はてなキーワード: 地区とは
大抵「アクセス方法」みたいなタイトルのページがあって、東京とか大阪みたいな大都市から飛行機や新幹線や高速道路で現地付近まで行くための交通手段の説明は必要以上に親切な割に、現地付近から内部の移動手段については妙に具体性がないところが多いんだよね。
最近は自治体が観光客向けに無料や格安で見どころを巡回しているバスなんかもよくあるけど、それでは時間の都合が合わないケースも多いのに、地区内の路線バスの時刻表どころかバス会社へのリンクすら貼っていないところもあったりして。
まあ、よく知らない土地のバス会社の路線表や時刻表の見づらさというのも何とかならないのかねーとは思うけど。それはまた別の話で。
そういうのを見ると、地元の人は車があるから路線バスなんか使ってないんだろうなーというのが透けて見えるし、免許がなかったりタクシーまでは使いたくないという観光客のニーズを見落としてるんだろうなーとも思う。
出発地から現地までなんて大ざっぱなところは今日び他にいくらでも調べる手段があるんだから、そういう毛細血管みたいな情報こそ、そういうサイトで提供して欲しいんだけどね。
要するに自分の発言に一貫性はまったくありません、同じロジックでも文脈によって適用したりしなかったりします、文脈は自分が自由に決めますっていう議論放棄宣言ね
理解した
(しかも「部落」という単語は差別の文脈では特別な意味のある用語であって、フクシマは該当しない。この低能は初歩的な同和教育すら受けて無いのかよ)
人種や国籍によらない国内の地域差別であっても十分差別の文脈になるという例を出しただけで、福島=部落だなんてどこにも書いてないんだが
「韓国人を叩くのは差別」「同和地区民を叩くのも差別」「でも福島人を叩くのは差別じゃない」という矛盾した定義を通そうとするからには相当なこじつけを用意してるんだろうと思ったら、まさか「文脈が違うからOK!」だけで乗り切るとはなあ…
なんか既にさんざん色々言われているが、渋谷と六本木のハロウィン行ってきたし、コミケにおいてはスタッフ参加・コスプレ参加・サークル参加もしたし、所属企業が企業参加もしてたんでこの件については意見をいう資格があると思って、言う。
とにかく、コミケと比較してハロウィンコスプレ連中を叩いている奴はアホだ。私は断言する。
「コスプレは自分たちが主流」という考え方もあるだろうけど、確実にあちらのほうが主流になっている。「人数が多ければメインストリームなのか!?」という意見もあるけど、人が多けりゃまぁメインストリームでしょう。さて参加者の数を正確に測定するのは日本野鳥の会を雇っても難しいんだけど、まぁコミケととなコスを合わせた数よりは多いだろうな、と言うのはチラ見でも分かると思う。
「多数がやってるからと言ってマナー違反はマナー違反だ!」という人は、自分を振り返れば分かるだろうけど、コミケ参加者だってマナー守るひともいれば守らないひとも居る。人数が多くなれば守らない人が多いような気になるものだ。
これは最大の問題なのだけれど、渋谷六本木のハロウィンは本質的には主催者がいないイベントなのだ。川崎ハロウィンはほぼ実行委員会の下にあるが、渋谷六本木については、個々のクラブイベント等の集合体に過ぎず、全体を統括する責任者だとか、共同代表だとかはいないのだ。ゆえに警察の対応も場当たり的な交通整理になるし、人の流れの動線についても責任を持つものがいない。交差点の真ん中で写メろうが、ニコ生しようがUstreamしようが、だれも止めない。警察も止める権限がない。
一応シブハロ実行委員会というのもあるが、あれもパルコとか幾つかの店舗のイベントの統括に過ぎず、渋谷のハロウィンについてなんら責任を負うものではない。
この点、コミケについてはコミケット準備会の私的なイベントであり、主催者の決めたルール(コスプレ来場・徹夜組・過剰な露出・消防動線の確保など)に従わないものはもちろん、「単に気に入らない人間だから」というだけで参加を拒否する権限すらある。一方で、その範囲内で法令違反(わいせつ物・火災・動線の失敗による転倒事故)などがあれば管理責任として、最悪は代表者や担当者が刑務所に入るリスクすらある。
また一般的な神社などのお祭りと比較する意見も見られるが、あれも神社の氏子組織とかが実行委的なものを作ってたりしますね。
ゴミ箱については、コミケのひとたちもあの巨大なコンテナゴミ箱がない状況で、ゴミをキレイに捨てられるなら言ってくださいね〜と思う。
公共担当した人ならわかるけど列移動後のゴミはどうしたって残ってるし、館内担当の人もサークル撤収後にゴミが残ってるのは何度か見てると思う。
東京都が早く、ハチ公のとことセンター街の角海老のとこあたりとかにコンテナゴミ箱設置してくれれば改善されると思う。逆にコミケだってコンテナゴミ箱を無くして「ゴミは絶対に絶対に持ち帰ってください。コンビニで買ったとかしるか!」ってやったらゴミだらけになるのではないかな。上野公園の花見だって、コンテナゴミ箱を設置するまでは恐ろしい量のゴミだらけだったし(平成元年はまだそんなだったぞ)、まぁ今も酒入って朝までやってるから多少はゴミだらけだけど、昨今はちゃんと片付ける度も高いと思うよ。
あ、あと意識高い参加者はどちらにもいて、コミケだって16時過ぎに隣サークルのゴミを拾って捨ててる人とかもいるし、渋谷も朝の…6時だっけな?ゴミ袋とトングを配ってて、路上のゴミを拾うボランティアコスプレイヤーたくさん居ましたね。素晴らしいです。
まぁ酒飲みながらコミケやるやつもあったんだけど(コミケットスペシャル)、あんまりガッツリ飲む感じじゃなかったんですよね。その点、シブハロは終電過ぎてからがメインで、クラブやバーなんかの酒を呑む店がメインだったりするのもあって、ちょっとテンションがおかしい人が増えるってのはあると思う。
「酒飲んでるからって許されるなと思うなよ」ってのはあるが、正直コミケでマナーが良いのは酒が飲めないからであって、アニソン系のダンパとか行くとわかるけどぶっ壊れっぷりはヲタ層でも昔から酷かったような・・・。
理由5:着替え場所(更衣室)の問題。または「コスプレ来場(家からコスプレ)はノーマナーなんですけど!?」問題。
更衣室が無い、そしてハロウィンメイクは化粧室を汚しやすい(血糊とかが飛んで洗面台がひどいことに)というのはある。
例えば六本木ヒルズのお手洗いについては、「ハロウィンメイク禁止」の札が貼ってあった。そうでなくとも、トイレで着替えたり仮装のためのメイクをするのは他の利用者の邪魔になる行為だ。
一般のコスプレイベントでは、これは禁止事項にあたる。コートを羽織って参加すらダメという扱いがほとんどだ(一方でメイク・つけまつげ・カラーコンタクトは許容される傾向がある)。だが、コレは必須事項だろうか?
これらは実際には、運営者側の問題であり、さらに言えば徹夜組等で苦情が来たため・・・とかじゃないだろうか。コミケは運営方針として、基本的には『禁止事項は少なく』の方向で動いている。だから禁止事項になるのは「明白な危険(あからさまな武器と判別つかないもの)」「他人の迷惑(コス着替えでの化粧室専有とか)」に限っている。
そんななかで、長年ずっと疑問だったのが「コスプレ来場禁止」のルールだ。これ禁止するくらいなら、もっと前から「エロ紙袋禁止」をするべきだった。
ただし、正直なトコロで言えばコスプレエリアトップは館内や公共・外救とかとは違うルールっぽくてよく知らない。
とにかく別に、コスプレ来場したってそれが本人に恥ずかしく無いのであればいいんじゃないか?と思う。過激な露出がある場合ならコートとか羽織ってね。
むしろコミケの更衣室はゴミゴミした大部屋に押し込められて、キャリーバッグの上に鏡置いてメイクして…ってやってらんねーんですよ。メイク終わったあとにカラコン入れ忘れたことに気がついて手を洗いたくても洗面台は無いので外に行くかそのままの手でカラコン入れるか(目が荒れるのでやってはいけない)。。。あそこで血糊コスやったら、ジュータンの上に血糊ぶっこぼすやつが毎日10組は出るね。
血糊の話は次節に、露出については次次節に譲る。
今年も去年も、電車の中で血まみれナース服の連中をダース単位で見てたし、血まみれリーマン風ゾンビさんが酒飲んでぶったおれて寝てるのはどう見てもガチでオヤジ狩り後なんじゃないかと心配になる。血まみれでもシュッと立ってスマホ見てつり革掴んでりゃ多少はマシなんだけど。
いずれにせよ、これは
扇情的な格好、という意味ではコミケやとなコスのほうがひどいのは多いと思う。なお一部クラブとかでは過激な格好をしてるところもあると聞くが、そういうのは会員制で入れなかったりするしさておく。
一般の路上で扇情的な(谷間やヘソ・下乳が出る程度の)格好をすることの是非はあるが、コミケやワンフェスでシェリル・ノームやキルラキルコスプレがたくさんいた事を考えると、路上における露出の程度は問題ではない気がする。
「公共の道路でやることが問題なんだ!」というのも、最近のコミケでは庭園エリアとかの公共エリアとほぼおなじところでやってるのはある。
はいはい盗撮で毎年逮捕者出てるコミケはおうちに帰ろうね。。。
なお警察が100人以上出動しているのは、主に交通整理の問題であって、コミケだって公共の人たち(駅の案内・信号周辺などなど)に数百人を配置してるうえに、そもそも信号がほぼ無い湾岸エリアだもん…。
「そもそも渋谷とか狭いとこでやんなよ!」と言うのは納得ではあるが、ガイジンは渋谷と六本木がやたら好きなんだよ!理由は知らん!
