はてなキーワード: 鍵盤ハーモニカとは
もう時効だと思うので書かせて欲しい。もちろんところどころ設定はいじっている。
私には2つ上の兄がいる。
兄と同い年で幼稚園の頃からの付き合いだ。小学校の頃は子供の人数が少ないのもあって男女入り混じって校庭でよく遊んでいた。ドッヂボールの時その子にだけは絶対に当てないと心に決めていると言っていたのを私ははっきりと覚えている。
中学校は学年5,6クラスある大きな中学校で一年二年と違うクラスだったが三年で同じクラスになれたと母に話しているのを見た。当時の私は中学一年生でませていたので、なんで告白しないんだよ、と思っていた。兄は基本やる気のない人なので努力しなくていい文化部に、その子は仲のいい子達と一緒に運動部に入っていた。兄は時々その子の入っている部活の様子を教室から見ていた、兄の名誉のために言うが部活の片手間で見ていたことは付け足しておく。乙女か。
兄が進んだ高校にはその子も推薦で入学を決めていた。兄がその子を追って決めたのか本当のところはわからないが、妹の私から見ても家からの通いやすさ、公立であるところ、兄の学力、を総合的に見てもそこが妥当だったと思う。思いたい。
高校生兄は放課後にせっせとバイトをしていた。バイト先で知り合った人達と出かけたり、高校の友達とでかけたりして楽しそうに過ごしていた。その子は中学から引き続き同じ部活に入っていることだけはわかったが他には何も情報は得られなかった。
三年の時、進路の話が出た頃にその子の進路を聞いたら県外の大学に行くらしかった。県外の大学と聞くだけで私は尊敬する年頃だったが、一方兄は何も考えておらず、まあ適当に地元の専門行こうかな、とか言っていた。
既にお分かりいただけていると思うが兄とその子が仲良かったのは小学校までで、中学に上がったら話そうと思えば話せるモブに成り下がっていた。思春期の中学生兄は大勢の前でその子に話しかけることもできず、かと言ってメールできる度胸も持ち合わせていなかった。ただ兄のその人に対する恋心はずっと健在で、我が家の中ではいろんなエピソードがあるのだがそれは割愛させていただく。
数年が経ち、兄は専門を卒業してとりあえず就職をした。暫くは家にいたがその内一人暮らしをすると言って家を出て行った。年単位で家に帰って来ないので今も同じところで働いているのかはわからない。その子はどうやら大学を卒業してその土地で就職をして今も同じくそこにいるらしい。
ある日、私は兄のクローゼットで古いゲームを探していた。そしたら昔の服とかが入った箱と一緒に100均とかで売っているような10センチ角ぐらいのピンク色の箱があるのを見つけた。
私は全く何も考えずに開けた、開けて後悔してすぐに閉じた。少し待ってから覚悟を決めてもう一度開けた、まず目に入ったのは鍵盤ハーモニカの黒い口?吹くところだ。そしてキーホルダーやリボンのついた同じ形をした鍵がいくつか、他にも細々と入っていたが怖いので言うのはやめておく。
何も確信はない、けどわかる、これはあの子のものだ。そうやって自分の中で結論付けた時ゾッとして冷や汗が出て体の中が冷えていくのがわかった。
私は慌てて両親の元に駆けつけた。言うべきなのか、言わないべきなのか、今更言ったところで何になるわけでもないけれど、私はこの恐怖を一人で抱えきれなかった。
母と父と私と集まってどうするかの会議をした。私と母は多分あの子のものだろうと父に言った、父は暫く考えた後に黙っているよりせめて母親には鍵のことは伝えた方がいいのではと言った。家の鍵が他人の家にしかも他の誰も知らない状態であったことは良くない、伝えてこちらがお金を負担して鍵を変えるように言うべきだろうと。
後日母がその子の実家を訪ねた、鍵のことだけを伝えて鍵を見せたら確かにその子の物だったそうだ。そしたらその子の母が、小学校の頃に何度も鍵を無くすしランドセルのポケットに入れていても無くすからよく叱っていたと話した。母は申し訳なくて何度も頭を下げた、本来頭を下げるのは母ではないが。
兄に連絡をしたが暫く返事はなく、半年後にふらっと帰って来た。箱を見せて今回の件を話したら兄は何で勝手に部屋に入ってんだよとムッとしたが、こっちはそんなどころではない。父が怒りながら中身の鍵は返して来たことを言うと、あっそ、とそれだけ。今も変なことしてないだろうな、と言うとしてるわけねーだろ、と返してその日の内にまた出て行ってしまった。
その人が結婚したと母に聞かされたのはその数年後だ、私達は兄にはそのことを知らせていない。知らせた時どうなるのかがとても怖かった。夏や年末に帰省したその人に会うと母はホッとすると言っていた、その人の母もその人に鍵のことは伝えていないようだった。
兄は暴力的ではないが、そんな兄の秘密を見た時、家族でありながら何も知りやしないのだとわかってとても怖かった。兄は今も年単位でたまに帰ってくる程度だが、とりあえず県内にはいるそうだ。犯罪さえおかしていなければ何をしていてもいいが兄のことを知るのが怖い。今もその人のことを好きでいるのだろうか。
兄のことにご配慮くださったコメント拝見しました、ありがとうございます。結構ポヤポヤした兄のはっきりした行動に家族全員が驚いておりました。ただあの時点で本当に他に何の被害もないのか、変な話鍵を利用してカメラや盗聴器をつけるなどのことは可能だったわけで、我々では判断がつかずあのような流れになった次第です。我々家族はそのようにしかできず、しかし兄に対してそのように思ってくださる方がいることは今もどこかで生きている兄にとっては優しいことだと思います。
>言い方が大げさだよな
ただ周波数が聞き分けられるだけ、きき酒とかそういうのと同じ
>チューナーの代わりになれる人
俺は音楽そのものの知識がないので楽典から買ってはじめようと思う
すでにどの音符がどの鍵盤に対応してるいるかは独学でなんとかした
問題はどの音がどの鍵盤に対応するかだが、チューナーでも買って
試行錯誤してみようかなとも思う
>2~3ヘルツ
基準音オクターブ4のが440HZ その前後が 約415、466だから、約25HZの違い、
ピアノだとどの鍵盤間がもっとも周波数の違いが小さいのか調べてるけど、
ざっとみてたとえば
なおこれは絶対音感とは関係ないが鍵盤楽器はこれまで弾いたことがない
鍵盤楽器の所持もしていない
小学校のときに自分より下の学年は鍵盤ハーモニカだったが俺はただのハーモニカ
以来鍵盤に触れたこともない、楽器店で鍵盤に触れるのもおそれおおいというか
だが、なぜか指変えとかできる
小学生だった僕たちはオウムがなんなのかよくわからず、「悪いけど珍妙なオモシロ集団」として、言うなればショッカーみたいな扱いで笑っていた。
特に学校の帰りに尊師マーチを歌うのは「なぜか大人に怒られる」という背徳感もあって非常に楽しく、リコーダーはオウムソングの演奏マシンと化していた。
あの頃は楽しくて仕方なかったが、今考えるとサリンやVXみたいな物質を普通に製造して、オウムに反対したら即座にぶっかけにかかるとか、悪夢みたいな時代であった。
皆さんはどんな思い出がありますか?