はてなキーワード: 騎馬戦とは
元々侍と武士は同じ意味だったが、時代を経ると侍は高位の武士の意味になってる。
侍(さむらい、サムライ)は、古代から中世にかけての日本における官人の身分呼称、あるいはそこから発展的に生じた武士の別名である。
「侍」という言葉は元来は、朝廷の実務を担い有力貴族や諸大夫に仕える位階六位下程度の下級貴族(官人)を意味した
武芸を仕事内容とする技能官人である武士が発達すると、「侍」は武士を指すようになった。
さらに、武士階層の裾野は広がり貴族に連なる支配階層に加え、本来は百姓身分である地侍や徒士、卒、足軽なども武士に含まれるようになると、「侍」は武士の中でも比較的高い地位にある「騎馬戦闘の権利資格を有する階層以上の武士」を指すようになった。
足軽(あしがる)は、平安時代から江戸時代の日本に存在した歩兵の一種。
概念によっては、雑兵(雇い兵)と混同されることが多いが、足軽は正式に登録された下級武士であり、雑兵は戦いがあるたびに金銭で雇われる軍兵のことである。
弥助が侍かどうかの話があるが、そもそも侍の定義を明示してないと話が始まらない。
足軽だったとしても下級武士であり武士=侍の時代の定義に従えば足軽も侍と言うことも可能なので議論する上で当たり前だがそもそも言葉の定義についてはっきりさせておく必要がある。
25年生きてきて、初めて将来の夢ができました。
地味だけど平和な少年時代を過ごし、自分の実力で狙える大学に入り、アルバイトとサークルを程々にこなし、大手ではありませんが決して待遇の悪くない企業に入社し今に至ります。
昨年夏に25歳の誕生日を迎えそれまでの人生を思い返しました。人を傷つけず、自分も傷つかず、波風を立てず、親を安心させるような人生。しかし、それは決して僕が望んでいたものではありませんでした。
幼馴染と両思いになる人生。大谷翔平選手のような人生。体育祭のリレーのメンバーに選ばれる人生。バドミントンで全中やインターハイに出場する人生。好きな人と結ばれる人生。自然科学でノーベル賞を受賞する人生。僕が望んでいたものはそんな人生でした。実際には、幼馴染はクラスで1番人気の男子に夢中でした。少年野球は怖い上級生に下手くそと揶揄われて辞めました。体育祭の騎馬戦では自分よりも身体の大きな野球部の下級生とぶつかり親の前で気を失いました(相手も故意ではないですよ)。バドミントンは少年野球を辞めた後に始めましたが、中学でも高校でも未経験者に追い抜かれ団体メンバーに選ばれることはありませんでした。女性が僕を異性として意識することはありませんでした。興味よりも就職率を見て無難な大学の無難な学部を選びました。
身体能力、自信、行動力、容姿などなど。自分の望む物を手に入れるために必要な物を、僕は何一つ持っていなかったのです。
今更本当に望んでいた人生を手に入れることはできません。何もかもが遅すぎます。もし「全てが自分の思い通りになる、しかも何度でもやり直せて、何度でも作り直せる世界」が存在しているのならば、僕はその世界の中で何度でも人生をやり直し、何度でも世界を作り直し、理想の人生を何度も送ることでしょう。しかし、残念ながらそんな世界は存在しません。だから、そんな世界を僕が創ることにしました。
そうは言っても知識が足りません。この半年間、人生で初めて主体的に勉強しました。様々な分野の書籍を読みました。大学の授業以来プログラミングに取り組みました。しかし、独学では限界があります。
そこで大学に進学することにしました。学費、生活費、自分の研究したい分野、将来の生活費の確保など様々な点を考慮し、地元国立大学の医学部医学科を第一志望とし、現在働きながら受験勉強に取り組んでいます。高校生の頃の自分に「国立医学部を目指せ」と言っても「無理に決まっている」と一笑して終わりだったでしょう。今は違います。英語、数学、物理、化学、国語、世界史。全ての科目について楽しみながら勉強に取り組めています。一人暮らしの環境で仕事をしながらの勉強ですが、高校生の頃よりも遥かに集中して取り組めています。もちろん問題を解いていて躓くことはありますが、自分の不出来な身体から僕の脳と神経系を解放し、コンピュータに繋ぎ、コンピュータで再現した理想の世界を恣に生きる未来の自分を想像すればそんなもの苦ではありません。
https://www.be.emb-japan.go.jp/japanese/archives_j/lfb_039.html
最初に、カール大帝とフェリペに扮する人物が、馬車に乗って、お付きと一緒に入場し、正面スタンドに着席します。その後は、二人を楽しませるために,色々なグループが思い思いの時代衣装を着て、その前をパレードするのです。最後は、高いものはビルの3階分位の竹馬に乗った一群が登場し、クライマックスでは、竹馬同志で、最後の一人になるまで騎馬戦を行います。そして、花火が打ち上げられ、終了です。夜の21時頃から始まり、終了は真夜中近くになる,ブリュッセルでも、人気が高い一大イベントです。
死なないものなの?
