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はてなキーワード: 塾長とは

2020-09-12

塾の先生に恋をした時の話

これを読もうと思ったあなたはきっと、今塾の先生に恋をしているのでしょう。

かくいう私も、2年前までは塾の先生相手ガチ恋していたものです。

頭ぽんぽんされたり、「かわいい」とか言われて舞い上がったことも1度や2度ではありません。病んでいた時期にメアド教えてもらった時はその紙をお守りにしていたくらいです。

成績が上がれば先生はきっと私の言うことを聞いてくれて、付き合うことももしかしたらできる…?とか思うかもしれませんね。

おかげで下から数えた方が圧倒的に早かった数学の成績が、真ん中よりちょっと上にまでは上がりました。

の子に授業教えてたら謎に嫉妬しませんか?先生もっと会いたいからと先生がいる日を狙って自習しに行っていませんか?

毎夜毎夜受験生かどうかも関わらず「塾の先生 好き」とかで検索して出てきたYahoo知恵袋を読み込んだり、Twitterで塾の先生が好きという同志に話しかけたりしたものです。知恵袋数学参考書よりも読みこみました。

からこそ言います

その恋は諦めてください。

なるべく早く、こじらせる前に諦めましょう。

私もめでたく中堅大学のしがない大学生となり、教えられる立場から教える立場に…とはなりませんでしたが、それに近いアルバイトはしています

主に私が相手しているのは中学生なのですが、どう頑張っても恋愛対象にはならない。まず、確かにかわいい」とは思うけどあくまでもそれは「(弟(妹)みたいで)かわいい」であって「(恋愛対象として)かわいい」ではない。

高校生ならどうなの?」って疑問に思うかもしれないけどそれも変わらない。「年齢差的には高一と高三だから!」って割り切ったとしても、高校生大学生の壁は結構厚い。

例の知恵袋を見ると「講師と生徒の関係から結婚しました!」っていう回答もチラホラ見るけど、それは「生徒がかなり猛烈にアピールした」が9割で「講師やばい奴」が1割です。さっき言った連絡手段教えるとか普通に規約違反です。生徒からしたら嬉しくて塾長や親には隠すけど。

あとこれは個人的に、同い年の彼氏塾講師バイトをしているのですが、話聞いてる感じ圧倒的に女の子受け持ってる数の方が多い〜嫉妬〜ってなることもあります

だって普通に考えれば「私が彼女なのよ!」って姿勢でいればいいと思うんだけど、実際自分過去に塾の先生を好きになってるんだから彼氏の持ってる生徒の中にガチ恋してる子おるんちゃうん…?」などと少し疑心暗鬼になる。実際私の先生女の子多く受け持ってたし。これは彼氏申し訳ない。

久々にFBを開けたら、過去に私がいかに塾の先生ガチ恋をし、検索をかけてアカウントを探して連絡手段を取ろうとしたことが伺えました。恥ずかしさと懐かしさ。

FBをやっているということはおそらくインスタもしているんでしょうが、調べたところで話したいこともないのでこれ以上はなにもしません。

もしこの文章を読んで身バレしたとしても、何も連絡は要らないです。正直あの頃より元気です。

今塾の先生が好きな中学生高校生の皆!同級生を好きになって青春してください!!頑張って振り向かせたいのなら、大学生側にも色々やることはあるのでそれを考慮してアタックしましょう!!

責任は負いません。

2020-08-24

田端大学塾長なる変なオッサン炎上マーケティングが大問題になってるニュース見てたが

こういうお金のために何度も絡んでSNSで殴り掛かってきて何度返り討ちにあおうが命ある限り俺の勝ちみたいな幼稚な底辺オッサンが日銭を稼ぐのにSNSでこういう商売してるのよく見るけど

似たような基地外に絡まれても2~3言で完全撃破したモモーイってやっぱ凄いんだなって思う、ネット黎明期からネットを利用した活動仕事してるマジモンのプロ経験値が違う

2020-08-14

アルバイト】3年間バイトやらかしたこと全部言う

私は大学入学してから3年間現在までアルバイトをし、数々のミスを犯してきました。私は聞いても一度で理解できない、聞いてもすぐ忘れてしまます。また分からないことを聞きたくても人の顔色も必要以上に伺い聞くタイミングを逃してばかりでした。これまでしてきたアルバイトを始めるきっかけ、期間、やらかしたことなどをまとめてみました。

1.塾講師

大学入学と同時に開始。なるべく楽して稼ぎたい。その思いで学習塾講師になります。当時求人掲載されている給与は時給ではなくコマ給というトラップに気づけませんでした。週に1〜2日入っていました。一年半働いていました。

[犯した過ち]

・字が汚すぎて学習アドバイスが読めないと保護者からクレーム

・どうしても行く気分じゃなく当欠

計画性がなく夏期講習の予定を立てられない、上の人から催促されて出すも欠勤

・予習しても分からない、聞かれたら来週答えるといいそのまま放置

結果塾長からの信頼を失い一年半後退職する時にはほぼ会話しなくなりました。最後の出勤日も無言で帰りました。唯一友人が居ましたが退職以降は疎遠になりました。

2.雑貨店スタッフ

大学一年生の冬頃から勤務開始。塾講師は稼げないと勝手判断し掛け持ちしようと思い始めました。時給は派遣と同じくらい低かったです。週に2.3日(そのうち1日はほぼフルタイム)入っていました。半年程働いていました。

[犯した過ち]

