はてなキーワード: アマとは
ブログを投稿した際、仲間内でスターをつけまくりホッテントリに載せるという悪の組織である(と認識されている)
例えばTwitterでは「相互フォローします!」みたいなのがあると思いますが、あれも互助会のようなものです
つまり、「フォロワー数多い→凄い」とか、「スター多い→ホッテントリ」のように、互助会的な動きをすることで何らかのメリットが生じる際にこのようなことが起きます。
彼らは、時にはビジネスとして、時には承認欲求を満たすため、時には流されるままに互助会の一角を担います。
例えばサークルの中に「友達が多ければ多いほど人気者で素晴らしい」という層がある程度入れば、彼らは固まり、新人を仲間グループに引き入れようとします。
また、会社間で相互に仕事を回し、社会におけるお互いの価値を高めるような行為も互助会と言えるでしょう。
インターネットというものは相手が見えないため、「見えないところで何か悪いことをしているのではないか」という疑心暗鬼にとらわれることが多いですが
Twitterを見ても分かるように、暗黙の了解としてコミュニティを形成するパターンも多くあります
たとえば、フォロワー数が多い人ほど発言力が増すとか、お気に入り数のランキングを作るとか、注目されている記事を目立たせるような仕組みを導入するサービスがあります
これらは数多のコンテンツからより良いものをユーザーに見せるための仕組みです。
しかし互助会があると彼らばかりが目立つようになり、露出するコンテンツの質の向上が望めません。
また、他のコンテンツ提供者が不満を抱き出ていくかもしれません。
するとサービスからユーザーが離れるので、マイナスとなります。
例えば何の力もない新参が入った場合でも、互助会を利用するとコンテンツを露出させることができます。
そうなると新参は喜んで更にコンテンツを作成し、結果定着する可能性が高まるでしょう。
また、互助会は規模が大きいほどメリットがあるので、外から新規ユーザーを引き入れる可能性もあります(インフルエンサーと化す)
上記のように、互助会ははじめユーザー定着させるのに一定の効果があると考えられますが
サービスが成長し、コンテンツ提供者が十分に居る状況では厄介な存在となります
サーキュレーターは、自分が目立てば目立つほど注目され儲かるという状態になります
オリンピックのロゴデザインをしていた某氏もそうですが、お金が絡んでいくとやり方が巧妙になっていきます。
いくつかあります
・「いいね」のように評価ハードルを下げ、互助会の影響力を下げる
互助会の効果を薄めた場合、互助会がより互助会をしやすいサービスへと移るリスクが有るでしょう
また、互助会の世話焼きメリットもなくなるので、新規参入者の定着も考えなければなりません
より公正なランキングが形成された場合、コンテンツ提供者はコンテンツのクオリティアップをより心がけるようになるでしょう
また「どうせ頑張っても互助会に負ける」という考え方もなくなるでしょう
「HowToネタが伸びる」という雰囲気を作ることがあると思います。
13.幻の互助会
毎回同じ人がランクインしていて、これは互助会だ!と勘違いするケースがいくつかあります
・フォローシステムによって立ち上がりが早く、早々にランクインしてしまうため
・単純にその人のクオリティが高いだけ
まとめ
今の政治に関する言論では、プロもアマも、なんかネトウヨ叩けばとりあえず私はマトモみたいな、馬鹿じゃないよ、みたいな、そういう「馬鹿じゃない」クローズドサークルに入ってますよ、みたいな、そういう気持ち悪い流れがある。
ネトウヨはそりゃ終わってるんだけど、それより有害なのは、ネトウヨ叩いて自分はマトモみたいな宣言した上で極右な主張する連中。
この手の人間がすごく多い。
ネトウヨ叩いた上で、9条改正とか、軍備増強とか、侵略戦争否定とか、南京虐殺否定とか、慰安婦否定とか。
は?
お前らネトウヨと変わらないから。同じ極右だから。とんでもない連中だ。
マトモな左派は、ネトウヨ叩き言論を繰り返す右翼どもに気をつけた方がいい。
「(同じくネトウヨ叩いて)そういう馬鹿とは違う我々は、きっと近いところにいるんですよ。議論してわかり合えるんです。ネトウヨなんかより○○(リベラル)さんの方がよっぽどマトモだ」みたいなことを言う極右。
すごく多い。
今の政治に関する言論では、プロもアマも、なんかネトウヨ叩けばとりあえず私はマトモみたいな、馬鹿じゃないよ、みたいな、そういう「馬鹿じゃない」クローズドサークルに入ってますよ、みたいな、そういう気持ち悪い流れがある。
ネトウヨはそりゃ終わってるんだけど、それより有害なのは、ネトウヨ叩いて自分はマトモみたいな宣言した上で極右な主張する連中。
この手の人間がすごく多い。
ネトウヨ叩いた上で、9条改正とか、軍備増強とか、侵略戦争否定とか、南京虐殺否定とか、慰安婦否定とか。
は?
