究の歴史が物語られており、科学読み物として非常に新鮮だった。
約40年間、弁護士の活動から培った経験や市民感覚を踏まえ、弁護士出身の裁判官であることの自覚と誇りを持って、正義と公平にかない、かつ、健全な社会常識にかなう法律の解釈・適用に努めていきたいと考えております。最高裁裁判官に就任して約1年3カ月経過しました。最終審としての判断の重さを更に自覚し、一つ一つの事件に謙虚に向き合い、よりよい判断・解決のため、誠実に職責を果たしていく覚悟です。
裁判所に対して、一つ一つの事件について、迅速かつ適正妥当な判断を期待していると思います。最高裁判所としては、主な事件の判決などについて、ホームページなどでも公表していますし、法廷の傍聴人の方々にも事件の争点など概要がわかるような工夫を積極的に進めています。
個別事件の判決の中で示した意見のとおりであり、これを離れてお答えするのは控えさせていただきます。
いずれの質問についても、憲法で定められている任命権者が判断する事柄ですので、お答えするのは控えさせていただきます。
憲法の改正は、国会の発議により国民投票を経て行われるもので、主権者としての国民が判断される事柄であり、各国民が真剣に考え議論すべきものと思います。
国家存立の基盤である国の安全保障政策については、各国民が自分の問題として真剣に考えるべき事柄であり、司法の立場にある者として、個人的意見は控えさせていただきます。
注:16年参院選の「1票の格差」を合憲とする多数意見(17年9月)
裁判所は、どのような訴訟においても、法にのっとり公平かつ適正妥当な判断をしていかなければならないものと考えております。
裁判員制度はおおむね順調に運営されてきていると思いますが、問題点もご指摘のとおりあります。更なる審理の工夫や制度の広報に努める必要があると考えております。
誤判は絶対にあってはならないものです。刑事事件の事実認定においては、思い込みを排し、様々な視点から十分に証拠を吟味することが大事です。刑事司法に携わるすべての者が、誤判防止に向けて、それぞれの立場で誠実に職務を行わなければなりません。
死刑制度の存廃や終身刑の創設などは、最終的に国民の意見により決められるべき立法の課題であり、司法の立場からの意見は控えさせていただきます。とはいえ、死刑は究極の刑罰であり、その適用は極めて慎重に行われるべきものと考えております。
新制度は、捜査・公判が取り調べ及び供述調書に過度に依存している状況にあるとの指摘を受けて立法化されたものであり、これにより、刑事手続きにおける証拠収集方法の適正化及び多様化がされ、公判審理の更なる充実が期待されます。
具体的な政策についての発言は控えさせていただきますが、法科大学院で5年間教壇に立った者として、法曹養成の理想に向けて開校した有力な法科大学院で募集停止が相次ぐこととなり、残念でなりません。社会の様々な分野で法律家が活動することは、法の支配する公正な社会を実現するために必要であり、大変意味のあることだと思います。わが国社会の今後の発展を支える有為な人材として質の高い法律家をいかに計画的に養成するかという観点で検討されることを望みます。
国際取引事件、家事渉外事件をはじめとする国際的紛争事件に十分対応できるよう、裁判所における人材の育成が求められるものと考えております。
裁判手続きのIT化のあり方としては、裁判手続きの利用者の利便性の向上だけでなく、本人訴訟への対応を含む関係者の手続き保障、情報セキュリティー、事務の合理化を含めた費用対効果などの諸般の事情に配慮しつつ、裁判手続きにとって真に望ましい姿を探る必要があります。
