小学生のころ、特に勉強ができるわけでも、運動神経がいいわけでも、見た目がいいわけでもなかったけど、仕切るのが好きだった
喧嘩してる友達同士がいたら、関係ないのにそこに突っ込んで行って、「まぁまぁ」と言いながらお互いの言い分を聞いたり、
班活動みたいなものがあれば、みんなの意見を聞いて、模造紙にまとめて発表したり。目立ちたがりやだったのかもしれない
中学校の球技大会のときにクラスの男子を2つのチームに分ける必要があって、
弱いチームと強いチームにはっきり分けるパターンと、両方のチームを同じくらいの強さに分けるパターンと
どっちにするかでみんなが揉めていた。前者は優勝の可能性もあるものの、捨てチームに入った人はあまり良い気分でもないし、
そこで、自分がしゃしゃり出て、チーム分けを考えようとしたところ、
「なんでお前が仕切ってるんだよ」と野球の得意な男子に言われた
なんでと言われても、自分は仕切るのが得意だから、みんなの意見をまとめようと思っただけなのだけど
彼は「お前、野球下手くそなんだから、お前に仕切られるとイラつくんだよ。黙ってろ」と言った
彼の言葉は当時のお花畑の自分の頭にはかなりがつんときて、「え、揉めてる事柄が得意な人じゃないと発言権がないのか」と知ってしまった
それ以降、特に得意な分野があるわけではない僕は仕切るのをやめ、ただ黙ることになった
大学に入ったり、会社に入ったりするとグループワークであったり、コミュニケーション能力のようなものが重要となる
しかし、そのような場面では僕はいつも無言であった。自分が無能であることは子供の頃から自覚しているし、
自分の意見が間違っているのではないかと怖くなったら、何も言えなくなってしまった
ある部署に配属されたときに、何も意見を言わない僕に対して、かなり時間をかけて話を聞いてくれる先輩がいた
「どうするのがいいと思う?ちょっと考えてみて」「間違ってもいいから、何が必要だと思う?」
いろいろ問いかけてくれるのだが、何を言っても間違いのような気がして、何も言えなかった
先輩は言った。「誰も答えなんて知らないんだよ、ぶっちゃけ。」
「偉そうに喋ってる部長もどっかでみた情報を偉そうに言ってるだけだし、何やったらいいかなんて誰もわかってないんだよ」
「でも、みんなが偉そうに、自信満々で喋ってるのは、そういう役割を誰かが担わないと、方針なんて決まらないでしょ」
「みんながみんな慎重で、自分の意見に自信がなくて、それで一緒に働くみんなを説得できる?お客さんを頷かせられる?」
「間違ってもいいんだよ。そんときは謝るか開き直るかしかないし、間違うことを恐れて、意見が出てこなかったり、
本当は気づいてた問題点を指摘できなかったり。そっちの方が損失は大きい」
「何か言われて、馬鹿だって周りに思われてもいいじゃん。いまはまだ自分の後輩なんだし。社長とか部長とかになったら、
馬鹿だと思われたくないって気持ちはわからなくもないけど、今の段階なんてみんな馬鹿みたいなもんだよ、自分も含めて」
昔は仕切ったりするのが好きでした、でもなんだか怖くなって。と伝えることができた
もしかしたら自分自身が逃げてたトラウマを直視できたのかもしれない。
先輩は笑ったりすることなく、「なんだ、じゃあこれからはチーム内のミーティングの司会はお前な」と言って役割を与えてくれた
でも、アジェンダを整理したり、揉めた時に問題点を整理したり、
いくつかのシナリオを立ててみたりするのはできるようになった
応援してるよ わたしも会議で話すの苦手だけどがんばるわ