「コミケは外国人がたくさん参加してる!」って言うけど、少なくとも所属企業の外国人従業員30人前後のTwitterやFacebookを見る限り、コミケに行ったのは2,3人くらいだけど、ハロウィンは20人以上いってたからな。
もちろん外国人にも趣味はあるけど、初音ミクが好きすぎて日本に就職したガイジンですら、ハロウィン参加していたからな(コミケももちろん行ってたけど)。
あと、やっぱりパット見でガイジンと分かる人たち(非アジア系の外国人たち)の存在率考えても、渋谷六本木のハロウィンはコミケの10倍はガイジン密度高いと思います。
実際に歩くとガイジンばっかだなーって思いますよ。コミケじゃごくたまに見るくらいですね。
まぁコミケは既に文化となってて、日本に留学してコミケ含むオタク文化について論文書いて博士号取った人とかもいるのにくらべると、ハロウィンは文化的にまだまだーというのはありますが。
巨大レンズぶら下げて取る専なカメコは多分ハロウィンには居ない・・・か居てもかなり少ない。コミケだとカメコ率以上に高いのに比べると、みんなスマホかせいぜいコンデジ。
何十人も取り囲んでローアングラーが張り付いてスタッフがカウントするまで囲みが動かない・・・ということはない。
コレについてはよくわからない。結局のところ外部経済であるのは飲食ぐらいで、コミケだってなんだかんだでオタク同士の輪のなかでの内部経済みたいなもんじゃないのだろうか。ハロウィンの警備で警察が出て税金使ってるけど、コミケも救急車も警察も消防もキテルんだヨー。だから熱中症対策はちゃんとしようねー。
ROを経験した人間にはなかば常識ではあるが、ノーマナーという言葉は
> 「自分にとって不愉快な行為をした人間」に対して「ルール違反」的な意味合いとして、レッテルの貼り付け
として使われている。
総論:
そんなわけで、渋谷と六本木のハロウィンを綜覧して語ってみた。とは言え六本木も渋谷も、ストリートではなくてクラブの中で様々なことが行われていて、その中では新堂エルのマンガに出てくるような黒人が、新堂エルのマンガに出てくるようなことをしているのかもしれない。新堂エルのマンガに出てくるようなことをしたい。
とにかくコミケ参加者たちが自分たちが特権階級のように言っているのがムカつく。既にメインストリームはあちらに移っていて、完全に時代から取り残されつつあるのに「マスコミはダブルスタンダードだ」としか言ってないのがムカつく。時代は現在、新たなる局面へ向かいつつある!我々も表に出ていくべきときなのだ!時代は新たなオタクたちのものだ!立てよ国民!
サイバーメガネさんの「政治・選挙業界の闇の用語集」 というエントリを目にして、学生時代、東京都議選候補者の事務所で働いた時のことを思い出したので、つらつら書いてみる。
その自民党候補者の事務所で働き始めたのは、べつに支持者だったからではない。
むしろ、当時の若者の常で「それほど政治に興味はないが、しいて言えば左寄り」だったと思う。
なのに、なぜ働いたかといえば、単に友人から「とっぱらいの、面白いバイトがある」と紹介されただけの話である。
9時から18時まで日給1万円、延長の時は時給1000円、半日しか来れないときはそれでも良い、しかも昼食付きという条件に魅力を感じて、
選挙公示日の2週間前くらいから、そのバイトにはいることになった。
なお、現在、選挙事務所が、ウグイス嬢などの特殊技能を持っていない単純な運動員をバイトとして雇うのは、公職選挙法で禁じられている筈である。
当時の規定がどうだったのかは、よく知らない。
ただ、バイトにいった初日、「外で何か聞かれたら、○○事務所のボランティアですと答えるように」という注意があった。
あと、昼食は無料で弁当が出たのだが、なにか帳面のようなものに、弁当と金額が書いてあって、サインをさせられたが、
それでいて、とっぱらいの一万円をもらうにあたって、なにかにサインしたり、書類をもらったりすることはなかった。
仕事は、荷物を運んだり、連日どこかの体育館や集会場で行われている個人演説会の会場設営や後片付けをしたり、街頭演説の交通整理やビラ配りをしたり、
要するに雑用だった。
応援にきた時の首相に道を開けるため、群衆を抑える、みたいなこともあった。
あと、選挙カーの通れない細い路地を、候補者を先頭に自転車で走り抜けながら支持を訴えて走り回ったこともあった。
候補者のあとを、背中に候補者名や政党名を書いた「のぼり」をたてて路地を練り歩いたりもした。これは、内部で「桃太郎」と呼ばれていた。
「桃太郎」には「先発隊」が出されることもあった。
あらかじめ、候補者の一群が来る前に、支持者の家に声をかけて、表に出て先生に声をかけてくれるように頼んでおくのだ。
候補者が自ら支持者の家にいったら、公選法で禁じられている「戸別訪問」だが、あらかじめ支持者が公道に出ていれば、そうはならない。
告示日がすぎて、ドタバタと忙しくなっていたある日、印を付けられた地図を渡されて「ここのお宅にいって、先生のポスターを剥がしてきて」と頼まれた。
普段も街中で政治家や政党のポスターを見かけるが、選挙期間中は指定された掲示板以外にポスターを掲示してはならず、
実は、告示日が来る前のバイトの主な仕事として、選挙区を自転車で走り回ってポスターをはがして回る、というのがあったのだが、
それでも「見落とし」というのは当然ある。
そのまま、掲示をしていると、その筋(たぶん、選挙管理委員会)から警告のファックスがくるらしく、
その時は、大急ぎでバイトがポスターを剥がしに駆けつけるのである。
指定された場所は、ゴミゴミとした「アパート」というより「長屋」とでもいったほうが似合うような、古びた木造集合住宅が密集した地域であった。
今でも、東京の東部には案外そういう建物が残っているが、当時は今以上に、そういう地域が多かった。
その雰囲気は、サラリーマン家庭が圧倒的多数を占める、いわゆる「ベッドタウン」で育った大学生にとって、
物珍しさと一抹の不安を呼び覚まさせるに十分だった。
問題のポスターは、その木造長屋の二階の雨戸の戸袋に貼ってあった。
窓から乗り出さなければ、張ることも剥がすことも不可能な場所だ。
マッチ箱のような大きさの昔ながらのドアチャイムを押すと、引き戸を開けて出てきたのは
絵に描いたような「下町のばあさん」だった。腰がかなり曲がっていた。
来意を告げると、「ああ、そう。剥がさなきゃいけないのは知っていたけれど、あの場所じゃ自分でできなくてねえ」と言われた。
二階の窓から身を乗り出して、ポスターを剥がし終えると、ばあさんが冷たい麦茶を出してくれた。
ありがたくいただいていると、ばあさんがこんなことを言った。
「お宅の先生、ちゃんと頑張ってるの? こっちの方、まだ全然選挙カー来ないじゃないのよ。KM党とKS党ばっかりよ」
僕は思わず、ばあさんの方をじっと見た。選挙カーが来るのを待ちわびている人を、人生で初めて見て、いささか驚いたからだ。
「あたしゃね、SK学会とか、KS党とか、大っ嫌いなのよ。だからお宅の先生にも頑張ってもらわなきゃ。あたしも知り合いに投票してくれるように頼んでんだからさ」
ばあさんの言うことは、政策がどうとか、そんなこととは関係ない次元ではあったけれど、でも十分筋が通っていた。
あんな騒々しく名前を連呼して支持者の獲得なんてできるのだろうか、むしろ逆効果じゃないのか、と、それまでは漠然と思っていた。
世の中には選挙カーがこないと「先生、ちゃんと頑張ってるの?」と心配する支持者がいるのだ。
そして、その支持者が、さらなる支持者を獲得するために動いてくれるのだ。
もともと、候補者のことなどろくに興味がなく、選挙カーが来たら「うるせえなあ」としか反応しない層の反感によるデメリットよりも、
「ああ、先生、頑張っているなあ。あたしも頑張らなきゃ」というばあさんの意識に呼びかける効果のほうが、大きいのであろう。
世の中の仕組みをもう一つ知れた気分になって、いささか感心しながら事務所に戻ると、事務所の司令塔でもある候補者の長女に「ごくろうさま」と声をかけられた。
そして、彼女は、笑いながらこんなことをいった。
「あのあたり、ゴミゴミしてほんと汚いでしょう? いっそ地震でも起こって全部燃えちゃえば、再開発でもできるんでしょうけどねぇ」
彼女の父親の地位は、その「ゴミゴミしてほんと汚い」ところに住んでいるばあさんたちに支えられている筈であるのだが、
彼女にとってそこは、さっさと燃えてしまえばいい場所のようであった。
もともと冷めた目でこのバイトをしていた上に、さらに「軽蔑」の気持ちが加わったのだが、それはそれとして、バイト代は魅力的だったので、僕はその事務所に通い詰めた。
そういえば、投票日当日、事務所の整理などの仕事があったので、やはりバイトにいったのだが、
そのとき、事務所の「コールセンター」で、女性たちが支持者名簿を片手に電話をかけまくっていた。
女性たちは、「○○事務所のものですが、本日の選挙、投票にいかれましたか? 大事な選挙ですので、ぜひ投票なさってくださいね」などと呼びかけていた。
「○○候補への投票をお願いします」と当日に電話で呼びかけてしまうと、公選法違反になるということだった。
事務所の幹部たちは、1時間ごとにだされる投票所ごとの投票者数が記された紙を見て、「○○地区の出足がおそいなあ」などと言いながら、
女性たちに「○○のほうを強化して」などと、電話をかける先を指示していた。
結局、その候補者は当選した。開票速報が流れたときにも事務所にいたのだが、それはもう大層な盛り上がりようだった。
関係の深い人々はもちろんのこと、つい一か月ほど前に縁をもったばかりのバイトの大半も、それなりに興奮していた。
一月の間、同じ目標に向かって働くことによって生まれる一体感が、その興奮を生み出すエネルギーの源泉となっていたのだろうが、
先の一件で事務所に軽蔑の念をもっていたので、心の中ではかなり冷めた目でその光景を見ていた。
表向きは、その歓喜の輪に加わって、翌日に行われた祝賀会でも、随分ご相伴にあずかって、ビールやら桶の寿司やらをしこたまいただいたけれども。
このとき、結局、一月で20万近くを稼いだ僕は、その資金で海外へと貧乏旅行に出た。
インドで、現地で知り合った人に
「この国は世界最大の民主主義国なんだけれど、まだまだ文字が読めない人も多いので、
選挙の投票用紙には政党のマークが印刷してあって、それに印をつけるんだ」という話を聞いて、
「選挙ってなんだろう」と考えたりもした。
あれ以来、選挙の現場に直接かかわったことはないが、選挙の季節が来て、候補者の名前を連呼する声が聞こえると、
