はてなキーワード: アジェンダとは
AKSの運用に関するベストプラクティス(原題: Applying best practices to Azure Kubernetes Service (AKS))がMS Igniteというイベントで話されていたので
https://myignite.techcommunity.microsoft.com/sessions/81598?source=SessionDeck
https://github.com/Azure/aks-bestpractices-ignite19
RTO(リカバリ時間目標)とRPO(目標複数時点)に応じて下記の4通りのシナリオがある
4にいくにしたがって
RTO=復旧するまでの時間が短くなる
17:22~
23:48~
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
『王様の耳はロバの耳』の話を知っているだろう。ある床屋が王様の髪を切りに行くのだが、その王様がロバのように特徴的な耳をしていることを知ってしまう話だ。それを知られたくなかった王様は誰かに言えば殺すと床屋を脅した。床屋は誰かに言いたくてたまらなかったが、何とか我慢をする日々を過ごす。
しかし、そのせいで床屋は病気になってしまった。言いたいことを言わないと腹が膨張していき、最終的に破裂するという恐ろしい病である。そこで床屋は、誰もいない林の近くに行き穴を掘って、そこに向かって王様の秘密を叫んだ。察しの通り、これが匿名ダイアリーの起源である。一説にはツイッターの鍵アカウントとする向きもあるが。
しかし匿名だろうが鍵アカだろうが、喋ってはいけないのなら黙っているのが賢明だ。それから季節が巡り、床屋が叫んだ場所に一本の木が生えた。通りがかった男はそれに何かを感じ取り、その木から笛を作ったのである。すると不思議なことに、その笛から「王様の耳はロバの耳」という音色が聞こえてくる。
不用意な発言を別の人間がたまたま見つけ、巡り巡って身バレしてしまったというわけだ。当然、王様は酷く怒ったが、秘密を秘密のままにしたいのであれば、そもそも誰にも明かすべきではない。ましてや昨日今日あった床屋に明かした時点で、王様のプライバシー意識にも落ち度がある。それでは隠しきれないし、暴かれたときには後の祭りだ。こうして王様は仕方なく開き直り、自分の耳を隠さず生きていくことにしたのだった。
ちなみに、主役の床屋以外にも王様の髪を切っていた床屋は何人もいたのだが、彼らが登場しないのは……“そういうこと”だ。
さて、この童話で学ぶべきことは「我々は皆、床屋である」ということだ。人間とは、何かを吐き出さないと死んでしまう生き物なのである。誰か聞いていても、いなくても、表明しなければ腹が膨らんで破裂してしまう。今ここにいることが、何よりその証明であろう。
お喋りな人間は首を切られるが、喋らない人間は病気になって死ぬ。やりたくてやっている人間も勿論いるだろうが、多くの人間は仕方なくやっているに過ぎない。いずれ“そのとき”が来るまで、誤魔化しながら生きながらえるしかないのだ。だから適当な林に行って、適当な穴を掘って、適当なことを叫ぶのである。
ここでいう“適当”を、私がどういう意味合いで使っているかは君への宿題だ。こっちも片手間でやっているから忙しいのである。
よし、では実際にやってみよう。君も、他の生徒たちと一緒に参加したまえ。
では、まず準備からだ。「正しくて綺麗な線」を引くためには、ペンと定規の段階から「正しくて綺麗」なものを用意するのが大事だ。「誰もが納得できる」ことも前提であるため、それらを皆が使えるよう潤沢であることも条件である。言うまでもないが、他の子が持っているのを奪うのはご法度だぞ。
おい、そこ!
……では、行き渡ったところでいよいよ線を引いておこう。おっと、ペンにちゃんとインクが入っているかは確認しておけよ。見えない線を引いたところで、その線が分かるのは自分だけだからな。こらこら、紙に残ったペンの筆圧を「見えているだろう」と言い張るんじゃない。そんな理屈で皆と同じ線を引けたというのは無理があるだろう。
いいか、焦るんじゃないぞ。同じペンと定規を使えば、皆は同じ線を引ける。つまり「誰もが納得できる正しくて綺麗な線」を……どうだ、引けただろう。
んん?
なんだこの線は。
君たち、ふざけているのか。
ペンと定規が同じなのに、なぜ同じ場所に、同じ長さの線を引けないんだ。
ほら、私の
を真似すればいいんだよ。
あれか、私に対する“あてつけ”か?
線を引けると、引こうと思っていること自体が間違っているとでも言いたいのか?
馬鹿言うんじゃない、間違っているのは君たちだ。
いや、違うな。
何となく分かる、私の生徒がここまで愚かなはずがない。
彼奴らめ、諦めてメートル法に従えばいいものを……ぐっ……ふぅ……
……まあ、そうだな、今回学ぶべき教訓は「線は簡単に引けるものでも、引くべきものでもない」といったところだ。
是非もなし。
https://twitter.com/LHSummers/status/1164490326549118976
"ここジャクソン・ホールにやってきて、経済学者は重要な問題に取り組んでいます。中央銀行は、これからの10年も、これまで私たちが考えてきたように、産業社会のマクロ経済の安定化ツールであり続けることができるでしょうか?アンナ・スタンズブリーと執筆中の論文で、私たちはそれは疑わしいと論証しています。"
"今や利下げの余地はほとんど残されていません。1970年代以来、アメリカ合衆国でリセッションが発生するとFedは常に500ベーシスポイント以上の利下げを実行してきました。そして多くの場合、実質金利は中立金利よりも400ベーシスポイント以上低かったのです。今や最大限可能な利下げ幅は200から300ベーシスポイント、実質金利は中立金利より150から250ベーシス下でしかありません。"
"わずかこれだけしか利下げの余地がない、これがアメリカ合衆国の現実です。だがこれでも先進国の中では最も金利が高いのです。ヨーロッパと日本においては状況はより深刻です。"
"これまで大規模な量的緩和としっかりしたフォワード・ガイダンスが試みられてきました。今、私たちはポスト量的緩和・フォワードガイダンスの世界に生きています。ある政策の説明をあれこれ言い換えてみたり、記者会見のタイミングを変えてみたり、見通しに関するプレゼンテーションの方法を変更してみたり、もはやそんなことでなんとかなるとは考えられません。"
"私たちはジャネット・イエレンの意見にはたいていは賛成しています。でも彼女が2016年にジャクソン・ホールで講演をしたとき、金融政策にはまだツールキットが残っているという彼女の楽観主義はまちがっていると思っていました。10年債の利回りが150ベーシスに落ち込んでいる現在ならなおさらのこと。"
"金融経済のブラックホール、私はゼロ近辺で固まってしまった利子率、そこから抜け出す見込みもない状態をこう呼ぶのですが、10年債の実質利回りがゼロないしマイナスのヨーロッパと日本のマーケットでは、それはもはや将来にわたって確信となっています。アメリカ合衆国も不況ひとつで彼らの仲間入りです。"
