はてなキーワード: KMとは
亡きオカンの場合、海の向こうで生まれてすぐに帰国して以来、他界するまで同じ市内で暮らした。隣県の小都市に短期間だけ在住しただけで、ごく稀な旅行で数百km先の県で数日の観光をしただけだったようだ。生家は市内の中心地域にあり、結婚以後は数km離れた借家住まいで一生を終えた。
昭和の自動車のキャロルで、若い頃は走り回ったとか言っていたが、県内止まり、良くて隣県に1泊するかしないかだったと思われる。まったくもって、旅情など感じさせない、生活に追われるだけの女だった。
誰しも旅行を嗜むものでもないけれど、それにしたって。若くぎらついていた頃は丁度高度成長期に重なり、すべてが明るく美しく輝いて見えていてもおかしくなかったはずだ。職人の4人の子供のひとりで、裕福ではないにせよ、道楽がなかった祖父が遊ぶでもなく溜まった金で家電を導入していたらしいので、貧しくもなかったようだ。その中で育ち、それでも方々を旅行するという発想とは縁がない生活とはどういうことか。
映画『PERFECT DAYS』ではないが、座標を変えずに手を伸ばせば届く範囲に収まって、決して無理のない、一方では飛躍とか大胆な希望とは無縁の日常の永続に飽くことのない個人もいるということ。
増田もだけどマラソン完走してタイム聞かれてサブ5(5時間切りの事)と答えると「遅っw」とか「俺、練習なしで走ったけど初挑戦でそのタイムより早かった」とか言われて心が折れかけた人は居ないか?
オマケにググるとネット記事で「初心者が目指すべき」「歩くよりちょっと早い速度」「練習すれば比較的簡単」とか書かれているものが多く、息切らしてゴールした感動と達成感が一気に無くなる。
結構この手の心無い言葉や記事でせっかくのランニング趣味を辞める人が多いのでフォローがてら書きたい
タイムでマウント取ってくるのは大体体育会系。社会人だと営業。そうでもしないとマウント取れないから。
それはともかくどんなスポーツも一定レベルまでは土台次第で練習無くても行けたりする。マラソンで言うとサブ4.5(4時間半切り)まではこれまでの経験やジムに通ってたりする習慣のおかげで軽く出来たりする。サブ4以降はそれなりに練習をこなさない限りは無理である。なので気にせず練習して少しづつでも4時間台を安定して叩きだせるようにしよう。正直個人差はあるのでめげないのが大事
km/7分で走るのがサブ5の目安だが多くのネット記事は「歩くより少し早いスピード」みたいに書いている。実際歩けば分かるが歩いてkm/7分は無理だしそもそも5時間近く歩くことを考えていない。
たぶん未経験者のコタツ記事なので自分の日常生活のイメージで考えて早歩きだから余裕みたいに書いているのだろう。実際やれば分かるが2時間以降は歩こうが走ろうが疲れて動かない。
完走は関門さえ超えれば歩いても出来る。サブ後は正直歩いては無理だと思う。理論上出来るが5時間歩いても悲鳴を上げない下半身を持っているのなら走った方がむしろ楽だ。
なので途中歩いたりしたかもしれないけどサブ5出来たのなら周りがどう言おうが凄い事だ。大半の人はフルマラソン完走は出来ない
そうは言っても完走証とか見ると順位が書かれていてサブ5だとだいたい下位1/3くらいの順位かと思う。これを見て雑魚と思うかもしれないけど上位以外は1秒で順位がガクンと上下するスポーツなので気にしても意味ない。それこそ同率が何人もいるかもしれない
無理せず怪我せず完走することが第一でタイムや順位はオマケだ。それでも悔しいなら変に負荷とか変えずに練習をまた1年続けよう。大体1年続けりゃ20分はまた早くなりサブ4.5が見えてくる。あれこれ考えるのはその後で充分。
芸能人とかの完走報告のタイムとか見てもし凹んでたら彼らは仕事だから気にすんな。こっちは趣味だ。各地のマラソンとオールスター感謝祭くらいしか目標が無いと思うと逆に悲しく思えてこないか?(そんなことは無いと思うが...)
