2022-04-17

宗教詐欺!という人に向けて

日本キリスト教徒の印象を聞くと、大抵”神”というファンタジーを本気で信じている幼稚な人間という扱いを受けるがそれはあまり正しくはない。

基本宗教において神の存在はあまり重要意味を持たない。それについて簡単説明をしてみようと思う。

まずキリスト教前身ユダヤ教であり、その聖典旧約聖書である

旧約聖書でどんなお話が語られるかと言うと、有名な物では:失楽園カインとアベルバベルの塔ソドムゴモラなどであり

それらの共通点は全て人間が”やらかした”お話であるという事だ。

まりユダヤ教では

人間調子に乗るとロクでもないことをやらかしがちなので、皆ルールを守り慎ましく生きましょう」

という事を教えている。神が存在するか否かはあまり関係がない。

ではユダヤ教徒であったキリストが新しく提案した教えはどんなものであったのか?

キリスト教聖典新約聖書で有名な話は例えばは姦淫の女の話がある(ヨハネによる福音書第8章2節-11節)

姦通の罪で捕らえられた女性に石投げをしようとする人々にキリストが「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」と言うお話だ。または良い羊飼い放蕩息子のたとえ話なども同じ教えなのだが、

キリスト教では

「確かにルールを守るのは大事だが、ルールを破ってしまう人もいる。そんな人たちをただ排除するのではなく正しく導いてあげましょう。自らでさえもそうなりうるのだから

という事を教えている。やはり神が存在するか否かはあまり関係がない。

そんな当たり前の事わざわざ神なんて言葉を使わず普通に言えばいいじゃないか!と思う人もいるかもしれないが、多くの人たちは今自分がしているように”物語”にしなければ物事理解できない。

そして”神”という存在物語を語るにおいて便利な物マクガフィンのようなものに過ぎない。

無宗教にせよ、教徒にせよ、”神”という言葉に目がくらんでしまう人には宗教理解するのは難しい。

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