はてなキーワード: 全国大会とは
いつどこで見たかはすっかり忘れてしまったが、リベラルな言論で著名な方が、以下のようなことを言っていた。
「氷河期世代は不況のせいにして就職できず流されてきて、今になって苦しいという。何故20代の時にお国と闘わなかったんだ。今更苦しいと言っても自業自得」
仰っていることは尤もなのだが、しかし当時は連帯しようとかデモをしよう、国に掛け合おうなどという考えはないに等しかった。何故だろう? と氷河期世代たる増田は考えて、すぐに結論が出た。
左翼の皆さん、我々の世代に嫌われてたんだよ。左翼にも色々あると言われそうだけど、あの頃の左翼的な思想を持った連中なんて、どれもこれも十把一絡げで嫌われていた。
昭和50年代生まれの我々は義務教育期間中、一度や二度はいわゆる日教組のアカ教師と遭遇し、嫌な思いをさせられている。かつて学生闘士と呼ばれていたような、親より少し年上の定年間近の老教師が、特に地方の、子供も少なく1クラス30人にも満たないような増田の学校にも必ず1人はいて、何かと教育現場を引っ掻き回していた。最近あまり聞かれなくなった式典での国旗掲揚不起立や教科書の君が代ページを貼り合わせる問題が、周囲を田んぼと山に囲まれたど田舎の我が母校でも起きた。
増田の担任にはならなかったが、当該クラスにPTA会長の子供もいたことで、その後大人たちの間では大変な騒動にもなっていた。
教師の体罰がまだ当たり前だった時代、アカ教師は手こそ上げないものの、従順な女子児童への露骨な依怙贔屓や反抗的な男子児童への横暴な発言は、学年を超えて伝わってきて嫌われていた。
その頃はインターネットがなく、テレビと新聞が主な情報源だった。番組改編時にはよく衝撃映像や昭和の記録映像として東大講堂での騒乱やよど号ハイジャック事件、あさま山荘に鉄球をぶつけるシーンがよく流れていた。その度に「かつての日本は荒れていたのだな」「その原因を作ったのはあのアカ教師の仲間なんだな」と、幼心に刷り込まれていたのかもしれない。
あの頃は、一部のメディアにも左翼の活動を忌避する空気が作られていたのかもしれない。いわゆる自虐史観が幅を利かせていた教育業界に新しい教科書を作る会が出てくる一方で、司馬遼太郎によるドラマティックな司馬史観がこれでもかともてはやされている時代でもあった。
高校、大学(増田が通ったのは地方の駅弁ですらない田舎にあった)と進学するにつれ、ますます左翼的な勢力は目につかなくなっていった。教師や教授陣にそれっぽい思想を持っている人がいなかったわけではないが、押しつけることはなく、オルグされる同世代も見かけなかった。他の大学の学園祭に行った時、明らかに学生らしくない数人のおっさんが垂れ幕の前で9条がー、と威張り散らしているのを見かけたくらいだ。
ちなみに阪神・淡路大震災も増田の学生時代に起きた。燃え落ちた街、横倒しになった高速道路の映像はあまりにも衝撃的だった。現代でこんなことが起きてしまうのかと呆然としたのを覚えている。救援活動に来た自衛隊を批判する勢力は、露骨に白い目で見られていた。
オウム真理教が問題を起こしたのも同じ年だ。あの頃のマスコミの狂乱は、今の統一教会報道の比では無かった。テレビには毎日のように信者が登場してめちゃくちゃな言動を繰り広げ、一般紙からスポーツ新聞までが彼らについてあらゆることを書き立てた。氷河期世代が過激な新興宗教に拒絶的な態度をとりやすいのも、オウムや、その他宗教団体が原因である。
オウムだけではなく、当時はあらゆる新興宗教団体がしつこい勧誘で嫌われていた時代だったのだ。少し大きな駅に行くと、手相の勉強をしていると称する者は壺や印鑑を売ろうとしてくるし、あなたの幸せを祈らせろとつきまとってくる者もいるし、選挙があれば○○党に投票しろ、新聞をとれとうるさい。個人情報がダダ漏れの時代ということもあり、これらの勧誘を掻い潜るのは至難の業だった。
増田も宗教2世である元同級生からの勧誘に辟易とし、家族の闘病について信仰心が足りないからだと言われた時には速やかに絶縁を申し出た。元同級生が悲しそうな顔をしていたのを、今でも覚えている。かつてはスニーカー文庫を貸しあった仲だったのに残念だった。
働きだしてから、といっても増田は就職できずフリーターになったのだが、ようやく田舎にもインターネットというものが普及してきた。2ちゃんねるが登場したが、そこでも左翼は馬鹿にされる対象でしかなかった。制服を強要されているのが虐待だと国際的な場で主張した政治家の息子が笑われたりしていたのもその頃だ。
だからその後、若者を中心としたSEALDsが出てきた時はびっくりした。いつのまにか、増田の親世代ですら触れたがらないアカの思想にばっちり染まった彼らは、SNSでつながることに抵抗を持たない世代としての強みを活かし、あっというまに増えていった。いつのまにそんな思想が、もう絶滅したと思っていたアカが若者の口を借りて復活するとは予想外だった。
30歳を超えた増田には、SEALDsの輝きが眩しくうつったが、羨ましくはなかった。主張があまりにも幼く感じたからだ。かつてアカ教師に仕込まれた児童が湾岸戦争時の自衛隊派遣に絡めて「戦争には反対です。憲法9条に反するから、自衛隊はやめた方がいいと思います」と言わされていたのを思い出させた。このときは自衛官を親族に持つ子供が他の学年にいて、家族が学校にクレームを入れて大問題になった。
増田はネットの匿名文化にも浸っていたため、「学生のうちにこんなに顔を晒して発言していたらこの先大変だろうな」と思ったりしたものだ。
結局SEALDsは解散したが、その後、リベラルと言われる勢力は以前よりも目につくようになってきた。だがやはり、氷河期世代の姿は少ない。
そんな中で発せられたのが「氷河期世代は何故闘わなかったのか」である。
正直に言おう。
我々の世代に、国と闘う余裕はなかった。そんな暇があれば働くことを選んだだろう。
そして、あの横暴で陰険な、アカ教師のような人になりたくなかったのだ。
その結果、「闘わなかった」と怒られる。
今の視点で見れば、何とでも言えるよな。あの頃のリベラルなど、今よりずっと情けなかったのに。
ここからは余談。
数年前、増田が住む街の施設で日教組の全国大会があり、警察が規制線を張っていた。警察が守っているのは、会場へ向かう年老いてしょぼくれた、とっくに定年退職を迎えて何年も経た老人の群れである。みんな「日教組○○県支部」と書いた幟をもって、俯きがちにトボトボと歩いている。総じて服の色は地味で、男女問わず髪の毛もボサボサで、見た目にも元気がない。
その規制線の外、ギリギリの場所に愛国的なことを叫ぶ街宣車が止まっていた。車の上から老人たちに向かって元気に「国賊」などとがなりたてている中年男性は、増田と同世代か少し上くらいに見えた。
どこにも若者がいない。交通規制を促している警察官が一番若いくらいだ。
かつてはヘルメットをかぶりゲバ棒を手に機動隊に向かっていたかもしれない人々が、中年にどやしつけられ(ほぼ因縁だが)、国家権力に守られながらトボトボと歩いている。
どんな気持ちで歩いているのだろう。会場には共産党を代表する大物政治家が来場するとポスターにあった。世代交代を頑なに拒み、トップに君臨し続けているその政治家を見て、彼らの心は慰められるのだろうか。
だが天下をとれなかった彼らも、闘わなかったと言われる氷河期世代も、下の世代からは同じに見えているのかもしれない。これを書いている増田に、左翼も日教組も共産主義も新左翼も革マルも中核派も赤軍派もリベラルも、まるで区別がつかないように。
仕方ない、そういうものだ。
これを読んでるみんなは、俺たちのようになるなよ。