珠洲原発を建設中止にした電力会社の判断は評価されるべきだと思う。
珠洲原発を建設しようとする電力会社と電力会社に懐柔された人達に対して根気強く反対活動した人も同様に評価されるべきだと思う。
志賀原発は震源地の近くにあっても問題なかった、みたいな意見もあるが、あれは稼働してないんだから問題なくて当たり前。
むしろ推進派がグズグズ文句言ってた再稼働審査が厳密に行われてて命拾いした形だよね。
どうせ10~15年もすれば日本の至る所で原発建てられるようになるよ。
人口激減して人が住まなくなった海岸平野部がたくさん出来るからね。
それまで志賀原発等の再稼働待ちの原発や福一のお守りしながら技術研究だけ怠らなければいいよ。
そうすれば科学が断層の影響を把握できないままでも関係なく原発は建てられる。
珠洲原発止めてホントに良かった、という記事に対して言葉を切り貼りして原発反対派を無理矢理腐そうとしたり、頭お花畑全開の屁理屈で原発反対派を揶揄したつもりになってそうな哀れな人達が視界に入ったので適当に思ったことを書く。
安心して欲しい。これから先の日本では今まで通りの杜撰な運用体制で原発を建築可能な土地がどんどん出てくる。
具体的に言うと、半径数十km圏内に人っ子一人住んでない海岸平野部だ。
どうせ世紀単位で人口が減るんだから、原発の周囲半径50km位は居住不可地域に指定してしまえば問題解決だ。
50km位なら車で一時間ぐらいだから普通に通勤できるんで原発の従業員も安心だ。
碌な避難計画も立てずに原発建てようとする人達も、流石に従業員位は守る計画立ててくれるでしょ。
秩序だった自転車の運転を自転車乗りに要求するには道路の状態がそれを許さないってのが結構あってさ。
郊外とか郊外より微妙に田舎側とかが該当するんだけど、そもそも「その道を利用するのは自動車のみな想定」って山のようにある。
立派な歩道があったとしても季節によっては藪ぼうぼうで泳ぐようにかきわけなきゃ侵入することも出来ないとか、道路の端っこがギザギザにちぎれたアスファルトで用水路(蓋なし)にせり出してるとか、道路の両脇がガラス混じりの砂利に数kmおおわれてるとか、ある。
マイナー道路じゃなくて幹線道路ですらそんな状況に溢れてるのよ。
自分も地方サイクリングしてて、やりたくもない逆走ぎみの(つまり左側通行守れない)こととか、あるけれど、ぶっちゃけそうでもしなきゃ命の危険があるとか、その道路利用できないとかあるわけで、じゃあ最初から自転車進入禁止で標識だしとけよって話。
整備する金も標識出す手間も惜しむけど自転車側のマナー不足に話を誘導したいですってんなら、あんまりにも邪悪がすぎると思うよ。これはなにも自転車のみの話ですらなくて、歩行者が歩いて移動する想定もないような道、たくさんある。まぁ別にそれはそういう意志でやってんのならいいのよ。でもだったら歩行者進入禁止車両専用道路にしとけばよいわけでさ。
当方20代後半、都下(いわゆる23区外の多摩)に生まれ、22歳で都内の大学の文系学部を卒業し、ストレートに大手メーカーに総合職として就職。配属は社内情シス。
転勤先は東海道新幹線のとある駅まで数kmの田舎の工場で、工場情シスということで仕事の内容自体は東京の本社とあまり変わらない。サポートデスク的なあまり難しくない仕事だ。
が、転勤して半年ほどたって耐えられなくなってきた。本当につらいし、地方転勤を心の底から舐めていた。東京で生活できることのすばらしさを舐めていた。住環境というものを過小評価していた。
就活してる時に戻れるなら、地方転勤があり得るメーカーなんて絶対に受けない。なまじ偏差値高い大学だったため、同期も大手企業にバンバン内定を決めていることが焦りにつながり、俺もブランド重視で大手メーカーを選んでしまったが激しく後悔している。面接で「地方転勤もあるかもしれないけど、いい?」と聞かれ、都会の生活に飽きが来ていたと思っていた自分は「地方の生活も経験してみたい、東京以外の生活も面白そうだ」というぼんやりした理由で承諾してしまった。今は転職エージェントを使って全力で転職活動している。
俺と同じように実家も東京でずっと東京で生活していて地方の生活も悪くないかもと考えている都内の大学生は多いと思う。そいつらに全力で警告したい。
・東京の生活に飽きたから地方で生活してみたい、は絶対後悔する
・そもそも地方転勤がある会社を受けるな。もし受けるなら40歳平均年収が1000万円以上のところだけにしておけ。平均年収600万円程度の会社で地方転勤させられたら都内勤務で平均年収600万円の会社に絶対勝てないし自分の愚かさを心の底から呪う羽目になる。
・地方転勤は年収換算マイナス300~500万円くらいだと覚えておけ。つまり年収300万円上乗せするから地方に転勤してくれない?と言われて初めてフェアな交渉になるという意味だ。給料据え置きで地方転勤を打診されたら速攻で転職活動しろ。でないとニトリの家具に囲まれて地方でうんこ製造するしかなくなる。
これを読んでいる都内在住の人は、新幹線に乗って遠出したことが一度はあると思う。東京から新幹線に乗車し、富士山を眺めつつ、新大阪や名古屋に到着し、旅行を楽しむ。ありふれた旅行の一つだ。
都会から都会を結ぶ線路の途中でふと窓の外を見ることもあると思う。眠くなるような代り映えのない田んぼだらけの景色。