ポーチの中に空気の入ったビニールの袋を入れなければならないところを包装の袋をぐちゃぐちゃにして詰める

レジ誤差4000円だす。防犯カメラによる追跡調査により私だと発覚

レジ締めもレジ開けも覚えられない

棚卸しのやり方を何度やっても覚えられない

まりにも仕事ができないので叱られてばかりでした。最後の出勤日まで叱られていましたがいつものように叱られると思った瞬間に「…もういいです」と言われかなりショックを受けたことを覚えています。固定シフトだったのでこんなヤバい奴でも求められる曜日はありました。大変な曜日でもヘルプにきてくれたりフォローしてくれた方もいたので辞める時は本当に申し訳無かったです。

3.居酒屋ホール

雑貨店を辞めた後塾講師と掛け持ちで始めました。時給は比較的良かったです。一ヶ月シフト制でした。干されていたのでほぼ週2でした。1年程働いていました。

[犯した過ち]

レジミス

・お釣り渡し忘れレジ誤差プラス6000円

・伝票を入れ間違え会計を隣の卓と逆にする

・冷めきった熱燗を出す

日本酒に氷を入れる

・まだ食べてるお客さんの皿を下げようとする(本社クレーム)・伝票の打ち方が変更されると覚えられない・日本人お客様外国の方用メニューを出す

・予約できないメニューで予約受付をする・料理をひっくり返す

・またひっくり返す

・あまりにもミスが多いため無視されるようになる、耐えられず号泣謝罪される

従業員に嫌われていました。誰とも気軽に話せませんでした。社員や歴が長いアルバイトの方は店長にこの子の尻拭いをする分給与を上げてくれと言っていました。暇なことが多かったのですが自分は誰とも話せなかったので無理やり時間を潰していました。飛ぼうとしていましたが結局制服を返すために来店して辞めました。この頃大学友達バイトが順調そうだったので私も仕事に慣れているフリをしていました。ギャップが辛かったです。

3.スーツ販売

いつ見ても暇そうという理由から飲食店と掛け持ちで始めました。時給は飲食店より低かったです。固定シフトでしたが干されていたので月3〜週2とまばらでした。半年働いていました。

[犯した過ち]

レジミス

・細かい割引サービス計算出来ない

スーツ知識が無く話しかけられても分からない

・綺麗に畳めずもたもたする、遅いし汚い

・専門知識用語が覚えられない

・お客さんに話しかけても聞かれると答えられない

・お客さんのポイントカードを失効させる

・当欠

もっと入れと言われて増やしたシフトがめちゃくちゃ削られると分かった瞬間に辞めますといってしま

社員さんと慣れたパートの方で回っていました。優しい方ばかりでしたが馴染めませんでした。スーツどころか衣服にも興味が無い上にお客さんに話しかけたくないという最悪のバイトでした。声を荒げて叱られることはありませんでしたが諦められていたと思います。本当の最悪なのですがバイトのクセにシフト通り入れないことには一丁前に憤っていました。他にも服をいただいたりしていたのに繁忙期前までに知識を付けずに辞めてしまい今では申し訳なく思っています

4.派遣アルバイト

1〜3年生頃までたまにしていました。どのアルバイトも干されるので始めました。チラシ配布、握手会の秒数カウントコンサートチケット発券、展示会の受付、 セール品即売スタッフなどしました。約半年間働いていました。

[犯した過ち]

チケット発行で受付が混み始めパニックになり身分確認をしっかりしろと注意を受けるも同じミスをする

スポーツウェアセール品即売で暇過ぎて服をたたみ直すも汚過ぎて休憩から戻ると全て他の人にたたみ直されていた

1日しか入らないことがほとんどだったのでやらかしても今後の業務にひびくことがなかったのが救いでした。握手会スタッフが楽しかったです。コンサートスタッフ威圧的社員が多く怖かったです。慣れないチケット発券で自分の字が汚過ぎてメモがよく読めないままデジチケの取り方が分からないお客で混み合うのが最も恐怖でした。

現在事務塾講師を再び始め、2つ掛け持ちしています。私はあと約半年社会人になります。これだけのことが出来なかった私が仕事などできるのか不安で仕方ないです。バイト先への文句も書いてしまいましたが自分のせいでうまくいかなかったことがほとんどです。人間関係から逃げ、嫌なことから逃げ続けてきました。現在アルバイトはあまり入れずほぼ引きこもっています(今年はそういう方も多いかもしれませんが) 何度も発達障害を疑い心理検査も受けましたが結果はできることとできないことの差が激しいということと困り感が大きいことが分かっただけでした。能力に偏りがあっても私はただの怠惰で注意力散漫な健常者です。私よりミスをする人も中々いないと思いますアルバイト仕事で悩んでる方がこいつよりはマシだなくらいの気持ちになっていただけたら幸いです。

アルバイト】3年間バイトやらかしたこと全部言う

私は大学入学してから3年間現在までアルバイトをし、数々のミスを犯してきました。私は聞いても一度で理解できない、聞いてもすぐ忘れてしまます。また分からないことを聞きたくても人の顔色も必要以上に伺い聞くタイミングを逃してばかりでした。これまでしてきたアルバイトを始めるきっかけ、期間、やらかしたことなどをまとめてみました。

1.塾講師

大学入学と同時に開始。なるべく楽して稼ぎたい。その思いで学習塾講師になります。当時求人掲載されている給与は時給ではなくコマ給というトラップに気づけませんでした。週に1〜2日入っていました。一年半働いていました。

[犯した過ち]

