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2024-08-11

綺麗な思い出は綺麗なままにせざるを得ない話

先日、高校同窓会に出席した。

共学高校工学大学自動車業界と歩を進めてきた私にとっては、高校部活同窓会というのは男女比がほぼ5:5になる唯一のコミュニティだ。

大学に入って以来女子のほうが多い飲み会に参加した記憶などなく、仕事帰りに男女で居酒屋に入っている集団を見ると例外なく殺意を覚えたものだが今回ばかりは私がその男女の集団なのである

そんな飲み会に参加できるのであれば、妻との交渉にて使ったHäagen-Dazsなど安いもの

ただ一言だけ断っておきたいのは、私は決して浮気不倫等の社会倫理に悖るコトをしたいのではなく、ただ単純に旧友に会って話がしたいということのみであり、ついでに女子が多く場が華やかであれば尚良しというただそれだけのことである

さて高校3年間、16~18才の所謂"青春時代"をともに過ごしたメンバーであるから破局したカップルがいたり、叶わぬ片思い相手がいたりと愛憎渦巻く飲み会であった。

カップルが、現在全く別の相手結婚していたりいまだ独身だったりするのであるから、それは破局したと言って差し支えないだろう。

全員アラサーであり、良くも悪くも大人なので昔の恥ずかしくも甘酸っぱい思い出を語るようなことはせず、もっぱら話題結婚出産子育てマイホーム転職、近況が主な話であり、それぞれ自分人生を歩んでいると思った。

マイホームとその予算子育て仕事との折り合い。転職投資。今の日本を覆う諸問題は、眼の前の旧友たちにも例外なく振りかかっているようだ。

そんな中、私の元片思い相手は絶賛彼氏募集中という話を聞いた。

一番結婚から縁遠そうな私が結婚したので、妻との馴れ初めや結婚式の話をしていると、そのようなコトを言っていたのだ。

どうやらマッチングアプリを使ってはいものの、なかなかいい人と巡り合っていないという近況とのこと。

それを聞いたときの私の心情というのが今回の文章主題である

温めの燗酒と炙ったイカをお供に私の舟唄を聞いてほしい。

その件の相手というのは高校同級生で、入学したとき私の前の席だったのを覚えている。

どちらかと言うと明るいが奇妙奇天烈性格で、典型的オタク女という分類になるのであろう。

意識したきっかけは何だったか、はっきりとは覚えていないが確か魔法少女まどか☆マギカ映画化に際して、今度よかったら一緒に観に行かない?と(おそらく向こうにとっては)なんの気無しに言ったお誘いだった記憶

女子からなにかに誘われるということはそれまでの人生で1度となく、胸が高まったというのだけは覚えている。

地元イオンモールに2人で買い物に行ったことがある。私の人生初デートである。その時の目的もはっきりとは覚えていないが、確か何かしらのアニメグッズを買いに行くのが目的だったはずだ。

そこから約1年。同じ部活メンバーとして練習をしたり、みんなでカラオケに行ったりという何気ない日常が続いていた。

その頃にはもう好きになっていたのであろう。

まどか☆マギカを観に行かないかという誘いは、そして果たされることになる。

201X年の12月24日県庁所在地にある映画館にて映画を見に行った。

当時アマガミという恋愛シミュレーションゲームにハマっていた私は、クリスマスデートというのは絶対に抑えておきたい高校生活のメインイベントだった。

彼女にその気があったかは私は知らないし、知ることはないだろうがそれでも私にとってはデートだった。

親に出かけるといい、精一杯のおしゃれをして、なんとなく親には察され、待ち合わせ場所に向かった。

地元の駅で待ち合わせ、映画館に向かう間は私は緊張してあまり喋れなかったように思う。

映画を観終わって帰路をたどっている最中、私はどうやって告白するか、それだけを考えていた。

もう少し正確な表現を心がけるなら、おそらくその日は1日中告白することだけを考えていたのだろう。

恋愛シミュレーションに毒された高校生が、12月24日映画館デートをしているのである

意中の相手クリスマス・イブに2人で出かければ、意識をするなという方が酷な話であろう。ましてや17才青春真っ盛りの高校生であれば、恋愛脳であっても誰から咎められはすまい。

だが私は結局言い出せなかった。

告白なんかできる雰囲気ではなかった。言えるタイミングがなかった。言い訳を挙げればキリがないが、要するに怖気づいて言えなかったのだった。

部活はまだ続いていく。告白して失敗し、気まずくなるよりはリスクを冒さずに現状維持することを選んでしまったのだ。

この選択は正しかったと15年たった今でも自分言い訳を続けている。

年が明け、年度が変わり高校3年生になった。私は理系彼女文系なので違うクラスに。それは部活引退すれば疎遠になるということだった。

インターハイが終わり、私の高校での部活は終わった。これから大学受験に向けて各々勉強する時期である

とはいえ高校生活はまだ続いていくからイベントはある。文化祭体育祭球技大会などクラス単位で楽しむイベントはまだ残っている。

当然私も自分クラスで、文化祭体育祭など全力で取り組んだ。文化祭の出し物の打ち合わせで22時過ぎまでファミレスクラスメイトと話し合いをして、追い出されたのはいい思い出である

ただ、そんなとき彼女のことが心の片隅に残っていた。

彼女と同じクラスで出し物ができる、文系クラスの友人を羨ましく思った。

冬になるとイベントも終わり、いよいよ大学受験本番である

私は英語が大の苦手で、このままでは英語が足を引っ張り不合格になるであろうことが予想されていた。

両親の方針で、地方でひとり暮らしをしてでも浪人絶対NGとのことだったので二次試験英語のない地方大学目標を変えざるを得なかった。

詳しくは知らない(し、未だに彼女がどこの大学に行ったのかはよくわかっていない)が彼女実家から通える都内大学受験すると聞いた。

2人の距離が、どんどん開いていくような気がした。

3月になり、私は地方大学でひとり暮らし彼女都内大学に通うことが決まった。4月になれば離れ離れである

卒業式が終わり、付き合っているわけではないが彼女との別れが近づいてきた。

私は彼女秋葉原メイド喫茶池袋アニメイト本店に行きたいと言っていたのを覚えていたので、彼女デートに誘ったのだ。

私は当日が楽しみだった。普段は見ない朝のテレビ占いなんかもみて自分運勢確認したくらいである。

そしてクリスマスの日にできなかったことを今日こそはとも思った。

しろもう後が無いのである。月末には私は地方に行かねばならない。

都内でのデートは非常に楽しかった。私の青春集大成と言ってもいい。

行く先々でカップルと見られるのは心地が良かったし、この時間永遠に続いてほしいとも願った。

帰り道、私は彼女告白した。

フラレるのは半ば理解していたが、どうしても言いたかった。

どうしても遠距離になってしまうし、現実的には厳しかったのも理解していた。

高校の3年間で少しだけ大人になってしまっていた。

ただこれから絶望的な以上、クリスマスときのように比べる天秤がない以上、一兆分の一の可能性を信じたかった。

地方引っ越しをした時が私の人生で一番寂しかった時期だろう。

知らない街、知り合いは誰もいない中で、選別に貰ったキーホルダー失恋を常に思い出させた。

失恋から6年後、キーホルダーが壊れてくれたお陰で、私は青春と漸く決別できたのである

同窓会で再開して、彼氏募集中のようであったとしても、私にはもう人生をともにする伴侶がいる。

「やりなおし」は永遠に来ないのである

今の妻と別れてもう一度青春を取り戻すべきであろうか?