趣味は、歌舞伎鑑賞です。尊敬する人物は自分を育ててくれた両親で、感謝と尊敬をしています。好きな言葉には「道を伝えて、己を伝えず」という言葉があります。日本の幕末から明治にかけての動乱期に、キリスト教の伝道を行った宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズの生き方を表現した言葉です。私はキリスト教の信徒ではありませんが、ウィリアムズは、幾多の困難に全身全霊で立ち向かいながら人々の心を一つにまとめ、教会や学校・病院を造り、社会や世界を動かしました。そのような信仰の姿こそが、「『道を伝え』ることではないか」と思われます。そして「己を伝えず」。真の意味はいまだ計り知れないものの、「自分の考えを相手に独善的に押しつけようとしない」とか、「自分の名誉や欲望のためにけっして人を利用しない」と解釈されています。事実、ウィリアムズは一介の宣教師に過ぎない自分の名が記憶されることを徹底して拒み、日記や手紙の多くを燃やしまでしたとも言われています。
今日はゲーム三昧。良くない。でも一応外には出た。(夜、コンビニに行きました)
今日は12時過ぎに起床。お昼ご飯を食べてから、30分ほど3DSのウイイレをやりました。
ウイイレを良く知らない人に説明すると、マスターリーグというのは特定のサッカーチームのオーナーになって、
3DSのウイイレでは選手の管理やコーチのレベルの設定くらいしかできないけれど、プレステのウイイレだと
監督も補強できたりするらしい。
(ちなみにコーチのレベルを上げると選手の実力が伸びるスピードがすさまじく上がる)
当然、勝てば契約しているスポンサーから勝利給がもらえる。ホームゲームだと開催するだけで
チケット代がもらえるけど、勝つとスポンサーから追加で報奨金がもらえたりする。
あと、もちろん選手にスポンサーがついたりもする。今俺のチームにいる遠藤保仁という選手には韓国の
飲料水メーカーがスポンサーについている。あとカバーニっていう選手にもカナダの飲料水会社のスポンサーが
ついてる。だから俺はこいつら二人を高齢になってもクビにできなかったりする。でも、そういうしがらみが
あるのもまた面白い。
選手の管理だけでも面白いのに、実際に試合も自分でプレーできるのだ。
自分の意思で獲得した選手を自由に自分の手で動かして、ゴールを決めたり試合結果に一喜一憂する遊び…
それがマスターリーグ。すさまじく面白い。ぜひサッカー好きにはお勧めしたい。(というかサッカー好きの人は
もう大抵ウイイレくらいやってるか)
ウイイレのマスターリーグは、一回プレーしはじめると大体2~3時間は遊んでしまう。
(っていうか1プレーにつき2~3時間はやりすぎ!!)
○詰将棋
というわけで、早々にウイイレをやめた俺は、今度は詰将棋に手を出してみることにしました。
始めて将棋に触れてから早一か月、合間をぬって詰将棋をするのが趣味の一つになってしまいました。
今回は前回問いた詰将棋の復習に加えて、新しい詰将棋5問を解きました。…正直、新しく問いた方は5問とも
結構悩みましたね…。まだまだ鍛錬あるのみ。
というわけで、早々にウイイレをやめた俺は、今度は3DSにダウンロードしてあるスマブラに手を出すことにしました。
本当はオンライン対戦をしたかったのだけど、スマブラの更新プログラムをダウンロードできるほど容量がないとかかんとか
なので今回はCOMのレベル9とタイマンで戦ってみました。ルールは3ストック制、アイテム無しで終点という
ガチ部屋使用。こちらの使用キャラはパルテナとゼロスーツサムス。
☆VSクッパ
重量級ファイターの王様、クッパ。正直めちゃくちゃ強かった。パルテナで戦ってみてた時は、その勝率は恐らく4割弱程度。
終盤は6割近く勝てていたと思うけど、それでも6割程度。2、3回のミスですぐ%が追い付かれてしまうという鬼のような火力…!
練習中のゼロスーツサムスでも勝率は7~8割程度で、ゼロスーツサムスでも辛勝の時がまあまあある。
クッパ強すぎぃ!唯一の弱点は飛び道具に弱いこと。ちなみにこちらがクッパでプレーしてCOMと戦ってみると、
あっさり勝てました。クッパ強すぎ!