お前らネトウヨと変わらないから。同じ極右だから。とんでもない連中だ。
マトモな左派は、ネトウヨ叩き言論を繰り返す右翼どもに気をつけた方がいい。
「(同じくネトウヨ叩いて)そういう馬鹿とは違う我々は、きっと近いところにいるんですよ。議論してわかり合えるんです。ネトウヨなんかより○○(リベラル)さんの方がよっぽどマトモだ」みたいなことを言う極右。
すごく多い。
http://d.hatena.ne.jp/essa/20161029/p1
・短期的な、この件単体については、このまま出場停止期間を終える可能性が高いのじゃないかと。
金属探知導入、内部に収束、週刊誌の影響を抑える…恐らく竜王にとって想定した状況をすでに回避した後のように思いますので。
・将棋ソフトの開発者の方々は、大会前の最後のチューニングは評価関数の作りこみになるため、
「パラメータを変更」「変更前後で数千局ほど自己対戦」「有意な差があればパラメータを新バージョンで更新」
をずっと繰り返すのがかなりきついという話をしていて、そのとき少しだけ、「この部分は自動化できないのかな」と思いました。
ボナンザや技巧でいわれたようなメソッドの変化、駒関係などでの新たなパラメータ導入でない部分で、「将棋ソフトが強くなることを自動化できてしまう」可能性です。
またこの自己対戦は勝率以外は確認しないので、開発者にも大会のときくらいしかアウトプットされた将棋は見られないそうです。(それが最適なので。)
アウトプットされたその大会の将棋は、プロ棋士がこういう意味の手ですとリアルタイムで視聴者に解説している。
・将棋ソフトの大会で面白かったのは、逆転が起こる局では2つのソフトの評価関数で「両方とも有利だと判断している」という状況があって
そのときに「説得できた」「反省させられた」という言葉が使われていたことです。
一つの局面をお互い有利だと読んでいて、でも進んでいくと片方がやっぱりこれは不利だったと「説得されて」「反省する」。
勝ち負けと呼んでないのですね。すごい S・F・感 があった。
・「竜王」と呼ばれて通っているのは考えてみたらすごい話で、ドラクエの世界ですよね。
でも竜王の写真をみたら、「竜王だ」と思いますし。それを社会のある領域が認めている。
人の営みの中で、将棋のようなパズルが最も強いことは価値がずっとあって、その「理の際」についた言葉が「名人」だと思います。
「竜王」は名人に伍する新たな名として考えられたそうで。将棋の駒は戦にある人や人の乗り物で、でも「竜」だけは人の枠外にある。
ソフト連携の疑いを持った局をほぼ再現した上で、新規の手順で上回った竜王戦第一局は、プロ棋士がソフト将棋を取り込んでいく一つの形として凄みを感じました。
理の外でも、そういうものがある、と知った時点でどうしようもなく理の内側になっていく。
・「棋譜や読み筋からソフトサポートを受けたか推定」したそうですけど、ソフトとの一致はあくまで補助の話で、
「棋士単体」と「棋士+ソフトサポート」 の間での棋力推定をしたように見えて…。会心の一局で説明できるか、特定局だけ強くなったとしか思えないか。
しかし将棋をして相手を「アマ二段くらい」というにはアマ二段の実力では無理ですよね? 今回疑いをもたれた棋士の方はここ数年レーティングでおよそ10~20位。
そのような人の実力の幅を把握し、棋譜の実力を推定して比較し、「説明がつきにくい。確定ではない。」という計測ができるのが、世の中に 3,4人しかいなかった…?。
現役棋士の80%以上の人には説明できないわけで、合意を形成できるはずが無い気がします…。一致率、離席のタイミングは説明できますが。
風俗に行った。
21歳の大学生を引いた。
俺より身長が5cmくらい高かった。
相手はややブスかなーくらい。でも、ケツがでっかいためセックス楽しそうだなあと思った。
俺だけパンツ1チョウになると、パンツの上から股間をなぜなぜ。パンツのちんこ出し口から手をいれてくる。
ボロン。
「こんにちは!○○ちゃん!よろしくね」裏声で俺が腹話術する。まるでちんこがしゃべってるように。
