はてなキーワード: 結果的とは
今から遡ること6年前、2021年10月31日(日) 第49回衆議院議員選挙が行われた。
結果的に大方の予想通り自民党が単独過半数を確保し当時の岸田総理は初陣を無事乗り切ることが出来た。
その中で今回は注目度が当時全国でもある程度高かった千葉8区に絞って解説して行こうと思う。
なお、筆者は昭和52年産まれで途中引っ越しもありながらも産まれてからこのかた50年間ずっと千葉8区のエリアに住み続けている。
小中高と柏市内に通い、旧来の友人は今でも半分以上が柏市(旧沼南町も含むので千葉8区と重ならない部分もある)と我孫子市在住だ。
旧友と集まったら政治の話をすることも多いので地元住民の温度感としてはそれなりには民意を表しているのではないかと自負している次第である。(バイアスは掛かってるものの、n=50くらいで考えていただきたい)
なお、衆議院議員選挙については桜田よしたか氏が初当選した96年10月の時からずっと09年8月の政権交代選挙のときも含めて彼に票を入れ続けている根っからの自民党支持層だ。
さて、閑話休題。桜田よしたか氏が8選を掛けて望んだ千葉8区について。
「今までやってきた選挙で一番厳しい選挙」 そう桜田よしたか氏は語った。氏は小泉郵政解散の05年以外得票率が50%を超えたことがなく、今回野党は対立候補を統一化させた。
そのテコ入れとして同期当選の菅義偉前総理大臣、高市早苗政調会長の手厚い応援演説等を賜り、柏駅西口ロータリーは多く人に溢れ活気に満ちた。
「これはもしかしたら行けるんじゃないか?」と桜田陣営は感じた。
しかし下馬評をある程度は巻き返せたものの、自民党公明党の支持層を最後までまとめきることが出来ず野党統一候補の本庄知史氏に敗れることとなった。そして比例復活も出来ず後に政界引退を表明することとなった。
何故当時の選挙で桜田よしたか氏は敗れてしまったのかについて5つに分けて書いていこうと思う。
?1.失言が多かった
☓2.年齢が高齢であった
◇1.失言の多さ
失言のデパートこと桜田よしたか氏であるが、実は千葉8区の住民は彼の失言を一つ一つは大したことだと思っていない。
もともと別に育ちが良いわけではなく、人情味溢れた田中村の田舎のおっさんなのだ。
既に政界を引退してしまい皆に大変惜しまれたが昔いた麻生元総理なんてもっと失言は酷かったがそれで自分の選挙が危うくなったことは一度もなかった。
◇2.高齢
これも実は大したことがない。
今でこそ少し記憶力が落ちてきてしまったが、当時はまだ71.2歳とかそこらだったはず。
自民党には70代後半や80代なんて議員もいるわけで高齢だから落とす、後進に道を譲るべきといった声は小さかった。
先述の通り郵政解散以外で得票率50%以上取得したことがない桜田よしたか氏にとってはこれが実は第一の理由とも言えるのだが、実は大筋は違うところにある。
歴史にもしもは無いのだが、例え第46、47、48回選挙で野党候補が一本化していたとしても桜田氏は岩盤支持層のお陰で敗れなかったであろう。柏市は自民党支持層が強い。
氏の敗因についてだが当時強烈に吹いていた逆風の本当の理由が別にある。
◇4.対抗馬の強さ
これは少しだけ関係がある。いくら野党が統一候補とはいえ、太田和美氏が立憲民主党の公認候補だったら桜田よしたか氏は決して敗れなかっただろう。
また、歴史にもしもはないが松崎公昭が鬼籍に入っておらず元気だったら全く別の展開になっていただろう。
新人でありながら本庄知史氏を刺客の統一候補として立てた当時の立憲民主党の福山哲郎幹事長は実はもしかしたらなかなかの切れ者だったのだろうか?
本庄氏は若者世代だけではなく、高齢者が多い我孫子市民からも支持を集め、桜田よしたか氏の従来の支持層を削り取ることとなった。
これは東葛高校時代の旧友と話していて私が感じた桜田よしたか氏の最大の敗因。
彼は大臣の椅子に固執しており、時あることに幹事長にすり寄って大臣になりたいと告げる人物であった。いわゆる自分のポジションに固執する小物だ。
7選+数多くの政治実績+党重役への長年の胡麻擂りクソバードムーブが功を制してオリパラ担当大臣にさせて貰った。
オリパラ担当大臣としての実績や失言については賛否両論あるのでここでは評価を差し控えさせて頂く。
致命的だったのはサイバーセキュリティ担当としての国会答弁だ。
日本のサイバーセキュリティ担当である大臣(オリパラだが)がパソコンを使ったことがないというニュースは全世界に瞬く間に広まった。
米ワシントン・ポスト紙や 英ガーディアン紙を始め、複数の海外大手メディアによって大々的に報道されることとなった。
自分たちが普通選挙で選んだ千葉8区の議員が、「柏のポンコツ」と言われるだけならまだしも日本の恥として世界中から笑われ国益を貶めている・・・
私を含めて選んだ有権者にも選んだ責任がある。桜田よしたか氏は必ず次回の選挙では落とさなくてはならない。
自民党の人事にNOを突き付けなければいけないという強い意志を持った友人が当時多く、最大の逆風はサイバーセキュリティ担当時代の国会答弁であると私は感じている。
しかも!挙げ句 本人は「そんなに私の名前が世界に知られたのか。いいか悪いかは別として、有名になったんじゃないか」と総括した。
これによって桜田よしたか氏の政治生命はこれで完全に失われることとなってしまった。
功績も非常に大きく、人柄も良かったのだがつまらない出世欲によって議員バッヂを失うこととなってしまった。
どんな良い人であっても、やはり欲望を見せると醜い人間だと感じてしまうのだろう。
私の友人たちの多くはサイバーセキュリティに関する国会問答の酷さによって桜田よしたか氏を見限ってしまった。
私の職業柄IT関係の友人が多いというのもあるのかもしれないが・・・・たったこれだけのことで彼の政治生命は完全に終わってしまったのだ。
あれから自民党は少しだけ変わった。幹事長が変わったというのも大きいが、何選したから大臣に付けるといった論功行賞めいた人事がめっきり減った。
完全な適材適所とまでは言わないが、専門外の大臣が頓珍漢な国会問答をするといったことが目に見えてなくなった。
そういった意味で桜田よしたか氏が2021年の選挙で敗れたことは大きな歴史の転換点とも言える。彼が政界人生の最後に残したものは大きい。
別に柏8区の住民達は自民党が嫌いになったわけではない。翌年2022年春の参議院選挙では自民党の2人の候補者に対する得票率は高かった。これは対抗で出馬した野党の候補が酷かったというのもあるが・・・
2024年の第50回衆議院議員選挙で柏市議会議員の桜田慎太郎氏が桜田よしたか氏の三バン(地盤看板鞄)を引き継ぎ危なげなく当選した際、めっきり白髪が増えて少し身長が縮んだ(腰が曲がった?)彼の涙は忘れられない。願わくば幸せな老後を過ごして欲しいものだ。
最初見た時は圧倒的すぎて終演後に何も言葉が出てこなかったけど、数日たって落ち着いてきたのでちょっと書いてみる事にしました。
不老不死の鬼が女の子の赤ちゃんと出会って死に別れてその後どう生きたかっていうのが大筋で、主な登場人物は鬼と女と男っていうシンプルなものでした。
途中で男が鬼を倒すために用意する刺客もいるけど、3人を巡る輪の中に巻き込まれたという印象でした。
季節に合わせて春が10代、夏が20代、秋が30代、冬が40代と女と男が成長していくのをキャストを変えて表現するのがとても分かりやすかったです。
照明やBGMも同様に変化があり、セリフが一切無い分見る側の感覚も少し研ぎ澄まされて色々な部分にに気付けた様な気がします。
公演終了後にキャストの皆さんが配信アーカイブを見ながらトークをするという事を聞いたのでこちらも拝見させて頂きました。