☆VSガノン
パルテナで勝率は5割程度、ゼロスーツサムスでは3タテされた試合もあった。
個人的な感想としてはパルテナのオート照準とメテオを狙う空中攻撃が比較的有効打だった。
重量級ファイターがとにかく苦手な俺氏。いつの日か重量級ファイターに楽勝できる日を目指して…。
○コンビニに行く
スマブラを3、4時間ほどプレーした後は、夕ご飯を食べて夜のコンビニに行きました。
何も買わず…。そろそろお酒が飲みたくなってきたので、今度コンビニに行くときはお酒を買ってこようかな、なんて。
でもお酒弱いんだよなぁ。飲みたいけど弱い、この矛盾をどうするか…。
○日記を書く
今やっているように、はてな匿名ダイアリーで今日したことを日記風にまとめてみました。
あ、それと明後日遊ぶ約束してる友達にメールなんかもしちゃいましたかね。
◎今日やりのこしたこと
新しい漫画を描いてweb上に発表したいと常々思っています。明日こそは…なんとか進めたいですねぇ。
昨日、心療内科に行ってきたのですが、何やら色々タメになりそうなことを言われたので、それらの言葉を
恐らくもうちょっとしたらお絵描き熱が再燃してくると思うので、その時までにお絵描きの練習をしておくことを
やりのこしてしまったと思います。ポーズマニアクスの模写、それと何より実戦…がまだまだ必要ですかね。
・小説の構想を練る
数万字ほど書いて放置してある小説の続きを練りたいですね…明日こそは…。
以上が8月9日にやったこと。終わり。
明日は絵を描きましょうかね。ネットの人達に催促されてそうなので。
(合計2218字)
諸般の事情があるのだろう。
コンセプトカーと市販車が全く別の物になるのは、仕方がありません。
市販車には、
これだけの制約があり、この他にもコストの壁や顧客の好みなどが大きく関係してきます。
数千万円のスーパーカーであれば、こういった制約はほとんど無視できるために、
複雑なボディラインや高性能の追求が可能になるのです。その代わり、整備性も最悪だったりします。
フィットやヴィッツのような量販車で、オイル交換に時間がかかり3万円もしたのでは、
そういった様々な制限を受けながら、量販車は市販化されてきています。
ショーのコンセプトモデルは、そういった制限が一切ありません、
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11100407106
元増田です。しつこくすいません
いくつか大事なことを。
最初にいただけない場合はもうその日は無いものとして通常モードで撮影してしまいます。
最後の最後におつかれさま!と渡してくれる方もいるのですが、もう撮影することができないので後処理で頑張るしかないのでお二人に大変申し訳ないことになってしまいます。
・ご祝儀渡した方が良いなら良いって言って欲しい
これは無理です。そんなこと言ったら一発で出入り禁止です。
打ち合わせ担当が「ご祝儀込みでこの値段なんですよー」なんて言うのは、自分らはしっかり利益確保してるから。カメラマンのやる気なんて知らんよね。
この部分は本当に忖度していただくしかありません。少しでも皆さんに現実を知っていただきたく、書きました。
お客様にとって酷い話ですよね。でも無いんです。
良い写真撮るとギャラが上がるとか、まったく無いです。ほどほどの仕上がりでも一緒。社会主義経済の欠陥ってこんなんでしたっけ?
実は最初は2,5万より高かったんです。カット数(撮影枚数)も少なかった。でもある時から報酬下げられました。カット数も数百増えました。「諸般の事情」とやらです。交渉したら5万にしてくれるかなー?
