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https://twitter.com/nae_auth/status/1516394011325571072
このツイートが話題となっている。スレッドの上のほうで「ゾーニング」がどうこうと言っているので、『月曜日のたわわ』の問題についての話ということでいいはずだ。
このツイートで特に問題になっているのは、「自由な娯楽を嗜むには一定以上の知性が必要で、そうでない人には自制が難しく作品に影響され自分勝手で感情的な行動をとりやすくなってしまう」という部分だ。
多い批判が「選民思想だ」みたいな話である。まあ選民的でないとは言い難いのだが、youtubeとかYahooニュースのコメントとか見ればわかると思うけど、世の中話が通じない人っていうのはかなりいる。娯楽作品を「正しく」楽しめる人っていうのは、楽観的に見て、世間の半分、いや三分の一……くらいは……いてほしいが、多分「マイノリティ(!)」である。
この主張は、要するに娯楽作品の犯罪描写に影響されて犯罪を起こす、という話に基づいている。これについてはいくつかの研究があったと記憶しているが、肯定的だったり否定的だったりする結論が出ていたはずだ。
これらの研究のどちらが正しいかという話をしたいわけではないので、まあそこはなんとも言い難い。ここで問題なのは、科学的な議論ではなく、表現の自由のような社会問題を論じるときに、このような(たぶん)科学的な研究に基づいたフリをして、賛成・反対に立つ人間が主張することである。
そういう人たちが、論文を読み比べた結果としてどちらの研究がより正しいと考えられるのでそちら側に立つ、なんて手順を踏んでいるわけがない。結論に合致する研究を持ち出すだけだ。大麻合法化とかの話もこういう議論が行われているはずで、これの良しあしがどうとかいう以前に、議論が成立するはずがない。
で、いわゆる「表現の自由戦士」(この言葉に「ネトウヨ」とかみたいに侮蔑的なニュアンスが含まれているのかもしれませんが、単に他の表現を知らないので使っている、とポリコレ的な言い訳をしておきます)の側にとってマズいのは、学者の間で、「人間は娯楽作品の表現に影響されて犯罪を起こす傾向がある」という考えがコンセンサスを得てしまうことだろう。
彼ら戦士たちは、上記のようなことはない、という立場の研究にかなり依拠して自らの主張を保持しえているのだから、もしそういうことになったら大変だ。大体学問の世界は割とリベラルが力を持っているわけで、結構危機的なんじゃないだろうか。
わざわざこんな文章を書くくらいだから、私も娯楽作品の内容に規制がかけられたくはない側の人間である。単にポリティカルにコレクトな内容の娯楽なんか読まされてもクソつまらないからというだけなので、「表現の自由戦士」のみなさんには怒られそうですが。
そういうわけで、学問の世界が(日本のクソバカな)リベラルにとって都合のいい方向に行ったときに、表現が規制されるということはこのままでは避けられないし、実際(単にクレームとそれへの対応によってではあるが)様々な「自主規制」が幅を利かせ始めている状況である。
一方で「創作に影響されて犯罪を起こすことはあり得ない」というのは、ある種創作を矮小化しているのではないか。
そこで、リベラルの理屈をひっくり返して使ってしまえばいいのだ。ここでは、「娯楽作品の犯罪描写に影響されて犯罪を起こす人がいる」という話はある程度事実だと認めてしまおう。
でもって、「自制が難しく作品に影響され自分勝手で感情的な行動をとりやすくなってしまう」「自由な娯楽を嗜む」のに必要な「一定以上の知性」がない人もいるという側面もあるにはあるだろう。(ただし、私はこういうのは「知性」というよりは、「常識」とか「(人文・社会・自然)科学的な素養」の問題なんじゃないかと思う)
宮崎勤事件の報道をリアルタイムでは知らないが、要するに宮崎勤がオタクで、ロリコンポルノに影響されて事件を起こした、という理屈がまかり通っていたはずだ。Wikipediaを読む限りはそれは否定されているようだが、有名ではなくとも、そういう事件はあったにはあっただろう。
日本で語られる「犯罪の動機」が大体警察の作文であるにしても、根っこにそういうことが潜在的にあること自体を否定するのは困難だろう。
しかし、宮崎勤事件もそうだが、センセーショナルに報道される事件というのは、無差別殺人みたいに、わかりやすく怖くて視聴率が取れる事件である。たいていの犯罪は、非常に狭い人間関係での問題か、経済的な問題によるものであって、そういう事件はレアケースなのだ。
