はてなキーワード: アマとは
状況を整理すると
でるのになぜ?
https://twitter.com/MiHO_marumaru/status/752105700394803200
さてこれがどういう問題かというと
なぜならば、許諾を得られなかったのに強硬するという事は実質
アマチュアの演奏会は問題ありと捉えられて今後許可が出ない可能性
があります。
2.実際、すぎやまこういちのドラクエのオーケストラスコアが使えなく
なりました。これもアマチュアの一部が著作権および管理楽曲について
粗雑な行いをしたからです。
これは日本劇伴交響楽団のアニメシンフォニア問題というのがありまして
進撃の巨人が権利者から許可が出なかったので急きょ差し替えして結構と
いう事件になりました。
さて、この問題を権利側と愛好家側の側面から合わせて記載します
■権利側
愛好家活動とはとはいえゲーム音楽やアニメ音楽の場合権利が複雑です
ざっくり分けると作曲者の権利、出版社の権利、サブ出版社の権利があ
ります。
アレンジ行為(曲を再オケアレンジにする)の許諾は作曲者にある場合が
あります。作曲者がOKしても製作元(例えばスクエニなど)や権利を持って
いるところが許可を得るのか?そして出版社や著作権の隣接権を管理する
正直めちゃめちゃめんどいし作曲者がOKしても権利者がOKしないと
ダメだったりします。映画なども同じですが著作権が生きていて且つ映画
やゲーム音楽は権利を取るまでにかなりの時間を要します。それだけコン
■愛好者側
最近の例で言うと当面の間オーケストラでドラゴンクエストの曲をやる事
が出来なくなりました。吹奏楽は別途出版されたり過去の出版物があるので
出来なくはないのですが・・・
例えば今回のキングダムハーツなんかの場合だと「ウォルトディズニー」の
許諾がどう得られるか?という話になります。海外ではキングダムハーツの
オケアレンジやっているところがあるのでこの辺の権利関係どうなんでしょう
最近になってゲーム音楽がコンテンツとして売れるというようになってきて
逆に規制が厳しくなった印象です。であればちゃんとしたアレンジで楽譜の
販売をしてくれれば良いのにと思うのですが、逆にオーケストラ曲のスコアを
一般に販売となるとディズニーの事ですから収支が合わないくらいの権利金を
しっかりと直面した問題に取り組んで、報告もしくは対応を取るべきだと思い
ます。ディズニー側のNG例や著作権の話はかなり乱暴だと聞きますが、全て
を伏せてヤリ逃げすると一般社会では非常に心象が悪い。
そもそも、ホールの予約などどのみち運営者の名前が出てしまうのでネットで
叩かれることはなくともその気になって民事賠償を起こそうと思えば簡単に
足がつくと思われます。
ファンとしては「営利目的でなく」ファン活動として実行しようとする演奏会
元増田です。
面白い。そうするってぇと、ヴィオラの人が比較的穏和な気がするのはどういう事か、増田がご存知なら、それも教えて欲しい。いや、私の観測範囲が狭いだけかもしれないけど。
その感覚、非常に正しいです。どこに行ってもヴィオラの人は、少なくともヴァイオリン組よりは穏やかでおとなしめの人が多いですね。
ヴィオラ、遠目には、或いはケースに入っていると、まずヴァイオリンと見分けがつかない楽器と言っていいが、その中身は完全に似て非なるものである。
その中でも最大の違いは、「初めて楽器を手にした年齢が決定的に違う」ことだろう。
プロでもアマでも、生まれて初めてヴィオラを弾くのは、早くても小学校高学年以降、即ち、ハッキリと自分の意志で楽器に出会える年齢なのだ。
これこそが、「子供がよくわからないうちに親が与えてしまう」アーリー型のヴァイオリンと大きく異なる点だ。
そこに、ヴィオラはアンサンブルにおいて内声部、例えるなら常に出汁の役割を担うという、これまたヴァイオリンとは全く違う特性が合わさった結果、「比較的穏和」な性格が形成される、或いは「比較的穏和」な性格の人がヴィオラを選ぶのだと思われる。
なお、「生まれて初めてヴィオラを弾くのは、早くても小学校高学年以降」という謎めいた事情は理解し難いと思われるので、以下に説明。
まず、最初からヴィオラのプロを目指してレッスンを開始するという人は殆どいない。
ヴァイオリンのプロを目指していた人が、音大の在学中辺りで「転向」するパターンが大多数なのだ。
その理由は様々だが、ヴィオラ弾きの名誉のために言っておくと、「ヴァイオリンで食えそうにない」などという撤退戦の一環としての転向は皆無である。
そうではなく、
「元々チェロを習いたかったけど近所に先生がおらず渋々ヴァイオリンを習い始め、やがてそんなことすっかり忘れてプロ目指してる途中でたまたまヴィオラを触ってみたらしっくり来た」
「プロ目指してヴァイオリンを習い始めたはいいが、ヴァイオリンの命である輝かしい高音にどうしても馴染めず、そんな中たまたま(ry」
そもそも「似て非なるもの」と書いた通り、ヴァイオリン弾きというだけでまともにヴィオラを弾けるような話ではないし、それにヴァイオリンで食えないなら、それでも教室で生徒が取れるヴァイオリンに留まっていたほうが得策なわけで。
また上述の転向は、大学オケに入ったタイミングでヴィオラを始めるアマのアーリー組ヴァイオリン弾きにも当てはまったりする。その中には元増田で書いたモーツァルトまで行かなかったけど、それでもなんとなくヴァイオリンを続けてきた、というか辞めなかったみたいな人もいたり。
次に、最初からヴィオラのプロを目指して、もしくはヴィオラやりたい!と言い出した子供が将来の趣味として(要するにアマチュアとして)レッスンを開始するという、いわゆる激レア物件ではどうかというと、それでも最初からヴィオラを弾く事は絶対にない。
なぜなら、ヴィオラは子供用サイズが存在しないので、大人用フルサイズのヴィオラが弾ける体格になるまで、ヴァイオリンで基礎を学ばざるを得ないからなのだ!