書いてて酷いね。
高いお金をお客様が払ってるのに力を出し切れないのは本当に申し訳ない。
ヤフーのニュースにも出てたけど、カメラマン持ち込み料は問題視され始めてるみたいだね。
持ち込み料なんてのが廃止されると式場カメラマン(自分のこと)なんて過去のものになってより健全化するんじゃないかな。
「2000万円のお返しになります」
コンビニのレジで女は言った。にせんまんえん、の、おかえし。通常お返しというのはお釣りのことで、通常この国で流通している最高額紙幣は一万円札だ。従って通常お釣りは1万円を超えない。にせん、まんえん。
追撃が入る。
「2月14日はバレンタインデーです。私は貴方に1000万円相当のチョコレートを差し上げようと考えました」
そんなものは貰ってないです。
「そう、ご存知の通りこれは諸般の事情によって果たせなかった。心より残念に思います。わたし、あそこのベンツの形をした乗れるチョコレートを差し上げようとチョコレートの魔女に弟子入りまでしたのです。けれどベンツでしょう?いかんせん禁煙がうまくいかなくて」
湯煎したチョコレートのボウルから螺子やホイールを引き出そうとしても、タクシー模型やら頭につける方のボンネットやらが出てきてしまうものだから魔女の3つの顔にかわるがわるダメ出しをされたのだという。
「ところで三倍返しというルールはご存知でしょうね?」不知ないし否認し「先月14日、私は1000万円を貴方に渡そうとしました」
あの。
「ですから貴方には今月14日、私に対して3000万円相当の『お返し』をする義務が生じているのです。未だ履行を見ていない私の1000万円については慚愧に堪えませんが、やむを得ず『お返し』の一部と相殺して頂くことにして、お返しは2000万円で結構ですよとこういうわけです」
そんなわけで2000万円の債務を負うことになった。
諸般の事情により4月から6月の記事しかないのだが、印象に残った記事をあげておく。自分は増田に書かれていることはすべて本気で書かれていると考えることにしているので釣りかどうかの判断は記事に対する評価に含めていない。
自分はディズニーシーについてほとんど知らないし、ストームライダーというアトラクションの名前すら知らなかったのだけど、この記事を読んで一度体験してみたかったなと思った。テーマパークのアトラクションに対する愛を表明する記事を読んだのは初めてだったが、たとえばディズニークラスタあたりだとこういう語りってよくあったりするんだろうか。
なにか瑞々しさがあって好きな文章。かわいいというかいとおしい。
確かにレスターの綴りちょっと妙だな……と思ってたけどこんな由来があるとは。増田の底力を感じる好エントリ。
なにかよくわからないけど面白い。続きか、あるいは増田の他の文章を読んでみたい。
そんなところです。
よいお年を。
女子大時代の友人二人と3-4年ぶりに会ってお茶をすることになったのだが、二人と私の住む世界、流れる時間が違いすぎて軽く吐き気がした話。
院卒、メーカーの開発職。今年の年末にも職場の同期と結婚する予定。
大学院を博士課程(しかも国文学で)まで行ったけど、曰く「私普通に就職することにしたの」とのこと。
なかなか論文も書けないし、満期取得退学?して就活するつもりらしい。
だけどその決心もつかないから最近のマイブームは「スピリチュアル」。タロット占いや風水に一生懸命精を出しているらしい。
しょ、正気なのか…。
ちなみに結婚の予定はなさそう。彼女は恋愛については話したがらないが恐らく彼氏いない歴=年齢。しかしもはや突っ込める雰囲気ではない。
大学時代は1個上の先輩だったが、彼女は諸般の事情があり年齢が少し離れている。
大学院を修士まで出たあと、3-4年非正規で職を転々としていたはずだが、先月結婚。
そこからなんと専業主婦に。今の日本にそんな選択肢あったのかよ。
まあ旦那さん士業だし歳も先輩と近いし、そのへんの20代サラリーマンよりよっぽど収入安定してんだろうけどさあ。。
「寒い地域でとれるものが良いんだよ増田ちゃん!」と力説された。
※歳があいまいなのは度々公称年齢が2-3歳変わるから。そこに突っ込まないのは仲間内でのお約束になって久しい。
性格もふたりとものんびりしていて、学生時代からうすうす住む世界が違うことはなんとなく感じていたが。。
二人といわゆる本音トークをしている時、私が何度「あんた甘いよ」「それ本気?」と言いたくなるのをぐっとこらえたことか。
私が学生時代から長く働きやすい会社を探したり、理解ある夫に出会うのに努力したのがアホみたいに思えてきて目眩がした。
そんなの許されるのかよ。
**誰かみんなの主張のまとめを作ってくれないですか?** (まあそれこそお前がやれよって話かもしれないので、誰もやってくれなかったら私がしますが。。)
最近、JQueryはもはや不要でReactさえあればOK,みたいな記事をよく見ますね。
論旨としては、どうせトランスパイラ使ってるんだからもっと便利な書き方しようぜ!ってことなんだと思います。(virtual DOMがメインだ!という話もあったけど、じゃあ何でReactなの?というのは聞きたいかな。メジャーだから?)
