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2023-07-25

anond:20230725020156

功罪は本当それって思う

 

けど、パヤオの自慢から上級国民説教自業自得(血縁者にも有能アニメーターにも後継者になることを拒否られる)の話に思えたな

 

金を集めることが出来る安定した世界(ジブリ)から飛び立ったが、ジブリの呪いは引き受ける事にした米林宏昌スタジオポノック に幸あらんことと思うばかり

ジブリの呪いから完全に解き放たられることを選んだアニメーターたちも自由自分アニメーションを追求して欲しい

2023-07-24

宮崎駿終活君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか感想

具体的なネタバレはそれほど無いと思うが、作中のかわいいキャラクターのみ個体言及する。








一言で表すならば、眠りの浅い時に見た夢。


ナウシカラピュタトトロ魔女の宅急便紅の豚もののけ姫ハウルポニョ、そして風立ちぬといった宮崎駿歴代作品イメージボードブンブン振り回されて巡らされた。

宮崎駿終活を見た。



呆然とした。

映画が終わった時には、なるほどね、と口から漏れていた。何故広告を打たなかったのか、得心したからだ。むしろ広告が打てなかったと言う方が正しいのではないかと思う。



ストーリーが訳がわからんかったのは別にいいというか、この作品自体が夢みたいなもんだからどうでもいい。

まず引っかかったことの第一台詞回しが説明的だったのに結構ダメージを受けた。

映像だけで説明できているはずのシーンで重ねて行動の意図を口に出して「今この台詞言う必要あったか?」となったのが、覚えている限り少なくとも二回はあった。

今まで宮崎作品ではほとんど感じたことのないものだ。

他にも感情の流れの描写がなく、どうにも唐突に結果だけが放られる台詞が多かった。細田守彷彿とさせる台詞回し。辛かった……

私はキャラクターへの共感については特に必要性を感じない方なのだが、感情の流れだけはしっかり描いてほしいと思っている。その流れがブツブツ途切れていて、最後に繋げたい結論だけを口にさせていて、気持ちが悪かった。

それも意図的なのかもしれないが。




第二にショックだったのは、ワラワラがただ可愛いだけのゆるキャラだったこと。

駿の中にはもうマスコットになりうる「可愛くて、でも不思議な」キャラクターはいないんだなと痛感した。

安直でなんの捻りもない造形には、宮崎駿原体験自然の中にある生命伊吹を感じることができない。そこに「いる」必然性は描かれず、ただ丸く、かわいい、特徴の廃された「マスコットらしいマスコット」でしかない。

子供向けにフックとしてマスコットが要るだろうという「思いやり」もしくはジブリと言えばという商業要請から出されたキャラクターしか感じられなかった。

DNA螺旋なことは分かるが、それにしたって安直デザインには宮崎駿の興味・関心が感じられない。

まあそこは今の宮崎駿にとってはどうでも良かったのだろう。でもシンプルながら風変わりで、動物幼児の見せる原初感情愛嬌を細やかに描いたキャラクター達を愛していたので、個人的にショックが大きかった。



現在宮崎駿の中で鮮やかに表現されるのは、戦争であってファンタジーではないというのは今作を観て強く感じられた。

最も切実にこちらに訴えかけるのはやはり空襲のシーンであったし、街が燃え、人が炙られ彷徨うシーンだった。

主人公が自らを傷付け、結果二兎を得るが上手いこと加減できず割と深い傷になる小賢しさと迂闊さも少年らしく良かった。

背後に不穏さが漂う陰鬱現実こそが「今」の宮崎駿なのだろう。現代情勢から必然だろうとも思う。



私は宮崎駿の、普通エンターテインメントに乗りきらない切実で繊細なものを、エンターテインメントという砂糖をまぶして結実させ、本来ターゲット外の人までより広く世に送り出す手腕にこそ心酔していた。

風立ちぬ」なんかはその真骨頂で、あん純文学を大々的にお出ししてきたのは正気ではないと思いつつ狂喜乱舞したし、そこに込められた宮崎駿の諦念を目の当たりにし、これで創作活動を終いとするのは悲しすぎると涙した。庵野が棒すぎて頭に入らないから嫌と内容以外の部分で周りに否定されたのも悲しかった。