なでなでと触られて、ムクムクと答える俺のムスコ。
「背高いね!親戚のお姉ちゃんとセックスするみたいだ!」→「じゃあ、背徳じゃ~ん。背徳と興奮だよねえ」→「俺28歳だけどね」
「21歳って3年前まで高校生だったんだよね!うはわ!若い!!!」→「やっぱ若いほうがいいの?」→「今日の気分はそんな感じ」
「うわあ!!!楽しみだああ!!!興奮してきたあ!!!!」→「君ADHDなの?」→「よくわかったね……」
しゃべりすぎて、嬢の方から、「エッチに集中できる?しゃべりすぎだよ」とのこと。
ベットに行き、布団にもぐる。嬢も横で寝そべっているため、俺が頭まで布団をかぶると、嬢も頭まで布団をかぶってしまう。
「俺も21歳のころはアニメみてたよ!はまってた!」
「へえ、何見てたの」
「らき☆すたとか!ほら、チョココロネ食べてる女の子いたじゃん、あれ想像して、チョココロネでオナニーとかしたことあるよ!」
「え?」
「スタッフがおいしくいただいてはいないけど、チョコが固いから全然オナニーに使えなかったけどね!w」
「頭大丈夫?」
暗闇の中で嬢が俺のムスコを見つける。
「ねえねえ!28歳のおっさんのチンポどうなん?どうなん?」
「チビデブハゲのおっさんと今からセックスしますって言って!!!」
嬢は、はあ?という顔をするも、「ちゃんとエッチに集中して」という。
フェラの最中に、「どんな男が好きなの?」と聞くと、ジャニーズJrのとある人物の名前を言う。
「オラオラ!そのジャニーズジュニアだと思ってしゃぶれよ!どうだ!おいしいか!」
「ジャニーズジュニアに貢ぐためにおっさんのチンぽしゃぶってるんだね!おいしい?ジャニーズに貢げておいしい?」
嬢はもぐもぐとちんぽをくわえてだまっている。
ゴムを付けて、俺が上、女が寝る。
「はあはあ、どうよ、おっさんちんぽでも気持ちいいか?」→「気持ちいい」
嬢の顎を手で握り、クイっと上を向かせて俺の目を見せてやる。いわゆる『顎クイ』ってやつ。
そして「俺のことだけを見てればいいんだよ」とキメ顔(やや微笑み)。
瞬間、嬢が俺のホホをびんたした。
え?え?え?
「なんでー!!!?」と素っ頓狂な声を出すおれ。
「ちゃんとエッチに集中して!」と嬢がプンプン丸。
「おらおら!そんなに▽▽君(ジャニーズジュニアの男)が好きか?おっさんちんぽで感じるのに、▽▽クンに申し訳なくないの?『チビデブハゲのオッサンちんぽに感じてます』って言えよ」
俺は興奮してべろちゅ-。嬢はおとなしく舌を出す。
「おら!おら!負け組ちんぽで感じてますって言えよ!▽▽クンに本当は抱かれたいけど、金のためにオッサンに抱かれてますって言えよ!」
「負け組ちんぽで感じてます、▽▽クンに本当は抱かれたいけど、金のためにオッサンに抱かれてます……」
疲れてきて、腹が出てきたアラサーデブおっさん特有のスタミナのなさでフッフと息切れ気味になるのをごまかして、相手の片足を持ち上げる。
「不細工で女に相手されないから、金で21歳の女の子買ってて恥ずかしくないの?チビデブハゲ死ねよって言って!!!!」
「不細工で女に相手されないから、金で21歳の女の子買っててはずかしくないの?チビデブハゲ死ね!!!」
「モテないからって、21歳の女の子金で買ってオラついてて恥ずかしくないのって言え」
「モテないからって、21歳の女の子を金で買ってオラついてて恥ずかしくないの?」
「女と付き合ったことないまま死ぬアラサーオッサンちんぽ汚いって言え!」
「女と付き合ったことないまま死ぬアラサーオッサンちんぽ汚い……」
「もう○○君(俺の名前)の遺伝子ここで終了だねって言え!!1」
「もう○○君の遺伝子ここで終了だね」
だんだん嬢の声が涙声になる。
嬢に上になってもらう。
すぐに手コキに切り替える。
手コキべろちゅーをしてもらう。
「俺のこと好きって言えよ、子種入れて妊娠させてくださいって言えよ」
「○○君(俺の名前)のこと愛してる、○○君の子種で妊娠させてください……」
「がり勉で女に誰も相手されないま学生生活終わった素人童貞のオッサンで恥ずかしいねって言え」
「がり勉で女の誰にも相手されないまま学生生活終わった素人童貞にオッサンって恥ずかしいね」
