はてなキーワード: 中国式とは
俺の担当者は当時一人だったんだけど、
その担当者に連れられてお店に着くと、
(言葉は分からないけど、席と皿や箸が準備されるので分かった。)
少人数で食事の予定が変更となり、会った事もない方々と初対面で飯を食う事に。
担当者のお気に入りのお店が何軒か有って、そこを紹介してもらう。
お好きな方々はお持ち帰りとなる。
お持ち帰りにならないのは真面目な方かと言えば、
契約で囲っていたりしていたようだ。
契約料金とか、いかに可愛いかとか美人かとか自慢話が多かったと思う。
因みに、他の電気部品メーカーの件で、マカオ近くの珠海という町に行った時、
そちらのメーカーの担当者から、現地の夜の事情を伺った事が有り、
ちらっとその話をしたら、やけに喰いついてきていた。
一晩幾ら位とか、契約で幾ら位とか...
俺が現地に詳しい訳じゃないから分かるわけ無いだろ... 分かってくださいよ。
長くても2週間、短ければ3、4日の滞在期間中、逆に毎日食事に誘われ、
上はトランス女性への根源的恐怖感はスルーされていいわけ?より
下は「公衆浴場の男女別は身体的特徴で判断を」 LGBT法で厚労省が通知より
takeishi スルーされていいのでは/そもそもトランスジェンダーじゃなくても男性っぽい外見の女性もいるわけで/防犯対策はその場に出入り可能な全員を疑ってかからないと。
aquatofana それは「MtFへの恐怖」ではなく「シスヘテロ男性への恐怖」であり、「適合手術前MtFがシスへテロ男性ではないことを証明する適切な手段の不在」の問題ではないか。切り分けて考えないと、解決するものも解決しないよ。
aquatofana そも誤解されそうなレベルのTがどれだけ公衆浴場を使いたくなるのか。未成年で修学旅行とか、災害時に家で入浴できずとか、そういうケースしか思い浮かばない。
by-king 『差別』の辞書的意味は2つあり、①単なる区別の事を指す場合と、②特に不当なものを指して言う場合がある。この厚労省の文章は②だとすると意味は通る。https://sakura-paris.org/dict/%E5%BA%83%E8%BE%9E%E8%8B%91/content/8052_1798
taruhachi 子供の頃、黒人が怖かった。今でも身体がでかい人にの横では威圧感を感じる。ただ、だからといって彼らを排除するべきと言う考え方は恥ずべき考え方だと思う。
taruhachi ついでに今こそ混浴を見直すべき。そこに実際に女性が入るかどうかは別としてその存在を違法として規制するような文化じゃない。
opnihc 部落差別する人は同和の人は怖いと言うし、黒人差別する人は黒人が怖いという。怖いなどという偏見は差別を正当化する理由には微塵もならない。増田はこのあからさまな差別を恥ずかしげもなくよくやるなと思うわ
misafusa 後は、身体が男なら性欲も男のものだってのもある。中高生なんかは「風が吹いても勃起する」なんて言われるくらい、男は簡単にその気になるんだよ。性的指向と無関係に男相手にだって立つときは立つわけよ。
misafusa そう。性自認がどっちでも関係ないという点が重要。これは判別する方法がないからじゃない。100%確実に判別する方法があったとしても変わらないということが大切。
econcon 便宜上マジョリティの都合を通してるだけって事が理解できずにドヤ顔で当然とか言ってる人の多さを見るにマイノリティの生きづらさは相当なものだと思う
marilyn-yasu T女性は男湯に入ることに嫌悪感があったり、T男性は女湯に入ることに嫌悪感がある。入るな我慢しろじゃなくて男湯女湯を半分にしてメインに誰でも湯を作るべき(まず湯浴み着ありでも)。
marilyn-yasu 当面この方針でもいいが、それよりも既存の男湯女湯を削りその分水着湯浴み着湯を作るべき。トランスだけでなくシングル家庭の異性親子も救われる。
beed LGBTとかも大事だろうけどさ。こういう女性の気持ちを尊重しないならそもそも男女分ける意味がないと思うんだけどね。
beed この判断はこれでいいのだけど、合理的な区別も差別だよ。国語辞典引いてみなよ。差別は「差をつけて扱うこと、分けること」であって、そもそも男女別自体差別だよ。公共の福祉のためにどこまでやっていいかの問題。
tokuniimihanai 差別とは不合理な区別のことなのだから「合理的な区別は差別ではない」は自明であり何も問題はないが。問題は差別主義者が合理性を判断する能力など持ち合わせていないこと。
wildhog マッチョなシスレズ女性が入ってきたらどうなの?一番ポリコレなのはやっぱり混浴だね。区別がなければ差別は存在できない。
wildhog これは訴訟覚悟の通知だと思うけど、このおかげで銭湯側は負けたときは賠償を役所に付け回せるので少し安心できる