というわけで、いわゆるレイトは勿論、アーリーに分類されうる人達であっても、生まれて初めてヴィオラで音を出すのは、フルサイズの楽器を演奏できる体格になる目安である、小学校高学年以降と。
ちなみにヴィオラに子供用サイズがないのは、フルサイズの楽器からしてヴァイオリンやチェロのような、音響的に合理的なサイズではないため(合理的なサイズで作ったら大きすぎて演奏出来なくなる)、そこに来て子供向けに単純にサイズを小さくすると、大人用と音が変わってしまうという理由らしい。
いわゆる2ちゃんねるネタであり「あそこに書かれていることなんて気にしなくていいと思うぞ」で終わってしまう話を、あえて書いてみる。
就学前の幼少時から始められる楽器の代表例は、なんといってもピアノとヴァイオリンだろう。
そんなだから、当然2ちゃんねるにもヴァイオリンのスレはあるのだが、ピアノと違ってこのスレはほぼ十年来、ギスギスした空気で現在に至っているのだ。
理由は、幼少時から始めた人=アーリー組と、高校・大学・社会人くらいから始めた人=レイト組の対立にある。
結果、本スレから分家した、レイト向けスレの1に貼られるテンプレからして、その上から目線ぶりが尋常ではない。
以下の論争はすでに終結しています。
●耳の腐ったレイトに良し悪しは解らんだろう。
●ヴァイオリンはピタゴラス音律で弾く。レイトは基本的にヴィブラートを掛けてはならない。
●幼少期から習っている人に大人から始めて追いつけるワケがない。言語と同じ。
●チューナーは、調弦では仕方がない、運弓で使える、音階練習には使えない。
(中略)
汚い音、狂った音程に対する嫌悪感が、上達のインセンティブで、
これはもう、明らかに「にわかを見下す熟練者」「アーリー組自身が囚われている生存者バイアス」が合わさった結果であり、こういう対立がないピアノ組が正直羨ましい。
自分も一応はアーリー組の末席という立ち位置だが、どう見てもアーリー組のスタンスの問題だと思うのだ。
以下、そんなアーリーの特徴を、ヴァイオリンの特性も絡めて書いてみる。
主にピアノと比較したヴァイオリンの特性をシニカルに書くと、こんな感じである。
ヴァイオリンをとても良く弾ける人間がひとたび音を出せば、それはもう堂々の主役として、当たり前のようにステージを支配する点において「楽器の女王」であることは間違いない。
しかし楽器のポテンシャルや柔軟性から言えば、「楽器の王様」はピアノだろう。
そんなヴァイオリンは、親の時間的金銭的負担が大きい時点で幼少時からの学習者がピアノほど多くないところに、演奏技法習得の難しさ(≒誰もが知っている名曲を弾けるまでに至るための要求水準の高さ)から、恐らく多くの脱落者を生んでいることが容易に想像できるシロモノである。
それこそ面倒どころか、個人的には世界一難しい楽器としてギネス認定すべきだと思うくらいで、ヴァイオリン弾きの生存者バイアスが強いと思う理由である。
全5曲のうち、重要なのは3番以降の3曲で、これはプロオケの入団試験にも頻出する曲であり、つまりヴァイオリンでクラシックをやるなら、3曲のうちのいずれかをプロ・アマ問わず習得していることが望ましい曲である。
というかメンデルスゾーンの協奏曲やバッハのシャコンヌやチゴイネルワイゼンみたいな名曲を弾こうと思ったら、モーツァルトをまともに弾けるのは大前提だし。
そんなこともあり、実際プロ目指す人は小学生でモーツァルトをやってしまう。
しかしアマチュアになると、幼少時から習っていてもここまで来る人は1割程度だと言われている。
そして、そんなごく一部の人=アーリー組が、大人になってもヴァイオリンを続けていると、こういうわけだ。
しかし、アーリーにそんな自覚は多分ないはずで、それどころか超頑張って俺はここまで来た的な自負があり、これがレイトとの軋轢の根本原因だろう。
つまり、幼少時から始めた人が超上手くなって続けるか、そうならずにヴァイオリンを習っていたことそのものを無かったことにするかという両極端な事情をどうにかしないと、今後もこの憂慮すべき事態は続くと思われる。
はてなブックマーク - ブスはなぜ結婚できるの? - 散るろぐ
b:id:maskednishioka 美人の子のほうがゴールが凄く狭い。ってのは違いますかね?
b:id:kopelani チルドはんのブスだなぁが私の可愛いなぁの可能性
b:id:gaou2 一方、ブ男はキッツイ気がする
b:id:keisolutions 努力しているから…が答えでは?
b:id:cardmics タイトルだけを見て、条件反射で燃やすのやめようよ(燃える前に書いてみるテスト
b:id:Daisuke-Tsuchiya チルド氏らしい全ての女性を敬愛する素晴らしい記事(震え)
b:id:lacucaracha 燃焼系!燃焼系!チルド式!こんなクソコメしなくとも、これ一本!燃焼系!ホホホ、チルド式!
b:id:lacucaracha これだけの短い文章で高い可燃性。憧れちゃうな。 (注:3階)
b:id:outdoor-kanazawa お、腑抜けになってたわけじゃなかったのか!信じてましたよ!
b:id:newpal-matsu ど真ん中剛速球ストレートですね
b:id:mak_in 上手い下手というよりも目的や戦略が違う、という点でプロアマで例えるのは、あながち外れてない気がする
b:id:suzukidesu23 「PVやるな」ってタグをつけている時点でダチョウ倶楽部状態。
b:id:masaki709 世の中にブスがいるなんて都市伝説なんだよ。女性をブスだって言っちゃう人の心がブサイクなの。
b:id:MoneyReport このタイトルのつけ方は・・・、やっぱり散るろぐさんだ(^_^;)
b:id:MoneyReport 2階がこんなに混んでいるのも珍しい(^_^;) (注:2階)
b:id:shiromatakumi 1F vs 2F (注:3階)
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分かった、分かったよb:id:zaikabou
今となっては昔のことだから、もし関係者が見てても見逃して欲しい。歌舞伎町の小さなハコでディーラーをしていた時、店ぐるみのイカサマをしていた。
そこはバカラ1台しかない小さな店で、サクラが3人常勤していた。いつも同じサクラじゃ怪しまれるので、交代で外出していた。サクラじゃない常連もそれなりにいたので、そんなに怪しまれない程度にメンツを変えることができた。普段はバカラ台に座ってだべっていて、客が来た途端さもゲーム中だったかのように演技をする。イカサマはいつもしてるわけではない。イカサマしなくても大抵の客は負けて帰るし、たまには勝ってもらわないと客が長続きしないからだ。といっても大勝されたり常連じゃない客に勝たれたりすると商売上がったりなので、イカサマが入ることになる。
やり方はいくつかあったけど、代表的なのは予め組んだカードがあって、客がトイレに行ってる間にすり替える。組み方は例えば最後が赤いカード(♥か♦)で終われば次はプレーヤーの価値で、黒いカード(♠か♣)で終わればバンカーの勝ちとか。色を逆にしたり偶数奇数にしたりバリエーションはいくらでも出来る。本物の客にカットされた場合は仕込みがずれた状態で始まるけど、数ゲームで収束して仕込み通りになる。バカラはプレーヤーとバンカーのバランスが取れてないと店は受けない、という建前なのでサクラが勝つ方に賭ければ客は負ける方しか賭けれなくなる。さらに、各ゲームの1枚目と二枚目を入れ替えると勝敗が逆になるように仕込んでおいて、客の賭けた目が逆の場合はシューターからカードを出すときにさらっと2枚目から出して勝敗を変える事も出来る。