それが不可能であり、すべきでないことは論じるまでもないであろう。

綺麗な思い出は綺麗なまま保管せざるを得ないのである

せめても彼女に、佳き人が現れることを願う。

2024-06-26

戦争で敵兵を殺すのが楽しかった」の気持ちはわかる

小学校の頃の球技大会、俺はシュートを決めた。

準決勝進出を決める決定打。

俺はクラスメートから拍手で迎えられ、相手クラスは止められなかった奴をなじりまくって教師にそういうのはシップじゃないからやめろと怒られていた。

運動はできる方じゃなくて、今考えるとあれはアシストしてくれた運動部が優秀だったおかげだろうし、外してたらボッコボコにされてたのは俺の方だったんだと思う。

あの日ぐらいだ。

俺がクラスヒーローみたいになれたの。

戦争で人を殺したのをいい思い出と語る人も同じなんだと思う。

人生において人から褒められた決定的瞬間がそれぐらいなんだ。

負かした相手の悔しそうな顔なんてクラスの誰も気にしてなかった。

撃ち殺した相手人生についてもきっと同じように、無関係のことになるんだろう。

そもそも戦争兵隊ルールを決める権利はない。

政府の高官や上官同士が「殺し合いをしろ」と互いに命令したなら、それは単にフェアな殺し合いだ。

末端の兵士殺人責任はない。

サッカーバスケをするのと同じだ。

負けたら死ぬし、負かした相手は殺してしまうという違いはあるが、それは自分たちと違う所で決まったルールだ。

戦争で敵を殺したい」と語る人は、それで褒められたいんだと思う。

仲間から「よくやった!」「守ってくれてありがとう!」「勝利に近づいた!」って。

から彼らは交差点で大量殺人なんてしない。

それをしても褒められないから。

でもカルトの手先になってテロはするかも知れない。

それで褒めてもらえるから

自尊心を満たす機会に恵まれいるかどうかの話なんだよ。

俺にはわかるってばよ。

俺も、認めてもらえるならなんだってやれてしまうんじゃないかって思う瞬間がある。

自分自分を認めきれないんだ。

誰かの「凄い」がないと、生きてもいいとさえ思えなくなるときがあるんだ。

戦争シンプルからさ。

戦場に行ってたくさん殺したら英雄だ。

ネズミ講がカモを沢山釣ったら世間倫理観は置いといてエリート扱いされるようなシンプルさがある。

シンプルルールの中で、シンプルヒーローになりてえ。

そういう気持ち、分かるよ。

2024-01-05

anond:20240105115541

余裕がないなら部活運動会文化祭合唱コンクール遠足球技大会もみんな廃止したらいいと思うよ。ゼロからやり直せばいいよ。仕方がない。

2023-12-08

男の多い職場なので

例えば球技大会は必ず女性メンバーを入れることとか、女子サッカーでゴール決めたら3点とかあるんだけど、

そのうちLGBTを入れなさいとかになるんだろうか

2023-11-09

大谷グローブ寄贈、今頃小学校は頭抱えてるんじゃないの?

まず管理をどうするのか

他のグローブと一緒に備品の一つとして体育倉庫に突っ込んどくわけにもいかないだろうしそれなりの保管場所がいるだろう

そもそも3つしかないものをどう活用するのか、飾っておくだけだとそれはそれで批判されそうだし

使うにしても授業?クラブ活動球技大会?誰にどういう基準で使わせる?何をどうしたって揉める予感しかしない

ぶっちゃけ先生方は余計なことしてくれやがってって頭抱えてるでしょ

2023-08-25

高校球技大会で「スタンドが片方に偏って試合結果に影響した」事例

以下事例と考察

事例1:1992年夏の甲子園松井秀喜5打席連続敬遠」の次の試合

これは決勝ではなく3回戦の話。2回戦で明徳義塾松井秀喜に対して5打席連続敬遠を行った結果、試合には勝ったが日本国民から総スカン

次の3回戦は完全アウェー状態で、相手広島工業がヒットを打っただけで大歓声、明徳義塾がアウトになっただけで大歓声、明徳義塾がヒットを打ってもスタンドは静まり返っていたと言う有様。

本来の力関係では明徳の方がはるかに上だったが、スタンドを完全に敵に回した状態では力が出るわけもなく、0-8の惨敗

試合終了時にスタンドから一斉拍手が起き、それを明徳義塾監督は「労いの拍手」と有難がったが、明徳義塾が負けたことに対する拍手であることは明白だった。

事例2:2014年高校サッカー選手権決勝

最後国立決勝」ということで48000人の大観衆の下、富山第一高校が後半40分まで0-2と負けていたがその後立て続けに2点取って追いつき、延長で勝ち越して優勝を果たした試合である

富山第一が1点返した時点でスタンド雰囲気が変わり始め、ロスタイムPKを獲得し、監督の息子がそれを決めて同点に追いつくとスタンド雰囲気富山第一高校応援一色。

後半終了から延長開始までのわずかなインターバルの間にウェーブまで起きていた。ウェーブスタンドを2周し、対戦相手の星稜応援席だけが無反応と言う状態だった。

こんな状態の中、富山第一決勝点相手陣内からのロングスローアシストになったものだが、そのロングスローを行った選手はなんとこれまで一度もロングスローしたことが無かった。富山第一ホームと化した旧国立競技場が、ロングスロースキル一時的付与した事例と言える。

事例3:2016年夏の甲子園決勝

東邦高校が6点差逆転サヨナラ勝ちした試合である。9回裏、東邦が点差を詰めてきた途中から全方位的なタオル回し応援が行われ、相手に対して強烈な圧となっていた。タオル回し応援NGとなったきっかけの試合である