WinterMute クズいなー/よりによって「気持ちはわかる」と言いながら違う例を出す奴、区別はできないと言って排除を正当化する奴、と最悪のブコメが人気でもうなんか笑える
WinterMute そうじゃなくて、身体的特徴で区分してよい、いずれにせよ区分の基準は事前に見える場所に提示すること、でいいじゃん。一律に基準を定めずに「これまで通り運用していいよ」ってお墨付きがあればいいでしょ
songe 国際的にはこれが差別なんだから狂っている世相だわ。ただ、リベラリズムを通すと自認する性別の風呂に入るとなる。
vkara 心が女でもボーイッシュな服装が好きな人もいるだろうし、分かりやすいように女らしくしろとも言えない。ただ嘘をついて入ってこれない仕組みはほしい。嘘つき男が入れる隙を作るのは怖い。怖いのは隙を伺う変態だけ
vkara 当たり前なんよ。男女で分かれてる風呂において内心は関係ない。/これを当たり前と思う人がTERFと呼ばれるおかしな社会。
y-wood 論理でマウントし、乗っかったのがトップブコメ。苦しんでる人を理解しない俺様に恐れ入る。人間の本音が卑しいなら中国式の総監視社会の方が幸せだと思う。(多くのトランスは無用なトラブル行動をしないと思われ)
xorzx 江戸時代の銭湯は混浴だったが風紀を乱す理由で男女別になって今に続いていると思う。施設側の主張として男女の浴場での身体的特徴が異なれば風紀を乱すとの理由なら許容されるのか?
コロナより経済に殺されるを合言葉に、日本式のゆるふわコロナ対策は良く批判される
でもゼロコロナやってた国は台湾中国以外全滅だし、そもそもゼロコロナは人権的にどうなんだみたいな話もあるし
加えて最近の中国のコロナ拡大でゼロコロナ限界論もあったりする
どういう方法がいいんだろうって思ってたんだけど先月の香港の事例見てぞっとしたよね
香港はゼロコロナがうまくいってしまってワクチンを接種するインセンティブがなかったから老人はワクチン打つひとが少なかった
その結果、人口750万人で一日76000人の感染者、290人の死者だった
日本でいうなら、感染者120万人、死者4600人ってことになる
それが結果的にオミクロンでとんでもない致死率になってしまった
この例からみて、オミクロンが最初のコロナだったらってぞっとするのよね
それで何が言いたいかって
最初にオミクロンレベルの感染力のものがパンデミックになってたら
コロナより経済に殺されるなんて言うゆるふわコロナ対策じゃ終わってたって事よね
「欧米の(民主主義の)基準を無理に押しつけるのではなく、各国の状況に応じて推進すべきだ」
「ある国が民主的であるかどうかは、その国の人民が判断するものであり、外部が評価することではない」
「人民代表大会や政治協商会議といった組織を有する中国の政治制度の有効性や、党の指導下で追求してきたとする中国独自の民主主義などを説明し『中国では民主主義の概念が人々の日常や生産活動に深く根付いており、社会が活気づいている』と強調した」
「民主と専政は矛盾しない。少数をたたくのは大多数を守るためであり、専政を実践することは民主主義を実現するためだ」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/7a2e64e31ea00735807668d279903d9206e0a486
いっそ全員同じラケット使えばいいのに。試合前に新しいの配る。それじゃやりづらいのはもちろんわかるけど、フェアではあるでしょ。何種類かの中から選べるのでもいいよ。マリカーみたいね。
これ自体は個人のひとり言のようなものですし強く咎める気はありませんが、これに大量のスターが付いていたことに何よりも愕然としました。
いくらなんでもエアプが過ぎるでしょと。もうね、アホかと、馬鹿かと。
お前らな、金メダル如きで普段観てない卓球にいっちょ噛みしてんじゃねーよ、ボケが。
なんか涙とか色々出てるし。旧知のペアで金メダルか。おめでてーな。
実況がよーし3-3で最終ゲームだぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。頭抱えて音だけ聞いてたわ。
卓球用具にどれだけ種類があるのかという話と、補助剤問題についての話をします。
最も使用者が多い形状。アジア以外の選手はほぼ全員これと言っていい
両面にラバーを貼って使い分ける
汎用性が高く様々な戦い方ができる
基本的にラバーを片面にしか貼らない(=同じ面でフォア・バック両方に対応する)ものだったが、今は両面に貼って戦うスタイルが主流
シェイクハンドに比べて手首を動かしやすいなどのメリットがある
先日水谷・伊藤ペアと決勝で戦った中国の許昕(Xu Xin:男性の方)は現代最強の中ペン使い
かつて日本の選手たちはこのラケットを手に世界を席巻したが、現在は絶滅危惧種
「ピンポン」のペコはこれ
