まずはこの読み切りを読んで欲しい。
読んだかな?
じゃあ感想も読んでね。
さて、君はどう思った?
まあ基準をどこに置くかだよね。
私が同じレベルのを描けって言われたら一生描けないかも知れない。
そもそも頑張って絵の練習をしないんだからそりゃそうなんだけどさ。
10年以内に出来なかったら殺すって言われた場合に必死に抗うよりは諦めたほうが楽かなってラインぐらいは超えてると思う。
まあこれより絵が汚い漫画ってたくさんあるし、ジャンプに載ってる新連載の半分以上は単なる絵柄の問題を超えてこれより下手かなって思う。
でも漫画の絵として考えると自分なりの絵柄を持ってれば下手でも成立する部分はあるから絵のレベルで負けてるのは半分ぐらいかな。
漫画業界全体で考えると問題はもっと難しくて、絵柄は完全に捨てて内容で勝負するタイプだとヘタウマですらなく単にやる気がないだけのも沢山あるよね。
もちろんすっげーうまくてこの漫画は足元にも及んでないのだって沢山ある。
今回の場合は「新人の読み切りとしては」って考えたら上位2割ぐらいには入ってそうだし、上から三等分で高いー普通ー低いのラインを引いてくなら「高い」にカウントしていいだろう。
でも世の中には「あらゆるものは上位1割以外はカスである」っていうSF界じゃ金言とされているような考えもあるんだな。
この理論だと上位1割に入れるのが普通のラインで、そこから上位1割に入ってようやく本当の上位になるらしい。
そうなると「高い」のラインは「全体の1%」に引かれてしまうわけだ。
その基準で考えても乗り越えられる漫画家、画力の化け物としか言えない漫画家は何人か思いつくよね。
流石にそのラインじゃなくても、描きたいものを表現するのに全く不足を感じさせないレベルの人、驚異的執念と緻密さで描こうとすることが狂ってるようなものを描いてしまう人もウジャっといる。
画力系漫画家のレッドオーシャンっぷりってのは本当意味不明なレベルでここ20年ぐらいの間にだいぶ進んでしまったと思うよ。
同時に画力が低くても漫画家として成立させる技術みたいのも確立されていったから全体で中央値を取ると昔とあまり差はなさそうなんだけど。
そもそも漫画の画力って「手段」と「目的」で変わると思うんだよね。
「手段」っていうのは「表現したいものを表現しようとしたときの減衰を防げる」かどうかが重要。
「目的」っていうのは「絵の上手さそのものに商品価値を見出してもらうことが出来る」かが重要。
この2つは似ているようで結構違っていて、漫画に対して読者が求めるものでも変わるんだよね。
漫画に対して求めているものがストーリーである人にとっては、「作者の画力の高さをアピールするためにストーリー展開や読みやすさの優先度を下げてまで用意された画力アピールコーナー」なんてのは評価対象外にさえなるんだけど、漫画に絵を求めている人にとってはストーリーはそういった絵を際立たせるためのマクガフィンでさえあり得るわけだよね。
まあ「手段」としての画力が高いことは一般に「漫画力が高い」って表現の中でストーリー構成とかと纏めて括られてしまいがちだけどね。
そうなると「画力が高い」って表現をするときはやっぱり「目的」になりうるレベルが求められるのかな。
ベルセルクレベルから
ベラスケスぐらい描けたら上手いを名乗っても良いかな
絵は上手いが漫画は面白くないと感じたらだよ。
クソ映画・クソアニメ・クソドラマ・クソゲー、とかく「BGMだけは良かった」と言われるものでありますなあ……
新人にしては上手い、というか上手く見える画風 漫画家全体では上手くない 上手くないのに上手いと言われてることを君がコンプレックスに感じて妬んでいるのは別の話
絵が一定レベルに達してないと読まない人も居るからね。 少なくとも絵だけで読ませることのできる漫画=画力の高い漫画だと思うよ
画力とストーリー性の葛藤について考えてみたらふと思いついたんだが、 もしいらすとやさんがストーリー性のある漫画を描いてたらこの世にいらすとやが存在してなかったかも。
どうして?
ストーリー性のある漫画がかけたら普通に漫画連載とかすると思う。 フリー素材集とか作ってみようって思わないと思う。
イラストレーターはたくさんいるし フリー素材を作ってる人もたくさんいる いらすとやが発展したのは何かしら更に別の能力じゃないか?
山中教授が臨床医になってたら今頃iPS細胞はこの世になかったような話かな