はてなキーワード: 宮城リョータとは
Twitterで感想を呟こうとしたら、長くなりそう、かつ、深夜に書いた手紙のような気持ち悪い感じになりそうなので、こちらに書くことにする。
リアルタイムで漫画は全巻読んだがアニメは見なかった程度の緩いファンだったので、ほどよく忘れており、試合展開を楽しめた。
実は、漫画を読んでいた時は、ちょっと便利屋というか都合のいいキャラだと感じていたのだ。
他のキャラよりもバックグラウンドが描かれていなくて、普通に性格とノリが良く、バスケも熱心で上手、という、とても緩衝材的な役割のキャラで、逆に何を考えているのかがわかりにくい。
メインキャラの中では、流川も何を考えてるか描写されない不思議なキャラなのだが、流川は行動で『偏屈』が示されている。
そして、私が大人になったので、流川のことを『バスケが好きで負けず嫌いで、初心者の花道にしゃしゃられるのをウザイと思っている高校生』と認識できるようになっていた。
こいつにも複雑なバックグラウンドがあるかもしれないのはさておく。
この2人の部活以外での描写が少なかったのは、映画の中でもわかる。
山王の応援団のすごさに対し、晴子たちが「妹と友達と敵(三井の友達)」と言うが、そこに宮城と流川の関係者はいない。
モブの中にいたかもしれないけれども、それまでのストーリーの中に出てこなかったから、そこで隣に座っていないのだ。
今、思えば、インターハイに出ているのだから、親くらいは来ていてもいい。
昔の少年漫画なので、本筋に関係ないところはサクサク飛ばされているのだな。
そんな漫画のイメージからすると、宮城リョータの過去は意外だった。
かなり重め。
しかし、プレッシャーを表に出さない、平気な顔をしている、という人物造形と合わせると、実は漫画の裏でもこうだったのか、という納得感がある。
出来のいい兄の影のように感じていたのか、そのあたりの描写はあまり直接的ではなく、試合の中で昇華される。
兄が倒せなかった山王を倒すというのはかなりベタな展開だが、スポーツものなので、そのくらいのほうがスッキリしていて良い。
惜しむらくは桜木花道との試合前の絡みが薄いと感じられるところだ。
漫画の主人公が桜木花道なので、彼は試合展開で何度もとても重要な役割を果たす。
先入観がなく映画を初めて見た人には、そのあたりは唐突に感じられるのではないだろうか。
映画の主人公である宮城リョータが、入部してすぐくらいの時期に花道に一目置くようなシーンがあってもよかったのではないかと思う。
そしてそれは、花道がこつこつ練習をする姿ではなく、破天荒な明るさ、突破力的なものであったほうが、後半の展開と合う気がする。
ところで、漫画の山王戦で赤木が「俺は間違っていなかった」と思うシーンがとても好きだった。
彼のひたむきな努力が報われたと思った。
しかし、あれから30年近くたって大人になると、先輩や同級生が間違っていたわけでもないよな、とも思う。
高校生活の一部として部活を楽しむ、という選択肢は普通にあっていい。
これが高校野球なら、本気で甲子園を目指す生徒は、最初から甲子園が射程距離にある高校に入るだろうと思われるからだ。
甲子園を目指す生徒と、3回戦突破を目標に野球を楽しむ生徒は、入学の段階で住み分けができている。
近所だったり偏差値だったりで選んだ挙句、住み分けが出来てないことになりそうだ。
漫画でも、県大会で有名な強豪校が出てきていたので、やっぱり赤木のほうが空気読めてなかったというのは十分にありうる。
なので、「間違っていなかった」ではなく、一人ではなく志を同じくする仲間がいるという描き方になったのだろうか。
とても良かった。
でも、弱小チームに安西先生がいて、流川が入学してくるという不思議は、私の心の中での疑問として残る。
流川、おまえ、なんで弱小チームに入ってきたんだ。
漫画には描かれていたかもしれないと思うと、一度は手放したコミックスを再度買おうかという気になる。
ああ、漫画が読みたい。
そして、もう一度映画に行きたい。
最後、試合の結果を知ってたのにドキドキして見守ってしまった。
名作だ。
僕のバスケ歴は割愛するが、一応、最低限はバスケを語れる資格を持つ経験者だ。
スラムダンクは漫画は全巻持ってたし、連載当時に週刊少年ジャンプでも読んでいた。
