はてなキーワード: 藤井くんとは
父さんが事故で亡くなってから、明るかった母さんが廃人みたいになってしまって、最悪の事態にならないようにと家族やご近所さんたちでずっと見守ってた。
藤井聡太くんがプロ棋士になって連勝を重ねていったあたりから、テレビや雑誌を見るようになって、藤井くんすごいねーと久しぶりにまともな会話をするようになった。
そのうち、アベマの将棋チャンネルを観始めたり、辞めてた将棋教室にもまた通うようになったり、周りの人との交流も戻っていって、すっかり元気になってくれた。
その頃からずっと藤井聡太くんのことを応援していて、タイトルを取ったときも、昇段したときも、タイトルを防衛したときも、毎回ケーキやご馳走を作ってお祝いしているらしい。
父さんの死後、母さんはずっとソファにぼーっと座っていて、食事はたまに牛乳を飲んだりお菓子をかじったりするだけで、気づいたら仏壇の前で泣いていて、という毎日だったんだけど、最近は仏壇に向かって「聡太先生を勝たせてね」と図々しいお願いをしている。
母にとって藤井聡太くんはいわゆる「推し」という存在なんだろうけど、俺たちにとっては母を立ち直らせてくれた神様みたいな存在。足を向けて寝られない。
八冠制覇を家族総出で期待している。
子供の時の自分の方が、大人になった自分よりずっと賢かった。さっき娘を叱っててふと子供の頃に考えていたことを思い出した。
大人になることは許されないことが増えていくことだ。
うちはシングルマザーで幼少期に教育というものはほとんどなくて放置されている方が多かった。
よく川で魚を獲って遊んでいた。
小学1年か2年くらいになって多分学校の先生に右と左わからないの藤井くんだけですよ。とでも言われたんだろう。
その発言で今まで何も教えてこなかった親が焦燥感から慌てて右と左を教えてきた。
聞かれて答えるけど、間違えると叩かれた。
右は箸持つほう。左はお茶碗持つ方とか理屈で教えてもらえたらよかったんだけど。左は?右は?みたいな感じで感覚で覚えさせられた。多分感覚で即座に答えられるものだと思っていたんだろう。感覚で答えられないのはおかしいと思っていたんだろう。
今までそんなことはなかったから、叩かれるのが怖くて感覚で答えるんだけど、理屈が分かってないから間違える。泣きながらパニックになりながら答えて間違えてまた叩かれた。
そんな親のもとで生きていて昨日まで許されていたことがある日突然許されなくなることが何度かあった。
でもそれを少し経ってから振り返ってみると、方法はどうあれ、許されなかったことはやはり生きていくことには必要なことで、大人になることは当然に出来ることが増えていくことであり、当たり前が増えていくことだと思った。
そして大人になると。許されないことは自分のことだけでなくなり、家庭を支えること、安定して収入を稼ぐこと、生活水準を落とさないこと、などなと社会性を増してくる。
そう働いてお金を稼げないことは許されないことになる。
妻の方が稼いでるという家庭はあれだが。夫の収入に頼っている家庭は、そんな大人になって課せられる高度な許されないことを夫は頑張ってこなしている。
なのでそんな家庭はもう少し夫を敬って欲しい。なぜなら夫は許してもらえるように必死で戦っているから。大人としての自分という在り方を全力でまっとうしているから。
偉いよ。世の中のお父さん。
ぼざろを見たんよ。
「きらら作品特有のざっくりしたキャラデザとやや類型的なキャラ造形の中から
リアルなライブハウスや演奏の空気とかを出してくる侮れない作品」
で、確かによくできてたんだけど
なんか思ったより青春のリアリティラインが低かったなーて感じた。
その辺はもう作者の実体験をいかにぶちこんでくるかってところだけど
描写されてる駅とかは俺が昔住んでたあたりなんだけど
ライブシーンもタイミングとか滅茶苦茶凝ったカットで演奏が表現されてるんだけど
そこまでやるのになんでボーカルはこんなに安定してるんや?ってとこで乗りきれなかった。
整いすぎ。破綻なさすぎ綺麗すぎ。
ギターに拘る割になんでボーカルでもうちょっと臨場感出さなかったのかな。
声優が必死に歌った一発撮りでよかったし録音環境も悪くしてほしかった。
ぼっちの方に気を取られて歌いだしが遅れたりとか当然あるはずなのにそういうのもない。
俺はあと一歩リアリティラインが高いのが見たいっていう俺の趣味の話。
mahinatan リアリティがあれば売れるというわけではなく ある程度綺麗なパッケージにしないといけないので…アニメでリアリティを求める人あんまりいない説
2023/02/21 リンク yellow59yellow
俺は「俺の事前の期待はああだったけどぼざろはこうだった」つってるだけで