沢山の裏話や皆さんのお好きなシーンのお話が聞けたのがとても楽しかったです。お話を聞きながらだったからこそ気付けた部分もありました。
女と男が30代を迎える秋のシーンは男の動向の酷さが際立つので、キャストの皆さんからもコメントの皆さんからも非難の嵐だったのがちょっと面白かったのですが、悪いのは秋の男だけではないと思ったんです。
個人的に秋の男がとても好きになってしまったからどうにか擁護したいけど、基本的には擁護できるポイントが限りなく少ないので色々考えてみた結果、夏の男に原因があるのではという所に辿りつきました。
夏の男が出てきて暫くはなんやかんや鬼と女と男3人で仲良くできていて(水面下では鬼と男がにらみ合ったりしてたので表面的かもしれませんが)女が理想としてる環境だったと思うんです。
ですが、途中で夏の男がマスケットを呼んできた事で事態は急転し最終的には鬼と一騎打ちにまでなってしまうので、秋に至るポイントとして夏の男がマスケットを呼んで来なかったら意外と上手くいったのではという説です。
マスケットは呼ばれて仕事をきっちりこなしただけなので悪くない(?)んですけど、結果的に鬼と男の決裂を決定的にしたのは彼の存在が大きかった様な気がします。
台本にも夏の男とマスケットがどういう関係性なのか明言されていなかったので夏の男が雇った人なのかなという想像の上で話しを進めています。
夏の男がマスケットに女の事もちゃんと話しておけばあんな大変な事にもならなかったと思うんですけど、夏の男はあくまでマスケットに鬼の足止めを依頼してたと考えられるので女がその場に来るのは想定外だったんじゃないでしょうか。
マスケットが登場する直前に女と男が会っているシーンがあり、男が女をどこかに連れて行こうとして拒否をされるのですが恐らくそこでは何かしらの説得が完了してたんだと思います。
でも女は鬼も男も心配だから現場に駆けつけてしまい、、、という結果になるので、夏の男の未熟さと仕事があまりにも出来すぎるマスケットの存在が秋の大惨事の原因だと私は考えています。
この未熟さを燻らせたまま秋へと突入してしまうので、秋の男があんな動向に至ってしまったと思います。
秋の男が女にやってしまった事は絶対に許してはいけない事ですが、とにかくキャストの岡村さんがかっこよくて目が離せませんでした。
絶対にしんどいと思われる殺陣をやってる中、秋の男の勝利を確信した笑みを浮かべてる姿がとても印象的でとても好きでした。
次回の公演ではいい人の役柄だそうなのでまた違った印象を得られそうでとても楽しみにしています。
大塚の萬劇場という所で上演されていたのですが、感染症対策がとてもきっちりしていてびっくりしました。
入場の際に手洗いから求められるのは初めてでしたが、ちゃんとしているんだなと感じ安心して観劇が出来ました。
今では客席のパーテーションが撤去されている所が大半な中、そこもしっかりしていて消毒とか大変だと思うのに考えられているんだなと思いました。
内容もあまり良く分かってないまま次回作やりますって言われてすぐにチケットを買う事はあまり多くないけど、壱劇屋さんなら大丈夫という気持ちになれたので次回作も必ず行こうと決めました。
岸田で議席減らして結果的に安倍麻生の影響力がまた強くなってしまうくらいなら、今回はいっそ自民に入れよかとも思ったけど、カルト教団って…
ネオリベのゴミクズは竹中平蔵のケツ穴舐めて下痢便啜って「やっぱりトリクルダウンはありましたぁ!」とか言ってりゃいいので論外中の論外やし、
そんじゃあ野党かと思うと、共産党。まあええよ俺ずっと共産党投票してた時期あったよ。
でも…候補者は髪型でジェンダーフリー感出してきてるレインボーウーマン。いや俺も性的マイノリティ差別はアカンと思うよ、でもそこ推しで来られてもさ。だいたいレインボー消費とか言って無い需要をあるかのように言ういつもの電通のやり口に共産党が乗っかってどうすんの、っていうか。まぁあと共産党のダブスタ露呈にはガッカリしたってのがあるわな実際。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1792159
という噴飯モノのコメントがあった。アホなのか。しかも星がついてる。アホなのか。
ほかのコメントでも指摘されている通り数学を学ぶ手段は十分に広く提供されていて、たいていは性別問わず全人類に開かれている。
そもそもPornhubは女性もアクセス可能で、そんなサイトにアクセスしたくないというのは単なる自己都合にすぎない。
それでもなお気に入らないなら、インスタなりTikTokなり女性ウケのいいメディアで数学を教えればいいじゃないか。誰もそれを禁止などしていない。
たぶんこのブクマカは「男性向けに提供されている」という一点が気に入らない余り論理がバグッてしまっているんだと思う。
「男はポルノサイトでも数学が学べる」=「女性の存在を無視している」=「女性は数学を学んではいけない」と脳内変換されてしまったのだろう。
このブクマカは狂気が飛び抜けているが(ほかのコメントも大半が難癖・イチャモンのたぐいだった)、こうした理屈じたいはそれほど珍しいものではない。
男性向けのサービスと見るや、それを女にも提供しろと騒ぎ出す例は枚挙にいとまがない。
自分は何も損していないのに他人がトクしているのを「ずるい」と感じるのは、本質的に平等・不平等とは関係がない。それは嫉妬や羨望であり、道徳的にはかなり低級と目されている心理である。
少し前、「やよい軒」という定食屋に「ライスがおかわり無料なのは少食の人に不公平である」というクレームが寄せられ、おかわりが有料化されたことがあった。
無料ライスのコストはメニュー全体の価格に転嫁されるのでたしかに不公平と言えなくもないが、だったらお前もおかわりをしてモトを取るかコスパに納得のいく別の店で食えとしか言えない。
実際にユーザーの反応もおおむねそのようなもので、「これでわかったでしょ」という感じでやよい軒はライスのおかわりを無料に戻した。一時的な有料化は以後同じクレームを封じるためのポーズだったのかもしれない。
Pornhubの数学にイチャモンをつけるのはやよい軒のおかわりにイチャモンをつけるのと同じ、不平等と嫉妬の峻別ができていないのだ。
ジェンダーにからむ不平等の訴えが全部これだと言っているわけではない。
正当な訴えもたくさんあり、もちろんそれらは是正されるべきだ。
ただ、上に書いたような不平等と嫉妬の区別ができていない人々の存在は、正当な主張の邪魔にこそなれ、利益は何一つもたらさないと思う。
呉座勇一氏の騒動について、彼の雇用がどうなったかについて誤解があるようなのではてブに突っ込んでみます。
日文研の元助教に懲戒処分 長期にわたりSNSで不適切発言繰り返す|社会|地域のニュース|京都新聞
[B! 炎上] 日文研の元助教に懲戒処分 長期にわたりSNSで不適切発言繰り返す|社会|地域のニュース|京都新聞
shigak19 「10月から日文研の非常勤の機関研究員となっている」非常勤とはいえ雇用継続か/しかしここのコメントにもひどい二次加害のコメントが。一方的な誹謗中傷を受けても「被害者」じゃないのか
differential 少なくとも北村氏は明確に中傷の被害者だったよね…/研究者のポストは残ってよかった。己の中の黒い感情の手懐け方を身につけて、悪いおトモダチとネットで遊ぶのはほどほどにして笑、研究に邁進して欲しい
こういうのを「雇用継続」とか「ポストは残った」とは(言っちゃ駄目とは言わないけど)普通は言いません!
正社員の地位を解かれパートになるのを「雇用継続」とか「ポストは残った」って言います?