「数学で学年1位だったんだ……数学学年1位とオナニードッチが気持ちいいの?」
ローションが乾いてくる。もう一度つけさせる。
「ねえ、いけそう?」
「う~ん。なんか興奮はすげえんだけどさあ。じゃあ、最後もう一回入れさせてよ」
嬢に上になってもらって、膣に入れる。
あったかいナリ。
「う=ん、気持ちいい~」
「そう?」
「うん。……これに免じて、許してやるわ」
「何を許すの?」
「これからは、チビデブハゲとか不細工見ても、優しくするよーに」
引き抜いて、シャワーへ。
しかし、嬢の顔は引きつっている。
「ってかさーブスじゃないよ」
「え?ブスって何?」
「いやね、○○君、本当に中の上くらいあるよ、顔」
「うん……ってか、じゃあどのくらいの顔が普通と思ってるの?」
「いやあれは下の下だよ」
「出川とか?」
「出川も下の下だよ」
内心、嬢もブスだと思ってる俺は、こいつ何言ってるんだと思う。
「俺、でも、最近この子に振られたんだよー」と、最近振られた女の子の写メを見せる。
「うっわぶっすwwwwwwwww」
は?と内心キレそう。
「え?マジで?」
「い、いや、でもこの女の子、メッチャ高学歴だし……仕事も頑張ってるし……まあ確かに不細工は不細工だけど……」
客観的に見れば、ブスなんだよなあと内心認めてぐうの音も出ない。でも目の前の風俗嬢もブスやん……。
「じゃ、じゃあ、中の上の俺なら、もう少し調子のってガンガンいけるってこと?」
「そうだよ。」
「マジで?」
週1くらいで女の子とチューくらいまでは行っている気がする。
いまだお持ち帰りセックスもしたことないけど、そろそろチャンスあるような気はしていた。
A1. 存在しない。増田に書き込めない時点でそいつは増田ではない。
A2. ネットの闇に触れてしまったがために運営からBANされた増田。
A3. 妻から「おねがいよアンタ! もう増田は……増田だけはやめて!」と懇願されるも、夫は「うるせえクソアマが! Wifiだ! もっとWifiもってこーい!」とドメスティック・バイオレンスに増田を続けた末、心身ともにボロボロになり、気がつけば妻は子どもをつれて去っていた。
「ちくしょう……増田さえなければことんなことには……」そう後悔する彼だったが、時すでにお寿司。彼は自戒をこめて自らの両腕を断ち切り、「バイバイ増田」と書かれたプラカードをぶら下げたその姿をインスタグラムにアップする。たちまち「Japanese crazy armless Masuda Guy」としてあっとう言う間に世界へ拡散され、インスタのフォロワーが3000万を越える。
いちやくインスタセレブとなった彼にはスポンサーがつくようになり、年収も離婚前の七十倍に跳ね上がったが、彼の心は虚しかった。
「腕をなくしちまったオレはもう増田には書き込めねえ……好きな寿司だってくえねえ……なにもかも無常よ……」
むなしさが極まって自殺を考えはじめたある日、突然、彼の前に車椅子の人物が。
???「ふっふっふ、お悩みのようだね、増田くん」
「その電子音は――スティーヴン・ホーキング博士!?」
プロとアマの違いは、他人を共鳴させられるか、独りで鳴っているだけなのか、の違いでしょう。ピアノを弾くときに、「鳴らす」ことは誰でもできるけれど、「響かせる」ことはマルタ・アルゲリッチなどの超一流でないとできません。アタマが理解できる部分(言語化・デジタル化できる「音程」や「タイミング」など)を真似ることは簡単ですが、カラダが理解している部分(けれど、言語化・デジタル化はできていない「内臓の揺れ」など)を真似ることが現状難しいのではないでしょうか。波が伝播するかどうかの違いなので、そのうち科学的に解明されると思いますが。
君の名は観たけどクソでした。
ところどころファンタジーやスピリチュアルなのは良いんですが、それ解決策に使ったりすると覚めまちゃいます。
コナン観てて何が重要な鍵になって解決に導くんだろう…とか真剣に思ってたら殺された被害者の霊がコナンの枕元に立って事件の概要をペラペラ話して解決して終わり的な展開だったら萎えますよね。