"先進国ではどこでも、失業率の急上昇のリスクはインフレ率の急上昇のリスクよりもはるかに大きい。マーケットの期待インフレ率が2%にはるかに足りないというのに、です。"
"金融当局は、金融政策を通じて、長期にわたり、望むだけのインフレを創り出すことができる、世界中の経済学部の学生は、それが公理だと教えられてきました。だがもはやその命題は大いに疑わしい。"
"多くの人は、その後におきた出来事で、アルヴィン・ハンセンの長期停滞論はまちがいであることが証明されたと信じています。でも事実は逆で、大恐慌から復活するのに第二次世界大戦が必要だったという事実は、彼が正しかったことの証明なのです。膨大な軍事支出がなければ「流動性の罠」がもたらすデフレシナリオは、しつこく続いたことでしょう。"
"「ブラックホール問題」、「長期停滞」、「日本化」、なんと呼ぼうといいのですが、この一連の事象が世界の中央銀行を悩ませているのです。"
"私たちはポスト・ケインジアンがずっと強調していたこと、最近ではトーマス・パリーが唱えていたことに賛成しなければならないようです。経済変動において、ある特定の要素の摩擦、不適合が果たす役割は、根本的な総需要不足に比べれば、あまり強調される問題ではない、ということです。"
"今度発表する論文で、私たちは、最近のコンセンサスのように、現在の状況を、単に中立金利の下落、低いインフレ率、名目金利の実効的な下限という観点から捉えることは、苦境を過小評価してしまうと主張しています。長期停滞はより深刻な問題なのです。"
"超低金利環境における限られた名目GDPの成長は中立金利が大幅に低下した証拠だと解釈されてきました。だがそれだけではありません。"
"総需要に対する金利の影響が急激に低下し、金利が低下するにつれて限界影響、すなわち低下した金利毎の総需要に対する影響が減少することも、同じぐらい確かなのだと思います、"
"ある局面では利子率の低下が総需要を減少させることさえあり得るのです。その原因は、例えば貯蓄行動の目標への影響であったり、金融機関の利ざや縮小からくる仲介機能の低下現象、いわゆるリバーサル・レート効果だったり、リアル・オプション効果を考慮して埋没的、不可逆的投資は止めておこうとなることだったり、低金利の財政赤字に及ぼす勘定効果であったりします。"
"この点は、マクロ経済学のダイアグラムを使って示すことができます。ISカーブは急勾配になり、非線形になり、後ろに向けて曲がることすらあるのです。"
https://twitter.com/LHSummers/status/1164490361881931777/photo/1
"もしマクロ経済安定化の中心的な問題が中立金利の低下にあるなら、その立場は、たぶん"オールド・ニュー・ケインジアン"と呼ぶべきなのでしょうが、利子率をじゅうぶんに下げることができるのであれば、金融政策によって完全雇用は達成可能です。"
"対照的に長期停滞の視点からは、この立場をニュー・オールド・ケインジアンと呼びましょう、仮に可能な場合であっても、総需要に少々刺激を与えるのがせいぜいで、最悪の場合は、総需要を減らすことすらあるのです。"
"さらに利下げは将来の経済のパフォーマンスを阻害することもあるのです。以下その理由を述べます。"
"第1に、金融システムの不安定化です。金融危機の原因はバブルと過剰なレバレッジにありましたが、それは2001年の景気後退に対する需要下支えのための政策対応の結果として生み出されたのです。日本の1980年代末のバブルも1987年のブラックマンデー後の緊縮財政環境における低金利に原因がありました。"
"第2に、企業のゾンビ化リスクです。利払いの問題に直面していない企業は、テストを受ける必要がない学生のようなものです。彼らは勝手気ままにどうみても収益性がみこめない事業にもフラフラと乗り出してしまう。さらに低金利は寡占企業の強大化とダイナミズムの低下を生み出すでしょう。"
"第3に、銀行の破綻リスクです。低金利は銀行の収益を圧迫し、顧客基盤のようなフランチャイズ・バリューを低下させ、自己資本規制のレベルがいかなるものであれ、銀行をショックに対して脆弱にするでしょう。"
"第4に、金融政策の有効性のさらなる減少リスク。現在の利下げが将来の需要の先食い、つまり企業が将来の投資を、消費者が持続的に必要な消費今するというレベルにまで至ると、現在の低金利は、将来の金融政策の効果の減少を含意することになります。"
"マクロ経済学者が注目すべき重要な問題は、適切な総需要を管理することです。私たちは、中央銀行が管理できるのだ、あるいは現在の金融政策の各種ツールでそれができるだろう、と提案することは、危険だと思っています。"
"もっとも注目されるべきが財政政策であることはあきらかです。とりわけ低金利、ゼロ以下の金利が財政赤字の持続可能性を示している現在の状況下ではなおさらのこと。"
"しかしながら需要の水準は政治構造の影響も受けます。例えば、社会保障の給付を当期の租税や保険料で賄うべきとするpay-as-you-go方式、定年の延長、社会保険の改善、民間のインフラ投資への援助、高貯蓄の富裕層から流動性が制約されている、要するにお金がない貧困層への再分配などです。"
"1970年代の高インフレ、高い利子率はマクロ経済学の政治思想、政策、制度に革命をもたらしました。低インフレ、低い利子率とこの10年の長期停滞は現在も深刻な形で進行中であり、マクロ経済学の世界に同じぐらい大きな改革が求められています。"
"ジャクソンホールの「金融政策への挑戦」で、この点に焦点があてられることを願っています。まああんまり期待していませんが。"
https://twitter.com/paulkrugman/status/1164604703424090112
"ラリー・サマーズのスレッドがおもしろい。まあ僕はいくらか疑問点ももっているけどね。あのあらぬ方向に曲がったISカーブには納得していない。でも全体の方向性としてははっきり正しい。次の不況で中央銀行に何かできる力が残っていると信じる理由はほとんどない。"
"中央銀行はそうは言わないけどね。でも彼らの立場も考えてやれよ。ドラギやパウエルが「うちらもうお手上げですわ」って言ってみ?マーケットはパニックになっちゃうよ。何もできなくても自信があるふりしなきゃならないのさ。"
"さらに2点。僕には中央銀行はまだこれが一時的なポスト金融危機時代の姿で、将来「正常化」できるかのように語り、振る舞っているように見える。でもね、もうリーマンショックから11年だよ!"
"言い換えれば、これが21世紀のノーマルなんだよ。グレート・モデレーション・マクロエコノミクス、中央銀行は景気循環をコントロールし、財政政策は緊急措置、そんな時代は戻ってこない。"
"ラリーは1970年代のインフレがマクロ経済学思想の刷新につながったことにも触れ、僕らも同じことをしなきゃならないと言った。僕も、なぜ今までそれがおきていないのか、僕らは厳しく問い詰められなければならないと思う。"
"結局のところ、現時点まで超低金利と持続的な需要不足は、スタグフレーションの時代よりも長く続いている。1970年代の7~8年の不調がすべてを変えたのに、2008年以来の11年でなんでこんなに変っていないの?"