カードを客の前でシャッフルする場合でも油断できない。新品のカードであれば1枚ずつ交互にシャッフルする事ができるので、事前に練習しておけば次のカードがわかる。簡略化のために10枚で1デッキだとする。
♠1♠2♠3♠4♠5♥1♥2♥3♥4♥5
これを2つに割って1枚ずつシャッフル
♠1♥1♠2♥2♠3♥3♠4♥4♠5♥5
もう一回2つに割って1枚ずつシャッフル
♠1♥3♥1♠4♠2♥4♥2♠5♠3♥5
これを覚えておいて、後は何度も同じようにシャッフル出来るように練習すれば良い。言うのは簡単だけど実際うまくやるのは難しくて適性がいる。こういうことをやるのは一部のディーラーに限られていた。口が軽いやつもいるので、信用できるようになるまではこういう話はしない。よその店では特殊塗料をカードに塗って赤外線監視カメラで見て黒服がサイン出すとかも聞いたことがある。検索すると確かにそういう情報もあるけど見たことは無い。
シャッフルではなく、カードを伏せたまま台にばらまいて混ぜる方法を通称「やきそば」と言うんだけど(ローカル呼称かもしれない)、これでもある程度コントロールすることができた。これ今まで誰にも言ってなかったんだけど、池袋で大バカラを撒いてた時、赤4青4の計8デッキを使って前述の方法で1-3,10,J,Q,K(バカラでは絵札は0)のローカード、4-9のハイカードに分けておいて赤ローと青ハイ、赤ハイと青ローで分けて焼きそばしていた。カードを伏せたまま出した状態にして「ベットどうぞー」と呼びかける。これが赤ロー青ハイの部分で
プレーヤー赤赤
バンカー青青
となっていればプレーヤーは00や01などの低い点数である確率が高く、シューターの表面に見えてる次のカードが赤ならほぼバンカーの勝ちだ。もちろん確実じゃないので外れることも多々あるんだけど、勝率7割でもまる一日多少ハウスが有利になるようにカットしてればそれなりに勝てた。勝ち分の1%をボーナスとして支給するっていうから頑張ってたんだけど、割合としてはすごく少ないし、この制度始まって二ヶ月目にはガサ入れにあって美味しい思いはしていない。これやると片側に絵札絵札絵札の0点が出まくるので客にはよく怪しまれたよ。つーかボーナス1%って少なすぎでしょ!月間2千万勝ったのに20万円て。
歌舞伎町の店は看板出して客が来るのを待つ店だったからまだ良心的だけど、マンションバカラとか呼ばれてた本当にアングラなバカラハウスもあった。あらかじめVIPなターゲットがいて、その客以外は全員サクラというやつ。これは短期決戦なのでえげつなくて一人の客から一晩で数百万、ディーラーの取り分は50%で一晩で200万もらったっていうやつがいた。俺もそんな仕事がしたかった。他に黒服が何人もいるのにディーラーが50%ってことはなんかあったら責任とらされるって事かな。きっとそうだろうな。ちなみに闇社会では仕事の内容に関わらず利益折半が基本らしい。まあ難易度とか貢献度とかの違いで取り分で揉めても表に出れないし、常に折半としておけば一番平和かもしれない。
カジノから離れて10年以上たってから、mixiにカジノのコミュニティがあって、そこで知り合ったA宮に一緒にカジノに行こうと誘われたことがあった。場所は新宿風林会館の近く。イカサマにハメる気かなあと思って疑ってたんだけど、誘ってきた彼は人懐っこくていい人っぽかったので一緒に行ってしまった。最近は警察がうるさいから看板は出してないって言ってて、店の前で携帯で電話して、防火扉開けてもらって店に入った。もうこの瞬間に「仕込みだ」って思った。防火扉開ける前はどうせだべってエロ話してたんだろ。俺もディーラーやってたからカジノの雰囲気はわかる。客だって話好きのやつもいれば無口な奴もいる。ところがこの店は皆一様にものわかりのいいサラリーマン風だ。騒いで大事にするのも嫌だし10万円両替して溶けた後はおとなしく見てた。A宮はもうちょっと粘ったけど、俺がやる気ないのを見ると一緒に店を出ることになった。この時はまだA宮も騙されてるんじゃないかなとちょっと思ってた。彼はそれくらい演技が自然だった。しかし今は確信している。A宮、いや、アマミヤ!お前もグルだろ(どうせ仮名だろうけど
この文章を書くにあたっていろいろ昔の事を思い出したりしたけれど、次回で最終回にします。というわけで、今回はここまで
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オレは「民間簡易宿泊施設」には反対派で、「お家に泊まろう」は賛成派。
Airbnbは、ざっと言って「シェア」と「脱法ホテル」の2つがあって、
フランスは「シェア」が主流なので、宿泊関係者の歯切れが悪い。
カウチってのはまあ、寝られるようなソファーのことだと思ってくれ。
時代は下って、家賃高くなってきた。なんかイベントあるとホテルはすぐ一杯だ。
で、Airbedandbreakfast.com(エアマットと朝食)という名前で、サービスを作った。
まんま、簡易マットで寝て朝飯付くぜというサービスな。
余ってるものを貸し出して有効活用しようってのがシェアリングエコノミーで、
余った部屋にベッド入れたり、リビングに人泊めて、ちょっと稼ごうよ、と言うヤツ。
簡単に民宿出来るよってサービスだな。安いし当然借りたい人は居る。
主にフランスで主張されてたり、欧州で主張されてるのがこっちね。
まあ、日本には「田舎に泊まろう!」って偉大な番組があるから、アレ観てくれ。
お話したり、現地の朝飯堪能したり、場合によってはちょっと近所の案内もしてくれる。
新婚さんを暇なばあさんが泊めて、お互いハッピーみたいな。
長期休暇がアタリマエの欧米さんたちには「部屋を長期間空ける」という羨ましい悩みがあってだな。
映画やドラマでもたまに見るかもしれないが、裕福な連中ほど長期休暇でどっか行きたがる。
マコーレー・カルキンくんのホーム・アローンを観たことあるヤツもいるだろ?
というわけで、この空いてる家を誰かに貸すって供給がある。
で、需要もあった。
……つまり、ホストとの心あたたまる交流じゃなくて、安ホテル目的も多いのでは?
というわけで、物件買ってメイド雇って、宿泊所ビジネスになるわけだね。
「もやしもん」のフランス編みりゃ判ると思うが、サービスもまあヒデぇ。
(フランスって、ホテルの受付でも普通にパレブフランセ?とか聞いてくるし)
ただまあ、接客業としてのサービスはなんかちょっとアレなんだが、良い人は多い。
漫画好きも多いし、わたし町田住んでた!町田知ってる?みたいな話になると、とたんに愛想が良くなる。
矛盾はしてない。接客に難があるだけで、趣味人も良い人も多い。
airbnbみたいな「ホスト側が100%泊める人を選り好みできる」サービスと、相性が良い。
自分んちに人を泊める側も、泊まりに行く側も、シェアリングエコノミーは歓迎されている。
もちろん、ビジネス目的の簡易宿泊所も増えているので問題にはなってるけど、比率としては小さい。
なので、フランスでは定年過ぎた老夫婦の部屋貸しとか、都会のオシャレさんの部屋貸しとかで、ホテルが圧迫されてる。
匿名を潰せと言ってるのは、この「老夫婦が年に4ヶ月までって言う制限無視して際限なく受け入れてる」ことを指してる。
近所の暇な老夫婦連中が、ガンガン手厚くオモテナシしてホテルの客層奪ってる。困るわ-、という状況。
違法ホテル問題に直面してる日本では、ちょっとピンと来ないよね。
不幸なことに、日本のAirbnbは、ビジネス側から入ってきている。
築古マンション500万で買って、二段ベッド4つ入れて、マッチングはAirbnb。
1人1500円で貸し出せば6000円/日で、8割稼働で14万/月ですよ!3年で元取れますよ!