想像できるだろうか、新幹線の窓辺から見える田舎の工場で働く人の生活を。俺はまともに想像もしていなかったのに安易に転勤を受け入れてしまった。
地方転勤の想像と現実のギャップやありがちな勘違いを、東京育ちの若者目線でつらつら書き残しておく。
23区外、いわゆる多摩だって田舎だし、東京から離れた田舎だって同じ日本なんだから大して差はないだろ、という勘違い
23区外に住んでいると、しばしば「ここは田舎だから」と自虐を宣う人を良く見かける。
こんなのは嘘だ。本当の田舎を知らないから言える虚言そのものだ。
駅までせいぜいバスや自転車、徒歩で心理的負担なく気軽に出かけられて、駅周りの喫茶店やカラオケ、ネカフェ、松屋吉野家なんでもありの活気がある場所にすぐ行ける。
この「心理的負担なく気軽に」行けるかどうかの違いは東京の郊外と、本当の地方の田舎じゃ天と地との差がある。
地方に住んでいると、駅までちょっと出かける、というのは遠足みたいな準備と気合が必要になってくる。
明日は何時に家出て駅まで行って、そこから~時の電車に乗ってでかける、といったようにだ。
東京に住んでいたら、休日に時間を気にする必要なんて全くと言っていいほどない。終電逃しても最悪タクシーがすぐに拾えるし、どんな時間にバス停や駅につこうがすぐに乗車できるからだ。
東京の場合は、財布とケータイだけもって適当にぶらぶら歩きつつ思いのままに東京タワー行ったり新宿で買い物したり美味しいラーメン屋とか書店で思う存分休日を楽しめる。
コンビニも近いからちょっとビール飲みたいなと思ったら思ってすぐに家出て買いに行ける。
それが田舎では全くできない。
田舎に住んでいると、外出するのにかなり気合が必要になる。というか、外出する目的が必要になる。東京に住んでいる時には外に出る理由なんて一切必要なかった。外に行きたいから行く。これだけで十分だった。
だが田舎は違う。目的も無しに玄関出て外に出たところで、何も起こらないのだ。田んぼだらけの道をふらふら歩いてコンビニまで30分かけて行って弁当や飲み物買って帰ってくるくらいだ。田んぼの田園風景は引っ越し初日で飽きる。何にも面白いものなんてない。だって変化がないんだもの。当たり前。
ネットもAmazonもあるし、もともと休日に頻繁に外出するタイプじゃないから地方だろうと部屋の中でのQOLは都会と大差ない、という勘違い
俺は思いっきりこの勘違いにハマっていた。もともと友達もあまりいないし、ネットサーフィンしたりPCでネトゲやったり読書したりとインドアな趣味が多かったので、東京に住もうが田舎に住もうが大した変わりは無いと思っていた。むしろ田舎の方が光回線の帯域を占有できるからネットのスピードに関しては東京より快適だった。
だけど、田舎の周りが田んぼだらけのアパートの一室でゲームやったりネットサーフィンやっていると、孤独感が本当に半端ない。東京に居たときとレベルが違う。東京の外で生活したことがなかった俺は、これが一番堪えた。逆に、東京にただ住んでいるだけで孤独感がほとんど無かったというのは新しい発見だった。実家が近いとか、地元の友人にすぐ会えるからとかじゃなくて、人が多いところにただ住んでいるというだけでこれほどまで孤独を感じないものなのかと再発見した。日中に玄関から出れば東京だと絶対人間に出くわす。ママチャリで買い物してる奥さん、学校帰りの子供、スーツ着たサラリーマン、作業服した作業者、とにかく人間がいる。
対して田舎は本当に人がいない。外に出ても出なくても人がいない。部屋の中で心臓痛くなって倒れても助けは呼べないだろう。俺はアパート住まいだが、隣の部屋は空き室で、数室離れたところによくわからん人が住んでるという感じだ。俺がゲーム中にくらっと来て倒れても誰も気にかけちゃくれないだろう。地方の田舎の、新幹線から見える工場に勤めてる若造が、周りが田んぼのアパートの一室で倒れて苦しんでるなんて、誰にとってもどうでもいいことに違いない。そういう絶望的な孤独を、田舎では強烈に実感することができる。それはインターネットやアマゾンでは全く埋め合わせることができない。
アマゾンは確かに配達される。だけど物欲自体が無くなるわけよ、田舎に住んでると。だって自慢したい相手がいないんだもの。いくら高価なグラボを買ってTwitterで自慢しようにも、自分が惨めな田舎のアパートぐらしってだけで気持ちが強烈に萎える。
田舎で成り上がる意味はない。田舎で成り上がったその先は、都会への移住。
で、これ。
住めば都って言うじゃん。どんな田舎でも何年か暮らしてみたらそこが故郷になるって話。あれは絶対嘘。まあ実家がもともと他の田舎にあって田舎→田舎の転勤ならそうなるかもしれない。
だけど東京育ちの若者が田舎に何年住んだって絶対都になんかならない。人がほどんどいない無人の都なんてあるか?何年たっても田舎は田舎だし、人は増えない。当然都にふさわしい店や活気、おしゃれな建築物なんて絶対に作られない。都なんかになるわけがない。
だから、上昇志向のある人間は必然的により良い環境へのクラスチェンジというか移住が目標になる。田舎の工場で工場長や支社長になったって、多分東京で平社員やってる方が圧倒的にQOL高いよ。
