私の主観のみを元にしている稚拙な考えではありますが、公開することによって補強あるいは反証されるといいなと思って書いています。
差別:被雇用者もしくは求職者が、属性で区別され不利益な取り扱いや不合理な格差を受けること
就労において差別が行われているという話を耳にしますが、常々つじつまが合わないと感じていました。
雇用とは、雇用することによって売り上げをあげるもしくは利益性を改善することを目的にしており、能力[^1][^2]のある人間をその能力性以外で差別することは企業の目的を妨げるからです。
差別が全くないはずはありませんが、市場原理によって差別はゆるやかになくなっていくはず[^3]です。
差別されているという声がよく聞こえ[^4]、雇用差別に対するガイドラインが設定される[^5]ほどに差別があるという事実は市場原理に反しているように感じられます。
差別によって利益を得る集団は誰なのかという点について、被差別属性の逆の属性をもつ集団が利益を得ているため差別がなくならないのではないか、という言もみられます[^6]が、これについても疑問があります。
就労差別の主体である企業は、経営者や株主が利益の追求を目的に運営しており、その目的に沿って運用されるものです。
属性は能力を規定するものではない[^7]ので、属性差別を行うことは企業の利益追求を妨げる結果となり、差別によって利益を得る集団[^8]がいたとしても経営者や株主の意見の方が勝ると考えます。
ということは、「差別によって利益が得られる」のではなく、「差別をしても企業に不利益がない」のはなぜか、が正しい問いであると考えられます。
差別をしても企業に不利益がない状況とは、企業と被雇用者を比べたときに被雇用者が強気に出れない状況です。
一般的に、被雇用者が強気に出れないのは人材の需要に対して供給が過剰になっている場合です[^9]。
供給過多により、需要と供給の交点があまりに低い状態で仕事を受けなければならないというのは、市場原理の負の側面に他なりません。
採用に関して考えると、求職者が多い場合になんらかの属性で足切りができればコスト減になり、わずかながら利益が出る、とも考えられます。
人材が供給過多であり、企業が自由な基準で求職者を選択できる場合、能力の低い求職者を属性で選択(足切り)しない理由はありません。
結論として、就労における属性差別は能力のない人間が過剰に供給されるため発生するのではないか、という仮説が導かれます。
"性差別" や "障害者差別" などの属性差別はこの問題の側面にすぎず、個々の属性差別を無くしても大元の原因を絶たない限り別の差別が生まれるであろうと予想されます。
「就労における属性差別は能力のない人間が過剰に供給されるため発生する」という仮説を検証するための以下の手法を提案します。
差別発生件数や給与などの待遇を、能力や属性別に比較することで、差別が能力に対して行われているのか属性に対して行われているのか明らかになります。
求人倍率や人材の流動性をもとに、業界ごとに人材の供給量を比較することで、人材の余っている業界、足りない業界を算出します。
人材の余り度合いと差別の発生件数が相関すれば「人材が過剰に供給されるため差別が発生する」と言えます。
市場原理に基づき、それはない、もしくはあっても少ないと考えます[^11]
その属性をもっていても能力を低く見積もらない企業があれば求職者はそちらに流れ、また競合他社も「差別をしない」という低コストな活動で業績を伸ばせるとわかれば追従するはずであるからです。
なぜそのようなことが起きるのか、能力のある人間を差別しても企業や差別者に不利益にならないのはどのような構造が背景にあるのか、といった点に興味があります。
ぜひ状況を教えていただければと思います。
質問に対して答えると、そのような状況は0にはならないので体験談が数件あっても反証にはならないと考えます。
しかしあまりに多くの声がある場合は、「能力のある人間を差別しても企業や差別者に不利益にならない構造」をもとに問いを考え直す必要があります。
結論で述べたように、本稿は「就労における属性差別は能力のない人間が過剰に供給されるため発生する」という仮説を提唱しており、本来ならタイトルもこの一文にすべきですが、長い本文を読まない人を呼び込むのではないか[^12]と考えて多少無難なタイトルにしています。
この考えが正しいとした場合、被差別対象から脱出するには専門性をつける、あるいは既にもっている専門性を活かせる職に就けばよいということになりますが、その解決法では雇用のパイが変わらないため被差別対象は減りません。
根本的に解決するには、全ての被雇用者が雇用主に対して強気に出れる状態になる、つまり「生活のために働かなければならない」という構造を変化させなければならないのではないかと思います。
「生活のために働かなければならない」とはつまり市場原理の前提である「社会の構成員皆が働かなければならないだけの需要がある」とイコールであって、私はこの前提は既に崩れている、つまり「社会の構成員全員が働かなくとも、健康で文化的な最低限度の生活を送るだけの供給を保てる」と考えています。
今回のコロナ禍で不要不急の経済活動がダメージを受けたことにより、この前提の崩れが明確になったとも感じていて、市場原理の次の理念が世界のどこかで生まれるのではないか、と期待しています。
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^1: はてな記法の二重丸カッコが脚注になりませんでした。どのように書けばよいのでしょうか?
^2: 能力とは、売り上げをあげるもしくは利益性を改善することのできる能力、もしくはその見込みのことを指します
^3: 雇用差別がゆるやかになくなっている過渡期であるためまだ差別が残っているのだ、とも考えられますが、どう検証すればよいかわからないためここでは扱っていません。要検証
^4: 差別されているという声がよく聞こえる: 私の主観です。要出典
^5: 公正な採用選考に向けて - TOKYO働くネット など
^6: 被差別属性の逆の属性をもつ集団が利益を得ているため差別がなくならないという言がみられる: 私の主観です。要出典
^7: 属性は能力を規定するものではない: 大変に議論の余地があります。個人的には、業界と属性を絞った局所的に見れば属性は能力を規定すると考えています。しかし全体として見た場合、「属性は能力を規定するものではない」としてよかろうという前提のもと本稿は書かれています。
^8: 差別によって利益を得る集団: 経営者や株主とは一致しない集団を指します。なぜ一致しないのか説明はつけられると思いますが言語化できていません。
^9: 一般的に、被雇用者が強気に出れないのは人材の需要に対して供給が過剰になっている場合: 一般的かどうかは分かりませんが、後の展開を書きやすくなるので…要出典
^10: 検証法の提案: 検証にかかる前に、仮説が成り立っているかどうか、"要出典"の部分を埋めてください
^11: 筆者が市場原理、ひいては個々人が利己的に活動することを期待しすぎている感はあります。ありますが…代替になるモデルなしには議論を進められないのではないでしょうか?
^12: 本文を読まずSNSシェア99割 米研究 これは嘘ニュースです - 虚構新聞 私はまた虚構新聞が謝罪する流れになると思っています
逆 もともと公共事業なら 10億円なら10億円で何人福祉的な労働ができるか?という話なので 能力が関係ない 一人は一人。
確かに、人材不足が深刻であればどんな属性の人間でも欲しくなるよね。 「猫の手も借りたい」というヤツ。
猫は餌代や予防接種くらいしか金かからんけど人間には最低賃金があるからなあ。 給料分の仕事ができない人間って猫未満だよ。
東京と地方の格差のほうがでかい。 就活の問題は、突き詰めて言えば地方ホワイトカラー子弟の没落問題なんだ。 地方ブルーカラーの子弟は大学に行かないし、首都圏ブルーカラーの子...
せっかく増田が時間をかけて自論を展開してくれたので、以下の点について補足して頂きたい。 定義の補足要求 「属性」および「属性差別」の定義を補足して欲しい。 差別と一括りに...