木の一枚板。ヒノキとか
厚いほど反発力が増すが、コントロールが難しくなるし重くなる
木の合板。3枚とか5枚とか7枚とか
枚数の多い方が反発力が増すが、コントロールが難しくなるし重くなる
合板より軽く反発力も高いが、独特な打球感を好まない人もいる
中~上級者向け
ラケットの両面にラバーを貼る場合、ルール上「どちらかが赤、もう片方が黒」でなければならない
(同じ色で性質の異なるラバーを各面に貼って相手を混乱させる選手が現れるため)
球との表面積が大きく、回転をかけやすいオールラウンドに使えるラバー
実はこのつぶつぶのある方が「表」
裏ソフトに比べ球との表面積が小さいので球離れが良く強打に向く
相手の回転をいなしたり逆回転にして返したりと、相手のかけた回転を利用したトリッキーな戦いができる。触ると気持ちいい
後方で相手の強打をいなす守備的な戦型や、打球が変化する性質を利用して前陣でブロックを駆使する戦型と相性が良い
いずれにせよ、回転を熟知しないとその特殊な性能を生かしづらい上級者向けラバー
「ピンポン」のスマイルが物語後半でバック面に採用したのがこれ
ぱっと見は普通の裏ソフトラバーだが摩擦力が殆どなく、回転が命の卓球において自ら回転をかけるのが難しいという特異な性質を持つ
したがって粒高のように相手の回転を利用する戦い方になるが、粒高よりもナックル性の球を返しやすい
よって片面にアンチ、もう片面に裏ソフトや表ソフトを貼り、両面の回転量の差で相手を翻弄するのが基本戦術となる
(両面同色が許された時代はそれで猛威を振るった…らしい)
現役選手ではアメリー・ゾルヤ(オーストリア)くらいしか使用者を知らない 粒高以上に変態向け
更にラバーのゴムの下に貼るスポンジにも厚さや硬さなどに違いがある
卓球用具最大手のバタフライではラバー1種につき少なくとも3段階のスポンジ厚が用意されている
厚いほど威力が増すので攻撃的な選手は基本厚み全ツッパだが、重みが増したりコントロールがしづらくなる
守備的に戦う選手は調節して両面で厚さや固さの違うラバーを貼ることもある
ごくまれにスポンジのない、ゴムだけのラバーを使用する選手もいる
グリップの形状も色々種類があり、更に各自が手になじむように削ったりテープを巻いたりする
というわけでね、ざっくり説明しましたけども「全員同じラケットで」試合をするということがいかに困難かお分かりいただけるかと思います。やりづらいとかいう以前に、そもそも物が違うんです
上記の用具の多様な組み合わせを「何種類かの中から選べる」ようにしたところでカバーできるものでもありません
(そもそもトップ選手の多くは特注ラケットだというのはさておき)
卓球には各選手の個性に加えて様々なプレイスタイル(戦型)があり、それぞれに合った用具の組み合わせがあります
ドライブ型、前陣速攻型、カット主戦型、前陣攻守型、異質攻撃型…
もし使用ラケットを「シェイクハンド/7枚合板/裏裏/テンション系/ストレートグリップ」の規格品に統一したら、卓球は同じような戦い方ばかりになり、プロもアマチュアもプレイの面白みを失っていくでしょう。自分に合うプレイスタイル、合う用具を見つける面白さも卓球の魅力なので。
あと単純にコストの問題として、トップ選手は早くて1~2週間ほどでラバーを交換するなど、ラケット周りは消耗品です。大会側で検査済のものを用意して全て賄うというのはさすがに無茶です。
そして何より、規格品を使用せよという意見は各選手の身体的差異(性別、身長、体重、骨格、手の大きさ、筋肉量…etc)をはっきり無視しています
人によって良好なパフォーマンスを発揮できる用具の組み合わせが異なる中で、たまたま規格品に適応した選手が有利になる、すなわち規格品の変更次第で有利不利が変わり得る状態は競技として適切とは言えません
様々なハンディキャップを抱えながら競技に挑む人々に対しても規格品の使用を強いるべきでしょうか?卓球というかそもそもスポーツに大して興味がないのは分かりますが、興味がないなりに最低限の思慮と検索を以て、そのスターを押す前に少しだけ立ち止まって考えてみてほしいと切に願います
と思ったけど簡潔で分かりやすい記事があったのでそれ貼って終わりにします
https://rallys.online/forplayers/whats-hojozai/
「2016年には日本卓球協会が反発係数を測定するラケット検査の導入を提案したが、ITTFはコスト面などを理由にこれを否決した」
まあそういうことですわ やボ神(やっぱりボルって神だわ)
あと「技術の発展で用具が進化するのは当然」という意見もあって、原則論としてはそうなんですけど、今は卓球のラバーに限った話なので的外れです。
「ラバーの後加工(出荷された後のラバーに加工を加えて性能を変化させること)」がルールで禁止されている中で、正規に出荷された商品に選手がそれぞれ勝手に薬剤を使用することを容認してしまったら、フェアネスを保つことは困難です。