研究者の世界には「テニュアトラック」という制度があります。簡単に説明すると、「数年間は任期付の正社員として雇用し、その数年間の業績を評価して終身雇用の正社員にするかどうか決める」という制度です。
多くの場合、テニュアトラック期間中は「助教」という職位(assistant professorの訳)で、テニュア審査に通ると「准教授」という職位(associate professorの訳)になります(もちろん例外は多々あります)。
これはもともとアメリカの大学で採用されていた制度ですが、現在は日本でも一般的です。とはいえお国柄による違いというものはあり、アメリカではけっこうな割合でテニュア審査に落ちる(つまり終身雇用への移行が拒否される)ことがあるそうなのですが、日本でテニュア審査に落ちたという話はあまり聞きません。採用人事大変だし、数年間も一緒に仕事してるわけだから勝手もわかってるし、何より日本には定年制がありますからね。
(アメリカでは定年制は年齢差別となり違法なので、一度テニュアを手に入れたら死ぬか自発的に辞めるかしない限りは職に留まれます。一方、日本の大学には基本的に定年があるので、どんな偉い学者でも定年を迎えれば退職です。これを利用して、定年を迎えたノーベル賞級の偉い学者を教授として迎え入れ、受賞者が出たら「うちの先生がノーベル賞を獲りました!」と大々的に宣伝している私立大学というのもあります。選球眼がすごすぎる)
呉座さんはこのテニュアトラック枠で2016年秋に採用されていました。任期は5年だったので、何も問題がなければ今年の秋にテニュア審査を受けて助教から准教授になれた、すなわち国際日本文化研究センターに定年まで留まることができるようになっていたはずでした。
しかし、現在の彼の職位は非常勤の機関研究員。これは世間一般で言うところの「パート」「バイト」の身分です。ほぼフルタイムで勤務している場合もありますが、それは長時間パート勤務をしているというだけで、正社員という待遇ではありません。
つまり彼の地位は「数年間という期限つきの正社員」から「バイト」にまで落ちたということになります。
呉座さんの場合、博士号もあり、学術的・啓蒙的な著書を何冊も出しているので、今回の騒動がなければ准教授になれていた、つまり定年まで組織にいられる正社員としての身分を手に入れられていた可能性は非常に高いでしょう。逆に言うと絶妙のタイミングで告発が出てきたということで、人の恨みを買うのが一番怖いという話ですね(本人も「もうちょいで准教授になれるぜヒャッホウ!」と思っていたんだろうなぁ)。
10月付で肩書きが助教でなく研究員になってる模様( https://research.nichibun.ac.jp/sp1/ja/researcher/staff/s377/ )。謝罪もしたし処分も受けたという理解。 この件 https://b.hatena.ne.jp/entry/4699963914661886050/comment/Fuggi
10月付けで肩書が助教じゃなくなるのは上で書いたように既定路線でした。ただ変わった肩書が予想外すぎたという話で。
賃金は出てると思います。というのは、上で書いたように呉座さんは今後も日文研で仕事を続けることが見込まれていたので、10月以降も呉座さんがするはずだった仕事が残ってた可能性があるんですよね。ひょっとしたら外部の研究費を取ってきてたかもしれないし。仮にそれを処理するために非常勤で雇用されてるとすると、当然(具体的に「これこれこういう仕事をしろ」と指揮命令を受けているわけだから)賃金は払う必要があるはず。
なお、賃金が出ない研究員というのもたまにありますが、それは「就職先が見つからない院卒者に○○大学所属という肩書と学内施設へのアクセス権を与える」ための措置なので、具体的にどんな仕事をしろとか命じることはないです。
大学教授に他の大学に所属している研究者の雇用をどうこうするような権力はないです。処遇を決めたのはあくまでも日文研で、北村さんにはその決定に関わるなんの権限もないはず。
ただ、北村さんが一般向けの媒体とかにも寄稿している有名人だったからこそここまで問題になったというのはあると思います。無名の研究者にハラスメントしてたら雇用先に気づかれず逃げ切っていた可能性もある。とはいえ無名の研究者だったらここまでタゲられてなかった(有名だったからこそ粘着された)でしょうから、無意味な仮定ですが。
KKElichika 勤務時間外=使用者の管理外⇒本来懲戒処分権の範囲外&ほぼ業務とは無関係の行為ってこと考えると、結果的に法人の評価を貶めたとみても、停職1か月は相場より重い。訴えられたら負けそう。訴えないだろうけど。
これ、研究者の間では「SNSでの誹謗中傷」というよりも「アカハラ案件」だとみなされているんですよ。歴史学者が出した声明とかもその線に沿ってるので。それでハラスメント案件として重めの処分になっているんじゃないですかね。完全に憶測ですけど。
ただ、これどう考えてもアカハラじゃないんですよね。北村さんは呉座さんと面識がなく、タレコミがあるまで誹謗中傷のことも認識してなかった(それまでは彼女の研究活動その他に影響を与えてなかった)わけで、アカデミックな場で行われるハラスメントとは言いづらいものがあるというか。所属機関も所属学会も専門分野も違っていて、なおかつ面識がない相手に行われるアカハラって聞いたことあります?(同じ会社に勤めているわけでも取引先というわけでも同業他社ですらなく一度も会ったことない相手へのパワハラ、とか、私は聞いたことない……)ていうかそもそも、川上未映子さんや三浦義隆弁護士の悪口まで言ってたんでしょ。アカデミック関係なくない?
「アンチフェミ・アンチリベラルのツイ廃がフェミ・リベラル界隈の有名言論人の悪口言いまくってたら、たまたまどっちも博士号持ちの研究者だった」というのがことの本質だと思うので、「男性研究者が女性研究者にハラスメントしてた」というフレームは違う気がするんですよね。銀行員が帰宅途中の路上で強盗に襲われたのを銀行強盗と呼んでるみたいな感じ。もちろん強盗はよくないことだし罰せられるべきだけど、それを「銀行強盗」と呼んだり「銀行強盗をどう防ぐか」みたいな話に繋げたりするのはなんか違うというか……
日本の電機メーカーたちはシンプルに「要らん機能コテコテ大盛りで無駄に高価格」にしてたから最終製品が売れず、結果的に部品となるディスプレイ素材でも損失につながった側面も強いのでは?
その間に伸びた韓中台メーカーなどは最終製品のブランドが弱かったが故に、逆にそこでの赤字も少なくて済んだような気が。むしろ長く続いたデフレによって「とにかく安ければいい」で売れてた。
サムスンなんて今では一流の顔してるけど、20年くらい前までは少なくとも日本においてはpgrされる謎ブランドだった。ドンキとかで「三星」のくそダサTVが売ってるのを見て、友達と大爆笑したことを覚えている。「三星ってどこのメーカーだよ聞いたこともねぇよwww」って。
これは過去にそのおばあさんが同じ目にあっていたからだと思います。
自分がされた事が悔しくて悔しくて耐えられなくて、それなら自分もやってやるとなるわけです。
自分がされた事をやり返してすっきりする上、場合によってはお金までもらえるのです。
そんなのやらなきゃ損じゃないですか。
もう失う物は何もないという人にはうってつけの商売です。
また、これはドラレコが付いていなければ誰にでもできるテクニックなのです。
こういうことがあるからドラレコつけましょうとなってメーカーも儲かる。
こういうことがあるから保険の特約に入りましょうとなって保険会社も儲かる。
こういうことがあるから信号機に監視カメラをつけましょうとなって以下略。
追記したら、つらつらと書き足したことが表示しきれなくなってしまったので、記事を分けて残しておきます。
Xの次に背の高い人は誰?という問題で、以下のような内容です。
【問題】
この5人の中で、Cの次に背が高い人は?
【選択肢】
1.B
2.D
3.どちらとも解釈できる
【結論】
私は、3.どちらとも解釈できる、が正解と思っていて、言い方を変えると「Bの方が確からしいが、問題文として不備があるのでDの可能性が排除できない」と思っています。
【解説】
これが一番大事なところです。各々の解釈で話を進めるから大変なことになるんです。日本語に関して絶対的に正しい辞書を用いて話しましょう。
次
1:すぐあとに続くこと。また、そのもの。
高い
2:数値が大きい。また、度合いが大きい
とあります。
答えは"必ずそれぞれの1,2どちらかの表現を用いて表すことができます”。
以上を踏まえて読解していきます。
【解がBになる解説】
①昇順か降順か書いてないので、問題文に書かれていないことは勝手に推測しない。(問題解釈の基本)
Cの次に高い→Cより一段劣る背が高い人、なので155cmのBがCよりも一段劣る背が高い人。
これは劣るのに背が高いと続いて日本語としてやや不自然ではあるが、いったん置いておく。
②5人の一覧をわかりやすくすると、
E170cm 最も高い
A150cm 最も低い
となり、
この中でCの次に背が高いのは?と聞けばBになることが理解しやすい。
身長の数値が大きいという評価基準で、Cのすぐあとに続くものはBで疑いようがない。
【解がDになる解説】
Cの次に背が高いのは?
↓
次に、と聞かれたので、必ずあとに続くか一段劣るものを選ぶため、何かの順番に並べる必要があり、その場合のC(基準値)の次のもの(X)が問われている。つまり、
↓
そう考えたとき、身長が何cmかはただの識別情報なので、数学的解釈は使わずに答えが出せる。
つまり、
A 背が最も低い
B 背が低い
C 背が普通
D 背が高い
E 背が最も高い
ということ。
なぜなら、"背の順″は背が低い順とは言わなくても誰しもが昇順と理解するし、高い順番から並べることは一般的な解釈とは言えないので考慮しない。
ゆえに、始点Aから始まる背の順において、Cのすぐあとに続く背が高い人はD。
「背の順でCのすぐあとに並ぶ身長が高い人はD」
→「ある順番でCのすぐあとに続く背が高い人は誰?」
→「Cより順番がすぐあとになる背が高い人は誰?」
→「Cの次に背が高い人は誰?」
となって、この文章を背の順と理解できることに矛盾が生じないと解釈する。
ここでの争点は「ある順番とは何?」で、そんなもんは知ったこっちゃないのですが、普遍的に背の順番は昇順(背の順)になることを考えて、答えは、"背の順でCのすぐあとに続くD”となります。
背が高い方から並べたB理論は、「ある順番」が何か指定されていないことに気づかずに数値が一段劣る、の意味だけで解釈をしてしまって、数値が最も高いものからの降順以外の可能性を考慮できていません。
並べ方について問われている問題なので、単純な数値としての160cmと155cmの比較だけの「160cmより一段劣る背が高い155cmの人」という表現は日本語として不自然です。
【Bの方が確からしいが、問題文として不備があるのでDの可能性が排除できない理由】
これは背の順だから起きてしまったことで、例えば以下の例ではどうでしょう。
スカイツリー 634m
東京タワー 333m
あべのハルカス 300m
横浜ランドマークタワー 295.8m
りんくうゲートタワービル 256.1m
このとき、B理論もD理論も答えは横浜ランドマークタワーです。
(B理論)
①634mが数値として最も高いので、基準値あべのハルカスのあとに続く建造物は横浜ランドマークタワー。
②300mという数値にたいして一段劣る高い建造物は295.8mの横浜ランドマークタワー。
(D理論)
256.1mを始点とした低い順は一般的に想定されないので考慮しない。
高い順であべのハルカスのあとに続く全長が高い建物は横浜ランドマークタワー。
以上のように、回答としてはどちらも同じ横浜ランドマークタワーで丸く収まっていますが、実際の思考プロセスには隔たりがあります。
他にもいくつか例を挙げて、それぞれの思考を掘り下げてみましょう。
1位 100点
2位 90点
3位 80点
4位 70点
3位の次に点数が高い人は何位?