しかも他の人に話すと「薬で子供になるって時点でフィクションなんだからリアリティとか求めるなよ笑」とか「最初ほうのシーンで霊感あるって言ってたし、ネクストコナンズヒントでも伏線はってるよね?」とか言われるわけです。
設定有る無いとかじゃなくて、解決するための設定自体もしくは展開が強引すぎない?ってことなんですけどね。
それもこれも「もう途中の流れとか関係ねぇ!」って割りきらずに中途半端にキチンとしようとしてるからだと思うんですよ。
だから、おっ!どういう理屈で解決するんだ?って期待が生まれちゃうんです。
だからいっそドラゴンボールとかで解決しちゃったほうがいいと思います。
宮水家には代々伝わる6個、瀧くんが1個持ってて…「いでよ!神龍!」
ほらっ、もう解決じゃないですか。
ほどける組紐を龍に見立てちゃったりして、そして瀧という字の中の龍、彗星の名前のティアマトって神様ってゲームとかでは龍の姿だし、流れる彗星は願いを叶えた後のドラゴンボールが地球に散らばる様子にそっくりです。
ここまで考えてきてやはりと確信しましたが新海誠さんはドラゴンボールをやりたかったのですね。
田舎者の孫悟空と都会に住むブルマ、三葉と瀧と同じですがまさに男女が逆です。わかりやすいオマージュです。
さらにパイパイに固執する瀧からも読み取れます。明らかに亀仙人のオマージュですね。
三葉に入れ替わった瀧がパンパンして「タ、タマがねぇ…!チンも…」というシーンは直接は描写されず匂わす程度の上品な演出になっています。やはりこれもオマージュです。
わかりにくいですがフカフカキンタマクラオマージュには不覚にも笑ってしまいました。
これ以上はネタバレになるので言えませんが映画をわかる人が深読みするとほぼドラゴンボールと同じ言って差し支えない内容になっています。
やはりドラゴンボールは偉大ですよね。
あっ、かたわれ時なので本題とはあまり関係のないドラゴンボールの愛を語ってしまいました。君の名前はオマージュです。
君の なんの映画の話してたのか思い出せないのでこれで失礼します。手のひらに「ぱふぱふ」と書いてあるのでとりあえずおっぱいパブに行ってみようと思います。ありがとうございました。
9月9日10日と、ディズニーランドホテルに宿泊して2日間ランドとシーで遊び倒してきました。
ランドホテルを取るには半年前に予約をしなければなりません。友人たちととりあえずこの日にしようか、と言ってなんとなく決めた日がたまたまパークのハロウィン期間の初日になりました。
ハロウィン期間、パークでは全身仮装が解禁される日があります。
ハロウィン期間の最初と最後に設けられているらしく、初日と2日目も当然コスプレ可能な日でした。
わたしはなんとなく好きになれませんでした。
やけに横に太いアリエルとか、おじさん顔のジェラトーニとか、おじさんが女装したジャスミン姫とか……原作のイメージが壊れるような仮装もたくさんありました。
でも、わたしがもやもやしたのはむしろ完璧にキャラクターになりきっている(キャストと見分けがつかないような)仮装でした。
見つけるたびに「本物?偽物?」ってキョロキョロするのも疲れました。
まあでも、完成度の高いコスプレは思わず見てしまうものです。すごいなぁとも思います。
そこまでは別にいいんですよ。個人的にルールを守って楽しんでるんだから。
気になったのは、完成度の高いプリンセスが他のゲストとツーショットを撮っていたこと。また、その人とツーショットを撮ろうとした人達でちょっとした列ができていたことでした。
コスプレとはまたちょっと違いますが、似たような件でもうひとつ。
パーク内の通り道にぬいぐるみを並べて動かしている一般の人と、それを写真に撮るために周りにできていた人垣を見たときにも同じような気持ちになりました。
なんと言ったらいいのでしょう、同人誌即売会で一般参加者が空いてるスペースに勝手に自分の同人誌を広げて売っていたという話を聞いたときの感覚、と言えばいいのでしょうか。
例えがオタクすぎて分かりにくければ、魚市場に買い物に来た客が、店の横で自分で釣った魚を並べてるような、と言えば伝わりますか?