まあ、小金持ちがカモられてる段階だが、そこはそれ。
これ、さっきも言ったけど、違法ホテルで、安全性とかガン無視よね。
ホテルニュージャパン火災も遠くなったからなあ。
なし崩しで解禁される可能性もあるよね。
というわけで、最初から「違法ホテル」と「Airbnb」とがイコールで繋がってる日本では、
フランスの宿泊業界団体がシェアリングエコノミーに対して感じてる絶望感とか、ピンと来てないと思う。
お家に泊まろう式のシェアリングエコノミーは、ワリと牧歌的でのんびりした感じ。
ただ、フランスでは1年に4ヶ月までにせよ、と決まってる。けど無視する人も居て、
匿名を潰せっていうのは、この4ヶ月制限キッチリしないと超繁盛されるよって話。
脱法ホテルは、単に運が良いだけで、いずれ災難に見舞われるだろう。ツボを買え。
オレ、とある映像権利会社で素人(ハイアマ&セミプロ)が撮影した自然とか風景の動画を買い取る仕事してる(この時点で業界人ならバレるw)んだけど
普段は北海道の大自然とか沖縄の星空、モデル撮影とかの映像(ロイフリ素材として売る)を買い取るがメインなんだけど、
てか、普通はメールで売り込みが来るから、電話で来た時点で「お、怪しげな動画かな」と身構えるくらい。
で、よくあるのがカラオケとか漫喫でのセックス事案(らしき)動画。
無駄なリスク取りたくないから実際に動画を目にすることないけど、
相手の売り文句が「カラオケ店で制服少女が云々」「漫喫で若い女子大生風の云々」ということだから、
たぶん未成年を含む若者のセックス動画なんだろうと予想している。
(ちなみに、うちの会社では合法非合法に関わらず、ポルノ動画は一切受け付けていない)
実際、一昔前に監視カメラで撮影されたとおぼしきエロ動画がネットに転がっていることもめずらしくないし、
最近のカラオケ店やラブホは危険ドラックとかの取引場所にされないために頭上以外にも監視カメラを置くこともあるらしいから、
監視カメラの高性能化もあいまって、なかなかクヲリティの高い盗撮動画になっていることだろう。
女の方は知らぬ間にどこに被害届を出したら良いか分からんリベンジポルノ風の何かの被害にあってるんだから
監視社会というのは怖いもんだと思う。
一昔前なら野外でやろうが、どこでやろうが、その行為が大衆の目にさらされることなんてまずなかったのにな。
どのみち、中高生同士のセックス動画はどう考えても児ポ法に触れるから、
私は共産趣味者だ。歳は20代。共産主義のシンパではあるし、社会主義者ではあるかも知れないが、共産主義者ではないと自己規定している。
共産趣味にもいろいろある。私はソ連の音楽が好きだが、映画やポスターやスローガンに惹かれる人もいるし、ミリタリー方面が中心の人もいる。地域についても、東ドイツはじめ東欧諸国やユーゴスラビア、東南アジア、南米などの東側諸国だけではなく、日本や西欧などの西側諸国で見られた共産主義の関わる文化活動に惹かれる人など様々だ。
ソ連の音楽や社会主義者の音楽の何が私を惹きつけるのだろうか、と思ったので書いてみる。多少ガチの共産主義者っぽい部分もあるかも知れないし、不勉強なので思想の細かいところは間違っているかも。
世界の半分で、少なくともその当初は熱狂的に支持された思想であり、いくつかの分野では一時とはいえ西側を圧倒する成果を生み出しもした。つまり強かった。
ブルジョアの打倒、プロレタリアートによる平等と平和の建設!惹かれないわけがない。
対する資本主義陣営も自由と民主主義を掲げて戦ったし、これも強力な思想だが、その登場はあくまで共産主義に対するカウンターでしかなかった。資本主義陣営の根幹にある思想はあくまで資本主義の維持だったからだ。戦う相手は社会主義陣営というよりは資本主義陣営の労働者階級だった。社会主義陣営が実際に自由と民主主義を侵していたからこそ、この主張には効果があった。
プロパガンダ的な作品には共産主義社会への魅力が詰め込まれているのだ。私はプロパガンダに乗せられていると言っても良い。乗せられやすい性格なのだ。
ソ連中央テレビジョンのソ連国歌と一緒に流れるビデオ (https://www.youtube.com/watch?v=rHomETco0MI) なんかは最高で、労働者たる人民が労働の喜びに溢れている様子が流れ、十月革命の労働者の怒り、ブルジョワジーの打倒の精神が示され、人民の力で支える連邦の強大さが示され、レーニンの党と人民の力が我々を共産主義へと導く!という具合でひょいひょいと感情を揺すられてしまう。
お馴染みのインターナショナル (Интернационал, The Internationale, https://www.youtube.com/watch?v=t8EMx7Y16Vo)、国際学連の歌 (日本語、https://www.youtube.com/watch?v=SCdlGH6RhBw) なんかは私の中ではこういう類の歌だ。
こういうこと言うとクラシック畑の人には笑われそうだが、ショスタコーヴィチの5番や11番も大好きだ。
音楽ではないし、およそ普通の意味ではプロパガンダでもないが、ソウル五輪の体操女子団体のメダル授与式 (https://www.youtube.com/watch?v=l7lAZ89Pu_c) がもう最高である。彼女らがステート・アマで国家に大変な恩義があるというのは確かであるにしても、私の目に映る、エレーナ・シュシュノヴァ選手が赤旗を見上げながら国歌の「我らを共産主義への勝利へと導く」という歌詞を口ずさんでいる姿は、紛れもなく共産主義への希望と勝利への確信に溢れたソビエト連邦人民の姿なわけですよ。こんなに晴れ晴れとしたことはないじゃないですか。
正直私はかなり危ないと思う。実際に共産主義に走った連中もこんな奴らだったのかも知れない。この先本当に扇情的なプロパガンダが私に向けられたときに私は正気で居られるだろうか。
もっともプロパガンダが全てではない。90年代のロシアのポップスには体制の変革と自由を喜ぶような歌も多く、味わい深い。こちらは「作り物」ではなく本物だと思う。Комбинация の American Boy (https://www.youtube.com/watch?v=W7hAo28NCXc) とか Наташа Королева の Жёлтые тюльпаны (黄色いチューリップ、https://www.youtube.com/watch?v=E57T8XYa7OM) とか。
理想的にはこれを一番の理由に挙げるべきだと思う。ロシアの旋律は情緒があっていい。アコーディオンやバラライカの音色、ロシア語自体の響きによく合う。
ウクライナの Розпрягайте коней, хлопці (若者よ馬の軛を外せ、https://www.youtube.com/watch?v=MCuqR4Jz9DU) なんかは民族的でよい。
ただしそれでも一切忌避しないと言うわけにはいかない。まさに現代、冷戦の構造がそのままここにあって、新左翼の連中が日本で革命を起こそうとしていたら(しているが)、私は反対する。マルクスの主張するように暴力革命によって社会を変革するべきだとは、革命権を行使すべき状況にならない限りは思わない。共産主義建設の名のもとに数千万の命が失われたことは紛れもない事実だし、少なくとも過去のソ連型社会主義国家の遺産を消費して楽しむ上でここを批判せずにいることは危険すぎる。
東側陣営はなぜ冷戦に敗北したか?計画経済は市場経済に比べ資源配分の効率が悪かったので人民の生活を維持しつつ経済の発展を続けることができなかったからだ。
西側陣営の掲げた自由と民主主義は本当に勝利したのか?東側陣営との対決のために自らもまた市民の自由を制限し、アメリカはドミノ理論を振りかざして世界中に開発独裁の政権を打ち立て、現地の市民を抑圧した。21世紀の紛争の種を撒いたのは紛れもない事実だ。結局のところ西側陣営が実際に対抗勢力に対して振るった武器は自由と民主主義ではなく資本主義だった。
共産主義にしても、本来は人民を抑圧し民主主義を否定する思想ではない。
これをもって社会主義は喧嘩に負けて勝負に勝ったのだなどと言うつもりはないが、思想的に決着が付いたとは言えないと思う。競争相手がいなくなったから勝敗という言葉が使えなくなっただけで、今我々のいる陣営もまた行き詰まってしまったというのは確かなことではないか?