ああ、この辺りに、あの候補者の支援者が住んでいるのだろうか、などと考える。
選挙は一度も棄権したことはないが、選挙カーによる名前の連呼は、僕の投票行動にはいささかも影響を与えていない。
選挙カーで名前を連呼する事象について言及すると「そもそも公職選挙法で規定されているから、それしかできないのだ」とブコメやトラバでご教示くださる方がいる。
仮に、連呼以外のことが認められ、選挙カーが政策を訴えだしても、「うるさい」と思う人は「うるさい」と思うだろうし、
走り回る選挙カーから、「政策に興味のある意識が高い有権者」の判断材料になるほど意義のある複雑な内容が訴えられるとも思えない。
「おそろしい」
「おそろしい」
さわやかな増田の診断結果が、濁りきった電脳空間にこだまする。
xevra様のお庭に集うおっさんたちが、今日も天使のような無垢な胃腸で、
背の高い門をくぐり抜けていく。
清潔を知らない通学路を包むのは、茶色いまだら。
エントリーのプリントは曲げないように、白い括約筋は驚かせないように、
ゆっくりと歩くのがここでのたしなみ。
もちろん、脱糞ギリギリで走り去るなどといった、間に合う生徒など存在していようはずもない。
平成十八年創立のこの学園は、もとは自称令嬢のためにつくられたという、
京都下。Web2.0の面影を未だに残している星の多いこの地区で、
xevra神に見守られ、幼稚舎から幼稚舎までの一貫教育が受けられるおっさんの園。
時代は移り変わり、覇権がniftyから何度も改まった今日でさえ、
十八ヶ月瞑想を続ければ大脳が破壊された純粋培養おっさんが箱入りで出荷される、
という仕組みが未だ残っている貴重な学園である。
SEALDsの安保関連法案に関する主張はこの際置いておこう。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00302544.html
「どうして政治家の信念に国民全員が従わなければならないのか」
我々の投票によって選ばれた議員(政党)が内閣総理大臣を選ぶ間接民主制です。
あなたが投票した票は死票になったのかもしれないが、それも憲法で定められたシステムでありその地区の多数派意見を反映したものなの。
確かに一票の格差が違憲状態だという問題はあるよ?でも無効じゃない。つまり選挙結果自体は正しいとされているわけ。
全国的な多数派意見と少数派意見、地域的な多数派意見、この2つを反映した結果が今の国会なわけ。
そしてその選ばれた議員たちが代表者を選んだ結果が内閣総理大臣。
与党は内閣総理大臣の意見を支持するけど、それは与党を構成する議員たち個人個人の意思が決定している。
内閣総理大臣には民意が間接的にとはいえ反映されているんだよ。
それなのに民意を反映していないというのはちゃんちゃら可笑しいね?
民主主義の基本である多数派意見の尊重がきちんと反映されているのにね?
票の数で見たいなら憲法改正のように国民投票してみましょうか。
ああ、国民投票法案に反対していたのも安保反対派のみなさまでしたねえ。
いやいや、結構な頻度でみましたよ。在日米軍の問題しかり、安保しかり。
特にあなた方を支持されている野党の皆様方は声を大にして叫んでいらっしゃいましたね。
さて、国政選挙への出馬を検討しているそうですが、そこで落選したらちゃんと結果を受け止めて諦めるんでしょうか?
それとも「これは陰謀だ!民意は別のところにある!こんなの認めない!」をやるのでしょうか?
大日本帝国軍、オウム真理教。自分たちの意見が政治に反映されず、不満を持った集団が行き着いた先はクーデターやテロという民主主義の否定だった。
過去を整理する。
今ではそこそこブラックすぎない会社に拾われて人生つまらないなりにあまり苦しくなく生きられている。
あまり苦しくない人生というものに、それなりに満足できているのは一度それなりに苦しんだからだろう。
ストレス耐性のある人間からすれば全然余裕だったんだろうが、生まれつき精神構造が弱かった自分にとっては十分に苦しい時間を過ごした。
あれより下もきっとあるんだろうが自分が知ってる中で一番下があれだ。
あれより下がきっとあるだろうから必死にそこから逃げ出そうとして、その結果中退の道を選んだとも言えるだろう。
ろくにやってなかった。
緩やかに限界に近づいていた。
毎週やってくるレポート提出日におびえていた。
土日に図書館に行ってレポートを書くための資料を集めて、それでちゃんと準備をしているのに全く進まないレポートに苛立っていた。
何を書けばいいのか本当に分からなかった。
今思えば当たり前の事を書けばよかったんだと思う。
自分は出来の悪い学生だと認めて凄く基本的な事、誤差の計算の話とか実験の教科書に既に書いてあることの焼き直しとか、装置のもっと細かい説明を百科事典から丸写ししていればよかったのだろう。
呆れられるだろうが、何もしないよりはマシだ。
それか、他人のレポートを借りて少しだけ言葉や計算を変えて丸写しするかだ。
あの頃の自分は阿呆な癖にプライドだけは高く、そういう事はできなかった。
それでいて自分の出来の悪さには半分気づいていたので、その後ろめたさから教授に相談することも出来ないでいた。
ただ完成しないレポートとにらみ合いながら、そのままでいると無力感で気が狂いそうだからとラジオを聞いたり横目にテレビを見ながら部屋の周りをぐるぐるしてばかりいた。
朝の6時までそんなことを続けてから、12時間眠って夕方の6時に起きて、5分ほど布団の上であぐらをかいてから大学をサボってしまったことにふと気づいたりしていた。
実際は友達が少ないからと昼休みになるたび図書館に行って学習まんがを読んで過ごしているうちに無意識に勉強をしていたんだと思う。
それでも勉強が人より出来るのは間違いがなかったので親は自分に妙な期待をしたらしく私立中学に行くことを勧めてきた。
その頃の自分は「いい子」だったので親がそう言った以上は逆らうこともなく、素直に塾に通い、素直に人より多く勉強をして、気づいたらそこそこの私立に入っていた。
今覚えばこの時点で覚悟を決めておくべきだったんだろう。
自分は運動も出来なければコミュニケーションも上手く取れなくて、それでいて賢くもないと。
ダラダラと過ごすうちに最初は中間だった成績は下の下まで落ちていった。
今思えば、自分は小学校の頃にちゃんと勉強をする癖を付けそこねたんだろう。
勉強は暇つぶしの範囲でしかしなかったし、テストの大部分は学習まんがで覚えた知識を応用してどうにかしていた。
嫌々ながらも机に向かって問題を熱心に解くことは少なく、宿題も面倒になると適当に埋めて終わらせていた。
算数の問題(今覚えば公務員試験の数的処理によくにていた)を解くのはパズルみたいで好きだった。
だけど単純計算は嫌いで、よくケアレスミスをするのは知っていたのに全然トレーニングをしようとはしなかった。
そうして面倒くさがって勉強しない癖を付けたままダラダラと中学高校時代を過ごし、大学受験シーズンを迎えた。
分からないことが多すぎた。
英語の基礎はなっちゃいないし、数学も積分の問題を解いているのに微分がそもそもろくに理解できていなかった。
社会化の知識は小学校で止まっていたし、かろうじて理科はどうにかなると思ったらこれも中学校で止まっていた。
自分は勉強しなくても勉強が出来るはずだという感覚を未だに捨てきれなかった自分は混乱した。
何から手を付ければいいのか分からなくてとりあえず周りに合わせて受験生がやるような問題を解こうとした。
手も足も出なかった。
中間テスト前に毎回丸暗記して何とか赤点を回避していた知識は反復不足でほぼ全てが抜け落ちていた。
高校1年の問題どころか、中学2年程度のレベルでも怪しい所が無数に合った。
まず何をすればいいのか。
それを誰に相談すればいいのか。
その答えも出せないまま刻々と時はすぎて、気づけば滑り止めも受からないまま高校時代は終わった。
塾には行っていた気がするのだが、基本的な部分で躓きまくっているのをどうすればいいのかが分からなくなり、誰に相談するでもなく自主休講を繰り返していた事だけは覚えている。
相談すれば真摯に対応してくれていたのかも知れないが、あの頃の自分はプライドと疑心暗鬼が心の中で手を組んでこんな奴らに相談しても馬鹿にされた挙句にはぐらかされるだけだぞと完全に思い込んでいた。
浪人生になった春。
新しい塾に入ることにした。
そこは前に通っていた塾よりもレベルが低く、自分が通っていた高校の名前を出したらすぐに上のクラスに入れてもらえた。
自分の今の実力は非常に低いから不安なので一応テストを受けたいと申し出た。
いくらもう1年時間があって同級生には高校3年生もいるとはいえ、こんな問題も解けない奴はヤバいだろうと感じた。
今思えばここで油断したのかも知れない。
勉強をしない生活が基本となっていた自分は、隙あらばサボろうとしていたのをよく覚えている。
最初のうちは授業にはちゃんと出ていたが、いつの間にか加速度的にレベルの高くなる内容に振り落とされ、気づけば足が遠のいた。
どこであんなに差がついたのかとその頃の自分は悩んでいたが、答えは明白である。
日々の反復学習だ。
予習も復讐もロクにせずに授業に出るだけでは大学受験レベルの問題が解けるようにはならないおつむの作りをしていると高校時代に散々味合わされたはずなのに、半年もしないうちにそれを忘れてしまっていたらしい。
そうして勉強をする癖を付けることが出来ないまま、二回目の大学受験を迎えた。
滑り止めには受かった。
「こんな所行ったら終わり」だとすら思わず「こんな所に行く自分が想像できない」滑り止めだった。
他の試験会場で味合わされた絶望感がそこの試験の時だけなかったのを覚えている。
同時に「こんなに簡単ならきっと逆に競争が熾烈化してギリギリの戦いになるだろう」なんて考えていた。
そうして勉強する癖も、自分のイメージする大学生にふさわしい知識も、自分のイメージする大学生にふさわしい学習環境も、何一つ手にすることがないままに大学生編が始まるのであった。
もう一年浪人して心を入れ替えておけばよかったのかも知れないと今は思う。
二浪したら人生の終わりの始まりだとその頃の自分や両親は思っていたが、その程度で終わるなら大学を中退したらどうなってしまうと思っていたんだろうか。
大学に入った頃の自分はまだ自分がそこの学生である事を実感できないでいた。
結局一度も心の中で認めていなかったのかも知れない。
周りの学生も教師も皆馬鹿に思えたし、そんな連中とつるまなきゃいけない自分自身の馬鹿さ加減にも日々絶望していた。
心の半分ぐらいがずっと灰色だった。
浪人時代に失敗したから大学に入ったらちゃんと勉強を頑張ろう!