・字が汚すぎて学習アドバイスが読めないと保護者からクレーム

・どうしても行く気分じゃなく当欠

計画性がなく夏期講習の予定を立てられない、上の人から催促されて出すも欠勤

・予習しても分からない、聞かれたら来週答えるといいそのまま放置

結果塾長からの信頼を失い一年半後退職する時にはほぼ会話しなくなりました。最後の出勤日も無言で帰りました。唯一友人が居ましたが退職以降は疎遠になりました。

2.雑貨店スタッフ

大学一年生の冬頃から勤務開始。塾講師は稼げないと勝手判断し掛け持ちしようと思い始めました。時給は派遣と同じくらい低かったです。週に2.3日(そのうち1日はほぼフルタイム)入っていました。半年程働いていました。

[犯した過ち]

ポーチの中に空気の入ったビニールの袋を入れなければならないところを包装の袋をぐちゃぐちゃにして詰める

レジ誤差4000円だす。防犯カメラによる追跡調査により私だと発覚

レジ締めもレジ開けも覚えられない

棚卸しのやり方を何度やっても覚えられない

まりにも仕事ができないので叱られてばかりでした。最後の出勤日まで叱られていましたがいつものように叱られると思った瞬間に「…もういいです」と言われかなりショックを受けたことを覚えています。固定シフトだったのでこんなヤバい奴でも求められる曜日はありました。大変な曜日でもヘルプにきてくれたりフォローしてくれた方もいたので辞める時は本当に申し訳無かったです。

3.居酒屋ホール

雑貨店を辞めた後塾講師と掛け持ちで始めました。時給は比較的良かったです。一ヶ月シフト制でした。干されていたのでほぼ週2でした。1年程働いていました。

[犯した過ち]

レジミス

・お釣り渡し忘れレジ誤差プラス6000円

・伝票を入れ間違え会計を隣の卓と逆にする

・冷めきった熱燗を出す

日本酒に氷を入れる

・まだ食べてるお客さんの皿を下げようとする(本社クレーム)・伝票の打ち方が変更されると覚えられない・日本人お客様外国の方用メニューを出す

・予約できないメニューで予約受付をする・料理をひっくり返す

・またひっくり返す

・あまりにもミスが多いため無視されるようになる、耐えられず号泣謝罪される

従業員に嫌われていました。誰とも気軽に話せませんでした。社員や歴が長いアルバイトの方は店長にこの子の尻拭いをする分給与を上げてくれと言っていました。暇なことが多かったのですが自分は誰とも話せなかったので無理やり時間を潰していました。飛ぼうとしていましたが結局制服を返すために来店して辞めました。この頃大学友達バイトが順調そうだったので私も仕事に慣れているフリをしていました。ギャップが辛かったです。

3.スーツ販売

いつ見ても暇そうという理由から飲食店と掛け持ちで始めました。時給は飲食店より低かったです。固定シフトでしたが干されていたので月3〜週2とまばらでした。半年働いていました。

[犯した過ち]

レジミス

・細かい割引サービス計算出来ない

スーツ知識が無く話しかけられても分からない

・綺麗に畳めずもたもたする、遅いし汚い

・専門知識用語が覚えられない

・お客さんに話しかけても聞かれると答えられない

・お客さんのポイントカードを失効させる

・当欠

もっと入れと言われて増やしたシフトがめちゃくちゃ削られると分かった瞬間に辞めますといってしま

社員さんと慣れたパートの方で回っていました。優しい方ばかりでしたが馴染めませんでした。スーツどころか衣服にも興味が無い上にお客さんに話しかけたくないという最悪のバイトでした。声を荒げて叱られることはありませんでしたが諦められていたと思います。本当の最悪なのですがバイトのクセにシフト通り入れないことには一丁前に憤っていました。他にも服をいただいたりしていたのに繁忙期前までに知識を付けずに辞めてしまい今では申し訳なく思っています

4.派遣アルバイト

1〜3年生頃までたまにしていました。どのアルバイトも干されるので始めました。チラシ配布、握手会の秒数カウントコンサートチケット発券、展示会の受付、 セール品即売スタッフなどしました。約半年間働いていました。

[犯した過ち]

チケット発行で受付が混み始めパニックになり身分確認をしっかりしろと注意を受けるも同じミスをする

スポーツウェアセール品即売で暇過ぎて服をたたみ直すも汚過ぎて休憩から戻ると全て他の人にたたみ直されていた

1日しか入らないことがほとんどだったのでやらかしても今後の業務にひびくことがなかったのが救いでした。握手会スタッフが楽しかったです。コンサートスタッフ威圧的社員が多く怖かったです。慣れないチケット発券で自分の字が汚過ぎてメモがよく読めないままデジチケの取り方が分からないお客で混み合うのが最も恐怖でした。

現在事務塾講師を再び始め、2つ掛け持ちしています。私はあと約半年社会人になります。これだけのことが出来なかった私が仕事などできるのか不安で仕方ないです。バイト先への文句も書いてしまいましたが自分のせいでうまくいかなかったことがほとんどです。人間関係から逃げ、嫌なことから逃げ続けてきました。現在アルバイトはあまり入れずほぼ引きこもっています(今年はそういう方も多いかもしれませんが) 何度も発達障害を疑い心理検査も受けましたが結果はできることとできないことの差が激しいということと困り感が大きいことが分かっただけでした。能力に偏りがあっても私はただの怠惰で注意力散漫な健常者です。私よりミスをする人も中々いないと思いますアルバイト仕事で悩んでる方がこいつよりはマシだなくらいの気持ちになっていただけたら幸いです。