陸上のシューズにしろ、競泳の水着にしろ、国際的な競技団体による承認を得た上で使用されているはずです(だよね?)。卓球も同様です。
ただ、ITTFの承認を得ているかどうかが見て取れるラバーやラケットと異なり、塗布された薬剤はその場で承認の有無を判別できる代物ではありません。承認済みの薬剤なのか、それとも未承認でフェアネスを著しく乱す薬剤なのか、正確に判別できるでしょうか?
なのでラバーを貼った状態での反発係数に上限を設けて試合前に測定するのがベストだと思うんですけどね~ITTFがね~
測定コストをより削減できたとしても首を縦に振るかは怪しいところ
やってるのは中国の選手だけじゃないだろうけど、中国の選手がこの問題に言及してるところはまあ~見たことないですね
あったら教えて!
あ、あと五輪卓球は女子シングルス準決勝に伊藤美誠が今出ていて、シングルスが終わったら男女団体戦があります!興味があればよろしくね!
何か世間ではパヨクが日本学術会議にいちゃもんつけているらしいが、国際的な常識から外れている。
偉大な国家に批判的な学者が、国の仕事から干されるのは、中国では普通のことだ。
コロナという未曽有の危機に対して日本は、軍事的にはアメリカと、経済的には中国と関係を深めて危機を乗り切ろうとしている。
二階幹事長が諸々を取り仕切って上手くやってくれようとしているが、より中国と上手くやっていくために中国的な考えを導入するのは当然のことだ。
日本は元々東アジアの国なので、西洋のパヨク的な価値観よりも東アジアの価値観の方があっている。
彼らが下手に国外の人間と仲良くするようになると、経済的においしくなくなる。
たまにはねっかえりを締め付けていけば中国向けのアピールにもなる。
生かさぬように殺さぬように、芸人を使って「西洋パヨクリベラルは馬鹿」と言い続けておけば、馬鹿にされていない方についてくる。
という訳でこの偉大な国家戦略が理解できない人間はうかつなことを言わない方がよい。
東アジアの大国日本が、西洋パヨクリベラルから離れて中国式の制度に回帰するのは必然であり、中国共産党の前のアジアの大帝国、大日本帝国復活のためには必要なことである。
やり方が中途半端で、早晩北朝鮮化するとか、反日的な事を考えてはいけない。
もし反日的な考えが頭に浮かんだら、ツィッターでリベラルを見て指さして笑おう。人を指さして笑えば気分が楽になる。
目の前の課題に対峙する仕事は偉い人がやってくれるし、万が一、課題を放置して自分の人生が頓挫したら黙ってセップクして他人に迷惑をかけないのが日本人らしい江戸しぐさである。
西洋パヨクリベラルに騙されて、うかつに人に助けを求めたりしないように。
まずは自助、そして共助、最後に公助である。だから政府に文句をいってはいけない。とにかく日本人らしく生きることを忘れないようにしましょう。
感染力は低いが致死率は比較的高いMERSの初期封じ込め策を、インフルエンザ並みに高い感染力だが致死率も同程度に低いCOVID-19に無理やり適用して医療現場が大崩壊してるのが韓国の現状なんだが
向こうの全国紙のコラムでもおおっぴらにこういうことが言われ始めてるぞ
https://japanese.joins.com/JArticle/263236?sectcode=120&servcode=100
韓国はどちらか。我々は中国の凄じい感染状況と混乱に恐れをなしたためか、最初から症状の軽重とは関係なく、とにかく感染者を捜し出して隔離した。全体的な病床規模や医療陣状況などを綿密に考慮することもせずにだ。その結果、格別な症状のない軽症者は病院の食事を食い減らして重症者用陰圧病室に横になっている場合が多い。当の重傷者には病床がなく自家隔離中に死んでいくということだ。世界保健機関(WHO)では称賛が高いといっても、中国式の封鎖・隔離モデルは韓国では到底使うことはできない。「大邱封鎖」云々するだけでも与党報道官が追い出されるというところなのに。自家隔離中の感染者や感染が疑われる人が外に出るため完全に防ぐ方法がない。
米国と日本では、相当期間の高熱と乾いたせきおよび咽喉痛などがないととコロナ検査は行わない。これに対して「米国大統領選挙と日本オリンピック(五輪)開催を意識した消極的対応」という陰謀説も出ているが、それぞれ明確な論理がある。「手当たりしだいに軽症コロナ患者まで入院治療すれば医療システムが崩壊して、寸刻を争う急病患者が治療できなくなる」という主張だ。
(この日記は、「副業で風俗レポを連載していたのだが、」https://anond.hatelabo.jp/20171023190844を「俺が編集者ならこう書き換える」という内容に無断で編集したものです。)
お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ!
