大学1年生の時にとった社会学言論の講義で、先生が「母性本能という概念は神話なんです。そんなものが生まれつき備わっているなんていうことはありません。」と言っていた。へえそうなのか、と思って印象に残った。それからボーヴォワールの紹介をしていたような気がする。長くアメリカの大学で教えていたおじいさん先生で、でもお年を感じさせないハキハキした口調だったのを覚えている。
それから15年くらい経って、分娩台で「はい、元気な女の子ですよー」と生まれたばかりの娘を胸に乗せられた時、やばいことを引き受けてしまったと思った。たぶん母親業は私一人の手に負えない。でも出てきちゃったし、後戻りはできない感じ...という当惑が一番に来た。世の女性はここで「かわいい!」とか思うらしいが、私にはそれはなかった。夫も私も、これが赤ん坊というもの(しかも本物)かーという心持だったように思う。
で、それからしばらく大変に苦しい子育ての時期を過ごしたわけだけれども、その間いつも思い出していたのは「母性本能なんて神話だ」という言葉だった。私はこの子供に対してかわいいという感情を抱いていないような気がするけれど、母性本能は神話だから問題ない。母性本能がなくても子育てはできるはず。しんどかったので、使えるサービスは有償無償なんでもつかった。諸般の事情で産休明けで仕事に復帰したのもよかった。うまい具合に保育園にも入れられた。両家の祖母たちも、シッターさんも駆使。私のように不完全な人間に全面的に育てられるよりも、色々なプロの人の手にかかって育ったほうがこの子にとっても幸福だろう。
その娘も今や小学生。なんだかよく喋る面白い子に育った。今もいろんなサービスに頼り、娘と楽しく過ごしてる。
大学一年生の時、あの社会学言論の講義をとらなかったら、あるいはその日講義を休んでいたら、今頃心を病んでいたか、あるいはもっと恐ろしいことになっていたもしれないなとふと思ったので書いてみた。