そう思って友達付き合いやサークル活動を控えて勉強に打ち込もうとした。
駄目だった。
ただ予習・復讐を忘却曲線に合わせてやるだけの事が出来なかった。
だから勉強もできないしサークルにも入ってないし友達もいない救いようのない学生が出来た。
そうしてその救いようのないクズは日々レポートに苦しみながらクズ故のプライドの高さと自己肯定感の低さから来る多方面への遠慮から誰にも頼れずにいた。
そうして自分は大学2年の後半辺りから少しずつおかしくなり始め、就活シーズンの頃にはすっかり頭が駄目になっていた。
誰からも自分は必要とされないだろうという不安から就職活動に踏み切ることも出来ず、だからといってなにもしないのも不安だからとか公務員試験の勉強を始めた。
公務員試験の勉強と、普段の授業と、実験レポートと、卒業論文、その4つにグルグルと毎日追われていた。
授業の実験はなくなったが研究室に妙なやる気があったのでそれに似たことをよくやらされた。
何かをすると他の何かが頭をよぎった。
勉強もしなくちゃいけないし、レポートも書かなくちゃいけない、卒業論文も進める必要がある、面接の準備もしておいた方がいいのだろう、授業の宿題もちゃんとやらなければ……
パニックだった。
計画を立てて物事を実行に移す。
自分にかけていたのはその習慣だったのだ。
今にして見ると簡単な事だ。
だけど自分はまだそのことに気づいていなかった。
だから机に向かって何かに取り組んでは、すぐ別の何かが気になってフラフラしては精神をすり減らしていた。
気晴らしのために遊ぼうとしても色々な事が気になって遊べなかった。
眠ることは生理的に必要不可欠なのでこれなら許される気がした。
悪い夢を見ることが多かったけれどもそれが一番疲れが取れた。
寝ている間の半分は夢すら見ていないからだろう。
実験レポートの内容は相変わらず酷いもので、教授にチェックを受けるたびに皆の前で叱られた。
あるときには呼び出しを受けて教授から2時間にわたり叱責を受けたこともあった。
回りでパソコンに向かっていた同級生・上級生が憐れむような、何か理解できない生き物を見るかのような目でこちらを見ていたのを覚えている。
そうして気づけば研究室へ行くのが嫌になり、卒業論文も進まなくなった。
将来への不安から勉強にも身が入らず単位も不足し、文句なしの留年でその年は終わった。
入る前から死にかけている生きの悪い学生なんてどこも取るはずがないだろうなと今でも思う。
次の年度が始まっても、院生に上がった元同級生や下級生、そしてあの教授たちと顔を合わせると思うと研究室には行く気になれなかった。
研究室を変えたらどうだという話もあったが、どうせたらい回しにされた人間しかやってこないようなもっと酷い研究室に送られるのだと思い拒否した。
今覚えば分が悪くとも賭けに出た方がマシだったろう。
ギリギリの精神を「もうすぐこの状態から抜け出せる」という希望で何とか繋いでいたのが逃亡からの留年という形で切れてしまったこともあり、次の年度は完全に駄目だった。
日々の多くを家に引きこもって過ごしていた。
毎日死ぬことばかり考えていしたし、もうすぐ死ぬのなら今頑張っても無駄だなとふて寝ばかりしていた。
何かを頑張る気にもならなかったし、かといって遊ぶ気にもならなかった。
ただ毎日を死んだ目で寝て過ごした。
段々寝ようとしても寝れなくなっていったが、グルグルと頭のなかで過去や妄想を反芻しながら布団の中で目を閉じている方が起きて何かやるよりかはマシなので眠りもせずに布団の中で過ごした。
そしてその日々の中で、こんなことを続けていたもどうにもならないと思い、自分は中退を決意した。
決意の方向が間違っていたような気もするし、実際もうあの頃の自分はどうやっても大学を卒業できなかった気もする。
生活を見直し、人生を見直し、行動を見直し、とにかく気持ちがどうこうよりも前に日々をどう生きるかを前向きに組み立てなおしていれば可能性はあったのかも知れない。
だけどあの頃の自分は1人でそれが出来る状態にはなく、それを助けてくれる人間も周りには居なかった。
両親は自分の人生で忙しかったし、大学は腐ったみかんの相手なんてする気はなかった。
ジュラシックワールドを見てきました。素晴らしい映画です。
まだ見ていない方は是非とも見てください。
前作が公開されたとき,僕はまだ子供でしたが,この14年で僕は工学系の大学院も出て就職し色々知恵がつきました。
その結果,この「ジュラシックワールド」という愛すべきテーマパークの設計に様々な問題を感じました。。
無粋なのは承知ではありますが,今回の事故を踏まえ,設計の問題点,改善点を列挙していきたいと思います。
「その設計がどの程度駄目であるか」を駄目度0~5の6段階で表します。☆3くらいから本番です。
改善案として「落下防止柵を高くする」とか「安全帯を付ける」等が考えられますが,
一般的な水族館や動物園でも本施設と同程度の対策なのも考慮すべきです。
豚には悪いですが今回事故の直接の原因となった豚救出用の棒(?)は廃止する必要があると思われます。
元海軍のオーウェンが「赤外線センサを欺くなんて」と驚くシーンがあるので、
しかし、まずは目視や他のセンサなどを使って安全確認してから檻の中には入りましょう。
これはひどい。警備隊のメンバーは腕にインドミナスのGPS情報の確認端末を付けているのですが、
なぜインドミナスの檻前に無かったのか。なぜ中央管理室まで問い合わせないとGPS情報が得られないのか。
各部署に恐竜のGPS情報やセンサ情報を閲覧できる端末の設置が求められます。
なぜインドミナスの檻の大扉(メインゲート?)が現場の内側から開けられるようになっているのか。
GPSではなく,こっちを中央管理室からしか操作できないようにすべきです。
その点T-Rexの檻を中央管理室からの操作で開閉するのは良い設計です。
もしかしたらインドミナスの檻は一時的なものでまだ中央管理室と繋がっていないのかもしれません。
が、その場合でも警備員室などセキュリティレベルの高い所に開閉装置は設置すべきです。
前項と関係しますが、大扉の脇に小さな勝手口を付けるべきです。
大体の建築物はそうなっています。そんなに壁の強度を下げるのが嫌だったのでしょうか。
大扉の脇に勝手口を作る,あるいは壕のような退避場所を作りましょう。
GPSがインドミナスに1個しか取り付けられてないのは故障も考慮すると良くないんじゃないか、
・貴重な生き物であり何個も埋め込むことで負担をかけたくない。
・故障については1つのカプセル中に複数の独立したGPSをいれることで対応する。
ラプトル系の賢い恐竜は埋め込まれたGPSを自力で外すことがあるという知見が
今回の事故で得られたため取り付け方の工夫(2つ付ける,深くつける等)が必要です。
作中語られていませんが、麻酔耐性や電撃耐性も獲得しているように思われます。
勝手な想像ですが、Dr.ウー達研究部隊はハモンド氏以来社長の直轄で自由が許されていたために、
それ以外のチームとの情報共有が行われていなかったのではないでしょうか。
ジュラシックワールドの良い設計ポイントですが、
お客さんの避難場所も兼ねた南の地区と恐竜がいる北地区は分断されています。
そのためラプトルが檻から脱走しても直接南地区に侵入してはこられません。
実際、今作では一般客にでた被害のほとんどは翼竜によるものです。
見た目は悪くなりますが、南地区上部に金網を張る、翼竜園の周囲に金網を張るといった対策が必要です。
緊急事態なのに子供2人がジャイロスフィアでどこかに行ってしまった
外側が高速回転しても目がまわらないなど機械周りは凄い設計です。
おそらく小型のアパトサウルスに耐えればOKという仕様だったのでしょう。
緊急事態でも管理室からジャイロのコントロールを奪えず,お客さんの意思任せというのは頂けない。
またGPSを利用して危険領域にはゲートが開いていても入れないようにするべきでしょう。
連れて行ってくれるといった機能も付加したいところです)
ちょっと判断がつきかねるのですが、モササウルスと観客の距離が近い気がしました。
ラストシーンでインドミナスをモササウルスが海に引きずり込めるのですから、人間も危ない感じです。
旧ジュラシックパークを設立されたハモンド氏の時代から安全管理について学習していない...。
ぜひですね,この反省を元に安全性を増したジュラシックワールドを構築していただきたい。
僕は一度しか映画を見てませんし,原作小説もまだ読んでおりませんので,
間違い,勘違いなどがありましたらご指摘ください。
無粋な工学系の思考に最後まで御付い合いいただきありがとうございました。
ジュラシックワールド最高です!!