"僕の考えでは、社会学と政治学のミックスに答えがある。しつこくつきまとう長期停滞の害悪は、保守的なアジェンダを産み、経済学者を古典派に回帰させた。だがまだ対照的な方法が残っている。"
"ジャクソン・ホールでラリー・サマーズ以外にも持続的な財政刺激策を主張する人がいて、オリヴィエ・ブランシャールを呼んで財政赤字を騒ぎ立てることが見当違いだって言わせればおもしろいと思う。レポート求む。"
(訳は適当です。マクロ経済学の知識がない人も分かるようにことばの意味を補っている箇所もあります。)
(追記)
参考文献を紹介しておきます。
Robert J Gordon "Macroeconomics 12th Edition"
https://www.amazon.com/Macroeconomics-12th-Pearson-Economics-Hardcover/dp/0138014914
https://www.amazon.co.jp/dp/B07KWMYP13/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
ローレンス・サマーズ、ベン・バーナンキ、ポール・クルーグマンwithアルヴィン・ハンセン「景気の回復が感じられないのはなぜか-長期停滞論争」
久々にこっちで雑感。
ツイッターとかの明示されたアカウントで語るには取り扱いに困る、そんな話をしたかったのが理由。「お前は敵がつくりてぇの?」って聞かれたら、作りたくもないし、作る意義もないからね。とはいえ、やっぱり語りたくなる。今回の『青のフラッグ』の44話には、そういったパワーがある。
いやあ、ほんと。本作は漫画という媒体で、どこまで多元的な考え、人格を描写するつもりなんだっていう。面白いかっていわれると、愉快ではないんだけれども。安楽椅子状態での会話がメインって絵的には面白みが薄い。どうしてもセリフばっかりになるし、読者側にエネルギーを要する。しかも本作はスッキリしない。わかりやすく間違っている人間に対して、正しいことを言って溜飲を下げるだとか、そういった明瞭な快活さを与えてくれないのでストレスがたまる。それでも評価せざるを得ない話ってこと。
本作は各々が自分なりの考えを持っていて、そこに明確な是非を要求すべきじゃないってのを逐一訴える。今回の女子高生二人の言い分も間違ってはないんだよね。むしろ現代社会の通念上は、正しい寄りの考えと言ってもいい。じゃああの丸刈り君は偏狭な性差別者で、“普通じゃない、間違っている人間”なのかっていうと「ちょっと待った」ってなるわけ。私も同性に痴漢されたことはあるから分からなくもない。そういった経験から来る嫌悪感は普遍的な通念では拭い去れない。読者の中には今回の話を読んでなお、あの丸刈り君をただのクソ野朗で終わらせる人もいるだろうけれども、作中ではそれこそ狭量ではないかと指摘しているようだった。
安易な善悪二元論の懐疑。ああいった問題で、正しいだとか間違っているだとかの線引きで考えたり、分かりやすい悪者を作り出すことの危うさを作者は知っているんだと思う。作劇として見た場合、言語化しすぎてて読み味も良くないんだけれども、本作はそういうのを妥協したくないんだろうなあ。『鈴木先生』を思い出す。大衆が受け入れがたい、スッと入ってこないであろう考え方を大げさに、だけど真っ向から長々と語る。
「好きって感情はいいけど、嫌いって感情はダメ」みたいなセリフが劇中に出てきて、私は「うげえ、また“ツギハギ論”かよ」って思った。「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」。『ツギハギ漂流作家』という漫画が打ち切り間際に描いたあのセリフ。あの漫画の顛末を踏まえた場合、逆ギレじみた言い分に近い。けれども、なんだかセリフだけ一人歩きしてしまって名言になった。なってしまった。だから私は“ツギハギ論”って呼んでいる。実際このセリフを安易に引用する人間の主張にはツギハギ感があるので、その点でも“ツギハギ論”って呼び方は適格だと個人的に思ってる。
で、ちょっとウンザリしたところで、「好きって感情は良い感情、嫌いって感情は悪い感情って考えは雑すぎる」といった指摘が入る。ああ、そこも言語化しちゃうんだっていう。もう完全に私はこの作品に踊らされている。「何が嫌いかより、何が好きかで自分を語れよ」の歪さを分かってる。あのセリフが憚って10年以上も経っているのに、まだあれを正論だと思っている人がたくさんいる。あれが大した理屈じゃないことは、好き嫌いについて向き合っているのなら自ずと分かるはず。けれども、好きなものを他人に嫌いだって言って欲しくないという自己保身のために、あのセリフを都合よく使う人は後を絶たない。
好きという感情を肯定する以上、嫌いという感情も肯定しなきゃ辻褄が合わない。まあ、肯定や否定は個人の感情によるところも大きいので、各々がどういうスタンスをとるかまでは是非を問えないけれども。そのせいで、意見の不一致による衝突は出てくるし、それを避けたいのも人間の本能だしね。だから私だって、こういう話は後腐れのないところで書く。とはいえ感想書きは、結局この“好き嫌い”を様々な言葉で紡ぐ表現手法の一つなわけで。好き嫌いそのものを、片方だけ是としたり、有耶無耶にしたりすると評論としてはむしろ信頼できない。
そんなわけで評価はしているけれども、本作はかったるい。言語化しすぎというか、野暮ったいセリフ選びも多い。セリフの少ない場面とかはすごくエモいだけに尚更そう感じる。エンタメという枠組みで見たとき、あれは愉快な描き方ではないし、上手い描き方でもない。「悪役が何かエグいことをやっている」だとか、そういう“エンタメ的には良い不愉快さ”みたいな意味ですらなく。飲み物なしでビスケット食っているみたいな感覚。
例えば、同サイトで読めるのだと、『さよならミニスカート』は分かりやすい。あれは良くも悪くも複雑じゃない。いや、人によってはあれでも余剰過ぎるくらい複雑かもしれないけれども、訴えていること自体はすごくシンプルなんだよ、あれは。基礎的なジェンダー規範を取り扱って、それをテーマにしている作品。様々なマンガで、以前から脈々と語られてきたジェンダー論をメインに、現代の人たちに刺さるようドラマティックにリブートしている。だから陳腐とまではいわないけれども、やや表層的ではあると思う。ああいったテーマを多側面的に考えたことのない、一般大衆向け。それ故に刺さりやすいし、読み味も良い。『青のフラッグ』もウケてはいるけれども、作者が想定しているであろう理解力の読者はそこまで多くないと思う。
その点で『さよならミニスカート』は多くの読者に色んな意味で優しい。まあ、テーマ的に何かすごいことをやってる~みたいに持てはやしだしたら危ないと思うけれども。『サウスパーク』とかで登場する、ソーシャル・アジェンダに踊らされた大人たちみたいになってしまう。「私たちはそういうのに理解があるよ」といったスタンスをゴリ押すことに一切疑問を持たない、実際のところ無理解な人間。「社会正義だから」、「一般の善良な考えだから」といった、誰かがあらかじめ作っておいた前提で理屈を紡ぎ出す。だから一見すると尤もらしいんだけれども、ちょっと小突かれただけで論理が破綻してしまう。