両親とも頭がいい。
母はアメリカの優秀な大学出てる、経営者。ただしヒス持ち。年収3k万くらい。
父医者で医者の中でも頭がよく金も医者の中で勝ち組、ただしアスペ。年収5k万くらい
俺、1980年代中ごろ生まれチビデブハゲADHD医者IQ高い。
<幼少期 30点>
休み時間は誰とも遊べないで校内フラフラ歩いて、毎日誰かしらとけんかになる。
<中高 90点>
他人に嫌われるのわかっていたためいろいろ癖とか考え方や話し方を治す。
すると、マアマア人気者になれて、中学でもマアマア人気者だが、今でいうスクールカースト底辺とばっかりつるんでいた。
このころはまだかわいらしい顔をしていたため、女子バスケット部なんかの間では俺のブロマイド写真が取引されていた。女子ロッカーの掲示板にイケメンに並んで俺の決め顔写真なんかが張られていたらしい。
クラスのかわいい女の子からモコミチに似てるなんて言われたけど、今じゃ思い出もいいところ。よく考えたら女の子にアプローチされてたかもしれないけど、勘違いかもしれないが気づかずスルーしてしまった。中学卒業後に、あまり絡んでいない女からメールとかあったりしたけど、何も考えずスルーしてた。
このころ底辺男子からビジュアル系やホラー小説なんかを教えてもらうが、はまり方微妙。後にその底辺男子はビジュアル系のバンドマンになる。
中二のころに中二病になり、いつか死ぬという恐怖からハゲだす。
<大学 50点>
医者になることに失意を感じる。俺がやりたいのは死を克服する研究じゃないか?と思うけど、彼女いたことないとか、オナニーしたことないことへ劣等感が沸いてきた。
暗記が苦手なため大学の勉強になんとかかんとかついていくレベル。
享楽的にスポーツやゲームに取り組んで、スポーツもゲームも結構自慢できるレベルな成績を残す特に、ゲームは食っていけるレベルになる。
しかし、デブ、ハゲが進行。もともと奇形もありチビ。フツメンということを聞くが、たぶんブサメンなんだろうと思う。
人付き合いも段々周りのレベルが上がり、ついていけなくなる。もちろん、会話とかするのは問題ないけど、人と人がつながってコミュニティを作ってるのが厳しい。自分で自己完結した世界じゃないと苦しいのを自覚する。ファッションなんかもまったく美的センスがなくわからず、とりあえず美容院、とりあえずユニクロでジャストサイズレベル。
エロゲーやアニメ、ゲームプログラミングにもハマり、大学のフリーな生活を孤独につぶし続ける。
合コンに1回も誘われなかったことを考えると、やっぱ他人との付き合いは下手だったのかな。
<医者 30点~70点>
医者としては、並みレベルの医者やってる。フツーのことはフツーにできる。
体力もあるほうなので、特に仕事がキツイってのはあんまりない。
しかし、当初の目標の死を克服するなんてのはどこ行ったのか。人生選択がどうだったのか気になる。
酒や風俗を覚えてだらしなく生きている。結局俺は、机の上のお勉強しか興味なかったのかもしれない。
そろそろ、人生やり直しがきかない(すでにかもしれないが)時期に来ている。
「*ホニャララコンディショナーとの比較」って注釈ついてるの。
で、そのホニャララコンディショナーは別シリーズだったりするのね。
「保湿成分を2倍処方!*」とかいう煽り文句があって、比較対象はまた別の商品。
いったい何を1としてどれが一番効果があるんだよ!!と思いながらセールになってたデイリートリートメントを買ったんだけど
いつかちゃんとまとめたいところ。まとめられるだけの情報が出ているかどうかは知らないが。
あとはヘアマスクと1回使いきりトリートメントの住み分けも気になる。
あれ、どっちが効果高いんだろう。
はなんですか?って聞いたことがあるのよ
囲碁も将棋も割とできる知り合いに(その人は将棋のアマ4段だった。囲碁は知らない)
そしたらさ、将棋ってのはデジタルで、囲碁はアナログな感じあるよねっていうのよ
対局後に検討とかいうのをするらしいんだけど、将棋はあの場面が決定打だな!みたいなのが、うまい人はわかるらしいんだけど囲碁はわからないんだとさ。
なんとなくあのあたりじゃないか?みたいな推測で行くしかないみたい
将棋は明るい中を研究してる感じだけど、囲碁は暗闇をさまよってるってる感じだと
100年前の対戦の流れみたいなのが書かれてる棋譜っていうがあるらしいんだけど、できる人が見れば
100年前の将棋はまったく話にならないくらいに弱いらしいけど、。囲碁はまぁまぁ強いものは見られるらしいね。
それくらい将棋ってのはプロが検討をかさねて将棋を進化させてきたってことらしいんだけど、囲碁はそのへんがかなり難しいみたい
もちろん進化してないわけじゃないけどと
だから、囲碁ってコンピュータに強いといわれてたらしいんだよね
その人も、囲碁でコンピュータが勝つのは難しいよ、人間がわかってないんだからw
わかってないのにどうやってプログラムするのさw
って答えてたけど
わかってるかどうか関係ないレベルの計算方法と性能を持ってすれば
本来人間が囲碁に対して持っていた弱みが露呈するんじゃないかと思ってたんだよね
今のところ隅から置くのがいいんだってね。なんでって中央においても人間はそれの価値が計算できないんだと。膨大すぎて
だから人間が負けるならここだなってなんとなく思ってたんだよね
膨大だから考えないでおこうってされてた中央からの攻めで負けると
そんで今回それが見れたわけだよね
ディープラーニングとかいう、プログラムした人どういう結果が出るかわからないレベルの考え方らしいけど
将棋のコンピュータとの対戦ってのはある程度の動きがわかるものが、物量で押し通す力負けの感じだったというけど
それって知り合いが言ったことと矛盾しないなって思ったよね。
googleは囲碁の暗闇から道を見つけてきたと。人間の知らない道を
だからこそ本物感あるよね
そういえば将棋ソフトで有名なbonanza作った人も将棋あんまわかってなかったよね
話変わるけど、囲碁においてはわりと女性棋士が善戦するのもこのあたりに関係がありそうだなって思う
適当なこと言ってごめんね
追記
それ含めても
を見ながら思うのは、一度コンピュータに負けた後も、盛り返してプロも勝ったりする対局があるってすごいよね
将棋のゲーム性が人間にもあってるって事なんだろうし、将棋の検討がいかに重要で意味があるかって事がわかって面白い
検討してコンピュータの手を研究して取り組んで、勝てるってのが見れるわけだよね
逆に言えば、囲碁って検討が難しいとされてるならこれからどうするんだろうね
囲碁も貸し出したら結果が変わるとかあるのかね
何なんだよアマ○ン。
初心者でもお手軽に始められるんじゃねーのかよ。
昨日また見事に審査落ちたわ。
どうすんだよ弊社アフィリエイトで稼げねーじゃねーか。
真面目にサービス作って運営して人を集めて商品を紹介して売上を伸ばしてやるって言ってるのにアマ○ンは何が不満なんだ?
何がお申込みを承認することができませんでしただよクソ。
お問い合わせたはいいけど理由も教えられずにご興味をお持ちいただきありがとうございましたwって言ってて納得するやつなんかいねーよ。
どうすんだよ社運をかけて作ったサービスなのに俺会社やめなくちゃならねーだろ。
ふざけんなアマ○ン。
アフィサイト増やせないならもっとヤバいサイトのアカウント停止にしろよ。
売上は欲しいし申請受付はするけど審査通しません理由は教えませんってそんな意味のわからない話あるかよボケ。
アフィを貼ればそこから購入するってやつがゴマンといるかどうかはわからんが取り敢えず審査通すか通らない理由を全て開示しろよ。
フェミニストからキモオタは死ねと言われ、私はもちろんキモオタであるから激昂してクソフェミは死ねと言い返しかけて、そこでふと気がついて困惑した。
フェミニズムとは何だろうか。
私はフェミニズムを名前ぐらいしか知らない。しかし知らないものを知らないままにしておくことは、少なくとも私にとってキモオタらしからぬ行為である。私は自分に自信をもってキモオタでありたい。クソフェミに死ねと罵られるキモオタであることに誇りを持ちたい。ならばフェミニズムについて知らなければならない。
しかしフェミニズムについて知りたかったら何を読めばいいのか。これが意外と分からない。ロールズやセンを読めというのを見つけたので読んでみたが、やはりフェミニズムが分かった気になれない。