結果的に言うと「風立ちぬ」は宮崎駿終点とはなり得ず、私の望みは叶えられた。

君たちはどう生きるか」を鑑賞し、ここまでただ狼狽した心情を書いてきたが、今の宮崎駿に非常にショックを受けつつも、なんとなく心穏やかになった部分もある。

宮崎駿作品から既にひりついた表現への欲を感じなくなったのは、それはそれで救いであるとも思う。

そういう意味では、私にとっても「宮崎駿」への餞というか、終活になった。


どんなに作品の底に込めた意味があろうと、こちらに伝えようという意思が感じられない、というか作品を観ながら「伝えたかったもの」を考える余地がある、物語に没入できない時点で出来の悪い作品と考えているので、作品単体で言うと★1なのだが、監督宮崎駿ということを加味すると★3になってしまう。

君たちはどう生きるか」を宮崎駿ではなく、例えば米林宏昌あたりが作っていたら私は激怒し、オマージュ大義名分ジブリブランドを体良く利用して棄損するなと気炎吐き散らして暴れ回っていただろうが、宮崎駿ならばこれを作る権利がある。

それだけのものを今まで私たちに贈ってくれた。



そして、ここまでグチグチグダグダ書き連ねながらも、もし万が一にも次作があるなら絶対観に行ってしまうだろう。

観客なんて勝手なもんである


あと、米津好きだけど宮崎駿には合わなかった。ジブリにはもっと現代の売れ線とは関係のない歌と共にあってほしい。

2023-07-15

君たちはどう生きるかストーリー理解できない人に解説する

そもそもこの作品は「メタファー型半ノンフィクション

まずここを理解しているかどうかが大事

「そういう部分もある」では駄目。

これはほぼ100%がそうであるタイプであり、それ以外の部分は繋ぎしかないと思っていい。

作中に説明不足に見える用語が沢山あるけど、それらは作品の外から持ってくる必要がある。

たとえば戦争映画でわざわざ「日本アメリカ戦争をしています日本最後に負けます」と解説しないのと同じで、作品から情報を補わせることで作品テンポを良くしたり仄めかすことでより感情を揺さぶろうとしてる。

困ったときはケツからデータを舐めろ

まずは作品ラストから遡っていき重要用語現実に当てはめて整理していく。

崩壊する塔→宮崎駿が消えた後のジブリ

叔父ジブリの長としての宮崎駿

力を持った石→ジブリという看板

13個目の積み木→宮崎駿長編監督作品ルパン2作とコナン1作を含む)13作目が君たちはどう生きるか

血を継ぐものへの継承宮崎吾朗(アーヤと魔女を見れば分かる通り、継承は失敗している)

インコの王→米林宏昌(それっぽい真似っ子は出来るが……を越えられず、ついには独立してメアリと魔女の花を作っている)

インコジブリアニメーター(塔(ジブリ)の庇護下にあるときは強いのだが、外に羽ばたいて見せると途端に魔法が解けて拾ってきたときのか弱い生き物に戻ってしまう。インコは結局真似っ子しか出来ねえかんね)

産屋→新世代の後継者を生み出す儀式(失敗に終わる)

塔の外の世界視聴者達の世界

下の世界アニメ業界世界

下の世界の死人→アニメーター以外のスタッフ自分たちでは何も生み出せず、いざ作品が形になると群がってくる)

ワラワラ未来の太客(面白い作品を見せて育てることで将来的に太い客になってくれる)

ペリカン→客を食い物にしようとするアニメ関係者(せっかく育てた客を食っていく。傷ついた客がアニメに愛想を尽かすすことも)