2020-08-04

日本ってGTAオンラインだよな

チートして何が悪いと開きなおる政治屋炎上して日本一稼ぐ弁護士炎上芸で渡り歩く塾長迷惑で常に注目を集めるyoutuber

チートしない損じゃん、と誰もがおもってしま地獄。俺はもう猫でいいや。

2020-06-19

塾でアルバイトをしていた頃の思い出

大学2年の夏から卒業するまでの2年半、塾でバイトをしていた。

菅直人似の塾長が一人でやってる個人経営の小さな学習塾で、中高生英語を教えたり電話番や事務作業をやったりしていた。特に仕事がなければ大学課題なり内職をやっていてOKという恐ろしくゆるい環境だった。

英語科のT先生長身で飄々とした雰囲気イケメンだった。掛け持ちで高校非常勤講師もやっていた。

学校と塾の掛け持ちって大変じゃないですかと聞いてみたら、「常勤先生はそうだろうけど、非常勤ならそうでもないよ。俺も必要最低限の仕事だけして切り上げてるし」とのことで、要領よくて羨ましいなと思った。

同時に「まぁでも学校先生より塾講師の方がずっと楽だねー。学校では英語の他に道徳も教えなきゃいけないからさ」とか言ってておいおいと思ったが、そのゆるさが生徒には人気だったし、何より教え方も抜群に上手かった。それにしても道徳って高校でも教えなきゃいけないのかと、先生という職業の大変さがしのばれた。彼くらい割り切っていなければやっていられないのかもしれないなと思った。

私とほぼ同時期にバイトを始めた英語科のY先生とは、同性で年も近く大学も同じということですぐに仲良くなった。Y先生クール系の美女サバサバして教え方も上手くて私の憧れだったのだが、致命的に男運がなかった。彼女の恋バナを聞く度、なんでこんなカッコいい先生がそんなダメ男とずるずる付き合ってるんだろうと不思議でならなかった。

ある日Y先生に「ね〜増田先生私もうどうしたらいいと思う?率直に聞かせて!」と言われたので「別れた方がいいと思います。Y先生にはもっといい男がいるはずです」と正直に答えた。すると「増田先生ってば普段はどっちかっていうとのんびりしてる方なのにこんなにすっぱり言ってくれるのやばいめっちゃ気持ちいい!」といまいちよく分からない感激をされた。

私はY先生には是非とも彼女に見合う素敵な男性幸せになってほしい一心だったのだが、アドバイス方向性があれで合っていたのか自信がない。その後Y先生彼氏と別れたのかどうかも知らない(なんとなく聞けずじまいだった)。

Kくんは柔道部稽古に打ち込むスポーツ少年だった。稽古にのめり込むあまり成績が下がってしまったとのことだったが、真面目で地頭はよく、教えたら教えただけ英語の成績は上がっていった。

Kくん真面目ですごくいい子ですねーと塾長に話したら、「いや〜あいつ家ではクソババーとか言って母ちゃん困らせてるんだってよ」と意外な一面を教えてもらった。「まあ男子中学生なんてみんなそんなもんだなー」と塾長はワッハッハと笑っていた。

それ以来、私の言うことにはみんな素直に従うKくんを見ていたらなんだかおかしくなってしまった。Kくんはまるで弟みたいな感じだった。一度、こっそり流行りの漫画を貸してくれたこともあった。2年の間に、いつの間にかすっかり背も追い越されていた。

もしこれが本当の弟だったなら、きっと私がクソババー呼ばわりされていたに違いないのだろうなと思った。

数カ月後Kくんの弟のUくんも教えることになった。彼は心臓ちょっとした病気を抱えていてその手術のため数ヶ月入院しており、一週間前に退院したばかりとのことだった。

最初の授業の日、手術とかプライベートなことにはあまり突っ込まれたくないかなと思い、そこには触れず当たり障りのない授業をした。授業後、塾長に呼び出された。「Uくんがね…」まずい、なにか粗相をしてしまっただろうかと身構えた。「Uくんがね、手術のこと聞いてほしかったって」「えっ」「先生がそこにノータッチで寂しかったんだってさ。次はちょっと話聞いてやってよ」

一週間後、2度目の授業で「Uくん入院してたんだって?手術大変だった?」と聞いてみた。途端にUくんの顔がぱっと明るくなった。彼はお兄ちゃんのKくんと比べるととても物静かな子だったが、私の言葉に確かに嬉しそうにうなずいていた。

ちなみにUくんはお兄ちゃん同様めちゃくちゃ優秀な生徒だった。あまりに手がかからなさすぎて彼のコマボーナスタイムみたいなもので、こんな生徒ばかりならどれだけ楽かと思っていた。

お世辞にも進学塾とは言えない塾だったのでやる気のある生徒は少なかったのだが、そんな中でもIちゃん学校での成績も優秀で、塾での授業が終わったあともずっと自習スペースで勉強しているような真面目な子だった。

Iちゃん真面目ですよね〜他の子もこれくらい勉強してくれればいいのにとY先生に言ったら、「でもあの子T先生と付き合ってるよね」と衝撃の事実を聞かされた。何で知ってるんですか?と聞いたら、彼女は「私も高校生の頃教師と付き合ってたから。あの感じは間違いないよ。うん、間違いない」と返されそれ以上IちゃんのこともY先生過去も追及できなかった。

かにT先生指導項目から道徳は抜け落ちていた。

夏期講習になると生徒たちはみんな私服で通塾してくるようになる。ある日私に参考書コピーを頼んできた女子生徒は、夏らしくとても可愛いワンピースを着ていた。「そのワンピース可愛いね。前も着てたよね?」と話しかけた。「前も?」とみるみるうちに彼女の顔が曇っていって、しまったと思ったが遅かった。ごめん、そういう訳じゃなくて、と取り繕う間もなく、彼女コピーを受け取るとすぐに行ってしまった。