田舎のトップになるより、東京の底辺の方が100万倍マシ。なぜなら優秀な人はみんな都会を目指すわけで、田舎で昇進を重ねて偉くなろうが、部下になる奴は救いの無い田舎者とか上昇志向の無い現状維持の変化を嫌う奴らだけ。優秀な奴は結局東京みたいな都会を目指すわけよ。
だから、田舎で昇進して成り上がるなんて人生の目標になるわけがない。偉くなれば東京に上がれるかも、って希望だけが向上心の持っていき場になる。
偉くなって、東京に行くんだ、ってなるくらいなら、最初から東京の会社でキャリア積んだ方が100,000,000倍マシ。地方転勤は本当に虚無。
お盆休みに実家に一週間ばかり帰ったが、田舎暮らしには何の意味もないことをさらに実感することになる。
UberEatsとか、なんだよこの便利なサービスは。外出しなくてもレストランのメニュー注文できて自宅で食えるとか神かよ。
図書館はそこら中にあるし、本屋もまだまだたくさんある。ふらっと気軽に家から出て本屋で立ち読みしたり気に入った本を買って喫茶店で3時間くらいコーヒー飲みながら読書したりとか、最高かよ!!
映画館も多くて、プロスポーツ観戦もちょっと気が向いたらすぐに行ける。ラーメン屋も地方と違ってめちゃくちゃレベルが高い。
「生き物のようにぐにゃぐにゃ生きて動いている街」のど真ん中に自分がいるということがどれだけ楽しく活気に満ち溢れている状態なのかとても強く実感する。
東京戻ってきて思ったのは、東京って行こうと思えばすぐに、海、山、湖、川、都心、港、渓谷、果ては島にすら日帰りで気軽に行けちゃうっていう、人が多くて買い物し放題なだけじゃなくて東京近郊でアウトドアレジャーも超簡単に楽しめちゃう最高の地域だってこと。
箱根や富士五湖、横浜の港、アクアラインで千葉に行ってマザー牧場とか海岸線ドライブとか、狭山とか五日市の秋川、高尾山も超気軽に行ける。調布飛行場行けば日帰りで伊豆大島にすら行ける。井の頭公園、代々木公園、新宿御苑みたいな緑にあふれたところもさくっと行って帰ってこれる。つまり東京に住んでれば自然も楽しめるし都会も楽しめるし、文化、芸術、スポーツも最高に楽しめる。
東京で不足する要素が本当に見当たらないのだ。
お盆が終わり、誰も待っていない田舎のアパートに戻ると半端ない孤独感が波のように押し寄せてくる。同じ大学の同期で東京勤務の奴は、田舎暮らしの辛さなんかこれっぽっちも知らないんだろうなあ、と思い心底うらやましく感じる。都会のおしゃれな店で貴重な20代を合コンや会社の先輩とかとの飲み会で楽しんでる中、自分は音のしない孤独なアパートの一室でやることはネットサーフィンやネトゲだけ。
大手企業だから20代なのに残業代込みで500万円近くもらえてはいるのだが、ぶっちゃけ20代なんて年収300万円の都会住まいで全然十分だし、早くこの地獄から脱出したくてたまらない。。。
年収600万円での地方生活 = 年収300万円の東京生活だ。
地方転勤命令なんて人権無視の非人道的行為そのものだ。好きなところに住む権利は基本的人権の一つだ。
転勤命令を出すなら、最低でも年収300万円は上乗せしないとフェアじゃない。それを会社側の負担がせいぜい数十万円の引っ越し代でほぼノーリスクで転勤命令出せるなんてありえない。
俺と同じ無知による悲劇はもう起こってほしくないし、何よりノーリスクで転勤命令出そうとするクソ企業を心底呪っているので、転勤ありの会社に新卒が全く集まらないような社会になってほしい。
転勤ありの会社は地元から社員を募集するか、年収300万円以上給料上げて募集しないと人が集められない、そういう社会になってほしいと思ってこのエントリーを書いている。
だっておかしくないか?企業は企業で土地代の安い田舎に工場や事業所を作るわけだから、土地の負担額は数十億円単位でセーブできているわけだ。だったらそのセーブした分を人件費に積みかえることで地域が活性化してお金が地方にも回るのに、都会で人を集めといてそのまま地方にぶん投げる、こんなのありえないだろ。せめて金銭的に地方に行ったら得になるようなインセンティブを出せよと。
特定小型原付ってのは、最近街をビュンビュン走り回って問題になってる電動キックボードのアレね。あれの自転車っぽい形のタイプ。もの好きで買ってみたのよ。
そんで乗るからには交通ルールは守ろう!ってね。ルール通り幹線道路の車道をメインに走って、少し遠くのイオンモールまで行ってみたわけ。
そしたら覚悟はしてたけど、案の定クルマが至近距離でビュンビュン追い抜いてく。 こっちはルール上でもマシンの仕様上でも常に最大速度は20キロだから、当然車の流れなんて乗れないのでもう怖いのなんの。
そんじゃ仕方ないつって、これまたルールで定められている歩道走行モード(常に時速六キロを維持して自動運転するモード)に切り替えて、歩道をメインに行こうとしたわけ。
そしたら時速六キロってのが予想以上に遅いのなんの。ジジイかよ。 いやジジイに失礼なぐらいノロすぎる。
あまりにノロいから、試しに同じ場所から場所まで、時速六km走行と、自分で車体押して歩いたタイム、比較してみたの。そしたら車体を押したほうが断然速いというね…こんなん笑うわ。
そもそも時速6kmって二輪車だと遅すぎて逆にコケるわ。こんな実態に則してないモードいる?