とはいえ、そういった指摘をフィクションの世界でわざわざ言語化しても、ほとんどの人はそこまで様々な視点から物事を考えないので伝わりにくい。一般社会の善良そうな考えで生きれば支障はまずないから、考える必要がない。むしろ考えすぎて自我が袋小路に入ってしまうこともあるから、ちょっと無思慮なくらいが丁度良いまである。色々考えていたとしても、個々人の規範と一般社会の規範をすり合わせる他ないから。『青のフラッグ』のセリフからとるなら「お前は敵がつくりてぇの?」となる。私は御免こうむるし、多くの人も「そんなつもりはない」と言うはず。自覚しているか、実際の行動と矛盾しているってパターンは多いけれども。敵味方っていう構図の作り方が、そもそも履き違えているのを大体の人は分かっている。前提を共有をしていなければ主張の押し付け合いにしかならないし、かといって論理ゲームは本質から遠ざかっている。
そんな感じで、私の中でもまとまっていないので、ここで雑感は終了。ここまで語っておいてなんだけど、こういう特定の作品を基に社会論をアレコレ語るのは、どこぞのサブカルくそ野朗みたいで我ながらアレだと思ってる。自分のツイッターじゃあ、絶対こんなこと呟けない。あれこれ考えてしまうから吐き出して解消したいだけで、漫画はもっと気楽に楽しみたい派。ぶっちゃけ私は『むとうさとう』レベルの軽いノリでジェンダー取り扱ってる漫画の方が好きだ。
小学生のころ、特に勉強ができるわけでも、運動神経がいいわけでも、見た目がいいわけでもなかったけど、仕切るのが好きだった
喧嘩してる友達同士がいたら、関係ないのにそこに突っ込んで行って、「まぁまぁ」と言いながらお互いの言い分を聞いたり、
班活動みたいなものがあれば、みんなの意見を聞いて、模造紙にまとめて発表したり。目立ちたがりやだったのかもしれない
中学校の球技大会のときにクラスの男子を2つのチームに分ける必要があって、
弱いチームと強いチームにはっきり分けるパターンと、両方のチームを同じくらいの強さに分けるパターンと
どっちにするかでみんなが揉めていた。前者は優勝の可能性もあるものの、捨てチームに入った人はあまり良い気分でもないし、
そこで、自分がしゃしゃり出て、チーム分けを考えようとしたところ、
「なんでお前が仕切ってるんだよ」と野球の得意な男子に言われた
なんでと言われても、自分は仕切るのが得意だから、みんなの意見をまとめようと思っただけなのだけど
彼は「お前、野球下手くそなんだから、お前に仕切られるとイラつくんだよ。黙ってろ」と言った
彼の言葉は当時のお花畑の自分の頭にはかなりがつんときて、「え、揉めてる事柄が得意な人じゃないと発言権がないのか」と知ってしまった
それ以降、特に得意な分野があるわけではない僕は仕切るのをやめ、ただ黙ることになった
大学に入ったり、会社に入ったりするとグループワークであったり、コミュニケーション能力のようなものが重要となる
しかし、そのような場面では僕はいつも無言であった。自分が無能であることは子供の頃から自覚しているし、
自分の意見が間違っているのではないかと怖くなったら、何も言えなくなってしまった
ある部署に配属されたときに、何も意見を言わない僕に対して、かなり時間をかけて話を聞いてくれる先輩がいた
「どうするのがいいと思う?ちょっと考えてみて」「間違ってもいいから、何が必要だと思う?」
いろいろ問いかけてくれるのだが、何を言っても間違いのような気がして、何も言えなかった
先輩は言った。「誰も答えなんて知らないんだよ、ぶっちゃけ。」
「偉そうに喋ってる部長もどっかでみた情報を偉そうに言ってるだけだし、何やったらいいかなんて誰もわかってないんだよ」
「でも、みんなが偉そうに、自信満々で喋ってるのは、そういう役割を誰かが担わないと、方針なんて決まらないでしょ」
「みんながみんな慎重で、自分の意見に自信がなくて、それで一緒に働くみんなを説得できる?お客さんを頷かせられる?」
「間違ってもいいんだよ。そんときは謝るか開き直るかしかないし、間違うことを恐れて、意見が出てこなかったり、
本当は気づいてた問題点を指摘できなかったり。そっちの方が損失は大きい」
「何か言われて、馬鹿だって周りに思われてもいいじゃん。いまはまだ自分の後輩なんだし。社長とか部長とかになったら、
馬鹿だと思われたくないって気持ちはわからなくもないけど、今の段階なんてみんな馬鹿みたいなもんだよ、自分も含めて」
昔は仕切ったりするのが好きでした、でもなんだか怖くなって。と伝えることができた
もしかしたら自分自身が逃げてたトラウマを直視できたのかもしれない。
先輩は笑ったりすることなく、「なんだ、じゃあこれからはチーム内のミーティングの司会はお前な」と言って役割を与えてくれた
でも、アジェンダを整理したり、揉めた時に問題点を整理したり、
いくつかのシナリオを立ててみたりするのはできるようになった
『ラボハテ』っていうロボットメーカーが、以前から力を入れている企画があった。
「誰でも魔法少女に変身して、素敵な力を使える」っていうふれ込みらしい。
時おり、町で自警活動やらアイドルの真似事をやっているのを見かけるが、そんなに大したもんじゃない。
やってることは大掛かりだが、実際にはキツい格好をした少女型アンドロイドを遠隔操作しているだけ。
変身しているというよりは、ゲームのキャラクターを現実で動かしているようなものだ。
この町にいる魔法少女だって、アラサーの女性がボランティアでやっている。
技術的にはすごいことをやっているのかもしれないが、夢のある話とは言いにくい。
ラボハテも手ごたえを感じていなかったのか、プロジェクトの認知度をより上げるために新たなプロモーションを打ち出す。
キュートでクールな女の子たちが主役のアニメで、魔法少女に変身して様々な事件を解決するのが主な内容だ。
主役以外にも、老若男女なゲストキャラも変身して「誰でも魔法少女に変身して、素敵な力を使える」ことを強く宣伝している。
ある種ノスタルジーを感じる作りと、現代的なテーマが一部の大人たちにウケて、にわかに話題を集めているらしい。
バイト仲間のオサカが、そう言っていた。
「子供向けじゃないねあれは。いや子供騙しって意味じゃなくて中々に侮れない作りって意味だけど。一昔前の女子向けアニメをオマージュした演出が多くてでも話のテーマは現代の社会問題を扱ってて話題性がある。あれは子供向けアニメの皮を被った大人向け作品だ」
こんな調子に、聞いてもないのに隙あらば語ってくる。
「お前がその作品を好きなのは十分伝わったから、その辺にしないか。その口を動かすエネルギーをバイトのために温存しておこうぜ」
「えぇ?」
「まず基本子供向け作品だという視点で作られていない。エンターテイメント性が希薄で子供が置いてけぼりだ。大人にしか分からないようなネタは昔のアニメにもあるが大筋は子供でも理解できて楽しめるように作られていることも多いのにそういった噛み砕きが『キュークール』には足りない。現代的なテーマ選びや話作りも説教臭くて陳腐だとすら言える。画一的なソーシャルアジェンダを推し進めようっていうエゴの押し売り感が酷い」
ほんと、こいつはどんな作品だろうがわざわざ観て、やたらと熱心に話したがるよな。
そうまでして語らせる、何らかの魔力でもあるのだろうか。
僕は簡単に 想いを重ねたりはしない
「善良デアレ」と責める この界の基本構造は
彼らもしばらく 普通になる予定はなさそうさ
オリジナル作品貫いて
あの意図だけ 心の清涼剤
忘れてるね
「どういうことだ。なんだその歌」
「あれこの歌をご存じない? ジェネレーションギャップ」
お前が俺を会議に招待したんだよね?だから俺は参加したんだけど。
アジェンダなんか聞いてねえよ。ただお前が勝手にカレンダーに俺を追加したから行っただけ。
そしたらお前は3分遅刻してやって来て、アジェンダを発表したよね。
うん、先週の会議でその話したよね。でもなんでお前、先週否定された仮説をふまえてブレストしたいわけ?