その日は家に帰ってから自分コミュニケーションの下手くそさ加減にだいぶ落ち込んだ。

機械音痴塾長に代わって、彼が昔購入したまま放置していたパソコンセットアップを頼まれた。私の腰ほどまであるかいダンボール箱に詰め込まれた、小さな個人塾には明らかにオーバースペックデスクトップPCで、塾長はなんでこんなの買ったんだろうと思った。

教室セットアップをしていたら、女子生徒2人組が入ってきた。彼女たちはいわゆるギャルというやつで私とは対極にある人種であり、話したこともないのに一方的に苦手意識を持っていた。だが2人は私を見るなり「先生なにやってんの〜?あ〜なにこれ先生の筆箱かわい〜♥」ときゃぴきゃぴ盛り上がり、私の隣で仲良く自習を始めていた。

少し経った頃勉強に飽きたのか2人が話しかけてきた。「先生なんでそんなことやってんの?」「塾長に頼まれたんだよ」「え〜でもそういうのって男子仕事じゃーん!」「そうかな?」「普通そうだよ〜そーいうのは男子やらせなきゃ!」「でも先生こういうの結構好きなんだよねー」「そっか〜!」みたいな会話をした覚えがある。彼女らの屈託のなさが眩しかった。私も彼女らのように臆せず他人と明るく話せたならなあと思いながら、夜家までの坂道チャリで漕いだ。

卒業就職を期にバイトは辞めたが、とてもいい職場だった。辞める日、「増田先生辞めたとは思ってないからさ、いつでも来てよ。ほら、先生紹介の紙も貼ったままにしておくからさ」と壁を指し笑う塾長を見ながら、このおっさんまた調子のいいこと言ってんなーと思った。

先日、結婚の報告も兼ねて久しぶりに塾を訪ねた。数年のブランクを感じさせない気さくさで塾長は変わらず出迎えてくれた。

しかし私の紹介の紙は既になくなっていた。やっぱりなと笑ったが、そもそも他の先生達の紹介もなくなっていた。その代わり、壁には私が勤めていた頃の3倍くらいの量の「目指せ○○大合格」の紙がずらーっと貼ってあって、その一枚一枚に生徒たちの手書き抱負が書かれていた。

楽しい職場だった。特に塾長には本当にお世話になった。もっともっと勤めていたかった。

2020-05-08

男塾塾長だと

マスコミも大々的に取り上げない気がする。

2020-04-29

anond:20200429170131

風俗店の客の味方ってことなの?

それとも下記ツイートみたいな弱肉強食系の考え方全般の味方ってことなの?

2020-04-19

今年の受験生二極化する。できる人はとことんできるし、出来ない人はとことんできない。出来ない人はすぐにでもプロに頼ろう。

しかし、頼るプロは慎重に選ぼう。この時期に適切な対応を出来ない塾を頼りたいと思うだろうか。

1、やることを明確にしてくれる塾を選ぼう

家に居てもやることがわからいか勉強が続かない場合が多い。そのため、やることを9ヶ月、1ヶ月、1週間単位で一緒に決めてくれるところが良い。

2、映像授業垂れ流しだけの塾はやめよう

studyサプリで十分でしょう。

3、課題だけ渡す塾はやめよう

そんな対応しかできない塾ということでしょう

4、勉強法を相談できるところにしよう

5、科目間のバランスを指摘してくれるところがよい

6、zoomなどを使った授業だけのところは、やめよう

やることを明確に決めてくれるところがよい。

ホームページなどでは、良いことを書いてあるが、実際受けてみると、違う場合があるので注意しよう。塾は、校舎、塾長先生単位でかなり違う。

2019-11-03

anond:20191103115252

ダブスタ厨はこの二つの区別がつかないってマ?