注目エントリに前川の名があったもんで思い出した(内容は全然関係ないよ)大学の友人が住んでたので時たまに行ってた。前川喜平さん自体は関わりは多分ないんだけど、かなり特殊な寮だったのでまあ思い出話ってことで。
なんで前川?って思うかもだけど敷地のど真ん中に創設者ってことで前川喜作って人の銅像が立ってる。前川製作所の創業者で前川喜平の祖父にあたる人らしい。
立地は早稲田大学のそばで、田中角栄邸が隣にある。東京の超一等地に急に鬱蒼と茂った森が出てきて度肝抜かれた記憶。理系の俺でもひしひしと文学的な趣きが感じられるんだけど、実際に村上春樹が「ノルウェイの森」の舞台にしてたらしい。早稲田の側だけど住んでる人は大学生ならどこでも良いっぽかった(名簿が貼ってあったけど早稲田が一番多くて、東大からFランまでみんないた)
敷地には文化財?の建物と東西南北乾巽の6つの寮があってそれぞれの寮で個性があったらしい。ただ共通してるのは体育会系ってことで上下関係がメチャクチャ厳しそうだった。新入生は徹底的にシゴかれる時期があるらしく、その時期に何人もやめてくらしい。先輩とすれ違う度に「こんにちは!」「失礼します!」って絶叫してたもんだから、なんかそういう雰囲気になって俺もやってたw
一番の特徴は大学生なのに体育祭があるってとこ。9月頃に友人と連絡が全然取れなくて、暫くぶりに会ったらムキムキになってた。なんでも1ヶ月毎日何らかの競技をやってて、集大成に騎馬戦をやるらしい。その騎馬戦を見に行ったことがあるんだけど迫力が半端ない。大将戦で帽子を取るんじゃなくて騎手を地面に叩き落とすルールだった。もちろん毎年怪我人が続出するらしいんだけど、大の男が勝利して咆哮し、負けたら号泣する真剣な姿がめちゃくちゃカッコよかった。その友人は普段イジられキャラだったんだけど、その時ばかりは惚れたw
他にも色々エピソードを聞いたけど、コンプラ的な面で割愛。まあこんな感じでかなりヘンな寮だった。もうその友人もその寮で仲良くなった人も暫く会ってないけど、元気にしてるかな。体育会ノリなんて今じゃ(というか当時から)毛嫌いされてると思うけど、みんな商社とかそういうとこ行ってたから今でも多少そのノリをやってるかもねw
調べたら色々と出てくる。 GPIF、過去最大のマイナス運用14.8兆円 株安響く=18年10─12月期実績 | ロイターとか。
こういうニュースを機に、積立金とかに加えて公的年金制度そのものへのよくある誤解に対して何とかしたいなとおもったので簡潔にできるだけわかりやすいように書く。
不正確な点については指摘してください。
現在の日本の年金制度は賦課方式といって、現役の人が引退した人の給付を負担して高齢になったら現役世代から給付を受けるという制度になっている。
この説明は正しい。ただこの説明は少子高齢化に伴って、3人の現役で1人を支える騎馬戦方式から一人が一人を支える肩車方式になり、現役世代は高い負担を強いられる一方で、今の現役世代が引退するころには現在の給付額よりも少ない額しかもらえない…というイメージを我々に与える。
ところが、世の中にはもう一つ、こんなことは起こらない年金のやり方がある。積立方式である。これは、現役の時の掛金を一人一人ずつについて積み立てて、それを運用してある程度増やしたものを老後に給付してもらうという方式である。この方式は自分の老後を自分で支えるから、騎馬戦だの肩車だのと言った問題は起こらない。解決である。
と言いたいところだが、これには落とし穴がある。
年金はなんのために受給するのか。それは多くの人にとって老後だろうが現役だろうが必要となってくる衣食住に加えて医療などの生産物を手に入れるためであると思う。ではそれは誰が供給するのか?
