2023-09-30

スタンド・バイ・ミー』1986→『よりもい』2018→『フリーレン』2023の共通項と時代の変化

この3つの作品には重大な共通項がある。

死者に会いに行くこと。

そしてその仲間たちの間に深い友情があるということ。

物語の中心に居座る巨大な二本の軸が共通しているのだ。

だが物語の紡いだ形は全く違う。

スタンド・バイ・ミー』は友情を「幼い頃にあった輝かしい宝物」としている。

その友情がそれぞれの人生を輝かしいものにするようには描いていない。

しろ友情や思い出の有無が人生を決定づけないことにこそ、友情というもの独立して価値あることの証明だと言う主張が見て取れる。

また、友情を描く過程で見に行く死者も赤の他人である

物語の終着点にあるマクガフィン意図的無意味ものにすることで、友情価値純粋に描こうとしている。

『よりもい』で描かれる友情には成長がある。

友情を通して人は成長し、成長していくことで人生自分の臨んだ形に切り開いていけると描く。

この作品における友情ある意味人生を切り開くツールの一つである

最終目的地にいる死者も主人公一行の1人にとっては重要人物であり、友情のおかげでこの人物との再開を果たすことが出来たという物語構造となっている。

友情はそれ自体価値を持つだけでなく、人生における目的を達成させるための助力となるとして描かれているのだ。

フリーレン』においても友情は人に変化と成長を促すものとして描かれる。

フリーレンの旅は死者の辿った道を再び巡るものであり、そうしようとフリーレンを動かしたのもまた死者との間にあった情愛だ。

旅に出ようとしたことのものが死者との間にある友情証明であり、物語の描く過程全てが触れ合いによって人が変化したという結果だ。

人との出会いは明確に人間人生を変える。

それはその相手が死んだあとであっても変わることはない。

他者との関わりが人間の中に永遠の変化をもたらすものとして描く『フリーレン』、他者との関わりは輝かしい思い出以上でも以下でもないと描く『スタンド・バイ・ミー

どちらが優れいてるという話ではない。

求められる物語が変化したのだ。

今の社会は非常にせっかちで、物事にすぐに意味を求めたがる。

「ただ懐かしくて素晴らしかったんだよ」だけの友情物語では納得しないのだ。

「あの思い出が輝かしいから、自分は変われたんだ」と主張できなければ、その思い出の輝きに納得してくれないのである

即物的で寂しい時代になった……などと老人のように嘆く気はない。

ただ、時代は変化していくのだなと感じるだけだ。

振り落とされないようには気をつけたいな。

時代に合わせて自分を変化させるのが正しいのかという疑問もないわけじゃないけど。

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