(B理論)
①100点が数値として最も高いので、基準値3位のあとに続く点数が高い人は4位。
②80点という数値にたいして一段劣る高い点数は70点の人で4位。
(D理論)
順番が3位のすぐあとの点数が高い人は4位。
ある程度わかったかもしれませんが、大抵のものは降順ランキングになるので、思考プロセスは違っても答えは同じになります。
では、このようにしたらどうでしょう。
160cmの次に高いのは161cm、159cmのどちらでしょう?
(B理論)
161cm 最も高い
で、どちらも159cmで疑いようがない。
(D理論)
159cm 数値が最も低い
161cm 数値が最も高い
となる。
問題文を整理すると、
160cmの次に背が高いのは
↓
次に、と聞かれたので、必ずあとに続くか一段劣るものを選ぶため、何かの順番に並べる必要があり、その場合の160(基準値)の次のものが161か159か問われている、つまり
問題.〇〇の順番で基準値のあとに数値が高いのは161と159のどっち?
↓
答え.◯◯の順番で基準値のあとに続く数値が高いものは161 or 159、となる。
答えは、160㎝のあとにつづく数値がたかいものは161cm。
しかし、「あとにつづく数値がたかいもの」という表現は日本語としては不自然で、B理論はどちらも自然な結果になっているため、Bと解釈する方が収まりがいい。
この結果は単純な数値の比較をした際、B理論の解釈が常に正しいと言えることを証明しているともとらえられます。そして、その場合の順番は常に降順(高い数値が上)です。
ようやく輪郭が見えてきましたね。問題になるのは、「単純な数値の比較ではない場合」です。
Sサイズ(数値小)
Mサイズ(数値中)
Lサイズ(数値大)
(B理論)
①Lサイズが最も数値が大きいので、基準値Mサイズのあとに続く大きいサイズはSサイズ。(大きいサイズはSサイズ、と言っているのでこれは日本語表現としてやや不自然)
(これも一段劣る大きいサイズ、という言葉は日本語表現としてやや不自然)
(D理論)
服のサイズはSサイズを始点として、S、M、Lと数えるが、L、M、Sとは数えない。
Lサイズから始まる店は存在しないし、サイズについて比較する際は必ず始点にSサイズがある。
ここまでの例題からわかったことは、「次に〇〇」で昇順/降順のどちらに動くか判断が付かない場合は、どちらの理論も試してみて、より自然な言葉になる方を選べばいいだけです。
なぜBD理論が論争になっているかというと、このケースではB理論も成立していて、D理論も成立しているからです。(どちらの結果も日本語が不自然にならない)
B理論支持者は、単純な数値の比較をした際は常にB理論の解釈が正しいことを根拠に、問題は数値について問われていると勝手に解釈して、答えはBで揺るがないと思っています。
これは、数値の比較なので数値が高い=上のものという認識があるので、降順以外は考えられていないです。
一般的に「Xの次に高いものはどれ?」という問題は凡そ全て数学の問題のため、みんな単純な数値の比較以外の用法は聞いたことがないので、D理論は意味の分からない勝手な解釈をしている例外だと判断しているのです。
続いてD理論支持者ですが、まず第一に「背を比較するときの順番は背の順(昇順)である」という解釈が前提にあります。
この前提が正しいとみんなが思ってるかはわからないですが、私の中では「大体そう」ってぐらいの認識です。
ロシアだと背が高い人が前に並ぶし、国内では自衛隊も高い順に並びます。
しかし、「背の順で一番前の人は背が高い?低い?」って聞かれたら真っ先に低い人を想像します。
また、「複数人の背を一斉に比較するために順番で並んだとき、先頭に並んでいる人の身長は一番後ろの人よりも身長が低い?高い?」って聞かれたら、うっかり低いって断定してしまいそうですが、
この問題についての正解は、「どの順番で並んでいるか知らないので、どっちもありえる」です。
一番最初の解説でも言いましたが、「次に」と言われてるので、何かの順番になるのですが、問題文からそれが確定することができません。
そのために2つ仮説を立てます。
B派は単純な数値の比較と同じ降順だと想定した場合でも、数値が高いものが上にくると仮定した降順でも結果的に答えはBで、どちらの根拠もある程度正しいと言えます。
D派は背の順だと仮定すれば正しいと言えるし、「背の順かどうかは書かれていないのでどっちもありえる」とも言えます。
比較してみるとD派の方が勝手な解釈に見えて根拠としてはやや弱い気がしますが、B派も肝心の前提条件は絞れていないので、降順という仮説が成り立たない限りは、"日本語として不自然な表現の答え”に過ぎないので、Dという答えを誤答とは"しづらい”です。
ゆえに改めて私の結論をより詳細に述べると、「Bの方が仮説を立てる根拠が確からしいが、問題文として不備があるので別解Dの可能性が排除できない」となります。
【まとめ】
BD問題は、大体の場合がどちらも先入観や勘違いをベースに論争をしているので、全く噛み合わないケースが多い。
BとDのどちらも根拠がありそうな正解を導き出せるようにしていて、あえて論争を起こそうとしてるのではないかとすら思える。
また、B理論支持者の方が論理的に正しいと言えそうで、実際は降順の並び替えについての根拠が整数の並び順でしかないことについて気づく人はあまりいない。
D派は背の順、というあやふやな根拠を理論にして戦ってるので、かなり分が悪いし、どこまで頑張っても前提条件は判明しないので、「Dが間違いとは言えない可能性がある」としか言えないので、屁理屈扱いされる。
もしも、背の比較をするときは必ず背の順(昇順)に並ぶ、という解釈が絶対的になることがあれば(仮に)、D理論はB理論よりも確からしくなるし、BD問題の結果がB、Dどちらかの100%になったとしたら、それは日本語が変化したと言えるのかも知れません。 実際に何%になったら辞書が変わるのかとかは知りませんが、誤用が広まって定着した結果、用法として辞書に載ってしまった例はありますし、時代とともに意味が変化していった言葉はたくさんあります。 いずれ、Xより一段劣る背が高い人、という表現が当たり前に使われる日も来るのかもしれません。
しかしながら、BD問題は"問題文として”試験に出せるようなシロモノではないと思うし(最初のツイ主さんは、これは問題ではなくアンケートだと仰っていました)、もしも私の解釈がおかしいところがあるとしても、表現方法に問題があるとは思います。
もしもBかDの2択ならBの方が根拠が強いと思うので、Bを選ぶ方が正しそうです。しかし、BD問題は4択にしてしまっているので、問題文も選択肢も合わせて罠になっています。
問題文とは回答者との誤解なきコミュニケーションであるべきだというのが私の主張です。 つまり、答えに対しての問い方でなくてはいけないし、正しい根拠でのみ正しい答えが導き出せるようにしなくてならないということです。
(注意力や論理力があれば解けるひっかけ問題まで悪いと言ってる訳ではありませんよ、念のため)
テストやクイズを作る方はもちろん、この問題は日常生活でも起こりうることで、誤解なきコミュニケーションを大事にしていくべきだと強く思う結果となりました。
【おまけ」
①次に「高い」か「低い」かで昇順、降順が決まると思ってるパターン
やっかいなことに、例題のいくつかの問題はこれでも当てはまっちゃうんです。
ただし、「300mの次に高い建造物が301m以上のもの」、「160㎝の次に高い身長は161㎝」になってしまって、破綻します。
この説には根拠がありませんが、ゆえに都合の良いように解釈できてプラス方向にもマイナス方向にも行ったり来たりと便利なので用法としても広まってしまっています。
②主語/述語、装飾語/被装飾語の関係で法則性を見つけようと思っている人
これもやっかいです。体感ですが、正しく文法などのルールをきちんと勉強したことがある方でここに辿り着いた人はいないと思ってます。
(専門家である飯間先生のツイートでも言及されていなかったので。もし文法で解釈できるならご一報ください)
私も専門家ではないし、きちんと勉強した人じゃないので触りだけにしますが、
Cの次に背が高いのは?
