はてなキーワード: バカボンドとは
僕のバスケ歴は割愛するが、一応、最低限はバスケを語れる資格を持つ経験者だ。
スラムダンクは漫画は全巻持ってたし、連載当時に週刊少年ジャンプでも読んでいた。
でも、他にも色んな漫画をたくさん読んでいたから、特に好きな作品な訳では無いが、スラムダンクを語れる資格も持っている筈だ。
プロ選手になるという夢が存在しない分、現実的な折り合いを付け易くなる。
社会人になった元経験者達が資本主義の世界の中で大人になって、自分の取り組んでいたアマチュアスポーツを盛り上げようと画策する。
例えば、バレーボール。
そこまで人気でもないのにも関わらず、毎年、日本では世界大会を開催。
試合中に今のスパイクは何mの高さだったと計測された数字がリプレイと共に表示される。
人気に見合わない大袈裟な演出は、野球やサッカーと比べても遜色ない練習の過酷さが当たり前のバレーボール経験者達がサラリーマンとして社会で活躍しながら競技を後押しし続けた結果だと思う。
一方、バスケットボールはバレーボールと異なり、野球と同じで日本に強い影響力を持つアメリカ合衆国の4大スポーツの一つだ。
サッカー、野球、バスケットボールは、日本が戦後から続く海外への憧れを象徴するスポーツだと思う。
しかし、野球やサッカーと比べて、バスケットボールはようやくプロ化に辿り着いたが、まだまだ日が浅い。
野球ほど社会的影響力は無いし、サッカーと比べて世界的人気は少ない。
だから、プロバスケ人気を盛り上げるための苦心の策として、 数年前にLEDパネルのコートで行われたBリーグ開幕戦の試合中継なのではないかと思う。
しかし今のところ、バスケは観るよりもプレイした方が楽しいスポーツだと思う。
現状の日本バスケ界に不足している重要なピースの一つが、世界観作りだ。
サッカーにおけるキャプテン翼のように、日本バスケ界でその一役を担うのが、この映画『THE FIRST SLAM DUNK』なんだと思う。
今のスポーツ中継のカメラワークは、どの競技も完成形だとは思うべきでは無い。
ドローンなんて現時点のテクノロジーによる妥協の産物に過ぎない。
モーションキャプチャーのCG合成をリアルタイムで処理しながら無制限のカメラワークをコントロール出来る時代を待つしか無い。
それが実現するのは少なくとも100年先の未来になるだろう。
でも、CG作品ならば、フィクションの試合を無制限のカメラワークで演出することが可能だ。
『THE FIRST SLAM DUNK』は100年後の試合中継のカメラワークだった。
かつて映画製作を学んでいた僕は、映画を観るためではなく、バスケの試合を観に行くつもりで数年ぶりに映画館へ足を運んだのだ。
そんな僕の判断は間違ってないと思った。
当初、ジャイアンの声優の人が桜木花道であることを知って、困惑した。
ジャイアンを襲名したからには、ジャイアンの色が付いて回る宿命をスラムダンクに持ち込んで欲しく無いと思った。
監督がリアリティを追求した結果、出刃庖丁を持った2mの巨漢が全国大会のコートに乱入する大事件はオミットされた。
桜木花道は終始、バスケ歴4ヶ月のフィジカルモンスターだった。
デニス・ロッドマンそのものだった。真っ赤な坊主頭が試合を引っ掻き回してた。
かつて緑川光が演じた流川楓も、味方にパスをしない異常プレイヤーだったし、寡黙なキャラに合った雰囲気さえあれば声優なんて関係なかった。
急展開過ぎる。
もう少しモーションキャプチャーの演技でスタミナ消耗の下降線を丁寧に描けよって笑ってしまった。
バスケットボールを描くに当たって、ボールのドリブル音、バッシュの音にしっかり拘りを持った演出をするのは明らかだった。
けど、屋外を歩くだけのシーンでも露骨に足音を鳴らすのはやり過ぎ。この一点だけは偏執過ぎる。まさに勇み足だ。
僕の記憶が正しければ、バスケのルールとして、敵陣のゴール下の台形ライン内に3秒間ずっと入りっぱなしだと、3秒ルールが適用されて相手ボールからのスローインになってしまう。
湘北高校のオフェンス時の桜木花道の立っている位置は台形内っぽいことが多い気がした。
桜木花道は何度も3秒ルールを食らってないとおかしいと思った。
渡米していた宮城リョータの出現にえっ!?と一瞬、頭が混乱した。
というか、この映画自体がスラムダンク奨学金のための伏線だったのか…と思った。
その中での90点だ。
100点じゃない理由は原作漫画を読まないと理解出来ないからだ。
当時、原作漫画を読んだバスケ経験者の親達は、この映画を観た感動を情熱に換えて子供と日が暮れるまで沢北の父親さながらの1ON1を続けるだろう。
原作者であり映画を監督した井上雄彦は、バカボンドのヒット後にどこかの寺の襖だったか屏風に直筆を描いて日本画の領域に進出した。
結果は散々。漫画は所詮は漫画であり、漫画絵が日本画と肩を並べることは叶わなかった。
かつて、日本映画界はアニメーション映画を日本映画として認めていなかった。
日本映画界が斜陽が限界点を突破した結果、映画産業を水増しするためにある時期を境にアニメーション映画を渋々受け入れた印象がある。