そんなわけで、俺の遵法意識は砕け散りました。
──ごめん、車道には行けません。いま、歩道にいます。車道走行のモードで。
もちろん事故防止のため、問題になっているバカLUUPみたいに車道と歩道を蛇行するような危険運転はせず、自転車通行可の標識のある歩道のみを、10~15km程度で走行。
歩行者や自転車が近くに来たらしっかりブレーキをかけて、ゆっくり追い越したりすれ違う。もちろん左側の歩道を車道寄り走行ね。少なくとも俺と同じ歩道を走ってるママチャリどもより、よっぽど安全運転。あ、ちゃんと努力義務のヘルメットもかぶってるよ!
でも取り締まりがいたら、そいつらより真っ先に俺が目つけられて違反取られるんだろうな。ランプとかナンバープレートとかついてるし。
でももういいです。少なくとも車道を20キロで走って死ぬよりマシ。警察に見つかって一発目の反則金とられたり、俺の安全運転でも歩道上で事故起こす確率より、車道走って轢かれる確率の方が明らかに高い。
責めるなら自転車相手にすら側方間隔も徐行もろくにとらないドライバーか、日本の道路整備状況を責めてくれ。ドライバーのほうが厳密には俺より交通違反しまくってんだし。
ちなみに普通走行モードで歩道を行くスタイルだと、当たり前だけどむちゃくちゃ快適に移動できました!もし合法でこの快適な移動を無免許でも出来るなら、かなり革命だなってレベルで快適。(まあ俺電動アシスト自転車とか乗ったことないんだけど)
でも絶対、免許持ってる=教習所で安全運転とその意識を叩き込まれた経験のあるやつ…じゃないとバカLUUPみたいなヤツでさらに溢れかえるだろうな。
予想外に反応やブクマあって驚いた!露悪的なこと書いたからやっぱ叩かれ気味だけど、正直大抵のママチャリの走り方ってこんな感じじゃね?ママチャリ乗り始めたこどもの頃から歩道走ってたし、家族も友達も、住んでる街の人みんな自転車で歩道普通に走ってるし誰も何も言わんぞ。
試しにサイクリング動画ググってみたけど、やっぱ自転車が多い住宅地はみんな歩道走ってるし…ちなみに俺は大阪の可もなく不可もないベッドタウン在住。
そんなわけでついた意見にざっくり返信してみる。
…ってかねー!まず最初に電動キックボード前提で書いてるコメント!!タイトルくらい読め!!俺が買ったのはミニベロくらいの大きさの自転車型!キックボード型よりはタイヤもでかくて段差もそこまで気にならんよ(もちろん減速もちゃんとする)。それでも六キロ走行はやっぱり安定しなくて危なっかしい。
俺も「成人の早歩きが6キロ」と買う前に聞いてたから期待して買ったのよ。でもマジで遅い。
気になってググったこの動画でも、「歩道モード六キロはフラフラして無理!」という結論。この動画のメーターと俺の車体のメーター、どっちも壊れてるってワケもないだろうし
https://www.youtube.com/watch?v=PimaIGgp-uw
>随分頑張って歩いたんすね
これは俺の書き方が悪かった!途中の道にあった電柱から電柱までの時間を六キロ走行と車体押しで比べてみたのよ。
>たぶん、もっと街中の道を走るもので、イオンモールへ行く幹線道路で乗るものではない気がする
これもよく聞くんだけど、街中っつーのは繫華街のこと?だとしたらむしろ繫華街のほうがLUUPみたいなシェアサイクル以外、自転車走ってなくね?それか街中=狭い道路しかない住宅街、ってことならそういう場所は歩道も極狭だからちゃんと車道を20キロで走るよ。ただその範囲なら普通自転車でいいかな…
「幹線道路の車道で乗るもん」じゃないってのはたしかに今回でよっくわかった。
>諦めて電動アシスト買え
まぁ明確な移動手段ってより「変わったモノ好き」で買っただけだから…それに最近電アシのママチャリもよく見かけるけど、やっぱり車道より歩道走ってるほうが断然見かけるぞ。電アシユーザーと言えばたいてい子供や買い物荷物乗せる主婦だし、なおさら車道怖くて歩道行くよね。
つかちゃんとルール通り車道走ってる自転車って速度出るロードバイクくらいじゃね?でもそんなロードバイクもネットじゃだいたい嫌われてるっていう。
あと、車道の走り方のアドバイスは次乗ってみるとき試してみますね!(でもおそらくパッパパッパクラクション鳴らされまくってメンタル死ぬよ!)