学生時代は何かと運動部が権力最強だったじゃん?県大会にすら出られないレベルのクソ雑魚運動部がイキりまくってて、全国大会で入賞するレベルの文化部が虐げられる
小学生は足が速い奴が最強ってやつな オリンピックに出られるレベルならまだしも、ほかの人より100mを数秒早く走れたところで、現代社会では何の役にも立たんのに 車使えよ車
それを見た女性からの扱いもひどいものだった まぁその虐げられてたのが俺みたいなオタクだったわけだが、地道にやってると大学に入るあたりで立場が完全に逆転する
中学高校というサル山でイキってたアホはまともな大学に入れず、過酷な職業にしかつけず、いまどきはまともに金も稼げんからどんどん衰退する
一部のちゃんと成果出してる運動部は別な そういうやつらは普通にいい感じの大学に推薦で入ったりして社会的地位も上がっていくし、ちゃんと成果上げてる連中ほど頭もいいからちゃんとした大学に入れたりする
俺は社会人になってからはめちゃくちゃ楽だよ 社会的地位もどんどんあがっていくしな 仕事も自由裁量だからこんな時間に匿名ダイアリー見てても自由
社会が完全に分断されてるから、昔たくさんいたサルみたいな連中と話す必要が全くなくなったしみんなある程度の理屈が通じる まったく接点がないわけでもないが組織として上下関係があるから昔いたサルとも対等に話す必要がないからな
男社会は学生時代と卒業後で評価対象が180度変わる上に、とにかく卒業後の一発逆転が難しいんよ 組織とか社会的地位がものをいうのが男社会
女社会ってなんか対等なところでバカみたいな足の引っ張り合いしてるイメージなんだが、男社会は対等な立ち位置での戦いは生まれにくいし、一回上に行けば序列決まってるから勝負にもならない
仕事は管楽器の修理だ。ずっと修理をしていたわけではないが、業界には15年ほどいる。
気持ちの整理をしつつ、あわよくば誰かに聞いてもらいたいような気もするのでここに書くことにした。
この仕事をしているほとんどの人間が、専門学校を卒業して楽器店に就職する形で業務に就く。
大抵は店頭で接客販売をしながらであったり、学販営業と呼ばれる学校の音楽の先生のパシリみたいなことをしながら、手の空いたときにお客さんから預かったフルートだのトランペットだののメンテナンスや修理をしている。
因みに楽器店の売上の柱は音楽教室だ。ヤマハ音楽教室が有名だが、これは各地のヤマハの特約店がヤマハの看板を借りて運営している。もちろん自店オリジナルレッスンを展開している楽器店も多い。いずれにしろほとんどの楽器店で音楽教室が稼ぎ頭なことに変わりはなく、それ以外の部署の地位は低い。
管楽器などというものはピアノやヴァイオリンのような人気はなく、当然その修理人の扱いはカス以下の以下だ。
などという話をしておいて何だが、私はそういう一般的な楽器店では働いていない。何人もの同業者から聞いた話をまとめるとこうなる。みんな同じようなことを言うのだから、多分正しいのだろう。
私が働いているのは工房とでも呼べばいいのだろうか、管楽器の修理をメインの業務としている会社だ。管楽器は売っているような売っていないような、申し訳程度に何本か置いてはあるが売れたのを見たことがない。それどころか客が来ない。
当然音楽教室などという稼ぎ頭もいない。必死で楽器を直しまくるしかない。
客が来ないのにどうやって修理品を集めてくるかというと、下請けである。
その辺の楽器店にいる管楽器の修理ができるスタッフ、彼らが忙しいときや修理に必要な設備がお店にないとき、あるいは手に負えなさそうなヤバい壊れ方をしているときに我々が必要とされる。
そうやってたくさんの楽器店からヤバい楽器を集めてくると、薄利で地位の低い管楽器の修理だけでも食っていける。らしい。私は経理部門の人間じゃないので、バランスシートの右と左がどうなってるかは知らない。毎月給料がしっかり振り込まれればそれでOKだ。
さて、やたら前置きが長くなったがそろそろ本題に入りたい。気持ちもだいぶ落ち着いてきたし。
一般的な楽器店にしろ全国に点在する工房にしろ、とにかく労働環境が悪い。
数行前に薄利と書いたが、性質上ほとんどが技術料のはずなのに薄利なのは単純に適正価格をつけられていないからで、原因はいろいろあるがしかしとにかく労働環境は悪い。
単純に薄給激務の場合もあれば、パワハラとセクハラが蔓延している場合もあるし、ほぼ毎日飲み会に付き合わされて終電がなくなり、会社の近くで一人暮らしを余儀なくされたなんてパターンもある。
そのため専門学校を卒業して首尾よく楽器店に就職できたとしても、大抵の人間は20代のうちに業界を去る。
20代なら得体のしれない専門学校卒でサービス業の経験しかなくてもいくらでもやり直しできるが、私はもう30代半ばである。詰んだ。因みに理解ある彼くんも現れなかったので、死ぬまで働くしかない。
私は頭が良くないので、自分に管楽器の修理という仕事が向いていないことに気付くのにこれだけ時間が掛かってしまった。
なぜ今更こんなことを言っているかというと、最近まで営業部門にいたからだ。
営業はいい。サボり放題だ。毎日コンビニでアイス買ってお昼寝できる。
楽器などロクに直せなくても、取引先の楽器店でそこの修理スタッフの話を神妙な顔で聞いて、持って帰ってきた楽器を社内の技術者に丸投げするだけである。
たまに問題が発生することもあるがやることは一緒で、取引先で神妙な顔で頭を下げるだけである。最悪でも赤伝切ればみんな許してくれるし。
修理部門に異動になった理由は何となく想像がつく。会社は間違いなく親切でそうしてくれたのだ。そして私も一旦は受け入れて、何年ぶりかの修理をやっている。
でも一日中机に向かって黙々と作業を続けていると発狂しそうになるんだ。
担当楽器について同僚たちのように情熱を持って語ることなどできないし、かろうじて吹奏点検に支障がない程度の演奏技能から一向に上達しない。
それに思うように手が動かない。
10年前、新卒で入った工房では基本が10時間労働、繁忙期には毎日日付が変わるまで働かされていたので、早く帰りたい一心でみなとても作業が速かった。
今の会社は労務管理にとても気を遣っていて、社員に無理をさせない。仕事が終わらないなら納期を延ばそうという考え方で、そりゃたまには無理をすることもあるけど、日常的に尻を叩かれることはない。そんな環境で育ってきた社員は、そこまで忙しなく動くことはない。
転職してきたばかりのときは何てゆっくり仕事をする人たちだろうと思っていたのに、今ではその人たち以下のスピードでしか仕事が進まない。何年も営業をやっていて現場を離れてたとはいえ、あんまりだ。
今の会社に転職してきた理由は、ダブルリードの経験を積みたかったから。というのは表向きで、本音は前の会社が2年間で3度めの労働基準監督署に踏み込まれてついにタイムカードをなくすという暴挙に出たからだ。そういう会社に未来はない。と思ったけどあれから10年経っても普通に営業してる。まあ世の中そんなもんだな。
入社して半年ほどで営業に異動になった。引き抜かれた理由は「陰キャじゃなさそうだったから」。
管楽器の修理をやろうとする人間は陰キャが多い。陽キャは音大に行く。音大はヤバい。毎晩酒盛りと蘭光パーティーだ。特に金管専攻はウワバミしかいない。私は陰キャなのでこれらはもちろん聞いた話だ。本当のところは知らない。だがこの業界にたくさんいる音大出身の人間を見ていると、嘘とも言いきれなさそうではある。もちろん大学による。溝の口はやばい。ヤリチンしかいねえ。庄内もヤバい。酒の飲みすぎで本番に遅刻してくる。上品なのは上野の森だけだ。
しかし私は修理の専門学校を選んだ人間だ。すなわち陰キャだ。何なら吹奏楽部出身ですらない。