そこで手当たり次第に適当にフェミニズムの書籍を読んでまとめみることにした結果が本稿である。決して十全ではないが、私同様、フェミニズムをよく知らないオタク諸姉諸兄にとって、フェミニズムの理解の取っ掛かりになれば幸いである。
フェミニズムは大きく三種類ある。ラディカル・フェミニズム(以下ラディフェミ)、リベラル・フェミニズム(以下リベフェミ)、そしてマルクス主義フェミニズム(以下マルフェミ)であり、それぞれ理論の組み立ては全く異なる。以下順に見ていこう。
現在のラディフェミの理論的支柱はキャサリン・マッキノンと言っていいだろう。「性の不平等の源はミソジニー(女嫌い)」であり、「ミソジニーの源は性的サディズムにある」(C.マッキノン,"フェミニズムと表現の自由",1987,*1)。そして社会に溢れるポルノグラフィ(以下ポルノ)こそが「性差別主義者の社会秩序の精髄であり、その本質をなす社会的行為」(*1)に他ならないと喝破する。この諸悪の根源はポルノであるという揺るぎない確信から、ポルノの法規制を推進する。
ポルノが性犯罪を誘発するという統計的な証拠はあるのか。この批判に、しかしマッキノンは自覚的である。誘発するという調査もあり、無いという調査もあると率直に認める。従って彼女が起草した反ポルノ法は「被害をもたらすことが証明されうる物だけが告発できる」(C.マッキノン&A.ドウォーキン,"ポルノグラフィと性差別",1997,*2)。「証明されるべき被害は、強制行為、暴行脅迫、名誉毀損、性にもとづいて従属させる物の取引といった被害でなければなら」(*2)ず、不快に感じた、宗教上の信念を侵しているといった被害は認められない。被害者ではない第三者が告発することも認められない。
ポルノには、ホモもレズも二次元も、古典文学から芸術作品まで被害をもたらすことが証明される限り全て含まれる。自分が叩きやすいゲームやマンガだけを槍玉にあげて、自分が叩かれやすい文学や芸術から目を背けるチキンではない。殴るからには全て殴る。それがマッキノンである。
なお、田嶋陽子はラディフェミを名乗りドウォーキンへの共感を示しているが、ポルノを諸悪の根源とはせず、現実的政策としてはリベフェミに近い内容を述べているため注意されたい("愛という名の支配",1992)。
J.ロールズの「公正としての正義」やA.センの「不平等の再検討」をその理論的土台とし、リベフェミは次の点を問題視する。「ジェンダーシステムは、その根を家族における性別役割にもち、事実上わたしたちの生活の隅々まで枝葉をはびこらせた、社会の基礎的構造のひとつ」(S.オーキン,"正義・ジェンダー・家族",1989,*3)であり、「女性と男性の重要な差異が、家族内で現在おこなわれている性別分業によって作られる」(*3)。
夫婦がともに働いている姿を子供に見せることが教育上望ましいと考え、そして共働きにおいて妻にだけ家事育児が押し付けられることは不平等であり、二人で平等に分担するべきであるとする。もし専業主婦なら、夫の稼ぎは夫婦二人で稼いだものとして両者で均等に等分すべきだとオーキンは言う。
このように家庭内の賃金、労働の不平等の解消によって性差別の無い社会が構築されるとする考えから、リベフェミは女性の社会進出を推奨し、出産休暇や託児所の拡充、男性の育児休暇取得を推進する。また「子どもたちがなりたい人間になる機会」(*3)を拡大するため――その機会を無知ゆえに狭めないために、性教育の重要性を訴える。
なお、「男性を敵視し憎む分派は消滅するだろう」(B.フリーダン,"新しい女性の創造",1965)が示すように、フェミニズムを男性と女性の権力闘争化することに否定的立場をとる。
出産を含む女性の家事育児は明白な労働行為である。にも関わらず男性社会はそれに一切の支払いをしてこなかった。ゆえに女性とは搾取されるプロレタリアートであり、その意味で男性とはブルジョワジーである。女性の抑圧は、資本制と家父長制の構造上必然的に生じたものであると喝破し、資本制・家父長制の打倒を訴え、そしてこれが日本の伝統的フェミニズムである。
女性の社会進出に関してはリベフェミの主張とほぼ同一だが、フェミニズムの主要な敵は男性であると断じ、マルフェミでは家事育児という労働に対する賃金の支払いを請求する(上野千鶴子,"家父長制と資本制 マルクス主義フェミニズムの地平",1990,*4)点で異なる。ただし誰に請求しているのか、また家父長制を崩壊させるために「資本制との新しい調停」を、というが、それが共産制かというとそれも曖昧で判然としない。
日本ではさらにそこに独自の思想が入り交ざる。例えば男女混合名簿の推進は「日の丸・君が代をシンボルとする儀式を撃ちくずす」(河合真由美,"「男が先」を否定することでみえてくるもの――学校の中での性差別と男女混合名簿",1991)から良いのだ等、目的が何なのか、いささか混沌としている向きも見受けられる。
レズビアン・フェミニズム、ブラック・フェミニズム、エコロジカル・フェミニズム、ポストモダン・フェミニズムなど多岐にわたる。マルクス主義フェミニズムの派生であるサイボーグ・フェミニズム(D.ハラウェイ,"サイボーグ宣言",1985)は読むとつまらないがネタとしては面白い。あとキワモノで言えばスピリチュアル・フェミニズムとか。
同性愛者とフェミニストの関係は、従来男性権力社会に対する「敵の敵は味方」関係に過ぎなかった。そこで登場したのが「フェミニズムと、ジェンダーに関するゲイ/レズビアンの視点と、ポスト構造主義の理論を、政治的にひとつに纏め」(J.バトラー,"ジェンダートラブル",1990)たクィア理論である。これにより統一戦線を理論的に張ることが出来るようになった。
リベフェミは広範な男性差別は否定するが、アファーマティブ・アクションでの男性差別は肯定する。ラディフェミは男性敵視の姿勢を持つが、しかしマッキノンは男性だけが徴兵されることは男性差別だとして否定する。「平等とは、ジェンダーの違いではなく、ジェンダーヒエラルキーを問題にし、その根絶をめざすものである」(*1)からである。マルフェミはよくわからなかった。女性兵士に反対しているので、男性差別は肯定されるのかもしれない。
セクハラ、家庭内暴力、中絶、女性兵士等色々あるが、本稿ではオタク、わけてもアニメオタクと関係の深い「性の商品化」について取り上げる。
マッキノンは、猥褻として過去に規制された、まさに「性の商品化」であるユリシーズ(J.ジョイス,1922)について「ポルノではない」と述べる(*2)。現実の被害が証明されていないからである。「性の商品化」は法規制の理由にならない。
リベフェミであるN.ストロッセンは「子供や妻への虐待、強姦、日常的な女性への屈辱行為などを正当化する内容が詳細に述べられている」書籍として聖書をあげ、「禁止されない安全な思想などほとんど存在しない」("ポルノグラフィ防衛論",2000)とする。そして性教育がかつて猥褻として政府に規制された例を上げ、ポルノ禁止法は政府の検閲に利用されると強く批判する。
一方、上野は「性の商品化」だとしてミスコン廃止を訴えるフェミニストについて、彼女らは「法的取り締まりを要求したわけではなく、受け手として「不愉快」だという意思表示の権利の行使」であると言う。そして「性の商品化」は「メディアのなかでも、なんらかの基準がつくられる必要がある("「セクシュアリティ」の近代を超えて",新編日本のフェミニズム6,2009)」とする。
ここから見えてくる点として、女性が「不愉快」であることが問題なのだということが分かる。「性の商品化」とは何か、それに実害があるかは、おそらく最終的にはどうでもいいのである。さらに求めているのは自主規制であって法規制ではない。自主規制によって発言者は自ら口をつぐむのだから、表現の自由は全く関係のない話である。
リベフェミであるマーサ・ヌスバウムは嫌悪感を根拠とした法規制を徹底して批判し、ゾーニングの妥当性を論じるが("感情と法",2004)、マルフェミである永田えり子は「ポルノ市場が成立すれば、必然的にポルノは市場の外部に流出する。そして流出すると不快に感じる人がいる」("道徳派フェミニスト宣言",1997)としてゾーニングは効果がないと批判する。
ポルノは「人々に広く不快を甘受させているかもしれない。そして事実不快だという人がいる。ならば、それは公害である」。「性の商品化は多くの人々に対して、確実に何らかの不快や怒りを与えるはず」であるがゆえに規制されるべきだと主張する。