ってか電アシ買えのコメントで思ったけど、俺ママチャリを厳格にルールに従って乗ってみてもほぼ同じ事考えてただろな。「特定小型~」とか関係ない話だなコレ。
America's newest high speed rail line has opened in Florida. It travels at a speed of up to 120 mph (201 km/h), slightly slower than the 130mph (210km/h) operating speed of the earliest series of Japanese bullet trains that went into service 59 years ago.
「アメリカ最新の高速鉄道がフロリダ州に開通した。走行速度は最高時速120マイル(時速201キロ)で、59年前に運行を開始した日本の初期型新幹線の時速130マイル(時速210キロ)より若干遅い。」
ロジカルに考えましょう。
元増田が言ってることが正しいなら、元増田の言う通り、譲ったほうがいいですよね。
逆に、元増田が言ってることが大間違いで、ただ早く先に行きたいだけ前走者を煽る走り屋のキチガイなら、そんなやつもやっぱり譲ってやり過ごすほうがいい。だってそうしたほうが安全だもん。
ね、つまり山道で追いつかれて煽られたら、どっちにしろ道は譲ったほうがいいんです。
いちばんダメなのは山道で追いつかれて後続車をじりじりさせてるのにいつまでも道を譲らないことです。
一部ブコメはいつものごとく「法律を守って制限速度で走るのが正しいに決まってるじゃん」みたいな意固地でお花畑な極論を展開してますが、正しさって何でしょうね。好きだよねー、正義。
元増田をオレオレルールって言うなら、「こっちは道路標識だけを守る、他人の指図は受けねえ、文句あっか!」みたいな態度だって十分利己的だと思いますよ。利己的というか、融通が利かないというか。
車を運転しない人や運転しても町中だけって人はわからないと思うけど、山道には後続車に気遣いするならわし・しぐさみたいなのがあります。
不文律とかマナーと言ってしまうと少し大げさだけど、少し想像力を働かせればわかると思います。ご説明しますね。
山道、峠道はだいたい途中に分合流のない一本道です。それが数キロ、長ければ20キロとか続きます。
ということは、道の途中で前後の位置関係になった車同士は、ずっと前後同士のままなんです。別の車が間に挟まる機会がないので。
もし前の車のほうが少しペースが遅かったら、前後車両の間隔が広がることはありません。後ろの車はずっと前の車の後ろ姿を見ながら走り続けることになります。峠道が終わるまで、数十分間。
前の車は前が空いているのでマイペースで走ることができますが、後ろの車はその先の数十分間他人のペースに合わせ続けなければいけません。
前の車がどこかで先を譲ってくれさえすれば、そこからは両車ともマイペースで走り続けることができます。車間は広がっていきますから、両車は邪魔しあうことがありません。
ところで、「ペース」という言葉が出てきました。
山道の運転をイメージできない人のために、ペースについて少しご説明しますね。
ドライバーの技量や自動車の性能などによって、自然に、楽に、快適に走れるペースは車ごとに異なります。
たとえば、山登りやトレッキングをする方なら、途中で「階段」が出てくると「ウッ」となりますよね? 自分にとって楽な歩幅ではなく、無理やり階段の歩幅や段差に合わせて歩かされるからです。人間の体格や筋力は人それぞれですし疲労度なども場面で違いますから、好みの歩行ピッチが階段と一致するほうがむしろ稀です。
自動車の運転も同じです。運転の技量や車の性能によって、山道を楽に快適に走れる速度はそれぞれであり、他人のペースに合わせて走らされるよりも、前に誰もいない道を自分のペースで走るほうがずっと楽なのです。
ペースとか楽とか快適とか言う前に制限速度を守れや! まず制限速度ありきやろが! と思われるかもしれません。
たとえ「上限◯◯km/h」という制限速度を全員が守っていたとしても、やはりそこにペースの違いはあるんですよ。
ペースの速い車と遅い車は、制限速度よりも下のエリアでやっていることが全然違うんです。
ブレーキの違い、加速の違い、旋回速度、ライン取り(1車線の幅の中にも効率的な走行ラインはありますよ!)、等々を総合したものがその車のペースです。
制限速度より下のエリアでの出来事なので、遵法運転でも(イニシャルDのように攻めなくても)、差ははっきりと出ます。
やたら手前からブレーキングを始め、必要以上にそろそろとコーナリングし、カーヴが終わっても加速がもたもたしている。そんな車はペースが遅い車です。
必要な位置でしっかりとブレーキングし、前輪に荷重を残しながらスムーズにコーナリングし、コーナーの出口に向かって加速していく、これはスポーツドライビングの基本ですが、この走り方を街乗りの速度域でやさしく行うと「滑らかで乗り心地のいい運転」になります。車の運動が合理的なので、ペースはとても速いですよ。
制限速度の範囲内でも、山道はカーヴだらけですから、このちょっとしたテクニックの差が掛け算で効いてきてしまうのです。
同じ制限速度の中で走っていてもペースの違いがあることがおわかりいただけましたか?