日本のアニメ界はファンタジー性や虚構に拘り過ぎている節がある。
だから身勝手に3.11を風化している扱いにして傲慢なアニメ作品で大プロモーションをしちゃったりする訳よ。
『THE FIRST SLAM DUNK』のようにモーションキャプチャーと2Dライクな3DCGを使ったリアルアニメーションこそ、次世代の日本映画だと思う。
ちなみに、小学2年生になる息子がいる。
高校時代は山王戦でメガホンを持っていた奴らのような惨めな3年間を送った過去のある僕は、子供に運動部の残酷さを味わせたく無いと思っている。
でも、たまに、自宅の庭でバスケットボールを使ってドリブルやパスの練習をして遊んでやってた。
昨年、小学校の七夕に「バスケがしたいです」と書いていたことを耳にした時は狼狽した。
で、今回の映画鑑賞は息子を初めての映画館に連れて行った訳だけど、感想を伺ったらバスケに目覚めなかったらしく、内心ホッとしている。
今までみた漫画・アニメというと、小さい頃はドラゴンボールだったりスラムダンクだったり。
まあ誰もが見て友達同士話のネタになりそうなメジャーなものばかりだ。
そんな自分が、あるカラオケで女友達がけいおん!のEDを歌いだした。
プロモ一緒に流れて、最初は「何だコレwww」と思ってみていた。
歌を聞きながら映像を見ていると、ある事に気づく。
親近感を持たずにはいられない。
こういうアニメで左利きキャラは何か珍しいなーと結構見入ってしまった。
家に帰り、とりあえずけいおん!でググってみる。
するとEDがオリコントップとっただとか、ベースの子の漫画に出てきたヘッドフォンや楽器が実際に売上げ大幅アップしただとか、結構人気があるらしい。
ふむふむと見ていると、次第に原作が見たくなり今まで家電しか見に行かなかった秋葉原にけいおん!を見に行ってきた。
まずは漫画を購入し、読んでみる。
原作者が左利きの演奏者らしく、秋山澪というレフティの子にそれを反映させたいとあとがきに書いてあり納得。
見終わると、やっぱり最初気になっていた秋山澪が一番のお気に入り。
すると段々オフィシャルなイラストだけでは物足りず、同人作家が描いたイラストも見て楽しむようになる。
秋山澪がメイド服を着て手でハートを作るシーンや、平沢唯が声が枯れた時にお相撲さんの真似が妙にリアルだったり、印象的なシーンがニコニコ動画で編集されてアップされてるのも全部チェックするようになる。
無意識に秋山澪の壁紙を集めだして、集まった画像をまとめておく為に「澪」というフォルダを作りいれておく。
■「20年後の10代と尾崎を聴く!ー「15の夜」「卒業」「シェリー」はどう響くのか?」
http://d.hatena.ne.jp/ykurihara/20041229/1104294205
ちょっ、… マジですか?
以下は、本文からの引用。
〈大学でこの『卒業』や『15の夜』といった尾崎の代表曲を一八、一九歳の学生に聴かせて感想をきいたところ、多くの学生が「何を怒っているのかわからない」「ひとりよがりの詩で不愉快だ」などと否定的なことを述べた。(中略)歌詞の内容に共感できると答えた学生は約一〇〇人中わずか二人だけだった。〉
記事はもう4年も前のことらしいから、ちょうど私らと一緒の世代なんだな。
2/100らしいぞ!
ホントかよ、信じられん。
自分のまわりの同級生達は、思春期のあの何とも言い難い中二病的な鬱屈した感情を持ったことがないのか?
ってか、中学の卒業式の翌日、カラオケで友人達と「卒業」合唱しまくったよ。
それも3回くらい。
別にそこまで尾崎好きじゃないよ?
確かに尾崎の歌詞なんて冷めた目で見てみれば完全にDQNですよ。
「結局お前はどうしたいのよwwww?バイク盗んだり、家出したりがしたいのwwww」ってツッコミ入れたい気持ちもよくわかる。
でも2/100って、えー?
では、そこまで尾崎が好きじゃない私が、尾崎に何を感じていたか?
私にとっての尾崎豊は、
オレこんなんで良いのかなぁ、とか
なんかもっとすげぇことが出来るんじゃないかとかさ、とか
毎日がつまらなくてつまらなくて気が狂ってしまいそう、とか
なんかやらなきゃいけない気がするんだけど何すればいいかわかんねぇよ、とか
そういう気分を代弁してる人なわけなんです。
うーん、うまく言えてる気がしないなぁ。
もうちょい言えば、バカボンドに出てくる又八が武蔵を関ヶ原に誘うときのような気持ちかなぁ。
反抗については、強くは共感できないもののまぁわかる。
でも、それだけじゃなくて又八的な気持ちも歌ってると思うんですね。
そこら辺は、インタビュアーもわかっていて最後の方で「シェリー」を題材にそういう話題を振っている。
しかし、これもかすりもせず。。。
さて、思ったことをサクサク書いてきたけどどうまとめようかな、困ったな。。。
とにかく、2/100という結果を見る限り尾崎豊に普遍性は無い。
あると思ってたんだけどね。。。
結構ビビった。
けど、自分の周りにはそういうことをわかってくれる人がたくさんいて、ホントよかったなぁ。
ってことでこの話題は〆ましょうか。