ただ、9回裏開始時点ではタオル回しは無かったことを付記しておきたい。

事例4:2018年夏の甲子園準々決勝

金足農業旋風の年である。これも金足農業ホーム状態となり、対戦相手はそれに苦慮していた。

この動画が分りやすいが、金足農業の2ランスクイズヨナラ勝ちの瞬間、内野席だけでなくバックネットの子供たちも立ち上がって喜んでいたのである

https://www.youtube.com/watch?v=HnTyA-j22dk

考察:「公平な応援」を達成するためには、観客を大きく制限するしかない

スタンド応援雰囲気が片方に偏る理由は、試合展開であったり、それまでのチームが紡いできたストーリーによるものである

今回の慶応の壮絶大応援も、1回の先頭打者本塁打きっかけだ。仙台育英が先制していたら話は変わっていたはずだ。

まりいくら相手配慮した応援しましょう」と言っても意味がない。

何としてでも片方に偏る状態を防ぎたいのなら、観客を3000人くらいに制限するとか無観客にするしかないだろう。

でもそういう状態現場高校生が望むとは考えづらい。

大観衆の前でプレーできると言うのは何物にも代えがたいからだ。

2023-07-06

あんまりかかないし水もそこまで飲まない

水は1日2L!って聞くけどそこまで飲んだことは多分無い

普段350mlのペットボトル1本も1日で飲みきれない

食事時にコップで2~3杯飲むくらい

そもそもから汗をあんまりかかない

夏でも運動しても全身がじわっと湿るくらい

タオルで拭き取ったり垂れてきたりはしない

サウナに入ると乾燥して肌が痛くなる

学生時代球技大会マラソン大会の後でも

あんまり汗はかかず、かといって暑くない訳ではないので、毎回顔が赤黒くなって目眩のする中ロッカーに張り付いて体温下げてた

確実になんか健康被害はありそうなんだが

これ改善方法あるんだろうか

浮腫みもよくある

2023-06-23

勉強しかできない

俺は勉強しかできない

小学校の頃、裁縫の授業で糸に針を通すのが専用の器具の使い方を覚えるまでできなかった

俺は自転車に乗れない

小学校5年生の頃からずっとパソコンを使っているのにタイピング速度は秒速3keyで精度も95%程度だ

小学校の頃の合奏会で同じリズムを繰り返すだけの打楽器ができなくてチームから外されたことがある

中学校で3年間バレーボールをやっていたのに 高校球技大会で笑われるほど下手くそ

中学校から高校まで5年間 絵を書いていたのに妄想龍とか有名なヤバい絵師よりマシな程度のレベルで絵が下手だ

大学部活下手すぎてややハブられてる

PCゲーム歴8年なのにApexゴールド4から上がれない

結局才能が全てなんじゃないか?俺はそう思うのだがこういうことを言うと だいたいやり方が悪いとか努力が足りないなど怒る人が出てくる

他にも俺も最初は下手だったとか

俺は嘘だと思う

タイトルでも言ったように俺は勉強ができる

田舎まれで塾にも行かなかったが YouTube適当に見たおすすめ参考書を見るだけで旧帝大合格した

じゃあこの場合、俺はたくさんの努力をしていたのか?

実のところほとんどしていない

親に絵の道をあきらめるように言われた高校3年生の夏まで 俺はほとんど勉強をしていない

それまではよく授業中寝ていたし 数学古典でよく赤点 を取っていた

では高校3年の夏から頑張ったのだろうか?

そういうわけでもない

私の出身校では受験期にそれぞれが行った勉強時間を1日毎に記入していく表のようなものが張り出されていた

その表によると私の勉強時間はせいぜい平均程度であった

であるのにたった数ヶ月でメキメキと実力を伸ばし(実際、模試などの校内順位ドンドン上がっていった)大学合格したのである

結局誰でも始めた時は下手の当然で

みんな努力はするのだけど成功するかどうかはほとんど完全に才能の問題なのではないだろうか

できることとできないことの差が激しい自分からそそう思う

2023-05-22

自分がいるところを応援したくない

学校体育祭球技大会日本代表戦といった、「自分がいるところを応援しよう」的なムードにどうしても嫌悪感を感じてしまう。

理由はわからないが、否が応でもこの状況を見せられ、そういうことを強制されるような雰囲気になるのが受け入れられない。

ここでは、そのエピソードを紹介する。

体育祭

小学校は赤白に、中学以降は多数の色に分かれて多くの競技より得点を競う体育祭

士気鼓舞すべく、組ごとに黒板に絵を描いたり有名歌謡曲替え歌を作ったり掛け声を挙げたりで絶対優勝しようと騒ぐ。

私は、小学校のころから、なぜそこまでして優勝を目指したいのか、なぜ別に優勝などどうでもいいと考えている人まで巻き込もうとするのか理解ができなかった。

ここでは体育祭の話のみをするが、球技大会などその他チームを組んで競い合う行事すべてにいえることである


時は流れ、何の因果か、私は教育実習生として、体育祭前の学校にいた。

生徒だけでなく教師絶対優勝しよう的なことを言っていたが、ますます理解できなかった。

まり嫌悪感が激しいので、終業前の学活でこんなことを言った気がする。

「負けろ」だとか「優勝は諦めろ」みたいなことは言わない。

だが、優勝に固執したり、その結果他のクラスとの関係が悪くなったり見下してはいけない。

しかしたら優勝できない、場合によっては最下位のこともあるだろうが、もしそうなったとしても「これでよかったんだ」と思えるようになってほしい。

自分より上位のクラスに対しても、下位のクラスに対しても、惜しみない拍手を送ってほしい。

他のクラスも「敵チーム」ではなく、同じ仲間だ。

その相手に対して負けろだとか自分クラスが勝つだとか思わず、お互い応援しあって、楽しんで体育祭を終えてほしい。

それと、体育祭へのモチベーションは生徒によってさまざまだが、くれぐれも優勝しようというムード強制するようなことはしないでほしい。

幸い内心は指導教員にはバレず、怒られたり大学クレームを付けられたりすることはなかったが。


その1年後、私は教師として学校現場に赴任した。

どこもそうなのかもしれないが、やはり生徒も教師も似たようなことを言っていた。

バカバカしいので授業の際に「あんまり無理すんなよ。優勝なんかより心身の健康大事から」的なことを繰り返して言った。

同じチームの教師からは「チームが優勝できるよう応援してください」と言われたが、ハイハイとだけ言って、あとは見守るだけに徹した。

日本代表

2年に一度(夏季冬季)のオリンピックに加え、ワールドカップWBCその他において、日本代表というチームがあって世界各国の代表チーム試合を行う。

これはスポーツだけでなく、ノーベル賞など、日本人が参加するあらゆる競技や賞で起こる話である

テレビ新聞インターネット…あらゆるメディアでこのことが取り上げられる。外出してもビル電車の画面に映ってくる。

否が応でも見せられるのだ。

しかも、どのメディア最初から最後まで口をそろえて日本側を応援する。一見中立そうに見えても最終的には日本側の勝利言及する構成となる。

中には日本が負けそうになると中継を別の競技に変えたり、負けると(ノーベル賞場合日本人候補者が選外になると)軽く扱って次の話題にすることもある。

まり日本に肩入れしない取り上げ方をしているところ、あるいは相手チームを応援しているようなメディアはないものか。

(日本の負けを望んだり、日本が負けて喜ぶのはまあいいとして、個人的にはそれで相手を全速力で煽るシバターみたいなのはいただけないが)