でも、他にも色んな漫画をたくさん読んでいたから、特に好きな作品な訳では無いが、スラムダンクを語れる資格も持っている筈だ。
プロ選手になるという夢が存在しない分、現実的な折り合いを付け易くなる。
社会人になった元経験者達が資本主義の世界の中で大人になって、自分の取り組んでいたアマチュアスポーツを盛り上げようと画策する。
例えば、バレーボール。
そこまで人気でもないのにも関わらず、毎年、日本では世界大会を開催。
試合中に今のスパイクは何mの高さだったと計測された数字がリプレイと共に表示される。
人気に見合わない大袈裟な演出は、野球やサッカーと比べても遜色ない練習の過酷さが当たり前のバレーボール経験者達がサラリーマンとして社会で活躍しながら競技を後押しし続けた結果だと思う。
一方、バスケットボールはバレーボールと異なり、野球と同じで日本に強い影響力を持つアメリカ合衆国の4大スポーツの一つだ。
サッカー、野球、バスケットボールは、日本が戦後から続く海外への憧れを象徴するスポーツだと思う。
しかし、野球やサッカーと比べて、バスケットボールはようやくプロ化に辿り着いたが、まだまだ日が浅い。
野球ほど社会的影響力は無いし、サッカーと比べて世界的人気は少ない。
だから、プロバスケ人気を盛り上げるための苦心の策として、 数年前にLEDパネルのコートで行われたBリーグ開幕戦の試合中継なのではないかと思う。
しかし今のところ、バスケは観るよりもプレイした方が楽しいスポーツだと思う。
現状の日本バスケ界に不足している重要なピースの一つが、世界観作りだ。
サッカーにおけるキャプテン翼のように、日本バスケ界でその一役を担うのが、この映画『THE FIRST SLAM DUNK』なんだと思う。
今のスポーツ中継のカメラワークは、どの競技も完成形だとは思うべきでは無い。
ドローンなんて現時点のテクノロジーによる妥協の産物に過ぎない。
モーションキャプチャーのCG合成をリアルタイムで処理しながら無制限のカメラワークをコントロール出来る時代を待つしか無い。
それが実現するのは少なくとも100年先の未来になるだろう。
でも、CG作品ならば、フィクションの試合を無制限のカメラワークで演出することが可能だ。
『THE FIRST SLAM DUNK』は100年後の試合中継のカメラワークだった。
かつて映画製作を学んでいた僕は、映画を観るためではなく、バスケの試合を観に行くつもりで数年ぶりに映画館へ足を運んだのだ。
そんな僕の判断は間違ってないと思った。
当初、ジャイアンの声優の人が桜木花道であることを知って、困惑した。
ジャイアンを襲名したからには、ジャイアンの色が付いて回る宿命をスラムダンクに持ち込んで欲しく無いと思った。
監督がリアリティを追求した結果、出刃庖丁を持った2mの巨漢が全国大会のコートに乱入する大事件はオミットされた。
桜木花道は終始、バスケ歴4ヶ月のフィジカルモンスターだった。
デニス・ロッドマンそのものだった。真っ赤な坊主頭が試合を引っ掻き回してた。
かつて緑川光が演じた流川楓も、味方にパスをしない異常プレイヤーだったし、寡黙なキャラに合った雰囲気さえあれば声優なんて関係なかった。
急展開過ぎる。
もう少しモーションキャプチャーの演技でスタミナ消耗の下降線を丁寧に描けよって笑ってしまった。
バスケットボールを描くに当たって、ボールのドリブル音、バッシュの音にしっかり拘りを持った演出をするのは明らかだった。
けど、屋外を歩くだけのシーンでも露骨に足音を鳴らすのはやり過ぎ。この一点だけは偏執過ぎる。まさに勇み足だ。
僕の記憶が正しければ、バスケのルールとして、敵陣のゴール下の台形ライン内に3秒間ずっと入りっぱなしだと、3秒ルールが適用されて相手ボールからのスローインになってしまう。
湘北高校のオフェンス時の桜木花道の立っている位置は台形内っぽいことが多い気がした。
桜木花道は何度も3秒ルールを食らってないとおかしいと思った。
渡米していた宮城リョータの出現にえっ!?と一瞬、頭が混乱した。
というか、この映画自体がスラムダンク奨学金のための伏線だったのか…と思った。
その中での90点だ。
100点じゃない理由は原作漫画を読まないと理解出来ないからだ。
当時、原作漫画を読んだバスケ経験者の親達は、この映画を観た感動を情熱に換えて子供と日が暮れるまで沢北の父親さながらの1ON1を続けるだろう。