とにかく、プロの横でアマが勝手に商売を始めたような感覚なんですよ。(同人作家はプロじゃないかもしれませんが)
でも、これはパーク側から禁止された行為ではありませんし、コスプレをしていた人はただ写真を撮らせてくれと言われたから応じたに過ぎません。
なにもルール違反をしていないからこそ、その行為にもやもやしてしまいました。
本来はパークにキャストを見に来ているはずなのに、見るための場所で、「見たい」よりも「見られたい」という欲求がわかりやすく露出しているような状況が、どうしてもわたしには好きになれませんでした。
ここで一応弁解しておきますが、コスプレをする人がみんながみんな「かわいいわたしを見て!」というつもりでやっているわけではないこともわかっています。
わたしの友人にもレイヤーがいますが、彼女は「絵も文も書けないから、コスプレという形で作品愛を表現している」と言っていました。
そういう人が大多数だということはわかっていても、個人の心情など知らないわたしから見れば「見られたい」という欲求の塊のように思えてしまいます。
2日間もやもやとし続けていたので、一気に書いてしまいました。
だからどうしてほしいとか、そういう話ではないんです。たくさんの人がルールを守って楽しんでいるイベントですから。
全身仮装解禁の日には二度とパークに行かないようにしよう、ただそう思っただけです。
今年の新入社員はクソ。「給料が4月から一度も振り込まれていないんですが」。今日、上司の俺にカチこんできた。
「馬鹿ヤロウ、お前は、給料を支払いたいと思えるような仕事をしてきたか! もう一度考え直せ」と怒鳴ったが、ヤツは全然わかっていない。
ビックな社会人になりたいという夢。その夢のためにがむしゃらに努力する。それが若者に課せられた義務だ。ボーとしていて、お金がもらえるわけがない。給料を支払いたいと思われるような人間にならないと。
正直、上司の俺でもただ働きになっている部分は多い。それでも俺はビックであり続けるために働き続けている。
「給料がないと生活できません」だって? ふざけるな、アマ。金がなければ自分で調達しろ! 会社に頼るな! まったくダメだよ、20代。俺ら氷河期世代をリスペクトしろよな!
シン・ゴジラの作戦名どっかできいたことあるけどなんだっけとおもって、でもしらべるのめんどうで放置していたら、ちょうど今読んでいる本で、その由来を確認して、もーそっから色々妄想がとまらなくなり、深読みをしたくなりまくってしまったので書きます。途中までは、あんのさんのゴジラの作戦名とかに仕込んだ神話ネタの説明。途中からはちまたにあふれるエヴァの超解読本ぐらい怪しい俺の推測。でもまあこういうの含めて盛り上がるのがあんのさくひんだよなとおもうので様式美としてひさしぶりに長文かきます。結論だけかくと、一見くそつまらない勧善懲悪にみえるのだけど、今回もちゃんとあんのさんてきひねくれた映画だったのだろうということです
まずシン・ゴジラ、構造として、わりと愚直なまでにスサノオのヤマタノオロチ退治の神話をなぞっています。誰でも気づくのが、ヤシオリ作戦はヤマタノオロチに眠らせるために飲ませる酒の名前、はしご車の名前であるアマノハバキリはスサノオが使った剣の名前ってとこです。この2つで明確にヤマタノオロチ神話をなぞっていることを示しています。
ということはゴジラはヤマタノオロチということになるわけですかね。ゴジラは原作では恐竜のミュータント、つまり龍です。龍と蛇は限りなく近く、概ね同じ存在と見なしていいと思うのでヤマタノオロチ=龍=ゴジラってことでもいいのだけど、やはり微妙に異なる。今作では幼体の姿で4つんばいの状態を見せているところからも蛇としてのゴジラというのも意識させている気がします。尻尾が長いのもその象徴かなと。後常に状況に応じて進化するのは蛇の脱皮をイメージさせる。だから今作のゴジラはより蛇であり、ヤマタノオロチに近い存在であるとは思います。
そうなると、矢口はスサノオなのか。スサノオの神話は基本構造は貴種流離譚、つまりアマテラスの弟という高貴な血筋をもつものが、本人のか何らかの欠損を理由に追放され試練を乗り越える。矢口は親が力を持った政治家であることが示唆されている。しかし本人の性格は、権威に頼らず上との衝突を辞さず、どちらかというとうとまれる存在。結果、メインストリームから外された専門家集団の責任者になるなどする。まあありがちな設定だが、違和感があるのは親が政治家である設定だ。この流れならはじめからたたき上げの能力戦いがコミュニケーション力低いオタク的性格の主人公でもよかったはずだが(実際アニメだと死ぬほどよくある)、そうしなかったのはスサノオを重ね合わせるための設定かなと思いました。