そのような不快感を根拠とした規制は恣意的な運用がなされるという批判は当たらない。曖昧な法は他にもあるが、現に警察と司法は正しく運用しているからである。性道徳に根拠が無いという批判も当たらない。「根拠がないということがすなわち不当であるわけではな」く、それは「正しいから正しい」のである。
なお、福島瑞穂は非実在児童のポルノ規制は法的安定性が保証されないとして反対しており、この永田の見解がマルフェミの共通見解でないことは述べておく。が、例えば児童ポルノの法規制に対して日本ユニセフ協会広報室長の中井裕真から司法は正しく運用してくれる旨の見解が述べられており(永山薫・昼間たかし,"マンガ論争勃発2",2009)、これがフェミニストの通説でないことは明らかだが、一定数存在する見解であるように思われる。
初期の日本のフェミニズムには「反主知性主義」があり、「女性であれば(女性としての経験をもってさえいれば)誰でも女性学の担い手になれること、専門的なジャーゴンや注の使用を避け」、「プロとアマの距離をできるだけ近づけること」が目指されたと上野は述べている("女性学の制度化をめぐって",2001)。
こうした取り組みで女性が声をあげられる空気を作り出すことに成功したが、結果としてフェミニズムは「一人一派」と化した。筆者の私見に過ぎないが、これは同時にフェミニズムと「私」の区別を曖昧なままにしたのではないか。
「私」とフェミニズムが一体化しているとすれば、「私」が不愉快ならフェミニズム上も不公正に決まっている。それが従来のフェミニズム理論と矛盾していたり整合性が取れなくとも関係ない。「「オンナ対オトコ!」なんて言ってるフェミなんて、いないのになぁ」(北原みのり,"フェミの嫌われ方",2000)が示す通り、従来の理論について知識も興味もないフェミニストは珍しくない。知らなければ(当人の中で)矛盾はしない。
「理論を欠いた思想は、しばしば信念や信仰へと還元されてしまいがちである」(*4)と上野は言う。そのような啓蒙主義者にとって「真理はつねに単純である。(中略)真理を受け容れることのできない人々は(中略)真理の力で救済することができなければ、力の論理で封じるほかはない」。そうして治安警察国家を招き寄せる人々は「反主知主義の闇の中に閉ざされる」。
これは実は上野によるリベフェミへの批判なのだが、筆者にはリベフェミではないところに突き刺さっているように思えてならない。
このようにフェミニズムは一言で言い表せるような概念ではもはやない。日本の初期フェミニズムはマルフェミが中心であったが、現代日本のフェミニストは必ずしもそうではないだろう(例えば堀田碧は"「男女共同参画」と「日の丸」フェミニズムの危うい関係"で一部の若いフェミニストの愛国心に苦言を呈している)。
最後になるが、フェミニズムはクソだという見解に私は全く同意しない。職場で上司が女性社員の尻を撫でることは強制わいせつ以外の何物でもないし、家庭内暴力は夫婦喧嘩ではなく傷害である。どれだけ成果を上げようが性別を理由に賃金を低く抑え、出世コースから排除するといった制度の是正にフェミニズムが尽力したことを、私は決してクソだとは思わない。
私がクソだと思うのは、……まぁ、書かなくても察してもらえるかと思う。
いささか長い増田になった。この程度の調査力でキモオタとかw という批判は甘んじて受けるしか無いが、とはいえもし誰かの理解の役に立ったのならそれに勝るものはない。
朝、11時くらいにおきて、近くのパン屋への道すがら。
JD2人組「すいませーん、写真とってくれませんかー?」
え!?俺!
なんだけど、ここ2年ほどダイエットや服装、髪型などをチョコチョコやってる。
まさか、自分がJDから写真とってくださいなんていわれるとは。
俺「あ、分かりましたー」パシャパシャ
撮りながら、JDの服装などチェック。なんとしてでも、写真の後に会話を続けるんだ!
ああ~でも、JDが話かけるってことは、少なくとも俺はキモデブのオッサンで話にくいとは思われなかったんじゃないだろうか。
今日の朝、一応ジャケットにスーツだけ着ておいてよかった。上半身だけでもホストっぽくやっててよかった。
ズボンはよれよれのチノパンなのがヤベーかな。メガネじゃなくて、コンタクトつけてればもう少しマシだったんだけどなあ。
あ!JDの携帯にマイメロのカバーがついてるな?これで会話続けられるのでは。いや、あの服ってもしかして、リズリサってやつじゃねーか?分からない、リズリサドールズか?
ワンちゃんある!あ、近くに犬の離飼いスペースあるなあ、、、そのワンちゃんじゃねーか。
JDA「ありがとうございますー」
俺「お姉さん(JDB)、その服リズリサ?」
JDB「そです~」
俺「へえ~初めてみた~」手を振ってバイバイ
JDB「リズリサとか知ってるんだ」
俺「知ってるよ~。マイメロ女子でしょー知ってる~コラボしてるよねー」手を振ってスタスタ
なんで、もっと絡まなかったんだ。昼飯おごるくらい言えばよかった。
何しにきたの?→俺この辺に住んでるんだ→ちょうど昼飯食うから一緒にどう?おごるよ、リズリサとか好きなんだ~
なんでチャンスを!チャンスを!
そういう後悔を持ちながらも、パン屋へ。その道すがらに、ハゲ散らかしたデブおっさん数人とすれ違う。
ああ、このオッサンたちにはJDはお願いしなかっただろう。ってことは俺はマアマア気持ち悪くなかったんじゃないか?
先ほどのJDの携帯の感触。普段なら、俺が触ったら汚いだろうなーと思って、触れないものだ。でも、JDは俺に預けてくれた。
この感覚で十分なんだ。デートだの、昼飯だの、どーでもいい。この感覚だけで、十分。
写真とってくださいって言われただけで十分。
まるで、童貞みたいだな、って思うけど、これ素人童貞っぽいって言えば、確かにその通りだわ。
この思い出だけで、十分だわ。
あれだな。セックスなんかより、女が使ったハンカチにより興奮するみたいなもの。
もう死んでもいいや。
何か映画を何百本観たとかそれは権威つけ云々とか読んでて、みんなバーカバーカ、お前ら黙って映画見てろって思ったが、これに便乗すれば自分のオススメ映画・監督を広められるじゃないかと思ったので書く、皆とにかく映画観ろ!!!
これはマジで滅茶苦茶意味が分からないけど凄い、ジャック・スミスはニューヨークのアングラ映画界の巨匠でニュー・アメリカン・シネマ(アメリカン・ニュー・シネマじゃない)を担う天才だったらしいんだけども、内容は女性の服を着た男性の集団がすごい絡み合う、それが45分間ずっと続く、何が面白いんだって聞くかもしれないけど、荒々しさとかポエジーとかオリエンタリズムとか色々な要素が絡み合って、観客の前に完全なカオスがドカンと提示される、マジで何だこりゃって最初観たときは度肝抜かれたよ、映画の原始的な力ってものを感じた!!!オススメだ!!!ビデオインスタレーションとか配信してる美術系サイトUbuwebってとこで配信してるから検索して即鑑賞だ!
これはなアレだ、女子の友情もの、13歳の少女が2人いて、凄い親友なんだけども片方が引っ越して別れが近づいてる、そんな2人の前に何と人魚が登場、彼女は地上で3日間のうちに婚約者見つけないと父ちゃんが用意した男と結婚しなきゃいけない、ってことで3人力合わせて良い男性を探そう!って映画。これが笑えるやら切ないやら、ひねくれた自分にも友情の大切さってものがもう痛いほど染みた、超素晴らしい!!あと人魚役がタイ・ウェストってホラー作家の良い感じに昔めいた洋館ホラー「インキーパーズ」って作品に出てきたサラ・パクストンっていうのも注目だよな!!!
3本目"Within our gates"監督オスカー・ミショー
グリフィスの「國民の創生」、あれは映画史に残る名画とか言われてるけど差別主義者の集まり糞KKKを美化した作品で、今年サンダンス映画祭で"Birth of Nation"ってアフリカ系のネイト・パーカーが作ってオスカーとかの人種差別のカウンターとし話題になったけど、「國民の創生」とほぼ同じ時期にこれへのアフリカ系映画監督からのアンサー的作品が作られてて、それがこの"Within our Gates"な訳だよ、日本未公開だけどパブリックドメインになってyoutubeに全編アップしてあるから、マジでお前ら絶対観ろ!!!