原作者であり映画を監督した井上雄彦は、バカボンドのヒット後にどこかの寺の襖だったか屏風に直筆を描いて日本画の領域に進出した。
結果は散々。漫画は所詮は漫画であり、漫画絵が日本画と肩を並べることは叶わなかった。
かつて、日本映画界はアニメーション映画を日本映画として認めていなかった。
日本映画界が斜陽が限界点を突破した結果、映画産業を水増しするためにある時期を境にアニメーション映画を渋々受け入れた印象がある。
日本のアニメ界はファンタジー性や虚構に拘り過ぎている節がある。
だから身勝手に3.11を風化している扱いにして傲慢なアニメ作品で大プロモーションをしちゃったりする訳よ。
『THE FIRST SLAM DUNK』のようにモーションキャプチャーと2Dライクな3DCGを使ったリアルアニメーションこそ、次世代の日本映画だと思う。
ちなみに、小学2年生になる息子がいる。
高校時代は山王戦でメガホンを持っていた奴らのような惨めな3年間を送った過去のある僕は、子供に運動部の残酷さを味わせたく無いと思っている。
でも、たまに、自宅の庭でバスケットボールを使ってドリブルやパスの練習をして遊んでやってた。
昨年、小学校の七夕に「バスケがしたいです」と書いていたことを耳にした時は狼狽した。
で、今回の映画鑑賞は息子を初めての映画館に連れて行った訳だけど、感想を伺ったらバスケに目覚めなかったらしく、内心ホッとしている。
要するに今回の劇場版SLAM DUNKは、遊園地とかで体験するアトラクションとかと同じなわけ。
USJとかの遊園地に行った時に、3D眼鏡を掛けて乗り物に乗って、スパイダーマンとかの立体CG映像を見て、頭を空っぽにして「スゴかったねー!」と一時的に盛り上がるでしょ。遊園地のアトラクションを体験する時に「主人公の人間性が描かれていない」とか「物語として破綻している」とか言わないじゃん。
試合後の勝利歓喜の中心が宮城リョータになるのは不自然だとか、安西先生は宮城リョータのアメリカ行きに何も言わず止めなかったのかとか、頭を空っぽにして遊園地のアトラクションを楽しみたい観客が、そんな物語としての辻褄をいちいち考えるわけないじゃん。
そもそも彼らには、映画を物語作品として楽しむという発想が無いの。彼らにとって何か物事を楽しむことは、イコール頭を空っぽにして楽(ラク)をすることなわけ。だから、物語の辻褄を考えるとか、キャラクター作りの矛盾とか、映画を見て脳味噌を使うこと自体が、彼らにとっては論外なわけ。主人公が宮城リョータと宣告されたら、もうそれだけで世界が宮城リョータを中心に回る理由として十分なわけ。宮城リョータの過去とか家族関係とか、そんなことはそっちのけで「細かいことは横に置いて、とにかく試合シーンのCG表現だけは良かった!」としか言わないし、言えないわけ。
その反応で井上雄彦は助かったと思うよ。何しろ今回の映画で描かれた宮城リョータの過去・家族の話は、ありきたりで陳腐な御涙頂戴劇でしかなくて、ストーリテラーとしての井上雄彦は完全に死んでいるという現状を如実に示していたから。でも「試合のCG映像は凄い!」で盛り上がる遊園地の観客なら、ストーリテラーとしての能力が云々なんて細かいことは気にしないもんね。良かった良かった。
とはいえ井上雄彦本人が、今回の映画に肯定的な観客たちから「宮城リョータ周りのヒューマンドラマとか、そんなことはどうでもいい。とにかく試合場面だけは良かった」と言われていることを、どう思っているのかには興味がある。監督・原作者として大きく力を注いだはずの人間ドラマ部分に関して、観客から「そんな部分はどうでもいい」と言われることは、普通ならば物語作家として屈辱的だと思うんだけどね。
面白かった。1000円で映画館で見るなら良い作品だと思う。ちなみに私は漫画途中まで読んだだけのニワカです。
俺はそこまで漫画読んでないから普通に楽しめたけど、まあ確かにファンからしてみれば今更山王戦なんて見たくないだろうし、
確かにこれ言っちゃったら宣伝にならないのも判る。けどダンマリってのもどうかと。。。プロ集団なんだからもっと上手いやり方あったと思う。
ゲド戦記ってあったじゃん?めっちゃ叩かれたけどあれ普通のサラリーマンが初めて監督した作品でアレって普通に凄くね?