まして「自由な娯楽を嗜む」のに必要な「一定以上の知性」がない人が、それが原因で事件を起こすというのは、世の中の犯罪のなかでも非常にレアケースで、リスクは自動車とかのほうがはるかに高いだろう。
そんなことをいちいち予防して回るのは、過保護としか言いようがない。
しかし一方で、そういうので「不安だ」とかみんな言うわけである。ちょっと違う話だが、(ポルノとかじゃなく、ガチの)性犯罪者にGPS発信機をつけて位置情報を公開すべきだ、と言う話について、「不安を解消するためには、この程度の人権の制限は必要だ」という意見が、有名人から発信されていた。個人的には、人権をそんな風にとらえる人間が同じ社会にいるのは結構「不安」なのだが……。
リベラルな人らが大好きな日本国憲法を読めば、権利の制限は「公共の福祉」に基づくべきだ、とみんな理解できるはずだ。「安心」なんてものは「公共の福祉」なんかではありえないだろう。「不安」なんてことのためにいろんなことを規制するのは、公権力がやるべきことではない。
大体、世間の人々が不安になるのは、マスメディアの報道に「影響されている」からだろう。日本はこんな社会なのに、恐ろしいことに犯罪は減少傾向だったはずだ。みんなもっと科学的思考をしてほしい。特に学問しか取り柄のないリベラルな学者のみなさんは、このような世間の風潮を批判すべきであって、それに便乗して、多くの善良な人々を、人権などクソほども守られない日本の監獄にブチこめるようにすることなんか望むのでは、「リベラル」という言葉は無意味どころか逆の意味になるじゃないか。なってるんですけどね。それも「グローバル」に。
「表現規制」に反対する側が言うべきなのは、以下のようなことだろう。
「娯楽作品には人を影響する力があるし、それによって犯罪を起こす人もいるかもしれない。でもそんなの犯罪の中ではレアケースですよ。あなたたちテレビの報道に『影響されて』言ってるんじゃないの?そんなことのために我々『一定以上の知性』がある人々から自由を取り上げるのは、『マイノリティ』の迫害だ!」
娘が3歳になり、だいぶ言葉も達者になってきた。そして男女の身体の違いも色々気になっているようだ。
一緒にお風呂に入ることが多く、ぶら下がってる男性器には特に気にしてるが、以前触ってきた時に「触らないよ」と教えてからは、忠実に守って見守るばかりである。
しかし興味津々ではあり、「へそ」とか「おしり」はお風呂で教えることも多く、当然それには性器も例外ではないと考えた。しかしいざ言葉に出すとなると、男性器は「これはね、ちんちんっていうんだよ」ですむが、女性器はなんと呼ぶべきか?「男にはちんちんがあるが女には欠落している」という認識にはさせたくないが、しかし現実問題として女性器は股間の奥であり、指差しができない。名称も問題である。「おまた」が一番ニュートラルかと思ったが、股は男女にあるわけで。しかも「おまた」が指し示すものも非常に曖昧である。大陰唇なのか、恥丘部から股間にかけての漠然とした広がりなのか。ただ膣や陰核を指すわけではないだろう。「ちんちん」に一対一対応するのは陰核かもしれないが、非現実的である。
ジェンダーにニュートラルでポリティカルにコレクトな呼び名を教えてほしい。実践している性教育や心掛けていることも教えてもらえると嬉しい。
アメリカの政治学や近代・現代歴史クラスタでちょっと気になる動きがある
向こうでもっぱら話題なのはやっぱり中露の横暴についてなのだが「我々はどこで歴史を間違えたのだろうか?」という話題になったときに「やっぱり第二次大戦で日本を叩き潰したのがまずかった」「連合国が日本を負かすために中国共産党に肩入れしたのが元凶だった」「中国・朝鮮半島・ユーラシア大陸東部あたりまで日本に任せておけば今のような事態にはならなかった」というような主張がちらほら増え始めている
そういう声もあるし、それに反対する声もある
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO78836870Y1A221C2TCR000/
チーフ・USポリティカル・コメンテーター ジャナン・ガネシュ
(中略)
20年前の12月に中国の世界貿易機関(WTO)加盟を承認していなかったら違っていたのではないか。
米国の歴代政権が中国政府を相手にかくも甘い考えでいなければ違っていたのではないか。