「ご存知の通り○○ですが、これを実現するために××する案を話し合いましょう」
だからその「○○」が完全に間違ってるんだよ。じゃあ「××」も無駄だよね?
前提が間違ってるんだから話し合う意味ないじゃん。1+1=1なら俺が法王だってことすら証明できるってやつだよ。
でも誰もそれを突っ込まないから俺が言ったんだよ。そしたらお前なんつった?
「いやここってそういうこと話し合う場じゃないから。ブレストだよ?やる気ないの?じゃあ出てっていいよ」
この会社では、特に会議前にアジェンダを共有したりはしないよね。うん、それはいい。よくある話だから。
じゃあ冒頭5分でアジェンダ発表して、出る価値ないなって思うなら各自勝手に出てっていいルールだっけ?違うよね?
だったらいま俺が出ていくのってすげえ侮辱じゃん。
恥ずかしいし、そんな空気悪くなることやりたくないよ。
だいいち、なんでお前が俺をこのクソみてえなミーティングに招待したのに、そこで恥かかされないといけないわけ?
「出てっていいよ」って言われても出ていけるわけないから、俺が間違ってるみたいじゃん。
間違ってるのはこんなビチグソ同然のアジェンダ考えたお前だよね?なんで脳味噌まで糞詰まりになってるようなお前がそんな偉そうにできるの?
仮にいま出てったところで、もう既に俺の貴重な時間を優に10糞は使ってるよね?そのうち半分くらいはお前の遅刻のせいだけど。
いま出てったらそれも完全に無駄じゃん。お前の下痢便のせいで俺の人生が潰されてるってことわかってる?
なにが「出てっていいよ」だよ。
なに上に立とうとしてるんだよ。
出ていけねえのがわかってるのに、出ていけなんて言うなよ。
別れる気がないくせに別れ話をして相手を試すようなもんじゃん。
アジェンダの設定間違ったのはしょうがないよ。人は誰でもウンコな瞬間があるのだから。
だけど「出てっていいよ」なんて言うのは生粋のウンコだよ。そんな奴は上司にも同僚にもいらねえよ。仕事でも私生活でも関わりたくねえよ。
いや俺がウンコをするとウンコが水に浮かんでくるってことじゃなく、俺の頭の中にウンコが召喚されるんだよ。
その中ではお前のその落ちくぼんだ目が、丸呑みにしたサクランボの種になってるんだよ。もうサクランボ食えねえよ。
俺はお前を水に流したい。
記事が選ばれ編集され配信されるまでが不透明だから、世間様から怪しまれるのは必然だろう?
真実から文章や映像として切り取っている以上、一部しか流せない。(もし真実はひとつだ私たちは正しいんだ、とか幼い考えで社会と情報の業界を扱っている従事者がいるなら、むしろ頑張ってほしくない、すぐ業界から去ってほしい)
で、その正義とやら、実際どんなプロセスでアジェンダへ挙げているのか新聞テレビ各社は見せてみろよ。
どうせ公開できないだろう?取材や編集スタンスに答えられずに、誰にとっての正義なんだよ??
国民も国民の共通の拠り所として大手メディアを頼っているのだろう?「見なければよい」は一見正しいが、避けられる報道組織が他の報道組織と容易に交代できる土壌ができていて初めて言えることだ。
上司の話。
頭がキレて決断が早い、複雑な業務仕様にも精通してるし、上の人間にも意見できる、なのに細かい作業やらせても怖いぐらいにキッチリしてる。
タバコも吸わないしトイレからは一瞬で戻って来るし昼休憩の時も仕事しててそれでも毎日終電まで会社にいる。
そんなとこばっか見てると、お願いされることを断ることなんてできなかった。
むしろ力になりたい、少しでも助けになりたい、と思って笑顔で仕事を受け取った。
こんなもんどっからどうやって手ェつけんだよ、、と思っても返す言葉は「おまかせください!」の一択だった。
自分より辛いのは上司だから。いてくれて良かったーって思われたかった。
覚悟を決めたら、意外と仕事は回った。でも仕事を早くこなすことは退社時間が早まることではないと気がついた。いつのまにかメールやチャットの未読は増え、自分宛の内線は鳴り止まなかった。
でも、褒められたことがなかった。
マルチタスクに次ぐマルチタスク。モニタに映る資料のチェックをしながら背後の会議卓で交わされる話に聞き耳を立て、視界の隅で後輩の手が動いているかを監視しながら、さらに網膜の裏で明日の会議のアジェンダを整理した。
盗み聞いた話は関係各所に根回しするために役立ったし、後輩の手が止まってることをいち早く気づき、なんか困ってる?と声をかけた。
でも褒められなかった。
この仕事やっときました!って上司にチャットで報告すると、イイね!のボタンが一度、押されるだけだった。
「これやってね」は言われる前に着手した。
「こんなことできるかな?」はできないと思っても、やってみます!、と引き受けた。
「これ無理だったらいいんだけど、、」は絶対無理と思いつつも、ざっと見て無理そうなら相談しますね、と引き受け、だいぶ無理してこなした。
でも褒められなかった。
。
でも、
ほんと増田さんいてくれて良かったー。やっぱ増田さんにしかお任せできなかったよー。とは言われなかった。
重度のマルチタスクはもちろん完璧じゃなく、キャッチアップ可能な範囲で些細なミスはいくつか起きた。
すみません!大変失礼しました!、謝るときは素早さと素直さが重要だって知ってるから、責める隙を与えないぐらい頭をさげ、最優先でフォローに努めた。
なのに今日。だめだった。
致命的なミスをしてしまった。自分の勘違いが原因で完全に納期に間に合わないことがわかってしまった。いろんなチームの人を巻き込んだ。いろんな人が険しい顔や苦笑いをしていた。
言い訳かもしれないけど、タスク量が半分だったらしないミスだった。
間に合わないことを伝えにすっ飛んできた上司の言葉尻は強かった。
そっかー、そりゃ怒るか。
褒めるのはしないけど怒るのは当たり前にするか。
帰りの電車で涙を止められなかった。
涙止まらなくて顔が痛かった。
悲しさをごまかすために開いたはてブでこの増田を読んで、さらに涙が止まらなくなったから書いた。
https://anond.hatelabo.jp/20180607110949
頑張ってる誰かのこと、褒めてあげて。
最近、カタカナ語を使っている人を「意識が高い(笑)」と皮肉る人がいる。
例えば、
「エビデンスを固めてからアジェンダを作って、アジャイルな開発を進行するべき」
(=根拠を固めてから、進行予定表を作って、迅速な開発を進行するべき)
とか
要は、英語をカタカナにした言葉を好んで多用しているのである。
・単に格好をつけるため
こんなもんだろうか?