・試合→回想 の繰り返しがダレる。
ずっとこの繰り返しなので中盤眠くなる
・無音シーン多すぎ
映画館気まずいんで困る
多分当時のノリじゃなくて近況のノリで作ったんだと思う。そのせいか全体的に暗い出来になってる。
流石に今漫画みたいなノリ(すぐ殴るとか)は出来ないにしても、原作のウリだったギャグ要素一切排除はこれいかに。でも本当にギャグシーン書きたくなかったんだなと言うのが判る。
告白シーン丸々カットしたって事はそういう事なんだろうと思う。あと復帰無理そう。完全にカミーユみたいな扱い。
そもそも日本最強の山王に不良チンピラチームがみんな出っ放しで勝つ(笑)って無茶設定なんだからこのくらいの対価は必要だったんじゃないかなと思ってる。
・今回の炎上
明らかにファンが騒ぎすぎ。昔にアクシア・クローネってvチューバーがファンに母親ヅラすんなってキレた事件あったけど、まんまそれだと思う。
1人暮らしで近況を話さない子供に心配してるってお気持ちギャーギャー騒ぐノリw
作者が『俺のスラムダンクはこれ』って明らかに表明してるんだからファンや外野がアレコレ言う権利は無いと思うわ。
しかも周りの言う事気にするタイプっぽいからあんま批判すると続き書かなくなる可能性もあるしで、生殺与奪の権は作者が握ってる事を忘れたらアカンで。
だったのかなと思った
桜木と流川のライバル関係、赤木と木暮の3年間、三井の挫折と復帰、
これらに比べると原作では宮城のバックボーンは無いも同然だったし描きたくなるのはごく自然だなと
山王戦はとにかく映画1本の中で1試合をぴったりやり切る方針なのはよくわかった
魚住のかつらむきや桜木vs美紀男はモノローグ多めのシーンだからカットしたっぽい
コートの中はともかく観客席からのカメラワークは実際にカメラを置ける通路からのアングルだったり
得点が入ったら必ずスコアボードが写る演出だったり徹頭徹尾「試合」を映す意思は感じられた
下手に原作のシーンを全部詰め込んで上映時間4時間になったり前後編になったりするよりは
ネタバレがあるので、それを知りたくない人は引き返して読まないように。
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【以下、ネタバレ】
主役は宮城リョータ。しかし、映画の宮城リョータは、我々が知っている宮城リョータではない。
アヤちゃんLOVEでデレデレしつつ、決めるところは決める。体格が小柄で目立たないけど、良い意味で強気で、花道の良い兄貴分的な存在。そんなところは、一切無い。
沖縄出身になっている。ヤスと幼馴染という設定は何処かに消えた。それともヤスも沖縄出身に変更したのか。
子供の頃に兄が死んだことが、宮城リョータは心の傷になっていて、その兄の面影を、宮城リョータは三井に見たという感じになっている。BLが世間で流行ってるもんな。あれ?井上雄彦は腐女子嫌いだったのでは?宗旨変えか?
最終的に宮城リョータは、アメリカに行く。安西先生は、流川楓に「日本一の高校生になってからでも遅くはない」とアドバイスしたと思うが、宮城リョータには「君の好きにしなさい」とでも言ったのか?冷たくないか?急にホワイトヘアードデビルに逆戻りしたのか?