この業界には40代50代になっても高校のときに吹奏楽コンクールで全国大会金賞を取ったことを自慢してくるヤバい奴がゴロゴロいるので、吹奏楽部じゃないことには話にならない。営業なんてできるはずもないと思っていた。
しかしできたのだ。リレーション営業というものは私に向いていたらしい。楽しかった。
私を営業に連れてきた上司はとても私のことを可愛がってくれた。
泣ける。何で辞めることにしたんだっけ。
修理を今更やる気になれない。ダブルリードの経験も積めず、転職してきたとき以下の能力に落ちぶれ、業務報告以外で口を開くことは一切なく、それでも目の前にある楽器を直すために黙々と手を動かし続ける。
営業経験者の女というのは比較的引き合いがあるらしい。中小企業のアファーマティブアクション求人に応募すると、大抵は「おじさんの相手は得意か?」ということをやんわり訊かれる。
平均年齢が高く男性の多い中小企業では、新卒で女性を採用しようにもなかなか応募がない。営業職なら尚更だ。そんな訳で私のようなそれなりに歳いってて営業に抵抗がない人間は多分丁度いいのだと思う。めちゃくちゃ内定もらった。
おじさんの相手は得意だからな。楽器業界なんて未だにメールが使えなくてFAXで写真送れとか言ってくるトンチキなおじさんたちが幅を利かせてるんだぜ。楽器店も中小企業であることが多いからね。
それで、いくつか内定をくれた会社の中で一番条件の良さそうなところに転職することにした。
育成前提で業界未経験可、という求人にもかかわらず、現職より100万も年収が上がってしまうようだ。
悲しすぎる。今の会社、業界の中では結構待遇いい方だと思うんだけど。
そういえば新卒のときの月給は12万だった。地方。総支給。ナスなし。なあ楽器店でボーナス出るとこあるの?あったら教えてくれ。私の周りには一人しかいない。
つらつら書いてきたけど、終わりが見えなくなってきた。
結論としては、三度の飯より楽器が好きという変態以外はこの仕事を目指すべきじゃないよ。というところか。
そんなことより明日は休みなので阪神の優勝セールに行くんだ。好きなことを楽しむには時間とお金がいる。好きなことは仕事にするべきじゃないんだ。好きじゃなくなってしまうから。
でも私に営業の楽しさを教えてくれた上司のことは本当に尊敬していたし感謝している。ずっとこの人の下で働きたいと思っていた。自分で辞めるって決めたのに、悲しくて泣いてる。
個人競技で、私は市の大会で優勝か準優勝、県の大会でベスト8には入るけど全国大会では1回戦負けするレベルだった。
毎日18時まで部活、そこから歩いて家に帰って18時半、車の中で親の作ったお弁当を食べながら移動して19時から21時までクラブチームで練習だった。
たまたま勝ててしまうから続けていただけで、拘束時間が長すぎて辞めたかった。
いつもは母がクラブチームまで送り迎えしてくれた。
その日は父が送り迎えしてくれることになった。
父は途中で町のケーキ屋に寄った。
おまえも毎日毎日練習で大変だな、お父さん買ってやるから好きなケーキ選んでなって。
でも私はこんなもの食べても嬉しくないって風にふるまった。
仕事をすぐ辞めてしまう父、パチンコに行く父、それをカバーするために子育てしながらフルタイムで働く母、私たち子どもに暴力を振るう母、同居している祖父母との諍い。
金がない、こんなはずじゃなかった、幸せだった頃に戻りたい、出ていきたい、金がない。
機嫌の悪い時の母の口癖だった。
母は大体機嫌が悪かった。
私はよく愚痴を聞かされていた。
だからお金がないのに家に金を入れず、ケーキを買うと言う無駄遣いをした父が許せなかった。
父は苦笑いをしていたように思う。
2000年ごろ雨後の筍のように生まれた「社会福祉学部」を持つ大学(すでに学部名から社会福祉を消した大学も多い)から脱出した教員たちの証言を集めてみました! 特定されないよう適宜改変しています。
・学園の理念に「優しい」「明るい」「素直」「従順」が入っている。
・福祉専門職に必要なものとして「思いやり」「やさしさ」を謳う。
・学生相談室の設置案に「教員が自分の仕事を押し付けるつもりか」と理事が却下。
・心理学、経営学の授業が大量にある一方、社会学系の授業がほとんどない。
・国家試験受験勉強のため、卒論が選択科目となっているおり、ほとんどの学生が書かない。
・人権、労働、差別、エスニシティ、ジェンダーなどのテーマの授業が皆無。
・専攻に関係なく、宗教家だから宗教学、教職免許を持っているから教育実習、子持ちだからから家族支援論という謎基準で事務が授業担当教員を決める。
・「経済学」と「政治学」、「心理学」と「社会学」、「日本史」と「宗教学」など、異なる分野の科目を一人の教員が教えている。
・雑誌コーナーに『世界』『思想』『現代思想』がなく、『正論』『WILL』『HANADA』がある。
・障害学生はできる限り受け入れないよう画策。
・エレベーターは車椅子1台分のスペースしかなく介助者が入れない。
・2000年代には研究禁止の御達しがなされていたため、開学の際にいた研究志向の教員が他出、残ったのは病人か「けんきゅうってなに?食べられる?」という人ばかり。
・研究してる人には散々辞められているからか、募集停止校からヘッド(?)ハンティングしてくる。
・研究や本に対して敵対心を示す人が多い(例えば、授業公開に行ったら、教員が「著作権料で食ってる人」というのをdisっていたのを聞いた、とか)
・理事が「公募では人物がわからないので絶対しない」と宣言している割に、直接、大学に履歴書を送りつけて採用された人が多数いる。
・入試問題の現代国語を併設高の教員に外注しているらしいのだが、常に昭和の文章。
・卒業式で理事が「ジェンダーフリーが家族を滅ぼす」とか「人間にはそれぞれ分というものがある」とかネトウヨっぽい言葉を熱弁。
・式典では日の丸君が代はもちろんのこと、日の丸に敬礼させられる。
・東日本大地震は地震兵器論者、中国脅威論、Qアノン信者など、教員に陰謀論が蔓延。
・北欧は高齢者の安楽死をしているから「寝たきり老人」がいないと講義で解説する教員がいる。
・家業で保育士を雇っていることから保育士の給料が高すぎると言及する教員がいる。
・事務の女性が若く、皆美人(併設短大で卒業時に声をかけ採用している)。
・卒業パーティで男性理事たちが女子学生を膝の上に座らせている。
・有志で実施した教職員対象のハラスメント実態調査が握りつぶされた。
・朝礼がある。
・オプキャンや入試で土曜の時間外手当をつけないために週休1日制。
・部活担当で年間労働時間推定4000時間越えの教員(!)がいる。
・部活顧問柄全国大会へのバスの運転まで全部やらされており椎間板ヘルニアを発症した。
・引っ張ってきた部活顧問(授業担当なしで教授)が体罰を多用し、退学、休学が相次ぐ。
「福祉の時代だ!」と言われて福祉マインドもないのに儲かるからと学部を作って、梯子を外されたんだな。
(追記)ちなみに私(旧帝大卒博士号持ち)の場合、就任当時は真面目で伸び代がある学生に恵まれており、そこには不服はなかったことは付け加えておく。
慶応野球部がここまで躍進してきたのは勝児くんのお陰だと言わんばかりに連日その活躍ぶりが各紙で賞賛されてるけど
地方大会1安打で全国大会である甲子園での成績は何とノーヒット。しかも代打など途中交代でありスタメンですらない
それなのに勝児くんの姿勢は慶応野球部を奮い立たせた!として監督にも長々とインタビューをしててその殆どが勝児くんに関する与太話だった。
慶応野球部がここまで頑張って103年ぶりに決勝の舞台に立てたのは球児たちの日々の努力の成果でしょ
何で勝児くん一人の成果によって勝ち進んだかのような誤解を招く報道が目立つの?