↓
Cの(修飾語)次に(被修飾語)背が(修飾語)高い(被装飾語)人は(主語)誰(述語)?
となるので、この文章は複文(1つの単文の中に単文が組み込まれている文)です。
複文なのでまとめると、
となります。
もう少し粘ってみましょうか。
Cの〇〇に背が〇〇な人は誰?としましょう。
Cの(あとに続く、または、一段劣る)背が(大きい)人です。
あとに続くのか一段劣るのか断定できないので、「背が大きい人」とは、「Cのあとに続く背が大きい人」なのか、「Cより一段劣るけど背が大きい人」なのかの区別がつかないので無意味です。
③「次に背(身長)が高い人」と「次の高さ(身長の度合い)が高い人」を混同してる人
Cのあとに続く高さが高い人は誰?
↓
〇〇の順番で基準値のあとに続く高さが高いXは誰?
↓
昇順でCのあとに続く高さが高い人はD。
これはXのあとに続く"高さが高い人”に絞っていて、高さが低い人を排除してしまっているので、文の構造が完全に変わっています。
ちなみにこの解釈をすると、「Xより一段劣る背が高い人」は「Xより一段劣る高さが高い人」になるので、B理論は自己矛盾を抱えることになります。
選挙期間に入って裁判官を罷免させる権利の一部を持つ人が一億人近くもいるはずなのに、話題になるのは政治家や政党の事ばかりで、裁判官についてはさっぱりだからな。
そして選挙当日は、小選挙区と比例代表の投票後に、国民審査の投票用紙を何も書かずにそのまま投票箱に入れるんだろ?
せっかく俺が裁判官のことを調べた上で×を書いて不信任に投じても、お前らが記入欄を空欄のまま投票するから信任されちまうじゃねーか。
裁判官を罷免するには有効投票の過半数以上の不信任が必要だけれども、×以外の印を書くか空欄のままだと信任扱いになるからな。
審査対象となる裁判官をしっかりと調べた上で、信任するという強い意志を込めて空欄で投票するんなら、俺もその意思を尊重しよう。
でもそんな人は極一部で、何も考えずに空欄のまま投票する人がほとんどだろ。
はっきり言ってそんな奴は迷惑だ。
裁判官の事をわかっていないなら、ちゃんと国民審査を棄権してくれ。
どうせこの文章を読んでいるお前は、棄権できることすら知らないんだろ。
小選挙区と比例代表を投票する流れと同じ様に、国民審査の審査用紙を受け取るのが当たり前だと思ってるんだろ。
人に言われることでしか投票所に行かない様な程度の低い奴が、国民審査に真摯に向き合うはずがないからな。
投票所に行けと煽ることで、結果的に国民審査の信任率を過剰に高めることになる。
それは、国民が最高裁判所に対して持つ罷免権という唯一にして最大の権限を弱めてしまうことも同然だ。
その責任は知りもしないから、投票所に行けと煽るだけの奴は己の罪深さを意識すらしていないはずだ。
司法府の長たる最高裁判所の裁判官の信任率が異常に高く、実態と乖離しているにもかかわらず、そのことを立法府も行政府も問題視していないのは、この国の三権分立が正常に機能していないことを如実に語っているも同然だ。
権力を監視すべきマスメディアがこうした権力の癒着を問題視していないのも同罪だ。そのことを疑問視しない国民一人一人も同罪だ。当然これを見ているお前らだって同罪だ。
言うまでもないことだけど、国はお前ら国民を舐めているよ。
それは投票率が低いからでもないし、自公政権の得票率が高くて政権交代を起こさないからでもない。
はっきり言って、国民が最高裁判所の裁判官を罷免できるなんて、強すぎる権力だと思うよ。
国民にそれだけの権力があるのだから、最高裁判所の裁判官は、選挙活動をする政治家以上に自分の仕事ぶりをアピールするのが本来あるべき姿のはずだ。
だけどそんなことはしない。
やっているのは抱き合わせ商法のごとく、衆議院選挙のおまけのごとく国民審査を組み込んでいるだけだ。
立法府の一員を選出すべき選挙に裁判官の審査を組み込むとは、司法権の独立の提唱者が聞いてあきれることだろう。
そして、記入欄に×印が書かれたもの以外は信任扱いするという、司法府の権力者にとって非常に都合がいいシステムを採用している。
無論、国民審査制度が始まって以来、罷免された裁判官は一人もいない。
このように、権力に都合の良い制度を運用し続けていることから、裁判所が国民を舐め切っていることは如実だ。
そんな国民の姿を見れば、国会だって政府だって舐めた態度をとるのは当然だ。
そうなれば、奉仕者たる公務員だって舐めた態度をとるに決まっている。
国民審査制度を理解していないというお前らの罪深さを、俺は十分に語ってきた。
だけど残念ながら、俺の文章はほとんどの奴には理解できないままだと思うよ。
理解できているんなら、国民審査制度という国民に過剰な権力を与える制度なんてとっくに崩壊しているからな。
別に、国民審査制度を理解しろだとか、審査対象の裁判官を事前に調査しろだとか、そんな大層なことはお前らに望んじゃいねーよ。
俺が望むのはタイトルにもある通り、『国民審査を理解していないのなら、せめて棄権してくれ』っていうことだけだよ。
迷惑だ。
だけど、まずマイルドインフレにならないことには企業の資金調達しての設備研究投資意欲を起こせないんだよ。
そこで、財政破綻が起きるから財政出動はできないんだ!というのに対して、MMTで、財政破綻は自国通貨建て国債の問題じゃないよね?という疑問が投げかけられたと。
あと、誤った財政均衡論でこそ、基礎萌芽研究投資も破壊された。目先のすぐ確実に儲かりそうなものばかり探してそれだけに金を出すことが正しいとされた。構造改革や規制緩和とやらで新しいものが生まれるなんて勘違いした。
アホを煽って起業だ!イノベーションだ!と煽った。結果的に産業は衰退した。転売屋を素晴らしいイノベーションだ!と褒め称えるぐらいにまでなった。
無論産業を強化して外貨を稼ぎ続けにゃならんよ。財サービスの需要が強くて物の値段が上がるが、自分たちが儲からないというのはこれまたスタグフレーションという不況だから。と言っても、財サービスの需要が強いのだから自分たちが需要をつかめれば儲かるんだけどな。
新自由主義は不景気の温存と資金循環を無視する税制で、企業の設備研究投資を破壊し、政府の緊縮思考と、近視眼により、基礎萌芽研究を破壊するからこそ、産業劣化して、恐ろしいインフレや、外貨を稼げなくなっての財政破綻に導く。この30年の結果。
現実的に説明すると、今のジャンプとか少年誌って顧客の年齢層が上がってて
http://www.jgnn.net/ls/2011/12/2002.html
http://honkawa2.sakura.ne.jp/3969e.html
以前はグロ表現やショッキングなシーンはマガジン、女子供も楽しめるジャンプって棲み分けだった。
しかし今では、グロ表現やショッキングなシーンが無いと年齢層的に満足できなくなったのではないかと考えられる。
結果的にハンターハンターに影響を受けた、知略的でグロでショッキングな漫画が中心になり、
従って感情の振れ幅が大きくなる「尊いシーン」が推しの死亡シーンに移行してるのではないか。
それに応じて「吐いた」など、ある意味否定表現とも受け取れるものが誉め言葉として浸透してるんじゃないのかな。
ただ現実としてゲロ吐いてるとは考えずらいよね。真顔で「ゲロ吐いた」とか書いてるんだと思う。
『Q.なぜルール(だと自分が信じているもの)を守らない人に対して苛立つのか?』
この設問に対して多くの人間はあーだこーだと理由をつけて自分の政治的な正しさと義憤の正当性を主張する。
しかし違うのだ。
この感情を誰もが持っている。
その上でそれに対してのカウンターウェイトである「完璧でなくても意外となんとかなる」を個々人毎に調整しているだけだ。
潔癖症という病はこの「完璧さに対する執着」が肥大化した病だと言われているが、実際には真逆で「完璧でないことに対する許容」の感情が萎縮したことによる病なのである。
完璧でないことに対する苛立ちの感情は誰もが非常に強烈に持っており、生まれつき欠如していても言語などを学習する過程で強力に植え付けられる。
1が2ではなく1+1は2になるということに対して曖昧さの介入を許さないという感覚を持っているからこそ我々は言語や理論を数多く習得し操ることが出来ているのだ。
こういう話をすると「それは『完璧でなければいけない』という脅迫観念であって、ムカツクという感情ではないのでは?」と考えるものもいるだろう。