某月某日、夜。駅前の商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。
インターホンを鳴らすと、異様に背の低い白髪の老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡された。メニュー表には複数のコースが書かれていたが、婆さんは大きな目をさらに大きくして90分一万円のコースをゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。
部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一気に表情がやわらぐ。かわいい! 大きな目に長いまつげ。ピンク色のぽってりした唇が印象的。髪は長めで、えり足がスッキリとまとめられている。あらわになったうなじがセクシー。しかし、何より目を引くのはオッパイ。かなりでかい! 上着がパンパンに膨れあがってる。そして、むき出しになった太もも。僕が太ももフェチになったのは、この日がきっかけかも。ミニスカートからのびる二本の素足。た、たまらん....。
ナナ「初めてですか?」
僕 「はい」
僕 「あ、はい」
ナナ「じゃあ、脱いで待ってて」
ナナちゃんが部屋を出ていく。言われるままに服を脱ぐ僕。上半身裸になったところで、ナナちゃんがバスタオルを持って戻ってくる。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕のズボンのベルトを引っ張る。脱ぐように促しているのだ。恥ずかしながら、僕はすでにビンビン。ナナちゃんがそれを見て、キャッと笑う。腰に白いバスタオルが巻かれると、腹部がふくれあがり、その形状はまるで雪山。
一緒にシャワールームへ。ナナちゃんが全身をやさしく洗ってくれる。「後ろ向いて」「はい、前」「もう一回後ろ」ころころと向きを変える僕。後ろ向きになると、ナナちゃんの手首が僕の足のつけねを通って、さわ~、と尻の穴を通過。最高だ...。タオルで体を拭いてもらい、部屋に戻る。紙パンツを渡されたが、明らかに小さい。無理して履いてみたが、思いっきりハミ出てしまう。ナナちゃんがそれを見てウフフと笑う。
ナナ「・・・やっぱり、あおむけでいいよ。うつぶせ、痛そうだから」
うつぶせだと、いきり立ったモノが圧迫されて痛いと判断されたらしい(笑)それで急遽、あおむけの態勢から始めることに。ナナちゃんが僕のひざの上にまたがると、太ももの感触がじかに伝わる。う~ん、たまらん!