これ以上勝児くんを持ち上げるのは辞めて欲しい。本人も清原和博の息子って事で過大評価されてる事には気付いてると思うし留年もあって立場上悩んでると思うんだけど
マスコミも清原夫妻も世の中も勝児くんフィーバーで負い目がある感じが勝児くんの本人のインタビュー記事を読む度に感じられて居た堪れなくなる。
マスコミによるキヨハラというか、清原勝児・ハラスメントにも困ったものだね
清原の息子だからってドラフト候補の目玉扱いするのもちょっと度が過ぎてて不愉快だし本人仮に望んでてもプロの目に留まってるかどうかも判明してないのに騒ぎ立てて可哀想だよ
甲子園とコミケは、どちらも多くの人々が集まるイベントです。しかし、甲子園は高校野球の全国大会であり、コミケは同人誌の展示即売会です。この違いが、熱中症に対する対応に影響を与えていると考えられます。
甲子園は、高校野球の全国大会であり、毎年夏に開催されます。夏は暑い時期であるため、熱中症のリスクが高くなります。また、甲子園は多くの人々が集まる場所であるため、熱中症が集団発生する危険性があります。そのため、甲子園では、熱中症対策に力を入れています。例えば、水分補給を促すアナウンスや、熱中症対策パネルの設置を行っています。また、熱中症の症状が出た人には、すぐに医療機関に搬送されます。
一方、コミケは、同人誌の展示即売会であり、毎年夏に開催されます。コミケは甲子園よりも多くの人々が集まるイベントですが、甲子園ほど熱中症対策に力を入れているわけではありません。例えば、水分補給を促すアナウンスや、熱中症対策パネルの設置は行われていますが、甲子園ほどではありません。また、熱中症の症状が出た人には、すぐに医療機関に搬送されるわけではありません。
甲子園とコミケの熱中症対策の違いは、イベントの性質によると考えられます。甲子園は高校野球の全国大会であり、多くの人々が集まる場所であるため、熱中症が集団発生する危険性が高いです。そのため、甲子園では、熱中症対策に力を入れています。一方、コミケは同人誌の展示即売会であり、甲子園ほど熱中症対策に力を入れているわけではありません。
甲子園とコミケの熱中症対策の違いについて、甲子園とコミケを同じ基準で評価するのは、適切ではないと考えます。甲子園とコミケは、イベントの性質が異なり、熱中症に対するリスクも異なります。そのため、甲子園とコミケに同じ熱中症対策を求めるのは、不公平です。
毎年恒例、夏の甲子園(選手権大会)がネット上で話題になっている。悪い意味で。
自分が言いたいことはどこかの誰かが既にネットで書いているので、思いついたテーマで少し書きたい。
夏の甲子園は毎年8月に開催されており、他の部活でいうインターハイとは全くの別物。
高野連(高校野球連盟)と新聞社(朝日)が主催となって、夏の甲子園が開催される。
一方インターハイは高体連(高校体育連盟)が主催となって開催されるようだ。(詳細は知らん)
インターハイの時期としては7月後半から8月にかけて実施されるようだ。(球技毎に日程違う)
「なんでほぼ同じ時期に開催されるのに、いつも甲子園だけ批判されるんだ!」というお気持ちは、いつもの流れなのでここでは書かない。
※野球は甲子園固定に対して、インターハイは毎年場所変わるので全然別物。
自分が着目したのは、他の部活に夏の甲子園(もしくは春のセンバツ)みたいなインターハイとは別にピークが存在する部活はあるのか?という点。
すぐに思いついたのは、サッカーの選手権大会、バスケのウィンターカップ、春高バレー、冬のラグビー(花園のやつ)。全て冬休み(全国大会は12月~1月)に開催される。
まず高校野球については、夏の甲子園がピークだと言って問題ないと思う。そうでない高校も多少あるが、ほとんどの高校の野球部がそこに向けて日々練習に励んでいる。6月~7月に地方大会が開催され、そこで敗れると3年生の最後の大会となることが多い。つまり引退時期は6月~8月と明確。
※全員が本気で目指している訳では無いとかは、本題とズレるから虫。
一方上記で上げた部活(高校サッカー、バスケ、バレー、ラグビー)は、学校によって方針が大きく異なると思っている。
冬の大会をピークと書いたが、正確にはピークの一つでしかない。学校/部活によってインターハイをピークにしているところもあれば、冬の大会をピークとしているところもある。
インターハイをピーク(3年生の引退時期)としている学校は、冬の大会は2年生中心で戦うしかない。冬の大会をピークとしている学校は、それまで3年生が残っており、冬の大会では圧倒的に有利に戦える。インターハイはもしかしたら逆かもしれないが。
注目度の高い冬の大会に絞って考えれば、勉強もある進学校は不利で、スポーツ強豪校は有利だと考えられる。進学したい高校生にとって、3年の冬、センター直前まで部活なんて無理。
なのでピーク2部制を整理すると
・メリット
・学校/部活によって、ピークを自分たちでコントロールできる(俺は冬まで残るなど、個人レベルでも選択できそう)
・注目される冬の大会では、学校/部活によって有利不利がどうしても生まれてしまう
・メリット
・どの大会もピークという観点では学校/部活によって戦力差は生まれない(公平性がある)
・インターハイがピークの他の部活よりも、引退時期が1~2ヶ月遅い(これは体感)
別にどれが正しいとかではない。
上記でも書いた通り、サッカー等の部活の大きな全国大会(ピーク)は年2回あり、その特徴は高校の夏休み、冬休みに開催されるという点。
それはスポーツの特性として、季節・天候に強い競技だということも関連している。時期に関わらず試合ができ、多少天候が悪くても中止になることは野球より少ない。
野球はとにかくそういう面でデリケート/脆いスポーツだ。冬にはまともな練習もできない、プロでも冬は休みか、温かい気候の場所にわざわざキャンプや自主練として行くほど。
天候にも弱く、雨の日は基本中止になるケースが多い。グランドの状態で判断するケースも多いので、前日の天気にも左右される。(頑張ってやる時もあるけど)
四季があり、梅雨もある日本は野球に向いていないと思う。大会の時期をズラすのも結構難しいのではとも思う。
冬に試合ができないスポーツのため、春(センバツ)と夏(甲子園)という、偏った時期に大きな大会が2つもある。
話を大きく戻すと、高校野球に限らず他の部活の全国大会も夏休み/冬休みに開催される。これは高校生への色々な配慮の結果だと思うが、真夏に開催するのは仕方ないのかもしれない。
また高校に限らず、中学生も、もしかしたら小学生も全国大会は夏休みに開催されると思う。甲子園が目立つため矢面に立ちやすいが、ネットで書かれていることは根本的なことではない。
とはいえ、じゃあ全部廃止だ!となってしまっては、大人が存在する意味がない。子供を守るという一面もあれば、チャンスを奪う一面も大きい。
こと甲子園においては朝日やNHKが批判されることも多いが、そういう小さい問題ではないので難しい。どうすればいいんやろね。
ここ数年、学生の薬物汚染が酷い。特に大学運動部の大麻汚染が酷い。
そんな薬物問題に悩む学校に対する処方箋として「吹奏楽部の強化」がある。その理由を説明しよう