多くの失敗を重ねてきたが、1949年(編集注、蒋介石が国民政府を率いて台湾に撤退した)にまで遡り、あの時、手を打っておくべきだったのではないかとまで考えている。
実際、米共和党員の中には今でも中国を共産主義に「奪われた」と思っている者がいる。
(中略)
だが、失敗したのはどこだったかと模索するのは「逃げ」ともいえる。
現状を自分たちが過ちを犯した結果だと捉えるのでなければ、米国よりはるかに巨大で長い歴史を持つ中国が1970年代に鄧小平の下で開放を進め始めた以上、世界で(再び)台頭するのは必然だったと認めることになるからだ。
欧米はある程度、犠牲を払えば中国台頭を遅らせられたかもしれないが、その台頭は必然だった。
己の無力を認めることは、罪を認めるよりもつらい。
米国以外の西側諸国も、中国台頭を阻止できないと認めるのは米国と同様にできていない。
(中略)
こうした薄っぺらな強硬姿勢の問題は、そもそも中国には自力で繁栄する力はないと言いたげな点だ。
なぜ米国はそこまで警戒心を募らせて軍備増強に走るのか。
中国が100年前から超大国となることを目指していたというなら、自由貿易主義者らの思慮の足りなさで誤って誕生させた産物などであるはずがない。
中国がWTOへ加盟しようがしまいが、長期にわたり封じ込めてはおけないほど巨大で野心的な国だということを認識している人ほど、中国を深刻に捉えている。
全てはココに収束する。
同じ場所をグルグル回っているだけなのを螺旋階段を登っていると言い張りたがるのだ。
その円環を進む日本人の群れにとっては嫌韓は2,30年も前のブームであり、もはや嘲笑されるべき過去の遺物だ。
今どきのディスコでジュリセンをヒラヒラさせる人間がいたら「昔の人のコスプレ」にしかならないがそれを本気でナウいと思えば「痛い」のである。
ダサい。
今のナウは人種差別をしないことだ。
門地による差別をしないことが憲法に刻まれた真面目くんルールから一周回ってイケてる今どきボーイが守るべきルールになっている。
黒人やフィリピン人とも友達のA君は格好良く、たとえ友達が100人いても日本人率100%のB君はダサいレイシストなのだ。
そういう時代だ。
これは逆に日本が「戦後の朝鮮戦争バブルで得たリードを失って本来の島国レベルになってきたから」というだけなのだが。
チンパンジーの群れとしてコケにしようものなら日本も巻き添えを食ってチンパンジーであることを認める羽目になるがそんな現実は誰も見たくない。
資源の無駄とか持続可能性がないとかいくらでもいちゃもんはつけられるけど
じゃあそれがアートなんですとか伝統工芸なんですとかいっても同じ調子で圧殺されちゃうのかなって思うわけ
うちの国、SDGs進めてるんでアーティストの染料とかもう作らないし売りません、みたいなね
あと、持続可能性って聞くと標準規格化みたいな話を連想しちゃってさ、凡人が天才を殺す文化の醸成に繋がりそうだよね
そんな飛躍してないと思うけどな、だってSDGsってポリティカルなコレクトネスで踏み絵を迫られちゃ、大抵はムリでしょ
まあうわべだけ取り繕って、いえいえSDGsを頑張りつつ新たな表現の模索を云々かんぬんって言えなくもないだろうけどさ
お前が直ちにこの世を去った方が環境にやさしいよねって違和感を胸に抱えながら、表向きは立派なことをしている風でずっとやっていかなきゃいけない
呪いですよこれは
なんかもう、最強のポリコレこん棒ができちゃったよね
どうすんのこれ
不要不急でなく、人類のためになることでないと存在を許されないよ
こわいねえ
政治家の皆さんは「差別をなくします」なんて簡単におっしゃいますけど、
この場所でも偉大なる先達の増田氏らが何度も述べておられたように、
完全になくすことなんてできないわけです。全人類を脳から改造したりしない限りは。
そもそも差別のもとになる偏見というものは、使いようによっては判断を非常に効率化できる機能でもあり、
偏見を失った人類はその時点でAIに圧倒的に劣る存在になったりするのではないでしょうか、知らんけど。
まぁそれはいいとして、
あるいは、そんなことできないと自覚しながら有権者を耳ざわりの良い言葉で騙そうとする言動、
いずれも政治家としては最低です。
差別をなくすことはできないが、顕在化しにくくすることはできる。
衣食足りて礼節を知る、というやつです。
結局、不満があるから他者へ攻撃性を向ける者が現れ、差別が顕在化するのです。
もっと具体的で身体に刻み込まれるような個人的体験のことです。
『銀と金』をお読みください。
“差別されたんだ……”