考えていること

なぜ、そこにいるというだけで、同じところのチームを応援しないといけないのか、理解に苦しむ。

あくまでただ偶然彼らと同じところにいただけであり、彼らやチームとは何のつながりもない。それなのに、なぜ応援しなければいけないのか。

(別に愛着を持ってここにいるわけではないので、勤務条件や文化などでもっといいところが見つかればさっさと移住したいとも思っている)

自分がいるところ以外を応援してはいけないのか。一歩離れたところから傍観するだけではいけないのか。


なんというか、自分がいるところ(特に日本)だけを応援するムード気持ち悪くて仕方ない。

どうすればいいんだろう。

2023-03-24

役所手続きに行ったら障害者雇用っぽい職員マジで不機嫌だった

もうね顔つきがギリギリ普通の人のフリしてるだけで、ちょっと喋るとそういう顔になるの。ずっと不機嫌そうで、喋ってる言葉もよく聞こえない。でも頑張ってるんだろうね。頑張って馴染もうとしてるのに相手は「は?」って顔するからそりゃ不機嫌になるよね。「僕ちゃん頑張ってるもん!」って顔に書いてあったよ本当。

歩くときもびっこ引いてるんだよね。膝の関節がまるフィギュアスケート選手ジャンプする寸前に溜めるときみたいっていうか、普通に歩く時には曲げないレベルまで斜めにしてるの。やたら両足をクロスさせて斜めに蛇行するような動かし方をしてるから、足の動きに対して前方方向の歩幅は普通なの。でも斜めの動きでは大股に歩いてる普通に歩くっていう事自体が生まれつき出来ないんだろうなって動き。

そんでまあとにかく色んなお客さんに対して覚えた呪文をゴニョゴニョ言ってるんだけど、お客さんがそれに対して普通に回答しても「は?何言ってんだテメエ?」みたいな顔と声で次の回答を言うの。

その人「転出ですか?転入ですか?」

お客さん「転出の方です」

その人「…………………そうですか💢では💢こちらの書類手続きしてください💢」

みたいな感じ。なんでそうなっちゃうんだろうね。最初フレーズ機械的に言えてたでしょ。そこから二択のIF分岐に行くだけの処理でなんでそんなテンパっちゃうの?ちょっとマジでヤバイよー。

それでまあその人の管理してるっぽい人がちょくちょくやってきて「君。頑張ってるね」みたいな事言ってるわけ。もうね……職場全体で何とかこの人でも出来る仕事やらせ仕事から干してる訳じゃないって状態に持ってくために必死になってるのが伝わるわけ。こりゃ凄いよ。福祉だよ福祉

自分は別の若手のネーチャンに相手してもらってマスクの舌で「グヘヘヘかわええのう」って鼻の下伸ばして横目で見てただけなんだけどさ、この人に案内してもらわなくて良かった―と内心ほっとしてたんだよ。いっそ窓口業務にこんな人置くとか狂ってんのかこの役場ぐらいに思っていたわけ。でもさこういう様子を見ちゃうとさ、本当にこの人は頑張って生きてるし、こういう人が社会から切り離されて中途半端な知性から自分の置かれた境遇不公平を呪って殺人鬼になったりしないようにするのって大事なんだよなと感じたわけよ。

いや凄いね自分職場は規模的にもしょーもないか障害者雇用なんてやってないけど、役所はそういうのから逃れるのは無理だもんなあ。大手企業だったら他の会社と一緒になってまとめて働かせてるふりをさせるシステムに組み込むんだろうけど、役所がそれやったら問題だもんなあ。生で見せられるとかなりのパワーがあるよ。やっぱね障がい者であっても1人の人間から感情人権もあるし、戦闘能力やそこそこの頭脳も持ち合わせているわけ。それをなんとかして社会の中で存在させ続けなきゃいけないってのは中々骨だなと。

世の中には結構な数の障がい者がいるはずなのに、街で見かけるのは電車車掌さんごっこしてる人や分かりやすく杖をついてる視覚障害者ぐらいじゃん。車いすの人が一時的車いすなのか麻痺しているのかは外からじゃ分からんしさ。でもいざ仕事先や各種の店舗に行くとどこにもいないんだよね。行き帰りの電車はいたはずの障がい者社会から急に消えるわけ。彼らはどこで何をしているんだろうかっていうと、こうやって周りがサポートしながら何とかかんとか組み込もうとしてるんだねえ。周りがだけどね結局。それらをまとめて集めて障がい者雇用補助金を一緒に中抜するシステムが少し前に話題になったけど、いやいや正直あっちの方がまだ人道的なんじゃねえかなって思うよ。健常者の社会に無理に組み込んでも可愛そうなことになるだけだわ。球技大会に参加した運動音痴、いやもっとひどいことに合唱コンクール音痴のごとく、やれば責められやらねば責められ何をしても存在のものを疎まれるだけというのはお互い苦しいもんだよ。こっちとしても目の前に置かれて楽されててもきっとムカツクだろうし、かといって自分がそれとやり取りしていい気持ちで終われるかっていうと自信がないね

いね

もし自分がああ言う立場だったとしたら、なったとしたらどう生きれば良いのか全く分からない。全ての感情思考をいっそ捨て去って、ただ漠然日向ぼっこだけして暮らしたいけどそれはやっぱズルいから許さないよとなるんだろうね。じゃあどうしろっていうんじゃの答えが無理やり働かせて皆で苦しむ道か。それでも自分相手にとって都合がいいぐらいのバランスになれたらいいけど、その塩梅判断するほどの知性が失われているならもう運任せだ。昔読んだ小説で、知性の失われ始めた青年が、せめてその後の自分の面倒をみる相手ぐらいは自分で選ぼうと障がい者施設への手続きをするシーンがあったな。まさにそれなんだな。でもきっといつか老人にぼくもなってニンチショーでホームというところのおわせになるだんろうな。