「薬物 吹奏楽部」でググると分かるが、地元警察と地元学校の吹奏楽部のコラボによる薬物防止キャンペーンが結構行われている。つまり学校の薬物防止活動の旗印を作れるのだ。
強豪吹奏楽部を抱える近畿大学ではラグビー部が薬物汚染されてしまったが、これは警察とのコラボを怠っていたからである。警察とコラボするのが重要だ。
これは言うまでもない。例え地区予選落ちだったとしても、天下の朝日新聞が学校の名を出してくれる。全国大会まで行ければ大々的に扱ってくれる。
試しに「吹奏楽部 大麻」で検索してみよう。すると、トップに「北海道の大麻(おおあさ)高校の吹奏楽部」がヒットするはずだ。過去にはコンクール全国金の経験もある古豪だ。
つまり、大麻までなら大麻高校が検索避けになってくれるので、仮に吹奏楽部員が大麻で警察沙汰になったとしても、その直後はともかく、翌年以降はその事案をなかったことにすることが出来る。覚醒剤まで行くとさすがに無理だが。
吹奏楽部が強い大学はあまり多くない。今こそ、全国の大学は薬物汚染対策として吹奏楽部の強化を図ってみてはどうだろうか。
ブコメで「日大は警察から薬物対策講座を受けていたので意味ない」とあるが、そんなのは今日日そこら辺の小・中・高校でもやっている。高校以下の学校の8割がやっている。https://www.nichiyaku.or.jp/activities/activity/support.html
コラボすることで、講座を聞くだけ(大半の学生は寝てるだろう)という状況から、講座を一緒に演出すると言う立場に変わるのだ。これと「薬物対策講座を受けていた」は同列には語れない。
引退試合が終わった。生徒も保護者も泣いていた。感情は冷めきってたがいちおう笑顔で挨拶した。
今まで試合会場まで車のひとつも出さずに、感動の上澄みだけすくって泣けていいですね。
顧問が車を出すのおかしいと思い続けたし声も上げてみたけど変わらなかった。無料で、金も足も出さずに最後だけかよ、みたいな気持ちでずっと見てた。
運動部の顧問なんかやりたくない。土日試合に全部潰されてまた5日授業して次の土曜も部活、日曜に疲れ果ててⅠ日ぐったりしてすごす。
そんな生活をずっとしてきた。楽しいと思うときがなかったわけじゃない。でも自分に専門性もないし、なんならスポーツ全般興味ない。負担感だけすごくて部活大嫌い。
好きでやってる人、無償でもやりたい人正直迷惑。なんでこっちがやる気ないと思われるのか。いや、やる気ないですよ、実際。でも部活を熱心にやる先生はいい先生で、やる気ないとだめな先生みたいな、おかしくね?
ダメ押しで熱中症の件。本当に胸がいたんだ。部活なんか、しんでまでやることじゃないでしょう。こんなことが起こりうること、誰だってわかってたでしょう。なんで死者が出るまで動かない。出ても動きが遅々としすぎてイライラする。
ずっと、暑すぎて危険ですよ、って言い続けたけど、暑熱順化とか何とかごまかされてきた。それに試合自体が止まらないから、練習をやめると逆にリスクがある。それはわかる。じゃあ試合やめましょうよ、夏の部活動、もう無理ですよ。
熱中症のこと言い続けたけど、変えられなかった。変えられなさすぎて、諦めてしまった。不甲斐ない。亡くなった子に本当に申し訳ない。わたしたちの責任です。
一応熱中症に注意するよう通達は来た。WBGT31越えたら原則中止、の「原則」が取れた。ずっと曖昧だからやめてほしいと思ってたのでそれは良かった。
でもじゃあどのタイミングで何回測るのか、何も言われない。ログも残さない。結局責任は顧問ですか。
全国大会をやめてほしい。それがなくなれば、無理なスケジュールで予選をやらなくてすむ。
やりたくない。逃げてごめんなさい、でも本当に嫌だ。
「あれが安達太良山
あの光るのが阿武隈川」
――「樹下の二人」高村光太郎
オレは一回しか福島行ったことない。けど、そのたった一回だけでも、福島に文化がないなんて言わんで。
そのたった一回は、高校の全国総合文化祭、2011年の夏やった。震災から半年経たんうちにマジで全国大会やる根性に驚いたし、開会式の冒頭演劇でいきなり全員ぶったおれた状態からレクイエム流して、ド直球で震災をテーマにした演劇やったことに魂打ち抜かれたで。そんでもってクライマックスで一人の子が、これからこの土地がどうなるのか、自分たちはここで子育てしていけるのか、と、秋篠宮はじめ全国の人間が見てる前で「それでも私らは福島で生まれて育って、この土地で死にたいんです!」と叫んだとき、「土地」に命賭けるというその感覚にカルチャーショック受けたで。その後、個別会場への移動の途中、バスで高速走りながら、オレは、ああ、「あれが安達太良山……」と授業で習った詩を頭の中でリフレインしながら、想像以上に綺麗な風景を眺めつつ、「福島すげえなあ」って、思ってたわ。
思うに、文化というのはどこまでも人間が生み出すもので、しかしそれはどっかからパクってきた物でなく、土地や風土と一体となって織りなされる人間の営みそのものやで。福島に文化がない? 歴史がない? あんな人間が普通に居て、あんな自然があって、文学があって、歴史があって豊かな土地を「文化のない土地」と思うなんて、そんなん、成金が金払ってかき集めてきた、博物館のガラスケースにおさまったもんだけを文化やと思っとるような、どっかの阿呆だけで充分や。文化って「生まれる」ものであって「買い集めて鑑賞する」もんではないのよ。文化は文華、風土という土地に花開くものが文化なんや。東京という土地にももちろん地に足のついた「文化」はあるけど、同じように地に足の付いた「文化」は、それ以外の土地にもいくらでも転がってるんやで。旅に出たら、その辺のスーパーに入ってもおもろい。地元の人間が「当たり前で普通」やと思ってるものの中から、文化というのは生み出されるもんなんよ。
「(東京のように金払って買い集めた)文化がない」というのは、それはまあそうかも。消費するのは楽しいからな。でも、消費だけして生きる人生が本当に幸せなら、誰も文化を買い集めたりせんのやで。文化というのは、「生み出し支える側」にまわって初めて、意味をもつ……人の心を豊かにして、人生を意味あるもんにしてくれるもんなんや。
地方に文化がないとは思わないのだが、特定の分野に強く打ち込みたい場合、分野によっては地方に住んでいることが非常に不利になることがある。
特に移動の自由のない子供にとって、住んでいる場所による格差は顕著に表れる。俺にとっては音楽がそれだった。
昭和末期に地方の山間部の村で育った俺は、幼少期からクラシック音楽全般、特に演奏と作曲に強い興味があり、
自分で作曲した曲を五線譜に書いて小学校の音楽の先生に見せたり、テレビで聴いた曲を耳コピして鍵盤ハーモニカで演奏したりしていた。
しかし周囲にクラシック音楽に理解のある人はおらず、ピアノ教室に通うのを切望しても通わせてもらえず、演奏会などは遠くて行けず、やりたいことがほとんどできずに燻っていた。
やがて中学校に進学した。地方山間部の中学なんて公立一箇所しか選択肢がなく、医者の息子からヤンキーまでみんながそこに通う。俺も当然そこに通った。
その中学校では全生徒が何らかの部活動に強制加入させられたが、選択肢は運動部数種類と吹奏楽部しかなく、