まずは首筋のマッサージ。ナナちゃんが前かがみになると、はだけた胸もとから谷間が見える。膝を動かすたびに、スカートの中もちらり。これってわざと!? そして、ここから先は怒濤の展開。まだ序盤なのに、ナナちゃんが僕の全身にオイルを塗り始めた! 本来はうつぶせでじっくりと肩や腰をもんでから、ようやくあおむけになり、オイルが登場するのは後半なのだ。しかし、ナナちゃんは通常のセオリーをすっ飛ばして、大暴走。おそらく僕の興奮が伝わり、一気にスパークしたのだ! 奇跡のフュージョン。国籍を越えた魂の交感。ナナちゃんの指先が、僕の体の上を縦横無尽に滑走。そのなめらかな滑りは、ロシアのフィギュアスケーター、ユリア・リプニツカヤ選手のようだ。僕はあっという間にフィニッシュ。開始からわずか30分。瞬殺だった...。
本来、こういったマッサージは焦らしてナンボ。ナナちゃんの施術はあまりにトリッキー過ぎた。でも僕は大満足! 最高のアジアンエステデビューであった。
🌑
これは、ある風俗系のサイトのために書いた原稿である。そのサイトが突然閉鎖してしまい、行き場所がなくなった。自分で言うのも何だが、本当に下らない。僕は二年近く、こんな文章ばかり書いていた。この記事は、新しい店を取材する時間が無かったので、苦しまぎれに昔話を書いたのだった。結果的にこの原稿は陽の目をみなかったわけだが、書きながら当時のことを色々と思い出した。
あの頃、実は僕はドン底の状態だった。親から継いだ会社を倒産させた後だったのだ。単なる地元の中小企業だったが、そこそこ歴史のある会社だった。古参幹部の裏切り、横領、大手の参入、理由を挙げればキリがないが、結局は僕が無能だったのだ。すべてを失った。恋人も仲間も、みんな去って行った。絵に描いたような転落人生だ。酒びたりの日々。毎日、目を覚ます頃にはすでに日が暮れかけていた。時計を見るのもつらかった。起きるとすぐに冷蔵庫を開けて、安い缶酎ハイをあおり、またベッドに戻る。酒が切れたらコンビニに行って、缶酎ハイとカップ麺を大量に買い込む。そんな生活が何ヵ月も続いていた。
いよいよ金が尽きてきたので、警備員のバイトを始めた。まわりは爺さんばかりだった。地元では警備員の仕事が高齢者の受け皿になっていた。爺さんたちと一緒に働いているうちに、まだ20代後半だった僕も、老後みたいな気分になっていた。
件のエステに行ったのは、そんな時期のことだった。前述の通り、僕は30分で果ててしまった。そのあとどうしたかというと、ずっと彼女とお喋りをしていた。彼女は色々な話をしてくれた。まだ来日して三年足らずで、日本語はジブリアニメで勉強していると言っていた。なぜか子供の頃の写真を持っていて、それを見せてくれた。山村の風景を背にして、薄汚れたシャツを着て立っている、仏頂面の少女が写っていた。それが彼女だった。話を聞いてみると、彼女は非常に貧しい家に生まれて、家族を支えるために、日本に出稼ぎに来ていたのだった。
僕も自分のことを話した。地元の中小企業の二代目社長。社員は26人。趣味はスキーとテニス、車はベンツを2台所有。どれも過去には本当のことだった。でもすべてを失っていた。僕は彼女に、会社経営の苦労や、幹部に対する不満を、現在進行形の悩みとして語った。彼女の前では社長でいたかった。悲しい見栄だ。話しているうちに、自然と涙が流れてきた。彼女がそっと抱き寄せてくれた。僕は彼女の胸に顔をうずめて泣いた。しばらくのあいだ泣き続けた。あのとき彼女はどんな気持ちだったのだろう。異国で、初対面の男が、いきなり泣きだしたのだ。理由もわからなかったはずだ。かなり戸惑ったにちがいない。
ナナちゃんと話した翌日から、僕は仕事で新しい現場に入った。美術館の警備スタッフだ。スタジオジブリのレイアウト展覧会だった。そこでマズイことが起きた。彼女が客として入場してきたのだ。どうやら彼女は一人で、オレンジのワンピースにスニーカーを履いて、髪はポニーテールにまとめていた。相変わらずちょっとツンとしていて、喋らなければどこからみても普通の若い女性だった。僕はあわてて顔を伏せた。見られてはいけない。彼女の中ではまだ僕は社長なのだ。警備服を着ているはずがないのだ。彼女は食い入るように展示物を見ていた。僕は帽子を限界まで目深に被り、ばれないようにした。
午後になって、今度は外の駐車場ですれ違いそうになり、あわててトラックの背後に隠れた。警備員なのに、僕の挙動は完全に泥棒だった。彼女は僕の前を通り過ぎて、その先の角を右に曲がっていった。彼女は僕の視界から消えた。
数日後に、地面が揺れた。これまでにないぐらい、大きく揺れた。巨大な津波が来て、あらゆるものを破壊した。そう遠くない場所で、原子力発電所が爆発した。日常が奪われ、何日も、何週間も、不安な状態が続いた。
僕はやることもなく、ふと思い立って再びあの店に行ってみた。当然のように閉まっていた。インターホンを鳴らすと、ゆっくりドアが開いた。中からあの大きな目の老婆が顔を出して、「やってませんよ」と言った。
僕 「いつごろ再開しますか?」
老婆「もうやらないよ。おしまい」
僕 「・・・」
老婆「みんな中国に帰ったよ」
僕 「ナナちゃんは?」
老婆「ナナも帰った。モモも帰った。サクラもユキもみんな帰った。日本は危ないから」
当たり前だが、ナナちゃんとはそれっきりだ。僕はほどなく上京して、小さな広告プロダクションに就職した。その後、仕事で知り合った風俗関係者に請われ、メンズエステの体験レポを書くようになった。
最初のうちは、アジアンエステを取材する度に彼女のことを思い出したものだが、最近はすっかり忘れてしまっていた。女性の胸に顔をうずめて泣くなんて、あの夜が最初で最後だと思う。
諸般の事情でサイトが閉鎖されてしまった。原稿が一本無駄になってしまったので、はてな匿名ダイアリーに放流する。
🌑
お久しぶり~。とにかく更新が滞りがちなこの連載。今回はちょっと趣向を変えて、生まれて初めてアジアンエステに行った日のことを書くぞ。もう六年半も前の話だ。僕のドスケベオイルマッサージ道はこの日から始まったのだ!