強迫観念が植え付けられているということは、それに逆らうものに出会った時に精神が不快感を自動的に出力するということであり、不快感を感じれば人はそれを苛立ちの感情として抱え込むことになるのだから。
確かに「完璧でないものを見ると不快感を覚える」と言った方がより正確なのかも知れないが、結果的に出力されたものを「完璧でないものを見ると苛立ちを覚える」であり、それはすなわち「ムカツク」なのである。
これはもう学習されてしまった感情様式であり、人間的な思考や感情を持つための回路に何度も深く刻まれてしまっている。
あとから抜き出そうとすれば全てが崩れ去ってしまい、そのものの言語体系すらも曖昧で本人にさえ理解できないものとなるであろう。
「完璧であることに対する強迫観念」とはすなわち人間を人間たらしめるための器であり、同時にその器を形作る物質そのものが人間にとって毒なのだ。
自分たちの精神や思考を構築する骨組みの中に毒物が混じっていることに対して我々は自覚的になるべきだ。
「完璧でないものはムカツク」という勘定から背を向けてアンガーマネジメントを学ぼうとしても無意味だ。
自分にとって完璧とは言えないものにぶつかった時自動的に苛立ってしまうということを受け入れるしか無いのだ。
つまり、毎度毎度苛立ちに対して精神を抑え込むという面倒臭さを受け入れるほかないのだ。
ここから目を背けたアンガーマネジメントは皆無意味である。
パクられた作者の気持ちも、チュチュアンナのデザイナーの気持ちも想像できるから、胸が苦しいのだ。
まずは作者の気持ち。
私は靴下の仕事を離れた後、別分野のデザインの仕事をしている。
詳しくは書けないが特定分野の仕事で、そこに関係が無い人はまず見ることが無いような世界だ。
気のせいだと思おうともした。しかし私のデザインはある種独特なもので、アイディアとしては思いつきにくい。
非常に悔しかったが色々な事情があったので黙っておくことにした。
今回被害者の作者も悔しかっただろう。怒っただろう。その上で抗議をし、疲弊していることだと思う。
似たようなことをしてきた商品が世に出る度、いつか問題にならないかとヒヤヒヤしたはず。
もしかしたら同じことをやりすぎて、感覚が麻痺してしまった部分もあるかもしれない。
なぜこのデザイナー達(3人らしい)がトレパクなんてことをしてしまったのか。
としているが、それだけでは無いだろう。
問題の大元を考えれば、社会の問題なのである。デザイナー達は、その末端でひとつの判断ミスをしたに過ぎない。
チュチュアンナはトレンドを取り入れた、旬な商品を提供することに長けている。
(だからこそ同業他社はチュチュアンナの商品を参考にするし、真似する。絵柄だけではなく素材や仕様を見たら、
チュチュアンナのパクリなんてものは沢山存在する。もちろん、チュチュアンナ以外の他社間のパクリ合いも存在する。)
時流を読み、素早く対応している。これはイコール超短納期なのだ。
パクリ商品が世に出てしまう流れはこんなところだろう。今回のポメラニアン柄を例とする。
1:商品企画方や営業から「ゆるい動物イラストが流行ってるから10種類書いてくれ。○○日から生産だから、3日以内で。」と依頼される。
2:デザイナーは資料を集め(又は依頼者から提供された資料を元に)イラストを描いて依頼者に見せる。
3:依頼者から「ゆるさが足りない。もっと元のイラストに近づけてほしい。生産日はズラせない。」と言われる。
4:デザインを練る時間が無く、結果的に元イラストとほぼ同じものができてしまう。
(因みに靴下のデザイナーは靴下の、繊維や編み地のプロフェッショナルであって、イラストレーターではない。
イラストを描くのが好きな人もいるが、私の周りは少数派だった。柄の修正にも本当は時間がかかる。
パジャマのデザイナーでも同じようなことが言えるのではないか。)
商品を作っているのは、トレンドを捕まえるのは、デザイナーだけでは無い。
短納期になってしまうのは「流行に乗っている、売れるものを作りたい。(会社に貢献して評価されたい)」という想いからだ。
この想いの元になっているのは消費者の問題だ。しかしその問題を打ち消すのは難しいだろうと考える。
マズローの欲求5段階説(書くと長いので知らない人は調べてほしい)が正しくかつ人間の自然な欲求なのだとすれば、
その欲求を満たすために、メーカーは流行っているもの・かっこいいもの・かわいいものを作り出すのだ。
しかし、今のままで良いのだろうか。
欲求を満たすための方法は、トレンドを追うことで良いのだろうか。
消費者が欲求を満たすために流行を追う限り、メーカーは作り続けるし、
流行というのは多数の人が求めるものであるので、大量に作らなければならない。
大量生産・大量廃棄。今、世界で目指しているサスティナブルな社会とは真逆なのだ。
その実情がある限り、短納期であったり無理を強いる仕事の仕方は変わらないし、トレパクはまた発生するかもしれない。
ありがとう。同業者で完全善意で動いてるのに結果的に同じことになっていてもやもやしてたけど晴れたよ。
同業者としてそれは善意でも同じことを提案するなあと思ったのは自分からも書かせてほしい。
≫高すぎる目標設定
出来ない子は学校で散々否定されてきていることが多い。勉強におけるガソリンであるやる気をそもそも失ってしまっており、目標はせめてやる気が出るものでないとまず勉強を頑張れないので、結果的に高い目標になる。
≫③必要ない授業を受けさせる
例えば本来は「数学Ⅲ」が必要な生徒なのに、まずは基本を固めましょう!と「数学1A」を延々とやらせてしまうとか。
数Ⅲが出来ない生徒が数Ⅰ、数Ⅱから出来ないのはよくある話で、これは誤解しないでほしい。数Ⅰ、数Ⅱが出来ていることが模試で明らかで、Ⅲから先生が変わって学校でついていけなくなったとかなら分かる。
≫④更に授業を増やす
やってみて出来なくて、授業を取った結果、さらに授業が必要だと分かることはザラにある。
復習も一人で出来るようにするのがベストなのもその通りで、こちらとしても一人で出来るように働きかけているけど、出来ない生徒はそもそも心配になるくらい自律心が全くないことが多い。結局働きかけも虚しく、時間と手間をかけたのに何も変わらず、じゃあ最初から先生に見てもらえれば良かったじゃん…と思うことは、ままある。
逆にほんまにそうと思ったことは以下かな。
≫本来生徒に足りないのは家での反復復習なので、教室での新たな知識の詰め込みを増やすのは悪手。
どうしても必要な知識は入れなきゃいけないけどね。反復演習が大事なのはホントそう。ただ、生徒のペースに合わせてると間に合わないのも事実だからバランスが難しい。
≫仮に悪意がなかったとしても結果的にこのようなケースに陥ってしまっている親子は多い。
塾側が誠実にしっかりスケジュールを組んだとしても、子の学力が予想を下回っておりスケジュールについていけなくなるパターン。
時には退くことも大事だし、厳しい言い方になるが、そのお金を本当に今この子に注ぎ込んで後悔しないかじっくり考えた方が良い。
→時には本人の反対を押し切って大学受験を辞めさせることも必要だと塾側としても感じるよ。
≫塾は行かせれば成績が上がる魔法のアイテムじゃなくて、メリットデメリット併せ持つもの。
体力も減るし、ストレスもかかる。お金も減る。時間も減る。夜寝る時間が遅くなる。
今、子に与えるこの授業が家族にとって苦い良薬になるか、毒になるかを親がしっかりと判断してほしいと思っている。
→最後はご家庭の責任です。当たり前だけど。我々は本人、ご家庭が最善の判断ができるようになるべく情報提供したり、働きかけを行うけど、公教育や慈善事業ではないので任せっきりだと何も上手くいかないです。
わかる。植物にとって良い環境の前に、自分の生活の中で必ず目に入る所に置く方がいいらしい。本より対象を注視し施策のフィードバックを受け取り改善方法を検討するということだと思う。枯らさずに済めば結果的に植物のためになるかもしれん。
風には当てないといけないから部屋全体の空気をサーキュレーターで回すなど環境を良くする必要があるが、人間にとっても本当は必要なことなんだよね。死なないからおざなりにしがち。
というか会社は取締役の持ち物ではなく株主の持ち物なんだから、その辺は株主総会の合意が取れるかで方針が違わない?