上の3つ
日本語では伝わらないニュアンス(表現の機微)を伝えたい。もしくは、めんどくさい議論を避ける目的がはっきりしている。
問題は下の2つ
・単に格好をつけるため
この場合、 日本語でわかっていないのに、あやふやな概念のまま平気で会話に使っていることになる。
馬鹿にされるのもうなずける。
意図があって使っているのか、
事務総長、大統領、世界の指導者、有名な代表団がニューヨークへようこそ。世界の人々に対処するためにアメリカ人の代表として私の故郷の町にここに立つことは非常に栄誉です。何百万人もの市民が私たちの国を襲った壊滅的なハリケーンの影響を受け続けているので、私はこの部屋のすべてのリーダーに援助と援助をしてくれたことに感謝の意を表したいと思います。アメリカ人は強く弾力性があり、これまで以上に決定されたこれらの苦難から出てくるでしょう。
幸いにも、米国は昨年11月8日の選挙日以来、非常にうまくいっています。株式市場は過去最高の記録です。失業率は16年ぶりの最低水準であり、規制やその他の改革のために、今日、米国ではこれまで以上に多くの人々が働いています。企業は長期的に見ていないような雇用の成長をもたらしており、軍と防衛に約7000億ドルを費やすことが発表されました。私たちの軍隊はまもなくこれまでにも最も強力なものになるでしょう。 70年以上にわたり、戦争と平和の時代に、国家、運動、宗教の指導者たちがこの集会の前に立っていました。
それらの人たちと同じように、今日私たちの前にある非常に深刻な脅威のいくつかに取り組むつもりですが、解き放たれるのを待っている巨大な可能性もあります。私たちはすばらしい機会に暮らしています。科学、技術、および医学のブレークスルーは、病気を治し、以前の世代が解決できないと考えていた問題を解決しています。しかし、毎日、私たちが大切にしているすべてのものを脅かす危険性が増しているというニュースもあります。テロリストと過激派は力を集め、地球のすべての地域に広がっています。この体に代表される悪党政権は恐怖を支持するだけでなく、人類に知られている最も破壊的な武器を使って他の国や国民を脅かす。
権威主義と権威主義権力は、紛争を防ぎ、第二次世界大戦以来自由に向かって言葉を傾けた価値観、制度、同盟を崩壊させようとしている。国際的な犯罪ネットワーク、薬物、武器、人々、強制的な転位、大量移住は、私たちの国民を脅かすために私たちの国境と新しい侵略搾取技術を脅かす。簡単に言えば、私たちは莫大な約束と大きな危険の両方の時に会います。世界を新たな高さに上げるか、荒廃する谷に落とすかは、まったく私たちに任されています。何百万人もの人々を貧困から救い、市民が夢を実現するのを助け、新たな世代の子供たちが暴力、憎しみ、恐怖から解放されるように、私たちは力を持っています。
この機関は、このより良い将来を形作るために、2つの世界大戦の余波の中に設立されました。国連の主権を守り、安全保障を維持し、繁栄を促進するために、多様な国が協力できるというビジョンに基づいています。まさしく70年前の同時期に、米国は欧州復興を支援するマーシャル計画を策定した。これらの美しい柱は、平和、主権、安全保障、そして繁栄の柱です。マーシャル計画は、国家が強く、独立しており、自由である場合、世界全体がより安全であるという崇高な考えに基づいて作られました。大統領として、トルーマンは当時の議会へのメッセージで、欧州復興支援は国連の支援と完全に一致していると述べた。
国連の成功は、メンバーの独立した強さに依存します。現在の危険を克服し、未来の約束を達成するためには、過去の知恵で始める必要があります。私たちの成功は、主権を擁護し、安全と繁栄と平和を促進するための強力で独立した国々の連帯に左右されます。私たちは、多様な国々が同じ文化、伝統、あるいは政府の制度を共有することを期待していませんが、すべての国がこれらの2つの主権を守り、自分の国民の利益と他国のすべての国家の権利を尊重することを期待しています。
これはこの機関の美しいビジョンであり、これは協力と成功の基盤です。強い国家主権国は、異なる価値観、異なる文化、そして異なる夢が共存するだけでなく、互いの尊重に基づいて並行して働く多様な国々を可能にします。強い国家は、国民が将来のオーナーシップを持ち、自分の運命を支配することを可能にします。そして強力な主権国は、個人が神が意図した人生の満ち足りた時に繁栄することを可能にします。アメリカでは、私たちの生活様式を誰にでも追求するのではなく、みんなが見るための例として輝かせるようにしています。
今週は、わが国にその事例を誇りにする特別な理由が与えられています。私たちは、今日も世界で最も古くから使われている憲法である憲法230周年を祝っています。この時機を失った文書は、アメリカ人の平和と繁栄と自由の基盤であり、世界各地の無数の何百万人もの人が、人間の本性、人間の尊厳、法の支配にインスピレーションを得ています。米国憲法の最大のものは、最初の3つの美しい言葉です。彼らは「私たちの民」です。これらの言葉の約束、私たちの国の約束、そして偉大な歴史を維持するために、世代のアメリカ人は犠牲になってきました。
アメリカでは、人々が支配し、人々は支配し、人々は国家である。私は権力を握るのではなく、それが所属するアメリカ人に力を与えることに選ばれました。外交では、この主権の創始原則を更新しています。政府の最初の義務は、国民、市民、ニーズに応え、安全を確保し、権利を保護し、価値を守ることです。米国の大統領として、私は常にアメリカを最初に置く。あなたの国の指導者のように、あなたのように、常にあなたの国を最初に置くべきです。
すべての責任ある指導者は、自分の市民に奉仕する義務を負っており、国家は人間の条件を上げるための最良の手段です。しかし、人々の生活をより良くするためには、すべての人々にとってより安全で平和な未来を創造するために、緊密な調和と団結で仕事を一緒にする必要があります。
米国は永遠に、世界の、特にその同盟国との素晴らしい友人になるでしょう。しかし、我々はもはや、米国が何の報いも得ていない一方的な取引を利用したり、これに参入することはできない。私がこの事務所を所持している限り、私はアメリカの利益を他の国よりも守るつもりですが、国家に対する義務を履行する上で、すべての国が主権、繁栄、安全である将来を追求することは誰にとっても魅力的です。
アメリカは、国連憲章で表明された価値観以上のことをしています。私たちの市民は、この大ホールで代表される多くの国の自由と自由を守るために、究極の価格を払っています。アメリカの献身は、私たちの若い男女が戦った戦場で測定され、私たちの同盟国の横で犠牲にされました。ヨーロッパのビーチから中東の砂漠、アジアのジャングルに至るまで、私たちと同盟諸国が歴史的に最も血の多い戦争から勝利した後でさえ、我々は領土拡大を求めなかった私たちの生活様式を他者に押しつけようとする。その代わりに、私たちは、このような機関を構築し、すべての国の主権、安全保障、そして繁栄を守るのを助けました。世界の多様な国にとって、これは私たちの希望です。
私たちは調和と友情を求めています。紛争と分裂ではありません。私たちは、イデオロギーではなく成果によって導かれています。私たちは、共通の目標、利益、価値観に根ざした原則的な現実主義の方針を持っています。その現実主義は、私たちに、この部屋のすべてのリーダーと国家が直面する問題に直面するように強制します。それは、私たちが逃げることも避けることもできない問題です。私たちは、今日の挑戦、脅威、さらには戦争に麻痺したり、今日の危険に直面するための十分な力と誇りをもって、私たちの市民が明日の平和と繁栄を楽しむことができるように、