某月某日、夜。駅前の商店街を歩いていると、妖しく点滅する立て看板が目に入った。
インターホンを鳴らすと、異様に背の低い老婆が出てきた。待合室に通され、メニューを渡される。メニュー表には複数のコースが書かれていたが、婆さんは90分一万円のコースをゴリ押ししてきた。僕は気圧されて、よくわからないまま一万円を払った。
部屋に案内されて、ベッドに腰かけていると、小柄な女の子が入ってきた。名前はナナちゃん。第一印象はツンとして見えるが、笑うと一気に表情がやわらぐ。かわいい! 大きな目に長いまつげ。ピンク色のぽってりした唇が印象的。髪は長くて、えり足がスッキリとまとめられている。あらわになったうなじがセクシー。しかし、何より目を引くのはオッパイ。かなりでかい! 上着がパンパンに膨れあがってる。そして、むき出しになった太もも。僕が太ももフェチになったのは、この日がきっかけかも。ミニスカートからのびる二本の素足。た、たまらん....。
ナナ「初めてですか?」
僕 「はい」
僕 「あ、はい」
ナナ「じゃあ、脱いで待ってて」
ナナちゃんが部屋を出ていく。言われるままに服を脱ぐ僕。上半身裸になったところで、ナナちゃんがバスタオルを持って戻ってくる。いたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕のズボンのベルトを引っ張る。脱ぐように促しているのだ。恥ずかしながら、僕はすでにビンビン。ナナちゃんがそれを見て、キャッと笑う。腰に白いバスタオルが巻かれると、腹部がふくれあがり、その形状はまるで雪山。
一緒にシャワールームへ。ナナちゃんが全身をやさしく洗ってくれる。「後ろ向いて」「はい、前」「もう一回後ろ」ころころと向きを変える僕。後ろ向きになると、ナナちゃんの手首が僕の足のつけねを通って、さわ~、と尻の穴を通過。最高だ...。タオルで体を拭いてもらい、部屋に戻る。紙パンツを渡されたが、明らかに小さい。無理して履いてみたが、思いっきりハミ出てしまう。ナナちゃんがそれを見てウフフと笑う。
僕 「あ、はい...」
うつぶせだと、いきり立ったモノが圧迫されて痛いと判断されたらしい(笑)それで急遽、あおむけの態勢から始めることに。ナナちゃんが僕のひざの上にまたがると、太ももの感触がじかに伝わる。う~ん、たまらん!