親がその内高い仏壇かって朝夕の勤行をするようになるのはまあ前提として。
まず、月一くらいでその地区の学会員(母親が入ったのなら恐らく婦人部のおばさん)が家庭訪問に来るようになる。
週一くらいで会合もあるし宗教っていう仲間意識もあって助けになる人間関係が出来るのは確か。
ただ、信者はピンからキリまで居てメンヘラで妄信的で目がイッちゃってる信者も居れば、
朝夕の勤行自体にそんな絶対的能力がある訳じゃなく規則正しく生活して朝晩に発声する。
人として正しい行いを抽象化した物が宗教だってきちんと話が出来る人間も居る。
一人暮らしの母親の人間関係のきっかけになればいいが、結局どうなるかは本人と周りの環境次第だと思う。
・
さて、僕の住んでいる集落は山村で、四十戸ほど、統計によれば百人ちょっとの人口を有している。
幼児が二人、小学生が二人、中学生が二人、高校生が二人、二十代が二人とかそんな感じが男女を併せた若者の総数。
三十代は僕を含めて十人弱くらいいるかな。あとは世代が上がるほど人数が増えていく。
はっきり言えば大半が高齢者だ。
狭い集落で人間関係は濃く、僕が住み始めた頃、馴染めずに浮いていた。
・
空気はいいし、牧歌的な風景は広がるが、何をするにも人手が足りないからだ。
都市部にいれば『誰かがする』で済む自治会活動も、ゴミ拾いも、消防団も、葬式の手伝いも、生活道の除草も、神社なんかの祭事も、PTAもぜんぶ『自分』でしなければならない。『誰か』がいないのだ。
だから休みの日には早朝からお寺の掃除や、農道の草刈りにかり出される。
大半は老人だから、昼過ぎには体力が尽きて作業は終わるが、今度は酒宴が始まる。
自治会の総会に参加するのが面倒、とかそういう問題ではないのだ。とにかくいろいろな田舎のイベントが開催されるが、これに当たり前の様に参加できるようになるまで僕も数年かかった。このまま、バックれ続けていると、何とも知れんやつという評価が下る。地区内ではいないものとして扱われてしまう。実際にそういう人間が僕の地区にも数名いる。
確かに休日はつぶれるが、それでもまだ呼ばれて参加するだけなら気楽な方だ。
これがやがて、自分で人を呼んで作業するようになると、煩雑なことやストレスが一気に増える。
しかし、同時に地区内での評価が一気に上がる。この辺から、何かあるとかばってくれる人が増え、多少無茶をしても話が通るようになる。
都市部の小学生を呼んで草鞋編み体験でも開催したいと相談すれば、老人が集まってきて指導者を買って出てくれたりする。
作業が減ることはないが、何かやりたいと思えば増やすのは気分次第、ということだ。
そうして僕は休日のたびに何かやっている。平日より休日のほうがよほど疲れ、今の時期だとどんどん日に焼けて黒くなる。
これを老人になっても、死ぬまで続けていかなければならないが、地獄の様と捉えるかやりがい満点ととらえるかは人次第だけど、まあ僕は何とか楽しくやっている。
・
下衆いインターネット掲示板をノータリンなひどい顔して見ていると、ポルポトは美男美女を殺したということが書かれていた。
自分はそれを見て、心が躍った。
美男美女を殺す集団というのはなんというか、自分の味方に感じた。
ポルポトが率いたクメールルージュの行いというのは有名である。
知識層から最終的には農民まで虐殺するやら、都市部の文化を否定して都市部のどんな人間も田舎に強制移住させて農業をさせるやら、親から子どもを引き離すやら、子どもに虐殺をさせるやらととても酷いことをしている。
そんなことはどうでもよかった。
とにかく、美男美女を美男美女という理由で狙って殺したかどうかが自分は知りたかった。
インターネットでいくら探してもコピーされた情報ばかりで頼りにならなかった。
もしかしたら、研究者などの人には怒られるのかもしれないが、講談社選書メチエは自分がレポートを書くときに使う。割としっかりしたように感じる本だ。
ワクワクしながら図書館で本を借りて読んだが「美男美女だから殺した」そんなこと何も書かれてなかった。
一人の美人は強制移住させられ、ダム建設をしたりと苦労したそうだが、美人なので地区幹部から強制求婚されて、逃げたとか書いたった。
自分は呆れた。
容姿が良い人間を容姿が良いがために殺したという記述があることを期待して読んだのだ。
そんな記述があっても自分の利益には何もならない。でも、美男美女がために殺されるという事実があったらと、醜い姿の自分は興奮したのだ。
自分の美女への発情が美男美女の価値を押し上げ、自分を含む醜いすがたの人間の居場所を狭める力になっている。
大阪で中学生が酷い殺し方をされ、駐車場に捨てられていた事件があったらしい。
報ステで、肌が茶色で唇が分厚く、鼻も目も形が悪く、顔が大きな女子中学生の顔写真が放映されていた。不細工と馬鹿にされている男の芸人にそっくりだ。
どうやらその芸人に似た女子中学生が駐車場に捨てられていた女だそうだ。
一緒にいたという男の子の顔写真も見たが、可愛い顔をしていた。可愛い男の子はまだ行方不明らしい。
ポルポトはくまなく殺したが、たいていの人間は不細工を最初に捨て、美しいものは取っておくのだろう。
ポルポトがたとえもし、美男美女を美男美女だからという理由で殺してもポルポトは美男美女にはなれないわけでとてもどうにもならないことは自分はわかっている。
今年のどこ高校がどう、って話がしたいわけではない。
はてなーをはじめネット周辺はなんだか高校野球が気に入らないみたいだから、それを否定したい。
たしかにね。今年はまれに見る猛暑であんな暑さの中屋外競技をやるなんてトチ狂っていると思うよ。
しかしそれに対して、ドームでやれだ、夏はやるなだ、ただの少年ポルノだ、老人はエアコンの効いた部屋で見やがって、だ。
本当に残念。自分にとってどうでもいいことには平気でとんでもない悪口を放つ。醜悪以外のなにものでもない。
私は高校野球に限らず屋外競技は何度以上になればすべからく中止すべきだと思う。
なんだ、ドームでやれって。地区大会でドーム使えってか、無理だ!アホが。
それこそ甲子園しか見てねぇだろうが。アホが。アホが!陸上だってこの時期がインターハイだっつうの。ドーム無理だろ。
夏はやるなって、夏休み以外にやったら勉強できねぇだろうが。全員がスポーツで食ってくわけじゃない。勉強なくしてどうすんだ、
アホが。一回でも見に行ってみろ。
そらぁスタンドで見てるだけでも辛い猛暑だわ。温度制限儲けるべきだわ、ってわかるぞ。5分で無理。
大雨なら中止にするくせに大晴れは中止にしないなんて時代錯誤だわ…暑いわ…。
とんでもなく面白いゲームが展開されてるんだ。もうそんなこと暗黙の了解だけど、プロの野球とは全然違うぞ。
どんでん返し当たり前、応援してる側も熱気がハンパじゃない。
なんか地区だかなんだかの運動会の練習みたいなのをやってるのを見かけたので。
子供の頃住んでいた田舎では小中9学年あわせて200人いくかいかないかぐらいだったからなのか、敷地が隣接してたからなのか、運動会が小中合同だった。
小学生の時から中学生の出し物を見ているので、自分も中学生になったらああいうことをやるんだろうと漠然と思っていたら、
自分が中学に上がった年から少子化の影響とやらで出し物が変わった。
中学男子が毎年やっていた騎馬戦が消えて、中学女子が毎年やっていたその土地に伝わる謎の盆踊りっぽいダンスも消えた。
自分は体が同学年男子の中で群を抜いて小さかったので、騎馬戦で担ぎ手にはならないであろうことが予想できていたのもあって、
珍しく目立てるぞ、と割と楽しみにしていただけに、プログラムが決まった時は結構凹んだ記憶がある。
他にも、全員参加の徒競走では、一組の人数を4人から2人に減らして露骨に時間を稼いだりしていた。
今思えば、半日ぐらいの時間をもたせるだけの出し物を考えるだけで教師陣も大変だったんだろうなー、とは思う。
でも、だからって、5つしかない強制参加の部活のユニフォームを着て練り歩く、部行進とかいう謎の出し物で
30分近くひたすら校庭をぐるぐる歩いたり並んだり止まったりし続けるのはどうかと思うけれど。
しかも「集団行動」という出し物も別であって、そっちもクラス別に先生の号令に従ってひたすら行進したり回れ右したりするっていう……いったい誰が得するんだこれ。
色々と引き伸ばし策を講じても、さすがに単純に出し物の数を減らすと間がもたなかったのか、
騎馬戦と盆踊りが消えた代わりに、全学年参加で踊るソーラン節と、チーム対抗の20人21脚的なやつが入ってきた。30人31脚にならないあたりが悲哀を誘う。
どうやって見つけてきたのかわからないが、隣の隣の町からやってきたソーラン節の講師というおじさんおばさんたちを招いて、毎日ソーラン節の振り付けを覚えさせられた。
まあ、グルグルと網を引き揚げる動きは楽しかったので今でも浴槽でバシャバシャいわせて遊ぶことがある。
本番の日、20人21脚では本番のテンションで疾走する周囲のペースについていけず、
両隣に肩で吊り下げられる形になってしまって足が地面に着かなくなって転倒、胸をノーガードで地面に強打して、呼吸困難になる経験をした。
寄ってきたやたらガタイのいい担任の女教師は、地面で息ができずにアワアワしている俺を見て、
「本番でコケるなんて気合いが足りない」「早く立って続き走って、みんなが迷惑してるから」と言い捨てた。絶対忘れてやらない。
昼食時には、我が家は祖父が昨年亡くなったばかりだったので、
母子家庭+一人っ子という家庭が小中見回しても自分だけで、家庭ごとにビニールシートを敷いて食べる食事場所がものすごく居心地が悪かった。
大体みんな5、6人ぐらいが1家族で、多いところは12人とかきてる。2人だけで食べてる人はどこにもいなかった。
小学生のクソ猿が何匹か寄ってきて「なんで二人だけで食べてるのー?ねえねえなんでー?さびしくなぁいー?」とか言ってきたので、傍目にも割と目立ってたんだと思う。
母もなんか申し訳なさそうにしていて、でも別に母親が悪いわけでもないしなあ、と思いながら適当なことを言って追い払ってた気がする。
ああ、なんか嫌な気持ちばかりよみがえってきた。あれー?運動会、なんか別にいい思い出ねぇなこれ。
ちなみに翌年、翌々年は二年連続で当日に高熱を出して、バファリンで無理やりおさえながら手慣れたソーラン節を踊る羽目になった。
背は大して伸びなかったけど、20人21脚は誘導役のサザエさんポジションになったおかげで二度とコケなかったし、まあいいか。