2022-11-09

anond:20221109011021

40年近く某県の県立高校教員をやった者だ。全員で手助けして野球を続けたなんて まさに教育の成果だなと感心した。私が最初に勤務した工業高校なんて球技大会のあとの喧嘩沙汰が絶えなかったので、しばらくは野球などを行う球技大会と聞くと憂鬱な気分になったものだ。

さて、私の勤務した県では大概どの学校にも学期末に球技大会があって、その業務の一部を私も分担してきた。生徒たちの球技を長い間見てきて非常に印象深いことがあった。野球ソフトボールものすごく下手になってきたのと引き換えに、サッカーレベルが上がったのだ。

私はもう定年退職してしまったのだが、最後に勤めた学校入試偏差値の低い、いろいろと問題を抱え外国籍の生徒もそれなりにいる高校だったのだが、体育の教員職員室で「バットボールに当たらない、たまに当たっても三塁側に走り出す子がいる」と嘆いていたことがあった。球技大会でも男子ボールがマウンドからホームベースまで届かない子もいた。その学校球技大会種目は野球ではなくソフトボールだったのでボール野球のものよりもやや重ものだったが、それにしてもピッチャーの投げる球がワンバウンドしてしまうのだった。(ピッチャーを交代させれば良いのにと思ったが、おそらくそのチームは全員似たような感じなのかも)

逆にサッカーなどは状況が全然違い。私が教員になりたての頃よりどのチームも格段に上手だった。私が新米教員の頃は、サッカーをやるとなるとほぼ全員がボールとともに動いていたのだった。生徒の集団がゴールとゴールの間を行ったり来たりする感じ。しかし、たしかJリーグが発足した頃からかと思うが、次第に選手たちのポジション取りが明確になって、ボールパスし合う光景がみられるようになった。最後に勤務した学校ではソフトボールものすごく下手くそだったが、サッカーはとてもうまかった。オフサイドトラップなどを仕掛けるチームもいて、私の教員になった頃とは雲泥の差だなと関心したのだった。

いち田舎教員の拙い経験だが、なんとなくこれと似たようなことが全国で起こっているような気がしてならない。あと数十年たつとどうなるのだろうか。

2022-09-05

昔と比べて今の10の子に使う金がかかりすぎて破産しそう

破産しそうは盛ったけど、自分中高生時代よりは金かかってること確実だわ

自分の時はお小遣い中学で月2000円、高校で5000円、それとは別でお年玉+誕生日+気まぐれに服買ってもらえる

みたいなかんじだけど、子の場合あきらかに月1万以上かかってる

まずスマホ。昔はポケベルで基本料金は安かったし、送信公衆電話とか家電とかだったけど1日何十回もしないし

1回10円に抑えようとがんばってたので月にするとそんなにかかってない。

いまだとiPhoneだけで7,8万する。割賦にしても結局の支払いは同じ。

当初はSEだったけど、SEだと同級生から舐められるようで最新のナンバリングを買わざるを得ない。

基本料金もピンキリだけどポケベル時代よりは高いし、ギガがねーギガがねーうるさいので増やしたから主要キャリアと大して料金が変わらん。

LINE無料通話できるとはいえ節約くらいしろや。

 

次に服。昔はショッピングモールに行ったときとか、最悪近くのスーパーで買う感じ。

それなりにするけどまぁ季節ごとに買うくらいで買う回数はそこまで多くなかったと思う。

今はユニクロGUもあるけどアパレルブランドが多くなり過ぎで、月ごとに何かしら買いそろえてる状態

毎度セールから安いはやすいけど、あきらかに服を置く棚がないのに流行りや好きなデザインだと買ってる感じ。

ちなみに流行りの普通の服から外れると途端に高くて、地雷系とかになってくるとなかなかセールもやってなくて財布に厳しい

 

次に、飯とかお菓子。もう映え映えの映えよ。もう死語だけど。

インスタとtiktokのおかげで「これたべたーい!行く!」と行動が早すぎる。

しかもそういうのは映え手数料が乗ってて軒並み高い。

子のエンゲル係数だけ爆上がりだよ!!

 

次に旅。これは遊園地とかも含むけども

温泉公園プールに海やイルミネーションなど撮影スポットを用意するようになって、その写真を見て「私も!」って感じで友達と行ったりしてる。

あとはディズニーランドやシーに行くだけでクッソ金がかかる。1日過ごせるけど入るだけで7000円、飯とか食ってグッズ買ったら?毎月行くとかなると吐き気しそう。

どうしてウォルト・ディズニーは後世まで愛されるキャラクターなんて作ってしまったんだろう。

 

あとは学校や勉学、部活関連。

部活とか塾関連はまぁ入るとこによるから言及しないけど、昔より高い気もする。

今はむしろ体育祭文化祭球技大会(今はクラスマッチというらしい)ごとに

Tシャツとか衣装を用意して改造しプリクラを撮るためにどんどん金が吸い取られる。

で、終わったTシャツはどうすんの?着ねえよなぁ?!

 

んで、こっちが小遣い渡したり買ったりしてる以上にモノが増えたり食ったり金かけてる形跡がある

隠れてパパ活でもしてんのかな……そんなに金ひつようなんか??