モチベーションを上げなければならないというのはどこから来ているのだろう。最低賃金レベルの仕事は機械で置き換えるよりはまだ人間を使った方が費用対効果が高い程度の作業なので、モチベーションを上げなくても人員が入れ替わってもこなせるように効率化されている。
それでは身体を壊したりして非効率なら、福利厚生を充実させる方が先かな。賃金って上げたらちょっとやそっとの理由では下げられないし。だからこそ、安定した生活には一時金ではなく賃金の上昇が必要なのだけれど。
金でモチベーションを上げるなら、他にもボーナスとか、若い企業だと月間 MVP の表彰という形で一時金を渡したりとかが常套手段で、賃金の上昇より低リスクで効果が上がる施策が先に行われるかと。金以外では認知的不協和の低減圧力を利用するとか。
なんか「あるべき姿」と「職業としての責務」がごっちゃになっているように見えるので、分けた方が良いかも。自分の中での分類と、それぞれに対して使う言葉を分けることと。強い断定での表現を見たら、本当にそうか立ち返って眺めるのは文章を読むリテラシーだし、曖昧なことを断定しているのは人を騙そうとしている文章に見える。善意が基でも。
分かって無さそうなのが意見してきたのに、優しく書いてくれてありがとね。興味の中心がそこでは無かったのと本当に分かっていないのとで、いやこれは違うよなと思いつつそこはまあいいやで放言してしまった。
とりあえず増田は最低賃金の被使用者でも自分の賃金を上昇させたい人でもなく、あるべき姿を主張したって理解で良いのかな。だと良いなと思うし、その活動が身を結んでそれが当たり前になって、ちゃんと制度として組み込まれると良いなと思うよ。
社員の幸せが事業計画にちゃんと入れられて、みんなが豊かになって経済も回って、結果的に会社の利益にもなって。本当にそうなったら良い。
個別指導塾で4年ほど働いている。
自分の働く教室ではカモ、いやもはや詐欺といってもおかしくないレベルの指導のゴリ押しが横行しており、やるせなくなってきたので一部を書く。
まず初めに言っておきたいことは、個別指導塾に来る親子には総じてバカが多いということである。
そして親の方は受験の知識もノウハウも何も持ち合わせないまま、とにかくプロに金さえ出せば合格に導いてくれると思っているバカ親だ。
こういう親は集団指導塾に行っても子にどの授業を受けさせればいいかわからないので、全部”おまかせ”でやってくれるオールラウンダー、1対1で見るからに高級感のある個別教師を信じてやってくるわけだ。
相手が受験の知識を一切持ち合わせていないと知るや、無知に付け込んで甘言を流し込み、本来なら手の届かないような難関校にも合格できるかも、と思わせる。
どうです、今ここで1年頑張ればその後の人生が大きく開けてきます。僕たちと一緒に頑張ってみませんか。
そして「難関校に合格するための」大量の授業を素早くセッティングしてしまうのである。
というのも、模試を受けると生徒の悲惨な学力が明らかになってしまい、親子が夢から覚めて正気に戻ってしまうからである。
なので、実力がつくまでは逆に負担になるとか、模試は直前期だけでいいとか適当を言って外界と接触させないようにする。
過去問も解かせない。
外界と接触させないというのは問題もそうで、大学受験レベルになると流石に青チャートとかの一般書を使うんだけど、小学~中学くらいなら塾が用意したお手製のプリントとかを使う。
客観的に判断して内容は間違ったこと言ってないし、まぁよくできてるプリント。
だけど全てが塾の中で完結していくので依存度が高まるという点で注意。
ここが一番の詐欺ポイントで、受験に関係ない科目を授業の山の中に紛れ込ませてしまうのである。
例えば本来は「数学Ⅲ」が必要な生徒なのに、まずは基本を固めましょう!と「数学1A」を延々とやらせてしまうとか。
もしくは9割が文法問題を占める英語の試験なのに、長文読解の対策授業を受けさせるとか。
親子はハイハイと言われるまま授業を受けているので気づかないの。
信じられないと思うだろうが、サロン的な個別指導塾に来る親子は本当にこのような、自分の頭で考えない人が非常に多いのである。
個別指導に来る子の成績不振の原因というのは、大体が「復習が自分でできない」ことに収束する。
集団指導塾に通う生徒や塾を必要としない生徒は、受けた講義の復習を自宅でして...という良サイクルができるのだが、個別指導の子は復習ができない。
だから自分1人で勉強してもちっともわからないけど、先生に質問しながらやるとできるぞ!ということで講師に依存していく。
本当は少しずつ講師を脱却して自習サイクルを身に付けないと受験では戦えないのだが、そんなことを言っていては個別指導塾も商売にならないので、より講師に依存させていくのである。
親子が成績が伸びない...と不安を吐露しはじめたらチャンスで、じゃあもうちょっと頑張りましょうか!と更に授業を増やしてお金を取る。
本来生徒に足りないのは家での反復復習なので、教室での新たな知識の詰め込みを増やすのは悪手。
やっぱり成績が伸びない...→じゃあもうちょっと頑張ろう!の無限ループでどんどんと授業が増え、親の財布も子の体力も擦り減っていく悪循環。
終いには反復復習も塾内でやるようになっていって、1つ専用の自習室があって、そこに缶詰で勉強する。
部屋には常に1人講師がいて質問に答えたり雑談したりして生徒と仲良くなっていく。
仲良くなるだけなら全然いいんだけど、塾やめたいけどあの先生がいるし辞めると気まずいし...とか言い出したらヤバいから早く辞めた方がいい。
いいように振り回された子どもには、基礎的な力は全くついていない。
無理な範囲の勉強と日々の授業ラッシュをこなしボロボロになっているので、言わずもがな学力は悲惨なものだ。
そろそろマズいな、と思ったところで漸く模試を受けさせる。
そして模試の結果にショックを受ける親子に、ここまで頑張ってきましたが残念...しかしまだ希望はあります!今からこの大学に向けて必死に勉強しましょう!!とかなりランクの落ちた大学を勧め、適当に勉強させる。
大学のランクをかなり落とすので、あれだけ高いお金を払って勉強した数Ⅲも難しい長文も出ない。
最初から身の丈に合った大学を目指して勉強していればあんな高額で無茶スケジュールの授業なんて受けなくてもよかったのに。
一部の個別指導塾ではこのような詐欺レベルの商売が平然と横行している。
自分の頭でちゃんと考えられる親子にとっては、個別指導は適切なサポーターとなりうる。
バカなので自分たちがカモられていることに最後まで気づけない。
もっと酷いと、受験ストレスで疲弊した親子が家庭内で衝突したりして子の成長に悪影響を及ぼす(実際そういう生徒も見てきた)。
自分もカモられていることに気づいたときは生徒にそれとなくプランの見直しを勧めたりしているが、自分1人の手ではどうにもならないのが現状である。あ~あ!
バカは搾取されるだけなんだ...バカを治すために入塾する塾でもこの有様。
どうしたらいいんだろうね?