若い頃のばあや→古の凄腕アニメーターの現役時代

コレを学ぶものは死す→アニメ業界の門を叩くもの死ぬ

アオサギ鈴木敏夫

主人公は誰なのか

これがマジで難しい。

アニメーターとしての宮崎駿だと考えることも出来るし、宮崎吾朗成長物語だったのかも知れないし、鑑賞者の分身だったのかも知れない。

そういった全てが重なり合った存在であったと解釈するのが自然ではあるのだが……。

たとえば自傷行為心配されているのは宮崎駿引退するする詐欺で周りを振り回したときの様子にそっくり

とあるごとに鈴木敏夫に振り回されているのは宮崎駿もそうだけど鑑賞者側も同じなわけで。

二人の母親について

今作のヒロインは2人の母親である

主人公最初、本当の母親との再開を求めて塔に向かうが、途中から新しい母親を連れ戻すための冒険も同時に進行していく。

塔の中では幼少期の本当の母親と再開し、最後に別れを告げることになる。

また、新しい母親のことを最初他人行儀に読んでいたのが、夏子母さんと母であることを認めることで取り戻すことに成功する。

結果として、どちらもが本当の母であると言わんばかりの終わり方となる。

これは宮崎アニメにおいて「ヒロインをどのようなキャラクターとして造形するか」についての葛藤を描いているのではないか

ハッキリ言えば、「ロリコン趣味を疑われながらも少女主人公とするべきか、そうではないヒロインを描くべきか、それらは物語世間が求めるヒロイン像により時には重なり合い時には反発する」という話をしたかったのだと思う。

歪な時間軸の中で幼少期の母に出会いヒロインとして共に冒険しながら、もう1人の大人ヒロインを救出に行くという混沌とした物語構成が、常にその葛藤に晒されてきた宮崎駿の複雑な心情を描いているのである

材料は揃ったか作品時系列順にまとめてみよう。

  1. 下の世界において古より漁業アニメ制作)が行われていた。
  2. そこでは死人(非アニメータースタッフ)が若かりし頃のばあや(古のアニメーター)が釣り上げた大魚(名作アニメ)を売りさばきワラワラ未来視聴者)が育っていた。
  3. あるときその世界に繋がる巨大な塔(ジブリ)が誕生する。
  4. 叔父宮崎駿)が塔の主になる。
  5. 塔の中では大叔父が石(長編映画)を積み上げていく。
  6. 塔の中では大叔父が拾ってきたインコジブリアニメーター)が少しずつ力をつけていく。
  7. 主人公(観客・宮崎駿宮崎吾朗等のメタファー)がアオサギ鈴木敏夫)に唆されて塔にやってくる。
  8. 塔の中で主人公は本当の母親宮崎アニメロリヒロインメタファー)に出会
  9. インコジブリアニメーター)に脅かされながらも産屋(継承儀式)へと辿り着く
  10. 新しい母親世間から押し付けられたヒロイン像のメタファー)を受け入れることを選ぶ
  11. 出産(新たなるジブリ監督の選出)が妨害されたと石(ジブリ看板)が苛立つ
  12. 積み上げてきた積み木(宮崎駿監督作品)のバランスは既に危ういことを大叔父は悟る
  13. 13個の石(宮崎長編監督作品と同じ数)を新たにバランスよく積み上げることを血の繋がったもの宮崎吾朗)に求めるも拒絶される
  14. インコの王(米林宏昌)は本当の母親ロリヒロインメタファー)を奪いとったり石を適当にズバズバ積み上げたりして継承者になろうとするも上手く行かずにキレる(ジブリから独立
  15. 塔(ジブリ)は崩壊を始めインコジブリアニメーター)達は巣立っていく
  16. お前まだジブリなんて会社があったことを覚えているのかい。でもいずれ忘れちまうんだろうな。


いかがでしたか

こうして纏めてみると結構スッキリした話なんじゃね?(むしろドロドロって気もするけどな(笑)

宮崎駿の目から見たジブリ物語を描いてますよって感じなのでは。

君たちはどう生きるか」というタイトルはこの状況に対しての語りかけで、どこに向けてそれを言ってるのかで意味は変わるんだと思う。

ジブリ関係が深い人に対しては「俺が引退した後好き放題するんだろうけど、何をする気?」みたいな感じだろうし、インコに対しては「真似る相手がいなくなったらお前らもう本当に何も無くなるんじゃね?」とかなんかな。

でもインコの話について観客に対しても「お前らもインコになってねえか?」って圧かけてきててもおかしくないんだよなーこのお爺ちゃん職人気質かいパワハラって読むような所あるからさー正論で人を追い詰めるマチズモなんだよなー。