譲る/譲らないは、制限速度を守る/守らないの話ではなくて、制限速度の範囲内におけるペースの違いなんです。
ペースは、山道運転においてはドライバーの練度に大きく左右されます。
自分が大名行列の先頭になったのなら、それは後続車が制限速度を守っていないからではなく、あなたのペースが遅いのです。
ペースの速い車にストレスをかけ続けることをやめて、すみやかに道を譲りましょう。
見通しの悪いところで無理に譲る必要はありません。というか、そんなところで譲られても危ないので後続車は抜こうとしないと思います。
見通しのいい直線、あるいは退避エリアが出てくるまでご自分のペースで走ってください。
退避エリアは突然出てくるのでなかなか機敏に反応できないかもしれません。後続車に気を使ってスピードを上げるとせっかくの退避エリアを通過してしまいますので、「もうちょっと待ってね~すぐ譲るから待ってね~」と念じながら安全に走ってください。
私はドライブが趣味で、特に深夜に山道を運転する機会が多いのだが、こういう道でチンタラ走るドライバーはことごとく運転が下手。道路の流れを無視し制限速度以下のスピードでチンタラ走り続け、後ろに行列を作ることが多い。
こういうドライバーは後ろから追いつかれても絶対に譲らない。チンタラ走り続ける。制限速度で走る場合その速度をキープしてくれればまだマシなのだが、上り坂でアクセルを踏まず大減速して渋滞を作るし、下りではローギアに落とさずブレーキをパカパカ踏んで減速するため傍から見ていても危なっかしい。カーブのライン取りも甘く、インから入って外に膨らみ、曲がりきれずカーブ後半で急旋回する。同乗者はたまったもんじゃないだろう。車内はきっとゲロまみれだ。
こういうドライバーは運転の三要素(認知、判断、操作)の三点すべてがグダグダで、前述のようにスピードを出さないこと以外にも問題があるのだが、この類のドライバーの一番の問題点はドライバー間のコミュニケーションが絶望的に下手で、空気が読めない所にある。
深夜の山道では、様々なペースの車が走っている。チンタラ走るドライバーは知らないだろうが、ある程度スピードを出して流れに乗れている車は、それぞれがうまい具合に譲り合っている。定期的にミラーを確認して、後続車を確認する。速い車に追いつかれたら、安全に追い抜きできる直線で、左ウインカーを炊きながら路肩に寄せる。すると後続の車はサンキューハザードを炊きながら、さっと追い抜いていく。
ある程度スピードを出して流れに乗れるドライバーの間であれば、このコミュニケーションが円滑に進む。他車に追いついた時、追いつかれたときに、お互い相手が何してほしいのかがわかるし、さっと行動に移せるのでお互いが気持ちよく走行することができる。
しかし、制限速度でチンタラ走り続けるドライバーは、これが全くできない。いや、全くできないというより、やろうとしない。追いついてきた後ろのドライバーがどう思っていて、何を考えているのかを全く考えない。そもそも、追いつかれたことに気づいていないのかもしれない。そして、ちょっとでも車間が詰まろうものなら、あおり運転だと騒ぎ始める。
車間距離だって、立派なコミュニケーションの一つである。車間距離を詰めることは、大抵の場合「追いついたぜ」のサインであり、悪意のある嫌がらせのために詰めてくることは殆どない。車間を詰めてきた車は、譲ったときに必ずサンキューハザードを出してくれる。そこで車間を詰めたことに悪意が無いことはわかるし、お互いに良い気持ちになれる。しかし、チンタラ走るどんくさいドライバーは、譲ってもほとんどハザードを出してくれない。
以前、大切な荷物を車に載せ、制限速度を割るペースでいつもの山道を走ったことがあった。普段追いついてしまうようなチンタラ車にも道を譲ったのだが、こういう車は譲られるのが本当に下手だった。路肩に寄って減速しても追い抜かずに一緒に減速し、随分スピードが落ちてから追い抜いていく。追い抜く際もハザードなし。多分、譲られたという意識が無いのだろう。
さて、ここまで私の増田を読んでくれたどんくさいドライバーの中には、こう思う人もいるだろう。そもそも、法定速度を1キロでもオーバーしたらスピード違反ではいかと。たった1km/hのスピード違反すら許さず叩き出すブクマカも湧きそうなものだが、この考えこそどんくさいドライバーの空気の読めなさと融通の効かなさを如実に表している。