原作の名場面や名言は、大部分がカットされたり、サラリと流されている。流すな。
過程を色々とすっ飛ばしているので、この映画がSLAM DUNK初見という観客は、試合途中でバテてくる三井を見たら「何でコイツ、こんなに急にバテてるんだ?真面目に練習してこなかったのか?」と感じるだろう。いや、色々あったんだよ。体育館乱入とか桜木軍団のヘルプとか、今回の映画では色々すっ飛ばされたから、初見で分からんかもしれんが。
プレイ場面でのCGは、色合いが個人的好みには合わないものの、前評判ほどには悪くない、かもしれない。しかし、ボールに重量感が感じられないように思った。これは個人的な印象だ。既に上に書いたことから薄々は察してもらえていることと思うが、CGの出来など些細な問題だと感じるぐらい、中身が色々とおかしい。
試合途中で、宮城リョータの過去の回想が挿入されるので、試合がぶつ切りとなっている。子供の頃、自分が観たいテレビ番組の途中で、親に頻繁にチャンネルを変えられて「通しで見せろや!」と苦々しく感じたことを思い出した。しかも挿入されるのが湿っぽい話なので、陰鬱な気持ちになる。ワールドカップの試合を観ている途中で、チャンネルを頻繁に変えられて『ザ・ノンフィクション』をチラチラ強制的に見せられているような気分になる。生きていく、生きていく。
試合展開やプレイの凄さ等を観客に分かりやすく教えてくれる解説役が存在しないので、ピンチになっている緊迫感とか、追い上げている盛り上がりとかが、今一つ感じにくい。何と言うか、たまたま立ち寄った体育館で、何の大会かは知らないけど、高校生がバスケをしている姿を見かけたという感じ。ただ単にバスケのプレイが流れているという感じで、ドラマ性は余り感じられない。個人競技じゃなくて対戦競技なのに、山王チームの描写が不足している。
宮城リョータを主役にしているが、ラストは流川楓と桜木花道の例のアレなので、違和感が凄い。散々、宮城リョータを主役として描いておいて、主役以外のキャラがラスト最高の盛り上がりを掻っ攫うのだから、観客の立場からしたらドラマの作りとしてヘンテコ過ぎる。それで、宮城リョータがアメリカに行くのだから、心底「はあ?」となる。
流川楓も桜木花道もゴリも三井も、宮城リョータを主役にするためという都合でキャラや関係性が変更されているので、原作SLAM DUNKとは別物だと思った方がいい。この映画の宮城リョータは「このチームは自分には合わない」とか言ってゴリには楯突くし、流川楓に「お前と話すのは初めてだな」とか言っているし、そんな訳あるか。そして、流川楓にも桜木花道にも、原作の彼らを知っている我々が思うような、人間的な魅力が無い。声優を変更したからとか、そんなレベルの話ではない。
我々が知っている名場面や名言が、今回の劇場映画で悉く捨て去られていることから、タイトルに込められた"FIRST"の意味が氷解した。おそらく「我々読者が知っている、あの原作SLAM DUNKは、井上雄彦にとって『偽物・贋作』なのだ」ということだ。旧TVアニメ版の出来栄えに不満があった云々どころではない。おそらく、原作そのものの存在が、井上雄彦にとっては不満だったのだ。もしかしたら、原作SLAM DUNKの名場面や名言は、大部分が編集者のアドバイスによるもので、そのことも井上雄彦には我慢ならなかったのか?
井上雄彦自身とポジションが同じだった宮城リョータを主役にしたストーリーを、当初は構想していた。それを、編集者にNGを出されて、体格的に恵まれている桜木花道を主役にし、ライバルとして流川楓を据えるように変更させられた。そのことを、ずっと心の底で不快に思っていたのか?
もしも、作者が原作版SLAM DUNKのことを嫌いなのだとしたら、単行本を購入して買い支えた自分たち読者も作者にとっては迷惑な存在だったのだろうか?
そういったことを考えて、悲しくなった。
この映画を観て「山王戦が映像化された!」と好意的に評価している人は、たぶん自分が知っているSLAM DUNKではなく、別の漫画を読んでいたのだろう。マルチバース。これを観て「自分が知っているSLAM DUNKが帰ってきた!」とか言っている人は色んな意味で凄い。自分は無理だった。信者力が試される映画だと思う。
今回の映画で出番が無かったキャラや、旧TVアニメ版の声優のことが好きな人は、彼らが今回の映画に関わることが無くてむしろ幸いだったと感じるのではないか。そんな出来栄え。観たい人は観ればいい。
この映画こそが本物のSLAM DUNKで、原作SLAM DUNKが偽物・贋作だと井上雄彦が言うならば、自分はそれで構わない。ギャラリーフェイクで贋作・レプリカのつもりでフジタから絵を購入した老人がいたけど、あの老人と同じで自分は贋作の方で良い。
疲れた。
数ヶ月急がしく、かなり髪がもっさり伸びてしまい、おおよそ数ヶ月ぶりに髪を切りに行こうと決心した。引っ越してきたばかりだから近くの評判とかよくわからず、安直にホッ○ビ○ティーを見てその地域の上位に出てた美容院の雰囲気がなんかよさげ~だったので行ってきた。
それがそもそもいけなかった!(ででん!