まずは首筋のマッサージ。ナナちゃんが前かがみになると、はだけた胸もとから谷間が見える。膝を動かすたびに、スカートの中もちらり。これってわざと!? そして、ここから先は怒濤の展開。まだ序盤なのに、ナナちゃんが僕の全身にオイルを塗り始めた! 本来はうつぶせでじっくりと肩や腰をもんでから、ようやくあおむけになり、オイルが登場するのは後半なのだ。しかし、ナナちゃんは通常のセオリーをすっ飛ばして、大暴走。おそらく僕の興奮が伝わり、一気にスパークしたのだ! 奇跡のフュージョン。国籍を越えた魂の交感。ナナちゃんの指先が、僕の体の上を縦横無尽に滑走。そのなめらかな滑りは、ロシアのフィギュアスケーター、ユリア・リプニツカヤ選手のようだ。僕はあっという間にフィニッシュ。開始からわずか30分。瞬殺だった...。
本来、こういったマッサージは焦らしてナンボ。ナナちゃんの施術はあまりにトリッキー過ぎた。でも僕は大満足! 最高のアジアンエステデビューであった。
🌑
自分で言うのも何だが、本当に下らない。僕は某風俗サイトで二年近くこんな文章ばかり書いていた。先の記事は、新しい店を取材する時間が無かったので、苦しまぎれに昔話を書いたのだった。結果的にこの原稿は陽の目をみなかったわけだが、書きながら当時のことを色々と思い出した。あの頃、実は僕はドン底の状態だった。親から継いだ会社を倒産させた後だったのだ。単なる地元の中小企業だったが、そこそこ歴史のある会社だった。古参幹部の裏切り、横領、大手の参入、理由を挙げればキリがないが、結局は僕が無能だったのだ。すべてを失った。恋人も仲間も、みんな去って行った。絵に描いたような転落人生だ。酒びたりの日々。毎日、目を覚ます頃にはすでに日が暮れかけていた。時計を見るのもつらかった。起きるとすぐに冷蔵庫を開けて、安い缶酎ハイをあおり、またベッドに戻る。酒が切れたらコンビニに行って、缶酎ハイとカップ麺を大量に買い込む。そんな生活が何ヵ月も続いていた。
いよいよ金が尽きてきたので、警備員のバイトを始めた。まわりは爺さんばかりだった。地元では警備員の仕事が高齢者の受け皿になっていた。爺さんたちと一緒に働いているうちに、まだ20代後半だった僕も、老後みたいな気分になっていた。
件のエステに行ったのは、そんな時期のことだった。前述の通り、僕は30分で果ててしまった。そのあとどうしたかというと、ずっと彼女とお喋りをしていた。彼女は色々な話をしてくれた。まだ来日して三年足らずで、日本語はジブリアニメで勉強していると言っていた。なぜか子供の頃の写真を持っていて、それを見せてくれた。山村の風景を背にして、薄汚れたシャツを着て立っている、仏頂面の少女が写っていた。それが彼女だった。話を聞いてみると、彼女は非常に貧しい家に生まれて、家族を支えるために、日本に出稼ぎに来ていたのだった。
僕も自分のことを話した。地元の中小企業の二代目社長。社員は26人。趣味はスキーとテニス、車はベンツを2台所有。どれも過去には本当のことだった。でもすべてを失っていた。僕は彼女に、会社経営の苦労や、幹部に対する不満を、現在進行形の悩みとして語った。彼女の前では社長でいたかった。悲しい見栄だ。話しているうちに、自然と涙が流れてきた。彼女がそっと抱き寄せてくれた。僕は彼女の胸に顔をうずめて泣いた。しばらくのあいだ泣き続けた。あのとき彼女はどんな気持ちだったのだろう。異国で、初対面の男が、いきなり泣きだしたのだ。理由もわからなかったはずだ。かなり戸惑ったにちがいない。
この話には後日談がある。翌日から僕は仕事で新しい現場に入った。美術館の警備スタッフだ。スタジオジブリのレイアウト展覧会だった。そこでマズイことが起きた。彼女が客として入場してきたのだ。どうやら彼女は一人だった。僕はあわてて顔を伏せた。見られてはいけない。彼女の中ではまだ僕は社長なのだ。警備服を着ているはずがないのだ。彼女は食い入るように展示物を見ていた。僕は帽子を限界まで目深に被り、ばれないようにした。午後になると、今度は外の駐車場ですれ違いそうになり、あわててトラックの背後に隠れた。警備員なのに、僕の挙動は完全に泥棒だった。
数日後に、地面が揺れた。これまでにないぐらい、大きく揺れた。巨大な津波が来て、あらゆるものを破壊した。そう遠くない場所で、原子力発電所が爆発した。日常が奪われ、何日も、何週間も、不安な状態が続いた。再び店に行ってみると、当然のように閉まっていた。インターホンを鳴らすと、ゆっくりドアが開いた。中から背の低い老婆が現れて「やってませんよ」と言った。
僕 「いつごろ再開しますか?」
老婆「もうやらないよ。おしまい」
僕 「・・・」
老婆「みんな中国に帰ったよ」
僕 「ナナちゃんは?」
老婆「ナナも帰った。モモも帰った。サクラもユキもみんな帰った。日本は危ないから」
当たり前だが、ナナちゃんとはそれっきりだ。僕はほどなく上京して、小さな広告プロダクションに就職した。その後、仕事で知り合った風俗関係者に請われ、メンズエステの体験レポを書くようになった。最初のうちは、アジアンエステを取材する度に彼女のことを思い出したものだが、最近はすっかり忘れてしまっていた。女性の胸に顔をうずめて泣くなんて、あの夜が最初で最後だと思う。ナナちゃん、元気だろうか。