それはまあ考えなくてもわかると思うが、あなたが年金を受給するときの現役世代に他ならない。少子高齢化が避けられないなら彼らによる供給量は当然今の水準より小さくなる。当たり前だ。生産者世代自体がシュリンクしていくのだから。つまり、社会全体が取り合うパイが小さくなっているのだから当然現在より貨幣価値は下がる。ということはお金を積み立てておいて、2,30年前といった時期からお金を蓄えて将来の生産物への請求権を確保したつもりでいてもこれでは全然ダメになるだろうことは予想がつく。結局のところ、年金としていくら支給されようとその時代の生産物を確保できなければ意味がないのである(また、このことは現代の日本において、“若いうちに老後のための費用を貯蓄して自らの老後に備えるべき”という人口に膾炙した考え方も実は誤解である事を示しているのは注意に値する)。
つまり、年金制度において一番重要となるのはその時代における生産物。これを心に刻んでほしい。
積立方式は生産物という観点から見ると問題があるのがわかった。現在の日本のみならず多くの先進国で行われている賦課方式ではこれは問題にならないことがその制度から明らかだろう。
では冒頭にあげたようなニュースにでてきたような積立金はどうだろう?ちなみに、現在の積立金の総額はおよそ2,3年分(正確な数値は忘れた。別にここではさして重要でない)の給付を賄える額である。そして今後100年において年金給付の1年分になるまで積立金を使う事になっている(厚生労働省の公的年金の財政検証のページを見てほしい)。今後やっていけなくなるから積立金を切り崩すと言ってたコメントを見た気がしたがそれは単なる知識不足によるものである。
ここで重要となるのはこの今後100年分の給付における積立金の割合はたったの10%程度であるという事実である。これは調べればいくらでもエビデンスが出てくる。何を言いたいかというと、年金制度において積立金は貯金ではなく、単なるバッファーとしての役割を持つものなのである。つまり年金制度の維持という観点からみると、積立金の運用成績による短期での増減は全体から見てあまり大きな問題ではなく、一番重要となるのは掛金の増大をもたらす賃金の上昇および、社会の生産物を増やす人的な資本の増大なのである。
加えて指摘しておきたいのが年金の未納の問題である。これまでの説明からある程度分かるとは思うが、年金は貯金ではなくて保険なのである。保険では当然ながら掛金を支払わない人には保険金は支払われない。年金でも同様となる。つまり、未納分による保険料の分は当然、バッファーの役割を果たす現在の積立金から支払われるが、その未納者が給付を受ける年齢になっても給付分は支払う必要がなく、“浮く”ので結局未納分を取り返せることになるのである。なので未納によって保険料を支払っている人の年金が破たんすることはない。だから、年金を多く支払っているであろうはてなのメインユーザーの皆さん、安心してください。
もちろん、今の年金制度が完璧なのかと言われれば当然そんなことはないし、課題は山積している。ただ、現在の多くの人々が持っていると感じている年金制度に対する誤解を解きたいと思ってこの文章を書いた。