かなり伸びていたので、こちらの要望はツーブロック(しかし横の長さは残して欲しかった)で、あとは全体的に「ばっさり」という要望をした。
後は切っている様子を見ていけばいいなと思い、雑誌を読みながら切り具合を見ているつもりだった。
彼は、後ろからばっさばっさと切っていき、その途中どんな様子かがイマイチわからず・・・・・・
「様子がわからない」と伝えても、全く気に留めてくれず様子も教えてくれず、そのまま続行。
どうなってるかわからないまま高等部の作業終了、そして横の部分に流れて行きおなじくばっさばっさ切られていきました。
「あっ!」
気が付いたら、一番切られたくなかった横の長さが5~6センチを雑に切られてしまった後でした。
その時点で、まず苦言をしたのですが、彼は悪びれることなく、「もう切っちゃったので、もう片方もいいですね?」とばかり行って押し進めてきました。えぇー・・・・
高等部から髪の毛の多い客にわからないように髪の毛をばっさばっさするスタイルの人には初めて会ったのも衝撃で、横顔のバリカン入れたところもなんか妙に斜めな上、左右不統一。
それが高じて全体おぼっちゃまヘアーみたいに盛り上がっていてとても愉快なことになってる。
最初は横からぶん殴られたような宮城リョータ的だったのが、前髪は謎のぱっつんにされた為、どちらかといえば綺麗な北朝鮮総書記。
というよりは、まるでパイナップルの木かなにかか?(しかも、ちょっと萎れている)と思うような感じとなった。
好意的に考えるならば、これから日本は猛暑の真夏を迎えるので、これはそれに対する心優しい美容師による最大限の配慮かもしれない。
もし自分がこのまま南国に行けばきっとパイナップルの樹木として素晴らしい第2の人生も歩めるかもしれない。
そういう意味で新たな可能性を見出してくれた素晴らしいカットだったとも思いはじめてきた。
しかーも彼の素晴らしいセンスによるワックスを切った後にぺたぺたつけてしまえば、その萎れた葉っぱも見事に元気を取り戻します。こ、これは凄い!
「どうですか?」と聞かれて、自分の頭がパイナップルに見えるとはチキンの為さすがに言えず、皮肉に「おぼっちゃまスタイルみたいですね」と言った所、なぜか蛍原の例を出され「そんなことはない!そんなことはない!」としか言ってこない。
どうやら彼の中では、この世界には蛍原しかぼっちゃんヘアーはいないらしい。ふーむ、なかなか香ばしいぞ。全世界のぼっちゃんヘアーを愛する一部の皆、彼に対してもっともっと怒りを持っても良いぞ?
ここまできて、これ以上この人に髪を切られてはたまらないと思い、なにも言えず泣く泣く撤退。(言う人はこの場で言うんだろうなぁ)
帰ってから気が付いたこととしては、後ろの髪の毛が必要以上にすかれてしまっていて、まぁすいてる途中でやめて欲しいといったのですが止めてくれなかった。
つまり終始、彼の独自判断のままカットさせてしまった感がかなりある。つーか、自分の好みで客の意向を無視するって、それはそれでどうなのよ・・・・・・・・・
結果、元のボリュームの2~3割になってしまい、汗をかくとすごい状況になる。例えるならば、年のいった体調の悪い犬猫のありがちな毛の薄さのそれになる。
それを見て、流石に泣きたくなった。
カット代としてそれなりのお金を払ってるんだけどね、結果これか・・・・・・・・
以前、知り合いの女性で美容師に要望したよりもばっさり切られた、ありえない!という話を聞いたことがあり、正直その時は一体何を大げさな・・・・・・と思って慰めたことがあり、今回自分がやられてやっとその気持ちが真にわかった。
これ実際にやられてみると結構つらいですね。
まぁ自分は男性なので、髪型のおかげでそこそこ人気者になれました。さっきTwitterで頭がパイナップル宣言したら3件お気に入りされましたし、こんな貴重な体験の出来るお店(&美容師)と出会えた自分はある意味、幸せなのかもしれない。出会わなければ、さらにもっと幸せだったかもしれない。
<<教訓>>
新規の美容院に行くときに、美容師が必要最低限のカウンセリングしかしてくれないのならば、客側から率先してどうしてほしいかをしつこいくらい言わなくてはならないことを身をもって知る。
ばっさり切られた後からじゃ、なにもかもが遅い。髪の長い男性の方や女性の方は特に気をつけてるべき。
(ぐぐったら、男性美容師のほうが独断で暴走する割合が多いみたいね。それは知らなかった。良い勉強だったけど、鏡を見て高い授業料だったとつくづく思う。)
あとは上のものをそのまんまリク○ートなサイト経由で口コミしようとしたら、いろいろと引っかかって結果、凄く無難な表現になってしまったのが最後のオチかな。