弁当冷凍食品を使っていいのか

【参考】

肯定

否定

結論

言った人による

2019-09-09

忘れられない初恋の人の名前検索した話

もう10年以上も前の話。

中学三年生の私には好きな人がいた。

発表が得意で、面白おかしく、周りの様子を伺ってはクラス雰囲気を盛り上げようとする、そんな人を私は好きになった。

なんとなく、向こうから好意を感じる時もあったけれど、思春期真っ只中の私は何か行動に出るわけでもなく、ただただ席替えで近くになることを祈っていた。

サマースクール話題で盛り上がる夏休み前、彼の口からちょっと頭が良い学校名前が聞こえてきた。

怠け者な私の内申点では厳しかった。同じ学校に通えそうになかった。

残念に思ったけど、進路で別れてしまうのは分かっていたから、悲しくはなかった。

特に行きたい学校がなかった私も、サマースクールに参加したことで、入学したい学校、入りたい部活を見つけることができた。

その学校はそこそこなレベルだったけれど、当時の私の実力では乗り越えなければならないハードルがいくつもあった。

夏休み後、真剣勉強に取り組むことになった。

不馴れな勉強に勤しむ秋頃、彼の口から私の目指す学校名前が出た。

志望校は違うと思ってたから、当時は本当にビックリしたし、嬉しかった。

頑張る理由が1つ増えた私は、さら勉強に励んだ。

妄想も、それはもういっぱいした。

彼の内申点学力から言って、彼が落ちることはない。

あとは私が頑張れば、その妄想現実になると思うと、大嫌いな英語だって覚えてやろうという気になれた。

塾長からは「険しい道のりだ」と言われたり、模試の成績が酷かったり、などなど色々あったけれど、なんとか仕上げ、受験当日を迎えた。

試験会場には、もちろん彼がいた。

当時ハマっていた乙女ゲームのグッズである天然石を握りしめながら、試験に挑んだ。

試験の出来はなかなかのもので、塾長から合格だろうと言われた。

安心した私は、受験から解放を大いに楽しみ、あっという間に、合格発表の日がやってきた。

私の中学校は、結果を確認した後、報告する決まりで、受かった生徒と落ちた生徒は別の教室へ行くことになっていた。

無事に合格通知を受け取った私は、意気揚々と受かった生徒が集まる教室へ行き、先生に報告をした。

そのまま私は帰らずに教室に残って、受かった子達と高校での過ごし方を語らった。

受かった嬉しい気持ちを共有したいからではなく、彼を待っていたのだ。

しかし、彼が来ることはなかった。

私は受かって、彼は落ちたのだ。

家に帰って、私は一人で泣いた。親、塾の関係者先生、友人、皆喜んでくれていた。それなのに、私は涙が止まらなかった。

もちろん、嬉し涙ではなかった。

同じ学校に通えると思っていたのに、4月からはもう別々になってしまう。春を感じさせる暖かな日差しが、より胸を苦しくさせた。

結局、その後は彼と距離が出来てしまい、連絡先も交換できずに卒業式を迎え、卒業

高校に通うも、彼のいない高校生活を思い描いていなかった私の日々は淡々と過ぎていった。

どこかですれ違えないかと、駅に行っては姿を探した。見つけることはなかった。

彼の進学した学校は、体育祭文化祭も非公開。繋いでくれる友人もいない。どうにもならなかった。

途中、気になる人もでき、初めてお付き合いすることもできた。それでもやっぱり、初恋の人は特別なのか、忘れることはなかった。

色々あって、その人と別れた後も、特別なままだった。

大学に入ってからも忘れることはなかった。

ただ執着しているのだと分かっていても、忘れられなかった。

疲れている時は、彼と幸せになる夢を見たりした。起きた後、更に疲れたことは言わずもがな

社会人になり、新たに好きな人が出来、付き合うことができた。

この頃になると、思い出すことは僅かで、どんな仕事に就いているのだろうか、幸せな日々を過ごせているといいな、などの思いを馳せるだけで終わっていた。

結局、当時の彼とは遠距離トリガーになり、振られてしまった。

相当なショックを受けた私は、忘れるのに随分と時間がかかった。

忘れるために、私は昔のことを良く思い出すようになった。

当然、彼のことも懐かしむように思い出した。

すっかり失恋から立ち直った頃、私はふと彼の名前検索しようと思った。でも、勇気は出なかった。ストーカーチックな気がしたからだ。というか、たぶん、ストーカー

それから数ヶ月後の昨日、中学の友人、高校の友人と立て続けに会って疲れた私は、いつの間にか眠りにつき、そして久しぶりに彼の夢を見た。

変な時間に寝た私は、変な時間に起きてしまい、妙なテンションになってしまった。

そして、その勢いのまま名前検索した。

10年以上、忘れられなかった名前はすぐに打てた。

履歴に残るのが恥ずかしかったので、シークレットモード検索した。

すると、彼らしき人物がヒットした。

何やら本を出していたり、脚本家演出家をしているみたいだ。

作風を見る限り、本人に違いなかった。

彼の才能を生かす方面仕事で、私は嬉しかった。

それと同時に、何かスッキリした気持ちになった。

私が何度も思い出し、夢で見た姿は、過去のものしかないのだと、ようやく頭でも心でも理解できたのだ。

一緒に登校をしたかった私、一緒に文化祭を楽しみたかった私、告白をしたかった私。これらも、もう随分と前の私がしたかった、見たかった光景で、今の私が欲するものではないのだ。

ようやく、過去過去認識できたのだ。

初恋の人の名前検索したら、恐ろしいことになるような気がしたけれど、そんなことはなかった。

きっと、これからも私は彼のことを思い出してしまうし、切ない気持ちになるだろう。

けど、今までとは違い、適切な距離をもって振り返ることができる。

初恋の人の名前検索するのも悪くはないことが分かったので、ネットの海に漂わすことにする。

2019-08-18

慶應義塾長とミュージアム

1. 塾長

オリンピックボランティア検討委員会座長清家篤という人は、どういう人なんだろう、と思って検索したら、2009-17に慶應義塾大の塾長を務めた人だった。彼の後継の塾長選びで、2017年に騒ぎがあったようだ。

清家体制下で常任理事を務めていた長谷山彰氏がいまの慶應義塾長になったが、投票では負けていたのだという。

2. 記事

AERA dot. : 「慶應義塾」新塾長に得票トップは選ばれず! 2位を指名したワケ…(2017年5月)
https://dot.asahi.com/wa/2017050800016.html

清家塾長任期終盤には、日吉記念館の建て替えや新たな学生寮建設などの計画が相次いだ。利権やカネが絡む話があるのでは、との臆測が広がっている。

週刊現代 : 慶應義塾の「疑惑塾長選」そのウラ側をぜんぶ書く! なぜか二位が勝利して、会議大炎上(2017年7月)

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52156

細田氏の質疑応答の際、ある委員が『文部科学省役人とうまくやっていくことが必要』などと語り、そうした経験の薄い細田氏では頼りないという印象ができた。

慶應塾生新聞 :【特集】塾生が、考える ー塾長選挙ー(2017年11月)
https://www.jukushin.com/archives/29365

3. ミュージアムセンチュリー文化財

上の塾生新聞にある「近年の塾長の実績」を見ると、選ばれた長谷山氏のところに書かれた「博物館設立(所信表明から)」は、2018年1月末に発表された下記のミュージアムだろう。