私たちの市民を持ち上げたいなら、歴史の承認を願うならば、私たちが忠実に代表する人々に私たちの主権を果たさなければなりません。私たちは、国家、国益、先物を保護しなければなりません。我々はウクライナから南シナ海への主権への脅威を拒絶しなければならない。私たちは、法律、国境の尊重、文化に対する敬意、そしてこれらが許す平和的な関与を尊重しなければなりません。
そして、この体の創設者が意図したように、私たちは一緒に働き、混乱、混乱、恐怖で私たちを脅かす人たちと対峙しなければなりません。今日の私たちの惑星の得点は、国連の根底にあるすべての原則に違反する小さな政権です。彼らは自国の市民も国家の主権も尊重しません。正義の者の多くが邪悪な少数者と対峙しなければ、悪は勝利するでしょう。まともな人や国が歴史に傍観者になれば、破壊力は力と強さを集めるだけです。
北朝鮮の腐敗した政権よりも、他の国々や自国の福祉にもっと軽蔑を表明した者はいない。数百万人の北朝鮮人の飢餓死を引き起こしている。そして、無数のものの投獄、拷問、殺害、抑圧のために。アメリカの大学生、オットー・ワームビア(Otto Warmbier)がアメリカに帰国したのは、数日後にしか死ぬことがなかったとき、私たちは政権の致命的な虐待を目の当たりにしていました。
独裁者の兄弟の暗殺で、国際空港で禁止された神経薬を使って見ました。私たちは、自国の浜辺から13歳の甘い女の子を誘拐し、北朝鮮のスパイのための語学教師として彼女を奴隷にすることを知っている。核兵器や弾道ミサイルの無謀な追求が、人類の犠牲にならないほど脅かされている。いくつかの国がそのような体制と取引するだけでなく、核兵器を持つ世界を危うくする国を支援し、供給し、財政的に支援することは、怒りです。
地球上のどの国も、この犯罪者のバンドが核兵器とミサイルで武装しているのを見ることに興味がない。米国には大きな力と忍耐がありますが、もしそれが自国や同盟国を守ることが強制されれば、我々は北朝鮮を完全に破壊するしかないでしょう。ロケットの男は、自分自身と彼の体制のために自殺任務をしている。米国は、準備ができて、喜んで、有能だが、これは必要ではないことを願っている。それが、国連のすべてです。それが国連の目的です。彼らのやり方を見てみましょう。
北朝鮮は、非核化が唯一の受け入れ可能な将来であることを認識するべき時である。国連安全保障理事会は、最近、北朝鮮に対する厳しい決議を採択し、満場一致で15-0の投票を2回開催し、安全保障理事会の他のメンバー全員と一緒に制裁を求める投票に合意した中国とロシアに感謝したい。関係者全員に感謝します。しかし、我々はもっと多くをしなければならない。
キム政権が敵対的な行動を止めるまで、キム政権を孤立させるためには、すべての国家が協力しなければならない。北朝鮮だけでなく、世界の国々が、大量の殺人を公然とし、アメリカに死を誓う、イスラエルへの破壊を宣言し、この部屋の多くの指導者と国家のために滅ぼそうとする別の無謀な政権に直面するのはずっと前の時です。
イラン政府は、民主主義の誤った姿の背後にある腐敗した独裁政権を覆す。豊かな歴史と文化を持つ裕福な国を、経済的に枯渇した凶悪状態にしており、主な輸出は暴力、流血、混乱である。イランの指導者たちの最長犠牲者は、実際には自国の人々です。その資源を使ってイラン人の生活を改善するのではなく、石油の利益は、無実のイスラム教徒を殺害し、平和なアラブ人とイスラエルの近隣諸国を攻撃するヒズボラやその他のテロリストに資金を提供する。
イランの民に正当に属しているこの富はまた、バシャール・アサドの独裁政権を救済し、イエメンの内戦を促進し、中東全体の平和を損なうことになる。危険なミサイルを建造している間に殺人的な政権がこれらの不安定な活動を続けることは許されず、最終的な核計画の成立をカバーするならば合意を守ることができない。イランとの取引は、米国がこれまでに締結した最悪かつ最大の一方的な取引の一つであった。率直に言えば、その取引は米国に対する恥ずかしさであり、私はあなたが最後のことを聞いたとは思わない。私を信じてください。
イランの政府が死と破壊を追求することを要求することで、全世界が私たちと合流する時が来た。政権が、不当に拘束されたすべてのアメリカ人と他の国民の市民を解放する時期です。とりわけ、イラン政府はテロリストの支持を止め、自国の人々にサービスを提供し、近隣諸国の主権を尊重しなければならない。イランの善良な人々が変革を望んでいること、そして米国の広大な軍事力を除けば、イランの人々は彼らの指導者たちが最も恐れていると世界中が理解しています。これは、政権がインターネットアクセスを制限し、衛星放送を裂き、学生の非武装勢力を撃ち殺し、政治改革者を投獄する原因となっている。
抑圧的な政権は永遠に耐えることができず、人々が選択に直面する日が来るだろう。彼らは貧困、流血、恐怖の道を続けるのだろうか、あるいはイラン人民が文明、文化、財産の中心地としての国家の誇りに戻って、人々が再び幸せで繁栄してくれるだろうか?イラン政府のテロ支援は、近年多くの近隣諸国がテロとの戦いや財政再建を約束したこととは全く対照的であり、昨年早々にサウジアラビアでアラブとイスラム教徒50人以上の指導者国家。我々は、すべての責任ある国家が、テロリストと彼らにインスピレーションを与えるイスラム過激派と対峙するために協力しなければならないことに合意した。
急進的なイスラム原理主義テロリズムは、国家を壊して、世界全体を壊滅させることはできないので、私たちはそれを止めるでしょう。我々は、テロリストの安全な避難所、交通機関、資金、および彼らの卑劣なイデオロギーに対する支持の形態を否定しなければならない。私たちは彼らを私たちの国から追い出さなければなりません。それは彼らの支援と援助を受けている国々を暴露し、責任を負う時です。アルカーイダ、ヒズボラ、タリバン、そして無実の人々を殺す他のテログループを支援し、資金を提供している。
米国と同盟国は中東全域で協力して、敗者テロリストを鎮圧し、安全な避難所の再出撃を阻止し、全国民に対する攻撃を開始する。先月、私はアフガニスタンのこの悪との戦いで勝利のための新たな戦略を発表しました。これからの我々の安全保障上の利益は、政治家によって設定された任意のベンチマークとタイムテーブルではなく、軍事作戦の期間と範囲を決定するだろう。私はまた、タリバンや他のテロ組織との戦いにおいて、婚約のルールを完全に変えました。
シリアとイラクでは、ISISの永続的な敗北のために大きく貢献しました。事実、私たちの国は、過去8ヶ月の間にISISに対して何年にもわたってより多くを達成しました。我々は、シリア紛争の脱スケールとシリア人の意志を尊重する政治的解決策を模索している。 Bashar al-Assadの刑事政権の行動は、自分の市民、無実の子供まで化学兵器を使用することを含め、すべてのまともな人の良心に衝撃を与える。禁止されている化学兵器が拡散することが許されていれば、社会は安全ではありません。だから米国は攻撃を開始した基地にミサイル攻撃を行ったのです。