ちなみに私は昔coffeeとbackbone.jsか何かで業務用のページ(SPAではなかったような気がする)を作るお仕事をしたことがありますが、フロントエンドエンジニアというわけではないです。どちらかというとサーバー管理とかのほうがよく知っていると思いますが、Javascriptもそれなりには書くくらいの感じの人です。Reactは不幸にして一度も触ったことがないので、以下の文章はすべてコードサンプルをみたうえでの感想です。
まずこれ。正直そんなにたくさん動的にがりがり書き換えているページをあんまり見ない気がするんですよね。その上正直そういうウェブページ、あったとしても大体使いづらいです。
世の中のページが全部FBならいいのかもしれませんが、具体的にはどんなところで使ってるんでしょう。業務ページとかですか?あと、なぜSPAにしなければいけないのかもよくわからないです。画面遷移するのだめなの?という感じで。
トランスコンパイラを使うのって、結局「将来的には全部ES6になるのだから、今のうちからES6で書いておけば将来のメンテナンスコストとかも減ってうれしいよね!」っていうことなんだと思います。
こういう例、JS以外にもいろいろあって、例えばboost、Androidのsupport library, Pythonのfrom __future__ importなどなどあると思うんですが、どれもやっぱり将来的なコストを見据えて、非標準のライブラリ・記法を使いましょう、ってことですよね。
でもJSXってそういうのじゃないじゃないですか。いわばsupport libraryを使うのとmonoで全部書くのと、位の違いがあるように見えます(そこまでは違わないかw)。そういう考察を一切入れずに、「どうせトランスパイラ使ってるんだから拡張記法使っちゃおうぜ!!」っていうのはかなり危ういように見えます。
そもそも、JSって結構独特な言語ですよね。もちろん今はnode.jsとかあるわけですけど、まあやっぱりスクリプト言語の標準の座ってPythonやRubyですよ。世の大多数の人はそっちのが使いやすいとおもってるんでしょう。ということでそもそもトランスパイラ通すんだったらもっと普通の言語から変えるようなソフトウェアが流行ってもいいんじゃないかなあとか思いますけど、そういうのがないのも謎です。dartとかどうなってるんですかね。(まtypescriptとか一種それだという話もあるか)
五年、十年あとにReact.jsって流行ってるんでしょうか。例えば五年前はcoffee scriptが結構流行ってましたけど、たしかもうサポート打ち切りとかになっちゃったんですよね。もちろん営利企業がバックなので、そこまで急になくなるかはわからないですけど、五年したらみんなまた別のライブラリがすごい!!みたいに言ってるんじゃないでしょうか。
まあだからこれはフロントエンドエンジニア業界全体の問題なのかもしれませんが、そういう将来的な保守コストをどう考えているのかが気になります。特にもし業務ページであるなら、せいぜいがなるべく枯れたライブラリ(≒JQuery)と、テンプレートエンジンあるいはフォーマットストリングでも使ってpure ES6で書いたほうがいいんじゃないでしょうか。そうすると結局SPAにはしないですよね。
まあこれを突き詰めるとじゃあetaxもactivexで、銀行のシステムはcobolで、マシンはpc98で、、、とかなっちゃうかもしれないんで、難しいところではあるとは思いますが、、、
とりあえずこんなところで、有識者の皆さんよろしくお願いします。
React.jsでした。angularと混ざりました。。あと特に喧嘩売ってるつもりとかは全くないですがそう見えたらごめんね。
id:murishinai 主張は単純で、せいぜいES6+トランスコンパイラ(+JQuery)とかでいいんじゃね、遷移はサーバー側でやったほうが楽じゃない?という感じです。