かつ吹奏楽部は男子の部員は一人もおらず女子しかいなかった。なので男は強制的に運動部に入るしかないような状態だった。
しかし俺は男だがどうしても音楽をやりたかったので、周囲の反対を押し切って吹奏楽部で唯一の男子部員となった。
教師すらも俺を奇異の目で見たが、俺が音楽に熱意を持つのは有名だったらしく、まああいつなら…と認めてくれたような形だった。
しかしまあ、部内で馴染むことは最後までできなかった。部内でも異端中の異端だった俺は孤立し、一人黙々と練習する日々を送るしかなかった。
部自体のレベルも低く、コンクールで良い成績を残すこともなかった。そんな環境の中で、俺の音楽への熱意はすっかり薄れてしまった。やがて中学を出て高校に進学したが、俺はもう音楽をやることはなかった。
音楽と無縁な高校生活を送った後、大学に進学した。そこで管弦楽団の勧誘が目に止まり、また音楽をやってみるかという気持ちになって管弦楽団に入ってみた。
しかしそこで俺は、他の団員たちと自分の差に愕然とすることになる。
小学校の頃からバイオリンをやっていたという人、中学生の時に全国大会に出たという人、親が音楽家だという人。
幼少期から豊かな音楽に触れて、環境にも仲間にも指導者にも恵まれた音楽エリートたちがそこに集っていたのだ。俺が生まれ育った村ではまず見ない人種の人々であった。
音大ではないにも関わらず、そこの楽団からはプロの奏者もけっこう出ているので、レベルの高い楽団ではあったようだ。
俺は初めて、自分が環境面で恵まれていなかったことを実感した。
これは住む場所の問題だけではなく、家庭環境の問題でもあるだろう。しかし小学生のうちから子供にバイオリンをやらせるような環境や、全国大会に出るような活気のある部活動などは、
俺の住んでいた村にはほとんど存在できないものだ。それらはやはり、ある程度の規模以上の都会にしか存在できない。今にして思えば、これこそが都会と田舎の格差であった。
結局俺は、他の団員たちの話に付いていけず、疎遠になり、半年ほどで楽団をやめてしまった。それ以来俺は、音楽活動はしていない。
今は都会に住んでおり、近くには楽器店やコンサートホールなどもあるが、もうどうでも良くなってしまった。
もし俺が打ち込もうとしたのが、地元の伝統芸能とか自然の中での屋外活動のような、地方にアドバンテージがあることであればこうはならなかっただろうと思う。
既に複数書かれてるけど即刻妹さんを退部させて、これ以上夏コンクールに響く時期に部員たちに要らない負担をかけないであげて〜。
吹奏楽部員にとっての夏コンクールは高校球児の甲子園みたいなものだから!特に三年生にとっては最後なんだから本当にお願い。ハッキリ言って妹さんの障害の有無とか、どうでもいい。真剣に打ち込んできた吹奏楽部員達に罪はないし、仮に地方代表候補や全国大会金賞候補クラスの学校だとしたら残念だけどそこは初めから妹さんみたいなコが居ていい場所じゃない。
演奏の技術をシビアに評価されるコンクールで完成度を競い合うガチの部活動なんだ。遊びの延長みたいな音楽クラブと一緒にしないで。
脳筋、なんて揶揄されてるのを見るたびに思い出すけど、まともな指導者に当たったことがない。
小学生のころの体育の成績は「励ましたい」←励まされたことがない
課題が全然こなせなかったのは事実だけど、それに向かい合ってくれるような指導者は皆無だった。
思いのほか滑ることができて驚いた。
苛立つことなく、諦めることもなく、根気強くアドバイスをし続けてくれた配偶者には本当に感謝している。
スキーだけは、好きなスポーツだと言えるようになったのが嬉しい。
振り返れば、私の出会った体育やスポーツの指導者は、私のようなできない人に対してできるように教えようとしてくれたことがなかった。
親が勝手に決めてきてやらされたミニバスは、ルールを知らなかった。
小学4年とか、それくらいの時期だった気がするけど、私は低学年の子たちのグループを指定され、ペアを組んでなんとなくボールをパスし合っていた。
それ以外に何をしたらいいのか分からなかった。
ゴールに向かってボールを投げる機会があっても、私のボールがゴールに届くことはなかった。
何度投げても入らないこの競技は、ちっとも楽しくなかった。
当然のことながらポンコツな動き、なんの役に立つこともなく、周りのうんざりした雰囲気が刺さる。
コーチは上手な子にしか眼中になく、彼らに厳しい指導をしていたけど、
特に自分には何も教えてくれないこの人の存在がこの時はよく分からなかった。
なぜこの人に皆頭を下げるのか?
なぜこの人に「ありがとうございます」と言っているのか?
今ならばとりあえずそうしておくのがいいと分かるし、スポーツの世界は厳しい上下関係が存在するということも知っているけど、
自分の知らないルールや基準で進んでいくこの集団に属していることが、みじめで苦痛だった。
お礼を言うべきことを私は一度でもしてもらっただろうか?
入団したときに挨拶くらいはしただろうけど、「コーチ」と何かやり取りをしたことはほぼなかったことに気づいた。
結局ミニバスは辞めた。
体育の授業では、校庭に半分埋められたタイヤや馬跳びはなんとか跳べる(またげる)けど、跳び箱は跳べない。
周りの動きを見ても、「上手に跳んでる」事実が分かるだけで、どうしたら跳べるのか結局分からなかった。
中学生になると、跳び箱の奥行は更に伸びた。
小学校にある跳び箱も跳べないのに、こんな細長いの跳べない。
マット運動は身体をどうしたらそうなるのか分からなかったし、体力測定のボール投げは最低ラインの線までいかなかった。
小学校の担任も体育教師も、見ているだけ。きっと安全管理のためだろう。それは必要なことだ。
たまに上手な子が何かを挑戦しようとしているときには手助けしてたけど。
私にかけられた言葉は「やれ」「なんでできないの?」だった。
こっちが知りたいくらいだ。
まあ分かる、分かるよ、できる子を更にできるようにする方が簡単だからね、達成感もあるだろうし。
でも指導する立場としてできない奴にそれができないならせめて黙ってろ。
あれかな?できない奴をこき下ろして恥さらしにすることでストレス解消してたのかな?
サンドバッグかよ。
教育者とは何だろうか。
競技のルールは知っていることが前提で、みんなどこでそういう知識をつけていたのか不思議だった。
今ならインターネットで調べればすぐに出てくるけど、当時はどうやって調べたらいいのかも分からなかった。
田舎の学校だから選択肢もなく、しぶしぶバレー部に入ったものの、ここでもやっぱりルールが分からない。
やたら人数の多いこのバレー部は、だいたいの人が球拾いと、走り込みと、腹筋背筋。
尚ボールに触れる機会はない。
この時点でかなりの運動嫌いになっていた私にとって一番マシだったのは球拾いだった。
単調で時間が永遠にも感じられる走り込みや腹筋。ただ苦しいだけだった。
競技をする方がまだ気が紛れていいけど、参加に値する身体能力がないからひたすら苦行に徹するのみ。
お片付け要員にしたって多すぎる。
何もできないし、できるようになることもないし、得るものもないし、苦痛と拘束と息苦しさばかりの体験だった。
他人がやっているのを見て何がそんなに楽しいんだろう?なぜそんなに熱狂できるのだろう?