シリア紛争で難民を迎え入れる際の役割について、ヨルダン、トルコ、レバノンに特に感謝し、ISISから解放された分野で人道的支援を提供している国連機関の努力に感謝します。米国は思いやりのある国家であり、この努力を支援するために何十億ドルも費やしてきました。私たちは、この恐ろしい扱いを受けた人々を援助し、復興の過程の一部として帰国することを可能にする難民の移住へのアプローチを模索しています。米国で難民1名を移住させるための費用として、自国で10人以上の難民を支援することができます。
私たちの心の良さのために、我々は地域の援助国に資金援助を提供し、G20諸国の難民を可能な限り母国の近くに迎えようとする最近の合意を支持する。これは、安全で責任ある人道的アプローチです。何十年にもわたって、米国は西半球での移住の課題に取り組んできました。
我々は長期的には、無制限の移住が送付国と受給国の両方にとって深く不公平であることを知りました。途上国にとっては、必要な政治的・経済的改革を追求する国内の圧力を軽減し、その改革を動機づけ、実施するために必要な人的資本を排除する。受入国にとって、無制限の移住の実質的な費用は、メディアと政府の両方で無視されることが多い低所得の市民によって圧倒的に生まれています。
国連の仕事に敬意を表して、人々が自宅から逃げる原因となる問題に取り組んでいきたいと思います。国連とアフリカ連合は、アフリカにおける紛争を安定化させるために、平和維持ミッションに貴重な貢献をもたらしました。米国は、南スーダン、ソマリア、ナイジェリア北部、イエメンでの飢餓の予防と救済を含む人道援助で世界をリードし続けています。
エイズ救済のための資金を調達するPEPFAR、大統領のマラリア・イニシアチブ、グローバル・ヘルス・セキュリティ・アジェンダ、現代奴隷を終結させるグローバル・ファンド、女性起業家の財政イニシアティブなどのプログラムを通して、世界中のより良い健康と機会に投資しました。世界中の女性に力を与えることへのコミットメント。
我々はまた感謝しますか?我々は、国連が主権、安全保障、繁栄の脅威に対抗する効果的なパートナーであるためには、改革すべきであることを認識して事務総長に感謝する。この組織の焦点はあまりにもしばしば成果ではなく、官僚主義とプロセスにあります。場合によっては、この機関の崇高な目的を覆そうとしている州は、それを推進すべきシステムをハイジャックしている。例えば、国連人権理事会には、著しい人権記録を持ついくつかの政府が置かれていることは、国連に大きな恥ずかしさを感じています。
米国は国連の193ヶ国のうちの1つですが、予算全体の22%以上を支払っています。実際、私たちは誰よりもはるかに多くを実現します。米国は不公平なコスト負担を負っていますが、それが実際に目標のすべて、特に平和の目標を達成することができれば、この投資は容易に価値があるでしょう。世界の大部分は葛藤しており、実際には地獄に出る人もいるが、国連の指導と助けを借りて、この部屋の強力な人々は、これらの悪質で複雑な問題の多くを解決することができる。米国国民は、ある日すぐに、国連が、世界中の人間の尊厳と自由のためにはるかに説明責任があり、効果的な主張になることを願っています。
その間、私たちは、軍事的にも財政的にも負担を負担しなければならない国はないと考えています。世界の各国は、自国の地域で安全で豊かな社会を促進する上で大きな役割を果たす必要があります。だからこそ、西半球では、米国はキューバの腐敗した不安定な体制に立ち向かい、キューバの人々の永遠の夢を自由に生きることに抱いていたのです。
私の政権は最近、基本的な改革がなされるまで、キューバ政府に対して制裁を解除しないことを発表しました。我々は、ベネズエラのマドゥロ社会主義体制に対する厳しい裁定制裁を課した。これは、繁栄した国を完全崩壊の危機にさらした。ニコラス・マドゥロの社会主義独裁政権は、その国の善良な人々にひどい苦痛と苦しみをもたらしました。
この腐敗した政権は繁栄した国家を破壊しましたか?貧困と悲惨をもたらした失敗したイデオロギーを、それが試みられたあらゆるところに課すことによって、事態を悪化させるために、マドゥロは選挙代表者の権力を奪って自分の民に反抗し、悲惨なルールを守っている。ベネズエラの人々は飢えており、国は崩壊している。彼らの民主的制度は破壊されつつある。状況はまったく受け入れられず、我慢できずに見ることもできません。
責任ある隣人と友人として、私たちと他のすべての人が目標を持っていますか?その目的は、自由を取り戻し、国を回復し、民主主義を回復することです。私は、この政権を非難し、ベネズエラの人々に重要な支援を提供するこの部屋の指導者に感謝したいと思います。米国は、政権に責任を持たせるために重要な措置を講じている。我々は、ベネズエラの政府がベネズエラの人々に独裁政権を課すという道を続けているならば、さらなる行動を取る用意がある。
今日、ここに集まったラテンアメリカの多くの国々と信じられないほど強く健康的な貿易関係を持つことは幸いです。私たちの経済的な結束は、私たちのすべての人々と近隣のすべての人々の平和と繁栄を促進するための重要な基盤を形成します。私は、今日ここに代表されるすべての国に、この本当の危機にもっと対処する用意があることを願います。我々は、ベネズエラにおける民主主義と政治的自由の完全な回復を求めている。ベネズエラの問題は、社会主義が実施されていないことではなく、社会主義が忠実に実施されていることである。
ソ連からキューバ、ベネズエラに至るまで、真の社会主義や共産主義が採択されているところでは、それは苦痛と荒廃と失敗をもたらしました。これらの不信心なイデオロギーの教義を説く人々は、この残酷なシステムの下に住む人々の継続的な苦しみにしか寄与しません。アメリカは残酷な政権下に住むすべての人と立っている。主権に対する私たちの尊敬は、行動の要請でもあります。すべての人々は、繁栄を含めて、安全、関心、幸福を気にする政府に値する。アメリカでは、ビジネスの絆を強め、すべての国ののれんと貿易を求めていますが、この取引は公正でなければならず、相反するものでなければなりません。
あまりにも長い間、アメリカ人は、巨大な多国籍貿易取引、説明不能な国際裁判所、強力な世界的官僚制が彼らの成功を促進する最善の方法であると言われました。しかし、その約束が流れていくうちに、何百万という仕事がなくなり、何千もの工場が姿を消しました。他の人たちはシステムを攻撃してルールを破り、かつてアメリカの繁栄の基盤となった偉大な中産階級は忘れ去られましたが、もはや忘れられずに再び忘れられないでしょう。
アメリカは他国との協力や商取引を進めていく一方で、国民一人ひとりの義務を全政府に徹底しています。この債券はアメリカの力の源であり、今日ここに代表されるすべての責任ある国家のものです。この組織が私たちの前で挑戦にうまく対処することを希望するならば、トルーマン大統領が約70年前に言ったように、メンバーの独立した力に依存します。将来の機会を抱き、現在の危険を克服するためには、歴史に根差し、運命に投資している国々、友好国を求める国々、強い国家、独立国家、敵を征服するのではなく、最も重要なのは、自分の国、仲間の市民、そして人間の精神の中で一番良いすべてのために犠牲を払ってくれる男性と女性が住む国です。
この体の創設につながった大きな勝利を覚えて、悪と戦った英雄たちが、彼らが愛する国々のためにも戦ったことを決して忘れてはなりません。愛国心は、ポーランド人をポーランド人を救うために死ぬように導き、フランス人は自由なフランス人のために戦い、英国人は英国のために強く立つようにしました。今日、私たち自身、心、心、そして国々に投資しないと、強い家族、安全なコミュニティ、健康な社会を築くことが