2022-03-19

anond:20220319160143

球技大会で張り切りってめっちゃオタに強く当たるバレー部サッカー部いたよな。

まあ画面の向こうにいる上級者がいい大人だったとしたらもうちょい言葉に気をつけてくれても…とは思うけど。

anond:20220318221855

スポーツでも学校球技大会ランダムマッチでチーム組んだら、上級者が初心者に優しく教えてくれたか?そういうことやで。

2021-10-15

運動は嫌いだ」と思っていたけど

よくある「体育のせいでスポーツ嫌いになる」の一種かなと思うんだけど、まず私はスポーツってものが嫌いだ!と思って生きていた。

結論を言うと、おそらく「決まったコースを歩くのが嫌い」「パスなど大きな声を出す必要のある競技が軒並み嫌い」なんだと思う。

運動部の連中陽キャじゃんこわぁ、と思ってたし体育祭とか球技大会とか嫌いだったし、サークルスポーツ会しようよ!とか言われたら不参加だったし。

でも、1人で時間内にゴールすればいいかマラソン大会は好きだった。おしゃべりしながら、ってのはやったことがない。

バドミントンが好きだ。クラブに入ってた。バレーボールちょっとだけやった。

水泳教室は嫌いだけど、1人で25メートルを何往復もするのは好きだ。

知り合いに付き合ってソフトボールもやったし、縄跳びとかは体力が続く限りやってられる。それ自体が苦ではない。

スポッチャはお遊び程度なんだけど、1人でボウリングかには行く。コツの動画見たり、隣のレーンの激ウマおじいちゃん見たりしながら3時間1人で玉を投げ続けている。

ウォーキングって感じじゃないけど、1日10キロ散歩程度ならケロッとしてる。

学校団体行動がそもそも死ぬほど苦手だったのもあり、ただただ誰かと何がするのがしんどいだけで、それをスポーツしんどいと思ってただけだった。

なので、たとえ1人でもスタンプラリーとかのハイキングコース歩くのはあんまりきじゃない。道が決まってるところを歩くと、同じような人を必ず見かけてしまうので。

なーんだ、私がおひとり様好きで協調性ないだけでスポーツに罪はないじゃーん!やったー!みたいな気持ちになったので書き散らしておく。

2021-07-07

anond:20210707211010

文化祭じゃないけど親戚が通ってた農業高校は期末終わったら球技大会BBQ大会?で夏休み迎えてた

でそっち(俺のこと)は何してるのって聞かれてひたすら数学英語なんだけどって返答したらなんか複雑な気持ちになった

2020-12-30

大好きだった友達の話

畑中を初めて認識したのは中1の3学期だった。中高一貫の母校では毎年高3送別会として各学年の有志が出し物をするイベントがあった。学年が上がれば各学年のカラーが出てきてそれぞれに工夫を凝らした出し物になるのだが、高3との関係性も薄い中1はたいてい合唱相場は決まっていた。その合唱練習にいった多目的ホールで、なんかやけに綺麗な子がいるなと思った。すらりと背が高くて顔が小さくて、鼻筋は高く通っているけど鼻先は少し丸くて親しみがあって、真顔でも口角が上がっている猫のような顔。胸下まである長い髪が静電気で少し膨らんでいた。

いつどのように仲良くなったかはどうしても思い出せない。気が付けば毎日のように畑中手紙を交換し、イラスト練習をし、力尽きて眠るまで長電話をし、プリクラの新しい落書きを開発し、ハリーポッター世界に浸り、塾をさぼって何をするでもなく新宿マクドナルド居座りインターネットにハマってブログを開設して高校生ブログランキングでいいとこまで行ったりしていた。私たちはたいていランキング上でも並んでいて、いつも畑中の方が上にいた。高1か高2の球技大会中、早々に負けて残りの2日間ヒマだったのでピアッサーを買いに行って次の日学校廊下畑中ピアスを開けてもらった。私はどこにピアスを開けるのがおしゃれかなんて分からなかったし、穴を増やすつもりもなかったので完全に畑中にお任せして場所も決めてもらった。実際にピアスを開けるときよりも畑中ハイテックで耳たぶに位置決めのマークを書いている時の方がなぜか緊張した。畑中ピアスに凝っていて、形がいいと褒められるから右の耳にはもうピアスは開けないんだと言って左耳にばかり穴を増やしていた。

畑中に話していないことは何もなかったし、お互いの人生登場人物は全員把握していた。高2の時にくだらないことがきっかけで大喧嘩して、喧嘩の勢いでお互い言わなくていいことまで言ってしまった。引っ込みがつかなくなってしばらく初めての別行動をして、一緒に観に行きたかったなって思いながら観たロードオブザリング全然面白くなかった。後から仲直りして、「ロードオブザリング、一緒に観たかったのに」って言ってくれたときはやっぱりうちら親友だねって思ったよ。

私は畑中が一番の親友だったけど、畑中にはもう何人か細く深い友達がいて、その子たちはみんな学校では少し浮いている性の香りのする女の子たちだった。彼氏が途切れない女バスギャルグループみたいな男好きするムードとは違い、〇〇ちゃん彼氏って、社会人らしいよ……と噂が立つタイプの、今にして思えばクラスメイトは幼稚で話が合わなかったんだろうなというような早熟なはぐれ狼と仲が良かった。畑中自身は何人かに告白されこそすれ試しに付き合ってみても全然ピンと来なくて別れる、みたいな感じだったので、畑中恋愛あんまり興味ないのかな?なんて思っていた。なんせ畑中美人だし、そんじょそこらの男が付き合えると思ったら大間違いよ。だから大学に入ってから予備校の仲良しグループの男の一人と付き合いだしたときは(あんまかっこよくないし背も低いのになぁ)なんて勝手に思っていた。

そうして安心して自分を委ねられる相手ができたことで、畑中メンヘラの才能が開花した。元から畑中時間ルーズだったり忘れ物が多かったりルール無視したりするタイプだったけど(そういうところが私も似てたからお互い遅刻しまくりながら長く付き合っていた部分もある)なんかそういう自分本意で、自分が良ければあとはなんでもいいようなところが加速していた。畑中受験がうまく行かなくて不本意大学に通っていたのもあって、大学1年の時はとても不安定だった。でも1年後再受験することに決めて、無事第一志望の大学合格した。私は畑中受験が終わるのをすごく楽しみにしていて、受かったらお祝いに一緒に沖縄に行こう!って言って旅行を予約していた。「やっぱり行けない」と言われたのは出発の3日前。うち厳しいし旅行のことも怒られるから言ってない、今更言えない、キャンセル代は払うからと言われて落胆し、怒り、「なんでもっと早く言ってくれなかったの」と詰った。「だって聞く耳持たずって感じだったじゃん。勝手に決めちゃうからさ……」と言われた。私が一人で先走って空回ってただけ。キャンセル代は銀行振り込みだった。さすがにショックだったけど、志望校に受かった畑中は明るさを取り戻し、また魅力的なやつに戻っていたのでなし崩しに今まで通りの付き合いが続いた。

畑中が受かった大学たまたま私の家の近所にあって、私はその大学で別の友達が立ち上げたサークルの手伝いをしていた。私がグループで集まれる数少ない友人の一人が、とある企画のために入学直後から大変な苦労をして作り上げたサークルだった。畑中はそのサークルに興味を持って入ることになり、美人なのにおちゃらけ性格でもってすぐ溶け込んだようだ。前後関係は忘れたけど、前の彼氏と別れた後はサークルの仲間の一人が恋人になったようだった。その頃私はほとんどそのサークルには関わっていなかったんだけど、そこでまあよくあるサークル内の小競り合いみたいなことに発展し、畑中サークル創立者友達対立して揉めた。泣かせた。その友達からこんなことがあって……と話を聞いている最中畑中からメールがきた。「今六本木で飲んでるよー!増田もおいでよ!」