横浜生まれ東京住まい、20代会社員。先日有休がとれたので、ふと思い立って人生初の函館旅行に行ってきた。親しい人を誘っての気楽な二人旅だ。
楽しかったこと、残念に思ったこと、多々あったので書いてみる。長いよー。
で、しみじみ思ったんだけど、函館って結構近いのな。は~るばるきたぜは~こだって~!というフレーズがあまりにも有名なのでもっと遠いイメージだった。案外気軽に行けるんだなぁ、と目からウロコが落ちた。
だって、飛行機乗って1時間20分で着くんだもん。めちゃくちゃ早い。しかも、飛行場が市街地から車で20分程度とアクセスが良く、超便利。そう、函館ってコンパクトな街なんだよな。関東平野のど真ん中に住む身としては山も海も温泉も非日常なので自宅のすぐそばにそういったものがある環境というのは羨ましい。
JR函館駅でシャトルバスをおり、その駅前のあまりの茫漠とした様子に衝撃を受けた。
土曜の昼だったが、ほとんど人影がない。駅舎は新しくて立派だし駅前ロータリーも広く、周辺には大きなビルやホテルが林立していて、ハードが整っているだけに主役となる人間がいなくてまったく賑わっていないのがなんだか異様な感じ。ロータリーを囲む唯一の店らしい店といえば小さなサンクスだけだし。
自分の住む関東の某ベッドタウンは、知名度は低く駅も小規模で周辺にも函館駅ほど大きなビルやホテルが林立している訳ではない。でも、駅前には複数のコンビニや飲食店、フィットネスジム、銀行、パチンコ屋、スーパー、病院、学習塾がそろっていて人通りが絶えない。チェーン店と地元資本の小型店が競合し、学生や主婦やおっさんやじいちゃんばあちゃんがワラワラ路上を歩いていたりスイスイ自転車で進んでいる。
地方は車社会と聞く。だからJR函館駅の駅前はこんなに人影が見えないのか? みんな車で移動していて歩かない? でもそれにしたって人いなさすぎじゃないか? 別に山奥とかじゃなくて、街の中なんだからさ。
夜にも駅周辺を通りかかった。そしたら20時台だというのにしーんと静まり返っていて真っ暗なんだよ。うちの地元じゃ23時レベルの閑寂さ。普通、土曜の夜といったらどの繁華街も賑わう時間帯だろうに、大門地区もほとんどの店のシャッターが下りていてポツンポツンと小規模なお店がやっているだけだった。観光客としてお金を落とす気満々で夜の函館に繰り出したのに、静まり返っていてお金を落としたいと思える場所がないんだわ。
あまりにも異様に感じたので、その場でスマホで函館についてぐぐってみたら、「2014年に市域全域が過疎地域指定された」という情報を得た。ドーナツ化現象の典型的な例だ、とも。
函館って過疎地だったのか! そんなのるるぶに書いてなかったよ!
どおりで、函館駅周辺をウロウロしているのは観光客ばかりで地元民の姿はなかなか見えないはずだ。函館朝市行ってみても観光客だけだったし、その客足自体も少なかったし(これは行った日時が良くなかったのかもしれんが)。値段も安くないわ、客引きの口上が胡散臭いわ強引だわで怖かったんだけど、やっぱり地元民が買いに来ないから観光客頼みになってしまい、少ない客を逃すまいと必死になってるんだろうな。
気を取り直して良かった函館観光について書いてみる。夜景が有名だが、今回一番気に入ったのは晴れた日の早朝に行った八幡坂からの眺めだった。この坂は観光で訪れたい坂の名所ベスト1に輝いた坂なんだそうな。海へと伸びる真っ直ぐな広い道で、そして坂の上から見える海の青さが実に鮮やかで、晴空の青さと相俟って素晴らしい景観だ。ああ、やっぱり港町って良いなぁ!凄く良い!と思わされる。これは嬉しい驚きだったな。
余談ながら、なぜこんなにも函館の坂の道幅が広く直線なのかというと、何度も大火に見舞われた歴史を踏まえて火除けを意図しているのだそうだ。ブラタモリの函館の回を見たとき知った。
八幡坂を登って右に折れると、大三坂とぶつかる十字路がある。この十字路、面白いよ。4つの角のうち3つが、
とそれぞれ宗派の違うキリスト教系教会の敷地となっているんだ。
ちなみに、十字路には面していないけれど、近くには日本基督教団函館教会(プロテスタント)や船魂神社、東本願寺函館別院などもある。なんじゃこの宗教激戦区!
我々が件の十字路付近を歩いていたのは日曜日の10時頃だったんだけど、突然十字路の方から「ガランゴロンガランゴロン」と元気の良い鐘の音が辺り一帯に鳴り響いた。
「あ、教会の鐘だね」「三つの教会のうちのどこのだろうね」と同行者と話しながら歩いていると、「ガランゴロン」の鐘の音は数分程度で止み、すぐ後に今度は落ち着いた「ゴーンゴーンゴーンゴーン」という違う鐘が聞こえてきた。
どちらの音も「今から日曜礼拝やるよ!信者の皆さんは教会にいらっしゃい!」という合図の鐘なんだろうけど、何しろ3つも教会が隣接しているのであえて違う鐘の鳴らし方をして各々の信者に伝えていえうんだろうな。
自分は特に信仰は持っていないが、旅の同行者は日本人には珍しく成人洗礼をしているガチのカトリック教徒で、「せっかくだから函館のミサにぜひ行きたい」と言い出した。時間に余裕はあったので一緒に元町教会の日曜礼拝に出席してみることになった。
同行者からはミサの間の注意点として①携帯の電源は必ず切っておく②信者じゃないので「アーメン」は言わない③信者じゃないので十字は切らない④信者じゃないので聖体拝領は望まず神父からは「祝福」を受ける、の4点は気をつけてほしい、と言われた。
元町教会の中に入って世話役さんのような方に旅行者だがミサに参加したい旨を伝えると、普段はどこの教会に通っているのか等あれこれ気さくに話しかけてくれ、ミサの最中も「今歌っているのは聖歌集〇〇ページですよ」等と親切に教えてくれた。さらにミサの後には全員の前で同行者を「本日は東京の〇〇教会所属の〇〇さんが来てくれました」と紹介までしてくれた。ありがたいことだ。
その際、我々の他にも「京都の〇〇教会からは~」「福岡の〇〇教会からは~」「シンガポールの〇〇教会からは~」と紹介されてる人たちがおり、国内外から観光で来函したカトリック教徒が多数ミサに参加していたのだとわかった。
同行者曰く、こういう風にわざわざ紹介する習慣は他のカトリック教会にはないそうな。「さすが港町。オープンだな~」と他所者を受け入れることに慣れている様子に感心していた。一方で、女性信徒がみんな頭に白いベールを被っていることにも驚いたようで「都内のいつも通っている教会ではベールを被っている人はもうあまりいないんだよね」と言っていた。
カトリック教会の場合、信者でなくてもミサに参加することは拒まれない。しかし、キリスト教信仰に興味のない観光客は単なる物見遊山のつもりで参加すると気がひけると思う。やはりミサというのは信徒の真摯な祈りの場だからね。教会内部は淡い水色のアーチが連なるデザインの天井で、ミサに参加しなくても建築を見るだけで充分信者以外も楽しめる。信徒や信仰に興味のある人の場合は、歓迎してくれるので行ってみるのも良いだろう。同行者は大変満足したようだった。
函館でキリスト教文化というと元町の教会群だけではなく修道院も有名だ。トラピスチヌ女子修道院にも行ってきた。通常の見学者が入れるエリアは非常に限られており内部には入れないし、修道女も出てこない。しかし開放されている前庭は隅々まで掃除が行き届いて美しかった。展示物はボリュームは少ないものの中身は色々と興味深かった。
このトラピスチヌ修道院の修道女は広大な内部で自給自足の生活を送り、基本的に外部との接触は断つそうだ。はー、凄いなー、現代日本にそういう生活をしている人がいるとはとしみじみ感じ入っていたら、近くにいた観光客のおっさんが「ドローン飛ばして内部の様子を撮ってみたいわー、ガッハッハ」と下品な声で笑っていてげんなりした。きもい。痴漢かよ。今後、本当にそういうことやりだす奴がいたら嫌だな。
まぁ、自分も、ここの前庭を見学しているとき以下のコピペを思い出してしまい、ぐふふふふwwwwwと1人込みあがる笑いをかみ殺していたので、下品さではあまりひとのことは言えないが。
524 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:36:24 ID:/3DgV0R00
めちゃくちゃうまい
15歳~18歳くらいの修道女見習いたちが素手でこねて作っていると聞いた
527 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:47:21 ID:m6sYxkhI0
>>524
ここでクッキーは作ってないはず
528 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:49:42 ID:/3DgV0R00
もう二度と食わない
トラピスチヌ修道院の近くに牧場がある。タクシーの運転手さんに「入場料無料だし、函館牛乳の会社がやっているところだから」と勧められて寄ることにした。函館牛乳の会社と言われても正直ピンとこないが、地元ではブランドなのだろう。牧場では牛が見れた。周辺は北海道っぽい広々とした畑が広がっていて景観もいい。野外の牧場の売店でバニラのソフトクリームを食べてみたら大変美味だった。北海道のソフト!牧場のソフト!というシチュエーションがより美味しく感じさせたのかもしれないが、美味いものは美味いのだ。
ホテルの朝食バイキングも良かった。今回泊まったのは函館国際ホテルなんだが、ここは「朝食のおいしいホテル2015日本全国第5位」なんだとか。実際美味くて満腹になるまで食べた。イクラとか甘海老とか海鮮盛り放題なのが嬉しい。米も粒がたっていてツヤツヤで美味くて感動。あと、じゃがバターも美味かったな。あの芋なんだろ?独特のネッチョリ感があって甘かった。バターの塩気と組み合わさって、口の中が幸せになる。「空き部屋があったので」と部屋も自動的にランクアップしてくれていたし、サービスにも満足だ。
ホテルの徒歩圏内に「まるかつ水産」という回転寿司屋があったので昼食を取りに行った。ネタは新鮮でやっぱり美味い。ただ値段は観光地価格だわな。
北海道土産は色々充実しているので試食しながらあれこれ選ぶのも楽しい。職場へのお土産用に買うのはもちろん、自分用にも色々買ったわ。白い恋人ウマー!ロイズのポテチチップチョコレートウマー!とうきびチョコウマー!カリカリまだあるウマー!チーズオムレットウマー!!