「道義的に俺の期待通りにするべきだったんだ」とか
そういうことは一文字も書いてない。
外部的な基準を持ち出したりそれによって自分の趣味を擁護したりしていない。
だから俺の趣味の話に反論するなら自分の趣味の話をすべきだったと思う。
「これこれこういう目的と基準でぼざろの描写はきちんとまとめられておりそれは私の美意識叶うものだった」
みたいなね。
そこに鋭い好き嫌いを持っていない人はそもそもこんな話に反論することが出来ないわけで、その意味で話の嚙み合ったレスポンスは1割ぐらいしかないと思う。
といううえで
コンテンツにはリアリティは常に存在して、設定されたラインの高低があるだけ。
この人の主張を正しい言葉に直すと「アニメに高いリアリティラインを求める人はあんまりいない」となるんだけど
「あんまりいない」ことはなくて基本的にはディテールのリアリティの要求ラインは一貫して上昇傾向だし、ぼざろも未見の人間への惹句として「リアリティ」「解像度」という言葉を盛んに使ってたよね。
わかりやすいのは逆にこのへんをもっと下げていったらどうなるか考えてみるってことで、その場合はだるいアニメになって今ほどヒット出来ない仕上がりになっちゃうでしょ。
nbr-bnbr-b そもそもリアリティというのも個人差があるし、そこを追及し過ぎることにはメリットが無い派。自分の求めるリアリティが無かったからといってわざわざ主張することでもない。
2023/02/22
主張を正しく直すと「求めるリアリティラインに個人差がある」だよね。
で、「追求し過ぎると」ってどのラインで追及するかという議論でしかない。
そしてどの辺が自分の好みであるか述べることの何が問題あるのかわからない。
sovereignglue スポーツは弱小からのし上がっていく話が成立するけど、音楽はリアル志向で下手なとこからスタートだと観たく(聴きたく)無くなるから難しいね。
2023/02/21
俺は別に「下手糞な段階をじっくり見せろ」って言ったんじゃなくて(俺の趣味でもそれは別に見たくない)
「(歌が上手いのは結構だが)安定しすぎてて臨場感表現足りて無くねーか」つったんだよ。
歌が上手い人でもライブの時は色々あるしスタジオ録音とは違うだろ。
(だから「ドラムも安定し過ぎてるぞ」みたいなブコメのツッコミはその通りだと思う。)
uk_usa_tv ぼっちは、見せ場のはずの文化祭ライブのステージの照明の素人感(喜多ちゃんとぼっちの顔が影になるほどヘタクソ)をあえて出した時点で完敗だったので、歌唱が多少うますぎても気にならなかったです。
2023/02/22
(逆に言うと上の人達は俺の話にかみ合ってない反論で会ったりそもそも話を理解してなかったり「リアリティ」という言葉への注意がガバすぎたりしている。)
fried-tofu リアルで下手な歌を聞きたいかと言われると……上手い方が自分は嬉しい。 アニメ
2023/02/22
「うますぎる」なんて書いてなくて「安定しすぎてる」って書いたのにこれだもん。
反論してくれるのは嬉しいけど相手が何て言ってるか理解して反論してくれよ。
yujimi-daifuku-2222 バスケ始めたばかりの素人が全国大会で活躍する荒唐無稽さからスラムダンクには乗れなかった的な。/美人ばかりが集まる時点でご都合主義なのは分かっていたはず。
2023/02/21
でもギターや作画の細かい不安定芝居臨場感芝居の割にボーカルが安定してんね
(作画見てるとぼっちの心配して目線やってる奴とやってない奴の差まで描いたりしてるからね)
俺の趣味に対し「私の趣味はこうだ!」って激突してきて否定してくれるんならいい
これもブコメの多くで見られたけど
「非現実的な設定をぶち込むこと」と「リアリティライン」は全然別の話であって
そこの区別がついてない人が多いんだよね
「凡人しか出てこないけどリアリティラインの低い世界」も描けるし
「将棋星人が襲来してるけどリアリティラインの高い世界」も描けるでしょ
わざとキモいノリにすることで自分の狂わしいほどの愛情を表現してるんでしょ
オタクは歌舞いた(クレイジーな)言動をするほど通であるかのように認識されるのよ
9割の人はその言動がキモいことを自覚してるしだからこそ同じ趣味以外の人にはそういうノリを晒すことを躊躇するでしょ
キモがってる人は内輪ノリの世界にわざわざ入り込んでキモがってるの
そこではキモくて当たり前なんだけどそんなにあら探しみたいに他人のキモさを探し出すのが好きなんかいって思うね
むしろオタク要素が強くない趣味界隈の方が、ノリじゃなく本気でそのキモ母親ムーブを羽生くんやら藤井くんやらスポーツ選手やらに向けてるヤバい人多いと思うんだが