ナメられてんな~と思った。私のことも蔑ろにして、私の大事友達のことまで傷つけるんだ。人が作ったサークルに後からやってきて我が物顔でぶち壊そうとしている。それで呑気に飲んでんの?六本木で?なんかもう限界だった。小さく積み重ねてきた「大切にされていない」という思いがここで臨界点に達し、「私が何も聞いてないとでも思ってる?もう連絡しないで」と返し、メールを受信拒否して連絡先を消した。それから今日に至るまで会っていない。

畑中は小さい頃にママ病気で亡くしている。仕事で忙しいパパと厳格なおばあちゃんに育てられて、畑中はずっと愛が足りなかった。パパには再婚したい相手がいて、多分畑中学生のうちはやめておこうと思っていたのか籍はいれていなかったけど、その相手の女の人の影がちらつくたびに畑中不安定になった。中学生の私ですら、畑中にはパパしかいないんだから再婚なんてしないでよと思っていた。畑中はずっと誰かに愛されたかった。そしてそれは私ではだめだったのだ。私が誰より一番畑中が好きだったのに。よく男女の恋愛で「私はあんたのママじゃない」なんて台詞があるけど、私があんたのママだったのに。本当に大好きだったのに、趣味センスあんなに合う友達あれから十何年経ってるけどできないよ。でも時間や決まりごとにルーズすぎて、私との約束適当反故にしちゃって、ないがしろに扱っていい相手だって思ってたことが分かってるからもう会えない。大人になった今なら再会しても適度な距離感で付き合えるかもしれないけど、きっとまた同じことで私がキレて終わりなの。畑中の一番にはなれないから。畑中の愛されたいを満たすのは恋愛じゃないとだめで、ただの友達じゃそんなもん満たされなかったのだ。私が畑中が自慢したくなるようなイケてる友達だったらなんか違ってたのかな?眠くて何度も切ろうとした電話を「まだ寝ないで、もっと話そうよ」って言ってきたのはいつも畑中だったじゃん。でも恋じゃないけど愛してたよ。もう一生会いたくないけど、寂しい夜が少ないことを祈ってるよ。

アールグレイ香水を嗅ぐたびにプレゼントで送りあったお揃いの香水を思い出す。

もも結婚して子供までいるのに畑中の話書いてたら涙出ちゃった。あーあ、ほんともう一生会いたくない。

2020-11-25

常に劣等感を感じる

同じような人いない?20代後半、独身サラリーマン

早生まれで学年の中では体つきが小さく、割と性格もおとなしい方だった。出身関西田舎の方にある小規模の都市で、中学だとクラスに何人かはヤンキーがいるようなところ。そういう土地だと、体が大きかったりスポーツができたり、ハッタリでもいいから悪ぶってたりする人がとにかく幅を利かせているから、自分みたいなタイプは割と居場所がなかった。あと、子供ほとんど全員が小学校まで、野球サッカーのチームに入っている(地方の人はわかると思う)けど、自分はより田舎の郡部の村から小学低学年の頃に引っ越してきたこともあり、どちらも入っていなかった。こうなるととにかく居場所がないし、舐められるし、劣等感ばかり募る。

生きる術として、絡まれにくい目線の外し方とか、自虐とかで笑いをとる最低限のコミュニケーション能力があったから明確にいじめられたことはなかったけど、ヤンキーだけじゃなくてたくさんの同級生に舐められてるな、と思うことは何度もあった。中学では運動部に入ってないからとか、体が小さいから、悪ぶってない(学ランの第一ボタン第二ボタンを外してない)から、というのでよく下に見られることが多かった。高校では偏差値が上位の公立校に入ったのでヤンキーはいなくなったけど、場の雰囲気は変わらないどころかもっとみんなマウンティングし合ってるような感じになった。高校では、球技が苦手で球技大会とかで活躍できないことも理由に加わって、見下されたり、ということが多かった。気にしすぎなんだと思うけど。

その後、大学から東京上京してきて、就職して今に至るが、いまだに当時の価値観劣等感を引きずって幸せになれない。誰かに見下されてるな、とか舐められてるな、という感覚に異常に敏感で、常に頭の中で憤ってしまう。そうじゃない人から見たら本当にバカだと思われるだろうけど、頭の中で常にいろんな知り合いが自分を見下して馬鹿にして、それに何も言い返せなくてもがいている感覚

東大を出て公務員系の仕事についたから、お金はないけど会社名前インパクトがあるということで、高校とか中学地元の元同級生と、誰かの結婚式とかで再会すると、同じ価値観を引きずってると思しき人からちょっと卑屈な感じで言葉をかけられたりすることがある。「おれはちょっと勉強舐めててサボりすぎたわ〜」とか、「お前の職場なんか天才ばっかりなんやろ?」とか。逆に同じ東大に入った別の地元同級生からは、よく海外出張に行ってることを自慢げに話されたりすることもある。(そんな小さなことでマウンティング合戦をするのが当然の価値観の中でみんな育ってきたのだ)

高校までそればかり気にして生きてきたからか、誰かが誰かを見下すとか見下されるとか、そういう価値観が本当に苦手で、そういう言動に触れると本当に嫌な気持ちになってしまう。自分のおとなしい性質地域雰囲気に全く合わなかった結果の不幸だと思っている。

また、他人言動を聞くよりももっと嫌なのは、内心では自分もその価値観(人を上とか下で見る価値観)にどっぷり浸かってしまっていて、地元に残った元同級生で、昔は威張っていた人なんかを、心の中で無意識に見下して溜飲を下げようととしているのを感じる時。

とにかく人と接するとそんなことばかり延々と気にしてしまうから、とにかくコミュニケーションを取るのがほとほと嫌になってしまった。どうすればいいですか、神様

2020-06-05

増田お前ネットやとバリおもろいやん笑✌

たまには学校来いよ!👍

とりあえず月曜は球技大会から絶対来い笑👊

2020-06-04

運動楽しいものという呪い

学生時代野球部だったしサッカーもやってた。体育祭ではリレーにでたり球技大会でも活躍してきた。

運動楽しい。はずが、30歳になった今思うのは運動するのがめんどくさい。着替えるのも移動するのも面倒だ。

運動が楽しかったのではなく、友達とする運動が楽しかっただけなんだ。

2019-11-22

anond:20191120220832

PTAはムダな行事が多すぎなんだよ。

ベルマークホントいらない。今時消費者キャンペーンでもシールを切り取ってハガキに貼って応募、とかないじゃん。

何が悲しくて数百円のためにチョキチョキペタペタやってるんだろ。

ウェブベルマーク、という楽天で買い物したらつけられるのが別にあるんだから、そっちに統一すればいいのに。運営無能だと思う。

ママさんバレー好きな人だけでどうぞ。うちの学校趣味サークルと化しているが、増田みたいに強制参加なところもあるのか。クソだな。

あと、増田は書いてないけど、意味不明イベントの多いこと!