アイドルとかにも興味ないけれど、友人に「それは推しだからだよ」と言われて、概念として納得できた気がする。
プレイヤー自身のファンであるならなるほど、確かに夢中にもなるだろう。
なぜ公的というか、全国大会とか世界大会とか、テレビの独占放映だとか、交通規制してまでやるのだろう。
スポーツ界からの「みんなスポーツ好きだよね!協力してくれるよね!応援して当然だよね!」という圧を感じる。
歴史を見れば、肉体賛美や競技場での決闘に湧き上がるのも理解できるのだけど、
少なくとも「全員がスポーツ界や競技に好意的ではない」ということは知っておいてほしい、と思う。
スポ少に限らず何等かのスポーツをする団体は、ぜひとも目的や応募条件を明示してほしい。
ルールも知らねえ運動音痴はお断り、としてくれればこんなみじめな思いをすることはなかった。
学校の体育も部活も、エンジョイ勢とガチ勢(とできればゆるーいグループ)に分けて運営してほしい。
教員不足や労働環境に関する問題は別の深刻な問題なのでここでは置いておく。
その競技を思いっきりやりたい人たちにとって、私のような運動音痴は足を引っ張るだけの存在だし、こちらも楽しめるはずがない。
お互いにとって不幸なのだ。
教育のカリキュラムとして身体を動かすことがマストなら、運動音痴には基本的な身体の動かし方だとか、そういうところから教えてほしい。
この文章は24卒の文学部に所属している私が書いたもので、同じ文学部の人たちや学部を悩んでいる高校生、その親御さんとかに向けて書いているつもりです。キャッチーなタイトルにはなっていますが私は文学部が好きだしここで勉強できて良かったなと思っています。主に文学部での大学生活と就職活動について正直に書いていきます。進路選びの参考にしてください。構成を決めず、思ったことの羅列なので読みにくかもしれません、すみません。読んでいるうちに私の所属にピンとくる方がいるかもしれません。その時はおすすめの東京のご飯を教えてください。
24卒私文。都内近郊生まれ都内近郊育ち、中高一貫からMARCHへ。やや厳格な家庭だが進路や普段の学習・成績ついて厳しくは言ってこない環境で育つ。
サークルなし、体育会なし、大学に友達(と呼べる関係の人)マジでゼロ、長期インターンなし、普通のバイトと特殊なバイト
一言でいうと文学部はおすすめしません。やめておきましょう。なぜなら文学部の授業で聞くことは基本的にやる気があれば調べたり本を読んだりすることでみにつけることができるからです。特に国文系や史学系は新しい事実が追加されることがあまりなく、すでに体系化されたものをその科目のオタクの先生が楽しい感じでおしゃべりしてくれるだけだからです。要するにうんちくマンにはなれますがご飯を食べていくための能力は授業だけでは身につかないかなと通って思いました。いつか忘れましたが阪大の文学部(?)の卒業式で部長っぽい人が言っていた「文学部の学びは金にならないけど人生の節目節目で生きてくる」(意訳、ググって読んでください。これを読んでいる人には刺さると思います)の通りだなと思います。うんちく(笑)がたくさんあるに越したことはありません。けれど考えてみてください。あなたが面接官だとして、マーケティングを学んできて神話や文学の知識にも明るい商学部の人とレポートの文字数を稼ぐのが異様に得意で国生み神話を事細かに話せる文学部ではどちらの方が欲しいですか?(泣)私はこのことに大学4年の春に気づきました。「イザナミとイザナギが空からぐちゃぐちゃにかき回したらできた島が淡路島なんですよ〜!」っていう知識が会社で顧客の獲得に大きく貢献するでしょうか(涙)。あなたの文学部での研究が面接官にまったく刺さらなかったらどうでしょうか(涙)。私は広告に関する卒論を書いていますがマーケ的な視点ではなくシンプルに趣味で調べましたみたいな内容なので全然ウケないです!
なので今進路に迷っている高校生はよっぽどの確固たる動機がない限りは文学部を選ばない方がいいと思います。理由は①やる気さえあれば本やネットで十分に学習できる、②会社で直接役に立てる知識が身につきにくいからです。数学ができるなら商学部や経済学部、そうじゃなくても文学部以外だったら基本的に会社の仕事に直結できるようなスキルが身につきやすいのではないでしょうか、知らんけど。たとえば法学部とかだったら薬の会社の法務職とか、マーケ勉強してたらマーケターの採用もあるので学びと結びつけやすそうだなと就活して思いました。
では私には確固たる動機があったのでしょうか。ありました。高校生時代のある経験から「広告をつくりたい」という強い思いができたこと、その経験から文学部で勉強するという動機がうまれ進学を決意したのです。今思うと大学入学時にすでになんとなく行きたい業界(広告)が決まっていて、かつ広告に関係することで卒業論文を書こうと決めていたのでなんとか納得のできる就活ができたのかな、と思います。結果として行きたい業界で満足できる会社の内定をいただけました。ふわふわした感じで「歴史が得意だから」「源氏物語が好きだから」「神話をもっと詳しく知りたい」みたいな趣味ベースで行ったら苦労すると思います。その好きや趣味の先に「こういう仕事、業界で働きたいから文学部で〇〇を勉強するんだ」というビジョンがない限りは文学部は選ばない方がいいと思います、マジで。文学部で就活に成功するのは基本スポ薦でゴリゴリ体育会ウェイか授業最低限で長期インターンハマり奴か公務員になろうという意思を持って1年から公務員就職に関する勉強や情報収集をしている奴です。何も考えずに大手受けても普通に落ちます(笑)パンフレットに載っている大手や勝者で活躍している先輩の紹介はマジのマジで一握りです。各大学が出している学部別の「就職先企業データ」をみましょう。何も考えず王手を受けるのはMARCHの文学部では心もとなさすぎます。運動部全国大会系ガクチカ、長期インターンガクチカなどが作れない(作る気ない)けど文学部で趣味の延長線上みたいなことがしたいならとにかく上位の文学部に入りましょう。
教員志望は学芸大学とか早稲田の教育とかとりあえず知名度とか偏差値の高いところに行くべきだと思います。理由は周りの(っていっても友達がいないので雰囲気でだが)教職履修者は大体途中で履修をやめているからです。文学部というのはおそらくどこの大学も専攻がわかれていて、国文とか史学とか色々あってそれらの必修をなんとなくとっていれば教員免許に必要な選択単位が自動で取れるのですが教職のための科目を取らなければいけません。教職科目は履修人数が多くてテストありきで(レポートや出席点がない)落とす可能性があったり、土曜だとか平日の遅い時間か1限に授業が入っていて「とりあえずとっとくか〜」のノリでとった人は大体やめます。教職は保険代とかであまり課金せずに取れる資格課程なので辞めるのもハードルが低いのでしょうね。教職履修者で残るのはマジの教員志望と親が教員でとりあえず受け続けている真面目なやつくらいです。なので「1年の時は教員になろうと思っていたけれど3年になってやっぱ一般企業にしよ」とか言う人も多いと思います。なので高偏差値の教育学部に行っておけば教員という道をやめても就活市場で戦える可能性が高くなるのではないかと思いました。
ここまでできれば文学部はやめとけの路線で行きましたが、文学部でできること(いいところ)をいくつか挙げておきます。
文学部は経済や法と違って知識の定着を問う試験はあまりありません。(もちろん試験ある科目も一定数ある)基本的に14回分の授業を通して考えたことやそこから発展して自分で決めたテーマに沿ってレポート(最低2000字くらい)を書くことのほうが多いです。文学部はどちらかというと知識や体系を詰め込むところではなく「ここまで色々話してきたけどじゃあ貴方はどう思うの?」と問われることが多いところなのかなと思います。文学部に入学するということは基本的に中高時代に作文などで苦労したことが少ない人が多いと思うので元からある程度の作文スキルがあるでしょうがそれがより強くなります。難解な表現やカタカナ語を駆使して中身がないのに文字数のある文章を書けるようになったり、参考文献を読む機会が多いので要約する力や全然関係ない学部の他校の友達のレポート代筆ができるようになります。多分3年生くらいになると最低2000文字のレポートを課されても「ツイート15個分カァ」くらいになると思います。授業の感想を毎週数百文字で求められる授業も多いので文字数を稼ぐ文章力や考えを整理する力、あとはブラインドタッチができるようになります。(逆にこの力を4年かけて400万で欲しいですか?笑)