警察庁は毎年、「交通事故の発生状況及び道路交通法違反取締状況等について」という資料で、速度取締りの件数を公開している。この資料によると、令和4年の取締では、超過速度15km/h以上〜20km/h未満の件数は約28万件に対し、15km/h未満の件数はたった130件。昨年のみならず、例年15km/hの違反は多くても200件以内の数に収まっている[1]。つまり、警察も15km/hまでの速度超過はバッファとして容認しているのである。15km/hを超えない程度の違反は許容するから、それぞれのペースで譲り合いながら円滑にやってくれ、と警察は暗に言っているのだ。
ここまで山道のスピードについて話してきたが、周りを見て相手の意図を察し、譲り合えないドライバーははっきり言って危険である。交差点の右左折、車線変更や高速の合流、コンビニなどの店から道から出るシチュエーション...。お互い察し合い空気を読んで譲り合ってこそ、安全で円滑な交通が実現するのである。ただルールを守れば良いってもんじゃない。
実勢速度や周りの車の様子、そして警察の速度取締の様子を全く顧みず、制限速度を盲信してチンタラ走るドライバーは、他のシチュエーションでも空気を読めない可能性が高く危険だ。しかも自分は優良ドライバーだと思っている分余計にタチが悪い。
こういうドライバーが少なくなってくれることを望む。
【参考文献】
【追記】
大切な荷物積んで山道ゆっくり走った時の話書いてると思うんだけど、そこ読みましたか?
抜かれたら抜き返そうとは全く思わないです。むしろ譲ったらさっさと抜けと言っているんだ。
私は譲られるより譲る機会のほうが多いし、実際この増田も譲る話を主体に書いたのに、私がスピードガンガン出してあおり運転しまくってると思われるのは、私の書き方が悪いんでしょうか。
この手の山道走行趣味という自称素人、普通にヤバイ運転してる奴が多い。〜中略〜15km/hのバッファて、山道で15km/hも違ったらヤバいだろ。
一言で山道といっても、カーブのキツさや制限速度、そして実勢速度は道によってバラバラです。制限速度50のところもあれば30の所もあるし、制限速度の看板なし(法定速度)でも、50km/hも出したら危険な道もあります。同じ道、同じ制限速度の区間でも、場所によってカーブが連続するところもあれば直線が長く続くところもあります。
常に制限速度+15km/hで走れとは言ってないです。スピードが出やすい区間で許容されうるバッファが+15km/hであるという話です。
このブクマカ以外にも、一言に「山道」と言っても色々な道があることを分かってない人が何人かいます。運転経験が足りないのでは?
やばいドライバーのお気持ち見本市みたいな頭のおかしさ。〜中略〜「15km以内は容認」で絶望。例え30km超過しても、法律は「他の奴が捕まるかどうか」で判断してはいけない。
いや統計みりゃ容認していることは一目瞭然でしょう。15km/h以内が容認されないのであれば、どうして警察は15km/h以内の速度違反を取締しないのでしょうか。
ちなみに、15km/h以内の取締をしたいけど諸事情によりできない、という訳ではないです。ゾーン30での取締など、警察は必要に応じて15km/h以内の取締もやってます。よその道で15km/h以内の取締をしないのは、容認しているからにほかなりません。
山道ってとんでもねえスピードで走ってる車いるよな。運転者は自分運転うまいと思ってるんだろうけど、欲望まみれの運転はむしろ下手の部類だぞ。
そのとおり。「自分のペース(チンタラ)走らせろ。後ろから来たドライバーには譲らん」っていう運転も自分中心欲望まみれの運転なので、後ろから車が来たら素直に譲ってね。
最後に、別に私はスピードを出せとは言ってないです。制限速度を割るスピードで走っていいです(私も荷物積んで走ったときはそうしました。)。その代わり自分のペースで走ってて他の車が追いついてきたら、走り続けず譲ってねと言っているんです。下手なドライバーとはスピードを出さないドライバーではなく、チンタラ「走り続ける」ドライバーのことです。