アメリカ映画ばっか紹介しちゃったから今度はオランダ映画な、これは正直有り体に言っちゃえば、夫とか子供とかいて自分も医者として活躍して幸せな生活送ってんのに、何か人生に不満抱えてて、それで患者とボコスカ不倫しまくる女性の話な訳、でもな、このあらすじを念頭に入れて本編見てみ、ヤバいから、ショットショット全部絵画みたいで度がすぎてるほど美しい、監督の美的センス超絶ヤバい、主人公に感情移入もクソもねーわって人も美術館で絵画を眺める感じで見れる、オススメよこれは!!!
去年、アンソニー・ウォンの「人肉饅頭」とか「エボラ・シンドローム」とかモラルとかそういう概念超越したドクソ不謹慎香港映画リバイバルされたじゃん?あれ好きな人、これ観たほうが良い、「燃え上がる生物」とは全く違う意味で意味分かんないし、ヤベえほど汚ねえ、ウジ虫とか何らかの虫は数千匹出るし、ワニの死体グッチゃグッチゃだし、仏教?何か仏教?が超ブワアアアアアアアんとかさなる、この凄まじい汚さはカラーな分「ムカデ人間2」とか「神々のたそがれ」レベル、香港が残した最も汚ならしい映画作品、だから大好きなんだ!
6本目「サンダーパンツ!」
英国映画史な、「黒水仙」とか「フォー・ウェディング」とか「ファクトリー・ガール」とか「モーリス」とか「怒りをこめて振り返れ」とか「人食いエイリアン」とか「if...」とかヒッチコックの初期作とか「英国に聞け!」とか名作色々あるよ、でもさ英国映画史上最高の映画って聞かれたら、俺は真っ先にこの「サンダーパンツ!」を選ぶね。オナラがコンプレックスの少年が親友の力借りてオナラで宇宙へと旅立つんだよ、俺はこれ毎回見るたび深く深く心を揺さぶられて号泣する、全人類にこれ見てほしいよ、それでオナラに泣きながら下積み時代のキーラ・ナイトレイがどこに出演してたか探してほしい!!!
北野武の奴も好きだけど、俺は断然こっちの寒々しいカナダ映画の方を推したい。少女2人の心がさ迷う姿を本当に侘しいまでに凍てついたトーンで描いてる、思春期っていうのは孤独の牢獄だよ、それで彼女たちが物語の最後にやること、これくらい切実な"私たちはここで生きてる!気づいてよ!"って叫び聞いたことないわ。ちなみこの傑作作ったミシェリーヌ・ランクト、これしか映画作ってねーのかなとか悲しく思ってたんだけど、実はバリバリ現役で映画作りまくってて、しかもIMDB見たら最近俺が観た映画に俳優として出演してたんだよ、もうマジでめっちゃビックリしたよ、でもマジで元気で良かったわ!!!
7本目「バチェロレッテ~あの娘が結婚するなんて~」監督レスリー・ヘッドランド
主人公は3人の女性で、ある日学生時代にクソデブっ思って見下してた女子が結婚するって聴いて、はああああ????って思いながら表面的には笑顔浮かべて彼女が開く独身最後のパーティーに行ってクソ騒動起こすって映画。まあ最後にはこいつらクズで最悪に迷惑かけるけど、自分達も良い男見つけて嫉妬心も無くなって最後には全員ハッピーハッピーヘヘーイ、とかなると思うじゃん普通?この3人マジでずっとクズ、救いようがないくらいクズ、結果1歩も成長なんかしない、ここでめちゃ評価別れるけど、でもこの映画は、人間成長なんかしなくたって生きていけりゃいいんだよ!!!ってある意味スゲーポジティブなメッセージ送ってくる、ここに感銘受けたね、人間いつかは成長しなくちゃとか成長できるよとかそういうオブラート包んだ欺瞞ばっかこっちに向ける映画ばっかあるけど、この映画はそこらの映画とは気骨が全く違う!!!
昼間から呑む!昼間から呑む!!昼間から呑む!!!昼間から呑む!!!!マジでこれくらい最高の邦題を俺は聞いたことがない!!!昼間から呑む!昼間から呑む!昼間から呑む!内容は彼女にフラれた青年が酒呑んで旅して女性に恋して酒呑んで旅して女性に恋して酒呑んで酒呑んで、そして酒を呑む映画だ!だけども観ているうちに、この映画がいかに脚本を丁寧に丁寧に組み立てまくってるかに驚かされる一作になってるってきっと分かる筈だ!!昼間から呑みながら観ろ!!酒呑めない人は何も呑みながらでなくていいから観ろ!!!
9本目「ジュリエット・ビノシュ in ラヴァーズ・ダイアリー」監督マウゴジャタ・シュモフスカ
みんな大好きおフランス映画だぜ!!監督はポーランド人だけどそれは気にすんな!!内容はビノシュ演じる雑誌の記者が2人の若い娼婦にインタビューすることで、移民がこの国で置かれる状況、学生の困窮ぶりがいかに厳しいか、性差別の実態、そういうのを知っていくうちに自分の人生も見つめ直さざるを得なくなるストーリー!!エロがあるからこんな邦題にされたけど、監督のマウゴジャタ・シュモフスカは一貫して、自意識が複雑化し、肉体と精神が解離を遂げていく現代において、私たちはいかにして私たちのからだを取り戻すべきなのかって深遠なテーマを扱っていて、唯一この映画だけが日本でも普通にDVDで見られるから、エロい邦題で敬遠してる人も是非観ろ!!!
最後に邦画を一本、俺的には「殺しの烙印」だとか「ツィゴイネルワイゼン」とかよりもこっちだ!!!プロゴルファーがテレビ出演して、その疲れからご近所トラブルに巻き込まれて全てが破綻する!!!あらすじ書いてて自分でも意味が分からなかったが、観ても意味は分からない!!だけど異様な熱量に圧倒されること間違いない、意味が分からないという快楽に身を浸せ!!!
ということでオススメ10本紹介終わりだ!!ネットで観られる奴と「ソナチネ」以外は全部DVD出てるから近くのTSUTAYA行くか、ディスカスで借りれるぞ!!本当はラリーサ・シェピチコの「処刑の丘」とか紹介したかったけど、日本じゃ観れないし独りよがりになるから紹介せず!!!でもラリーサ・シェピチコまともに観れねぇ日本はマジにファックだよな!!!
「籠の中の乙女」はゼロ年代最重要映画、最新作「ロブスター」もきっと頭がおかしい!!!
2.ミア=ハンセン・ラブ
「EDEN」の語りの独特さはテン年代の刻印、新作ベルリンで金熊賞獲ってくれ!!!
3.サム・エスメイル
映画「コメット」とドラマ「Mr.ロボット」でアメリカに殴り込みかけたスゲー奴だ!!
ハネケ直系、不穏なムードを醸し出させたら天下一!!新作はティム・ロス主演「或る終焉」!!
自分の好きな物全部ぶっ混みまくったスタイリッシュ・フェミニズム・ヴァンパイア・ホラー・ウェスタン「ヴァンパイア~残酷な牙をもつ少女」は何じゃあこりゃ!!!
アルゼンチンからやってきた異才だ!!「約束の地」は筆舌に尽くしがたい時間の感覚を持ち合わせた傑作だ!
再びのハネケ直系、「FORMA」は何でソフト化されないんじゃ!!!
8.ナ・ホンジン
「チェイサー」も「哀しき獣」もとにかく走って走って走りまくる凄まじい圧力と巧みなストーリーテリングに脱帽!新作が観てえ!!!
9.マウゴジャタ・シュモフスカ
10.ヨアキム・トリアー
この中で唯一作品が通常公開されてないけども、新作"Louder than Bombs"が日本公開決定したらしいので入れた!!ノルウェーの若き大いなる才能!!