牧教授の奥さんが、放射能が原因でなくなっているというのは、ヤマタノオロチがこれまですでに八人の乙女を食らってきたという部分に重なる。放射能の象徴がゴジラでもあるからだ。そしてまたヤマタノオロチが暴れ狂うのだと、旅先で出会ったアシナズチという老人はスサノオに告げるのだ。アシナズチは牧教授なのでしょう。もう少し妄想を広げるならクシナダ姫は、日本(出雲に近い広島)の血を引き、過去親族が放射能というヤマタノオロチの被害をうけ、同時に高貴な一族の出(パターソンという名前は、貴族の血筋)であるカヨコかなと。クシナダ姫なら、今回のゴジラに殺されそうになだてるのかというと、そうでもないのがこの説の弱いとこですが、アメリカから核爆弾が落ちるときに、ぎりぎりまで日本にいる選択をしたところで、ゴジラではないが同じ放射能的存在の核爆弾の被害をうけ兼ねないという意味ではまあそういってもいいかなと。
後半になればなるほど、若干強引な結びつけにはなってますが、作戦名ひとつで、まあヤマタノオロチ退治の物語にかけているというのはある程度明らかなのだろうと思います。それはあんのさんがよくやるゲンガクテキになんとなく、物語に深みがあるようにみせかけるためにやっているのかというと、もしかしたらそうじゃないのかなとか思います。ここからは、さらにさらにこじつけになっていく部分が大きくなりますがご容赦ください。妄想です。
まず、事前説明として日本における蛇信仰について説明。蛇は、最も古い信仰だと1 外形が男根相似 2 脱皮による生命の更新 3 一撃にして敵を倒す毒の強さという特徴から世界各地で祖神として崇められていました。時代が移ると、蛇は稲にとって害獣である鼠を食べる特徴から農耕の神という属性が強まったこと、また蛇を邪とし龍を崇める信仰が流れてきたことから祖先神の側面はうすくなり農耕の神の側面がつよくなったのです。
オロチとは、そのまま蛇という意味もありますが、峰の神、山の神という意味もあり、かなり古い蛇信仰の対象といえる名前です。それがまず害をなす存在として描かれる。助けを求め最後に勝つの側のアシナズチという老人はテナズチという配偶者がいます。その足がない、手がない神という名前から彼ら自身も蛇の化身と考えられる。その娘がクシナダ姫。奇稲田の姫と書き、農耕の神を意味し蛇の神の子供であるから、彼女も蛇の神。善とみなされるのは農耕の蛇の神なのです。農耕は中央集権的定住型の社会の象徴、それより古い祖先神は、集権化される前の氏族的共同体の象徴ともいえます。この国は、かつて様々な小さい国が、自分たちの祖先神をもち、乱立し互いに牽制し互酬しあう仕組みでした。稲の神である天皇による大和の支配が確立し日本という形がつくられるようになりました。
つまり、ヤマタノオロチ退治の話は、農耕の神としての現体制の蛇神が高貴な新しい王族の血を引くものといっしょに、出雲を中心とした旧支配者としての蛇を倒す話ともよめます。
今回のゴジラを投影しているのがヤマタノオロチだとすると、それは眠っていた古い戦いの神、すなわち現体制にとっては無秩序をもたらすものなどのイメージを仮託してるのではないでしょうか。一方、総理を中心とした秩序を維持し続けようとする政府側、そこからうとまれながらも、大きな役割を果たす矢口は、当然そうした、ありとあらゆる秩序を破壊しようとする悪を許さない中央集権的社会の体制をイメージされているのでしょう。そして日本の力を政府に結集して、無秩序な純粋な力に打ち勝つ。
ただ、ヤマタノオロチ神話のように、実際に打ち勝つことはできず酒で眠らせたとここておわっているところ、本来ヤマタノオロチのしっぽからは草薙剣がでてくるはずなのに、何かまがまがしい生き物が出てきそうになっている描写、おそらくゴジラの次の進化を、におわせていて、勝負はついていないところを見ると、あんのさんの目線はどちらかというと、ゴジラ側の反体制的、封印された本能の塊のような存在に共感をし続けているようにしか思えます。
実際日本においては、かつて天皇による中央集権化画家たちの上ではなされたとはいえ、現代に至るまで強力にそれが機能したことはなく、困ったときは旧来のお互いの話し合いで解決するというやり方がずっと続いています。氏族的共同体のありかたは死せず、この国に眠り続けています。今回の映画でも、体制側の否定されつつ、賛美もされた特徴として徹底した非合理な合議制があります。そしてトップが死んでもすぐに首のすげ替えがなされる。まさに蛇的なありかた。これがゴジラを倒した最大の理由であるとすれば、あんのさんが、最終的に勝たせて賞賛したのも中央集権的な正義ではなく、日本の体制側のなかにもある蛇的、ゴジラ的な部分だったのではないでしょうか。