②ずっと日本史とか世界史の教科書の端っこのコラムみたいな話が聞ける。
文字の通りです。その分野のオタクの先生がコラムみたいな話を100分盛りだくさんで話してくれます。考えてもみてください、文系(人文社会学)で院行くだけでもかなりのキテレツなのにそこから大学教員で研究者になるってよっぽどの厄介オタクですよね。先生に質問とかすると基本ニコニコされるし気に入られます。中高の頃先生と仲良くなるのが得意だった人(仲良くなりやすい人)は中高の延長線上みたいな授業になるのではないでしょうか。
③一般教養科目がめちゃくちゃある。
どこの大学の文学部でも大体当てはまると思います。専攻や専門以外の文学部の授業がたくさん取れます。国文系でも哲学や歴史、心理、宗教など幅広く授業をとることができるので(めちゃくちゃ偏見だけど)楽単度合いで選ぶよりも内容で取りやすい、しかも大体が出席とレポートで簡単に単位が取れるのでおすすめです。あそ文学部の所以ではないでしょうか。
パッと思いついたのはこれくらいです。基本的に高校時代までの趣味嗜好がそのまま勉強になるみたいな感じなので授業そのものは満足できると思います。
就活について
就活は広告、テレビ、出版、映像などクリエイティブ系を見てました。また好きな商品やサービスを宣伝するのも楽しそうだという思いからメーカーもいくつか受けました。メーカーは全て「ES落ち」でした(笑)。保険などの無形商材と不動産と金融、コンサルなどは「私如きが人様の人生に口出しできない」という思いとウェイ系が多そうということで受けませんでした。文学部は大学によっては教員・公務員志望がほとんどで大3の夏になってもサマーインターンの話が全く出ないみたいなこともザラなので仲間が欲しいとかなら他のコミュニティに入るか文学部はやめましょう。就活を始めたのは大学3年生の春で、といっても春は片っ端から興味のある会社のマイページを作って本格的にやっていたのはサマーインターンの応募からでした。ちなみによくtwitterとかでみるサマーインターン経由の優遇・内定を勝ち取れるのはごくごく一部です。期待するのはやめましょう。また、twitterでゴリゴリサマーインターンを勝ち取った報告をする人がいますが病む必要はありません。意識が高いからtwitterをしているのです。いい結果の時しか呟かないでしょうし、心配する必要はありません。夏インターンに参加できたのはテレビ局(単日開催→上級参加)と誰でも参加できるキモいベンチャーのふたつだけでした。キー局と電博、読広、D2C、NTTとかの大手をミーハーで出してました。インターン参加しなくても本選考が始まると説明会や座談会がたくさん組まれるので大丈夫ではあると思います。20社参加した!とかいうのもあまり気にしないようにしましょう。
私が就活を終えたのは6月に入ってからでした。ありがちな秋〜冬の大手に落ちまくってバリ病んでいたところ、たまたま行きたい度が高かった会社の選考がとんとん拍子で進んで内定をいただくことができました。大手だけ見るのはマジで精神を病みます。行きたい業界の大手と業界10位以内くらいまでの会社をとりあえず出して、あとは駒を増やすために逆オファーサイト(オファーボックス、ABABA、ネオキャリアなどなど)を登録するといいと思います。逆オファーは有名な(かつブラックである)飲食チェーンとレバや某ハウスみたいなウェイベンチャーと零細意識他界ベンチャーしかないので、逆オファーサービスメインでの就活はやめましょう。
あとは話せる人がいるって大切だなと思いました。学校の環境が就活モード低そうであれば夏秋冬のインターンに参加して居合わせた学生とインスタなり交換して情報交換できるようにしましょう。私は大学での友達がマジのガチのゼロでしたが夏インターンで出会った子と励ましあったり情報共有をしたりしていてメンタルが保てました。有名かつ人気の企業のインターンに「選抜」されているということはそれだけである程度優秀なのでぜひそこの繋がりも意識してみてください。大学が違う方が僻んだり妬んだりしないのでなるべく違う環境で生きている子の方が精神が安定するしモチベも保ちやすいです。
ESや面接のガクチカは特殊なバイトをしていたことと特殊なゼミに入っていたこと、地元でのボランティアでの活動を出す会社によって分けていました。これらの活動をしていたのはサークルなどに入っていなかったのでガクチカ代わりになると思ってやっていました。ゼミの方は結構ウケて、特殊なバイトの方は広告・エンタメ系ではウケました。結果として行く会社に内定をいただけたのは特殊なバイトを面白がってくれたからだと思っています。文学部の人は学部に華がないので大学+自分にしかできないような経験が必要じゃないかなと思います。商とか経はよくゼミ大会とかゼミでコンペに出すこともあるのでゼミがガクチカになりうると思いますが自分の趣味を発展させただけの文学部でのゼミの活動は「で、なんか役に立った?(笑)」になってしまいがちです。クリエイティブ系を目指すのであれば変なバイト、特殊なバイトをしましょう。特殊なバイトというのはタピオカ屋やスタバ、高級焼肉などある程度のハードルが必要な飲食もいいですがライター、特殊清掃、ラブホ、街ゆく人の数数えるなど人とのコミュニケーションや人間観察ができる、価値観に影響しそうな仕事を選ぶといいと思います。私は上に書いたようなバイトを経験しました。話すと結構興味を持ってもらえました。SNS運用インターンもいいですが、特殊な経験をうまく話したり表現することができると食いついてくれる(おもしれ〜女・男認定される)のではないかと思います。
ガクチカについては「これまでの学生時代」や「いつでもいい」などがない限りは基本大学での活動にしていました。高校時代のを話すときは文化祭でのリーダー経験でした。ガクチカを「作る」のはお勧めしません。せめて経験を「盛る」くらいにしておきましょう。周りの話や感覚としては「サークル活動」は弱いです。圧倒的に「体育会」が強くて次点で「長期インターン」です。行きたい業界に関連した会社のインターンがおすすめです。おそらくその長期インターンはベンチャーが多いと思いますが間違えてもそのベンチャーに魅せられて就職したりベンチャーで就職するのはやめましょう。
個人的ヤバい(ヤバそう)会社の見分け方は①20代で人事、②HPや会社説明文をみて一発で何をしている会社かわからない(成長・やりがい・仲間みたいな単語で内容が薄い)のは要注意です。特に①で外したことはないです。(D◯M、〇―〇〇〇〇〇、すか〇〇―◯など飲食全般)ベンチャーはベンチャーでも出資元が老舗企業だったりキャリアのある中途が多い人は結構印象よかったです。(タクシー配車アプリの会社とか)
最後に
ここまで読んでいただきありがとうございました。文学部の受験を考えていた方は考え直してくれたでしょうか。推薦で文学部を考えている人も私の文学部での生活をぜひ参考にして自分でもイメージしてみてください。教員や公務員志望の方は文学部でいいと思います。結局文学部だけに限らずどこでも大学では「自分の意思」が非常に大切です。周りに合わせていたら詰みます。一緒に行動している友人が就活を始めるのが4年の4月だったらあなたもそうしますか?面白くなさそうだけど友達がとるからその授業をとりますか?ぜひ自分の意思で行動してみてくださいね。
文学部に行きたいと思っている後輩へ
考え直してみましょう。〇〇について詳しく知りたいな〜くらいの動機だけじゃないですか?大学の文学部ではその〇〇を知った上で何か新しい視点をみつけなければいけません。自称進に通うあなた、先生に穴場学部として文学部を勧められていませんか?早慶くらいならまあいいかもしれませんがMARCH以下ならやめておきましょう。MARCHで文学部に滑り入るくらいなら勉強して文学部以外に入れる成績に持っていくかランクを落として法学部に入ったほうが就活楽そうに思います。(個人の感想)旧帝以上なら学歴に箔がつくと思うので文学部でもいいと思い Permalink | 記事への反応(30) | 15:34