函館のお洒落スポットとしてどのガイドブックにも載っているのが金森赤レンガ倉庫。外観は大きくて迫力もあって異国情緒もあり良かった。少し色あせたレンガが歴史を感じさせるし、夜のライトアップされた姿はロマンチックで綺麗だ。写真映えするスポットだと思う。
でも肝心のテナントショップがちょっと惜しいな。1棟丸ごと使って北海道の土産物屋をドドン!と大容量で販売している棟があるのは観光客には便利なのでありがたいが、その他の棟には小さな店がゴチャゴチャ雑多に入っていて清潔感がないし、しかも何処でも買えるような、函館の匂いどころか北海道っぽさの欠片もない、わけのわからん雑貨屋とか多くてしょぼい。やたら安っぽいプラスチックのテカテカした感じの商品ばっかり置いている雑貨屋もあったが、あれは修学旅行の小中学生向けなんだろうか??
ぶっちゃけ、地元のイオンの方がまともな店が入っていて楽しめる気がしたわ……
結構中国やら韓国やら外国人が多かったんだけど、わざわざ海外から来てくれた人はあのテナントのラインナップにはちょっとがっかりしたんじゃなかろうか、と函館人でもないのに勝手に申し訳なく思ってしまった。
もうちょっと赤レンガの中は洗練されたお洒落な空間になるといいと思うんだけどな。
函館といえば、陸繋島というあの特徴的な地形があげられると思う。まるで女性の腰のような見事なくびれ。
で、今回我々はあのくびれの正体を勘違いしていた、と気付いた。つまり、あのくびれを北海道の尻尾みたいに突き出ている渡島半島のことだと思っていたんだ。馬鹿だよねw 我ながらこんな酷い勘違いを30年弱もしていたなんて凄いビビったw
このことに気付いたのは、ロープウェイで函館山に上って展望台から函館の街を一望した時だ。本当は夜景を見たかったんだけど、その日の夜は天気予報が芳しくなかったので晴れていた昼間のうちに展望台に上ったのだった。澄み切った水色の空の下、青い海も見えて、市街地の一つ一つの建物も肉眼ではっきり見えて、五稜郭と函館山のこんもりとした緑も見えて、とても綺麗な眺望だったので満足している。
自分はもともと安倍政権を支持していたけれど、今回の法案可決には正直急ぎすぎ感じがしていてあまり好感を持てなかった。
とはいえ民主党などの野党は15日のプラカードで正直呆れたし(Twitterで#クソコラグランプリってハッシュタグが付けられてクソコラ画像祭りが起きてたのはさもありなんって思った)、相変わらず共産党は法案を「戦争法案」なんて的外れな呼び方をしていてダメだこりゃって思ったし。
…と長い前置きですが、これに関連して、最近の政治家以上にデモ活動に本当に呆れている。
理由は色々あるけど、いくつかちょっとここで吐き出させて欲しい。
まず1つは、よく言われている参加人数にまつわるところ。
国会議事堂前とか日比谷公園に法案反対のデモ隊が集まって、毎回毎回主催側は5万人とか10万人とかが集まったって発表して、
そして警察は6~7000人が集まったと発表して、Twitterで「水増ししすぎにもほどがあるわ」ってツッコミが来るやつ。
◯万人が集まったって言うことで「これだけの人数が反対してるんだぞ!」っていうアピールをしたいんだろうけど、
正直そんなアピールされたところで、こちらとしてはほんの一部の声のデカい人たちの集まりでしかないっていう認識は変わらないし騙されないよって思う。
なぜなら先日の週末(7/4か7/5だったかな)に、新宿駅東口のアルタ前のあたりで安保法案に反対する活動家らしき人たちがビラを配ってるのを見かけたとき、
道行く人は見事にその人達に近づかないように歩いてましたから。自分も若干遠回りしてそこを通るのを避けてました。
結局、デカい声を張り上げてもそんなものです。道行く大多数の人から興味を持たれていない。
2つ目は内輪で盛り上がってる人達のイタさ。
たぶんデモで同じ考えをしている仲間がいると盛り上がるし仲間意識も芽生えてさぞ楽しくなるんだと思うけど、Twitterでそういう人の発言を見るとまあ痛々しいというかなんというか…
安部総理に不満を持つのもわからんでもないけど、平気で人をバカ呼ばわりしたり、それは違うんじゃないの?ってことまで安倍政権のせいにしたり、「それはないわー」っていう発言が多すぎる。
そんな人には関わりたくないです。
3つ目。ここからは安保法案というより別のデモの話になるんだけど、デモ活動が風評被害やデマの温床になっている件。
福島の原発事故のとき、福島の農作物が危険だとか、子供の健康被害がどうとかっていう話が盛り上がったけど、反原発デモがデマの温床になっていたという事実がある。
このcakesの記事(https://cakes.mu/posts/9339)で、原発事故後の福島のことを研究してきた開沼博氏が発言しています(要会員登録)
以下抜粋。
上野 開沼さんは本書のなかで、福島のために何かしたいと言う人に対して、「買う、行く、働く」この三つをすすめてます。私は、ほかにもあると思うんですが。
~中略~
上野 福島のために、「自分の今いる持ち場でできること」。たとえば、脱原発のデモに行く、はどうですか?
開沼 なるほど。それはやりたい人がやればいい。ただ、デマ・差別の温床になってきた側面は確実にあり、強い嫌悪感を持っている当事者も多くいます。直接的に地元の人が喜ぶのは「買う、行く、働く」に集約するかな、と思いますね。
具体的に知りたい方は、開沼博氏の「俗流フクシマ論批判」(https://cakes.mu/series/3229)やその連載をまとめた書籍「はじめての福島学」、開沼氏と糸井重里氏との対談記事「福島を知ろうとすること。」(https://cakes.mu/series/3391)を読むことをおすすめします。
つまり、反原発デモの参加者が結果的に福島の風評被害を与え、福島県民や福島出身者のことを傷つけていたということです。
これは沖縄の反基地デモの話なのですが、先日発売されたニューズウィーク日本版6/30号(http://www.fujisan.co.jp/product/5766/b/1263891/)の記事を読んで知ったものです。
沖縄の反基地デモも色々と穏やかでない話を聞きますが、沖縄県民から反基地運動に対して次のような不満があるとのこと。
辺野古地区で青年会長を務めるT氏は「基地ではなく反対運動に迷惑している」と嘆く。朝からの連日の騒音だけでなく、道路での封鎖活動や路上駐車による渋滞など、地元にとって反基地活動は降って湧いたような災難でしかない。徳田はあるとき、仲間と話し合い。日常取り戻すためにゲートのフェンスに運動家が貼ったテープのごみを剥がす美化活動を行うことにした。「米軍の回し者」と罵られ、「体をぶつけられたりすることもある」というが、黙々と剥がす。地元住民からの反発は辺野古に限らず、普天間飛行場(基地)周辺でもたびたび耳にする。
反基地運動に対する沖縄県民の不満には主に2つの要素が含まれていることが多い。1つは徳田が述べるような具体的な生活被害に対するもの。もう1つは、こうした被害をもたらすものが県民の見るところの「よそ者」であるということだ。「日本人」「ヤマトナンチュー(大和人)」「ナイチャー(内地人)」…本土出身者を指す言葉が基地反対運動対しては嫌悪をもって語られる。「あれは寄留民の運動じゃ」と吐き捨てる人もいる。
沖縄県民でも基地をこれ以上作らないでほしいという声が多いのも承知してるけど、反基地運動にもまた不満があるのが事実だそうです。
なにより「体をぶつけられたりすることもある」っていうのは傷害罪になりうる行為だし、他にも米軍に罵声を浴びさせる活動家がいるなど色んな悪評を耳にした。
これが本土の人間がやっている、あるいは本土の人間が現地の人を煽ってやらせていることだとしたら、本土で暮らしてる身としては面汚し以外の何者でもない。読んでて怒りがこみ上げるレベルですよ。
とにかく言論の自由っていう大義名分を掲げて人に迷惑をかけている集団でしかないし、頭の中がバブル前から変わっていない政治家と同じで何も進歩していない。
デモ活動に対するイメージはそんな感じです。それを支持している芸能人やジャーナリストに対しても不信感が募るばかりです。某津田大介氏とかね。
結構いると思いますよ。安倍政権のやることすべては支持できないけど、デモ活動してる人たちの仲間なんて死んでもゴメンだって人は。
ここ数日間めちゃくちゃ凹んでいるというか気が滅入っている。母校のことだ。
中2男子生徒自殺か 「悪口言われた」 NHKニュース http://nhk.jp/N4K74Fpv
私は数年前にこの中学校を卒業し、現在は岩手を離れて暮らしている。おそらくもう中学の生徒・先生で(知り合いを介さずに)直接知っている人はいないけれど、それでも多感な3年間をあの学舎で過ごせたことに感謝しているし、だからこそ今回母校で起こった事件は残念で腹立たしいし哀しい。自ら命を絶った少年の絶望感を思うとやるせなくなってくる。
全国的に取り上げられるようになってから2,3日くらいいろいろなメディアを周回してこの事件を追っている。報道する側も糾弾する意見も擁護する意見もあまり核心を捉えられていない感じを受ける。一部分の情報しかあらわになっていないのでまだ判断しかねる部分はあるけれど、矢巾で学生時代を過ごした印象やこの事件の所感について書き連ねていこうと思う。
まずこの事件へのコメントとして目に付いたのが「田舎の(岩手の)人って陰湿だから」という感想。人が集まれば人間関係のこじれなんて田舎も都会もいくらでもあるわバカヤロウ、と言いたいところだけど矢巾に関していえばちょっと特殊な事情があるのかもしれない。