今回、怪獣は一匹しかでてないようにみえましたが、じつは今作も怪獣同士の戦いであったのです。ゴジラ vs 日本人。
そう考えると、最初いつものエヴァとかのひねくれた作品とちがって、今回は単なる勧善懲悪映画なのかな、つまんねーなとおもってたりしたのですが、やっぱりそうじゃないひねくれ映画だったのだろうな、いつものあんのさんだっとほっとします。
蛇足ですが(蛇だけに)人間も使徒ほひとりで、進化の形が少し違っただけの怪物であるというのはエヴァとまんまおなじな訳ですよ。そう考えるとゴジラは、アダムであり、尻尾から生み出されるのは使徒なのかも。イメージ的には貼り付けにされたリリスの下半身からにんげんがぽこぽこくっていていたのとおなじなのかも。
ゴジラって、いままでSF定番の行き過ぎた現代科学に対する警鐘としてえがかれてきたかとおもうのですが、そして今回も福島原発のイメージはわかりやすいほどかぶせているとは思うのですが(こちらでも言及されてますね http://anond.hatelabo.jp/20160805000418 )、ヤマタノオロチを持ち出してきたことによって、いままでのような科学の力への警鐘ではなく、また311の反省映画でもなくしているのではないかと。単発の事象に対する象徴的な映画なのではないとおもうのです。この国が根本的に抱え、なおかつ封印している体制側の否定をともなう無秩序への回帰願望の力強さとその恐ろしさへの警鐘、それと同時にその力は今でも脈々と体制側の中にもすでにとりこまれていてそれを有効に使うこともできるよね、というような話をみせたかったんじゃないかなとかおもいます。ゴジラは死なないよどこまでも、ってかんじで。
あーーーー、妄想がとまらない。とりあえずここまで読んでくれた人ありがとう。ヤマタノオロチの解釈に関しては、たぶん世の中的には主流ではない解釈だと思います。一般的には、川の氾濫の象徴とか、そんな感じでしょう。でもまあこういう解釈の方向性は、いろんな人が出していて(この本とか https://www.amazon.co.jp/dp/B00PS2FK8C/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1)そこ自分で味付けして解釈してみましたというかんじです。
まあ、最初にも書いたけど、こう言うのを考えるのが楽しいのがあんのさくひんだなとおもいました。
http://anond.hatelabo.jp/20160807101757
読み方は(増田も言っている通り)やや(かなり?)牽強付会くさい点もあるけど、面白い読みだとは思った。
ただ、増田の言うことが正しいとして、何で今の時代に「氏族的共同体と中央集権の争い」を描いたの?ってのが気になった。「体制側の否定をともなう無秩序への回帰願望」が発現した事件とかって最近あったっけ?ISとか?
前提として、巷で言われるように右翼礼賛、共同体万歳的な側面がこの映画にはある。ただ、共同体主義には2種類あると思っていて (1) 国家型(中央集権的) (2) 地域型(地方分権的) がある。
今回は地域型共同体主義に共感している映画だとおもっていて、結果的に国家型を否定するなぞりがあるんじゃないかと。
地域型共同体主義の人にとっては、リベラルのいうような何か理想とする社会を人工的に作るというのはぴんとこない。もっと自然な感情で、近しい人で社会をつくりあげたいとおもっている。しかし、国家というのは大きすぎてぴんとこない。そしてそこにひも付きやすい全体主義的な思考には拒否反応をしめす。そういう思想です。
これって全く特別なイデオロギーではなく、割と普通のネトウヨとかじゃないけど、左翼むかつくとおもっているネットによく人たちの自然な思想だとおもっていて、おとなしめのリベラルちっくなオタクと親和性がたかい。そしてあんのさんもそういう思想を意識的か無意識的かもっているんだろうなと思うのです。だからこういう対立を描いたと。
無秩序への回帰というのはちょっと「現体制にとって」の無秩序であり、ほおっておいても自然に生まれる家族的情愛による秩序への回帰に共感したいというメッセージかもしれないなと思います。