id:wordi virtual domが最大のメリット、ってのはよく見る意見ですね。例えば実際どんな場面で(どのくらいの規模のプログラムで)domの改変コストが効いてくるのか、みたいな実例を教えてくださると助かります。(もちろんFBとかはそうでしょうけど、もっとなんだろう、身近な例でお願いしたいです。)なんかReactががりがり(かつユーザー目線から見て有効的に)使われている例がイメージ出来ないのが問題な気がしてきました。
id:logic ええっと、それはそうなんですけど、なんだろう。標準のもので、少なくとも今後10年はあるだろうと言うもの(たとえばES6+フォーマットストリング)があるのにも関わらず、今後5年持つかもわからないライブラリを全面に押し出すの、ちょっと怖く見えるなあという気持ちです。
id:erukiti 具体的に頭の悪い点をご教授くださるとたいへんありがたいです。小規模だとそもそもvirtual domのメリットもなさそうですし、ES6標準でええんちゃうのんという気がしてならないのですが。
id:manaten もちろんFBやGMailをJQueryだけで作るのは不可能だと思います。だからFBはReactを、GはAngularを作ったのでしょうが、逆にそんなに気軽に使うようなものにも思えないのですよね。それこそ何百ブクマも付くのやべえなあ、と。(ところで私にはReactよりAngularJSのほうがずっと気持ちよく見えます)
SPAが使いづらいってのは言いすぎかな。正確には、「ページ遷移型のUIに比べて、SPAであることのメリットが明らかに生きているページって少なくないですか?」ということです。もちろんFBとかGとかtwとかは例外だと思いますけど、DOMを1000個とか10000個とかいじくり回しているページばっかあるようには思えない。もちろんどーーしてもSPAじゃなきゃダメなんだっていうならこの手のライブラリを使うといいとは思うんですが、どっちかというとニッチな需要じゃないでしょうか。
あとなんか保守点検に関する意識がちょっと違うのかなっていうコメントが散見されたんですけど、うーん、一発書いて書きっぱなしっていう案件そんなにあるんですかね?ちょっとそこがよくわかんないです。一度書いてもやっぱりn年先、さらにもっと言えば自分がその職場からいなくなった後のことまで考えてプログラム書くべきだと思うんです。そうすると、例えば数年後のプログラマにとってのReactは今のprototype.jsになってるかもしれない。そういうリスクが怖いです。勉強すればいいじゃんっていう意見もそうなんですが、なんでしょう、どちらかと言うと保守を気にしているので、そっちじゃないです。まあ幸いにして私は人の書いたJSをいじくり回した経験はないので、ただの推測なんですが。
それともしかしたら「枯れた技術」あるは「標準化」という意識があんまりないのかなとも思いました。まあ確かに「Webの世界は日進月歩!」ってことなのかもしれないんですが…。別のページのブコメとか見ても、「枯れた技術を使う」=「不勉強」みたいなのがあって、不思議です。。
あとcoffeeのころ、っていうコメントありましたが、あの頃はみんな夢がありましたよね。AltJSが世界を救う!みたいな。翻って今はどうか。それを思うと、やっぱり何でもかんでもReactじゃ、という意見には違和感を感じるんですよ。
増田に書いたのは単にみんなが見てくれるというだけの理由です。そもそも今諸般の事情でお仕事としてのエンジニアはしていないですし。ほんとに純粋な質問だと思ってもらえればうれしいです。
まあ長くなってきたので私のブログにまとめ直してもいいのですけど。
そういえばモバイルという話も出ていましたが、先日のandroid instant appsって、アレ「HTMLでモバイル向けに軽快なリッチUI作るの無理だからやめような」ってことかと思ったんですが、どうでしょうか。もちろん今現在は必要ですけど~。