もともと矢巾は農村地帯で、北隣の盛岡の人口が増加するにしたがって田んぼが住宅地へと埋め立てられ変わっていった歴史がある。私が小学校の頃に人が増えすぎて新しく小学校が建設されたし、岩手医大が矢巾に移転されてからも人口はますます増加している。そんなわけで地元の小中学校は旧家の子と新興住宅地の子が混在する。私立の小中学校に進むという選択肢がメジャーではないため学力は上位と下位の差が激しい。また、部活動は強制加入で、運動系が非常に盛んであり文化系は吹奏楽部か美術部しかなく受け皿が少ない。以上のような点から、いわゆる「スクールカースト」が発生しやすい環境だったのではないかと卒業した今にして感じている。ちなみに、運動部の激しいところは一度入ったら放課後や休日はほぼ部活や練習試合に充てられるため勉強する暇がなく、勉強のできない子はとことんできないまま卒業していく。
私の在籍していたときの学校はどうだったのかというと、浮く子もいればいわゆる不良もいたけれど、問題が起こればきちんと学年の先生が一丸となってしかるべき対処を取っていたし、それぞれの得意な分野を各行事で活かしていこうという雰囲気が生徒間でもあったと思う。報道を見て気になったのは担任の先生ばかりクローズアップされているけれど学年主任や他クラスの担任のサポート体制は整っていたのかな、ということだ。私たちの代の学年主任は週1で学年通信を発行して問題が起こるたび記事にして公開していたし、学年にひとり副担任がいてたまにクラスの様子を見に来ていた。荻上チキさんのツイートにもあるように( http://togetter.com/li/844936 )、担任の先生1人が抱え込む構造になっていなかったかを検証する必要があると思う。
一部報道では18年前にもこの学校で自殺があったと書かれている。私たちがいたときはすでにその代は卒業してしまったけど公然の噂となっており、「学校内のステンドグラスを割ってしまいそのことを苦に思っていた」などと言われていた。報道ではその自殺を今回の件と関連付けて荒れた学校であるようなことを書いていたけれど、正直学校内では共通の関係者はいないはずで、影響は薄いのではないかと思う。
ネット上の掲示板で行われている「犯人探し」は、大津のときや過去の事件と比べて情報が集まっていない印象を受けた。このことから「この町は隠匿体質で恐ろしい」などという書き込みもあったけれど、そもそもこの町は人口の絶対数が少ない。ネット環境が整ってない印象もある(LTEが入るようになったのはここ1,2年くらい)。また、田舎の地域に特有だと思うんだけど、「2ちゃんねるを閲覧することですらバレたらヤバい」みたいな雰囲気が小中学生にあって、そのためタレコミが少ないんじゃないかと思う。
ただこの町の子供にITリテラシーがあるのかというとそうではなく、事件後のTwitterでは「矢巾北は報道されているような悪質な学校ではなくこんないいところもあります!」みたいなツイートが散見された。この件に関係のない卒業生はそんなツイートしても効果がないことを理解して欲しいし、在学生ならそんな書き込みをしている場合ではないということを自覚して欲しい。
この事件が大々的に報道されるようになったのは、担任のbotのような応答の影響もあれど、町の教育委員会や学校の対応がことごとく悪手だったのも挙げられると思う。なぜアンケートの結果の報告が二転三転したのか。なぜ校長は最初の会見時にマスコミを通して顔を公開させなかったのか。なぜ炎上がひどくなったタイミングで中学校のWebサイトを閉鎖したのか。このような対応への不信感と、被害者の父親の糾弾もあいまって今回のバッシングに繋がった感じがする。岩手では夏休みが始まるまであと1週間ほどなので、長期休みでうやむやになる前に町と学校は真摯に情報を公開し迅速な対応を取る必要がある。
母校をかばいたい気持ちもある。父親の子供への対応は適切だったのか、マスコミが一部のみをクローズアップして報道していないか、など疑問に思うことはいろいろある。だけどいまはただ少年の冥福を祈りたいし、事件の詳細が明らかになることを望んでいる。今度帰ってくるときには花束を手向けるつもりだ。
追記・
否定しておきたいのは、一部掲示板で上がっていた「どうせ宗教がらみ」「部落の多い地区なんでしょ」という声。たしかに公明党のポスターはちらほら目につくしローカル番組のスポンサーに創価学会、ということは多いけれども、しつこい勧誘はないし宗教の本部が町内にあるとかいうことはなく、宗教がらみの人間関係への影響は薄い地域である。また、東北以北で部落問題は聞いたことがなく教科書で初めてその存在を知った程で、岩手近辺の地域で「部落」という言葉は「集落」と同義であることを付け加えておきたい。
あまり知らないといっても、
・走るチェックポイントは1塁~3塁
どちらかというとサッカーの方がドリブルでスルっといくのがかっこよくて好きだったので、
テレビで野球中継をやっていても、ボールが小さくて何がどーなってるのかさっぱりわからなくてつまらないと思っていた。
小5の春、転校した田舎の村では、地区ごとにある子供会という組織に小学生が強制的に参加させられることになっていた。
子供会では男子はソフトボール、女子はバレーボールの活動があり、当然のように強制参加だった。
チームの高学年の人数が少ないので、バットを持ったことすらないチビガリの俺も自動的にレギュラーにされる。
最初はキャッチボールの経験すらなかったので、グローブの付け方や使い方もわからなかったし、ボールを掴んで投げるという動作もものすごくぎこちなかった。
飛んでくるボールが怖くてキャッチできなかったので、キャッチボール練習は俺とペアになった子が俺に球拾いをさせるだけの作業になっていた。
さらに、コーチは野球好きな誰かのお父さんたちなんだけれど、その人たちは俺が野球の細かいルールをさっぱりわかってないことに気付いてなかった。
練習を見に来たお母さん方の中には、もしかして…と気づいていた方もいたらしいのだけれど、
コーチは「野球のルール知らん子供なんかおるわけあれへんがぃ!」「転校生やゆーても子供はみんなやっとるもんやろ」で流してしまっていたそうだ。
田舎の子たちはみんな小1から子供会ソフトボールに参加するので、高学年になってもルールを把握してない、という可能性を思いつかなかったのだろう。
結局一度も詳しいルールの説明をしてもらうことなく進んでしまい、あっという間にソフトボールの練習は俺にとって、
知らない怖いおじさんに怒鳴られながらルールのわからないスポーツを無理やりさせられる苦痛の時間になってしまった。
とりあえずヘタクソ枠ということになっていたっぽいライトが定位置になったが、
飛んでくるボールや勢いよく転がってくるボールがキャッチできないので、ライト=ホームランのボーナス状態になってしまう。
重点的にやらされたフライキャッチの練習ではグローブの使い方や落下点の予測が下手で見失ったり頭や顔でボールを受けたりしまくって、
どんどんボールが怖くなって落下点に近づくこともできなくなった。
打席に立ってみても、ストライクとボールの見極めなんかできるわけがなかったし、
怖くて飛び退って逃げるか、目をつぶってキャッチャーミットにボールが収まってからバットを振り始めるくらいのトロくささで、
たまーにバットにボールが当たったら、ボールの勢いに負けてその場で尻もちついてコケる有様だった。
キレたコーチに「やる気あんのか!?」と何度も怒鳴られるけど、残念ながらそんなものは最初からない。
なにがなんだかわからなくて、上達しようという意欲もこれっぽっちもわかず、痛い思いをしたくないから逃げるのだけが早くなった。
試合では、守備側が相手バッターを煽る掛け声をずっと上げ続けるように指導された。
「バッタービビッとる!ヘイヘイヘイ!」 言うのも言われるのも苦痛だった。
そのうち、練習の日になると腹痛を起こして下痢が止まらなくなることが多くなった。
小6の最後の村内大会の日、大会にはどうしても来いと言われたので仕方なしに行った。
いつものライトの守備位置につく。みんなは相変わらず相手打者を煽ってたけど、俺は口パクでごまかしていた。
試合経過は覚えていないけれど、うちのチームは他のチームに比べると比較的高学年が多かったので、俺というお荷物がいてもある程度点は取っていたらしい。
最終回、打球がライトに飛んだ。なんのことはないフライだが、そこにいるのは今日もいつも通りやらかしまくっていた俺だった。
俺は一応ボールを追いかけようとして上を見上げて、眩しくて即座に見失ってフリーズした。
全然見えないのでとりあえず太陽を遮ろうと掲げたグローブの中に、ボスッという慣れない感触があった。
たまたまボールが落ちてきてグローブに入ったのだ。保護者席で歓声が上がった。
完全に偶然だったけれど、そのとき俺は、初めて試合でフライのキャッチに成功した。
そして、照れながらボールを2バウンドでピッチャーに投げ戻した後は、二度とボールが飛んでくることもなく試合が終わって、チームは優勝していた。
不良が更生したらやたら褒められるのと同じ理屈なのか、チームメイトやコーチからはやたらと褒められて、初めてちょっとだけ楽しいと思えた。
今ではなんとなく甲子園とかを見て、「わーがんばってるなーすごいなー」と思うくらいはできるようになった。
もしあの時偶然ボールをキャッチしていなかったら、今頃もっと野球が嫌いになっていただろうなと思うと、俺は運がよかったのかなーと思う。