慶應義塾が全塾的学術文化資料施設慶應ミュージアムコモンズ仮称)」を2020年度中に開設
https://www.keio.ac.jp/ja/press-releases/2018/1/31/28-41180/

プレスリリースを見ると、「立ち上げのきっかけとなったのは、一般財団法人センチュリー文化財から資料寄贈と 30 億円の寄付金です」とある

このセンチュリー文化財団は、Wikipedia によると、旺文社創業者赤尾好夫美術コレクション資産を保存するために設立された団体のようだ。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/センチュリー文化財

4. 旺文社英検

ところで、Wikipedia旺文社のページによると、「1963年昭和38年)、英教に続く2つ目の外郭団体として日本英語検定協会設立され、実用英語技能検定が開始された。旺文社現在に至るまで英検の様々な問題集受験参考書販売」している、とある
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/旺文社

また、旺文社サイト内の「売上ランキング」を見ると、9/17現在10位中、6つが英検関連の書籍だ。旺文社にとって、英検関連ビジネスは主要な柱なのだろう。
https://www.obunsha.co.jp/ranking

5. 大学入試での英語

ここで、関係あるかはわからないが、2018年11月慶應大は「英語外部検定試験についても、2021年一般入試については全学部で利用を見送る。」と発表した。
https://s.resemom.jp/article/2018/11/20/47787.html

一方、東大民間英語試験について、2021年から「「CEFR対照表のA2レベル以上に相当する英語力がわかる書類」の提出を求める基本方針を発表。」

また、早稲田大も「政治経済学部では、2021年一般入試より、大学入学共通テスト、英語外部検定試験学部独自試験の合計点により選抜する方式に変更」と外部検定を取り入れていくようだ。

6. 慶應と国際化

国際派と評判で得票数1位の教授がなぜか落とされたことと、英語試験とは、特に関係はないだろう。

しか形式的に、旺文社および英検関係のありうる財団から美術品とお金を寄贈、寄付してもらうのは、慶應としてコンプライアンス的に大丈夫なのか気になった。

なお、大学入試用の英語は「2024年から民間資格・検定試験に一本化する方針が定められている。」
https://s.resemom.jp/article/2018/07/25/45840.html

いまの長谷山氏が2期8年間塾長を続けるなら、2025年まで塾長ということになる。その間に入試英語民間資格のどれをどう使うか意思決定を求められるのだろう。慶應大は「国際化」できるか、見守りたい。

2019-08-04

塾長が元教え子をセフレにしていて、受付のバイトをさせてたな。

アホなことにハメ撮りを共用PCに保存していたのがバレて塾ごとなくなった。

2019-07-21

知らない間に大きくなっていたもの

男塾塾長江田島平八の顎

包丁貴族団英彦の鼻

他にある?

2019-02-25

はてなのみなさん、田端信太郎の思惑通りなんだよなぁ。。。

田端信太郎さんのこのツイート

松浦由紀さんのこのツイート

松浦由紀さんと同じ会社三浦崇宏さんのこのツイート


はい、見事に釣られております

解散

2019-01-22

ふしぎふしぎ ベネッセふしぎ

昨今、官への働きかけに余念のないベネッセコーポレーション文部科学省に絶大な影響力を持つ慶應義塾塾長安西氏との癒着関係や、元文部科学省事務次官天下り受入れ(役員待遇)について指摘が相次いでいる。最近では、文部科学省招聘した外国有識者の旅費と報酬を肩代わりしたという報道記憶に新しい(不正無しと文部科学省結論)。

 

一方、そのような文部科学省との強い関係により、ベネッセは十分な果実を得ているように見受けられる。全小中学校で全生徒を対象に行われる「全国学力・学習状況調査」を受注したり、大学入試センター試験の後継となる新試験2021年導入)においてベネッセ実施する英語試験「GTEC」の結果利用が認められたりと。だからといって不正とは限らない。法令に反しない範囲で行っていることであろう。しかし、このような濃厚すぎる蜜月は、「国民の見えないところで取引が行われている」という疑惑をかきたてたままだ。

 

そんなベネッセにまたひとつ新たな疑惑タネが見つかった。

 

新宿に「株式会社 学力評価研究機構」という会社がある。なんともいかめし研究機関のような名前であるが、通常の株式会社であるようだ。名前だけからすると、ベネッセとの関わりは見いだせない。

https://www.crlea.co.jp/company.html

 

2017年創業の新しい会社であるウェブサイトには従業員数や取引先など詳しいことは何も書かれていない。あたかペーパーカンパニーのように見えるが、そうではない。事実として、設立直後から文部科学省関係事業を次々と落札し、受注しているのである

 

2017年8月 大学入試センター業務 落札一般競争

2018年7月 文部科学省業務 落札随意契約

2018年7月 文部科学省業務 落札随意契約

https://archive.fo/tZIOF

 

ここで同社の会社概要を見てみよう。

https://www.crlea.co.jp/company.html

代表取締役社長とされる服部氏は、プロフィールも何も書いていないので同一人物とは断定はできないが、ベネッセ社員同姓同名の者がいたことがわかる。

本社所在地住所は、ベネッセ東京本部新宿オフィスや、多くのベネッセグループ会社が居を構えるところとまったく同一。仮に上の者が独立起業たにしては不自然である

資本金の額も中小企業ベンチャー水準ではない2.4億円。

 