しょーじきここまでメタファーまみれだと「風斬りの7番」とかも分かる人には分かる要素なのかもね(鈴木敏夫の弱点って聞くと咄嗟とある女性が思い浮かんだりしちゃうが、アオサギ鈴木敏夫じゃなくて高畑勲って解釈もできるし焦っちゃ駄目ね。高畑勲場合柳川堀割物語かな。まあ人間なんかしら人生に汚点はあるからこじつけようと思えばいくらでも出来ちゃうね)。

蛇足 結局この映画どう楽しむの? についての私の考え

アオサギ適当人物に当てはめて「宮崎駿が「お前とは色々あったけど本当に友達だったと思ってるぞ」と言ってるんだ―尊い(T_T)」って適当に感動しときゃええんちゃう

作画スゲーだけで終わらせるのも吉。

ジブリは滅びますぞ―のセンチメンタルのものについて鑑賞者まで深く考えんくていいと思う。

マザコンなのかロリコンなのかハッキリしろって突っ込むとか、宮 崎 吾 朗 wwwwwみたいにヤジを飛ばすとかは見終わってからまでわざわざせんでええのかもなと。

やっぱ全体としてストーリーラインが雑というか、もののけ姫とかに比べて不自然さは凄いし、ストーリーだけを楽しもうとするのは厳しいね

マクガフィン母親であることのパワーを過信しすぎて「え?そこまでする?」になってるのがあまりよろしくないのよねー。

メタファー込みで考えると上手い具合に物語に落とし込んだなって感心はするけど、そんなの見せられても困るんですよお爺ちゃんって感じよ。

悪い意味細田守チックなことされちゃったなーって。

2022-01-07

anond:20220107160520




いうてシーラカンス説もめちゃくちゃあいまい記憶やんけ

2015-08-14

劇場アニメ監督の生年一覧

Wikiで調べてつくってみた。宮崎駿監督後継者云々を受けてつくったので、主な有名監督若い監督中心。基本的にはTVシリーズをやってないオリジナルか、小説原作劇場アニメを発表してる監督例外も一部あるけど。

1935年まれ 高畑勲(かぐや姫の物語)

1941年まれ 宮崎駿(風の谷のナウシカ)、富野 由悠季(機動戦士ガンダム)

1951年まれ 押井守(攻殻機動隊GIS)

1954年まれ 大友克洋(AKIRA)

1959年まれ 原恵一(百日紅)

1960年まれ 庵野秀明(ヱヴァンゲリヲン新劇場版)、片渕須直(マイマイ新子と千年の魔法)

1961年まれ 新房昭之(劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語)

1965年まれ 舛成孝二(宇宙ショーへようこそ)

1966年まれ 神山健治(009 RE:CYBORG)、水島精二(楽園追放)、沖浦啓之(人狼)、宇田鋼之介(虹色ほたる)

1967年まれ 宮崎吾朗(コクリコ坂から)、細田守(時をかける少女)

1968年まれ 小池健(REDLINE)

1973年まれ 新海誠(言の葉の庭)、米林宏昌(借りぐらしのアリエッティ)

1976年まれ 長井龍雪(心が叫びたがっているんだ)、宮地昌幸(伏 鉄砲娘の捕物帳)

1979年まれ 平尾隆之(魔女っこ姉妹のヨヨとネネ)

1980年まれ 吉浦康裕(サカサマのパテマ)

1984年まれ 山田尚子(たまこラブストーリー)

1988年まれ 石田祐康(陽なたのアオシグレ)

2015-07-23

スタジオジブリって宮崎駿が死んでも30年くらいは余裕で存続できるよね。

スタジオジブリって後継者もいないし、マーニーとかアリエッティ米林宏昌監督

辞めちゃったし、危なくないって言われてたけどビビった。

スタジオジブリ決算書

http://kessan-kanpo.blogspot.jp/2014/07/blog-post.html

スタジオジブリ決算書その2

http://kessan-kanpo.blogspot.jp/2015/07/13_23.html

100億円ものお金が合って、既存ジブリ映画権利があって、現在アニメータも結構高齢だとすれば

定年退職まで働けばもう新規スタッフをあまり雇用しなければ資産管理版権会社で食っていけるよね。

そして、その後も利益をいくばくか生み続けるんだから、正直十分だよね。三鷹の森美術館もあって、子供

たちや孫たちが過去利権で食っていくには十分すぎると思う。

 
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