親子球技大会とか教育講演会とか、やる意味あんのか誰が来るんだ的なあれ。

平日昼間に教育講演会やっても人集まらいから、役員強制参加。

やめてしまえ、そんなイベント

実績作りのためにイベントをやり、次年度「前の年にやっていたから」と継続って、何のためにやるのか意味不明になってるやつ。

あと、P連のイベント

横の繋がりなんか要らない。学校単位で完結でいいじゃん!

うちの学校はこんなことしたあんなことした、の自慢大会必要

こんなもの時間取られるから、みんなやりたがらなくなるのよ。

PTA自体学校の内情が把握できるし、学校に親の意見モンペではない形で言えるので必要だと思うけど、新興宗教みたいな面倒臭さが敬遠される一因だと思う。

2019-11-01

anond:20191101045710

学校という狭い世界世界の全てである間は気づくのすげー難しいんだよね。

ネットある世代になっても根本的に変わってない。学内ネット上のコミュニティも閉鎖的だから自分たちの時と本質的に変わってないと思う。

自分場合ゲーセンコミュニティの一員になるようになって、社会人や年上の友人できて学校以外の人間関係評価軸得られたのがとても大きかった。

小学校から高校まで、自分は息するだけで嫌われるような人間だと思い込んでて、実際すこし人と関わるだけでいじめ対象になって、ずっと日陰で誰とも関わらないように目立たないように息を潜めてやってきた。親までPTAはぶられてて、その親に言われた子供さら自分をはぶるのだ。ハブられてた理由は家が貧乏でひらやだとか、親が若いとか。若いってだけでPTAですごいはぶられる。行事には呼ばれないし、球技大会などではどのチームにも自分が入ってなかったりした。でも誰も何も言わない。それが地域ぐるみで代々受け継がれてるから小学から中学いってもかわらない。

ゲーセンだと全然そんなことなくて、平等で同じコミュニティの一員として扱ってくれて、ちゃん自分にも挨拶してくれるし挨拶したら挨拶帰ってくるし会話もしてくれるしで人間で良かったんだってなった。

ゲーセンはクソみたいな地域コミュニティともPTAとも切り離されて、場所的に校区からも離れてたし色々と独立した大人世界だった。

あの逃げ道がなかったら、きっと社会人なっても社会に不適合で苦しんでたと思う。

2019-05-21

仕切るのが好きだった

小学生のころ、特に勉強ができるわけでも、運動神経いいわけでも、見た目がいいわけでもなかったけど、仕切るのが好きだった

喧嘩してる友達同士がいたら、関係ないのにそこに突っ込んで行って、「まぁまぁ」と言いながらお互いの言い分を聞いたり、

活動みたいなものがあれば、みんなの意見を聞いて、模造紙にまとめて発表したり。目立ちたがりやだったのかもしれない

中学校球技大会ときクラス男子を2つのチームに分ける必要があって、

弱いチームと強いチームにはっきり分けるパターンと、両方のチームを同じくらいの強さに分けるパターン

どっちにするかでみんなが揉めていた。前者は優勝の可能性もあるものの、捨てチームに入った人はあまり良い気分でもないし、

かといって後者中途半端だし、なかなか決まらなかった

そこで、自分がしゃしゃり出て、チーム分けを考えようとしたところ、

「なんでお前が仕切ってるんだよ」と野球の得意な男子に言われた

なんでと言われても、自分は仕切るのが得意だから、みんなの意見をまとめようと思っただけなのだけど

彼は「お前、野球下手くそなんだから、お前に仕切られるとイラつくんだよ。黙ってろ」と言った

彼の言葉は当時のお花畑自分の頭にはかなりがつんときて、「え、揉めてる事柄が得意な人じゃないと発言権がないのか」と知ってしまった

それ以降、特に得意な分野があるわけではない僕は仕切るのをやめ、ただ黙ることになった

大学に入ったり、会社に入ったりするとグループワークであったり、コミュニケーション能力のようなもの重要となる

しかし、そのような場面では僕はいつも無言であった。自分無能であることは子供の頃から自覚しているし、

自分意見が間違っているのではないかと怖くなったら、何も言えなくなってしまった

ある部署に配属されたときに、何も意見を言わない僕に対して、かなり時間をかけて話を聞いてくれる先輩がいた

「どうするのがいいと思う?ちょっと考えてみて」「間違ってもいいから、何が必要だと思う?」

いろいろ問いかけてくれるのだが、何を言っても間違いのような気がして、何も言えなかった

先輩は言った。「誰も答えなんて知らないんだよ、ぶっちゃけ。」

「偉そうに喋ってる部長もどっかでみた情報を偉そうに言ってるだけだし、何やったらいいかなんて誰もわかってないんだよ」

「でも、みんなが偉そうに、自信満々で喋ってるのは、そういう役割を誰かが担わないと、方針なんて決まらないでしょ」

「みんながみんな慎重で、自分意見に自信がなくて、それで一緒に働くみんなを説得できる?お客さんを頷かせられる?」

「間違ってもいいんだよ。そんときは謝るか開き直るかしかないし、間違うことを恐れて、意見が出てこなかったり、

本当は気づいてた問題点を指摘できなかったり。そっちの方が損失は大きい」

「何か言われて、馬鹿だって周りに思われてもいいじゃん。いまはまだ自分の後輩なんだし。社長とか部長かになったら、

馬鹿だと思われたくないって気持ちはわからなくもないけど、今の段階なんてみんな馬鹿みたいなもんだよ、自分も含めて」

結局、どの言葉自分に響いたのか自分でもわからないけど

昔は仕切ったりするのが好きでした、でもなんだか怖くなって。と伝えることができた

しかしたら自分自身が逃げてたトラウマ直視できたのかもしれない。

先輩は笑ったりすることなく、「なんだ、じゃあこれからはチーム内のミーティングの司会はお前な」と言って役割を与えてくれた

もちろんいまはリハビリ中で全然うまく会議を回せてない

でも、アジェンダを整理したり、揉めた時に問題点を整理したり、

いくつかのシナリオを立ててみたりするのはできるようになった

小学校ときみたいにできるといいな

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