以上から、同社はベネッセの子会社、あるいは子会社相当のグループ関連会社であると強く推測できる。重要なのは、容易に推測できるにもかかわらず、それをウェブサイト上どこにも明らかにしていないことである一見ベネッセとは無関係の社名であるというだけ。不正の要素はどこにもなく、今後疑惑を投げかけられたとしても、「隠していない」として逃げる準備はできているということだ。

 

文部科学省側としては、「すでに社会批判を受けている以上、なんでもかんでも業務ベネッセに丸投げするわけにはいかない。一方で、信頼関係利害関係のあるベネッセ仕事をお願いしたい。中身はベネッセで、看板だけ別という会社などないだろうか」

ベネッセとしては、「文部科学省とより強い関係を築くためには、合法ならば手段を選ばない。別会社ひとつ作るくらいは造作もない

……そんなところだろうか。

 

この推測が現実に当てはまるか否かは増田読者諸兄の判断にゆだねたい。しかし、頭皮はともかく考えていただきたいのは、近年の文部科学省ベネッセの激しく緊密な官民関係を良しとするか、ということである。本件のふしぎなベネッセ関連会社も、すでに、確実に、その強化へ連なっているのだ。

2019-01-02

東大までの受験の思い出

私は、中学受験御三家に入り大学受験を経て東大入学した。

中学受験

動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。

小学校東京郊外私立に通った。いわゆる東京私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスひとつしかなかった。

私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいしかの子好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。

五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任先生相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生一言だけで私は世界が広がった気がした。

学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。

好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家第一志望となった。

塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生塾長奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。

塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。

大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったかお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリ偏差値をいつも取っていた。

そんなこんなで中学受験第一志望の受験日は2月1日受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼ学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任塾長言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。

手ごたえはあった。得意科目算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク

大学受験

東大受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。

はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践たかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。

私が中学の頃に父は長年勤めた会社早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。

幸い有数の進学校には通っていたので、目標東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。

ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間けが過ぎていった。

願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である

余談だが、父は学生紛争東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。

結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験合格者平均を大きく下回っていた。二次試験数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。

大学受験2】

浪人した。親の期待と、自分の意地だけだった。

東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。

私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。

就職浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。

浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。

後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。

この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議二次試験過去問も解けるようになった。

結果からいうと、私は当時の前期日程試験不合格だったが、後期日程で理科一類合格した。

前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要試験が少なく、私の場合はほぼ英語数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。

試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ち試験を終えた。

結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。

こうして私の受験は終わった。

最後に】

小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。

受験競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較しか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分選択からしかまれなかった。

正月受験生たちに、あけましておめでとう

2018-12-11

塾長『きさまらの時給は1000円前後であるしかーし、生徒の親御さんは一回の授業に約4000円払っているからみんなも4000円分のパフォーマンスをしなさいよ』

??「いや1000円分でいいでしょ、残りの3000円はそっちの懐に入るんだから残りの3000円分の仕事をするのはそっちでしょっ.」

2018-07-09

宗教勉強

違いは何なんだろうか。

自分会社は全社員が、自己啓発系の勉強会社から行けといわれて行くことになってる。

そこを「I塾」とする。

そこでは、人間としてどうあるべきかとか、この塾を受講してよくなったって人の話が月1ペースである

自分としては、まぁ会社命令からと、話半分、自分にとって都合の良いことを抜き出して毎回報告してる。

 

今日新人君がその勉強会について社長に「宗教じゃないですか」と言っていた。

すると社長は「宗教じゃない。人間として当たり前の道徳勉強だ。」と反論していた。

どうやら社長の中では「宗教」と「勉強」は違うものらしい。

 

自分にとって、「宗教」と「勉強」は同じなんじゃないかと思う。って話をすると長くなりそうなので控えるとして、

新人君が言うことも、社長が言うことも両方わかるのだ。

そのI塾は自分にとって、宗教であり勉強なのだ

 

と、いうより、オウム真理教話題最近尽きることがないので再確認したのだけど、「宗教」って「ネガティブ言葉」になってるんだと思う。

具体的にいうと、「宗教」はマインドコントロール洗脳による教育というニュアンスが含まれている。

まり日本神教や、仏教キリスト教などは宗教とは一線を画する崇高ななにかで、低俗な教えがはびこってるものは「宗教」というような空気がある。

 

でも、I塾は間違いなく宗教なのだ。なぜなら、塾長と呼ばれる人が仏教精通していて、「お釈迦様は」とか「崇高な僧の○○がこう残した」とかいテキストが多分にでてくる。xevraでは無いが、瞑想の素晴らしさを説いていらっしゃるし、悟りはなんたるかと言っている。

まりほとんど仏教塾長なりに噛み砕いて経営に持ってきたものが「I塾」の勉強テキストだと自分は思っている。

I塾を通して、仏教勉強しているのではないかと思った。

なので、自分のとってI塾とは、仕事をする上ではあまり役に立たないんだろうなという高度な数学や、漢文などと同じなのだ

 

なので、宗教って言われても「宗教だ」と自分ポジティブに言うと思うのだが、どうやら社長は「宗教」と言われることについて物凄く怒っていて、今もその新人社長室で説教している。昼ぐらいは解放してあげないとマズイだろ…。

戻ってきたら「どう考えても塾長仏教教徒から宗教だよな」と同調してやろう。

2018-05-17

来週謝ります

つまんない授業しちゃってごめんなさい。

専門外なんです。でも塾長しろって。

来週ちゃんと生徒に謝る予定です。

心が痛いです。

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