【追記】
思ったよりたくさんの方に見てもらえているようだ。ありがとうございます。
当たりです。
ポスターになるような輝かしい実績を持つ生徒っていうのは、ぶっちゃけ最初から頭が良い生徒。
個別指導の塾っていうのは集団指導に比べるとちょっと特殊で、最初は落ちこぼれだったけど頑張って成績上位に!みたいな子は実はかなり少ない。
最初から成績上位の子が入ってきて、それが更に伸びて輝かしい合格を掴む、っていうケースが大半。
つまり、できる子は自分の苦手なところもよく理解しているので、その苦手部分だけ効率よく週1回の授業を取って、あとはこっちが何も言わずとも勝手に勉強してくれるのである。
この点集団指導だとどうしても大多数に合わせたカリキュラムになっちゃうから、賢い子ほどオーダーメイドの個別指導を上手く使っているという感じ。
塾があれこれ言わなくても自分で模試受けて次はここの授業をお願いします!って頼んでくるし、それで合格実績にカウントできちゃうんだから気楽なものである。
纏めると、成績上位の子ほど少ない授業料で最大効果を出すので、その分の金はカモの子から引っ張っているのだ。
集団指導の塾では成績上位の子には奨学金が出たりするみたいだけど、落ちこぼれほど負債を背負い込む構図はどこでも一緒なんじゃないかな。
おっしゃる通り。
勿論最初から模試をちゃんと分析して、面談できちんと質問してくる親もたくさんいる。ただ、そうでない親も、結構いる...。
あと、確かに自分の教室はかなり悪質なものだと思うが、仮に悪意がなかったとしても結果的にこのようなケースに陥ってしまっている親子は多い。
塾側が誠実にしっかりスケジュールを組んだとしても、子の学力が予想を下回っておりスケジュールについていけなくなるパターン。
親子塾ともにやる気はあるのでなんとかしようと更に授業を詰めるけど、効率が落ちる悪循環。
全員が焦ってしまい、直前講習や補習に金を注ぎこむも結局は不合格、というように。
良くも悪くも塾と親子の距離が非常に近いので変な連帯感というか、駄目な時の文化祭前夜みたいになってしまっているのをたまに見かける。
時には退くことも大事だし、厳しい言い方になるが、そのお金を本当に今この子に注ぎ込んで後悔しないかじっくり考えた方が良い。
一理ある。一理あるが、それでもあえてバカと呼ばせてもらう。
いいか、世の中にはほんっとにどうしようもならないバカだっているんだ。
自分だって悪人じゃないからカモられてる親子を見つけたらこっそり生徒に話を聞くし、後述するお楽しみ会の時とかにそれとなく話を聞くよ。
でも駄目なんだよ。駄目なんだ。終いには心配するこっちが「人の指導に口を出す迷惑な講師」ってことになっちゃう。
子どもも子どもで金持ちのボンボンなんだか知らないがそもそも人の話を最初から聞かないやつも多い。
一応言っておくけど障害とかストレスとかじゃなく、ほんとにただこっちを舐め切っているやつとか。
答えのプリントを写してやってはいけないことを懇切丁寧に説明して、じゃあ問題解いてと言ったら目の前でまた答えをガン見し始めた時は度肝を抜かれたね。塾に来ないでくれ。
そんな中でも本当の被害者、つまりバカ親の下で振り回されるよわい子どもみたいなのは一定数いて、そういう子を見ていると本当に辛くなる。
子どもは親を選べないし、塾も選べないもんな。親は金だけは持ってるからな...。
これ!これはかなり気をつけてほしいところなので書いておく。
1人捕まえたらねずみ算式に人を呼ぶために、今度は捕まえた子を勧誘者側に取り込んでしまうんだ。
教室にはすごろくのポスターが貼ってあって、1人勧誘して教室に連れてきたらすごろくのマスが1進む。
一定のマスまで進むと「ガチャ」が引けて、ガチャポンマシーンを回して図書券だの消しゴムだのを当てる。
生徒も結構ガチャ中毒というか、フォートナイトのスキンの話ばっかりしてる子とかもいるのでやった~!となってしまうんだよね。
あとは教室内で定期的に「お楽しみ会」を開く(この時期ならハロウィン会とか)。
お菓子をいっぱい用意して、塾生じゃない友達も誘ってあげてね、って生徒を学校に送り出し、勧誘させる。
お楽しみ会には親も参加できるので、友達の輪、ママ友の輪から更に入塾者が増え...みたいな。
こういう塾ってもう内装とか人の話し方がかなりオンラインサロンっぽくて、あっヤバいな、と一瞬でわかる雰囲気があるのだけど、サロン文化に嵌った親には寧ろ意識の高い良塾として映ってしまうらしい。
本当にそうです。
全員が善意でも結果としてこのようになっているケースもある。
大手でも全然あります。大手でも教室ごとに個性がかなり出るし、上記のような手で業績を出してる教室も確実にあるだろう。
外から見れば綺麗でも、中に入ると全然違って、何かがおかしいのに指導されている子ども本人は気づけなくて、親も駄目で、全てが狂っていく家族は世の中にいっぱいある。
塾は行かせれば成績が上がる魔法のアイテムじゃなくて、メリットデメリット併せ持つもの。
体力も減るし、ストレスもかかる。お金も減る。時間も減る。夜寝る時間が遅くなる。
今、子に与えるこの授業が家族にとって苦い良薬になるか、毒になるかを親がしっかりと判断してほしいと思っている。
10年程前、下手したらわいせつやら何かの事件に巻き込まれていたかもしれなかった出来事をここに書いて供養する。
自分の危機管理能力がガバガバすぎて家族や友人にも話せなかった事なので、記憶を頼りに書いていく。
まだガラケーが主流だった10年程前に、高校生にメジャーだった手軽な暇つぶしツールと言えばGREEかモバゲーだった。無料ゲームとコミュニケーションツールとしての機能があり、自分もGREEに登録してゲームをしたりメッセージをやり取りしたり、それなりに暇つぶしをしていた。
ある時、GREE内で友達登録をした1人のユーザーからメッセージが届いた。聞けば同じ県内に住む女子大生だと言う。当時私が志望していた大学に在学中との事で、チア部に所属していると言った。自分が大学案内を見た時はチア部なんてなかったはずだが、非公式のサークルか何かかもしれないとその時はあまり気にしなかった。
GREEやモバゲーを出会い系代わりに使って犯罪の温床になっているような話は知ってはいたが、相手が同性かつ県内の人だと聞いて安心してしまった部分があったのかもしれない。その後も何度かやり取りしていたら、相手からGREE内ではなく直接メールでやり取りしないかと持ち掛けられた。
その時点で多少ウッ…とは思ったが、大学入学後友人になれるかもしれないと思うと断りきれなかった。
その後直接メールで他愛もないやりとりを何度かした後、リアルで遊ばないかと提案された。ネットで知り合ったとは言え、同性で年も近いと聞いていた人だったので、少し考えた後に承諾した。待ち合わせ場所はうちの最寄り駅から急行で1駅隣駅の駐車場で合流することになった。その際に何故か高校の制服を着てきてほしいと指定されて、疑問に思いつつもその通りにした。
指定された待ち合わせ時間の直前、女子大生から「急用ができたので自分は遊べなくなった。代わりにいつもメールしていた事を話していた兄と遊んでほしい」と連絡が入った。
この時点で脳内に?がたくさん浮かぶと同時に、女子大生の非実在を確信したが、時間も差し迫っていたため、そのまま待ち合わせ場所に向かうことにした。
待ち合わせのメールに書いてあった場所、車種を探すと1台の軽自動車を発見できた。運転席には無精髭で小柄な冴えない30代くらいの男が座っていた。女子大生の兄かと尋ねるとそうだと言う。促されるまま助手席に乗り込み、そのまま近くのジャスコに向かった。男は道中、自分は地元のFラン大出身で現在は会社員をしていると話した。あんなFラン大学に行く人がいるんだ……と、高校生の分際でドン引きしていた事をよく覚えている。
ジャスコに到着すると、昼時だった事もありまずは昼食を取る事にした。ご馳走しますよ、と言われたものの、連れていかれたのはスガキヤだった。スガキヤを知らない人に説明すると、東海圏を中心に大抵どこのフードコートにも入っている激安ラーメンチェーン店である。スガキヤでラーメン(320円)をご馳走になっている間、当たり障りのない事を話していたが、話の内容がクソつまらなかったのでほとんど覚えていない。それよりも、こんな冴えないオッサンと同席している制服姿の自分は周りの目からどう映るのかばかり気にしていたように思う。
昼食を終えたら、ゲームコーナーに移ってプリクラを撮ることになった。さっき食事を奢ったから、プリクラは割り勘でとお願いされた。割り勘の意味が分からなかったし、そもそもオッサンと写りたくなかったが、下手に抵抗して怒らせたら面倒だったので渋々了承した。撮影後分割して半分貰ったがその後すぐ捨てた。
プリクラを撮り終えた後、カラオケに行かないかと提案されたが、こんな知らないオッサンと密室に入ることを本能的に拒否したので、それはお断りした。今思うとこのままカラオケに行っていたら、何をされていたか分からなかったので、これだけは賢明な判断だったと思っている。まぁそれ以外がダメダメなんだけど。
その後暇を持て余し(田舎なので遊べる場所が少ない)、帰ることになった。道中のゲオに寄り道した時、お気に入りのマイナーバンドのシングルCDを発見した。こんな片田舎のゲオで中古シングルが売られていたことにいたく感激したが、同行者が喜びを共有できる相手でもなかったのが残念だった。無事にCDを購入し、再びオッサンの車に乗り込み最初の待ち合わせ場所だった駅へ向かった。
駅に到着するとお礼だけ言ってそそくさと車を後にした。今日の出来事はなんだったんだろう。ただひたすら?が頭の中をぐるぐる回っていた。
この出来事以降、女子大生(非実在)と連絡を取る事はなくなりGREEも辞めた。
結果的に何もされなかったので助かったのだが、相手の車に乗ってしまった以上、どうにかなっていた可能性は非常に高かった。最近もSNSがきっかけで女子高生が事件に巻き込まれる事が多発している。普段思い出す事もないのだが、ふと、そうしたニュースを見るとこの出来事が頭を過ぎってゾッとしてしまう。
余談だが、この日買ったマイナーバンドのシングルに、後日バンドが地方公演で地元に来た際にサインを書いて貰った。ボーカルから「こんな懐かしいのよく持ってたね」なんて言われたのをよく覚えている。
誰にも話さず、私の記憶の中だけの幻だったのではないかとさえ思えるこの出来事が、このサイン入りシングルCDのおかげで、存在を証明できてしまっているのが何ともほろ苦い。